全232件 (232件中 1-50件目)

久しぶりに街路樹を歩いた。気づいたら部屋から帽子をかぶって歩き出していた。街路樹に着くと、そこは木と私だけの世界。シーンと静まり返った、そこには何も物言わぬ木と、私だけがあった。木々を数えて歩く。キラキラ日差し眩しい。すっかり芽吹きの季節から、新緑の季節になって、ずいぶん緑が濃くなった木々に、頼もしく思った。ふと交信してくる木があった。桜だ。結構大きな桜。また歩いていると、また交信してくる木がある。今度はミズキ。これも大木だ。冬の間、派手に剪定されてしまったけど、これらの木は剪定されずに残っている。わぁー!っと見上げて通った。帰りに差し掛かると、今度はサツキが「見て見て」と言わんばかりに綺麗に咲き誇っている。気分がすこぶる良くなった。いつもの散歩コース。いつもと同じなのに、いつもと全然違う。帰ってくると、下を向いていたのが、希望に満ち溢れている自分がいた。涙遠拭った。私はいつだって木に元気をもらう。街路樹よ、ありがとう!また来るから、よろしく頼むよ!
2023年04月27日
コメント(0)

皆さん、こんにちは!この度、このブログの集大成である、「樹木の物語」~石神井公園の木々の声~という写真エッセイをつくりました!自分でいうのもおかしいですが、よくできた本で、写真の写り込みがとてもきれいです。そしてなんと!電子書籍でもお読みいただけるようになりました!!(432円)スマートフォンでも、きれいに読めます。写真の写りは、紙書籍以上です。kindleストア、楽天kobo、紀伊国屋書店ウェブストア、honto、iBookStore、BookLive、他15社石神井公園近くのレストランや、石神井公園観光案内所(石神井公園駅に隣接)、石神井公園管理事務所などにも、置いてあります。どこも気楽に声をかければ、もらえるようになっています。お手に取っていただき、石神井公園の風や木々の香りを感じ取っていただければ、幸いです。
2017年06月15日
コメント(2)

今日の楽しかった登山のことを思い起こしている。思い出しただけで、スーッと頭のコリや疲れが取れてくる。真冬でもびっくりするほど照葉樹が多く、何もない中を歩くつもりだったのが、ちゃんと緑の中を歩いたようだった。いつもの号路とは違う山道を通ったら、新鮮ですごくすがすがしかった。いつもはすごく険しい山道だが、なだらかな道をずーっと歩いて、もちろん山道だから崖っぷちを歩く感じなのだが、緑が豊富で、吸い込む空気もとてもきれいで清涼なものだった。こうして大好きなキャロル・キングの好きな曲の一つ、アップ・オン・ザ・ルーフを聴いていると、なんて癒されるんだろう!?もう体もクタクタになったはずなのに、それがまた心地よく、頭も体も静まり返っていく。戻っていく。どこか心地のいい場所へ。都会で喧騒にもまれていると、登山てほんと、体も心も癒しになる。もう今だけは煩わしい人間関係も忘れてしまった。登山―すなわち、自分の場所へ帰る所。みんな、山へ行こう!
2013年02月28日
コメント(0)

最近風邪を引いてしまって、40度を超える熱を3日間過ごしまして・・・、もう何かにつかまってなきゃ歩けないフラフラぶりでした。(笑)で、風邪が治ったらまた高尾山に、今度はいつもの3号路ではなく、「日帰りハイク」という本に載っているコースを登ってくるつもりです。この「日帰りハイク」に載っているコース、同じ山でも、ただ登るより実にいい感じの山道が紹介されているんです。それはいいとして、以前石神井公園で、蝉に向かって「ジージー、ジージー言ってけどよー、ジジイ、ジジイなんて言ってたらたまんねよなー!」とつっこみをいれているおじさんたちの話をしましたが、この前の高尾山でも似たようなことがありまして・・・。下りの途中に、退職後っぽいおじさんの一行に出くわしまして、これまた大きな声で「悪い子とか悪い嫁とか言うけどよー」「鬼嫁とかなっ」「悪りいジジイって聞いたことねーよなー!」「カッラオケばっかしてよー!毎晩毎晩夜遅くまでよー!」と周りも全く気にせず大声でのたまっているので、思わず口をおさえて笑ってしまいました。家に帰って母にその話をしたら、「そのおじさんは女の子を差別しないタチのいいおじさんだ」と言い、そういうことになった。オソマツでした。
2013年02月20日
コメント(0)

山道を燦々と光が差し、足元のゴツゴツと出ている木の根っこを浮き彫りにする。その上を黙々と歩く。汗はさして出ない。早歩きで進むので息切れの音しかしない。下りてくる人たちが道を開けてくれる。主に年配の方々だ。マナーの良さや足腰の強さでは、年配の方々は抜群だ。けっこう常緑樹が目立つのに驚いた。カシ類やツバキ類、スギやマツ類も。遠目に見ると3分の1は占めている。何分で登れるか、最短を目指して登り、これまでの50分を上回って45分弱で登れた。それからのリフトへの下り道、すがすがしいの一言だ。ものすごい勢いで登り、汗ばんだ体が熱を発散していくのと同時に、清涼な空気が体を取りぬけ、達成感と共に気が抜けるようにすがすがしさがあふれてくる。ここは高尾山。初詣客でいっぱいかと思ったら、そうでもなくてよかったと思った。下り途中の立派な神社で、今年は初詣をしていなかったので、しっかりと家族の健康と、こんな平穏な日々が続いてくれることを祈った。そしてリフトからの一望。正に絶景だ。東京のビル街が目下に広々と広がっている。次回は絶対カメラに収めようと思った。しかし登った日がたまたま1月11日。リフトの途中で撮ってもらった記念写真も買い、家に帰って見ると「1月11日初詣」と書いてあるのが、すごく印象に残った。こんな本格的な初詣は何年振りか知らないが、いい初詣になり、思い出に残る1日となった。
2013年01月12日
コメント(0)

さっきから部屋の窓の外の夕空を見ている。ずっと鳥の群れが同じ空を何回も飛び回っているのを見ている。気付くと目の前の電線に、スズメが何羽か止まり始めた。だんだんその数が増えていく。どうしてだろう?自然と人の融合というか、おそらく私が生まれる前からよくある光景なんだろう。どうして夕方になるとスズメは電線に止まるんだろう?どうしてあんな鳥の大群が同じ空をグルグルと飛びまわるんだろう?空が赤く染まるころ、急にスズメの鳴き声がさかんに聞こえてきた。電線に止まっていたスズメたちが一斉に飛び立ち始める。残り2羽になった。巣へ戻るんだね。カラスの親子が鳴きながら巣へ帰るように、スズメたちもこの部屋の上にある巣やなんかに、寝床に帰るんだ。ふと鳴き声が無くなり、電線に止まっていたスズメもいなくなった。人と共生している自然。都会の自然。そんなものを珍しく感じ取った。今日は正月元旦だ。
2013年01月01日
コメント(0)

目の前の問題から逃避しに、それにどうしても行きたくなって、石神井公園に行ってきた。途中、久しぶりに両側に雑草の繁茂している水路を通った。昔よく遊んだ、ねこじゃらしやササやぺんぺん草やびんぼう草が生えていて、子供の頃を思い出した。「あの頃が一番幸せだった」その途端、清涼な空気とともに不思議な感覚を覚えた。嬉しさでいっぱいになった。さぁて、今日の石神井公園はどんなだろう?ボート池の端に自転車を置いて、釣り客といつまでも続く池と木々を見ながら汗をかきかき歩いた。途中エノキのかわいい葉を手でつかんで観察した。左右不対称で、ギザがある。いつもの公園、いつもの道。しかし悠然とした池と向こう岸に並ぶ木々の眺めは、圧巻だ。ボート池をこんなに美しいと感じたのは初めてだ。三宝寺池に着いて、木漏れ日の美しさに目を奪われる。キラキラとした輝きの中に、一層輝いて見える小枝を発見した。何の木だろう?すぐ隣はイロハモミジだ。遠くて葉の形がよくわからない。枝をつたって幹まで見ると、カツラだとわかった。すっかりいい気分になって歩き続けると、ひとつひとつの木や草がちゃんとひとつの命を持っている、そんな風に感じた。雑草をもいとおしい。平日なのでベンチがガラすきで、特等席に座れた。うーん、いい眺め。後ろから涼しい風が吹いてきて、汗かきのシャツを冷やした。そして後ろの木々を確認。イヌシデやムクノキでいっぱい。たまに桜やコナラもある。深い森はこの公園ならではだ。ベンチを立ってクヌギ林やメタセコイヤ林やコナラ林をすぎ、角を曲がる。そこからはじめて下ばかり見て、雑草ばかり見て歩いた。ヤブガラシやドクダミやササでいっぱい。そしてたくさんのクモの巣。一度自然観察会で「クモの巣の多い森は健康な森の証拠です」と教えてもらい、目からウロコ的だった。そして途中からクモの巣ばかりのぞいて歩いた。ひっかかっている虫を探したが見つからず、クモがひっそりとかくれているのだけが見えた。きっともう虫は食べられてしまったのだろう。バカの一つ覚えもいいところだと思いながら、やっぱり下ばかり見て歩いた。雑草とてひとつの植物。無駄なものなんて森にはないのだ。それは人生にも言える。最近病気で空白の9年を過ごしているが、それも全て無駄なことは何一つなかったのだと思えて、すごく嬉しかったことがあった。苦労は人を磨くのだと。そして、分からないけど将来こんな経験をして良かったと思える時が必ず来ると思えた。一番嬉しかったのは、これから先いい時も来ると思えたことだった。それまで最悪の人生しか思い描けなかったのだ。自分の人生をのろうかのような気持ちだったのが、やっと報われた、そんな気持ちになれた。現状は何も変わらないが、そんな風に9年経ってやっと思えた。12年前から始めている「森のこと」という道。今は環境問題や自然保護の世界で担える人材になるという大志を抱いているが、少しずつしか進めないけど、カメみたいにのろのろ進んでいる。帰ってきて問題も頭から離れ、いつになく生き生きとしている自分がいた。
2012年08月09日
コメント(0)

夏だ!登山だ!昨日の高尾山登山は、実にエキサイティングだった!昨日は体調が悪く、どうなるだろうと思ったが、高尾山口に着いて、緑に囲まれ、清涼な空気を吸い込んだ途端、元気がみなぎってきた。とにかくワクワクする。登り始めは「もつだろうか?」と心配でならなかったが、とにかく登山は楽しい!上を見上げる余裕が全くなく、一度だけ見上げた時、やっぱり木漏れ日が美しかった。それに根っこと根っこの間の土の上を歩くのが、楽しくてしょうがない。幸せ感をも感じる。すぐ横には渓流が流れていて、渓流のすぐ横を歩くなんて、なんて気持ちいいんだろう!所々道も水浸しになっていて、こうやって湧水がこぼれて渓流に少しずつ少しずつ流れていくのが、よくわかる。根っこの上を歩くのが何でそんなに楽しいのかと思われそうだが、何だか自然と一体化している、そんな感じがして嬉しいのだ。今まで1時間半位で登ったと思っていたが、かなりの早足で歩き、1時間という最短時間記録を出そうとしたその時、珍しく道を間違えてしまい、下り始めてしまった。途中出会ったおばさんに聞いて驚き、残りの道をペチャクチャとおしゃべりしながら、だいぶ一緒に歩いた。途中で別れ、そして最後の心臓破りの階段の所で、また別のおばさんに声をかけられた。ふくらはぎがつりそうで、ひざに両手を乗せ、かがみながら階段を上っていると、そのおばさんがゲタゲタ笑って「急に歳とったー!おばあさんになったー!」と言うので、「90歳になっちゃった」とか言いながら、やっと山頂が見え、ルンルンしてきた。そうしたらまたそのおばさんが、涙ちょちょぎれんばかりに「急に若返ったー!」と笑い崩れている。「ルンルンしてるの分かります?」と言うと「後ろから見るとすごくよくわかるー!」と、本当におかしそうだ。「20代よっ」「そうそう!」「若いわよっ」「そうそう!」といい見せ物になりながら山頂に着いた。途中ズベッと見事に転んだところを女の二人連れにしっかり見られ、おかしそうに「大丈夫ですかー?」と聞かれ、「どこも打ってないです。イテテ。どうも~」なんてことがあったり、幼稚園の子供たちが団体で下っていくのを見届けた後、泣きそうな顔をしている女の子と女の人に出会い、「この子はぐれちゃいました?」と心配になって聞くと、「いえ、一緒です。高尾山口はこっちですか?」と下りの道を指して聞かれ、「そうですよ、下りは大変ですよ、頑張ってください!」とお調子者をこいたり。山登りは何かと物語があるもんですね。しかし何が面白いって、登りながら頭の中をバックミュージックで「巨人の星」がずーっと流れていたことだ。「おっもっい~いこんだ~らっ、しっれんっのっみ~ち~を~」のリズムに合わせて歩いていたのだ。「行~け行~け~ひゅ~ま~」どうやらキツイなーと思ったときに、星飛馬がお寺の境内の階段をうさぎ跳びで登っているところが頭に浮かび、それに比べたらよっぽどましだ、と思ったかららしい。そしてやっぱり!登り終えると行きの体調の悪さはどこへやら、すっかり元気になっていた。緑よ!今日も元気をありがとう!!帰りの足取りも行きより元気なのであった。
2012年07月24日
コメント(0)

去る灼熱の夏日の日、買い物を終えた後ふいに石神井公園に行きたくなった。買い物袋は重いけど、思い立ったが吉日。ええい行くぞ!と、石神井公園に向かった。何だかルンルン気分だ。角を曲がってボート池を見渡すと、コブシの葉はもう大きく青々と茂っていて、思わず感動。少し腰を下ろすと真上や池の向こうにそびえたつ緑が、何より心を癒す。気分がいいなんてもんじゃない。思わずそのまま歩き続け、三宝寺池までたどり着いてしまった。一歩足を踏み入れると、そこは本当に都会のオアシス。ベンチに座るとこんな暑い日でも森の中は涼しい。池の後ろを見渡して、深い緑が連なっているのを知っているので、あそこから冷気が伝わってくるんだと確認。ここはこんもりとした深い森の公園だ。緑が癒してくれるのが本当に嬉しくて、ウワーッと思いながら、こんもりとした森の中を歩く。汗をかきかきヒンヤリした木道を黙々と歩き、ふと気が付くと、ササが生えていた地面にドクダミが一斉に繁茂している。ここも手入れしているせいで、時々植生が変わるんだな。ドクダミは前はそんなに見かけなかった。そしてとうとう5キロはあろう荷物を担ぎながら、そのままボート池を一周し、そこからまた家に帰るのがすごく疲れるはずなのが、なぜか逆に元気が湧いてくるようだ。ストレス解消に一番いいのは森林浴だとか、どこかで最近耳にしたが、その通りだ。街に出てショッピングだとか、心が満たされるようで、実は私はお金を使ってしまったという罪悪感まみれになることが多く、やっぱり何もしなくても、緑の下にいる、それだけで、心が満たされる。家に帰り、久々に緑に癒され、力がみなぎってくるのを確かめている私。
2012年06月16日
コメント(2)

エゴノキの花真夏のような陽ざしギラギラ。上の方の葉っぱもギラギラ光って、「アチチ、アチチ」なんて言ってそう。そこはムクノキ公園。団地の中にある公園だ。一番森林浴のできる緑の深いベンチを独り占めして・・・いや、子供たちが遊んでいて、ボールが勢いよく飛んできては脅かされる。子供の思い切り遊ぶ姿を見れるのは、とても嬉しいことだ。でも唯一ボールが怖い。上を見上げると、ムクノキとケヤキがあっという間に濃い緑になって、上の彼方までうめつくされている。蚊に二ヶ所やられた。目の前にある小ぶりの木は、前はトウカエデと書いたが、カツラの間違いだった。トウカエデとカツラの幹肌はよく似ているのだ。カツラはまん丸か、少しくぼみがあってハート形に見える葉の形をしていて、特徴がある。何のかんの、私はこのひと時があるから生きていける。これがなかったら、ストレス、カリカリで、どうかなりそうだ。我ながら「優雅な生活だ」と、間違えても優雅な家柄ではないが、このひとときこそそう思える。「よいしょっ」重い買い物袋抱えて立ちあがって、公園を後にする。思ってもみなかったことだが、それまでのストレスが消え、実に穏やかになっている自分に驚いた。いやはや都市における緑の、自然の役割というものは、他に代えがたいものがあります。自然に囲まれて暮らしている地方の方は、どうかその地域の自然を誇りを持って接してください。そして大事にしてください。なくなって初めてわかるかけがえのないものを、大切に思ってください。それが私の願いです。
2012年05月27日
コメント(2)

風を感じた爽やかであたたかな風が、そよそよと吹きすぎ、体中をすがすがしくさせた。見上げると鮮やかな黄緑の、芽吹いたばかりの無数のケヤキの葉。ギラギラ陽ざしの中でも、木の下は涼やかだ。桜の花はもう、わずかな上の方だけで、下から順に葉が芽吹いている。左側にはムクノキが、かわいい芽をいっぱいに出していて、目の前には小ぶりのトウカエデがデンとかまえて、やっぱり黄緑の葉でいっぱいだ。そこは団地の中にある小さな公園。耳にはウォークマンからリッキー・リー・ジョーンズやボサノバが気持ちよく聞こえてくる。ベンチに座りなおして、体を少し傾けて、目をつぶってみる。本当に心地よい。ずーっとこうしていたい。ぽっかり雲に青空。見上げる絵図もすがすがしい。ずっと心が曇っていたけど、すっかり晴れて、心地よさに身を任せているうちに、体中に力がみなぎってくる。サイクリングにでも行きたくなってきた。日頃のストレスも吹き飛ぶようだ。どうだろう?都会における公園、緑というものの持つ意義は!非常に大きなものなんじゃないだろうか?そう思いながら見渡すと、だいたいどこのベンチもうまっている。人間みな考えることは同じもんです。
2012年04月20日
コメント(0)
![]()
今日から新年度、新学期ですね!三寒四温どころか、三温四温の勢いで、春の便りが届いている。ハクモクレンが咲き始めた。梅はいつもより遅く、3月に入ってから咲き始めたけど、我が家の庭の白梅は、今や花盛りだ。空気も毎年感じるように、うねっていて、植物や生き物がこれから芽吹こうという、強いエネルギーを発する、いわゆる「春のうねり」を、このところ強く感じている。春の嵐も起きて、体が吹き飛ばされそうで、砂が目に入ってしょうがなかった。暖かくなった陽気に心もウキウキして、桜の下をくぐったあの入学式、あの卒業式を思い出している。桜は東京ではもう咲き始めたというけれど、石神井公園の桜はどうなんだろう?忙しくて石神井公園の春のサインを今年は見逃している。コブシは咲いているだろうか?桜は?シダレヤナギは?近所のハナミズキはまだ咲いていない。いつもより本当に遅い。早く咲いているところが見たい。それより早く石神井公園に行きたい!サインを見つけに。春をしっかり感じられるように。春を色濃く感じ取れるように。
2012年04月01日
コメント(0)

そこはつむじ風の吹く、ボート池の横。陽をさんさんと浴びている。写真を撮っては自転車をこぎ、撮っては自転車をこぎ、をしている。さっき石神井公園の入り口近くの、私の大好きな緑の小径にさしかかった途端、木々のキラキラと陽のこぼれる美しさに目を奪われた。この世のものかと思うほどだった。ボート池の横を、シャッターチャンスに没頭しながら三宝寺池に着く。そしてそこはやっぱり大きな森そのものだった!まるで山登りをしているようだ。敷き詰められた落ち葉の上を踏みしめながら、こんな身近にこんなに大きな自然に囲まれることに、大きな喜びを覚えた。池が見えてくると、平日というのにもうたくさんの人たちが、ベンチに座っていたり、歩いていたりして、この自然を楽しんでいる。私もベンチに座ってこの自然を楽しむ。カモが何羽か池の上で昼寝。私も陽をいっぱいに浴びて、しばしうとうと。目を開けて上を見上げて、黄色の紅葉が金色に光ってきれいだなとか、大好きなトウカエデの紅葉はもう散ってしまったなとか、陽をさんさんと浴びてぬくぬくしたりして、この大自然を感じ取る。歩き出すと清涼な空気と水の音と人々の話声。そしてシーンと静まりかえる。サワラの林の横を通ると、サワラ特有のいい香りがスーッとしてくる。どの人もそれぞれにこの公園を楽しんでいる。それが分かるから嬉しくなる。なんだか皆この公園を楽しんでいるということで、つながっているように感じる。話しかけさえしないが、「やあ、ここはいい公園ですねえ」なんて、皆で思っている、なんて風に思える。しかし落ち葉が多くてフカフカだった。子供の頃に落ち葉を投げて落ち葉戦争なんてしたもんだ。そんな思い出をありありと思い出している。寒くなってきた。陽も気付くと傾きはじめている。けっこう風が冷たいな。そう思いながら後にする我が誇らしい石神井公園。
2011年12月20日
コメント(0)

緑のにおい、土のにおいがしてきて、ホッとして息を吹き返す。そこは自分の部屋。開け放った窓から、隣の植木屋の冷気が漂ってくのだ。森を想像してみる。澄んだ空気、色濃い緑に囲まれ、深呼吸している。見回すと、一面森がそびえ、空気が澄み渡り、頭にきれいな空気が浸み込んでくるようだ。緑が目に焼き付き、心も緑と一体となり、もくもくと森の中を歩く私。そう、今日、高尾山に登りそこねたのだ。次の日が休日なので、今日のうちに高尾山の紅葉を見に、と思ったのだが、行けなかったのだ。だからすごく寒いのをガマンして、こうやって窓を開けて、緑を楽しんでいるのだ。空は雲一つない快晴だ。これはこれでいいもんだ。大好きなボサノバを聴いて、あったかいジンジャーティーを飲みながら、ホッと息を吹き返し、日常の疲れを癒す時。至福の時間を過ごした。今度こそ高尾山に登るぞ!と。
2011年11月22日
コメント(2)

石神井公園を全部歩いてきた。深緑に染まり、でんと構える木々に、初秋を感じた。釣り客を今日もあちこちで見かける。途中ムワッとボート池の水がにおったが、水中の植物が豊富な証拠であり、いいことなのだと思いながら通り過ぎ、三宝寺池に着いた。ハァー、いつも通り美しい木々。ふとハンノキを見上げると、11年前に観察をし始めた頃と比べて、はるか高くなっている。さすがに10年も経つとここまで育つんだな。三宝寺池の池の水は全くにおわない。やっぱり三宝寺池は周りをこんもりとした森に囲まれているせいだろうか。山でも木々は水をきれいにしてくれる。ベンチに座ってよっこらしょ。涼しいなあ。それにやっぱり心地いい。木々に囲まれることは心を和やかにしてくれる。緑は心を落ち着かせる。グルッと見渡して、木々が辺りにこんもりとあるのを見ると、自然ににこやかになる。嬉しくなる。しかしどの木もはでに虫に食われている。一年前ぐらいにここで自然観察会に参加した際、虫が多いのは、木々の交雑の媒体となって、実はいい森の証拠なのだ、と聞き、虫=害虫、木々をむしばむ悪者、と思っていたのが、目からウロコ的にくつがえされ、3分の1ぐらい食われている木を指し「これぐらいは大丈夫です」とそのスカスカの葉を見て言ったのに、本当に驚いた。虫に食われていることは、森にとって必要なことであり、森が元気だというサインでもあるのだ!しかし一周しながら注意してみると、見事に全部の木がはでに虫にやられている。枯葉までよく見かける。こんな風景は初めてだ。もう一度その自然観察指導員さんに「これぐらいでもいいのか?」と聞きたくなった。しかし森歩きは本当に楽しくて気持ちいい。三宝寺池だけでなく全部を一周したのは久しぶりで、最後には汗ばんできた。それがまた気持ちいい!時々上を見ては木々の美しさをしっかりと目に焼き付けながら歩いた。自転車置き場に着くと、なんというか、達成感というか、すごく満足感でいっぱいだった。こんないいことはない。また今度も一周してみよう。
2011年10月13日
コメント(0)

石神井川沿いの桜並木道を歩いてきた。川の両側に2本、道があり、ぱっと見た目、歩くのにコンクリート敷きの道ではなく、土の上に砂利の散らばった道が気持ちよさそうで、そっちの道を選んだ。歩いていくと、ハッと気付くことがあった。途中、道幅が意味なく大きくなったり、一部分だけセメントが敷いてあったりして、無秩序なのだ。そしてすごく驚いたことに、そんな秩序のない道では、木々はそんなに美しく映らないのだ。ものすごく驚いた。でも事実なのだ。途中橋があり、今度は新しく設計された道を歩いた。そうすると無秩序だった道と違って、木々の美しさが映えるのだ。設計士が設計した新しい道や橋は、自然の良さをより良く見せるように作られているのだ。これには舌を巻いた。そんな設計が存在することに、この10年観察してきて、初めて気付いたのだ。では石神井公園はどうだろうかと言えば、約20年ほど前から都の計画で、よりきれいな公園にということで、木道やベンチが新しく作られ、すみずみにまで手が加えられたのだ。じゃあ私の見ている石神井公園は、美しく映える木々は、人の手を加えられて初めて、私に目に美しく見えるのだ。「そんなことがあるのか!?」とビックリしながら、その桜並木道を心地よく歩いた。そういえば「景観学」なるものがあったっけ、などと後で思い出した。完全に勉強不足だ。桜は葉の一部を黄色に変え、他の木々も緑色を深くし、これから紅葉を迎えるのだろう。でもやっぱり樹木好きの私には、木の下を歩いているのが何より心地よい。何がって、こんな秋晴れの空のもと、カラッとした穏やかな風を感じながら、目も心もすっかりこの景色になじみ、一歩一歩なごやかに歩けるなんて、なんて楽しいことだろう!小さな子供連れのカップルもとてもにこやかに歩いていて、それは穏やかな初秋の景色だった。
2011年10月09日
コメント(0)

いつもの緑の回廊に入ってしまうと、街の喧騒が一気に消え去り、一瞬にして蝉の大合唱へと変わった。びっくりして上を見上げると、空も見えないぐらいの濃い緑、緑、緑。ちょっと驚きでキョトンとしてしまうほどだ。奥へと進むと蝉の鳴き声は更に大きくなり、騒がしいぐらいだ。これもびっくりだった。何だか森の神様にびっくりさせられたみたい。面食らったまま自転車をこぎながら、上をはるか見渡せば、葉っぱの隙間から太陽が顔を出して、木漏れ日がまぶしい。また自転車をこいでいけば、私の好きな緑の回廊は抜けて、歩道橋を上り、また街の喧騒に取り巻かれる。この街は2つの顔を持つ街。都市という顔と、緑に癒される顔と。緑に癒される顔があるから、私はこの街で生きていける。そんなわが街が、また1つ好きになった瞬間。
2011年09月04日
コメント(0)

緑の回廊にやってきた。光が丘へ行く途中の道。光あふれ、緑豊かに、輝く光景に心打たれた。太陽光がいつもに増して強く、木漏れ日はいつも以上にキラキラと眩しすぎる。光あふれるこの世界は、何て美しいんだろうと思った。ふと、ルイ・アームストロングの歌う「この素晴らしき世界」(What a Wonderful World)が頭の中で鳴り響いた。まるで、この曲のために用意されたような光景だった。私がこの曲をはじめて聴いたのは、10代の終わり頃。サッチモの優しさあふれる声で歌われるこの曲は、一瞬にして私を幸せいっぱいにしてくれた。誰もが知っていると思うが、今一度この曲の歌詞を書こうと思う。木々は緑 バラは紅花開く 君と僕のためそして独り思いに浸る この素晴らしき世界よ青い空 白い雲輝かしき幸せの日々 暗き聖夜よそして独り思いに浸る この素晴らしき世界よ七色の虹が空に映え行く人々の顔を照らす友達同士は手を取り合い交わす ご機嫌ようそれは「アイ・ラブ・ユー」の代わり赤ん坊は泣き 大きく育ち僕も知らない多くを学ぶそして独り思いに浸る なんと素晴らしき世界よ独り思いに浸る なんと素晴らしき世界よこの歌詞を読んだ時、何て感動したことだろう!世界は本当にこんな風に美しいと思った。聴くたびに鳥肌が立つほど感動し、どんな時でもこの歌を聴けば本当に世界は美しく、私は何て幸せなんだろうと思えた。今でも大好きな曲の一つ。そしていまだにこの曲を聴けば、本当に世界はこんな風に素晴らしいのだと思える。道行く人に伝えたくなるほど感動するのだ。そして、緑たちに帽子を取って「ハロー!」と挨拶すると、右手のコブシがペコリと頭を下げる。ごきげんなまま光が丘に着いた。そうしてこれを書いている今、サッチモのこの曲を聞いている私であった。
2011年07月21日
コメント(2)

時は3時過ぎ。公園が季節を問わず、一番光輝く時間帯。晴天の強い日差しの中、初夏の石神井公園は、水と緑のやっぱり美しい公園だった。「きれいだなー」とため息をつきながらボート池を眺める。木々はもうすっかり緑を濃くしている。三宝寺池にいつもみたいに自転車ですべりこむ。上を見上げると、葉っぱがキラキラ輝いて、まるで神秘の世界。歓迎されている、そんな風に思えて、とても嬉しくなった。あんまり暑くて何か飲みたくなり、自販機で迷いに迷った挙句、カルピスソーダに決めた。が、千円札が使えない。何と私は10円玉を11個しか持っていなかったのだ。仕方なく他の自販機で、コーラを買った。てくてく歩いていくと、様相が前とは違って、正に緑・緑・緑。見上げると右に左に、上に下に、いろんな木々の葉っぱが重なり合い、木々の饗宴だ。何て美しいんだろう、そしてどうして森の中に囲まれているとこんなに気分が良くなるのだろう、と思った。ベンチに座り、さっき買ったコーラを飲みながら、先程ハンバーガーショップにいたが、クーラーがきいているのに汗をかいてしまったことを思い出した。なのに森の中は、けっこう歩いたのに、ベンチに座っても心地よい風が後ろのうっそうとした森から流れこんできて、汗をかくどころか涼しくて、汗が乾いて実に心地よいのだ。不思議なぐらいだ。森の中は天然のエアコンがきいているのか。エアコンよりいい空気を送ってくれるのだ。そんな、屋外にいながら涼しさを満喫して、ベンチから立ち上がり歩き出すと、木漏れ日がやっぱり涼やかだ。少し物思いにふけっては、上を見上げると木々が輝いていて、また悩みながら歩き、ふと上を見上げると木々が輝いていて・・・、その繰り返しだった。そしてその度に嬉しくなるのだった。上を見上げる時は必ず何の木か判断した。葉っぱで分からない時は幹肌で判断した。これはサクラとムクノキの葉らだ、こっちはムクノキとエゴノキだ、といった感じにだ。一周するといつもと同じなのに、何だろう、達成感がある。また森に元気をもらえた、なんてほくそ笑みながら、すっかり満足して森を後にした。心地よさはその後もずっと続いた。やっぱり石神井公園に感謝だ!いつもいつも、ありがとう!
2011年06月28日
コメント(0)

木々のアーケードを勢いよく自転車で飛ばしていく木漏れ日に目を細め「おはよう!」「おはよう!」なんて、明るく木々と挨拶を交わせば顔に当たる新しくすがすがしい風自転車を飛ばして上を見上げながらどの木がどんな風かチェックする新芽が枯れていたりすると「病気かな?」とか心配になるけど自然て、思ったより力強いあっ、クスノキは今年はもう新芽がずいぶん大きくなってる「おはよう!」「おはよう!」木々に囲まれ、始まる朝は、何て気持ちのいい1日の始まり
2011年06月11日
コメント(0)

久しぶりの森林浴。もう木々がそこに待ちかまえてる。木々のアーケードを見上げながら歩けば、梢の先に陽差しがキラキラ。いつもみたいな森林浴だけではあきたらず、今日は観察してみようと思い、いろいろと観察して回った。桜にケヤキにアキニレ。あれっ?見たことのない新芽が出ている。この木は何だろう?しかしツヤツヤとして柔らかできれいな黄~茶の新芽だ。後でトウネズミモチだということが分かった。トウネズミモチは常緑樹。常緑樹は私の観察によると、春~夏にかけて新芽を出す。そして落葉樹が秋にいっぺんに葉を落とすのと違って、常緑樹はこの頃静かに古い葉を落とす。私は昔、常緑樹は新しい葉も作らなければ、葉を落としもしないと思っていた。しかし本当はこうしてちゃんと一年の内で葉を作り替えているんですね。けっこう目から鱗もんではありませんか?それはいいとして、緑の回廊を目を輝かせながら歩けば、土の湿った匂い、少しひんやりとした清涼な空気。光の当たる林床を歩けば、緑に囲まれ、何もかもが私を喜ばせるものばかり。おっと、カシの木が並んでいる。アラカシにシラカシにアカガシ。シラカシはこの辺りではどこにでも見かけるけど、アラカシ、特にアカガシはそうめったに見かけない。そうそうこれがアカガシ、と、特徴を目に焼き付け、これがまた楽しい。緑の回廊を抜けて一路光が丘公園へ!途中大胆に剪定されてしまった公園を、残念に思いながら通り、光が丘公園に着き、正面玄関であるイチョウ並木を歩けば、上の方でイチョウの子っ葉(←小さい葉、私の造語)がかわいらしく散らばって並んでいる。かわいらしいなあと思いながら通り過ぎ、いつもは中まで入っていかない森の中を歩いた。松がモンスターみたいに手を広げていて、林の中も暗い。何だか少し怖いぐらいだ。ちょっとスポットみたいに一面に光が広く当たっているところがあり、そこで切り株に座って一休みした。さあ帰ろうか!今日は本当に森を満喫した日だった。今日は何ていい日だったろう!
2011年06月09日
コメント(0)

私がこの日見た全てのものを誰かに伝えることは、おそらく不可能だろう。キラキラ輝く若葉、にこやかに歩く人達、日の光の反射のまぶしい池に出ている無数のボート、楽しそうに笑っているおばさんの幸せそうな笑顔、鮮やかなサクラに、華やいだ季節・・・。こんないるだけで、見ているだけで幸せな気持ちにさせてくれる、こんな場所に立って、私はすぐに被災地の人達のことを思った。複雑な思いに駆られ、何とか被災地の人達が、こんなここにいる人達のように楽しく花見が出来、こんな風に本当に心から幸せに笑えないだろうか?こんな風に心から笑えるようになるのはいつのことになるだろうか?ひとしきり考えた。でもすぐにまるで、自分が幸せ組みに入ったと思い、不幸な事に思いも寄せない、一流大学や一流企業に入った人達のように、私もまた「ここは大丈夫」と言い聞かせるように、この考えにふたをし、幸せな光景にまた見入った。それは思ったよりも大きな辛さを伴う作業だった。さて、三宝寺池に自転車を置き、歩いていくと、そこは若葉!若葉!若葉!いつの間にこんなに大きくなったんだろう!?と目を見張るばかり。そしていつもより丁寧に一つ一つの木の新芽を観察して歩いた。わあ!ムクノキの葉がまだこんなに小ちゃい。そうそう、エゴノキの葉はこんな感じ、若芽もすごくかわいい。クヌギとハンノキは幹肌がよく似ているから間違えるけど、葉の広いのがハンノキで、細くてギザギザのあるのがクヌギ。ふむふむ、コナラはこんな風に芽吹くのか、珍しいな。今まで知っているようで知らなかった見るのもはじめてなものに、驚異と自然の不思議を知らされるような思いで見入って歩いた。途中ベンチに座ってボンヤリしていると、目の前に広がる一面の黄緑が目に優しい。鮮やかで、そっと頬をなでる空気ももう暖かだ。もうすっかり春爛漫といったところ。ヤマブキももう咲いている。こりゃあもうすぐ新緑の季節だな。でも長年通っているようで見たことのない若芽などが見れたのは、本当に嬉しかった。森はいつ来ても不思議のワンダーランド。また近々来ねば。自然は不思議。生き物は全て不思議。人間もまた生き物。私は自然と人間を隔てる西洋の二元論的な考え方はどうも好きではない。一体人間と自然を隔てるものは何だろう?人間も自然の一部。人間も不思議。そう考えると私は昔からなぜか落ち着くのだ。土から生まれ、土に還る。自然に囲まれ、無心になれた時、いつもスーッと落ち着いていくのだ。まるで何万年も前にいた人類のように。
2011年04月23日
コメント(2)

思わずほっと安堵のため息をついた。早春色に染まった石神井公園。ヤナギは黄緑色に萌え、桜は淡いピンク色を彩り、所々にポツンポツンとスポットみたいに濃いピンクや鮮やかな白や黄色が目に飛び込んでくる。あともう少しで芽吹きそうな木や、もうすでに芽吹いている木もある。茶色い木々もいかにももうすぐ芽吹きそうな、そんな装いをしている。何とも優しい春ならではの色合いに、心が癒される。見つめているとほれぼれとしてくる。向こう岸が黄砂でたちこめた。少し経つとスッキリと砂が無くなり、池の上に一面に砂が浮かんだ。春ならではの現象だ。三宝寺池を一周すると、色んな木がもう芽吹いていて、嬉しくなった。イロハモミジにムクノキにハンノキにミズキetc...。私はミズキの若葉が大好きだ。他の若葉もどれも好きだけど、どこが違うかというと、色艶がよく、色も若葉にしては濃い目の色をしていて、小さいのにしっかりとした葉で、何だか頼もしい感じがするというか・・・。何と表現していいか分からないけど、毎年この小さな若葉を見るのが楽しみなのだ。そんな大好きなミズキの若葉が見れて、すっかり嬉しくなって石神井公園を後にした。花見も一歩先に出来たし、花曇ではあったけど、散る前の満開の桜は、一つ一つの花の作りが端整ですごくきれいだった。今日はいい1日だった。
2011年04月09日
コメント(0)

家を出てスーパーを駆け巡り、あれが無いこれが無いと買出しに走り回って、2時間以上が経っていた。ふとスーパーの横のクスノキの街路樹を歩いていると、クスノキの葉が太陽の光に照らし出されながら、気持ち良さそうに風に揺れているのが目に入った。ほっと力が抜け、疲れを忘れるようだった。そのスーパーでも目当てのものは買えず、ガックリ肩を落として、重い買物袋を抱えてまたそのクスノキの街路樹を歩いた。今度はよく見ながら歩いた。よく見ると荘厳な佇まいのクスノキたち。疲れた両肩に大きな買物袋。でも何だか見ているだけで、木々に力をもらうようだった。そういえば、スーパーとスーパーを往復しながら、ハクモクレンがもう咲いているのに驚いたり、途中ゆうに10メートルはあろうハクモクレンの大木が、今が盛りと満開なのを思わず自転車を止めて見入ってしまったり、笹林の横を通って、ササが竹みたいに太くなっているのを見たり、桜が咲いているのかと思い、遠くから急いで道をそれて行ってみたら、桃だったり。その桃が満開で本当にかわいかったり・・・。今日はスーパーを駆け回りながらも、春を思い切り感じられた日だった。そうだね、とっくの昔に春一番が吹いて、知らず知らずのうちに春が来たんだね。気付けば気温が高くなり、コートがいらない日も出てきた。外に出れば自然が春の訪れをそっと教えてくれた。春が来たよ。
2011年03月20日
コメント(0)

被災地のみなさまへ寒い中、家族を失い、家を失い、想像を絶するような大変な苦痛と疲労に襲われているところかと思います。心から1日も早く復興され、苦痛や疲労から1日も早く救われることをお祈り申し上げます。こんな大変な時に、こんなのん気なブログを書いているどころかと、お叱りの声が聞こえてきそうですが、もし叶うならば、このブログがほんの少しでも何かほっとするようなことへの助けとなりますよう。 その日の石神井公園はほほえんでいるようだった。ほんのりと芽吹き始めたヤナギ。黄緑がとてもきれいだ。向こう岸ではケヤキももう黄緑色に何気なく彩られている。驚いたことにコブシが5分咲きのものがあった。その日は東京19℃。もう春が来たのかな?なんて錯覚までする。つい先日までビュービューと寒く、どの木も固い冬芽ばかり見せていたのに、そういえば街中のつつじもちっちゃな赤茶の若芽をさかんに開いている。そうだな、もうすぐ春が来るんだな。ボート池沿いのイタリアンレストランの2階のテラス席から、ぼんやりと池を眺めた。池に光が反射して、木々を、森を見ているだけで、心が落ち着いてくる。どうして森を眺めているだけで、こんなに心が落ち着いてくるんだろう?それにしてもしぶきを上げて走るボートにかかる光の束はとてもきれいだ。そんなことをぼんやり考えながら、素晴らしい光景と共に、最高の時を過ごした。日々ストレスってたまっていくものだけど、この時は本当にいい時間を過ごせた。石神井公園と晴天に感謝だ。私は比類の森好きなのだ。日本中の森は今、瀕死の状態にある。日本中の森よ、よみがえれ!そして、いつか本当にきれいな、本物の最高の森に囲まれることを夢見ているのだ。
2011年03月16日
コメント(0)

その前日、東京では雪が降った。けっこう積もって、家の前の雪かきなんかもしなければならなかった。その日石神井公園に行こうと思い、いつもの坂道を自転車で下っていくと、両脇のこんもりと茂った木々に積もった雪が、太陽の日に解けて、ポタポタとしずくになり落ちてくる。輝く日差しを浴びて木々からこぼれるしずくはまるで、雨のように頭の上から降り注いだ。そして上を見上げ、キラキラとこぼれるしずくが太陽の光にすかされる時、それは自然の起こした奇跡のようだった。美しさが飽和状態となる時、いつも胸いっぱいに、自然の引き起こす奇跡があふれ出し、目には優しさが零れ落ちる。私は嬉しさいっぱいになって、元気に満ち溢れ、心の中が隙間なく嬉しさでうめつくされる。私の元気の源、それは自然が奇跡を起こしてくれる時。私になくてはならない時間。
2011年02月17日
コメント(0)

新宿御苑のユリノキ 光が丘に買物に行ってきた。買物を終えて、昼食をすまし、少し疲れを感じた。外はピカピカのお天気だ。光が丘公園の芝生の上でのんびりしようと決めた。自転車で光が丘公園に向かうと、まずはきれいにそろったイチョウ並木がある。何だか気持ちいいなーと思いながら通り過ぎた。イチョウ並木を過ぎると、様々な木々が左右に見える。その木立を見ていると本当に気持ちがいい。新緑の頃というなら分かるが、どうして冬なのに木々があるだけで心地いいのだろうと?と考えた。きっと清涼な空気を運んでくれるからだったり、やっぱり自然との触れ合いは心地良いものなのだ。そうして太陽が真正面に見える場所を選んで自転車を止め、大きな木の根元にしゃがんだ。子どもたちが遊んでいるのを眺める。太陽が眩しい。頬づえをついて眼をつむった。何も考えない。ただ太陽だけを感じる。ぽかぽかぬくぬくして、遠くから子どもたちの声がかすかに響いてくる。ぬくぬくぽかぽか。ひたすら太陽を感じて、5分は経ったろうか。日頃の疲れが取れていくようで、ほっと一息つく。自然との触れ合いは、都会に住む私にとって、心に潤いをもたらしてくれる、大事なひとときだ。この瞬間があるからやっていける。上を見上げてこの大木は何だろう?と考えた。ヒノキ?サワラ?いや違う、スギっぽいな、いや、でも違う。幹肌を見て松だということが分かった。松にも色々ありまして・・・。赤松、白松、黒松、御用松、無用松、おそ松・・・。最後が余計ですね。(これを笑えたあなた、けして若くはないですねー)余談になってしまった。とにかく言いたいのは、自然との触れ合い、関わり合いは、人の心に真の豊かさをもたらしてくれるということだ。自然はやっぱり偉大なのだと思う。
2011年01月09日
コメント(0)

何てきれいな正月晴れ!空は天高く、澄み渡る青空。陽は低く、でも真っ白に輝きを放ち、ボート池の水面をまぶしく照らしつけ、目が痛いほどで、舗道に長い影をつくる。向こう岸に富士山でも見えそうだ。「今年はいい年になりそうだ」何とはなしにそう思った。見事な晴天の眩しく光るボート池を自転車でこいで行くと、参拝客が向こうからぞろぞろと帰ってくる。三宝寺池の裏に立派な神社があるからだ。みんな完全防寒着をして、家族連れが目立つ。いいお参りでも出来たのか、ニコニコ嬉しそうなおばあさん。いきおいよく三宝寺池にすべり込み、息を切らし歩く。茶屋は賑わいを見せ、みんなそばやうどんやおでんでも食べているのだろう。下草のササやアオキがやたら目立つのも気にせずに、ゴロゴロした石の上に落ち葉がドッサリ積もっている道を息せき歩く。見上げるとゴツゴツとした枝が重なり合い、その向こうに青い空が広がる。ウォークマンからEverything But The Girl の‘World Wide‘がたまたま流れてきた。こんなピンと張ったお正月にぴったりの曲だ。シンプルでドライで爽やかだ。ぐんぐん歩いていく。どんどん人を追いこしていく。ふと池を見渡すと、何ていい絵図。こんなときにカメラを持ってきていないなんて、チェッと思う。しかし歩いているうちにあることに気付いた。いつの間にか木がたくさん消えている!!切り株を探したがあまりないが、明らかに木が減っている!!もっと歩いているうちに、上の方を思い切り剪定されてしまっている大木がたくさんあることに気付いた。倒れたら危険だということだろうか。思えば10年ここを観察してきたけど、10年前はもっとうっそうとしていて、見ていて魅力にあふれ、虫や鳥たちももっといた。生態系も豊かだったんじゃないか?確かにきれいな公園になったけど、整備されすぎ!管理側は将来的にどんな公園を目指しているのだろう?植生も昔の方が豊かで、ずっと魅力があった。ちょっと役所に聞いてみたい、なんて気がした。ちょっと残念だ。というよりショックだ!こんなにこの公園に慣れ親しんでいるのに。許せん。ところで今日も思ったのだが、小さな子供連れの親御さんには困ってしまうことがある。道の真ん中でちっちゃい子がヨロヨロ歩いているのを、自転車で必死によけてこいでいるのに、子どもに声をかけるのはおろか、ボーっとしているのだ。前なら「すみません」とでも言われるところを、「キッ」とにらまれたりする。何でにらまれるんだ。再び許せん。そこで一言。「小さなお子さんを持つ親御さん、特にお父さん、ボーっとしすぎ!」正月からすみません。でも晴れ晴れしい正月が迎えられて良かった。皆さん、今年もどうぞよろしくお願いいたします!皆さんにとって良い年となりますよう!
2011年01月04日
コメント(2)

街はひたすら寒いだけだけど、それでも日差しポカポカ。少し自転車こいで、都会のオアシスに行けば、そこはもうすっかり武蔵野の冬の装い。木々は荘厳なまでの力強い姿をまざまざと見せてくれる。その立派な枝ぶりは実に見事だ。イロハモミジやコブシが若干葉を上の方だけ残している。イロハモミジは深紅を鮮やかに描き出す。そして目立ってくるのは常緑樹だ。主にクスノキ、シラカシ、マテバシイ、スダジイ、ツバキ類、モクセイ類だ。関東以南の場合、常緑樹の殆どが照葉樹林と呼ばれる、葉に光沢を持つ広葉樹だ。光が丘では、緑の小径は実にうまく植えられている。まず入り口にケヤキやアキニレ、それから桜、牡丹桜、その脇にはイロハモミジ、ツバキが植えてある。春に桜を楽しみ、時間差で牡丹桜を楽しみ、次にケヤキやアキニレの青々とした緑を楽しみ、イロハモミジの紅葉を楽しみ、葉が散れば初めて見えてくる椿がもうすぐ花を咲かすだろう。冬の森の空気はヒンヤリと、そして澄み切っている。ピンと張った中に、街中では感じない肺がきれいになるようなおいしくてきれいな空気だ。スーッと吸い込めば体中が澄み渡るようだ。しかし武蔵野の冬の装いが、こんな街中で見れるなんて感激だ。昔の写真の中だけの世界かと思っていたのに。そう、武蔵野の冬の姿が見れるのは、やっぱりここでは光が丘や石神井公園なのだ。やっぱり私は公園フリークなのだなと実感する。参加したいエコツアーぞろぞろ。でも行きたくても行けない私に、いつも季節を感じさせてくれる近所の公園たちに感謝。都会に住む皆さん、是非近くの公園に行ってみることをおススメします!!
2010年12月20日
コメント(4)

この日の石神井公園の美しさは、とても言葉に出来なかった。目を奪われたと言おうか、吸い込まれたと言おうか、本当にぎゅっと引き込まれたようだった。明るいカラッとした秋晴れの中、ボート池は光に照らし出され、これ以上ないくらい明るく輝いて見えた。空間が殆どもやになっていて、そのもやもまた太陽に照らし出され、まばゆい光を放っている。水面に落ち葉が散らばっている。それもまた日の光を浴びてキラキラと舞い、一層そのあたりをまばゆくきらめいて見せた。こちらの方の木々の緑はまだまだ濃いけど、向こうの方で茶色になっている木もある。沿道の桜はもう半分紅葉している。だが大体の木はまだ緑だ。きちんと小さな腰かけイスに座って釣りをしているお父さんと小さな男の子。平日だからか、一艘だけ足こぎボートが出ている。キラキラと輝く光にすかした木々の葉っぱや水面を見ていると、あまりにまばゆい光景に、何だか感傷的になってくるようだ。そしてまたこの地に生きる喜び、生かされていることへの感謝の気持ちが溢れてくる。ボート池の美しさをしかとこの目に焼き付けるように眺めながら、自転車をこぐ。写真になんてとても納まらない美しさに、ホーッとため息をついた。三宝寺池に着くと、やっぱり緑濃い森なんだなあと思う。久しぶりに来たから忘れていたけど、すごくすがすがしくて爽やかで、本当に気持ちがいい。そして三宝寺池では、静かに紅葉が始まっていた。イロハモミジやトウカエデはまだまだ真緑。でも向こう岸では赤や黄の木が少しだけ見える。ベンチに座って上を見上げると、梢の重なりの向こうに青空と白い雲が隙間から覗いている。梢の葉っぱは陽にすかして見えてとてもきれいだ。パッと上を見上げたとたんにすごくきれいだと思ったのだが、一体どの部分が一番きれいに思えたんだろう?写真に撮るとすればどこを中心的に捉え、そしてどう切り取ったらいいだろうかと、カメラも持ってないのにひとしきり考えた。一周することにして、土の上を、ゴロゴロと出ている根っこを踏みながら歩く。土の上を歩くなんて久しぶりだ。昔は普通にあったのに、東京23区内じゃこんな機会もめったにないことだ。歩きながら葉を見たり触ったり幹肌を確かめたりしながら、木の名前クイズをしていく。こんなに通っているのだから当たり前なのだが、全部分かってしまう。樹木ウオッチャーの冥利に尽きる。すると歩いているうちに紅葉が見事に見渡せる場所に来た。蓮池のほとりだ。ここではこんなに早くもう紅葉が展開されている。かなりの驚きだった。それも赤、黄、黄緑、茶と、実にきれいだ。三宝寺池の蓮池ではもうすっかり紅葉しているのだ。美しいボート池のみならず、紅葉まで堪能してしまった。きれいな秋晴れの青空の下、それでもちょっと時間が短すぎたんだろう、何か物足りない気分だ。でも何だか気持ちがスッキリしてすがすがしく、いいものをたくさんもらえた。今日もまた、豊かで美しすぎる石神井公園に感謝。
2010年11月11日
コメント(0)

緑にどうしても会いたくなって、久々に会いに行ってきた。信号を渡って、あのシラカシ並木に!「ひょーい!」なんて思いながら、「やあ、元気だったかい?」と声をかけると、「やあ、久しぶり」、なんてごきげんな声が返ってくる。そしていつもの緑濃い並木道に来ると、昨日降った雨のせいで、一気にヒンヤリ。澄み渡る空気。木々も雨露にぬれていて、何だかまばゆく映る。そしてグングン土の匂いしてきて、グングン土の匂いを思いっきりかいで。おっと、目の前のおばさんの香水の香りが強すぎて、かき消されてしまった。それでも丘を越え、下り、また緑の回廊に来ると、私の頭の上で葉を大きく展開させて、木々がどっしりと佇んでいる。何だか不思議なことに、その木々が何か私に賢いことを教えてくれる"教師"のように思えた。何を教えてくれるのかも分からないのに・・・。でもそんな関係が何だか嬉しくてたまらなくて、木々を師を見るような眼で仰いだ。いつか何か賢いことを教えて欲しい、と願った。紅葉はまだだけど、イチョウ並木は5分の1位が黄色くなっていて、紅葉している葉もあちこちでちらほら。爽やかな秋晴れの中、家々の庭木の緑もまぶしい。「間もなく紅葉するんだな」そう思いながら、自転車をグングンこいでいく私。
2010年11月04日
コメント(0)

5月のとある日曜日、石神井公園の自然観察会に参加してきた。「初夏 緑の生き物つながり」という題名で、どんなことを教えてもらえるのだろうとワクワクしながら行った。今回は主に昆虫の役割についてだ。色んな虫を見つけてはガヤガヤと観察し、虫の説明をしてもらった。アブとは良く聞くけど、これだったのか!とか、葉が虫に3分の1位食われていても「これぐらいは大丈夫です」と聞いてビックリしたり。何といっても虫は木にとって受粉をしてくれる有難い存在で、虫の多いことはいいことであり、虫=木につく害虫という私の既成概念をくつがえすものであった。虫の多いことは森が健康なことであり、生態系が正常で、より好ましいことであることが分かり、目から鱗状態であった。石神井公園はクモの巣が多い。これは虫が多いことを示し、非常に良いことだと聞き、「あぁこんなに糸張って・・・」と思っていたのが正反対になり、すごく楽しくて有意義だった。それと共に色んな虫や、枯れ葉に卵を包んで入れる虫がいたり、泡みたいな卵が葉の裏にあったり、といったことを教えてもらい、それからしばらくは石神井公園に行くたびに、卵を見つけたり、いろんな虫を見つけて楽しんだ。それから桑の実のじつにおいしいことも発見!桑の実は黄や赤のものはおいしいがすっぱく、黒紫のものがまるでクランベリーのようなおいしさ!これもまたのちに探して持って帰って、母に食べさせた。母はさも疑い深そうにこわごわと食べて、目をまん丸くさせて「おいしい!」と感激。こっちの勝ちだ!いろんなことを教わって、すごく楽しかった。何より虫を見る目が温かになった。「あっ!虫!こいつめ!」と思っていたのが、少し大きいやつになると紙にのっけて窓の外に放してやったりするようになった。次の観察会が楽しみ!!
2010年10月08日
コメント(0)

外がホカホカ暖かい。今日も陽だまりの日曜日。買物がてらに光が丘公園に行ってきた。ずいぶん自転車を走らせ、坂を上ったり下ったりしながらやっとたどり着いた。光が丘公園はいわば芝生スポットだ。その周りを木々が囲い、点在している。まずその木々の佇まいの美しさに目を奪われた。以前美術畑にいた私。「美とはこういうものか」と自然に教わること多し。目をまん丸にして見入っていると、その向こうの芝生の上をたくさんの子供連れが遊んでいるのが見えた。すぐ傍では小さな女の子たちがバトミントンをしている。その場が木々に囲まれていたので、太陽に照らされ、まるで太陽光のスポットライトを浴びているかのようで、その光景もまた美しかった。そして芝生が広がって見えてきて、輝くような日差しの中、楽しげに遊んでいる無数の人達の姿が見えた。そんな光景を見て、幸せはここに在ると思った。世界は何て美しいんだろうとさえ思った。そして木々の果たしている役割の大きさを思った。私たちを癒してくれ、イガイガした私の心をホッと緩めてくれ、温暖化の元となるCO2を吸って、酸素を出してくれ、持続可能な資源となってくれ、田畑に必要なきれいな水や薪や肥料(落ち葉)を供給してくれ(いわゆる里山)ダムよりも優秀な、水源涵養林とも言うが、一年中ほぼ一定の量の水を私たちに供給してくれ(森林は水を供給するという点ではダムと殆ど変わらないことが研究によりデータで分かっている)、地上のあらゆる生き物の住み家や餌となってくれ・・・。そして今日は、都会に住む人にとっての公園の果たす役割の大切さが、非常に大きなものだということに気付き、改めて公園ファンになった。帰り道の木漏れ日の道。上を見上げながら、輝きを放つ木々に「ありがとう」と心をこめて思った。幸せな瞬間をくれてありがとう。また頼むよ!
2010年10月05日
コメント(0)

陽だまりというものはそれだけで幸せいっぱいに包まれるものでありそれだけで満たされるものでありこと日曜ともなると開放感とともにこの地球上の一員であることに本当に良かったと心から思える時だったりする 20代の頃は、「何か新しいものを見つけに行こう!」と勇んで思ったり無性に部屋をきれいにしたくなって、大好きな音楽かけながら洗濯したりお布団干したり敷物をはたいたりして、徹底的に掃除したりしたものだけど 今はこうして窓の外からの小さな音に耳を傾けながら静かに過去をたどって陽だまりの向こうで、薄ーく記憶が、心に漂い寄せては引き、寄せては引きして様々な記憶がよみがえりあぁ、あの時はああだったのか、この時はこうだったのかとジグゾーパズルが1ピース1ピースはまっていくように大きな視点から、やっと今になって分かることがいっぱいあったりしていろんな思い出が私を優しく包んだりする 陽だまりの日曜は、昔から私の大好きな日
2010年09月26日
コメント(0)

ずっと暗いトンネルの中を歩いているようだった。病気が良くならない・・・。夢に向かって邁進し、3年目にして病床に倒れた。ずっとトンネルを抜けて光が差してくるのだと信じていた。なのに最近トンネルがずっと続くことに気付いてしまった。そのショックはとてつもなく大きかった。「自分は不幸になるのだ」という観念にとりつかれ、死ぬことを考えるようになった。もがけどあがけどその思いが心に食い込んだ。そんな中姉がイギリスから帰ってきた。いつだったか、そんな話になり、胸の内を打ち明けると、姉は「自殺する人って、1つの考えに凝り固まっちゃうのよね」と言った。その時ふと「視点を変えれば違う世界が広がっているかも」と、密かに希望を持った。そして去り際に「私にはトンネルの先にもうすぐ光が差してくるのが見えてるけどね」と姉が言った。「ハッ」とした。瞬間、本当に光が差してくるような気がしてしょうがなかった。 ちなみに私は7年以上トンネルの中を歩いてきた。根性で過ごしてきた。でも何故自分がこんな状況になっているのかも分からずに、やみくもになって自分の服をビリビリ破いたりした。最近は物事が分かるようになってきたのか、「目の前のやるべきことだけを集中してやっていこう」と思い、地道に毎日を暮らしていた。そんな私にタイムリーだったのか、私は姉の言葉に「救われた」。今ではいつか必ず光は差してくるだろうと思えるようになった。そう思っただけでかなり気が楽になった。私にはもうトンネルの先に光が差しているのが分かる。なんて嬉しいことだろう!将来は開けているに違いない。いつか私はトンネルを抜けるだろう。「お姉ちゃん、本当にありがとう!」
2010年09月21日
コメント(3)

昨日、石神井公園に写真を撮りに行ってきた。「晩夏」を捉えるのだ。一昨々日は自然観察会があり、とても楽しみにしていたのに、体調がすぐれなくて行けなくて残念だった。この自然観察会の話は次回書こうと思う。ところでボート池に着くと、木々はもう晩夏のたたずまい。葉が黒々として見えるのだ。休日だから楽しげな人達でいっぱい。やっと秋口に入り、すっかり涼しくなったので、石神井公園を歩いていても涼風が立って気持ちいい。お孫さん、おじいちゃん、おばあちゃんたちの姿が目立った。子供たちは無邪気に両手に虫取り網と虫かごを持っていて、本当にまだ小ちゃいから、なんだかかわいらしくておかしい。ちょっと前に行ったときはまだ猛暑で、さすがの石神井公園も蒸し返していた。歩いている人達ももうこの猛暑でウンザリ、といった顔つきをしていた。三宝寺池でベンチに座っていても、涼しいどころかムワッとして蒸すのだ。これはそういう顔つきになるのも分かる。でも昨日は森の中は涼しく、やっぱり気持ちよかった。「晩夏」を写真に表現しようと、ひたすらカメラをかまえた。20枚は撮っただろうか、最後にいつものお気に入りのベンチに座ってボーっとしていると、目の前に大きくて立派なメタセコイヤとクヌギがあった。メタセコイヤの方は「練馬の名木百選」に選ばれていて、樹齢百年以上と書かれている。しかしその隣のクヌギも実に立派だった。幹肌が半分ぐらい苔むしていて、グネグネと大きな幹がうねり、枝もまたゴツゴツとうねっている。見ていて実に力強い。しばらく見ほれた。こんなところにこんなに立派な木々があったんだと、まるで初めて見るようだった。林床を見れば、いつもと違う風景に気付いた。エノキとナンキンハゼのほんの小さな幼木がいくつかあるのだ。新しい三宝寺池の新顔に、心が躍った。そうしてベンチを後にし、池を一周すると、山登りしているような息切れとおいしい空気。「そうそう、これこれ」といった感じで嬉しかった。木漏れ日の下を歩くとサーッと心が洗われるようで、心がきれいになるようで満たされた。そして晩夏の公園を楽しんだ、昨日もやっぱりいい休日!
2010年09月21日
コメント(0)

おととい、いつもの緑の道を通って買物に出かけた。道に入ったとたん、光がまぶしいほど木々の合間を縫って差していた。木漏れ日ともいえない、光のシャワーだ。瞬間、父が与えてくれたものだと思った。こんなに光がまぶしいのは初めてだ。いつもは木々で光があまり届かないのに、なんて明るいんだろう。 私は嬉しくて、父が与えてくれたろう明るいこの道を、最後までニコニコと微笑みながら通った。 光のシャワーを浴びて。天国にいるお父さんへ。私は必ず幸せになるから、見ててね。必ず幸せになるから。約束したよ。
2010年08月22日
コメント(4)

夜の闇が鉄みたいに目の前をふさぐ。鉄の壁が目の前に立ちふさがって、前が見えない。後ろばかりが見える。 父が1月ほど前に亡くなった・・・。 不思議と涙が出てこない。悲しむこともあまりない。ただボーっとしている。お葬式の時はワーワー泣いた。でもあれからたまにしか涙が出てこない。父が亡くなったことがまだ全く実感できない。 超楽観主義の父だった。私だったら思い切り落ち込むことでも、常に前向きにものすごい力でやり遂げる人だった。亡くなって何日か経ったころ、悲しまない自分が不謹慎に思えた時、まるで「悲しむ必要なんて全くないから、いいから前を向きなさい」と、何だか父に守られているような不思議な感覚が起こった。 今の私に必要なのは、とにかく前を向くことだ。鉄の壁を打ち破って、前を向くんだ。
2010年08月22日
コメント(0)

頭上から木漏れ日のシャワーが身を包む。見上げると緑が本当に心地よい。木々の精霊たちが降りてくる。そんな気がする瞬間。疲れた心身を癒してくれる。嬉しくて、木々の精霊たちに会えたのが嬉しくて、「ありがとう」の気持ちをこめて、木々を見上げてそっと微笑む。そこは360度、緑に包まれた四辻。(↑写真)木々の持つ気温や湿度の緩和作用の性質で、森の中は夏涼しく、冬暖かい。湿度もほぼ一定に保たれる。だから梅雨のこの時期は、森の中はクーラーがかかったように涼しく、降り注ぐ空気もとても心地よい。そんな木々との出会いが嬉しくて、よく買物に行くのにこの道を通っていく。少し遠いけれど、自転車ならどうってことないしいい運動にもなる。湿気の高い日は汗だくになったりするし、太陽の照りつける日は帽子をかぶったってこんがり日焼けしてしまう。でもここが好きで、雨の日以外は大体ここを通って買物に行くことにしている。疲れが癒されるひととき。日々の至福のひととき。
2010年07月11日
コメント(0)

その日の石神井公園は本当にきれいで輝いていた。6月半ば。梅雨入りしたその日だったか、次の日だったか。いつもと違うのは、母が一緒に石神井公園に行きたいと言ったことだった。私の用事が済んでから、駅で待ち合わせて、一緒に自転車で石神井公園に向かった。時は丁度3時過ぎ。公園が一番輝きを放つ時だ。太陽がギラギラと照りつける。まず目に飛び込んできたのは、ボート池の向こう岸の美しい木々の木立。その日も太陽光が演出して、まるでどこかの西洋の庭園にトリップしたみたいだ。雄大にたゆたう池の水面。黄緑一色にそろった木々。ふと目に鮮やかな色が飛び込んできた。アジサイだ。ピンク、赤、紫、青と色とりどりだ。ポン、ポンと合間を置いて咲いている。とてもかわいくて、いつものボート池と違って華やかに映った。三宝寺池に着いて、腰が悪くて長距離を歩けない母を気遣いながら、ベンチを探し、2人で座った。「いいねえ、ボート池があんなに美しいとは思わなかったねえ。眺めがとてもいいねえ。さざ波が立った水面に光が当たると、本当にきれいだねえ」「そうでしょ、そうでしょ」しばらく座っていて、母はそこもすっかり気に入ったようだ。「ここもいいねえ。木漏れ日ってのは気持ちいいもんだねえ」「そうでしょ、私がはまるのも分かるでしょ」そんなこんなしながら、私は私で本当に長いこと来ていなかった石神井公園の美しさに吸い込まれていった。どうして水面がキラキラ光るのを見ているだけで、木漏れ日の中にベンチに座っているだけで、太陽に透けた葉っぱを見ているだけで、こんなに感動するんだろう?こんなにすがすがしいんだろう?こんなに幸せな気持ちになれるんだろう?そんなことを考えながら母に「冬は冬でとてもいいんだよ。一年中、いつ来たって、いつでもとてもいいんだよ」と言った。それから母と休み休み一周し、よく話し、よく笑い、ちょっと小旅行した気分になり、すごく楽しくてとても満足した。「これで帰って温泉とご馳走が待ってたらなぁ」なんて思って、楽しませてくれた母に感謝した。今度は本当にどこかの温泉付きの高原に行こうね、お母さん。
2010年07月04日
コメント(0)

日光 千手ヶ原 梅雨に入って雨が降ったりやんだり。今日も曇り空でスッキリしない。何だか今日は癒されたくなり、緑に会いに行きたくなった。家事に忙殺される毎日。光が丘なら、緑とショッピングタウンが一緒にそろっているから、丁度いい。だいぶ自転車をこいで、やっと緑に囲まれる場所にやってきた。嬉しくてたまらない。アキニレの幹が半分湿っていて、その模様がとてもきれいだ。アキニレは、ケヤキと同じニレ科で、ケヤキの葉を小さくしたようで、幹の樹皮の模様に特徴があり、美しい。緑が目に嬉しい。キョロ、キョロと緑を目に焼き付けるように辺りを見回す。そこは360度緑が広がっていて、昨日の雨のせいで空気もひんやり湿っていて、気持ちがいい。日に透けた緑が本当に美しい。それだけじゃない、木立もすごく美しい。行き帰り、並んでいる木々の名前当てをしながら、自転車をこぐ。「これはクスノキ。クスノキは2つの葉脈に1つづつ、2つの虫こぶがある。虫こぶが無くて細長かったら、シロダモ。シロダモは葉の裏が白い」他にもいっぱい木があって、名前当てをしていると何だか楽しい。言葉どおり、緑に癒されて、すさんだ心が「ほっ」とゆるんでいく。何て嬉しいひとときだろう。自然と自転車をこぐ足も勇ましくなる。買物帰りの途中も、緑のいろんな色の饗宴に、目を奪われた。本当に嬉しかった。木々に感謝を込めて。「本当にありがとう。助かったよ」
2010年06月29日
コメント(2)

静かな雨の夜は 窓を開け放して土や草木の匂いを 力一杯吸い込もうそして太古の昔に記憶を馳せよう そうして横たわり その心は 生まれたての心に戻り力一杯駆け回って遊んだあの一番幸せだった頃の 子供の自分を思い出して少しセンチメンタルになる 今が大切かもしれない 未来も大切かもしれないでも今晩は 過去に戻って無邪気な心を 思い出したい 思い返したい 人は時々無性に童心に返りたくなる 生き物だから
2010年06月04日
コメント(2)

最近、光が丘公園にはまっている。買物がてらに緑を思い切り楽しむのだ。行きにマンションの合間にある緑の小径をクネクネとまわっていくのだが、もう本当に日ごとに緑が濃くなっていくのだから、圧観だ。ついこの間まで黄緑だったのに、もう‘芽吹き‘を過ぎて、思い切り‘新緑‘の季節だ。その小径は高い木々がそびえ立っていて、空の彼方まで緑が被い尽くす。「ワー、気持ちいいなあ」目に優しく、心も弾む。何だか木々が頼もしく感じられる。買物の後は、光が丘公園を一周だ。楽しげな人で一杯なケヤキ並木を通り過ぎ、芝生の公園にやってくる。ギラギラ灼熱のこの頃の東京。しっかり紫外線対策をしていっても、帰って鏡を見るとこんがり小麦色。「え~ん」なんてことになりながらも、照り返しの強い芝生の上に今日も座って公園を一望して楽しむ。子供たちが目の前の坂をゴロゴロと転がって遊んでいる。楽しそうだ。ふと横のの芝生を覗き込むと、雑草に混じって色んな虫たちが歩き回っている。ちょっとびっくり世界を垣間見るようだ。帰りのイチョウ並木。見上げると何ていい絵図。それは赤ちゃんのような、イチョウの細かな葉っぱの散りばめられた、幾何学模様。そしてその向こうの青い空とポッカリ雲。
2010年05月16日
コメント(4)

思わず息が止まった。そこは光が丘に続く緑の小径。まるで時間が止まったかのよう。きれいな新緑のトンネルをくぐっていると、遅咲きの牡丹桜が花びらを散らしている。降り注ぐ光と共に、さながら花園を歩いているよう。きれいな黄緑の若葉が力一杯に張り出していて、牡丹桜もピンクの花をたくさん散らし、もう半分になっている。それからは歩いても歩いても、黄緑、黄緑、黄緑・・・。それは人の生活が完全に介入している自然ではあるけれど、その葉のつけっぷりに「野生」を感じる。そんな感性、おかしいなんて言われるかもしれないけど、私は思い切り人間の香りのする自然、つまり公園や街路樹の木々に、昔から強い「野生」を感じる。公園の中の木々が、街路樹が、人の生活場を被いつくしてしまう、なんて発想は珍しいかもしれないが、そんな風に思ってみたりしたものだ。人間様に負けないぞ、どころか、脅かしてやるぞと言わんばかりに。そんなこんなしながら光が丘公園に着くと、とりあえず力強い木々に挨拶しながら、お気に入りの芝生の坂の上に座り込む。足を投げ出して、にぎやかに遊んでいる子供連れの人達や、そっちやあっちの木々の生え振りに目を細くする。太陽光がギラギラと眩しい。「ちょっと木陰へ行こう」そう思って小さな桜の木の下に来ると、タンポポを発見!タンポポって、日本列島から消えつつあるのをご存知でしたか?子供の頃は嫌ってほどあって、綿毛をフーッと吹いたりしたもんですよね。感激して思わずパチリ。そうして名残惜しみながら公園を後にする。何だか心がホカホカして「いいものもらったなー」なんて気分になる。帰り道、見上げる新緑に「天からの恵」なんて思ったりして。帰ってからも若葉の香りがするようだった。新緑を思い切り楽しめた。神様から頂けた、休日の今日は何ていい日だろう!
2010年05月01日
コメント(0)

一昨夜、東京は夜に雪になるかもしれないという予報を聞いた。雪が降ってもおかしくない寒さだった。「4月に雪が降るなんて・・・絶対見たい!」そう思って夜何度も窓を開けて外を見た。屋根を打つ雨がパラパラと音を立てて、「雪かも!」と思って外を見ても降ってはいなかった。その夜私は‘なごり雪‘を口ずさんでいた。高音がうまく出ないが気持ちよく歌えた。ガラーンとした階段や踊り場で声が響くのを楽しんでいた。ふと大学で勉強していた頃の知り合いの学生さんが、「家の妹はなごり雪を聞くと必ず泣くんです」と言っていたのを思い出した。その妹さんの純真さに心を打たれたものだ。ふと、早くまた大学で勉強したいが、ままならぬ状況にあることや、郷愁に駆られるような思いがし、涙ぐんだ。それになごり雪はよくよく歌うとやっぱり泣ける歌だ。歌詞をかみしめ、また涙ぐんだ。朝、目が覚めて窓を開けると、燦々と輝く日差しの中、雪が積もっていた!やっぱり「奇跡」は起きたのだ!降っているところを一目見れたらどれだけ良かっただろう。「奇跡」を目の当たりに出来たら・・・。心は想像の中へとトリップしていった。真っ暗な夜の闇の中、きれいな白い雪が静寂に包まれシンシンと降り積もる。そこは静かな静かな世界。ただ降り積もる雪をずーっと見つめている私。雪は闇夜に照らされ、輝きを放つ。そしてそれは「奇跡」の起きる瞬間・・・。そうして昼になり、雪もすっかり解け、友人と電話でぺちゃくちゃおしゃべり。「昨日雪が降ったね。私びっくりした」「私もびっくりしたー、なごり雪だよね」「そうだね、なごり雪だね」
2010年04月18日
コメント(0)

満開のハクモクレンとうとう春が訪れましたね。庭木のハクモクレンがあちこちであでやかに咲いています。きれいだなぁとため息が出ます。春一番を過ぎ、春の嵐を過ぎ、桜の開花予定日を迎えました。東京ではあと一週間程で満開だそうです。毎年感じる「春のうねり」や「春の匂い」も、今年は例年になく強くて、体一杯に感じ取られました。ポカポカいい陽気が続いて、気分のいい日々を過ごせました。「春のうねり」とは、木々が冬眠を終え、活動を始めようという強いエネルギーが発せられるもので、空気が大きくうねっているように感じるものです。空気の密度が濃く感じられ、モワッとしているのです。「春の匂い」とは、木々の、葉っぱの、土の匂い。自然が目を覚まして活動を始める時に発する匂いです。空気が湿気を含み、匂いがモワーッと運ばれてきます。こんな事1つ1つに感動する私。ちょっと忙しくしていて、満喫はしていなかったけど、色んな花があちこちで咲いているのを見ると、「もう春が来たんだな」と実感します。春のサイン1つ1つを上手く受け取れなかったけれど、振り返れば如実に体中で感じ取っていたように思います。駈け抜けた早春、そんな感じでした。これから本格的に春になって、桜が満開になって、芽吹きが始まって・・・。ワクワクしてきます。これからは、忙しいながらも自然のサインにいつもみたいに注目したいなって思っています。
2010年03月24日
コメント(0)

手袋をせずに自転車に乗ったら、手がかじかんだ。吐く息が白くなった。2晩連続雪が降った。去年は東京では雪は降らなかったのに。光が丘公園で日陰になっているところで、霜柱が立っていた。思わずジャリジャリと霜柱の上を歩いてみた。一体何年ぶりだろう?そう思って感激した。冬のサイン、しっかり見付けた。でも昨日は練馬では20度をこえて春の陽気で、匂いまで春のようだった。でも今日はまた真冬のような、真冬らしい天候だ。低くたれた白い雲。冬はこうでなくっちゃ!ずっと晴天続きの陽気で、楽しげではあったが冬を感じなかった東京だが、今日は"冬!"って、空が、空気が主張してる。冬のサイン、今日やっと見付けた。
2010年02月10日
コメント(0)

写真はイメージ 今日はゆっくりお休み日。ワイワイガヤガヤお店の中。ホカホカ吹いてくる空調。日差しもポカポカあったかい。右隣には若いカップル。左隣には老いたカップル。仲が良くてどちらも微笑ましい。やなこともどこかに飛んで行きそうな、ホワホワ休日。こんな時ぐらいは難しい問題はスッキリ忘れて、ホカホカ空調に身を任せ、心もホワホワ、体もホワホワ。窓の外にポプラ並木を覗きながら、今日は楽しいお休み日。耳にはウォークマンからアル・グリーンの声。冬なのにアイスコーヒーちびちび飲みながら、あっと用事がもう1つあったっけ?でも今日はゆっくり休もう。明日は雪が降るかもしれないというのに、ここはホワホワいい気分。いつまでもこうしていたくなる。日々の疲れから解放される、今日は何だか特別な、ポカポカなお休み日。
2010年01月31日
コメント(0)

光が丘内のクヌギとコナラの一角 久し振りに光が丘に自転車で行ってきた。空高く、日差し強く、雲ひとつない。光が丘は何十年か前に、東京のベッドタウンとして出来た。十何階もあるマンションが何十とそびえ立ち、何でもそろうショッピングタウンがあり、大きな公園や、小学校や幼稚園がある。マンションの立ち並ぶ中には、合間に沢山の緑があり、人工ではあるが小川も流れている。人工的なものと自然との融合した言わばメトロポリスだ。私は光が丘公園に行くには、沢山の緑の小道をグネグネとまわりながら行く。大変気分がいい。大きな車道にはケヤキ並木が、公園の入り口にはイチョウ並木がある。イチョウ並木は、秋には絶対おススメ!という位良くそろっていて、まっ黄色に染まる街道は実に目に美しい。光が丘公園はだだっ広い芝生の丘のある周りに、木々が散在している。ちょっと新宿御苑に似ているが、何というか、こっちの方が「庶民的」だ。休日は子供たちがわんさかと手にボールやラケットを持って、広い芝生の上を所狭しと遊ぶ光景が見られる。何だかそんな光景を見ていると、「ああ子供は今も昔も同じだな」とちょっと感慨にふける。公園を自転車を引きながら一周すると、疲れていたのにその疲れが取れて力がみなぎってくる。運動って大切だな、それに深い緑も沢山あってまだまだ開拓の余地ありと、楽しみも増えた。ところでここにあるイチョウの太い幹は、よく昔アメリカかどこかのアニメに出てきた、大きな目と口と鼻を持った木にそっくりで、見ていると今にも目をキョロッとさせながらしゃべりだしそうだ。そして上を見上げると、イチョウの梢の向こうに、天高く突き抜ける真っ青な空。
2010年01月28日
コメント(0)

私の夢は、森が健康になることです。そして第一次産業、すなわち農業、林業、漁業が健康になり、ひいては人が健康になることです。人も自然もニコニコと仲良く、健康になっていくことが夢です。大昔、文明の栄えたところには必ず森林があり、森林がなくなるとともに文明も消えたように、人と森林とは切っても切れない関係にあります。人は知らずして森から多くの恩恵をこうむっているのです。森の健康と言えば、水循環が大切になってきます。雨が降ると、水が枝葉や幹をつたわって、ゆっくり、ゆっくりと土に浸透していきます。そして根が水を蓄えます。そしてその水が地中をゆっくり下って、ろ過されきれいになっていき、生物に必要な無機物をたっぷり含み、地下水となり地表に出て湧き水となり、それがいくつも集まって小川になります。そして田んぼや畑にきれいで健康な水を与え、大きな川となって海や湖に注ぎ込み、健康な水が健康な魚を育て、漁業を支えます。そして森の中の一定量の木を切り、林床(林の中の地面)を明るく保ち、切り株に、さえ木やつぎ木をするなどして新たに木を育て、切った木は木材に、薪になる。そんな昔あったような循環型一次産業が私の夢です。でも実際はそんな風にいくことはまれで、悪戦苦闘が日本中で行われているのが現状です。だからここに書いたことはまるで夢物語のようなのですが、「夢物語」としてだけれども、私の夢なのです。でもそれに近いことなら不可能ではありません。でもそうなるにはどうしたら良いか、全く分からずにいますが、今でも勉強や自然保護のボランティアを続けているし、将来森が健康になるための一端を担い、夢叶うことを夢見ています。
2010年01月17日
コメント(2)
全232件 (232件中 1-50件目)
