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(30)こう、有名な「二十四文字の法華経」を万人に向かって、はっしながら、全ての人を礼拝し続けました。誰人たりとも、生命の次元から見れば、仏に他ならない。との真理を深く信じ、理解し、如何なる迫害にあおうとも、万人の生命に内在する仏性を礼拝し続けました。これこそ、法華経の精神を体現する姿に他なりません。池田先生の講義に、こうあります。「人を敬う振る舞いに徹していくことこそ、宿命転換、六根清浄という生命変革をもたらす力です。この法華弘通の振る舞いを生涯貫く事によって、成仏という根本の勝利を成就できるのです。それは、万人に仏性ありとの、哲学を信解し抜く、信念の実践です。そして、難を越えて、信念を貫く事により、我が身に、その哲学を体現し、成仏を勝ち取る、成仏の修行でもあります。」こう述べられております。皆さん、私達にとって、万人の仏性を信じて、人を敬う振る舞いとは、具体的に、何を差すのか、如何なる行動を意味するのか、もう、もはや、お解りだと、そう思います。まさに、人を敬う振る舞いとは、日々の学会活動そのものです。万人成仏の法華経たる日蓮大聖人の仏法を語り、広宣流布しゆく戦いこそ、人を敬う振る舞いです。(続く)
January 21, 2011
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(29)此の御文は、これまで述べてきました幸福論、師弟論の結論を申し上げるのに、どうしても、ふれておかなければならない、重要な御文として、取り上げさせて頂きました。此の御文は、「崇峻天皇御書」の結論であると同時に、釈尊が、この娑婆世界に出現した根本の目的、仏の出世の本懐、仏法の結論といっても過言ではありません。一切衆生に仏性があり、成仏の可能性がある。これが釈尊の教えの要諦であり、それが説かれた法華経こそ、まさに。釈尊一代の肝要です。そして、その万人成仏の思想は、不軽菩薩の実践に体現されている。という訳です。不軽菩薩は、「我れは深く汝等を敬い、敢て軽慢せず。所以は何ん、汝等は皆な菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べし(私は深くあなたたちを敬い、決して軽んじない。なぜかといえば、あなたたちは皆菩薩の道を行じて成仏することができるからである)」(続く)
January 18, 2011
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(28)「理事長、蔵の財や、身の財には、特徴があるんですよ。追いかけたら逃げます。しかし、脇目もふらずに、広宣流布の戦いをしていると、向こうから、もらってくれってやってきますよ。」そういう特徴があるという事を、注意事項として、申し上げさせて頂きます。本当に、味わい深い言葉だなと、こう思います。それでは、今回の範囲ではありませんが、本日の結論として、大変、重要な御文ですので、読んで頂きます。「一代の肝心は法華経法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり、不軽菩薩の人を敬いしはいかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ、穴賢穴賢、賢きを人と云いはかなきを畜といふ。」(1174)(通解)「釈尊一代の肝心は、法華経であり、法華経の修行の肝心は、不軽品です。不軽菩薩が人を敬ったことには、どのような意味があるのでしょうか。教主釈尊の出世の本懐は、人の振舞を示す事にあったのです。呉々もよくお聞きなさい。賢きを人といい。愚かを畜生というのです。」(続く)
January 17, 2011
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(27)私は、蔵や身の財をもらってはいけない。そんなものは意味がない。と申し上げているんじゃありません。で、それを、目的にしてはならない。こう申し上げている訳です。目的は、あくまでも、「心の財」を積み事が、第一であって、蔵や身の財に執着して、「心の財」を失うと、一切が水泡に帰する。という事を申し上げた訳です。池田先生が、やはり講義の中で、こう仰っています。「心の財を根本とした時に、実は、蔵の財も、身の財も、その真実の価値を正しく発揮することができるのです。一言で言えば、「心の財」を築くという人生の根本目的が大事です。この根本目的を喪失してしまえば、例え、蔵の財や、身の財を持っていようとも、それらへの執着が生ずる。それは、失う事への不安ともなり、かえって苦しみの因となる。あくまで大事なのは、「心の財」を積み上げいく事です。ここに正しい人生の、目的感があります。」このように、語られているとおりです。で、ついでながらですね、もう一つ注意事項を申し上げさせて頂きます。ある草創期の先輩がね。私に、こう言ってました。(続く)
January 14, 2011
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(26)皆さんに私は先ほど、「今、あなたは幸せですか?」ってこう質問しました。その時にね。「いいえ私なんか幸せじゃありません。」って思った方は、大変な事になりました(笑)幸せとは、未来にあるのでもなく、過去にあるのでもなく、今もない。(爆笑)どこにもない。(笑)そうじゃないんですね。先生は、「幸せっていうのは、今、此の瞬間にしかないんだよ。今、この瞬間を充実して生きる事が、最高の幸せなんだよ。」こう、私は、仰っているのだ思います。それは、何度も繰り返しますが、決して、悩みや苦労が無くなる事ではない。生きていいる限り、悩みがあり、試練があり、病気もします。しかし、どんな悩みや試練や病魔との戦いも、信心を根本に、断じて、乗り越えてみせる。と戦い続けるその今が、まさに、宿命転換の時であり、人間革命の時であり、境涯革命の時なんです。だから、悩みもあるし、私は、色んな試練にも出会うし、病気とも闘っています。でも負けませんよ。だから私は、幸せです。とこう言える私達でありたいと思いますが、皆さんにいかがでございましょうか。で、ここまで、お話をしてきますと、中に、「なんか、理事長の話を聞いていると、蔵の財や、身の財、もらっちゃいけないのか」こういう風に思った方がいらっしゃるといけませんので、注意事項を申し上げます。(続く)
January 13, 2011
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(25)いつか幸せになるんじゃない。悩みもある。病気とも闘っている。仕事、家族の事など、悩みは尽きない。しかし、広布のお役に立つため、信心の実証を示すために、断じて負けない。この決意で戦っている。その瞬間こそが、もっとも充実した幸せな瞬間である。こう捉えれば、今が、最高に幸福な瞬間です。池田先生が、南米チリの一般紙に寄稿された「幸福とは何か」との随筆の中で、次のように記されております。「幸せとは、過去にあるのでも、未来にあるのでもなく、日々の課題に、まっしぐらに挑戦する、現在の境涯の中にある。」という言葉です。(続く)
January 12, 2011
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(24)しかし、先生のこの指導は、そうではない。学会活動こそが最高の喜びであり、最高の幸せだ。とこう言われているのだと。こう感じました。そして、実は、その瞬間、同時に考え続けてきた「心の財」の意味が、私の中で、明確になりました。それは、学会活動こそが、最高の喜びであり、最高の幸福だと、心の底から、思える人、その人こそ「心の財」を持った人なのだ。と。まさに、その人こそ、仏の境涯の人なのだ。と、こう思いました。ある意味で、いつか幸せに。という考え方というのは、蔵や身の財を、目的と捉えるから、起きてくる考え方です。「心の財」に生きるその人は、どんな悩みや試練をも、成長の因に出来ます。つまり、宿命を使命に変える人であり、広布に戦う今この時こそ、最高の幸せだと、確信して生きる人です。(続く)
January 11, 2011
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(23)それまでは、一生懸命勤行唱題し、学会活動に励んでいれば、そのうちいつかきっと、幸せがやってくる。そう思っていた。もちろん、そう言う側面はある事は否定しないけれども、もっと深い本質があったんだ。それは、「広宣流布へ真正面から戦いきっていく、その人の信心に仏が現れる。」これは、学会活動している瞬間こそが、最高の幸せではないか。こう先生は仰ったんだと。私は、そう受け止めました。つまり、究極的には、広宣流布という、人間として最高の目的、価値に生きている。人間として、最も尊い行動をしている。つまり、学会活動をしているその瞬間こそ、最高に幸せな瞬間である。と、こう仰ったんだ。と受け止めました。今まで、学会活動は、幸せになるための手段であるかのような、そう言う捉え方をしていました。(続く)
January 7, 2011
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(22)戸田先生が、やはり同じ趣旨の事を言われていました。「信心も、平坦な道ばかりを、ゆっくりと歩いていては、何も変わらないよ。大きな苦難があるから、大きな宿命転換が出来る。人間革命が出来るのではないか。」こう戸田先生が、仰っています。そして、最後、3番目に、先生は、こう言われます。「仏といっても、特別な存在ではない。戦い続ける心が仏。行動し続ける姿が仏である。魔と戦いきる人が仏なのである。そして、総じては、仏道修行に励み、広宣流布へ真正面から戦っていく、その人の信心にこそ仏は現れてくる。」このご指導が、私の信仰感、幸福感を根本から変えて頂いたご指導です。皆さんは、今、私がお伝えした、この先生のご指導をどのように受け止めるでしょうか。戦い続け、行動し続け、魔と戦い切る人が、仏だと言われる。「仏道修行に励み、広宣流布へ真正面から戦っていく、その人の信心にこそ仏は現れてくる。」この言葉を伺った瞬間の感動は、今でも鮮明に覚えています。背中に電流が走る。ていう表現があるでしょ。まさにね、あれでした、本当に、体が震えるような感動と、そして、実を言うと、涙がぽろぽろあふれてきた。そういう、感動を本当に味わいました。私は、先生の言葉を、こう受け止めました。(続く)
January 4, 2011
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