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青年が険しくそそりたった目のくらむような断崖にいどみ、よじ登り、頂上をきわめる。そこにえもいわれぬ喜びと誇りを、彼はかみしめるであろう。青年の若さ、力、そして技術、精神力は、困難を喜びにかえるのである。年寄りや、力を失い技術を身につけていない人にとっては、それは苦しみと恐怖以外のなにものでもなくなってくる。人生の幸、不幸という問題もこれと同じ原理なのである。力を失えば、いっさいが苦しみとなるが、力さえもてば、いっさいを楽しみとしていけるものだ。(わたくしの随想集)
July 31, 2011
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困難というものは、自分がつくるものだ。それを乗り越えていくのも、ほかならぬ自分だ。困難を避ける弱虫になにができる!(池田会長指導)「強敵(ごうてき)を伏して始めて力士をしる」(御書957頁)とあるように、不得手なものに挑戦し、それを克服してこそ、自分の力を知ることができるのであり、それがまた、力をつけていく段階になる。(池田会長講演集第4巻)みずからを革命し、さらに、自分の境遇を改革しきっていこうという積極主義とその勇気なくしては、悩みを切り開くことはできないのである。(池田会長指導)
July 30, 2011
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いまはどんなにつらくとも、苦しくとも、貧しくとも、いやしくとも“じっとこらえて今に見ろ”の決意でいきなさい。いまを犠牲にして未来を栄光に輝かせるか、現在をいいかげんに過ごして未来を犠牲にするか、どちらかである。因果の理法は厳しいのである。(池田会長指導)
July 28, 2011
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避けてばかりいては、どこからも人生勝利の要因はでてこない。社会改革の可能性もでてこない。そのような人生の最後はずる賢い人間に終わるであろう。われわれ信仰に生きる人間は、断じて、悩みとの取り組みのなかから創造し、建設していくという大道を一貫して進むべきである。たくましく現実のなかを生きぬいていく――それが諸君の未来であっていただきたい。(池田会長講演集第5巻)
July 27, 2011
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しょせん、さまざまな苦悩にぶつかったときに、それに挑戦していくか、あるいはまた、避けるかによって信心の偉大さもわかるし、その人の価値が決定される。(池田会長指導集第3巻)
July 26, 2011
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悩みが競い起こるということは、結局、諸君たちの年代に人生の基礎が築かれるということを意味する。この時期に学び、悩んで克服していったものが、一生を決定する土台になるということを知っていただきたい。(池田会長指導集第3巻)
July 25, 2011
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悩みをもつことは、高等動物の特権ともいえる。精神の機能が未発達のものほど、悩むことを知らないものだ。ただ、悩みを悩みとして終わらせてはならない。悩みと戦い、それを克服していく――そこに深固幽遠な思想がつちかわれ、人間性に深みが加わってくる。そのとき、悩みは人生のなにものにもかえがたい財宝となっていくのである。(池田会長講演集第3巻)
July 23, 2011
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信心している以上は、必ず良き人物になるべきであるが、ただのお人好しになっては困る。そのためには、いまのうちに、この青年期のうちに、会社でも、または諸君のあらゆる境遇においても、学会においても、まわりからうんと鍛えられておくべきである。自分から求めて、そういう機会をもつべきであると私は思う。もし諸君が「鍛え」の過程について、つらいことがあったならば、唱題に励んで、みずからがんばればよい。(池田会長講演集第6巻)
July 22, 2011
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苦難に負けてはならない。そのときこそ、あらゆる厳しさに耐えて、自己をきたえることだ。むしろ冬の寒さを知ればこそ、春の陽光を全身に喜んで、享受することができるのではあるまいか。「汝の運命の星は、汝の胸中にあり」といった詩人もいる。自分の境遇がどうあれ、過去がどうあれ、未来を築きゆく運命の星は、ほかならぬ自分自身の胸中にあるにちがいない。嵐がこようが、怒涛が押し寄せようが、つねにおのれ自身が、厳然と光り輝いていればそれでよいのだ。私は現在、幾多の苦難と戦っている若い人々にいいたい。今の苦難は、君たちの態度いかんで君たちを飾る至宝になるのだ、と。(「私はこう思う」より)
July 21, 2011
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青春時代の苦闘はその人をみがき、強くし、より大きくするための試練であり、栄養剤である。その意味において、つらさに耐え、苦闘に挑戦する。その根底の心のなかでは、十年先、二十年先の自分を見ろ! と悔し涙で題目をあげながら、がんばりぬいてほしい。(池田会長講演集第4巻)
July 20, 2011
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苦なくして、生命の根底からの楽はない。苦闘なくして、人間としてのほんとうの勝利、輝きはない。自己の成長もない。すべてが、“人生の教師”であると思い、自分自身をみがいていくことだ。(池田会長指導)
July 19, 2011
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青春は無限の歓喜とともに、またかならず心労がある。悩みがある。それは表裏一体であることを忘れてはならない。それを知って戦っていくところに輝かしい青春時代がある。(池田会長講演集第5巻)
July 18, 2011
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長い人生行路には、うららかな陽光をあびた、春のようなときもある。厳しい寒さとたたかわなければならぬ、厳冬の夜のような時期もある。苦闘時代とはいわば人生の冬の夜なのかもしれない。(「私はこう思う」より)
July 17, 2011
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周辺の木々は青葉に輝いているが、青葉の発芽は春になって急に始まったのではない。すでに、厳寒の冬のさなかに、その準備を着々とととのえていたのである。真の発芽は冬であって、青葉の芽がけむるのが春である。人生もまた同じである。池田会長指導
July 16, 2011
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崩れざる幸福を築くには、わが生命を磨き、輝かせるしかない。そのための信仰であり、それを教えるための指導である。トルストイは、「生命は幸福のために我々に与えられている」と述べている。私たちは、幸福になるために生まれてきたのだ。皆が、幸福であると胸を張って断言できてこそ、真実の平和なのだ。(新・人間革命 第22巻「命宝」404頁)
July 15, 2011
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本当の仏法は、絢爛(けんらん)たる伽藍(がらん)の中で、民衆を額(ぬか)ずかせ、僧侶が教えを説く、僧侶中心の伽藍(がらん)仏法ではない。大聖人の仏法は民衆仏法です。主役は社会で戦う在家の民衆です。事実、皆さんは、立派な社会人として生活され、常識豊かに、社会の尊敬と信頼を勝ち取りつつ、布教に汗を流し、指導もし、広宣流布を推進してくださっている。そして、万人が「仏」の生命を具(そな)えているという、生命尊厳の思想を、広く世界に伝え抜いておられる。この私たちの運動は、前代未聞の仏教運動といえます。いわば、創価学会の広宣流布運動こそ、現代における宗教革命の新しき波であり、人間仏法、民衆仏法の幕開けであることを、知っていただきたいのであります。(新・人間革命 第22巻「命宝」403頁)
July 14, 2011
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信仰とは、希望である。常に、新しき心で、新しき明日に向かい、さらに、新しき前進を開始する力である。命に及ぶ数々の大難をものともせず、「然(しか)れどもいまだこりず候」(御書1056頁)と、新しき戦いを起こされた日蓮大聖人の御精神こそが、「創価の心」である。そして、そこに、人生の幸福への大道がある。(新・人間革命 第22巻「命宝」392頁)
July 13, 2011
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生(しょう)死(じ)即(そく)涅槃(ねはん)と説かれているように、人生には、常に苦悩があります。仏も、一切衆生を救うために、悩み抜かれています。悩みがなくなってしまったら、人生は全く味気のないものになってしまう。おなかがすくからご飯がおいしい。月給が安くて生活が大変だから、昇給すれば幸福を感じる。大変さのなかにこそ、喜びがあるんです。成仏というのは、なんの悩みもなく、大金を持ち、大邸宅に住むことではありません。大歓喜にあふれ、生命が躍動し、何があっても挫(くじ)けない。挑戦の気概に満ち満ちた境涯のことです。広宣流布に生き抜くならば、一生成仏は間違いありません。(新・人間革命 第22巻「命宝」392頁)
July 12, 2011
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人生行路の行く手には、ことごとく未経験な世界が待っている。苦労や危険を避けられるものではない。それが人生の実相であると覚悟したとき、人はまず絶望を克服するであろう。(家計革命より)
July 11, 2011
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長い人生であり、長い広宣流布の旅路です。いろいろな困難もあるでしょう。しかし、その時が、宿命転換の、人間革命のチャンスなんです。“負けるものか!”と、不屈の闘魂を燃え上がらせて、信心を貫いていくことです。そして、ひたぶるに、お題目を唱え、広宣流布に走り抜いていくんです。信心に行き詰まりはありません。私も、唱題第一で、ここまできました。祈れば、自分が変わります。己心の仏の生命が開かれ、周囲の人も変えていくことができる。まさに、大宇宙が味方します。ところが、いざ困難に出くわし、窮地(きゅうち)に立たされると、“もう駄目だ”とあきらめてしまう。しかし、実は、困難の度が深まれば深まるほど、暁(あかつき)は近い。ゆえに、最後の粘りが、勝利への一念を凝縮した最後の瞬発力が、人生の勝敗を決していくんです。(新・人間革命 第22巻「命宝」391頁)
July 9, 2011
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祈りに勝る力はない。祈りは、一切を変えていく原動力である。勝利への強き祈りの一念から、大確信も、緻密(ちみつ)な計画も、勇気ある行動も生まれるのだ。(新・人間革命 第22巻「命宝」385頁)
July 8, 2011
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真剣勝負の行動とは、目の前の一つ一つを完璧に仕上げ、瞬間瞬間を決して無駄にすることなく、全力で戦い切ることだ。(新・人間革命 第22巻「命宝」362頁)
July 7, 2011
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伸一は、「百(ひゃく)草(そう)を抹(す)りて一丸(いちがん)乃至(ないし)百丸となせり一丸も百丸も共に病を治する事これおなじ」(御書1121頁)との御文を拝した。百の薬草をすって一丸、あるいは百丸の薬をつくったとしても、病を治す効能は、一丸も百丸も同じだという意味である。その譬えを通して、伸一は訴えた。「皆さん方、一人ひとりが、創価学会そのものです。それ以外には、創価学会の実態はありえないと確信していただきたい。また、一人ひとりに、それだけの、尊い使命と資格があると説いているのが、日蓮大聖人の仏法であります」自分自身が創価学会なのだ。そして、自分の周りの同志との絆が、自分のブロックが、創価学会なのだ。ゆえに、自身が成長し、友のため、社会のために尽くし、貢献した分だけが広宣流布の前進となるのである。自分が立ち上がり、勝っていく以外に、学会の勝利はない。社会の組織は、集団のなかに埋没しているようにして個人がいる。しかし、学会は、それぞれの個性の開花を目指す、異体同心という人間主義の組織である。その組織の目的は、広宣流布の推進にある。それは、生命の哲理を人々の胸中に打ち立て、人間の尊厳を守り、輝かせていく聖業なのだ。私たちは、組織のなかの個人というだけでなく、自身の規範、誇り、勇気の源泉として、それぞれの心の中に創価学会をもっている。つまり、個人のなかに創価学会があり、その自覚が、各人の心中深く根を張っていることに、学会の強さがあるのだ。(新・人間革命 第22巻「命宝」362頁)
July 6, 2011
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大宇宙と人間生命をともに貫き、支え、生み出す根源の一法こそ、南無妙法蓮華経である。仏法の実践によって、その根源の法と、わが生命を合致させていくことによって、真に健康と青春の人生が送れる。(新・人間革命22巻「命宝」355頁)
July 4, 2011
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健康とは、単に病気ではないという状態をさすものではない。また、身体が強健であることのみで、健康であるとは言えません。心身ともに、健全に、生き生きとした創造の営みを織り成していくところにこそ、真の健康がある。どのような苦難をも乗り越え、最悪の環境条件さえも、かえって、飛躍の原動力に変えていくところに、真実の健康像があると申し上げたい。したがって、一言にして、健康の本義を言えば、それは、絶えざる生命の革新にほかならないと考えたい。この生命の革新を可能にする根源の当体を、人間の内部に洞察して、“仏界”すなわち仏の生命と名づけ、現実の生命革新の道を開いた仏法こそ、人類の健康法を最も根源的に明かしたものであると私は信じますが、皆さん、いかがでしょうか!(新・人間革命22巻「命宝」354頁)
July 4, 2011
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実践の伴(ともな)わない観念的、抽象的な話では人の心は打たない。しかし、行動、体験に裏打ちされた話には、説得力があり、共感を覚えます。この“共感”が、勝利の大波を広げていくんです。(新・人間革命22巻「命宝」349頁)
July 2, 2011
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どこに何があり、誰がいるか――指導者というのは、それを、すべて知ったうえで、指揮を執っていくんです。そのためには、ほんのわずかな時間も活用して、自ら足を運んで、回ってみることです。それは、一切の戦いに言えます。その努力を怠り、人の話を聞いて事足れりとするところから、惰性、官僚主義が始まる。幹部が最も戒めなければならないことです。(新・人間革命22巻「命宝」346頁)
July 2, 2011
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わが生命から込み上げてくる、この勇気、希望、躍動、充実、感謝、感動、歓喜・・・・・・。これこそが「心の財(たから)」であり、私たちの信仰の目的も、その財を積むことにあるのだ。いわば、それは幸福観の転換であり、「幸福革命」でもあるのだ。(新・人間革命22巻「命宝」335頁)
July 1, 2011
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