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自動車と同様、世界のモーターサイクルを完全にリードする日本の4大メーカーが一同に並ぶ。昨日の自動車と違い、2輪の方はまだ多少「イケイケ系」のコンパニオンが登場する。特にスズキは明らかに90年代の延長線上にいた。全体としてコスチュームがシックな傾向が加速する中、マニアからみれば大変貴重なメーカーとなる。そのせいか、プレゼンテーションタイムには、物凄い人だかりになる。「本当に2輪のことわかっているの?」と聞きたくなるくらい…。<一眼レフ軍団>が大挙押し寄せる。砲弾がついたようなそのカメラを構えて、バシバシっとシャッターを切る。彼らの後について、ファイダーの方向のチェックをすると、バイクなんか撮ってやしない。(当たり前か…)ちなみに、こうした視察には、やはり望遠がしっかりしたカメラが便利である。何を撮影するにも、超接近して撮影できるとは限らないし、したくない場合がある。最近流行のデジカメが携帯性に優れて荷物にならないで便利だが、視察の仕事にはちょっと使えない。せいぜい<光学3倍、デジタル3倍>くらいの倍率だから。デジタル3倍で撮影すると、画像が汚くなる。やはり光学に限る。…ということで、僕はPanasonicのFZ-1を使用している。デジカメだけど、なななんと光学12倍である。しかも、望遠を利用した際に起こる<手ぶれ>防止機能までついている。心のなかで「どうだ、いいだろう!」と呟きながら撮影していたが、よく見ると会場全体でたくさんの人が持っていて、ちょっとガッカリだった。(みみっちい優越感にしたろうとした自分が情けない)2輪の世界は、今や完全に「趣味の世界」になりつつある。日本では当たり前のように思われるが、発展途上国はみな2輪の普及からスタートする。お金がないから。だからスーパーカブのような実用性と耐久性が高いバイクが売れてきた。少なくとも約50年、スーパーカブの恩恵に預からなかった国はない…と言えるくらい世界中を走り回って、人々の生活を豊かにしていった。しかし、近年のモーターショーでは、そうしたモデルにはもうスポットは当らない。もちろん今でも売れているが、余裕も出てきているので商業用とり趣味仕様がバンバン売れるようになってくる。今年は特に「セキュリティシステムの進化」が著しかった。もちろん、さらなる省エネも。ただ、ガソリンエンジンとしての開発は、行くところまで行ってしまったのだろうという気もしてくる。50ccで3バルブエンジンが出てきたりで、市販車なのに<芸術の域>である。そう考えると、この分野でも日本はブッチギリである。ただし、DUCATIやBMWなど、外国メーカーのデザインは大変素晴らしい。メカニカル的にはもう目新しいものはないが、毎年、その成熟されていくデザインにはため息が出る。2輪を眺めてみて思うことは、自動車でいくら「省エネ」と頑張ってはみても、所詮2輪の敵ではない。場所は取るし、車重も重たいから、道路が傷む。ブレーキもたくさん減る。製造過程では、大変なエネルギーを消費する。廃車時もしかり。こういう時代だからこそ、2輪が見直されていくのではないだろうか?と。近距離の車通勤の人々が2輪車通勤に替えたら、どのくらいの渋滞が減るのか?ガソリンは?二酸化炭素は?…と、日本国内だけでもこれからの2輪の可能性は大きい。(まぁ、軽自動車もハイブリットも次に続く…)さらにこうして「脱石油社会」に向けて邁進すれば、世界に対して「もう、いい加減にしなさい」「石油がらみでいつまで戦争すれば気が済むのか?」「これからの日本はもう石油はあまり買いませんよ」「だから、そんなに向きになって確保しなくてもいいでしょう?」「石油がなくても暮らしていけるようになるには、日本の真似をしなさい」「戦争にお金を使うより、脱石油の技術に投資しなさい」「戦争に使うお金があれば、アッと言う間に省エネ社会ができますよ」など、今まで言いたかったことが堂々と言える気がしてくる。…と考えていくと興味は尽きない。省エネはもちろん世界一。F-1、ラリーやオートバイの世界GPでもチャンピオンと取る。(省エネとレース、この両極端なことを達成してしまうところが素晴らしい)販売数も世界一。収益率も世界一。こんなに凄い国は他にはない。これは大変なことだ。いずれにしろ、4輪&2輪ともに世界1位を極めた日本のメーカーが世界に与える影響力はそういう次元である。ただ、そうした視点で世界にアピールしていく政治家がいるのか?いないのか?それが問題である。せめてモーターショーの期間、シンポジウムの場(会場内にある)で、こういうことを政治家含めてどっしりと話し合って頂きたい。これからは、モーターショーも、そういう場に使ってもいいはず…と言うのが今回の視察のまとめであった…。
2003/10/31
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@第37回東京モーターショーさすがに自動車王国ニッポン!来場者は年々外国人が増えている。特に、中国人が増えている…気がした。最近、上海や北京に行って、中国語に敏感になっているせいも多少あるかも知れないが、それを差引いても増えてた。モーターショーに嬉しいところは、元気になれることだ。「がんばれニッポン!」ではないが、なんとなく日本が元気がない、もうダメだ…など、国外はもとより、国内でも日本バッシングみたいな情報が目につくし、耳にすることが多い。そんな時には、モーターショーが一番である。「どうだ!」と。多少自動車通ならわかることだが、もう外国メーカーに怯えてはいない。ここから先は、日本同士での技術競争であり、道なき道を歩み始めている。昔は、ベンツやジャガー、BMW、ポルシェが世界で最高だと思っていた。ところが、今やTOYOTAが世界1位の販売台数のメーカーになるのも時間の問題…という所まで来た。ただし、収益率ではアメリカのビック3はとっくに抜いている。時価総額ではGMの約5倍である。地上げや、金融、石油…といった分野でなく、あくまでも自分たちで考えて、造って、売る…という、商売の王道みたいな分野で。どっかの国みたく、やれ「グローバル・スタンダード」などという言葉を発明?して、世界に自分たちの基準を押付けて時価総額を上げたり下げたりしながら他国(特に日本)から得る収入とは根本的に質が違う。…ということで、自動車業界では、本業でしっかりしたメーカーとして世界1位なのだから、日本人は皆、喜んでよい。(マスコミも、今の10倍くらいこうした事実の報道をしなければならない)自動車は、部品点数数万点に及ぶ、その国の技術が結集されてないと造れない高度な商品である。エンジン内部では、ガソリンを燃やして走るくせに、そのすぐ後ろの室内へは「冷房」を送り込まなければならない。エンジンが爆発しているのに、静かでなければならない。でも、あまち壊れては困るから、車検の時くらいしか整備しなくても大丈夫なように造る。でも、燃費はもっとよくして欲しい。それから、排気ガスはクリーンでないと困る。さらに、小さくても室内は広くして欲しい。色んなモノを積めるようにして欲しい。乗り降りは簡単に。道路案内(カーナビ)もつけて欲しい。CDも聞きたいけど、MP3も聞きたい。…とまぁ、ユーザーのわがままをひたすらクリアしながら進化し続ける恐ろしい商品である。こんな商品の業界で堂々と世界1位で、他のメーカーである、日産やホンダも後に続くわけだから、こんなに嬉しいことはない。かつては、外車への憧れからモーターショーに足を運んでいたが、今では「世界一の確認」に行っているような気がする。●モーターショーと言えば…90年代までは、モーターショーと言えばコンパニオン狙いのお客さんが多数いて(今でもいるが)、コンパニオンのコスチュームを撮影している風景が目立った。ところが、近年は、いかにも「コンパニオン」という「腹出しルック」「水着もどき」「ボディコン」みたいなのは影を潜めてきて、大変きちんとしたファッショナブルなコスチュームになってきた。各社のニューモデルの説明や、新技術の説明に耳を傾ける人が増えてきた。その分、各社のナレーションをこなすスタッフも大変だ。衛星を使ったナビゲーションシステムから、燃料電池やら○○ボディ…など、主要部品がどんどん進化して、車通でも覚えるのが大変なくらいの新技術の進歩があるから、それらを説明するのはさぞかし予習が厳しいはず。それにプラスして、ナレーションそのものの技術。立ち方、立ち位置(ポジショニング)、映像とのコラボレーション…などの積重ねで大きく差がつく。今回はそういう厳しい?視点で、ブースごとの展示内容、会場運営、スタッフ数などとあわせてベンチマーク中である。明日は、いよいよ2輪!こちらも世界一だ!(実は、2輪の方が趣味的に好きだったりする…)-------------これから東京モーターショーに行ってきます。上海も凄いけど、アジアで唯一、F-1やラリーなどモータースポーツで世界最高峰でトップを渡り合えるメーカー大国日本のメインイベント。今年はどんなモデルがあるのか?全体の運営はどうか?各ブースのスタッフたちのがんばりは?…などなど、興味は尽きません。では、レッツゴー!
2003/10/30
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<バリ島見聞録@成田へはバイクで…>モーターショーの報告書もまとまらないまま、いざバリ島へ!朝、成田第2ターミナルAM9:00集合なのに、案の定「ささやかな二度寝」をしてしまい、電車、バスでは絶対に間に合わない…という事態に。しかし、そこはモーターショーを視察したばかりの所長。しかも、先日、HONDAのフォーサートEX2003年モデルが納車になったばかり。「これはもう行くしかない!」と、確かに眼光が鋭かった(つもり)。荷物をバイクに積みやすいようにまとめて、レインウェアを着て、いざ出発!バイクといっても250のスクーター。間違っても180kmは出せないけど、これが乗りやすいのなんのって。小雨の中、東関東自動車道路にのって110kmペースでも、濡れないんですよ。雨に。スクリーンがあるから。ちなみに下はジーパンだったけど、濡れない。プロテクション効果が抜群で、鼻歌まじりで、約45分で空港に到着。うーん、スクーターって素晴らしい。(皆さんもぜひ!)今回はJAL。やはり6時間以上の長距離の場合は、JALやANAがいいですね。今回も、ジャカルタで乗り換えで、なんだかんだで延べ10時間近い。何がいいか?というと、食事が…ね。口に合います。それに加えて、座席に設置された小さなモニターで、映画も数本選んで見れるし、ゲームもできる。長距離の際には大事ですね。長く感じないから。特に映画があると、3本くらい観れますから。機内では、ワインのボトル(小)一本とビール一本。今日は「ハルク」と観た。ジャカルタにしろバリ島にしろ、空港がいいですね。どこでもありがちな欧米風ではなく、しっかりそれらしい雰囲気が漂っていて。とうことで、無事到着。ホテルは<日航バリ・リゾート&スパ>到着が夜だけど、相当きれいな雰囲気が漂います。朝が楽しみです。時差は日本の一時間遅れ。さあ、明日は<ウォーターボム>へ行ってきます。
2003/10/28
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待ち合せの時間にちょっと遅れてホテルに到着すると、そこにはあの高校教師を辞めて上海で経営者に…の、のむてつさんが待ってくれていた。(遅刻してごめんなさい)もちろん初対面なんだけど、楽天のプロフィールの写真とイメージですぐにわかった。楽天日記で知り合ってから約2ヶ月。掲示板の友と外国で会うというのは、妙に感動した。初対面だけど、お互いの日記を読んでいるお陰で、すぐに話ができるのはとても不思議な体験だった。おまけに、弟さんも一緒に来てくださった。パッと見た目のイメージは、ルパン三世に出てくる次元が帽子をとって、若くして笑顔にした感じ?…ではぜんぜん違うか…?。まぁ、なにしろかっこいい。のむてつさんご本人は、普段日記から滲み出ている人柄そのままで、やわらかな感じ。けれど1人で上海に来るのだから、やはり決断した覚悟のようなものが透けて見えた気がした。ホテルで3時間くらい話してから、ホテルの近所の「火鍋屋」に行く。(あの辛ーーーいやつです)汗をかきながら、話しながら食べた。うまかった。楽天日記の不思議な縁に感謝!---------------「本や雑誌やインターネットで収集できない情報を持ってないならコンサルなんかいらない!」と、某有名メーカーの役員の方に指摘されて以来、現地をできるだけの時間をかけて歩くようになった。ということで、本日も広い上海をピンポイントで「地下鉄で移動&歩く」を繰り返す一日となった。グランドハイアットを視察。おそらく中国でも一番の高層ホテルで、80階くらいある。そんなに高くしてどうするの?と聞きたくなるが、まぁ地震も少ないし今の技術なら十分に造れますよ…ということかも。このホテルは、53階あたりまではオフィスになっていて、そこから上がホテル。だからチェックインは54階まで高速エレベーターでまっしぐら…。所長的にはこのくらいの高さで十分に満喫?で、最上階の展望フロアはパス!従業員の皆さんは英語も堪能で、ビシッときめていてかっこいい。「なにかお手伝いすることありますか?」と寄ってくる。1時間くらいフロントを観察させて頂く。世界中のゲストの対応をしているから、逆に学ぶべきことがたくさんあった。その後、「伊勢丹」を視察。特に1階の化粧品売場は念入りに。「ヘンな日本人…」と思われていた可能性は十二分にある。かっこいい女性たちが行き交う中、化粧品の匂いが脳の中で渋滞してきたところで退散。続いてスターバックスへ。これがまた、「やるじゃないか!」の対応で、買わないつもりが結局コーヒーを頼んでしまった。男性スタッフの笑顔が素晴らしい!(所長が男性を誉めるのも珍しい…?)さわやかで、こちらの目をしっかり見て復唱する。言葉がわからなくても、丁寧。こうなると、反対を考える。日本で、中国人や台湾の言葉が通じないお客さんの時、ここまでやっているか?スタバに限らず、こういうのって無意識に出るから、この青年の姿勢には感動を覚えた。(本日<所長賞>をさし上げた…かった)続いて、PLAZA66へ。ここは世界の有名ブランドばかりが厳選されて出展しているショッピングセンターで、おなじみのブランドばかり。ヴィトン、グッチ、シャネル、ダンヒル…などなど。ということで、値段は対して日本と変わらない。スタッフの皆さんも、髪をビシッとまとめていて、雑誌に出れるくらいかっこいい。そして、ここでも「ヘンな日本人…」光線をタップリ浴びながらも、ブランド店のベンチマークを頑張る。そして、ようやく昼食。ミーハーに「ハードロック・カフェ」に入る。どのメニューも、アメリカンサイズで量が多い。店内は昼間から薄暗くて、雰囲気は他店と同じ。スタッフの皆さんは、質問になんでも答えてくれる。「ペンネ」は食べ慣れた味で、美味しく頂いた。けれど、アイスコーヒーを頼んだのに、出てきたのは「アイスミルクコーヒー」だった。もっと言えば、味は「コーヒー牛乳」だった。そして、これまたでかい!500ccくらいはある。なんと頼めばよかったんだろう?…と、その他、結構歩いたが、昨日買ったナイキのシューズのお陰で、明らかに足とり軽く軽快なフットワークを上海っ子に見せつけた…と思っているのは自分だけ…な一日だった。
2003/10/27
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さっき「のむてつさん」からケータイに電話を頂きました。明日の待ち合わせ時間の確認のため。楽天日記で知り合っておよそ2ヶ月。何とも楽しい展開です。こうして上海で初対面…というのは、まさにインターネットに非常感謝!明日が楽しみです。今日も朝から視察全開でした。細かい考察は帰国してから…。今日は地下鉄で移動。北京と比べて車両が洗礼されています。とてもきれい。地下鉄の切符は日本と同様に行き先に応じて料金を払って購入します。その切符が、北京ではペラペラの紙で、上海はテレカそっくりのカードをもらいます。リサイクルできないならもったいない…と思いました。改札は、自動改札。プラスして、日本だとゲートがついていますが、上海ではターンスタイルがついています。これはディズニーランドの改札についているのと同じで、バーを前に回して1人ずつ入場する…アレです。河南中路という駅で下車。「外灘」に向かいます。外灘まで道のりも様々な商業施設があり、写真を撮るのに追われます。こちらの雑誌で有名なお店として必ず登場する…と言われるレストランにで昼食。いわゆる上海が紹介される時に必ずといっていいほど紹介される景色が一望できる、それはもう素晴らしい眺めのレストランでした。ただーーーし!白人とモデルみたいな人ばかりのその店に、30~40代の何の変哲もない日本男児(おやじ)が5人。どのくらい浮いたのか?は、自由に想像して頂きたい。(素敵な思い出と悔しさの同居)本日のトピックスは「SHANHAI URBAN PLANING EXHIBITION CENTER」テーマはズバリ。2020年の上海の街が一望できるんです。館内のメインは「2020年の上海のジオラマ」です。上海市の模型が、ワンフロアの半分くらいの面積に敷き詰められています。今までもこれほど大きな広域な模型は初めて観ました。現在ある主要な建物はもちろん、今後2020年までに計画されている建物がビッシリと再現されています。今でも「凄い」と、ため息をついていたところに、ダメ押しのアッパーを頂いた心境でした。2008年の万博会場や、SAARSで中止になってしまったモーターショーなどが行われる展示場などもきちんと模型で配置されています。そこに来ている見学者をよく観察すると大きく3つでした。まずは「団体」。ツアールートで回ってきます。ガイドさんがついて説明しながら2020年に向けての上海の未来を語ります。「アイヤー!!!」の声が響きます。次は夫婦やカップルなど。はじめはカップルで来るようなところではないのに?と思っていましたが、実際の開発計画の模型を見ながら、近い将来、自分たちが購入するマンションはどの地域がいいのか?などを真剣に話し合いながら見ています。デジカメでお気に入りの地域の写真を収めたり…。「あの辺も商業地域になるな」「こっちは右から住宅地だね。団地、マンション、テラスハウス…」「この辺は、公園が整備されて緑が多くなる…」「ここに学校ができるんだね」などなど、図面ではピンと来ない人でも一目瞭然です。そんなこんなで2人の果てしない夢をみてしまったカップルは、近くのベンチでいちゃつき始めます。僕たちは、「おいおい、その男はまだ何も手に入れてないぞ。模型は模型だからね!」心の中で念じたことは、言うまでもありません。あまりに女性が美人だったことも大きな理由ですが…。3つめは、僕たちのような視察組みです。印象に残ったのは、明らかに投資家とわかる人々で、もう見る目は真剣で、ギラリと目線が違います。それはそうですね。政府が進めようとする開発計画が一望できるんですから…。開発順番や地域の発展を十分に考慮しながらアレコレと議論を交わしていました。感想としては、こういうのは各都道府県、市町村にあったらいいですね。自分たちの未来を考える場所です。大きなビジョンがそこにあると、人々も自分なりに色々考えるのでしょうね。そう言えば、ウォルトディズニー氏も、ディズニーランドを作るまでは、オフィス一面の大きなパークのイメージデザイン図を張ったり、大きな模型を先に造って、それらを毎日眺めながら邁進したと教わりました。多分、大変困難なビジョンだったけど、模型なんか眺めながらモチベーションを維持したのではないでしょうか?…なんてことも考えました。ちなみに僕たちも「こんなになっていくの?」となって、しばらくは無口でしたが、夕食の際には様々なビジネスチャンスをみんなで楽しく語り合いました。ビジョンは夕食をおいしくしてくれます。
2003/10/26
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打ち合せと夕食&BAR&タクシーで周遊?からホテルに戻りました。空港についてからというもの、刺激的な時間が過ぎていきます。それと先月は北京に行ったせいか、色んな意味で比較もできたり…というのもとても楽しいわけです。タクシーは、北京はシャレード、上海はサンタナ…。上海にはコンビニがある。ローソンも頑張っている。北京では見かけなかった。初日の感想として、日本の近未来と過去が存在しているような印象でした。タクシーはVWのサンタナが多いようです。ただし、タクシーはやはり日本は世界一ではないでしょうか?乗り心地や清潔感、運転手さんのマナー、クレジットカードが使える…など。少し古くて明らかにきちんとした整備が十分でないサンタナでのタクシーで空港からホテルまでの道のりはかなりのスリルがありました。だって、異音が聞こえるんですよ。それで140kmも出すんだから…。近未来のような街並みが見えた!と思ったら、タクシーが急に減速。「なんだ??」と、道路を良く見ると、幌もついていない旧式のトラックがトロトロ運転で立ちはばかっていた。そして、オープンエアの荷台には、そのまま作業員らしき人々が座っているわけです。心の中で「おいおい、大丈夫かよ…」と、叫んでしまいました。危ないよなぁ、絶対に。それに寒いだろうし。なんと言っても、高速道路ですから。BARで話しているとma-meitさんから連絡が入る。貸して頂いた電話に連絡をもらった。何から何まで謝謝です。明日の夕食は、上海蟹に決定!------------無事到着です。できて間もないホテルで完備はバッチリでLANケーブルまであって、本当にただつねげるだけ、でした。これはうれしい。空港から上海の中心まではほぼ成田~都心と同じくらいで、結構ありますね。距離が。それにしても、凄ーーーーい!です。この街というか都市は。建物がでかいし、デザインがそれぞれ主張があって。これから、打ち合せわお兼ねて、夜の街の視察へと繰り出します。--------------@成田空港。愛用のVAIOのバッテリーがだらしなくて、もうすぐ切れそう…。帰国したらTR2に買い替えてやる…と。さっき、チェックインの時、荷物検査に並んでいると、前にはなんと冷蔵庫を2つも買って帰ろうとしている一団に遭遇した。中国人だった。いくらなんでも冷蔵庫を…?いったいここまでどうやって持ってきたのか?別に向こうで買っても、そんなに大きな差はないんじゃないか?…などなど、考えていたから、長ーーい行列もあっという間に感じることができた。---------------昨日は結局AM6:00になってしまった。もうバタバタ劇で…。つまり眠い。飛行機では絶対に寝るぞと心に誓っている。ma-meitさんが上海で使う携帯電話を貸してくれた。なんというありがたいこと。それと、知人友人お勧めの店も教えてくれた。これで、現地でも人と会うことができそうだ。さて、あの人に会えるかどうか?楽しみである。今度こそ、インターネットがつながりますように!
2003/10/25
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テーマパークのダンサーの皆さんと食事をご一緒した。新しいライブショーが始まる前に「今日こそはちゃんと観ていって下さいね!」と声をかけられたから、久しぶりにかなり真剣に彼女たちのステージを拝見した。多少のベテランもいれば、プロ歴は半年のダンサーもいる。最初は「大丈夫かな?」などと心配もしたが、大きなお世話だった。それどころかステージをみていてまぶしく感じた。途中、ちょっと踊りを忘れかけたり、風が吹いてコスチュームが捲くれたり…色んなことが起きる。しかし、お客さんを楽しませようとする、エネルギーがほとばしっていた。ダンスの技術では、もう一息…という人もいたが、ほとばしるエネルギーがプロだった。夜、反省会を兼ねた食事会があり、呼んで頂いた。各自好きな飲み物と料理を注文して、これまた自由に意見を交し合う。この意見の言い合いが凄かった。ステージに関してのことは何でも言う。先輩が後輩にバシバシ指摘する。反対に、後輩も先輩に対してでも遠慮はない。時にエスカレートして、口論(軽いケンカのように)なる。これはサラリーマンでも会社の同僚と飲みに行くと良くある光景だ。ところが、彼女たちはちょっと違う。一通り言い合ってケンカしても「きちんと仲直りができる」のだ。それに驚いた。僕が感激して、「いやー素晴らしいですね。ケンカもするけど仲直りもできる…」というと、「だからプロなんです」と言われた。「ケンカだけなら誰でもできますよ。でも私たちはチームでショーを演じているんで、絶対にそのままにはできないんですよ」とのこと。「かといって、仲間に意見が言えないのもダメなんです。そういうチームはすぐに空中分解してしまいます。それはとっても危険、つまり息が合わなくてでケガしてしまうから踊れないんですよ」…なるほどである。「でも、人って意地があるじゃないですか?そういうのは大丈夫?」とヘンな質問をすると「お客さんに最高のライブショーを見せるその手前くらいの維持にこだわっても仕方ないでしょう」と話す彼女は21才である。ハッキリ言って、サラリーマンやOLに比べて大人なのかな?と思った。「大人なんだね」と言うと、「そうかもしれませんね。だって、会社員と違って、ダンサーの寿命は短いんです。ハードなのは10年からせいぜい15年くらいしかできません。だから3倍くらい早熟な発想になるのかもしれません」と。続いて、「もちろん、年を重ねてもダンスや唄をやりたいですけど、今しかできない踊りは今やっておきたいんですよ。後悔って多分そういうことなんでしょう?所長さん!」「ええ~まぁそんな感じだね」…と、まったく防戦一方のおじさんであった。ともすると、サラリーマン社会では、課長や部長の<悪口フェスティバル>になりがちだが、彼女たちは自分の年代でやらなければならないこと、しなければならないことを知っているからそういう展開にはならない。(別のステージで踊っている先輩たちのことを聞いてみた)例えて言うなら「部長の仕事の難しさは部長にならないとわからないから…何とも言えない」ということで、話題にならない。そこがとても違う。「そんなことより、お客さんの反応がいまひとつだったことの方が気になって仕方がない…」と、外向きな姿勢が素晴らしい。これも忘れがちなことだ。よく考えればこれはごもっともなことだと思う。それどころか、ビデオや写真を持参してきて、先輩の踊りを盗もうとしているから頭が下がる。自宅で研究したり、踊りを練習するらしい。そうして、翌年のオーディションでステップアップを目指すとのこと。さらに、休日には、それぞれタップだのヴォイストレーニングだの、先生を見つけて教わりに行っている。もちろん全て高額な授業料である。もらったギャラは、生活費とレッスン代に消える…。ステージで見せるイキイキとした笑顔は、決して作り物ではなく、湧き出ているんだと実感。考えてみれば、スポーツやダンスの世界には、どのジャンルにも僕たちオフィスワークと違って「有効期限」みたいなものがあるんだなぁと。これがもしオフィスワークだったら、大変なことだ。会社によっては、あっと言う間に彼女たちが本当に部長になってしまうかもしれない…と考えたりもした。オフィスワークだと、なんだかあと30年くらいできそうかな?と漠然としているが、彼女たちは違う。その時々の有効期限を自覚してる。それが僕には「覚悟」のように映ってまぶしく感じたのだと思う。3倍のスピードは覚悟の差かもしれない…。
2003/10/23
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「所長さん。ドアの横がヘコんでるよ…」とわざわざ打合せ中の会議室まで教えに来てくれた人がいた。後でみてみると確かにぶつけられていて、少しへこんでいた。「修理屋さん呼びましょうか?」と勧められたがお断りした。たいした事はないので、と。20才になった頃に<フットルース>という映画を観た。主人公を演じるケビン・ベーコンがクリーム色のワーゲンに乗っていた。映画の中では車のシーンが結構あったので、僕の友人たちは色んな影響を受けた。何といっても多かったのが「ワーゲンが欲しい!」で、実際に買った人が3人いた。僕この映画でガーン!と価値観が変わったのは、主人公の「車の扱い方」だった。もう「道具」という感じで、ドアを足で閉めたり、多少ぶつけてしまってもいちいち気にしない。まぁ設定としてボロ車だったが…。けれど、洗車もする。ホースでバシャーっと水をぶっ掛けて、ゴシゴシ…である。荒いけど、それなりに「愛車」でもある。それまでの、僕の車の扱いは、雑誌と友人の影響で、いつの間にか「腫れ物を触るよう」なくらい、大事にしていた。というかし過ぎていたのかもしれない。雨が上がれば、乗ってないのに洗車して、アルミホイールまでワックスかけて…。なにしろ、乗ってい時間と磨いている時間のどっちが長いのだろう?と、映画を観ながら考えてしまった。一年間で、延べ何時間くらい磨いているんだろう?と。だから、海に行ったりスキーに行くときは、車が痛むので友人の車に同乗していた。こうなってくると「何のために買ったんだ?…」と自問自答することになる。置物じゃないんだから…。そして、なんと言ってもお金がかかった。新車でローンで300万円くらい。若いから保険も高い。税金もある。加えて、もっとグリップのいいタイヤが欲しい…と。(別にサーキットを走っているわけじゃないのに)アルミホイールは、○○のがいい…。ハンドルはウッドで…。カーコンポは○○のフルセットで…。…とやっていたから、給料のほとんどを車に費やしてしまっていて、他の遊びはできなくなったいた。本来はいろんな所に遊びに行くために買った車がいつのまにかメインになっていた。それで幸せな人ならいいが、僕はあまり幸せではなかった。それが映画を観た瞬間にはじけた。「ヤバイ!こんなはずじゃなかった」と。車を道具として適度に使いこなしている主人公がまぶしく見えてしまった。大事だけど、媚びてないというか…。それに比べて、僕は車は友人への忠誠心(仲間としての)と、自分のプライドを表す道具と化していたことに気がついた。そんなことがあって、ちょっとだけ実行に移した。2000ccクラスの新車はやめて1500ccクラスにしよう!と。「まずはこのくらいから…」ということである。(自分に言い聞かせていた)けれど、排気量が下がってもやっぱり同じようなことをしてしまう。習慣みたいなものが抜けないのか?やっぱり「置物」的な存在になってしまう。ある日、新しい職場で知り合ったS君の自宅にお邪魔した。S君は大変なお金持ちで、実家の敷地は800坪もある。そして、部屋のセンスもいい。貯金は当時で2000万円くらい持っていた。ところが、迎えに来てくれた車は、8年落ちのセドリックだった。「???なぜ?」と不思議に思っていると、S君「所長もきれいな車に乗っているから、汚くみえますか?」と。所長「いいや…というか、古いのに乗ってるんだね」S君「ああ、そうですね。中古です」所長「だろうねぇ」S君「でも、しっかり動くでしょう。日本車は凄いですね」所長「動くもんだね。いくらで買ったの?」S君「25万円ですよ」所長「やっ安いねぇ…」S君「でしょう?だから車検の度に買い替えてます」所長「そりゃそうだね。25万円なら…」その後、部屋につくと、ノートと電卓を取り出して計算してくれた。S君「所長は初めにいくらの車買ったんですか?新車ですか?」所長「うん。300万円だった」S君「それと駐車場借りてますよね?いくらですか?」…と延々と計算と質問が続く。そして、少し忘れかけていた<フットルース。を思い出してきた。たまの土日しか乗らないで駐車場まで借りて新車を買って…と、明らかに当時の「自分サイズ」でないことをS君が立証してくれた。S君「所長ってさぁ、前から言おうと思ってたんだけど、スキーとか誘ってもお金ないからあまりいかないでしょう?それじゃ意味ないじゃないですか。車は動けばいいでしょう。遊びに行こうよ!その時にしかできないことしようよ。いい車は収入があがれば買えるから…」と。確かにS君は、海でもスキーでもガンガン行って休日はしっかり遊んでいる。多少とぶつけようが、潮風に吹かれようが気にしない。もう、車を使いこなしているように見えた。以来、僕も40万円くらいの中古車を買って、何しろスキーに行ったりするようになった。飲み会にも参加するようになったり…で、世界が変わったことを思い出す。世界が変わったついでに、海外旅行にバンバン行くようになった。(お金にも余裕ができたから)20代で20カ国行くことができた。そうした経験がなかったら、当然、現在の仕事はできなていない。何となくいつもどっちつかずで、あまり楽しくなかった生活の中で自分の価値観を探して悶々としていたから、スパッと視界が開けて、ハッキリさせてもらった気がした。そういった意味では<フットルース>とS君には大変感謝している。自分の環境や自分のサイズ、つまり自分の価値観に合っている生活が一番心地よい…と、ぶつけられた車のヘコミを見ながら考えた。
2003/10/22
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人にはそれぞれの仕事の仕方があると思う。長年やっていると、そういう「自分スタイル」みたいなものができあがってくる。明日提出の提案資料のために、この一週間、睡眠時間が3~4時間になった。僕にもパターンがあって、今度こそ違う方法で企画を立てるぞ…と意気込むものの、結局は「あれれ?」と、毎回同じような方法でになってしまう。まずは、最初に見に行ったり、聞きに行ったり、読みまくったり…の一週間が続く。何しろ「一旦知らないこと」にして、ひたすら情報収集に努める。行き帰りの電車の中でも、集めた資料のコピーを折りたたんで読んでいると、そのうちに少し夢に出てくるようになる。こうなるとシメタもので、ここから先は、無意識に頭の方が勝手に考えてくれるようになる。これを「アシスタントの採用」と言っている(内輪用語です)。すると、翌朝「やっとアシスタントを採用できたよ!」とメンバーに報告すると、「おおーよかったですね」とか「今回は採用に時間がかかりましたね。急がないと」などの言葉を頂く。(その内輪用語を知らない人は、よく人を採用するね…大丈夫?と聞いてくる)そして、ここからはまずはワードに文章でガンガン書く。何しろ書く。思いつく限り書く。そして、それをプリントしてみて読み返す。余分なものを削ったり、また思い題して書き足したり…となる。5回くらいやると、文章で読んだだけでもそれなりにわかる文章になっている。念のため、23才くらいの新人スタッフなんかに読んでもらう。すると、また「???」が出てくる。それを修正する。たいていは専門用語が原因でわかりづらいらしい。そして、ワードの文章を見ながら、パワーポイントへ…と行きたいところだが、実は僕はパワポが好きだけど結構苦手(作成が)。そこで、近年は、「図解表現…」の本と自分の文章を交互に眺めながら考える。すると「ここの文章はこういう図式になる…」「これは表にしたらわかりやすい…」と、どんどんパワポらしくなっていく。それで、あまり凝らないでパワポで企画書を作る…ようにしている。だから、結構労力がいる。終わった後は「おわったーーーー!」である。本当は、いきなりパワポで2日間くらいでMさんのように上げたいのだけれど、どうやらこの作業の優れた能力は持ち合わせていないようだ。人は物事によって「得手不得手」があるから、仕方ないが、いざという時に「自分スタイル」があると、心の支えになることは確かだ。こういう自分なりの困った時の自分なりの「小さな必殺技」のバリエーションが増えると、仕事はもっと楽しいんでしょうね。だれか、「必殺技大全集」出してくれないかなぁ…。うーん、欲しいーー!
2003/10/21
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仕事柄、社内ではなく、社外の色々な場所で関係者と待ち合わせたり打ち合わせたりすることが多いので、月末には喫茶店やらの領収書がたまります。そしてそれを経理に提出し精算してもらいます。ある日(と言っても、数年前ですが…)、経理担当の顧問に呼ばれました。喫茶店の領収書についてお説教でもあるのか?と身構えていると、顧問「この領収書は打合せなの?」所長「ハイ」顧問「これも?」所長「ハイ」顧問「いつもこの店に行くのには理由があるの?」所長「駅の近くで、便利かなと思いまして…」顧問「私もあの店には行ったことがあるけど、とても打合せできる環境じゃないわよ」所長「そうですか?」顧問「席が狭いし、うるさいし、あまりきれじゃないでしょう?」所長「はぁ…、言われてみれば…」改めて頭の中で回想すると、昭和40年代後半を彷彿させる内装と、メニューである。隣のテーブルとの間隔はかなり狭い。アイスコーヒーを頼むと、始めからシロップが入っているから味の調整がきかない。トイレもしっかり和式だし…。顧問「いい、待ち合わせたり打ち合わせたりするなら、ホテルのロビーにしなさい。ロビーにはあるカフェがあるでしょう。落ち着くし、きちんとした気持ちで話ができるでしょう。大抵の主要駅前にはホテルがあるから、そこで待ち合わせることね。喫茶店じゃ、初めて駅に降りた人にはわかりづらいでしょう。でもホテルはすぐにわかるし、聞けばわかるから待ち合わせしやすいでしょう」さらに続きます。顧問「それに、お手洗いもきれいだし…。女性には大事なことよ」うーん、そうか!と、所長、開眼です。考えてみれば、ビジネスセンターもあって、コピーやFaxも使えるし…。営業時間も長いし…。外国人にとっては、両替もできるし…。郵便物の受取りもできる。…と、それ以来、ホテルの使い方、見方が変わりました。(リゾートホテルで働いていたし、遊ぶ時も使ってたのですが、ビジネスの場としてはあまり意識していなかったわけです)ホテルがなければ他県、他国の人々と積極的な交流なんかできないし。ホテルはその街のコミュニティであり、公共の場でもあるような気がしています。それからというもの、市役所などを利用すると、営業時間が短く、土日祝休みですから、不便を感じます。そんなに市民にサービスするのが嫌なら、一層のこと、各街ごとにホテルに業務を委託するべきである…と真剣に考えています。市民のことを考えればそうなりますね。市役所の一階で行われている窓口業務ならその方が市民のためですね。サービスもきっといいでしょうし。24時間営業です。外国人も増えていますから、英語も大事です。市役所にホテル並のサービスを求めるには途方もない時間がかかるに違いありませんが、ホテルに市役所のサービスを委託するのは大丈夫でしょう。銀行の昨日をコンビニが吸収していくように、次は絶対にホテルもが…やってくれるといいのに…と思います。逆はダメですからね。市や県がホテルを経営するのは…。無理ですって。止めましょう。このくらいのことをやる市町村が出てこないかなぁ。そうすれば「おお、改革やってるな!」と納得しちゃいますね。…などと、領収証を精算しつつ考えてしまいました。こんなことやっているから、なかなかはかどらないんですよ。早く出そうっと!
2003/10/20
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レジャー施設での採用や指導の難しいところは、売上げのない部門のスタッフである。特に責任者の雇用が難しい。ショップや飲食施設の場合、何だかんだ言っても売上げや利益率など、評価測定はできるので「口だけ達者なやつ」がいても、すぐに対処できる。ところが、直接売上げのない仕事の場合、意外に難しい。同時に、実際の現場でもモチベーションの維持も難しい。例えば、入場チケットを販売する窓口業務の場合、その売上げは別にスタッフ本人の実力とは違う。あくまでも「入場料金」を頂いているだけなので。しかも、お客さんからみれば、到着後、いきなり「お金を取られる場所」なので、あまり笑顔であるとは言いがたい。反対にシビアの表情に一変することが多い。(財布を開ける時というのは、そういうものですね)それと、基本的には、大人、中人、子供料金の違いはあれど、売るものは入場チケットだけ…という、自由度の少ない、同じことを何度も繰り返す仕事でもある。しかも、お金の受渡しで間違ってはいけない。釣り銭を間違えたりしたら、即、クレームになる。スタッフの方もやはり適度に緊張する。おまけに、「チケットブース」の中に入っていることが多いので、外にいるスタッフと違って、「写真をお撮りしましょうか?」などという接客もできない。なんとも淡々とした仕事である。お金を間違えたら叱られる。合っていて当たり前とみなされてしまう。だから、たいていの場合、この仕事のスタッフは「笑顔がない」「元気がない」と上司に指導されるシーンを見かけることになる。つまり、お客さまからは、「十分にクレームになりそうな仕事なのに、感謝される仕事ではない」さらに、上司からは、「あまり褒められることもない(評価されない)仕事」とも言える。こういう仕事に「接客大好きです」という元気印の人(ウサギ型)を配属すると、瞬く間に辞めてしまう。淡々系で持久力抜群の「カメ型」を採用しなければならない。あまり周りを気にしない、「自力型マイペース」の人である。イケイケ系は、実は、自分ひとりでは元気になれない。あくまでも人とのふれあいで元気がなりたつ。だから、たくさん話ができる仕事に配属してあげればイキイキ働く。サービス業で「人を採用してトレーニングをしましょう」と言っても、仕事をよく理解していないと大変なミスマッチを起こしてしまう。先日も、ある施設で、「チケットのスタッフが元気がないので、元気と笑顔が出る研修をして欲しい」とオーダーを受けたが、よく調べてみると、なんのことはない、上司である本人が、上記のことをよく理解していなかっただけであった。だから説明して差し上げた。そして、お金のやり取りの過不足がとても少ない優秀なスタッフたちだったので、きちんと褒めてもらった。きちんと評価してもらえば、それなりに笑顔が戻ってくるのだから、笑顔の研修なんてしなくてよい。そして、寂しいことにその上司が出社していない日は、みんな見事に元気だった。本当の原因もわからずに、この企業は毎年数百万円も、元気と笑顔の研修にお金を注ぎ込んできたらしい。「もう少し研修費を安くしてください」なんて交渉している場合じゃない。安くどころか、いらないのだから。このように、上司がその仕事の役割を理解していない、実は知らない…というのがやたらと目につく今日この頃。こういうのは日本中にどのくらいあるんでしょうね?
2003/10/19
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レジャー施設(水族館、動物園、テーマパークなど)では、来場したお客様がいくら消費したのか?何時間くらいいたのか?などのデータを集計分析を行う。その結果をもとに、「もっと単価を上げるにはどうしたらいいのか?」反対に「なぜこんなに単価が下がってしまったのか?」「あと15分長く滞在してもらうには…」などなど、色々と策を練ることになる。ここに過去にあった施設の失敗の教訓が潜んでいる。皆、「策を練る」方は結構好きで、単価が下がったことよりも、「ならば…」と、次に打つイベントなど一生懸命に考える。その方が楽しい。単価が下がってしまった悲壮感から抜け出すには、それを企画で跳ね返そうというわけだ。よくあるパターンは、お客さんの平均滞在時間が「2時間10分では、短い。もっと長くする方法を考えよ」という展開になる。ところが、そこには魔物が住んでいて、実際には「2時間10分」ピッタリで退場しているお客さんなどほとんどいないのである。しかし、毎日そういうデータを見ていると、だんだんと皆が2時間10分で帰っていくような錯覚に陥ってしまう。実際には、4~5時間くらい滞在するお客さまもいれば、1時間で退場するお客さまもいる。そのミックスである…というのが答えである。色んな分布があってもまったくおかしくない。単価で言えば、800円しか使わないお客さまもいれば、1万5000円使うお客さまもいる。それはなぜわかるか?というと、現場をよく観察して、さらに動向追跡を行えばよりリアルにわかる。平均より、2時間のお客さまと4時間のお客さまの違いの調査をするべきである。しかし、これは面倒くさい作業なので、パソコンでなんとかしようとしてしまう。地方の場合はかなりの比率で「団体客」がいる。団体客は、各自の意思とは関係なくスケジュール通りに来場して帰っていく。「立ち寄り団体客」の場合、ツアーのルートの一部だから、もともと1時間しか寄らない設定になっていたりする。すると、この人たちの「短い滞在時間」が集計時に割り算の中に入ってくるから、「平均2時間10分」ということになる。団体客の滞在時間は、ご本人たちの意思とは関係ない。だから「短い」と言って、一喜一憂する必要などないはずである。団体に対して一般客の場合、カップルで、あるいは家族で車でお越しのお客さまの方だけでみれば、実は「平均3時間10分」だった…ということは多々ある。つまり、昨年に比べて団体営業が頑張った。そのお陰で団体客が増えた。けれど滞在時間の「平均」は落ちた。…という結果になる。「平均の数値」を毎日みる習慣がつくと、物事全て平均化して捉えようとする力が働いて「1つの答え」に絞っていきたくなる。または見つけたくなっていく。それで、「仮想2時間10分のお客さま」に対しての色々な策を考えて、なけなしの資金を投じて、「○○キャンペーン」「○○ショー」などの展開になっていく。そして、見事に、気持ちいいくらいにカスル。本当は、バーッと来てバーッと立ち去っていく、瞬間風速のような団体客には「1時間でどのように楽しんで頂くか?」あるいは「3時間10分のお客さまにもうちょっと軽食を食べてもらうにはどうしたらいいか?」というように具体的に踏み込まなければならない。すると、なんでもかんでも「キャンペーン」や「ショー」をやらなくてもよい場合がある。パソコンが普及してから特にこうした悲劇が多発するようになった。オフィスにパソコンが行き割ったから、多くのスタッフが表計算エクセルで、足したり掛けたり割ったり…と、各自が思い思いに数値をこねくり回して社内資料化してしまう。その社内資料が社内を歩き出すと、そもそも「その資料の考え方が正しいのか?」の検証もないままに、貴重な社内データとして各部門の参考資料になっていく。当然、それで生まれた企画がドンピシャ!っと当たるはずもない。だいたいにして、年間で50万人~100万人ものお客さんが来るのに、1つの傾向にまとめようとすること自体、かなり無理がある。だから指示する幹部側の人たちも、「大きな傾向を3つに絞って教えてくれ。1つに絞る必要なないぞ…」と、予防線をきちんと張らなければならない。
2003/10/17
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この10年間は地方と東京の行ったり来たりの月日の連続だった。東京生まれの僕は、子供の頃から田舎への憧れが強かったから、長期出張も「しめた!」である。地方に滞在するようになって、まず最初にいいなぁと思ったのは<車通勤>である。朝、自宅の真ん前の駐車場(これも素晴らしい。東京の家では駐車場まで200mであった)でエンジンをかけて仕事場に向かう。車内はエアコンが効いていておまけに好きな音楽も聞ける。時に寝坊した時などは、運転しながらパンをかじってみたり…。雨が降ろうが強風が吹こうが関係ない。この通勤の往復が「なんてラクなんだ」とうれしくなったことを覚えている。自転車で駅まで10分。そこから急行電車で40分。(しかも当然ギュウギュウの立ちっぱなし)終点で地下鉄に乗り換えて20分。駅から歩いて10分。バイク、バランス、ウォーキング、階段の昇り降り…と、種目的には<プチ・トライアスロン>みたいなものである(自称)。だから、東京の電車通勤の場合、ちょっと体調が良くない時などは、オフィスについたところで燃え尽きそうになることもある。そういう生活から比べると、エアコン、オートマ、パワステ(ちょっと古いですね)の車通勤は、それだけで<楽しみな時間>であった。ところが数年立つと、長所と短所があることに気がつく。まずは、車の中で好きな音楽ばかり聞いていて<朝刊>を読まなくなったし、買わなくなった。(本当は、ラジオを聞いたり、英会話を練習すればよかったし、現地にはそう人がたくさんいたことを後で知った)それで、短縮された分の通勤時間が「ゴロ寝テレビ」になってしまったこと。通勤電車では、なんとかして新聞はひと通り目を通すし、それだけの時間もある。それに、車内広告などで他の媒体の情報がタダで飛び込んでくる。…といったことの違いが、段々と仕事に影響しだした。それと、車での快適通勤のお陰でオフィスではみな「朝から元気全開!」と思いきや、意外にもそうではないことがあった。さらに現場の仕事を観察していると、やはり元気がない。日々みていくうちにわかったのが、足腰が弱っているということだ。20代でも半ば過ぎると、車通勤で退化し始めているのか?と思うほど、疲れやすく見えてくるし、実際に一緒に働くとそれが実感できた。施設間の移動も、いちいち車を使う。歩いて10分くらい。会社の自転車もあるのに…と思っていた。それでも<万歩計>をポケットに入れてたりするから不思議である。それでいて、週に2日くらいフィットネスクラブに通ってたりするから「???」だった。<ウォーキングマシーン>で汗をかいている。そういう自分も、たまに東京に戻ってオフィスに通勤すると、これまたやたらと疲れるようになってしまった。(だから現在は、かつての教訓として、現地の人に生活のポイントを教えて頂く賢さがでてきた…と思っている)そういうのを5年間くらいみていたら、東京での電車通勤は、実は足腰の運動になっているんだなぁと、以前よりも億劫でなくなってきた。毎日、往復で2時間くらいは歩いたり立ったりしているから、その積重ねは大きい。週5日間で10時間は運動しているようなもの。1月では40時間。1年では…。とは言ってもそれなりにつらい時もあるので、「毎月12000円(定期代)で、電車乗り放題とフィットネスなら安い…」あるいは、「高橋Qちゃんは、こんもんじゃないぞ!」などと、ぶつぶつ自分に言い聞かせる日々が続く…。お陰で足腰はまだ若い?のかもしれない…。(でも心の中では、週に<電車3日:車2日>だったらいいなぁ…が本音)
2003/10/16
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地方の仕事で出張に通いだすと困ることのひとつに交通機関の<乗り継ぎ>がある。新幹線や飛行機はいいとして、そこから何かしらの在来線に乗る際につながりが悪いと30~40分くらい待たされることになる。なので、こちらも自分がよく使う時間帯だけはメモるようになる。ところが、ちょっと間隔をあけると、ある日突然時刻が変わっていたりして、やっぱり待たされることになる。(これからのシーズンは特につらい)札幌、茨城、名古屋、広島、福岡に行ったりしているうちに、微妙に変わっていく在来線やバスの時刻表がわからなくなっていく。もちろん、Iモードで調べることもあるが、特に仕事の帰りは時間ギリギリだったりするから、習慣でつい「18:33分発に間に合うかな…」とダッシュする。すると改正後のダイヤでは3分前に「出ちゃいました」となる。気をつけているつもりでもこういうのが結構多い。ひどい時には終電に間に合わなくて、主要駅前のカプセルに泊まる…という運命が待ち受けることもある。そういう時のカプセルでは、やたらと暗い気持ちになる。そういう僕を尻目に、N君はビシッと乗り継いでいく。当然、僕のようなカプセル歴はない。やっぱりIモード全開で使っているのかな?と思っていた。ところが、今日、発覚した。やはりここでも<ケータイ>だった。とは言っても<Iモード>ではなく、写真。常に出張に出る際には、乗り継ぎ駅で<写メール>である。そして、それを壁紙にしてある。出張先に合わせて壁紙を変えて行く。何とも「やられた」気分がした。N君は全国のレジャー施設を視察しまくる、おそらく日本一の<視察マイスター>である。(業界ではそう言われているらしい)そういう人の行動には「なるほど!」という小さなノウハウがたくさんあって面白い。けれど、一応先輩(上司)なので、時刻表の写真を写メールしているN君に対して「何やっているんだ。早く、行くぞ…」しか言えなかった自分が悔しい…。これじゃあ<ただのおやじ上司>になってしまう…と、少々後悔の今日この頃である。
2003/10/15
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女子十二楽坊に続いて<大連少女隊:ダリアン・ガールズ>がデビューするらしい。ファンとしても面白いし、レジャー産業の中で、その移り変わりで常に一歩先行く不思議な業界として常に注目しているのが、格闘技界である。その中でまた新たな動きがある。中国は大連で選ばれた15人の女子プロレスラーの誕生だ。@ダリアン・ガールズ最初聞いた時には「なんで?」と思ったが、よく聞いてみると、<歌って踊って戦う「おにゃんこ」を目指す!>とのこと。冷静に考えると、女子プロレスという特殊なカテゴリーで長年培ってきた様々なノウハウ(選手の育成、エンターテイメントへの展開、興行など)がふんだんにあるのは日本だけかもしれない。ビューティーペアやクラッシャギャルズなどの実績がある。なんでも中国にはプロレスがないから、これをきっかけに北京や上海でも興行を行っていく方針の様子。メーカーの工場の移転などばかりが大きく取り上げられるが、人材の交流とコンテンツの輸出をしっかり仕掛けてる人たちもいるから楽しい。「日中合作」は映画ばかりではないんだなぁ…と。プロレスもアニメもテレビドラマも映画も本も…など色々だ。これからはどんなものが出てくるのだろう?宝塚はどうかな?今後、ダリアンガールズが日本でどのくらい人気が出るのか?そして中国ではどうなのか?興味は尽きない…。いずれにしろ、色んなビジネスチャンスがあるんですね。
2003/10/14
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政治は二流かもしれないが、日本人は50年前「夢」だった世の中を作った。呆れるほどのムダ金を使いまくってしまった上に、アメリカに散々吸い尽くされたから今は多少貧血気味だが、それでも現在の日本はやはり凄い国なのかもしれない。レジャーサービス業の目線で検証しただけでも、いくつも思い当たる。(ただ今、検証中)お父さんが特に会社の社長や役員でなくても、子供たちは学生時代から海外旅行に行けるし、行ったことがある。ヨーロッパの人々であれば「陸続き」の国への横移動あるいは縦移動型「外国旅行」だから、比較的簡単に旅行できるが、日本の場合はまぎれもなく「海外」である。ハワイなども、元々はアメリカと諸外国のそれなりの成功者がバカンスを楽しむところであったが、20才のOLでもツアーでバンバン参加している。一流ホテルに宿泊して、お土産も数万円分買う。これまた元々は成功者や成金のシンボルであるようなブランド品を10代の女の子が持っている。地方に行けば、持ち家である。さらに、自家用車を2台も所有している。場合によっては、1人1台所有している。(北米並)サラリーマンの家庭で、駅から徒歩10分の所にマンションも持っている上に、子供夫婦も別にマンションが買える。(かつては団地が夢だった)普通の庶民がギャンブルに参加できる。特に「パチンコ」をする。平気で2~3万円くらい使ってしまう。一ヶ月に10万円使う人も珍しくない。(ということで「不景気って本当?」と聞きたくなる)病院、消防署、公民館、芸術劇場、学校、郵便局、上下水道、ガス、電気、電話、高速道路、有料道路…など、社会的インフラが全国に張り巡らされている。これはもう完了している。(やり過ぎて、大変な借金を作ってしまったが…)学校に入れば、全ての学問が日本語に翻訳されている。つまり、母国語であらゆる学問の勉強ができる。法律も医学も…。(これは本当に素晴らしい)24時間で宅配便が全国どこにでも届く。クール宅急便まである。(アメリカの海軍が日本の基地にこだわる理由の一つである)コンビにで学生や主婦が夜勤している。(特に警察官が張り付いていない)鉄道だけで全国周遊できる。主要都市には地下鉄もある。(高齢化社会の準備はもうすでに終わっている)小学生が電車で通学したり、休日に友達と遊びに出かけたりできる。親の付き添いはなし。子供の送迎が大変な国は多い。(だから、子供のマーケットが違う)家庭では奥さんに給料を渡す。家庭用品の購入決定権が女性側にある。これも女性マーケットと言われる最大の特徴である。この点が諸外国と大きく違う。その視点を外して、なんでもかんでも「女性の視点だ大事」というのは、ちょっと行き過ぎのコンサルが多い。財布の家庭内ポジションの問題。約1000兆円もの金融資産を持っている。おまけにこれだけ不景気だデフレだと言いながらも、毎年10兆円、20兆円の単位で増えている。「もう不景気で苦しいからお金をくれ!」と言って、それを受けて、「しょうがない。30兆円の予算を追加しちゃいましょう!と政府が動いても、巡り巡って貯金したり貯め込んでしまうからなんとも不思議な国である。結局、ちゃんと使わないのだから、貯めるのが趣味的国民になっていった。あるいは、もうあまり欲しいものがないのかもしれない。…などなど、色々並べてみるとなんとも面白くて凄い国であることがわかってくる。本当にたくさんの最先端がある。最先端というと、ハイテクモノばかりが話題になるが、それ以外の人間のまわりのことの中にもたくさんある。もっと並べていくと、どんなことが見えてくるのか?ワクワクしてくる。マスコミが暗いニュースばかり流す癖が必要以上に世の中を暗くしている。本当は暗いところもあるけど明るいところもたくさんある。いつまでもアメリカ産の経済学やマーケティングを崇拝していないで、日本を良く見ていきたいものである。(もっとも、ここから先の経済学は教科書にも載ってないらしい)誰か、「世界のトップランナー日本の大事典」でも作ってくれませんかねぇ…。(反対に外交など、非常に弱いところもあるから、そういうのもハッキリしてもらうといい)さて、あとはこういう国でどんな風に仕事をしていくのか?どんな風に生きていくのか?楽しみながら色々やってみましょう!
2003/10/13
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<F-1見聞録@日本GP>この10年間でもこれほど素晴らしいGPはなかった。それほどのレースだった。世界的なスポーツはいくつもあるが、その中でもF-1は紛れもなく世界最高峰のスポーツと言える。特に印象的だったのが、突然参戦が決まった<佐藤琢磨選手>である。ビジネスの世界でも「チャンスさえ与えてもらえば…」というフレーズはよく耳にする。佐藤琢磨選手は、昨年の契約交渉で、当時在籍していたジョーダンチームの契約を結ぶことができなった。巨額なスポンサーマネーを獲得できなかったからである。それで、今年一年間<テストドライバー>の道を選んで虎視眈々と来年度のシートを狙っていた。観客のいないコースをひたすらマシンテストのために走る日々が続く。野球の世界で言えば明らかに「2軍3軍落ち」である。世界のヒノキ舞台から落とさせるといじけそうなものだが、彼は「レースには出れないが、僕に足りない走行経験が思い切り積める。こんなにいい機会はない」と迷わずこの道を選択した。そして、これまでになんと「7000km」も走りこんだ。昨年にも増してフィジカルトレーニングで身体を増強することを怠らない。素晴らしい筋肉の身体にバージョンアップした。そして、チャンスを突然訪れた。チャンスが突然来た時に「ちょっと待ってください。すぐに準備しますから…」では、永遠にチャンスをモノにできないシビアな世界。連絡が来て、半日後には予選を走る…。そして、決勝。世界チャンピオンに一歩も引けを取らない走りで復帰第一線でいきなり「6位入賞!」である。少なくとも1年間レース経験のない彼が、この成績である。F-1は、まぎれもなく世界の最高峰で、約20名しか出場できない。文字通り「世界中の超天才たち」の集合する場で、他のスポーツでこれほどの狭き門はない。その1シートを掴み取り、「ブランクが…」という言い訳は一切許されない世界で入賞するのだから恐れ入る。(ジーンときて、涙の腺が…)「社長になりたい!」「起業したい!」という人が、常に社長のつもりで仕事をしている、あるいは仕事ぶりと内容を全て盗んでいて、本当に社長が倒れた時に「私にやらせてください!」と手をあげるようなものである。「チャンスだから、とりあえずやっちゃえ」とか、「なに躊躇しているんだ。君ならできる。とりあえずやってみろ」と人に押させてやるようなものではない。いきなり競合と同等以上の力を発揮できなければならない。本当に大事なのは、チャンスをモノにすることと、同時にもっと大事なのはチャンスが来た時の実力である、ということを再認識させて頂いた。来年はついに「中国GP@上海」が決定した。はじめて中国でF-1GPが開催させる。その時に、ホンダとトヨタのマシンが参戦しているのは、アジア人として大変うれしい。そして、1/20のシートに日本人の佐藤琢磨選手がいることはもう誇りにも思えてくる。来年の<中国GP@上海>という新たな歴史の1ページは、もちろん現地で観ますよ!いやいや応援します。もちろん佐藤琢磨選手を!その時にはツアーを組んで声が枯れるまで応援しましょう!(現地集合、現地解散でもかまいませんので…)
2003/10/12
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仕事柄、人からは「モバイラー」と呼ばれることが多い。出張や打合せ、それに視察があるから、当然、自分のオフィスにいる時間の方が圧倒的に少ない。そのせいで、オフィス用品よりもモバイル系に傾いていく。モバイラーと言っても、何もパソコンのことだけではなく、持ち物全てにそうした傾向があるということだ。取り合えず持ち歩けるモノ、身に付けるモノにはそれぞれに様々な理由がる。○ノートパソコンはエアエッジのつなぎ放題仕様。いつでもどこでも…。時間を気にしないでつなげる方が精神衛生上よい。ただし、先日の北京では設定がうまくいかず…反省。○チノパンすぐに現場に行くこともできるし、革靴でもおかしくないので。ちなみに、最近は形状記憶型があるのでますますぞっこん。長期出張でも洗濯機で気軽に洗えるのがいい。○ボタンダウンのシャツチノパンとセットでならおかしくない。洗濯機でも洗えるし、ノータイでも着れる。スニーカーでも革靴でも平気。○折り畳みアノラック(GAP製)多少の小雨でもOK。何しろ軽い。すぐに洗える。風に強い。よって現場視察には欠かせない。意外に暖かい。そして、安い。○デジカメMPEG4ムービーも撮れるモノ。大事な打合せではMP3ファイルで長時間録音も。これは大事。あとで議事録が作成できる。場合によっては、打合せの際に、ホワイトボードを写真に撮る。こうすると、社内報告も格段に楽になる。先にメールで写真だけ送ったりもする。それと、やはり現場を撮影する。一ヶ月に1,000枚くらいは撮る。携帯性のよい小さいものを選ぶから年に一回くらい紛失(落とす)する。が、もう消耗品くらいに考えている。○腕時計(G-SHOCK)よく現場で壊したから、自然とG-SHOCKになった。文字通りショックに強い。防水は必須。ウォーターパークからスキー場までが仕事先なので。それと、「アナログ+デジタル」が条件。デジタルはストップウォッチに使ったり、海外に行った時にはデジタルの方を現地時間に合わせるようにしている。○鞄これはショルダーがついていること。ノートPCを入れるところがあることで、特にメーカー指定はない。できれば防水がいい。年に一個は買う。これも消耗品。…などなど。まぁ細かいものまで含めると結構な商品郡になる。なので、添乗員の方々との話は結構好き。大変勉強になる。それと登山家の方々も。そんなだから、高級品やおしゃれなものを着ている人よりも、モバイル度の高い人ばかりに目が行ってしまう今日この頃。だから、トラベル用品コーナーなんかに行くと時間を忘れる。ダイムなんかで特集ないかなぁ…。-----------○財布これはベルトに通すタイプ。かっこ悪いけど。よく「なんですか、それ?」と聞かれる。29才の時、大金を落として以来、身につけるタイプになってしまった。けれど、そのお陰で紛失や置忘れがなくなった。○ペンボールペン(黒&赤)+シャーペン。コンビにで売っているやつ。大変便利。いつも胸のポケットにさしているので、ポケットのある服ばかりきている。これはテレビドラマERのカーター先生の影響。
2003/10/11
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小学生の時の担任の先生の影響で、実はかなりの宇宙オタク?である。とは言っても、星座が好きとではなく、「宇宙計画好き」というのが正しいかもしれない。僕の先生は、大学院時代、トランジスタの開発に携わったらしかった。だから授業はいつも途中から「宇宙ロケット」の話になっていく。僕らは皆それを期待していた。「早くロケットの話にならないかなぁ…」と思いながら席に座っていた。(そのせいか、ロケット鉛筆ばかり持っていた)その後、学生時代から1960年代のアポロ計画の前後に入り込んでいき、色んな映像や文献を読み漁るとどんどん深みにはまっていった。だからその道(系)の先生方の講演会なんかがあると、通ったものである。近年でも身近にいる友人を通して、膨大な情報を得れるので、とても楽しい。宇宙開発に直接携わる研究者を父に持っているその友人と話し出すと時間を忘れる。仕事柄、最近はトレーニングについて、人選について…などの分野が特に興味深い。1960年代は特に凄い。今からみれば相当強引な宇宙計画だから、飛行士、つまり人間に求められる能力は膨大である。何と言ってもスペースシャトルとアポロでは搭載しているコンピューターからしてお話にならないほど違う。つまり、「人力度」が圧倒的に高いということである。スペースシャトルは、オートマ、オートエアコンは当たり前で、DVDナビやオートクルーズなどの各種センサーが満載の車のようなもの。しかも地球「周辺の宇宙」を回っているだけのスペースシャトルと違って、アポロの場合、そこから38km彼方の月を目指した。(教習所の中での運転と、路上教習の違い?)頭脳明瞭で身体が丈夫で精神的にもタフ…などの諸条件は十分に予想がつく。加えて狭い船内での「男3人暮らし」の日々。チームワークやリーダーシップなどは、僕ら周辺の職場の比ではないはず。「言った」「聞いてない」「生意気」「納得行かない」の世界では、おろらく全員即死であろう。そういう時代にどんなことを基準に人を選ぶのか?とか、その後の経験からどのような人がよいのか?などをこれまた研究している人々がいるらしい。その話の中で印象深かったのが、「スポーツならサッカーやフットボールをやっているのが理想」というお話だった。所長「なぜですか?野球じゃダメなんですか?」博士「まぁダメということではないけど、サッカーやフットボールは理想的と言えるんです。それは、なぜか?と言うと、ディフェンスとオフェンス、つまり攻撃と防御が一瞬で変わるでしょう」所長「一瞬で変わる?」博士「そう。相手のゴールを攻めていたつもりでも、カットされてあわてて今度は防御にまわるんです。これを試合の中で何度も繰り返しています」所長「なるほど」博士「これは別に宇宙船に限ったことではないけど、実際の社会は、例えば野球のように攻撃と防御がきちんと交替交替で回ってくる…一球ずつお互いに見合ってからボールを投げる…ということはまずないでしょう」所長「言われてみれば…突然きますね」博士「そうなんですよ。だから特に身体的なことではなくて、そういう攻めと守りを行ったり来たりしながらのスポーツは、常にトラブルにさらされる仕事にとっては大変有効的という見方ができるんです」所長「確かに…」博士「それに加えて、広い視野が求められます。走りながら味方のポジションを確認しつつ、相手のポジションも見抜きながらのプレーです。そして、その中でパスを出してつないでいくわけだから、大変高度なスポーツですね」所長「言われてみれば…そうですね」博士「職場の仕事もパスでうまくつないでいけば、もっと効率的になるのに…と思うシーンはたくさんあるでしょう」所長「はい、とっても」博士「でも皆さん、味方も相手もあまり見ていないから、すぐにパスを取られてしまう…(笑)」サービスの現場なんかはもうディフェンスとオフェンスの乱打線である。ひどい場合は、ひとつのグランドで4チームで試合をしているような状態になったりする。(つまり、わけがわからない…くらいに乱打線ということ)ちなみに、「あの中田選手がもし自分と同じ仕事だったらどんな仕事をするのか?」真剣に考えてしまいました。きっと凄いんでしょうね!
2003/10/10
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今日は午前中から六本木にあるMさんのオフィスで打合せだった。新しい最新のビジネスビルのそのオフィスに向かうには、最上階まで一気に駆け上がるエレベーターがある。近年は、各駅停車のエレベーターでは時間がかかるのでこうした<シャトルエレベーター>が増えてきた。最上階まで一気に上がって、各駅停車のエレベーターに乗り換えて少し下がる…みたいな使い方である。しかし、そこは高所恐怖症の所長。できれば階段で行きたいくらいだが、そんなのん気なことは言ってられないし、第一足腰が辛すぎる。大人しくシャトルエレベーターに乗る。非常に大きくて、しかも親切丁寧に前後面が<ガラス張り>の、なんとも素敵なエレベーターだった。そのガラスもしっかり足元から大変広い見晴らしを確保してくれているもので、余裕のある方は展望を楽しむこともできる「一粒で二度美味しいエレベーター」とも言える。(僕は絶対に思わない!)ビルの吹き抜け沿いに「グワーッ!」っと上がる時には、なんだか映画「マトリックスの世界」に吸い込まれていくような錯覚を覚えてしまう。ついでに乗ってくる女性達も、気持ち意識しているのか?マトリックスに出て来るお姉さんのようにスラッとかっこいい人に見える。できれば、両手を水平に広げてムーンサルトくらい見せてくれたらうれしいのに…。そんなこんなで一人ブツブツ忙しく考えているうちに、オフィスに到着。さっそく打合せ開始。こちらの企画書をひと通り説明。「なるほど、概略はOKですね。あとは、これとこれをつめましょう」とMさん。その後、建物内のデザインができたらしく、なんとCGムービーで拝見する。これはいい。ヘンなデザイン画とか平面図ではイメージしきれないものも、これならまさに「マトリックス」を見ているように楽しみながら頭に入ってくる。修正するべきポイントもハッキリしてきた。ジャスト1時間で打合せを切り上げて、ちょっと雑談。所長「では、この企画書の修正を来週お持ちしますが、いつがいいですか?」Mさん「来週は~うーん、いません。メールでお願いしますよ。申し訳ない」所長「ずーっとですか?」Mさん「日曜日からNYで→北京→ロンドン→メルボルン→上海…なんですよ。途中で帰国でそうもないんで…」所長「ぎょへーっ!これまた、国際線のスチュワーデスさんみたいですね」Mさん「そうですね。移動中の機内ではスチューワートのバイトで使ってもらおうかな?」…などと言いながら、スケジュール張を広げる。Mさん「そうか。日本で打合せをしようとするから会えないんですよ。月末に上海に来てください。そこで打合せと、企画書の仕上げと現地企業へのプレゼンと一気にやっちゃいましょう、ねっ!よぉーし盛り上がってきた…!」…ということで、急遽上海行きが決まった。すぐに日程を決めると、Mさん「ところで、上海で本格的に仕事するのは初めてでしょう?」所長「はい」Mさん「では、はいっこれ。上海ビジネスの教科書ですよ。貸しておきますから読んでおいて下さい」…と、目の前に置かれたのはなななんと「取締役 島耕作」だった。Mさん「知ってますか?島耕作」所長「ええ、読んでました。けれど、部長島耕作までですけど…」Mさん「これは上海が舞台なんですよ。おもしろいですよぉ。僕も現地で仕事しながら読んでましたよ。お店なんかも実在するところが出てくるし…」所長「でも、これってマンがですよねぇ」Mさん「マンガとか子供向けの雑誌をバカにしてはダメですよ。考えようによっては作者は本当に頭がいいんです。だって、ビジネス書のように難しいことをそのまま難しく書くことは大したことないけど、それをわかりやすく書いているんですから、凄い能力ですよ。本当に理解していないと書けないでしょう?学生でもわかるし…」どこまでも元気でユニークな方である。…ということで、現在「所長 島耕作」目指して勉強中です!
2003/10/09
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<北京見聞録@2003秋:6>今回の北京で一番のビックリ&ヒット?はなんといっても<北京遊楽園>である。ちょっと郊外にある大型遊園地で、東京で言えば豊島園のようなもの。園内には大変広い池があり、噴水がきれい。しかし、乗り物は…というと、モノによっては海外の遊園地の中古品が混ざっているから、僕らのようにヘンに詳しいと乗るのには人一倍の勇気が必要になる。それでも30を超える遊戯機器があるから、地方から来た人々には大変な人気で、どれも30分から1時間待ちだった。その<待ちっている姿>に日本との大きな違いがあった。それは、列がギュッと詰まっているのである。前後の人々との感覚がほとんどない。触れているしくっ付いているように見えるほど。「なんでだろう?」と考えていると、「割り込まれたくないから…」とのことだった。納得。チケット売場なんかでも平気で割り込んでくる人が多い。そのくせ、ジェットコースターの街列では「割り込まれるのは嫌」ということ。目玉?は、パレード。これは凄かった。始める前は、「京劇」や「雑技団」あるいは「オリンピックの体操でメダルの常連」の国…というイメージが強くあったから、相当期待して胸が躍った。ここに来る前に、「とにかく2人は専門分野でしょう。ビックリするよ。見ておいた方がいい…」と言われたことも拍車をかけた。そしていよいよ、パレードの出発点らしくところにいくと、パレードフロートらしき車が数台停車している。どれも中古のトラックで、当然エンジン音がする。排気ガスも十分に出ている。そのトラックを改造して、パレードフロートのように見せている。(学園際を彷彿させるモノである)そこに、出演するキャストが集まってくる。とはいっても、ディズニーランドで言うところのオンステージが待機所になっているから、一部始終見える。指示も聞こえる。周囲にお客さんが集まってきてもパレードがスタートするまでは、キャスト同士でおしゃべりしているか、能面のように無表情だったりする。圧巻は、キャラクターがたくさん出てくるのだが、なんとミッキー○ウスやミニー○ウス、ドナル○ダック、白○姫、シン○レラ…など、日本でもお馴染みの彼らだった。ライオン○ングまで登場する豪華さだ。20分間くらいパレードをついていくと、突然、音楽が止み、キャストがなんと走り出す。本当に走る。しかも速い!キャラクターなんかは、いきなり頭部分だけおもむろに脱いで、やっぱり走り出す。当然、お客さんたちは走って追いかける。僕らもわけもわからずに「とりあえず見失うな!」と、頑張った。(しかし、ヒザにきた)どこにいくのかと思いきや、屋根つきの大きなステージに到着した。(ショーベース200みたいな所)ここで、このままステージショーになるらしい。「なるほどおもしろい」とも考えたが、何も走ることはないだろう…と呟く。ステージショーは、フレンチカンカンあり、ハワイアンあり、キャラクターありの「スーパー幕の内ライブショー」であった。そして、肝心の踊りは?…というと、「一週間くらい練習した人が出ている」というのが正直な感想である。途中で振りを忘れる人がいたり、ステップが隣同士で逆になるのなんかはいちいちかまってられない。そして、フィナーレ!…と、今度は出演者全員集合で、本当に全員が出て来る。キャラクターも全員。おまけに、ステージの音響かなにかのシャツ来たスタッフやスーツ来た責任者らしき人たちまで。それで、全員で手を振る。皆、なぜかとても堂々としているのが印象的。そこだけ見ていると、なんとも清々しい気分になるほど。見ているこちらもなんとなくつられて手を振る。「これが終わり方なんだ…」複雑な心境で席を立とうとすると、今度はお客さんが一気にステージに押し寄せる。それで、記念写真を撮ったりする。そして、そのままキャストとおしゃべりしだす人もいる。キャラクターなんかは、これまた頭の部分を脱いじゃって、顔を出して笑顔でおしゃべりを始める。中には、キャストとおしゃべりをしているのか?と思いきや、トイレの場所を尋ねているつわものまでいる。まさに「何でもあり」の「バァーリトゥードなパレード」であった。「ビックリするよ」というのは、こういう意味だったんですね。帰りのタクシーはNくんと2人、もちろん無言だった。
2003/10/08
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<北京見聞録@2003秋:5>「お金を出してでもやりたい仕事」もあれば、「あの人とやりたい仕事」もある。現在僕が中国に関わっている仕事はその両方に該当する。その理由の主犯?は、某代理店に勤めるMさんだ。何しろ年がら年中色々な国に飛び回っている。ちなみに昨年は、国際線の客室乗務員と同じくらいの移動だったらしい。何しろいつも「元気!」でポジティブな方。英語は通訳なしでOK。企画書も契約書も…。パワーポイントの資料も英語。それに出張だけで中国語も話せるようになったどころではなく、会議も通訳なしでこなす。おまけに「書く」方も出きるようになってしまった。打合せは簡潔明瞭。パン!パン!と決まっていく。ひとつのプロジェクトに30人くらいの業者を束ねて、海外にいてもメールのやり取りでバンバン企画を詰めていってしまう。ある時、北京からの飛行機が一緒になったので、隣に座って帰国したことがある。午前中から打合せが続いて、ギリギリで午後の成田行きに間に合った。機内で一息ついて、食事をとると僕はもうバタンキュー…と深い眠りに入ってしまった。着陸体制で目を覚ますと、「よーっし、できた!」とMさん。「???」と僕がのぞくと、ノートPCで今日の打合せの議事録をまとめた上に企画書に仕上げてしまっているではないか。空港に着くと、すぐにモデムカードでメール送信。「よーっし、終わりました。業務終了!じゃあ、どっかで軽く飲みますか?」と明るい。飲んでも陰口は絶対に言わない。反対にこちらが「○○さんはちょっと問題ですよねぇ…」と吹っかけると、「いやー○○さんは本当は困っているんですよ。助けてあげてくれません?」のような会話になっていく。ちなみにMさんは、下請け業者でしかも年下の僕らにも敬語を使う。「やめてくださいよ。ヘンですよ」と言うと、「いやーお願いしているのはこっちですから。それより途中で見捨てないで下さいよぉー」と返される。Mさんのプロジェクトはメンバーが多彩で、日本人、香港人、アメリカ人、カナダ人、イギリス人…と、ご自分で「この仕事はこの人がいい」と決めて連れてくるから大変国際色豊かになる。それから年齢も…。社会人デビュー以来20年間で、そばにいて最も影響を受けている人である。以前、夕飯をご一緒した際に「Mさんほどの方がなぜ独立されないんですか?」と聞いてみた。「この仕事が好きだからです」とMさん。所長「へっ、どういう意味ですか?この仕事で独立すればいいじゃないですか?」Mさん「いやー僕はこの仕事が好きなんですよ。経営の仕事が好きなわけじゃないんです。多分、そちらの才能はないでしょう。まぁ興味がないんですよ」所長「うーん、そういうものでしょうか?」Mさん「だって、広告代理店の企画の仕事がやりたいんだから。仮に、独立したとして、実際は、弁護士や税理士に役員会議、それに銀行とのやりとりに時間を相当とられるじゃないですか。そしたら、実務は今の半分もできなくなってしまうでしょう。それじゃ意味ないんですよ、僕の場合は…」と。所長「確かに半分になるかもしれませんが、今より思い切りより好きな仕事に携わる機会が増えるかもしれませんよ」Mさん「うーん、そうですかね?別に今でも好きな仕事を作ってバンバン上申してやってますからあまり大差ないんじゃないですか。それに実際は社内起業家みたいなものですから」所長「社内起業家ですか?」この時までは、マスコミを通じて社内起業家のことはよく知っているつもりだったが、実際は面と向かって話したり、一緒に仕事をしたことはかなった。Mさん「…とまぁかっこいいこと言いましたけど、本当は業界で、いや社内でも生き残るので必死なんですよ。独立どころじゃなくて…。僕より仕事できる人が社内にもゴロゴロいますもん。せめて彼らに負けないくらいになったら…考えてもいいかな。なんて…」所長「でもMさんは英語や中国語、タイ語も話せるし…」Mさん「だから社内でも人と違うことしないと…と思ってまして。昨年から中国も勉強していたんですよ。これからは中国だって。だから社内でだんだん中国シフトが始めると、あいつに頼もう!ってなるじゃないですか。社内ニッチを狙っているだけですよ」…とあくまでも元気に謙虚な方。そして、それから2年。その成果は大いに開花していて、現在では正真正銘の社内起業家…どころか、中国に設立する関連会社をMさんに任せよう!という展開になっている。もちろん、ご本人は逃げ回っているが…。近年「独立しないの?」と聞かれることが多くなったし、たまには考えることもあった。しかし、そういう影響を十分(シャワーのよう)に受けているせいか、僕自身も今や(ようやく)立派?に「社内起業家」となって満喫している。(本当は結構必死)プロジェクトごとに「7人の侍」あるいは「荒野の7人」のごとく、メンバー探しから始まって、現場のOJTや研修、そして開業まで…もう11年間これの繰返し。…と言いながら実は結構楽しい。なので、現在は何気に楽天にお邪魔しつつ、一緒に仕事をしてもらえる人を虎視眈々?と探していたりする。
2003/10/07
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<北京見聞録@2003秋:4>今回の北京出張では、業界では知る人ぞ知る<視察マイスターNくん>と行動を共にした。特に、ショッピングセンターやショールームなどをつぶさに見て回った。(半分はクライアントのレポート作成のため)◎車北京ではVWやアイディがやたら目につく。タクシーのメイン車種はシャレードのセダン。中型タクシーはVWサンタナなど。日本車では、ホンダが多かった。アコード、シビック、それにあのフィットが4ドアセダンだったのには驚いた。オデッセイも数台みかけた。それとなんといっても新型インスパイア。かっこよかった。日中同時発売なんでしょうか?それらはしっかり「広州HONDA]のロゴ。次にトヨタが目についた。なんといっても中核の車種<T-1>ことVIOSが結構走っていた。小柄ながら性能がギュッと詰まった感じでよい感じ。それからビッツも。一番ビックリしたのが<ソアラのオープンカー>が走っていたこと。目立った。ベンツやBMWより遥かに少ない分、かっこよく感じた。これで、日産のキューブやZなんかも走るようになると、日本車も相当目立つようになるかなと思う。北京市内を視察して<アッパレ賞>は、やはりアウディ。場所は王府井の東方広場という巨大なショッピングモールの角を抑えてギャラリーを出店していた。超一等地である。銀座松坂屋以上である。そこは大きな交差点で、一日の通行料は数十万人であろう。ギャラリーだけでもたいしたものだが、加えて、四つ角に新型アウディを<宙吊り>にてオブジェのようにして歩道に飾っている。通行人はここで記念写真を撮るほど。ギャラリーに一歩はいると、すぐに<ル・マン>で優勝したレーシングカーが飾ってある。もう、いやでも目立つ。ということで、市内を走る高級車で最も多いのは当然アウディ。特にホテル周辺では相当数見かける。次にVW。アウディのギャラリーを抜けると真正面にはVWのギャラリーになっている心憎い展開(出店計画)である。こうした一等地に日本のメーカーはなかった。立ち遅れを象徴しているかのように思えてしまった。しかし、ギャラリー内のデザインなどはどんなにかっこよくても、日本のメーカーギャラリーのスタッフのサービスと比較するとまだまだ違いが大きかった。改めて日本のメーカーのスタッフは素晴らしいと実感。◎AVそんな中、同じ東方広場にSONYはきっちり<Sony ExploraScience>を展開していた。日本企業では唯一である。子供向けの体験科学館。今回はSONYご自慢の最新型ロボット<QULIO>が随所に展示されていて、大勢の人々の度肝を抜いていた。子供達には大人気であった。(やってくれるね!SONYという感じ)北京の王府井駅(地下鉄)から上がってるエスカレーターの側面の壁には、SONYのウォークマンシリーズの広告展開がされていた。そうした積極的に展開せいか、故宮でも王府井でも、なにしろ一番目についたデジカメは<SONYのCyberShot>である。物凄く多かった。地方からの観光客も、大変失礼ながら服装は貧しくとも、CyberShotを持っている…というシーンを多く見かけた。AV系で気になったのは、MP3専用の首吊り型のメディアプレーヤーを持っている人がやたらに目についたこと。同時に、お店でも本当に多機種が売られている。その種類は日本の比ではない。こちらの機種の特徴は、MP3ファイルをPCから取り込むタイプではなく、CDプレーヤーから直接ダウンロードできるものが多かった。また2年半前は非常に少なかったMDプレーヤーも非常に増えてきたこと。ちなみに僕も<RIO>のMP3プレーヤーを持っているが、デザインなどは現地ので売られている機種の方が断然カッコイイのがショックだった。◎人々3年前は「中国人は手で鼻をかむ(通称:手鼻)」「すぐに痰を吐く」「タバコのポイ捨て」…などの噂とおりであったように思うが、今回はそれらが相当減ったように思った。滞在3日目に顔見知りのスタッフと歩道でタバコを吸っていると、「はい、これに捨てて」と、なななんと「ポケット灰皿」を差し出してくれた。よく見ると、日本のキオスクで売っているモノと同じ商品だった。地面を注意して歩いていても、その違いはよくわかった。歩行喫煙者も極端に少なくなった。少なくとも中心街では。…など、いろんな違いを発見できたことは大変有意義だった。感想としては、こうした現象は直接的にも間接的にもさまざまな形でメディアを通して情報が共有化されていくから、段々とアジアが似てくる部分があるなぁというのが正直なところ。それは、ニュースや新聞ではなく、TVドラマや雑誌などかもしれない。現実に、僕が今回話したスタッフたちの人気は<松島菜々子さん>だった。それから反町さんも。ドラマ<GTO>を見ていたとのこと。 そうした庶民サイズの文化の共有で「いいな」と思うことは自然にリレーされたたりするのだと思う。(アニメやTVドラマの力は本当に凄い!ホレボレしてしまう)僕のように、中国でも国内でもたまに通う仕事をしていると、とかく「現地にいる人にはかなわない…」という悲壮感にかられることがある。しかし、今は違う。たまに通うからわかることがある。常駐してしまうと見えなくなってくることがある。自分がかつてそういう体験をした(6年間も)。現地の人にしかできないこと、わからないこともあれば、たまに来る人にしかできないこと、わからないことも確かにあることがわかってきた。今はそういう自分のポジションを最大限に活かそうと思う。
2003/10/06
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<北京見聞録@2003秋:3>かつて教えたことのある女の子から僕の宿泊先に電話があった。「ウェイ、ニーハオ」から始まって、ようは明日ホテルに会いに来るという内容だった。翌日、予定の時間を少し過ぎて彼女が到着。2年半ぶりの再会である。今風に軽く茶髪にした髪の毛が印象的だった。「はい、これお土産!」と渡してくれたのが、あの知る人ぞ知る映画「初恋の来た道」のVCDであった。VCDとはVIDEO・CDのことで、こちらではまだこれが主流。CDなので容量が小さいから2枚組みになっている。ちょうど彼女達のトレーニングをしていた頃、日本でも上映していて、僕は渋谷の文化村で7回も観た。シンプルできれいで素晴らしい作品だった。結構、涙した記憶がある。かっこつけずに言えば「華厳の滝状態」だったかもしれない。その感動を北京のスタッフに話していたので、そのことをよく覚えていたらしい。しかし、僕はしっかりDVDを持っている。サントラCDも買った。が、それは言えないし、言う必要もないので、「謝謝」とありがたく頂戴した。覚えていてくれたことに胸が一杯になって、少し目がウルっと来た。さっそく、N君を誘って3人で夕食をとる。片言の中国語と英語だけど、それなりに会話が弾むところがとても楽しい。なんとも至福の時だ。◎はじめて会った時のこと。◎日本人にサービスマインドを教わることをどう思ったのか?◎今はどう思っているのか?◎今はどんな仕事をしているの?◎将来はどうしたいのか?などなど、いろいろ伺った。今後の活動においても大変参考になった。印象的だったのは、「思っていた日本人と所長さんはだいぶ違った。でも、所長さんもイメージしていた中国人と違ったんでしょう、きっと。お互いの国にある情報だけでは何も真実がわからないですね。やっぱり会って話すのが一番」ということ。初めて研修を開始した頃のこと。北京市内にある、派遣会社の会議室を借りて連日知識系の研修を行っていた。昼食になると、大抵は現地の日本人スタッフが迎えに来て一緒に外食をしていた。ところがある日、誰も来れない日があった。じたばたしても仕方ないので、社内にある売店らしき所にいった。本当は日本人はあまり行かないで欲しい…と言われていたが…。すると、そこには僕の教えているスタッフたちがお弁当やカップラーメンなどを食べていた。さっそくカップラーメンを買う。そしてお金を払おうとすると、彼女がすーっとやってきて、売店のおばさんに何か注文しだす。よく見ると「具」であった。メンマやチャーシューみたいなもので、なんと別売りだった。よって僕の買ったカップラーメンには麺しか入ってないらしい。それで、その具をおもむろに僕のカップラーメンの中に入れてくれた。すると別のスタッフもやってきて、また別の具を買って、やっぱり僕のラーメンに入れてくれた。そうして5人ものスタッフが入れてくれたから、僕のカップラーメンは具が一杯になった。「謝謝」までは言えても、その先の「お金は返すよ」とかが言えない。黙ってお金を差し出すと誰も受取ってくれない。この時もありがたくカップ麺を頂いた。「一人でしょう。一緒に食べよう」と言ってくれた。それで一緒に座るけど、何も話せない。すると、ノートを出して、筆談してくれた。そして、筆談+片言英語の友達になった。それ以来の友人でもある。ホテルのラウンジでの食事が終わるともう23:00だった。危ないのでタクシーで送っていくことにした。自宅の近くに来ると「私の家はとても小さいけどちょっと寄っていってよ」と。けれど、遅いし、何ともこんな時間に20才近く違う日本人が来たら家の方は腰を抜かすのではないか?と思って断ったが、結局、寄ることに。自宅は団地だった。それは北京中心にある豪華な高層マンションとは違って、僕が小さかった頃、東京に溢れていた公団住宅、あるいは都営住宅に似ていた。築もそれくらいではないだろうか?団地の階段を登る際に「ボン!」と足で地面を叩く。「何してるの?」と聞くと、サウンドセンサーで階段の明かりがつくらしい。古いけどこういうところは凄いなぁと感心した。部屋につくと、さっそく居間に通される。そこは本当に小さく、映画「初恋の来た道」の現代版のように思えた。居間には、古びたソファやら本棚にベッド、テレビ、電話…など、なんでもあった。お世辞にもきれいとは言いがたい…。壁を見渡すと、色んなポスターが張ってあった。「あれは誰?」と聞いていく。すると「これは私」と。「えっ?君?」「そうよ」自分の写真がポスターになっていのには驚いた。しかも本物の芸能人を並べて張ってある。中国人が写真好きだとは聞いていたが、こりゃ凄いと思った。そのうちにお母さんが出てきて、本棚からアルバムを引っ張り出してきて、やっぱり娘の小さい頃からの写真を一枚ずつ説明してくれる。意味がわからないのがとても悔しかった。女手ひとつで育ててきたから、自慢の娘である。それだけはよく伝わった。その後、楽天のHPのことを話して写真撮らせてよ、とお願いすると、汚いからダメ、と。それで、ポスターと同じ写真を何枚か僕にくれた。それがトップページにある写真だ。「また、しばらくは会えないから忘れないで欲しい」と。「アルバムには入れないでHPに必ずのせておくよ」と約束した。「そうすれば、毎日見てくれるのね」と彼女。そろそろ帰るという時、お母さんが大きな箱の入った袋を持ってきて僕にくれた。お土産らしい。中をみると、なななんと<ネスカフェ>の詰め合わせセットだった。途端に自分の母のことを思い出した。30年位前は、お歳暮などでもらった<詰め合わせセット>は高価なもので、いざという時にお土産に渡していた。「これからも娘をよろしくお願いします」と。ありがたく頂戴した。帰りのタクシーを拾いに彼女と外に出る。タクシーを見つける間に、これからのことを聞いた。年末にはシンガポールに2週間行くらしい。もう5年目。なんでもMBAは学歴的に取得できないので、その下のランクのものを勉強しているとのこと。ということは15才の頃からやっていることになる。(お金がなくて専門学校しか出ていない)普段は通信教育で、年に一回スクーリングがあるようなもの。その年に一回のスクーリングに行くために必死に働いているわけだ。ここでも理由は「早くお母さんを楽にしてあげたい」だった。親子2人きりでこの広い北京で必死に生きているんだなぁというのがヒシヒシを伝わってきた。僕が日本で暮らすより大変なことが多々あるんでしょうね、きっと。タクシーに乗る際に、「いつかきっと日本に行けるようになるからね。所長も頑張ってね」と握手で別れた。2008年には北京でオリンピックが開催される。その頃には彼女たちが社会人のメイン層にいるはずだ。近年の中国を見て驚いてばかりはいられない。近い将来の中国はもっと凄いことになる。真剣にそう思った。「親子の愛」「家族の愛」をエネルギーにたくさんの若者が勉強しまくっている。小手先のビジネススキルでは到底太刀打ちできやしない。中国の情報については、良い人もいれば悪い人もいて、中国人の事件ばかり取り上げられる。これは逆もしかり。これは世界的にマスコミの責任は大きい。ちゃんと頑張っている人もたくさんいるし、楽しい友好も山のようにある。せめてバランスよく報道して頂きたい。これからは、、「勝つ、負ける」とか「追いつく、追い越される」ではなくて、きちんと友好して「アジア人」として生きていこうと心に誓った。
2003/10/05
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同行したNくんがどうしても故宮が見たい…というから行ってみた。現地のスタッフからは「うーんあまりお薦めはできないけど…」と散々言われていたので少し嫌な予感が過ぎったが、何しろせっかくの北京である。国慶節の真っ最中の故宮は凄まじいものがあった。普段、人が賑わう施設の仕事をしているので、多少の混雑には免疫が十分にあるつもりだった。ところが、こちらのキャパシティを遥かに凌ぐ混雑ぶりで、チケットを買う前に心が萎えそうになった。チケットを買う午門前の広場(エントランス広場)にいる人出だけで、優に1万人くらいいた。思わず腰が引けた。午門を取り囲む高さ8mの壁が一層混雑振りを引き立てる。「こんなに大混雑した日でなくても、また半年以内に来るのだからその時にじっくり見た方がいいのかも…」と、弱気な心が顔を出す。しかし、「国慶節の期間の視察だからこそ意義がある…」という、満場一致(といっても2人だが)で、いざ入場!太和門をくぐるとそこにはラストエンペラーや英雄のあのシーンが蘇るほどの光景が飛び込んできた。「ここがそうか!」と。そして、映画に限りなく近いほどの群衆?の数も…。このままエキストラで撮影できるのではないか?というほどの迫力に圧倒された。それで、またまた尻込みする。●故宮の概要◎敷地面積:約72㎡ということは、ほぼ東京ディズニーランドくらいの広さである。これを1406年に建造して、その後24人の皇帝が約500年もの間、中国全土を支配したとのこと。◎建築面積:約15万㎡◎殿堂の数:890棟◎部屋の数:約9000間…どれをとっても当時の世界最大級だ。1400年代にこんなスケールのものを作ってしまうのだから、何を考えていたのか?聞いてみたいものだ。そんなこんなでだだっ広い故宮内をなんとか神武門まで行き着く。しかし、ここで成功尽き果てた。中の混雑振りは、「朝の<山手線>の駅構内がそのまま17万㎡続いている…」と思って頂いてよい。それに比べればディズニーランドの混雑なんて可愛らしいものである。当然平日はこんな混雑はないとのことで、そうなると大変なのがトイレで、どこもスプラッシュマウンテン並の行列。よほどのことがない限り寄りたくない場所である。中には食堂が申し訳ない程度にしかなく、当然、この人数を収容できるものでない。だから、要所要所に屋台が出ていて、ペットボトルやパンが売っている。このパンがメインディッシュになった。4元で買える上に、コンビにで売っているメロンパンの6倍くらいの大きさ。半日は十分にもつ。これをデイバックに入れて巡る…というのが故宮スタンダード?な感じだった。棒になった足を引きずるように来た道を引き返す。人並みに流されるように退場して、ふと気がつけば天安門に出た。そして、その光景は生まれてから一度も見たことのない人数である。(テレビではあっても、実際にいたことはない)ちなみに、翌日の新聞をみると約120万人の人出だったとのこと。(120万人ですよ。信じられますか?)新聞によると「大いに賑わった」とあるが、そんなのん気なものではなかった。「もう、これ以上は無理だ」と十分な挫折感を味わい、王府井を目指して歩く。本当は地下鉄にで移動しようと思ったが、構内をのぞいて見て「………」止めた。朝の小田急線も空いている部類に入りそうだった。この日の故宮は、地方からの来場者でごった返していた。そこで気がついたことは、「みんな、でかい!」ということである。自分も174cmだから日本にいる分には「チビ」ではなく普通の部類だ。しかし、当日の故宮では、大人の中では明らかにチビだった。だから、各殿堂にやっとたどり着いても何も見えない。皆、背が高いから。そういう感覚を久しぶりに味わった。もう、前田日明と大林素子みたいな夫婦がゴロゴロいる。この人たちが皆、スポーツの参加のチャンスを与えられたらもう中国には永遠に勝てないような気がしてくる。しかも、電車にバス、それに<車通勤>で退化した僕たちとは違って足腰がしっかりしているからタフである。日本にいる時は、自分よりも元気がある人に会ったりするとこちらも元気になって楽しい…と思っていたが、レベルが違いすぎるとやはり落ち込む。彼らから比べれば大阪人も大したことはない。よく講演会やセミナーで「みなさん元気がありませんねぇ。今の日本人は…」と元気を売りものにしている方々を見かけるが、そんなに元気が好きならば、元気のない人にかまっていないで、もっと元気のある国に行って暮らせばいいのに…と思った。元気がありませんねぇ…と言われても、当の本人が本当は「質素で落ち着いた生活が好き」な場合もあるから、元気を強制するのは場合によっては大きなお世話である。もっとも、講演会の時だけ元気で、普段は「電池切れ」みたいなニセ元気もいるから、そういうことを続けているのは可哀想になることもあるが…。ここで考えた「元気」とは、楽しいうれしいレベルではなく、生きようとする圧倒的なエネルギーのことなんだろうなぁと。当日の故宮は、俗に聞いている「地方の貧しい人々」が大挙押し寄せているらしいが、混雑をともにしてみると、家族で、夫婦で、おじいちゃんと、恋人と…それぞれが「愛」できちんとつながっているんだなぁ…という方々がたくさんいらっしゃった。そばで行動をしているとそういうのは感じることができる。透けて見えるものである。たまに「所長さん。中国人にはまだまだ遊びに行く場所がないからこれからは中国の仕事がいいんじゃない?」と声をかけられることがある。もちろんそうしたことは十分にあり得るかと思うが、反面、皆が皆そうなるとも思っていない。家庭や親戚、あるいは近所で十分に楽しい人々は、相変わらず「村祭り」が一番楽しいのかもしれないし、それはある意味でとても羨ましいことでもある。そういう人々には人工的な遊び場所は、あまり関係ない。まぁ数年に一回くらい行こうかな?程度のものでしかない。だから、中国でも沿岸部で経済の活性化が激しい都市部の人々が対象になる。都市に出て、仕事をバリバリやってお金持ちになる。しかし、意外に寂しい。これが本音で、だから人工的なレジャー施設が必要になるのである。そのうちにたまには○○地方のお祭りが見たくなる。田舎料理が懐かしくなる。家族が恋しくなる。だから、どっちかだけが栄えるという図式にはならないと思う。レジャー産業というのは、こうして相互の立場が両方いて成立つ産業だからそれでよい。行ったり来たりである。それなのに80年代から90年代は「全国一斉リゾート化」みたいなことをやって、たくさん失敗した。もっと裕福になりたい…と思っているのには違いないとは思うが、だからといって今が「不幸せ」な人ばかりではない。「自分サイズでしっかり幸せ」だったらそれでよいのかもしれない。逆に、どんなにお金持ちになっても、あるいは有名になっても不幸せそうな人もいるし…。講演会やらセミナーやらで元気であるより、まずは「家庭内で元気!」「親戚と元気!」「近所で元気!」の方が価値があるのかもしれないと。(自分の過去の反省を含めて)家庭がうまくいっている人は仕事も自然に元気になる…という図式も十分に成立つはず。「家庭が日本を元気にする!」「家族がうまくいくと年収が2倍!」「親族で起業!」MBAやらマーケティングやらのスキルは世の中に溢れかえっている。けれど、なかなかうまく実施されないのは家庭がつまらないから、うまくいっていないから…という視点は誰も指摘しない。もしかしたら原因はこっちかもしれない。このままだと、「会社は幸福、個人は不幸」「仕事中は元気、家庭では無口」「OFF会は楽しいけど夫婦の食事はつまらない」…と、だんだん逆になっていってしまうかもしれない。今後は誰かがそういう切り口で活動するようになっていくのではないだろうか?と考えた。
2003/10/04
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5日間の北京の滞在は、感情の起伏の激しい日々で、帰りの飛行機では爆睡。着陸とほぼ同時に目を覚ます。ブリッジを渡っての第一印象は「やっぱりきれいだぞ、成田空港!」という感じ。シャトルに向かって歩いていくと、「観光立国日本~」みたいなポスターが並んでいる。寿司、雪国の風景、温泉…などの風景と共に。そしてなんと小さな箱庭(日本庭園)まで造られている。ちょっと強引な日本のような気もするが、まぁそんなものでしょう。入国審査を済ませて、荷物が出てくるのを待っていると、近くにいる中国人らしき女性(20代前半の女の子、22歳くらい?)がなにやらこちらを見ている。「何かようですか?」と声をかけようとすると、どうやら彼女の荷物が大き過ぎてカートに一人でのせられないらしい。手伝って欲しいとのこと。2人で「1、2、3(イー、アー、サン)」と荷物をのせる。「ありがとう」「バイバイ」で別れる。相当に重い荷物2つ。これはきっと長期滞在だろうな…などと思いつつ、空港のロビーからバス停に歩く。タバコでも吸おうと火をつけると、先ほどの彼女が空港の警備員に何やら必死に聞いている。ようするに彼女が色々と質問しているのだが、英語も中国語もわからないので、手をやいている様子。そして、「あそこに行けば英語がわかる人がいるよ」と指し示す。彼女も「これはダメだ」と観念したらしく、途中で諦めて考え込んでいた。その姿が何とも悲しさと寂しさに溢れていた。大変失礼だが、地味な洋服と後ろに縛っただけの髪の毛(当然、黒髪です)。銀縁のメガネ…と三拍子が揃うほど、なんとも田舎娘な雰囲気が漂っていた。ここは日頃研修でよく使っている「ひとにぎりの勇気」の見せ所とばかりに、片言の中国語で「留学生ですか?」と聞いてみた。「そうです」と彼女。「何を尋ねているの?」「留学先の大学のプログラムの事務局の人が迎えに来ているはずなんだけど見当たらないんです」と。こう書くとかっこいいが、実は「片言の中国語と英語」の「混合ミックスダブルス」である。「明白了(わかりました)」と事情がわかってから、さぁどうしたものか?「留学先の大学の事務局の電話番号かなにかある?」と尋ねると、あわてて荷物を解きだし、カギ付きのバッグまで開けて中から二枚の用紙を取り出した。それを僕に見せる。一枚は入学許可書のようなものらしく、そこには東京大学大学院と書かれていた。そして、もう一枚には事務局からのお知らせみたいなもの。「東大かぁ…」と心の中で、自分の田舎娘的な見方を大いに反省しながらケータイで事務局に電話してみた。事情を話すと絶対に迎えは入るはずだからなんとか探して欲しいとのこと。しかも、彼女は外国が初めてらしいので、なんとかよろしく…という展開。再度、ロビーをくまなく探すと、それらしい紙を持って待っている人を発見。よくみると「Tokyo University~」と書いてある。すぐに彼女のところに連れて行き、一件落着。事務局の人が現れた瞬間の彼女の笑顔は、なんとも忘れられない。ちょっと「泣き笑い」だった。「本当にありがとうございました」と彼女。「これから頑張って勉強してね」で別れる。その後、彼女は真っ先にカード電話に走って行って国の両親に電話を入れた様子。…とここまでだけでも色々と気づく点があった。本当に観光立国したいなら、「寿司のポスター」や「箱庭」もいいが、外国人ゲストの視点に立ってもっと真剣に考えて頂きたい。入国ロビーの出口には迎えの人々がいて当然。知人、友人、ツアーガイド…様々である。便と時間帯によっては大変混雑する。迎えの人がたくさんいることはわかっているんだから、迎えの人たちが待機できる場所を用意すればよい。そして、その前を必ず通るようにすれば彼女のようなニアミスは大分減るはず。数年前に空港関係者にこの話をしたことがあるが、「そこまでしなくても、外国と違って回りの日本人は皆いい人だから」というお答え。いい人というのは「親切な人」ということかもしれないが、そうでない人もたくさんいる。それに「箱モノ王国ニッポン」なのだから、このくらいのことはなんてことはない。大した予算は要らない。その気があればあっという間に作れる。それと迎えに来る方も、ワードでいくら大き目のフォントを使おうと、A4で6行も英語を押し込んでは歩きながら読み取れるものではない。ちなみに、ご丁寧に「私たちはこういうモノです」と説明書きまでツラツラ書いてあった。「東京大学」だけでよい。立派な大学なんだから堂々として頂きたい。世論に押されて小さくなる必要はない。「グタグタ言うなら入学してみろ」と大声で言って欲しい。それから、空港職員はもう徹底的に語学教育が必要だ。何しろ日本の玄関である。「へへへ。ちょっとわかんない。アイ キャント スピーク…」であれば<観光立国>への道は果てしなく遠い。百歩譲って、<よくわかる英会話BOOK>くらいポケットに入れておいて欲しい。何も見もしないで「へへへ」では…、「両親に恩返しをしたいから頑張って勉強する」ために入国した彼女に申し訳ない。これがホテルやテーマパークなら明らかにイエローカードである。大至急、「1年以内に英検2級合格必須」など、最低条件の整備が必要だ。もしそれも嫌な人ばかりなら、「英語の勉強が一番好きな県」に国際空港を移すしかない。でも成田空港がなくなると、周辺の産業で食べている県民が路頭に迷う…というなら、東京ディズニーランドを運営しているオリエンタルランドに運営委託してはどうか?英語はさておき、何か困っている人がいれば放っておかない。「先手必勝」で声を掛けていくに違いない。関連会社まであわせれば<万>という単位でスタッフがいる。日本人でもはじめての成田空港はよくわからないし迷う。であれば外国人は言うまでもないはず。いずれにしろサービス業だから、「第一印象」は絶対大事で、「親切」という曖昧な言葉にあぐらをかいている場合ではない。なにせ「観光立国日本」の入口である。「親切だから」というくらいなら職員全員に徹底させなければならない。どうせなら「世界一親切な空港職員」を目指して頂きたい。英語では他国にはかなわないかもしれないが、親切だけは…。がんばれ成田空港!(そのうちに空港のベンチマークをやってみたいなぁ…)ということで、無事帰国しました。しばらくは、タップリと貯めてしまった<北京@見聞録>の連載?です。
2003/10/03
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