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あの、カルロス・クライバーが亡くなったということを、ニュースで聞いた。かなりショックである。NHKのテロップでは「最後の巨匠」と形容されていた。巨匠と言うことができる指揮者は、現役でもまだ何人かいると思うけれど、ある種の巨匠-上手に言い表すことは出来ないけれど-としては、確かに最後の巨匠なのかもしれない。 クライバーといえば、ベートーヴェンの第7交響曲の素晴らしさ、R.シュトラウスの歌劇「薔薇の騎士」での豊かさ、程度しかわからない私だが、NHKのニュースで流れたニューイヤー・コンサートでの指揮ぶりを見て、これはまさに巨匠の指揮であると、感じた(週末のN響アワーでの、アシュケナージのあまりにも無惨な指揮を見たばかりだから余計に感じたのかもしれないが)。決してカウントだけに終始せずに、音がどこへ行くべきなの、どこへ飛ばすべきなのかを示してくれる棒。音楽家(not 演奏家)であるならば、この指揮に感じないはずはない。 今度実家に帰ったら、クライバーのベートーヴェン7番を収録したLPを聴いてみよう。きっとまた、新たな発見があるに違いない。
2004年07月20日
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梅干し。私の大好物である。子どものころから、梅干しを一つ手にとり、ちびちびと囓るのが何よりの楽しみだった。 昨今の梅干しは減塩ブームにあやかってか、塩味が薄い。それだけでなく、砂糖やはちみつがまぶしてあったりするものもある。更にそれだけでなく、アミノ酸などの化学調味料を添加しているものさえある。全く嘆かわしいことだ。梅干しといえば、塩たっぷりの、しょっぱくて酸っぱいもの、と大昔から決まっているのに、これでは梅干しとは言えないではないか。 実家では母方の祖母や親類が漬けたものが沢山あったので、私はそれを食べて育った。それらは、しょっぱくて酸っぱくて、梅干しの王道を行くものであった。だから、最近のものは、食べるだけで口が曲がってしまう。妙に甘くて、妙に味が濃くて(これは化学調味料の仕業)、妙に媚がある。昔ながらの梅干しは、今ではそこらで買えない世の中になってしまった。 結婚するにあたって実家から持ってきた梅干しは、大切に大切に食べていたけれど、もう5分の1も残っていない。だから、今年は梅干し漬けにチャレンジすることにした。母方の祖母のレシピを頂戴し、我が家の味を私が継承する。なんと壮大な計画だ(自画自賛)。祖母は半年前に乳ガンの手術を受けて、それほど元気というわけではない。おばあちゃんの力がまだまだ必要ということをわかってもらうためにも、おばあちゃんの指導をもらうのも、悪くはなかろう。 そうして二週間ほど前に漬けはじめた梅干し。梅酢がなかなかあがってこないので赤ジソ投入を躊躇していたら、この数日の長雨で若干カビが生えてしまった。あわてておばあちゃんに電話し、指導を仰ぐ。カビを取り除き赤ジソを漬け込んだ梅干しは、赤梅酢に浸って、なんとなく気持ちよさそうでもある。近い内に、天気の良い日を選んで、土用干しをせねばならない。かつて母や祖母が、お日様の下に梅干しを広げていた光景が、頭に浮かぶ。想像すると、なんとなく懐かしく、楽しくなるのである。
2004年07月15日
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昨日から雨続きの山形。先週末の猛暑から比べ、だいぶんに涼しい。買い物に出かけても良いけれど、なんとなく家で過ごしたい天候。久しぶりにピアノ音楽でも聴こうと思い立ち、最近実家から持ち帰ってきた、グールド演奏の「イギリス組曲」を手に取ってみた。 このCDはヴァイオリンの恩師K先生から数年前にいただいたものだ。先生は音楽教育から引退すると決心なされたとき、少しずつ膨大なCDやLPのコレクションを処分していたそうだ。手紙などで「好きなモノをあげるから取りにくるように」と言われていたにもかかわらず、多忙を理由にしばらくご挨拶に伺わなかった。今思うと、非常に失礼な弟子だ。他の理由があり先生宅を訪れたとき、先生は苦笑しながら「もうこれしかないんだど…」と言って、十数枚のCDを見せてくれた。全部というわけにはいかないから、どれか数枚好きなCDを持っていっていいとおっしゃる。 大きな楽譜の束も持ち帰らねばならなかったため、あれもこれもということも出来ない。結局選んだのは、このグールドのバッハと、クナッパーツブッシュ指揮のブルックナー交響曲第8番、それとメシアンのオペラか何かだった。 そのときのことを思い出しながら、聴くバッハ。バッハを聴くというより、グールドを聴く、というほうがしっくりくる。トリルはトリルらしく、装飾音符はそれらしく、明確で鋭いタッチは、グールドならではであることを、新たに認識させてくれる。音に濁りがないもの、音楽の構成が浮き出してくるように見えるのも、もしかしてあの先生の好みだったのだろうか。子どもの頃、グールドは好きだったが、20代では余りすきになれなかった。でも、30代半ばになろうとしている今、この明快で、ある種怜悧な演奏は、余分なものがないという点で、耳に心地よいものであることに、少し驚きをを覚えた。バロックや古典音楽がお好きな先生が好まれた、グールドのバッハ。何か意味があるような気がしている。
2004年07月13日
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先週日曜の夕方、山形に戻ってきました。 母の手術自体は、少々長引いたものの、無事終わりました。でも、病室に戻ってすぐ、血圧が異常に低下し(上が60程度になってしまった)一時騒然とした雰囲気になり、私も父も妹も、かなり青くなりました。その後数時間たって容態も落ち着きましたが、発熱と依然として低い血圧、そして痛みとで三日ばかり寝たきり。その間、身体に点滴やら麻酔やら自己血の返血やら管を沢山差し込んだまま。金曜の手術にはじまり、土曜日は口をきくのもしんどい様子、ようやく日曜の午後になって笑顔が見えてきました。日曜は私たちが山形に帰る日。少しでも落ち着いた様子を確認できて、私も心おきなく(?)帰ってくることが出来ました。 先生の話を聞くと、母の身体に使った人工関節は最新型なので、寿命はおそらく20年いくのでは、という話でした。これはまだ20年保った例がないのではっきりとしたことは言えないそうですが、この話から、人工関節が進歩していることがうかがえ、少々安心しました。 その後、父や妹から母の容態を聞く限りでは、火曜には自分で身体の向きを変えることに成功したとか。それまでは看護師さんにやってもらわないと出来なかったのに……それだけでも、非常に嬉しいものです。 早く元気な母に会いたいものです。退院の頃には、また帰省するつもり。
2004年07月09日
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