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一昨日、我が家にソフトバンクBBの社長様孫さんからメールが来た。「容疑者が保有していた情報につきましては、ソフトバンクBB株式会社が照合作業を行った結果、誠に遺憾ながら○○様の情報に関しても流出していることが判明いたしました。当方の不手際により、このような結果となり、お客様に大変ご迷惑をおかけしておりますことを深くお詫び申し上げます。(中略) 以下のお客様情報が流出しておりました。 (1)お名前(以下省略)」 と書いてあった。結構な情報が流れていることがわかった。 勿論、YahooBBの顧客者リストが流出していたのは知ってはいたが、事実としてこのようにつきつけられると、流石に嫌な気持ちになる。文面は続く。「 ■流出経路 現在、警察当局の協力を仰ぎながら流出ルートの解明にあたっております。あらゆる可能性を想定して、徹底した社内調査を進めておりますが、まことに遺憾ながら、現在のところ、流出経路を特定するに至っておりません。警察当局のご協力・ご指導を得ながら継続して究明中です。」 なんなんだ、これは。さっさと調べなさい!「 些少ではございますが、お詫びといたしまして、Yahoo! BB会員の皆様には、登録住所宛てに500円相当の金券等を郵送させていただきます。なお、お客様のお手元到着まで1ヵ月程度のお時間をいただく場合もございますので、予めご了承願います。」 うちの情報は、たった500円ってことかい???? 孫社長の給与が半年間半額に削減されたって、私たちには、何の利益もない。たった500円なんだから。それも1ヶ月程度待たされてようやく金券、しかもどこの、どういうところで使える金券かもわからない。どうせ、ソフトバンク社で出している本にしか使えないとかさ、そんなもんなんじゃないの。 半年間、YahooBBの基本料を半額にするくらいしてもらったて、過分だとは思わないのだが。もともとYahooBBは勧誘がしつこい(それは代理店のせいもあるのだけど)のでトラブルになったりしていたと半年ほど前にも話題になったが、まだしつこく勧誘活動をしてるらしい。こんな事態になったのに、全くその神経がわからない。 ビジネスって、こんなもんなんだろうか?
2004年02月29日
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明日は、元麻原教祖の判決の日。7年という時間がかかった裁判に、一応終止符が打たれる。TVで出演者が「7年という時間はかかりすぎ。その費用は国民の血税で担われているのに」と発言したところ、同席していた弁護士が、こういった。「逆にこう考えてみてほしい。この裁判で多くの罪が裁かれたが、その数十数件(もしかしたら数十件だったかも)。7年かかったが、一件の事件につき数ヶ月、犠牲者一人につき半年程度の時間しかかかっていないのだ」。確かに。一口に7年は長いというが、喪われた一人の人間への暴虐の真実がたった数ヶ月で明らかになる…これを長いととるか、短いととるか。どちらにしても、遺族の悲しみは、はかりしれないものだろう。 私の叔父は当時東京勤務だった。地下鉄サリン事件が勃発したまさにその日、日比谷線の、まさにサリンがまかれた電車の一本前に乗っていた。ニアミスという言葉は、あまりにも軽いかもしれない。 世界に新興宗教と言われるものは沢山ある。外国の宗教では集団焼身自殺したものもある。「カルト教団」という言葉もよく耳にする。でも、それは、遠い外国の話だと思っていた。日本には、カルト教団、集団はないと思っていた。でも、わたしの認識は間違っていた。日本にもあったのだ。外国の新聞では、オウムはカルト教団と書かれていたのだから。 明日判決が出ても、おそらく控訴・上告と続くのだろう。一言も意味のある言葉を聞けないまま、あと十年もこのまま行くのだろうか。
2004年02月26日
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先日、桜を部屋で咲かせたと日記に書いたけれど、その後日談を。 花が散りはじめ、もう終わりだな、捨てようかな、と思った翌日だろうか。ふと目をとめたら、緑の若葉がいくつも出てきていた。桜は、花が散ったら葉をつけるのだった。そんな単純なことを、わたしは忘れていた。自然の摂理であるというのに。 それから数日した今、ますます若葉は増えてきている。新鮮な青い葉をもっと実らせるまで、この桜には、しばらく家にいてもらうことにしよう。
2004年02月25日
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スーパーに買い物に立ち寄った際、花売場で桜をみつけた。いつも除くがパットしない花ばかりだったので購入したことはなかったが、この桜は、ついつい買ってしまった。 花類は枝ものが好きだ。桜、梅、桃…。幹に確固たる厳しさと美しさを感じるからだろうか。特に梅は、通りすがりの家の庭に香り豊かに、秘やかに咲いているのを見ると、思わず立ち止まる。梅の花には、その姿が見えなくても、存在を誇示する強さがある。それが好ましいと思う。ふと梅の香りを感じて、よく周りを見回すと数メートル先に、ある。そのときのうれしさ、たのしさ、なかなかないものである。 桜も桃も、それぞれに味わいがある。家につれて帰ってきた桜は、既に一週間弱。その日はまだつぼみばかりだったが、家の中が温かいせいだろうか、一晩で3割程度が咲いた。それだけで気持ちが明るくなるのだから、不思議なものだ。この桜も、もうそろそろ終わり。これが散ったら、桃を咲かせてみようと思っている。
2004年02月19日
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先週の週末は二人ともなんの予定もない珍しい週末だったので、どこかに遊びに行こうということになった。当初は秩父の秘湯、「かやの家」にまた行くつもりだったが、夫の休みが確定した金曜の午後に電話をしたら、既に満室近い。もともと部屋数も少ない静寂が何よりの宝の宿だから、満室に近ければ、その静けさも堪能できないだろうと判断し、こちらはとりやめに。 代わりにどこに行こうかとしばらく調べた挙げ句、初夏にベネルクスに出かけた際に前泊した成田のラディソン・ホテルの格安プランを発見。二人で二食付き一万円という、超オトク。成田山にお参りにも行けるし家から近いし好都合なのだ。夕食も朝食もバイキングだから大食漢の夫の食欲を満足させることもできる。それに一人五千円、全くオトクだ。 それはともかく、成田山。千葉県民でありながら成田山新勝寺に行ったことがないのはなんとなくバチ当たりのような気がしていた。ここは不動明王がご本尊。本殿は馬鹿でかい新しい建物で、ちょっとびっくり。ご不動様とミスマッチなような気もするが、毎年の初詣でかなりの額のお賽銭を稼ぐのだろうから、このくらい大きな本殿に大きな賽銭箱は必要なのだろうと、一人納得。 好感を抱いたのは御朱印。御朱印帳を差し出してお願いしたところ、僧侶の方がその場で全部作ってくれた。当たり前といえば当たり前だが、前もって紙に作ったものしか渡してくれないお寺があるなか、ちょっと嬉しかった。今年の初詣のとき、夫の実家がある宝塚市の神社で御朱印を求めた際、受付をしてくれたアルバイトと明らかにわかる巫女さんが全く不慣れで、ばたばたしてなかなか渡してくれなかった上に、日付さえも入れてくれなかったという、苦い思い出がある。その後のことだから、より嬉しく感じたのだろう。 その後、敷地内にある出世神社にも夫を引っ張っていった。新聞社が出している某週刊雑誌に掲載されたインタビューで、日本全国に「出世には興味がない」と宣言したほどのヤツ(ああ、ごめん)だから、ちょっとはカツを入れようと思ったわけだ。彼の仕事は出世すれば出世するほど責任が重くなり、激務になる仕事だし、出世すれば出世するほど世間からの風当たりも強くなることもある。ゆえに私も出世を願っているわけではない。けれど、人のために日頃身を粉にして働いている彼の努力を間近で見ているだけに、せめてその努力が正当に評価されて欲しいとは思っているのだが…。 さて駐車場まで戻る途中、美味しそうな酒屋があった。試飲もさせてくれたので、私は濁り酒系をおちょこに3種類なみなみ試させてもらったところ、割合に筋が良さそうだったので、店内で純米酒を求めた。これは有機栽培した米で作ったお酒。私は吟醸酒より純米酒のほうが好きだし、これはこくがある酒だという。家に帰ってきて早速夕食のときにいただいたが、果たして日本酒にしてはまったりとこくがある。飲み応えもある。美味しい。 寺でお参りをして、その後バイキングで満腹になり、お酒をいただく。なんだかちぐはぐな感じもしなくないが、久しぶりののんびりとした休日だった。
2004年02月18日
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先週の日曜日は上野の森交響楽団の演奏会に出演させてもらった。プログラムはモーツァルト、ボロディン、ショスタコーヴィチというもの。私の故郷の友人3人とまとめて出演したのだけど、私たちはモーツァルトが降り番だったので、ボロディン以降の演奏となった。 ショスタコーヴィチは交響曲の9番。9番のシンフォニーというとベートーヴェンから考えると、その作曲家の最後の交響曲であったり、雰囲気も作りも大がかりだったりすることが多いけれど、ショスタコはそれをおちょくってのことなのか、この交響曲は実に諧謔的だ。演奏していても、「なんじゃこりゃ、おちょくってるのかい!」と思う箇所は沢山ある。まあ、何をおちょくっているのかはわからないけれど。弾くのには難しい部分もあり、ますますおちょくられている気分になる、なんとも不思議な名曲だ。 この曲、10年くらいまえにムシカで採り上げたのだが、記憶の中には断片しか残っていない。たいてい、自分のオーケストラで採り上げた曲は余り苦労せずに再度演奏できるはずなのに、これだけはどうにもいけない。「???」の連続だ。そういえば、昨年の夏にアムステルダムのコンセルトヘボウでこの作品を聴いたときは、初めの数分は起きていたものの、それ以降時差ボケで眠くて眠くて最後の最後まで寝ていたのだった。やはり、相性が悪いのかもしれない。 それはともかく、この演奏会、現在ムシカで一緒にやっている友第と出演したと冒頭に書いたが、彼女達は、子どもの頃からの仲間。お互い高校生と中学生という関係だったが、年を経るごとに年齢の差は縮まっているようだ。私はもともと上下関係には無関心な性質。自分では年上には相当気を遣うが(やはり年長者は敬わなければならない、長く生きているという経験の差は大きいのだ)、自分より年下の友人に対してはそのあたり、殆ど気にしない。 今回の演奏会も仲間達と楽しく一生懸命演奏してこられた。とても良い機会だったと思っている。
2004年02月10日
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自分の落とし前は自分でつける。これが、私が生きていく上での信条だ。ささいなことから人生を左右する大きなことまで、日々選択の連続であり、選択をし続けていくことが、生きることとも言える。そうした中で、自分の選択に責任を持つのは、人が誇りを持って自分の人生を創り上げていくのに、必要不可欠なことと、思っている。 もっとも、私がこう考え、それを自分で実践するようになったのは、昔のことではない。20才代後半になり、ようやく気が付いた。実は私はスロースターターだったと気が付いたのも、このころだ。楽しいことばかりでなく、苦しいことも悲しいことも、生きていくのが嫌になることもあった。そのただ中で、他人のせいにすることが、どれほど非生産的であるか、学んだ。冒頭にも書いたが、日々選択の連続で、それを選んだのは他人でなく、他ならぬ、この自分なのだ。自分で選択したことの結果が、自分の予想とは違ったとしても、それは自分で選んだことだ。潔くしてこそ、明日がある。 最近、「負け犬」や「勝ち組」といった言葉で女性をくくっているのを、よく耳にする。確かにその内容はわからなくもないが、私には余り理解も納得もできない。仮に、女30代後半で独身子どもなしが「負け犬」であったとしても、それは自分で選んだ結果なのではないだろうか。私は、独身でも日々生き生きと仕事をして頑張っている女性は素晴らしいと思う。仕事をしていくなかで辛いことも沢山あるのは仕方ないが、自分で能動的に日々生きている人は、例外なく、たくましく、美しい。 話は逸れたが、自分が何のためにどういう選択をするのか、それを真剣に考えず、ひたすら周りからの力や影響によって日々の行動を決めて、自分で選択しない人は、男性であろうと女性であろうと、尊敬できない。自分で選択したことなのに、他人に責任転嫁をしてしまう人も、同じだ。往生際が悪いと、私は思う。 私自身、まだまだ修行中の身。毎日流されることも多い。でも、自分の落とし前は自分でつけたいという気持ちは変わらない。
2004年02月04日
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前回日記を更新してから、既に2週間と少し。時間が経つのは早いものである。この間、エキストラの演奏会など、忙しく過ごしていた。 さて、明日は学生時代の友人のお見舞いに、これまた学生時代の友人と二人ででかける。急な入院・手術だったけれど、なんとか元気そうであるという情報も得た。30歳を過ぎると、若い頃のような無茶がきかなくなっている自分を発見して愕然とすることが多い。疲れもたまっていることも多い。日々食事を大切にして、過ごしたいもである。
2004年02月02日
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