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外国語として英語を修得する以上母語である日本語が混在し干渉することは、避けては通れないし避ける必要もないと私は考えている。昨年ハワイに行った際に父親が日本人で母親がアメリカ人のハワイ大学で講師をしている英語と日本語のバイリンガルなアメリカ人と彼の日本人の奥さんそして日本語しか理解しない日本人夫婦の5人で食事をしたが、日本語のみで話す奥さんに対してダンナさんは奥さんに対して英語で答えることもあれば日本語で話しをしたりしていた。そして、日本語しか理解しない二人に対して英語で話しだし、きょとんとした顔をする二人を見て突然、今どっちの言葉で話しをしてたっけ?と言ったのだ(笑)母語の干渉が少ない幼児から英語を始めた生徒の多くが英語力なりに英語モードと日本語モードを都合よく使い分けている。それにある程度英語を使える人は英語を使っている時に日本語を考えながら話してはいないはずだ。実教室では暗唱させた英文の意味を、日本語で説明したりしない。生徒たちは、その状況の絵と聞き取った英語で内容をイメージして、イメージごと修得している。語を理解し、その語が使われている定型文を積み重ねて英語を修得していくのとは全く違う形である。しかし年齢が上がり3年生くらいになると聞き取った英文を、自分勝手に英語とカタカナを混在させてノートに書き(ディクテーション?)辞書で調べる子が出てくる。尋ねると、何と言っているのかきちんと知りたかったという。イメージの確認をしたい、もっと鮮明なイメージが欲しいということらしい。先日、mixiに訳本を読ませてもいいのか?という内容の質問メールを何人かの方からいただいた。私自身、好きな英語圏の作家の作品も原書で読んだものあり、邦訳で読んだものもありもちろん邦訳を読んで?と思う場合や作者の真意が読み取れない時には原書で読み直すこともあるがあまり拘りがない。原書で読むことに拘ると、理解できる言語以外で書かれた物語は読むことができなくなってしまうし原書で読ませたい本は、邦訳本を読ませないなどと読書の幅を狭めることになってしまう。作者の気持ちがダイレクトに伝わってくる原書を読む楽しさ、良さは確かにあるしかし、同時に訳本を読むおもしろさも存在する。と私は考える。原書の英文の意味を調べるのがめんどくさいから、イメージさせるのが難しいから読ませようとする絵本の邦訳本を同時に読むのは感心しないし目にした耳にした英語からイメージを広げるという過程を経験できなくなるという修得上のマイナスはある。しかしそれを他で補えるのであれば、好きな邦訳絵本の原書を読んでみる、好きな日本の童話の英訳本を読むことは何よりもその話しを深く味わうことができるという読書の喜びがある。英語、日本語のしばりがなく物語を楽しめるのも二つの言語を習得しているからこそ得られる楽しみではないかと思う。
2009年02月23日
夢玉-studyに英語力を上げたい初中級レベルのお母さんにピッタリな本を掲載しました。コロケーションでお母さんの語彙力と表現力を同時にアップ金曜日の1年生クラスのKちゃんは、昨年の4月に私の教室に入会する前まで英語と日本語が交互に使われている教材を使って自宅でお母さんと学習していたので入会当初から、さすがに外国人講師にはしないが私には、語りかけられる英語をいちいち日本語で今○○って言ったんでしょ?というように確認していた。もちろん、その問いに対して答えることはせずにレッスン中に日本語を口にすることは他の生徒の邪魔をしていることになると注意していたが、ここにきてそれが修得の大きな妨げになって現れてきた。日本語で耳にした英語の内容を確認したがるのはこの教材を使用していた生徒に限らず日本人講師が日本語で英語の内容を説明すると言った英語と日本語を同時にインプットするようなレッスンを他教室で受けてきた生徒達も同様だ。そして英語と日本語を同時にインプットできるようなレベル、つまり単語とセンテンス主体のレッスンということになる。ところが私の教室は、ポテンシャルを上げる為に母語と同じく文脈からの修得を目指しているので複数のセンテンスを語りかけたり、パッセージを聴かせ、暗唱させていく。こうなるといちいち聞こえてきた英語を日本語にしていくのは無理である。レッスンが進み問いかけの英文が長くなるにつれてKちゃんは「わからない、わからない」と言い出すようになった。一つでもわからない言葉が聞こえてくるとそこで思考が止まってしまい、先を聞こえてこない。カードを使ったゲームでも、ただカードを見てそのカードの英語を言うことはできても絵を見せずに、三つのヒントが含まれた英文を私がかたりかけて、カードを当てるというゲームになるとまったく答えることができないのだ。そしてこの状態に拍車をかけているのが「間違いたくない」というKちゃんの意識だ。他の生徒達が、間違いながらもどんどん英語を口にして修得レベルを上げていくのに対してKちゃんは、絶対に正しいとわからないと口にしないのでレスポンスも遅くなってきている。当然、暗唱の宿題も困難な状態だ。こんな困った状況になってしまうのなら先走って、家でやらせなかければよかったとお母さんは後悔しておっしゃるが、英語習得がどうのこうのという前にこうなってしまった以上、とにかくできないことは、間違いながら、失敗しながらやり続けることでしか、できるようにならないということを暗唱の過程で体得させ間違えてもいい、と自信をつけるしかない。しばらくの間は、側にいて暗唱のサポートをお願いした。トレーニング系の習い事をしている子どもはできる過程を身体を通して学習しているがそうでない子は、Kちゃんのように「できない」「わからない」がダメなことという認識になってしまっているケースが多く、「間違いたくない」から言わないという子どもは理解力に乏しい、できない子だけではなく、理解力があって、ちょっとやればできてしまうようなタイプにも多くみられる。それとは別に英語と日本語を同時にインプットしていなくてもちゃんとわからないと嫌、きちんとわかりたいという気持ちを持つ生徒が年齢が上がるとともに増えてくる。ワークなどを始めて○や×の世界を経験すると英語も正しいかどうかが気になるようだ。そんな時には、すでに生徒達が日本語で読んだことのある物語や知っている物語を自信をつけさせる為のステップとして使う。すでに頭の中にできあがっているイメージに聞こえてくる英語で作るイメージを重ね合わせて確認でき、自分の英語力に自信を持たせることができるからだ。以下、次回に続く
2009年02月22日
夢玉プルミエのメンバーの一人が自身のブログに子どもを通わせているスクールが教室のPRに英検合格を使用したいが為に幼児クラスの生徒に英検を受けさせることについて書いていた。私の教室の生徒が通っているプリスクールも英検合格をスクールのPRに使う目的で年長の生徒達に英検4級を受験させ合格させる為に受験前に3日間の集中研修をやるほどの熱の入れようだ。プリスクールに通わせるほど英語優先の親御さんなら早期の英検取得は価値があると考えるかもしれないがそうでなければ英検受験を目指した指導をされるのはかえって迷惑だと考える親御さんがいても不思議ではない。2月、3月は英語教室も一斉に生徒を獲得するために動き出し英検合格者の顔写真をど~んと使っている新規生徒の募集広告やHPをよく目にする。中には「5年生で、4級に合格しました!」と講師と笑顔で写真に収まっている子どもの姿もありもっと上の級を持つ同級生が回りにいればこの子に学校で嫌な思いや恥ずかしい思いをさせるかもしれないのに…と眉を顰めてしまう。私の教室では、現在A以上のカリキュラムで学習する生徒達の80%以上が5年生で英検3級以上を取得するが、その事を教室の宣伝に使ったことはない。なぜなら英検取得が私の教室のセールスポイントだと考えていないからだ。それでは何故、小学生に英検を受験させるのか?そもそも英検5級は、中1終了レベル英検4級は、中2終了レベル、公立中学で英語を3時間しか学んでいなくても中1や中2で合格できるレベルのテストだ。教室や家庭である程度英語をやっていれば準2級くらいまでは、特に努力しなくても過去問を購入して数回やれば、なんとなく合格できてしまうレベルである。しかし、そのような勉強をして合格しても将来に活かせる力がつくわけではない。ただ合格したという価値でしかない。かえって級が上がっても、そのうち受かるやと何の努力をしないまま受け続けるようになってしまう。そのような下位カリキュラムで学ぶ中高生を見てきて、ここ数年は、それぞれの級に受験するための修得のハードルを設けて努力させ達成感を持たせるようにしている。私は小学生に対しては、英検を生徒達の英語力というよりは自分力を上げる機会として実施している。自己評価ができない年齢である幼児での英検取得に意義も魅力も感じないのはそこにある。私の教室の3級受験の目的の一つは語彙を増やすことの必要性と大切さを学ばせることだ。実は今回Aカリキュラムで学習する4、5年生の英検3級受験に際して半年以上前に語彙を増やす為に出した自習課題であるデーターベース1700にまじめに取り組んでいなかった生徒達には直前に行われた英検対策の研修への参加をさせずに、点数が、合格点プラス10点以上でなければ合格しても6月の英検でもう一度3級を受験することという条件を出した。案の定、1700を真面目にやらず語彙を増やす努力をしなかった生徒たちもなんとな~く合格ラインを越えてしまった。しかし、同じ合格でもしっかりと語彙を増やす努力をした生徒達とは点数が違う。「絶対1700をがんばって、もっとイイ点数で合格する!」と生徒達が自分たちから言い出すのを聞いて、しめしめと思わずほくそ笑んだ。お金を払って受験するのである。英検に踊らされることなくしっかりとした価値観に基づいて賢く利用していただきたいと思う。
2009年02月16日
中学受験準備の為に1~3ヶ月間休んでいた生徒達が教室に戻ってきた。Rちゃんも都立の中高一貫校の受験を終えて先週から一ヶ月ぶりにレッスンにやってきた。「ものすごくたくさんの受験生がいたし 時間が足りなくて最後まできちんとできなかった 問題もあるし…絶対ダメです」と先週のレッスン時に、あきらめ顔で言っていた。ところが結果は見事に合格。ほっと胸を撫で下ろす。地元の公立中学に通いたくない為に都立の中高一貫校を受験する生徒が増えてきている。この中高一貫校に通う私の生徒はRちゃんで3人目だ。昨年この学校に入ったHちゃんも塾に通わずに合格した。塾の説明会で、受験前に塾に通っていないと中学で困るという話しを聞いて相談にこられる親御さんがいらっしゃるが一部のトップ校に限っての話しではないかと思う。私の生徒達を見ていると受験前に塾に通っていてもついていけない子はついていけないし、通っていなくても、偏差値60を越える私立の中高一貫校で上位をキープしている生徒もいる。そして大手進学塾で講師をしている友人や中学受験専門塾で指導した経験を持つ親御さんからはむしろ進学塾での受験勉強の弊害を聞くことが多い。私が怖いと感じているのは、むしろ塾漬けにされることで、生徒が塾依存になってしまうことだ。「塾に行ってさえいれば大丈夫」と何を学びに塾に行くのかさえ考えずただ授業に参加し、やれと言われることをやるというひたすら受け身の学習を続ける。そしで塾で、理由ではなくこれは、こうなんだから、こう解けとひたすら覚え込まされる指導を受けた生徒達は、どうしてそうなるのか?を学ぼうとはせず、解き方だけを覚えようとする。これでは思考力は育たない。もちろん塾に通うプラスもあるしかし、一口に進学塾と言ってもいろいろな塾がある。実績だけで塾を選ぶのは危険だと思う。中学に入ったら勉強は終わりというわけではない。その塾の出身者がどのような中学生活を送っているのか知ることができるのなら、調べて欲しいと思う。そして塾に通わずに受験するという選択肢も入れて塾を検討していただきたいと思う。
2009年02月13日
英語教室を選ぶ時に1クラスの生徒数を気にされ入会の問い合わせの時に尋ねられる方は多い。レッスンのコストパフォーマンスだけではないクラス定員から、その教室や講師の指導法や目指しているものが見えてくる。実教室のグループレッスンのクラス定員は6名最大でも7名と決めている。それは私の教室は、コミュニケーション力をつけながら道具である英語の修得を目指し、一つの話題で自然にお互いに意見を出して纏まることのできる最大数が6名であると考えるからだ。井戸端会議を想像していただくと理解していただきやすいかもしれない。8名以上が集まって話しをするといつの間にいくつかのグループに分かれて話をしていないだろうか?レッスンも同じである。特に10名を越えると個人個人を見るといっても講師対生徒全員、という学校の授業のように講師がレッスンをリードしていく形式になる。そして生徒全体のアテンションを惹くことがレッスンを円滑に進める為には大事になってくる。その点6名であれば、講師の能力にかかわらず生徒一人一人との意思疎通が可能なので誇張などせずに、自然なやりとりでの指導が可能だ。大手での修行時代10名以上の生徒がいたクラスはあたり前だったし多いクラスは15名だったので当時はとにかく「生徒たち全員を楽しく飽きさせないレッスン」を常に考えていなければならず、今のように生徒との個々のコミュニケーションを楽しみながらレッスンを進めていくという視点に立って考えることができなかった。クラス定員は少ない方がいい、お得とお考えになる人は多いだろう。しかし、少人数すぎてもできるアクティビティが限られ同じアクティビティでも生徒たちの発想によって展開し広がっていく4~6名の生徒で構成されるクラスのレッスンと比べると今ひとつ彩りに欠けると感じてしまう。英語でも日本語でも堂々と自分の意見を言えるようになって欲しいと考えるのであれば、クラス定員が少なすぎても有効なレッスンとは言えない。他人がいるから学べることは多い。そんな視点で英語教室を見ると理想のクラス定員も見えてくるのではないかと思う。
2009年02月10日
私が経験したことや、私の考え方を伝えることで?が!になる、そんな玉手箱のようなブログにしたいと、このブログをスタートさせて今日で1年…このブログは、はたして玉手箱として機能しているのか?と考えずにはいられない。それまでブログを読むことすら殆どせず、ブログの世界を何も知らずに書き始めたので衝撃、衝突も多かった。その衝突に耐えきれずブログを閉じてしまう方も多いと聞くしこのブログを読んでいただいていた方の中にも突然ブログを閉じてしまわれた方が何人かいらっしゃる。私も止めることを考えなかったわけではないが今日まで続けてこられたのは、このブログを読んでいただいている方の励ましのコメントやメッセージがあったからだ。相手が見えない状況で、何かを発信し続けるのはとてもエネルギーがいる。情報収集、アフィリエイトによる利益、本業への売上げ貢献などの確固たる目的を持たない私にとってこのブログを書くエネルギー源は、読み手である皆さんからいただく気持ちのこもった言葉に他ならない。そしてもう一つ大きな要因がある。それは、1年前には考えもしなかった地方での勉強会やサークル、通信そしてmixiでの会員制のブログで実際に顔が見える、想像できる方ができ、より詳細に伝えたいことが書け、交流が持てるようになったことだ。早いような、長かったような不思議な1年だった。英語を教えるということを生業としている為にどうしてもこのブログではお伝えしきれないことも多く心苦しいまた、このような状態で続けていていいのか?と、いつも心のどこかで引っかかっているしかし、その一方で数々の出会いのチャンスをもたらしてくれてたこのブログを閉じることも寂しいのである。どうやら、この一年ですっかりこのブログは私の中で確固たる地位を築いたようだ。*****************最後になりましたが、いつもこのブログをお読みいただいてる皆さんそして、このブログを通して楽天から商品を購入してくださった皆さん、このつたないブログをお読みいただき、どうもありがとうございます。これからもどうぞ宜しくお願いいたします。
2009年02月06日
先月からmixiでスタートさせた会員制のプルミエそこでメンバーからあがったテーマの一つが子どもにテレビを見せることについてだったのだが、いろいろな意見がコメントで書き込まれるなかで問題視されていたのが「お笑い番組」だった。昨日、参加メンバーの一人が保育園で聞いた「優しい時間」と「責め言葉」という話をmixiにコメントであげてくれたのだが、とても参考になる話しだった。『静かな時間』『優しい時間』の中で子ども達は「生きる力」(パワー)を充電させ反対にその(パワー)を奪ってしまうのが「責め言葉」であり、「責め言葉」とは否定的な言葉や相手を攻撃する言葉を指し、テレビの世界(特にお笑いの世界)ではこの「責め言葉」が毎日のように聞こえてくる。クイズ番組等で、おバカな人ほど人気がでる・・司会の人が出演者の人をイジる(イジめる・・)イジられた芸能人は それだけ登場回数が増えるから喜んでいる(笑っている)それは、仕事だからである。心から喜んでいるわけではない。テレビの中の人もテレビを見ている人もその「責め言葉」が普通の日常会話になっていくテレビの世界では、両手たたいて喜んで(イジって、イジめて)笑っている場面でも現実の世界で、子どもがやられると その「責め言葉」(イジめ)に絶えられない子どもが出てくる。それが、現実である。生身の人間の当然の反応だ。大人は脳ができあがっているからそれを現実とは違うテレビの中の世界と区別し使い分けができるが、10歳未満は、脳が発達途中なので区別なくそのまま使ってしまうそうだ。また、10歳未満の子どは、お母さんが絵本を読んであげるからおいで と呼んだら大抵の子は来る。それでもTVのほうが良いという子は、相当病んでいると思って下さいと話したという。癒されるお笑いもあるが、どうも最近テレビでたれ流されるお笑いは想像力を必要としない直線的な気分よく笑えないものが多くつまらない、さらには不快感を覚えるのは私だけだろうか?テレビは子どもの想像力を殺すと警鐘を鳴らす専門家もいるくらいだから責め言葉を聞き過ぎて、情緒が麻痺してしまった人には想像力を必要とするお笑いは、つまらないものなのだろう。つまらなければ、見ない、見なければ、視聴率が悪い視聴率がすべてのテレビ局は、そのようなお笑いは流さない。結果、今流行のイジることで笑いを取るお笑いがテレビから垂れ流される状況になる。コメントは、こう書かれて結ばれていた。『責め言葉マヒ』『責め言葉中毒』にならないようにしたいと思う。子どもを育てているおとなは「責め言葉」のテレビから隔離する勇気を持ってほしい・・と願いますせめて眠る前の30分だけでも・・ テレビを消して静かな、優しい時間の中・・心の充電タイムを!*Special thanks to Ako-san*原文はプルミエの日記「学活チャット」で。
2009年02月04日
昨日からの3日間は、都内の私立中学を本命校として受験する生徒たちの正念場大学受験生たちも試験に臨む。ここまで来たら十分な睡眠を取り集中し醒めた頭で問題に取り組み本来の力を出せることを願うだけだ。私の教室のトップカリキュラムで学ぶ生徒の大学受験に対しての修得は高2終了時で苦手分野の克服を含め高校での学習範囲は終了しセンターレベルのテストで80%以上模擬試験では偏差値65~70程度。(このあたりは語彙力と国語力によってばらつきがある)そして残り1年を志望校対策にあてている。来年、東京外語大を受験したいという高2がいるので先日、大型書店に出向いた際に問題傾向と対策が書かれた問題集を購入した。その名もずばり東京外大の英語しかし自宅に向かう電車の中で目を通そうと表紙を開いて唖然とする。目に飛び込んできたのは、世界史の問題間違えて買ってしまったのかと思い慌てて表紙を見るも、東京外大の英語、とちゃんと書いてある??????1/3ほど読み進めてようやく英語についての記述が始まりそして今度は!!!!!!となった。40行程の日本語の文を200語程度の英文にまとめる要約形式の英作文リスニング問題でも、設問も日本語なら解答も日本語でという問題もある。英語の長文問題に日本語で何文字で答えよ、という程度のものは他の大学でも見られるが、これだけ日本語で答える設問が多くコミュニケーション力の質が問われることに驚いた。「言葉をとおして」世界の平和的共生に貢献できる人材を育成することを目指している東京外語大が受験生に求めている力が問題から見えてくる。4歳までに子どもが習得する母語の語彙数は5000に達し言語体系の中の基本的な文型をも獲得、7歳までに徐々にその使い方を広げていくという言語習得の専門家の指摘もあり、将来必要とされる力を考えれば親子の対話でコミュニケーション能力を育てながら確固たる母語の基盤を築くことが幼児期に優先すべきことの一つであることは間違いないだろう。
2009年02月02日
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