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今朝、報道系の番組で子どもの貧困というテーマのコーナーがありその中で、中学3年生時の成績と親の年収とで子どもの大学進学率を表しているグラフが紹介された。中学3年時の成績がよい子の大学進学率は親の年収に影響にほとんど影響されていないが、中ぐらいの成績だと親の年収で進学率が大きく変わっていた。中途半端な成績ほどお金がかかる、と私の友人が笑って言ったことがある。ダメならダメで勉強以外の道を摸索するが、中くらいの成績だと親も成績が上がることを期待して塾に通わせる、その繰り返しが大学合格まで続くと言うのだ。確かに紹介されたグラフ通りの状況が生まれている。親の収入で教育格差が生まれる風潮は昔もあっただろう。しかし離婚率の上昇と経済の悪化で子どもの貧困が表面化してきた。日本の子どもの貧困率は14.3%7人に一人が貧困状態だと言う。母子家庭では六割の子どもが貧困という数字そして母子家庭の平均年収は171万円母子家庭には公的手当があるが、父子家庭には支給されないと知ってとても驚いた。教育費の公的支出が最低レベルで、家計負担が多い日本では、所得の低い親を持つ子どもは進学率が低くなり、また貧困に陥るという貧困の世代間連鎖が指摘されていると言う。この貧困の世代間連鎖を断ち切る為にも子育てに関する手当や法整備も必要なことだが私はこういう時代だからこそ公立校の教育を充実させるべきではないかと思う。行政が動くには時間がかかるしかし子どもの時間はどんどん過ぎていく。塾に行かなくても高校の授業についていける授業を公立中学で行う。そしてその為の基礎づくりを小学校が行う。その為には、家庭でなければできない躾はきちんと親がやり今の教えること以外に先生が頭を悩ませている状態から先生を解き放し先生が授業に専念できる環境を作る、親の手で、学校を本来の学びの場に戻すことが最も有効な解決策なのではないかと感じた。
2009年05月31日
昨日の続きです…焦らなくていい理由がもう一つ今3歳の我が子が英語を必要とするのはいつだろうか?どんな形で必要とするのだろうか?を想像して欲しい。英語圏から帰国した帰国子女でも年齢にもよるが英語に全く触れなくなってしまえば2、3年後にはまるですべてを忘れたかのように英語が出てこなくなくなる。身につけた英語を忘れないように帰国子女コースのある学校や塾に通ったりと英語環境を確保しているのである。短期集中型の学習で一時的に成果が出てもその成果はとても脆く危うい。日本語が話せれば、英語も話せる。ただ、日本にいる以上英語習得には日本語以上に意識的な努力が必要となる。早く始めようが遅く始めようが努力が必要なことには変わりはない。しかし、5、6歳までに始めることでその年齢の誰もが持っている高い言語修得能力を利用してその努力を軽減することができる。そして先入観を持たずに英語が常に身近にある環境が当たり前として受け容れることができ成長とともに自分から習得の努力ができるようになる可能性が非常に高い。これが早期に英語を始めるメリットだと私は考えている。英語を始めてみよう、と決めたのならゴールまでの道のりをどのように進んでいくかを考えそれから、どのように始めるかを考えて欲しい。私は、早期英語は頭の中に英語畑(英語脳)を作る英語の道筋をつけることだと考えている。スイミングが実際に水の中に入ることを体験させることからスタートするように英語もまずは日本語を理解しない人と英語でふれ合うことを体験させ、そのような体験を積み重ねることで吸収させていくことが大切だと考えている。従って早期英語は外国人講師、それもネイティブ講師のレッスンを受けることが望ましいと思うがフルタイムで働いていることで教室に通うという選択肢がないのであれば、ひとまず教材を使って親子で自宅で始める親子英語の形式になるだろう。そこで、どの教材を使うのか、ということになるが100万円近い教材を購入して全部使わないうちに子供にそっぽを向かれ頓挫し、押し入れに眠るケースが多いことは封も切っていない状態の中古が流通していることから容易に想像がつく。友人が言ったように、高額教材だろうが1000円だろうが教材はそのつかい方で習得はゼロにも100にもなる。親子英語では、お母さんの使い方で成果が違ってくる。子どもは成長とともに好みも変わり就園、就学に伴って生活リズムもかわる。反抗期もある。英語なんて聞きたくない、やりたくないと言い出すこともある。教室に通わないということは教材販売会社のサポートはあっても最終的には親御さん(多くがお母さん)が一人でそれらに対応していかないければならないということだ。どの教材を使うのかは、お母さんの意欲とお財布次第である。英語と日本語が併記、併用されていないものであえば市販、市販されていない教材どちらでも特に問題はない。意欲がありお財布にも余裕があるならセット教材が使いやすいだろう。ミッキーを使っている会社のD○○もしまじろうの会社のW○○という教材も教材としてはとてもよくできているし継続させる為のサポートもよく似ている。ただ、いつまで続けられるか自信がないなら初期投資は少ない方がいいので期間が短いW○○の方がよいのではないだろうか。子どもが違えば親子英語の形も違って当たり前。お母さんの理想に近づけようと悩み苦しめば頓挫するのも親子英語だ。お母さんが楽しめる範囲でやることが継続につながり将来、大きな成果をもたらす。お母さんが子どもと一緒に笑顔で英語楽しみ目に見える成果を追い求めずに成長の過程を楽しむ。英語を親子の新しいコミュニケーションの材料として楽しむことは親子英語が成り立つ時期だからこそできることだ。焦らずゆったり楽しむ、これが継続の秘訣でもある。一人でも多くのお母さんに親子で英語を楽しんでいただき、続けていくことでお子さんの可能性を広げていただきたいと思う。
2009年05月29日
先日久しぶりに外資でバリバリと働いている友人から連絡があり姪っ子の相談にのってやって欲しい、と言う。3歳の子どもを持つ姪御さんは、自身も未就園の時期に習い事などせずに育ち、また、保育園に子どもを預けてフルタイムで働いていることもあって子どもに習い事をさせることなど考えていなかったのだが同じ年頃の子どもを持つ高校時代の友人達と会った時にほとんどの子どもが英語をやっていると聞き、その中の一人のお母さんが子どもに英語で話しかけたら英語で答えるのを耳にして、ひとり取り残されていると焦り、教室に通わせなくても、英語教材を購入して自宅でやらせればと考え、英語が堪能な叔母である彼女に相談してきたという。「教材買ったってやらなきゃダメだし、 やり方によってゼロにも100にもなるのが通信や 自宅学習じゃない。 英語だからって特別なことはない、って言ったんだけどね。 理解してもらえないのよ。」そこで姪御さんと同じような思いや悩みを抱えている方は多いのではないだろうか、と考えてこの場で私の考えを伝えさせていただくことにした。まず、焦っているなら冷静になっていただきたい。英語育児ブログや教材会社のHPを見て、焦っている場合は特にだ。焦りは判断力を狂わせる。落ち着いて考えて欲しい。今までもこのブログで再三書いているが、英語はいつまでに始めなければ話せるようにならない、身につかない、という訳ではないし、幼い時から始めたらこんなメリットがあると教材会社のHPなどには書かれているが大きくなって始めた子と15年後、どのように違うかなど追跡調査を行っていないのか、書かれていないしそのメリットは継続することでしか英語を使う上では活かされない。そして、どれだけの英語育児ブログが子どもの成長とともに消滅しているだろう。始めるは易し、続けるは難し、なのである。始める時期より、継続が大切なのは英語も他の習得と同じである。継続してこそ、開始時期が重要になる。しかし、ここで他の習得と大きく異なるのは、母語の日本語も英語も同じ言語力を使って活用されていくということだ。いくつ単語を覚えようと、フレーズを覚えようと言語力がなければ、有効に活用されることはない。サンプルを取り寄せてやらせてみたら英語を話し出したので、英語が話せるようになると思い購入したというケースもよくある話しだが、お母さんが作り上げる子どもが英語を話しているイメージ通りに進んでいく購入者親子が購入者全体の何パーセントいるだろうか?聞き流し、かけ流しで、状況に合った英語をオウムのように口にしているだけで英語を話せるようになった、というのは早計である。話せるようになるには、そこに言語力が伴わなければならない。言語力、日本人の場合はベースとなるのは日本語だがその日本語の基礎は4歳までに構築されると言う。日本語の力も自然と身につくものではない。そこにはお母さんの語りかけ、環境作りが大きく影響する。そのことを考えていなかったのであればそちらを焦って欲しい(笑)これは高額な教材など買わなくても語りかけについて書かれている本を購入し、絵本を読みきかせ、語り合うことでお母さんにも育むことができる。早くから始めると発音がよくなる、と言われているがいくら発音がよくてもお粗末な言語力では相手には伝わらない。3歳児で英語に触れていなくても焦ることなどない同じ子どもが3歳と5歳で英語を始めることができない以上3歳で始めた方が5歳で始めるより優れているなどと言うことはできない。この年齢で優先すべきは将来英語でも活かすことのできる言語力を母語である日本語で構築しておくことだと私は考えている。そしてそれらを行った上で余裕があるなら英語を取り入れて欲しい。次回は、継続を前提にした上での早期英語学習についてお伝えしていきたいと思う。
2009年05月28日
明日行われる今月のプルミエの学活のテーマとして学活担当のメンバーから上がってきたのが「習慣づけと躾」「躾」を広辞苑で調べると礼儀作法を身につけさせること、また、身についた礼儀作法。とある。私は家庭でしかできない躾と幼稚園や学校など家庭外の集団の場でしか行うことができない躾があると感じている。そして躾の基軸は家庭が作ると考えている。躾の基軸がなければ社会での躾は成り立たない。私が考えている躾の基軸は善悪の判断である。これは、日常生活の中でしていい事、してはいけない事を子どもが学び、身につけていくものであり常に一緒にいる親御さん、お母さんにしかできないことだ。この軸を持っていなかったりブレていたりすると社会生活で学ぶべきものも学べずに困難を抱えることになる。先生に叱られてもそれが悪いことだという認識がなくなぜ、叱られなければならないのかがわからなければ、改まることはない。先日、自宅に帰る車内で、有名幼児教室のバッグ持ったお母さんが我が子の迷惑行為を年配の男性から注意されて「ほら、あなたがへんな事をするから お母さんが怒られたじゃないの」と笑いながら子どもに言っている光景を目にした。勉強など家庭外でできることを熱心にやり家庭でなければできないことを家庭外でやってもらうことを期待するそんな風潮があるのではないだろうか。
2009年05月27日
この本で展開されている自己受容できない自分の不幸を認めない不幸な母親が我が子に行うドメスティックマインドコントロールだがあくまでも著者がたてた仮説であり私はあまり認めたくはない。なぜなら、以前このブログで書いたように生徒たちが口にする「お母さんの言うことをきけない僕は悪い子」という言葉も自分を不幸だと認めない母にドメスティックマインドコントロールされているから発せられる言葉であり、その生徒たちのお母さん方が我が子をドメスティックマインドコントロールしている不幸な母親ということになってしまうからだ。悪いことにドメスティックマインドコントロールをしている事は当の母親がもっとも気づきにくく意識では良妻賢母だと思い、子ども中心に動く母親だと認識しているそうだ。幼児期に自分の意に沿った行動をとったら喜び沿わなかったら不機嫌な顔をすることで母親の悦ぶことしかしてはいけないと考え、行動するようになる。母親によるマインドコントロールであると著者は述べている。哀れにも子どもは意識のうえでは、自分のためにやっていると思い込んでいますが実際には母親を悦ばせるためです。もし、たまたま母親が悦ぶことと、自分が悦ぶことが一致していれば問題は発生しません。しかし90%以上が不一致です。とても重い言葉だ。そう考えると反抗期はとても重要と言えるのではないだろうか。幸福な母親は、自己受容できる人ですからどんな我が子でも受容することができます。この場合の受容というのは、子どもの喜怒哀楽に共感できるということです。そして子どもに、生まれてきてありがとうと言えることです。要するに、子育てがうれしい、楽しい、そして子どもが楽しいと感じられることを楽しいと感じられる、ということです。人は、痛いときに「痛かったね」と共感されうれしいときに「うれしいね」と共感されることで心の絆ができてきます。こうした共感が心の絆を形成し、その絆が母子の一体感を感じさせるのです。それゆえ、子どもが安心だと感じるのは、母親に共感されて、「一体化していると」感じる時です。(中略)一体化している、という確信のある子は、もの心ついたころから安心して生きています。自由にのびのびとしています。のびのびとした子に育てたい、とお考の方には気にとめていただきたい言葉である。ここでは詳細に書くことは控えたいが生徒だけではなく、今まで私が目にしてきた、耳にしてきた友人や知人の?の行動や言動の多くがこの本を読むことで「だからか」と納得できた。息子ではなく、娘を持つお母さんはもちろん人間の行動学を学べる一冊でもあるので対人関係で悩んでいる方にも「方向性」を示してくれる一冊になるのではないかと思う。「子どもを愛する力」をつける心のレッスン(講談社)も岩月謙司氏の著書。
2009年05月25日
昨夜から南房総に来ています。徒歩2分ほどのところにある小学校では運動会が行われ時折、全校生徒77名とは思えないほど元気な子どもたちの歓声が聞こえてきます。東京では店頭から消えたマスクがあるのではないかと買い出しのついでにドラッグストアをいくつか覗いてみるもドアのところに「マスク品切中です。次回入荷は未定」と大きな張り紙が…私は新書が好きでよく読むのだが、今日、新書売り場で目にとまったのがこの本だ。なぜ、母親は息子を「ダメ男」にしてしまうのか長年、生徒達と係わる中で女の子より男の子の方がお母さんの係わり方が大きく影響していると感じていた私は、このタイトルに大きく惹かれた。これからじっくりと読み込んで感想やコメントは今週行われるプルミエの学活や次回のこのブログにも書くつもりでいるが、この本はお母さんの心理と子どもへの行動を書いた本だ。著者の専攻は動物行動学生理学、人間行動学(対人関係論)10年にわたり「育て直し」のボランティアをし親から依頼された問題があるとされる子どもたちと接しているうちに気づいたのが彼らの母親のゆがんだ心理と行動だったと言う。本書は、その時の経験を元にたてた新しい仮説ドメスティックマインドコントロールについて書かれている。実はこの本を読み始めてすぐに、とても嬉しい記述を見つけた。自己受容できない人は相手の存在を受け入れられない私は、被害者、加害者ともに心の傷を負う苛めをなくす為には、自分が誇れる自分になり(自己受容)、他人に対して心を開いて自分以外の存在を素直に受け入れるようにしなければならないと考えて自分を信じ、肯定できるように自分力を高めることを考え指導し、褒め、叱っているが、それが正しいかどうかということは考えたことがなかった。このくだりを読んで私はとても安心し、自信を持つことができた。自己受容できない人はどういう人なのかそしてそのタイプの人が母親になった時にとる子どもとの係わりについては次回に…
2009年05月23日
昨夜も私立中に通う中3の生徒が今月の30日に出発する予定だった修学旅行が延期になったとレッスン中に言ってきたし別の区の中学に英語教諭として勤務している卒業生からのメールにも修学旅行について検討している、と書かれていた。じりじりと関東圏にも迫ってきているであろう新型インフルエンザに今日から加湿器を使って教室の湿度を上げる予防策を取ることに。昨夜、レッスンを終えて帰り支度をしている時に突然、今春から地元の小学校の教壇に立ち始めた卒業生のMが訪ねてきた。突然のこととスーツ姿に最初は誰だかわからずよく見たら…である彼がお母さんに連れられて実教室にやってきたのは小学校1年生で実教室がオープンした年だったのにとすっかり大人になった姿に時の流れを突きつけられた実教室が目標に掲げ、取り組んでいる事の一つに「自立学習」があるが、「流れるタイプ」の生徒が多いなか夢を夢で終わらせなかった生徒達が行っていたのがこの「自立学習」だ。年齢が来たら自然と自分から進んで学習できる、行動できるようになるわけではなくそこには、自分の力で歩けるようになる為には生活習慣をつけることから能動的学習に進み自立学習へと数々のステップが存在する。実教室のようにはいかないが来月mixiの会員制のブログでそのステップの一部を紹介することにした。長年の夢を叶えて、堂々とした笑顔を見せ積極的に人生を歩んでいくMのような子が一人でも増えること、それもまた、私の大きな喜びである。
2009年05月19日
昨夜、所属しているテニス協会の総会があったので生徒達より先に電車で東京に戻ったのだがその電車の車内で見た塾の広告に世界一のテレビ漬けと書かれていて思わず目をとめた。日本の中学生がテレビを見る時間は毎日二時間半で世界で一番長い、とあった。そして宿題をやる時間は1時間だか1時間半で世界最短とか…毎日2時間半以上ゲームをやっている中学生も相当数いるだろういつ、何人に、何歳を対象に調べたのかはわからないがテレビやゲーム漬けから脱却する為に塾に通うのでは物理的にテレビやゲームから離すだけで、塾に行っても身につくような学習をしているのか疑問だし、それが将来にとって良い選択だとは思えない。なぜなら、社会に出ても勉強は必要だし、楽をしたい自分との戦いは一生続く。いつまでたっても自分のライバルは自分なのである。我慢の芽は、3歳までに育てるべきと言われているその我慢の芽が成長して自制心になるのであれば、間違いなく幼児期に育てておくべきものだと私も思う。
2009年05月18日
2年生のフォニックス研修で南房総に来ています。と言っても指導しているのは今回参加している生徒たちをいつも指導している担任の日本人講師で私は給食のおばちゃん役だ。夕食も終わり、ほっと一息Aクラスの精鋭?たちとはいえ、そこは2年生(1年生も一人)ドレッシングを洋服にこぼして涙目になったり「動物園にいつ行く?」と、とぼけた質問をしたり、と、笑いが絶えない今週は、生徒達の成長ぶりに驚かされた1週間だった。月曜日は、3年生に児童英検のゴールドを6月に受ける?どうする?と尋ねると2年前にテストは嫌だと児童英検でべそをかいていた生徒が、受ける!と笑顔で即答!!火曜日は、コミュニケーション力の向上を目的とした国語のレッスンで、昨年まで絶対に自分から謝ることをしなかった3年生の生徒が自分から謝り、クラスメイトを慰めた!木曜日は、火曜日に開講したクラスに参加することになった3月までサークルで教えていた未就園児たちの写真を見て赤ちゃん顔でなくなっていることに驚き!金曜日は、年中クラスが暗唱チェックをして!と私のところに自信満々の笑顔でやってきた。そして今日、年長の時の初めての宿泊研修でべそをかいたH君が実に堂々とリーダーを務めて参加者をまとめている。生徒たちの英語力が伸びていくのも講師としては嬉しいことだが積極性が出たり、精神的な成長に係われることはもっと嬉しい。今週は、あれやこれやとてんてこ舞いの1週間だったが生徒たちの成長していく姿に疲れも吹き飛ぶほどの幸せを感じている。
2009年05月16日
8月の国内研修の日程やキャンプ地もきまり、ぼちぼちキャンプでのアクティビティの「仕込み」を考え始める。カレンダーはまだ5月なのに頭の中はもう8月小学校3年生で、「ぞうさん」や「ちょうちょ」のような幼稚園で歌っていた童謡を嬉嬉として歌う子がいないように幼児から英語を習い始めると2年生の後半にもなれば幼児の時に振り付きで歌っていたマザーグースの歌を「赤ちゃんぽい」と感じるのも当然なのかもしれない。実教室でも、幼児から英語を習い始めた生徒達のクラスではマザーグースやTPR、チャンツを用いたアクティビティは長くても小学校2年生の前半までしか使わない。そんな英語の歌(童謡)なんてもういい、という顔をしている3年生以上、キャンプや研修など日常生活を離れた場では中学生でも、喜んでやるのが遊び歌だ。対戦形式になっているところと繰り返しが多いほどやりがいがあるらしい。3年ほど前の海外研修で孤児院の子どもたちがインドネシアの遊び歌を教えてくれた。上だの、下だの、まくらだの意味のない歌詞で最後はじゃんけん、ふる~~い人間の私は、インドネシア版おちゃらか?と、思った程似ていた。(笑)しばらく孤児院の子たちと遊んでいた生徒が私のところに駆け寄ってきて「先生、このインドネシア語の歌詞はどういう意味ですか?」と尋ねるので、日本語で説明すると「じゃ、日本語バージョンと英語バージョンを作ってやろう」と言い出した。そして30分後には、インドネシア語、日本語、英語で一つの手遊び歌をインドネシア人の子供達と楽しんでいたのである。タイに生徒を連れていった時もそうだったが幼い時から母語以外の言葉に触れてきた子どもたちは言語に対して興味が高く、未知の言語を使ってのコミュニケーションを楽しむすべを知っていると感じる。「日本語の遊び歌を教えて欲しい」という孤児院の子に生徒達が教えたのが「線路は続くよどこまでも」だったご存知の通りこの曲は19世紀のアメリカ民謡I've been working on the railroad だ。中学、高校時代に洋楽をコピーすることで発音トレーニングを積んだ!と言えるほどたくさんの英語の歌を歌い楽しんできた私は生徒達と歌を歌うことが大好きだ。ちょうど新しい英語の歌のCDを購入しようと検討していた一枚にこの曲が入っていた。今年の夏は、国内研修でこの遊び歌をやらせて参加者を中心にすべての小学生クラスで流行らせようと企んでいる生徒より私が楽しみたいのかもしれない(笑)
2009年05月15日
今まで外国人講師のレッスンを含めコース教材を使用していなかったのだが今年から最も高いSレベルのクラスを除く中高生クラス(小学生クラスの一部を含む)の外国人講師のレッスンで高校生用のコース教材を使い始めた。理由は、今年採用した外国人講師が自分でカリキュラムを組み教材選択をするだけのキャリアを積んでいないからだ。実教室の幼児、小学生クラスでは、Let's goのようなコース教材を使用していない。コース教材に沿って指導していくことは、その教材のカリキュラムをフォローする形でレッスンを作成していくことができ自分でカリキュラムをたて、適切な教材を探していくよりずっと手がかからず、指導力や経験に乏しい講師でもある程度のレベルの指導が可能だ。しかし、どんなに優れた教材だろうと材料でしかなくすべての生徒に使う為には、生徒の能力、年齢に合わせて料理をすることが必要になる。今回コース教材を使うことで、まず外国人講師に生徒の習得レベル、年齢に合わせてどこまで教材のトピックを広げていくことができるかを学ばせている。自分の指導法やカリキュラムをきっちりと持っている場合コース教材は骨組みが決まっているだけに使いづらい。この煩わしさを嫌というほど大手での修行時代に味わった私はどうせ料理をするならレシピ(カリキュラム)を自分の手で書き材料選びから自分で行っている。手間はかかるが、その分自由に発想ができ到達レベルにも縛りがない。到達レベルは同じ教材を使っていても指導力によって異なるが何を使うかによっても変わってくる。特にそれがボリュームがあり長年使い続けるものであれば尚更だ。よい教材に巡り会いたいと本屋やアマゾンをうろつくショッピングセンターに買いものに行っても、ブティックより本屋を見て回る時間の方が長いのは私だけではないだろう。手にとってじっくりと内容を見ながら絵本を選ぶためにアメリカ本土に行きたい私の前に立ちはだかったのは他でもない新型インフルエンザである。一日も早くワクチンができることを望んでいる。
2009年05月12日
昨日は、急な案件が次々と入り、GWのリフレッシュ気分も吹っ飛ぶ程の忙しさで最後の仕事が終わったのが夜中の1時過ぎ…申し訳ないことにプルミエの更新も24時間遅れてしまった。GWは南房総で久しぶりにのんびりと本を読んで過ごした。と言ってもミステリー小説が殆どで英語関係の本はタイトルに惹かれて購入したこの一冊のみ(笑)英語をやっていて、本当によかった。著者の吉越浩一郎氏は2006年までトリンプ・インターナショナル・ジャパンの社長を勤めた人物で、吉越流ビジネスマンの英語塾というサブタイトル通りビジネスマンの英語再勉強法について書かれた本だ。しかし私はこの本を是非、子どもの将来に英語が役に立つと考えて子どもに英語を習わせているお母さん方にも読んでいただきいただきたいと思った。漠然と我が子が流暢に英語を話し颯爽と外国人に混じって商談に臨んでいる姿を想像していらっしゃる方も少なくないだろう。吉越氏はまさにそんなビジネスマンだった。この本を読むことでビジネスで英語を使う現場がどのようなものなのかそしてどのようなスキルが求められているか現実の姿を知ることができる。ゴールを知ることで今やるべきことが見えてくる。バイリンガル幻想に踊らされることなく本来優先すべきことに気づいていただける方が一人でも増えることを願っている。
2009年05月08日
某有名予備校の彼の志望校である大学名を冠したコースに通い始めたYが英語構文の授業で配られたプリントを持って昨夜実教室にやってきた。「どうしてこんなことを勉強しなければならないのか さっぱりわからない!」と、彼がテーブルの上に置いたプリントには例文の下にS、V、O、Cの品詞名や名詞節だの副詞節だの文法用語がびっしり書かれていた。日本語の読み書きが不自由なく(正しいかどうかは別として)「できる」と思っている中学生が国語の文法の授業に対してなんでこんなものをやらなきゃならないんだ!と考え、面倒くさがるのと同じ状況である。確かに彼は、このプリントに書かれていることを勉強しなくても語彙力をあげれば、偏差値は3程度あがり、70を越すことはできる。ましてや、最近の難関大の入試問題は1000語を越える長い文章を読ませて字数制限をつけて要約させたりする記述問題や、内容把握など、一文一文を正確に読む力より全体の論旨を素早く理解するという問題にシフトしてきていて彼に有利な状況だ。しかし1点でも多く取らなければらない受験英語においては「できる」ではなく「間違えない」ことが必要であり正確さを高める為には論理的裏付けがあるにこしたことはない。そして今後作り出す英文の質を高める為にも構造理解は不可欠だ。と、あれこれ説明するも彼の不満顔は変わらない。彼がテーブルに置いたテキストを見ると表紙に英作文と書かれたものがあった。彼は、和文英訳系の問題が好きで、私がそのテキストを手に取ると模範解答と自分の答えとの違いについていろいろ尋ねてきた。「模範解答の文と自分の文を比べてどう思う?」「う~ん、自分の文は模範解答と比べると文が幼いと思う。」「わかってるじゃない。 構造理解を深めることが大切ということよ。」再び例のプリントを広げ、構造理解を深める為に役に立つ箇所を見つけだし説明をすると彼の顔つきが変わってきた。これで予備校の構文の授業にも前向きに臨めるだろう。やれやれだ早期英語教育で英語を見につけた子がぶつかる壁がありその子たちなりの乗り越え方、活かし方がある。卒業後であってもそれらの方法を教えることは、習得に携わった私の責務だと感じた。
2009年05月01日
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