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昨日の続き…乳幼児から我が子に英語環境を与えようと考える親御さんは我が子をバイリンガルにしようと考える親御さんともう1つは英語が使える日本人にしようと考える親御さんの二つに分かれていると感じる。バイリンガルと英語が使える日本人どちらも同じでは?と思われる方も多いだろう。確かに、二つの言語をどの程度扱えるとバイリンガルなのか定義そのものが曖昧なので同じと言えば同じなのだが、これが、言語習得となると両者のマインド、習得に対する行動は大きく異なる。我が子を英語圏からの帰国子女と同じようなバイリンガルにしようと考える親御さんは、英語圏に住んでいるのと同じような英語環境を子どもに与えなければと考え赤ちゃんの時から我が子に語りかける言葉は英語中心、室内には常に英語の音楽CDやDVDネイティブの英語レッスンを受ける。幼稚園は、プリスクール、小学校からはインターナショナルスクールに子どもを通わせるのが理想だがそれが叶わない時は、園、学校以外は英語webレッスンなども使ってほぼ毎日のように外国人(ネイティブでない場合も多い)のレッスンを受け英語を話す機会を我が子に与える。日本語の習得レベルより英語の習得レベルに関心が高く努力を惜しまない。今年の夏に公立小学校で3年生を受け持っている私の知人が義務教育である小学校を休ませて英語圏のサマーキャンプや国内のインターが行っているサマースクールに通わせる親に呆れたと言ったが、その親御さんにとっては「特別」な事という意識はないだろう。実はこのタイプの親御さんは少数なのだがどうしてもその行動が目立つので=早期英語というイメージになっているきらいがある。一方で英語が使える日本人を目指して英語を習得させようという親御さんの場合は、優れた母語(日本語)の能力を身につけることを第一と考えそれプラス英語。つまり外国語として英語を習得させる。母語である日本語でしっかりとした言語力を養い幼いうちに英語習得の土壌を作っておくという考え方である。基本的には週1回英語教室に通わせ、英語環境を与える自宅で10分から30分程度、英語のリスニング課題かなければ市販のリスニング教材かDVDを見せる。実教室は、帰国子女もだが、我が子を帰国子女のようなバイリンガルにという習得過程を辿ったお子さんを受け入れていない。何故なら、英語圏に暮らしている英語を母国語としない人に対する第二言語としての英語の教授法(TESL)と非英語圏で外国語として英語を指導する教授法(TEFL)とは異なり英語圏に住んでいるのと同じ英語環境に置かれている子どもに英語を教えるのであれば第二言語として英語を学ばせるべきでありTESLで指導されるべきだと考えるからだ。このように乳幼児から英語を習わせていると言っても親御さんの考え方、行動は1つではないので指導法のように明確に二つを分けて考えるべきだと思う。(はっきりとした認識を持たずに 両者の間を彷徨っておられる親御さんも 多いのではないかと感じている)そして以前は、中学での英語に困らないように小学校高学年から英語を通わせていたのが小学校での英語活動が始まったことで前の二つのタイプの親御さんにもう1つ小学校での英語の授業で困らないように幼児から英語学習を始めるという親御さんたちが加わった。続きは次回に
2009年09月30日
連休中そして出張中も実教室のタイムテーブルを睨み来年、再来年のタイムテーブルを想像しながら悩みに悩んで45分間レッスンというイレギュラーな形ではあるが三つめの年少クラスの開講を決めた。欠員が出れば、どなたでもお入りいただける、という指導内容ではなく編入していただくにも他の英語教室で習い始めて習得していただかなければならない。今回も入会を希望していただいている年少さんの中に最近入会した生徒の兄弟がいることも開講に踏み切った大きな理由1つである。兄弟で違う教室に通っていただくのは親御さんに心苦しいのはもちろんだが、こちらの事情で、お兄ちゃんはいいけど、妹のあなたはダメというのも辛い。今回開講を決めたことで現状のままでは、来年度、新年少クラスの開講枠を作ることが難しくなってしまった。実教室の親御さんに相談するとやはり幼稚園に上がってから習い事をと考えているお母さんも多いので募集はしてあげて欲しいとアドバイスをいただいた。新たに外国人講師をパートで雇用してクラス枠を増やすことを考えなければならないだろう。それにしても、近隣には英語教室が数多くあるなか「急いては事をし損じる」とすぐに目に見える結果を学習成果として提示することのない指導を行っている実教室を選択される親御さんが増えてきたことは、実教室が提唱している幼児からの外国語学習への理解が親御さんの間で広がってきているという証であり早期英語教育に携わる者としてこれほど嬉しいことはない。言語学の研究でインプット量が外国語においても習得を左右することは明らかであり英語を使える日本人を育てる為には幼児期にはどうしても家庭での親御さんの「言語習得への理解」と「冷静で粘り強い導き」が必要になる。子供の成長を楽しみに本腰を入れて習得をサポートしようという親御さんに恵まれた子どもたちは、本当に幸せだと思う。実際は、ネット上や雑誌に露出している親御さんとはまったく異なった視点で粛々と我が子の英語習得に向かい合っている親御さんが殆どなのにもかかわらずネット上や雑誌で目にするインパクトの強い「特別な事例」にあそこまでやらなければ、ダメなのかウチには、私には無理と我が子の英語教育に消極的になってしまわれた親御さんの話しを耳にした。今週は、偏った一部の情報に惑わされることなく幼児から外国語学習を始めるということを受け止めて考えて頂くきっかけとして改めて小学校から先の子供をとりまく英語学習の状況や言語学の知見を交えながら幼児から外国語学習を始めるということについてこのブログの性質上、おおまかではあるがお伝えしていきたいと思う。以下、次回に続く
2009年09月29日
羽田から高速バスで昨日の夕方南房総の家に着きました。昨日の続きできるだけ多くの子に英語に触れてもらおうと児童館での英語教室は5年生から始まる2年間コース。中学入学後は、担当講師によって選抜された4、5名だけが学習を続けることができる。一期生は5名が残り、交流会やボランティア活動のまとめ役として活躍している。児童館のスタッフ、現地スタッフと同様私も初めて指導した生徒達なので彼らには愛着を感じる。今回も、約束の時間より30分前に着いたにもかかわらず彼らは例のユニフォームを着て私たちを笑顔で迎えてくれたのだが開口一番、一人の生徒に「夢先生、7月にバリに来ると児童館の先生に聞いて 先生に会えると楽しみにしていたのに いらっしゃらなくて残念でした。」と、言われてしまった。7月はプライベートの旅行で、夫と夫の友人と行動をともにしていた為に児童館の村に来る時間がなかったのだ。彼らに謝り、今回の児童館に来た目的…児童館で社会福祉活動を行いたいと考えていると話した。「村の大人たちと話して、あなたたちにやりなさい と言うのではなく、あなたたちがこのような活動に 興味があるなら、村の人たちに話しをしたい。」と伝えると、明らかに戸惑いを見せた。彼らが戸惑うのも無理もない。この国には社会福祉まで手が回っておらず、学校で教わることもなく概念すら持ちにくい。障害者支援施設など公的な施設はなく海外のNGOや慈善団体が運営している施設が数カ所あるだけで基本的には生活に困っている人の面倒は親類縁者か隣組組織(日本の町内会のようなもの)で助け合って見る。飢えて死ぬことのないように…と言ったら語弊があるかもしれないが、そのような程度である。社会福祉の概念を話し、自分たちに何ができるか考えていくなど生徒達の質問に答えながら話しをしているうちに生徒達の瞳が輝き始め、「夢先生、みんなで協力してやってみたいです。 いつもいろいろなことにチャレンジするチャンスをくれて、 ありがとうございます。」「みんなの方こそ先生にチャンスをくれて、ありがとう。 みんなが、生徒がいるから先生はがんばれる。」と言うと、児童館のスタッフも現地スタッフも大きく頷いた。予定の時間を30分以上オーバーしてしまったので大急ぎで孤児院へ。と言っても夕方の渋滞に巻き込まれ島の中心地にある孤児院に着いたのは6時を過ぎていた。孤児院へは、mixiで行っている会員制ブログの参加者の一人が先月夏休みでこの島に来た際に息子さんを連れて孤児院を訪問したのでそのお礼と新年度から新しい子どもが孤児院に入っているのでその子供達に会うのが目的だったのだが日本語がよくできる生徒が突然手を挙げて、「夢先生、先生から日本語の先生に言って欲しいことがあります。 日本語の先生の授業は「正しく書く」という内容が多いので もっと話せるようになる為に「言葉」を教えて欲しいです。」と日本語のレッスンについて要望を伝えてきた。なんと嬉しいことだろう。日本語の授業を始めて8年目、ついにここまで到達した。ここの生徒たちは、ここで外国語として日本語を学んでいるので自分の言葉で日本語を話したいと思うレベルまで来たら外国語として英語を学んでいる実教室の生徒達とぶつかる壁は同じ「語彙数」である。語彙の増やし方、と言ってもこちらでは辞書しかないので辞書で知らない単語を自分で覚え、その単語の使い方、言い回しを日本語の先生に尋ねる、という方法を教え、日本人の友達を作って覚えたようなくだけた日本語を話せる、というレベルではなく高校卒業後、就職の際に使える「丁寧で正しい」日本語を意識して指導するように日本語の先生には指示していることを伝えた。日本語教室の承諾を得る時に孤児院の理事長から日本領事館や日本人会経由でこの孤児院を訪問する日本人も多いので「失礼のない丁寧で、正しい日本語を話せるようにして欲しい」と釘を刺されていたこともあり、実教室の生徒にも訪問する時は教科書に載っていない日本語は教えないようにと厳しく言っている。教科書に載っていない言葉ほど、早く覚えられるのも外国語として習得する場合は何語であっても同じだからだ(笑)今回の訪問で児童館の生徒たちと孤児院の生徒達それぞれの成長ぶりを彼らの態度や言葉から感じ次のステージに進むことができたことは、なにより私にそして実教室の生徒達に「がんばる力」を与えてくれた。わずか26時間の滞在ではあったが足を運んで良かった。次回は11月19日から二泊で現地に向かう。一泊の弾丸トラベラーさながらの出張はもうこりごり(笑)
2009年09月27日
今回は、実教室が行っているインドネシアでの活動についてですので、興味のない方はスルーしてくださいね。無事帰国し、関空で空弁を頬張っています。実質1日で車で片道2時間半離れた児童館と孤児院に行き現地の生徒達と話し合いをするという強行軍だったが実に実りの多い出張となった。この島の中心地から車でおよそ2時間半離れた小さな村に村と共同で児童館を始めて今年で5年目。(場所、光熱費は村、スタッフの給与などの運営費は実教室が負担。)児童館のスタッフが村の小学生に英語を教えたいと言い出して無償の英語教室を始めたて丸4年。当時4年生だった一期生たちは7月から中学2年生になった。初めて2年くらいは、初めて見る日本人に緊張モードで態度もオドオド、私への挨拶も児童館のスタッフに促されて恥ずかしそうにもじもじと小さな声やっと、という感じだったのが児童館のスタッフを中心にお寺や村のメインストリートの掃除ペットボトルの回収といった活動や実教室の生徒たちが海外研修で来た時にバザーや交流会を通して実教室の生徒たちと一緒に行動することで少しづつ「他」に慣れ、受け入れられるようになり今では、自分たちから笑顔と大きな声で挨拶をする積極性が出てきた。自分たちでデザインした児童館の名前が入ったポロシャツのユニフォームを誇らしげに着ている姿は、4年前のおどおどした姿からはとても想像できないほど凛々しく逞しい。児童館の生徒たちに会う度に経験が子どもを成長させるということを再認識させられる。私がインドネシアで協力、交流活動を実教室として行うのは身近な人間がこのような活動を行うことで一人でも多く自分でもやってみたい、という子が現れ輪を広げる為であるが、その他に児童館設立についての村議会での説明であげたこの児童館を作った目的が三つある。1.本屋も図書館もなく、学校の図書室にさえ本がない この村の子どもたちに本を読むことの楽しさを経験させ、 勉強したくてもできない子に学ぶことができる環境を与える。2.実教室の生徒と村の子どもたちが交流を通して 互いに学べる場を提供する。3.村を支える、社会に貢献する人材の育成をサポートそしてもう1つ、これは村議会の場では口にしなかったが児童館の取り組みで子どもたちが成長していくことを目にして村民に児童館への理解を深めてもらい私たちの援助なしに村の人たちの力だけで運営してもらうこと。今回の出張(弾丸トラベラーの(笑))の目的はこの4年間の様々な活動を通して1と2の成果が双方の生徒に現れ始め、実教室の生徒たちの訪問先である小学校の先生方や、児童館の英語教室の生徒達の親御さんを中心に児童館への理解も深まり浸透しつつあると前回3月末に実教室の生徒達を連れて村に行った時に強く感じられたので次のステージである三番目の目的に着手することだった。つづきは次回にそろそろ搭乗時間なのでゲートに向かいます。まだまだ移動は続きます…
2009年09月26日
早めに南房総を出たので渋滞には巻き込まれずに夕方には自宅に戻りました。松永氏は、著書の「公立校で伸びる子はここが違う!」で中高一貫公立校を目指すことがベストの選択と書いている。もし家の近くにお金がかからない中高一貫の公立校があり、万が一入学できるとしたら、これはとても素晴らしいことです。その能力がある場合、お子さんは絶対に中高一貫の公立校にかよわせるべきです。実教室のエリアから1時間以内で通える中高一貫公立校は4校そのうち2校は、30分ほど。当然、中高一貫公立校を目指す生徒は実教室にも多いしまったく塾に行かずに合格した生徒たちもいる。松永氏が中高一貫公立校の中学の入試問題をこう分析している。中高一貫公立中学校の入試問題は、全国で驚くほど酷似しています。全国ほぼ共通の観点で作られているといっていいでしょう。まず、問題ごとに必ず図か写真、あるいはグラフがついています。そこには、優秀でない小学生ではとても通して読めない、十分な量の文章があります。これについて自分の考察を200~400字程度で書かせるという出題です。つまり長い文章を図などを見ながら了解し、設問に文章で解答するというものになります。しかも、算国理社の明確な区別はなく、総合問題となっています。自由作文に近い出題もありますが、その場合は400字を超える量の長文を書かせることがほとんどです。また、問題には論理的思考能力を試す内容が必ず含まれていて、解答と友にその説明を記述する形式になっています。つまり「パズルを解く力」と、「そのやり方を人に説明する力」の両方が求められているわけです。一方知識に関する出題はほとんどないので、パターン認識も全然役に立ちません。詰め込み型の知識は、完全に拒絶されているのです。日々の学習のなかでの深い観察と体験、そしてその記憶の集積が問われているのです。これは、知識偏重のくせに選択肢や抜き出しによる解答で正誤をつける多くの私立中の試験より、はるかに優れています。こういった試験に強い子、つまり中高一貫公立校に合格するタイプになるかと思うが、松永氏がイメージしているのは以下のタイプだという。*本をよく読む習慣がある*あらゆることに好奇心を持って、 自ら周囲のことを積極的に調べる習慣がある*自分の意見を文書で書ける*よく考える力がある*忍耐強く試行錯誤し、パズルなどを解こうとする力がある*論理的に筋道を立てて考えることができる確かに実教室の中高一貫公立校に通う生徒たちもそれぞれのバランスは異なるが当て嵌っている。私が彼らたちを見て感じるのは、皆、自分の明確なカラーを持っていてそれを他人に感じさせる話し方ができるということ。それにしても最近読む教育関係の本に必ず登場する論理的思考力先日さっと目を通した本にも大学受験生の偏差値の分布は偏差値50の谷を挟んで二つの大きな山になっていて下の山と上の山の生徒を分けているのは論理的思考力と書かれていた。母語と呼ばれる言葉(第一言語)を用いて初めて認識や思考が成立するという点をよりいっそう重要な意義を持つものとして今こそ再認識するべきではないだろうかという梶田氏の提言がとても重い意味を持つと感じる。幼児期に英語漬けの環境に置かれた子どもたちとそうでない子の日本語力を比較できる立場にあり「英語が使える日本人」を育てたい私にとって母語の基本的な習得を終えるとされる4歳までの母語である日本語、外国語である英語の黄金比を思考を伴う言葉の力、言語力を育成するために考えずにはいられないのである。
2009年09月23日
午前中は雲が多かったものの午後からはよい天気になった南房総ロフトの窓からは真っ青な海が見えます。今日もこちらの本公立校で伸びる子はここが違う!“一流私立校に入れれば安心”の落とし穴で、有名都立高校の有名大学への進学率を越えられるのは都内の中高一貫私立校ではトップ8校だけということを数値で明らかにした上で、松永氏はこのように語っている。なぜ、このような結果が出てしまうのでしょう。その理由として、どうやら私立校組より都立校進学組の方が発達具合がよいらしい、ということが考えられます。先ほど説明したとおり、過酷な受験勉強を経て入学しハードなカリキュラムと遠方への通学で自由時間が奪われるというのが私立校の実体。それに対して、公立校の場合、毎日の自由時間をさまざまなことに活用できるため、やがて自分から勉強していく子どもに育ちやすい環境なのです。もちろん、公立校にも学級崩壊などの問題はありますが、現在のところ、子どもが親や家族を殺害するような事件では圧倒的に私立校の場合が多いようです。それは、子どもたちが毎日遠方への通学と、先行学習の過酷なシステムに疲れ切ってしまっているからだと考えられます。だとするといたずらに公立離れを推奨し、多くの親子を中学受験に向かわせるような最近の論調は、実は進学塾の営業戦略によるものではないかと思えてきます。松永氏は、塾が利潤をあげる為に本来なら私立校に進学できる能力のない子どもたちも低学年の段階から積極的に入塾させ、その延長線上で、6年制私立の整備をアシストしている。実際に新興の6年制私立校と進学塾が裏で提携しているのは有名な事実と指摘している。私もこの話しを学校、そして進学塾で働く友人両サイドから聞いたことがある。松永氏は私立校に通う為に通学の為の交通費や塾代を入れて年間約200万円がかかると指摘している。(年収一千万以下で私立校に入れることの危険、 という項がある)ほとんどの6年制私立校が成績上位の都立校にかなわないというのは25ページで挙げた数字をみても明らかです。これでは、私立校の入学試験を突破するためにかけた労力と学費や塾の費用といった経費の大きな無駄遣いといえるでしょう。(中略)公立教育の現状に幻滅している多くの親御さんの気持ちは、たしかによく理解できます。ですが、私立校といってもよほどレベルの高い学校で、かつそれに見合うだけの能力がお子さんになければ、投資しただけの成功は得られないという事実。これを、まずはしっかりと理解していただきたいのです。「超受験のプロ」と自らを呼ぶ松永氏は受験産業で働く私の友人達と同じくご自身のお子さんを公立に通わせていた。彼らが、私立中学という選択肢を考えない理由が見えてくるのではないだろうか?生徒の親御さんと話していると親御さんがどのような学生生活を過ごしたかが子どもの進路に大きな影響を与えると感じることがある。同じ大学付属の私学の卒業生であるお母さんでも自分の娘を自分の母校に入れようと考える方もいればこの本で松永氏が公立に通うメリットとして挙げている公立に入れていろいろな人とつきあって揉まれて欲しい、と考える方もいらっしゃるからだ。今年の1、2月は、首都圏在住の小学6年生の5人に1人が受験したと言われている(複数校を受験している生徒もいるので実際は この数字より下)進学塾の営業戦略に踊らされるのではなく我が子の為に賢い選択をしていただきたいと思う。次回は、中高一貫公立校が求める力と大学受験のプロが語る偏差値が表す共通する力について楽しい連休をお過ごしください
2009年09月21日
実教室にも公立中学に行かせるより私立中の方がいいからという理由で私立中学受験を選択する親御さんがいないわけではない。公立中学から都立のトップ、準トップ高に進学し難関大に合格した生徒もいるしそこそこの私立の中高一貫校から高校の偏差値より遥か下の偏差値の大学に予備校のお世話になりながら入った生徒もいる。どうして公立より私立…とひとくくりに判断されるのか高校受験を「子供にとって悪いもの」と決めつけるのか正直なところ理解に苦しむ。そんな私の気持を代弁?してくれるような本を見つけた。公立校で伸びる子はここが違う!著書の松永氏は、V-net教育相談所を主宰していて教育環境設定コンサルタント(こういう職業があることを今回初めて知った)難関高、難関中、中高一貫公立校に数百人を送り込んだ「超受験のプロ」と自身のことを書いている。“一流私立校に入れば安心”の落とし穴公立校でこそ得られるこれだけのメリット子どもの真の学力を伸ばす“地域に根を張る生活”“公立で成功する子”はここが違う!「中高一貫公立校」が子どものやる気を引き出すと、公立校に通うプラスと知恵が満載だ。公立中はダメだから私立中という選択をする前に是非、お読みいただきたい本だ。次回もこの本について
2009年09月18日
今回もこの本を読んで感じたことを書いてみようと思う。「子供のために」を疑う小学1年生以上の生徒達と話していると「お母さんは、本当は○○だって思っているに違いない」という言葉をよく聞く。子供は、親の本音と建て前に対して過敏と言えるほど敏感で「親のよろこぶこと」という価値基準で親の期待に応えようとしていると感じる。この本の筆者である二神氏は、中学進学塾から幼稚園を経て現在、不登校やニートの若者を支援するNPO法人の代表をしている。その豊富な親子との係わりで見えてきたことをこの本で綴っている。子供がニートになり関係がこじれてしまった母親で時々こういうことを言う人がいます。「私は子供に過剰な期待をしたわけではありません。 子供が自主的に中高一貫校の○○中学に行きたいと言ったので その手伝いをしただけです。」これが一番、親と子供がこじれるケース。普通に考えたら、10歳前後の子供が自分から「○○中学に行きたい」と言い出すわけがない。子供がそういうように、親が巧みに誘導しているのです。私はこれを「自主性に偽装された期待」と名付けていてこれが一番タチが悪いと思っています。実際には親の一方的な期待を、表向きには子供の自主性尊重と「偽装」しているのです。(中略)そういう親は、「子供のためを思ってしただけ」「子供のほうから言い出したこと」と巧みに自分の期待を偽装し、そういった期待を自分が持っていたということに無自覚、無意識な場合が多い。こういう親子は一度関係がこじれると、なかなか元に戻りません。この記述を読んで、思い当たるフシもあり私は少々不安になった。中高一貫校に通う中学生の生徒たちに、「どうして中学受験をしたの?」と尋ねると「高校受験をしたくなかったから」と具体的に答える生徒もいるが「なんでだろう…するものだと思ってたから 考えたことがない」という答えや「学校を見に行こうとお母さんに連れていかれて この学校に行きたい?ときかれて 学校がきれいだったから、うん、て答えたら 受験することになった。」と、本人の意志で始まった中学受験ではないと感じる答えが多く返ってくるからだ。具体的な誘導の例も書いてあり、ますます私は不安になった。「中学はおまえの好きなところに行けばいいんだよ」「じゃぁ、ぼくうちから近いA中でいいや」「…う~ん、あの中学は公立校だよ。 まぁ、そんなすぐに結論を出さなくていいから、 もう少し時間をかけて考えてみようか」(数ヶ月後)「おい、おまえと仲のいい哲也君は、有名なB中学を受験するらしいぞ。 あの中学は私立の中高一貫校だから、中学校に入ってしまえば 高校受験しなくていいから楽チンなんだって。 どうだ、おまえも哲也君と一緒の学校に行きたくないか?」「う~ん、ぼくよくわからないよ」「まだ焦ることはないけど、もし中学を受験するなら、 半年後くらいからは、塾に行ったほうがいいとお父さんは思うぞ。 まだ時間があるからゆっくり考えてみなさい。 お母さんが、B中学の入学案内をもらってきたから、 後で見ておきなさい。いいね。」子供も親にそういう形で迫ってこられれば、あからさまに拒むことはできません。この後、子供が「じゃぁ、ぼくも哲也君と同じB中学を受けてみようかな」とでもポロッと言おうものなら、両親はもう満面の笑みをたたえて「やっぱり○○ちゃんは偉いわね。あなたならできるわよ。 私たちも一生懸命応援するから、一緒に頑張ってみようね。」と、大喜びしてしまう…巧みに誘導し、親が「子供のために」と望んだ方向、中学受験へとコントロールしていく。しかし、その無意識のコントロールに対して子供が思春期に爆発する時がある。以前、将来、この子に殺されるかもしれないと思いながら息子を叱っているお母さんについて書いたことがあるがこの本の著者は、お母さんを殴った息子たちと実際に係わり、その原因についても綴っている。うちのニート支援のNPOにいる元ニートたちにも親に暴力をふるてしまった子がいます。だいたいが男の子です。ところがいったん入寮して生活をし始めると、そんな子がじつに大人しかったり同じ寮生に対して温厚で従順だったりします。つまり子供の暴力の原因は母親にあることが多いのです。親離れする過程の子供を心配した母親が過剰にかまいすぎて子供の暴力を招いてしまうという図式です。子供は、親から自立しようともがいているのに母親がそれを理解せず、かっての従順な「いい子」に引き戻そうと「どうしたの?」と子供の心の中にまで踏み込もうとする。それで逃げ場を失った子供は、母親への恐怖心から逃れようと爆発してしまうのです。彼らは、一様に、母親に呑み込まれそうな恐怖を感じた。と言います。先日もこのブログを介して知り合った小学校3年生の親御さんから「ウチは中学受験は絶対だから」というママ友の話しを聞いたが、そういうお母さんにこそ、是非、この本を勧めてあげて欲しい。中高一貫校は、高校編入組のほうが成績がのびやすい中学入試は難しくなっているという誤解など、進学塾や、学校説明会では語られない業界に携わる人になら誰でも知っている中高一貫校の真実について書かれている他、現代の大学、就職事情など、子供の教育を考える上で知っておくべきことがたくさん書かれている。
2009年09月17日
連休明けに一泊二日でインドネシアへ行くことになり今朝、現地からスケジュールの確認メールを見ながら7月にインドネシアに行った時にパスポートの査証(visa)のページがないと入国審査で別室に連れていかれてぶちぶち言われた事を思い出し慌ててパスポートセンターへ査証欄の増補に出かけた。ちなみに増補を申請すると40ページ増やしてくれる。費用は2500円で、今日は申請から2時間後に受け取れた。パスポートの受け取り時間まで近くのカフェで本でも読んで時間を潰そうと同じビルの中にある本屋に入り購入したのがこちら。「子供のために」を疑う少し前にCちゃんを担当している日本人講師から親御さんからCちゃんをお母さんが是非通わせたいと考えている某国立大学の付属中学の受験を考えていると相談があったと聞いて!!!!!!という経緯があり、つい手にとってしまった。筆者の二神氏は、中学受験塾を経営していたこともある人物でここには、私が中学受験をした生徒や親御さんから聞いたこと私立中高一貫校、エスカレーター校に通う生徒達を見て感じたこと、大手進学塾に勤める友人から聞いたことなどお受験雑誌といわれるビジネス系教育雑誌には絶対に書かれることのないその親御さんに言いたいことが殆ど書かれている。名門私立中高一貫校の校長経験者と話をしてその方によると、爪先立つように受験勉強をして、もうギリギリの成績で合格してきて、授業についていけなくなる子供たちのアフターケアが、学校側も大変だそうです。いくら努力しても「本質的な学力レベルの違い」は埋められない。そんな場所で頑張り続けなければならない子供の気持ちを、一度想像してみてください。10代のもっとも多感な6年間を劣等感まみれになり、クラスの底辺で淀みつづけなければいけないのです。「そういう子供は、残念ながら、 どうしても性格も屈折してしまいやすい。 外の人に対しては名門校の一員として優越感を持つけど 学校内では劣等感に苛まれるという、 ひどく屈折した気持ちを持ってしまう。 できれば、退学して他の公立高校で やり直したほうがいいと思うのですが、 親もせっかく入学した学校を辞めて欲しくないと考えるし 子供本人もやはり辞めたがらないんですよね」 とは校長先生の弁ですが、そんな状況のままでは 勉強する意欲が高まることもなく 厳しい現実から目をそむけるように、 ゲームや遊びにハマッてしまう場合が多い。 名門校の一長一短がそこにあります。 端的にいえば、「開成などの名門中高一貫校へ行かなければ、 東大に合格した子が一定数いる」ということ。思い当たるフシのある生徒たちの顔が、それこそ、ばぁ~~と浮かんできた。思い当たるどころか、ピッタリと当てはまる生徒も何人もいる。そしてCちゃんが仮に合格できたとしてもかなりの確率で辿る道でもある…。子供が健全な社会人になることを望むなら私の経験上、上位3分の1、最低でも上位2分の1以内に入れない学校には進学させないほうがいいと思います。子供の精神状態が歪む場所で、あまり長い時間頑張らせないこと。親の見えのために、子供が本来持っているはずの伸び代まで潰してしまっては、取り返しがつきません。英語という中学受験にない教科であれ長年その生徒を指導していれば生徒が持っている本質的な学力を培う理解力がわかり生徒達は不思議がるが、偏差値もだいたいわかる。しかし、それを私たちから親御さんに尋ねもされない状況で言うことはできない。この著者の言葉が、Cちゃんのお母さんに届きCちゃんの実力を模擬試験の結果で知り冷静に判断してくれることを祈ってやまない。次回もこの本について
2009年09月15日
先週開講した2クラス目の年少に続き、明日他教室ですでに英語を数年間学習していた年長のクラスが開講する。どちらのクラスの開講も事前に決めていたわけではなくHPにも告知はしておらず、生徒の親御さんの紹介と口コミでお問い合せをいただき、開講することになった。昨日もHP経由で年少クラスの問い合わせが来てこれで3名の方に年少クラスについての返事をお待ちいただいていることになってしまい、開講3ヶ月は6名、4ヶ月目以降に1名の増員を認め7名という規約を設けているため3つ目の年少クラスの開講をするのか、しないのか早く決断しなければならない状況に…。年少から年長まで、すべての幼児クラスが3時から4時(1クラスのみ3時半から4時半)にあり今の講師の数では、5曜日6クラスがマックスである。来年度は、未就園クラス2クラスが年少クラスになり来年度、現状では新規の年少クラスは作ることができない。今やスイミングと英語が幼児の習い事の定番(?)となっているという記事を読んだ。幼児期に英語をやることが特別なことではなくなれば年齢相応の言語修得を無視して英語で何ができるか?という「できばえ」主義に走る親御さんが増えることは想像に易い。言葉は、意思伝達をする道具だけではなく思考を培うものでもある。思考が伴わない言葉は実りをもたらさない。英語を習うことが当たり前になってきたからこそ言葉の力、言語力とは何なのか、をしっかりと考えていただきたいと思うのである。*来月のプルミエのテーマは、思考を育む言葉の力です。
2009年09月14日
口さきだけではなく、心からごめんなさいが言えない子どもが増えていると感じる。自分の前でスキップをしてた幼児の我が子が見るからに痛そうにバタンと転んだら何と言うだろうか?今にも泣き出しそうな子どもに「痛くない!」と声をかけ子どもは懸命に顔をゆがめながらも起き上がる。そこですかさず、「えらい!泣かないよ!」と声をかける。すると子どもは、けろっとしてスキップを始めた。というような経験をした方はいらっしゃらないだろうか?私は、幼児の生徒が転んで、起き上がる時に、「ぼく偉いから泣かないよ。大丈夫」と言ったのを何度か聞いたことがある。専門家は、このようなコミュニケーションは、のちに感情をコントロールできなくなる子どもを育てるコミュニケーションだと指摘している。今、内省力を身につけない子が増えているという。内省する力とは、自分の心の中にあるネガティブな部分、不快な感情をふりかえり、見つめていく力だと大河原教授は述べている。感情のコントロールができずに、すぐにきれたり、泣いたり、パニックになったりする子どもや、あるいは過剰にコントロールしすぎていて、ネガティブ感情をいっさい表出することがないような子どもはともに非をおそれ、素直にあやまることができない状態だという。子どもに「ごめんなさい、を言いなさい」と言ってきかせることで、心からごめんなさい、と、言えるようになるわけではないだろう。心から「ごめんなさい」と言える子どもはそのとき湧き上がってくるどうしようもない申し訳なさや、不安や恐れや自責感やせつなさを「ごめんなさい」という言葉で相手に伝えようとする。つまり、感情と言葉が一致しているということだ。前出の「痛くない」「えらい!」というお母さんの言葉は転んで身体は痛いのに、痛くなくと思い込むことが「えらい」と褒められる良いことなのだという教育がなされていることになる。そして、このような言葉によるコントロールを受けて育つと痛い、こわい、不安といったネガティブ感情は封印されてしまうので容易には出てこず、ひとたび出てくると、溢れだしささいなことなのに過剰に怒ったり泣いたりするという、感情のコントロールのできない子どもになると言う。先程の場面であれば、子どもは、現実の身体の痛みのまま「わ~~ん」と大泣きし、お母さんが、身体感覚にフィットする言葉「ころんじゃったね、痛かったね。嫌だったね。 よしよし」をかけ抱きしめて受け止めてあげることで、子どもは、不快感情を受け止められる力(内省力)がつき心からごめんなさいが言えるようになると言う。大河原教授は最後にこのように述べている。早期から大人にとって都合のよい扱いやすい子どもがよい子として求められ、乳幼児期から泣かずに迷惑をかけないことを求められてくる今の子供達は、自らのネガティブ感情をどう抱えてよいかわからず、封印することのみを学習してきている。その結果、ネガティブ感情が暴走してコントロールできなくなったり自分のネガティブ感情にふれることができないために、内省する力がまったくつかないままに青年期を迎えてしまったりする。ネガティブ感情は言葉とつながることにより安全なものになる。私たち大人がどのような言葉で子どもたち語りかけるかが問われていることを感じた。
2009年09月11日
昨日に続き今日もこちらの本について「勉強しろ」と言わずに子供を勉強させる法「勉強しろ」と言わずに子どもを勉強させる…つまり自立学習を身につけさせることではないかと思う。できる子の親は、積極的に手助けをするのではなく子供の苦手な漢字の書き取りや、鉄棒の練習に根気よくつきあいます。早くできるようになるコツや攻略法を追い求めず手間暇かけてでも子供に弱点を克服させ、自信を付けさせていきます。そういう粘り強い姿勢を持っています。以前も書いたが、夏休みの自由研究が残ってしまい書店で自由研究の課題が載っているHow to 本を買ったりインターネットで検索したりして早くできるようコツや攻略法を子どもに提示している親御さんがここ数年目立って増えてきているように感じる。この本を読んでいくと「できる子の親」「できない子の親」は、云々勉強にプラス、マイナス、と書きながらも勉強だけではなく子どもをいかに自立させ社会人として通用するかを考えて子育てをすることが大切なのだと著者が警鐘を鳴らしているように思えてくる。おもしろい記述があった。(麹町慶進会の塾長)島村氏は、よく子供の父親にこう質問するそうです。「お父さんは、働いていらっしゃいますが、 お子さんを部下に欲しいですか?」すると全員が「いやぁ~どうでしょう。」と苦笑いして答えるそうです。勉強のことばかりを気にしている親はそういう大切なことに気づきません。勉強がそこそこできても、社会人として通用しないのでは子供は生きていけないのです。子供は幼稚園・保育園から始まって小学校、中学校、高校、大学と進んで行きます。そして最終的に行き着くところは“社会”です。この子はどうなのか?親は社会人の視点で子供を見ていかなければなりません。著者がこの本の中で示している「できる子」が持っている四つの特性は1.能動性2.継続性3.粘着性4.論理性だが、これは何も勉強に限ったことではないだろう「できる」と言われる人が持っている特性でもある。勉強ができるような子にするために幼児期にしなければならないことは何なのか、ということを考えるきっかけになる一冊。本の後半には、父親として著者が我が子に行った取り組みが書かれている。
2009年09月08日
週末は南房総の家のロフトで読書をして過ごした今回ご紹介するのはその中の一冊「勉強しろ」と言わずに子供を勉強させる法タイトルを見ただけで、内容がわかりそうな本だったが確認の意味で購入…やはり想像通りの内容だった(笑)筆者である小林氏も30年以上子供に教えることを生業としてきて帯には「受験指導の超プロ」だけが知っている結論と書かれているが、まぁ、受験指導の超プロではない私でも同じ結論に達しているので、長年子どもを教える仕事を通して親御さんと係わる人であれば誰でも気がついていることだと思う。「できる子」の親は教えないで伸ばすという項目では、このように書かれている。この章でご紹介した七人の「できる子」の実例をお読みいただくと、いい意味で親の影響から開放されていることに気づかれると思います。これは、偶然でしょうか。親に勉強を強制されてできるようになった子はただの一人もいないのです。実はこの結果が全てを物語っていると思います。つまり、「できる子」の親は、教えないで伸ばす傾向にあるのです。一方、子どもに勉強を強いる親は、勉強さえできれば社会で生きていける、という固定観念に縛られています。そうした考えを持つ親は、多くの場合、さらに二つのグループに分かれます。ひとつは、親自身が学生時代からできが良くその結果得られた現在の状況に満足し子供にも同じ道を歩んで欲しいと願っているグループです。他方、親自身が勉強が不出来で、現状を後悔している、前者とは逆のグループが存在します。(中略)勉強も、スポーツや手先の器用さと同様特殊技能のひとつと心得て、子供が勉強の分野に適性があればそれを応援し別の分野で能力を発揮していればそこを伸ばしていく。そのような見究(みきわ)めと使い方が親には求められているのです。また、子供の能力の発達には段階があり個人差があるとし、我が子がまだその段階に達していないのに訓練により問題を解けるように強制的に働きかけてもそれより普遍的な能力が身につくわけではありません。できる子の親は我慢強く、子供の成長を待つことができます。そして子供が伸びる時期にさしかかるとそのタイミングを捉え、必要な本なり問題なりを集中的に与えていきます。その時期であれば吸収も良く、子供の能力は効率的、飛躍的に伸びていくからです。先日紹介した「やりぬく子を育てる親」の五項目に当てはまらないだろうか?続きは、また次回に…今日から新しい年少さんのクラスがスタートするので早く教室に出かけます。どんなお子さんとお母さんに出会えるのか楽しみです。
2009年09月07日
9月の第1週目のレッスンでは夏休みの暗唱課題の発表を行うことになっている。昨日も幼児から英語を学習している小1のクラスで課題だった『はらぺこあおむし』の発表が行われた。教室内の生徒はもちろん、ロビーで待つお母さんも緊張気味だった。このクラスも昨年『らいおんとねずみ』の暗唱を行っているが、英文1文が『はらぺこ』の方が長いのでボリューム以上に暗唱のハードルは高い。会員制のブログにも書いたが、暗唱指導は英語習得のためだけではなくできないことが、反復練習をすることでできるようになるという経験をさせ、最後までやり抜き、自分に自信をつけさせることだ。そしてもう1つ、クラスの他の子の暗唱を聞いて自分が満足するレベルを自分で設定するワークリミット感覚を身につけさせることだ。つまり家庭では、『できばえ』に関係なく、褒めて励まして最後までやり通す、ということをしていただきたいのだがつい『できばえ』に目がいき、『褒める』のが難しいと昨日お話ししたお母さん方も仰り、某幼児教室?では、子どもを褒めることが難しいお母さんに子どもを褒められるようにいかに大変なことを子どもにさせているかお母さんにも同じことをやらせ、子どもの前で発表させるというアクティビティを行っていると教えていただいた。昨日、お話ししたお母さん方に一部お伝えしたやり抜く子を育てる家庭の親についてカウンセラーがあげた五項目が、こちらである。1.子どもの意欲を先取りしない親2.目標を思い切って低く設定できる親3.未達成な部分は小さく指摘するにとどめ 達成された部分を大きく評価する親4.つねに裏方、半歩後のポジションを堅持できる親5.心身の労を惜しまない親褒め上手なお母さんの五項目とも受け取れる。褒め上手なお母さんになっていただくために某お教室のように実教室のお母さん方にも暗唱課題を一緒にやっていただき子どもの前で発表していただくのもいい考えかもしれない(笑)
2009年09月04日
今日もこちらの雑誌からedu (エデュー) 2009年 10月号 [雑誌]塾はあくまでもビジネス。踊らされず、冷静につきあいましょう。という書き出しで始まったのが、「中学受験ママへの個別指導」の著者として有名な安田教育研究所代表の安田 理氏のアドバイスだ。毎月、高い費用を払っているに、まったく成績が上がらないと不満が出るのは、塾を学校と混同しているからであり、学校と違って塾はあくまでもビジネスで成り立っているということを知っておくべきだとしている。塾側とすれば、新たな入塾生を獲得するためには、難関中学に入学させたという合格実績が広告となりますからチラシなどで数字を強調するわけです。学校はできない子にも手を差し伸べますが、塾の場合は、看板となる学力上位のクラスにベテラン教師を配置し力を注ぎます。お母さんたちからすれば、同じ月謝を払っていながら納得がいかないでしょうけれど、ビジネスだと考えれば、納得できる話です。塾に通うという時点で、そこを冷静に見極めておくことが大事なのです。この部分を読んで、私は少子化で塾と同じく生徒の獲得に懸命な私立の中高一貫校も同じではないだろうかとふと感じた。コース分け、クラス分けなどで成績のよい子を集めた特別クラスを作り優秀な生徒が一人で複数の難関大や有名大学への合格して作った数字を強調し合格実績として露出させ受験者を増やしたり、実際に私立の中高一貫校に通っている生徒たちから特別クラスとそうでないクラスの違いを耳にして驚くことが多いが、それも塾と同じビジネスだと考えれば納得できることである。安田氏は、「合格」という結果にだけ執着するのではなく、小学校生活というプロセスも大事にして欲しいとこのようにアドバイスをまとめている。一生に一度しかない小学校6年間だからこそ、おもいっきりスポーツで汗を流し、学校行事でもたくさんの思い出を作ってもらいたい。それが、将来のお子さんの人生を支える豊かな土壌となるはずです。小学校生活を大事にしたうえでの塾通いであってほしいと思います。陰山氏、安田氏、お二人の記事に共通する「生活を大事に」という言葉は「合格」するために受験を何より優先し、試験直前には学校を休ませ、塾に通わせるという子どもの生活習慣を軽視する親の価値観に警鐘を鳴らしているのではないかと感じた。
2009年09月01日
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