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間が空いてしまいましたが、前々回の続き…Y君のお母さんが言うにはY君は「今回は合格する!」という強い意志を持って望んでいたと言う。そう言えば、英検の前に行った研修でもY君と同じように小1から実教室で英語学習を始め週1回、同じテキストを使って学んでいながらすでに中学1年生で2級を取得したHちゃんや中学2年生で取得したSちゃんのことを「凄いよね」と言いながら、同じクラスになってから2年以上経つのに埋まらない自分との「英語力の差」を気にしていた。私は、そんな彼の様子にようやく彼も一生懸命に英語に向かい合って努力し始めたからこそわき出した気持ちだろう。「SとHと今のあなたの英語力の差は 小学校時代に、あなたがただ叱られないように ただ宿題の暗唱課題を言えればいいとやっていたのに対して SとHは、聞き取った英語を自分で書いてみて 意味を辞書で調べてみたりと、私が言わないレベルまで 自分で努力していたことでできたもの。 石川 遼選手も子どものころに今日の優勝は 昨日の練習の成果ではなく 2年前の練習がもたらしたもの、だと コーチでもあったお父さんに言われたと言っていたし 先生のジュニア時代のテニスのコーチも 自分の限界は自分が作る、ってよく言ってた。 先生も今、みんなを教えていて本当にそう思う。 裏を返せば、今日、みんながこうやって勉強している 努力していることは、必ず将来自分を支える力になる ということでしょ。」「そうか」と他の参加者とともに頷いていたY君は研修から帰ると、「勉強することが楽しくなった」と言ったそうだ。今回の英検でY君が合格とともに手に入れたものは自分で努力して培った力で英検という試験に挑戦するからこそ得られたものである。同じ経験であってもする時期によって得られるものが異なるのは英検も同じだと感じる。
2009年10月30日
昨日、実教室のHalloweenのイベントが無事終了した。講師とともにスタッフとして参加する高学年を除き未就園から4年生までを対象としているのだがHalloweenそのものが広まってきたせいもあり年々参加者が増え続け今年は90名を超える申込があった。中、高校生の生徒達の手伝いがなければ運営できないサイズである。昨日も、trick-or-treatingに協力していただく家を間違えてお菓子を届けるという笑えるようなミスはあったが実際に参加した生徒をまとめ、混乱もなくイベントが時間通りに終了させたのは彼らである。彼ら自身も小さい時からこのイベントに参加して何をするか、何をすべきがわかっているからできることなのだろう。イベントは昼間に行われる未習園から年中の第1部と年長から4年生を対象とした第2部で構成されていて一部はHalloweenを体験させる二部はHalloweenを楽しむ内容でアクティビティを構成している。こちらは、未就園と年少、年中が外国人講師とイベントのアクティビティで作成した大きな貼り絵なんといっても実教室のHalloweenのイベントの一番の目玉は教室の近くに住んでいる生徒のご家族の協力を得て行うtrick-or-treatingだ。やりたくてもできない教室が多いなか皆さんの協力を得て、毎年やり続けていけるのはとてもありがたいことである。お菓子の差し入れをご近所から頂いたり仮装した子ども達の集団が夜の町内を行き交う光景は町内の風物詩となっているかも…?(笑)今年は、第一部の参加者もお母さんと一緒に教室に近い家を3軒ほど回り絵本で見たことのあるtrick-or-treatingを体験し年長さんのグループは、今月外国人講師が教えたGo away! Big green monsters を全員で歌いながら近所を回っていた。そしてもう1つが、二部で出す「悪魔のカレー」である。同じ釜の飯を食うではないが食事を共にすることで初めて顔を合わすメンバーとも楽しめるようにしようとカレーとデザートを出すことを始めた。ところが開始した時は、スタッフを入れても40名前後参加者の殆どが低学年なので寸胴鍋1つで足りていたものが7年がたち作る量は倍になり、カレーが入った寸胴鍋をコンロから降ろすのも私の力では無理になったしお玉を持ってぐるぐるかき混ぜていた為に右腕が筋肉痛である(大笑)昨年は中高校生が手伝ってくれたのだが教室のコンロは付近には換気扇がなく料理は御法度と指導を受け…。自宅の狭いマンションサイズの台所ではとてもみんなで、というわけにはいかない…。う~~ん、広い台所を持った教室が欲しい(笑)そして今年のデザートは焼きリンゴに挑戦ところが、切り分けた状態で配っていた為に多くの生徒たちから「ポテトちょうだい」と…(TT)&(爆)なかなか苦労ほど報われないのだが、毎年楽しみにしてくれている生徒たちも多くいるので彼らの笑顔を励みに来年も鍋をかき混ぜるだろう。Happy Halloween!
2009年10月26日
昨夜、教務補助をしているアルバイトから土曜日に実施した英検を受検した生徒たちが問題用紙に記入した解答の採点結果を受け取った。実教室では、指導法を大きく変化させ、英語習得の自立学習が学習者の中で確立する3年生まで英検を受けさせることはしないが、今回、3年生のクラスに飛び級している2年生二人が5級を受検した。暗唱課題もきっちりとやり母語を含め言語力の資質も興味も高く、英検取得を目標に指導をすれば、1年後には2級取得も可能だとも思えるが私たち指導する側はもちろん担当講師によると親御さんも早期の英検取得に全く価値を感じておられないと言う。もっとも早期の英検取得に価値を感じておられるのであれば実教室をお選びになることはないだろうが…(笑)カリキュラムごとに習得度が異なっているために同じ級を受検していても生徒の学年はまちまちで他教室から6年生の後半に実教室に編入してきた中学1年生のR君は今回、英検に初チャレンジし5級を受検した。幼児から準大手の教室でネイティブ講師の指導を受けていたのにもかかわらず、レベルチェックに来た時には、見てわかる単語のみ読め、Me like~と口にしていており、英語に慣れている、という程度で4技能のバランスが悪くグループレッスンに入ることができず、phonixを習得させつつ、文法理解を進めるという内容で個別レッスンを受講し、併せて夏期講習も受講しようやく9月から一番下のカリキュラムのグループレッスンに入ることができた。彼の力からすれば今回の英検で5級に合格することは明らかであったが、彼にとっては、夏休みの学習成果を試すものであり試験中も、とても丁寧に一問一問考えながら解いていて絵本やテキストのダイアログの暗唱で習得した予測文法を働かせて、ちゃかちゃか、とクイズ問題のように筆記問題を解いていく2、3年生とは実に対象的な姿だった。R君にとって今回手にする5級の合格通知は誰よりも価値のある重いものとなるだろう。そして昨夜、私が担当している高校生で今回 2級を受検し、採点結果から二次試験に進むと思われる生徒に一次試験合格の連絡をした。生憎本人たちは、入浴中だったり、すでに就寝?していたりで電話に出てこられたお母さんに結果をお伝えしたのだが、そこで高1のY君のお母さんから彼が今回の英検に、彼のレッスン中、研修中の様子からは想像もできない強い意志を持って臨んでいたことを知らされた。つづきは次回に
2009年10月21日
今週も4年生1名、2年生2名がお母さんに連れられて実教室にやってきた。入会していただけるかどうかはまだわからないが生徒募集の告知もしていない状況でお問い合せをいただき、足を運んでいただけるだけでも実にありがたいことである。さて、今日もこちらの本から完璧志向が子どもをつぶす幼児の習い事は親の意志で始めるので早期英語の教室をやっていれば、幼児の我が子に英語を習わせるという判断は同じでも実にさまざまな親御さんの価値観と出会う。原田氏は子育ては親の価値観を具体化したものであるとこのように書いている親がどんな子育てをするかは、その人の価値観に大きく左右される。言ってみれば、子育ては親の価値観を具体化したものである。価値観とは、その人の思考の素になっている信念や考え方のことである。価値観はその人の人生経験やその人にとって大切な人の影響を強く受けてできあがったものであり、その根幹の部分はそう簡単に変わるものではない。早期教育をさせるかどうか、中学受験をさせるかどうか、はげしいスポーツクラブに子どもを入れるかどうか、などにも親の価値観が明確にあらわれる。「受験戦争」と言われるような高校入試や大学入試をさせるよりは小さいうちに、と考えるどうかも親の価値観により変わる。早期教育もかなり広がってきたし、中学受験も広がってきている。親の価値観がいろいろな情報や社会の動きに大きく影響されることを物語っている。確かに、○○大学に合格するのは大変だからと○○大学付属の中学を受験させる、という判断に中学、高校、大学受験生、すべてと接している私は首をかしげてしまうしかし、発達的に考えて、中学受験は早すぎるし早期教育や「お受験」の世界は、極端な子育てと言わざるを得ない。人間にはキャパシティーがあり、それは年齢が小さいほど少ないのである。早期教育や「お受験」に頑張る子どもは、本来その年齢ですべき体験をしないままに過ごす結果となる。特に、小学生はやる気満々の子が多い。そういう年齢なのである。ほとんどの親は、子ども本人がしたいと言ったのでさせている、という。しかし、「小学生の“したい”ということは、親がさせたいことと同じである」と考えてほとんど間違いない。この時期の子どもは親の期待に応えたいという願望が強い年齢である。高校生がしたいということは、ほんとうに本人がしたいことであるが、小学生のしたいということは、まだ自分の主体が確率していないので、親のしたいと思っていることと一体化してしまうのである。そのあたりの、子どもの年齢による違いを知る必要がある。何でも早ければいい、というものではない。人生は長い。二十歳、三十歳になり、年齢を重ねるにつれ、よりいきいきと生きられる人格に育てたいものである。ところで、このような考え方は、私の価値観である。精神科医としてたくさんの子どもたちを見てきたためということもあるし自分自身の体験にも強く影響されていると思う。どうやら私は、原田氏が言う“ほとんど”に当てはまらなかったようである(笑)テニスと英語は今でも続き、技術の習得だけではなく、考え方はもちろん人生にまで影響を与えたのに対しピアノなどその他の習い事は、技術的な、それも今は面影がある程度の習得しか残せていない(笑)続いたものと続かなかったもの、私の場合は、「できばえ」を自分以外の人に要求されたか、されなかったかで決まったと言える。これは多分に私の性格によるところが大きいが「もっときちんとできるように練習しなさい」と「自分でもっとできるようになりたいから練習する」では大きな違いがあると考えているので、実教室では暗唱課題に対して親御さんにできばえについて一切口にしないようにお願いしているのもこの為である。教室でも同じクラスの子の、先輩たちの「できばえ」を目にしてもっとがんばりたい、と思ったらがんばれば、いい。というスタンスである。このような考え方も、私の価値観からきている。原田氏が精神科医としてたくさんの子どもたちをみてきたように私も24年間早期英語講師としてたくさんの子どもたちと関わってきたことが私自身の経験となり考え方に影響を与えている。実教室を通して生徒達がさせてくれる経験とともに親御さんのさまざまな価値観に出会い自分の価値観が広がっていくことを幸運だと思わずにいられない。そして、もし、このブログを通して私の価値観がこのブログを読んでいただいている方の価値観を広げるお手伝いができているならとても嬉しい。
2009年10月16日
昨日に続き今日もこちらの本から完璧志向が子どもをつぶす原田氏は更に早期知育教育について目標を明確に持って、無駄なく、効率よくマニュアル通りにまちがいなくという日本社会の風潮に馴染んできた親たちにとって答えのはっきりしない一見無駄ばかりのような苦しい育児の中で早期知育教育では目に見える成果が得られ落とし穴にはまってしまう親がいても不思議ではないと言う。早期教育を子どもにさせる親は、自覚的には一生懸命に子育てをしているのである。しかし、ただ“一生懸命に”だけでは子どもは育たない。生まれて間もない子どもにとって、最も大切なのは、安全で安心していられる環境である。言い換えると、“無条件の愛”である。ところが、早期知育教育に熱心な親の愛は“条件付の愛”である。親の要求するお勉強や習い事などの課題をこなして初めて得られる愛である。このあたりのことが中学生や高校生になり行き詰まり思春期やせ症になる子どもたちの典型的な原因である。誤解のないように言っておきたいが、子どもに課題を与えて、できたら褒めるという“条件付の愛”のすべてが悪いと言うのではない。“条件付の愛”ばかりになってしまうのが問題なのである。早期知育教育に走ってしまうと親主導だけに親も教室に連れていったり、教室の課題をやらせることに懸命になり時間的にも精神的にも余裕のない状態に視野も狭くなる。気がつけば条件付の愛ばかり与えている状態になってしまっているのではないだろうか。今の子どもたちの育ちの大きな問題点は、親子の距離が近すぎることである。近いために子どもは親の期待を強く感じ取ってしまい、親の期待に応えてしまう。特に「いい子」タイプの子はそうである。以前もこのブログに書いたが、小学校中学年の生徒達に「いい子」ってどういう子?と尋ねると「お母さんの言うことをよくきく子」という返事を返す生徒が多い。そしてそういう返事を返す生徒たちが口を揃えて言う台詞が「私(僕)は、お母さんの言うことがきけなくて、 叱られてばかりいる悪い子」だ。「お母さんが叱るのは、もっといい子になって欲しいからであって 本当に悪い子だったら英語なんて習わせないし、叱りもしないと思うよ」と、フォローするも日本の中高校生の多くが「自分はダメな人間だと思う」と答える下地はかなり前から作られていると感じる。この本でも原田氏が最近強く感じているのは子どもが小さい時ほど、親の力が圧倒的に強いということだと書いている。親の想像以上に親の言葉や態度は子どもに強く影響を与えていると言うことだ。親や先生の期待に応えること自体はいいことである。ところが、人間の心の成長は複雑な面を持っていて、親や先生の言うことばかりに応えていたのでは、柔軟に人と交われる心は育たない。そこが現代日本での子育てのむつかしさのひとつである。先生や親の意向に従って生きられるのは、せいぜい小学校までである。中学受験を終えて自分の長所も将来何がやりたい、という事も見いだすことができずに目の前の楽しみだけを追いつづけるという長い中だるみのトンネルから抜け出せない生徒達子どもは心底「したい」という要求に基づいた体験をする中で、自分がしたいこと、将来なりたい夢を試行錯誤しながら作り上げていく。その作業をする余裕がないくらいに、「…すべき」ことが待っていたのである。この「…すべき」ことが子どもが自分で決めたことではなく、親が決めて与えた「…すべき」ことと、いうのが問題なのだと思う。次回は、この本に書かれている子育てとは親の価値観を具体化したものについて考えてみたい
2009年10月14日
連休は4年生から高校2年生の生徒たちと南房総で過ごした。今回は、夏の全体キャンプを毎年のように経験しインドネシアでの海外研修にも参加している実教室の団体生活には慣れている生徒達が半数以上中学生以上では初参加が一人だったので彼らがそれぞれのキャラを活かして慣れていない生徒達を上手にまとめてくれたおかげで、私たち講師は余裕を持てて、学習以外の指導やアクシデントにも迅速に対応することができ、ありがたかった。宿泊研修では生活を共にすることで学習面だけではなく性格面など教室のレッスンでは見えない側面が見え生徒の全体像が掴むことができる。思春期の生徒達にとって自分の気持ちをぶつけられる大人の一人でいることは思春期の子どもたちに携わる私たちにとってとても大切な意味を持ち思春期前に生徒達の全体像を掴んでおくことは後に彼らを支える必要が出た時にとても役に立つ。昨日も指導の合間に高校生たちと英語習得法やら受験などの話しをしたのだが、ポンポン彼らから話しが返ってくる。これも小学校の時からの彼らの習得や成長の過程を知っているからこそ彼らが今抱えている葛藤が想像でき彼らもまた、幼い時からの自分の泣き笑いを見てきている私にだから言えることで成り立つ会話だろう。研修に行く前にこちらの本を読んだ。完璧志向が子どもをつぶすmixiのマイミクさんが、以前ブログにこの本のことを書いていらしてとても気になっていた。著者の原田氏は精神科臨床(小児・思春期外来)として長年子どもとその親に携わりその豊富な経験をもとに子育てについて書いたのがこの本である。問題を抱えている思春期の子どもとその親に係わる経験を通して感じることは、立場や視点は異なれど、同じなのだとこの本を読んでも感じた。完璧志向、○×思考の親御さんが増えてきたと考えたことはなかったが、入会して半年未満というのに「ウチの子はちゃんと先生の指示通り、 毎日15分CDを聞いているのに 少しも暗唱できない。 ウチの子に暗唱は向いてない。 教室を変えた方がいいのではないかと悩んでいる」など確かにこの本で原田氏が問題視している正しい答えを考え出すのは自分の役割ではない、私の役割は用意された答えの中から正しい答えを選び出すことだという思考で子育てをしていると受け取れる相談を受けることが実教室でもないわけではない。自分の子に合った指導法という正しい答えを選ぶために教室をめまぐるしく転々とする、というのもその現れだろう。ウチの子に合う、合わないという選択を○×思考と考えるなら原田氏がその思考の原点を正しい答えがかならず1つある、というマークシート方式の影響と考えているのも頷けるし「ほどほど」がわからない、と書いているのもわかる。ところが現実には、世の中には絶対正しいということなど、ないのである。見方や立場によって正しくもなれば、間違いにもなる。とくに子そだてにはいろいろな要素が絡んでいるため、同じことをしたからといって、子どもがまったく同じように育つということにはならないのである。以下、次回に続く
2009年10月12日
水曜日から新型インフルエンザへの感染予防の為にマスク着用を徹底することにした実教室。昨夜もマスク着用について家庭連絡をしていた教室の卒業生でもある大学院生のアルバイトスタッフが、「先生、H君のお父さんって面白い方なんですか?」「お目にかかったことはないけど、どうして?」「マスク着用をお願いしますとお伝えしたら タイガーマスクでもいいですか? と聞かれました。」大爆笑まぁ、夜9時近かったのでお酒が入っていらしたのかもしれないが「で、あなたは何て答えたの?」「返事に困ってしまって、普通のマスクでお願いします、って 答えました。」「…つまらないねぇ~」「え?先生だったら何て答えますか?」「私だったら、 インフルエンザ感染予防タイプのタイガーマスクでお願いします。 って、答えるなぁ」完全に居酒屋のおやぢトーク(笑)なのだが、一部上場企業の最終面接にこぎ着けるものの不採用ということの繰り返しだった就活のストレスで5キロ以上太ったという彼女は「ああぁぁぁ、そう言えば大手企業に さっさと就職が決まった友達たちは 皆、おもしろいことを言うことができました。 私が最終面接で落ちたのは機転が利いた受け答えが できなかったことが理由だったんですね」総合職の最終面接で年配の役員を笑わせるようなおもしろい答えを言えるかどうかで判断されることはないだろうが相手の質問の真意を即座に読んで機転のきいた受け答えができるかどうかは相手を理解した上で自分の考えを述べ相手を納得させるという対話力を判断する基準と言えるかもしれない。そうそう、H君のお母さん、息子の教室からの電話に想像もしない突っ込みを入れたお父さんにさぞかし、お怒りかと思いますがあまりお叱りにならないでくださいね。お父さんのオヤジトークのおかげで一日の疲れも吹っ飛びましたから
2009年10月10日
2週間ほど前から生徒たちが通っている学校(小中高校)が新型インフルエンザによる学校、学年、学級閉鎖になったと生徒達からぽつぽつと耳にしていたが、今週に入りその数のスピードが一気に加速し、新型インフルエンザに感染した生徒だけではなく学校での感染が疑わしく潜伏期の可能性があり他の生徒さんや先生に感染させると申し訳ないので休ませるという欠席連絡が入るようになってきた。実教室では、今日からマスクの着用を義務づけることにし、昨夜、スタッフは家庭連絡に追われた。外国人講師にマスクをさせるわけにはいかないが私たち日本人講師、スタッフもマスクを着用する。教室には受験生だけではなく、親御さんに連れられて赤ちゃんも出入りする。ウィルス除去用のアルコール剤の噴霧やマスク着用が感染予防にどれだけ効果があるかわからないが1%でも感染リスクが下がるのであれば、行うべしという考え方だ。昨日までで国内で疑いを含めて新型インフルエンザで死亡した人は21名日本でもワクチンの接種が始まる。死亡率の解釈や副作用の危険性を含めてワクチン接種への考え方は医療関係者によって異なっていて判断に迷うところだがオーストラリアでは、健康保険に入っていない海外からの旅行者でも接種代30ドル(2300円)で新型インフルエンザのワクチンが接種できるという。詳細はこちらから日本では、大学受験生である高校3年生への接種は1月に入ってからとなっていて遅い!オーストラリアに接種に行かせよう!と考える親があらわれ、近いうちにワクチン接種目的のツァーができるやもしれない。
2009年10月07日
昨日でこのブログのアクセス数が10万を超えました。昨年の2月にこのブログを始めた時は6桁のカウンターに数字が並ぶなど想像もしていませんでしたので、こうして数字が並んでいるのを目にすると改めて多くの方にご覧いただいているのだと感激しております。ありがとうございます。さて、今日もこちらの本から対話力30代のサラリーマンを対象とした調査では職業生活で大切だと思うものの一位が対話力で、二位が教養という結果だったという。彼らは学校で、できあがった知識の体系は教えられてきましたが、知識を獲得する方法は教えられてこなかった。だから社会にでて、人と会って話しをすると、いかに自分に教養がないかと思い知らされるわけです。しかし、それを獲得する方法は教えられていない。将来、自分が40代、50代になって、教養不足が自分の欠陥になるのではないか、と不安になっているようです。と久恒教授が言えば、樋口教授は教養と対話力についてこのように語っている。教養についていえば、若い人に知的好奇心がなくなったことも、対話力低下の原因だと思います。知的好奇心がないから、教養が身につかない。物を知らない、知ろうとしないということです。だから人を説得できないし、対話ができない。他の価値観との出会いに対して魅力を感じない。インターネットやゲームに依存して、閉じこもっているのは、まさにそうです。異文化、異世代、異業種の人たちと出会わなくなってしまった。もう1つは、他の価値観に出会う必要がなくなった、つまり対話力を獲得する必要がなくなった、ということがあると思います。先週mixiで書いた子どもたちの言葉の力の低下を問題視するなかで子どもたちは学習の意味や価値を見いだしておらず、生涯学習につながる本物の学習意欲が育まれていないという認知心理学の専門家の言葉を紹介したが、樋口教授だけではなく、二神氏の考えにも共通していると感じる。対話力を構成するものとして私が重視している論理力というのは、基本的には何かを獲得する力です。うちの子どもの場合でいうと、小学生の頃だったか「携帯電話を買ってくれ」というわけです。そのとき私は、「だったら親を説得してみろ。欲しいのなら、その理由を納得できるように話してみろ」と言ったのです。いちおう小論文の先生ですから(笑)そうしたら、一生懸命話すわけです。こういうとき、こうだから必要、という具合に。何かを獲得したいときに、自分と違う価値観の人を説得する必要が生じてその結果、自然と論理的に考えるクセが身についてくる。対話力を磨こうとするわけです。私も父親に欲しい理由を伝えて、父親を納得させられなければ買ってもらうことはできなかったので何かを獲得したいときに相手の理解を得ようと、必死になって考え説明するというのはとてもよく理解できる。(笑)フィンランドメソッドにミクシ?(どうして?)という質問攻めにすることで自分の発言を客観的に見つめさせて論理力をつける指導法がある。家庭で我が子の対話力を磨こうと意気込まなくても対話力を磨く機会は生活の中で山のようにあるということだ。実は今日、6年生の一人の生徒にお説教というか話しをすることになっている。ミクシ?とともに樋口教授が論理的な受け答えの構文としてあげている「確かに…、しかし…」を使って話してみよう。
2009年10月05日
今週末は2年生から4年生の生徒たちの宿泊研修で南房総に来ています。研修は日本人講師の手で進められているので私は「賄いのおばさん」兼「説教係」今朝は朝から「お説教」をすることになりロッテンマイヤーさんになったような気分もちろんロッテンマイヤーさんとは違って私は、動物嫌いでもないし頭ごなしにお説教することはしないのだが…(笑)実教室ではコミュニケーション能力を養うためにフィンランドメソッドを使った日本語でのレッスンを2年前から行っているが、今年から一部のクラスで通常レッスンでも英語のアクティビティの1つとして実験的に取り入れ始めた。そんなわけで、どのようにして論理力を養えばいいのかが大きなテーマとなって私の頭の中を巡っているので昨日も大学受験生用の問題集を探しに大型書店に出かけたに際も新書のコーナーに直行し、物色していたら対話力アップとは、理解力と論理力を磨くことであるという帯の言葉を発見!購入し早速読み始めた。対話力図解教の教祖と言われる久恒教授が朝日新聞の今年の調査で、主要100社が、新卒採用で重視する能力の一位はコミュニケーション能力としているのに、今の学生は「自分たちにはコミュニケーション能力(この本では対話力)がない だから身につけるようにしよう」と考えていない。と指摘すると、小論文の神様として名高い樋口裕一教授は今の子どもは対話力の不足を感じていないがために、対話力が身につかないのだと、ととらえるほうがいいと言う。対話力というのは、まず相手を理解することから始まると思うのです。そのために役立つのは、多様な価値観を理解する力です。学生を指導するなかで私が一番感じているのは読解力不足です。読解力不足を生み出す背景に狭い価値観の中でしか生きていないことを上げその理由を1つには、情報化社会が進んだためであると思います。当初はインターネットなどで多様な価値観を知ることができると言われていたのですけれど情報化が進んできて、まったく逆になってしまっている。インターネットの匿名掲示板サイトを見ると同じ価値観の人間がかたまってしまって、違う価値観の人間が登場すると排除するという構造ができています。ただ、ブログができてその状況が多少変わってきているかな、という感じは抱いています。ブログというのは、まさに自分の価値観を他者にぶつける他流試合ですから。樋口教授、炎上するブログもありますが…と突っ込みたくなるところ樋口教授が私もブログをやっていますが、ブログにはいろいろな書き込みがありますね。みんなが見ているから、どう答えるかが以外にむずかしい。「ここはこうずらしてやるか」などと考えながらコメントを書いていきます。それが対話力を磨くツールになっているのですね。」なるほど~~。mixiに逃げちゃいけないと…でも(笑)更に樋口教授は、ブログは発信のツールですが、日本の教育では、子どものほうから発信させる、ということが余りありません。私は対話力は、相手に対する理解と相手を説得する論理力からなると思っていますが論理力とはつまり発信する力です。それなのに、国語教育、英語教育は全部、受信です。受け取ったものをどれだけ覚えたかで評価されるわけで、発信する力は重視されません。PISA(学習到達度調査)の国際比較の結果によると日本は読解力が16位です。言葉を変えれば、「発信力がない」「応用して伝える発信力をまったく持っていない」ということです。教育の現場で書かせるものと言えば作文であって、論理的な文章ではないので、論理力は育まれません。そろそろお昼の賄い作りの時間続きは次回に(笑)
2009年10月04日
小学校で英語の授業が始まります。英語を始めませんか?某英語教室の宣伝に使われていたフレーズそして大手の英語教室の営業が、習っておかないと小学校の英語で躓きますよというセールストークを使っていると耳にした。そもそも2010年から小学校で始まるのは英語活動であり成績がつくような授業ではない。実際に指導要項、教材を見ても英語に触れる機会を提供しているといった程度の内容である。習っていないからといって落ちこぼれるという内容のものではない。ところが地元の小学校で1年生から英語が始まるようになって友人が開いている英語教室には小学校の英語で英語に躓いたと言って小学校中学年以上の子どもがどっと入ってきたという。理解できずに躓くことなどあるはずのない授業に何故、躓くのか?これは、小学校での英語活動の内容が子どもを対象とした児童英語教室で行っているレッスンとほとんど同じ「英語を経験、体験」させるという内容のせいである。中学英語のように、文法主体のアプローチという児童英語とは大きく違う内容なら、このような問題は起きなかったと言えるが、経験させるという同じアプローチを用い誰でも簡単にできる内容なので経験している子とそうでない子で差が出てしまう。つまり英語教室などで学習している子は習得しているのではなく感覚的に身についている程度でも英語活動で行う内容には素早く反応できる。一方、習っていない子は未体験の事なのでどうしても反応が遅くなってしまう。要するに慣れているか、慣れていないかの違いだけなのだが、子どものとってみれば「できる」「できない」と受け取ってしまう。中学年にもなれば、他の子と比べてできる、できない、に強い拘りを持つので突然、「できない」「わからない」を突きつけられ他の勉強ができる子ほど気持ちの上で躓いてしまう。今後の英語学習への動機づけという目的もあるだろう小学校の英語活動が皮肉にも英語コンプレックスを植えつけてしまっているという現実そして幼児からしっかりと習得目的で英語を学び英語力を身につけている子供達にとっては、外国人講師(ALT)が必ずしも指導能力を持った人とは限らず英語ができる子を中心、媒介としてレッスンを進めるという安直な方法に頼られると、自分を中心にレッスンが展開されるという実に居心地の悪い状況に置かれ友達に教えて、と言われて教えないのも意地悪だしでも、教えてあげると、その子の為にならないし、と学校の英語の時間は、気疲れする、そうだ(笑)実際に「わからないふり」をしていると言う実教室の生徒たちも多い。後は現場で上手くまとめて、と文科省に押しつけられた形になってしまっている担任の先生方もお気の毒である。話しが逸れてしまったが、小学校の英語に困らないように、という心配は無用だがコンプレックスを持たないようにと考えるのであれば英語に慣らしておくことは必要だろう。しかし、小学校での英語活動の為に英語に慣らすという目的であれば、何も幼児から高額なお金を払って英語教室に通うことはない。年長くらいから家庭で週に2度程度市販の英語のTV番組やDVD見せて親子で楽しむだけで十分効果はある。家庭でやる場合は、楽しむだけに留めて、やりすぎないこと。やりすぎると、拒絶するようになってしまう。ウチの子は反抗期で、私とでは無理という場合は、近くのコミュニティーセンターなどで行っている英語に親しむという目的で活動している子供を対象とした英語サークルに参加してみるといいと思う。コミュニティーセンターなど公の会場では営利活動は禁止なので、実費程度の費用でレッスンが受けられる。中には1コインレッスン、1レッスン500円というところもある。ほとんどが日本人講師のみだが、英語に慣れるという目的なのだから講師が日本人であっても問題ではないしかえって日本人の先生の方が熱心に勉強をしレッスン内容にも飽きさせない工夫がしてあるので上手に興味を導いてくれると思う。幼児から英語学習を始めていてもその目的、学習内容はさまざま幼児から英語学習を始めること自体は、もはや「特別」なことではなくなっているので特別視することなく、幼児から英語学習を始めることをこれを機会に考えていただきたいと思う。
2009年10月02日
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