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長年この仕事をしていると生徒達が通う学校の英語の授業内容や生徒のテスト結果や順位からその学校の本音と建て前が見えてくる。学年の異なる複数の生徒たちが通う学校であればなおさらだ。今年、一人の生徒の合格に私はクビをかしげた。過去5人の生徒がその私立高校の英語科に合格しているがその生徒の英語力は、5人の生徒達と比べればかなり低く合格はもちろん、とても授業についていけるレベルとは考えられなかったからだ。もう一人同じ私立中学を4回受験して合格した生徒もそうだ。以前、同じ学校に合格し通っていた生徒と比べると明らかに力不足だと感じた。これらの私立校も生徒確保が難しくなってきたのかと感じていたところに先日、私立の中高一貫校に子供を通わせている一人のお母さんから学校の先生から言われた言葉を聞いて憤った。受験者数が少なかった為に本来ならいるはずのない生徒がいるそういう生徒達は家庭で毎日数時間学習をしなければ授業についていくことはできない。受験者数に係わらず学校を運営していく為には合格させなければいけない人数は決まっている本来なら合格できないレベルの子を合格させたのは学校の都合である。テスト結果を突きつけて、努力が足りないと一方的に責めるのはおかしい。その子たちが学校の授業についていけるように面倒を見てあげるのも学校がやらなければならないことではないのだろうか?
2009年04月30日
先日、電車の中吊広告を見て気になる雑誌がありスーパーで買い物をしたついでに本屋を覗いた。タイトルは、日本一やさしい国語の授業確かに試験問題でよい点数を取る為に物語を読むのであれば感性は要らないのかもしれないが物語を味わうのであれば、感性は必要だ。国語ができるようになる目的で物語を読んできた子供たちは物語を読んで涙したり、救われたり、心が洗われるような思いを感じることがあるのだろうか?読み進めるうちに虚しくなってしまい結局その本を買うことなく本屋を出てしまった。幼いころから本を読むことが大好きだった私にとって読書は感性という翼をつけて物語の中を飛び回るとても自由で楽しい時間だ。当然のことだが、学校を卒業してからの人生の方が長く険しい。子どもによっては、本と出会う機会でもある小学校の国語の授業で読書の愉しさを教えてあげて欲しいと思う。
2009年04月28日
昨日、終日夫と一緒に強風の中、庭の雑草と格闘し今日は全身筋肉痛でペンギンのように歩いています親子英語を始めて英語に再チャレンジしようとするお母さんも多く、私の回りにも何人かいらっしゃる。当然のことだが、子どもに有効な学習方法が大人にそのまま有効というわけではなく、大人には大人の学習方法があるし英語力によっても効果のある学習方法は異なると思う。ただ決まり文句的な会話ができればいい、のであれば決まり文句集を購入して付属のCDを聞きながらひたすらつぶやき、暗記すれば事足りるが英語が使えるようになることで楽しみの幅を広げたいと考えていらっしゃるなら有効な習得法を探す前にまず今の自分の英語力を知ることをお勧めしたい。自分の立ち位置を把握することは、ダイエットと同じく?何かを成し遂げようとする時にはとても大切なことだ。英語力を計測してくれる体重計としてTOEIC Bridgeに挑戦してみてはいかがだろうか?来月TOEIC BridgeのIPテストを実施するために先週、3級取得者以上の生徒を対象に模擬問題をやらせたのだが3級合格者、準2級の合格者、2級合格者とそれぞれの点数のラインがありとてもよく生徒の習得状況を表していて驚いた。これも簡単な問題と難しい問題が混在するTOEIC Bridgeだからこそ示されるのだろう。以前ご紹介したTOEIC Bridge公式ガイド&問題集新装版をこっそり?と自宅でやってみて自分の英語力を数値で知れば、数値の上昇を励みにずっと積極的に楽しく学習できるのではないかと思う。ちなみに第31回TOEIC Brideg公開テストの申込締切日は今月の30日詳細はTOEIC Bridgeでご確認下さい。
2009年04月27日
昨夜は小降りだった雨も今日は朝から本降り南房総も冷たい雨の一日でした。一ヶ月ぶりに南房総の家に来てみると庭一面に雑草が生い茂り、まるで「売り家」のような有様しかしこの雨では何もできず、近くのゴルフ練習場へと出かけることに。どこのゴルフ練習場にも「教えたがりオジサン」なる初心者を見つけると、頼みもしないのに教えてくるお節介な?親切な?自称上級者の方々がいらっしゃるのだが、今日は、夫がその餌食になり、そのとばっちりが隣の打席で打っていた私にも飛んできた。いつも利用している都内のゴルフ練習場は打席でのコーチ行為を禁止します。と注意事項に明記してあるしスタッフがそのような迷惑行為に目を光らせ上手く追っ払ってくれるのだが今日行った練習場ではスタッフもオーナーも見て見ぬふり。レッスンで注意されたことをやろうとしているのに後から左手はどうの、スタンスはどうのと、話しかけてきてうるさい。人にあれこれ言われるのが嫌いな夫が見ず知らずの人にあれこれ言われてよくキレなかったものだ。夫曰く「クラブを握って数回目の俺には 何を言ってるのかさっぱりわからなかった」教えたがりオジサンなかなか夫から離れないので帰ることもできず、いつもの倍以上の170球も打つはめになった。とんだ出費である。夫のゴルフの師匠で友人のシングルプレーヤーに早速電話で報告すると「あ~~捕まっちゃったの、 そう、そういうのは無視するに限るんだよね。 相手にしないの。返事しちゃダメだよ。」そういうことはちゃんと最初に教えておいて欲しい。俺はボールを打ちに行ったんであって妙なオヤジに教えてもらいに行ったんじゃない!ほとんど打つことができなかった夫は不機嫌そのもの。しかし、テニスは仲間内で教え合うことはあっても隣のコートでプレイをしている見ず知らずの初心者に上級者がつかつかと寄っていって教えることはしないのになぜ、ゴルフはよくある行為なのだろう?ひょっとしてゴルフだけではないだろうか?考えてみれば不思議である。そして教える仕事をしているプロであればもちろん見ず知らずの人に頼まれもせずにましてやタダで教えることは絶対にしない。私が習ったテニス、ゴルフ両方のコーチが必ず口にする言葉がある。「ただ上手なだけの素人は、すぐに「できる」ことを重視し 自分ができるようになった方法をこれが一番と教え 確かにすぐに「できるように」なり 上達したように思うかもしれないが、 正しい理論、知識が伴っていなければ、 身体を壊したり、壁にぶつかったりと 必ずどこかにしわ寄せがきて 結局は遠回りすることになる」さすがに英語で身体を壊すことはないけれど目先の「できる」を追い求め大切なものを失っている人は多くこれは習い事すべてに通じるのではないだろうか?
2009年04月25日
昨夜は月一回、プルミエのメンバーのスカイプを使った学活の日だった。今回のテーマは「習い事」英語教室も子ども立ちの習い事の場の一つであり、実教室の生徒達の習い事の状況もさまざまである。英語を含めて3つ以上の習い事をしている生徒が殆どだがもちろん中には英語だけ、という生徒もいる。どのような習い事をさせるかも含めて親がどのような習い事をしてきたかなど親の価値観で決まると考えている。習い事を増やすと学校の勉強や遊びとのバランスを崩すのではと心配する親御さんも多く昨夜も学校や遊びと習い事との兼ね合いが話題となった。しかし、こればかりは学校の宿題の出し方、量、その子の体力、理解力、性格、学校までの距離といろいろな要素が影響するのでその子によってバランスの取り方は違ってくる。他の子の例は決して参考にならない。親御さんの状況判断でどこかで線引きすることが必要な場合もあるだろう。私が今、こうやって英語講師として、プライベートでも人生を楽しめているのは、幼いころからやってきたさまざまな習い事のおかげだ。自分たちの買いたいものを我慢し、私の将来の可能性に投資してくれた両親には感謝している。そして習い事が可能性を広げ、人生の幅を広げてくれると信じて私は英語教室をやっている。英語に限らず、さまざまな習い事の先生方は皆、同じ気持ちなのではないかと思う。
2009年04月24日
最近偏差値に囚われない学校選びをする親御さんが増えてきているという。偏差値で学校を選べば、家庭環境や価値観も似ているので長く付き合える友達と出会える、とおっしゃる親御さんの中には偏差値が60以上ある子を45程度しかない学校に入れることに疑問を投げかける方もいらっしゃるが、さまざまな偏差値の中高一貫校に通っている実教室の生徒達を長年見ていると、偏差値よりもむしろ学校のカラーの方が影響は大きいと感じる。今年高1になったMちゃんは、中学受験をして同じような偏差値の2つの私立の中高一貫校に合格しお母さんが良いと思った学校に入学した。当時その二つの学校に通っている生徒が数名いて私は、お母さんが選ばなかった学校の方が生徒の個性や自立心を伸ばすアプローチをしていてMちゃんに向いているのにと残念に思っていた。先月、Mちゃんのクラスで「いよいよ高校生だね。楽しみ?」と尋ねたところ他の生徒達は、勉強についていけるかどうか不安もあるけど楽しみにしている、という答えが返ったきたのにもかかわらずMちゃんは、「学校が楽しくないから」という返事だった。中学に入って常にみんなと同じであることを意識しなければならず、自分の意見を言う時も、皆と違わないこと目立たないことを意識していたという。そんな窮屈な学校生活で出会えた唯一自分の本心を語れる友達が内部進学をせずに隣県の公立高校を受験し進学することを公立高校の合格発表後に知って大きなショックを受けた。景気の後退も影響しているのだろう今年の内部進学辞退者は昨年の倍以上20名以上いたという。Mちゃんだけではない今まで学校が合わないと口にし悩みながら私立の中高一貫校に通っていた通っている生徒は少なくない。偏差値に囚われない学校選びは出身校に囚われない採用試験と似ていると感じる。我が子の本質と学校の本質を見抜く目が要求される。偏差値はただの数値にしかすぎないそう言い切れる強さを持った親御さんだからこそできる選択だと思う。
2009年04月22日
ギャングエイジに突入する3年生。「仲間」を作り、社会性を学ぶと言われる時期だけに仲間外れなど対人関係にそれまでとは違った真剣さで悩んだりと指導する側にとっても気の抜けない難しい時期だが、それだけに彼らの成長に寄り添って指導できるこの1年は、とてもやりがいのある、楽しいものでもある。そして精神面だけではなく学習面でも小3は大切な時期だと考えている。長年、幼稚園や1年生から指導し始めた生徒たちの修得を見ていると高校生になって伸びる生徒達が昇る一つの階段が見えてくる。もちろんその修得の階段を上がる為にはいくつかの条件があるが、その階段の大きな踊り場が3年生にあるからだ。それまで積極的に学習することのなかった生徒が些細なきっかけで、積極的に学習するようになるのも3年生次が一番多い。踊り場によじ登ったそんな生徒たちの力は塾の力や親の手で勉強させて貰っている生徒たちにはとても真似できない力強いものだ。私はそれを「自立学習」と呼んでいる。英語修得においても小3はそれまでに培った根底能力(言語力)を使って自分の言葉として英語を使おうとする言語産出期を迎えた重要な時期で、この時期の導き方や取り組み方は後の修得に影響を与えると考えている。今年度、私が実教室で担当する3年生は6名この1年この6名がどのような道を歩んでいくのかをしっかりと見守りながら修得の階段を自力で昇るようにアプローチをしていきたいと思う。
2009年04月21日
キャラクター揃いの夢玉プルミエのメンバーの中でも全員がなんらかの英語の指導資格を持つ名古屋組に会いたいと週末、名古屋へ出かけた。ちょうど昨日が母の誕生日ということもあり名古屋に一番近い?長野の温泉で前泊しようと土曜日に母を連れ、夫と八王子インターから中央高速に乗った。3時間以上車を走らせて飯田山本で降りる時にナビには5000円以上の金額が表示されているにもかかわらずETCの料金表示板に1000円という文字が、思わず「YES」とガッツポーズ!(笑)しかしこの抜群のお得感がとてつもない大渋滞をGW中にもたらすことは必至。(昨日でさえ談合坂から18キロの渋滞だったと 車で帰った夫が昨夜言っていた。)宿泊地の昼神温泉はこじんまりとした川沿いの温泉地で少しトロっとしたゆるめのお湯が心地よく新緑がまぶしい山々のところどころに遅咲きの山桜が、また川沿いや集落では桜桃が見頃を迎えていた。温泉と食事で「日本の春」を堪能し、翌朝、車で30分ほどの中津川駅から名古屋へと向かった。待ち合わせの場所に着くと、そこは人、人、人とてつもない人の数に、日頃テニスコートとゴルフ場という極端に人口密度が低い場所にしか出かけない私は、まるで田舎のネズミ状態(笑)幹事役を引き受けてくれたメンバーがほどなく私を見つけ出してくれて会場へと向かった。オフ会なので特にテーマは決めず名古屋という土地柄から指導法、教室運営、親子留学、育児など話しが転がり、あっという間の5時間だった。(お店の人にはさぞかし長い時間だったと思うが…)今回実際に名古屋組のメンバーと会えたことで私の夢も広がった。実教室とともに私を元気に幸せにしてくれるプルミエ名古屋は、名古屋めしそのもの、濃くて元気な街だったな、と夜、自宅で名古屋駅で購入した名古屋めしの一つである「ひつまぶし(ひつまむし)」をほおばりながら呟いた。幹事役のRさん、お世話になりました。虎屋の生ういろ、最高でした
2009年04月20日
インドネシアから帰国したYがお母さんと一緒に昨夕、小銭がいっぱい詰まった瓶と海外研修で同行したボランティアメンバーへのプレゼントなどを携えて教室を訪ねてきた。インドネシアで会った時より、引き締まった顔つきになっていて彼なりに成長したことが窺えた。開口一番、インドネシアで今までの人生で一番大切な経験ができました。こういう機会を与えて貰えたことをとても感謝しています。ありがとうございました。と、しっかりした口調で感謝の言葉を口にした。ご両親にも帰国後すぐにきちんと感謝の言葉を言い、お母さんも彼の変化と成長を感じられそうだ。インドネシアに行く前は表に出ている部分だけしか見られなかったがインドネシアで一ヶ月過ごしたことで表に出ていない深層部について考えるようになったと言う。視野が広がったことは、学習面でも変化をもたらした。なんとこれまでは全く興味が持てず嫌いだった世界史に興味を持つようになったという。なんでもインドネシアで太平洋戦争中の日本軍の兵隊さんとインドネシア人の係わり方を直接、係わった人から聞いたことで今があるのは、それまでの歴史があるからだと感じたからだそうだ。そして、世界史に興味を持てたことによりこれまで諦めていた文系学部への受験も視野に入ったという。ボランティア活動に触れて、諦めたいた医者への道と新たに広がった視線の先に見えてきた弁護士への道今彼の前には二つの道が見えている。彼が夢への第一歩を踏み出す日は間近だと感じた。
2009年04月15日
昨日の続き…外国語(実質的には英語)活動の授業で積極的に日本語を使うことを奨める????全文はこうだ。「英語は、発音も構造も日本語とはまったく違うのだから、 学習に日本語を介在させてはいけない。」「英語で考えることが大切だ」などと主張する先生もおられますが、私は逆にむしろ積極的に日本語を使うことを小学校の先生がたに奨めているんです。英語も、日本語と同じように考えて下さいというのが、私の意見です。このあたりの根拠になっているのが先程紹介した根底能力の考え方です。母語である日本語の力も第二言語としての英語の力も同じ根底能力によって支えられている。つまり、実際の表現形式には違いがあるが、その形式を生み出す土台部分(発送の根幹)は同じだという考え方です。私は「気づき」の段階に入った高学年の生徒達には必要に応じて日本語を使うが、それ以前、特に低学年の生徒たちには日本語はほとんど使わない。英語は英語で、である。英語から日本語をイメージすることを防ぐ為だ。しかし、母語である日本語であっても外国語である英語であろうが、土台部分は同じという考え方を私も持っている。母語である日本語のコミュニケーション能力が低ければ英語も低いのは当たり前である。また、そのように考えているからこそ実教室では、土台部分であるコミュニケーション力(発想力、思考力、論理力)を養う取り組みとして便宜上「国語」と表したフィンランドメソッドを軸とした日本語での授業を上位カリキュラムのクラスを対象に行っている。(私はコミュニケーション力に必要な発想力に 感性は必要だと考えているので 感性に関する考え方は大津氏の意見とは異なる。)私は親子英語においても、英語で話しかける云々より先を見たら「言語力」を高めるような語りかけを実践するべきだと考えている。高い言語力があれば、英語も高いレベルで使えることは、今まで指導してきた生徒達が修得の過程で示してくれている。早期英語についてもこのように触れられている。「小学校とか学齢期前とかの英語教育の必要性を主張する根拠として 子どもは耳がよいから立派な発音が身につくというものがあります。 しかし、発音は一人歩きすることはできません。 それを活かす文法や思考力があってはじめて意味を持つのです。 良い発音で子どもの英語をしゃべってもしょうがないでしょう。」この本で一番共感したのは、斎藤氏のこの発言である。「子どもをバイリンガルにするためのメソッドとか、 何とか仮説に基づく何とかストラテジーの類のものが山ほどありますが 成功例を聞きません。 いろいろな学生や帰国子女の現状を見る限りでは、 結局のところ、より努力した人間、より根性のある学習者が より高度な英語な英語力を身につけるという 「根性仮説」に辿りつきます(笑)」その通り!!私も英語に限らず言語はトレーニングで身につけ、高めるものだと考えている。早期に始めなければならないというわけではない。ただ、言語修得能力に優れた年齢から始めるとそれほど根性がなくても英語を身につけられるというだけでより努力した者が高度な英語力をつけることには変わりはない。Focus on Formについて「あの、奇妙なね。」という発言があったりコミュニカティブ・アプローチやイマージョン教育についても批判的に語られていて、にやりとする部分がたくさんある。480円(本体)とは思えないほどの中身の濃さである。このお三方が提唱しているような幻想ではなく、しっかりと地に足のついた現実を直視した形で小学校英語が行われるのであれば、私も小学校での英語活動には大賛成である。
2009年04月13日
新学期が始まっての怒濤のような一週間が過ぎた最初の休日。ようやく巻頭部分しか読んでいなかった本を最後まで読む時間が取れた。「英語が使える日本人」は育つのか?小学校英語から大学英語までを検証する山田雄一郎・大津悠紀雄・斎藤兆史執筆者であるお三方は共に言語、そして英語教育においても著名な専門家であるが、学校での英語教育に大きな影響を与えている文科省の教育再生懇談会のメンバーではないようで、学習指導要領はもちろん外国語活動(現実は英語活動)で使用される「英語ノート」についても中途半端な形での小学校での英語活動に否定的な私とほぼ同じ視点で問題点が語られていた。小学校での外国語活動の実体がよくおわかりいただけると思う。小学校英語の推進派である韓国の大学教授が韓国英語教育学会での自身の研究発表で「小学校英語も含めて学校英語教育はうまくいかないのではないか」と学校という枠での言語としての英語習得には限界があると思うと言っている長年小学校での英語活動を実践してきた私の知人と同じ意見が書かれていたりと学校英語についての意見もとても興味深かったが私は、英語教育の専門家の方々から見る母語と外国語である英語についても係わりの部分について学ぶべきものが多かった。このブログの横にも藤原正彦氏の著書を紹介しているが彼は、英語教育のプロではなく、海外で活躍する日本人として英語との係わり方を教えてくれた。彼の「外国語よりも母語の言語を大切にしなければならない」と言うのは、メンタルの部分について述べられていると考えている。しかし英語教育の専門家である大津氏は、大切にすべきは国語ではなく、母語であるとし「母語というのは、人間の心の中で、 一番根っこにあるものだから そこを十分に育てておかないで、 外国語に行くのは間違いなんだと考えているわけです。」と述べている。そしてこの大津氏は小学校で母語に対する「ことばへの気づき」がまず大切だと提案している。「文には構造がある」というようなことを気づかせるそうだ。母語自体は、苦労するところもあるけれど、自然に身についてしまうことだから、自分で何が身についたのかも意識されません。だから、気づかせる。それが後に外国語を学習する時に、構造的な学習する上で、多いに役立つはずだという発想なんです。実教室に通う親御さんや、プルミエのメンバーにはご理解いただけると思うが、この「気づき」という考え方は、私が母語と同じく幼児から文脈からの理解を目指して行っている暗唱指導を長年受け「何が身についているのか意識しない」小学校高学年の生徒に英語の規則性の理解をさせる際の考え方と同じである。そして本書を読み進めていくとなんと積極的に授業で日本語を使うことを小学校の先生方に奨めている、という驚きの発言にぶつかった。長くなったので続きは明日に
2009年04月12日
結局Yは、年下のボランティアメンバーと行動を共にすることを希望し児童館、小学校、孤児院などを一緒に訪問して回った。そして彼は、一生懸命に日本のことを知ってもらおうと現地の子どもたちと交流する姿に打たれ自分も同じように感動を分かち合いと考えるようになった。例年、帰国する日の夕方孤児院で「さよならパーティー」を催し涙でお別れするのだが、今回は特に感動的な別れのシーンだったという。(残念なことに私はそのシーンを目にする事はなかったのだが…)すべての交流が終わった後孤児院の生徒が挨拶をした。「私たちは、みなさんのおかげで日本語の勉強ができ コンテストで入賞することができました。 ありがとうございます。 皆さんがいなければ、今の私たちはありません。 でも、私たちは皆さんがしてくれるように 皆さんに何かをしてあげることはできません。 その代わりに私たちは神様に皆さんの健康と幸せを祈ります」と涙ながらの言葉に、生徒達は皆泣きながら「皆さんがいてくれるから、私たちは日本語を教えることができ こんなに素晴らしい時間を過ごすことができます。 ありがとうございます。」この言葉に日本語の先生も涙を流したと現地スタッフから報告を受けた。孤児院から帰ってきた生徒たちは、皆、泣き顔で口々にさよならパーティーのことを聞いてくれるなと言いながら、思い出し涙をこぼしている。Yに「あなたも泣いたの?」と尋ねると「自分は何もしていないから泣けませんでした。 次ぎの機会には、一緒に泣けるように、 しっかりと日本で活動していきたいです。」と、答えた。彼は、海外研修に同行した感想文に次ぎのように書いていた。「医学部志望を止めた原因が「医者は人を助ける仕事、 ボランティア精神が無ければダメ、自分勝手で、 自分さえ良ければよい、と考えている自分にボランティア精神など あるはずがない」ということでした。 その為、今回教室のボランティアに参加したいと心から思えたこと、 それが最大の収穫だと思います。 今まで教室で、海外研修の写真や作文を目にしていても、 「募金をすると、自分にどんなメリットがあるのだろう」 そんな考えを持っていて興味を持つことも、 参加することもありませんでした。 今回行動を共にさせてもらってメンバーの皆さんのさまざまな テーマで日本の文化を伝えようという姿も必死で、 そんなメンバーを見た小学校の子どもたち、児童館の子どもたち、 専門学校の生徒達、そして孤児院の子どもたちの日本文化を知ろうという 姿勢も印象的でした。 最初は、小学校を見たいという自分の目的の達成の為にボランティア活動に 参加させていただきましたが、ボランティアに興味を持ち、 日本でメンバーと一緒に活動して、喜びを分かち合いたいと 思うようになりました。 先程も書いたようにこれが最大の収穫です。 今回の目的の一つである「将来、自分のやりたいことを決める」 というのはまだ達成していません。 しかし、ボランティアに興味を持てたことは、とても大きいと思います。 また、「ありがとう」という言葉の素晴らしさも、 ここでの生活で学びました。 将来はやっていて「ありがとう」と言われるような 職につきたいと思っています。」この彼の感想文を読んで、お母さんは「まだまだですけど、少しは成長したんですね」と、目を潤ませた。明日の朝、Yは帰国する。彼の両親への第一声は何なのだろうか?私もとても楽しみである。
2009年04月10日
実は今回の海外研修に先立って今春高校と実教室を卒業したYが研修地を訪れ現地スタッフの家にホームステイをしていた。都立のトップ高に通っていた彼は、有名国立大学を目指すも受験準備不足からセンター試験に失敗し一応有名私大をいくつか受験するも第一志望校が叶わなくなった時点で受験を投げていた。そんな彼が2月末に突然、自分のやりたい事を見つけるために自分の興味のあるものしか見ようとしない、聞こうとしない全てにおいて自分が最優先の自分を変えたいそのために普段とは違った環境に身を置きたい。と言い出した。「違った環境って具体的にどこを考えているの?」「英語の勉強にもなるからアメリカに行きたいと思っています。」私は思わず笑い出した。「アメリカなんて日本と同じ環境じゃない。 本当に普段と違った環境に身を置きたいなら 日本の山奥の村でもいいんじゃない?」「どうせなら海外に出てみたいんです。」海外に出てみたい…これが彼の本音だと思った。「本気で自分を違った環境に置いて自分を変えたい 見つめたいと思っているなら、 日本とはかけ離れた生活環境に身を置くべきだと 私は思うよ。 私がお世話になったタイのスラム街にある財団か インドネシアのスタッフの家に行ったら?」と彼に言い、彼は家族と相談しインドネシアへ一ヶ月の予定で出かけることになった。「月末から教室のボランティアグループの代表者を連れて 行くから、向こうで数日一緒に過ごすことになるかもね」と言うと「なるべく一緒になるのは避けたいです。」年下の子と一緒では自分のプラスにはならないと考えたのだろう。彼の自分優先の考え方がよくわかる。スタッフに彼を田舎の村での研修に同行させないことを連絡した。成田へ出発する前に現地スタッフに空港での迎えを確認しながらYの様子を尋ねると「申し訳ないけど、大変。「好き嫌いが多い、言わなければ何もしない。 何かしてもらっても、ありがとう、と言わない。 今まで来た先生の生徒とは全く違う」という返事が返ってきた。今までインドネシアに行っている生徒は、国内研修で協力、感謝の他に状況を判断して必要な行動を取るというトレーニングを積んだ生徒たちなので、Yと違って黙っていても自ら進んで行動できるが国内研修にも参加したことのないYは、自分の事にしか関心がなく状況から何も気づくことはないのだろう。今朝、Yのインドネシアでの様子を伝える為にお母さんにお目にかかったのだが、受験中や受験後にYと話した後にお父さんがYの自分優先の考え方と視野の狭さ、感謝の心のなさに自分が育て方を間違えたのだろうかとこぼされたと伺いなぜ、ご両親がYのインドネシア行きを了承したのか何を期待されてインドネシアへと送ったのかがわかった。「大丈夫ですよ、お母さん。 Yはインドネシアで今までの自分が優先という 彼の生き方を痛烈に後悔し、変わりましたよ。」そう、Yはインドネシアで年下のボランティアメンバー達と行動を共にすることで大切なことを学んでいた。続きは次回に…
2009年04月08日
昨日から新スタッフであるアメリカ人講師を迎えて第18期がスタートした。常に新しい出来事に遭遇する日々を送りどこまでやればいい、という仕事ではないのでそれだけ長い時間が過ぎたと感じることはないが壁に貼られている幼児から通ってきている生徒達の顔写真にうっすらと髭がはえているを見ると確実に時は流れているのだと感じる。壁にぶつかりながら、その壁を乗り越えることで力をつけてきたのは、講師である私とて生徒と同じだ。そして経験を積む機会や、乗り越える力を培ってくれたのは生徒達に他ならない。実教室を作ってくれてありがとうございます。という言葉を今回の海外研修でも参加者たちから貰ったが私の方こそ、こんなに幸せな気持ちにしてくれて私の教室に通ってくれてありがとう。という気持ちだ。生徒達の笑顔が私の目指すものであり、原動力である。これからも生徒達の笑顔が私を突き動かしいくだろう。昨日も下の子を連れてロビーで待っていた新3年生のお母さんが同じくロビーでレッスン待ちをしていた新6年生たちを見て「みんな優しくて、一生懸命で良い子たちなのよ。」と年上の生徒達の姿に、我が子の将来の姿を見ているような笑顔で同級生のお母さんに話しているのを聞いて嬉しくなった。教室の歴史は、生徒達の笑顔が作っていく今年度から英検に加えてTOEIC、TOEIC bridge IPテストを実教室で受験できるようにした。学習環境を整え、生徒にとって頼れるサポーターであることも英語教室として大切なことである。成果を出す指導ではなく生徒が成果を出せる指導を今年も積み上げていきたい。
2009年04月07日
ジャングルの中の村での生活を終え昨日、島都に戻ってきました。今日、明日は、後半の山場に備えて観光を交えたゆったりとしたスケジュールで英気を養います。突然のスコールに戸惑いながらも、おおむね天気に恵まれ、涙あり、笑いあり、反省ありとハードなスケジュール、コンディションにもかかわらず参加者たちは皆、元気で研修を楽しみ成長している。村の小学校での交流会で6年生に日本の小学5年生の算数の問題を一緒に解く。児童館で児童館で英語を習う生徒からバリの踊りを教えてもらう。毎年この研修に参加できるのは5名で、積極的に実教室のボランティア活動に参加してきた生徒達から選抜される。今回の参加者は、女の子は新高1のAとMそして新中1のRAは現実教室のボランティアグループのリーダーで今回が4年降り2度目の参加。Rは、次期リーダー候補そして男の子は新中3のSと新中1のEだ。指示を聞いていない、回りのメンバーの行動を見ていないなど失敗続きのEに他の参加者が自分たちがしっかりとEをフォローしなければ、という気持ちでまとまり、Eもみんなの気持ちに気づき、前半を終えた昨日の日記には「思ったのは、二日間を過ごした村の家では、 最後の最後まで(他のメンバーに)面倒を見てもらったので 本当に感謝すべきだということです。 ホテルに入ったのでまた場面が変わったので 人に世話をやかせないよう少しづつでも がんばっていこうと思いました。」と書くなど、彼のこの研修の参加目的である自分のことは自分できちんとできるようにを達成するべく努力し始めた。そしてリーダーであるAの日記には今日の一日を神様に感謝してお供物をあげ、お祈りをするという現地スタッフの話を聞いて「この感謝する心は本当に大切なものだと思います。 私も日本がどれだけ恵まれていて、安全できれいで という国だということを忘れずに、 またそれらは、父や母、祖父、祖母、近所の人など たくさんの人たちがるからこそ、 という感謝の心を忘れないようにしたいです。」と記されていた。Aだけではなく、参加者全員が前半を終わって自分たちの為に一生懸命働いてくれる現地スタッフたちの姿に今の自分があるのは…と気づき、視点や言動に変化が見られるようになった。「皆が幸せで、皆といい思い出を作れて、 皆の心が休まれるようにするために 自分に出来ることを精一杯できるように変わりたい」と日記に書いたS。子どもには自分で伸びる(良くなろうとする)力が備わっていると感じる瞬間を今年も目にできることは、とても嬉しい。
2009年04月01日
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