全176件 (176件中 1-50件目)
「鎌倉殿」最終回 義時暗殺「オリエント急行」有力か 容疑者12人いる 政子のえ泰時実衣りく義村11/30(水) 鎌倉幕府の実権を握った義時が、次世代のためとして強引で非情な剛腕手法を繰り返し、周囲から反発を受けていることから、ネット上では「義時最期はオリエント急行と予想」「身内をはじめ周りの人間に恨まれて、自らオリエント急行に乗ろうとしているようにしか見えない」「義時暗殺(オリエント急行説ぽい)」「オリエント急行でほぼ決まりじゃないか」との投稿が相次いでいる。💛最終回予想のが熱い。『オリエント急行殺人事件』(原題:Murder on the Orient Express)は、アガサ・クリスティによって1934年に発表された長編推理小説。シリアでの仕事を終えたポアロは、イスタンブール発カレー行きのオリエント急行に乗る。アメリカの富豪サミュエル・ラチェットがポアロに話しかけてきた。彼は脅迫状を受け取っており、身の危険を感じてポアロに護衛を依頼した。しかし、ポアロは彼の依頼を断わる。列車は雪の吹き溜まりにはまり、立ち往生する。翌朝ラチェットの死体が彼の寝室で発見される。死体には刃物による12箇所の刺し傷があった。現場には燃えさしの手紙があり、「小さいデイジー・アームストロングのことを忘れ」という文章が読みとれた。ポアロは捜査を始める。ポアロは友人で国際寝台車会社重役であるブークと、乗り合わせた医師コンスタンティンと共に事情聴取を行う。犯人は雪で立ち往生している列車から逃げられないはずだが、乗客たちのアリバイは互いに補完されており、誰も容疑者に該当しない。・・・カセッティにつけられた十二の傷は、十二人の人間によってつけられた。「鎌倉殿の十三人」と群像劇を得意とする三谷さんが、「身内をはじめ周りの人間に恨まれて、自らオリエント急行に乗りこむ」義時を描くべく、さんざん悪態をつく、しかもそれが真をうがつ、というシナリオ。ふむ。伊豆の一豪族だった北条家に生まれ、野心とは無縁の穏やかな日常を送っていた義時。鎌倉幕府の初代将軍となる源頼朝に仕えたことにより、徐々に波乱に満ちた人生へと足を踏み入れ、衣装の色が徐々に緑から黒へと変わるように、義時も別人のように変貌。実際に義時を演じているときには、これまで経験したことのないような気持ちの連続だったという。第38回「時を継ぐ者」(10月2日放送)で、父・北条時政と対峙するシーンは、現場で予期せぬほど感情的になってしまったという。「台本上でもオンエアされたような描かれ方をしているのですが、これまで彌十郎さんと作ってきた空間というか関係がしっかりと出ればいいなと思って現場に入ったんです。でも実際撮影が始まって、彌十郎さんの顔を見ると、自分が思っていた以上に感情が溢れてしまい『俺、こんなに時政のことが好きだったんだな』と改めて感じたシーンでした」義時が時政を鎌倉から追放して以降、怒濤のごとく下していく厳しい沙汰について「本当にしんどかったです」「やっぱり和田義盛を滅ぼすところはかなりきつかった」「その後、源実朝との確執などもあるのですが、そのときはもう感情的には乗り越えてしまったというか、ことが上手く運ぶか運ばないか、それによって自分が生きるか死ぬか……みたいな、かなりドライな感覚になっていた気がします。その意味では、本当は死んで欲しくなんかない和田をああいう形で滅ぼしてしまったことは、最もきつかったです」「今後は、義時が予想もつかないかたちで哀しみに暮れる時間があるので、そこは違う意味で苦しかったです」「やっぱり少年期も青年期も、現在も僕自身が義時を演じ体験しているので、頭で考えているのではなく、自然と和田にしても畠山にしても、話をしていると昔の自分が素で出てしまう。もう二重人格みたいな感じですよね」「言葉にするとそういう感じになるのかなと思うのですが、なんかそういう表現って恥ずかしいですよね」「でも今回に関しては似たような感じを経験できた気がします」「もっと続けていたいという寂しい気持ちはもちろんありましたが……」「本当に全部そこに落としてきた感じがあって、非常に清々しい思いでした」💛史実の北条義時の感情の振幅の追体験みたい。北条一族は150年の歳月の後に、これまで一族が滅ぼしてきた比企一族、畠山一族、和田一族(のちに三浦一族)同様、新田義貞によって今度は北条一族が全滅させられる。
2022.11.30
現代語訳「報徳記」巻の2 より―報徳は精神変革である― 1 『桜町治蹟』を読む『桜町治蹟』は山本東野氏が編集し、明治四十四年十月下野報徳本社が発行した。自序によると、山本氏は桜町陣屋に三週間滞在し、報徳記などのほか、芳賀郡長青木浦次郎、現物部村長広澤平八、家庭学校長留岡幸助、下野報徳本社幹事長海老澤元蔵、物部尋常高等小学校長笠村勝三、真岡町田村直七、芳賀郡山前村高松甚兵衛氏等から直接関接に参考資料を提供され、土地の古老の談を伝えられ編集したとある。いわば二宮尊徳の桜町時代のエピソード集である。報徳記に漏れている逸話や人物の名前が分るものもあり、また二宮尊徳の考え、教化や教育の方法を知るうえで貴重である。そのいくつかを紹介しよう。 ⑴ 盥(たらい)の水の原理尊徳は実物教授の主義でどこでも説かれ、推の理屈も何人にも分かるように話された。人夫などが仕事の休みなどに、タライに水を酌んで置いて、『その水を前の方にばかりかいて見よ。幾ら汗水を流して前へかいてもその水は向うに行ってしまう。しかしこれと反対にこの水を向うにばかり押すというといくら押しても帰って来るばかりである。欲が深く自分の方にばかりかきこんでそう自分の方にばかり来るものでない』と言って開墾事業の視察に行っては実物について話された。これは盥の教訓と言われて名高い話である。」この盥の水の教訓は、推譲の理を譬えで分りやすく説かれたものである。報徳教林【六四】盥の中に水を入れ、己が方へかき寄せれば両脇の水は向うへ行くなり。又前の方より向うの方へ水をかきおくれば、両方の水、前の方へ来るなり。又作物も大切の種を向うへ蒔く時に後にこの実り来るなり。(『尊徳門人聞書集』p.13)⑵ お椀の水の原理尊徳は常に門人に語るに、『私の巡回は、全く村民に勉強の習慣をつけさせたいという趣旨から来ている。これを譬えると椀の中に箸を入れて廻わすと、始めは箸のみまわって水はそのままだが、暫くすると水もまわり始め、水のまわる勢いが段々強くなると箸はまわさなくても自然と水の勢いのため箸がまわるようになる。私の巡回の趣旨もその通りで、始め村民は惰弱の者があっても自然と感化されて勤めるようになるから早起きをして巡回しているのだ』と言われた。 ⑶ 翁の除草と実地の教育尊徳は常に農民に語るに、畑の草は小さい草から取れ、余り多く生えていない所から取れと言われ、反対に多く生えた所から始めて時日を費やすうちに小さい草が大きくなると言われた。尊徳が復興事業を行うにもこの方法で、まず小さな平易な所から始め難しい所の仕法をした。ある日多数の人夫が堀浚いをしている時に人夫が一鍬ごとに泥がはねる。翁はこれを見て素足になって鍬を取って上の方の泥をすくいて左右にならしてその後を掘ると少しも泥がはねないようになった。自ら手を下し、工夫改善する方法を教えた。⑷ 子供の教育 尊徳が桜町陣屋着任後二、三年を経て、弥太郎が五、六歳の時、左官を呼んで陣屋の壁を塗らせた。弥太郎は子ども心に壁の所を通り抜けようとした。乳母は通れないと話したが承知しない。翁はそこにいて、それなら通してやろうと左官に壁を破らせて通らせたら弥太郎は大いに喜んだ。それから左官に壁を作らせ、弥太郎を膝下に呼んでこういう所は通る所ではない。通ってはいけない所を通るのは人のするべきことではない。左官もいるから破った壁を修理できて怪我もなくてすんだが、そうでなければ怪我するだろうから決してこういう所は通ってはならないと誡められた。翁は、始めは満足を与えて、それから後に諄々と躾けられた。翁はみだりに子どもを叱るようなことはなく、子供を愛された。子の弥太郎が自宅や同僚の横山周平の家にいた時、翁の膝の上に上がったり、寝転んだりしても叱りつけるようなことはなく、私は子どもは好きだから少しのことでは叱らないと言われた。尊徳は毎日朝は早く家を出て夜は遅く帰るということで、子どもの生長のことはよく知らなかったくらいで、家庭の教育は夫人にまかされていたが、仕事の都合で陣屋にいる時は愛情が一層深く、ちょっと陣屋にいても、よく子どもの躾けには注意されて愛情を注がれて善い方へ導かれた。決してはげしく子どもを叱りつけるやり方はしなかった。⑸ 杉皮むき職人への慈愛 桜町陣屋出入りの職工は翁の命を受け日々、東沼の寺境内の杉皮むきをしていたが、夜になるとよい杉皮を盗んで自宅の壁に張って、しぶき除けとした。誰言うとなく噂となった。翁ははやくから知っていたが何ら処置をしなかった。ある日、翁は杉皮の検閲のために来られ、その仕事振りを見ていたが、「お前の家は風当りの所だから壁が弱かろう。杉皮の屑はお前に与えるから持っていき壁の押しぶちに使用せよ」と言われて帰られた。某は尊徳の後姿を拝んでその寛大の徳に感じ改心して無比の善人となった。⑹ 翁は廉潔の人なり 尊徳は横山周平を非常に信頼され、出府の際など周平の宅に宿泊された。ある時、翁が江戸に出て周平宅に滞在された時、種々の進物を持参し尊徳に面会を求めた者があったが、尊徳は謝絶した。周平夫人が気の毒に思って取りなしたが頑として応じなかった。尊徳は、「私の目は後ろにもあれば面会をしなくともその来意は分る。無駄な面会をして、時を費やすのは欲しない」と言った。翁は面会を請う者からの進物は受けることを禁じたが、翁の留守など取次人はやむを得ず受けることもあり進物も多かったが、尊徳は手も触れなかった。尊徳は常に質素な生活をし、外泊の時など酒を飲まず、飯と一汁の外決して甘味を食べなかった。また外泊はしない方でどんなに夜が遅くなっても努めて陣屋へ帰った。青木の堰普請の時も遂に一晩も外泊しなかった。 ⑺ 翁と富田高慶との対面 富田高慶は相馬の藩士、江戸の聖堂で十年儒教を学んだ。病気がちで芝の巴町の医に診察を受けた。ある時野州から来た患者の一人に「天下には私の師と仰ぐべき人物はいない」と言うと、患者の言うに、私の国に今、宇津家の所領の桜町の復興をやっている二宮金次郎という人がいる。彼の人ならどうでしょうと話した。高慶は書物を売却し旅費にあて、桜町に行き尊徳に面会を求めた。尊徳は「高慶は江戸の学者である。百姓が会った所で益がなかろう」と謝絶した。尊徳の門下生が気の毒に思い、自分の家に下宿させ暫く時の来るを待たせた。高慶は寺子屋を開き半年ばかり子弟を教育した。その人格・学識が評判になり遂に尊徳の耳に達し、今度は羽織袴を持たせ面会をしようと迎えにやった。高慶はその知遇に感じ、早速陣屋に来て翁に面会した。尊徳は「貴君は学者であるということであるが、豆という字を知っているか」と言われた。高慶は豆という字を書いた。尊徳は言われた。「貴君の書いた豆は馬が食うか」と言って、門弟に倉より一つかみの豆を持って来させ、「私の作った豆は馬が食べる」と高慶の前で見せた。これが両者の初対面である。高慶は理屈だけでは天下国家を救うことができないということを知って、誠心誠意、二宮先生について実際的に学問をしたということである。 ⑻ 尊徳は政治を口に出すことなし 翁は生涯の中に不平のことがあっても政治上の事について口を開いたことはない。ただ東郷在任中米国の使節ペリーが浦賀に来た時に次のようなことを言った。「これに対し世間では打ちはらうと言うがそれも家康公の教えを守るのでよいかもしれません。彼の国にも不足のものがあるから彼の国の不足のものがあったらこれを補ってやり、また我が国の不足のものは彼に求めて交易をして行くようにそれを調査して、その求めに応じられるようにして、国内で入用だけのものは開発して品物を作ってやるようにして攘夷などと言わず、殖産興業の起るまで時期の来るを待つといって述べて帰したらよかろう」と言われた。そして自分の職分に忠実であればよい。政治の事は言わなくてよい。事業を行う上で決して言うべきものではない。商人は商売のことを熱心にやり、農家は農業のことを一生懸命にやればよい。牧民官は職務を忠実に行えばよいと門人などが政治の事を聴いても決して言うものではないと退けて政治に押し及ぼさなかった。また上官の干渉の不平、頑民の反抗等があっても政治の議論をしたことはない。翁は実行の人であって政治の口に論議する人でなく忠実に殖産のことを奨励した。自称政治家などがいたずらに口を政治にかりて終に財産を傾けるようのものが多いが、そういう考えをもっていては一家を保って行けないと言って深く門人らを戒められた。2 岸右衛門について「中村氏岸右衛門問答聞書」が『近世の村と生活文化』大藤修著p.131に紹介されている。「谷田部藩が尊徳仕法を導入した発端は、野州芳賀郡中里村の出身で、江戸に医術の修業に出ていた中村元順が、親族の桜町領物井村の百姓岸右衛門から、尊徳仕法のことを伝聞したことにある。玄順は、自らが借財に苦しんでいたことから、これに関心を持ち、岸右衛門に仕法金拝借を尊徳に懇願してくれるよう依頼した。これに対し、岸右衛門は『そこもとが借財に苦しんでいるには、財を施すことはさて置き、草の根木の皮のたぐいにて薬代を貪り、その身を富ますことしか念頭にないため、世間の人々に人徳を慕われることがなく、したがって医者の家業も不振にならざるをえないからだ』と批判した。そして、『自分もかつては、自分の利益しか考えなかったが、二宮様よりご教諭を受け、他人の生活が成り立つよう献身してこそ、自己の家業も安泰を保てる』ということを悟り、『ただただ大勢を助ける道につき自分のことは暮らし方の内を取り縮めて、冥加のために無給にて』二宮様の手足となって働いているのだと話して聞かせた。この岸右衛門の話には、尊徳の教諭によって、農民がどのように精神変革を遂げたかがよく示されていよう。」(太字・傍線は編者、以下同じ)。 岸右衛門は、八、九年は二宮尊徳の教諭が分らなかったと告白する。次第に恩徳に報いることが第一であるとの明暮のご教諭が心魂に徹し、「難有」(ありがたし)と自分から進んで随身し、自弁で江戸に出てその事業をお手伝いしているという。内山稔氏は言う。「尊徳の生涯と事業、あるいはさらにその精神を知るには、彼の高弟富田高慶が熱誠をこめて綴った伝記『報徳記』にしくものはない」「『報徳記』を読んで感動しない者は、たとえ他にどんなにたくさん解説書・研究書を読んでも、尊徳の精神、尊徳の事業を正しく理解することはできないし、その神髄に迫ることはできないであろう。内村鑑三はこの本を読んでいたく心を打たれたので、尊徳を『代表的日本人』の一人として海外に紹介し、また、尊徳の精神と事業とを『後世への最大遺物』の一つに加えたのであった。」(「尊徳の実践経済倫理」p.139) 内村鑑三は「諸君はまず善人となるべし、至誠の人となるべし。二宮先生の根本とするところは道徳なるが故に諸君も必ずまず道徳的大変化大復興起こらざるべからず」と静岡県袋井市で行った講演会で言っている⑴。岸右衛門の「精神変革」は、まさに内村のいう「道徳的大変化大復興起こらざるべからず」を体現している。報徳は「精神変革」の思想である。報徳思想を真に継承しようという人間は、「必ずまず道徳的に大変化・大復興」が起こらなければならないのである。岸右衛門の人脈や行動力は尋常ではない。岸右衛門の不二孝仲間の頭領的役割を指摘されたのは、岡田博氏である。『二宮尊徳政道論序説』の「桜町領仕法と不二孝仲間」で、文政十年三月一五日「夜峯右衛門不二孝聞に行」、翌一六日「岸右衛門方夜に入り行、富士こう聞。」とある。岡田氏は一五日の「峯右衛門」も「岸右衛門」であろうとされている。(「序説」p.125)
2022.11.30

プーチンの2段階作戦でウクライナ軍全滅の危険性も11/30(水) ロシア軍によるウクライナでの軍事攻撃が続いている。 これまで、戦略的インフラ(軍隊や軍事施設)が主なターゲットだったが、最近になって戦略に変化がみられ、狙われるのが民間のエネルギー施設や通信インフラ、輸送施設へと変わってきた。 ウクライナ各地では、ロシア軍に攻撃された発電所やインフラ施設の復旧作業に追われており、すでに電力不足も発生している。 今の時期に広範囲にわたって停電になれば、氷点下の気温に耐えられず、多くの住民がウクライナからヨーロッパ諸国に越境することもありうる。 同問題に精通している米ジャーナリストのマイケル・ホイットニー氏によると、「ロシア軍の作戦目的は、戦争を行うウクライナ軍の能力を弱外化させることにある」という。 さらに「いま攻撃されている電力網、鉄道、燃料輸送施設、指揮統制センターは戦争を早く終わらせるために計画された2段階のファーストフェーズに過ぎない」とのことである。 ウラジーミル・プーチン氏のファーストフェーズの狙いは、ウクライナのエネルギー・インフラをミサイル攻撃して、大規模な停電を起こすことであるという。 すでに夜通し続いた攻撃によってウクライナの広範な地域で停電が発生。 それにより、プーチン氏はウォロディミル・ゼレンスキー大統領が二国間交渉に関与してくると読んでいた。 しかし、ゼレンスキー氏はあらゆる場面で頑なに外交を拒否し、ロシアと戦う選択をしている。 この決断は米ワシントンの政府関係者から支持されているためでもある。 それでも先日のロシア軍による電力発電施設への攻撃により、15基の原子炉を備えた4つの原子力発電所はすべて活動停止へと追い込まれた。 11月24日の朝、首都キーウは70%以上の家庭が停電に見舞われ、水道も首都の約半分で断水という事態に陥った。 広範囲にわたる停電が継続されると、必然的に生活に支障がでて、百万単位のウクライナ人がヨーロッパ諸国に避難することもあり得る。 ウクライナの電力システムの多くはすでに老朽化しており、そこにロシア軍による変電所などへの破壊行為が加わり、市民の生活は困窮してきている。 「ウクライナは徐々に石器時代に突入している」という冗談ともいえないことが語られはじめているほどだ。 プーチン氏が目論むファーストフェーズのインフラの破壊が行われた後は、第2段階としてウクライナの戦力の破壊に力が注がれるという。 ロシアは約50万人の軍隊を戦略的にウクライナに配備し、遭遇するウクライナ軍を叩き、主要都市を占領していく予定だ。 ウクライナは隣国ポーランドからの補給線が遮断され、軍隊の機能が低下して、すでに攻撃に対して脆弱になってきている。 米ダグラス・マクレガー米陸軍大佐(退役)はネット上で次のように述べている。 「ロシア軍はいま、ウクライナ郊外に54万人を駐留させている。私の予測では、ロシアはウクライナでの戦争を終結させるための攻撃準備に入っている」「54万の兵士のほか、1000のロケット砲システム、1500台の戦車を含む5000の装甲戦闘車両、そして数百の戦術弾道ミサイルを用意している」 「これを使うことになると、1945年以来、経験したことのなかった規模の戦争になる可能性がある」記事の執筆者であるダニエル・L・デイビス氏は元米陸軍中佐で、4回戦闘地域に派遣された経験者だ。 プーチン氏が全面攻撃を命じれば、大規模な空爆、ミサイル攻撃から始まり、ウクライナの電力網、変電所、燃料貯蔵施設、鉄道基地、通信施設などを完全に破壊することになると言い、ここまではすでに進行中とみなすことができる。 そうなるとウクライナ空軍の支援が功を奏しなくなり、国内での部隊の移動も困難になり、食糧、水、医薬品、弾薬等の補給能力も著しく低下することになる。 キーウが戦闘部隊への補給を優先すれば、市民は凍死したり食糧不足に陥る可能性が高まり、ウクライナは不利な状況に追い込まれる。 デイビス氏によると、プーチン氏はいくつかの方策を考えているという。 1つは20万人の追加部隊をウクライナに投入し、ポーランド国境からの供給網を遮断。 ポーランドはこれまでもウクライナに強力な政治的支援を行ってきた。ウクライナは1日に1000トンの支援物資が必要といわれているが、そのほとんどがポーランドから入ってきている。 2つ目の方策は「大都市を攻撃することが成功につながるわけではない」という内容だ。 プーチン氏は大都市攻撃の代わりに、生活の基盤となる補給網を断つことに力を注ぎ始めている。 「戦争に勝つために維持しなければならないものを奪うこと」が重要なのだという。 ウクライナの場合、キーウからポーランド国境に至る西側が第1の攻撃対象になっている。 ロシアが狙っているのは、ポーランド国境に近いリビウ市周辺への優先攻撃だ。 さらに東方に位置するスームィ方向への北東攻撃、そして東部ドンバス地方に向けて、現在の攻勢を強化する支援攻撃が3本柱になる。 デイビス氏によると、ロシアに3方面の補給網を遮断された場合、「キーウが数週間以上戦時作戦を維持することはほぼ不可能になる」という。 さらにベラルーシ南東部からリビウ市にかけて、ロシアに集中攻撃を仕掛けられた場合、ウクライナ軍にとっては戦略的に最大の脅威となる。 すでにロシアの戦略家は、ポーランドからの補給網を断たないかぎり、ロシアが戦争に勝つチャンスは低くなることを理解しているという。NATO各国、ウクライナの越冬支援 「ロシアは冬の寒さを武器に」11/30(水)NATOは29~30日、ルーマニアの首都ブカレストで外相会合を開いている。初日の会合後に出した共同声明で、「ロシアが何百万人ものウクライナ国民から、人間に対する基本的なサービスを奪っている」と非難し、エネルギー関連施設の修復などを支援するとした。 ストルテンベルグ事務総長も同日の記者会見で、「ロシアは冬の寒さを戦争の武器に利用している」と指摘。燃料、発電機、防寒具、ドローン妨害装置などを提供すると述べた。 各国も個別に支援を表明している。ブリンケン米国務長官は29日、ウクライナの電力網の機器確保に5300万ドル(約73億円)以上の支援を行うと発表した。 ドイツはこれまで、エネルギー関連のインフラ修復のため、約5600万ユーロ(約80億円)の短期資金援助を実施し、350台以上の発電機を提供している。 ショルツ独首相は29日、ウクライナのゼレンスキー大統領と電話協議し、さらなる支援を約束した。防空や長期的な再建の分野でも、引き続き支援する考えを改めて表明したという。・バフムトってどこ?「ドネツク人民共和国」のプシリン「首長代行」は28日、「露軍はバフムト方面で前進に成功した」とし、同市の包囲が迫っていると述べた。戦争研究所は28日付の戦況リポートで、露軍がバフムト南西15キロの集落を占領したとみられるほか、周辺の複数の集落を制圧したとの情報もあると指摘。ただ、「ウクライナ軍の補給路は脅かされておらず、バフムトの包囲は差し迫っていない」と分析した。
2022.11.30
報徳教師 荒木由蔵の報徳の実践荒木由蔵は、文政8年(1825)駿河国庵原郡高部村大内(おおち)に生まれた。安政3年(1856)、安居院先生が、駿河・遠州を旅し、報徳の布教された時、荒木由蔵も先生の門に入って日夜教えを受け、大変感動しこの道に従事した。この時、荒木由蔵は29歳でした。 由蔵の家は前々から不幸せが続いていた。父親は痰と咳の持病があった。また弟は7歳の時に天然痘にかかっててんかんとなった。2名のために由蔵は苦しんだ。数年間看護し、医薬を怠らず、神仏にも祈った。由蔵は17日間断食を行い、祖代々の墓石を磨き、施餓鬼供養などを行うなどもしたが、3年に及んでも効果がなかった。弟にてんかんが起こると始めは臥しているが、夜中になると、腹中から胸にかけてかたまりをつよくこみあげ、生気を失い、口から血を吐いて歯を食いしばり、手足は伸びて曲がらず、そのまま2,3日過ぎると、気が狂ったようなふるまいとなり、大酒を好んで近隣の酒店を走り回り、しまいには喧嘩口論となるありさまだった。手を尽くして家に連れ帰るのだが、月に2,3回このような病状となり、方法も尽き果てて、一家亡滅に瀕していた。この時に、安居院先生が同家に来遊して報徳の道を教えた。由蔵はその教えを聞いて、大いに悟った。これは神仏の罰ではない。祖先以来、自己の血統において蒔いておいた種が実って生長したものにほかならない。由蔵はそう気づくと、先祖伝来の丹精によって所有していた田畑山林、家屋敷をなげうっても、安心立命を基にすべきだと決心し、家財をあげて天へ奉献しよう。私の村の田は天水にたより、井戸や川の水で灌漑できている田はない。だからこの財宝によって水路を開き、耕田の用に供して村人の苦しみを除こうと決心した。由蔵は先生に相談し、鳥坂村の名主と大内村の名主も門下だったことから、3名で発起し、安政3年12月から水路工事に従事し、田の区画整備、用水の高低を測量して、耕地の間には土手を築き、両村の境まで長さ90間の埋樋を設置するなどして、安政4年3月に竣工した。その工事の距離はおよそ300間だった。この工事費は由蔵の家財を傾け、旱害を除き、耕田に灌漑を開発した当時において未曾有の事業だった。その間、翁は朝は未明に出て、夜は夜半に至るまで、人夫を使い、帳簿を整理して、埋樋の大工、耕地開発の人足などの使用に心を尽くした。この事業に従事して100日余り、一日も休まず精励して、ついに家族の病気も忘れるほどだった。すると不思議なことに、父の持病も全快し、実弟の癲癇(てんかん)も次第に平癒した。遠江国山名郡下久野村の仕法(「報徳に生きた人びと」八木繁樹編著p20-22) 下久野村は現在の袋井市にあり、明治4年(1871)当時は静岡藩主徳川家達直轄の村で中泉代官が管理していた。年々不作が続き、年貢も2,3年滞っていた。明治4年は特に不作で、食糧の貸下げと稲作の調査を願い出て郡政役所から下久野村に役人が出張してきた。ところが調査の役人が来ると田の稲は刈り取られていた。役人は村の主だった者を役所に召して取り調べた上、手錠入獄に処した。 その時、隣村木原村(現袋井市木原)に鈴木藤作という者がいて、「この上は荒木由蔵先生にお願いする以外にない」と下久野村の村民を説得し、了承された。藤作が駿河の大内村に訪ねて懇願すると荒木は「報徳の勤行(おつとめ)は容易なものではない。お前はもう一度村に帰って、報徳の御要旨はどのようなことがあっても、必ず実行して違背しないという誓約書に村民全員が署名連判させ、それを郡政所にも届けなさい」と命じた。藤作は村に帰って、一同にこの旨を話して、契約の連判状を作って郡政役所にも届け出た上で、再び荒木に懇願した。 荒木はすぐに来村し、一同を集めて一同に言った荒木「村の概要は藤作から聞いた。この村は年貢が2、3年未納となっている。これはもってのほかだ。この未納を全部上納した上で、報徳の勤行に励むことが斯道(報徳)の本旨である。」村民「そんなことできるはずがない」荒木「今、説明を始めたところだ。説明が終るまで黙って聞け」「報徳の大道は、(1)往古神代のご丹精に立ち帰り、(2)神明のご恩徳を報謝する道である。(3)末世永続の方法に至るまで勤行し、村民共に苦しみ、その後に楽しみを共にする道である。だから年貢の2,3年の未納はこの際に残らず上納しろ。家屋諸道具一切を売り払い、河原に掘立小屋を造ってそこに移住せよ。どうだ、一同、これを承服するか。」村民は騒然としたが、結局荒木の言うとおりすることとし、連判状に調印した。荒木はこれを携えて郡政事務所におもむいて、重役藤沼牧夫に面会を求め、これまでの経過を報告し、未納分の年貢は全部上納すると上申した。藤沼「しばらく待ってくれ」(3時間あまり待たせた上で)「今すぐに家財を処分して未納分を上納しなくてもよい。人民も困窮しているだろうから食糧百俵と金二百両を下げ渡す。また手錠入牢者は直ちに放免とする。村民によく報徳の道理を教示し、一日も早く下久野村が再起できるよう指導願いたい」荒木がこの旨村に帰って伝えたところ、村民一同狂喜し、涙を流して感動し、報徳の教義を全村挙げて実践することを誓った。数年後に再興仕法は成功し完了した
2022.11.30
三谷幸喜、『鎌倉殿』菅田将暉の源義経役は「トイレで偶然、会って」のタイミングでイメージを膨らませた!三谷脚本のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で、菅田は源義経を演じた。三谷は初対面に関して「菅田さんは忘れてるんですけど、『日本アカデミー賞』の授賞式のときに、トイレで偶然、会って、連れションを一緒にしたんです」と告白。三谷は「僕は、初めての俳優さんは、1回お会いしないと脚本が書けない。実際に動いている姿、しゃべってるところを自分の目で見て、『この人にはこんなことをやってほしい』とイメージして脚本を書く」と、“アテ書き”していることを明かした。そのため「菅田さんは(会ったのは)連れションをしたときだけ。あの連れションのときに、僕は頭の中で義経を完成させた」と、イマジネーションを膨らませて執筆。三谷のコメントVTRに、菅田は三谷との連れションについて「覚えてないよ」とつぶやいていた。三谷の話にSNSではさまざま意見があった。《三谷さんが日本アカデミー賞の授賞式の時にトイレで菅田くんに会って、その時に義経のキャラが決まった…と言うエピソードが面白かった》《連れションで 鎌倉殿の義経のキャラ決めた 三谷幸喜さん めちゃめちゃ面白かった》《菅田義経、連れションで産まれよった……》「三谷さんは、9月11日放送の同番組では、菅田さんの演技について『完璧ですね。素晴らしかったです。僕が“こういう風に演じてほしい”と思って書いた台本を100%、もしくは120%で演じてくださった』と絶賛していました。さらに、三谷さんは『むしろ(源頼朝役の)大泉ですよ、問題は。なぜ僕の気持ちをわかってくれなかったのか』と笑っていました」(芸能ライター)💛大泉さんはいつも大泉さんで、鎌倉殿の十三人を去っても 頼朝像よりも 大泉像しか残らない。「。なぜ僕の気持ちをわかってくれな」いというのが無理。
2022.11.30
甕谷遺稿巻四 岡松 甕谷 上報徳記表 代臣某曰。臣聞。食実民之天。而農則国之本。故耒耟勧耕。始於羲農。暦象授時。著于唐虞。若夫我邦天祖初分水陸之種。以肇稼穡之業。歴朝之相承。益闢田野。修堤防。蓋古先聖王。莫不務於黽勉三務。以百神。播種五穀。而豊群黎。臣某誠喤誠恐頓首頓首。伏惟。皇帝陛下、徳応天人。化及虫豸。負扆御極。復九五於盛。臨朝敷政。躋億兆乎雍凞。鬼神協従。蠻夷率服。顧臣稟性空疎。執心褊狭。既委藩服之重寄。猶忝華袞之末班。沐恩実深。懐漸孔多。陛下亦以臣喣濡小恵。嘗自致乎微效。褒賞大典。猥乃加於眇躬。臣承命惶悸。拝賜●(忄+易)息。銜珠之献無施。結草之報何補。竊以臣祖享国陬僻。叨職司牧。然而土地薄瘠。民俗愉惰。加以統乖方。挙措失宜。群吏常嗟倉庫之空。庶民将就溝壑之窮。臣父某憂勤焦労。欲一修獘政。以為小康。臣少承遺緒。繆膺先業。常恐繊微小才。無能任事済務。幸得一二遺老。相与同心勠。而曾臣富田高慶。夙懐憫民之心。兼躬勤国之節。師事二宮尊徳。執役門欄。奉教晨夕。臣亦従問為治之方。務徇挙衰之功。僅能得接済窮乏。支撑歳月。蓋尊徳之為政。務在竭力畎畝。以聚錙銖之微。推心矜寡。而博恵恤之徳。原於先王重農之訓。服乎賤民食力之勤。誠之不息。労而無倦。高慶嘗略輯遺聞。稍纂小編。名曰報徳記。雖措辞疎拙。未宜陳於殿庭。抑挙事切実。亦足則於邦国。凡臣之所以積小労。追補祖業。颺微聞。仰塵天聴者。無非尊徳之教。而高慶之力。臣豈忍掠美要誉。自私乎一己。願得闡幽微顕。長施于百世。所有報徳記五巻。謹加装潢。随表進奏。伏冀以燕間之暇。辱賜充瞽史之規。未必無稗聖明於日躋。而増風化于方隆也。臣某冒涜天威。無勝屏営之至。報徳記例言一、 二宮尊徳先生、畢世(ひっせい)人に教ふるに徳を以て徳に報ゆるの道を以てす。その百行亦悉く徳に報ゆるに在り。故に良法盛行の日に當り、時人稱して報徳先生と云ふ。是此の篇の名と爲す所以(ゆゑん)也。一、 先生一世の言論功業、之を筆記する者あらざれば、後人(こうじん)之を知る能はず。之を知らざれば、富國安民の良法と雖も一時に止りて永遠に及ばず。是我が輩の大いに憂ふる所なり。而して之を記せんと欲するに、其の一班(はん)をも窺い視る能はず。蓋(けだ)し聖賢にあらざれば聖賢の心志(しんし)を知る能はず。豈(あに)庸愚(ようぐ)にして高徳大才の蘊奥(うんあう)を知るを得ん。知らずして謾(みだ)りに之を記す。果たして其の大徳を損するのみに非ず。其の功業を以て區々(くく)たる平常の事に比するに至らん。是大いに恐るゝ所にして數十年間之を記する能はざる所以(ゆゑん)なり。然り而して博識高才と雖も先生の門に入らざれば亦記するを得ず。寧ろ其の一端を記して以て識者の是正を待つには如(し)かざる也と。已(や)むを得ずして其の萬一を記す。一、 先生の安民方法を行ふや、大小となく始めに終りを察し、必成(ひっせい)を洞見して、然る後實業を施行(しかう)せり。故に成功あらざるなし。其の施行の初(はじめ)に當りては常人之を見て以て不可となす者あり。後數年を經過するに及びて始めて此の如くならざれば、其の事の成る可からざるを知るに至る。目前其の事業を視ると雖も、其の規畫(きかく)の深意を察する能(あた)はず。将(はた)焉(いづく)んぞ其の深遠を記するを得んや。一、 先生幼年の艱難(かんなん)困苦其の長ずるに至り、出群(しゅつぐん)の英才を以て行ふ所の事業、一も自ら之を發言せず。故(ゆゑ)に往々邑民(いふみん)の口碑(こうひ)且(かつ)傳聞(でんぶん)に由りて其の概略を記すと雖も、何を以て其の一端を挙ぐるに足らん。将(はた)誤聞なきを保する能はず。一、 諸候(しょこう)の封内(ほうだい)を興復するもの數あり。而して其の依頼に先後あり。施行(しかう)の順序あり。余未だ先生の門に入らざるの前事は之を目視(もくし)せず。故に先後順序を誤る者あらん。且(かつ)施行の良法多端(たたん)にして、所謂(いはゆる)神機妙算測(はか)る可からざる者なり。實(じつ)に淺學不文(せんがくふぶん)、其の糟粕(さうはく)だも記する能はざるを恐る。況(いは)んや其の深理に於けるをや。一、 或(あるひと)曰く、先生畢世(ひっせい)の論説事業を記するに漢文を以てす可しと、或(あるひと)曰く、漢文なる者は簡古(かんこ)を以て是と爲す。今細大の事業を筆するに至っては、能文者に非(あら)ざるよりは詳覈(しょうかく)ならざる所なきを得ず。故に通俗文字を以て記するに如かざる也と。今、後説に隨ふ。 一、此の記實(じつ)に大海の一滴而巳(のみ)矣(なり)。 然して其の功業(こうぎょう)記する所の條件(じょうけん)に止れりと爲し、且(かつ)些少の涓滴(けんてき)、何を以て大業と爲すに足らんと云はゞ、記者漏脱不文(ろうだつふぶん)の爲に目今(もっこん)を誤る耳(のみ)に非ず。後人を誤ること限りなし、若し滴水を見て以て大洋の無涯(むがい)を察知(さっち)することあらば幸甚(かうじん)。一、 記する所の事業、年號月日詳(つまびら)かならざる者尠(すくな)からず。 将(まさ)に後日の研究を俟(ま)ちて之を補はんとす。一、 先生の言論正業を筆して、而して未だ其の終(をはり)を記するに至らざる者は他なし、此の編固より言行(げんかう)の萬一を記する能はず。故に漸時之に繼ぎて以て筆記する所有らんとするが爲なり。安政三丙(ひのえ)辰(たつ)年冬十一年 富田高慶識(しるす) 報徳記を進める表(原文漢文)臣充胤誠恐誠惶頓首頓首。臣祖遐邑(かゆう:遠い村)に封を享(う)く。世司牧を明らむ。天明の飢饉。天保の疫癘(えきれい)。田野荒廃人煙稀少を致す。臣父益胤深く之を憂ふ。思ひを興復に焦す。未だ所志を果たさず。而して下世す。臣少遺緒を継ぎ。先業を拡張せんことを思ふ。家士富田高慶志忠誠に存す。二宮尊徳を師とす。尊徳授くるに興国安民の法を以てす。高慶乃ち家老草野正辰等と謀り。臣に勧めて此の法を行はしむ。其の教へたるや、風俗を敦くし。礼譲を尚び。孤寡を矜(あは)れみ。怠惰を戒め。用を節して生を厚うす。遺策有る無く。自爾以還(それよりこのかた)。民風漸く振ひ。農稼滋殖し。流氓来附。荒廃亦随起。家給し人足り、鶏犬相聞く。是れ尊徳の授くる所、高慶等の力(つと)める所、而して父の素志、是れに於いて乎成る矣。臣の微衷是れに於いて乎竭く矣。然而(しかして)尊徳の実践する所。其の民政に参すべき者尠なからず。高慶遺聞を採撫して之を述ぶ者。即ち報徳記是れ也。夫れ天の徳公明正大。地の徳重厚慈仁。而して四時に行われ。万物育す。既に衣食有り、以て飢寒を免れ。居室有り以て風雨を禦ぐ。夫れ人為る者。天の徳を徳とし。地の徳を徳とし。夙に与に之を報ふを思ひ。信義を行ひ。節倹を勤め。尺土拓ひて丈畝に至り。鋤銖積んで鉅万を致し。報徳の道を庶ふ。是れ則ち尊徳の平素持論。而して高慶等の奉じて以て興復を致す所也。恭惟天皇陛下。神聡叡明。当に維新の創業し。潜徳を表旌(ひょうせい)し。幽微を開顕し。臣不肖を以てせず。尚恩賜を忝うす。臣慚悚交も至。恩を明らめ実に優渥し。以て一身を私し、則ち忸怩無きを得乎。故に爰に報徳記八巻を繕写し。表に随ひて以て聞く。伏して冀はくは叡覧を賜ひ。臣誠恐誠惶頓首頓首謹言(「補注報徳記(上)」(14)より 佐々井典比古現代語訳) 報徳記を進める上表臣充胤誠に恐れかしこんで申し上げます。臣の祖先は封地を辺鄙の所にうけまして、代々地方の人民をおあずかり申して来ました。天明の飢饉、天保の疫病に、田野が荒廃して人口が減少しました。臣の父益胤は深くこれを憂い、興復を焦慮しましたが、そのことを果たさないで世を去りました。臣は若くして遺緒(あと)を継ぎ、父祖の業を拡張しようと思いますうち、家士富田高慶が忠誠の志厚い者で、二宮尊徳を師としました。尊徳はこれに興国安民の法を授けました。そこで高慶が忠誠の志厚い者で、二宮尊徳を師としました。尊徳はこれに興国安民の法を授けました。そこで高慶は家老の草野正辰等と謀り、臣に勧めてこの法を行わせました。その教えと申しますには、風俗を厚うし、礼譲を尊び、身寄りのない者を哀れみ、怠惰を戒め、節用厚生、これ以上に良い仕方はないというほどであります。それから後は、民風はようやく奮い、農産はますますふえ、他から人口が続々と集まり、荒地はつぎつぎに開け、家々は衣食に困らなくなり、鶏や犬の声がにぎやかに聞こえて来ました。これは尊徳の教えによって高慶らの力を入れた結果でありまして、ここに亡父の素志が成就し、臣の微衷が果たし得たのであります。そうして、尊徳の実践したところは民政に参考とすべきものが少なくありません。高慶がその伝え残っていることを取り集めて書き記しましたものが、すなわちこの報徳記であります。それ天の徳は公明正大であり、地の徳は重厚慈仁であります。そうして四季はめぐり万物は育ちます。それで衣食がありますから飢寒を免れます。居室がありますから風雨を防ぎ得ます。そこで人たるものは、天の徳を徳とし、地の徳を徳とし、朝早く起きてこれに報いるために働き、夜遅く寝てこれに報いることを心掛け、信義を行い節倹を勤め、一尺ずつ荒地を開いて一畝に至り、わずかの金を積んで巨万に及ぶのであります。報徳の道とは、まず、そのようなものであります。これはすなわち尊徳の平素の持論でありまして、高慶らのその法によって興復したところであります。恭しく維(おも)いまするに、天皇陛下は神のごとくさとく英明であらせられ、維新の創業に当って、世にひそんだ徳あるものを表奨したまい、隠れて目立たぬ物事までもその長所美点を顕揚せられました。臣は不肖でありながらなお恩賜をかたじけなくしておりまして、且つは恥ずかしく、且つは恐れ多く、お恵みふかき御恩のあつさを私一身に受け、誠に忸怩たらざるを得ません。よってここに報徳記8巻を繕写し上表いたします。幸いに天覧を賜りますよう伏してお願いいたします。以上、誠に恐れかしこんで申し上げる次第であります。 明治13年庚辰10月 従四位 臣相馬充胤上表
2022.11.30

元東北大学教授の大藤修先生は 日光での講演会で「報徳仕法」は、荒地開拓法(荒地の力を以て荒地を興す)と無利息貸付法の2つからなるとし、この方法は天地の無限循環の理法に基づくと言われていた。二宮尊徳の会は、当初「報徳記を読む会」から始まった。「報徳記」原文を輪読する読書会である。「報徳記」原文を一人で読みこなすのは難しい。読書会でもその人の古文の理解の程度で結構つっかえる人が出る。そこで原文を全ルビにして、理解はともかくも 輪読はとどこおらないようにした。これが「報徳記を読む」シリーズである。読書会では現地視察も行った。最初の視察先は小田原の栢山の尊徳記念館で、そのあと少年金次郎の遺跡も歩いて視察した。博物館では、ボランティアの方が丁寧に解説してくださったのだが「報徳を学んでどう活用されるつもりですか?」と聞かれたのが印象的だった。2021年6月2日に、雑誌「かがり火」の取材を受けたときも編集長から最後に「報徳をどのように生活に生かされていますか?」という質問があった。ある意味、「報徳記を読む」シリーズ全5巻の発刊や、鈴木藤三郎顕彰シリーズ刊行や、今回の「報徳の師父」シリーズも 「報徳をどのように生活に生かされていますか?」の質問に対する回答でもあるのだが、報徳仕法でいうと「荒地開拓法(荒地の力を以て荒地を興す)」の考え方を応用して「出版物の力をもって出版物を発行する」ことはある程度は実践できた。あと一つの仕法原理 無利息貸付法 については、その無限循環性を体験するには至っていない。報徳仕法の原理は、天地の無限循環性に由来するだけに、時代が変わっても、その原理に基づけば活用できることであろう。南アジアのグラミン銀行も、原理としては同じであろう。グラミン銀行(ベンガル語: গ্রামীণ ব্যাংক、英語: Grameen Bank)とは、バングラデシュにある銀行でマイクロファイナンス機関。「グラミン」という言葉は「村(グラム)」という単語に由来する。本部はバングラデシュの首都ダッカ。ムハマド・ユヌスが1983年に創設した。マイクロクレジットと呼ばれる貧困層を対象にした比較的低金利の無担保融資を主に農村部で行っている。銀行を主体として、インフラ・通信・エネルギーなど、多分野で「グラミン・ファミリー」と呼ばれるソーシャル・ビジネスを展開している。グラミン銀行の起源はチッタゴン大学教授であったムハマド・ユヌスが銀行サービスの提供を農村の貧困者に拡大し、融資システムを構築するための可能性について調査プロジェクトを立ち上げたことにさかのぼる。ユヌスは、アメリカのヴァンダービルト大学で経済博士号を取得した。1974年、バングラデシュで飢饉があった際、ユヌスは42の家族に総額27ドルという小額の融資をした。それは高金利のローンによる圧迫で、売り物のための小額の支出にも金貸しに頼らざるを得ないという負担を無くすためである。ユヌスは、そのような小額融資を多くの人が利用できるようにすることで、バングラデシュの農村にはびこる貧困に対して良い影響を及ぼせると考えた。銀行は今日全域に拡大し続け、農村の貧困者に小規模ローンを提供している。その成功を受け、40カ国以上で類似のプロジェクトがなされるようになり、世界銀行がグラミンタイプの金融計画を主導するようになった。グラミン銀行が女性に焦点を当てているため、借り手の97%が女性である 。グラミン銀行は、5000万人近くのバングラデシュの顧客の半数以上が絶対的貧困から脱出し、学齢期の子どもは全て学校に通い、全ての世帯が一日三回食事をし、清潔な水を飲み、衛生的なトイレと雨漏りしない家を持ち、ローンを週に300タカ返せるようになっていると主張している。2018年には、日本の芸能事務所の吉本興業とグラミン銀行の総裁で社会起業家のムハマド・ユヌスとの共同出資で脱貧困と格差社会を減らす為のマイクロクレジットの会社(金融機関)のユヌス・よしもとソーシャルアクション株式会社(yySA)が創立をした。
2022.11.30

タモリ「『民謡をたずねて』今日は長野県安曇野に来ております」11月26日、NHK「ブラタモリ」(土曜後7・30)。タモリさんは長野・安曇野市を訪れた。♪槍で別れた梓と高瀬 めぐり逢うのは押野崎安曇節を披露した安曇野市豊科郷土博物館前館長の百瀬新治さんに困惑しながら、「『民謡をたずねて』今日は長野県安曇野に来ております」とボケをかますと、百瀬さんは「たぶん鐘は1つか2つだと思います」と苦笑していた。安曇野のわさび生産量は日本一。その多くが安曇野で生産されている。 わさび観光農場には年間80万人が訪れる。わさびの栽培に欠かせない清らかな水の流れのため普通は棚田状に作られるが、安曇野は平地に広々と作られている。 わさび田の広さは8ヘクタール。 安曇野の湧き水 水の流れは、川ではなく下から湧いてくる。 安曇野に湧き水が多いのは、複数の扇状地からの地下水が集まってくるから。 湧き水は、年間約5.5億トン、東京ドーム440杯超になる。清らかな水は真夏でも水温が15度を超えることはない。わさびは直射日光を嫌うため、寒冷紗と呼ばれる、日よけの布がかけられている。白い川と黒い川の秘密わさび畑は地域によって葉の色の濃さが違う。濃い色と薄い色。土の色が違うから葉の色も違う。わさび田にある石を確認。全体としては黒っぽく見える。「タモリさん、この石はなんでしょう?」「泥岩と砂岩とこれはチャートでしょうか。」「さすが、そのとおりです。」泥岩と砂岩とチャートから成る大王わさび農場の石は、全体に黒っぽく見える。一方、別のわさび田である穂高わさび園には、白っぽい石が目立つ。これは花崗岩。黒と白の土。「なぜ?」「川が運んでくるんでしょうね。別々の地質の土壌から」黒と白の岩石の由来は、それぞれ烏からす川、乳川。烏、乳は、石の色から名づけられている。それぞれ、常念岳を境にした、異なる地質からやってきています。♪槍で別れた梓と高瀬 めぐり逢うのは押野崎梓川と高瀬川は、共に北アルプス槍ヶ岳を源流とする。梓川は、上高地・野麦街道沿い流れ、松本で、奈良井川と合流する。 高瀬川は、湯俣温泉・葛温泉をへて安曇野に出て、明科町押野で,穂高川・梓川と合流して犀川となる。安曇節は、大正12年に発表された新民謡。 松川村の医師榛葉大生さんが、古くから歌い継がれていた安曇地方の総合して再編したのが安曇節。
2022.11.29
カナダ、中国は「破壊的なグローバルパワー」 日韓などと連携し対抗Canada calls China 'destructive' in new Indo-Pacific strategy2022/11/28Speaking at a press conference in Vancouver, Canada, Foreign Minister Jolly said of China, "It's a destructive global power. China's continued challenge to international norms will put friendly nations such as Japan and South Korea into a real security threat." We are facing a threat," he said.ジョリー外相は、カナダ・バンクーバーでの記者会見で、中国について「破壊的なグローバルパワーだ。中国が国際規範に挑戦し続けることで、日本や韓国などの友好国は、"安全保障上の真の脅威にさらされる"。脅威に直面している "と述べた。"Japan is Canada's only G7 partner in Asia and one of its most important commercial friends."「日本はカナダにとってアジアにおける唯一のG7パートナーであり、最も重要な商業的友好国の一つです」
2022.11.29

「日本人に感謝」フランス代表サポーターもスタジアムでゴミ拾い! FIFAが引用したツイートにファン反響「大いなる一歩だ」【W杯】11/28(月)国際サッカー連盟の公式Twitterは、現地時間11月27日にフランス代表の公式ツイートを引用して公開。「良い例が再び生まれた! フランス代表のファンは、スタジアムを去る前にゴミ拾いをしました」と綴り、サポーターたちが楽しそうにゴミを片付ける姿を称えている。カタール・ワールドカップ(W杯)の開幕戦で、ホスト国でも開幕戦でも“何の関係もない”日本人ファンがスタジアムに居残り、ゴミを片付ける姿が驚きをもって報じられた。 その後、サウジアラビアやモロッコのサポーターたちもゴミ拾いする姿が見られ、今回はフランスのサポーターも参戦。この行動に、そのフランスのファンからも驚きの声が上がっている。 FIFAは「追随するのはどこの国だろう?」と問いかけており、今後もこの運動は広がって行きそうだ。
2022.11.29

鎌倉殿の13人:クランクアップ 小栗旬「本当にすごい財産」 制作統括はラストシーンに「窒息しそうになった」2022年10月25日小栗さん「今はまだ終わった実感がないというのが本音です。これだけ時間をかけて“一人の人物を生き抜く”ということをさせてもらえたことは本当にすごい財産で、今後の自分にとって糧になる経験でした」「途中からは、芝居について『ここはどうしようかな』と考えることが減っていって、『自分の歩んできた義時だったらこうするだろうな』ということを淡々とやってきたという感じです。それを最後まで、撮りきってもらい、現在は悔いが残っていないというところまで来られたことは俳優として大きな喜びです。そういう現場を過ごしてきて、いま、こういう自分がいるという状態ですので、それを最後まで見届けていただけたら幸いです」制作統括の清水拓哉さん「三谷幸喜さんと面白い大河を作ると決めてから、やるべきことを丁寧にやってきました。小栗旬さんをはじめとして最高にして最愛のキャストとスタッフが集まり、こんなに熱烈な反響をいただいていること、心の底からうれしく思います」「小栗さん最後の撮影となった最終回のラストシーン。もはや小栗旬ではない北条義時の、手負いの獣のような姿に、見ていて窒息しそうになりました。『もう政子になれないのが悲しい』と小池栄子さんはそう言って泣きました。スタッフみんなも泣きました。誰一人クランクアップしたくない作品でした。退場していった者たちの思いを胸に、残された者たちが最後まで鎌倉で命を燃やします。最終章、ぜひお楽しみに」
2022.11.29
Mさま今回の「訳注 静岡県報徳社事蹟」出版のクラウドファンディングは資金ショートになり、自己負担することになりますが、クラウドファンディングの期間中を通じて、「報徳の普及推進」に幾分なりとも貢献出来てよかったです。センターで、クラウドファンディングの相談にのってくださっているN.I.さんが5000円支援してくださっていたこともクラウドファンディング終了後わかり、感動して感謝のメールを送りました。何よりも〇〇先生の8万円支援が効きました。〇〇先生に感謝です。今回、「二宮尊徳の会、鈴木藤三郎の会」共同編集としましたが、いったん作っておけば、今後必要に応じて発注することもできますし、活用もできるでしょう。技術者シリーズは、I先生が何度も、講義テキストとして発注いただいて、その資金で新しい本を発注できました。そのことが「荒地の力を以て荒地をおこす」という「報徳仕法の原理」を「出版した本の力をもって新たに本を出版する」という「荒地開発法」の応用に気づかせてくださいました。今回、何とか資金ショートを最小限に抑えることで、次(「技師 青山士著述集ー人類のための工学- 技術者シリーズ第4集」)につなげることができます。アントニオ猪木さんが、最後の試合の後、読み上げた「道」という詩には今回のクラウドファンディング中、励まされました。まさしく「行けばわかるよ」です。「道」清沢哲夫此の道を行けば どうなるのかと 危ぶむなかれ危ぶめば 道はなしふみ出せば その一足が 道となる その一足が 道であるわからなくても 歩いて行け 行けば わかるよ
2022.11.29
NHK「鎌倉殿の13人」寛一郎、公暁の葛藤を代弁「恨んでいた相手が本当はいいやつだったって、結構きつい」公暁を演じた寛一郎「大階段のシーンは本来、最初に義時を殺して次に実朝を殺すという献立でしたけど、思いもよらぬ仲章という、よくわからないやつを殺してしまい、そのパニックもあるんですけど、最終ゴールは実朝、という公暁なりのプランがあったので、最後に実朝を殺しました。でも恨んでいた相手が本当はいいやつだったって、結構きついじゃないですか、殺す側にとっては。それはうすうす、公暁もわかっていたはずなんですよ、『こいつが別に悪いわけじゃない』と。実朝にもそう言っていますし」「でも殺さなければいけない、自分が生きるために。だから実朝が最後、自分の小刀を捨ててうなずいたときは結構苦しかったですし、斬ったあとに『父の敵をとった』という名目のもとやっていましたけど、やっぱり気持ちは晴れないんですよね。というより、彼の呪いが解けていくというか、やっと自分の犯したことの重大さに気づいていく、というつもりでやっていました」【鎌倉殿の13人】実朝非業の死、公暁に対し刀手放した最期に「なんて優しい」「辛すぎる 」ネット号泣公暁が「覚悟~!義時」と叫びながら、義時と思い込んだ仲章を切りつける。切られた仲章は「あ~~~~!」と甲高い声をあげ、もう一太刀食らう。ばったりとうつぶせに倒れた仲章は「寒い、寒いぞ~、寒いんだよぉぉぉ」と叫びながら公暁にとどめを刺された。 実朝は、じわりと向かってくる公暁に対して、忍ばせていた手刀を取り出すが、目を潤ませながら刀を手放した。意を決したように公暁の目を見つめる実朝を、公暁は袈裟切りにした。公暁は「親の仇を討ったぞ!」と叫んだ。柿澤勇人殺害した実朝が最期にすべてを悟ったように公暁へうなずいたことについて「実朝は今まで鎌倉殿・三代将軍として生きてきて、大変なことがいっぱいありつつも、一生懸命、果敢に取り組んで政にもちゃんと向き合ってきました。うまくいかなかったりとか、悩んでいたり、苦しんでいたりしたものも、最期にはある意味、すべてを受け入れて。政以外にもおばば(歩き巫女/大竹しのぶ)に言われていたこととか、そういったものがあの一瞬のうちに一気に走馬灯のように頭の中を駆け巡り、すべてを理解したというか。『これで天に行けるんだ』じゃないけど、『父(頼朝/大泉洋)や兄(頼家/金子大地)のところに行けるんだ』みたいな思いはありましたね」実朝という人物について「生まれた環境や時代がもし違っていたら、ものすごくいい将軍だった」「僕はやっぱり役者なので、芝居をやっていて苦しいとかしんどいなというのはかなり多かったし、実際、撮影を経ていくとだんだん顔がやつれていって、体重も落ちていきましたね。それは自分でも如実に分かっていて、でもそれは役者としては本当にありがたいことで、すごく矛盾しているかもしれないですけど、その実朝の苦悩みたいなものが、役者としてはすごく幸運なことだったというのは、最期のシーンを経て思いました」
2022.11.28

菊池凛子できない女を演じる女優義時は、仲章が死んだことを伝え、「お前も救われたな」「いずれお前は、(仲章に)言わなくてよいことをしゃべっていただろう。私はお前を斬っていたかもしれない」のえ「分からない。妬いておられるのですか」義時「八重も比奈も、もう少しできたおなごだった」のえ「言っていいことと悪いことがございます!今のはどちらでしょうか!」菊池凛子さんは「できたおなご」も見事に演じ切れるのであろう。実にのえは 八重も比奈 と違い、市井の女性で、不思議な共感を呼ぶ。北条義時は伊賀の方に毒殺?有力視される小四郎の死の真相に迫る【鎌倉殿の13人】*伊賀の方は藤原秀郷ふじわらのひでさとの流れを汲む関東の豪族、伊賀朝光いがともみつの娘ですが生没年などは不詳。北条義時の後妻になったのは建仁けんにん3年(1203年)伊賀の方は元久げんきゅう2年(1205年)に義時の子である北条政村ほうじょうまさむらを出産、承元しょうげん2年(1208年)には北条実泰ほうじょうさねやすを出産。貞応じょうおう3年(1224年)7月、北条義時が急死。北条義時の死について、吾妻鑑では、義時は脚気かっけを長い間わずらっていて、その後、夏の暑さにより熱中症を併発し体調が急激に悪化して死んだとされている。北条政子は、北条泰時を京都から呼び戻して、義時の法要を盛大におこなわせ、泰時こそが次の執権であると強力にプッシュ。伊賀の方は、兄伊賀光宗いがみつむねと共謀。実子政村を幕府執権に就任させ、娘婿むすめむこの一条実雅いちじょうさねまさを5代将軍に擁立しようと計画。謀反は失敗、伊賀の方と光宗・実雅は流罪となります。これを伊賀氏の変と言う。伊賀の方は、政子の命令で伊豆の北条へ流され、僅か4か月後危篤きとくとなって、まもなく死んだ。伊賀の方の兄、伊賀光宗は北条政子の死後に罪を許され所領を回復し80歳まで長生きし、執権に担がれた政村も泰時の計らいで許され幕政に復帰。
2022.11.28
北鎌倉の円覚寺の入り口に坂村真民さんの詩「明るい心で」の一節が墨字で掲載されていた。2021.05.07の円覚寺 今日の言葉 に 明るい心で の全文が掲載されている。日本の国を明るく照らす。明るい心で(坂村真民)明るい心で明るい顔で接してゆこう暗ければ暗いほど元気を出して明るい方を目指して生きてゆこう天に星が輝いているではないか道のべに花が咲いているではないか空に鳥が飛んでいるではないかしっかりしろしっかりしろとせみたちが鳴くけんめいに鳴く
2022.11.28
公共図書館への寄贈文案をMさんとTさんに送付する。 令和4年12月吉日〇〇 公共図書館 様 「訳注 静岡県報徳社事蹟」の寄贈について 「訳注 静岡県報徳社事蹟―報徳の師父第2集―」を出版いたしましたので、謹んで寄贈いたします。 本書の出版にあたって、大日本報徳社社長の鷲山恭彦社長(元東京学芸大学学長)が序文を寄せて頂き、その傍題には「蘇る報徳実践家の生き生きとした軌跡」とあります。また「当時の報徳の事績と実践家群像が、眼の前に、生き生きと蘇えってくる」、「本書によって、その発展に心血を注いだ報徳実践家たちの奮闘の軌跡が明らかになった。わたしたちはこの歴史を大切に顕彰し、反芻して、そこから大きな励ましを受け取って、これからの生き方の羅針盤にしていきたいと思う」と記して頂きました。 本書は、明治39年4月に静岡県が発行した「静岡県報徳社事蹟」を現代文にするものです。当時静岡県において実に440を超える報徳社が活動し、「大量現象」として報徳実践家が活躍していました。本書は、報徳運動の指導者(報徳の師父)に焦点をあてて、概説とコラム欄においてそのエピソードを紹介しています。 また静岡県森町在住の大須賀義明氏が、報徳の師父の挿絵を6枚寄せていただき、本書にほのぼのとした雰囲気を与えてくださいまして、ユニークな一冊となりました。まさに静岡県・愛知県では「報徳精神を支えに農民や職人が勧業資金の融資を得て起業した例が多く、その代表は、日本精製糖株式会社と台湾製糖株式会社を起業した鈴木藤三郎、今日のトヨタグループ、スズキ株式会社の創業者である豊田佐吉、鈴木道夫である。」「静岡県遠州地方の企業家の多くは、報徳思想の影響を受けて、道徳性と勤勉性によって制御された富の追求を実践した」(大藤修「近世庶民社会論」(吉川弘文館)p.129,p131)とあります。近代日本における資本主義の成立やその後の発展を考えるうえでも、その静岡県の報徳運動の理解が必要であるとともに、また将来の日本を担う若い人々や、更には世界に向かって発信する価値のあるものと信じます。 もし蔵書としていただけない場合は、他の図書館に寄贈したく、誠にお手数をおかけして恐縮ですが、次のメールアドレスにご連絡いただければ、スマートレターをお送りしますのでご連絡ください。大切な本を廃棄することなく、循環して活用したいと存じますのでよろしくお願い申し上げます。二宮尊徳の会・鈴木藤三郎顕彰会
2022.11.28
生田は台本を読んだ段階で仲章の最期のセリフに驚いたという。 「台本を読んでびっくりしたんですけど、仲章の最期の断末魔というか、最期のセリフが『寒い、寒いぞ、寒いんだよ!』というセリフなんです。普通はやられたときのシーンって、『なぜだ!』とか『貴様!』とかそういうセリフのような気がするんですけれど、三谷(幸喜)さんのセンスというか独特の感性で、こんなにもすてきなセリフというか、すてきなシーンをいただいて、冥利に尽きるなという思いでやらせていただきました。あんなに大きな階段のセットも、ワクワクするような撮影になりましたし、すごくいい日に、思い出深い日になりました」 仲章の最期の言葉について、「役者によって、というか、言い方ひとつでどういう捉え方もできるようなセリフをいただいたので、これはなかなか難しい宿題を出していただいたな、という気はがしました。仲章は太刀持ちの役割を半ば強引に義時から奪い取るような形で務めるわけですけど、『思ったより寒かった』というのもあると思うんですよね。本当に寒くて、『なんでこんなに寒いんだよ、こんなんじゃ代わるべきじゃなかったな』という怒りもあるだろうし、その『寒いんだよ』の裏には『俺じゃないだろ! なんでお前、間違えたんだよ。なんで俺が斬られなきゃならないんだよ!』という思いもあった。そして、こんなところで自分の人生は終わってしまうのか、こんなはずじゃなかったんだという悲しみの叫びでもあると思います」と自身の解釈を述べる生田。同時に、「オンエアをご覧になった皆さんにどういうふうに受け取っていただけるのか、すごく楽しみにしています」と視聴者の反応に期待を寄せていた。 25日放送のNHKトーク番組「あさイチ」の「プレミアムトーク」で小栗旬がゲストとして出演した際には、生田の名ヒールぶりも話題に。小栗と生田はプライベートでも親しいことで知られているが、仲章が「朝廷と鎌倉を結ぶ役割にわたしより適任の者がいれば教えてくれよ」「わたしが執権になろうかな~」と高笑いしながら義時を挑発する場面が流れると、小栗は「ほんとにあの時は殺す!って思いました(笑)」と生田を称えていた。吾妻鑑を読む西暦1216年建保四年9月18日吾妻鏡相模守北條義時が大江廣元朝臣を招いて次のように語った。.「将軍家(実朝)は大将への叙任を願っているようです。右大将家(頼朝)は官位を与える宣下がある度に固辞し良い運を子孫に残そうとされていたが、今の将軍家は若年なのに壮年に相当する官職を望まれる。これは如何にも性急であります。御家人らも同様で、京都に仕えずに重い官職に補任されるのは頗る過分で嘆かわしい事です。 私如きが口出しをしても怒らせるだけでしょうから、貴方が諌めて下さるのは如何でしょうか。」廣元はこれに答えて次のように述べた。「私も同様に頭を悩ませていました。右大将家(頼朝)の時代には度々の下問を頂きましたが、現在は何もないため言葉に出す術がありません。相談して頂けたのは実に有難いことです。. 昔から家臣は自分の器に応じた職に任じるべきだと言われています。今の将軍家は先君(頼朝)の功績を継承しただけで、特に勲功を挙げたわけではないのに諸国を支配しているのみならず、中納言や中将に昇りました。摂政関白の息子でなければ有り得ない待遇で、子孫に良くない影響が及ぶでしょう。早速に私の存念を申し上げるようにします。」建保四年9月20日大江廣元朝臣が御所を訪れ、相模守北條義時の中使※と称して将軍家の御昇進についての意見を申し述べた。.「子孫の繁栄を望まれるならば現在の官職を辞して征夷将軍のみに任じ、年齢を重ねた後に大将※を兼任されたら如何でしょうか」と。将軍家(実朝)はその言葉に対して、「諫言の趣旨は至極もっともであるが、源氏の正統は私の代で終わりとなり子孫が継ぐことはないだろう。従ってただ官職に拠って源氏の家名を上げようと考えている。」と答えた。廣元は言葉を続けられずに退出し、この旨を義時に伝えた。西暦1216年建保四年11月24日将軍家(実朝)は前世の居住地でを拝するために唐に渡ろうと思い付いて唐船の建造※を宋人の陳和卿に命じ、従者60余名を定めた。結城朝光の差配である。相模守北條義時と陸奥守大江廣元が再三これを諌めたが聞き入れず、造船が始められた。西暦1217年建保五年4月17日宋人の陳和卿が唐船を完成させ、御家人が拠出した数百名の人夫が船を由比ヶ浜に進水させようとした。将軍家(実朝)の出御と右京兆北條義時の立会もあり、信濃守二階堂行光が全体を差配した。陳和卿の指示で全員が力を合わせ、午刻(正午前後)から申の斜め(16時過ぎ)まで綱を曳いたが、徒労に終わった。そもそも唐船の出入りが不可能な遠浅の浜※である。船は浜辺で朽ち果てるのを待つことになる。西暦1217年建保五年6月20日(故頼家将軍の息子)の阿闍梨公暁が園城寺から鎌倉に下着された。尼御台所政子の指示※に従って(定暁の死去により)空席となった鶴岡八幡宮別当に補任される。この一両年は(三井寺の)明王院僧正公胤の門弟として勉学と仏法の修行を続けていた。西暦1217年建保五年10月11日阿闍梨公暁が鶴岡八幡宮別当職を補任されてから初めての神拝を行った。また宿願があり、今日から千日間の宮寺参籠をされる、と。11月8日陸奥守大江廣元朝臣が目の疲れと腫物などが重なり体調を崩した今日七座の如法泰山府君祭※ を行う、と。11月9日大江廣元朝臣の病状が重篤と聞いた右京兆北條義時は見舞いのため彼の屋敷に渡御された。12月10日前大膳大夫入道覺阿(大江廣元)の病気が平癒し、今日穢れを清める沐浴を行った。但し まだ視野が暗く、黒白の判別もできない状態である。12月26日西暦1218年年令: 実朝 25歳(1月13日に権大納言、左近衛中将兼任)、 政子 60歳、 北條義時 54歳 、北條泰時 34歳 、 安達景盛 47歳前後 、 三浦義村 67歳、 大江廣元 70歳、 後鳥羽上皇 37歳、建保六年1月15日政所に於いて尼御台所(政子)の熊野詣が決定。相模守北條時房が供として同行する。1月17日将軍家(実朝)が讃岐国司を推挙するつもりだから早急に(朝廷に)申し入れるよう、京都守護の駿河守中原季時に命じた。式部大夫北條泰時朝臣を讃岐国司に任じる要望である。尼御台所(政子)が相模守北條時房を供に従えて御上洛※の途に付いた。※政子の上洛: 実朝の後継問題解決が目的である。政子は藤原兼子 (後鳥羽天皇の乳母)の推挙を受けて出家後の女性としては異例の従三位に叙された。結果として、兼子が養育していた頼仁親王(実朝の妻坊門信子の甥)を次期将軍候補にする事で二人の合意が成立、政子はこの年11月に再び兼子の推挙を受けて従二位に昇叙する。3月16日先月18日に文章博士源仲章朝臣が進講のための昇殿が許され、翌19日に宣下された。これは関東の推挙ではあるが朝廷による貴重な配慮である。3月24日将軍家は北條泰時を讃岐国司に推挙すると仰せになったが、過分を称して固辞※したため、その旨を後鳥羽院に奏上するよう重継に依頼した。4月29日申刻(16時前後)に尼御台所(政子)が鎌倉に還御の途に就いた。14日に尼御台所を従三位に叙すると宣下され、筆頭公卿の中納言 三条実宣 卿 が参内して清範朝臣により叙書を尼御台所の宿舎に届けさせた。この件は朝廷でも相当の議論になったらしい。出家した人物に叙位を与えた前例は 道鏡 の他に見えず、女の叙位としては准后(太皇太后・皇太后・皇后)に限る(安徳天皇の外祖母(平時子)の例がある。また知足院殿(藤原忠実卿) の御母儀准后(藤原全子) もまた、出家以後の叙位である。これらの前例に依拠して御台所の叙位を決定した。同15日、仙洞(院の御所)から対面を許す旨の仰せがあったが、「年老いた辺鄙(田舎)の尼が上皇の尊顔を拝するなど滅相もない、遠慮させて頂きます」と答え、諸寺巡拝の予定を中止して直ちに鎌倉に下向した。6月21日午刻(正午前後)に藤原忠綱朝臣が京都から運んできた道具などの調度を御所に運ばせた。牛車が二輌(檳椰・半蔀)※・九錫の彫弓※・(左大将の)御装束・御随臣の装束・(古式の)移鞍(参考サイト)など、全て仙洞(院の御所)が調えて下さったもの。源仲章朝臣が奉行としてこれを受け取った。7月9日未明に右京兆北條義時が大倉郷に渡御され、南の山際で良い土地を占った。堂を建立して薬師像を祀る目的である。昨日 将軍家(実朝)の八幡宮出御に立ち会い 屋敷に戻った夜の夢に薬師十二神将の戌神※が現れて義時に告げた、それが建立を思い立った理由である。今年の神拝は無事に済んだが明年の拝賀には供奉すべきではない。奇異な出来事で託宣の意味も判然としないが、元服後の義時は薬師如来とその護法神・十二神将を篤く信仰している。今回の夢も軽視せず信仰を深めねばならない、日柄などに拘らず堂を建てようと考えた結果である。相模守北條時房と李部北條泰時はこれに賛同せず、各々が次のように諌めた。今年は左大将拝賀や殿上人の参向があり御家人も庶民も多くの財産を費やした嘆きが未だ収まらない内の造営は民生に有益とは言えないでしょう。しかし義時は諫言を容れず、引き続いて工匠らに必要な指示を与えた。これは一身上の宿願であり、もとより百姓や御家人には負担を求めない。薬師如来と眷属の託宣をどうして黙止できようか。と。12月2日右京兆北條義時が霊夢(詳細は7月9日)に従って草創した大倉新御堂に薬師如来像※(雲慶(運慶)作像)を安置し、今日開眼供養を行った。12月5日鶴岡八幡宮寺の別当(公暁)が宮寺に参籠して長く退出せず、幾つかの祈請を行った。しかも剃髪しないため諸人はこれを不可解に思っている西暦1219年建保七年1月7日年令: 実朝 26歳(昨年右大将に、1月27日に殺害される)、 政子 61歳、 北條義時 55歳 、北條泰時 35歳 、三浦義村 68歳、 大江廣元 71歳、 後鳥羽上皇 38歳建保七年1月27日夜になって雪、二尺余りの積雪となった。将軍家(実朝)は右大臣拝賀のため鶴岡八幡宮に参宮される。酉刻(18時前後)に出御された。八幡宮寺の楼門を入る際に右京兆 北條義時 が急に体調不良を訴えて御剣役を 源仲章 朝臣に譲り、神宮寺で列から離れ小町邸に帰った。夜半になって親拝の行事が終わり将軍家(実朝)が退去される際に、石階(石段)の際に隠れていた八幡宮の別当阿闍梨 公暁 が太刀で右大臣実朝を殺害した。その後に 武田五郎信光 を先頭にして随兵が駆け付けたが下手人を発見できない。.或る人が言うには、「八幡宮上宮の横で別当阿闍梨 公暁 が「父の敵を討った」と名乗っていた」 と告げ、随兵らは(公暁の住む)雪ノ下の僧房に押し寄せた。門弟の悪僧らが防戦し、長尾新六定景 と子息の太郎景茂と次郎胤景が先を競って突撃して悪僧を追い散らした。戦場に於ける勇士の行動はかくあるべきとの美談を残した活躍だったが、阿闍梨公暁はここにはいなかった。阿闍梨公暁は将軍家の首を持って後見人である備中阿闍梨の雪ノ下北谷の家に入り、食事を勧められた間も首を離さなかったと言う。そして阿闍梨は乳母子である弥源太兵衛尉を使者として 三浦義村邸に派遣し、「将軍の座が空席となった今は私が関東の棟梁である。早急に討議し手順を定めよ」と申し入れた。この言葉を聞いた義村は先君(頼朝) に受けた恩が忘れられず、数行の涙を流した後も言葉を出し得なかった。暫くして「まず拙宅にお越し下さい。迎えの兵を差し向けましょう。」と伝えるよう使者に命じた。使者の退去後に義村は使者を北條義時邸に派遣して対応の指示を求めた。義時からは「躊躇することなく阿闍梨を殺せ」との命令が届いた。阿闍梨は義村からの使者が着くのを待てず、鶴岡八幡宮背後の峰を登って義村邸に入ろうとした所で定景と遭遇した。雑賀次郎は直ちに阿闍梨を組み伏せようとして戦い、定景が太刀を抜いて阿闍梨(素絹の衣に腹巻(鎧の胴)を着す、20歳)の首を落とした定景は公暁の首を義村邸に持ち帰り、義村は直ちに首を京兆(義時)邸に届けた。義時は玄関で 安東忠家 の持つ灯火により首を確認、李部(泰時 ) は「私は阿闍梨の顔を良く見ておらず、疑念あり」と語った。.出立の朝、前大膳大夫入道 大江廣元が進み出て「私は成人してから涙を流した事がありませんが、今は涙を抑えられません。東大寺落慶供養の際の右大将(頼朝)の例に倣い、御束帯の下に腹巻(鎧の胴)」を着けて下さい。」と進言したが、源仲章 朝臣が「大臣や大将に昇叙する人にその例はない。」と制止した。宮内公氏が髪を整えた際には自ら髪の一筋を抜き、記念と称してこれを与え更に庭の梅を見て禁忌(とされる)和歌を詠まれた。 出でいなば 主なき宿と 成ぬとも 軒端の梅よ 春をわするな愚管抄の記述: 拝賀に参列するため京都から五人の公卿が檳榔の牛車と共に鎌倉に下った。.大納言坊門忠信(内大臣信清の息)、中納言實氏(春宮大夫西園寺公経の息)、宰相中将藤原国通(故・泰通大納言の息、朝政前妻(時政前妻、つまり牧の方の間違い)の夫)、正三位光盛(平頼盛大納言の息)、刑部卿三位宗長(蹴鞠の名手難波(藤原)頼経の息)である。.無事に拝賀を遂げ夜に奉幣を済ませ、神殿前の石階(石段は拝殿の前で、本殿ではない)を下り扈従する公卿の前を歩いている際に法師の姿をした者が実朝の衣を踏みつけ、一太刀で斬り倒して首を落とした。それに続いて同じような姿の3、4人が現れて供の者を追い散らし、先頭で松明を持っていた源仲章を北條義時と思って同じように斬り倒して殺した。太刀を持って近くにいた義時は「公卿は中門にとどまれ」と指示し、全員が蜘蛛の子を散らすように逃げ去った。光盛は鳥居に止めてあった自分の毛車で逃げ帰った。.鳥居の外にいた多数の武士はこの騒ぎを知らなかった。犯人の法師は八幡宮別当に任じていた頼家の息子で前々から計画した犯行である。最初の一太刀の際に「親の敵はこう討つぞ」と叫んだのを公卿全員がはっきりと聞いた。.その後に一の郎党と思われる三浦義村に「今は我こそ大将軍よ、そこへ行くぞ」と伝え、実朝の首を持って大雪の中の山道を義村邸に向かった。義村はこの経緯を義時に報告し、討ち取るように命じて武士を送ったが簡単には討ち取れず、斬り散らしつつ義村邸の板塀まで辿り着き、塀を越えて入ろうとした所で討ち取られた。.実朝の首は山道の雪の中から見つけ出した。犯人の仲間は全て討ち取り、家も焼き払った。その夜と翌日に出家した者は7、80人に達したらしい。
2022.11.28
認知症の有病率は、70代前半までは世代人口の5%。70代後半に入ると8~10%弱の人が認知症になります。日本では認知症患者の6割以上がアルツハイマー病を原因疾患とする「アルツハイマー型認知症」だとされています。アルツハイマー病は、神経細胞の中にアミロイドβと呼ばれるたんぱく質が蓄積されることによって引き起こされると考えられています。脳にアミロイドβがたまりやすいかどうかは、遺伝的要因に左右される面がかなり大きく、親がアルツハイマー型認知症の有病者であった場合は、子どももなりやすいといわれています。・「脳トレ」は、認知症予防という観点からはほとんど無意味だということが、最近行われた海外の研究で明らかになっています。 アラバマ大学のカーリーン・ボール氏による2832人の高齢者に対する研究では、たとえば言語を記憶する、問題解決能力を上げる、問題処理の能力を上げるというようなトレーニングをさせた場合、練習した課題のテストの点だけは上がるのですが、ほかの認知機能がさっぱり上がらないことがわかっています。 つまり、与えられた課題のトレーニングにはなっても、脳全体のトレーニングにはまったくなっていないことが確認されたというのです。・70代ともなると、世代全体の10%が認知症になります。残りの9割は依然として頭がはっきりしており、健康な人とそうでない人の差が、それまでになくはっきりと分かれてきます。 外見の面でも、一見して「え?」と驚くくらいの個人差が容姿の老け具合に出てきます。社会的にも、現役バリバリで社長を務めている人がいるかと思えば、定年退職した人の多くは「無職」という肩書をつけられてしまう現実があります。70代の人にとっては、「老いを受け入れる」ことは「個人差を受け入れる」とほぼイコールの行為でもあります。・食事の改善は、運動や睡眠などの習慣と同様に、認知症予防に大きな効果があるため、見直してみましょう。認知症の原因のひとつは、脳内のアミロイドβタンパクの蓄積です。それを抑制することがわかっているのはEPA(エイコサペンタエン酸)、DHA(ドコサヘキサエン酸)といった多価不飽和脂肪酸、ポリフェノール、カテキンといった抗酸化物質です。・イワシ・サンマ・サバなどの青魚を積極的に摂取することは、認知症予防に役立つといわれています。これは青魚にはDHAやEPAと呼ばれる「不飽和脂肪酸」が豊富に含まれており、悪玉コレステロールを減らす働きが期待できるからです。脳の構成成分であるDHAは記憶力や判断力の向上につながり、ボケ防止に期待できるでしょう。EPAも血管を拡張して血行を良くするため、生活習慣病の予防に効果的です。・緑黄色野菜であるアスパラガス・にんじん・かぼちゃ・ほうれん草などは、ビタミンCやビタミンEが豊富です。これらのビタミンは、血中コレステロールの値を下げたり、血管の老化を防ぐ抗酸化作用を高めたりする働きがあるとされています。・コーヒーや緑茶に含まれているカフェインには利尿作用があり、血液中に不要となったたんぱく質の排出を促すとされています。血流が良くなることから脳内の神経伝達を円滑にし、認知機能の低下を防ぐ効果が期待できます。・カレーにはターメリックという香辛料が含まれています。その中のクルクミンという成分が、免疫細胞を活性化し、認知症の予防に役立つ可能性があるという研究がアメリカやシンガポールで発表されました。しかしカレーの認知症予防への効果には否定的な意見もあり、本当に効果的かどうかは定かではありません。・
2022.11.28
欧米では絶対にそんな治療はしない…現役医師が「日本の終末医療はほぼ虐待」と語るワケ11/27(日)日本では終末期の患者に点滴や人工栄養による延命措置を行うことがある。臨床内科認定医の杉浦敏之さんは「欧米では終末期に無理な延命を行わない方針が取られており、オーストラリアでは『栄養状態改善のための積極的介入は、倫理的に問題がある』と明確に指摘されている。東京大学大学院人文社会系研究科附属死生学・応用倫理センターの特任教授・会田薫子氏----------「なぜ終末期の高齢者に人工栄養(胃瘻(いろう))を行うかというと、『自然死についての社会のコンセンサスがない』『法律上の問題がある』『家族の希望である』『遠くの親戚が口を出す』などの様々な理由が出てくるが、実は『人工栄養の差し控えは餓死させることと同じだと思う』という医師の意識が一番大きいものだった」(ブックレット『高齢者の終末期医療を考える』生産性出版)現在の日本では高齢者医療に携わる医師ですら、より苦痛が少なく、満足度の高い終末期医療についての正確な知識や理解がない、ということです。これは世界的に見ても異様な状況です。アメリカでは、人生の最期のときまで本人の意思決定、自己決定権を尊重することが、尊厳のある死という考え方があります。そのため、高齢や病気によって終末期に至った人が治療を望まないという意思表示をしたとき、医療者はもちろん、家族ですらそれに反対することはありません。万一、本人の意思に反して治療を行えば、医師が家族に訴えられることもあります。 ただ一般の患者さんの意思表示だけでは、希望する医療の内容があいまいだったり、家に保管していていざというときに役立たなかったりすることから、医師と相談して治療内容を確認しておく「生命維持治療のための医師指示書(通称POLST)」(1991年にオレゴン・ヘルスサイエンス大学病院のリチャードソン博士)というものが活用されるようになっています。終末期の人(病気や加齢で余命1年程度と診断された人)が、次の医療行為を受けるかどうかについて、患者本人あるいは医療代理人と、医師とが相談して決めます。 医療行為は①心肺停止時の蘇生、②脈拍あるいは呼吸があるときの積極的治療、③抗生剤投与、④人工栄養、の4つです。そしてオリジナルの医師指示書は患者さんが保管し、医師もコピーを所持したり、情報をカルテに保持したりします。これがあれば、患者さんの状態が変わったときにも医師は治療方法に迷うことはありません。オーストラリアでは、政府が2006年に「高齢者介護施設における緩和医療のガイドライン」を策定しています。そこでは、終末期の医療・ケアについて次のような方針が明確に示されています(以下、『高齢者の終末期医療を考える』より引用)。----------・無理に食事をさせてはいけない・栄養状態改善のための積極的介入は、倫理的に問題がある・脱水のまま死ぬことは悲惨であると思い点滴を行うが、緩和医療の専門家は経管栄養や点滴は有害と考える・最も大切なことは入所者の満足感であり、最良の点滴をすることではない----------札幌で「高齢者の終末期医療を考える会」を立ち上げているのが、宮本顕二医師と宮本礼子医師2007年に初めてスウェーデンの終末期医療を目にしたときの驚き----------「タークマン先生は、『スウェーデンでは、高齢者が食べなくなっても、点滴や経管栄養を行いません。食べられるだけ、飲めるだけですが、安らかに亡くなります。私の父もそうして亡くなりました。亡くなる前日まで話すことができて穏やかな最期でした』と言いました。日本では高齢者が人生の終わりに食べなくなると、点滴や経管栄養をするのが当たり前でした。点滴もしないことに私が驚くと、『ベッドの上で、点滴で生きている人生なんて、何の意味があるのですか? 』と逆に聞かれてしまいました。そして『スウェーデンも昔は高齢者が食べなくなると点滴や経管栄養を行っていましたが、20年かけてしなくなりました』と言っていました」----------
2022.11.28
鎌倉殿の13人で『天命』が話題に!大竹しのぶ演ずる歩き巫女が、雪の日のいたるところに現れ、「天命に逆らうな」と言葉を発する。実朝はいったん太郎から受け取った短刀を手にしながら「天命に逆らうな」の言葉を思い出し、短刀を手から落として公暁に殺される。「雪の日に出歩くな」という忠告に反して、式典を上げたのも、命を落としたのも天命。しかも 歩き巫女は耄碌して誰にでも「天命に逆らうな」といい続けているというオチ。北条時房「兄上は天に守られているようです」逆に義時は「自分は天に守られている」と確信する。その確信がのちに上皇打倒への原動力となる。「この先も三浦一門、鎌倉のために身命を賭して、働く所存にございます」安藤監督「非常に有名な歴史的事件ですし、鎌倉で繰り返されてきた悲劇の、ある種の最絶頂を描くことに、演出としては単純に武者震いしました。同時に、雪の夜の大階段というシチュエーション自体、物理的に撮影が難しくなるのは容易に想像できたので、責任とプレッシャーも大きかったです」「だからこそ、早い段階から美術さんや技術さん、スタッフと準備を進めていきました。一方で、義時と義村は大事件の勃発を目の前にしても、至極冷静。引いた視点で事の成り行きを見つめていますよね。大事件と冷ややかな2人の温度差も大事にしたいと考えました」オンエア上は約10分間にわたった、仲章と実朝が討たれ、公暁が逃げるまでの一連のシーン。撮影はたっぷり丸3日をかけた。「大階段」はNHK内のスタジオにセットを組み「現地に足を運べば、実物の“規模感”が分かりますし、なるべくそれを目指したい。階段上と階段下は別々のセットを合成することで、規模感を出し、長さや傾斜もリアルを追求しました。実朝の最後の舞台が際立つように、スタッフの総力戦でプランニングしました」「演者さんの近くに脚立を立てられる時は、昔ながらの手降らし。アングルによって素材の違う雪を使い分け、脚立に上った特効(特殊効果)さんが狙いを定めて手で降らせます。広い画角の場合は、離れた場所から泡を飛ばすブリザードマシンを使いました。軽くゆっくりと落ちる泡は雪が舞っているように見え、しかも自然に消えるのでリアリティーが出せます。大階段はスタッフが隠れようもない特に広い空間なので、マシンを天井から吊るす荒技も駆使しました。ただ、機械の音が大きく、今度は台詞が聞き取れないとか、アフレコ(台詞を別収録)にするかとか、各セクションのせめぎ合いになって。現場に入ってから雪の段取り1つ1つに対応し始めると、いくら時間があっても足りませんから、早めに意思疎通を図りました」
2022.11.27
Mさまクラウドファンディングに支援してくださった50名の皆様への本の送付文を作ってみました。大学図書館への寄贈文は別途作成します。令和4年12月吉日 「訳注 静岡県報徳社事蹟」出版を御支援いただいた皆様へ 「訳注 静岡県報徳社事蹟―報徳の師父第2集―」をお届けします。 クラウドファンディングが11月25日に終了し、皆さまのご支援で、目標金額を達成し、出版しお届けすることができました、心より御礼申し上げます。 本書刊行にあたって、大日本報徳社社長鷲山恭平社長が序文を寄せて頂きました。その傍題に「蘇る報徳実践家の生き生きとした軌跡」とあります。また「当時の報徳の事績と実践家群像が、眼の前に、生き生きと蘇えってくる。」とあります。 本書は、明治39年1月に静岡県が発行した「静岡県報徳社事蹟」を現代文にするとともに、報徳運動の指導者(報徳の師父)に焦点をおいて、概説とコラム欄において彼らのエピソードを紹介しました。 本書は平成28年(2016)12月に発行した「遠州報徳の師父と鈴木藤三郎」の続編にあたります。「―報徳の師父第2集―」とした所以です。 また本書に森町在住の大須賀義明氏が、報徳の師父の挿絵を6枚寄せていただきました。本来資料集としての真面目な文章に、ほのぼのとした雰囲気を与えてくださいました。鷲山先生の序文と大須賀画伯の挿絵で、本書が遠州の地に根ざしたユニークな一冊となったと存じます。改めてお二人の先生にお礼を申し上げます。 「報徳の師父」シリーズの構想は、もともと鈴木藤三郎顕彰シリーズ第2集として、鈴木藤三郎が遠州報徳の風土から生まれたのかを探求するために作成したもので、このため「二宮尊徳の会・鈴木藤三郎顕彰会」の共同編集としております。 元東北大学大藤修教授の近著「近世庶民社会論」(吉川弘文館2022年12月10日発行)に「遠州地方では、報徳精神を支えに零細な農民や職人が勧業資金の融資を得て起業した例が多い」(p.129)として「その代表は、日本精製糖株式会社と台湾製糖株式会社を起業した鈴木藤三郎、今日のトヨタグループ、スズキ株式会社それぞれの創業者である豊田佐吉、鈴木道夫である。」「静岡県遠州地方の企業家の多くは、報徳思想の影響を受けて、道徳性と勤勉性によって制御された富の追求を実践した」(p.131)と叙述されています。まさに静岡県の報徳運動は近代日本における資本主義成立を考えるうえでも、その理解が必要であるとともに、将来の日本を担う人々や、更には世界に向かって発信する価値のあるものと信じます。 鈴木藤三郎は二宮尊徳の1万巻近い著述を2500冊にした「報徳全書」を作成し、今市の報徳二宮神社に奉納しました。その願文に「報徳の教義が天下に普及し、真正の文明の実を見んことを」と祈願しました。私たち「二宮尊徳の会・鈴木藤三郎顕彰会」もまた同じく願って、本書をお手元にお届けする次第です。
2022.11.27
なぜ森保監督は前半のうちに動かなかったのか? 中村憲剛がドイツ戦を徹底解説「もし動いてしまったら…」「待つのは大きな賭けでした」森保監督が前半のうちに動かなかったのは、動いてしまったらハーフタイムにドイツに対策を練られてしまうからでしょう。だから、待ったのではないか迎えた後半、3バックにするために冨安健洋を入れた一手が、W杯史上まれにみる逆転劇のきっかけとなる森保監督「前半の45分あったからこそ 三笘がチームに勢いを」一問一答2021年11月17日森保監督 中山、三笘に関しても先発で使っていくことは考えていた。他の選手も同じで実際、先発を考えている選手もいた。前半、相手も元気で対応力ある中でなかなか(崩すのは)難しい。すべてがすべて思い通りにはいかないし、うまくいっていれば全勝している。前半の45分があったからこそ、いい攻撃が仕掛けられたと思っている。もちろん評価とすれば、三笘が最初のプレーからぐいぐいチームに勢いをもたらせてくれた。45分持たなくてもいいという仕掛け方。彼の持っている力を発揮、チームの勝利に貢献しようと姿勢は素晴らしい。
2022.11.27
「日本奇跡のドイツ撃破」決定打を生んだ、浅野拓磨の「知られざる日々と真の思い」浅野「僕、試合中によく、笑っていることがあるんです。それは小さな頃の写真を見てもそう。普通は試合中に笑うことなんてないじゃないですか。『俺、なんで笑ってるんやろ』って自分でも思う。でも無意識なんですよ。『うわー、やっちゃった』とか、『俺、下手くそやなー』と思って、その上で、『やっぱり、サッカーって面白いな』という笑いなのかな。でもね、僕、学んだんです。日本中の方が見ているゲームでミスをしたときに笑っちゃ駄目だなって。いろいろな見方をする方がいる。選手が頑張っている姿に勇気をもらいたい人、単に勝負に勝ってもらいたい人、夢を追いかけるために見る人、いろいろな事情、見方があるんですよね。だから今は、ミスしてしまったときに、『あかん、笑うな』って頭の中で考えている。今後はミスしたときに笑わないと思います」「僕は自分がミスしたり、ゴールを逃したりしたシーンを絶対に忘れない。それで、いつか必ず、この悔しさを晴らすと心に決めている。悔しさを溜めて、溜めて、その思いを次のチャンスに生かす。僕はいつも、そんな思いを携えてプレーしているんです」「今は正直、何が正解かが分からない。ただ言えることは、今、取り組んでいることをやり続ける。練習に対する姿勢、練習が終わった後のシュート練習、ジムのトレーニングなどは決して怠ってはいけないと思っています。境遇や立場が良くないときだからこそ、日常の日々に変化を加えることなく、やり続けようと思った。今の僕が備えているもの、今まで得てきた成果を、まずは100パーセント引き出す努力をしないとすべてが始まらない。チャンスが来たときに、それをモノにできる準備ができるように、冷静になって物事を考える。それが大事だなと」「誰も僕のことをサッカーがうまいとは思っていないでしょうね。スピードだけだと思っている方もたくさんいるでしょう。そういう声に関しては、『なにくそ』という気持ちはあります」「4年前から、こういう日が来ると想像して準備してきました。今日という日を僕が迎えると、ここにいるメディアのみなさんの中でも何人が思っていたのかというのが正直な気持ちです。ただ、自分を信じてくれた人に準備をしてきましたし、何より、自分のためにも準備をしてきたので。この4年間、いろいろなことを目にしてきたし、耳にしてきたし、感じることもありましたけども、それを無視してやってきて良かったなと思います」「正直、(板倉)滉がボールを持った瞬間に、『あっ、これは来るなと思いました。まあ、同じところを負傷した内側(ないそく)仲間なので、僕らは。怪我してから意思疎通ができるようになりました。毎日僕も(デュッセルドルフへ)行っていたし、彼とも顔合わせていて、『やれるよ』と二人で励まし合いながら、ここまでやってこれたので。このホットラインができたのも、準備してきた結果かなと思います」
2022.11.27
日本代表のロッカールーム清掃を海外メディア質問 森保監督「来た時よりも美しくは当たり前」日本人サポーターが試合会場の清掃を自主的に行う姿も海外から称賛の声が上がっている。会見で海外メディアから「なぜこのようなことができるのか」と質問が飛んだ。森保監督は「日本人にとっては当たり前のことかなと思っている。私自身、育成年代や社会人の時もいろんな方々から教育を受けた。『帰る時は来た時よりも美しく』というのは教えられてきた。日本の文化として、使ったところはきれいにして帰るのはある意味、当たり前で常識的なこと
2022.11.27
納豆は朝夕2回食べている。以前は ちょい足しに ターメリック をいれたりもしたが、最近は もっぱらアオサをいれている。納豆の本場水戸で聞いた「地元民おすすめの納豆の食べ方」地元民に聞き込み調査!納豆ちょい足し人気ランキング~納豆に混ぜるもの編~【1位】ネギ堂々の1位。「小ネギじゃないと!」「たっぷりいれないとダメ!」など、こだわりがある人も多し!【2位】卵そのまま混ぜる派、黄身だけ混ぜる派、白身をよ~く泡立ててふわっふわにする派など。「卵+かつお節」のように、さらに他の食材をプラスする人も多く、卵の懐の深さが際立ちました!【3位】キムチ意外にも、キムチが3位に!2位の卵とも僅差☆「キムチ+マヨネーズ」や、「納豆+キムチをチャーハンに!」のように、さらに一工夫する人も多い組み合わせでした。【4位以下】■チーズ■海苔■しらす■かつお節(おかか)■大根おろし■漬物(白菜漬、野沢菜、たくあん)■アボカド■ゴマ■タマネギ■オクラ■海苔の佃煮■メカブ■キュウリ■揚げ玉■明太子(たらこ)■梅肉■ショウガ■ミョウガ■トマト■とんぶり …などアオサの栄養素あおさはミネラル類が豊富な海藻で、ナッツ類や乳製品に多いマグネシウム、カルシウムが多く、その他、ナトリウム、カリウムなども引けを取らない量が含まれています。マグネシウムやカルシウムは丈夫な骨作りに必要な栄養、カリウムには利尿作用があります。これらには高血圧や動脈硬化、骨粗鬆症予防、むくみの解消効果が期待できます。カルシウムやカリウムなどは、水に溶け出しやすい性質を持っているので、あおさはお味噌汁やスープにして摂るのがおすすめの食べ方です。このミネラルたちは主要ミネラルと呼ばれる成分で、一日の必要量が100mgとされています。体内では合成できないので、毎日少しずつあおさ摂るように心掛けましょう。調理済みのレンコンカットにターメリックを振りかけて50秒チンしたものを昼食のサラダにいれていく。・ターメリックは アーユルヴェーダ医学や 中国伝統医学において 下記の作用があるとして 用いられてきました。 消化促進 肝機能促進 関節炎の痛みの軽減 殺菌作用 抗アレルギー作用 解毒作用 月経調整 これからの季節に 嬉しい効果がたくさん詰まっています。 れんこんの主な成分はでんぷんで ビタミンCや食物繊維も豊富! カリウムやカルシウムも含まれています。 また、抗酸化作用に優れたポリフェノールの一種 タンニンも含まれておりアンチエイジングに 役立つ成分が豊富な野菜です。
2022.11.27

クラウドファンディングが終了し、原稿と表紙を作って印刷会社に送る。第1集の表紙の色はピンクだったが、一目で新版であることがわかるように反対色の パステルカラーにしてもらう。もともと「遠州報徳の師父と鈴木藤三郎」には、値段はつけていない。5千円以上支援の方へのリターン品として、また静岡県内の公共図書館への寄贈本として作成する。「遠州報徳の師父と鈴木藤三郎」改訂版目次一 訳注「静岡県報徳社事蹟」(遠州地方)・・・ 2(一)二宮尊徳小伝 ・・・・・・・・ 3(二)報徳の起源 ・・・・・・・・ 8 (三)報徳の大意 ・・・・・・・・ 9(四)安居院庄七の伝 ・・・・・・・・ 11(五)静岡県における報徳の沿革 ・・・・・・ 16(六)遠江国報徳社 ・・・・・・・・ 17(七)報徳遠譲社 ・・・・・・・・ 26(八)報 本 社 ・・・・・・・・ 34二 遠州報徳七人衆 ・・・・・・・・ 39三 福山滝助翁 ・・・・・・・・ 43四 岡田無息軒翁一代記抄 ・・・・・・・・ 55五 森町の山中家報徳三兄弟 (一)新村里助 ・・・・・・・・ 68(二)小野江善六 ・・・・・・・・ 70(三)伊藤七郎平 ・・・・・・・・ 74六 鈴木藤三郎(一)鈴木藤三郎君立志画談 ・・・・・・・・ 86(二)米欧旅行帰国後の鈴木藤三郎 ・・・・ 94 鈴木藤三郎資料集(補追)(一) 国力増強の根本策100 (二)余が欧米観106(三)荒地開発主義の実行111 (四)報徳実践談115七 三遠農学社と松島授三郎(補追)(一)三遠農学社と報徳農業道 ・・・ 124(二)松島授三郎小伝 ・・・・ 128八 三河国報徳社(補追)(一)山吉田の報徳(「鳳来町誌」) ・・・・ 132「遠州報徳の師父と鈴木藤三郎」年譜 ・・・・ 135コラム 遠州報徳・師父の風景 安居院庄七(14 15)、荒井由蔵(23 24)、名倉太郎馬(25)、福山滝助(54 55)、岡田佐平治(67)、報徳三兄弟(7383)、霊位「木の玉」(133)現代に生きる報徳 トヨタ(56)、浜松酒造(84)佐呂間漁協(85)あとがき ・・・・・・・・ 136主要参考文献 『二宮尊徳全集』、『静岡県報徳社事蹟』、『報徳』(明治三五年創刊の大日本報徳社機関誌)、『日本報徳運動雑誌集成』、『図説森町史』、『報徳運動100年のあゆみ』、『報本社史』『山中家盛衰記』山中眞喜夫、『遠州報徳の夜明け』、『遠州報徳主義の成立』海野福寿、『安居院義道 報徳開拓者』鷲山恭平、『福山滝助翁』小田原市城内国民学校編、『福山先生一代記』金井利太郎、『岡田無息軒翁一代記』岡田良一郎、『小野江善六翁小伝』神村直三郎、『伊藤七郎平翁』鷲山恭平鈴木藤三郎資料集(補追)(一) 国力増強の根本策100 (二)余が欧米観106(三)荒地開発主義の実行111 (四)報徳実践談115七 三遠農学社と松島授三郎(補追)(一)三遠農学社と報徳農業道 ・・・ 124(二)松島授三郎小伝 ・・・・ 128八 三河国報徳社(補追)(一)山吉田の報徳(「鳳来町誌」) ・・・・ 132部分が新たに付け加えた、鈴木藤三郎資料集そして遠州から三河への報徳運動の広がりを簡単に示した。三河、愛知県の報徳運動はまだ不明な点が多い。「静岡県報徳社事蹟」のような、ちょうど一つの時代を輪切りして叙述する信頼のおける資料がない。いずれ「愛知県の報徳の師父」が作成されることを期待したい。
2022.11.26
小栗旬、『鎌倉殿の13人』義時の“闇落ち”に本音を吐露 「八重さんが亡くなってなければ」小栗「すごくいい子だったんですけどね」「もちろん歴史的なことは聞いていますし、ある程度三谷さん(三谷幸喜)からも、だんだんダークというか、シビアな選択をしていかなければいけなくなっていく義時というのは聞いていましたけど、本当に40話ぐらいからですかね、まさかこんなに悪いやつになるとは思わなかったというふうには思いましたけど」「僕としては“悪くなってる”とは思ってないんですけど、彼の中では通さなければいけない筋があるというか」「鎌倉を思うと…みたいなことが、なかなか人には理解してもらえないっていうところもあるのかな」「僕の本当の心の中では、このくらいにかえりたいなという気持ちは(あった)」「八重さんが亡くなってなければこうなってなかったかもしれませんね」「(菊池さんは)ひとつのことばでは言い表せない表情をする」「よくぞ、あの役を生田君がやってくれたなと思いますけど。なんか、うれしそうにやられてたので、よかったなって思います」とコメント。 「(仲章は)朝廷と鎌倉を結ぶ役割に、私より適任の者がいれば教えてくれよ」「私が執権になろうかな」と義時をあざけるシーンが紹介されると、小栗さんは「ほんとにあのときは“殺す”って思いましたね」
2022.11.26
【CAMPFIRE】支援者が現れました!: 「訳注静岡県報徳社事蹟」を出版します。支援者が2人プラスされて、ちょうど50名となりました。ご支援感謝いたします。クラウドファンディングはこれで終了し、本の印刷に入ります。本のページ数が262頁と当初予定より大幅に増え、また第一集改訂版も作成することから資金額は不足しています。引き続き、ご支援いただければ有難く存じます。序文に 大日本報徳社社長 鷲山恭平先生が「蘇る報徳実践者の生き生きとした軌跡」という傍題の素敵な文章を寄せていただきました。また森町在住の大須賀画伯が「報徳実践者」6人の挿絵をえがいていただき、この書にほのぼのとした雰囲気をたたえてくださいました。「報徳」という「無限循環」の普遍性と「いまここ」という歴史・地域性あふれるユニコーン的な一冊となります。また「遠州報徳の師父と鈴木藤三郎」は「ー第一集-改訂版」と位置づけ、鈴木藤三郎の新しく発掘して世に送り出すものも含め、「プチ鈴木藤三郎著述集」となっております。こちらは5000円以上支援の方にリターン品として作成します。「二宮尊徳の会・鈴木藤三郎顕彰会」の共同編集にしたのはこの2冊の「報徳の師父」シリーズは「鈴木藤三郎顕彰」シリーズ3部冊の第2集に相当するもの。すなわちなぜ鈴木藤三郎は遠州報徳の地から生み出されたのかという問題意識を解明する資料集という意義を持つからにほかなりません。昨日、かたじけなくも大藤修先生から「近世庶民社会論ー生老死・「家」・性差-」の近著を「謹呈」としていただきました。129頁には「遠州地方では、報徳精神を支えに零細な農民や職人が勧業資金の融資を得て起業した例が多い(*2)」131頁の注にはこのようにあります。*2 その代表は、日本精糖株式会社と台湾製糖」株式会社を起業した鈴木藤三郎、今日のトヨタグループ、スズキ株式会社それぞれの創業者である豊田佐吉、鈴木道雄である。 長谷川直哉氏は、・・・・・・「静岡県遠州地方の企業家の多くは、報徳思想の影響を受けて、道徳性と勤勉性によって制御された富の追求を実践した」とあります。「静岡県遠州地方の企業家の多くが」「道徳性と勤勉性によって制御された富の追求を実践」した「報徳思想の影響」とは何か、鷲山先生の序文の傍題「蘇る報徳実践者の生き生きとした軌跡」はまさに、これにほかなりません。本書を含む「報徳の師父」シリーズは、おそらくは「遠州地方」を中心に静岡県さらに三河地方までも広がった「報徳精神」を考えるうえで欠くことことのできない資料集となることを確信します。ご支援に感謝します。
2022.11.26
昨年「第8回報徳講座」で講師を勤めていただいた 元大阪産業大学教授W先生から お手紙をいただいた。「第9回報徳講座の案内とともに丁寧な書状を添えてお送りいただき、真実ありがとうございました。」とある。「真実」が新鮮、元東北大学名誉教授O先生のお葉書もいつも心温まる、また的確な書評にはいつも頭が下がる。こうした学界のよく先導と交友を持てたこともまた「報徳講座」の「一座建立」の功徳であろうか。「静岡県報徳社事蹟について」の講演も有意義なものと思っています。いただきましたチラシを拝見しているだけでワクワクします。このような企画を継続し、しかも高い内容の活動をされている皆さんに頭が下がります。・・・支援者へのリターン3種を読み、先人の偉業をフォローしたいと考えております。」O先生やW先生の温かい評価のお言葉をいただくと、ソクラテスのクリトンで、民衆に評価されるがいいか?それともその道の専門家に評価されるのがいいか?という問いを思い出す。ソクラテス:人間の評価というものを僕たちは前に議論したよね、あそこに戻ろうか。僕たちは昔、ある人たちの意見は尊重すべきだが、別の人たちの意見は尊重すべきではない、と言っていたよね。 ある人たちの意見は尊重すべきだが、別の人たちの意見は尊重すべきでないんだ、とね。 僕が言ってきたことは正しいのだろうか。つまり、ある人たちの意見だけを尊重し、それを重んじるべきであり、他の人たちの意見を重んじる必要はない、というのは正しいのだろうか。答えてくれ、僕の考えは正しいだろうか。クリトン:間違ってないよ。ソクラテス:良い意見は尊重すべきだが、悪いのはそうすべきじゃないんだね。クリトン:その通りだ。ソクラテス:賢い人々の意見は良いもので、賢くない人の意見は悪いものだろうか。クリトン:そうだね。ソクラテス:体操の練習をしようとする生徒は、みんなが自分をほめたりけなしたりする、そういう評価に耳を傾けるべきだろうか、それともたったひとりの―医者だったりトレーナーだったりする人だとしてだ―そういう人の評価に耳を傾けるべきだろうか。クリトン:その人の評価だけを聞くべきだよ。二人の先生のそれぞれの道の専門家としての温かいお言葉に心から感謝します、
2022.11.25
【CAMPFIRE】支援者が現れました!: 「訳注静岡県報徳社事蹟」を出版します。支援者48人残り18時間s・・・・・・様「「訳注静岡県報徳社事蹟」を出版します。」プロジェクトオーナーです。この度は、プロジェクトをご支援いただきまして誠にありがとうございます。SUCCSESS後の強力なご支援感謝します。当初ページ数を132頁程度で見込んでいたところが、最終的に264頁と2倍にふくれあがり、印刷費用も倍増するため、現在冊数の減を検討中です。冊数を減らしてもなお資金不足が見込まれます。それだけにご支援感謝します。序文を鷲山恭平先生に書いていただき、「よみがえる報徳実践家たちの生き生きとした軌跡」という素敵な傍題つけてくださっています。最初からこの傍題にしてクラウドファンディングにできればとも思いましたが、12月18日(日)の報徳講座のテキストでもあるため、クラウドファンディングはこれで終了します。CRの期間中多くの方々から支援いただき、また励ましをいただきました。また、森町在住の大須賀画伯が挿絵を6枚寄せてくださり、2つと」ないユニークな本になります。挿絵の力は偉大で、本来資料集という無愛想な性格の本書にほのぼのとして雰囲気を与えてくれました。第一集改訂版(資金ショートをおこしたのはこの2冊同時発行にもありますが)には、プチ「鈴木藤三郎の著述集」のようにいたしました。鈴木藤三郎顕彰会と共同編集とする次第でもあります。二宮尊徳の会、鈴木藤三郎顕彰会の総力を挙げての記念碑的(「報徳講座」総括)な本となります。印刷後お手元にお届けいたしします。楽しみにお待ちください。<本文>プロジェクトの進捗や状況については、プロジェクトページの「活動報告」にて投稿していきます。目標金額達成のためプロジェクトのシェア等、支援者様のさらなるご協力をしていただけますと幸いです。こちらのリンクをシェアいただければと思います。https://camp-fire.jp/projects/view/623220
2022.11.25
日本の番狂わせを記者席から見た英BBC記者 熱い集団を称賛「あの一画が素晴らしい」サッカーのカタール・ワールドカップ(W杯)は23日、E組の日本は2-1で強豪ドイツに逆転勝ちし、衝撃の番狂わせを演じた。スタンドでは多くの日本人サポーターが応援。声を出し続ける姿の動画を英公共放送「BBC」の記者が「日本のサポーターは素晴らしかった」と公開した。スタンドの一区画。ひと際熱い集団がいた。青いユニホームを着た日本人サポーター。タオルを回し、「オ~、ニ~ッポ~ン!」とお馴染みの応援で声を張り上げていた。試合開始の瞬間からスタジアムに響く大声援だった。BBCスポーツのシャムーン・ハフェズ記者のツイッターは記者席から撮影したと思われる動画を公開。「あの一画の日本のサポーターは素晴らしかった。試合中ずっと立ちあがって歌っていた」と声と出し続けたことを称賛した。海外ファンからは「レッツゴーJFA! 君たちならできる!」とエールが届いている。ドイツ戦勝利後の渋谷交差点を世界が注目 信号に従う様子に「これぞ日本!」「規律正しさだ」11/25(金) 歴史的勝利に渋谷の街はサポーターであふれた。ロシア「スポーツ」は、この様子を動画付きで「これぞ日本! という感じです」と報道。「日本代表がドイツに勝利した後、東京の繁華街は熱狂した。渋谷駅近くの伝説の交差点(映画などで絶対に見たことがあるだろう)は、多くの人々であふれかえっていた。彼らは叫び、飛び跳ね、歓声を上げ、カタールの勝利を祝っていた。しかも、現地時間午前1時! そして、信号が赤になり、警官が口笛を吹くと、みんなすぐに歩道に移動して、車を走らせる道を作った」と、大騒ぎのなかでも信号に従い、秩序を保っていたと伝えた。 また、台湾「自由時報」も、スクランブル交差点の様子を伝え「日本人が規律正しいことを伝えている」というネット上の声を報じた。
2022.11.25
【CAMPFIRE】支援者が現れました!: 「訳注静岡県報徳社事蹟」を出版します。支援者47人残り20時間あと24時間をきってから、支援が入りだした。有難いこと。現在、「報徳の師父第1集」改訂版と新しい「第2集」を同時に作成している。最初の制度設計を間違えて、A4判で原稿を作って、132頁だった。ところが途中で、A版に作り替えたため、264頁という大部になり、ページ数が倍増した。印刷屋に600冊で見積もりを出してもらうと税抜きで50万円近くなる。つまり「報徳の師父」シリーズだけで目標金額の2倍以上になる。現在、部数を減数した場合について紹介中で、あとわずかな時間とはいえ、有難い。さはあれ、精魂こめたよい作品になったと思う。最後に森町在樹の大須賀画伯の挿絵6枚を組み込んだことで、この世に二つとない本に仕上がった。つくづくと 挿絵の力 は偉大で、本全体の印象をも左右するということに驚かされる。また、東北大学名誉教授大藤修先生に、あとがきに「報徳の師父第1集」発行の折、いただいたお葉書の言葉を引用してよいですか?とお電話してご了承をいただいた。「遠州への報徳の伝播と展開を人物を中心に跡づけられるよう諸資料を編集されており、市民学習の良きテキストになる御労作だと感心しました。」本書の意義を的確にとらえられた先生の温かい後進へのエールに感動する。また第二集(クラウドファンディング対象)の序文をいただいた鷲山恭平先生は序文の冒頭に「蘇える報徳実践家たちの生き生きとした軌跡」と短評を載せてくださった。できるものからこのクラウドファンディングの副題にしたいほどである。もし書店で販売するとしたら、帯封にしたい名文である。クラウドファンディングはあと数時間で終わり、印刷に入り、支援者と静岡県内公共図書館と大学図書館に寄贈するだけになった。部数に余裕があれば、第一集を収蔵していただいている全国の多くの公共図書館にも寄贈したいところであるが、またそれは資金に余裕ができたときに回そう。「行けばわかるさ」多くのご支援に心から感謝して、あと数時間で このプロジェクトを終了する。
2022.11.25
森保監督の即ピッチ上反省会に海外驚がく「わずかな祝勝後すぐ反省を始めた」「恐ろしい」11/24(木)森保ジャパンがドイツに2―1で歴史的逆転勝利を遂げた後の行動が、海外で注目を集めている。 日本は前半に1点を奪われたものの、後半頭からシステムを変更した森保一監督の采配がズバリ的中。MF堂安律(フライブルク)、FW浅野拓磨(ボーフム)の2ゴールで逆転し、歴史的勝利を収めた。 世界に衝撃を与えるほどの勝利に、選手らは当然抱き合って大喜びした。しかし、海外の視線が集まったのはその後の光景だ。台湾「自由時報」は「なんと恐ろしい。日本は、試合直後のお祝いはわずかで、すぐにチーム全員が円陣を組んで反省会を始めた。これには外国メディアを驚かせている」と報道。森保監督は円陣でイレブンに「一喜一憂しすぎるな!。次が大切だぞ! しっかりと準備してやっていこう!」などと猛ゲキを飛ばしたが、この光景が「喜ばず、すぐに反省した恐ろしい光景」と海外で驚かれているというのだ。「勝って兜の緒を締めよ」 戦国時代の武将である北条氏綱 (ほうじょう うじつな)が書いた『五箇条の御書置 (かきおき)』氏綱は死に臨み、五箇条から成る訓戒状を氏康に遺した。 1大将から侍にいたるまで、義を大事にすること。義に違えて国を切り取っても後世の恥辱を受けるだろう。義理を重んじよ。2侍から農民にいたるまで、全てを慈しめ。捨てるような人など存在しない。3驕らずへつらうな。身の程をわきまえよ。分相応の振る舞いをすべし。4倹約を心がけること。5いつも勝利していると、驕りが生まれ、敵を侮ったり、不行儀なことがあるので注意せよ。勝って兜の緒を締めよ。この言葉は、のちに日露戦争における日本海海戦で完勝し、東郷平八郎が引用したことでも知られています。「連合艦隊解散ノ辞」「連合艦隊はここに解散することになった。しかし海軍軍人の責務はけっして軽減するものではない。この戦役の収果を永遠に生かし、ますます国運の隆昌を保つには平時、戦時を問わずその武力を保全し、いざというときに対応できる覚悟がなくてはならない。武力といっても艦船兵器のみにあるのではなく、これを活用する無形の実力にある。百発百中の一砲は百発一中の敵砲に対抗し得ることを覚えれば、軍人は武力を形而上に求める必要はない…」(要旨)最後に「古人曰く、勝って兜の緒を締めよと」と締めくくった。森保監督「一喜一憂しすぎるな!。次が大切だぞ! しっかりと準備してやっていこう!」の言葉は、日本の伝統に裏付けられている。
2022.11.25
【独占】日本代表・堂安律は“ドーハの歓喜”を3か月前に確信していた!「人生を変えるサプライズを起こす。そういう運が必ず巡ってくる」堂安律「俺が決めるという気持ちで入りましたし、俺しかいないと思っていたので。日本サッカーを盛り上げるという気持ちでこのピッチに立っているので、皆さんぜひ期待してほしいです」「『ここまで行けたか!』というサプライズを起こすのはこれからです。何をもってサプライズなのかというと、それは人生が変わるかどうか、ですね。環境はもう整っているので、あとは自分が結果を出せるかどうか。『この1年を頑張れば、ここから5、6年は食っていけるわ』という活躍ができれば、誰も想像していないようなシーズンになると思います」「ブンデス開幕戦でドイツ紙『キッカー』のベストイレブンに選ばれましたけど、驚きもうれしさもそこまでなかったし、シーズン2桁ゴールを獲れば人生が変わるとも思っていないです。人生を変えるようなサプライズって、別にひとつではないんですよ。例えば、『ここで決めれば日本の歴史が変わる』というW杯の大事な場面でゴールを決めるとか、来季CL出場権のかかったリーグ最終戦でヒーローになって市場価格が上がるとか。そういう場面に居合わせる、という運も必要になってきます」「この2年で精神的に大きく成長できたと思っているし、何事にも動じなくなりました。人生を変えるサプライズを起こす環境は整っているし、そういう運が必ず巡ってくると確信しています」日本代表史上最高の“一体感”認める長友佑都「ベンチの雰囲気がドイツとは違っていた」「前半は本当に難しい試合だったんですけど、1点取られた後もこれ以上の失点はないと。1失点だと絶対に何か起こるということをみんなで話し合っていた。それはピッチ内でも話し合っていたし、ハーフタイムでも話し合って、1失点でまず前半を抑えられて、それが勝利につながったすべてかなと思います。2失点目を決められていたら厳しかったです」「大きなことを成し遂げたし、初戦の大事さは僕が一番経験してきて、わかっているから、絶対に何がなんでもこの試合に勝ちたいという気持ちは誰よりも強かった。ベンチのチームメイトもみんな心が一つになっていた。比べる必要はないかもしれないけど、ドイツと日本のベンチの雰囲気は全然違っていたと思う。みんな熱量があって、みんな戦っていた。あれは感動するレベルだなと。僕はずっとみんなの心を一つにつなげることが大事と言っていたのは、こういうこと。これは伝わるんですよ」「ミーティングの時にもみんなで『コラージョ』(イタリア語で「勇気や勇敢さ」)とやっていた。その熱が伝わったかなと思いますし、伝わったら嬉しいと思います。精神的なミーティング時に僕が話して、一人ひとりにコラージョと締めて終わったら自然にみんな言うようになっていました。それは言葉としてはね、言葉は大事なんですよ。自分を奮い立たせてもらえるもの。それが合言葉になっていて嬉しいですね」「今日は大いに喜ぶけど、明日から切り替えて、次負けてしまったら意味がない。だから、しっかりと切り替えてもう一回気を引き締めて、みんなにコラージョと勇気を与えてもう一回チームの士気を上げたいと思います」
2022.11.25
“ドイツを追い詰めた本当の勝因”はシステム変更じゃない…「森保さんが提示して、あとは選手が」遠藤航の言葉が示す“4年間の成果”鎌田「監督が決断して、変えてくれたのがすべて」遠藤「ターニングポイントは、後半の始めからシステムを変えたこと。あそこで10分、15分様子を見ていたら、ドイツをハメることができなかった。森保さんの素晴らしい判断だったと思います」長友「もっと前から行きたかったけど、相手のポゼッションと戦術的なギャップの作り方がうまくてハメられなかった。でも、ハメられないことも想定していたので、ネガティブになることなく、ブロックを敷くことに切り替えた。誰ひとり焦っていなかった」「前半は想定した状況でしたけど、思っていた以上にカウンターを仕掛けるチャンスがなかった。1失点しましたが、そこで崩れずに0-1で進めるということはずっと話していた」堂安「0-1ならオーケーだと(長友)佑都くんや(吉田)麻也くんが事前に話してくれて、その通りになった。W杯初出場の選手では、その意見は出なかったと思います」なぜ、ドイツが最後までなんの修正もできなかったのか ドイツは、フォーメーションを変えてきた日本にまったく対応できず、最後まで後手を踏んだままだった。 バイエルンを6度目の欧州王者へと導いたハンジ・フリックですら、45分間でなんの修正を施すこともできなかった。 なぜ、できなかったのか。 もちろん、優勝候補ゆえのプレッシャーもあっただろうが、そもそも代表チームは毎日トレーニングを積み、1年間戦うクラブチームとは違う。おそらくバイエルン時代なら簡単に修正できたはずのことが、代表チームでは簡単ではない。バイエルンの選手を中心にチームを作っているドイツ代表ですら、こうなのだ。ドイツ戦の後半の頭から、時間をかけて取り組んできたわけではない3-4-2-1を導入して機能させてしまった。遠藤「自分たちができるということはある程度分かっていました。森保さんが提示してくれて、あとは選手が対応してやるだけだったんで」
2022.11.25
【CAMPFIRE】残り24時間 - プロジェクトの募集終了は明日!こんにちは!CAMPFIRE運営スタッフです。プロジェクトの募集終了日まで残り24時間となりました。プロジェクトも本当の本当のラストスパートです。募集終了日に数十万円、数百万円を集めたプロジェクトも過去にたくさんあります。プロジェクトをSUCCESSさせるだけではなく、目標金額を上回るような大きなSUCCESSが期待できるかもしれません。納得のいく募集期間終了の瞬間を迎えられますように。「訳注静岡県報徳社事蹟」を出版します。https://camp-fire.jp/projects/view/623220支援者46人残り23時間
2022.11.25
森保監督の一問一答は以下の通り。 ――眠れたか。 「眠れました。ちょっと睡眠時間は短いですけど」 ――初戦白星を手にした。 「初戦で勝ち点3取れたことで良かったと思いますし、このグループリーグを戦っていく上では大きな勝ち点3だと思ってますけど、いろんなシミュレーションをしても安心できる勝ち点3ではない。次が大事」――吉田が監督のプラン通りだと言っていた。 「ドイツは強いので我慢強く戦うのが大切だなと。ドイツだけではないですけど、W杯の舞台で我々のやろうとしている理想はありますけど、現実を見ながら我慢強く粘り強く戦うことが日本人にできること。どういう戦いの中から自分たちのリズムに持ってこられるように考えて準備はしてきましたけど、プラン通りと言いつつ、選手は状況の中で、いい対応力を持って修正力を持って戦ってくれた。戦術のことを伝えたとしても、ピッチ上でやる選手たちが状況に合わせてお互いのやるべき事を合わせてつなげることをしないと、いくら練習でやってもピッチ上で表れない。昨日の試合の流れとしては予想していたことやプランしていたところの一つでもありますけど、選手たちがピッチ上でいい判断を持ってコミュニケーションを持って戦ってくれた」 ――ロストフの悲劇(18年W杯決勝トーナメント1回戦でベルギーに2―0から逆転負け)から、対応力は求めていたもの。4年立って実ったか? 「実ったなと言うか、これまでやってきたものの積み上げを選手たちが表現してくれた。対応力と修正力の話をすると、そこから始まっているような感じですけど、この4年間でやってきたこと、まずは自チームのコンセプト、ベースを固めていく、その上で対戦相手とのかみ合わせでコンセプトとゲームプランというベースの部分を準備する、ただ、いろんな技術、戦術の話をしても、選手たちは攻撃のところではアグレッシブに、勇気を持って関わること。1歩前にということと、守備ではもう1歩粘り強く突いていく、1歩食らいついていく、ことをやってくれた」 ――両ウイングバックに三笘と伊東は初めて見たが、隠してきた? 「そういうことはありません。これまでの活動の中で(伊東)純也がウイングバックはありますし、(三笘)薫についてはサンジロワーズでやってましたし、今ブライトンでも…」 (ここでスプリンクラーの水が想定以上に伸びて森保監督を直撃) 「なかなかアクシデントがありますね。だいぶピッチ上もピッチ外も暑くなっているのでクールダウンしろということかなと。これまで積み上げてきた戦術や選手個々の役割は、自チームでやってきたことと彼らが所属チームでやってきたことをうまく組み合わせて試合で行かせるようにということは、これまでもやってきたこと。よく理解してくれながら自分の良さを出してくれた」 ――3バックは4日間の非公開練習で準備していた? 「練習の中では4バック中心にやっているので3バックはやっていません。でも親善試合の中で、毎試合このところ9月とカナダ戦で入れてきていますし、昨日の試合前のミーティングでもそういうことをしないといけないと示唆しながらきているので」 ――コスタリカ戦に向けて 「これまでどおり目の前の試合に向けて最善の準備をすることを考えてやっていくだけ。試合が終わって当日は勝って喜ぶこと、悔しかったり辛かったことはありますけど、過去のことは全て成果も課題も含めて今後に向けてポジティブ変換することをやってきていますし、昨日試合前や今回の準備段階でも、これまでの活動の中で、出た結果に一喜一憂しすぎないことは言い続けてきている」
2022.11.24
【CAMPFIRE】支援者が現れました!: 「訳注静岡県報徳社事蹟ー報徳の師父第二集-」を出版します。残り1日5000円以上支援の方には、「第1集改訂版」とA3の明治41年静岡県全図を作成しますとリターン品として差し上げますとうたい、二冊を同時に発行する体制に入ったが、支援金額が大幅に足りない。残り1日だが、少しでも支援金額が積みあがれば、それだけ助かる。それでも今回「報徳の師父」シリーズ同時発行してよかった。改訂版には、少ないながら鈴木藤三郎の未搭載論考を入れることができた。資料集として、今後、鈴木藤三郎について関心を寄せる人にとってはみちびきの本となろう。
2022.11.24

サッカーのワールドカップ(W杯)カタール大会の初戦で、強豪ドイツに勝利した日本代表の振る舞いが、世界中の注目を集めている。試合後のロッカールームをぴかぴかに片付け、折り鶴とお礼のメッセージを残したサムライブルー。インターネット上に「素晴らしい」「尊敬する」と称賛の声があふれた。「歴史的勝利の後、彼らはこのようにきれいにして、ロッカールームを後にした」。国際サッカー連盟(FIFA)の公式ツイッターで、日本代表が使った試合後のロッカールームの写真が公表された。備品や水をまとめて置き、ごみ一つ見当たらない様子を「ぴかぴかだ」と表現した。さらに、折り鶴と、日本語とアラビア語で「ありがとう」と書かれたメッセージの写真とともに「これも彼らの残したもの」と紹介。「誇らしい」「美しい」など、世界中からメッセージが寄せられている。掃除するサポーターを英国営放送「BBC」が写真付きで紹介サッカーのカタール・ワールドカップ(W杯)、E組の日本は強豪ドイツに2-1で逆転勝ち。その中で、日本人サポーターの姿にも海外の注目が集まっている。英国営放送「BBC」は勝利後にスタジアムを清掃する日本人サポーターを写真入りで紹介。「W杯でドイツへの歴史的な勝利を見守った日本人のサポーターは、祝賀会を保留にして、スタジアムを掃除した」などと報じている。また、現地入りした日本人サポーターが「ドイツ戦直後、日本人サポーターによるスタジアムのゴミ拾い活動についてボランティアスタッフから直接御礼を言いたいとのことで急きょ集められました。本当に凄い光景です」とツイッターに投稿している。こうした姿に、海外からは「これが人間として最初にやるべきことだ」「日本のファンはこのワールドカップで偉大なものに値する」「世界一の文化を持つ最高の国」などの声が寄せられている。
2022.11.24
「「訳注静岡県報徳社事蹟」を出版します。」の二宮尊徳の会です。この度は、プロジェクトをご支援いただきまして誠にありがとうございます。今回第一集改訂版作成を同時に行っているため、クラウドがサクセスしても資金的には大きくショートしているだけに大変ありがたいです。今回序文に大日本報徳社の鷲山社長が素敵な文章を寄せてくださり、森町在住の大須賀画伯が挿絵を6枚寄せてくださって本全体にほのぼのとした味わいをもたらしてくださいました。お楽しみにお待ちください。<本文>プロジェクトの進捗や状況については、プロジェクトページの「活動報告」にて投稿していきます。目標金額達成のためプロジェクトのシェア等、支援者様のさらなるご協力をしていただけますと幸いです。こちらのリンクをシェアいただければと思います。https://camp-fire.jp/projects/view/623220これまで支援の皆様のコメント(定型を除く)・k・・・・・・- 2件の支援者です2022/11/21 16:36応援しています!頑張ってください!12/18楽しみにしています。・H...... 2件の支援者です2022/11/15 13:20遅くなって済みません。応援しています!頑張ってください!・a・・・・・・- 1件の支援者です2022/11/01 22:19大学院で近代日本農業史を研究していたこともあり、直接的な関係はないものの二宮尊徳や報徳運動についても関心があります。完成された暁にはぜひ拝読できればと存じます。・k・・・・・・ 1件の支援者です2022/10/30 10:19目標額に達成できますように。・m_- 1件の支援者です2022/10/29 20:26Mです。なかなか活動に参加できませんが、趣旨に賛同します。氏名の掲載はご遠慮いたします。・1・・・・・- 2件の支援者です2022/10/28 15:54粘り強い活動に敬服です。全国からの支援が集り、郷土の偉人の活動がさらに知られるようになることを記念致します。・
2022.11.24
【CAMPFIRE】支援者が現れました!: 「訳注静岡県報徳社事蹟」を出版します。残り1日 今回第1集改訂版を作る関係で、まだ資金は大幅にショートしていて、SUCCSS後の支援はありがたい。当初、支援がまったく伸びなかったことを考えると感謝感謝!序文に大日本報徳社社長の名文をいただき、森町在住の大須賀画伯の挿絵を6枚いれこんだ。資料集なので、どちらかというと まじめな叙述のなかに挿絵がほのぼのとした雰囲気を醸し出してくれる。
2022.11.24
ドーハの歓喜 日本VSドイツ 総評采配がすごかったもしかしたら前半は堪えろ後半は3バックで用意していた鎌田「今日の勝利はすべての選手の努力の賜物だと思いますし、一丸となって掴んだものというのは間違いない」「(前半)本当に酷くて、あのまま終われば、間違いなく過去最悪の試合だった」と表現。「彼らをリスペクトし過ぎていた」「ボールを取っても怖がってプレーをせず、臆病だったと思う。あのまま終われば恥ずかしい内容だったし、ワーストな試合になっていた。後半に結果を変えることができて、本当にハッピーですね」 後半からはシステムを5バックに変更。 相手に対してマンツーマン気味にセットし、プレッシングの位置も高くして逆転へとつなげた。「何かを変えないと難しい」「森保さんがフォーメーションを変え、自分たちが勇気を持ってプレーしたことによって、ああいう結果を得られたと思うし、自分たちは普段良いリーグでやっている選手が多いので、対等に渡り合えばどこのチームともいい試合ができると証明できたと思う。そういう面で今日は本当に全ての選手が良かったと思うし、森保さんの采配が全てだったかなと思います」
2022.11.24

2022.11.24
日本大金星に韓国メディアも衝撃「2018年の韓国の奇跡再現」「バトンは韓国が引き継ぐ」韓国メディア「OSEN」「浅野の逆転ゴールで爆発した5000人の『ウルトラ日本』…応援合戦も日本の圧勝」応援団「ウルトラ日本」にフォーカスを当てながら「2018ロシアW杯でドイツを2-0で下した韓国の奇跡を再現した」と4年前の自国の勝利と重ねた。「この日、カリファスタジアムに約5000人規模の日本遠征応援団が席を埋めた。 彼らは日本代表チームのゴールポストの後ろに位置し、団体応援戦を始めた。『 オー、ニッポン!』で始まる韓国ファンにも馴染みのある応援がドーハの上空を占領した。ドイツ応援団の規模は日本の3~4倍程度ではるかに多かった。 しかし、彼らは日本のように組織的な応援をしなかった。ドイツが決定的なプレーをする度に大きな歓声が上がったが、日本のように試合中ずっと応援が続くことはなかった」「ついに応援の力が試合内容まで変えた」「日本がドイツを破り、カタールW杯に異変が起き始めた。アルゼンチンを2-1で制したサウジの『アジア熱風』だ」*ウルトラス・ニッポン(ULTRA' NIPPON、ULTRAS NIPPON)は、サッカー日本代表のサポーター集団。通称は省略して「ウルトラス」・1980年代後半から植田朝日を中心とした仲間同士で国立競技場のゴール裏に集まり日本代表を応援していたのが始まり で、サッカー専門誌で「ゴール裏の新人類」として紹介されていた・1992年に広島県で行われたAFCアジアカップ1992で日本が初優勝した際に、一般観客を巻き込んだ大掛かりなサポート が注目を集め、マスコミに取り上げられるようになった・翌1993年に日本代表の応援CDを発売するにあたりレコード会社からグループ名を要望され、日本国外の熱狂的なサポーター集団がウルトラスを名乗っているケースが多いことと、自分達が日本人であることからウルトラス・ニッポンと命名した・
2022.11.24
「日本は今大会のダークホース」 海外記者が森保Jへ高評価、グループ突破の可能性「あり」と大絶賛の理由は?2022.11.16エラディディ・ワリード・アミン・アリ記者。フリーランスのサッカー記者「今大会で日本代表はダークホースになると思っているんだ」「彼らは素晴らしいパフォーマンスを見せてくれるはずだ。結果がどうなるかは分からないけれど、日本は良い戦いを見せてくれると思っているよ」「日本代表の戦いぶりは、誰か特定の個人に頼ったものではなく、集団として強みがあると思っている。日本はとてもシステマチックなチームであり、集団として良く組織されて良いプレーをする。フィジカル的にも強く、とても賢い選手が多い。個人ではなく、グループとして、違いを生み出すチームだと感じているんだ」「ただ、日本の選手たちが自分たちを信じて戦うことができれば、このグループを突破する力はあるだろう。例えば、ドイツは私たちがよく知っている以前のように圧倒的な強さを誇るドイツではない。チーム内に問題があることは、彼らの最近の試合からも見て取れる。スペインも同じだ。チームに問題があり、DFセルヒオ・ラモスやMFチアゴ・アルカンタラ、GKダビド・デ・ヘアを招集しなかったことで、メディアはルイス・エンリケ監督に対する批判を始めている。両方のチームは、問題を抱えている状況だ。日本はこうしたところに突け入る隙があるはずだ」「日本はアジアの国であり、カタールをはじめ、中東での試合を多くこなしている。これも日本の強みになると思う。堂安にも、日本が上位に進出できると思うのかと聞いたら、彼は『もちろん。僕たちは自分たちを信じている』と言っていた。また『カタールで多くの試合をしている経験も助けになるか?』と聞いたら、『そう思うよ』と答えていたよ」
2022.11.24
日本代表、世界を驚かせる歴史的なジャイアントキリング!ドイツ代表に逆転で初勝利 初のベスト8へ勝ち点3ゲット11/23(水) https://news.yahoo.co.jp/articles/05a023e3c95940a9c57d628df3a02fbc87c41525初のベスト8以上を目指す日本代表がドイツ代表を相手に逆転勝ちを収め貴重な勝ち点3をゲットした。前半は33分にPKで先制点を献上したものの、後半に入るとアグレッシブな選手交代で受け身になったドイツ代表に対して猛攻。途中交代で入った堂安律が75分に同点ゴールを決めると、83分にも途中から入った浅野拓磨が勝ち越しゴール。2大会ぶりの優勝を目指す格上ドイツ代表に対して、世界を驚かせるジャイアントキリングを演じて見せた。 前半は完全にドイツ代表のものだった。序盤こそ日本代表が押し気味に進めていたが、徐々にドイツ代表にペースを掴まれると、33分にはペナルティーエリア内でファウルを犯してPKを献上。先制点を許すと、その後も完全に試合を支配され、ボール保持率もドイツ代表74%、日本代表26%と圧倒された。 それでも日本代表は後半から3バックに変更しアグレッシブな布陣にするとこれが的中。徐々に試合を支配し始めると、堂安がゴールネットを許して同点に。8分後には再び浅野が豪快に蹴り込み、試合をひっくり返した。 日本代表は2戦目にコスタリカ代表、3戦目にスペイン代表という強豪との試合を控えるものの、優勝候補の一角に数えられるドイツ代表を撃破するジャイアントキリング。世界を震撼させ、一躍大会の主役候補に名乗りをあげた。堂安「チーム一丸でもぎとった勝ち点3だと思いました。俺が決めると思って入りました。俺しかいないと思ってました」「これに一喜一憂せずに強い気持ちをもって戦いたいと思います」「僕が日本サッカーを盛り上げる気持ちでピッチに立っているので応援よろしくお願いします」浅野「もうチャンスがあれば、シュートを打っていくって気持ちでした。それが最後結果につながったかなと思う。その時から約4年半前にW杯メンバー入れなくて、でもその瞬間から今日の日のために準備をしてきた。それが結果につながったと思う。結果が出なかったとしても、やってきたことは代わらないので、今日はたまたまそれが結果につながった。(ドイツ)僕らからしたら対戦相手は関係なくて、あまり僕は意識してなくて、自分のプレーをすることだけを意識していた。全員がピッチで表現できて、結果に表れた。今日は全員で喜んで勝ち点3ぶん喜んで明日から切り替えて次のゲームに向かっていきたい」森保一監督「選手たちがいい仕事をしてくれた。粘り強く戦って、勝利につながった。現地に日本人のサポーターが駆けつけてくれて後押ししてくれて、後押しで最後まで戦って勝つことができた」「スタートから出た選手ではなくて、途中から出た選手が試合を決める、試合を締める、その流れでチームを勝たせることを選手たちがやってくれた」「まだ1試合終わっただけ。一喜一憂しすぎず、反省して次の試合で勝利を目指して戦いたい」元日本代表監督・トルシエ氏、日本代表を絶賛「点数を付けるなら100点!歴史に残るジャイアントキリング」11/24(木)トルシエ氏「素晴らしかった。感動のあまり言葉が出てこないが、ドイツに穴があれば勝てると思っていた。2日続けて(アルゼンチン-サウジアラビア戦とともに)歴史に残るジャイアントキリングが起こった。日本はグループリーグの中で有利に立ったのでは」「2つの試合を見ていたようだった。前半は守備的過ぎて積極性が足りなかったが、後半は全く違う試合になったと思う。でも点数を付けるなら、もちろん100点。なぜなら私は評論家ではなく監督。勝ち点3を取ったということで結果オーライ。これでチームは勢いを感じたと思う。素晴らしい、歴史的な勝利だったと思う」「日本が変わった」森保ジャパンがやってみせた“ドーハの歓喜”! ドイツ撃破の大金星に海外メディアも驚嘆「不思議な試合だ」【W杯】11/24(木) 英公共放送『BBC』「日本はわずか26%のポゼッションでドイツに敗北をもたらした。ギュンドアンの先制点でドイツが優位に立っていたのは遠い昔のように感じる」元イングランド代表FWクリス・サットン氏「なんて奇妙なワールドカップで、なんと不思議な試合だろう」「前半は完全にドイツが支配していた。だけど、後半になってから突然、日本が変わったんだ。闘えることを見せ始めたんだよ。そしてアサノが見事なフィニッシュで、ノイアーの牙城を打ち崩した。ドイツは自暴自棄になり、ハンジ・フリック監督の交代策もむなしく終わった。このグループは実に興味深い」英公共放送『BBC』電子版は「終盤の猛烈なカムバックで、日本がドイツを奈落の底に突き落とす」「まさに衝撃の大どんでん返しだ。ドイツは序盤から優位にゲームを進めて、きっちりPKで先制点まで奪ったが、後半に入ると様相は一変。日本の矢継ぎ早な交代策に混乱をきたし、オープンな展開に持ち込まれてしまう。いくつかの絶好機はあったが、日本のGK権田にことごとく阻止されてしまう。すると日本の堂安に同点ゴールを、さらに浅野にも逆転ゴールを決められ、ショッキングな敗北に追い込まれた」
2022.11.24
クラウドファンディング残り1日印刷所に原稿を送るいつもお世話になります。序文、挿絵、鈴木藤三郎顕彰会の文章入りました。これで校正用原稿を作成してください。表紙は11月25日終了後1万円以上支援者がわかったら、それをいれて送ります。12月1日には印刷に入る予定です。よろしくお願いします。💛「報徳の師父」シリーズ第1集改訂版も作るため、クラウドは成功したが、資金が大きくショートする。なにはとも本書は 遠州報徳の記念碑的な一冊になろう。皆様の支援に感謝します。
2022.11.23
ケルベロス ( ギリシャ語: Κέρβερος 、 Kérberos 、 ラテン語: Cerberus )は、 ギリシア神話 に登場する 犬 の 怪物 。 ハーデース が支配する 冥界 の 番犬 である。 その名は「底無し穴の霊」を意味する 。「ケルベロス」12月に猛威か…変異株“連続感染” 第8波長期化も 医療ひっ迫の恐れ11/22(火) 国立感染症研究所・脇田隆字所長:「『BQ.1系統』『XBB系統』などが、今後割合が増加する可能性がある。注意が必要」 現在、アメリカなどで流行している「BQ.1.1株」、通称「ケルベロス」。さらに、アジアなどで広がっている「XBB株」、通称「グリフォン」が日本でも猛威を振るう可能性があるというのです。 中でも、専門家が注目しているのが「ケルベロス」です。 先週の時点で、すでに国内のウイルス全体の16%が「ケルベロス」に置き変わっていると推定されています。さらに、12月の第1週、つまり来週中には、全体のおよそ8割がケルベロスに置き換わるという予測もあります。 現在、主流の「BA.5」と比べて、感染力や免疫を回避する力が強いとされるケルベロス。現場の医師からは“連続感染”を懸念する声が上がっています。 田代院長:「今は、BA.5で患者さんの数が増えている。そこにまた、絶え間なく“新しい株”が来ると。BA.5にかかった人が、新しく(変異株に)かかってしまう可能性」 BA.5に感染した人が、回復直後に今度は「ケルベロス」に感染。その結果、1人の診療期間は長くなり、医療現場が逼迫(ひっぱく)する恐れがあるというのです。 田代院長:「救急医療の機能もパンク・麻痺してしまって、非コロナ・非インフルの方でも、適切な医療にかかれない。そういう事態が起こるのではないかと予想している」
2022.11.23

クリミア軍港にドローン攻撃 各地で激しい戦闘 ウクライナ11/23(水) ロシアが一方的に「併合」したウクライナ南部クリミア半島の軍港都市セバストポリで、複数のドローンによる攻撃があった。 親ロシア派のラズボジャエフ市長が22日、通信アプリで明らかにした。ロシアのウクライナ侵攻開始から24日で9カ月となる中、各地で激しい戦闘が続いている。 セバストポリには、ロシア黒海艦隊の司令部がある。市長はウクライナによる攻撃と断定し、火力発電所に向かっていた2機のドローンが撃墜されたと述べた。海上でもドローンの攻撃が複数回あった。死傷者は出ていないという。 一方、ウクライナなどのメディアは、黒海沿岸のロシア港湾都市ノボロシスクの石油ターミナルに攻撃が加えられたと報じた。ターミナル付近には黒海艦隊の主要基地があり、セバストポリに対する8月の攻撃後、多数の潜水艦が移動していた。 英国防省は22日の戦況分析で「ノボロシスクを脅かすウクライナの能力が明らかになれば、黒海艦隊はさらなる戦略的課題に直面する。既に弱体化しているロシアの黒海での影響力がさらに低下する」との見方を示した。*ノヴォロシースク(ロシア語: Новороссийск ナヴァラスィーイスク)は、ロシア連邦南部の都市で、クラスノダール地方にある黒海沿岸の主要港である。人口26万人。ソビエト連邦の時代に英雄都市の称号を授けられた数少ない都市の一つである。名称は「新ロシアの町」という意味。地中海・黒海交易路の最も東に位置する。1838年に黒海艦隊の東部基地が建設された。黒海艦隊の「ワルシャワンカ」型ディーゼルエレクトリック潜水艦はノヴォロシースクに駐留する。ノヴォロシースクは、ロシアの主要な農産物輸出港である。凍ることのないツェメス湾に位置する。ノヴォロシースク港は、アジア、中東、アフリカ、地中海、南アメリカといった地域と結ばれている。
2022.11.23
💛お昼のお弁当のサラダに 最近必ず 八丁味噌 と キューリ をいれて食べる。キューリと味噌は相性がよく、ポリポリした食感も楽しい。八丁味噌は愛知県独特のもので、岡崎城から西へ八帖(約870m)の場所にある岡崎市八帖町で造られたことで、八丁味噌と呼ばれるようになった。あの健康オタクの徳川家康が好んで食べたという。一般的に味噌造りは大豆のみで大豆麹を造って、塩や水と木桶に仕込むが、水をわずかしか使わないのが八丁味噌の特徴だ。八丁味噌の味の特徴は、大豆の旨みが凝縮されているところだ。とくに独特のコクや渋み、苦み、酸味がある。八丁味噌に含まれるおもな栄養とは、炭水化物・たんぱく質・脂質・ナトリウム・カリウム・リン・カルシウム・マグネシウムなどだ。とくに八丁味噌は、米味噌と比較するとたんぱく質やカリウムの含有量が多い。カリウムは塩分を体外に排出する。高血圧等が気になる高齢者にとって、八丁味噌は助けになるアイテムである。・ギネスブックにはキュウリが「世界一熱量(カロリー)が低い果実」として1位に挙げられている。ただ、これは、あくまでもカロリーが低いという事であって、栄養が少ないという意味ではない。キュウリの主な栄養素と効能●βカロティン 淡色野菜ですが、表皮のグリーンにはβカロテンが含まれています。抗発ガン作用や免疫賦活作用で知られていますが、その他にも体内でビタミンAに変換され、髪の健康維持や、視力維持、粘膜や皮膚の健康維持、そして、喉や肺など呼吸器系統を守る働きがあるといわれています。●カリウムを含んでいます カリウムをたくさん含んでいるので、ナトリウム(塩分)を排泄する役割があり、高血圧に効果があります。また、利尿作用もあるので、体内の水分量を調節し、むくみの解消にも効果的だと言う事です。つまりは 八丁味噌 と 胡瓜(キューリ) は カリウムをたくさん含んでいるので、ナトリウム(塩分)を排泄する役割があり、高血圧に効果があるということになる。
2022.11.23
全176件 (176件中 1-50件目)


