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綾辻行人『奇面館の殺人』~講談社ノベルス、2012年~ 久々の、館シリーズです。今回で第9作目となります。 それでは、簡単に内容紹介と感想を。ーーー 怪奇小説の短編集を上梓した新人作家、日向京助に呼ばれた鹿谷門実は、奇妙な依頼を持ちかけられる。 影山逸史という人物に、ある会合に招かれたが、自分は病のために行けない。自分のかわりに会合に行ってほしい、というのである。 2日の滞在で200万円をもらえるという怪しい話だったが、鹿谷の関心をひくものがそこにあった。会合が開かれる場―奇面館は、中村青司がつくった建物だというのである。 * 奇面館に集まった6人の男たちは、それぞれ、主人の影山逸史と会う時は―つまり、実質客室を出るときは― 仮面の着用をするように、という「ルール」に従うことになっていた。そして、主人自身も、仮面をかぶっている。 主人との奇妙な対面のあった夜、惨劇が起こる。 対面の翌朝、6人の客たちは、全員、何者かに仮面をつけられ、しかも仮面の鍵もかけられていた。そして主人は、首を切断され、10本の指も切断されていた。 奇妙な状況のなか、鹿谷門実が事件の真相に挑む。ーーー 430頁弱と、やや厚めの作品ですが、案外すらすらと読めました。『暗黒館の殺人』や『びっくり館の殺人』よりも、楽しく読むことができました。 今回は連続殺人ではなく、事件は一つだけですが、客全員が仮面を無理矢理つけられる、という奇妙な状況のためか、地味な印象はありません。謎解きもオーソドックスな感じで、良かったです。 館シリーズは全10作ということなので、次作が最終作ということになりますね。どんな作品が発表されるのか、楽しみです。
2012.01.28
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Michel Pastoureau (tr. by George Holoch), The Bear. History of a Fallen King~The Belknap Press of Havard University Press, 2011~ このブログで何度も取り上げている歴史家、ミシェル・パストゥローの比較的新しい著作、『熊』(の英訳)を紹介します。『ヨーロッパ中世象徴史』の訳者あとがきによれば、本書の邦訳が進行中のようなので、待っていたのですが、何冊か英訳版を持っていること、邦訳版では白黒の図版も英訳版ではカラーの場合もあること(『青の歴史』)から、熊に焦点をあてた本書についても、先に英訳版で購入し、読んでみました。 まず、本書の構成を紹介します(それぞれの章が6節程度に分けられますが、節の小見出しは省略します)。ーーー序論 歴史家は動物を考察する第1部 尊敬される熊―旧石器時代から封建時代まで 第1章 最初の神か? 第2章 動物の王 第3章 人の親戚第2部 戦われる熊―シャルルマーニュから聖王ルイまで 第4章 獣より強い聖人 第5章 悪魔の家の熊 第6章 ライオンの戴冠第3部 玉座を追われた熊―後期中世から現代まで 第7章 恥をかかされる動物 第8章 君主の気まぐれ、淑女の空想 第9章 山から博物館へエピローグ 熊の復権註史料と参考文献謝辞索引ーーー 本書の構成は、『青の歴史』や『黒』(感想は英訳版)同様、テーマについて、古代(本書は旧石器時代まで遡っています)から現代までを概観し、ある時代のなかでのテーマの位置づけを論じていく、というかたちになっています。 簡単に、本書が論じている、熊の流れを書いておくと、次のようになります。 熊は、旧石器時代の洞窟壁画に描かれているだけでなく、熊の骨を祭るように置かれていた洞窟もあったそうです。 また、ギリシャ神話やケルト神話での熊の重要性、ゲルマン人たちの通過儀礼としての熊との戦い、アーサー王物語での熊の重要性などが指摘されるように、古来、特にゲルマン人や北欧の人々にとって、熊は崇敬の対象となる動物でした。 ところがキリスト教の聖職者たちは、このような古い「異教」のなかで崇敬されていた熊の地位を、なんとか下げようとします。熊を従わせる聖人、熊に関する祭りが行われていた日を聖人の日におきかえるという暦の上での戦略、熊が悪魔に関する動物だというイメージ、そして熊にかわりライオンを動物の王に据えるということなどが、第2部で指摘されます。 第3部では、このように「王」としての権威が失墜してきた熊のその後が見られます。『狐物語』により、大食や愚かというイメージが定着するようになり、七つの大罪という理論が完成される頃には、そのうち5つの大罪(好色、憤怒、大食、嫉妬、怠惰)が熊に結びつけられ、動物園でも重宝されなくなり、現代に近づくと、博物館で見られる動物となっていく―。 このように失墜していった熊ですが、20世紀には、テディベアのようなぬいぐるみによって、一般家庭にも増えていく。 ざっと、このような流れです。 ただし、こうした流れが時系列どおりにあった、というわけでもありません。 たとえば、11世紀頃までは、君主が動物園に熊を持っておくことは、その権威付けとして重要だったといいます(いわば、王としての熊)。一方、キリスト教の聖人伝では、たとえば7世紀頃の著作でも、聖人が熊を従えるというモチーフが見られます。 というんで、上の流れは、あくまでおおざっぱな流れにすぎない、ということは注意しなければなりません。 本書を読みながら、あらためてミシェル・パストゥローの研究の面白さに引き込まれました。 旧石器時代の洞窟壁画などを論じるためには考古学の成果を参照していますし、その他、民族学、動物学などの研究成果もそうとう参照されています。また本書の中で論じられるテーマも、絵画、語源、人名、暦、動物園、騎士道文学、神学作品、寓話、おもちゃなどなど、非常に広い範囲にわたっています。 先に、構成が『青の歴史』や『黒』に似ていると書きましたが、このような、扱うテーマの幅広さもそれらに通じていて、パストゥローの研究の魅力だろうと思います。 その他、本書のなかで興味深かった点を、思いつくままに挙げておきます。 私の研究関心とのかかわりから、第7章で、七つの大罪と熊(やその他の動物)とのつながりが論じられている部分が面白かったです。傲慢、貪欲、好色、憤怒、大食、嫉妬、怠惰という七つの大罪のうち、5つが熊と結びつけられます(本書の流れの紹介の中に書いたとおり)。これほど多くの悪徳が結びつけられたのは熊がトップのようです。第二位は豚。そして、熊と豚は、中世には、最も人間に近い動物と考えられていたといいます(たとえば、治療の人体実験のかわりに、熊を使ったという事例が、第3章では紹介されます)。 人間に近いと考えられた動物と、結びつけられる悪徳の多さの関連という指摘が、とても興味深かったです。 本書の中で紹介されている寓話や記述史料からのエピソードにも、面白い話が多かったです。 たとえば、ラ・フォンテーヌの『寓話』に収録されている、「熊と園芸の好きな人」の話。 園芸好きな男性が、道ばたで熊と出会い、結局二人は一緒に住むようになります。熊は、男性の家で、ハエを追い払う役目を果たすようになりました。ある日、男性の鼻にハエが止まります。熊は、それを追い払おうとしますが、ちっとも動きません。そこで熊は、敷石をハエに向かって投げつけます。結局、男性は死んでしまう―という話。なんともやりきれない話ですね…。 その他、熊を倒した後、夢遊病のように熊と戦う(幻想)ようになった領主の話や、熊に育てられ、野人のようになった双子の一人と、その野人と戦う双子のもう一人という文学作品など、興味深いエピソードが多かったです。 先にふれたように、本書は邦訳の刊行も予定されているようですが、その前に、英訳ではありますが、通読することができてよかったです。
2012.01.17
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横溝正史『まぼろしの怪人』~角川文庫、1979年~ 横溝正史さんのジュヴナイル長編作品です。 新日報社の社長である少女、由紀子さんとクリスマスプレゼントを探しに町を歩いていた御子柴進少年は、そこである事件に遭遇します。逃げていくサンタクロース、追いかける人々―映画の撮影かと思われたのですが、それは実は有名な怪盗、「まぼろしの怪人」による事件だったのでした。 由紀子さんの家で開かれるクリスマスパーティーにも、まぼろしの怪人は忍び込み、宝を奪っていくと予告していました。警察の警備のなか、はたして怪人は現れるのでしょうか―。 クリスマスパーティーの事件を最初に、本書では御子柴進少年・三津木俊助コンビと、まぼろしの怪人一味が対決することになります。 最近、横溝さんのジュヴナイル作品をいろいろと読んでいますが、本書の特色は、まぼろしの怪人がいままでに失敗したこともあれば、本書が描くなかでも、何度か失敗して、捕まっていることです。 ところがそこは怪人、捕まってもあらゆる手段であらたな事件を起こそうとするのですが…。 それはともあれ、基本的には物語の最後になって、怪人が捕まり、そして意外な犯人が明らかになる―という、いくつかのジュヴナイル作品とは、趣がずいぶん異なっています。サスペンス重視、とでもいいましょうか。 本書では三津木俊助さんと御子柴少年だけでなく、由紀子さんも大活躍をするところなどが面白かったです。※表紙画像は、横溝正史エンサイクロペディアさまからいただきました。
2012.01.15
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アラン・コルバン(尾河直哉訳)『快楽の歴史』(Alain Corbin, L'harmonie des plaisirs. Les manieres de jouir du siecle des Lumieres a l'avenement de la sexologie, Perrin, 2008)~藤原書店、2011年~「感性の歴史家」として名高い近代史家、アラン・コルバン(Alain Corbin, 1936-)の邦訳最新刊です。 アラン・コルバンによる方法論についての著作(邦訳)について、次の3冊は記事を書いています。・アラン・コルバン(渡辺響子訳)『感性の歴史学-社会史の方法と未来-』御茶の水書房、2000年・アラン・コルバン(小倉和子訳)『感性の歴史家アラン・コルバン』藤原書店、2001年・フェーヴル/デュビィ/コルバン(小倉孝誠編)『感性の歴史』藤原書店、1997年 また、本書とも関連する、いわゆる性の歴史に関する次の文献にも、コルバンによる論考が読めます。・デュビー/コルバンほか(福井憲彦/松本雅弘訳)『愛と結婚とセクシュアリテの歴史』新曜社、1993年・J・ル=ゴフ/A・コルバンほか(小倉孝誠/後平隆/後平澪子訳)『世界で一番美しい愛の歴史』藤原書店、2004年 そして本書の訳者である尾河直哉さんによる訳書としては、本書の他に、次の方法論に関する1冊について記事を書いています。・イザベル・フランドロワ編(小河直哉訳)『「アナール」とは何か-進化しつづける「アナール」の百年-』藤原書店、2003年(この中にも、コルバンによる論考が収録されています) …と、その方法論について興味を持っていたコルバンによる大著、『快楽の歴史』(原題:『快楽の調和』)の構成は次のとおりです。ーーー日本の読者へ序―熱・忘我・錯乱第1部 欲情の制御 第1章 「自然」の要求 第2章 快楽の質と細部 第3章 疑惑から告白へ 第4章 欠如の苦しみと過剰の苦しみ 第5章 「まがいものの快楽」と官能の衰弱 第6章 器官の気まぐれ 第7章 ほど良い好色さ第2部 肉体の反逆 緒言 情欲の系譜を粗描する 第8章 夫婦の床―そのタブーと快楽 第9章 淫奔さに対する自省の洗練 第10章 告白の綿密さと罪の算術第3部 快感の絶頂 第11章 猥褻なものの魅力と快楽の予備教育 第12章 「性技」とエロティックな錯乱 第13章 新しさを求める十九世紀結論―性科学の到来と快楽の調和の一時的な後退原注訳者あとがき人名索引ーーー 三部構成からなる本書は、第1部で医師の言説、第2部で聖職者の言説、第3部でポルノ作家の言説を分析します。 全体で606頁という大著で、本論は莫大な文献の引用・分析からなっています。圧巻、という感じですね。 上記の構成からもうかがえるように、本書は通史的な叙述ではなく、快楽をめぐるテーマごとの叙述です。1章のなかで、いろんな人物の言葉があれこれ紹介されるので、時代背景になじみがない分、なかなか理解しにくい部分が大きかったです。私の理解力が足りないせいもありますが…。 そんな中でいくつか興味深かった点を挙げておきます。 まず、医師の役割が、信徒の告解を聞き、助言を与える聴罪司祭の役割と似たような部分があった、ということ。 性をめぐる話なので、患者の中にも、言いにくいことは多々あった。そんな患者たちからいかに話を聞き、また上手に助言を与えるか、というのが、医師たちの重大な役割だったわけです。コルバンは次のように言います。「聴罪司祭と臨床医は人に慰めをもたらすという共通の使命を負っている」(116頁)、と。 関連して、民衆に対して、医師は「患者に理解できるよう簡単な言葉を使い(中略)必要に応じて粗雑な言葉を使うこともあり」えた、という指摘も面白かったです。 時代は異なりますが、私は13世紀頃の説教活動について勉強してきているので、説教師の方法と通じるものを感じました。 もちろんこうした方法は、現在、プレゼンなどを行う際にも大事ですね(国民向けの記者会見で、難しい言葉をそのまま使う政治家たちは、逆に自らの能力がどの程度であるかを露呈していると思います)。難しい言葉を分かった気になってそのまま使うのは簡単ですが、それを分かりやすい言葉にかみ砕くのは難しいものです。 私も気をつけなければいけません。 第2部からも、興味をもって、ふせんを貼ったのは、やはり聴罪司祭に関する部分です。 彼らは、告解をする人がどのような職業や身分の人なのかを知り、その義務の果たし方を知らせなければならなかったと言います。 また、告解をする人々が、告解についてどのように考えていたのか、というのも面白かったです。「告解に行くことは、当時、一年間司祭から間違いなくサービスを受けるために払うコストくらいにしか考えられていなかったのである」(357頁) 一方、告解は、個人が聴罪司祭に行うものですから、たとえば、ある妻が聴罪司祭に、夫の性的な部分の不満を言うとします。そうすると、同じ共同体にいつつ、聴罪司祭はある家族の性的弱さや欲望などを知っていて、逆に家族はそれを知らない、ということになります。なので、不満を言われた夫と聴罪司祭が道でばったり出くわして、聴罪司祭が「角を曲がったとたんににやにやする」という場面もありうる。こういうのを考えるだけで腹が立つと、ミシュレという歴史家は言っているそうです(355頁)。 第3部では、文学の中の言説の分析は難しいなぁ、とあらためて感じました。 私の理解力がないので、なんともいえない部分がありますが、本当にそこからそういう結論が出せるのか、と、疑わしいような気持ちになる部分もいくつかありました。 全体的に、理解できたとはとてもいえませんが、上に書いたような、医師の役割と聴罪司祭の役割が似ていることや、民衆が告解をいかにとらえていたかなどについて、勉強になる部分も多かったです。
2012.01.14
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阿部謹也『西洋中世の男と女―聖性の呪縛の下で―』~筑摩書房、1991年~ 『ハーメルンの笛吹き男』などの著書で有名な、阿部謹也先生(1935-2006)が平易な文体で記した、西洋中世の男女の関係を分析した一冊です。 歴史のなかの女性にクローズアップした分野というと、「女性史」という言葉が思い浮かびますが、阿部謹也さんの次の指摘は興味深く、自分のなかで反省する点もありました。「私は歴史のなかに、人と人の関係のあり方とその変化を探ろうとしていました。その立場からすると、女性史はありえないのです。あるとすれば、男と女の関係の歴史なのです」(3頁) まず、本書の構成を掲げておきます。ーーーまえがき第一章 『緋文字』の世界第二章 古代・中世の宇宙観のなかの男と女 古代人の宇宙観念 ローマ人の男女関係第三章 聖性の形成・解体と聖職者・女性 ユダヤ教と男女関係 初期キリスト教と男女関係 聖なるものの変質第四章 聖なるむすびつきとしての結婚 ゲルマン人の結婚 教会に管理される結婚 贖罪規定書から第五章 娼婦たちと社会 娼婦の位置 娼婦と娼婦宿第六章 中世の男と女にとって愛とは何か 聖性の呪縛の下で 個人の誕生あとがき参考文献ーーー ここでは、本書のなかで特に興味深く読んだ点について、メモをしておきます。 まず第一章での、ヨーロッパの文明と、ヨーロッパの文化の違いについての指摘。阿部先生は、高村光太郎の詩と手紙を引用しながら、その二つの違いを説明します。前者は、たとえば「パリは珍しくもないような顔をして人類のどんな種族をもうけ入れる」という詩の一節からもうかがえるような、私たちが理解しやすい一面。一方で、「僕の身の周囲には金網が張ってある[……]駄目だ、早く帰って心と心とをしゃりしゃりと摺り合せたい」とい手紙の一節からうかがえるような、私たちとは異質の部分です。これを阿部先生は、「ことばの背後に感情がこもっているような、そして具体的な事物のなかで育ってきた人びとの文化」と言っています。 文明は理解しやすいけれど、文化は理解しがたい。そしてその文化の次元に入っていかなければ、ヨーロッパというものは理解できない、と言います。 本書は、男女の関係という面から、ヨーロッパの文化を理解しようとする試みです。 また同時に、第一章ではヨーロッパと日本の比較が簡単に行われています。そこでなされている「日本には文明がない」という指摘、その具体例の列挙も、納得しつつ、また寂しい気持ちで読みました。 第二章から第四章を、簡単に整理します。 ローマ時代、性的な関係の規制は、倫理的な基準をもとに行われたというよりも、社会的な配慮(社会的身分の維持、人口増加=そのためには離婚も許容される、など)から行われていた、と指摘されます。 他方、キリスト教は、離婚を認めません。また、初期には、性的な関係を絶つ禁欲主義が強く、オリゲネスという学者のように、自ら去勢する者もいました。たとえ子供ができなくても離婚が許されないということ、この点がローマ時代との決定的な違いと、阿部先生は指摘します。 また、初期キリスト教の時代には、まだ聖職者身分がかたまってきておらず、禁欲的、模範的な生活を送る者は、聖性を担っていました。 しかし、次第に聖職者の階層が整備され、また修道士という集団も現れるにつれて、聖性を担う集団が限定されていきます。 そしてその教会が、性的な営みを規制するような規則や告解の手引きを整備していきます。これを阿部先生は、「聖性の呪縛」と呼んでいます。 なお、第四章で挙げられているヴォルムス司教ブルヒャルトによる贖罪規定書(『教令集』第19巻「矯正者・医者」)は、同じく阿部先生の『西洋中世の罪と罰―亡霊の社会史―』に抄訳が、野口洋二先生の『中世ヨーロッパの教会と民衆の世界』に全訳が収録されているので、日本語でも手に取りやすい史料となっています。 また本書には、その贖罪規定書の規定を整理したブランデージという研究者の業績にもとづいて、性的交渉をいつ禁止され、いつなら可能なのか、というチャートも掲載されています。厳しい規制ですが、フランドランという学者(『性と歴史』『農民の愛と性』について記事を書いています)は、そうした規制が11-12世紀には守られていたのではないか、と考えているそうです。 第五章は、都市のなかの娼婦の位置をみています。都市のなかでは、娼婦は重要な役割を果たしていたという指摘や、娼婦の収容施設が作られ、教皇もそれを承認していくということなど、興味深い点が多いですが、ここでは詳細は省略しておきます。 第六章は、本書の山場だと思います。 有名な学者アベラールと、彼が恋をして家庭教師に行くことになるエロイーズとの往復書簡の分析から、 12世紀頃に「個人」が誕生したことを指摘します。 二人の往復書簡に、阿部先生は重要な部分を引用しつつ、分かりやすく解説を加えていきます。 アベラールは教育という口実のもと、エロイーズと愛を深めていきます。そして、エロイーズの妊娠。ここで、アベラールは、結婚をしようと動きつつ、しかし、自分の名誉が損なわれないように、それを公にしないようにと条件をつけます。このあたりから、二人の不幸がいよいよ深まっていく感じです。 なお、「自分の名誉を損なわないように」というところが、阿部先生のいう「聖性の呪縛」のもとにある考え方です。理想となる古代の学者(教父ヒエロニムスの名が挙げられています)たちは、結婚をしていない。それが理想なので、学者である自分が結婚するというのは、不名誉だと考えたというのですね。 しかし、妊娠について怒っていたエロイーズの叔父であるフュルベールは、二人の結婚を公にします。そこでアベラールは、エロイーズを修道院に入れるのですが、これでさらに怒り、アベラールを去勢することになります。 その後、アベラール自身も修道士になるのですが、プライドが高く、修道院でももめたりしたそうです。 …と、これが二人の大きな流れなのですが、特に興味深かったのは、女子修道院長にもなるエロイーズが、当時の修道院の会則である「聖ベネディクトゥス会則」に不平不満を言っているということです。というのも、その会則には男性修道士のことしか規定がない。女性である私たちはどうすればいいのか、というのですね。 またエロイーズは、アベラールと分かれてからも、二人で交わした愛のことを言っています。妻と呼ばれるよりは、愛人と呼ばれる方が良い、とも。 二人の書簡を通じて、当時の愛のあり方ともとに、「個性」「個人」の誕生も指摘する本章は、とても面白かったです。 本書は「~です・ます」体で書かれていて、時に難しい言葉や引用文は易しく説明してくれているので、とても読みやすく、分かりやすいです。 知的興奮に満ちた読書体験でした。※私はハードカバー版を持っていますが、ちくま学芸文庫版(2007年刊)の画像はこちらです。
2012.01.08
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横溝正史『蝋面博士』~角川文庫、1979年~ 横溝さんのジュヴナイル作品です。 表題作のほか、3編の短編が収録されています。 それでは、簡単に内容紹介と感想を。ーーー「蝋面博士」 衝突したトラックの荷台から落ちた箱を覗いていた奇妙な男。不審に思った御子柴進少年がその箱を見てみると、蝋人形のようにされた死体が入っていた…。 現場から逃走した男は、顔が蝋細工のようになっていて、背中がひどく曲がった老人のようなかっこうをしていた。これが、有名になる蝋面博士だった。 新日報社の御子柴少年とともに、そのライバルの東都日日新聞の田代記者が事件を追う。 犯罪の日程を予め知らせ、実行に移す蝋麺博士の犯罪。 そんな中、アメリカ旅行中の金田一耕助が帰国することになるが…。「黒薔薇荘の秘密」 深夜に、トントンと壁を叩くような音がした。富士夫少年が目を覚ますと、部屋にあるグランド・ファーザー・クロックから、ピエロのような男が現れた…。 親戚に連れられて訪れた黒薔薇荘でそんな奇妙な体験をした富士夫は、それを夢と思いこもうとした。しかし、黒薔薇荘から消えたはずの宝石が館の中から見つかったことから、事件は急展開を示すことになる。「燈台島の怪」 金田一耕助と、少年助手の立花滋が訪れた燈台島で、不思議なことがあるという。島を訪れ、燈台に泊まっていた男が突然失踪し、それから、奇妙な声が聞こえるようになるというのだ。 燈台に泊まり、真相を探ろうとしていた金田一耕助たちも、奇妙な声を聞く。そして、失踪していたはずの男がどこからか現れ、すぐに命を落とした。 男が持っていた奇妙な紙切れは何を意味するのか…。金田一耕助が謎に挑む。「謎のルビー」 サンドイッチマンと手紙をやりとりしていた少女…。彼女は、殺人犯とみなされている兄の無実を信じていた。 兄は、ともに研究していた友人を殺し、その家族のルビーを盗んだと考えられていた。 少女と出会った探偵は、彼女を救うために事件の解明に挑む。 はたして、なくなったルビーの行方は…?ーーー『青髪鬼』の感想でも書きましたが、本作も、表題作よりも他の3編の方が楽しく読めました。 長編では、主人公の少年の活躍をクローズアップするために、あまりにも警察のドジが目に付いてしまい…。また本作では金田一さんも登場しますが、やっぱりいつもとはどこか違う感じです。それでも、御子柴少年と同様に活躍をしますが…。 本書に収められていて、同じく金田一さんが登場する「燈台島の怪」では、立花少年よりもむしろ金田一さんの方が活躍します。短い方が、うまくまとまっている感じですね…。「黒薔薇荘の秘密」は、少年の寝室の見取り図もあり、割と本格的な謎解きが楽しめます。「謎のルビー」は、ある状景がとてもきれいで良かったです。※表紙画像は、横溝正史エンサイクロペディア様からいただきました。
2012.01.07
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石崎幸二『第四の男』~講談社ノベルス、2011年~ ミリア&ユリ&石崎幸二が活躍するシリーズ第8作です。 前作『記録の中の殺人』では、連続殺人鬼による事件の解明と、重たい事件ですが、こちらはあれほどひどい事件ではなく、ミステリィ研究会のメンバーの楽しいトークも、不自然ではなく面白かったです。 それでは、簡単に内容紹介と感想を。ーーー ミリアとユリたちが通う櫻蘭女子学院高校の周辺で、不審な人物が目撃されていた頃、ミステリィ研究室の一年生、星山玲奈が攫われたものの、幸い、玲奈は犯人のグループのもとから逃げることができたという事件があった。 その後、玲奈はミリアたちや石崎を、長崎の島、魚咬島の別荘に案内する。 別荘では、16年前、玲奈の母親が密室状態のなか、死亡するという事件が起こっていた。 一方、玲奈たちが長崎に向かっている頃、警視庁には犯人グループから脅迫状が届く。また、女性を誘拐したというのだ。 警視庁では、斎藤瞳がその事件を担当することになった。 星山玲奈の誘拐事件との関係を探るため、斎藤もまた魚咬島へ向かう。 そして、石崎たちは、16年前の事件と誘拐事件の解明に挑む。ーーー 最近、このシリーズはかなり血を見る陰惨な事件が多かったのに対して、本書ではほとんど血が流れないので、読みやすかったです。 ミリアさんたちのボケやツッコミといった、軽快なトークがこのシリーズの魅力の一つなので、あまり陰惨な事件だときついように感じていたのでした。 ここ最近、石崎さんの作品ではDNA鑑定をテーマにした作品が多いですが、これだけの応用が利くのかと、毎回驚かされます。 なにはともあれ、本書も楽しく読めました。*****あけましておめでとうございます。本年もよろしく申し上げます。更新ペースは昨年同様、きわめてゆっくりとなるはずですが、少しずつでも続けていくつもりです。
2012.01.03
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