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河北新報の記事(10月29日)「青森県営浅虫水族館 職員21人が新会社 指定管理者の選考に応募」。 最初は県の職員が会社を組織するの?と思って面食らったが、現在管理受託している団体(県産業振興協会)の職員の方々が出資して会社を作るのだという。現在の団体は県幹部が役員を務めているから指定管理者の要件に当たらないとのことだが、この21人の方は当然ながら協会を退職して会社を興すのでしょう。 これ以上事情は伝えられていないが、この方々の勇気と英断だと思う。河北新報が記事にしたのも、その斬新さを伝えるためか。 しかし、それにしても、随分ユニークだ。あまり推奨されることではないが、現在も管理委託しているのであれば、その県産業振興協会を指定管理者にすれば、とりあえずおさまりが良かったのだろうが。記事では「県幹部が役員を務めると指定管理者の要件に当たらない」というが、これは青森県の運用方針だろうか、ずいぶん潔癖というか厳格だと思う。もちろん、理想に近い姿なのだろうが。 何か事情があるのだろう。そう思って、青森県議会での質疑応答を少し調べましたが、よくわかりません。 平成16年9月の建設公営企業委員会では、「行政改革大綱のとおり指定管理者を導入する。民間事業者のノウハウでサービス向上と経費節減のメリット。なお管理部門はともかく水族館のノウハウは民間に蓄積無く、現在受託の県産業振興協会以外が来る可能性はごく低く、同協会が指定されれば、現在の水族館職員の身分は変わらない。水族館の職員には、一般の民間とも競争できるように勉強させている。」などの趣旨の答弁(まとめは私)がある。県議からは、社会教育的部分もある水族館の運営に指定管理者を導入することへの懸念すら出ている。公営企業局側の答弁は、どうも主体性を欠き、県の方針で導入するから、やむを得ずやります、という感じにも聞こえる。現在委託しているから、直営に戻すとも言えないのだろうか。 その後、平成17年2月には、なぜ知事部局に移管するのか、の問いに対して、浅虫水族館はこれまで一般会計から年2億4千万円の補助を受けている。企業会計を撤廃すると一般会計の方から委託料を支出することになるが、企業会計準則でなくなり減価償却費等が不要になり、その差だけで約1億円の経費が削減される。したがって、指定管理者制度導入を機に知事部局へ移管することとした。指定管理者になれば、料金収入と県からの委託料で運営することになる、などの説明がある。 5月、6月の同委員会では、現在の職員の処遇が聞かれている。おそらく、現在の水族館職員の身分をどうするんだという問題意識(陳情?)に基づく質問だが、特殊性を踏まえて多角的に判断する、と淡々たる答弁。なお、5月の委員会では、今の職員が一つの会社をつくり応募したいという動きは承知していること、また、仮に他の組織が当選した際は現在の職員を優先採用してもらうなど、県としても現在従事者の就職等をあっせんしてまいりたいと思っていることが答弁されている。 ということで、「県幹部が役員でないこと」要件について(平成16年段階の答弁では無かったようだが...)、また、新会社設立に至る具体的事情についてはわかりませんでした。残念。 さて、われらが八木山動物公園です。浅虫水族館は青森県の公営企業局の所管で観光施設事業と位置付けられていますが、仙台市の動物園は一般会計の事業です。平成17年度は土木費(建設局所管)の中に、動物園費748,332千円、うち特定財源(入場料など)123,611千円、歳出は、給与費(動物ではなく職員の)443,309千円、動物飼料費53,000千円など、となっております。八木山動物公園の概要(市建設局)なお、当面市直営として指定管理者は導入しないようです。 仙台市は早々に指定管理者制度を導入ましたが、実態は従来の管理委託団体を指定し、また現在直営のものはそのままにするのが基本のようです。「自治体実務」的には、うまいと言えると思います。指定管理者制度のメリットをどう発揮させるか、外郭団体をどう整理していくか(ここがポイントだが)、などの「中身の」議論は先送りになっている形です。(仙台市の指定管理者制度の導入方針) 動物公園事業のような現在直営の施設であっても、直営だから指定管理者を「導入する必要がない」(上記導入方針)というステレオタイプではなく、聖域にせず、利用者兼財政負担者の市民の観点から、ぜひ今後の検討をお願いしたい。ムダと言うつもりはないが、約6億円の一般財源を投入しているのだから、効率化を検討すべきは当然だと思います。 ちなみに、同様に、近代文学館、宮城県の美術館、博物館なども、発想を変えて柔軟に考えて欲しいです。
2005.10.31
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土曜日にIショッピングセンター内の書店に在庫のなかったこの本、伊藤和明さんの『日本の地震災害』(岩波新書)を読みました。そこにあるのは、事実のままです。序文にもありますが、地震の専門的研究ではなく、我々日本人がいかに災害をうけたかを、まずはありのままに知ろう、という事だと思います。写真を多用し、また住民の視線で、災害がどう起き、人々はどう行動したか。悲劇や不幸中の幸いなど、読みやすく書かれています。20世紀の災害を記しているので、関東大震災から始まっています。過去の災害とそれへの対応の事実を実直に受け止めることが、災害の備えの第一歩だと思います。実は、読みやすくて、立ち読みで半分くらい速読してしまい、買いませんでした! しかもレジの真ん前で立ち読みとは! 177ページで735円という割高感もあって(言い訳)、丸善さん、スミマセン。でも、他に子供用の本、999円を買ったので許して!ところで、著者の伊藤さんは、NHKラジオの朝7時20分の「ニュース解説」で、たしか月に1回、月はじめの頃に登場して、「災害史に学ぶ」とかいうテーマで話をしておられます。いつものように朝の車中で聞くのですが、大変興味深く、タメになります。その中で出た話も本に載っていました。氏は、さまざまな資料から歴史上の地震や津波の被害の様を、わかりやすく説明されます。すると、先人がいかに被害を受けたか生々しくわかるのです。そして、何が被害を拡大したか、その後の備えはどうなされたかなども検証する氏の姿勢に敬服しつつ聞いています。伊藤和明さんの名前と顔は、20年も前の大学時代から知っております。当時NHKテレビの夜の10時台に15分番組で「ニュース解説」というのがありました。マジメ?だった私は、これを見て、生協のB6のカード(2穴)にノートしていました。マジメというのとは逆で、新聞をダラダラ読むよりも、15分間だけ集中して、一日1テーマづつ、問題の意味を理解しまたストックとしても残ると考えて、怠惰な自分に強制したのです。酒飲んだり、友人宅に入り浸ったりで、見ていない日の方がはるかに多かったはずではありますが。あのカードもどこへやら。さて、当時の解説委員の顔ぶれは、伊藤和明さんもですが、饗庭孝典さん(国際事情)、野原明さん(教育)などだったと思います。皆さん現在でもラジオの「ニュース解説」に登場されます。全く個人的で勝手ながら、懐かしく感じて聴いております。最近のテレビのニュース解説ものはCG多用で見やすいし、また役所の無駄や政治家の怠慢を弾劾するなどテーマ性メッセージ性をもったものが多い反面、一定の立場(特にポピュリズム)に重心を置きすぎている感じもします。たしかにメディア自身の見解が多様に表明されることも良いでしょう。それも良いですが、静かに、語り中心で、内容的にもプレーンでありながら問題の所在を示すような深みのある、当時のNHK解説は、味があって良かったナと思っています。そういえば、シンプルで高揚感など全くないテーマ音楽も頭に残っています。今思えば、予断を与えないという報道・解説の良心の表れだったのか。(ああ、厄年を過ぎたせいか、昔は良かった的な感想になっている...)
2005.10.31
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わが夫婦が長年、といっても7年くらい使ってきたPHSをやめて、今日から携帯電話に切り替えました。ナンバーも080-なのですね。今は。主たる理由は、やはり交信の確実性。それと、機能の充実、でしょうか。まあ私は今でも電話が3日に1回、メールは年に数回というところでしたが。何とも時代に遅れている人。これまで愛用してきた傷だらけのストレートタイプの電話機、1円で購入した愛機ですが、娘のおもちゃと化すことになります。
2005.10.30
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岩波新書で伊藤和明さん『日本の地震災害』が出たと新聞で見たので、早速書店で買おうとしました。Iショッピングセンターに入っている書店で、決して小さい店ではないので当然出ていると思ったのですが。店頭の新刊コーナーにはどうもないようで、しからば新書のコーナーは、と探すと、店の奥も奥、文庫の先の本当のコーナーに新書がありまして、そこにも一応新刊や売れ筋は平積みなどされております。でも、ありません。そもそも岩波新書って自然と塊で目に入ってくるはずが、あれどんなデザインだったっけ、と上の書棚の方を探すと、全部でも片手を広げたスパンぐらい、ほんの20冊程度しかない。時代というのでしょうか。昔なら岩波新書は、赤、青、黄色と信号みたいにズラーッと並んでいたはずなのに。岩波こそ文化と知識のインデックスて感じのいやらしさもにじみ出るくらいに。(さらに岩波文庫はもっとそう。)新書の陳列分量で比較すると中公や新潮が多かったように。講談社現代新書やブルーバックスのズラーッと並んだのを見ながら、何を買おうか迷う楽しみナンゾもあったのに。一緒に行った子供たちの本を4冊買ったあと、一応店員に尋ねました。あれば直ぐ買います、なければここには直ぐには来ないので、いいですから、などと言ったりして。お姉さんが例のコーナーに行って戻るまで5分くらい。レジの前には、かいけつゾロリなどの本を買って喜ぶ娘達と、文化闘争に敗れてしょんぼりしたオジサン1人。月曜に、仙台駅前の丸善に寄るか。あるいは、楽天のポイントでも買えるのでしょうか、ちょっと調べてみるか。
2005.10.29
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2人の娘、なぜか早起きして6時前から机に向かっている! 小3の姉はチャレンジ(ベネッセ)を、5歳の妹も何かお絵かき。エーッ! たしかに今日は小学校の学芸会というのはあるけれど。頼んでもいないのに勉強までしている!!!平日にはあり得ないこと。いつもながらですが、土日は早起きです。なんでだろう。平日→いくら起こしても起きない。6時30分を過ぎるようだったら、強制的にリビングに運ぶ(それを待っている?)土日→必ず親より先に起きる。(ハイ、親が遅いというのもありますが)
2005.10.29
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この問題、いつも正面から考えたいと意識はあるのですが、考え方の整理がつきません。これまで知事憎しで空転していた面もあると思われ、知事交替で冷静に議論が進むことを期待しています。まちがいなく今年来年は本格的な議論をしなければなりません。 なのに、まだ整理がつきません。ただ、女性・女帝天皇容認論も出たので(というのは関係ありませんが)、未整理を理由に甘えるわけにもいかず、とりあえず序論的なことですが、記します。議論の整理の観点を3点。 第1に、「別学は宮城の誇る文化」論の取扱い。ノスタルジー表明合戦と教育論とが全くかみ合わないことをしっかり認識して、教育論として議論すべし。 純粋にノスタルジーあるいは文化論の問題なのなら一致点を見いだす必要もない。阪神ファンと中日ファンの議論と同じ。俺はこっちが良い、はいそうですか、でおしまい。 しかし、問題はこれからの若者の教育の議論です。昔若者だった人のノルタルジーの議論では決してありません。「文化」論者は、単なるノスタルジーではない、これからの若者をどう育てるかの教育論に根ざしているとどれほど意識しているのでしょうか。 私は共学の高校で過ごしたので共学の思い出しかない。これは当たり前。別学の良さは体感はしていない。体感していないから解らないだろう、と言われたら、ハイというだけ。どうしようもない。かと言って、私自身は、アンタね共学の方が優れているよ、共学に賛成しないのはおかしいよ、とまで言えないと思っているし言う気もない。せいぜい、共学で「俺は」良かった、といえるだけである。いや正確には、自分の過ごした高校は共学だったと説明する方が正しい。 例えれば、男きょうだいだった(私も)人と、女きょうだいだった人で、兄と姉とどっちが良かったデスか、と言う議論と同じで、何の生産性もない。私は男二人の弟だが、姉や妹いたら違ったろうなとは一応思うが、かといってガキの頃から面倒見てくれた兄個人には深く感謝しているので、兄を否定することは出来るはずもない。 私は、「別学文化」論もその程度だと感じている。つまり、今後の高校どうあるべきかという議論ではなくて、自分の過去を否定されたくない。別学をやめても学校を否定するわけではないのに、こんなに強く抵抗するのは、別学という属性が学校のアイデンティティの本質的な要素だと意識しているのだろう。 私にはハッキリ言って理解できない。学校を無くす訳でもないのに。「文化」論者は、(1)別学がその高校の本質だと思いこみ(他を知らないだけでしょう?)、(2)しかも自分のいた頃の高校とこれからの高校を絶対同一視している(なぜか時代の変化を敢えて無視する)、(3)ノスタルジー重視のあまり現役にもそれを押しつける(本末転倒)、という3つの意味でドグマに陥っていると言わねばならない。 いずれにしても、単なる文化論であれば言いっ放しで構わないが、そうでないから、問題なのだ。 議論の整理のために、次のような仮想設例を考える。 他の属性(伝統、進学度合い、部活動、交通機関、学校設備など)は全く同じで、県立の別学校B男子高校、G女子高校と共学校K高校の合計3校が仙台市内にあるとします。 Q1 あなたはどの高校を選びますか。いや、正しくは、保護者であるあなたは子供をどちらに入学させたいと考えますか。 Q2 県民(一応「納税者」と言い換えても良い。本当は非課税世帯多いのだけど。)として県立高校の(将来)構想を考えた場合、これら高校をどうすべきと思いますか。併存別学、併存共学化、統合共学化、どれかの廃止。 Q3 与条件として、県財政の制約と適正定員の観点から、1高校だけにしなければならないとしたら、どうですか。 私の答え。 A1 子供に任せる。相談されたら、自分で決めろ、行かなくても良い、と言う。 A2 少子化で学校数を減らすことを踏まえ、統合共学化。 A3 A2と考える以上、なおさら統合共学化と考える。 筋金入りの別学出身者の答え。 A1 子供に聞かれなくても、B校に入れ、と言う。 A2 別学文化礼賛だから、併存別学しかない。統合なんて考慮外。 A3 父親はB高校を、母親はG高校を残せと言う(パラドクスに陥る)。 設問の趣旨は次の通り。 Q1は、保護者としての素直な「別学」観の強度を問うもの。Q2は、学校統合の必要性に対する意識を問うもの。Q3は、ギリギリの条件下でも「別学」なる属性を他の属性に優先させるかの意識を問うもの。 「文化」論者は、Q1をQ2やQ3にまで及ぼそうと言うことになる。ちょっと極端な仮想設例だけれど、「文化」論の無茶さがわかると思います。 第2に、既に上の仮想設例で取り上げてしまいましたが、少子化による学校の再編、また財政効率化の要素を認識すべし。換言すれば、「別学文化」維持にいくら負担するのか、というシビアな議論を覚悟しているのか、ということ。もっと別言すれば、二高OBのノスタルジー観のために県民がカネを出しますか、ということだ。 第3は、これが私は実質的な問題の所在だと思うのだが、宮城県のリーディングな地位にある進学校が別学であること。具体的には仙台二高、仙台一高、宮城一女、宮城二女です。これが決定的な問題です。これは、少子化とか学校の再編とかとは理論的に別の問題です。 県教委も、共学化の理由として「性差を設けないのが自然」としていますが、背景には、ここに強い問題意識を持っているのではないかと私は思います(そう期待したい)。 わが県の公立高校は大学進学教育を本気で考えなければなりません。9月6日の日記(宮城の進学率と公立高校を考える) いつも私が言っている(エッどこで?と言われそう)宮城のデータ3つの不思議(人口規模や拠点都市仙台を抱えながら、(1)県民所得、(2)進学率、(3)投票率が全国的に顕著に低いことを指します。)の1つです。 そのためには、リーディング的な地位の学校にもっともっと実績がでなければなりません。そして、そのためには人身一新がもっとも有効だと思います。 私は、共学化論議に際しても、このことをもっと正面から出してもいいのではないか。「別学」が、ナンバースクールの現状安寧意識と停滞の象徴だとさえ思うのです。 万が一、何かの配慮で、もし仙台二高を男子校として残すとするなら、例えば共学化する新塩釜高校を徹底して進学校にする。人事上も優秀な教員を集めて、姿勢を示す。なんで塩釜か、なんて悪平等な足引っ張りを言っては居られません。もちろん全県一区。塩釜ならJR駅から至近で仙台からも通えます。本当に伝統文化に浸りたい生徒は二高へどうぞ。進学なら、仙石線で育英秀光ミドルスクールか、東北本線で新塩釜高校か、というくらいにして欲しい。 例えば山形の米沢興譲館高校。人口9万の小都市にありながら、すばらしい進学校だそうです。県内では山形東高に次いで第二の進学校と目されていると思います。地域の気風と伝統が違いますね。わが県も呑気なこと言っている場合じゃないと思いますよ。第二の都市石巻の現状を! まあ、私の意見がマイナーかも知れず、であれば財政状況との相談もありますが、最後に多数意見で「伝統文化」を残すなら、まあいいかも知れません。その時は、仙台二高には期待できませんから、塩釜高校です、例えば。 そのくらいの決意で高校再編を考えないと、ダメです。もちろん、塩釜高校にリソースを集中させるより、伝統ある仙台二高の方が望ましいのです。変な「伝統文化」論で、本来の議論が歪められるのは、何とも残念です。「文化」論者には、本当に母校のことを考えているのか、と言いたくなります。 なのに、必ず出てきますよね。「いや~、仙台の人はハングリー精神がないからね~」「浪人をしたがるんだよね~」「進学にとらわれない校風?」など、オバケのような奇異な議論が。自由な気風とか良い面ばかり思い出して、ノスタルジーを信仰にまで高めて、しかも他に優先させて後代に押しつけるという図式だけはやめて欲しい。一番大事な議論ができなくなってしまうじゃないか。そういう文化こそ仙台の停滞の象徴だとさえ感じる。宮城の教育を、従って、将来の地域を担う人材をどう考えるか、という問題なのですから。(ああ、やっぱり冷静でないかも。だから整理がつかないのです...) この問題、もっと整理が必要。データも拾って客観的に、また問題の本質が何なのか、教員と現場の本音も聞いて、整理したいと思います。
2005.10.28
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河北新報の今日の記事にありますが、明日29日の仙台スタジアムの札幌戦はチケット販売苦戦だとか。実は我が家も小学校の学芸会なのです。本当は、是非仙スタに行きたいのだけど。
2005.10.28
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その後、5時に上の娘がまたやって来ました。夜中(というか朝)に2回も来るのは、久しぶり。こっちが起きていたのが珍しいということですが。それで、こっちも6時過ぎまで就寝。急いで起きて、いま妹と保育所に出してきました。ああ、間に合わない、といいながら打っています。では行ってきます。
2005.10.28
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先ほど、と言っても2時45分頃ですが、2階で本を読んでいると1階で寝ている小3の娘が眠い目でやって来ました。我が家は夜の9時には、基本的には一家全員で就寝します。子供に夜更かしさせないためです(かといって朝も早起きしてくれないのですが)。そのため、親は娘達が寝付いてから起き出すか、そのまま寝てしまいます。それで、今の私のように、夜中や早朝に読書とかパソコンとかをする訳です。上の娘は小さい頃から寝付きが良くなかったです。1時間かかることもザラ。寝たかなと思ってソーッと離れると、ピクッと起きたりして、結構スリルがありました。夜中に呼ばれることもしばしば。無意識状態で階段を上ってくるのでしょうが、ピラミッドの中の大回廊を昇っている感覚なのかな、と意味もなく勝手に想像していました。一応なるべく階段の電気はつけておきます。しかし、小学校に上がってからは日中張り切っているせいか、すぐ眠れるようになりました。それが、最近また夜中に目が覚めるようです。このような場合は安心してもらえるよう必ず一緒に寝ることにしていますが、結構時間がかかるので、こちらも辛いときもあります。まあ、割り切って寝てしまえばいいだけの話ですが。中学生の頃から、夜中の1人の時間が好きなので。Wee Small World というのでしょうか。あと、夜中の電気代が安いという実利も多少あったりしますが。今日の場合、私が机に帰還したのは3時半頃。夏ならもう白み始めますね。9時から12時まで寝た分で維持しています。ちなみに5歳になる妹は楽勝ペースで来ていましたが(朝も1人で起きて絵本読んでいたりする)、これも最近夜すぐに寝ない時があります。寝たかと思うと、暗い中でゴロゴロとお父さんのところにやって来て、ヒソヒソ話などして、ふざけています。ペンギンの森がどうした、とか。県民の森だよ、とうっかり反応すると、相手のペースなので、じっと我慢しています。こらえきれずに笑ってしまって負けることも多いです。ただ、妹の場合は夜に目を覚ましても大回廊を昇ることはありません。それぞれ個性を持ちながら成長しています。
2005.10.28
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仙台駅で電車を降りて改札を出てから、何気なく「せんだいエキマガ」というフリーペーパーを初めて手にしました。JR東日本発行、月刊20日発行、11月号でvol.10というから、今年から発行されているもののようです。その4ページの広告で、ややびっくり。あの「釜出し一番」坊ちゃん石鹸の広告。「坊ちゃんグッズ好評発売中」というもの。何と、坊ちゃんキャラが「ぼくのグッズ集めてね!」などと言っている。そして、坊ちゃんTシャツ、坊ちゃんトートバッグ(「バック」と書かれていますが)、坊ちゃんてぬぐいまで華麗に!登場しています。この石鹸はよく使っていますし、子供たちもファン。三百人町の工場で作っているのも以前テレビで見て知っていましたが、昔ながらのアナログなイメージでいたので、いきなりグッズ登場とかいって現代最先端の商業戦略で来られると、ブッタマゲです。また広告にある「東北いいね。」のロゴも、やけに新鮮。サイト名にある i-graph (グループ企業ということ)も仙台の新しい会社のようで(不勉強で知りませんでした)、なにやら新しい展開を感じさせます。という訳で、びっくりの坊ちゃんグッズでした。売れてるのかな。
2005.10.27
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夜中の0:00~1:00にNNN24(NTVノンステップニュース、日テレのニュース専門チャンネル)で放送される「ふるさとニュース」をたまに見ています。2:30からもやっています。1時間枠の中で北海道地区(STV)、中部地区(CTV)、近畿地区(YTV)、九州地区(FBS)の前日のニュースの抜粋が、南から流れます。(実は中京テレビの本多キャスターのファンです。仕事で連日終電という時期には、ちょうど帰宅してTVをつければ、本多小百合さんの笑顔で迎えられたものです。ハイ)何故かわかりませんが、他地域のニュースは結構面白いです。例えば家族旅行で旅館に入ってTVをつけると、地域ニュースで、おっと天気予報で仙台がないぞ(当たり前)とか、知事が違うとか(コレも当たり前)、新鮮な気持ちになりますね。もう紅葉なのか、など季節感も違ったりします。さらに、報道ぶりに新鮮な違和感を感じることがあります。例えば、公務員の不祥事で実名報道するかどうか、行政側のスタンスや記者の姿勢が当地とは異なったりします。いずれにしても、福岡、大阪、名古屋、札幌と各地のニュースを順々に見ていくと、火事や強盗などどこにでもある事件から、警察の不祥事など地域性?ある話まで、結構面白いですよ。(もっとも本多さんの後の札幌テレビは消してしまうことも多いデス。)この深夜の番組、視聴率はどれほどか。私のような固定ファン?が全国に0.5%くらい?はいるのではないでしょうか。ところで、この4つの地方局は準キー局扱いなのでしょうが、NNN24の全国放送に、なんとか仙台・東北の情報を出せないかと思います。系列はミヤギテレビだから、「OH!バンデス」の宗さんが全国の画面に登場、ということになります。いいなあ。個人的に運動してみようか? 多分、そんなローカル局の報道なんか出来るはずない!と言われそうです。(例えば中京テレビは、愛知、三重、岐阜の1千万人のエリアを持つから、比較にならないか。) まあ、夢ですね。でも、昔から思っていますが、日本文化の平板化と東京集中(都会信仰)を支えているのはテレビの東京集中です。もっと地方からの発信があっても。日本のCNNを仙台に... 夢ですね。
2005.10.26
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新聞記事で見ましたが、宮城県の推計が発表されました。これによると、観客1人あたりの消費額(日帰り客)は、飲食が1,719円、グッズ等購入が1,487円です。先に、10月19日の日記で、東北経済産業局発表の推計について記しましたが、この際には、結果から逆算して1人当たり飲食2,660円、グッズ2,149円と推定しました。ちょっと少なめだと思ったのですが、今回の県の推計ではもっと低いことになりました。意外な感じもします。もっとビール消費があるのないかと思ったのですが、結構堅実だということでしょう。県の単価設定は、7月25日(月)で夏休み最初のナイター(対ファイターズ)でのアンケートということで、お父さんたちが子供の手前ビールを控えたのか(ビールにこだわってスミマセン)。実は、かく言う私が一番のケチ!? 一家4人で観戦した際(一場涙の初勝利)もかなり堅実でした。入場料は内野自由席4人で6,400円、1人平均1,600円。飲食等購入は、お父さん(私)がビールをぐっと我慢したので、ジェット風船、アイス、かち割り氷、突然の雨で買ったポンチョなど、全員でも4~5千円程度だった。本来であれば、弁当、ビール、帽子におみやげ...と1万円くらいいっただろう。ちょっと財布のひもを締めすぎたか。後ろの席の子供はカラスコ弁当こぼしながら食べていましたが、我が家は直前に昼飯を食べていました。あれこれ子供にせがまれなかったのが、うれしいような、寂しいような。なんたるケチ ああ恥ずかしや。決意 来季はもっと消費します!
2005.10.25
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本を読んでなるほどと思ったこと(高倉淳さん『仙台藩道中物語』今野印刷)。奥州街道は、仙臺から七北田、富谷、吉岡と来て、そこから北へは現在の国道4号線ではなく、丘陵地を経由して駒場を通って三本木へ出ていたそうです。そういえば地図を見ても4号線は西方に湾曲して走っているし、車で走っても、道中に路村も形成されていないナ、と思っていました。こういうのを読むと、ぜひその山道に行ってみたくなります。山道から望む駒場の村落は良い風景だとか。ところで最近、昔の街道で今は山道になったところを歩くイベントや学習会が多いです。機会があれば参加したいです。実はもう10年以上前ですが、七ヶ宿の「わらじで歩こう」イベントに高校の先輩後輩3人で参加し、炎天下の歩行にガオッタことがあります。国道103号をはずれて草道を歩いたりするのですが、今思えばそれこそが七ヶ宿街道だったのでしょう。夢ですが、国道4号線でパイパスができてわからなくなってしまった昔の奥州街道(奥羽街道とも)ルートを、越河から有壁まで、つまり今の県内分だけでも、丹念にたどってみたいものです。ああバイクがあれば。
2005.10.25
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石巻ゆかりの支倉常長の遣欧使節に関連して、最近2つのことに接しました。1つは、文藝春秋11月号の阿川弘之さんの文章(購読していないので立ち読みです)。ローマ近郊の港町チビタベッキアを訪れたというもので、当地にある常長像、長谷川路可の手になる教会の壁画、また使節出帆の月の浦のある石巻は阿川さんの師志賀直哉ゆかりの地でもあることなどがつづられています。もう1つは、23日の河北新報の記事。スペインの南部のコリア・デル・リオ市で今年7月に亡くなった支倉日西協会前会長のカルハバル・ハポンさんに日本の外務大臣表彰が授与された。同市にはハポン(日本の意)姓の住民が約650人もおり、支倉遣欧使節団の子孫とされる。故ハポンさんも14代目。チビタベッキアと石巻市が姉妹都市であることや、遣欧使節団ゆかりとされるハポンさんの存在は前から知っていましたが、改めて四百年も前の偉業に思いを強くします。イスパニアとの交易を狙った奥州王伊達政宗の気宇壮大もですが、東洋の端から木造船でよくぞ地球を回って(確か船は2往復したはず)、メキシコ、イスパニア、ローマを驚かせ大歓迎を受けた、その事実がとにかくすごいです。この縁もあって、宮城県はローマ県と姉妹県です。2千年も前から民主制をひいた世界文化の発祥地と交流をもつわが宮城県です。ローマは3度世界に号令した、なんて高校の世界史でも学びましたね。(そういえば民主主義が宮城の伝統文化だという議論も昨日あたりまでありましたが。小さい小さい。)郷土の歴史から何を学ぶか。小さいことにとらわれずに、スケール大きく行きましょう。
2005.10.24
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投票率は意外と高かったという感じ。40%に乗るとは。当ODAZUMAジャーナルも完敗です。それと驚いたのは県選管の公式サイトの速報の早いこと。新しいシステムなのでしょうか。河北新報サイトより早く、しかも分刻みで変わるのにびっくり。今は県議の方を見ています。さて、結果ですが、予想通りでした。評価は冷静に後ほど記しますが、とりあえず言えば、「民主主義論」より政策の中身という私の立場としては、不毛の論議に終止符、という点で意義があると。
2005.10.23
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15時現在 22.14%です。公式HP天気も回復して、もうすこし伸びるでしょうか。
2005.10.23
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今日10月23日が投票日。当ODAZUMAジャーナルの総力を挙げて予想します。36.9%A.ダウンズの投票行動モデルに、夏の総選挙結果から政党間期待効用差を加味し、さらに夜来の雷雨という天候条件を投入し... というのは全くのウソで、単なる感覚です。新聞では接戦と報じられていますが、どうも争点は明確でないようです。いや、現任者の承継か否かという点では明確かも知れませんが、生活者の利益とか県の長期的展望とかが不明確でよくわからないという感じではないか。公共選択理論では、接戦との主観的予想は投票参加を促進するはずですが、どうも宮城県の有権者は冷めているように感じます。夏の総選挙でも顕著に投票率が低かったし。従来の民主王国というのも「根付いた」ものではなくムード的なものだったのでしょう。(9月13日の日記)(9月12日の日記)でも私はもちろん投票は行きます。明るくなったらメシ食って、7時の一番乗り目指すか。皆さんも棄権されないようにお願いします。
2005.10.23
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昨日(10月21日)の各紙に報道されていますが、昨日の財政審の分科会で、優遇されている教員給与がバッシングに遭っています。 ついに出たな、という感じです。 私は、教育行政こそ、霞ヶ関と現場の感覚が見事にずれた第一級の行政分野だと思っており、文部科学省に肩入れするつもりはありませんが、財務省のこの議論は一面的な議論です。三位一体論議で財務省が主唱している「地方のムダ使い」キャンペーンの一環としか思えません。財界も何時もながら上手に乗せられるでしょう。「高い給料を求めてモラルハザードになる」との発言も出た(毎日新聞)のだそうです。あらまあ。 学校現場は、ハッキリ言って大変です。給与が高いゾ、という人は一日8時間の勤務時間を前提にモノを考えるのですが、実態は勤務時間なんて概念はありませんよ。生徒や保護者と向き合っていて、時計見てハイ帰ります、なんて先生は、文部科学省的には正しいのでしょうが、そんな先生はハッキリ言って不要、いや有害です。朝の登校指導、部活、土日の行事、修学旅行に行けば24時間、卒業生の相談にも乗る、エゴの保護者にも対応し... それでも当然のように頑張っています。児童生徒に「勤務時間」はありませんから。(ちなみに警察官もそうで、ケンカがあれば家で風呂に入っているときでも、酒飲んでいても現場に飛んでいきます。そうあらねばならないのです。この個人としての使命感には素直に尊敬します。組織としては問題がありそうですけど。) だからこそ、先生が生徒や親から人間として感謝されるのではないですか。IT社会が進んでも学校と教師だけは人格力の発揮の場だと思っています。(あ、「親」業もです。人格力なくてスミマセン。) 教員の感情や組合活動に迎合するつもりで言うのではなくて、教育は質が重要だからです。教育は人材ですから。 おそらく、ある程度は給与水準下げられても(現に宮城県の公立学校教職員は浅野知事の政策でカットされていますが)、先生たちは相も変わらず児童生徒に向き合っていくはずです。最近の教員採用も相当吟味されているようです。 しかし、慎重に議論しなければなりません。確かに、給与特例法(給与特例条例)や人材確保法が時代に合わないという問題はあります。また、夏休みは遊んで居るんじゃないか、とか。それも個別には問題だけれど、その一面だけつかまえて議論してはダメなのです。 教育問題を考える場合は、第一に教育の質の維持を考えなければなりません。教育は人格力、人材ですから。質の維持を大前提に置きながら、いかに人材を確保できるかの観点で、考えるべきです。結果として是正すべきは当然すべきですが。 という訳で、私は、現在の「事実上勤務時間なし」状態をどう扱うかも含めて総合的に考えるべき、その中で給与水準も検討すべきと考えています。これがポイント。 例えば、勤務時間という概念はやめて、報酬制にする方法があります。さらに、教員評価と連動させた期限付き任用制度を導入する。校長の権限や教員のキャリア形成の問題などもありますが、従来的な閉鎖的な学校経営そのものも見直さねばならないので、デザインの余地は広いと思います。 これら全体の制度設計をしながら、財政面では、総給与額は現行の歳出の中で教員数増加を実現しつつ、軟着陸させる。その際に、重要なのは、教育の質の維持という点から、どの程度の給与レベルが適当か。人材需給面と保護者=納税者の納得の両面から。 そのような検討を勇気をもって踏み出さないままに、ただ単に、給与水準高いから、なんて議論は危険だ、と言いたいのです。「高給与でモラルハザード」(低給与ほど良い人材ということか?)なんて訳の分からないこと言わせて。また「少人数学級にしても(先生増やしても)学力上がらないじゃないか!」...もう単なる「教員バッシング」です。 もっとも、財務省だからカネの話は仕方ないのであって、ある程度確信犯的なフッカケの面もあろう。やっぱり文部科学省がダメなのでしょう。 教育内容面でもズレていますが、学校管理、教育行政、教育財政、になるともっとズレています。かつては日教組対応という図式もありましたが、今はもっと教育の質を考えていくべき時です。でも、何にも考えていない。給与負担の一般財源化の議論が出て、やっと総額裁量制とか言い出して。 こんなことを財務省に言わせるより、地方に完全に税源移譲し、大学と科学技術以外の行政監督権限は全て手放して、文部科学省はスリムにするべきです。角度を変えて言えば、教育に寄せる住民の信頼に応える責任主体を、目に見えない文部科学省ではなく、自治体に担わせるということです(教育委員会制度、県と市町村の関係も課題があるが)。実際には、自治体もいい加減なことはできませんから、心配には及びません。他方で、教育指導要領など教育水準の維持に文部科学省が真剣に関わればいいのです。 何十年も時代に遅れている。何とも情けない限りです。
2005.10.22
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月曜日(17日)午前に移動中の車中でNHKラジオを聞いたら、都市計画・都市工学の重鎮の伊藤滋さんがゲストに出ていました。私は都市計画は知識はありませんが、地域づくりの観点から、伊藤滋さんの著作や講演録には接しており、名前と顔はよく知っております。父親が伊藤整だと初めて知りました。ちょっとびっくり。伊藤整といえば、憲法を学んだ者としてはやはりチャタレイ事件でしょう。高校の副教材にもあったし。文学者の父や、日露の軍人だった祖父のことなどの話がありましたが、印象に残るのは、子供の頃に地図好きだったという話です。何でも、小学校時代(戦前でしょうが)から地図を見たり書いたり、鉄道を引いたり、太平洋に島を作ったり、などなど。その後高校や大学はろくに勉強せず、小学生のころに得た関心と知識だけで人生やってきた、というような話でした。足元にも及びませぬが、拙者 odazuma 大の地図好きであります。小学3年生の頃、祖父に連れられ東北本線を八戸まで普通列車で行きました。車窓の外の景色を見ながら、田んぼと市街地の境目はどこだ、青森県に入ると山河草木は変わるのか、などとジッと見つめていました。盛岡より北になるとトンネルが増えるのですが、どの駅と駅の間に何秒間のトンネルがあったか、祖父の時計を借りて熱心に時間を計りながら、紙に一生懸命メモしたものです。この辺は何故か几帳面で、子供の頃は自分が他の市町村や都道府県にいると、異常に意識を持ったりしました。何も変わらないはずなのですが、何が違うのかと真剣に考えていたのでしょう。この才能をもっと活かしていれば、おそらく今頃は、遠く離れた外国の地理まで透視できるFBI捜査官になっていたと思われます。
2005.10.21
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今日(10月20日)の朝日新聞朝刊(高校「野球留学」の実態調べたら… 大阪府出身が半数)ここ10年で隣接しない県の中学から高校に入学した選手の総数は916人。流出は大阪が457人、次いで兵庫59、神奈川57。流入は香川86人、次いで高知84、山形の82など四国・東北地方に集中。大阪は少年硬式野球が盛んで受入側との人脈もある。高校生も甲子園に出られる高校を選択する、という内容。なお、関連して18日朝日の記事(「県外選手」の割合 甲子園出場校で2割強 高野連調査)は、これに先立つ全国調査の記事。東北の夏の甲子園出場校では、酒田南が7割を超えています。禁止されている指導者の中学生への家庭訪問がひそかに行われている問題や、奈良、和歌山、大阪、兵庫の各府県では中退者による再入学や転校生が近年増えたことも各都道府県連盟から指摘。一方で、中学生の進路選択の自由や他の競技団体との整合性など留学抑止に慎重な意見も寄せられたという。同委員会ではこの日、来夏の選手権地方大会から出身中学を選手資格証明書に必ず記入させることが決まった。また、選手勧誘のルール順守の徹底を指導することを確認した。一部の委員からは「実態の改善には県外選手の登録人数の制限が必要」との声があり、実施に向けて議論を重ねていく方針も決まった。今年の夏の甲子園の開会式をテレビで見ていましたら、中山文部科学大臣が挨拶の中で、「全国から選手を集める風潮があるが、高校野球の原点は、地域で生まれ育った高校生が郷土の代表として出場し、地元の人が応援することにある、関係者の検討を望む」との趣旨を語っていました。個人的に気になっていましたが、確か翌日の新聞の記事にもなったので、特筆すべき発言だったようです。中山大臣や規制論者の主張について、考えられる理由としては... 1 生徒の安易に進路選択(中退・転校も)や経済的負担を抑制させる(パターナリズムの観点) 2 地元出身者の活躍の機会を保障する(実質的機会の均等の観点) 3 青少年ハ自分ノ地域ニテ生活スルベシ(健全な青少年の育成?の観点) 4 地元の父兄や住民の応援に力が入るようにするため(社会政策or経済活性化の観点) 5 不正入学や利権の温床となることを防止するため(現実にありそう)理由2が中心でしょうか。確かに、青森、岩手、秋田あたりでも最近は公立高校が出なくなりました(秋田商は頑張ってます)。ここは見解の分かれるところでしょう。高校生の選択の自由や学校づくりの自由を重視するのか、枠の中での競争(独占禁止法)の発想でやらせるのか。人々の総意として後者を取るなら、規制も絶対反対ではないですが... 私は高校生の主体的な選択を重視したいです。高校生(正確には、高校を志望する中学生)たるもの、自らの希望で高校を選べばいい、県外生活も自分で選ぶならいいじゃないか、という意見です。大人の変な「高校野球観」を押しつけてはいけません。高校生中心に考えないと。親の経済的負担などが大変というなら、親が行かせなければいいだけ(というより、高校生もそれぐらい自分で考えなさい)。実態として甲子園常連校は勉学もせず野球ばっかり、との批判もあります。野球専門校と同じ土俵では一般!?高校が迷惑する、と。これは重要な問題ですが、野球留学の是非ではなくて(通学生なら良いの?)、学校そのものの問題です。野球ばっかりが悪いというのなら、私学の行政監督権限で是正させるべきです。文部科学省だし。ただ、私は多様な教育の一環で、ある程度許して良いと思いますが。基本的な部分では、悪平等主義に反対、というのが私の考えです。自由主義論者?ですし、パターナリズムは保護者の責任と考えます。高校も多様性があった方が良い、むしろ望ましいと思います。自由にさらすと個々の「高校」の序列化や衰退を招くという論調がありますが、「高校生」の観点で考えなければなりません。あえて言えば、公立高校もバンバンと県内外から中学生を獲得してもいいのです。野球でも学業でも。学業で言えば、私は学区制撤廃に基本的に賛成。全県的序列化を懸念するのではなくて、例えば石巻高校をガンガンとネジ巻いて、仙塩(通学可能)から中学生が進学するくらいの本当の進学校にすればいいのです(人口20万の石巻の拠点校が他県の地方中小都市より劣っているのですよ!宮城の進学率と公立高校を考える(9月6日))。そもそも「序列化」の頂点になる?であろう仙台の県立高校だって緊張感がないのだけれど。学校や教育委員会の怠慢の言い訳として「学区制」を掲げているような気がしているもので。それから、高校野球は「高校」の活動の一環なのであって、「県」や「地域」の活動ではない。その点で、国体のジプシー問題とは異なります。根本的に、中山大臣のような人は、例えば酒田南高校に大阪から来る高校生を「異質な」(あるべきでない)存在と見ているのでしょう。あえて酒田を選んで3年間を過ごす若者こそ歓迎すべきなのに。彼らだって、野球留学という意識で来ています。地元の人が、お前野球留学だナ、と言うのは結構。当該「留学生」の堂々たる個性なのだし。応援したくないならそれも結構。しかし、間違っていけないのは、酒田南高校の生徒であって、酒田南高校の学校活動の一環です。そこに踏み込んで、「その県」あるいは「その地域」の生徒でがんばるべし、というのは学校の主体性を離れた応援者の論理(というより心情)以外の何モノでもなく、ハッキリ言って余計なお世話です。高校生の選択の自由、高校の学校作りの多様性、などの重要な価値に優先するべきではないと思います。なお、理由5だけは要注意。中山大臣は「高校野球観」で言っているかも知れませんが、現実問題としての課題はコレだと思います。もっとも、コレは、指導者の資質の問題であって、留学抑止、県外者の登録制限などのような馬鹿な方策で解決するはずもありません。問題の解決を高校生に転嫁してはなりません。良識のある議論を望みます。
2005.10.20
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10月19日の各紙朝刊に報道されていますが、東北に195億円の効果があったとの試算。東北経済産業局によるものです。http://www.tohoku.meti.go.jp/cyosa/io/baseball051018.htm以下は朝日新聞の記事から。------------観客動員数は2軍の主催試合も合わせて百万人超。経済効果の内訳は、入場料が23億円、交通費が15億円、飲食・宿泊費が29億円、関連商品の売り上げが21億円。選手による消費は2億円、球場改修費は30億円としている。このほか、産業の生産増、雇用拡大に伴う消費増などの波及効果を75億円と見積もった。同局は昨年10月、球団新設に伴う経済効果を208億円と試算していた。このときは観客数を1試合2万人で見積もっていたが、実際には約1万4千人にとどまった。このため、13億円の「下方修正」となった。同局は「今後も球団が地域経済に貢献し、東北に元気を与え続けることを期待したい」としている。 ------------面白いのは、経済産業局のプレスリリース中の説明です。いくつかご紹介を。(1) 初シーズンを38勝97敗1分の成績で終えたことから、経済効果を改めて確認した。→ 推計上で勝ちゲームと敗けゲームとで何か違うわけでもないので、何か変な感じ。まあ、ここはシーズンが終わったから、という程度の意味でしょう。(2) 戦績は厳しいものであったが、ファンの熱は冷めることなくシーズン終了まで球場に足を運び熱い声援を送り続け...→ 何とも熱い分析! どうしてファンの熱まで調査できるの?と思いますが、人間味のある分析で何ともすばらしい。(3) (飲食費・関連商品等売上げについて)9月末に東北経済産業局職員を対象に行った「東北楽天ゴールデンイーグルス応援に関するアンケート調査」結果を参考に、球場内と球場外の飲食に区分し、それぞれ入場者1人あたりの単価を設定し推計した。→ エーッ本当!? 単価設定は自らの職員のアンケートを基礎にしたそうです。一応、局の熱い思いの現れと受け止めましょう。 ちなみに、飲食・宿泊費直接効果が29億円、入場者数977,104人(うち3%が宿泊者)ですから、まず宿泊者の単価(不明)を1万円として宿泊費分3億円を控除して飲食費直接効果分26億円。これを入場者数で割ると、局の職員とご家族の皆さんは1人当たり2,660円支出していた、ということになります。 また、関連商品等売上げは、同様に逆算して1人あたり2,149円。あわせて、4,809円。 他のデータでは、球場内だけの飲食+グッズで平均4,735円というのがあるので(「仙台経済界」2005年、9-10月号、p.114以下、シーズン前半戦の実績)、経産局の職員が球場内外通じて4,809円はちょっと低めかも。ビールを控えたのか、球場外飲食しなかったのでしょうか。(4) こうした経済効果をもたらした最大の要因は、東北の熱いファンの存在である。来シーズン、チームが更に力をつけ、ファンに一層愛されるチームとなり、今後とも球団が地域経済に貢献し、東北に元気を与え続けることを期待したい。→ すごい。実証分析の域を超えている。もっとも、昨日のタイミングのリリースなので、TBS・横浜球団問題に関して、楽天にイーグルス球団の維持を促すためか。さすが経済産業省!
2005.10.19
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今日(18日)には朝日新聞にも情勢調査が出ていました。やはり2氏横並び。昨日日記の2紙も含め、改めて3紙の調査結果を整理します。ちょっぴり見やすくしています。○河北新報 http://www.kahoku.co.jp/spe/spe173/20051017_01.htm○読売新聞 http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/miyagi/news001.htm○朝日新聞 http://mytown.asahi.com/miyagi/news02.asp?kiji=7514以下、簡潔に3紙の情勢調査を比較整理。伸び悩みが指摘される1人の候補は割愛。(K:河北、Y:読売、A:朝日)------------■支持政党と候補者支持の割合 村井(無、自民推薦) 前葉(無) ○自民(☆33%) (K)6割 (Y)5割強 (A)7割近く ※6割以上 ※3割 ○民主(☆17%) (K)※3割強 (K)7割弱 (Y)5割強 (A)7割近く(※6割近く) ○社民(☆ 3%) (K)4割強 (Y)4割強 (A)6割 ○公明(☆ 2%) (K)約7割 (Y)4割強 (A)7割以上 ○共産(☆ 2%) ○無党派(☆43%) (K)2割強 (K)3割強 (A)4割 (A)4割 注 ☆は政党支持率(朝日)、※は総選挙で投票した政党との相関(朝日)■投票態度未定者 (K)有権者の5割強が態度未定 (Y)無党派層の半数、有権者の3割が態度未定 (A)有権者の4割が態度未定■大胆(というより単純?)な勝敗予想(ODAZUMAジャーナルの整理)朝日の結果を利用して、政党支持シェアと候補者支持状況とを掛け合わせて(自民、民主、無党派だけ。また※印データを利用)、2候補の獲得率を無理矢理に積算しました。その結果は、村井42%、前葉37%です。もっとも、投票態度未定者が多いので、極めて不安定ということでしょう。やはり横一線。19日には仙台で3候補者の討論会もあるというので、政策論議を期待。------------■以下はそれ以外の情報の整理(1)村井候補(無所属、自民推薦) ○地域別 ・(K)2、3、4、6区で他候補を先行 ・(Y)2、4、5、6区で他候補を先行 ・(A)2区、県南部で勢い ○浅野県政評価別(K) ・評価する層の3割強 ・評価しない層の5割強 ○年代別・性別 ・(K)60代以外のすべての年代で他候補を先行 ・(K)20、40代男性や30、50代女性の支持が特に強い。 ・(A)20代・30代、70代以上に支持高い ○性別(Y) 男の3割、女の4割 ○職業別 ・(K)農林漁業や事務・技術職に浸透している。 ・(Y)農林水産、商工サービス、自由業で4割超、専業主婦業2割強 ・(A)自営業者層や農林漁業者層に強み(2)前葉候補(無所属) ○地域別 ・(K)1、5区で他候補を上回っている。町村部で4分の1と低い。 ・(Y)1、3区で他を先行。 ・(A)5区で高支持 ○浅野県政評価別(K) ・評価する層の4割弱 ・評価しない層の1割 ○年代別・性別 ・(K)60代で他候補を上回り、60代男性や40代女性の支持が特に強い ・(Y)70代以上で4割強 ・(A)60代、特に女性の40~60代に食い込み ○職業別 ・(K)商工サービス業や管理職に浸透 ・(Y)事務技術職、専業主婦で3割超、労務サービス職2割弱------------(私の日記は、今回の宮城県知事選挙を含め、政治的主義主張に関して特定の政治的立場や特定の個人を支援または非難する趣旨ではありません。)
2005.10.18
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昨日(10月16日)の深夜(正確にはもう今日)1時頃に、東北放送の「湯の宿・味の宿」とかいう番組を見ました。東北の観光名所を紹介し、お宿の宣伝をする、という番組です。蔵王、大内宿、芦の牧温泉などをやっていました。映像とナレーションだけの構成で、ゆったりと見られる(実は中田のボルトンがチェルシーに翻弄されている仙台放送の試合の裏で、チラチラ見たのですが)。最近芸人が出てきてやたら騒ぎ立てるのが多いが、観光地や宿の本当の良さがわからない気がする。黙って映像をゆっくり見せる、こういうシンプルな番組の方が私は良いです。そういえばナレーターは大橋照子さん。おお懐かしい。ここでご活躍されていたのですか。ところで、蔵王のお釜の映像を見たとき、ハッとしました。ああ、これだったのか。積年のモヤモヤが解消しました。それは、あの我らが宮城スタジアムを俯瞰したときに、何かに似ている、何か宮城だな~と思っていたのです。現在私の公開しているフォトアルバムにも1コマありますが、グランディ(宮城県総合運動公園)アスレチックの頂上部分、つまりローラー滑り台のてっぺんのところから、スタジアムを見ますと、こうした気分になるのです。どこかで見たようだな、というモヤモヤ感。実は、それは、蔵王のお釜だったと判明したのであります。建築の専門の人に聞きましたら、宮城スタジアムのデザインは政宗の兜のモチーフとよく言われるが、プロポザル段階ではバックスタンドに屋根はなく、蔵王のお釜のイメージも意図されていた、ということでした。やっぱり、そうなのでした。
2005.10.17
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勘違いしていました。昨日16日(日曜日)の紙面に出るものと思っていた新聞の情勢分析は、土日に調査・分析して月曜(17日)朝の紙面に出ました。○河北新報 http://www.kahoku.co.jp/spe/spe173/20051017_01.htm○読売新聞 http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/miyagi/news001.htm以下、簡潔に2紙の情勢分析を比較します。伸び悩みが指摘される1人の候補は割愛しました。(K:河北、Y:読売)------------(1)村井候補(無所属、自民推薦) ○支持政党別 ・自民党支持層 →(K)約6割 (Y)5割強 ・公明党支持層 →(K)約7割 (Y)4割強 ・無党派層 →(K)2割強 ○地域別 ・(K)2、3、4、6区で他候補を先行・(Y)2、4、5、6区で他候補を先行 ○浅野県政評価別(K)・評価する層の3割強・評価しない層の5割強 ○年代別(K) ・60代以外のすべての年代で他候補を先行 ・20、40代男性や30、50代女性の支持が特に強い。 ○性別(Y) 男の3割、女の4割 ○職業別・(K)農林漁業や事務・技術職に浸透している。・(Y)農林水産、商工サービス、自由業で4割超、専業主婦業2割強(2)前葉候補(無所属) ○支持政党別・民主党支持層→(K)7割弱 (Y)5割強・社民党支持層→(K)4割強 (Y)4割強・無党派層 →(K)3割強 ○地域別 ・(K)1、5区で他候補を上回っている。町村部で4分の1と低い。・(Y)1、3区で他を先行。 ○浅野県政評価別 ・評価する層の4割弱 ・評価しない層の1割 ○年代別 ・(K)60代で他候補を上回り、60代男性や40代女性の支持が特に強い・(Y)70代以上で4割強 ○職業別 ・(K)商工サービス業や管理職に浸透・(Y)事務技術職、専業主婦で3割超、労務サービス職2割弱(3)ゆくえ (K)有権者の5割強が態度未定で、流動的。 (Y)無党派層の半数、有権者の3割を占める層が態度未定で、流動的。------------以上、やはり明確な傾向も読みにくいようです。しかも、投票率の高下に関連して、浮動票が「脱政党」に流れるとも決めつけられないので(先の総選挙の自民旋風の例、また公明が中立)、流れが読みにくいと思われます。4年に1度の選択。いつも書いていますが、政策の勝負を明確にして欲しい。例えば、産業活性化に何をやるか。財政再建で何をやめるか。男女共学はどうする。残り1週間でギッチリやっていただきたいです。政策論議でデッドヒート(ネガティブバランスとでも言うべきか)に決着をつけるなんてのが格好いいのですが。迷える浮動票層の1人としての切なる願い。(私の日記は、今回の宮城県知事選挙を含め、政治的主義主張に関して特定の政治的立場や特定の個人を支援または非難する趣旨ではありません。)
2005.10.17
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今回の宮城県知事選挙の啓発ポスターには、楽天イーグルスの選手が使われています。県の選挙管理委員会は、投票率向上のために一生懸命考えるのでしょう。今回のイーグルスは、親しみやすくて大変良いと思います。一場、朝井、ナベツネ(正しくはコウキと読むようですが。)など若手の起用も良いようです。これを見て、今年は良かったね、念願のプロ野球が誕生した。楽天の若手よ、がんばれ、みんな応援しているよ、とわが県民は思うのです。やっぱり宮城県民はやさしい。毎朝利用するJR駅の通路では、女子高生がこれを見て「やっぱり福盛が格好いいな」「私は岩隈」などと言っていました。ああ何と純朴な東北の乙女。大人になったら棄権しないように。余計なお世話なのですが、ポスターに起用する人物も相当吟味するのでしょう。特定の政党や候補者に近い人物は当然ダメだし、争点となっている事柄や地域に近い人物をことさら出すのも良くないでしょう。さらに、公明、識見、明るさ、などを兼ね備えており、最近ネガティブな話題があったりすると、やはりボツでしょう。そこで、今回のポスター起用人材のNG集を考えました。宮城にゆかりのある有名人で。○ 都並監督「投票へGO! J1へGO!」 (評)現在のベガルタの状況では微妙か。 その点イーグルスは指定席だったから問題ない?○ 田尾監督「声援ありがとう。投票もよろしく!」 (評)心情的には欲しいポスター○ 三木谷オーナー「楽天は手放さないよ」 (評)選挙に関係ない○ 浅野知事「宮城の民主主義を守れ」 (評)ありえない○ 藤井前市長「仙台市と仲良くできる人を選ぼう」 (評)これも有り得ません○ 西澤学長「二高共学化反対」 (評)あまり争点になっていないがやはりダメか○ さとう宗幸「OH!バンデス 選挙デス」 (評)無難だが将来立候補もある?ので○ マギー審司「気仙沼も宮城県だよ」 (評)無難だが知名度にやや難○ 荒川静香「トリノをめざせ」 (評)利府にいたんですよね。頑張って!○ 卓球の愛ちゃん「私も投票します」 (評)まだ選挙権ないだろう○ ゴルフの宮里藍「アイ・ヴォート」 (評)おそらく次回使われるでしょう○ 仮面ライダー「投!票!」 (評)前も出たので今回休み○ 松尾芭蕉「奥のほそ道 宮城の行く道」 (評)そろそろ人材もコピーもネタ切れ選挙管理委員会の苦労がわかるというものです。皆さん是非投票に行きましょう。そして、楽天イーグルス、来季はプレーオフへGO!(キャッチフレーズと評は勝手に考えたものです。失礼しました。)
2005.10.16
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わが宮城県では知事選挙が行われています。おそらく県民の大部分が感じていると思いますが、争点がよく見えない。浅野県政の評価というけれど、ではどの候補が浅野県政の何をどう評価して、私はこうします、というのがわからない。当の浅野氏が「民主主義を守れ」と登場してくるので、余計に訳がわからない。具体的政策は何ですか。感覚的だが、投票率も相当下がるのでないか。前回の総選挙の投票率(そして宮城の低い投票率の不思議)について記しましたが(9月13日)、宮城県民は、あまり政治に関心がないのだろうか、とも思う。自分たちの生活や地域をどうするのか、その訴えが候補者から聞こえないのでは、仕方がないか。河北新報の本日(16日)の朝刊には、1週間前の恒例の同社の情勢分析が出るのかと思っていた。実は変な夢を見た。朝起きて朝刊を開いたら、世論調査のデータ紹介だけで、○○候補優勢との見出しがない。変なこともあるものだ思った、という夢。実際に起きて新聞の一面を見ると、何も出ていない。先週に、2人の候補が横一線、という内容で、記事にしているので、今回はやらないのだろうか。その代わりに、「激戦の断面」というのが一面に出ている。浅野知事による後継指名などの「活躍」を客観的に報じている。自民対浅野の選挙戦終盤の断面を伝えるという趣旨だそうだ。改めて思うが、後継指名はいいけれど、「民主主義を守れ」、「伝統文化を守れ」の一点ばかり強調されるなんて、どういう選挙なのだろう。後継指名された候補者の政見放送をラジオで聞いたが、真っ先にPRしたのはこれだった。浅野氏のいう民主主義については前に記したが(9月29日、10月7日)、私は浅野氏の政治家としての自分への賛辞ぐらいにしか考えていない。それが真っ先に出てくるのは、やはり自分の存在を示したいのがホンネだと思っている。一方の支援を受けた側は、これまた政治的に支援を受けたいからで、政治の世界の習性として仕方がない。とは言っても、選挙戦術として意味がないわけではない。いや大きい意味がある。周到な作戦かも知れない。というのは、県民も「民主主義」はどうでもいいのだけれど、自民側が浅野を攻撃することは、これまでの浅野県政の総体を否定することになる。浅野県政は政策や成果の面で顕著なものがないとしてもダメとも決めつけられない、とすれば、それを攻撃ばかりする自民党よりは、やっぱりマシですネ、と思わせる。ここは浅野の存在自体を強調しておけば、それを攻撃すればするほど自民側のだらしなさが県民に見えてくる。「民主主義」でなくてもいいのだけれど、これが一番耳障りがよい。改革を機敏に柔軟に成し遂げた浅野県政、というイメージをサブリミナルに県民に想起させればいいだけ。つまり、自民に対する「鏡」を据えておくという作戦なのだ。自民側の候補がこれにすっかり乗せられて、浅野攻撃を全面展開すると、もうダメだ。県連幹部が浅野憎しの余りに、「後継指名しないといいながら...」とか強調し出すと、もう術中にはまっている。県民はどうでもいいのですから、そんなことは。これを乗り越えて(そんな土俵には上がらずに)、宮城をこうします、これをやります、と本来の土俵で物を言えばいいのだ。今こそ政策を全面に出すべきだ。県民が欲しているはずだから、チャンスとも言える。中小企業対策、男女共学、環境、地方の医療問題。財政改革は地味なテーマとも思われがちだが、普通の人はその大事さに気が付いている。これまで手を付けなかったメスを振るえるか。ああそれなのに、それなのに。勉強不足が露呈してしまった。候補者本人の事情もあるのかもしれないが、代替案がほとんどない。河北新報の県内版の連載「問われる県政課題」を見ても、この候補の具体的な政策が出ていない。スペースも残している。結構県民はここを読むと思うのだが。12年間(せっかく?)野党にいた間に自民党がいかに政策を考えていなかったか、の証だ。その意味では第3人目の候補者の政見は、(立場はともかく)立派だ。政見放送でも、県民に言いたいこと、何をするか、は一番明確だ。どうも、自民党の県連はこの辺が全くわかっていない。浅野憎しだけで戦った2大政党が完敗した8年前の再現になってしまう。党の公認候補ではなかったですからネ、なんて言い訳でも用意しているのか。それだけはやめて欲しい。県政の停滞を批判する自分たちこそ、停滞打破の具体策を示して欲しい。改革政党なんでしょう?。「民主主義の聖地」などというありがた迷惑な議論のダシにされた県民も、それを期待しているのだ。誰に勝って欲しい、というのではない。政策勝負の知事選になって欲しい。それを盛り上げるのは自民党が政治の世界のコップから抜け出して、県民のために真剣になるかどうか、なのだ。(私の日記は、今回の宮城県知事選挙を含め、政治的主義主張に関して特定の政治的立場や特定の個人を支援または非難する趣旨ではありません。)
2005.10.16
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午前中に掃除をし出したら、子供達が2階で遊びだしたので、チャンスとばかりにテーブル、ソファー、TVなどを畳の部屋に押し込んで、久しぶりのワックスがけ。ワックス落とし、水ぶき、ワックスかけ×2回、とやったのですが、湿度が高いせいか(外はしょぼしょぼ雨)乾きにくくて時間がかかった。実は2年ぶりくらいです。築9年ですが、以前は結構まめにかけていましたが、そのうち傷や汚れが目立ってくると、モチベーションも下がっていました。どうしても子供が食べこぼしなどするので、掃除で水ぶきをせざるを得ないのでワックス効果もさほどないということもあります。だから、今はワックスを掛けても見栄えもイマイチですが、とりあえず達成感だけはあります。子供達も降りてきて、リビングがガランとなった異様な光景、畳の部屋にあらゆるものが詰まった状況に、喜んでいました。畳部屋の大道具詰め込みの中に入って、「こんな暮らしをしたい!」だと。なんだそりゃ。少しわかる。リビングが普段になく声が壁に反響するのもおもしろい。午後には子供達がまた2階で遊びだしたので、何となく寂しさを感じながら、TVをつけたらベガルタ仙台の試合をやっていた。今年は楽天イーグルスに関心がありましたので、あまりわからなかったのですが、入れ替え戦のできる3位を狙えるところまで来ていたのですね。見ていると、結構選手も気合いを感じられる。おお、いいぞ。村上はどこだ。清水、解説していないでちゃんと指揮しろ。(選手もよくわかっていない。猛省。早速調べます。)後半は子供達も一緒に応援。夕方には、庭の木に電飾をつけました。泉のダイシンで4千円くらいで買ったもので、木1本にだけ掛けるものですが、点滅パターンが8通りあるのが、個人的には気に入っています。すこし早いかなと思いましたが、帰ってきた妻が「電気は早めに消してね。」というので、安心。(まだ10月でしょう!と言われなかったので、ということです。)ちなみに、ワックスの方はというと、「あ、そう。何かにおいがすると思った」でした。
2005.10.15
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道路時刻表というのがあります(道路整備促進期成同盟会全国協議会で出版)。今年の版('05~'06)の特集は、「街道の宿場をゆく」(p.46~)。きれいな写真で紹介された宿場町。各県につき1カ所づつ掲載しているようです。とすると各県のとっておきを出しているのでしょう。さっそくわが東北の部分をご紹介します。○青森県黒石市 こみせ通り(市道前野野添線) 旧市街地の中央。明治初期までは秋田から北海道へ行く旅人の道路。その要衝が中町で城下の中核であった。現在も造り酒屋、呉服店、餅屋など明治、大正、昭和初期の風情。日本の道百選。 黒石はまだ言ったことがありません。ちなみに弘前も。行ってみたい。○岩手県遠野市 大工町通り(市道大工町駒木線) 地場産の唐松を歩道板として敷き、和風のたたずまい。沿道住民等が「もみじ会」を結成して清掃や植栽などの美化に努め、岩手県第1号の景観形成住民協定として認定されている。 市街地の西側。遠野駅西から川の南側を西に延び、国道283号遠野バイパス西口に至る市道の市街地部分という感じ。7年前に、遠野に行ったときに通ったので大体覚えています。伝承園などを見た後、阿部家住宅に写真だけ撮りにバイパスを通り西進、戻る際に綾織(バイパス西口)で橋を渡って市街地に戻りました。その時に通ったはずです。○宮城県栗原市 奥州街道(一般県道大門・有壁線) 有壁本陣は、松前、八戸、盛岡、一関の各藩主が参勤交代の際に、また幕府や各藩の重臣も宿泊や休憩をした。明治9年に天皇の東北巡幸でも後小休所とされた。 12日の日記にも書いたように、奥羽街道というより奥州街道と呼ぶ方がなじみが良い。現在の4号線からはすこし外れていますが、有壁宿がある栗原市萩野地区。○秋田県大仙市 羽州街道(主要地方道湯沢雄物川大曲線) 角間川は雄物川の船運で栄えた川港。仙北米が河口の土崎港まで運ばれ、逆に土崎港からは、京都の古着等が運び込まれた。当時の浜蔵が保存されている。 現在の13号線はやや東側を走っているが、当時はこっちが主街道だったのでしょう。○山形県上山市 羽州街道(市道楢下宿線) 羽州街道は福島で奥州街道と別れ、七ヶ宿を通り、上山市、新庄市、秋田市、弘前市などの城下町を経て青森市に至る。七ヶ宿から金山峠を越えて山形県に入って初めての本陣のある宿場町が楢下宿。青森、久保田、山形など13藩の参勤交代の宿駅として賑わい、現在も脇本陣4棟が保存。平成7年「歴史国道」に認定。 行ったことがあります。何ともさりげなく歴史の風情を感じる良いところ。山形側から上り金山峠を越える前にちょっと寄っただけなのですが、住んでいる人に、家見ていって良いよと言われ、確か大根をもらった。祖母も上機嫌。そのあと七ヶ宿では国道沿いにサルを見ました。 それから、12日の日記でも書きましたが、やっぱり羽州街道は米沢-赤湯ラインではなく、こっちなのですね。飯坂-七ヶ宿-金山峠-楢下ということでしょうか。何とも歴史を感じて良いです。○福島県南会津郡下郷町 下野街道(町道大内小屋前線) 下野(しもつけ)街道は、会津若松を起点に、会津藩領と南山御蔵入領を分ける大内峠、陸奥と下野の分水嶺山王峠(福島・栃木県境)、さらに幕府領と宇都宮藩領を分ける高原峠を越えて今市を結ぶ18宿の街道。別名南山通り、また会津西街道。明治17年現在の国道121号開通で衰退した。昭和56年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され脚光を浴びた。 言わずと知れた大内宿。2年前の秋11月初旬の連休、よく晴れた日に行きました。着くまでものすごい渋滞(2時間くらい)でした。ここは時間を忘れます。暗くなるまで居ました。堀の水の冷たさに子供も喜んでいた。また行きたい。
2005.10.14
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人種差別など人権侵害からの救済や予防を掲げる鳥取県人権侵害救済条例が昨日(12日)県議会で可決、成立した。都道府県が全般的な人権侵害救済を目的に独自の条例を制定するのは初めて。片山善博知事は「地方単位で人権擁護機関をつくった方が、きめ細かい的確な判断が下せる」としているが、行政サイドの判断で“加害者”の氏名を公表、社会的制裁を加える内容だけに、県弁護士会などは恣意(しい)的な運用を懸念。政府が先の通常国会で提出を目指したものの政党側から異論が噴出し断念した「人権擁護法案」の呼び水になるとの指摘も出ている。来年6月1日に施行され、2010年3月までの時限条例。人種差別や虐待、名誉や社会的信用を低下させるためのひぼう・中傷、セクハラなど8項目を禁止している。(以上、山形新聞社のHP、10月12日ニュースヘッドラインから。)さて、憲法上の論点はどうだろうか。(T県の条例について憲法上の論点を述べよ、という出題への答案のイメージ。内容は相当いい加減ですが、論点の所在だけ示したい趣旨です。)------------1 表現の自由(21条)に反して違憲でないか。 → 表現の自由は人権規定の中でも最も基本的、人格の自律に基づく自己実現、また民主主義の維持のために不可欠、よって厳格な審査基準によるべき。 → 本件条例を見るに、目的は正当、失われる利益も重要で、効果との関連性もあり(この辺全く忘れている)。 → 違憲とまでは言えない。2 報道機関を除外するなどの内容ではない(報道の検証、記者への調査も可能)が、報道の自由・取材の自由に反し違憲でないか。 → この自由は21条自体に文言はないが保障される。国民の知る権利に仕える意義が高いから。(たしか最高裁判例は尊重されるという程度のはず。)そして、合憲性審査基準は厳格たるべき。 → メディアによる人権侵害も問題であること踏まえるべき。また勧告や告発という手法にとどまるから、罰則をもって強制するとしても、メディアの表現内容を管理・誘導することにはならない。 → 違憲とまでは言えない。3 氏名・住所を公表する点で、プライバシーを侵害しないか。 → プライバシーの定義。明文ないが13条で保障される。人格的自律に必須なので尊重を要し厳格な審査基準が妥当。 → 公表にどれだけの効果があるかの疑問もあるが、社会的関心も高く、社会生活を営む以上氏名や住所という外形的情報を公表されることが重大や法的利益の侵害とは言えず(ちょっと強引か)、やむを得ない。4 以上の本条例の人権制約について法律で制約規定はないから、法律は制約をしないことを定めた趣旨とも解される。とすると、条例は法律の範囲内で制定するべきことから(94条)、本件条例は同条に反するのではないか。 → 法律と条例の規定の関係が問題となる。法律が規定を置かない場合、制約をしない趣旨であれば条例による規制はできないが、放置する趣旨であれば条例による独自の規制が可能。 → 本件の条例は法律が規定を置いていないので問題なし。5 適正手続(31条)の問題。行政手続にも保障されるか。→保障されるとした上で、反しない。6 以上から、本件の条例は憲法に反しないと解する。------------ 憲法の答案として書くと、どうしても違憲としたくなるので(!?)、論点の1、2、3、5のいずれかで違憲の方向に流したくなる衝動に駆られるが。 ここで言いたいのは、上記のような憲法上の論点があって、新聞の論調は特に2(報道・取材の自由)に懸念を示していると思われること。地方自治の観点(論点4)はどこも論じていないようだ。 今日(13日)の全国紙を見た。ごく端的に論調を整理すると、○読売 ・人権侵害の定義が曖昧で表現の自由などを侵すおそれ ・報道機関を適用除外しない(記述は中立的だが「見出し」にはこれを掲げている) ・行政機関は拒否できるため、行政が関与した人権侵害には対応できない懸念○朝日 ・批判(干渉しすぎ、表現の自由制約、報道機関除外せず)の中での条例成立 ・報道機関を適用除外せず、条文上公共性・真実性を考慮しないので批判記事も対象になるおそれ○産経 ・(弁護士会の反対声明を伝え、やや批判的。しかし報道の自由について言及なし)○毎日(これだけは昨日(12日)の記事) ・(解説を付けている。見出しは、「官に甘く民に厳しい」) ・人権侵害の定義があいまい、人権委員会の権限が強くなりすぎで、表現の自由を侵害する懸念。 ・行政に対する取材や権力監視活動を不当に制限するおそれ この条例に対する私の考え。 まず、人権救済という目的のため一定の手続を整備すること自体は一応問題がないと思う(一応というのは後で問題視するから)。とりあえず問題点は、次の3つ。(1)表現の自由の制約か。実際的に冷静に考えてみれば、そんなことはないと思う。(2)メディアの報道・取材の制限になるか。新聞はこの点を明に暗に強調するようだ。印象だが、(1)を大上段に掲げて報道しながら(2)の実益を得たいという感じか。しかし私自身はこれには冷淡に考えている。むしろメディアによる侵害も甚大な場合がある。 何も感情的に言っているのではない。私自身、自由主義と民主主義の双方からメディアの重要性と不干渉原則は重要だと思っている。A新聞やN放送のように仮にどんなにメディアが腐敗しても、不干渉を貫くべきだと考えている(特に新聞は)。彼らの利益ではなく国民のためだから。従って、立法論として報道機関を除外するということは当然ありうるとは考える。まあ、それが穏当かも知れないとも思う。 ただし、除外規定を置かないこの条例を前提にして考えて、除外規定がないことが本当にメディア規制になるのか、冷静に考えたい。報道の内容について是非を問う審議となった場合に、メディア側は堂々と反論すべきだし、して欲しい。取材の自由(報道倫理についてはここでは論じない)を守るとして黙秘するならすれば良い。条例で設置されるという人権侵害救済推進委員会の良識を期待するが、終局的には司法の判断で(メディア側からの損害賠償請求など)、制度運営が安定していくことも期待したい。 BROなどの制度も出来てきたが、多様な救済制度があることは悪いことではない。。 メディア側の本音は、こういう条例(さらには法律)によって、現場での取材が多少でもしにくくなることを懸念するのだろう。わからないではないが、憲法論の衣の中に忍ばせるのではなく、それはそれで正々堂々と議論して欲しい、とも思う。(3)行政機関を対象から除外していること。 現実論として、できれば除外しないで欲しかったと思う。マスコミもここを批判の着火点にしている。 おそらく、県警察本部長が反対し、また県議会議員からも本音が出たりしたのだと察するが、マスコミも対象にする以上は、(同列には論じ得ないが)救済の多様性や汎用性という意味で、行政機関も対象にすれば良かったと思う。 また、毎日新聞の解説が説明しているように、国の法案では「公人の疑惑が取り上げられている場合は公人本人が人権侵害だと申し立てることは出来ない」。これは、表現の自由とプライバシーの調整の観点から、公的事項については表現の自由にグッと重点を寄せるという、現代憲法論の一つの知恵である(刑法にも名誉毀損罪の違法性阻却が定められている)。条例ではこのような配慮もなく、公人からの救済もバンバンできる。この点はできれば規定上配慮してほしかった。県議会議員が、俺だって救済求めて何で悪いの、と本音を語ったのか。しかし、ここだけは、ちょっと私も憲法論を通したい。 ただそれでも違憲とまでは言えないと思う。 私は、是非導入せよと考えているのではない。法律論として違憲ではないというだけで、是非論として問われれば、救済の多様性という観点であった方は良いが、自由主義を重視したいので、強制力(罰則)まで設けるのはバランスを少し踏み越えたように思う。内容としても、ことさら行政を対象外にしたのは、稚拙だったと思う。素朴な必要論・意義論だけで突っ走ったように受け取るのだが、知事や議会は工夫を考えるべきだった。政治的判断としては、この内容ならば制定を避けるのが賢明だったと思う。 立法した以上、今後の運用と評価で、県議会の成熟度も問われると思う。 ここまで考えて来て、結局最後は、積極国家(管理国家と言っても良い)を是認するかどうか、という社会的合意の議論に行き着くのだと思う。表現の自由擁護をお題目で唱えるだけではなくて、権利を侵害される側に立ってどう考えるか。救済の多様性という社会国家的なサービスを選択するのか、それとも自由侵害の危険を重視してそんなのない方が良いと割り切るのか。 繁華街に監視カメラをおくことの是非、あるいは警察官を増やすことの是非、の議論と似ている。犯罪の予防・鎮圧を選択するか、それとも多少の犯罪は出るとしても自由主義をとるか。コストの議論もある。 監視カメラ置いたらそれで安心できるのか、犯罪減るのか、警察官減るのか、と言えば、そうでも無いと思うのだが。警察は「体感治安」という言葉を使うようだ。本当に体感に莫大なコスト払うことを、みんな賛成しているのだろうか。 親が、隣人が、友人が「おまえそんな悪いこと止めろよ」と言えればいいだけでないのか。言うべき親自身の価値観が揺らいでいるのか。だからコストも仕方ないのか。教育にも金をかけ、治安にも金をかけ、自由の維持にも金をかけ...どんな社会になって行くのだろう。 ちょっと局面は違うのだが、個人情報保護の行きすぎた風潮も根っこはどこか似ている。読売新聞は「異議あり匿名社会」という論陣を張っているが、基本的には賛同している。(新聞としては取材しにくくなるからという実利もあろう。)電話番号や顔写真を秘匿するのはわかるが、氏名まで秘匿し出すと、かえって社会生活が立ち行かなくなるし、無責任な言動を助長することにもなる。(あ、このブログ匿名ですみません。) 「人に名前教えてダメだよ」なんて馬鹿な親が増えて、「ちゃんと名前を名乗ってお話しなさいよ」と先生も指導できなくなるのか? ボクお利口さんだね、年いくつ? と聞いたら、「年齢は個人情報だから聞かないで。あとね、ボクというのも性別に関連するから、こっちから言わないよ。」なんて答が帰ってくる世の中になるのか。 子供も混乱する。大変だ。 最後は人間観や社会観の問題である。私は、制度づくりやコストに頼るのではなく、人の社会の持つ、自然で善良で健全な復元力に、もっと信頼しても良いのではないか、というように考えている。
2005.10.13
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今日(12日)の帰りに車中のラジオで聞きました。全国のコンビニ大手3社(711、ローソン、ファミマ)はいずれも売上げを伸ばしたが、これは店舗数増加によるもの。ドラッグストアや100円ショップに押されて、1店あたりの収益は落ちている、ということです。なるほど、庶民の経済感覚に合っていると思いました。私が大学生として仙台に移住したのは市電が廃止された数年後。まだ勾当台に141ビルもなく、道路も変則でした。仙台駅を降りると東北大飯店があったなあ... それはともかく、コンビニは、当時は確か全国大手は仙台には来ていなかったと思います。その代わりに地元のチェーンまたは独立店舗のコンビニがありました。(ちょっとアヤフヤな記憶なのですが)、チェーン店で「サンチェーン」、また「コスモス」というのもあったと思いますが、その後で「ニコマート」(緑のスペードのようなマーク?)になったように記憶していますが。仙台育ちの妻ですが、「コスモス」も「ニコマート」も知らないと言います。何でだろう。誰か教えていただけないでしょうか!前後はあやふやですが、他には「パンプキン」というのもあったはず。単独店か。米ヶ袋の角にあったように記憶。「サンクス」は少し後でしょうか。今の市内はサンクスが強いように思います。「セブンイレブン」は大学2年くらい時に初めて仙台に出店したと思います。破竹の勢いであっちこっちにできました。当時私は、八木山の独立コンビニ(1店だけ)で早朝バイトもしましたが(時給400円だったか)、そこだけは繁盛していませんでした。「ローソン」は社会人になってから、地下鉄開通の頃からだったと思います。「ファミリーマート」はもっと後、平成になってからでしょうか。昭和60年代、石巻市に2年間住んでいましたが、知る人ぞ知る「エイトテン」は確かにありましたね。でも住んでいるうちに、急速になくなって、大手に取って代わったように思います。ああ懐かしい。当時は、コンビニ、特に大手コンビニ店が廃業するなんて考えもしませんでしたが、今や仙台市内でもコンビニだった店が、オフィスに変わったり、入居者もなく空き店舗のままだったり。時代も変わるものです。いかにもセブンイレブンだったな、という「空き店舗」を結構見かけます。あの頃は、時代の先端だったのに、今となっては何となく懐かしくなるもので、不思議。地元系チェーンや単独店舗が懐かしいです。
2005.10.12
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東北各地の歴史ある「街道」について最近書いていますが(10月10日日記)、今日(12日)は仙台空港の1階到着ロビーで各県の最新の観光マップを入手しました。街道は地域に息づいた歴史を教えてくれます。町の結びつき、人の往来、物資の流れ、私たちの地域の「昔」を語ってくれます。観光はその土地を知ること。であれば、観光マップには当然「街道」を記載すべき...というのが勝手な持論です。ということで、入手した各県マップを勝手にランキングしました。もちろん、「街道」を記してあれば高評価。それでは独断のランキングです...第1位 秋田県(秋田県観光地図)。折りたたむと小さいマップだが、写真がきれい。地図も見応えアリ。ばっちり街道名を記載。隣県の部分にもちゃんと書いている。10日の日記では記載がなかったものとしては、矢島街道(横堀-本荘、国道108号線)、岩手県の釜石街道(盛岡-釜石、国道396号線)など。第2位 山形県(楽しいDriveMapやまがた地域版2005.7)。正確には山形市を中心とした村山地域のマップ。いかにもドライブ用という感じの見やすい地図。街道名も黒ゴチックでハッキリ。10日の日記ではなかったものとして、小滝街道(山形-小滝峠-長井)、舟形街道(舟形-合海)、西部街道(国道13号線と並行する大石田の県道)。宮城県部分では、二口街道(秋保街道)、また陸羽街道(国道4号線)にはカッコ書きで奥州街道と添えている。そういえば、この方が馴染みが良い。面白いのは、宮城県分の七ヶ宿街道がカッコ書きで「羽州街道」と添えられており、その羽州街道は七ヶ宿を過ぎると金山峠、楢下を経て上山で13号線に合流する。10日の日記では、羽州街道は13号線、つまり高畠-赤湯-中山の方だと思っていたが、こっちは「米沢街道」とされている。第3位~第5位集団 福島県(福島県観光マップ)。広い県土に併せて大型だが、観光スポット標記だけという感じで、平面的。街道名もない。ケバはあるが地勢があまり掴めない。イメージングができず、地図好きには物足りない。青森県(あおもり観光ガイドマップ)。福島よりは地図として面白い。街道名なし。岩手県(岩手観光案内図)。縦長でユニーク。写真や意匠を重視せず、イベントやスポットのデータを素直にまとめて好感。地図はちょっと平面的。街道名が欲しかった。第6位 宮城県。なんとマップを置いていない。東北の空の玄関口、仙台空港に置いてないとは。絶句。
2005.10.12
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5年に一度の国勢調査が今年行われている。仙台市の調査員1800人のうち81人が体調不良などを理由に調査途中で辞退しているという。また、仙台市青葉区担当の40代女性調査員が4世帯分の記入済み調査票を含む調査票25枚を、3日夜JR仙台駅トイレに置き忘れ、3日後に発見されたという(以上、10月7日付読売新聞、同日付け朝日新聞)。 国勢調査調査員は、国家公務員として任命されるのだそうだが(誰がどう指揮監督するの?市役所や区役所は市職員なのに?)、その苦労は相当のようだ。わが家の担当の方に聞くと1人40軒以上担当ということで、不在世帯の対応が大変という。町内会の役員で断れないのだ。世帯入居の多い団地はまだ良いかも知れないが、学生や単身者のアパートの多い地区など、昼には不在、夜なら面会拒否、なんて感じで大変だろうと察する。特に昨今は個人情報保護の意識が強まり(行き過ぎた風潮も懸念するが。)、何でこんなこと書くの、という批判も多かろう(わが妻も家内で早速文句言っていた)。 だから、辞退者が出るのはうなずける。ただ、81人という「組織的」脱退人数には驚く。仙台市側の人選手順や研修に手抜かりがあったのか。いや、多少はあったのだが今まで明らかにされなかった、ということなのではないか。 そう思っていたら、続々報道が出てきた。茨城県では調査員が調査票を焼いた、また郡山市では国政調査員を装った男に記入済み調査票をだまし取られたという(いずれも9日付河北新報)。茨城の事件は6日午前のこと、郡山の事件は3日のことで正規の調査員が回収に訪問した7日に判明したという。いずれも8日に両県が発表したという。法定受託事務だから県を通じて総務省統計局に相談しながら発表するのだろうと察するが、似たようなケースは相当あるのだろう。こんな事を考えてみた。ズバリ国勢調査は不要でないか。次のような大胆な仮説を立ててみた。これらが検証されれば国勢調査は不要、いやむしろ廃止すべき、ということになる。(1)国勢調査で行っている調査項目は他の既存調査でほぼ代替可能である。 (a) 基本である人口の動静は、住民基本台帳などで把握可能である。(b) 就業に関する情報(仕事の時間・内容・従業地など)は、労働実態調査などで相当に代替可能である。 (c) 世帯に関する情報(住居の種類・床面積など)は、建築行政上のデータで相当に代替可能である。(2)これに対し、過大な費用を要している(3)総務省統計局は各省の調査統計との調整は実質的に行っていない。(4)統計データ把握が目的ではなく、何かのために全戸調査という手法自体を残しておきたいという動機が真の意図である。(5)総務省統計局の委託先団体・会社はOB就職先であるなどの実態がある。 全く検証していないのだが、まず仮説(1)について。 宮城県のホームページで国勢調査についての説明を見てみた。 http://www.pref.miyagi.jp/toukei/census/census_01.htm必要性と使われ方について要約すると(要約は私の文責)次の通り。------------ 現状を正確に把握し、将来の展望に立って行政を行うためには、実態を表す客観的なデータは不可欠。特に人口は基礎的で重要で、各種計画策定に当たって人口の現状と将来予測が必要になるが、性別、年齢、配偶の関係、国籍をはじめ、社会・経済属性や日々の移動、又は社会移動も含めて把握する必要がある。国勢調査は、国内の人口、世帯、産業構造等の実態を明らかにし、必要情報を基礎資料として提供する役割を担う。これまで我が国人口は増加傾向から減少に向かう転換期にあることからも、実態を明らかにするためにも平成17年国勢調査は重要な意味を持つ。 利用方途は、(1)法律により国勢調査結果使用が定められているものとして、議員定数の決定、市や政令指定都市の設置、地方交付税の算定、都市計画の策定など。 (2)他に、(1)行政施策などへの利用(福祉政策のための高齢者や子供のいる世帯の統計)、(2)防災対策(人口の地域分布、人口密度、昼間人口や住宅の建て方、階数など)、(3)人口の将来推計(様々な行政施策に必要な将来の人口や世帯数の予測)。------------ 仮説(1)は、ある程度検証できそうな気がする。国勢調査の担当側は、「行政の基本」「指定統計第一号」「我が国の最も基本的な統計」などと言う。たしかにそうだろうし、あれば是非活用したいというのは当然。ただ、それは必要性ではない。人口動態、産業、雇用、教育など各種の統計資料が充実している今、どうなのだろうか。また、法律で定められているというのは、歴史的経緯もあろうが、立法で改めればいいだけ。 仮説(2)について。前回平成12年国勢調査の費用は、総務省統計局の資料を見たら、平成11年度から16年度まで通算で約780億円。うち中央政府分114億円、地方自治体委託分666億円。平成13年度以降は中央分だけ。分析などの経費らしい。なお調査員の苦労という社会的費用も無視できない。 仮説(3)(4)(5)は、関係者インタビューや資料精査しないとわからない。(4)は単なる想像。政治的動機ではなく純粋な行政上の目的もありうる。(5)について、一般的には利権や既得権益はイメージしにくいが(統計族なんてのも聞かない)、莫大な国家事業だから。 当分検証する時間はありませんが、政策分析の1つのテーマにはなると思う。先行研究があるだろうか。 ちょっと付け足し。 昨日(10日)付けの読売新聞を今(11日)見ていたら、国勢調査の見直しを求める会というのがあるそうです。http://www.ringo.sakura.ne.jp/~kokusei/ 主に個人情報保護の問題を中心にしているように拝見します。私自身は個人情報の点はあまり重視していないのですが、たしかに、自治会役員がやらざるを得ない実態、近所のオジサンに知られたくない意識などがあるのでしょう。調査の手法の旧態依然として自治体任せにしている総務省の意識が伺えます。本当に必要なら、調査票の使われ方など徹底して情報公開するとともに、調査手法も考えるべき。もちろんその前提として、国勢調査の必要性が客観的に示されなければ、納得も得られない。 この点は、文部科学省と学校現場の関係のような感じで、中央官庁と地方の意識のズレがあるように思います。
2005.10.11
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最近の地図では記載もされなくなってきた「街道」名。地域の交流の証として大事にしたいと思います。昨日(9日)や今日早朝の日記で一人勝手に盛り上がっているので、この際、昭文社の「東北総合都市地図」(昭和60年5月発行)で、各県地図に載っている「街道」名を片っ端から拾いました。子供が寝た9時半から始めて軽く約2時間。楽しい作業です。どんな人が何を運んだか、町と交流の歴史に思いを馳せながら。地図好きの真骨頂です。ああ、これは聞いたことある、なんでこんな名前なの、とか言いたいこと書きたいことは今日はグッと押さえて、以下に、名称だけ羅列します。機会をみて、東北の街道について調べて行こうと思います。場所を特定する便宜上、起終点と思われる町や現在の国道名などを記しますが、正確かどうかわかりません。そもそも地図に記載の方針もわかりません(国道名より街道名が通用しているものを中心に記載か。例えば国道何号でわかるものは記載していないのかも)。また由緒のない最近の通称もあるかも知れません。○基幹的と思われるもの(各県にまたがる)陸羽街道(4号線) 陸前浜街道(6号線) 越後街道(49号、安積?-新潟) 羽州街道(13号線、なお福島-米沢周辺では羽後街道と記載。秋田から7号線で青森へ) 東浜街道(石巻?-柳津-気仙沼-釜石-八戸、45号線。なお宮城・岩手では東浜街道、青森では浜街道と記載)○福島県茨城街道(水戸-白河-会津) 石川街道(安積-石川-棚倉) 御斉所街道(白河?-湯本) 岩城街道(安積-平) 都路街道(船引-都路-双葉) 富岡街道(福島-浪江or都路-富岡) 中村街道(福島-相馬) 沼田街道(若松?-金山-檜枝岐) 米沢街道(若松-米沢) ○山形県万世大路(福島-米沢) 八谷街道(会津?-米沢、福島の米沢街道と同じか) 小国街道(赤湯?-小国、113号線) 関山街道(山形-仙台、宮城の作並街道) 狐越街道(山形-荒砥or朝日町) 母袋街道(尾花沢-中新田?) 六十里越街道(山形-寒河江-鶴岡) 鶴岡街道(新庄-鶴岡) 加茂街道(鶴岡市内?)○秋田県平和街道(平鹿郡-和賀郡) 本荘街道(横手?-本荘) 酒田街道(秋田-酒田、7号線)、角館街道(大曲-角館-盛岡) 大覚野街道(角館?-大覚野峠-鷹巣?) 津軽街道(盛岡-鹿角-弘前、282号線) 五城目街道(秋田?-五城目-鷹巣) 大間越街道(五能線の秋田側通称?) 男鹿街道(能代-男鹿) 船川街道(秋田-船川(男鹿))○宮城県七ヶ宿街道(白石-高畠、113号線) 笹谷街道(仙台-笹谷-山形、286号線) 作並街道(仙台-関山-山形、関山街道) 石巻街道(仙台-松島-石巻、県道仙台松島線と45号線) 石巻別街道(仙台?-古川?-石巻) 中羽前街道(中新田-尾花沢、母袋街道) 北羽前街道(古川?-鳴子-新庄) 羽後街道(仙台-中新田-鳴子-雄勝) 一関街道(石巻-一関) 西郡街道(佐沼?-本吉、346号線) ○岩手県気仙沼街道(一関-気仙沼) 今泉街道(水沢?-高田、343号線?) 盛街道(黒沢尻?-盛(大船渡)) 高田街道(世田米?-高田) 遠野街道(盛岡?-大迫-遠野)) 新小本街道(340号線) 鹿角街道(福岡-荒屋(八幡平市)-鹿角) 中山街道(岩手町) 津軽街道(盛岡-鹿角-弘前、282号線) 秋田街道(盛岡-角館-秋田) 平和街道(黒沢尻-和賀-横手(平賀郡)) 九戸街道(国道395号?)○青森県久慈街道(八戸-久慈) 秋田街道(三戸-比内・大館方面) 十和田道(十和田市から十和田湖南岸経由で秋田方面、また黒石方面) 松前街道(青森-今別?) 小泊道(五所川原-小泊) 能代道(五能線)
2005.10.10
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昨日(9日)の日記のとおり鳴子峡に行きました。渓谷散策のあと、中山平に新しくできた「しんとろの湯」に入りました。源泉掛け流しで、ぬるぬるした独特の湯。最近めったに男湯に来ない娘達ですが、5歳の妹が父親の哀願に答えてくれました。身も心もあったまります。帰宅は5時頃。昨日は先人と地域に畏敬の念を抱くという素直なことを書きましたが、実はもう1つ思ったことがあります。それは、わが東北の地域構造について。そのキッカケはこんなことです。「しんとろの湯」の入り口に地図が貼ってあって、それが左(西)は庄内・日本海、右(東)は鳴子・古川・加美、そしてその下(南)に仙台市まで入っている。それ以外の紙面は観光情報的な記事だったように記憶しています。面白いと思ったのは、決して宮城県や山形県の全域は記載していない、つまり、「庄内~新庄~最上~鳴子~古川」の横断軸を強く意識した地図なのです。仙台を入れたのは誘客の起点だからでしょう。あるいは、現在の47号線は昔の「出羽仙台街道」らしいので、仙台を入れるのが正統なのかも知れません。おそらくこれら地域で構成する観光連絡協議会のようなところで作成されたのでしょうが、この地域軸が面白くて、「しんとろの湯」のお姉さん(お母さん?)にもらえないかと聞いたら、在庫ないんでネ、とアッサリ。現在の一般的な地図を広げると、県や市町村の行政区域をベースに、新幹線・在来の鉄道網、高速・国道などの道路網を幹として描いています。とすると、「縦の軸」が中心となり、また県の境は一見交流の障壁にもなっているようにも見えます。しかし、これに惑わされる場合も多いようです。若い頃先輩にはよく地図を逆さまに見ろと言われましたが、固定観念は時として有害です。しかしながら、どっこい経済は生き物で、これら基幹交通体系や行政区域にかかわらない多様な地域間交流があるはずです。「しんとろの湯」の地図はその表れでないか、と思いました。現在の行政区域前提で鉄道網・幹線道路網中心の地図では、こうした生活レベルの地域の結びつきがわからない場合も多いです。もっとも、新幹線や幹線道路が従来の地域構造ををどんどん代えているのも事実ですが。話は変わりますが、私の祖父は辛亥革命の年に生まれ(もちろん日本で)、21世紀の最初の年に亡くなりました。岩手県南部の土着農民ですが、若い自分に石巻の海産物関係の事業者にインターン(なんて言葉はないので、奉公か。)していたそうです。あまり聞いたことはないのですが。岩手県内陸部からすると、石巻は北上川河口の大都市、そして海産と交易で少年の仕事の場も数多くある活気ある港町だったはずで、行政と商業の町仙台とは異なった大きな地位があったのだろうと思います。実際、盛岡や釜石より石巻が近いし、また旧藩意識も多少あったのかもしません。同じ伊達藩ならば、と。なにせ、列藩同盟の遺恨から秋田人とは付き合うな、などとと言う祖父でしたから(正しくは、祖父がそういったのではなく、昔はそういう話があったなと話していた)。また、私が小学校低学年の頃まで、行李に魚の乾物をつめたお婆さんたちが、確か気仙沼や石巻からだと思いますが、地域に入って行商に回っていました。スーパーの発達で姿を消したのでしょうが、何でもこの方々は、去年回った家の子供達の名前や特徴を記憶しているスーパーウーマンだったそうです。観光地の郷土資料館などで、明治時代の村の若者がどこの町に出た、というのを見ると、昔の地域間の結びつきと交流はどうだったのか、なんて地図を思い起こしながらイメージを沸かします。これは結構楽しい。退職してヒマになったら、1ヶ月かけて東北の郷土資料館を全部回ってみたい、なんて夢もあります。宮城県の地図(「宮城のすがた」。統計データを記載し裏が全県図になっているもの。)を毎年なるべく買っているのですが、石巻街道、石巻別街道、一関街道、など地域の結びつきを示す通称が、昔は書いていたのに、最近は消されています。なんで消すの。寂しい。そういえば、悪評高い中江の踏切を通ると、改良した踏切にちゃんと「新石巻街道踏切」と書いてありますね。JRえらいぞ(それとも仙台市?)。念のため、仙台に出てきた若き自分が昭和50年代後半に買った昭文社の地図「仙台市」の裏の広域図を手元に広げると、「石巻街道」(利府街道)、「仙塩街道」(45号線)、「笹谷街道」(286号線)の言葉が見えます。ところが、平成5年頃の同じ昭文社の地図「仙台市」を確認したら、これら3つの語は消えています。残念!さらに、念のため秋田県の最近の観光地図(結構集めています!)を出してみましたが、「秋田街道」「角館街道」「平和街道」「羽州街道」「酒田街道」「本荘街道」「五城目街道」「大間街道」「鹿角街道」「十和田街道」「津軽街道」「船川街道」の記載があり、ベリグー。悔しいので目に入ったのは全部書きました。街道名というのは面白いです。江戸を中心に見て、また、経済力や政治力の強い側から見て弱い側の町の名前を付けますね(旧国鉄の路線名の付け方も似ている)。「しんとろの湯」の地図の話に戻りますが、中山の峠なんか越えてバンバン東西の交流があったでしょう。また石巻から相当スーパーウーマンも入ってきたはずです。あるいは、酒田からも来ていて、鳴子は期せずして日本海と太平洋の海の幸(乾物)が集まったのかも知れない、なんて考えると楽しいです。帰りに、鳴子から岩出山まで47号線を走りながら、試しに対向車のナンバーを見てみました。運転に支障のない範囲で。ざーっと、宮城が半数、山形と庄内が3割、あとは県外という感じです。連休の中日で東北を周遊する県外観光客も多かろうと思います。そういえば、鳴子峡では台湾の方と思われる若い女性客もいました。仙台空港と鳴子温泉を直結する路線バスが最近廃止されたそうですが、四季を通じて楽しみの多い鳴子の魅力は深いです。歴史のある「横の軸」をがっちり活かして、これからも魅力を発信して、どんどん交流人口を増やして欲しいです。
2005.10.10
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秋冷の候、鳴子峡に行きました。朝10時頃到着ですが、既に結構な人手。3連休の中日ということで、遠方から来ている方も多いようです。紅葉には早いですが、渓谷の散策は独特の良さがあります。子供達も喜んだようです。渓谷歩きは、初夏の「山寺~面白山」以来ですが、切り立った崖に何とか開削された歩道を歩いていると、どうしても思い浮かべることが2つ。1つは、この場で完全犯罪ができるだろうか、火曜サスペンス劇場ならどう描くだろうか。それはどうでもいいのですが、もう1つは、かくも狭いところにわざわざ道を開いた先人の苦労です。今回の鳴子峡では、途中の売店のある休憩広場の神社脇に石板がありました。読むと、つい80年前までは地元にさえほとんど知られていなかった。陸羽東線の開設工事に伴い大正6年頃に、渓谷美に見せられた故佐々木精一さんが遊歩道を提案するも、町議会では危険で途方もないと請願を否決する。佐々木さんは議員になるとともに自ら歩道を計画し、私財と浄財で、昭和2年、幅60センチの歩道を完成。この情熱に心を動かされて、議会で反対の急先鋒だった故高野善兵衛さんも協力に転じ、尿前の観音堂を不動滝付近に移し(この神社がそれだろう)、自ら探訪者の案内も買って出た。以来、天下の絶景、紅葉の名所として全国に知られ、年間数十万人の観光客を集めている、という内容です。現在我々が歩く道はコンクリートで補強したりして幅も広くなっているのだろうから、当初は狭かったのだろう。それにしても、世間に広く知らしめたいという信念に、地元に対する誇りと愛着が伺えるし、また当時の町の議論のようすも伺えて、大変興味深い。いや、興味深いなんて言い方は失礼で、地域のことを考え行動した人たちに、深い畏敬の感を抱くのです。渓谷だけではなく、土地改良、治水、農作物、交通など各方面で、どの地域にも先人の苦労があったはずです。私は数年前から、これらの話に接するたびに、美談として飾っておくだけではなく、その時代の人たちの考え方や生き方も含めて捉えたいと思うようになりました。モノによっては議論や喧嘩もあったでしょう、それも重要なはずです。考え方の背後にある生活の環境や条件があったはずです。それが当時の地域そのものだったのですから。時代的には、明治以降戦前までが中心ですが、具体的には祖父母やその父母、祖父母の時代と言うことになります。ちょっと別な視点なのですが、我々は戦前と戦後の断絶を強く意識するよう教育されてきました。特に岩手県で義務教育期を過ごした私は(岩教組はストまでやった)。貧農層ですから、わが先祖も歴史に受動的な一般的な東北の地域農家というぐらいにしか考えていませんでしたし、そもそも戦前はすべて暗黒時代で皆大変でした、はいそれまで、という感じです。極端に言えば。しかし、先人がどういう世の中にどう生きてきたのか。私も不惑を過ぎて、自分がどう生きるかと全く同じレベルで、このことを考えたくなりました。考えないのがおかしかった、と思うようになりました。岩教組の悪口をいいましたが、先生達は熱心に地元の先人の話をしてくれたように思います。でも受験勉強には全く関係ないし、なにしろいち早く田舎を出たい一心でしたから、あまり心に残っていませんが。最近、私の出生地に近い温泉に行ったら、ロビーに地元の人が書いた地域の先達の本があり、食い入るように読みました。著者も近所の人でよく知っています。ああ、みんな生きているんだな、と。また、他の観光地や図書館でも、機会があればこうした話を結構読みあさっています。私が目を向け始めたからなのでしょうが、最近こうした書物が多いように思われ、大変いいことだと思います。地域と歴史と先人とに畏れを抱いて、謙虚に学んでいきたいです。変な言い方ですが、政治理論を学ぶより、あるいは現代の浮ついた政治風潮なんかよりも、もっとどっしりとして生きた行政や政治の手本がそこにあるように思います。そして、わが地域を知る、大げさに言うと東北とは何かを知ることについて、少し前に進めるように思います。
2005.10.09
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みやぎ版住宅タウンプロジェクトと銘打った住宅の展示場が今日から開催されています。新聞で見たので、利府町菅谷台ニュータウンの展示場に行きました。全部で9棟、いずれも地元の工務店で県内の木材をふんだんに使ったものということで、大手ハウスメーカーのどんどんいらっしゃいスタイルとも違う、落ち着いた雰囲気でした。ところで、よく見ないとわからないのですが、管理棟(6畳ほどの小さなプレハブ)わきのフェンスに、「緊急経済産業再生戦略」の文字。今となってはもう懐かしい。浅野知事が、危機に瀕したわが宮城県の経済を再生するために、乾坤一擲(ワープロ変換だから書ける!)とか言いながら、先生や警察官の給料もカットしてやっているプロジェクトです。そういえば、教員の知人が自転車で見に来ていました。給料の使われ方をチェックに? 経済再生は大事だけれど、何もわざわざ公務員の給料をカットする姿勢を見せつけて、どっちを大事にしているのか訳のわからない政策でした。騒ぎ立てるより、黙って本当に地元の経済活性化を考えて行きたいと思うのだけど。財源論は別として、この事業は大変面白いとおもいます。地元工務店と宮城県の林産材にこだわっているからです。派手さの全くない営業ぶりも、かえって私はいいと思います。木のぬくもりを感じる家が新鮮で、妻子は全棟ゆっくり見て回っていました。ロフトにラダーで登るのが娘達には面白かったようです。途中で飽きた私は後半は外で待っていたほど。最後に管理棟でもらうプレゼントも、コメとみそ、それもパッケージされているのではなく、その場で升で分けてくれるような感じ。仙台放送の事業とされていますが、派手さのない雰囲気。もっとも派手にプレゼント乱発したら、公務員もやりきれない。事業が成功して、本当に地元住宅建設業界が活性化して、県産材利用促進につながって欲しいです。
2005.10.08
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宮城県知事選挙が昨日(6日)告示された。現職の浅野知事が支援する候補の第一声に際して、浅野知事は「宮城県民がつくってきた伝統文化を信じている」と強調したという。これに対し、自民推薦候補の応援に駆けつけた安倍晋三自民党幹事長代理は、「いままでやってきた人にいろいろ指示される県政であっては必ず停滞を招く」と語った(以上7日付け河北新報)。 私は、いわゆる「脱政党」論議について、本来の政策論議とはかけ離れた議論で、本気で客観的に民主主義かくあるべしと戦い合う議論であってはならないし、当の本人としても自慢したいのが本音だろう。より創造的な議論をするのならば、政党の御輿に乗らないことで他にできないどんな改革でどういう成果を出したのか、を冷静に評価すべきだ、という理解をしている(9月29日日記など参照)。 そこに、「県民文化を守れ」なる浅野発言の報道に接すると、氏には失礼だが、いよいよ馬脚を現したか、という感を強くする。「県民文化」とまで自分の実績を誇示するのは一政治家の動態として自由だと思うが、問題は、誇示するなら政策の実績を言って欲しいことである。12年間の県政の姿勢と成果をもとに、これを受け継ぐ候補だから支持する、と言う論法が通常の人間には理解されやすい。「脱政党の手法を受け継ぐから支持する」とか「政党主導に危機感があったから脱政党文化を守るべきだ」とかいうのは、極めてわかりにくい。私だけではないだろう。県民は「脱政党」に投票するのではないだろうから。 本音は、突然の不出馬発表のサプライズで脚光を浴びた後、「後継指名しない」と言いながらも後継選び場面で悠然と影響力を発揮できるかと思いきや、浅野詣でもなかったので寂しくなった、ということでないのか。 「民主主義」や「県民文化」などという気宇壮大な用語が、かえって底の浅さを露呈するように思えて、残念だ。政策や成果は、もうどこかにすっ飛んで、コトバにすればするほど、プライドと寂しさの渦巻く、意味不明で非生産的なタコツボに自分からヌッと入っていく感じ。 思えば、宮城県民はなぜ浅野県政を選択してきたのだろう。 1回目はゼネコン汚職の反動、3回目は不戦勝(共産党には失礼だが)。その間の1997年の2回目は、自民党と新進党の相乗り市川一朗候補にダブルスコアの圧勝。現職の強みと目立ちやすい個性もあっただろうが、決定的なのは既存政党の政策訴求力不足だったと思っている。そして、これが宮城県政史に残るトラウマとなり、3回目には自民党と民主党の擁立回避という大罪を招いてしまった。浅野知事から見れば「脱政党の県民文化」となるのだが。 今度こそ、政策論議による選挙であって欲しい。前政権の評価が争点になるのは当然だが、「脱政党」かどうか、そんなことはもうコリゴリだ。浅野県政の出力の評価という議論であって欲しい。(私の日記は、今回の宮城県知事選挙を含め、政治的主義主張に関して特定の政治的立場や候補者を支援または非難する趣旨ではありません。)
2005.10.07
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昨日の日記(10月5日)で、幼児英語教室のブームや小学校英語必須化論議について、私は早期英語教育導入には反対と記しました。趣旨は、賛成論は教育論としての是非ではなく、業界の煽り、教育の混乱からの逃避、などがまとわりついて、実体を見失った暴走した論議で危険でないか。冷静に何を子供に求めるか、そして犠牲にするものを考慮しているのか、よく考えるべきだ、と言う趣旨です。結論として例えば短時間の導入なら絶対反対とまで言いませんが、本質から離れたところで議論されて導入しても解決にならないのではないか、そんな議論をしているのは無益有害だ、本質で議論しましょう、と言いたかったつもりです。電車の中で改めて冷静に考えて、次のようなチェックシートを独自に発明!しました。文部科学省に提案してみようか?と思います。題して「あなたは本当に賛成?」。私の意図としては、チェックシートを進うちに、保護者の7割と言われる「小学校英語必修化」賛成派の大部分の人の、表層的な皮がはがれるのではないか、ということです。これに全部答えられた人が正統派の賛成派として残ります。そこで初めて、かみ合った教育論になります。------------「あなたは本当に賛成?」チェックシート(注意)この手順で進んで下さい。1 どの程度・内容の英語が必要と考えるのですか2 そのレベルとは普通教育に求める趣旨ですか、それとも特に自分の子供に備えたい能力という趣旨ですか3 そのために、現状の普通教育(中学校必修)の枠内での工夫(学習意欲喚起策、表現能力重視など)で改善することについて意見はどうですか4 なぜ小学校から(幼児から)始めるべきと考えるのですか5 小学校の他教科を削減しても優先させるべきと考えますか------------ ちょっと、誘導の意図が見え見えでしょうか。改善を考えます。
2005.10.06
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昨夜のこと、帰宅したら娘達が母親の指示で自分たちの物の片づけをしていました。リビングに、2人それぞれにディズニーのバケツ(幸町ジャスコでコカコーラ製の小さい缶ジュール類20本買ったら付いてきたやつ。というよりバケツ目当てに買いました。)を決めておき、遊んだあとはそこに入れておくようにしているのですが、その中身も雑然としてきたので、要らないものは捨てなさい、ということらしい。 小学3年生の姉は中から1枚のプリントを出して、これ何?と聞きます。見れば、Yellow Submarine の歌詞が英語で書いています。 夏休みに3日間くらいだけの英語体験イベントがあって、娘が行きました。英語といっても、本格的な教育ではなく、教育委員会のALTの先生がやっている、ちょっとした遊び的感覚のもののようです。その時は、帰ってきた娘が、英語のスペルの名札を自慢げに胸に付け、また、教えてもらった Yellow Submarine を歌っていました。もちろん英語は読めないしわからないのですが、子供なりに新しいことを教えてもらうのに興味があるのでしょう。紙にアルファベットで自分の名前を書いたりしていました。 昨夜は娘も、何このプリント?って感じですぐ思い出せなかったようですが、私が歌ってやったら、すぐ思い出して一緒に歌いながら、片づけをしました。ところで私はこれを歌うとどうしても金沢明子になってしまいます(イエローサブマリン音頭)。下の妹が、何て言っているの?、というので、「♪ぼくらが住んでる潜水か~ん。はぁ、黄色いよ。はぁ、潜水艦。」と歌ってやりました(どうしても金沢明子が入る)。すると、「え~、なんでセンスイカンに住んでるの?」。そこで、「黄色い潜水艦に色んな人がみんなで仲良く住んでいる、これは歌う人が地球のことを言いたかったんだよ」と適当に教える。ビートルズなんて、実は私もほとんど同時体験はしていないのだけど(兄の部屋にポスターがあったが)、この子供達にとってはそれこそ歴史の世界に属する文化になるのでしょう。 さて、今回の「英語教室」は体験メインなので、親としても許可?(というほど威厳はない。)しましたが、私は、度を過ぎた児童の「英語教室」通いには、もろてをあげて大反対です。同様に小学校の英語教育導入にも基本的には反対です。 しかし世論としては根強い導入論があるようです。文部科学省による平成16年6月の「小学校の英語教育に関する意識調査」では、小学校の英語必修化について、 ○ 保護者 そう思う 70.7% そう思わない 21.5% ○ 教員 36.6% 54.1% ○ (参考)校長 53.4% 42.1%保護者の賛成の理由は、「抵抗感が無くなる」など。教員の反対の理由は「他教科をしっかり学んで欲しい」がそれぞれトップ。意見対立の図式が明確です。 私が反対する理由は次の通りです。(1) 単語を言えるとか、英語で表現できるとか、CMにあるような英語教室の効用は否定しないし、習い事の1つとして良い。子供にとっては未知を知る興味があるだろう。この範囲でやる分には良いでしょう。現在行われているように、総合的学習での「英語活動」なども良いと思います。(2) しかし問題は2つあります。第1は「早く始めた方が良い。ウチの子も乗り遅れれては困る」という親心。これが業界の煽り風に乗って無用の英語教室通いを助長する。早めに興味を持たせたい。それはわかります。 しかし、日本語さえ覚束ない幼児・児童の段階での英語教育は、他に必要な教育内容の時間を奪い取るし、また混乱を与えてかえって有害でないかという気がします。さらに、度を過ぎると子供自身が忌避してしまい数年後の中等教育段階で英語を嫌ってしまう恐れすらあるように思います。大学に進む世代が英語を使えないというのは致命的である。この辺は杞憂かも知れませんが。 別な観点から。日本語や日本のことをよく知らないで国際人というのは貧相です。また、人間として素養や意見を持てることが先のはずで、子供のうちから英語を学ばせる時間があるのなら、こうした「普通の」教育にこそ時間かけるべきと思います。当の本人が困るのだから。 他言語学習の開始時期に関して「言語学習の臨界点」という議論があるようですが、不勉強。常識論として「早ければ早いほど」はわかりますが、現実的にいって、私は英語習得は高校からで十分でないかとさえ思っています。極言すれば、興味を持ってから、または必要性を感じてから自発的にやればいいとまで思いますが、けれどそれは語学だけでなく数学も歴史も学習一般言えることで、中等教育段階の学校教育の否定になってしまうから、そこまでは考えません。中学校から必修としていることは、国民の総意として英語が基本的に必要な素養だと一応認めているのであって、もちろんそれで良いです。 ただし、小学校から、となるとちょっと別でしょう。上記のとおり他に優先すべきものがあるから。 なお、早く始めると発音が良くなるから賛成、という意見も根強いようです(上記調査の保護者の賛成意見の第2の理由)。そうかもしれないが、だから何だというのだろう。よく理解できません。(3) 第2は、親が幻影を見ていることに気づかないことです。国際人として羽ばたく可能性は広げてやりたい、その場合現在の学校英語教育以外に教育を施すことが必要条件だ、と思っている風潮があるようですが、そうでしょうか。今の学校英語がダメで使えないと言う親は、自分が若かりし頃ろくに勉強しなかっただけのことでしょう。 さらにひどい場合ですが、今の学校教育に行き詰まりを感じて、これまでにないものとして「英語教育」「国際教育」に光を見てしまう親もいるようです。先日日本テレビの特番で、日本にあるインターナショナルスクール(日本人も受け入れる!)を紹介して、授業は英語(当たり前)、服装や化粧も自由で自立性育つ...なんて好意的に放送していました。冗談じゃない。日本の普通教育を放棄してまで、しかも教員の資格実証もされない所に行かせる親がいるなんて。親として理解できませんが、現実にそういう親がいるのは事実。本当に子供の将来設計に責任をもって他を犠牲にしても英語を優先する、あるいは移民する計画でもあるとか、スパイにするのなら(!)、それはそれで良いと理解できるが、大多数は違います。これは、英語教育礼賛を越えて、現在の教育の混乱ぶりが問われる深刻な課題です。(4) 更に国民的問題として捉えると、問題の本質に近づくように思われます。本当に日常的に必要だというのなら、小学校からやる必要もありましょう。リテラシーとして、ひらがなカタカナと同様だから。しかし国民各層に「日常生活は英語を使おう」あるいは「日本語と英語半分づつ使おう」などという合意なんて我が国では絶対にありえません。親が合意するはずがない。フィリピンやインドとは違う。普通の場合、大学生や社会人としてなら、読み書きができる程度で十分、より一般的には、日常生活に困らない最低限度とせいぜいタマの海外旅行やネット検索ぐらい、というのが実情でしょう。 だから、親の華やかな願望もわかるが、そもそもは「英語できたらいいな」「他の子に後れないで欲しいな」という親として当然の思いが、何かにせき立てられて、国際人という華やかな衣をまとって世間を通用しているだけなのです。「可能性」や「夢」と言いながら、その実、親の自己満足、自己安心というのが実体でないでしょうか。不安だから、とりあえずやっとけば安心する、という程度。 そう考えたときに、本当に現状の学校教育の枠でダメなのか。確かに英語力が国際的に低いと言われます。学校でも会話に力を入れるべきだと言われます。私個人は、ネイティブでない日本人の英語学習としては、やはり文法や読み書きが基本で、英会話・英作文はその応用という考えなのですが、この辺は英語の先生に聞くと、考え方がいろいろあるそうです。また、英会話自体よりも、コミュニケーション能力や自分の考えを持つという英語以前の問題も相当にあると思います。いずれにしても、こうした改善点は議論して進めて行くべきでしょう。問題は、「現在の学校教育体制で内容を改善すること」を検討もしないで、短絡的に「早くから教えれば解決する」と決めつける式の議論がまかり通っていることです。これは不思議です。「現状が本当にダメとは言えない」し、実際に「体制の改善でも対応できる」と思います。生徒のやる気の問題だってあります。さらに、「他の機会を奪う」デメリットを意識しなければ責任ある議論になりません。 他愛もない親の希望が、さもシリアスな国民的課題のようになって「英語を使える日本人教育の在り方」みたいに議論されているのは、大変危険だとも言えます。文部科学省は教育問題の本質をはずすのが得意だが、これもその一例でしょうか。できること、賛同されやすいことを導入して、教育改革しました、と見栄を張りたいのか。 こう言うと、子供の夢をつぶす冷たい議論のように聞こえるかも知れませんが、本当に外国語で勝負したいのなら、自分の将来像を確立できる高校生以降に頑張ればいい。文献の読み書きなら普通の高校英語の勉強プラスアルファで十分だし(勉強していないから問題なのだが)、もっと本格的に命をかけたいなら渡航してもよい。トロイ発掘の一心で、そこらの現地人を家に住まわせひたすら会話した、というシュリーマンの例もある。極論ですが。そう、言語はツールなのだ。何のツールなのか目的もわからずに学習に身が入るはずがありません。あえて言えば、要は自分の選択と優先順位の問題です。親の自己満足のために子供の時間と機会を無目的に潰したくありません。 ところで、習い事は上の娘に幾つかやらせていますが、そのうちピアノは唯一私の提案でやっています。先生に週1回来てもらっています。娘は、時折イヤだと言いながらも、何とか続いています。本当にイヤになったら、イヤとも言わず、親の顔見てやるようになるでしょうが、そこまで無理強いさせる気はありません。頑張ればできるようになるという自信と、音楽の楽しさ発見、そして自己表現を体得できればと思い、もう少し続けられればと思います。これだけは「親の自己満足」的な側面がありますが。 ピアノだけはと思っているのは、音楽のリテラシーだからです。和音を知り、両手を動かし、表現することを体得するためには、間違いなくピアノしかなく、ピアノはメソッドに従った能力開発が必要です(自説)。ヴァイオリンや管楽器では和音が出ないし、ギターは音域が狭い、電子オルガンは人間の地力を増幅しすぎて努力や達成感がない、などなど。子供の頃、縦笛に飽き足りて、鍵盤を紙に書いて1人で机上で練習したことがありますが、どうにもなりませんでした。運指もめちゃくちゃで、そろそろ娘に追い越されそう。 これは、ピアノが音楽のリテラシーなので、ある程度一方的に与える必要があると思ったからです。もっとも音楽をやらせる必然性自体はないから、そこは無理強いできません。 しかし、英語はどうでしょうか。日本人の英語力の低さに便乗して、賛成派は勝手に要求水準を引き上げていないか。英語=国際人=現状の学校の問題打破? 現在の学校教育の供給側に原因があると一方的に決めつけられ、さらに、改善することも考えずに、一足飛びに「早期に開始すればいいのだ」などという議論に流れている。それで親は、現体制が悪いのだからこれで大丈夫という安心感、また隣もやっているからウチも、的な安心感を得ている、ということだろう。そんな浮ついた保護者心理で、大事な教育論が左右されていいのだろうか。 導入するならするで、絶対反対ではないけれど、問題は早期英語教育論が、本質ではないところで増幅されている、そのこと自体なのだと思います。 仮に本当に実現した場合、彼ら賛成派に訪れるであろう混乱が、実は最も怖いのかも知れない。
2005.10.05
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大それたテーマです。浅野県政を検証するという朝日新聞の連載が始まったのは9月30日。第1回は、世論の後押しもあって身内の恥をさらけ出した「情報公開」を記事にしていた。今後の記事に関心を持っていたら、その後は、入札施設改革、脱施設、地方分権だった。 そして、今日(4日)の記事は第5回で「脱政党」。「脱政党」を検証するなら、現象面だけでなく、宮城の政治に、さらに民主主義や地方政治にとっての政党の意義などにも踏み込んで欲しかったが、残念。その横には昨日(3日)の浅野知事定例記者会見の記事があって、選挙戦の関与を否定していた浅野知事が一転して後継候補を指名したことについての説明が載っている。正直言って浅野知事の説明はよくわからないけど。「脱政党」を一貫する自身の姿勢に反するようにも感じる。しかし、そもそも浅野氏も民主主義哲学として「脱政党」を墨守するつもりでもなかろうから、後継指名だって何だって、一政治家の動静としてありうる選択である。それに対して、前言翻している、とか、院政ではないか、と批判するのもこれまた自由だが、生産的ではないというか、本質的ではない。(この辺は9月29日日記「「無党派」浅野知事のいう「脱政党」民主主義とは何だろう」に記しました。) 河北新報のインタビュー記事では、「県民が主役の選挙にならないから県民に選択肢を示す必要があった」旨の発言があるが、これは私見からはちょっと言いすぎ。というより、理論的に受け取るのではなくて、政治家の発言と受け取れば良いだけ。「政党にしがらみのないフリーハンドを得ることが重要だ」という発言もあるが、この方がわかりやすい。 そして、だとすれば、「フリーハンド」を得て、どのように「県民が主役の善政」を行って成果を出したかが問われるべきで、朝日新聞には、是非ここにつっこんで欲しかった。また浅野知事の主張からすれば、それならば「悪玉なる既存政党」をいかに改革できたか(本物の民主主義?)も成果が問われるべきだろうが、この点は、政治家の方便の域なので、本質的問題ではないというのが私見で(上記9月29日日記)、あまり気にしない。 今回の知事選挙も、政党だ脱政党だ、という歪んだ図式ではなく、わが宮城をどうするかのビジョンと政策で勝負してほしい。(そして、それを選挙時だけでなく常時的に住民意見を集約整理し的確に候補者擁立すべき集団は、やっぱり政党であるべき、というのが理想。)マスコミにもそういう視点を望みたい。 ところで、何と、朝日の連載はこれで終わってしまった。 私は、客観的に見て浅野県政の成果(良い面)は情報公開と財政改革と思っている。 情報公開は朝日連載も第1回であった。その情報公開。大きな成果であることは疑いない。いろいろ言いたいことがあるが、一言で言えば情報公開は民主政治と政治の信頼の必要条件である。そのことを実証したことは、パフォーマンスと揶揄されると否とにかかわらず、客観的に見て揺るぎない大きな成果だったと思っている。(私の検証第2回で取り上げます。) さて、浅野県政の一番の成果は実は財政改革だと思っている。朝日は正面から取り上げなかったが、第4回「地方分権」では、「予算陳情を嫌う浅野の影響で国の予算配分は厳しくなった。地方分権が確立すればこそだが、完全に確立していない現状では、浅野流は県財政に災いをもたらした」という論旨だ。かなり表層的で、とても「検証」とは言えないというのが感想。 スタイルがどう災いしたのか。そうではなくて予算編成で主体的に縮小してきたのが本質ではないか。他方で地方分権については、浅野知事が中央にモノを申したという実績は間違いなくあると思う。情報公開、入札制度改革、職員給料カット(?)などの実績も踏まえて、国に正当な批判を向けられるという、地方団体のガバナーの実力を示したと思う。改革派知事と称するに値する。国会議員が知事多選禁止法を作るなんて言い出したのも、政治的牽制(orやっかみ)である。 改革の内実の評価(特に県内での。)は客観的になされるべきだが、事実として、国に正当な批判を向けられる地方リーダーという従来にはないスタイルを示したことは、間違いなく大きな実績だ。個人的期待としては、もっと国や自治体の構造的浪費を具体的に指摘して三位一体改革の本質論(国と地方を通じた政府のムダ)について国民的議論を喚起して欲しかったが、それは今後の改革派知事たちに期待する。彼らが中央官僚出身というのも、率直にちょっとやるせないけれど。 そういえば朝日の検証記事は第4回「地方分権」で、「浅野は...と地方分権にこだわった」と紹介して、それは「予算陳情を嫌う」浅野の政治スタンスと結びついている、そして、それが上記の通り「災いをもたらした」と結んでいる。分権の真の意味や、それにどう貢献できたか(できなかったか、でも良い)、ぐらいは分析して評価を示してほしい。見聞きした事柄をつまんで感想を付け足す学生レポートと同列で、とても「検証」とは言えない。浅野政治の表層を振り返ってみました、という程度である。選挙前なので報道上の配慮があるのか。そんなわけではあるまい。(朝日さん、すみません。) 地方分権を地方から明瞭に声を上げた、という画期的な意義があったと私は思っているのだが、ちょっと話がそれるが、その意味では大阪市役所の歴代のリーダーは大罪ものだ。梶原拓さんも講演で言及していたが、全く同感。地方はカネを浪費するという財務省のキャンペーンの格好の象徴になりかねない。「週刊新潮」でも、国家公務員の高給与高待遇、それより手厚い地方公務員、という論調の記事で、やっぱり大阪市役所登場。スーツ支給されるが本当はあんなの要らないよ、ロッカーに何年も放置してますよ、なんて市職員の声も紹介して、読者の義憤を煽っている。職員や職員組合を悪とする声もあるが、何と言っても政治リーダーの資質の問題だ。 話を戻して、財政改革。 財政改革は、本当に真剣に将来の世代のことを考えて進めなければならない。どの政治家も課題に挙げるけれど、本気になっているかどうかは相当あやしい。地元に帰ればドブ板、選挙で世話になった筋にはお返しを、というのは政治の常。これも、大きな改革を成し遂げるのなら、小さな不効率は目をつむっても、という優れて実際的な「大人の」理解もありうるけれど(宮城県の警察報償費問題を想起する)、政治リーダーたるもの身の回りも潔くして初めて有権者の信頼を得て大きな課題にも真っ正面から向かうことができる、という面がある。私は、政治家その人が立派でなくても出力(パフォーマンスと言いたいのだが、その言葉が誤用されているので。)がよければいい、選挙は美人投票ではいけない、と思っている。極論すれば、犯罪者であっても出力を残せる政治家がすぐれている、と思っているのだけれど、ある程度政治家自身が廉潔でないと有権者の理解が伴わず、結果的に政治課題に取り組めないという事実も重要だ。 浅野知事はこれだった。政治的に意図したところもあるとは思うが、どちらかというと、特定の利害に腐心しないという廉潔な姿勢が、結果的に、歳入の構造的欠陥に対応する縮小基調の財政運営を可能にしたと考えている。言い換えれば、建設、農林水産などの圧力を気にしない、政治中立的な財政運営ができた。圧力を加える側も、この知事のいるうちは、と諦めた感もあるのだが。他県に比べると公共事業費は明らかに歴然と圧縮されている。 これは誇って良いことだと思う。公共事業の効果論や圧縮の是非はあるだろうけれど、それを言いたいのではなくて、政治を遮断して中立的に財政運営を行えたことを誇る、という趣旨で。 財政の論理優先だという批判もよく聞く。 確かにそうなのだが、問題は負担増を覚悟してでも支出を増やせるのか、ということだ。税収に見合ったサイズにまずは落として(これでも大きいという意見もあろう)、縮小基調の中で個別の支出の是非を考えていくというアプローチが最も合理的である。もちろん一律縮小の悪弊に陥らないよう、個別の吟味は必要だが、それにしても大局を見失ってはならない。むしろ、現実問題として縮小基調にある時こそ本当に不可欠なものと不必要なものとを見分ける議論ができるのである。貧すりゃ鈍す、とは逆。裕なればこそ鈍る。誰も痛みを強要する議論はしたくないから。実は不必要なことが互いに分かっていても。 そして、実はこのことは国家財政においてもっと真剣に考えなければならないことだ。交付税の制約と地方債発行の制限という手足を縛られた中で地方財政はあえいである(また言うが、だからこそ大阪市のリーダーは大罪)。見方を変えれば出口がないから呻吟しているのであって、赤字国債など逃げ口の容易な国家財政は、放漫である。官僚機構が止められないのなら政治の出番なのに、その時々の瞬間的政治的得点だけで、将来の世代の負担を考えない。短絡的に政治得点の取り合いで終始しないよう、安定した与党のもとに改革を進められるのではないか、という意味では小泉新体制にも期待はしている。道路特定財源の見直しを指示し、義務教育国庫負担金改革も事務次官に指示した、たというので、既得権益構造をどう「ぶっこわす」のか、その動向に期待したい。 そして、三位一体改革を着実に進めて欲しい。浅野知事は「地方財政自立改革」と称したそうだが、私は「国と地方の構造的ムダの徹底解消改革」と言いたい。ちょっと長いが。首相のリーダーシップと、有為な地方リーダーの声に、大いに期待する。(私の日記は、今回の宮城県知事選挙を含め、政治的主義主張に関して特定の政治的立場や候補者を支援する趣旨ではありません。)
2005.10.04
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帰りの車中(夜8時台)のNHKラジオで、江夏の21球の話をしていました。10分程度の短いドライブなので、前後はよく聞いていませんでしたが、ノーアウト満塁でブルペンで味方広島の投手がピッチング練習を始める。何だ、オレが投げているのに。こんな球団なんか辞めてやる、そのとき衣笠がマウンドに駆け寄って、「おれも辞めてやる」と江夏に行った、というシーンをクイズ形式でやっていました。 ああ懐かしい。物心ついたときから何故か近鉄ファンの私は、もちろんこのエピソードも知っていますが、いま、今春に買った「永久保存版大阪近鉄バファローズ伝説の野武士軍団DVDブック」を書棚から取り出して見ています。 この伝説に残る江夏の21球は79年11月4日です。高校2年生でした。近鉄が山口の活躍でリーグ初優勝、そして悲願の日本一に球団史上最も近づいた時だった。 初めてみたプロ野球も宮城球場の近鉄ロッテ戦。目の前で大石が走る、栗橋やデービスが打席に立つ。阿波野完封で1-0。感動しました。唯一の得点は、近年コーチ就任後に若くして亡くなった鈴木貴久のホームランでした。 その翌年88年はあの忘れもしない10.19です。貴重な近鉄ファンの職場の先輩と、もうダメっすね、などと言いながら飲んだ後、旭ヶ丘のアパートに帰ってTVつけたら何とまだやっている。もう9時半。そしてあと一歩でした。もう勝ちはないのに、最後の守備につく選手の姿が忘れられません。加藤、木下ときっちり締めました。私は「敗れざる敗者たち」という詩を勝手に作ったほどです。 書くとキリがないのですが、2点だけ書かせてもらいます。1つは、本塁憤死した佐藤純一。よく頑張った。もう1つは故障選手だったのに勝手にベンチ入りていた金村。最近出した本「在日魂」に裏話を書いていましたが、駅前の丸善で立ち読みして泣いてしまいました。 だから近鉄の流れをくむ新球団楽天が仙台に誕生したのも、個人的には大変嬉しい限りです。子供の頃は新聞とたまにNHKでしか見られなかったひいきの球団が、地元でいつでも見られるなんて。 がんばれ楽天。元近鉄の大島選手、ご苦労様。いい選手でした。ありがとう。(辛うじて「東北を考えるODAZUMAジャーナル」のテーマとさせていただきました。)
2005.10.03
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朝、恒例の町内会の朝掃除のあと帰宅して河北新報を見てびっくり。第1面の10月1日合併スタートの記事なのだが、東北の自治体の地図に新「横手市」があるではないか。きのうの記事を書く前にみた昨日(1日)付けの同新聞にはなかったはずなのに。そう思って、昨日の新聞を地下室(と呼んでいる部屋)から引っ張り出してみました。よく見ると、なるほど。4ページに「新自治体 市町村合併 10月前半」というデータ記事があるのですが、「横手市」が抜け落ちているのです。今日の紙面に訂正などのコメントはないようです。ハッキリ間違いとは言えないこの程度のものは訂正文を出さないのでしょう。また河北新報の誤字脱字ネタになってしまいました。詳しく言うと、「▽秋田県にかほ市(3万人)=仁賀保町、金浦町、象潟町」というように書いているのですが、横手の部分だけ、「同横手市=」が抜けて、「▽(10万7千人)=横手市、増田町、平賀町、雄物川町、大森町、十文字町、山内村、大雄村」となっています。河北新報は東北関係の新市町村名をゴシックにしているので、ちょうどゴシックの文字が脱落していたため、ナナメ読みしている私も気づかなかった、というわけです。よく見ない方が悪いのですが。横手といえば、秋田の県南の中心。かまくらと焼きそばのイメージですが、秋田自動車道の開通もあり、このような広域型合併は大変望ましいと思います。ちなみに、ネーミングも私の基準に照らして、はいOKです。
2005.10.02
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昼間のテレビを見ていたら、「土曜のてっぺん」という東北エリア番組でやくらい山麓の農家民宿をやっていました。その後、山形の話になったようですが、場所を説明するために画面上にでる市町村地図にちょっとびっくり。鶴岡市が異常に広くなっている。子供が全国番組の「田舎に泊まろう」にチャンネルを変えてしまったので、よく見ていません。保坂尚輝(希?)が高知県に行っていましたが、似たような番組で我が東北より全国を選ぶとは。残念。でも高知県のも面白かったですが。新聞を見れば、まさに今日(1日)に合併して新鶴岡市がスタートです。人口14万4千人で、人口だけでは県内第2でしょうか。酒田市には2度ほど行ったことがあります。1回目に行ったのは20年近くも前ですが、なぜか明快に町の構造が頭に入っていて、3年前に家族で行った2度目には自動車で町を回るのが楽でした。鶴岡はまだ行ったことがありません。鳴子、新庄と国道を西進して、途中で酒田と鶴岡と二者択一になる、というイメージが頭にあるのですが、地図を見てみたら今は山形自動車道が鶴岡から酒田に至るので、鶴岡も行きやすいようです。由緒ある町で名所も多いですから、是非行きたいです。藤沢周平さんの蝉しぐれも話題ですから。ところで、10月スタートの新自治体。わが宮城県では南三陸町。ほかに東北では、遠野市。秋田のにかほ市。仁賀保は、個人的には漢字のママでいいのに、と思うのですが。長い歴史で見れが一瞬に過ぎない政治的配慮を優先するのでしょう。けれども、地域や個性を大事にしているので、機能的または象徴的なネーミングよりはずっとマシです。○○中央市、というのが四国にありました。先に誕生した一関市も、東北中央市でなくて良かったです。もっとも、中身の方は東北の中央という意気込みでやって欲しいですが。というわけで、実は南三陸町というネーミングもあまり好きではありません。南アルプス市みたい。しかし、三陸という呼び方が定着していて、海の豊かさや風光明媚を表すために、ちょっと大きいですが借用したと言うことで、一応納得しています。東松島というのもあるし。
2005.10.01
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