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最近、産経新聞や河北新報で報道されています。第9回になりますが、今年も盛岡で開催されるそうです。発足時にニュースで知ってはいましたが、もう9年になるということで、継続しているということは関係者の熱意の表れで、改めて感心しています。 発足時に感心したのは、ミステリーというテーマ設定のおもしろさ、文化・産業・地域振興などに裾野の広い映画を取り上げること、そして盛岡で開催すること、という点でした。在住作家の高橋克彦さんが当初から関わっていたと思います。是非今後も続けていって、盛岡や東北の力にしていって欲しいです。 私の勝手な想像だけでは意味がないので、映画祭や波及効果の実態などについて今後調べて整理したいと思います。この映画祭を思い出したついでに、2つのことを考えました。第1に、「みちのく」というコトバ。 岩手では「みちのくプロレス」もありますが、東北を自称する時に、誇りと愛着を持った言葉として通用しているようです。さらに青森には「みちのく銀行」がありますね。福島や山形ではどうなのでしょうか。 わが仙台・宮城県ではあまり使われません。川崎町に「国営みちのく杜の湖畔公園」という随分練りに練ったようなネーミングがありますが、国から見るとやっぱり東北は「みちのく」なのでしょう。ジャイアンツの東北での主催試合も「みちのくシリーズ」でした。しかし、どうも仙台の人はこの名を忌避しているように感じます。田舎と言われるのがいやだ、実は青森や岩手と一緒にして欲しくない、というプライドがあるのでしょう。 岩手県の水沢で、堂々と蝦夷の首領アテルイを名前にした物産センターを見かけたことがあります。水沢の合併後の市名は「奥州市」だそうです。仙台ではとても考えられません。 仙台では「みちのく」のかわりに「カニ政宗」です。仙台の人は近代の英雄伊達政宗は愛でるのですが、多賀城や平泉などそれ以前の歴史にはあまり関心が無く、まして征伐された側の蝦夷には冷たいように思います。 コトバだからどうでも良いという意見もあるでしょうが、道の奥、奥の細道、草深き田舎ということ、そしてそこに実在して祖先の歴史に大いに誇りをもって、独立不羈、ひがみと反骨心をもって一致団結?できるネーミングとして、「みちのく」。私は最も相応しいコトバだと思っています。 ちなみに、東北を総称するコトバとしては、東北大学の開学精神に出てくる「北斗七星」も良いですね。最近では、7県の8新聞社の協議会でも使っているようです(プラウ何とか)。不動の北極星を指し示す羅針盤という素晴らしい説明が付くのですが、ちょっとキレイ過ぎというか具象的過ぎで、やっぱり和語で広がりがあり歴史と情感のからみついた「みちのく」が落ち着きます。第2に、「ミステリー」について。 東北にはミステリーがあふれています。縄文人の土偶は宇宙人。義経はジンギスカン(小金沢さんの演歌「義経伝説」の一節「♪ジンギスカ~ンはぁ~、義経かぁ~」が妙に頭に残っています。ちなみに2番は「♪白馬に乗ぉ~ったぁ~、義経かぁ~」だったと。氷川きよしに歌わせてヒットチャートに乗って欲しい)。戸来村がヘブライでキリストの墓があるとか、ピラミッドがあるとか、東北にはいろいろありますね。座敷童子も。子供の頃、祖母が死んだ際に来た恐山のイタコさんを大変不思議に思ったものです。 民俗学ネタや、超常現象も興味があります。ただし、心霊写真やオカルト色が強いものは関心外。FBI超能力捜査官には多少関心有り。ちなみに「世界はこうしてダマサレタ」のようなテレビは必ず見ています。なお、全然違うのですが、最近「まさかのミステリー」を娘たちや妻と真相を予想しながら見ています。 学生時代か社会人になってすぐの頃かに、「仙台周辺ミステリー」という文庫本を読んだことがありました。短編集ですが、結構おもしろかったです。大事に持っていたはずですが、何度かの引っ越しで現在書棚を探しても、見つかりません。地域をテーマに編纂するという視点もおもしろいです。東北各地の名所旧跡を舞台にミステリー作品なんて、読みたくてワクワクします。高橋克彦さんに岩手を舞台にした短編がいつくかありますが、小説で地域を知るということにもなります。 この際、みちのくミステリー雑誌と銘打って、フィクションからノンフィクションまで、歴史も空想も、何でも盛り込んだ月刊誌などあれば、絶対売れるのでないか、と勝手に思います。その時は、角田の天才、大槻義彦先生にも検証の立場で是非加わって欲しいですね。 そんなことを空想しながらネットを見ていたら、「みちのくミステリーゾーン」なるページを発見しました。 http://www.north-tohoku.gr.jp/myn_kodawari/これは、北東北3県の観光立県推進協議会のHPでした。やはり、「みちのく」にしても「ミステリー」にしても北東北の方が意識が強いようです。
2005.09.30
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午後に車で走っていると対向車がパッシングしたように思いました。夕陽を背に走っていたので、単に日差しがライトハウスに反射したのかも知れないと思いながらも、何とはなしにスピードを緩めていますと、案の定警察官のスピード測定をやっていました。例によってパイプ椅子に座って。20年も前のこと、11キロオーバーで止められたことを思い出しました。このときは説諭で終わり、減点も反則金も無しでしたが。このパッシング合図というマナー(?)に関連して、1ヶ月ほど前にラジオで聞いた「間違ったマナー」の話。皆さん(誰のこと?)わかりますか。1 交差点で止まったらライトを消す これは×です。都心部でバッテリー消耗を防ぐということで始まったらしいですが、歩行者に気づかせるという照明の効用をなくしてしまうので。2 夜間常にフォグランプをつける これも×です。これは全く同意。よく見かけます。感覚としては3割か4割はつけている。機能をわかっていないんじゃないの、という感じですね。また、不要にまぶしくて危険だとも思います。最後に、ラジオで言っていたことではないのですが、2つ。3 夜のライト点灯時間が皆さん遅すぎます。4 横断歩道に歩行者がいたら停車しましょう特に4です。宮城県警察本部の前の信号のない横断歩道を渡ろうとしたときに、プップッと鳴らして過ぎていく車(タクシーだったかも)がいました。これが仙台のマナーといわれないようにしたいですね。
2005.09.29
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今週月曜の宮城県知事定例記者会見で、浅野知事は自民の候補選びに関して、政党主導の選考作業を批判したという。昨日(27日)付け朝日新聞県内版の見出しを引用すれば、「脱「脱政党」に知事苦言」。自らの選挙は「選挙に勝っただけでなく県民の地力が注がれた」とのこと。同じく毎日新聞記事によれば、「県民が主役になるには政党がじゃまと思ってよけてもらった。おれがいつの間にか全国で常識となったのは歴史的事実だ」とのこと。産経新聞記事では、「黙ってみこしに乗る選挙だと、みこしは選挙が終わっても崩れない。それはあまりよくない。政党がダメというのではないが、県民一人ひとりが主役になる選挙を内外に見せつけるにはハッキリいって邪魔になった」とのこと。 浅野知事の選挙観が伺えて興味深い。自画自賛とも言えるが、選挙の必勝法を私が開発したのだという自負心があるのだろう。現実に結果はそうだと思うし、それはそれでいい。 どうしてもわからないのは、地方の首長選では政党政治は邪道である、という理解を前提にしていること。 無党派、脱政党で勝ちました、というのは良いけれど、脱政党が普遍的に正しい、とまで言い切っていると思われること(少なくとも地方の首長選では。国政や、地方議会は別かも知れないが)が、とても気になっている。 そこで、こだわって考えてみたい。 かつて浅野知事は、「本物の民主主義を宮城から」というようなスローガンを掲げたように思うが(新年挨拶か何かで言ったのが報道になったものと記憶)、このときも私は相当びっくりした。もし「本物の民主主義」が「脱政党首長選挙」なる政治過程を指しているとすれば(多分そうなのだろう)、私は大変混乱してしまう。 というのは、一応、政党による民意集約と政策形成によって民主政治がダイナミックに動くことを理想ないし到達点として思い描いている(描きたい)からだ。書生論といわれるかも知れないが。 現代の議会制民主政治の運営において政党は有益であり不可欠であると、一般には考えられている。憲法学の議論だが、トリーペルの4段階論で言えば、第3段階の「承認・合法化」にあるか、最終段階の「憲法的編入」にちょっと踏み出しかけた段階というのが、憲法解釈上の了解事項だ。実定法上は国政選挙における比例代表法の導入や政党助成法が成立しており、また憲法上も、政党を直接根拠づける規定はないものの、単に集会結社の自由の一環というに留まらず、国会議員は全国民を代表するとの趣旨から、政党の存在を積極的に予定していると解されている。 また、政治学的にみても、資源配分や国家の重要意思決定をめぐる意見集約の過程で、政党や利益集団は必然的に重要な役割を果たしている。またこうした現象面で捉えられているだけでなく、現代民主政治を評価する上で1つの理想とされるポリアーキー民主制(昔に習った政治学者ロバート・ダールの提唱)でも、政党を含む集団の自立的形成が1つの必須条件とされている。 浅野知事の「脱政党」普遍化論は、理論的にこれらの政党の機能を否定することになる。しかし、そうなるとどのような民主政治の制度なり運営を描いているのだろうか。 第一に、制度の面すなわち憲法レベルの議論。上記のように全国民を代表する代表民主制の思想に立脚する憲法は、国民と議会を媒介するものとして政党を必然的に招来する。政党を否定すると、全国民を代表する代表民主制をどう実現するのか、という問題が出てしまう。選挙を有権者による命令的委任の手段と理解して、ルソー流の直接民主主義に近づけて解釈する立場(東北大出身の樋口陽一さんの立場。人民主権論)からは、それでもいいのかも知れない。しかし有権者の意思を反映しつつも独自に国家的利益から行動する代表者を想定していると一般には理解されている。また人民主権論的な発想は、重要政策決定の都度に国民投票を代替する意味で選挙をする、とでもなるのだろうが、非現実的だし、政治エリート(言葉はともかく)による統一的で継続的な政策形成・実行は現実として必要で、いちいち国民の意思を求めていられない。 第二に、運営の面すなわち政治(学)レベルの議論。政治過程に役割を果たす政党や各種の利益集団が民意を歪めているのではないか、との点について指摘や検討することは、もちろん重要である。しかし、政治過程は意見の集約・排斥の過程だし、人間が社会的動物である以上、なんらかの政治的組織集団の離合集散は不可避である。政党以外にも、いわゆる政治団体、さらには業界団体、労働団体、各種圧力団体などを含めて考えれば、いずれにしてもなんらかの政治的組織集団がない政治というのは考えられない。 なお、これらの議論は主に国政について妥当する議論だが、地方政治はある程度別とは言える。統一的意思形成の必要性が国よりは薄いから、住民自治をある程度優先することが許されるので、憲法や地方自治法でも一定の直接民主制が採用されている。また首長は直接選挙によるから、政党民主主義は議会に妥当すればよく、首長は別に考えて良い、という論法もあり得るかも知れない(議会と首長の関係を「是々非々」という発想もこれに近いかも)。特に市町村を考えると、極論すれば議会は不要で直接選挙の首長だけいればいい、政党も不要、という気も多少はする。 あれこれ理論的なことを整理してみたが、浅野知事がこのような理論的ことがらを整理して発言しているのではないと思う。ちゃんと調べれば何かにハッキリと書いているのかも知れず、そうだとすれば私の不勉強だが。 おそらく浅野知事も、概念や理論としての政党の必要性有用性や政党を中心とした民主政治までも、すべて否定のではないのだろう。理論的に考えて言っているのではなかろう。 現に存在する政党が、民意をストレートに吸い上げていないよ、という皮肉に、ご自身の輝かしい戦歴に基づく自負心が加速して、自分が改革の先陣を切った、民主主義の新しい(そして正しい!)モデルを作った、と大きな表現になってしまったのではないだろうか。つまり、ちょっと言い過ぎましたね、ということ。 更に言えば、宮城県の現在の瞬間的政治状況をふまえて、知事選や引退後に一定の影響力を残すため、自民党の候補選びを牽制する意味で、あえて「脱政党」浅野の威光を誇示したという面もあるかも知れない。 言葉尻をつかまえてケチをつけるために書いているのではないから、その先の、より本質的なことに進む。 現に存在する政党が歪んでいるという理解は、政党なり政治家が既得権益で骨がらみになっている現代日本の政治システムの病理(一例を言えば、道路建設は止まらない)を突いていると考えれば、大変正しいと思う。そして、これを前提にすれば、確かに「脱政党」を公言できるほどの政治家にこそ、真の改革の期待が持てると言える。 他方で、今後は政党の内側からも改革の動きがわき起こり、政策論議重視の政党運営がなされていくと思う(期待)。とすれば、「脱政党=政党ダメ前提」の思想も、次第に「健全な政党民主主義」に収れんしていくと思う。(と期待する、というべきか)。そして、政党政治と連動した形で首長選挙が行われ、議会との関係も与党野党という関係で(是々非々でなく)進むことが、健全な地方政治だと私は考えている。 さて、いずれにしても、「脱政党」という実体のないパワーに怯えて、既成政党が候補者を立てられないというわが県の政党の実態については、今のところ、強く嘆くしかない。
2005.09.29
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最終戦ソフトバンクに惜敗。子供達を寝かせながら枕元の非常用ラジオで音を絞って聞きました。今季が本当に終わりましたね。下の娘は、また応援に行きたい、と。来年だよ。 さて、前回に新聞・雑誌の関係記事の整理をしました。その続きです。球団の収支や経済効果をふまえてちょっと提言したいこともあるのですけれど、整理した上で次回に。------------【9月28日付河北新報記事】「楽天球団初年度見通し5千万円黒字」。当初は15億円の赤字を見込んでいた。島田社長が27日仙台市内での宮城ドーム建設協議会(同日に解散を決定)で明らかに。入場料が好調で50から70億円の超過。フルキャストスタジアム宮城の管理運営権を与えられてフルスタ事業収入を球団に入れる仕組みも貢献。他方でチーム成績不振で出来高払い契約選手の年俸も減る。プロ野球界では一部人気球団を除き年間20から30億円の赤字が現状で、球団単体で初年度黒字を実現する見通しの楽天の運営手法は関心集めそう。ただ、来年と再来年は、10億円を越える選手補強や第二期改修工事(30億円)などで、10億円前後の赤字を見込み、08年度から黒字基調の経営を目指す。【同上】来秋にフルスタの第3期改修工事を行う。当初は今年10月からの第2期工事(約30億円)で現行2万席から2万3千席にする計画だったが、07年のオールスターゲーム開催が決まったことを受け、更に増設する方針を決定。
2005.09.28
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我が家の台所に最近鎮座しているのが【写真】のコレ。快適上手ブランドですが、これは東北が誇る(!)流通大手企業ホーマックのオリジナルブランドのようです。品名:台所用合成洗剤。オレンジオイル配合、フレッシュコンパクト、油汚れに強い、除菌、手にやさしい植物原料使用、ということです。300mlサイズです。70円くらいでしょうか。食器洗い機を使うので、大きな鍋や弁当箱を洗ったり、テーブルの汚れをサッパリと落とす場合などに、この「フレッシュコンパクト」君が活躍します。洗剤としての性能は特に問題がないと思うのですが、困るのは、フタの部分です。この製品は、フタを手で開ける方式です。具体的に言うと、胴体を手のひらと4本指で包みながら、親指で押し上げることによって開けることを想定しているようです。ただ、ちょっと締まりがきついので、私は親指と人差し指(または中指)の2本の指でつまんで開けています。この場合必然的に左手で胴体を支えるので、両手が必要になります。問題なのは、ふたの周辺はどうしても洗剤が付着してしまうので、手に洗剤がついてしまうことです。洗う前はいいのですが、洗った後もフタを閉めることになるのでどうしても手に洗剤がつきます。やがて胴体も洗剤が付着してしまって、次に手に胴体を取るときに何とも嫌な感じになってしまいます。そのため、私は最後にこのフレッシュコンパクト君をフタを閉めた状態で丸ごと水道水で洗い流します。貴重な水道水を無駄にしていることになります。おそらく製品の設計の意図は、洗剤の出口穴をフタで覆うことで、使用後に指に洗剤も付着しない清潔さを保とうということでしょう。しかし洗剤を出すときにどうしても出口穴の周囲の、フタで覆われない部分にまで液体が付着してしまうようです。使い方が悪いのかもしれませんが。ちなみに妻に聞いてみると、あまり気にしないとのこと。フタを閉めて使っていると言っていますが、よくフタが開いているのも見かけます。他の商品では、液体出口がポップアップ式(というのかな)になっているものも多いですが、その場合は私も開けたままにしておきます。フタよりも、液体が出過ぎるのが問題だ、というのが妻の意見。詰め替え用も売っているが、今度は買わないそうです。いずれにしても容器の問題ということになります。ということで、気になるフレッシュコンパクト君でした。
2005.09.28
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26日仙台市議会の決算審査特別委員会で、仙台市企画局は、市営の公認競技場は必要と認識しているが財政上の問題で当面は宮城陸上競技場を活用するのが望ましい、との見解を示したとのことです(27日河北新報記事)。 前にも書きましたが、この問題に改めて一言。 今ある施設を無くされては困るというのは、単純にわかる話。しかし、宮城県は方針として県の拠点的陸上競技場は利府に建設したのだから、それを前提とした議論として進めなければならないと思います。つまり、県に2つの陸上競技場が必要なのか、を県民全体の利便の視点、県財政の視点、陸上競技者の視点、などから議論すべきことということです。(サブトラックとメイントラックと問題が混同していますが、県はメイントラックもいずれは廃止するとし、仙台市もこれを前提に動いていると思われるので、本稿ではメイントラックも視野に入れています。) まず、県民の視点です。県北部の人たちや、仙台市でも泉区や岩切の人たちは、かえって利府の方が便利が良いと言えます。距離だけで言えば、県南部の人たちも仙台市と一緒に廃止反対というべきですが、声は聞きません。たしかにグランディ21は岩切駅や利府駅から歩いては行けないという欠点がありますが、現実問題として生徒や父兄がバスや車で移動するとすれば、駐車場を確保できる方が良いとも言えます。さらには、陸上以外の競技(体育館、プール、テニスなど)と同時開催する場合や、合宿所があること(総合性)も考慮すべきです。 次に、県財政の視点です。そもそも県に2つの拠点的競技場は必要だとは言えないでしょうから、先生や警察官の給料もカットする事態を考えれば、ハッキリ言って宮城陸上競技場は廃止するのが、合理的です。 最後に、競技者にとってはどうなのでしょうか。生徒にとってもグランディの方がおそらく良いのではないか。施設の規模や芝の具合などを考えれば、グランディの方が喜ばれるのではないか。この辺、専門でないのですが。良い環境で好記録をめざし集中することこそ一番大事でないでしょうか。 なお、県自身が方針をどれだけ説明する努力を払ったかの点も、もちろん重要な問題になると思います。そもそも利府町に建設する際に、仙台市をはじめ各界各層に十分な理解を得たか、という問題は重要です。また、仙台市と県の連絡不十分とかいう点も指摘されます。これももちろん重要です。 ただし、(サブ)トラック問題をちゃんと解決しようと言う目で考えたときに、問題の所在地はそこではないのです。県の耳を傾けない姿勢が原因だと言っても、そうした姿勢が事実だとしても、この問題の解決になりません。なぜなら、ともかくも県の出している方針の内容そのものに直結した話だからです。 従って、ハッキリ言って議論がかみ合わないのです。少々悪く言いますが、反射的利益にしがみつく構図でしかないのです。いま現にある施設がなくなるのは困る、というだけの議論なら、シンプルな話で皆そうだそうだ、というけれど、そんな問題ではないのです。市民としても、競技場が仙台市にも独自に有り続けることの必要性、言い換えればグランディではどうしてもダメな理由、市が別に作るか或いは県から譲受する場合の財政見通し、などの議論を欲しているのではないでしょうか。 こう考えてくると、やはり仙台市は、せっかく今ある施設を廃止されたくない、ということに尽きるのだと思います。そして、仙台市域内に公認競技場がない、もちろん市設置では持っていない、という事情もあって、何としても残して欲しいという雰囲気になっているのでしょう。かといって本質的議論を正面から展開するまでには、財政見通しなどを含めて市民に説明できるほどの整理はできていないのでしょう。市民が困るという心情論でシンプルに何とか引き留めたい、その金がかかる議論は避けたい、議論されても困る、というのが本音ではないでしょうか。 それはそれで恥ずかしい話ではありません。引き留めに成功すれば、市の財政は痛まないのですから、戦略としては上策と言えなくもありません。 ただ、それだけで進めても、解決しないのです。一時は楽天球団の拡張工事の建築許可申請の不受理というカードを切りましたが、かえって市民の反対を浴びました。これは戦略上失敗でした(前に書きました)。 仙台市として管理権を受けることを視野に入れていると言う報道もありました。仙台市としても無いものねだりではなく具体的に提案する用意がある、という構えを見せたのでしょう。ならばどれだけの経費を覚悟しているのか。協議すれば県は有償譲渡を言うでしょう。そのような具体的な説明も市民にとって必要です。さらには、貨物駅も含めた仙台市としての宮城野原全体の構想をどう考えているのか、市民には全くわかりません。更に言えば、市民も県民ですから、県財政に無関心ではいられず訳はなく、この意味でも本質の議論は不可避なのです。 無くなっては困る、県に要望しています、だけの議論は行政として極めて無責任ではないか、と思っています。本質的議論にどこまで仙台市が切り込むつもりがあるのか、市議会でも、市自身の問題と捉えてまっとうな議論があって欲しいと思います。
2005.09.27
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本拠地最終戦も終わり、田尾監督解任で心も揺れていますが、ここで、楽天イーグルスがわが仙台・宮城に及ぼす経済効果について整理してみます。 今回は情報整理。新聞や雑誌からの情報を以下に簡単に整理しました。まとめは私の文責です。ちょっと長いですが。これを踏まえての分析や私なりの提言は次回以降にいたします。------------【5月5日産経新聞】「楽天想定内?」。楽天が日本プロ野球組織に提出した収支計画では、初年度は収入45億円、支出60億円の15億円赤字。ところが、12億円見込んだ広告収入は22億円に達した。21億円と試算した入場料収入も好調で、年間シートは平均単価17万5千円で4千席が目標に対し、開幕前の実売で「21万円、5200席」と年間入場料収入の半分以上を確保。主催試合平均観客数(年間シート含む)を1万5千人に設定したが、厳冬もあり1万2千人(同)で、何とか達成できそう。唯一苦戦しているのは10億円を見こんだテレビ放映権収入。本拠地開幕戦の宮城県内視聴率24.2%など関心は高いが、地元ローカル局の対応が鈍く目標の8割程度。理由は平日ナイター枠。ゴールデンタイム枠はキー局が全国放送を条件にスポンサー契約している番組が多く、宮城だけ楽天戦にできないようだ。ファンクラブ会員は開幕前に初年度目標の3万人を突破、開幕後も一日50人から100人が入会し、4万人の大台も見える。最大の課題はチーム成績の低迷。戦力充実に支出を控えたツケ。------------【6月26日河北新報】仙台商工会議所と仙台市が5月に実施した、仙台市中心部商店街の歩行者通行量調査の結果(速報)。楽天対阪神のデーゲームが行われた5月29日(日曜日)は、仙台駅前地区(主要5地点)の通行量は前年対比24.6%増加。中央通りも5年ぶりにプラスで、楽天効果浮き彫り。地点別では、東西自由通路が55.1%増で第1位に。------------【8月19日日本経済新聞】。経営諮問委員会のあとの三木谷オーナーらの会見。早くも来期のビジネス展開に思いを巡らせているようだ。来季は少なくとも勝率5割。当初は初年度15億円の赤字を見こんだが、大幅に減らせる。収支トントンというところ。ただ、今季終了後に10億円以上かけて選手補強するから、金額によっては赤字。インターネット配信や携帯配信を初めたが、今年は実験の域を出ず、来季は力入れて収益に貢献させたい。選手の肖像権ビジネスも来年以降の課題。本業への効果としては、仮想商店街出店者数が全国47%増に対して宮城県内221%増、また楽天証券の出資するファンドに出資受けたりと、効果大きい。------------【8月19日朝日新聞】上記を受けて、アイリスオーヤマ、七十七銀行、東北電力などで構成するドーム球場建設協議会(大山会長)は、来月に凍結を正式に決定へ。------------【「仙台経済界」2005年、9-10月号、p.114以下】前半戦は1試合当たり平均1万4千人、入場単価平均2,646円、飲食やグッズの購入単価平均4,735円、という。------------【9月21日河北新報】基準地価調査結果の報道。東北の住宅地と商業地を通して唯一上昇したのが、商業地の宮城野区榴岡三丁目(ホテル東横イン)でプラス1.0%、197千円/m2。フルスタ宮城に近いことから、分譲マンションやホテル用地の需要が増大し、楽天効果がハッキリ出た。------------【9月25日毎日新聞】楽天効果の県試算経済効果は162億円。シーズン終了直前に楽天効果を検証。(1)人の流れ(上記6月26日河北新報記事参照)。駅の東口が増加に対して西側の一番町通りはほぼ横ばい。(2)ホテル。市内で8つのビジネスホテル経営する松月産業の声。球場まで徒歩10分のホテルは試合日はほぼ満杯、宿泊客は前年比4割増の勢い。家族連れや東北他県の修学旅行客中心。急遽40台駐車場増築。8つのホテル全体では1割アップ、駅から遠いほど楽天効果薄い。(3)交通。駅東口とフルスタを結ぶワンコイン(100円)シャトルバスが好調、1試合平均3200人運ぶ。市交通局などと共同運行している富士交通は、この路線だけで4月から700万円を売り上げ。(4)繁華街。国分町は予想ほどは客来ない。ナイター終了時刻遅すぎ、球場内で飲食してしまう、などの声。強く要請して実現した、定禅寺通りとフルスタ間のシャトルバスは1試合平均170人程度にとどまり、富士交通社長は来シーズン撤退を明言。一方、宮城野大通りは球場と往来する徒歩のファン1万人であふれるが金は落とさない。飲食ビルや屋台通り構想など来季に向けた動きも。 なお球団の収支について。フルスタでは1試合平均1万4572人が訪れた。球団目標の1万6千人には及ばないが、振るわない後半戦の割にはよく入ったとの見方。島田社長によると、単価の高い年間シート売れ行きが予想以上のため、動員数が目標下回っても、チケット収入は高水準。グッズ販売もカラスコ人気などで好調。6月中間決算は、事業売上げ高33億5千万円、営業利益9億8千万円。------------ まずは情報整理、以上です。
2005.09.26
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テレビ応援、5-2と逆転した時点で、岩隈が踏ん張ると判断、子供達をつれて床屋さんに行きました。その後、上の娘の学校用品を買うため、ホーマックに行ったところ、陳列されたテレビで、何と5-5、しかもロッテの小坂がバントの構え。4時15分頃。やばい。ラジオを聞きながら、急いで帰宅。どうも盤石のリレーのため投入したピッチャー吉田が裏目だったらしい。すでに4人目渡辺に代わっている。福盛にスイッチしてフォアボール出したところで、帰宅し、テレビ応援に切り替えました。福盛打たれ、5-9。 8回裏は、盛り上がりましたね。礒部の長打、そして、予感がしていましたよ、ロペスの2ラン。東北放送はちょうどロペスのホームランがレフトスタンドに突き刺さったところで終了、skyAに切り替えました。ロペス、よかったぞ。何か今日は一発の予感がありました。 追上げムードが、9回表に突き放されて、小林が出てゲームセット。 しかし、skyAはその後のセレモニーも放映してくれました。スタンドの「田尾」コールがすごかった。「やめないで」のプラカードも。今朝の新聞記事の影響は間違いないのでしょうが、とにもかくにも東北が待望した新球団を急遽率いて盛り上げてくれた功績は大きいです。コールを受けて、目が充血していました。 こうしてフルスタ宮城の楽天のシーズンは終わりました。思えば、4月1日の礒部の先頭打者ホームラン、思い切りすばらしい本拠地開幕でした。この1年、球場には3回しか行きませんでしたが(私の応援は2勝1敗という好成績)、帰宅途上でラジオを聞きながら、あっこれからでも球場に行こうか、などと言える、それがフランチャイズの贅沢だと気づきました。 がんばれ、イーグルス、そして田尾監督。来季もワクワクする試合を頼む。
2005.09.25
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今日の河北新報朝刊1面の記事は交替の方向と。首脳陣からの情報で、本拠地最終戦の今日にぶつけて記事にした感じ。解説もないから、とりあえず情報をもとに、地元紙のプライドをかけてのスクープでしょうか。でもちょっとわからないですね。選手起用や采配にどう問題があったのか。たしかに最下位は結果としてそうとしても。まあ、田尾監督にどうしてこだわるつもりもないのですが。ただ、野村とか森とか広岡とかビッグネームを言われても、すぐには、ちょっと気持ちの切り替えができませんね。
2005.09.25
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今日(24日)午前に仙台市の勾当台公園で開催の宮城バスまつりに。いつものメンバー、娘2人とお父さん。木曜日帰りのバス車中のチラシで知ったもの。わたあめと風船もらえるよ、の誘いに子供は大喜び。単純で素直なのだが、最近はお父さんに合わせてくれているのかも、と感じたり。早速電車とバスで会場へ。到着は10時40分頃。バスチケットなどの抽選整理券は午前の部は終わり、またバス体験乗車も12時台以降になるというので、あきらめ。小雨もパラついているし。そこで、わたあめ、風船、それに着ぐるみのお猿さんと写真、ループルバスに乗車(乗るだけ)して、足早に帰りました。バスで仙台駅に戻り、駅の地下でつまみ食いを少々しました。昔の仙石線ホーム入り口にあたる場所が野菜や果物売り場になっていますが、その一角に宇都宮餃子のお兄さんがいます。私もたまに帰りに試食でもらうのですが、結構うまい。今日は家族3人でいただきました。そのあと地下改札までの一直線、漬け物、お菓子、かまぼこ、と試食の長旅です。12時の電車で帰宅。駅には楽天のユニホームのサポーターも目につきました。本当は今日は行きたかった。でもチケット買えないのですよね。そこで、家でテレビ応援、おおいいぞ、一場の球が走っている。誤測定のような154kmという表示。子供のマンガのチャンネルと取り合いながら、なんとか応援。やった8-1で一場今季2勝目。明日は岩隈で、本拠地有終の美を、お願いしますよ。
2005.09.24
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祝日23日、われらがグランディ21の恒例イベント。今年も当然、朝9時半に行きました。去年乗れなかった馬に、今回は真っ先に乗って我が子大喜び。妹は馬車に。 【写真】は馬にのる人と、遠景は宮城スタジアムのスクリーンです。涼しい秋晴れの朝の風景。宮スタ周囲の芝や通路の雰囲気がいいですね。馬は総合プールのすぐ上(南側)の宮スタとの間の部分でしたが、結構列を作っていました。 その後、円形広場に回って、かき氷、おもちゃ。おもちゃは町内会の出店。ごくろうさまです。 今回は、宮城スタジアムの中に入ってみました。まずはワールドカップ記念展示室。あるのは知っていましたが初めて入りました。宮スタ初戦のエクアドルとメキシコのサポーターの異様な盛り上がり(スタジアム周囲に家族で見物に行った)、雨の決勝トーナメント日本対トルコ戦、アズーリの滞在など、あの時の熱気が甦ります。子供が食べきれないかき氷を持ち込んで、ヤバいと思ったのですが、案の定床にこぼしてしまって、すみませんでした。 その後、エレベータで4階へ。ボランティアの方が案内してくれます。VIP用の貴賓室と特別席。国体では皇族が使用された。エレベータも本来はそれ専用ということです。壁に触らないでね、と言われながら、見て回る。 いったん1階に戻って、今度は別の大きなエレベータで6階の展望ラウンジへ。ビルで言うと9階か10階の高さだそうです。40から45メートルくらいか。フローリングとガラス張りの展望窓。スタジアムの席越しに利府の住宅地が広がります。仙台空港祭りでもらった双眼鏡を活用。ここでジュースを飲みました。 実は平成13年6月に、ワールドカップの1年前イベントで、宮スタの中を見せてくれるスタジアム探検ツアーがあって、当時4歳の娘と一緒に来たことがありました。6階の展望ラウンジもそれ以来。 宮スタを出て、玉こんにゃくを買い、ミニ新幹線に乗りました。去年は確か方形にぐるっと回るようにレールを敷いていましたが、今年は直線で往復の方式。さては宝塚線のカーブ事故の影響か。少し雨もパラついたせいか昨年ほど並んでいませんでした。JR関係者の皆さんありがとうございました。 というわけで、12時になったので、総合プールまで戻って、ケヤッキーと握手、ジュース買い。帰宅。ちなみに出費はちょうど千円でした。 来客数はどうだったろうか。午後は伸びたかな。宮城県とスポーツ振興財団の方々、グランディ21ボランティア、町内会やJRや関係者の人たちの協力で手作りのイベント。ピッチではサッカー教室、プールではダイビングの実演など、競技施設ならではのイベントも開催され、PRに向けた関係者の方々の苦心を感じます。ありがとう。派手さはないが、いいイベントです。これからも盛り上げましょう。 宮城が世界に誇る!グランディと宮スタをこれからも大いにPRしましょう。
2005.09.24
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自民党が知事選の候補者を公募(正式には「情報収集」とか)、10人が自薦他薦で名乗り出たという。現職浅野知事の四戦不出馬表明を受けて、それまでは桜井充参院議員(民主党)を担ぐ方向でいたのが、主戦論が台頭。旅行会社の役員とやらを本命に調整したが固辞され、何故かしら新旧幹事長も名乗り出て、どうもしばらく混沌状態が続きそうだ。 浅野知事の三期にわたって野党に甘んじた自民党が、労せずして手にした知事与党のチャンスか。私の政治的支持とは全く別の話として、県政の活性化のため自民には頑張って欲しいと思っている。 頑張って欲しい、のだけれど、何となく限界も見えてきた。やっぱり宮城の自民党はこんな程度か、という感じがしてならない。ため息。 思えば、01年浅野三選の際の自民の立候補見送りは、責任政党(よく分からない言葉だが)として許されない醜態だった。知事のパフォーマンスにお株を奪われた悔しさも手伝って、県議会の論戦も徹底的に知事をいじめるだけ。二元代表制だ、俺たちは知事と同格だ、と精一杯強がりを言って、議員提案条例の数は全国随一などと自慢しているが、候補者も出せずに、真に県政の根っこの議論をどれだけしたのか、何の成果があるのか。(なお浅野県政の政策や手法について色々ありますが、改めて整理します。) だいたい、浅野氏が不出馬を表明してから動いていること自体が、おかしい。4年間何をしていたのか。一応、不出馬表明以前に桜井擁立という戦略をもっていたことは評価したいが、本来は、浅野県政の検証と県民に示せる党のハッキリした政策(マニフェストとまで格好付ける必要などない。)が全く見えていなかった。桜井擁立論もせいぜい政治的な風と雰囲気だけだろう。浅野県政に対峙する以上、4年前から候補を募集するなら募集して、県民に選択肢を示すべきだ。そうでなければ、何が責任政党なものか。 もっとも、自民党の弁護のために少々言えば、自治体の場合は国政と異なり政党同士が正面から政策代替案を競うという対立になりにくい面はあると思う。議会の立法による政策決定の余地の少なさと知事の権限の絶大さのため、政党が擁立するというより、候補者個人の資質に政党が賛同するというのが実態だという面はある。 しかし、それにしても候補者を立てないのでは、とにかく話にならない。その点共産党や系列団体は正々堂々戦ったから、まずは最低限の務めは果たした。立派。 よく、浅野氏は脱政党、無党派層に浸透し選挙に強いという言い方がされる。 それはそうだが(浅野氏の政治手法と政策については後日整理したいと思います)、自民党がだらしないから浅野氏が3回も圧勝したという面が、間違いなくある。情報公開以外見るべき成果がない、と評するのなら、だったら浅野の何がどう誤っている、我々は何でどう成果を出すのか県民に示すべき。それがないからこそ県民は浅野に投票せざるを得ない。決して情報公開やパフォーマンスにだけ投票しているのではない、と私は思う。自民が明確な政策を示せば、県民はちゃんと見る。3回もムードだけで投票しない。 浅野二期目97年選挙の市川一朗のときは、これが決定的に弱かった。しっかりした県政を回復しよう、本流の政治に戻そう、なんて感じで、あとは組織頼みの選挙だった。この時は新進党も一緒になってだらしなかった。それで大差で負けた。県民は浅野に幻影を見て政党を捨てたのではない、自民党や新進党の現実を見て、当然にもNOと判断したのだ。 浅野知事を攻めれば攻めるだけ、自民の底の浅さが県民には見えるのだ。それは、攻め方が表面だけだから。結局のところ浅野氏が巧みに用意したスコープでしか動けず、どこまで行っても浅野氏が何枚も上手だ。強がりだけの多数政党にパフォーマンスを笑う資格は毛頭ない。孫悟空が何とか大王の手の中で宇宙飛行したと自慢している図式と異ならない。 ドンと政策で勝負せよ。それしかないのだ。ところがそれがさっぱり聞こえない。人材も出てこない。 総選挙圧勝と浅野不出馬表明で自民はチャンス到来と思ってしまっているようだが、皮肉なことに、その慢心のゆえに、だらしない正体が今そのまんま露呈しているのだ。何年か前に危機感を持ってCMを作った。今はそんな緊張感もなかろう。ちなみに、当時の幹事長はじめ有力な県議が国政に転じたり浪人中だね。県会議員に残っている顔ぶれを見ると、寂しい。元幹事長さんが、それなら俺も、というのも、その意味でわかる。 誰も投票しませんよ。何度も言うが、浅野さんが出なければ勝つ、今度は勝てる、というのはウソ。自民が(民主党も同じだが)だらしないから投票されないだけ。浅野さんが出ても出なくても同じです、残念。せいぜい、情けない同士になればどちらか勝つというだけ。 本当に県と県民の将来を考えているのならば、候補者と政策という形で、具体的に県民に示して欲しい。時間はないのだ。今にいたって、勝てそうだから俺も、など言っている状況では、やっぱり望み薄か。 責任政党とやら?の真価が問われる。 今日(23日)付けの河北新報朝刊県内面では、脱政党NOの県民意思を前提に、主戦論(主体的に候補擁立)か和戦論(有力候補に相乗り)か、苦悩している、という市川県連会長の苦悩が報道されている。 何度も言うが、それは違う。 県民は、「脱政党」「情報公開」「ムード」に投票したのではない。「非自民」に投票したのでもない。自民党(もちろん民主党も)がだらしないから何もできなかっただけ。県民は良い県を求めている。「浅野は何もしていない」と対立するのは、全くもって正しい。正々堂々と「ではどうするか」を(それなりの)候補者に具体化して県民に示せ。それだけだ。 この連休中に、候補者具体名のアドバルーン記事がでるかな。 今日の日記は渾身。まっとうな政党によるダイナミックな民主主義政治を願う者としては、市川県連会長に是非読んで欲しい!?
2005.09.23
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養老孟司さんの文章に書いていました。冠詞は西欧語には勿論あるが、実は日本語にも実質的にはある。助詞がその機能を果たしており、「昔むかしお爺さんとお婆さんがいました。お爺さんは山へ芝刈りに...」という場合に最初の「(お爺さん)が」は不定冠詞、次の「(お爺さん)は」は定冠詞なのだ。不定冠詞と定冠詞によって、概念的なるものと、個別的で感覚的に把握すべきものとを意識的に分けることができる。冠詞や助詞がない中国は、概念世界と感覚世界の区別がない。例えば日本(人)に対する観念も一括りにしてきた。10億以上の人がいながら硬直的画一的思考で、今まで人のせいにしてきた。極論すれば中国や日本の区別だってどうでもいい。未来の中国の最大の問題は環境で、日中が足並みをそろえるべきだ。という論旨です(多少私が色づけして要約)。昨日帰りの電車で読んだ中央公論10月号p.166-。 言語がスピーカーの思考や文化を規定するという事には興味があります。逆に、民族の生活や文化が言語に反映しているという説明もあるでしょう(稲作にかんする語彙の多様性とか)。この関係は切っても切れないものだと思います。 さて、中国語と言えば「対日新思考」「小日本」「新浪網」しか知らない私です。また、中国の文化社会を論じるにはもとより勉強不足。しかし、1つ言えると思うことがありますので、それを記します。 養老さんがいう「定冠詞」の文化、すなわち個別的で感覚的な理解という意味では、私は中国からの留学生をはじめとした訪日者が、日本と日本人のありのままを直接感じ取ってもらうことが一番重要だと思います。 ことに我が仙台は従来から留学生数が多いです。データを見ますと、宮城県内の留学生は約1850人(平成16年度)、うち中国約1000人。全国では11万7千人(過去最高)、うち中国は3分の2の7万8千人で前年から1割も増加。都道府県別では、宮城県の1800人台は、首都圏1都4県、愛知県、関西2府1県、広島県、福岡県、大分県に次ぐ。大分は立命館APUの影響だろう。 なお、宮城県の留学生の構成比は、中国54%、韓国15%で、全国と比較すると中国人の割合は少なめと言えます。東北大学(1000人以上)が、他のアジアアフリカ諸国や欧米諸国からも広く受け入れているためでしょう。いずれにしても中国から多数の留学生が仙台に来ているわけです。 この方々が、仙台で学び、「定冠詞」レベルで仙台を知り日本を知り日本人を知ることは、計り知れない財産です。双方にとって。 できればグランディ21の活用方法をアジアレベルで考えられたら... ま、それはいいとして。 これからも国際交流のまち仙台であってほしいです。
2005.09.22
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先の総選挙(9月11日投票)は小泉自民党の歴史的圧勝。選挙の前後からモヤモヤと思っていたことがありました。その後に接した新聞や雑誌もふまえて、それを整理してみます。 まず、その頃モヤモヤした事とは、次のようなこと。(1)小泉劇場と言われた数々の変人的振る舞い、具体的には、予想外の解散、公認はずし、さらには刺客の送出、など。政治の常道に反するとか、ワンマンは民主主義に反するとか、色々な批判があるが、私はそれはどうでも良いことだと思おうと努めていた。政治手法が良い悪いという問題は、国会議員同士の怨念のもとになったり、劇場としての面白みがあったり、政治過程分析の対象になったりするとしても、それはそれだけの話で、民主制における国民に対する意味では政治の出力(政治学的に言えばいかように資源の再配分を行ったか)こそが重要であって、それこそが国民の評価・審判の対象となるべきものである。象徴的に言えば、変人でも何でもいい、選良は国民にとって良い政治をすればいい、国民も政治の出力を評価・審判すべき。政治手法の立派さに投票するべきものでない。 敢えて言えば(あまり上手い表現でないが)、政治の内と外と分けたときに、「内」の事情をもって劇場化したり、「内」をもって有権者を引きつける具にしたり、選挙民も「内」をみて喜ぶようなのは、本来「外」で評価・審判さるるべき民主制にとって、不健全である、ということ。悪しきポピュリズム。(2)しかしながら、この「内」自体が、マスコミの増幅もあってか国民の関心を呼び投票率が上昇、小泉の「内」としての政治手法が拍手喝采を浴び、自民の圧勝をもたらした(と評されている)。本日(9月21日)付読売新聞の世論調査でも、内閣支持率は62%と前回8月から14%も大幅アップ、支持する理由(複数回答)の第一は、何と「政治姿勢が評価できる」(42%)で、「政策が評価できる」は第2位の18%。つまり「内」が喝采されて「外」の政策論議はお寒い。(3)以上のことをどう理解したらいいのだろうか。という悩みです。私自身が描いた勝手な理想論(1)と現実(2)のギャップというだけかも知れません。つまり、投票行動かくあるべきという勝手な理想論に、現実の投票行動が合わないことを、整合的に理解できない(私が)ということ。実態としては、「外」に閉塞感を感じているから「内」の目新しさに拍手喝采して鬱憤を晴らす、ついでに「中身」の改革にも期待していいかも、という感じだろうか。 別にこれが私の生活や仕事に影響する訳でも何でもないが、それなりに整理できないと気が済まない質です。 この悩みの構図について、今は次のように考えています。(それで私はある程度心が整理できたつもりになっている。) 「内」に腐心するのが悪、「外」を論じるのが健全、というのはあまりに単純無益の二分法思考です。青年の理想論。この図式に囚われると、小泉自民党を否定することしかできなくなり、今回の民意を理解する前提がなくなってしまう。 むしろ、次のように考えるべきでありましょう。 (1)は基本的に間違いではない。あるべき論としては。ただ、現実の小泉総理の独裁は常軌を越えた、えげつない「仁義なき戦い」(亀井静香)である。また、民営化反対論の野田聖子さんは、「政治とはもう少しエレガントたるべき、私は寂しい」と言ったそうだが、何となくよくわかる気はする。異常さゆえに、注目もされた。いずれにしても、このレベルの議論にとどまると、「政治評論家」の議論の域を出ないことになる。刺客は出すべきか、森前総理なら刺客は送らない、とか、やっぱりどうでもいい。 しかし、小泉氏は自民党をぶっ壊すという前の、そもそも若い頃から突出して異色だった。その延長であって、決して「手法ありき」、どこかの知事のような「パフォーマンス優先」ではないのだろう。自民党の既得権益、派閥主義、族議員(郵政はその典型で改革の端緒)を壊し、政策決定を首相のリーダーシップに置く。官邸の強化にも取り組み、官僚による政策決定から、政治主導の政策決定に移行させた。これなどは、健全な民主政治そのものである。「郵政民営化ができずして、改革ができるか。」これは郵政というマイナーイシューで解散したことへのエクスキュースと思っていたが(私見)、どうも本音のようだ。他の族議員政治(よく五族協和と言われる。郵政、道路、文教、厚生、農林水産)も打破していく、強い決意があるように思われてきます。 だから、国民も期待を強くした。小泉さんも改革に向けて決意を強くしているでしょう。 「党を壊す」という「内」なる議論をことさら強調する政局作りの姿勢を、価値の低いものと見ていた私ですが、このようなわけで、少々考えを改めています。 この勢いで、官僚・族議員政治の悪弊(道路公団は氷山の一角でしょう)を絶ち、財政改革や年金改革を進めて欲しい。 そもそも、青年の理想論として、「内」と「外」を二元的に思考するのは、現実的でもない。「外」(政策)をみるには、「内」(例えば官僚・族議員)も骨がらみなのだから。 あ、なんでこんなことに気がつかなかったのだろう。 そういえば、「外」なる政策論議を期待された民主党は、結局あのとおり。やっぱり小泉の方が数段上だった、ということになる。 今日の帰りに車中で10時のNHKラジオのニュースを聞いたが、特別国会の首班指名結果について、民主党の前原新代表は、「自民党員がウンザリするほどいて、みんな小泉の言うことを聞く、これでは民主主義の危機だ。」という趣旨の発言をしていました。何を言っているのか。せいぜいこんな事しか言えないのかと同情もしたいが、「内」なることを取り上げてもインパクトがない。しかも自民は民意で多数を得たのだから、何の意味もない発言です。やはり、「内」の先に政治改革を見据えた小泉氏が数段上だということでしょう(ますます小泉崇拝に傾いたかも?)。むしろ、「自民の増税と改憲への動きを止めなければ」とか言った志位委員長の方が、「外」なる政策論議をしているから、立派で健全だとさえ思えます。
2005.09.21
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河北新報の今日20日付けの朝刊。最終テレビ面に誤植。「旅の香り時の遊び」という夜の番組についての、4行だけの短い解説の末尾に「する。」が重複しています。版によっては直っているかも知れません。 これは単純な誤植でしょうが、他に、記者の観念的な誤りや編集上のミス、あるいは不適切な表現を見かけることがあります。 例えば、先月あたりの記事で、都道府県毎の何かの率(忘れた!)が発表された記事で、「全県で低下」との見出しがありました。しかし、「全県」というと、特定の1つの県の全体、つまりオール宮城県、という意味になるのが普通で(「全国」も同じ)、趣旨からは「全都道府県で低下」というべきでしょう。小学生の頃、「全国」と「万国」の違いを父親に聞いたことがあります。確か、夜8時か9時頃の番組で「万国びっくりショー」というのがあって家族で見ていました。 また新聞第一面の「今日の主な記事とページ」の欄に紹介があるのに、中身に全く該当記事がないという事もありました。確か毎日新聞だったと思いますが、支社に電話したら、編集上落ちちゃったのだろう(良くある事よってな感じ)、という答えでした。 相当昔ですが、「執行猶予○年の実刑判決」という記事もありました。確か河北。 表面的な誤りのレベルを越えて、新聞紙面の構成の適切性の観点から問題と思う例では、同一日付の新聞紙面の投書欄と番組感想欄に同一人物の投稿が出ていること、がありました。これも河北新報です。偶然そうなっただけで問題ではないと言えるのかも知れませんが、広く意見を紹介するという観点では適切ではないと思います。全体を見渡す責任者がいるのではないのか。 これと同列の問題ですが、昨日実家で見た19日付けの岩手日報。第1面の下部に国勢調査の政府広告のようなのが出ていて、岩手県内の女性が「私も調査員です」という風に写真で出ている。新聞論評のようなコーナーに、その同じ方の書いたものが掲載されている。おそらく地元の有識者なのだろうが、これはどうだろうか。広告は編集担当者も事前にわからないから、仕方ないのかも。 毎日相当の情報量を処理して時間との戦いで紙面を作るのだから、いろいろ難しさもあるのでしょうけれど。 ところで、私は新聞や書籍で誤植を見つけると、なるべく新聞社や出版社に連絡しています。ただし新聞は、最近はやっていません。 かつて首都圏に住んでいた20代の時分、わざわざ毎日郵送で取り寄せていた河北新報の記事に疑問を持って、書簡で質問したことがありました。質問の内容は、確か地元の経済人だったか新聞記者だったかに匿名で(イニシャルが最後に出るだけ)書かせる記事で、実は結構おもしろいことを書いているのだが、こんなのはちゃんと実名で書くべきでないか、そもそも実名でするか伏せるか、社としての考えはどうか、という内容でした。私の底意としては、社の意見か記者の見解か民間人の投稿か、ハッキリすべきだ、何となく本質はこうだみたいな世論誘導になりかねない、だいたいこんな内輪の意見をしゃあしゃあと表にさらすのが田舎新聞の証拠じゃないか、というものでした。 これは悪口になってしまいましたが、当時河北新報社が力を入れていた過疎問題の取組みは賞賛すべきで(たしか新過疎時代という本もあった)、他県の友人にもほめられました。あの頃、河北は「日本のクオリティ・ペーパーをめざす」なんて公言していましたから、なおさら、同族会社や仙台経済人サロン雑誌を乗り越えて欲しい、と若い私は勝手に思っていたのです。本当は比肩すべき新聞社がもう1つあれば良いのですが。伊達藩以来、あらゆる点でモノカルチャーな県ですね。 このとき、もちろん住所氏名を書いて出したのですが、返事は来ませんでした。期待もしませんでしたが。 今はそのような記事はないようです。新聞社もアカウンタビリティを考えているのでしょう。毎日などはかなり前から記者名を表示しています。 家では河北新報を購読。学生時代は朝日や読売を購読し、一時期新聞配達していた毎日新聞も読んでいた。あの頃は何となくプライドもあって河北なんて考えられなかった。しかし、就職してからは仕事柄もあって河北と毎日を併読したりしていた。そして10年前くらいからは遂に河北一本。よく言えば、人生根が生えて定着した感、というところ。 ということで、新聞社にはあまり相手にされない私なので、最近は書籍で、セコセコと連絡しています。 誤植通知の効用は3つあります。(1)編集者から直筆の御礼の手紙や葉書をもらう。たまに新刊の本、図書券、クオカードが添付されることも。(2)我が国の言論出版の発展に貢献している?という満足感。(3)こちらも本を真剣になって読む。これが最大の効用です。 たまに、表面的誤植だけでなく、前後の文脈から表現が誤っているのを見つけることもあります。多い場合だと1冊で20カ所くらい見つける。一般に文庫本より単行本が多い。なお出版社は大手ほど丁寧に対応してくれるように思います。 そういえばテレビも頻繁にありますね。バラエティなどで、10年くらい前から出演者の発言をテロップでも表示することが多くなりましたが(何とか効果と言うはず)、「適性」を「適正」と表示しているなど、週に1度は見かけます。数分後に訂正のアナウンスがある場合もあります。しかし、チェックすべき人が見過ごしているのか、それとも訂正するコスト(時間の点、頻繁に間違っていると思われるリスク)を意識して知らんぷりを決め込んでいるのか、訂正されない場合が多いです。
2005.09.20
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18日(日)は岩手県南部で高校野球秋季大会の応援。甥(実家の息子)がいる実力校で前評判も屈指。娘2人と珍しく高速道に乗っていざ臨戦。実家の兄夫婦や父母もいた。試合は息詰まる投手戦に残念ながら惜敗。来春の選抜の夢は消えた。けれど自分で選んだ青春の道だ、甥には頑張って欲しい。皆で実家へ。疲れが出たので、昼寝をしたかったこともあり、そのまま泊まることとなった。わが娘2人は、いとこ(実家の娘で中学生)と遊んでもらい大喜び。こちらは今日は中学バレーの新人戦で見事に地区優勝してきたばかり。【写真】は夕暮れまで外で遊ぶ、我が娘達といとこ。私は岩手県南の農家の出なので、この辺は田園地帯。今の時期は、金の稲穂の波に、濃緑の屋敷林が浮き立ち、近くに丘陵地、遠景には奥羽山脈や北上山地の稜線が、徐々に緑から薄青に見える。こんな風景はガキの頃から見ていた。中学の頃、学校の宿題の水彩画に、【写真】のような風景と赤い夕焼け空がきれいだったので、書いたことがある。でも基本的には、田舎の風景は特に好きということもなく、むしろ次男の私は、中学や高校の頃には、早く飛び出したいと思っていた。今日、19日(月・祝日)は、野球応援もなくなったので、午前中稲刈りを手伝い。30度近い気温に加えて湿度が高く、そうでなくても運動不足の体には、短時間の作業もすぐに効いてしまった。田植えに手伝うチャンスがなく、稲刈りには行く、と宣言していた我が娘の姉だが、結局田んぼには来ないで、妹と一緒に、家でいとこのお姉ちゃんと遊んでもらっていたようだ。稲刈りしながら、周囲の風景を見渡す。小学校、中学校とオレは何を考えてきたのか、などと単純作業しながら頭は余計に活動してしまう。毎回のことだが。子供の頃に考えた自分や世界の将来と、今を重ね合わせたり、とか一応するが、別にそれが良い悪いと自己評価するわけでもない。自分を確認する作業という感じ。内容的には書くまでもないことです。ただ、子供達には私の原風景を見て欲しいという気持ちがある。どう受け取るかはわからないが。午後には仕事の関係で戻らなくてはならないので、お昼をいただいて帰宅。帰りはいつものとおり一般道。2時間ちょっとのドライブだが、最近は娘たちも成長して(8歳、5歳)、話しながら運転する道中も楽しいもの。私は結構頻繁に娘と実家に行くのだが、これまでは、子供にとって2時間に飽きるのだろうが、しょっちゅう怒ったり泣いたり(運転する父親もイライラしたりする)。しかし、最近はお姉ちゃんも妹の面倒みてくれるし、妹もきちんとシートにいてくれて、歌うたったり、クイズ、ナゾナゾ、など3人で結構盛り上がる。こんなのもあと何年かな、とふと思ったり。あ、今確認したら、楽天イーグルスはオリックスにサヨナラ負け。エース岩隈が踏ん張っていたのに。残念。来週のフルスタ最終カード(ロッテ戦?)は、どうしようか。
2005.09.19
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これから岩手県に住む甥(実家の子)の野球応援に行きます。娘達も一緒に。場合によっては帰りが明日になるので、毎日の日記を継続する意味で、今書いときます。少々せこい動機です。従って、以上です。
2005.09.18
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私は毎朝通勤の車中でラジオのNHK第一放送を聞きます。下の娘を保育所に出してから、7時20分から30分頃に家を出て、JR駅近くに借りている駐車場までの短時間ですが、7時40分にあやしいギターの音楽とともに、「とうほくラジオ朝一番」という番組が始まります。仙台放送局のアナウンサーが交代で担当していて、交通情報と、天気と、音楽と、あとは秋田とか青森とかの地元の方が電話で登場して地域の話題を話すという、実にコストのかからない(失礼)、番組です。 もう3週間くらい前でしょうか、ベテランのアナウンサー(Fさんだったか)が、仙台市立上杉山通小学校のことを、「かみ・すぎやまどおり」と読んでいた。「かみ」のあとに3分の1音節分くらいの微妙な間を置くのがポイント。 ああ、このアナウンサーはさすがだな、と感心しました。 仙台のど真ん中、NHK仙台放送局にも私の職場にも近い、青葉区上杉一丁目にある、上杉山通小学校。この名称にある「上杉山通(り)」の名は、昔から気になっていました。 現在の住居表示による町名は「上杉」。その昔、某テレビ局の女性アナウンサーが「ウエスギ」と読んでいたが、カミスギ。それは私が学生時代の話。 この町名に引きずられて、「かみすぎ・やまどおり小学校」だと思っている人も多いのではなかろうか。事実仙台生まれでない田舎者の私は大都会仙台に来た当初は、そう思っていた。例えば、堤通雨宮町は堤通りと雨宮町の合成でしょうが、これと同様に、「上杉」と「山通り」の合成かと。現に「上杉」という町名も堂々とあるのだから、こう考えても無理もない。どこかに「山通り」という昔の通りの名前があんだろうな、ぐらいに思っていた。 しかし、正解はアナウンサー氏のとおり、「かみ・すぎやまどおり」です。 かくにんのため、仙台市市民局HPで、歴史的町名等活用推進事業というのがあります(平成12年度から14年度、仙台開府400年事業の一環)。 http://www.city.sendai.jp/shimin/kusei/rekishi/index.html この趣旨には同感。城下町の歴史を感じ、わがまちを知るために、大事なことだと思います。そこで、「上杉山通」について整理すると次のようになります。 城下町の北方にある「杉山」(台原あたりで「杉山台」とも呼ばれた)に通じる道を「杉山通」と呼んだ。「上杉山通」とか「中杉山通」の名は、杉山通の上下の位置を示したもので西からこの順に並んでいた。江戸期には中身侍の屋敷地であった。 ということで、上杉山通小学校は、れっきとした武家屋敷の通り「上杉山通(り)」の小学校というわけです。JR仙台駅のすし通りや牛タン通りとはわけが違います。 小学校の歴史。明治6年に開校、明治22年に上杉山通りに移転し名称を上杉山通尋常小学校としたそうです(同校HP)。 なお中学校は「上杉山中学校」です。これは、「杉山」の上(城に近い)にあるということでしょうか、それとも「上杉山通り」を略したのか。昭和22年に第四中学校として設立され、24年に移転、校名も上杉山中学校としたそうです(同校HP)。台原中学校が昭和37年の開校ですが、それ以前は上杉山中学校が台原(つまり杉山(台))を学区としていたと思われます(未確認)ので、「杉山の上」という命名かと思います。 両校とも、上杉小・中と略称しているようです。通称はもちろんそれでいいですが、正式名を由緒ある城下町ゆかりの名前で名乗れる小学校や中学校、そんな学校で学んだ人たちは、何ともうらやましい限りです。 ところで、この由緒ある上杉山中学校に杉山校長がおられたのは、平成10年頃だったでしょうか。東北地区中学校長会会長も務められた、すばらしい先生です。 としますと、上杉の杉山上杉山中学校校長先生ということになりまして、大変だっただろうと。 ほかに私が昔考えたもので、「東北学院大学大学院東北学研究科」、これは実際にはありません。ほかには、「東京都西東京市西東京市役所西庁舎」、あるのかな。また、「静岡の石川知事」、昔は「岡山の長野知事」、16年前にひょっとしたら誕生したかも知れない「宮城の愛知知事」、この方、いまや突然ながら東京の代議士ですよ。 何の事やら、低次元で結んですみません。
2005.09.17
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楽天をめぐるホットな話題として、2軍施設は昨日書きました。もう1つが、これです。 今日(16日)の河北新報朝刊県内面には「仙台市は休戦ムード、県の廃止方針変わらず、新知事誕生後が好機」などと書かれている。 ちょっと長いですが、この問題を新聞報道や議会での質疑答弁などから、私なりに整理すると次のようになります。------------1 昨年、楽天のプロ野球パリーグ参加に際して、楽天は自らの費用約30億円で県営宮城球場を改修、本年4月1日の本拠地開幕にこぎ着けた。楽天側は05年のシーズンオフにはさらに第二期工事を行うことで宮城県と合意していた。(なおこの4月1日の試合は一番に起用された不振磯部のシーズン初ヒットが先制ホームラン、当時の主砲ロペスにも一発、投げては岩隈で快勝の試合だった。国分町のM中華料理店で見ていました。東北に球春を呼ぶ歴史的一日でしたね。)2 本年7月下旬になって、宮城県は楽天球団にフルスタ隣接のテニスコート用地を室内練習場用地として有償貸与し、テニスコートは陸上競技場のサブトラック(条例上の位置づけを失っているので、正確には旧サブトラック)に移設する方針を決めた。球団側は2006年10月までの期限で東仙台球場施設を使用しているが、期限後は未定のため、フルスタ隣接地を利用したいとして県に用地確保を要請していたもの。 これを受け、仙台市は消滅するサブトラック機能の維持を県に要請。市内の小中学校が陸上記録会や中総体で旧サブトラックを利用している実態を踏まえて必要だ、というもの。陸協などからも不満の声が上がる。(以上、7月23日河北新報、7月26日日本経済新聞、同日河北新報) 仙台市は、サブトラック機能の存続を強く求める方針。県とのトップ級会談による決着も視野に入れ、英断を求める構え。市の内部には、サブトラックに続き陸上競技場も廃止されるのではないかとの危機感があり、移転費を9月補正予算に計上予定の県に対し、何とか要望活動で実行をストップさせたい考え。(以上、8月10日河北新報)3 8月18日楽天野球団は本拠地フルスタ宮城の改修費が参入時の計画の倍にあたる60億円に達するとの見通しを表明。計画では、フルスタ隣接地に大規模な室内練習場を設置、スタジアム改修に際しては展望レストラン、クラブシートなども設け、1期工事の30億円弱と同規模の費用を投じる計画。(8月19日日本経済新聞) 8月30日、県と楽天球団は用地貸与の協定。これに先立ち8月26日に県は市に説明し一定の理解を得たとしている。4 9月2日、仙台市は楽天のフルスタ拡張工事の建築許可申請を受理しなかった。理由は、室内練習場建設に伴い旧サブトラックが廃止される問題が解決されていない、というもの。しかし、この市の対応に市民から批判も多かった。 9月9日、市は桜井副市長(助役)が加藤副知事と会談、サブトラック機能の存続を求める申入書を提出した。テニスコート移転先をサブトラックでなく近隣市有地3カ所を提供すること、など5項目だったが、副知事は、利府町の宮城スタジアムの施設との重複や楽天との合意などを理由に、移転先についてはサブトラック以外にないと、市の要請を拒否。ただし、サブトラック機能存続のための代替施設の検討、また宮城野原公園の将来構想についての協議再開については受け入れた。この将来構想とは、昨年まで県・市政策課題協議会で話題にされたが中断していたもの。 仙台市は、建築許可申請について不受理の方針を転換し、14日に申請を受理。改修工事は予定通り9月下旬に着工の見通し。市は、状況変化があったと判断。(9月10日河北新報)5 仙台市議会では、宮城野原公園総合運動場について施設の市移管も含め県と話し合っていく、と市の方針が強調された(9月13日桜井副市長答弁)。また、テニスコートを公園内の宮城自転車競技場に移転する可能性も視野に県と協議する(14日企画局長答弁)。 他方で、旧サブトラック廃止に反対する立場から、仙台市最大のスポーツ振興団体が14日要望書を県に提出。県はテニスコート移転先は旧サブトラックとの方針を改めて強調。(9月15日河北新報) そして、冒頭の本日(9月16日)付け「休戦ムード」報道になる。------------ 宮城県の姿勢の背景には、利府に総合運動公園を建設したこととの関連で、陸上競技場(本トラック)はいずれ廃止するという方針があり、これはどうしても譲れないものとみられる。 他方で、県は陸上競技場の公認申請を来年度行うことで少なくとも今後5年間は陸上競技場を公認施設として利用できるようにすると表明しており、また宮城野原全体の構想について協議に応じるとすることで、建築許可申請の不受理というカードを切ってしまった仙台市に対し、方針変換の環境作りに一定の配慮をみせた形だ。いわば大人の対応と言えようか。 これに対して仙台市役所の対応はどうだろうか。 仙台市の対応の基本は、節目節目に市民世論に訴えるという手法に見える。県と楽天の協定の前、また県議会・市議会の前に、市民世論に「火を付ける」戦略と言えるのではないだろうか。宮城野原の施設管理権は県にあるから、それが精一杯だという事情も確かにあろう。そして、権限という意味で唯一のリソースであった「建築許可権」を振りかざして、不受理という選択をした、というより、してしまった。これは戦略的に仙台市役所にとってマイナスだったと思う。一定程度の抵抗をしてソフトに(非公然と)誘導するという範疇を越えて、刀を抜いてしまったからである。簡単に言えば、楽天イーグルスの定着発展よりも「サブトラック」の価値が高い、と判定した自らの公然たる行政姿勢に、今度は自分が縛られたからである。 もっとも、入り口の不受理だからまだ軌道修正ができた。受理した上で実体審理を長引かせて工事を遅らせたり、不許可としたのでは、もっと深みにはまってしまうところだった。ここはある程度計算していたのかも知れない。しかし、不受理でも、市民の非難は市役所幹部の予想以上だっただろう。 ところで、この仙台市のソフトな誘導戦略は、これまでも随分多用しているように思われる。そういう意味ではパブリシティが上手い。市議会や県議会の前に陳情攻勢や新聞記事を出して、有利な答弁を引き出す。特に県議会では仙台市選出県議はどうしてもレゾン・デートルをかけて、市民の立場に立って県執行部に迫ろうとするから、動かす価値がある。 今日の朝刊の記事などは、知事選候補者に意識させようという意図かとも思われる。仙台市のPTA票は怖いよ、ということだ。 しかし、県からすれば、仙台市さん、非公然手法もいいけどこの問題は正々堂々と議論してもらわないと困るよ、ということではないだろうか。 はっきり言えば、「仙台市民が困った、仙台市役所は熱心に要望、でも相手(この場合県)が動かないから市民が困っているのよ」という図式つくりは、もうやめてくれ。正々堂々とやるべきだという意味は、互いに財政難だし(特に県職員は先生や警察官まで給与カットしているのだ)、無理なことをいうのでなく、何ができるか詰めるべきだ、 今回の一連の市役所の対応は、戦略を過ったと思う。先ほどの不受理もだが、得意のソフト戦略にしても、戦略性があるようで実は長期的視点ないし市民的利益の視点に欠ける対応だと思う。挙げ句の果ては、知事選の争点にさせようとか、何とも人頼みで、本当に市民の立場を考えた対応とは思えず、市民もちょっとウンザリという感じではないか。 市長交代期特有の、リーダーシップがないままに、組織的出力として従来の手法が出てしまった、というところか。不受理という選択も幹部間で十分練った対応ではないように思う。 なんだか、学生時代の行政学や政治過程論のレポートのようになってしまった。意思決定モデルを用いて分析してみたくもなるような話だ。(このへん、得意?分野です。) 問題の根本は宮城野原公園の在り方をどうするか、真剣に議論してきていないことにある、といえる。県としては、県総合運動公園(利府町)を建設したという大きな方向はあるものの、宮城野原をどうするか、施設管理者として主体的に調整していく立場にある。 また、仙台市はまちづくりの責任をもつ立場から、スポーツ施設についての考え、宮城野原の将来構想、事業主体、財政負担など自ら考えて市民に提示すべきではないか。市は、貨物駅のJR宮城野駅の跡地活用も視野に入れているという報道も以前にあった。そもそも、宮城野原の将来構想を県・市政策課題研究会で議論しようと動いたのは仙台市側だと聞いている。 市民の長期的利益を考えて欲しい。また、もっと真摯な議論を深めたい。例えば、市教委やPTAが困るというが、実態はいかほどなのか。サブトラック機能としてウォームアップ機能が必要らしいが、それなら公園内の競技場周辺のスペースを使うことで何とかなると体育関係者と調整している、と今日の県議会では答弁されているそうだ(報道)。 体育大会はほとんどの場合バスや車で移動すると思うのだが、とすれば、グランディ21(県総合運動公園)も遠いわけではない。特に北部の住民は利府の方が時間的に近い。また施設の水準を考えれば、どっちが子供のためなのか、という点もある。 だから、困る困るだけではなく、どれだけ困っていて、どう対応方法があるかないか、整理するのが、市民の欲しているところなのだ。 あるいは、県から管理権を受けるとかも提案されているが、具体的検討はされていないだろう。県としては管理権だけでなく、施設の譲渡(当然有償)なら応じるという可能性もあるから、市は財源にも責任を持たねばならない。 いま仙台市役所は、みずから主体的に市民に考え方を示す説明責任があると思う。
2005.09.16
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今、楽天イーグルスをめぐって、2つの施設の問題がホットです。 1つは、宮城野原総合運動公園のサブトラックの廃止をめぐる問題。自治体レベルでいうと、仙台市と宮城県の関係です。われらが楽天イーグルスのフランチャイズであるフルスタ宮城の拡張工事のために隣接するテニスコートを提供するので、宮城県としては、代替地として宮城野原公園内の陸上競技場サブトラック(県条例上施設としては廃止されているので、正確には旧サブトラック)に、テニスコートを移設する計画です。ところが、このフルスタ改修工事に必要な建築許可申請を楽天球団が仙台市に対して行ったところ、仙台市が受理しなかったという問題です。仙台市の言い分は、旧サブトラック廃止問題が解決していないというのですが、背景には仙台市役所自身がサブトラックを廃止されると困るという事情があるからです。 この問題については、いろいろと言いたいことがありますが(仙台市がこのまま頑張ったらどうなる、球団が受理を求めて行政訴訟に出たら、など勝手に考えていました)、昨日(14日)仙台市は受理したそうなので、とりあえず置いておきましょう。 もう1つの問題は、二軍施設(選手寮と練習場)を現在の山形から宮城県に移転させるというもの。14日付けの河北新報朝刊で報道された。仙台市か近郊で探しているという。そして今日15日の同朝刊では、「歓迎・落胆」と両県の声を対比させて報道している。いわく、山形は「残念、寂しい」、宮城は「期待」というのだ。記事のレイアウトも左右対称で白黒勝負有り、といわんばかりの報道になっている。 ちょっと言いたい。 楽天球団として二軍施設をどう考えるかは、基本的には球団の方針、はっきり言えば経営戦略の問題である。もっとも地域の声を聞いてもらえれば望ましいし、地域が声を上げていくことは当然。 言いたいのは、ことさらに山形と宮城を対比させないで欲しい、ということ。むしろ、山形と仙台(近郊を含む)はいまや一体に考えたいのです。県境を取り払って考えれば、何も勝ちとか負けとかという話ではない。山形県と宮城県で綱引き押し合いしているという図式でもないはず。 石巻と仙台、あるいは山形と米沢ぐらいに考えればいい。事実、仙台と山形は鉄路でもバスでも一時間。二軍の試合を見に行きたければ、山形にあったって仙台にあったって、十分互いに行けますよ。まあ、山形県野球場のある中山町の人で練習風景を日頃から見ていた、という人には、確かに気の毒ですけど。 仙台市内に施設がある方がいいと仙台市民は言うかも知れないが、住んでいる場所と施設のできる場所の関係いかんによっては、かえって行きにくくなる場合もあるでしょう。なにせ、仙台市内や近郊でも通勤に1時間以上かかる人は多いのですから。 従って、場所としては、交通アクセスを考えて鉄道沿線が良いと思います。二軍の練習場と二軍の試合(イースタンリーグ)の会場の関係が不勉強でわからないのですが、イースタンの試合をするのであれば当然、鉄道沿線が望まれます。イースタンの公式戦はしないとしても、楽天のことだから単なる選手の練習場ではなく、ファンのための施設というコンセプトで作ると勝手に期待するで(イーグルスタウンとか)、やっぱり鉄道沿線が良い。車でしか行けないところは、良くない。 こんなことを書くと、宮城の人間だからこそ言えるのだと思われそうですが、山形の人には、一軍の試合も二軍の試合も、仙山線やバスでどんどんと来て欲しいです。河北の報道なんかに負けずに、これからも一緒に盛り上がりましょう! 山形で仕事が終わってから、仙山線の車中でテレビで応援しながら、おばんですチケットで入る、なんて企画があったらどうでしょう。JRで企画を考えてくれないかな。テレビ付き車両の運賃とビール1杯、それにおばんですチケットと応援グッズがセットになっているとか。楽しそう。バスでもいいですけど。 また、山形や東北他県での試合をもう少し増やしても良いと思っています。今でも休日などは岩手や福島からも相当フルスタに来ているようですから。
2005.09.15
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前から気になっています。私だけではないでしょう。 写真は県道仙台松島線(通称利府街道)の利府町神谷沢の行列のできるラーメン屋さんの交差点、つまり、グランディ21に上る県道(一般県道利府岩切停車場線)に分かれる交差点の手前(仙台寄り)、吉野家さんあたりにある看板です。我らがグランディ21(宮城スタジアムを含む宮城県総合運動公園の愛称です。)は、 Gurandhi 21 と表記されています。写真は今日の仕事の帰り、6時ちょい過ぎですが、雨の夜なので字が読みにくいかも知れません。 宮城県の総合運動公園につける愛称の発表の際は、グランディとはイタリア語からとった言葉だと聞いた覚えがあります。そんな訳で宮城県都市計画課のサイトを調べたら、やはり、「平成7年の公園供用開始に合わせ、全国からの公募により決定しました。イタリア語で大きいという意味で21世紀のスポーツの大きな拠点を表しています」と記されています。 ( http://www.pref.miyagi.jp/tosikei/kouen/undoukoen/tanpo_sogo2.htm ) イタリア語の「大きい」の意の形容詞は grande です。音楽記号の grandioso グランディオーソ(堂々と)も関連語でしょう(正確には「発想標語」という。楽典や記号・標語には少々詳しい。小学校の時に図書室の古い本をなぜか乱読した。蔵書が少なかったからか)。とすれば、u や h は不要で grande あるいは複数形の grandi でいいはずなのだが。 イタリア語の発音に忠実に考えれば、この複数形の grandi を採用したのかとも思われますが、おそらく命名者もそこまで考えたのではなく、何となくゴロの良さで「グランディ」としたのではないか。つまり「グランデ」の発音の最後を呼びやすく愛称っぽくしたのではないか。だから、横文字表記は、grande なのか何なのかは曖昧なままになっていると思われる。 県としても、正式の横文字表記は決めていないのではないでしょうか。 管理する宮城県スポーツ振興財団のHPでは、GRANDE と。これがイタリア語重視の正統派か。仙台観光コンベンションHPの施設紹介でも、GRANDE・21 となっている。なお、県のHPサイト内の表示では、/grandy の語も現れるが、これは日本人英語的で、その意味でスンナリ来る。命名者の気持ちとしてもコレかも知れません。 いずれにしても意味不明なのは、かの道路標識の表記 Gurandhi 21 とはいったい何なのか。標準的な英語としては、gu- を用いた単語は、例えば guest とか Guam のように用いられることが多いと思われ、直後に子音が来る単語としては、例えば gut(腸)などはあるが、このように音節が続いていくのは、ちょっと奇妙に感じると思われる。何か東洋の固有名詞的な印象、ではないでしょうか。ガランジー、あるいはギュランジー? 利府町内でこの標識を初めて見たときは、ハンドルを握りながら、インドのガンジー Gandhi を瞬間的に思い浮かべました。確か高校の英語教科書に出ていた記憶があるから。多分英語圏の一般人もそう感じるのではないだろうか。標準的な英語表記にない、-dhi が東洋的で神秘的に映るのでは。 ひょっとしたら、看板制作の業者が単純にワープロのローマ字入力的感覚で書いたのか。たしかに、例えばATOK(私も20年来の一太郎派)では、「ディ」は、dhiの変換で出てくる。まさかとは思うが、そうなのかも。もしそうだとしたら、例えて言えば、楽天イーグルスの主砲(とは言えない)ロペス選手(Lopez)の背中に、堂々と ROPESU と書くようなものですよ。 道路管理者の県の仙台東土木事務所に聞いてみようか、とも思ったがまだ聞いていません。回答が怖くて。 とにかく、変だ。トリビア的話題で済むうちはいいが、外国人に笑われたり、不統一で案内の意味がないデスネ~、と批判されたりしないように是正すべきでないでしょうか。9月7日の日本代表対ホンジュラス戦は、背水の陣(日本代表にとってではなくアクセスが悪いと散々言われ続けてきたグランディにとって、です。)で臨み、見事勝利(宮スタも初勝利!!)。また国際試合ができる(かも)。サッカーに限らず世界的イベントを誘致するという夢もあります。 もちろんアクセスなど根本問題の解決が優先(この課題についてはそのうち書きます)としても、この表記問題も改善(あるいは納得できるものなら納得)したいと思うのですが。 どうでしょう。
2005.09.14
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小泉旋風吹きまくりの総選挙から2晩が過ぎました。列島も少々冷静になったのだろうか、今朝の新聞各紙の論調も、「小泉内閣に真の改革を求める」などという感じ。 さて、わが宮城県。朝の新聞には確定値の投票率が載っている。昨日の日記に記しましたように、投票率が全国ワースト5というのがどうしても気になります。東京、神奈川など大都市圏にも今回は劣っている。小泉改革劇場の熱気が投票率を押し上げたというのが一般的分析になっているが、宮城ではさほど熱気が沸き起きなかったのでしょうか。 データを用いた投票率規定要因の定量的分析もしてみたいところ。若年者(高齢者)比率、産業別比率などの都市化変数に、伯仲度合いなどの政治変数を入れて、さらに、ダミー変数に特定の就業者群の存否(自衛隊、発電所、遠洋など)を入れて、とか、考えるだけでも興味が沸いてくる、好きな分野です。 しかし、すぐには時間と気合いがないので、後に回します。 まずは、お手軽に、EXCELにて小選挙区の市町村別の投票率のランキングを作ってみました。つまり、並べ替えしただけ。 七ヶ宿の80.48%が飛び抜けているのを筆頭に、女川、色麻、加美が、70%以上。続いて、鳴子、蔵王、栗原...とそれらしい順序で並んでいる。宮城県平均が64.58%で、大半の市区町村はこれより高い、つまり65%台の後半です。気づく点としては、泉区(65.04%)が県平均より高いです。大郷町の1つ上。泉区は、感覚としては浮動票の多い地域と思うのですが、小泉劇場の熱気が、棄権ではなく投票に向かわせたのでしょうか。ちなみに、65.04%は青森県の県計と同じです。 県平均より下は12市区町村。鹿島台、岩沼、登米が64%台、やや落ちて63%台が太白区、更に落ちて62%台が、大和、青葉区、七ヶ浜。61%台が、志津川、岩出山、古川。そして60%を切ってワースト2が、若林区(59.44%)、宮城野区(58.38%)です。 岩出山、古川は盛り上がりを欠いた4区を象徴しているということでしょうか。 次に他県との比較。これは今朝の新聞記事を眺めただけ。 青森、宮城を除く東北4県は70%以上。小選挙区別で最高は福島4区の76.15%。ここは会津で、あの渡部恒三さんの選挙区ですが、今回は自民の追撃で盛り上がったということでしょうか。檜枝岐村では何と93%台と驚異的! また只見町でも90%を越えています。ちなみに、ざーっと見渡して、東北で90%を越えたのはこれらだけのようです。 宮城県の市町村では七ヶ宿の80.48%が最高で唯一の80%台、70%以上も4市町村しかないのですから、やはり相対的に宮城はかなり低調だったのでしょう。昨日の日記に記したように、前回宮城より低くて今回宮城を上まわったのが12都府県に対して、反対に前回本県より高くて今回本県より低くなったのが、沖縄の1県のみ、という現実は大変象徴的です。都市化=低投票率という図式をひっくり返す小泉旋風が大都市で吹き荒れた(逆1区現象、などと新聞で言われている。)ことを伺わせると同時に、わが宮城県は民主王国と言われながら自民追撃の旋風もさほど吹かない、という変な気象状況だったということでしょうか。ちょっと理解が難しい。宮城で最も伯仲した宮城1区は63.19%ですが、東京や関東の各県では、大半がこれを上回っています(ブロック別の平均で、東京65.51%、北関東65.06%、南関東66.29%)。 なお、青森も低調ということになりますが、自民完全制圧が見込まれて盛り上がらなかったからでしょうか。これも興味深いところ。 宮城県の今回の投票率低調については、私の分析(もちょっと先になるか?当てにならず。)はともかく、県選挙管理委員会の分析と対策が当然なされる(?)でしょう。10月の知事選挙もあることだし。
2005.09.13
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昨日投開票の第44回総選挙。自民の圧勝。小泉劇場の設定のうまさで自民が優勢とは思ったが、296も取るとは予想外。とりあえず思いつくままに何点か。1 宮城の投票率64.58%。前回よりは高いけれど、全国的には顕著に低い まずは宮城県内の投票率(小選挙区での投票率)が、64.58%。前回の58.92を大幅に上回った。小選挙区制導入後4回目の総選挙だが(補選を除く)、60%を越えたのは初めてという。全国は67.51%(河北新報12日夕刊による確定値)で、本県は全国より低率。 他都道府県と比較すると(以下は朝刊掲載のデータ)、首都圏の東京(65.58%)、神奈川(67.08%)、埼玉(64.88%)、千葉(64.59%)より低い。本県より低いのが、低い順に、沖縄(62.35%)、高知(64.18%)、茨城(64.46%)で、本県は堂々の下から5位! 前回総選挙で本県より低かった都道府県で今回本県を上まわったのが、ざっと見て青森、群馬、埼玉、千葉、神奈川、東京、京都、大阪、広島、香川、愛媛、福岡、と12都府県もある。反対に前回本県より高くて今回本県より低くなったのが、沖縄のみ。なぜか高知は前回も低い。台風の影響なのか。 ともかく、宮城県の投票率は顕著に低い、といえそうだ。 投票率が何に依存するか、また本県の特殊性があるのか、市町村別得票率も含めて地域分析の格好の材料となりそうだ。大学院時代の公共選択論の浅はかな知識だが、投票行動のモデルとして何と言ってもアンソニー・ダウンズのモデルが有名で、有権者の投票参加の要因は、接戦と予想されるか、政党間の期待効用差、投票コスト、長期的利益の4つだとされていた。こういうのとか、ゲーム理論を用いた分析もある。また、日本の分析だったと思うが、同日選挙や天候でも左右される(説明式にダミー変数を入れることになる)とするものもある。ただ、地域の属性に依存して説明させるクロスセクショナルな分析は、あまりないように思う。おそらく、投票率向上をもっとも真剣に考えるであろう総務省選挙部などでは、投票率規定要因の分析があるのかもしれない。調べてみたい。2 民主王国の凋落。民主党に望みたいこと 宮城は民主王国と言われた。1区、2区が仙台市の浮動票をとらえた民主候補がモノにしてきたから。言い換えれば、自民がしっかりしていなかったとも言える。今回は民主が批判を甘受することとなった。3区で前回大接戦の末比例で復活した橋本さん(民主)も風を受けられなかった。 民主は、年金問題や財政改革などもっと本腰を入れて国民にわかりやすく政策をアピールすべきだった。参議院の桜井充の郵政国会での批判はラジオで聞いた。民主の国会議員や県会議員が、もっともっと勉強して、国民県民に問題と対策を説明する機会をもつべきだった。 小泉氏の手法は傑出していた。郵政改革という旗色を鮮明にし刺客を送るなどの姿勢が、新鮮で期待を持たれた。勝敗が決した以上自民党にはがんばってもらいたい。しかし、年金改革や財政再建など日本の構造的問題を解決するためには、健全な二大政党による議論が必要だ。民主党には、小泉旋風を徒手傍観し国民に真の改革を訴える姿勢に欠けたことに、猛省して欲しい。 朝の7時台に通勤車中で聞いたNHKラジオ(TVとの同時放送と言っていた)。民主党の玄葉光一郎選挙対策委員長は、「今回は神様が民主党に試練を与えた」ようなことを最後に言っていたが、何とも情けない発言だ。投票した人は怒りたくなる、のでは。そもそも風頼みだったのか、民主党とは。神の試練ではなく、厳然たる民意の反映の結果なのだ、有権者は民主党を否としたのだ。 次の総選挙に向けて、主張と政策を十分に説いて欲しい。政権担当能力のある二大政党制によるダイナミズム実現は、国民の多くが望んでいるはず。それを失望させた責任は大きい。3 東京比例区の怪現象 比例東京ブロックは自民に割り当てられるべき8人目の枠が、既に名簿登載者全員が当選してしまい、社民党に充てられるという珍事があった。公の党として、民意をすくう受け皿を用意しなかったのは、政党制民主主義の上で、厳しく非難されるべきだが、これほどに自民の旋風が吹き荒れたということだろう。選挙区で軒並み自民候補が民主を破り、比例名簿で3位同列の重複立候補者が全員当選してしまった。 おかげで、宮城1区で民主候補に破れた愛知和男(26位)も、本人も意外だったと思われるが、当選。これも、民主王国宮城の衰退を象徴か。4 解散権の制約の議論が吹っ飛ぶ 解散の際には、憲法の解散権の制約の議論を思い出した。 参議院で否決されたから、衆議院を解散というのは、筋から言うとおかしい。そもそも解散の事由に制限があるのか、憲法解釈上も争いがあるが(解散権の制約の論点)、総じて言えば、内閣が選挙によって国民に信を問う必要がある場合、具体的には、衆議院の多数と内閣が対立した場合や、内閣自身が重要な政策変更をする場合などに限られる。むやみに刀を抜くべからず。今回のように、参議院の構成が気に入らないからと言って、衆議院を解散しても、筋論からすれば意味がないはずで、解散権の濫用とも言えそうだ。 いずれにしても、解散権行使の事由の有りや無しやの判断は内閣自身に最終的に帰属し、これを争っても統治行為(あるいは自由裁量)として裁判所は判断を回避するから、実益はないのだが。 こんなことを考えていたら、解散後の読売新聞の解説(本年8月12日)に、同じような問題意識に根ざす、次のような記事があった。------------ 小泉首相は、郵政民営化を構造改革の「本丸」と位置づけ、法案否決は小泉内閣への不信任だとした。首相は(中略)衆院での再議決も、さらには両院協議会の開催も求めなかった。(中略)事実上の不信任と考え、直ちに衆院を解散した。「不信任」だと考えなければ解散違憲論が起こると考えたのだろうか。 (中略)参院では修正も継続審査も認めなかった。これらは小泉内閣に対する不信任と見なすとし、解散がいやなら法案を可決しろと”恫喝”した。この言い方は、政府による立法府の権利の侵害の疑いが濃厚であり、議会制民主主義を否定しかねない。------------ しかしながら、こんな議論も吹っ飛んでしまった。与党が衆議院の3分の2(320)を越える327議席を得たからだ。参議院が否決しても衆議院が再議決できる。結果的に解散の憲法的意味があった、とも言える。何ともすごい小泉旋風だ。
2005.09.12
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子供2人といつものコンビで。あえて車ではなく、JRで館腰駅。そこからは無料送迎バスに乗せてもらう。第2便の9時50分発に乗った。曇天にわずかの雨で天気も心配されたが、もう引き返せない。 航空大学校の敷地から空港サウスエプロンにかけてが、祭のメイン会場。いずれも初めてはいる。空港内一週バスは人気が高くてもう午後の分まで予約に並んでいるので、あきらめる。展示されているセスナやヘリを見て回る。娘達には間近で見るのがめずらしいよう。上の娘はお腹空いたと言うが、航空大学校の食堂は入り口の案内を見ると11時半から。我慢してくれ、と言って、無料シャトルバスで、今度は空港ターミナルビルへ。雨はなんとか止んでくれた。 ビル1階で展示やイベントがある。セントレアの宣伝もしていた。もらって嬉しかったのは、国土交通省塩釜港湾・空港事務所で子供に配布していた、携帯用双眼鏡。今度楽天の応援のときに持って行きたい。合計2回このコーナーを訪れ、計4個いただいた。ありがとうございました。 印象的なのは、仙台空港鉄道株式会社の仙台空港アクセス鉄道のPR。展示そのものは派手さはないが、空港ビルに隣接して仙台空港駅の構造体が完成しつつあるから、来年度には開通するという実感がわく。JRで名取駅を過ぎたあたりでも、アクセス鉄道建設の現場が見えた。いよいよだ。北日本の拠点都市仙台の玄関をより便利にするプロジェクトだ。大いに期待。 そのあとまたバスでメイン会場に戻り、いよいよ食堂へ。ところが書いてある営業開始時間の11時30分頃に入ったのに、もうほぼ満員。何とか席をみつけて、うどん、おにぎり、焼きそばを3人で食べる。どんどんお客さんが来てすごい混雑。空港祭はずいぶんと人気だ。 12時10分発の送迎バスで、館腰駅へ。1時半ころ帰宅。 子供達は、何度も電車はバスに乗り、楽しかったようだ。私は仙台空港の普段見られないエプロンや航空大(食堂までも!)に入れたのが良かった。うどん(210円)がうまかった、とお姉ちゃんが言っていた。 3年くらい前に、家族で空港に行ったとき(単に飛行機を見るためと試食のため)に、このお姉ちゃんが「飛行機もうすぐ墜落するね」と言っていた(親が、それは「着陸」と言うんだよと教える)のを思い出す。 職員や関係者の皆さんは大変だったでしょうが、このような施設開放は是非これからもお願いします。 早く寝たのでこの日記は12日朝5時に書いている。さっきテレビをみたら、総選挙は自民党が歴史的圧勝という。小泉氏の国民向けの政局の作り方が奏功か。
2005.09.11
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住民訴訟というのは、おもしろい制度だ。初めて学んだのは、大学の行政法の講義だが、民衆訴訟の1つで、アメリカの納税者訴訟にならった制度、というくらいしか理解していなかった。注目され出して、また自分も関心を持ったのがここ10年くらいか。宮城県や仙台市は住民訴訟の1つのメッカにもなった。今だと東西線差止め訴訟とか。 実は私もかつて仕事上いつくかの訴訟に関わったが、訴訟を通じて役所の仕事の合規性ということを大いに考える機会となった。どういうことかと言うと、何時訴訟にさらされても大丈夫なように手続面でも実体面でも法規に適うこと、その法規自体が正しく制定され、そのとおりに運用されていること(特に各種の規程や要綱はいい加減なものも多かった)、などである。そして、公開されても問題がない仕事かどうか、という点で情報公開の流れと実質的に表裏一体に関連している。現象面としても、原告側は情報公開で資料を得て、これを分析して住民監査請求や住民訴訟に進む、というパターンが確立した。 特定の者が原告になるが、あくまで客観訴訟で、実質的には仙台市や宮城県なる地方公共団体の利益のために行うのだから、役所の側でも、原告への応戦という狭い範囲での事務処理と考えずに、住民全体の利益を考えて対応しなければならないと思う。 ところで、この住民訴訟はなぜ地方自治体だけなのか。立法の趣旨が、住民の権利の観点と参政権の一種であり、実質的には納税者が税の使途について必要に応じ是正する権利、などと説明されるが、そうであれば、地方行政と国政と変わるところはないはず。なぜ国にはないのか。 もっとも国に導入されれば「住民訴訟」とは別のネーミングになろうが。 たしかに、法理論的には、個人の権利や利益の保護を目的とするものではなく法規の適正な運用と公共の利益の保護を目的とするから、憲法の保障する裁判を受ける権利に含まれるものでなく、立法政策によるものと理解されている(最高裁も同様)。しかし、「地方自治に立法上導入されているものが国にはない」現状の理論的「許容性」の説明にはなっても、国政の適正を望む国民の立場からすれば「効果のある制度を国政で採用しないこと」の納得できる説明にはならない。 そして、無駄やあやしい会計処理は、質量ともに今や国の方が断然多いというのが一般的感覚ではないか。地方行政に携わる者としても、国の無駄で非効率な金の使い方に接していると、三位一体改革に便乗して地方交付税の無駄遣いにプロパガンダを張りながら、自ら国家予算編成と執行に根本的な解決を図らない国の姿勢は、歯がゆく映る。 無駄で非効率な国の金の使い方を、いちいちあげつらうことが論旨ではないが、小さいレベルでは経済産業省でたびたび表面化する私的流用、大きいレベルでは外郭団体や業界の利益重視で無駄な金遣いを改めない。たまに会計検査院の検査結果や財務省の執行調査で「こんな無駄がありました」なんて出される。担当者は頑張っているのだろうけれど、そんなもんじゃないだろう、小悪を見せて根本を隠すという意識で各省と合意しているのか、とも言いたくなる。 行政側の実務者個人レベルからすれば、提訴されない方がいいのは実感だ。個人として訴えられることもあるのだから。また行政の裁量も必要だから、違法な支出の場合はともかくとして裁判所が踏み込んだ判決をすることはさほど期待できない。しかし、制度として住民訴訟が存在することで、事後的にも予防的にも地方行政は是正されつつあり、今や制度がない方が良いとは、自治体の職員ですら思っていないだろう。 国にも住民訴訟類似の制度を導入すべきでないか。 なぜか立法の動向として聞いたことがないし、地方自治関係の論壇でも話題にされたのを、あまり見たことがない。 この点について学問的説明はどうか。 大学時代にも行政法で名前は聞いたことのある、成田頼明氏が「会計検査研究」No.22(2000年9月号)の巻頭言「行政の制度・システムの改革と会計検査のあり方」の中で述べておられる。地方における住民訴訟など、公会計の適正処理(税金の使い道)についての国民の関心の高まりを踏まえ、国民の批判に耐えうる公正透明で民主的な会計検査・監査の制度や運用の改革が求められている、とした上で、改革の方向の1つとして、「地方自治法で制度化されている住民監査請求・住民訴訟を国にも導入することは現段階では極めて困難であろうが、一部国民の間にはその導入を求める意見もみられるので、いずれその議論が巻き起こる可能性がある。」と記述されている。 なぜ、現段階で困難なのだろうか、と疑問も感じる。理論的な意味か。理論的な意味では、上記の通り、地方に導入されて国政にないという立法の現状を説明することはできても、導入困難とする積極的な理由は私はないと思う。あえて言えば、「憲法上の」機関として会計検査院が置かれていること、ぐらいか。 しかし、いずれにしても問題はそんな理論的なことではないのだ。いかにして国の財務運営の合法性と適正を図るかが国民の大きな利益であり、現実に無駄遣いや恐らくは相当の違法処理もあると思われ、そして制度導入が国を良い方向に持って行くと思われるのに、なぜ進まないのだろうか。
2005.09.10
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7日の宮城スタジアム(宮城県総合運動公園、グランディ21)の一戦は、ドイツでの上位進出を狙うジーコジャパンの力を試す重要な試合。私としては、「宮スタ」の初勝利にも大いに感動。試合内容は上々、天候はまずまず、3点目の交通アクセスが心配。どう評価を受けるか。このようなことを、その内容は7日の日記でご紹介しました。 さて、8日付けの新聞各紙をもとに検証する。まずは、各紙の報道の要旨を。河北新報以外は、スポーツ面や全国面にはなく、県内版だけ。河北新報以外は取材と編集のタイムリミットの関係で、特に東京行き新幹線の状況の把握が間に合わなかったようだ。本日9日付けの新聞には特に関連する記事はない。------------○河北新報 観客輸送まずは及第点。不安視された試合後の観客輸送に大きな混乱はなかった。首都圏に帰るサポーターは最終新幹線に無事間に合い、関係者は一安心。一方で、試合終了前に会場を出た人も多く、綱渡りの輸送計画に不満の声も。試合が終わった9時10分過ぎ、サポーターはJR利府駅に向かうシャトルバス乗り場に走った。臨時の10時18分仙台発新幹線に乗るため。不便な交通を見越して泊まりがけを決め込んでいた人も。 地元利府町の鈴木勝雄町長「あの時の借りは返した」と満面の笑み。○読売新聞 県サッカー協会と県などは、日本サッカー協会からも釘を刺されたため、首都圏からのサポーターが日帰りできる体制をとった。運営実行委員会を組織し、駅とスタジアムを往復するシャトルバス計80台を用意。また仙台港周辺に設置した2000台収容の臨時駐車場からバスで輸送。ただ、やはり道路は渋滞、バスはなかなか進まなかったとの声も。さいたま市の観客は、最終新幹線に乗るためのバスが9時20分頃出ると聞き、「終了からあまり時間がなく後半は時間を気にして試合に集中できないかも」。○毎日新聞 交通が不便と不評だった宮スタだったが、アクセス改善で開催にこぎつけた。JR仙台駅などからのシャトルバス仙台港の駐車場(500台)からのシャトルバスも導入(500円で事前に完売)。渋滞回避策として周辺駐車場利用を約2千台に限定。事前予約制として塩釜署員と警備員計730人で誘導。スタジアムはほぼ満員。○朝日新聞 W杯以来3年ぶり3回目の日本代表戦。宮スタはアクセスの悪さから利用率低迷。グランディ21全体で維持費8億4千万に対して収入1億4千万(04年度)。失敗すれば二度と代表は来ないと背水の陣で臨んだ一戦。仙台、泉中央、利府の3駅からシャトルバス約200台が運行、仙台港からのパークアンドライドも実施。JR東日本には電車増発を要請、日帰り新幹線(東京着1159)も実現。県サッカー協会会長「今後も代表戦誘致続けたい」。○産経新聞 W杯で日本代表が8強を逃した因縁の地。大会使用10会場で唯一その後の代表戦がなく、2月に知事が川渕三郎会長に直談判して招致。全国からの大観衆が興奮。------------ アクセスの悪さが代名詞の宮スタだが、これまで少し強調されすぎた感もある。 一般的に言って、スタジアムが交通至便のところにあるのが望ましいのは当然。仙台で言えば、仙台スタジアム(サッカー場)が地下鉄泉中央駅至近、フルキャストスタジアム宮城(楽天ホーム)は宮城野原駅至近、仙台駅からも徒歩20分程度。確かに宮スタは最寄りの利府駅からはバスに頼るしかない。 しかし、その利府駅までは仙台駅から電車で17分で行ける。あとはシャトルの運行の在り方次第。要は、時間的・心理的な許容範囲の問題であって、もし電車17分とバス10分でスイスイと行けるなら、ほとんど問題はないのだ。乗り降りの際に人混みでボトルネックが生じたり、乗ったバスが渋滞したり、ということが悪評なのだろう。 だから、シャトルの運行のノウハウを高めることが基本だろう。駅と宮スタの間のシャトル経路は交通規制で一般車を締め出すのが一番だと思う。また、現在シャトルのない岩切駅は、仙台市域部分(岩切駅からラーメン本竈の交差点までの山越えの部分)の道路が本年12月に開通するというから、利府バイパスなどを通行する通常交通動線と分離できるので、是非交通規制の上でシャトルを導入したい。 また、車で来るという話も良く聞く。幸い宮スタのある利府町の北と西はさほど交通量が多くないから、車で来て(多少)歩く、というのを、もっと売りにしても良い。近隣の団地内の知人宅に車を置かせてもらって歩く人が多いようだ。仙台北部道路のしらかし台ICもあるが、北部道路自体がグランディ21のすぐ下を走っているから、ここから長距離バスが直接敷地内に乗り上げることも考えられないか。逆転の発想で、「バスやマイカーで便利なスタジアム」。 少々割り切って言えば、スタジアムでのビッグイベントという場合、ある程度待たされたり歩いたりというのは必ずつきもの。許容範囲と感じられる程度に押さえればいいのだ。 今回は首都圏行き最終新幹線に間に合うか、が1つの焦点とされた。新聞報道では、これはクリアしたが、試合終了前に会場を出た人がいたのが課題という。 確かに、会場で見ていて、試合終了前に席を立つ観客の姿はあった。けれども、集団でゾロゾロと、という程ではなかった。もっとも、私の周辺が地元客が多いだけだったのかも知れない。 この問題は、最初から軌道系交通アクセスと一体で整備していれば、というのは簡単だ。しかし、とにもかくにも、宮スタは利府の丘陵に作ったという事実から出発しなければならない。地域の宝を何とか活用する方法を考えなければならない。 新聞記事だけでは十分な検証とはいえない。県サッカー協会や県の公式な検証も発表されるだろう。それも踏まえて、交通アクセスを今後どう考えるか。提案されている軌道系についてもちょっとアイディアがある。宮城スタジアムを応援する一人として、改めて時間をかけて整理したい。また記述します。
2005.09.09
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3日くらい前、小学三年の娘に聞かれた。「身近」のふりがなは「みぢか」でいいの? お父さんとしては、「近い」という言葉に点々つけたのだから、「ち」に点々で「みぢか」でいいんだよ、でも学校では「みじか」でもいいと教えているかもね、と曖昧な答えになってしまった。 正しい日本語表記のルールはどうなのだろうか。たしか小学校の頃に教わったのでは、濁点をとって発音してみて「チ」なのか「シ」なのか、による。例えば、「鼻血」は濁点を取れば「チ(血)」だから、「はなぢ」。「地震」は濁点を取れば「チ(地)」だから「ぢしん」、という風に。 同様に、「ズ」と「ヅ」についても、濁点を取ってみて判別する。例えば、「合図」は濁点を取って「アイツ」より「アイス」が素直だから、「あいず」。「三日月」は、濁点を取って「ツキ(月)」だから、「みかづき」。 でも、これで正しいのだろうか。今でもこう教えているのだろうか。「はなじ」や「じしん」でも良いようにも思えるし。 調べました。 「現代仮名遣い」(昭和61年内閣告示第1号)というのがある。公用文はもちろんこれに準拠。学習指導要領にはこの告示に準拠せよとは書かれていないようだが、教科用図書検定基準には告示に従うよう定められているので、学校でもこれを教えることになっているのだろう。以下に関連部分を引用。なお、音韻通りに「じ」「ず」が原則とした上で、特定の表記慣習を尊重する一環として記されている。長くなるので、例示は数語を残して省略した。------------次のような語は,「ぢ」「づ」を用いて書く。(1)同音の連呼によって生じた「ぢ」「づ」 例 ちぢみ(縮) ちぢむ ちぢれる ちぢこまる 〔注意〕 「いちじく」「いちじるしい」は,この例にあたらない。(2)二語の連合によって生じた「ぢ」「づ」 例 はなぢ(鼻血) そこぢから(底力) まぢか(間近) みかづき(三日月) なお,次のような語については,現代語の意識では一般に二語に分解しにくいもの等として,それぞれ「じ」「ず」を用いて書くことを本則とし,「せかいぢゅう」「いなづま」のように「ぢ」「づ」を用いて書くこともできるものとする。 例 せかいじゅう(世界中) ひとりずつ ゆうずう(融通)〔注意〕 次のような語の中の「じ」「ず」は,漢字の音読みでもともと濁って いるものであって,上記(1),(2)のいずれにもあたらず,「じ」「ず」 を用いて書く。 例 じめん(地面) ぬのじ(布地) ずが(図画) りゃくず(略図)------------ 要は、原則は「じ」「ず」で、例外は、二語連合の場合と同音連呼の場合だけ、ということである。 これによると、「はなぢ」や「みかづき」はそれで正しいが、地震は「じしん」が正解となる。引用した最後の部分の〔注意〕では、「地面」「布地」について、もともと濁っているから、という説明だ。もともとは濁っていない(土地はトチと読む。)ように思うのだが。多分、「チ」という音は、「音読み」ではない、訓読みだ、という理由なのだろう。なるほどと思う半面、ちょっと腑に落ちない。慣れのせいか。 念のため国語辞典を見たら、やっぱり「ぢしん」では記載がない。 娘の質問に対しては、「みぢか」で正解となる。ただし、教え方は、いいか娘よ、「近いという言葉に点々だから...」ではなく、原則として発音通り「じ」と表記すべきところ、内閣府告示に従い、例外として認められている二語連合の場合に該当するから、「みぢか」と表記することになるのだぞ。わかったな。と教え諭すのが正しいと言うことになるのか。あほらしい。「みぢか」と書くものなのだ、というしかない。昔の先生も便法的に教えてくれたのだろう。 ただ、「地震」が「じしん」と書くというは、頭では理解しても、どうも気になる。ネットでいろんな人の意見を見ると、もともと歴史的には「ぢしん」と書いたもので、「ぢ」の音読みも存在しており、これが戦後になって「じしん」とされたとの指摘がある。我が小学校の先生は、なるほど戦前生まれ。国語の簡素化という流れで、音韻通りの表記の原則を優先したのだろうか。簡素化はいいんだけど、言葉は文化。多様性が削がれるようで少し悲しくもある。 固有名詞はどうだろうか。 私は毎日電車で通勤している電車男。JR東日本さんにこれまで数十万円支払っている。最近電車の中の広告に、会津地方の郷愁を誘うものが目につく。よく見ると、「あいづデスティネーションキャンペーン」と書かれており、JRと福島県の共同企画なのだろうか。 ここで問題にしたいのは「あいづ」という表記。やっぱり「あいず」ではないのだ。ちなみに会津若松市の市政だよりも、やっぱり「あいづわかまつ市政だより」。内閣府告示だと二語連合で例外ということになろう。 東北で他には、のへじ(野辺地町)、しづがわ(志津川町、もうすぐ南三陸町)、いずみざき(泉崎村)、しずくいし(雫石町)など、全て告示通り。役所だから当然か。 わがサイト名は「おだずまジャーナル」で、自分的には由緒ある名前なのだが、「ず」で良いのか、「づ」でないのか。自分でもよく解らない。
2005.09.08
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6月7日、台風14号が日本海に抜けた夜、利府町の宮城スタジアム(グランディ21)にはドイツW杯出場を決めたジーコジャパンの姿があった。 宮スタでは3年ぶり、あの2002年の決勝リーグ初戦、日本対トルコの試合以来の日本代表の登場である。あの雨の中の試合は日本が惜敗。宮スタの交通アクセスの悪さもあって、全国のファンに悪い印象を与えてしまった、わが宮城スタジアム。 交通アクセス、雨天対策、ボランティアなど、今回は関係者の必死の努力があった。絶対に成功させたい。近くに住むから、というだけではなく、貧乏町が世界を呼んだ、空前絶後の歴史的イベントの地であることを誇りに思うから、である。 自分に何ができるか考えた。とりあえず観客を満員に近づけたい。今日の朝刊でまだ3千あまりの席があるというので、急いでローソンでチケットを買った。家族も行きそうになったのだが、時間帯(5歳の娘は寝てしまってダッコが必至)や天候(雨ならあんまり気が乗らないと祖父母)のため、私だけになった。一族代表としての自覚をもって臨む。 仕事は3時30分頃に終了。 我が家は宮スタに至近。とはいえ、道路交通状況を考えて、早めに帰宅し、早飯を。帰宅途中に、県道を歩いて登っていく若者がいる。何か貢献したい一心で、車に乗っていくかと声をかけたが、変に思われたのか敬遠された。 小三の娘が是非行きたいと言い出したので、急遽チケットを手配して(子供用はないので、2人で6千円となった。カテゴリー4自由席アウェイ)、いざ宮スタへ。家からは徒歩5分。 紫の曇天が闇に変わり、キックオフを待つ。雨はないが、風が台風特有のなま暖かい。客の入りが気になる。向こう正面側は満席、正面側は2階の最上部が空いている、という感じ。ささきいさおの君が代などのあと、19時20分キックオフ。 日本代表は動きが硬い。逆にホンジュラスのパスワークとトラップはすばらしい。前半あっという間に1点、2点を献上。守備が甘い。フリーにされてしまう。しかし相手2点目の後、中田英のパスから高原が押し込んで何とか1点を返して、反撃ムードか。前半終了5分前に、娘と飲み物を買いに並んでいる間に、ホンジュラス3点目。何と1-3である。ああ、宮スタには魔物がいるのか。勝ってくれ。 甘く見ていたのか、欧州組とのコミュニケーション不足か、何度もピンチを招いている。 後半前には客席はだいぶ埋まっている。正面側最上部がやはり残っているのと、最後まで当日券で2千万程度残っていた(自宅を出る前に県サッカー協会のダイヤルに聞いた)カテゴリー2の座席が空席がある。それでもスタンドの熱気は高い。ウエーブが3回ほど回ってきた。前半も後の方になると日本がリズムを取り戻したので、観客も期待をしているのだ。 後半は私たちの方が日本のゴールとなる。上の方のフラッグや聖火台に近いところに座ったが、周囲は、だいたいが訛りのある地元系のようだ。関東から来たファンは先に購入しているから、私たちとは反対の、ホーム側に多いのだろう。 後半日本代表は早々に俊輔のFKから柳澤ヘッドで得点。2-3で追撃ムード。しかし、すぐにホンジュラスも4点目を挙げる。ベラスケスという選手はすばらしい。3点くらい入れているはず。日本もリズム出ている、ボクシングの撃ち合いのような試合展開だ。相手反則のPKでスタンド大いに沸き、俊輔のPKゴール。キーパーに右に蹴る振り見せて左に蹴ったよ、とわが娘の解説。その後、柳澤の落ち着いたミドルで、ついに同点。さらに、後半途中出場の小笠原が勝ち越しゴール。何と5-4だ。 日本代表として反省材料はおおいだろうが、試合としてはこの上ない面白い展開となった。すばらしい。いいぞ日本代表、そして、おめでとう宮城スタジアム!! 入場者数は、スクリーンで45,198人と発表があった。 後は、試合後の交通アクセスで評判を落としたくない。どうだろうか、気になる。帰宅して風呂に入り、下の娘も起きてしまったので、寝かせて、今10時半だ。外を見ると、利府駅に向かう道路はスイスイ流れている。10時頃に見たときは渋滞でシャトルバスが止まっていたのだが。うまく電車と新幹線(臨時も運行)に間に合っているか、そして今回の評価は。 試合内容は最高。天候もまずまず。交通対策は、明日の朝刊で知ることになろう。5時に起きて読むぞ。
2005.09.07
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本日(9月6日)付けの河北新報の教育面の記事「進学率向上 宮城・郡部県立校の挑戦」。6回続きの第1回という。大学進学率が低い本県で仙台圏外の拠点県立高校が進学指導に取り組んで実績を上げている、という記事。 宮城県の進学率と県民所得は、全国的にかなり低位である。 わが宮城県は人口では全国第15位、人口密度19位(平成12年国勢調査)。だいたい上位3分の1、中の上というのが何となくの感覚。 しかし、大学進学率(平成17年学校基本調査速報、文部科学省HPから。これは現役進学率。)は、全国47.3%に対して宮城37.9%。京都の58.1%がトップで、首都圏、関西、中部の主要県と広島県が50%台。また、よく言われるように富山、石川、福井の北陸三県の50%台が特徴である。本県の37.9%は、山形の40.1%より低位で、下から8番目。 1人当たり県民所得も14年度で2,576千円は、全国で30位と中の下。これも人口規模に比較してかなり低位である。 これらデータは、中の上という宮城の感覚に比較して随分低い。例年そうだ。本県に特殊な要因によるのか、あるいはこれこそが実力なのか。県民所得の方は、産業構造の低次さを表していると思われる。かつて勉強会のテーマにもしたが、また機会があれば分析したい。本日の題は進学率。 宮城県教委では進学率と対策をどう見ているのか。平成17年3月の「学力向上推進プログラム」に考え方が整理されていると思われる。高校生の進学に関する部分を、思い切り縮約すれば、下記のとおり。 「学力と進学率の低迷を認識。現役進学率36.1%(平成16年3月)は全国40位、浪人割合が高い。就職決定率も低く(40位)、これらは本県の大きな課題で適切な進路指導が重要。現役進学率の目標を全国平均に定め、授業理解度の向上と家庭学習の促進の2つのプロジェクトを行う。」その後に具体策がちりばめられている。 私は、この一番の意義は、進学率の低さを正面から捉え、目標を設け、取組をする、と宣言したことにあると思う。従来もなんとなくは進学率について考えてはいたはず。でも、「結局やる気の問題だね」、「宮城の人は困っていないからハングリーさがないからね」、「浪人が当たり前だから」、など世の中でも言われており、教育を司る側も多少責任放棄していた感じが強い。 多分関係者がみんな思っていることだろうが、ポイントは教育サービスの供給側の水準、つまり教員と学校のやる気、だ。 進学支援プログラム事業として、拠点的な進学校に一定の予算を配分している。予算がないと動かないのか、という批判も聞いたが、ちょっと違うと思う。たしかに、教育は予算がいくらなければ取り組めない、というものではないはず。それは皆わかっている。この予算配分の意義は、他校と差別化し、教員に意識を与えること、また県教委としても学校に言う事聞かせるための手段だ。だから事実上必要だったのだろう。 平成17年春の現役合格実績を東北のいつくかの高校のHPでみてみる。(括弧は浪人で外数。記載なければ現役のみ。なお合格者数なのか進学実績なのか統一されていない。)○仙台二高(クラス数8)国公立117(うち東北大55)(浪人105)、私立63(291)。これは合格数でなく進学実績。現役進学者は計180名となり、就職はほとんどいないから、残りの140人程度は浪人して来春の進学をめざしていることになる。何ともすごい。○石巻高 国公立61(うち東北大10)、私立205。合格者ベース。○古川高(6) HPで公開なし。残念。この辺も進学校としての自覚不足か。○泉館山高校(7) 国公立107(うち東北大5)(浪46)私立373(100)。これは合格実績ベース。実際の現役進学率は二高に比較すれば結構高いと思われる。○白石高校(5) 国公立55(うち東北大3)(浪18)、私立208(浪52)。合格ベース。○盛岡一高(7、共学) 国公立196(うち東北大39)、私立223。これは合格実績なので実際の進学は不明。○水沢高(7、共学) 国公立146、私立170。ただし16年3月合格実績。○大船渡高(6、共学) 国公立83(うち東北大8)(浪6)、私立190。合格実績。○山形東(6、共学) 国公立164(浪人59)(東北大現浪あわせて75)私立112(浪133)。これは16年度の数値で合格者ベース。仙台二高に比べれば、やはり現役進学が高い。○米沢興譲館(6,共学) 国公立145(うち東北12)(浪人12)。私立214(51)。合格者ベース。○酒田北(6,共学) 国公立89(うち東北大8)(浪人27)、私立77(23)。これは進学実績。○青森高(8、共学) 国公立179(うち東北大25)(浪人30)、私立210(79)。合格者ベース。 きりがなくなってきたのでこの辺で。 所見としては、やはり宮城の現役進学率は低いこと。仙台二高に象徴的。他県のトップクラスの現浪の比率をみると(私立は複数合格が予想されるので国公立のみ)、山形東高で3対1、青森高で6対1。仙台二高はほぼ1対1であり、この差は歴然。浪人率の高さが際だっている。 また、例えば人口10万超、学区では20万人規模の石巻の拠点校石巻高は、仙台圏以外では現役国公立合格数が最高だが、その現役合格数や全体合格数は、学区規模が同規模と思われる酒田北、小規模と思われる水沢高より残念ながら劣っている。地方中小都市の大船渡高(国公立現役83)、久慈高(同62)あたりと同程度というのは、寂しい。山形県で山形東高に次ぐ実績を誇るのは米沢興譲館だが、米沢市は人口9万ほどである。宮城県第二の石巻にも、こんな迫力があると良いのだが。勝手な意見で失礼。 現役進学率の低さについて、生徒や父兄の意識に要因を求める議論もあるが、私はやはり学校側の意識を大いに問題にしたい。 進学校を標榜する以上は、やはり現役進学という結果を出すことに、もっと学校側は真剣になるべきだ。好んで浪人するヤツがどれだけいるか。生徒の適性と能力にみあう大学に合格させるという進学校の本来の使命をどれだけ真剣に考えて来ただろうか。 こういう議論になると、よく、進学だけが学校生活でない、という意見も出てくる。受験競争は予備校の専門事項で...という意見すら聞く。何とも寂しい話だ。進学校として生徒が学び、現役進学を望んでいる以上、それを正面から支える学校であって欲しい。確かに学生は多様な学校生活を送りたいし、その面で全人格的な教員の指導を望んでいるとは思うが、そのこととが進学指導と矛盾するものでも何でもない。 また、進学実績を競うのは県立高校の本分に反する、というような訳のわからない議論もある。これは、受験競争を悪として「豊かな高校生活」と対峙して議論する図式だろうが、そもそもおかしい。生徒の自己実現という意味で、進学は実りある高校生活の重要な一部であるはずだから。この論者が教師にいるとすれば、それは、受験競争を忌避すべき物と決めつけることで、生徒の本心に応えて自己鍛錬することを怠る自分への言い訳にしているだけなのだ。ちょっと言い過ぎか。こんな先生は進学校には少なくなっただろうが。 もうちょっと踏み込んで言うと、個々の教師はそれなりに意識をもって取り組んでいるとしても、それに任せっきりで、組織としての学校の力が意識されてこなかった、という気がする。学校経営、という意味では、内容のよしあしは別として、一部の私学に何十年も遅れている。 子供の素質にもとより都道府県の差はないはず。教育サービスの供給側で真剣になればなるほど、生徒も自分を見つめ、自発的に取り組み、結果もついてくるだろう。学力向上推進プログラムの具体策の中にも、学校活性化策が盛り込まれている。これも、組織力としての「学校」が機能させるため大事だと思う。いずれにせよ、教育委員会が言っているから、というのではなく、学校自体が主体的に組織的に対応していかねばならない。 是非とも宮城の県立「進学」校の奮起を期待する。現役進学率を全国平均に、という目標の達成を見守りたい。
2005.09.06
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先月の登米市内の駐在所警官が刺されるという事件はショッキングだった。殺人未遂で逮捕したという報道で、傷害罪ではないから殺意を認定したのだろうか、などという疑問も持ったが、中学生が拳銃欲しさに凶行に及んだというから驚き。また、重傷を負った警官が血まみれになりながら、救急車の到着するその瞬間まで、犯人の身柄確保と説得に当たっていたという報道も印象的だった。新聞によって記述が異なる点もあり、ニュースソースの多様性が伺えるが、いずれにしても、県民としてこのような警察官を誇りに思うことも率直な感想だ。さて、この報道で登米市は図らずも全国に名が知れたのではないだろうか。私はこの「登米市」とお隣りの「栗原市」を、ひそかに大いに応援している。本年4月、宮城県では登米市と栗原市の2市が誕生した。合併の必要性を、登米市の合併建設計画「第1章3合併の必要性」を例にとってみると、 (1)生活圏の拡大と住民ニーズの多様化・高度化への対応 (2)少子・高齢化の進展に伴う社会構造の変化への対応 (3)地方分権の推進と行財政基盤の強化の3点に集約されている。これを私なりに簡潔にまとめれば、 (1)一体的な生活圏 → 一体的なまちづくりを計画的・効率的に (2)少子高齢化に対応すべく人的・財政的な基盤充実 (3)自己決定・自己責任のための専門的人材の育成、また少子高齢化でも行政サービス水準確保のため、効率的な行財政運営(2)と(3)は重複しているような気もするが、細かいことは捨象。ここに整理されているような合併の必要性は、他の合併事例でも同じだろう。現に栗原市の場合を見てみると、 (1)地方分権の推進 (2)少子高齢化社会への対応 (3)多様化・高度化する住民ニーズへの対応 (4)行財政基盤の強化 (5)広域的な施設整備となっている。これらの必要性のうち、財政面での必要性と利点は、数字で出せることもあり、相当議論され尽くしたと思う。また、今後とも検証されるべきであろう。これら目に見える効果の議論はそれとして、これら2つの新市の合併ならではの点として、思うことがあるので述べてみたい。昔の話だが、宮城県の地図をみて素朴に疑問を持ったことがある。なぜ宮城県北には「市」がないのか。そして、東北他県に比べれば、非常に面積の小さい町がひしめいている。例えば岩手県の地図と比較すると一目瞭然だが、水沢市は県内でも狭い方で、面積は97平方キロ。岩手県の地図を見ると他市町村に比較して随分と狭いのがわかる。他方で、宮城県の場合、旧栗原郡、旧登米郡、遠田郡あたりは随分狭い町が多い。志波姫、高清水など30平方キロ前後の町も多く、感覚的に比較的広いと感じる涌谷町でも、82平方キロで水沢市より狭い。 平坦地で豊かな穀倉地帯であることから、満遍なく集落が張り付き、中心都市の形成が進まなかったのだろう。 県北で古くから市(七日市、三日市とか。町名に残っている。)が成立した商業都市と言えば古川市だが、古川市は全国的にも希有な特徴をもっている。それは、国道4本が交錯し、周囲に「市」のない、という意味で田舎の王様的な一大拠点都市という特徴である。かつて勉強会で古川の地政学的特徴を整理した(実は地図を丹念に眺めた)ことがあるが、まちがいなく他にない拠点性である。栗原郡や登米郡を背後圏にしていることになるが、かといって古川市自体の人口集積もさほど大きくない。これは、栗原や登米にも市レベルではないものの適当に商業などの集積があり、また、巨大都市仙台や一関市にも適度に引っ張られているからということだろうか。 岩手県はじめ東北他県では、都市のつながる軸と山間部の背後圏という秩序がハッキリしている。国道4号に沿って、花巻、北上(黒沢尻)、水沢、一関にはそれぞれ、稗貫郡、和賀郡、胆沢郡・江刺市(旧江刺郡)、東西の磐井郡、という背後圏がついている。これらは主に中山間地域である。こうした秩序は山形の国道13号沿いなどにも典型的にみられる。ただ、これらの背後圏は人口10万程度だ。 栗原郡や登米郡は、満遍なく豊かな地域であったからこそ、20万人の人口がありながらぬきんでた核都市の形成がなかったということだろう。 そんな両郡が、そのまま市になった。核となる「市」がなくて、9や10の町村が一斉に市になる、という合併事例は全国的にも珍しいのだそうだ。なるほど。それだけに合併の苦労も大変だったと思うが、いざ誕生した新市には、勝手ながら私は大いに期待をもっている。変な言い方かもしれないが地域構造に秩序がないからこそ、他にないまちづくりができるのではないか。 核がある方が、一見すれば施設の配置にも悩まないという効率性があるようにも思える。しかし、もはや施設のばらまきという発想は時代遅れだし、鉄道網がなく自動車やバスで移動するのだから、逆に悩む必要もないとも言える。あえて核を作ろうとしない方がいいと思う。いままでの「そこそこ豊かな町×10町」を活かしたい。また、新市の共通アイデンティティを無理に求めない方が良い。多様性をこわすな。行政としては、まず行財政の効率化という合併本来の効果に、計画以上の実績を挙げること。どの町が取り立てて貧しいということもないのだから、変に地域構造をいじることをせず、市民の財政負担を軽くすることに行政は集中できる。これは意外と他ではできないのではないか。まさに合併の王道をいくわけだ。 名前もいい。特に登米市。中学生の事件の報道で全国にあいさつしてしまったが、字が良い。もし今はやりで平仮名の「とめ市」などとしたら、もう私は応援しない。堂々と、今までのありのママで、登米市。これしかない。「栗原市」も同様に、良い。 そして、隣同士の2市が、変に背伸びせず、真の豊かさを追い求める市政を競ってもらえば、全国に誇れる宮城のまちづくりになるのではないか。こんな2つの新市を県民として、誇りに感じている。がんばれ、登米市、栗原市。
2005.09.05
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先日、小学校3年の娘が学校からアンケート用紙を持ってきた。宮城県で3年に一度調査を実施しており、今年が該当年のようだ。これを見て思い出したことがある。 もう10年以上前だが、企画関係の仕事の際に、この消費購買動向調査(商圏調査)を知った。「商圏」の成立や消滅、その範囲や、吸引力の状況など、大変おもしろいものだと思った。かつて地域分析を勉強した者として学問的な関心も持った。 特に興味を持ったのは、調査対象者を、公立小学校3年生児童の家庭としている点だった。なぜ3年生なのか、その時に深く調べたり担当者に聞いたりはしなかったが、自分なりには納得していた。 つまり、調査の性格上、消費者全体の中から不偏的に(バイアスなく)標本を抽出しなければならないが、「公立小学校3年生のいる家庭」の全数(約2万件)とすれば、義務教育である以上、3年生の子をもつ家庭は全員対象とすることができる。そして、3年生の子を持つ家庭とは、一般には親が35~50歳くらいで、標準的な家庭として家族全体の買い物需要や個々の買い物需要を一通り反映できるだろう。なかには祖父母のいる家庭も少なくなかろうが、その割合も正しく反映される。 また、学校を通じて調査すればコストをかけずに確実に回収できるという、実務上の着眼もあっただろう。細かくは、なぜ1年生や6年生でないのかという疑問もあるが、1年生では児童自身と家族の連絡に不安があり、6年生では家族に届けない不安も何となくある。3年生が一番きちんと届けてくれるだろう、ということか。 ただ、独身者やリタイア世代も間違いなく消費者なのだが、これらは反映されない。また子供の中でも高校生などは結構カネを持っていて独自に買い物をするだろうが、これも反映されない。 いわば旧来的な標準家族をモデルとして考えていたということだろう。伝統ある調査なので、時点比較という観点からも、手法は変更すべきでない、ということもあるのかも知れない。 さらに、私立の小学生も少なくないし、相当入っていると思われる山形県からの購買客の動向も知りたいところだ。この辺も含めて、いつか担当者に聞いてみたいと思う。 今回の調査結果で県内の商圏構造がどう変わっているのか、さて結果が楽しみだ。
2005.09.04
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9月3日フルスタ宮城。12字頃から突然の雷雨で大変だったが、無事1時に試合開始。一場の好投に打線も応えて、快勝。すばらしい。わが家の4名は3塁側内野自由席。初めて応援する娘達も楽しんだ様子。5時間以上、スタジアムにいたことになるが、カラスコ登場やジェット風船とばしなど盛りだくさんで、飽きなかったようだ。もちろん私は大いに堪能。いやあ、良い試合だった。山崎の先制ソロもだが、ヒットが出てほしいところで出るという試合展開は、ファンとしてはたまらず、声援に熱が入る。昨日に次いでの大量得点。そしてなんと言っても一場の好投、初勝利。コントロールには苦しんだが、ランナーを出してから三振やファウルに仕留めるところに安心感がある。9回に小野コーチがマウンドに行った際には、一場一場の大コール。味方が大量9点で完投目前だから交代はないだろうが。「一場変えんなよ」と大きいオジサンの声がすると思ったら、それは自分だった。一場はこれまで7連敗、おそらく相当クサっていたと思うが、前回の西武戦9回失点ゼロ(楽天打線はパーフェクトに押さえられ、延長10回福盛で負け、勝利はつかず)で自信をつけたのだろう。もともと実力はあるはずなのだから、これでやっていけると思っただろう。そして、今日は打線が援護で初勝利。これでやっと本当のスタートライン。今後もおそらく安定的に先発の役割を果たすだろう。スタジアムを一周する一場に、スタンドの一場コールはすごかった。一場も泣いていた。やったぞ一場。男だ。
2005.09.03
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後に風呂に入ることの多い私は、入浴後に風呂を洗う。ユニットバスの全体を洗う。バスマジックリンを吹き付けて、スポンジでこすって、シャワーの水で洗い流す。最後には水を体にかけて(このとき気合いが必要)、風呂を出る。歯磨きなどしてしばらくしたら、また風呂場に行って、壁面や床面の水滴をバスタオルでサーッと拭き取る。 とこんな具合。数年前から習慣になってしまった。もっとも、水を体にかけるのは夏だけだが。 はじまりは妻の薦め。それまでは週に1回程度洗っていたが、入浴直後の暖かいうちに流すのが良い、とかいうことで始めたと思う。これが、やってみると続いてしまう。何故かと言えば、風呂上がりのお湯(というか水)が散在したままに放置しておくことが許せなくなってくるからである。朝起きたときに、ついつい風呂のドアを開けてみて、床や壁がきれいなのを確認してしまう癖もついた。 たまに怠ることもあるが、次の日には、浴槽の内壁の手触りで汚れが歴然とわかる。我が家の風呂は普通は一日6人入るのだが、やっぱり一日や二日でもかなり汚れるようだ。帰りが早くて一番風呂に入る場合などは、ひそかに満悦している。 週に一回程度洗っていたときには、床面や排水口回りが黒ずんで、たまに歯ブラシでこすったり、子供とオレンジやマヨネーズで実験したり、いろいろやってみたものだ。しかし、毎日普通にバスマジックリンで洗っているだけで、いつしか黒ずみは消えて、浴槽の表面についていた湯あかのあとのような紋様もすっきりとなくなった。 小さな事だが、自分らしいと勝手に思っているので、これからも続けたい。
2005.09.02
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すばらしい。朝井の小気味よいピッチングに打線も応えて、快勝。 朝井もシーズン前半で何度か先発して実績も残したが、まだ安定感はイマイチだったように思う。しかし、完投できるということは、本物だ。しかも準完封。 これで、朝井、有銘、一場、岩隈の生きの良い若手投手陣による先発ローテが安定的に機能できると期待。 6月上旬にフルスタで対中日交流戦を観戦した。先発金田がつかまり、確か0-6の惨敗。本来なら金返せコールも出そうなところだが、やっぱり仙台のファンは暖かい。スタジアムもきれいで、良かった。夕日にそまる宮城球場、いやフルスタを見ると、ああ本当に仙台にプロ野球が誕生したんだな。去年は近鉄球団の売却から、ライブドアと楽天騒動、そして球場改修、命名権などと、仕事でも多少関わりがあったが、関係者の苦労の甲斐あって、本当に実現した。秋の頃には、本当に宮城球場でプロ野球開幕できるのか、みんな疑心暗鬼だったはず。しかし、ここにこうやって実際にプレーして、ファンが集まって声援している。いや、すばらしい。 今度は家族で行くぞ。学校の夏休みに子供を連れて行くつもりで、娘らにさりげなくテレビの試合中継を見せて、「これがカラスコだよ」「チアガールも出て楽しいよ」などと洗脳してきた。下の5歳の娘も最近は「楽天」の漢字を覚えて、テレビ画像に出るスコア表示を見て、「楽天1対0で勝ってるよ」などと教えてくれる。 結局夏休み中はつれて行けなかったが、いよいよ、今度の土曜日には行くぞ。あまり乗り気でない妻も多少乗ってきた。 土曜日の先発は、一場か。前回は涙をのんだが、実力は証明した。頼むぞ。今度こそ男になれ。
2005.09.01
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