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昨日(30日)家族で県北部を周回。途中お昼に、国道4号沿いの赤い看板が目印の西屋ラーメンにお邪魔する。実は市役所近くの著名なそば屋に入ろうと、右折しようとしたら準備中の看板。あわててそのまま北進、なんとか西屋さんの駐車場の3台目スペースに滑り込む。この店、以前から国道4号を通る度に目には入っていたが、一度も訪れたことがない。ケガの功名とは言え、家族4名で入ることができたのも幸い。時刻はちょうど12時過ぎ。店内は満杯状態。お客さん達は近所の家族連れという雰囲気。ラフな格好や、お年寄り連れなので、そうわかる。ご家族だけでやっているのだろうか、客が多いのに調理はご主人とおぼしき1人だけで、あとはホール係など2人でやっている。メニューも豊富で、かなり大変だろう。我が家は、中華大盛り(編集長=父)、みそラーメン(母)、とんこつ(姉)、ワンタン麺(妹)。どれも美味かったが、みそのスープ、豚骨のスープが良かった。5年生のお姉ちゃんはちょっと冒険でとんこつを頼んでみたのだが、大当たりだったようだ。皆でスープをすくいあって楽しんだ。ところでこの西屋さん、入ったことはないのだけど私には思い出がある。たしか上の子が2歳か3歳くらいの頃。車で上の子を後部のベビーシートに乗せて夜の国道4号を仙台方向に走っていた。どういうわけか子どもが泣きやまず、運転しながらなだめていた私もついに爆発して大声でどなってしまった。子どもに怒鳴っても仕方ないのだが。すっかり頭に血が上って、車を止めて降り、後部に回ってドアを開けて、たぶん、そんなにイヤなら降りるかオイ、とか言ったのだろう。短気な性格から直情的に行動する時があるが、ストレス状態を継続するよりも何らかの行動に出ることで同時に頭を冷やす、という無意識の機制なのかも知れない。その降り立った場所が、まさに西屋さんの駐車場。夜で店は閉まっていたと思う。そんなことがあってここを通るたびに、若干の悔悟を含む記憶がよみがえっていたのだ。そこに初めて入店できた。ラーメンが届くまでのやや長い間、上の子は店内を観察してあれこれ話題にする余裕も。豚骨を味わった後は、小上がりの空くのを待っている子ども連れの家族のために席を空けてあげた。西屋さん。成長しました、この子も。ありがとう。
2007.12.31
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大晦日は新聞をじっくり読める日でもある。隅々まで見渡していると、松島町町制80周年という企画広告がある。町内の店の広告などが並んでいる中に、堂々「秋田県にかほ市」がある。「夫婦町」の名を冠して。象潟と松島は夫婦町だ。松島にも看板が出ている。画像は今年の秋に撮ったものです。にかほ市ホームページの説明東北も今年一年いろいろありました。どこの皆様もよいお年をお迎え下さい。■関連する過去の日記 芭蕉最北の地 象潟(06年12月24日)
2007.12.31
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NHKのニュースによると宮城県内で飲酒運転による人身事故や違反の市町村別の人数が公表された。免許保有者1万人あたりで、事故が最も多かったのは大郷町(3.23人)、違反者が最も多かったのは村田町(12.4人)だそうだ。事故 1大郷町 2大和町 3丸森町違反 1村田町 2大衡村 3栗原市いずれもゼロを達成したのはひとり七ケ宿町だけ。不名誉な第1位となった両町だが、摘発されない飲酒運転も相当横行しているとみなければならない。昨日は県北部で小学校の教頭の飲酒運転で信号無視が報道された。年の暮れにガッカリ。今までもやって来た。みんなもやっている。事故にならないなら良いだろう。見つかるはずもない... ひとえに意識の問題なのだが、無くならないから、法制度やらPRやら何かとコストをかけて世の中がいろいろ考えなければならない。
2007.12.30
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さて河北新報の東北10大ニュースが発表されました(29日朝刊)。経済分野では、セントラル自動車の進出決定、仙台空港アクセス鉄道開通、社会面では会津若松の高校生母親殺害、プロ野球裏金問題なども。ありましたね。それと異常気象。これは有る意味では最重要の課題です。東北でも暖冬猛暑。山形が王座を譲りました。やっぱり報道のプロは満遍なくニュースを選ぶというところでしょうか。当ジャーナルとしてはオダズマ度NO.1(何のこと?)の盛岡商初Vや村山県議ネタを選んだのですが、皆さんよろしければ読んでみて下さい。 →→ おだずま流2007東北10大ニュース発表!(07年12月27日)■関連する過去の記事(東北10大ニュース)(2007年) ○2007今年の十大ニュース(07年12月25日)(2006年) ○2006東北10大ニュース(06年12月29日) ○東北の10大ニュースを考える 青森(06年12月26日) ○東北今年の10大ニュース 岩手(06年12月26日) ○2006年秋田の10大ニュース(06年12月25日)
2007.12.29
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考える、という程ではないのだが、今日(28日)の朝日の記事を見て思い出した。かつて放送禁止とされた歌をまとめてオンエアする番組があったそうだ。高田渡の「自衛隊に入ろう」。最初に歌われた頃は僕は知らないが、8年前くらいに車中のラジオで聞いて耳に残っている。アングラ・フォークのフレイバーたっぷりで、一度聞いてすっかり覚えてしまった。♪ォ男の中の~♪ォ男はみんな~自衛隊に入って花と散る。なぎら健壱、金太の大冒険、谷中ブルースなどはとても懐かしい。アーティスト名とタイトルと混在してしまいました。今思い出して調べてみたら、高田渡さんは2年前に亡くなったのだそうだ。僕は他に高田さんの歌を知らないが、あのメロディーはいつまでも耳に残るだろう。
2007.12.28
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昨年は河北さんに先を越された。今回は先に行きます。おだずま流2007年東北この1年の十大ヌーズ!(ニュースでしたね、日本流には)。1 盛岡商業快挙!初のサッカー頂点 新春の快挙だった。すばらしい逆転劇。先制を許しPKを外しても、決して諦めず走り続けた。斎藤監督の笑顔も印象的だった。これを第1位に挙げたい。■関連する過去の記事 走り回れ盛岡商イレブン(07年1月8日)2 参院選挙民主勝利で地殻変動か 青森、秋田、山形の1人区で民主(民主系を含む)が勝利。接戦と予想されたは言え、秋田と青森での新人当選は自民に大きな打撃を与えた。■関連する過去の記事 自民大敗、東北の1人区も完敗(07年7月30日)3 山村県議の居座り こんなのをベスト3に入れるのもodazuma流だが、山形県のみなさん申し訳ありません。あまりにも異常だから。多言しません。■関連する過去の記事 山形県村山県議の動向(07年12月7日) このあと、辞めるとは言っていない、とご本人は語ったそうですが...4 イーグルス4位で終わる 来季に大きな期待 本当に来年が楽しみ。ホーム最終戦。雨のセレモニーが印象的でした。編集長通算勝率.545です。■関連する過去の記事 関さんトヨさんありがとう(07年10月5日)ほか多数5 フリースタイルスキー世界大会の混乱 福島県の関係者は大変でしょうが、何とかよろしくお願いします。■関連する過去の記事 FIS猪苗代大会運営費倍増問題(07年8月31日)6 秋田比内鶏も 食品偽造の闇晴れず 秋田は、国体開催で沸いた一年ですが、風水害や偽造問題など良くないニュースもありました。7 深浦町に脱北者が漂着 改めて隣国であることを実感させられた。■関連する記事 青森脱北者漂着と地元(07年6月8日)8 年金問題転じて大崎市職員の告発問題に この問題、記事にしようとして書かなかったけれど、ここで一言。舛添大臣が盗人は許さないとして、地方自治体に鉾を向けるのはダメとは言わない。しかし大臣が真っ先にやるべき事は足元だろう。案の定年末に新たな問題も出てきたし。地方はかりにも職員の処分はしているのだ。 地方分権は名ばかり、未だに地域の実情も知らでカラ回りする行政の象徴というべき厚生行政に対する、地域の割り切れぬ思いを代弁しようとしたのが大崎市伊藤市長だ。単に一地方自治体の論理で行動したのではあるまい。それに対して、20年前は大政治学者で改革の旗手ともされた大物大臣の底の浅さよ。本丸の改革を本気でやって欲しい。今こそ真剣に信頼回復しようとする末端職員のことも考えよ。9 ずっぱり岩手がスタート ここらで明るい話題も1つ。「どんど晴れ」で人気を呼んだ岩手県を楽しむ総合ポータルサイトずっぱり岩手。編集長も特派員にしていただきました。来年はもっとパワーアップだそうです。10 黒石市の純金こけし仙台の会社へ あの黒石のふるさと1億円の純金こけしが身売り。淋しいけど、社長さんがふるさとのために購入したというから、使い方を見守りたい。真の企業人と評されるようであって欲しいが。■関連する過去の記事 黒石の純金こけし(07年12月22日)■関連する過去の記事(東北10大ニュース)(2007年) ○2007今年の十大ニュース(07年12月25日)(2006年) ○2006東北10大ニュース(06年12月29日) ○東北の10大ニュースを考える 青森(06年12月26日) ○東北今年の10大ニュース 岩手(06年12月26日) ○2006年秋田の10大ニュース(06年12月25日)
2007.12.27
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明治天皇に奉仕した名馬金華山号は、明治2年栗原郡鬼首村(後に玉造郡に編入)軍澤に生まれ、高橋七右衛門と妻みよに育て上げられた。純粋和種、丈は4尺9寸、栗毛。明治3年の馬市で売られ岩ヶ崎馬喰油屋丁吉の手に5両で帰した。明治9年天皇のご巡幸で水沢に御注ひつ遊ばされた折、警衛の警部の乗りし馬の非凡なるを供奉の馭者矢野宣温が認め、これを購って帰り、名を金華山と改めた。宮内庁調教師目賀田雅周が調養し、明治12年竜御に供することを聖上お許しになる。明治13年7月三重、愛知2県の陸軍大演習に臨せ給いし折りに初めて玉鞍を戴く。21年には浦和付近の機動演習の天覧に際し、奉供の馬が皆驚き逸する中、ひとり金華山は泰然とこともなげに歩き、真の軍馬と激賞される。あるとき観兵式で土盛りして一段高くした場所に金華山号を召された天皇がお立ちになった。その台地土盛りが崩れたが、金華山号は片足を浮かしたまま泰然自若とご盛儀を終えたという逸話もある。また聖上が乗御されるときは膝を折ってお乗せしたという。明治28年6月に老衰して死去。玉鞍を戴いたのは明治13年から26年まで14年間に及ぶ。後藤貞行氏の超克、また五姓田由松氏の油絵が神駿を後世に伝える。木彫が鬼首荒雄川神社境内の主馬(しゅめ)神社にまつられる。ところで、鬼首には名馬にまつわる伝説も多いようだ。支倉六右衛門は隠し馬を1頭鬼首に連れてきた。政宗が軍馬の改良に意を注ぎ、支倉の渡欧に際してその意を含めた、というのだ。洋馬を連れて舟で北上川を上り、登米あたりで陸揚げし、栗原から鬼首に入ったという。鬼首には伊達家の隠し牧(牧場)が2百町歩あったという。また、宇治川の先陣争いの佐々木四郎高綱の乗馬池月号は玉造池月の産といわれるが、もとは鬼首にいた野生の馬ともされる。
2007.12.26
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ことしもあと1週間。今年の十大ニュースのタイミングとなりました。福島民報(2007読者が選んだ県内十大ニュース)によると、尾瀬が単独で国立公園に(8月)、が第1位。フラガール、合唱日本一、陸上選手の活躍など明るい話題が上位。FISや前知事裁判などもあるが、やはり前向きな気持ちで年の瀬を迎えたい意向が働いたのだろうか。県庁爆破男の県職員逮捕、なんてのも見える。十大ニュース(福島民報では20位まで)は、一年のニュースを振り返る良い機会でもある。今年も当ジャーナルでは東北の十大ニュースを整理させていただきます。■関連する過去の記事 2006東北10大ニュース(06年12月26日)
2007.12.25
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食材王国宮城の究極の味わい。松島の四季彩食料理コンテスト入賞作品をいただいた。昨日(23日)に松島一の坊で。一昨年も来たのだが、今回も一家総勢6名にて。大人は最優秀作品を、また子どもたちは優秀賞をいただいた。最優秀の「冬の松島・四大観」は出てくるどの品も素晴らしい。四大観を日の出から夕日まで見立てた。初めのトマト豆腐のサッパリした食味に始まるが、これは松島湾の朝日をイメージしているそうだ。鱈の昆布締めは扇谷に見立てているそうだが、とても美味かった。大高森見立ての茶碗蒸し。そして、写真は、多聞山に見立てた牡蠣岩石揚げ、富山に見立てた穴子の一夜干しからすみ焼。食事の雲丹炊き込みご飯に、牡蠣白菜巻の汁。その後は展望露天風呂でゆっくり松島湾を眺めた。普段は昼飯で100円でも高いと文句を言い、質より量の、はんだや系人間だが、今日ばかりは宮城の食材と板前さんの技を堪能させていただいた。名勝松島に浸り、食材を味わい、これ宮城ならではの楽しみですな。食事や風呂の代金はともかく(書くだけヤッパリ貧乏性)、場所と時間と味を楽しむのだから。風呂の後でマッサージ機に座っていたら、娘たちが男風呂にドカドカ走って来た。ああ、予想通り。二年前と同じだ。■関連する過去の日記 松島在住の浅井元義さんの画集に出会う(05年12月26日)
2007.12.24
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新潟県は国道が多いと本に書いていた。確かに地図を見ると、網の目のように国道が走っている。例えば岩手県を眺めてからサッと目を新潟に転じると、まさに疎と密のコントラストだ。ではデータで検証しよう。都道府県別に一般国道の実延長を見てみた。(出典:国土交通省道路局ホームページ「道路統計年報2007(抜粋)」都道府県別整備状況(平成18年4月1日現在))全国54,346.9kmのうち、北海道が6,550.4kmで第1位なのは常識的だが、第2位はちょっと意外にも、福島県だ。1,988.4kmで、第3位の新潟県の1,987.9kmをほんの僅差で上回っている。----------1 北海道 6,550.4km2 福島県 1,988.43 新潟県 1,987.94 岩手県 1,735.15 長野県 1,722.76 岐阜県 1,577.07 兵庫県 1,466.38 広島県 1,446.59 青森県 1,383.410 愛知県 1,308.611 秋田県 1,300.8(中略)17 宮城県 1,155.3(中略)20 茨城県 1,118.621 山形県 1,117.9(中略)47 東京都 337.2----------ちなみに、県道や市町村道も合わせた総延長でみると、----------1 北海道 88,445.6km2 茨城県 55,503.93 愛知県 48,917.84 長野県 47,323.45 埼玉県 46,354.06 千葉県 39,494.27 福島県 38,642.28 新潟県 36,705.1(中略)13 岩手県 32,563.6(中略)22 宮城県 24,188.423 東京都 23,798.124 秋田県 23,315.6(中略)26 青森県 19,395.8(中略)32 山形県 16,091.3----------面白いのは、福島県と新潟県はいずれも順位をだいぶ下げ、代わりに茨城県や愛知県が大躍進。愛知県は産業集積と自動車交通の活発さでうなずけるが、茨城は興味深い。一般国道では全国20位でしかないのに、市町村道が50,991.4kmもあり、北海道(70,171.1km)を除いてはダントツの第2位だ。もっとも市町村道の整備率(改良済み延長の割合)も34.9%で全国ワースト。茨城の道路が長いのはなぜだろうか。茨城県土木部のサイトには、道路延長は北海道に次いで全国第2位だが、幅員5.5m以上の比率である改良率は全国最下位、と書いてある(資料)。また、同資料には、人口は11位、面積は24位だが、平坦で可住地面積が広く、北海道、新潟、福島に次いで全国第4位だ、とある。
2007.12.23
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黒石市の純金こけしを落札したのは仙台市の健康食品販売会社だった。社長が青森県出身なのでお手伝いしたい気持ちで入札したとのコメントが報道されていた。このときの報道では、入札は仙台市青葉区の健康食品販売会社「ジャパンヘルスサミット」の1件のみで、開札の結果入札の最低価格1億9000万円を上回るなど入札基準を満たしており、この会社の落札が決まった。入札価格は1億9100万円から1億9500万円以下と見られている、との内容だった。また、黒石市では12月議会の議決を経て売却することになっている。金額はいくらなのか、気になっていた。先月の報道で「1億9100万円から1億9500万円以下とみられる」とあったのは、取材に対して「最低価格にいくらか上乗せしたよ。百万円単位だね。片手くらい? まあそこまで行くかねえ」なんてやりとりがあったのだろうか。勝手に想像していた。そしてその議決が昨日(21日)にあった。東奥日報の記事によると、----------黒石市が十一月に行った一般競争入札で売却先が決定した「純金・純銀こけし」の財産処分に関する議案が二十一日の市議会に追加提出され、可決された。これで、財政難を理由に市が手放すことを決めたこけしの売却が正式決定した。落札価格はこれまで明らかにされていなかったが、市によると一億九千百万円(税込み二億五十五万円)で売却される。落札したのは健康食品会社ジャパンヘルスサミット(本社・仙台市、島川隆哉社長)。売却金が入金され次第、早ければ年内にも「純金・純銀こけし」は同社に引き渡される。----------ということで、最低価格プラス100万円だったことが判明。ちなみに、黒石市の「議会の議決に付すべき契約及び財産の取得又は処分に関する条例」の第3条(議会の議決に付すべき財産の取得又は処分)によると、予定価格2千万円以上の不動産又は動産の買入れ又は売払いは、議会の議決になる。さて、あとはこの会社でどう使うのでしょうか。■関連する過去の記事(あまり関連もしないが...) 白石市と黒石市の交流を考える(06年12月6日)白石と黒石の交流として囲碁の対局を続けているという記事だが、このアイデアは本当に素晴らしいと感じた。仙台のこの社長さんも、純金こけしを白石のこけし館に展示するとか、そんな粋な計らいがあれば、東北人としてこの上なく嬉しいのだけれど。
2007.12.22
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秋田藩第9代藩主佐竹義和(よしまさ)(1775-1815)は米沢藩の上杉鷹山(1751-1822)と並ぶ藩政改革の成功者だ。改革は教育から始まる。1789年に藩校創設の布達。城下東根小屋町に翌年3月完成。御学館、後に明道館、さらに明徳館と改称する。家臣に高い教養と見識を備えさせ、藩政を担う良吏を育成することを目的とした。同時に家中に「被仰渡」を出して学問を奨励。明道館は儒学を中心として、通学40名、寄宿50名の学生がおり、優秀な生徒には扶持を増やしたり、食費などを提供。通学生には交通費支給や伝馬の貸与も。義和が人材育成に力を入れたのは、農村荒廃による財政危機が背景にある。義和が藩主となった1785年(天明5年)は、1783年(天明3年)の大飢饉の直後で、その後も天候不順が続き、餓死者は1万6千人とも。領内人口も激減し、土地を手放す潰れ百姓や逃亡者も急増、田畑の5割が放棄された村もあった。藩の収入も減少し、藩財政は崩壊寸前であった。そのため改革は農政を中心とし、1793年から荒廃地であれば、直轄地であれ家臣知行地であれ耕作を許可した。武士や町人でも認めた。資金が足りなければ藩が貸すとし、辛労免高(しんろうめんだか)として耕地の年貢分を与えた。同時に禁止していた新田開発も許可。土地売買も解禁した。これらの努力が奏功し田畑は拡大し年貢量も増えた。ただし、得をしたのは大地主や豪商で、彼らは競って資本を農村に投下し土地を集積し、没落農民との貧富の差がますます広がった。しかし1795年の郡奉行設置で一般農民にもメリットをもたらす。秋田藩は直轄地が3割と少ない上に、入り乱れて混在していたが、直轄地は藩庁役人が、家臣知行地は地頭(土地を有する藩士)が統治する二元構造であった。地頭は年貢の他にも農民に拠出金を要求するなど支配権が強かったが、義和は地頭等の反対を押し切り、秋田六郡それぞれに郡奉行所を置いて、農政の一元化を図った。決まった時以外地頭は支配農村を訪れてはいけないとしたのである。義和は藩内の殖産興業にも努めた。能代春慶塗、川連漆器、角館の桜樺細工、白岩焼、秋田黄八丈などの特産品は義和時代に起源する。1792年に産物方を設置し、杉、漆、藍、桑、楮、煙草、紅花、菜種などの換金作物の育成を奨励。稲作の合間に商品作物を育てさせて収入の足しにさせた。また養蚕業の普及を図り、絹織物業に力を入れた。商人の石川滝右衛門を抜擢し、領内の生糸や絹織物を公定価格で買い上げて販売させた。織絹技術の普及にも力を入れ、農民だけでなく下級藩士の子女にも技術指導を行い、家中の貧困救済を図る。1814年に絹方役所を設立。しかし、絹織物業は結局3千両の赤字を出し失敗に終わる。江戸や大坂に遠く、技術も未熟で品質が悪かったことが要因だが、根本原因は藩の興業策の不徹底だったようだ。秋田は米どころ。藩米の販売が主要財源で、殖産興業はあくまで副業だった。産物を自由売買して農民が商人化することは許さなかった。商売する者には税を課して強く統制した。もともと米穀第一主義と殖産奨励策を同時に行おうとしたところに絹織物業の失敗があったと思われる。義和は、このほかに、銅山改革、藩史の編纂、林政改革などを行った。改革にあたっては、明道館出身の下級藩士から多くの逸材を取り立て、改革の原動力とした。銅山奉行などのほか蝦夷地警護に渡海した金(こん)易右衛門、林政改革を果たして秋田杉を守った賀藤景林、砂留方として砂防林を完成させた栗田定之丞など。栗田は田畑を飛砂被害から守るため日本海の砂丘地帯に植林を行う。村人を根気強く説得し、熱意に心打たれた農民が、新屋地域の砂防工事では、延べ7万人無償奉仕したという。出典:河合敦『改革の日本史』学習研究社、2002年4-05-401813-0■関連する過去の日記(藩政改革関係) 秋田藩佐竹義宣の改革を考える(07年12月19日) 上杉鷹山の知恵袋 竹俣当綱(07年1月17日) 仙台藩の経済と財政を考える(1 藩札)(06年7月25日)
2007.12.21
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国連総会が死刑執行停止を求める決議を採択した。賛成104、反対54。先進国で孤立している日本は風当たりが強まりそうだ。裁判員制度などもあり、議論を深める機会だ、と毎日の社説(20日)。たしかに死刑の執行の当否や、死刑という罪の存在自体は、社会的にさまざまな問題を伴っている。しかし、国民の多数は罰としての極刑を望んでいるのも事実。人が人に合法的に死を課しうるか、などの哲学的論議は別として、一般の死刑廃止論の理由として、例えば、時代の趨勢は死刑廃止に動いてきた、という説明がある。これは歴史の解釈の問題だが、決して一義的にそうは言えないと思う。たしかに近代の刑罰史において、残虐な刑罰や無過失責任は克服されてきたといえる。また、死刑が残る国でも、立法上選択刑としたり、運用上執行を抑制するなど、死刑は限定的に容認されるにとどまる。しかし、だからといって歴史法則的に死刑が消滅に向かっているとは言い切れない。究極の罪としての死刑は存在すべきだと考えるからこそ、運用上抑制しているとも言えるからである。また、死刑の抑止効果には実証的に疑問もある、との意見もある。刑事政策的に改善や教育の余地がない、あるいは一般予防の威嚇力もさほど大きくない、などとするのである。特に刑罰の本質を目的刑(教育刑)とみる立場からは、こうなるだろう。しかし、刑罰を目的刑と見るか応報刑と見るかに関わらず(一般人はその双方を国家の刑罰権の行使に期待するだろう)、究極刑としての死刑の存在はなお必要と考えられていると思う。つまり、改善や更正によせる期待は、死刑以外の通常の刑の範囲で通用する。言い換えれば、国民として犯罪者の更正は期待するが、極悪人にまでは期待しない、ということでないか。死刑廃止論の論拠として、国家が私的制裁におもねることの戒め、言い換えれば、被害者感情を重視しすぎ、との意見もあろう。これはデリケートな問題だ。被害者感情だけを重視するなら確かに問題だろうが、国民の規範意識や刑罰によせる期待がなくしては、刑罰システムが犯罪予防と秩序維持のために機能しない。だから、被害者感情も、国民一般が理解する範囲で考慮するのが当然だ。以上のように考えてくると、死刑は他の刑罰と別質のものとして議論すべきように思う。罰の序列の延長上の端に死刑を置いてみるのではなく、他の刑罰とは質ないし次元の異なるものと見るべきだ。現行法上の自由刑(身体の自由の制限を伴う)は懲役、禁固などだが、身体の直接侵害はしない。自傷他害などの事情がなければ身体直接拘束は許されないだろう。また、ムチ打ちや指詰めなどの身体刑も近代国家では全廃された。なのに、死刑だけは、堂々と身体の直接侵害、それも究極の身体侵害だ。これが廃止論を伴いながらも存置されてきた所以は、やはり他の刑罰とは別のところにあるとみるべきでないか。などと考えて、結局私は死刑存置論者である、と思う。政策的に死刑廃止の理念を立法化することを絶対に否定するつもりはないが、それはまだできないと思う。自分が自発的にそう思いこんでいるのか、それとも死刑容認が日本人の多数意見だから尊重せよ、と考えているのか、実は自分でもよくわからない。 1つだけ。世界がこうだ、時代の趨勢がこうだ、の議論はやめたい。もちろん、日本の独自性だけを強調して誰がなんと言ってもこうだ、と威張るほどではないが。周りから入るのでなく、普通に自分を表現する。海を気にして自ら沈むことなく、地に足をつけたい。というより、足をつける地を見定める、そのことが日本人の心に大切なことではないか。国際世論ばかり強調する毎日の社説は、その点から違和感を覚える。世界が動いたから我が国も考え直すべし式の論調。もっともこの式の論議こそ、日本人らしいともいえるが。
2007.12.20
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関ヶ原で日和見的立場をとった佐竹義宣は、家康によって常陸から出羽国のうち秋田・仙北の6郡に転封され、水戸城を明け渡した。新領地はこれまでの3分の1であり、55万石から20万石に。家臣団のうち軽輩は常陸で帰農させ、秋田に向かったのは一門譜代あわせても93騎、総数2千人にも満たなかったという。この6郡(秋田、河辺、山本、雄勝、平鹿、檜山)は、小大名の支配地が錯綜し税制や統治方法が地域によって異なっていたため、新領の統治は困難をきわめ、入封直後から各地で旧大名遺臣による先亡一揆が頻発した。しかし義宣はこれを根気強く鎮圧し、その上で大々的な藩政改革に乗り出していく。まず人事の刷新。新参の浪人で30歳の渋江内膳政光を家老に抜擢した。政光は財政に明るく最新の検地技術を有していた。また義宣は、新参で近習をしていた梅津憲忠、梅津政景の兄弟を登用した。これらの人事には家中から猛烈な反発があり、代々家老の川井忠遠は渋江政光の暗殺も企図した。しかし企てを知った義宣は、機敏に手を打つ。川井を偽って呼び出し梅津政景に刺殺させ、さらに共謀した小野玄蕃、野上刑部左衛門、大久保長助ら門閥守旧派を処罰した。領地が3分の1になったから家臣の給地も縮小したが、義宣は指紙制度で対応した。これは、家臣に指紙(さしがみ)なる開拓許可状を与え、開墾した田畑は自己の知行地に組み入れを許した。これにより家臣は原野を開拓し、20年後には1万5千石の土地が新田に生まれ変わった。入封当時の秋田藩の石高は約20万石。その7割を家臣の給地にあてたため、藩直轄分は6万石だけで、これで藩財政を賄うのは不可能であった。さらに新田開発は家臣の土地としたから、藩財政を救うには田畑の税収以外に活路を見いだすしかない。まず、中世以来良材とされた秋田杉に目を付け、米代川流域一帯を藩直営として、能代から江戸や大坂に大量に木材を輸送した。1623年には年貢に換算して3万石以上に相当する売り上げを見せた。さらに、義宣は鉱山開発に力を入れた。中でも1606年に鉱脈が発見された院内銀山は、梅津政景が山奉行となり、一日に銀千枚を産したという。出身地や身分を問わず自由に鉱山労働者を受け入れた。これらによって、義宣は藩政改革を見事に成功させた。出典:河合敦『改革の日本史』学習研究社、2002年4-05-401813-0■関連する過去の日記(藩政改革関係) 仙台藩の経済と財政を考える(1 藩札)(06年7月25日) 上杉鷹山の知恵袋 竹俣当綱(07年1月17日)
2007.12.19
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今日の帰りのこと。仙台駅付近で、風呂の洗剤が切れたことを思い出して、名掛丁の薬店でいつもの詰め替え用の洗剤を買う。レジ近くに酒のコーナーがあり、最近飲んでいる雪っこ君がある、駅構内よりチョット安いな、などと思って思わず買ってしまった。さて、ホームに入っている電車に乗って、早速飲んで進ぜよう、と思ったら、雪っこ君と思ったのが、菊水のふなぐち缶だった。もちろん菊水も大好きなのだが、情けないのは自分としては雪っこだと思っていたこと。仕事の疲れか、という言い訳はあるが、それにしても情けない。どちらにしても、いつもの電車の10分間。美味しく頂いた。細胞の隅々に染みていく。疲れが柔らぐ。というか、ただの酒飲みオジサンなのだが。ありがとう。■関連する過去の日記 活性原酒 雪っこ(07年12月14日) 菊水をながめる(05年12月15日)
2007.12.18
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岩手と青森の両県にまたがって、一戸から九戸までの地名が残り、古来から謎とされてきた。諸説を分けると、鎌倉時代の牧場制によるとする説と、平安時代の征夷事業の柵戸(きのへ)に由来するとの説に分けられる。前者の説は1508(永正5年)の八条近江守房繁の「九箇部馬焼印図」を典拠とする。糠部(ぬかのぶ)(中世の南部地方の俗称)は一の部(いちのべ)から九の部(くのべ)に分けられ、これに7か村が分属して牧場が開設され、さらに東西南北の4門(かど)に分けられたというもの。いわゆる「九ケ部四門」であり、これを確立したのが甲斐国の牧監(もっかん)であった南部氏だとする。つまり、戸の地名は南部氏の牧場経営と密接な関わりを有するものだという。後者の説は、南部氏がこの時期に整然とした行政区域を定めたことに疑義を呈し、南部氏統治以前に既に糠部には、戸が存在したことなどを挙げながら鎌倉時代以前の社会政治上の強い衝撃に着目する。それは、弘仁年間(810-824)の文屋綿麻呂の征討事業であり、このとき爾薩体(にさたい)・都母(つも)とよばれた岩手県北部から青森県東部にかけての地域には討夷の前進基地である柵が築造され、辺境の防備と開拓が行われた。この柵に置かれた柵戸から、戸の地名が発生したとみる。征討軍の進攻に応じ南から北へ戸が順次配置され、しかもおのおのの戸が等間隔に置かれていることは、その傍証であるとする。その後、戸の議論では、その所見を文治6年(1190年)の戸立馬(へだちうま)に求めたり、建置を延久2年(1070年)以後の鎮守将軍清原真衡の治世に置く見解などが提示されている。しかし、いずれにしても戸の地名の由来について確かな根本史料は存在せず、推論の域を脱していない。今後厳密な史料解釈と議論の深化により新たな解明が期待される。出典:青森県高等学校地方史研究会編『青森県の歴史散歩』山川出版社、2007年978-4-634-24602-7私も小学校の頃、先生には一から九まで右回りに地名があるが、どの番号だけは無い、と教えられたように思う。それは「四戸」だろう。でも、青森県三戸郡五戸町にある志戸岸という地名が、かつてあった四戸の変化したものだ、という。四戸もあったのだ。そして改めて地図で見ると、きれいな円環状に配列されてはいない。かなり南北に長く、八と九だけが逆行した形である。牧場制か柵戸制か、いずれにしても歴史の大きな動きに従って名付けられたのだろう。
2007.12.17
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毎年1度は家族を乗せて車で定禅寺通りに繰り出す。昨日はページェント開催初の土曜日で、混雑するだろうなと思いながらも。ちょうど午後7時の再点灯も見ることができた。子どもたちは、勾当台公園のサンタが印象に残ったようだ。ところで、行き帰りの途中に、交通事故の現場に複数出くわした。我が家も渋滞に一役買ってしまったが、皆さん交通安全にはくれぐれもご注意を。
2007.12.16
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家具のニトリは今は国道4号バイパスの松森にあるが、昔は運転免許センター交差点から、今で言う泉ヶ岳通りをチョットだけ泉区役所方面に入った所にあった。15年くらい前だろうか、初めて訪れたときには、秘かにその名前が気に入っていた。県内でも最も由緒ある地名の一つ、名取郡の古名「丹取」(にとり)のことか、と勝手に結びつけたりしていた。なんて素晴らしい名前なのだろう。何でも社長さんが似鳥さんらしい。しかも全国展開だから、名取も何も関係ない。次はニトリ、ニトリ。バスの乗客がみんな降りてしまい、運転士も気になって降りてしまう、というテレビコマーシャルもあった。なぜか思い出した。
2007.12.15
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光のページェントが始まった仙台の街を、トボトボ歩いて我が家へ向かう。電車に乗り、10分足らずの時間で、ひとときの幸せ。最近はコレです。活性原酒「雪っこ」。コレです。甘くて切ない味。仙台駅の売店で買って、ちょっと高めで贅沢なのだけど、電車の座席でホッと一息。心は未だに岩手人かも知れない私。たしか子供の頃に、テレビで雪っこのさりげないコマーシャルがあったように思う。酔仙酒造は岩手県です。冬のほのかな味わい。冷たいのに、なぜか暖かい。東北の冬は長い。昔テレビで見た時は、もちろん味は知らなかったな。でも今味わうと、昔を思い出す。なぜ非対称なのだろう。ま、どうでもいいか。心に染み入るのです。この酒は。暗い車窓の外に目をやりながら、割り切りと打算の日常を離れ、何か深遠なるものに思いを致すのです。10分足らずで降りる電車だけれど。
2007.12.14
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11賞で新人王の田中投手は6000万円だそうだ。岩隈、一場の完全復活が熱望される中で、田中については、ヤッパリ本物だ、来季も活躍が期待される、イヤ2年目のジンクスはどうか、でも田中なら大丈夫だろう、という感じだろうか。まだ未成年の若者なのに、この存在感はすばらしい。ジンクスと呼ぶかどうかはともかく、何らかのカベは実はやって来るだろうが、何かのせいにしてしまうことなく、田中なら正面からそれを自力で点検して乗り越えていくと予想する。これからも成長していく力があると思うからだ。
2007.12.14
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仙台でも山間部の我が家です。今日は雲が厚く暗い朝だな、ところで九州はこの時間でも真っ暗だろうか、などとポカンと考えていたら、粉雪が舞ってきました。子どもがカゼで昨日から初めて学校を休んでいます。早く良くなれ。
2007.12.13
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津軽の名は東北の最古の地名の一つ。斉明天皇元年(655年)に「津刈蝦夷」で初見。最も遠くにいた蝦夷として扱われる。平安時代には「津軽」と書かれる。鎌倉幕府のもとでいくつかの群に分かれていたようだが、江戸初期に初めて陸奥国の津軽郡とされる。ツガルの語源は諸説。水に「漬かる」所という説。本州の果ての「尽きる」所という説。この2つが有力だが、まだハッキリしていない。十三湖、十三湊は、日本海と湖の間の狭い水路を、と(門)さ(狭い)と表して、十三(とさ)の字をあて、また「じゅうさん」とも読ませたとみられる。(吉田茂樹『図解雑学 日本の地名』ナツメ社、2005年 4-8163-3869-1)■関連する過去の記事 「むつ」の語源(07年8月27日) 津軽の名の意味(07年4月6日) 津軽とジャパン(06年8月28日)
2007.12.12
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我が国の陸地面積は世界の0.25パーセントに過ぎないが、海岸線総延長は3万kmで、世界の7.5パーセントを占めるというからオドロキだ。島国であることは勿論だが、地殻変動によって海岸地帯が隆起沈降をして複雑に入り組んだ半島や海岸を形成した。所々にみられる白砂の浜辺も含めて、美しい日本の国土をつくっている。さて、その日本の海岸線総延長約3万4千kmのうち、都道府県別に最も長い海岸線を持つのは、長崎県だそうだ。面積は北海道の20分の1しかないのに、海岸線では2位の北海道(3,054km)をしのいで、4,196kmもの長さ。もっとも、これは従来の順位の説明であって、北方領土を含めると北海道がやっぱり第1位だ。長崎県のホームページにもちゃんと説明がある。わが東北はどうだろう。リアス式海岸の岩手県はどうか。フラクタル理論で延長も長いのでは、と思うが、これは意外で708kmの長さ。県土自体は広いが、海岸は四方の一方だけだから。三方が海で2つの巨大半島を持つ青森県が、752kmと長い。それにしても長崎には到底及ばないが。では東北各県のランキング(全国順位)を。長崎県ホームページによる。宮城 828km(12)青森 752 (15)岩手 708 (17)秋田 264 (33)福島 167 (36)山形 135 (38)山形は海アリ県で最下位の鳥取(129km)に次いでラスト2位。宮城が東北で最長とは、意外だ。牡鹿半島のフラクタルと金華山のおかげか。
2007.12.11
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昨日(9日)朝のニュースで第22回全日本わんこそば選手権が盛岡市で開かれることは聞いていた。そして今朝PC開いたら、ニュースのキーワードにやっぱりあの人の名前が出ている。340杯で堂々優勝だそうだ。すごい。しかも女性なのに、この余裕ぶり。巨漢の男性たちを尻目に、体重50キロ台の女性が驚異のスピードを発揮したそうだ。そう、あの有名な方です。新聞は休刊日の関係か記事が少ないのですが、岩手のテレビ局各局のローカルニュースで確認できました。(編集局PR: おだずまジャーナルに掲載のフリーページ「東北情報ソース」を活用すると便利です)■関連する過去の記事 わんこそば 世界へ!(07年10月29日) 激辛冷麺1分で完食とは!(07年4月30日) もりおか三大麺(06年11月18日) そば王国山形(06年11月17日) 東北のめん類データを見る(06年11月14日)
2007.12.10
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私だけかも知れないが、頭に思い浮かべる青森の地図では、東西に横幅の広い県土の中間当たりに弘前市があるような感覚でいた。しかし地図を見ると、弘前は相当西に寄っている。そこで、例によって東北道路地図で経度をチェックしてみました。釜石や秋田市は緯度のチェックでしたが、今度は経線です。○県土の西端 深浦町不老ふ死温泉付近 東経139度52分程度○県土の東端 階上町岩手県境 東経141度41分程度○弘前市 市庁舎所在地点 東経140度28分程度西端---33%---弘前市---67%---東端ということで、何と東から3分の1程度しかない。相当東に寄っている。宮城県から思い浮かべるに、東北縦貫道で青森に向かっている途中だから、内陸の中央部にあると思うのだろうか。弘前の西に広大に横たわる岩木山や白神山地が、頭の中では青森県の西半分を占めているような感覚かも知れない。実際に地図で見ると、その縦貫道も大鰐弘前IC付近では西に膨らんで曲がっている。ところで、青森県は横に広い県土、と書いたが、実際に南北のスパンも測ってみる。○県土の北端 大間町大間崎(弁天島) 北緯41度33分程度○県土の南端 田子町(岩手県八幡平市境) 北緯40度13分程度南北スパンは80分。従って南北スパンは、約148km。東西は経度差ですぐに距離が求められないので地図に定規を当てて測定して、約157km。わずかに東西の方が長い。下北半島の斧が大きくて柄が長いから、意外に南北が長いかも、と思ったが、やっぱり横広だった。でも僅差。■関連する過去の記事 秋田県の方位感覚を考える(07年12月1日) 岩手県の方位感覚を考える(07年10月6日) 同緯度くらべ(06年06月29日)
2007.12.09
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報道によると、日本製紙が宮城球場の命名権を取得するらしい。全国的にネーミングライツは新進企業が多いように感じていたので、従来型の大企業、しかも県内に拠点工場を構える日本製紙の取得は、県民にとっても良いことだと思う。もちろん新進企業がダメというわけではないが、やっぱり公共施設だから、県民や野球ファンと一緒に歩んでいける企業が良い。2億円という金額で連想したのは、先日黒石市のこけしを買ったとされる仙台の企業。ここならば、カニスタか!と勝手に思っていた。日本製紙なので、代表的ブランドのクリネックスを冠して、クリスタでしょうか。クリスタルキングを思い出すのは、私だけか。球場名も決まって、来季は気分一新みんなで上位進出をめざそう。新陣容も決まりつつあります。試合日程も決まりました。来春が待ち遠しい。ホーム開幕は3月29日で対ハム。今年は岩隈の先発回避に強風の開幕でした。来季こそ。行けイーグルス!ゆくぞプレーオフ!と、日本製紙の記事を手にひとり盛り上がっています。
2007.12.08
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やっと出会った...という思いにさせられる本だ。井山弘幸『笑いの方程式 あのネタはなぜ受けるのか』化学同人(DOJIN選書010)2007年978-4-7598-1310-4学生の頃だが、ジョークやエスプリがなぜおかしいのか、その論理構造パターンを整理しようと思い立ったことがある。そもそも人はどういう場合に「可笑しい」と感じるのか。また、ユニークな友人がいて、ソ連(まだソ連でした)の政治や生活を風刺したアネクドートを持ち込んで(スターリン・ジョークとかいう本)、おいODAZUMA君この本面白いぞ、とページごとに交替で口に出して読んでは笑った思い出もある。その頃、ビートたけしの毒ガス漫談についての分析を何かで読んだが、その社会的風刺の鋭さについての論評であって、何が人を笑わすかということに直接踏み込んだものではなかった。この本は芸人のネタを引用しながら、笑いの論理を徹底的に定式化して説明してくれる。ダンディ、つぶやきシローなど懐かしい部類に属するものから、最新?のムーディ勝山なども。形式と間仕切り、など笑いの構造の説明にはなるほどと思う。このようなことに着眼して分析整理した著者には敬服する。しかし、読み進むにつれ、正直いってつまらなくなってきた。考えてみれば、人は論理構造が面白いから笑うのではないのだ。面白いから笑う、のだ。そう思い直して、積年のモヤモヤも消えたような気がする。
2007.12.07
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青森県を中心に平成の市町村合併のエピソードをいくつか拾ったが、北海道から1つ。釧路市との合併が争点となっていた隣町釧路町の町長選挙に絡む公選法違反で、02年11月に釧路市長逮捕。町内に住む釧路市職員に、合併推進派が当選するように市役所幹部に指示させたというのだ。結局、05年10月、市は阿寒町、音別町の2町と飛び地合併し、釧路町との合併は成らなかった。釧路町は、市長逮捕の後03年3月に釧路市との1市1町の合併協議会を解散。そして、6市町村の組織「合併協議」も04年3月に解散。釧路市は残る5市町村での合併に期待をかけたが、鶴井村の不参加で4市町で04年6月法定協議会を組織。しかし、白糠町の住民投票の結果、反対55.5%で、町は離脱を表明。これにより、結局3市町の飛び地合併に至ったもの。1922年(大正9年)に一級町村であった釧路町は、その一部を切り離して釧路区を設置。こんにちの都市への第一歩を踏み出した。切り離された部分は釧路村として、2級町村に格下げ。それが今やベッドタウンとして順調に発展し、釧路市は町を取り込もうとして失敗した構図。町では、「見捨てた土地を今さら」との感情がなかったとはいえまい。(『imidas2006創刊20周年記念別冊付録 ニッポンが変わる!平成の大合併地図帳&都道府県データマップ』2006年1月、集英社)■関連する過去の記事(青森県の市町村合併) 旧浪岡町の合併と分町運動(07年12月4日) 市町村合併と東通村(07年12月2日) トリプル飛び地の青森・津軽地方(07年12月1日)
2007.12.06
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山形の飲酒運転県議。久しぶりに登場した。(5日毎日新聞山形版記事から要約)------------今年5月に飲酒運転で検挙された村山隆県議が4日、県議会定例会開会直前に阿部信矢議長に呼ばれ、辞職勧告決議に基づき辞職を勧告された。この際に、「後援会や支持者と相談して、2月定例会までに進退を決めたい」と県議会の阿部信矢議長に伝えていたという。「議員活動ができていない。(地元の)町議会からも連絡がなく、情報も入ってこない」との心境も述べたという。------------ 参院選挙日程にあわせて、夏の辞職タイミングを測っているという当ジャーナルの予測も全くはずれ、あとはいつまで頑張るのか、と気にしていた。地元から情報が上がらないというのはヨソに理由を求める言い訳か、それとも素直な本音か。もともと原因はひとえに御自分にあるから仕方ないと納得したのか。 現実論としては、来春になると直接請求によるリコールが可能となるから、その前に辞める、という判断かも知れない。そして、村山県議の東村山選挙区は1人区だから補欠選挙が行われることになろう。出直し選挙で住民がせめて気分一新できるようにするためにも、辞職は早くしていただきたい。■関連する過去の記事 あの飲酒運転山形県議、お隣さんからも三行半(07年8月10日) 村山県議問題を考える(07年7月11日) 東北 時の人(07年6月27日) 山形県議会議員の飲酒運転問題を考える(07年5月25日)
2007.12.05
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もともと青森市は平内町と、また浪岡町は弘前市や黒石市との合併協議を進めてきた。しかし03年2月に、青森市と浪岡町の合併協議が始まる。町の一部は、広域圏の異なる青森市ではなく、隣の常盤村に編入を求め、両町村議会で境界変更の議決までなされた。ところが合併協議はあっという間に進み、04年12月16日県議会で合併議決。その10日後の12月26日に実施の町長リコール住民投票は、賛成7037、反対4043でリコール成立。05年2月13日の町長選挙と町議補選で合併反対派が当選した。この間に住民投票条例は5度否決されていたが、新町長は専決処分で条例を制定。一方で合併推進派の町議8人は投票買収で逮捕。推進派の元町長も、消防職員採用に絡む問題で逮捕。また青森市側でも、投票条例の否決を「指導」したり、市長が8億円の分庁舎購入を専決処分で決めたり、など異例の経過がみられた。合併のわずか5日前に住民投票は行われ、賛成1097、反対6845と圧倒的に反対が上回ったが、既に合併の手続は終わっており、05年4月1日をもって合併。合併後も「分町」運動の火は消えていないというが、現実問題として新青森市の勢力関係を考えれば分町構想を議決までもっていくのは、まず不可能だろう。■関連する過去の日記(青森県の市町村合併) 市町村合併と東通村(07年12月2日) トリプル飛び地の青森・津軽地方(07年12月1日)
2007.12.04
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以前にラジオで聞いて知ってはいたが、昨日(2日)ついに第1回世界大会が開催されたそうだ。津軽三味線発祥の地五所川原で、スコップ三味線の世界大会。個人の部団体の部に、40組が参加。個人の部の優勝は宮城県白石市の方だそうだ。すばらしい。ところで、何で世界大会なのだろう。話題性の高いこの大会、各紙で報道しているが、毎日新聞の記事にやっと書いていた。参加者は全員日本人、と。誰か留学生でもシードしているから世界大会なのかな、と秘かに思っていたのだが。でも、「世界大会」と銘打つ意気込みが良い。スコップと栓抜きで、ここがまさに世界の発祥地。いいぞ。こんなの大好き。
2007.12.03
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明治の町村制施行以来一度も合併しない村は、平成の大合併でも単独を貫いた。原発の固定資産税収入があることが理由だが、近隣の市町村はむつ市との合併をした。東通村は、また全国でも珍しい、役場庁舎を自村内に置かない村だった。集落が点在するために、明治22年の村制施行時に庁舎の位置を決定できず、田名部町に役場を置かざるを得なかった。その田名部町は1959年に大湊町と合併(大湊田名部市、翌年むつ市に改称)。東通村は1965年に原発誘致を決め88年にやっと村内に庁舎を建設。100年の悲願を達成した訳だが、このような他市町村の役場設置は、鹿児島県十島村、沖縄県竹富村などにも例はあるが、これらは島嶼自治体であり、内陸部としては異例。東通村の次の難題は、単独村を貫くために、合併新法の基準である人口1万人をクリアすること。人口増加策として職員220人の内むつ市に住む61人に、村の分譲団地に住むよう勧めているという。職員も、むつ市内にあった役場に勤めるため家族も市内に住んだのに、今さらという思いもあり、効果は現れていないそうだ。(以上、『imidas2006創刊20周年記念別冊付録 ニッポンが変わる!平成の大合併地図帳&都道府県データマップ』2006年1月、集英社)村の人口は7,678人(村のHPから。今年10月末現在)だが、青森県の合併新法についての当面の対応では(青森県資料)、平川市と田舎館村、また新郷村と五戸町、の組み合わせが構想として示されている。東通村は県の構想には入らずセーフというところだが、本当にセーフかどうかは難しい。明治以来の地域の共同体を守るという意識はすばらしいことだろうが、原発の固定資産税収入も期限があるはず。ところで、村の分譲住宅のひとみの里のサイトを見てみた。坪3万円を切る値段で、各区画130坪から140坪前後。電線類地中化。役場、診療所、小学校、老健施設などが近隣にあるという。考えようでは素晴らしい居住環境だ。青森県庁の移住PRサイトでの説明を読むと、特に特産品や食材に惹かれる。老後に検討しようか。積雪が気になるが。■関連する過去の日記(青森県の市町村合併) トリプル飛び地の青森・津軽地方(07年12月1日)
2007.12.02
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前回の飛び地合併に次いで、平成の大合併で生じたユニークな現象の続き。埼玉県のふじみ野市は、上福岡市と大井町が合併で作った新市だ。紛らわしいのは、ふじみ野駅、ふじみ野小学校など、馴染みになっている「ふじみ野」は富士見市にあること。もともと、富士見市と三芳町を含む2市2町で合併協議を続けており、新市の予定名がこの「ふじみ野」だった。さらに、富士見市の市民は合併賛成が多数だったのに、大井町などが反対して2市2町の枠組みが崩れた上に、「名前」まで持って行かれた、というので、富士見市民には割り切れない思いが残っているのだそうだ。■関連する過去の記事(飛び地合併) トリプル飛び地の青森・津軽地方(07年12月1日)(飛び地) 飛び地を考える(06年12月8日)
2007.12.02
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平成の大合併で津軽半島には飛び地自治体が登場した。それも3つの市町が飛び地合併となって、相互に絡み合っている形だ。(青森県公式サイトの市町村図)外ヶ浜町は間に今別町をはさんで2分された形の合併。そして、五所川原市と中泊町は互いに入り組みあっている。他県ではこんな「飛び地」合併にどんなものがあるだろうか。地図で拾ってみた。○北海道 釧路市 釧路市長の逮捕などでゴタゴタになり釧路町などが離脱。結局4市町だけで合併し、離脱した白糠町をはさんで飛び地の新市に。○北海道 伊達市○北海道 日高町○神奈川県 相模原市 人口65万の都市になったが、間に城山町をはさむ形に。○岐阜県大垣市○徳島県三好市 飛び地の間にあるのが東みよし町(旧三好町)と、ややこしい。全国を見渡しても、津軽のトリプル飛び地は異例だ。さて、「飛び地」以外にも、平成の合併で生じたユニークな現象として次のようなものが挙げられると思う。〔越県合併〕 旧山口村(長野県)が岐阜県中津川市に。〔分断合併〕 山梨県の旧上九一色村。北部は甲府市へ。南部は富士河口湖町に。
2007.12.01
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秋田県の地図を頭の中に思い浮かべる。バレルのように横広の岩手県に比べて、ややホッソリ縦長の県土。そして、県都秋田市は南北スケールでいうと、中心よりやや北に位置するように、私の感覚の世界では理解されているように思う。実際に測ってみた。いつもの道路地図を使う。秋田県の最北地は、田沢湖周辺の北緯40度30分あたりだ。最南端は、宮城県の大崎市鬼首と国道108号線でつながる湯沢市で、北緯38度53分程度。そして秋田市中心部は北緯39度45分あたりだから、南北スケールの比率でいうと、北端---46%---秋田市---54%---南端となる。たしかにやや北寄りではあるが、感覚ではもっと北に寄っているように感じていた。次に海岸線沿いでみてみる。北端は八峰町の須郷岬で北緯40度26分程度。南端はにかほ市三崎で、39度07分程度。従って、北端---52%---秋田市---48%---南端ということで、何と秋田市は中心よりむしろ南に寄っているのだ。これは感覚の世界からすると相当意外な結果である。おそらく、仙台に住んでいることと関係するのだろう。南から秋田の地図を思い浮かべると、どうしても、湯沢、横手、大曲など羽州街道沿いの町が連なる様子がイメージされ、秋田市は緯度としては盛岡と同レベル、その北には大きな町は能代と大館くらいしかないだろう、と思ってしまうのだ。また、近い所は知っているだけに稠密にイメージし、遠い所は言ったこともないからイメージも貧困になるという事情もあるだろう。幼児が友達の絵を描くときに、顔を丁寧に書き込んで、胴体や手足は付け足しのように書くから、結局相当頭でっかちになるのと、似ている。実は秋田県の北半分は確かに可住地は少ないが、面積自体は相当に広い。田沢湖と十和田湖をセットの観光地のように考えている仙台の人も多いだろうが(自分も猛省)、仙台と福島市の距離以上に離れているのだ。秋田県北を思い浮かべるとき、鹿角や大館を結ぶ花輪線は、田沢湖線と同様に盛岡から出ているから(正確には好摩駅)、大館と角館や秋田市もそう遠くない、とイメージしてしまうのかも知れない。秋田も奥が深いのだ。■関連する過去の記事 岩手県の方位感覚を考える(07年10月6日) 同緯度くらべ(06年06月29日)東北の各県の方位感覚について、そのうちまとめてクイズ形式にでもしてみようかと思います。
2007.12.01
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