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ケルト文化、映画、洋酒、大阪など多彩なテーマで精力的な執筆活動を続ける畏友・武部好伸氏が初めての小説「フェイドアウト 日本に映画を持ち込んだ男、荒木和一」(幻戯書房・刊行、1800円<税別>)に挑んだ(武部好伸ではなく「東龍造」というペンネームで。すでに書店には並んでいる)。武部氏は5年前、日本映画発展の歴史の中で、大阪と映画の関りを幅広く紹介する「大阪『映画』事始め」(彩流社・刊)を著した。なかには日本映画史を塗り替えるような新事実も含まれ、貴重な調査報道とも言える労作だった。大阪・難波のシネコン「TOHOシネマズなんば」の1階ロビーには、「1897年<明治30年>2月15日、この地にあった南地演舞場で日本で初めて映画興行が行われた」ことを記念する金属製のプレートが、壁に埋め込まれている。1953年<昭和28年>につくられたプレートには、その興行に尽力した会社・稲畑商店の名も記されている。しかし実は、その約2カ月前の、1896年<明治29年>12月、荒木和一(1872~1957)という男が、大阪・難波の鉄工所内で「日本で初めて」スクリーン上に映画を映し出していた新事実が、武部氏の綿密で粘り強い調査の結果、浮かび上がったのだ。この経緯は「大阪『映画』事始め」の第一章で綴られた。この小説は、作者曰く「その第一章を膨らませ、物語に紡いだ」ものである。 *************************荒木和一(1872~1957)。大阪・天王寺の文具店の長男に生まれたが、事情があって16歳で、ミナミで舶来品の雑貨販売業を営む荒木家の養子となる。若干24歳で単身渡米し、エジソンが開発したヴァイタスコープという「映写機」を、ニューヨークで持ち前の英語力を活かして本人に直談判して購入。日本で初めてスクリーン上で動く画像を映し出した男である。武部氏はこの小説「フェイドアウト」で、荒木を主人公として、その行動力と情熱に満ち溢れた人生を、様々な取材によって、濃密に肉付けしながら描いた。物語は、荒木がエジソンと出会う場面(序章)から始まる。そして、一転、荒木の生い立ちを時系列でたどる。読者は読み進むうちに再び、エジソンとの直談判に場に引き戻される。そして、念願叶ってのヴァイタスコープの輸入、東京や名古屋にまで興行に走り回る日々、ライバルとも言える稲畑勝太郎(稲畑商店店主)のシネマトグラフ興行との攻防を同時並行で描きつつ、飽きることなく読ませる。本業(舶来品輸入販売など)そっちのけで、あまりに働き過ぎて健康を害した荒木。魑魅魍魎がうごめく興行界に嫌気もさして決別した後、本業に戻りつつ、語学の才能を見込まれて、政府や経済界の「通訳」などとしても活躍するが、より詳しい話は本をお読み頂きたい。興行界からの決別シーンの後は、一転、59年後の1956年<昭和31年>に場面が転換する。84歳になった荒木は、堺の自宅書斎で、新聞記者からインタビューを受け、映写機初輸入など自らの映画との関りをあれこれと振り返った。事実に基づいた創作ではあるが、作者は(あとがきで)どこまでが事実で、どの部分が(イマジネーションをふくらませた)創作なのかを詳しく明かしている。元・新聞記者らしい「誠意」が感じられてよい。荒木和一の「影」の部分も含めて、ほぼ全人間像を描ききった「評伝」としても立派に成立していると言っていい。 ************************練達のジャーナリストであるから、文章が巧みなのは至極当然とも言えるが、物語の展開が見事である。場面(シーン)の転換は、まるで一つの映画を観ているような錯覚にも陥る。文章も奇をてらった、純文学的な小難しい表現は皆無で、実に読みやすい。300ページ近い長編なのだが、あっと言う間に読み切った。武部氏は、初の小説ですでに、ジャーナリスティックな技量だけではない、シナリオライターとしての才能までも開花させた。ただただ凄いというしかないが、これは長年、彼が(映画ライターとして)膨大な映画を観続けてきた蓄積の賜物でもあろう(欲を言えば、巻末に荒木と稲畑の写真、それに年表/年譜があれば、より物語への理解がすすんだであろう)。【追記】読み終えて思ったのは、大阪や京都が主な舞台となるこの小説、これは(NHK大阪局制作の)朝の連続ドラマにぴったりの脚本にもなるということ。この私の文章をお読みのNHK関係の方々、ぜひ社内でご提案を。
2021/12/07
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「アンクルトリス」の生みの親でもある、画家でイラストレーターの柳原良平さんが亡くなった(柳原さんご夫妻は、成田一徹さんのバー切り絵作品集「to the BAR」でも、横浜のバー「Three Martini」の頁で登場してくださった)。 アンクルトリスは、うらんかんろが子どもの頃から、愉快で楽しいキャラクターだった。有名な「トリスを飲んでハワイへ行こう」のCMは、子どもに、「いつかは海外旅行」という夢を見させてくれた。ウイスキーを飲めば、体の下から上へだんだん赤くなっていく「彼」が大好きだった。 大人になってからは、トリスおじさんは酒場に欠かせない、酒呑みに愛されるキャラに変わった。僕が行くほとんどの酒場の、どこかに「彼」はいた。生涯、ウイスキーとの思い出はいつも「彼」と共にあった。 柳原さん、唯一無比の、素敵なキャラクターを生んでくれて、本当に有難うございます! トリスおじさんは、日本中の酒場で、永遠に生き続けますよ。http://digital.asahi.com/articles/ASH8M5KMWH8MULOB00N.html
2015/08/19
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エッセイストで、映画評論家でもある友人の武部好伸氏が、素敵な新刊を著しました。その名も「ウイスキー アンド シネマ 琥珀色の名脇役たち」(淡交社 定価1500円+税)。 武部氏は新聞社の学芸・文化分野の記者をつとめた後、途中退社し、フリー・ジャーナリストとして独自に「ケルト文化」「映画」「お酒(とくにアイリッシュ)」という三大テーマをライフワークにして、新聞や雑誌にたびたび寄稿しながら、数多くの著作も世に問うてきました。 年間に200本以上の映画を観るという武部氏は、今も新聞等で映画評も書いているので、この本は映画への愛と造詣がいっぱいに詰まった本です。加えて三大テーマのうち、「2つが合体した」本なので、映画とお酒のうんちくが同時に楽しめる、お得感がいっぱいの本です。 本のなかでは、全部で47本の映画とそこに登場する様々なお酒とが紹介されています(お酒が登場する映画は多いけれど、その酒をネタに1本の文章を書ける映画はそう多くないでしょう。この47本は、ある意味、著者の執念が集めたとも言えます)。 「007シリーズ」「アンタッチャブル」「ハスラー」「男はつらいよ」といった有名どころの映画も登場しますが、どちらかと言えば、「名前はそこそこ知られているけれど…」というクラスの映画(とそこに登場するお酒)が大半を占めています。 映画解説の本は、得てして堅苦しい文章で、マニアックな内容に陥りがちですが、この本は一般向けに書かれ、その酒がなぜその映画で登場しているのか、その理由や時代的背景、貴重なエピソードなどが綴られています(1本につき4頁程度にまとめられているので、とても読みやすい長さにもなっています)。 個人的にもよく見ている「007シリーズ」では、有名なボンド・マティーニのことではなく、歴代のボンドが映画の中でたしなんでいるモルト・ウイスキーについて紹介してくれているのが嬉しいところです。 先般、「サッチャー:鉄の女の涙」を観た際には、僕も、メリル・ストリープの演技よりも、彼女の周辺にちらちら映るウイスキーのボトルの銘柄ばかりが気になりました。本の中では、サッチャーが好きだった「フェイマス・グラウス」と「グレン・ファークラス」、それに「タンカレー・ジン」のことが紹介されています。タンカレー・ジンの存在に気づかなかった僕は、武部氏の観察眼に敬服するばかりです(ただ、映画のどこかのシーンで、「マッカラン」のボトルも見たような気がするのは気のせい? ぜひもう一度観てみようっと)。 他にも、「冷たい月を抱く女」「大停電の夜に」「波止場」「カポーティ」「恋する惑星」「評決」「サタデーナイト・フィーバー」「天使の分け前」など、古今東西の多彩な映画と、その中に登場する酒が紹介されています。まだ見たことのない映画は、DVDを借りてきて実際にその酒が登場するシーンを確かめたくなります。 本のあとがきで著者が述べているように、この本を読んでから(映画を)観たら、「映画が2倍にも3倍にもおもしろく感じられる」ことは間違いありません。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2014/02/19
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来年1月に故・成田一徹さんの個展が開催される大阪・北新地のギャラリー・カフェ&バー「PAVONI」で、「すてきなクリエーターによるアート・クリスマス」という催しが始まりました(12月28日まで)。PAVONIでこの1年間に個展を開催したアーチストがそれぞれ作品を寄せた合同展です。 一徹さんはまだ個展はしていませんが、来年に入ってすぐということで、オーナーから特別に招待され、切り絵原画1点(「雪の英国館」)が展示されています。お近くにお越しの折りは、ぜひご覧ください。PAVONIは、大阪市北区堂島1丁目3-19 前川ビル1F(電話06-6345-7746)です。
2013/11/22
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故・成田一徹さんの新刊「新・神戸の残り香」(神戸新聞総合出版センター刊、1700円=税別、四六判上製158頁)についての追加情報です。 取り急ぎ、首都圏での最初の店頭販売店が決まったそうです。ジュンク堂書店渋谷店、池袋店です。8月5日以降の販売と思いますが、詳しくはお店にお尋ねください。 なお、初回配本には部数に限りがあるそうなので、すぐに売り切れてしまうかもしれません。ぜひ書店にご予約くださいませ! 一方、アマゾンでは一昨日くらいから販売がスタートしているようです。関西や東京以外にお住まいの皆さんでご希望の方は、アマゾンの方が早いかもしれません。よろしくお願いいたします。 こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2013/08/02
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故・成田一徹さんの新刊「新・神戸の残り香」(神戸新聞総合出版センター刊行、税別1700円)についての追加情報です。 神戸・元町の海文堂書店では29日から販売がスタートしていますが、それ以外の関西の主要書店では8月5日以降、順次店頭販売が始まるとのことです。アマゾンでもその後まもなく販売が始まるようです。 ただし、首都圏の書店での販売は少し遅れるようです。販売開始情報が入りましたら、改めてお知らせいたします。
2013/07/30
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切り絵作家の故・成田一徹さんが、亡くなる直前の昨年10月まで神戸新聞紙上で連載を続けた「新・神戸の残り香」が本になりました(神戸新聞総合出版センター刊、四六判158頁、1700円+税)。書店には明日29日(月)から順次、並ぶ予定です。 本には、連載作品に同時期の作品を加えた62点やエッセイ、未発表切り絵、年譜が収録されています。一徹さんがこよなく愛した故郷・神戸の「消えゆく風景と残り香」が、ここにはしっかり刻まれています。ぜひ、お買い求め頂き、友人にもお勧めいただければ幸いです。 こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2013/07/28
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ローレンス・バーグリーン(Laurence Bergreen)という米国の伝記作家が 1994年に著した「カポネ 人と時代(原題は、 Capone : The Man and The Era)」という伝記を、集英社が99年に刊行した翻訳版(常盤新平訳)で読みました。 著者が情報公開法によって発掘した当時の公文書や資料で明らかにした知られざるアル・カポネの姿を描いた第一級のノンフィクションです(ニューヨーク編、シカゴ編2冊合わせて、計約800頁にもなる超大作ですが、私が読んだのは後編にあたるシカゴ編です。 アル(アルフォンス)・カポネ(1899~1947)は、ご承知の通り禁酒法時代(1920~33)のシカゴで暗黒街のボスとして君臨した人物です。映画「アンタッチャブル」ではロバート・デ・ニーロが演じていたので、ご覧になった方も多いかと思います。 私は先般、本ブログ上で「禁酒法下の米国――酒と酒場と庶民のストーリー」という連載をして、その際カポネの生涯についてももちろん、できる範囲でかなり調べました。 連載では、カポネが暗黒街のボスに上り詰めたときはまだわずか30歳の若さだったことや、カポネを追い詰めた連邦捜査官のエリオット・ネスは若干25歳だったこと、それに、脱税で逮捕され服役した後は、梅毒に病んでいたため晩年は寂しく亡くなったことなどを記しました。 しかし、このバーグリーンの伝記を読むと、これまで私が知らなかったカポネの素顔や驚くべき事実が数多くありました。結果として、カポネという人物がくっきりと浮き彫りとなり、より実像(真実)に近付けたような気がしました。例えば、以下のような――。・抗争相手への報復事件として有名な聖バレンタインデーの虐殺の真相(本当に殺したい相手は到着が遅れたために仕損じてしまったこと)・カポネは実際には殺人にはあまり関わらず、時には、遠くフロリダの別荘からひそかに指示を送っていたことが多かった(この時代、シカゴとフロリダの移動は原則鉄道です。結構距離があり時間はかかったはずなのに、カポネが頻繁に行き来していたことにも驚きます)・直接殺人の実行には関わらなかったカポネが、唯一(?)「裏切り者」の仲間を自ら殺害した(映画「アンタッチャブル」にも登場する有名な)バットでの撲殺シーン。映画では、殺された仲間は1人だけでしたが実際は3人。カポネは3人を椅子の縛り付け、次々とバットで死に至る直前まで殴りつけます。その後、部下が銃を乱射して撃ち殺しました。指や腕が吹き飛ばされた遺体はハイウェイに乗り捨てられた車のトランクに放置されました。・カポネ組織の電話はかなり盗聴されていて、検察当局は、脱税の証拠や手がかりを盗聴を通じてかなり集めていたこと・逮捕してもなかなか口を割らないカポネ組織の会計士を、捜査当局はゲジゲジやゴキブリだらけの独房に閉じ込めて、ついには「捜査に協力する」と言わせたこと・有名な連邦捜査官エリオット・ネスは密造酒の摘発では多大な功績を上げたが、脱税でカポネ起訴をできたのは、検察と国税当局の担当者の努力が大きかったこと(晩年、ネスがアルコールで身を持ち崩したのは皮肉です)・警察・検察当局だけなく、新聞記者にもカポネに買収されていた人間がいたこと(その記者も二重スパイまがいのことをやって結局は殺されてしまいます)・脱税裁判でカポネを追い詰めていく検察側の手法(ショップの店員などを次々と喚問し、カポネが買った高級下着の領収書等から収入を算定して積み上げていく執念)・神経梅毒や淋病におかされていたカポネの病状は、シカゴの暗黒街のトップに上り詰めていくにつれて、年々悪化します。脱税で懲役11年の判決を受け、収監された数年後には完全治癒が望めないほど酷い病状になっていたこと・当初収監された刑務所では、刑務官らを買収して“特別待遇”を受けて、刑務所の中から電話で組織に指示を送っていたが、後に移送されたアトランタやアルカトラス島の刑務所では一般の囚人扱いで過酷な日々を送ったこと(別の囚人から殺されかけたこともあったという)・妻のメエは21歳で19歳のアルと結婚したが、愛人を何人も持った夫に対しても、彼女は最後まで献身的で、アルが梅毒が悪化し廃人のようになって死ぬまで寄り添ったこと(メエは、アルの没後約40年も生きて、亡くなったのは1986年。結構長寿でした)。・脱税で10年近く服役したカポネが病状悪化で仮釈放された後もずっと、シカゴの暗黒街の“互助組織(シカゴ・アウトフィット)”は、妻のメエやファミリーに経済的な支援を続けたこと(イタリア・マフィアの血の結束の強さには驚くばかり)・本には晩年、釈放された後、フロリダの別荘で過ごすアルの写真も掲載されていますが、一見すると結構元気そうで、梅毒による体調悪化と見えないのが不思議でした ******************************** カポネの兄弟や子どもたちは、カポネ亡き後も「カポネ=極悪」というイメージが消えず、兄のラルフもアルと同様、脱税を追及され、死ぬまで払っても払えないような追徴金を課せられます。その他の親族も生きていくのに苦しみました。名字を変えてひっそりと暮らしたり、カポネ・ファミリーだと中傷されて自殺した親族も少なくありません。息子のソニーも、大学で周囲の白い目を避けるために名字まで変えましたが、結局はばれて大学を中退せざるを得ませんでした。 カポネが司法当局の目の仇(かたき)にされた背景について、著者は、「当時はイタリア系とユダヤ系は目の仇(かたき)にされる世相だった。カポネ以外にも悪人はいたが、カポネは結局、イタリア系だったことで、アングロサクソンが主流を占めていたワシントンの政治家や検察当局、国税当局から一番の標的にされたのだ」と推察しています。禁酒法施行自体も、酒造業界を支配していたドイツ系の人たちへの反発があったことは、多くの歴史家が認めるところです。 アルフォンス・カポネは、確かに犯罪者であり、シカゴの犯罪組織のトップにまで上り詰めた人間です。今でも「極悪非道の犯罪者」というイメージが定着していますが、晩年の姿を知ると、私は少し同情を禁じ得ません。 カポネ自身は当時、「オレは市民がほしがるもの(アルコール)を提供しているだけだ」と言っていました。もちろん、当時の法律では非合法なやり方でしたが、現代社会でのルールでは、「あくどいビジネス」と非難される程度でしょう(もちろん、ビジネス拡大の過程で対立する組織の人間を粛清した行為は、もちろん現代でも明らかな凶悪犯罪ですが)。私は、カポネはある意味、禁酒法と言う時代が生み出した「必要悪のようなモンスター」だったのかもしれないと思っています。 最後に、ブログでの連載の最終章で私が書いた一文をあえて、もう一度再録して、この稿を終えたいと思います。 米国史上、「高貴な実験」と称された禁酒法は結果として、様々な矛盾や犠牲を生んで、失敗に終わりました。禁酒法が我々に残した教訓は、「酒に対する人間の基本的欲求を、宗教的・道徳的な規範で縛ることなど決してできない」「酒への欲求を法で縛れば、その抜け穴を狙った犯罪が増えるだけ」ということでしょう。 第一次大戦での国家的危機感がゆえに、宗教的・道徳的規範が人間本来の欲求に優先すると信じた当時の米国の政治・宗教指導者たちは、今思えば愚かな人たちに見えます。国家が合法的に大衆を抑圧するのは、有権者の一時的な熱狂・妄信を後ろ盾にすればそう難しくないのです。それは、あのヒトラーが証明しています。 ワン・フレーズのスローガンに煽られて、大衆がみんな同じ方向へ一斉に走り出してしまう社会ほど怖いものはありません。かつてナチス政権登場時のドイツや、(絶対天皇制下の軍部に主導されたとは言え)太平洋戦争に突き進んだ日本を思えば、私たちは、あの時代の米国の指導者や米国人をどれほど笑えるでしょうか。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2013/07/03
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ギャラリー・バー「PAVONI」(@大阪・北新地)での川口紘平展の最終日、作家本人にもお会いできました。奔放な才能にあふれるこの若き奇才(1979~)を、うらんかんろは勝手に「21世紀の佐伯祐三」と呼んでいます。川口さんも「僕も、佐伯は僕の師匠だと一方的に思っています」とのこと。やはり…。 今回の出品作の中から、僕も小品を一つ購入しました。絵のタイトルは「Piano Roll 2」。ニューオーリンズ・ソウル、R&Bのピアニスト&歌手、アラン・トゥーサン(Allen Toussaint 1938~)の「St. James」という曲を聴きながら、インスピレーションを得て描いたという作品ということです。おしゃれなセンスが光ります。いずれ、Bar・UKの壁に飾ることにいたしましょう(笑)
2013/06/29
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観たいと思っていた映画を最近、相次いで2本観ました。どちらの映画も、ひと言で言えば、とても見応えがあったし、内容もよく出来ていました。払った値段以上の満足感がありました。 その映画とは、「リンカーン」と「ヒッチコック」。どちらの映画も、米国大統領と映画監督という実在の人物による実際の出来事にもとづいたストーリーです。 前者は南北戦争と奴隷制度廃止への戦いをめぐるリンカーンと家族の人間ドラマ、後者は、ミステリー映画の巨匠の名作「サイコ」制作をめぐる、これまたヒッチコックと妻の人間ドラマです。 前者でリンカーンを演じたダニエル・デル・ルイスは今年のアカデミー主演男優賞を受けました。夫人役はサリー・フィールド。後者で夫婦役を演じているのも、これまたアカデミー俳優のアンソニー・ホプキンスとヘレン・ミレン。いずれも実在の人物を見事に演じ切っています。 お時間があれば、二人の生涯や業績について、ネットや本で少し予習してから行かれることをおすすめします。 ※転載写真((C)20世紀フォックス)は、芸術作品論評のための小さな画像(サイズは約220ピクセル)の引用なので、著作権法違反ではありません。念のため。 こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2013/05/03
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昨年10月急逝した切り絵作家・成田一徹さんが、亡くなる直前まで精魂を傾けた京都新聞紙上での連載作品を展示する「技を切り出す」展が明日30日、JR京都駅地下街「ポルタ・ギャラリー華」で始まります(12日まで。午前11時~午後7時、最終日は午後5時まで)。 没後初めてとなる個展です。会場には、伝統を伝える職人たちの仕事に迫った「技を切り出す」の作品40数点のほかにも、京都ゆかりのバーの切り絵など計約60点が展示されます。 久々の試みとして、高品質の公認複製画(奥様直筆署名の入った証明書付き)も4種(「シャンパングラス」「マンハッタン」「舞妓さん」「勧修寺の白梅」)を、限定計40点販売します。「原画はちょっと高くて手が出ない」という方には、とてもリーズナブルな価格(16,000円と19,000円の2サイズ)なのでオススメです。インテリアとしても最高の複製画だと思います。 黄金週間に関西へお出掛けの方は、ぜひ足をお運びいただき、唯一無二の才能が残した繊細にしてダイナミックな作品の数々をご覧ください。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2013/04/29
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歴史と伝統を持つフェスティバルホール(大阪)が生まれ変わった、こけら落とし公演「フェニーチェ歌劇場 ガラ・コンサート」(10日夕)に行ってきました。 イタリアを代表する歌劇場メンバーによるアリアや合唱などは圧巻でした。オペラにあまり詳しくない僕ですが、結構楽しめました。 客席には、コシノヒロコさん、桂文枝さん、ソニーの元CEOの出井伸之さん、101歳の現役医師の日野原重明さん、イタリア・ベネチア市長とか著名人もいらしてました。 この素晴らしいホールが、大阪から世界への文化発信の拠点となってくれることを願っています。 こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2013/04/11
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兵庫県三田市北部の木器(こうづき)で、自然の土と釉薬を生かした陶器づくりに取り組んでおられる田中和人さん(67)=写真左 (C)田中和人=の作陶展が、大阪・梅田の阪急百貨店7階の美術画廊で始まりました。 会場には、ここ数年の作品を中心に、大小の皿や花生、徳利、茶器、碗物、湯飲み、ぐい呑み、マグ、コーヒーカップ、壺など多彩な器が数多く展示、販売されています。 木器は、大阪のベッドタウンとして人口が増え、都市化が進む三田市にあっても、今なお自然が豊かで、のどかな雰囲気を持ったエリアです。田中さんは、そんな山に囲まれた場所で窯を持ち、素朴で温かい器をつくり続けています。 うらんかんろは、30年前に田中さんと知り合って以来、その素朴な美しさと、和洋中どんな料理にも合う、使い勝手の良い皿や器に惚れ込んでしまいました。 阪急百貨店の画廊で、隔年に開かれる田中さんの作陶展はいつも楽しみにしていて、必ずお邪魔しています。そして、いつも何点かの気に入った作品を求めています。今回は、少し深めで小ぶりの鉢皿と、酒肴も盛り付けられるような大型のぐい呑みを買いました。 緑や茶、青、赤など、田中さんは様々な材料、釉薬を工夫して、思いがけない複雑な色を創りだします。最近では、器に少し幾何学模様を入れたり、デザイン性を持たせたモダンな作品にも取り組んでいます。 田中さんの作品は、何よりも「使ってもらうこと」を第一につくられているので、実用性が高いことが魅力です。暮らしの器にご興味のある方には、ぜひ田中さんの素敵な作品の数々を見てもらいたいと思います。作陶展は、26日まで(10時~20時、最終日は18時で終了)。 ※一番最後の写真は、我が家で長年使っている田中さん作の大皿(直径約25cm)です。パスタにも中華の炒め物にも和食の煮魚にも、何でも合うすぐれもの。大人数が集う機会が多い我が家では大活躍しています。緑の皿はもう30年も使っています。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2013/03/20
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切り絵作家・成田一徹さんの個展に行ってきました。場所は、大阪・桜宮の帝国ホテル大阪の1Fロビー。 先般出版された「カウンターの中から」(あまから手帖社刊)の原画を中心に約20点余、Barという素敵な空間がモノクロームの世界で表現されています。 30日(日)まで開催(ホテル内の公共スペースなので、午前7時~午後10時半の間、観賞できます)。皆様も、時間を見つけてぜひどうぞ! 原画展を観た御帰りには同ホテル2Fにある、格式に溢れた「オールド・インペリアル・バー」での一杯がおすすめです(一流ホテルなのに、お値段は意外とリーズナブルです)。 ※帝国ホテル大阪は、JR環状線桜宮駅から南へ徒歩約5分。少々足場の悪い場所にありますが、JR大阪駅からは、ホテルへの無料送迎バスも出ています(15分間隔で)。 こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2012/09/05
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先日、運良く1980年(昭和55年)に出版された「社団法人 日本バーテンダー協会(当時はJBA、現NBA)五十年史」という本を、古書店で手に入れることができました。 1929年(昭和4年)5月の協会創立以来の歴史や、JBAが関係したカクテルコンクールの歴代入賞者と作品などが詳しく紹介されています。週刊誌ほどのサイズで、約200頁です。 ちなみに現NBAは1987年(昭和62年)、JBAから分離独立(1955年のこと)したANBA(全日本バーテンダー協会)と合併し、誕生しました(現NBAとしての歴史は、まだ30年余しかないことが分かります。意外でした)。 個人的には、ライフワークとして、古い時代のカクテルのことをあれこれ調べているので、どうしても昔のバーテンダーやカクテルコンクールについて、正しい情報を知る必要に迫られます。 「あの有名なカクテルをつくられたバーテンダーは、当時どこのお店に勤めていたんだろうか?」「あの年のあのコンペでの1位は何というカクテルで、作者の名前と正確なレシピを知りたい」等々。 まだパラパラっと読んだだけですが、現在続けている「全面改訂版:カクテル--その誕生にまつわる逸話」執筆にも、大いに役立ちそうです。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2012/07/28
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池井戸潤さん、第145回直木賞受賞おめでとう! 数年前に「空飛ぶタイヤ」で池井戸潤という作家を知って以来、その作品はほとんど読んできました。 元銀行マンとしての経験と知識を生かした、そのストーリー・テラーとしての才能を高く評価していた僕としては、とても嬉しいです。 話題作・ヒット作をたくさん出してきて、いまや不動の人気を得ている池井戸氏ですから、受賞は遅すぎたくらいです。 受賞作の「下町ロケット」はまだ読んでいないけれど、頑張っている中小企業に元気を与える作品だとか。これはぜひ読まねば! なお、池井戸作品の中でのうらんかんろのおすすめは、ブログのこのページをご参照を!(個人的には、「オレたちバブル入行組」がとくにおすすめです)
2011/07/15
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最近はまっているミステリー作家として、池井戸潤、佐々木譲と紹介してきたけれど、3人目として今野敏も紹介すると予告しながら、多忙のために、大変遅くなって申し訳ございません。 ということで、最近読んだ今野氏の作品について、ひとことコメントとともに、独断での評価を★の数(★5つで満点)で紹介いたします(必ずしも最近の作品じゃないのも含まれていますが、ご容赦を…)。※本の表紙画像は基本的にAmazon上のものを引用しています。Amazon.Japanに感謝します。 「隠蔽捜査」 ★5つ ※2005年の作品。吉川英治文学賞新人賞を受けた。主人公は警察庁のキャリア官僚である竜崎伸也が、警察組織を揺るがす連続殺人事件に向き合い、解決していくという本筋の話と、麻薬に手を染めた息子にどう向き合うかという家族内の出来事が同時並行的に展開していく。 竜崎のエリート臭ぷんぷんとした姿勢にややムカツクけれど、そこは家庭内の不祥事(出世競争での汚点)ということで帳尻は合わせている。とにかく最後までテンポがよくて飽きさせない。テレビドラマ化されたらしいが、残念ながらうらんかんろは見ていない。 「果断 隠蔽捜査2」 ★5つ ※隠蔽捜査の続編。長男の不祥事で所轄署へ左遷された竜崎が、今度は立てこもり事件に立ち向かう。事態の打開策をめぐって警察内部で対立が表面化する中、竜崎は現場の指揮をとり、事件は解決したはずだったが、その裏にはとんでもない真実が隠されていた。2008年の山本周五郎賞と日本推理作家協会賞をダブル受賞した傑作。寝不足になること間違いなし。 「朱夏 警視庁強行犯係・樋口顕」 ★5つ ※ある日突然、妻が誘拐された警部補・樋口。脅迫状は公表されていない自宅の住所宛てに届いた。犯行に警察内部の人間が関わっている疑いが出てきたため、樋口は警察には届けず、信頼する友人の刑事・氏家に助けを求めながら、妻の行方を探し、救出するために立ち上がる。スリリングな展開で、まさに今野敏流・警察小説の真骨頂が楽しめる。1998年の作品。 「曙光の街」 ★4つ ※2001年発表の佳作。かつてKGBのスパイとして日本で活動していたヴィクトルは、ソ連崩壊で解雇され、失意のどん底にあった。そこへ、日本でヤクザの組長を殺す仕事の依頼を受ける。一方、ヴィクトル再来日の情報を得た警視庁外事課の捜査官たちは、ヴィクトル逮捕を目指す。ヤクザ、警察、ヴィクトル三者のスリリングな駆け引き・闘いの中で浮かび上がってきた驚くべき事実とは…。 「白夜街道」 ★3つ半 ※2006年発表の作品で、「曙光の街」の続編でもある。警視庁公安部の捜査官・倉島は、過去に因縁のある元KGBの殺し屋・ヴィクトルがひそかに日本に入国したことを知る。ロシア人貿易商のボディガードに雇われたためというが、倉島は本当の理由は別にあるとにらむ。貿易商が密会していた外務省官僚が謎の死を遂げ、ヴィクトルを追って、倉島はモスクワへ飛ぶが、追跡捜査の結末は果たして?。話のスケールは大きいが、若干の荒唐無稽感はぬぐえないのが減点理由。 「BEAT」 ★4つ半 ※警視庁の刑事・島崎は、「罠」にはめられ、銀行本店への家宅捜索情報を漏らしてしまう。銀行のスパイに仕立てあげれ苦悩する父親を救うために、17歳の息子・英次は無謀な行動に出た。ハイテンポで進む展開。父と子の絆が胸を打つ感動のラストシーン。とにかく面白い。この作品、近々WOWOWでドラマ化されるとか。2000年発表の傑作長編。 「特殊防諜班 連続誘拐」 ★3つ ※宗教団体教祖が被害者となる奇妙な誘拐事件が相次いで起こった。しかし無事解放された教祖たちは皆、事件のことをなにも覚えていない。しかし唯一、雷光教団教祖の事件は違った。首相官邸から秘密裏に事件の真相究明を託された真田は、誘拐事件の裏には巨大な陰謀が潜んでいることをつかむ。1986年発表の初期の作品。オカルトっぽい、いささか荒唐無稽な組み立て。今野敏もまだ若かったということか。 こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2011/02/12
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「最近はまっている作家」の2回目。しばらく間が空きましたが、佐々木譲(ささき・じょう)について記します。佐々木譲は警察小説と歴史ミステリー小説、冒険小説などを得意としてるが、うらんかんろがもっぱら読むのは警察小説と歴史ミステリーです。 ということで、最近読んだ佐々木譲の作品について、ひとことコメントとともに、独断での評価を★の数(★5つで満点)で紹介いたします(必ずしも最近の作品じゃないのも含まれていますが、ご容赦を…)。…)。※本の表紙画像は基本的にAmazon上のものを引用しています。Amazon.Japanに感謝します。 「笑う警官」 ★4つ半 ※2004年の作品。映画化されたのでご存じの方も多いと思う。舞台は北海道警。札幌市内で女性巡査の遺体が発見される。容疑者は同じ道警に勤務する津久井巡査部長だったが、かつて一緒に事件を捜査した佐伯警部補は、津久井の潔白を証明するために立ち上がる。最後までテンポがよくて飽きさせない傑作ミステリー。 「警察庁から来た男」 ★5つ ※「笑う警官」に続く道警シリーズの第二弾。北海道警に警察庁の特別監察が入った。その狙いは何か? 一方、札幌のホテルの部屋荒らしを捜査していた大通署の佐伯刑事は、被害者がすすきの路上で謎の死を遂げた男性の父親であることを知り、男性の死因にも疑問を持ち始める。構成がよく出来た作品で、僕は1作目より好きだ。 「警官の紋章」 ★4つ ※道警シリーズの第三弾。洞爺湖サミットのための特別警備結団式を一週間後に控えていた北海道警で、勤務中の警官が拳銃を持ったまま失踪する。津久井刑事は、その警官の追跡を命じられる。一方、佐伯刑事は覚醒剤密輸入に絡む過去のおとり捜査に疑惑を抱き、一人で捜査を続ける。そしてもう1人の主人公、小島百合は結団式に出席する大臣の担当SPを命じられ、警備結団式典の会場へ向かう。前の2作に比べると、若干の荒唐無稽感はぬぐえない設定だが、読み出したら止まらない展開はさすが。 「制服捜査」 ★4つ半 ※主人公は道警不祥事を受けた大異動により、志茂別駐在所に単身赴任してきた警官・川久保篤。管轄する十勝平野は静かで、のどかな農村。しかし、表向き平和に見える町には荒廃も見え隠れする。いくつかの事件に関わる中で、13年前の夏に起こった少女失踪事件の真相が浮かび上がってくる--。新たな切り口で、警察小説の魅力を切り開いた連作集。 「ユニット」 ★5つ ※2005年発表の作品。17歳の少年に妻子を凌辱され殺された真鍋。一方、警察官である夫のDV(家庭内暴力)から逃れようと、我が子と共に家を飛び出した祐子。やがて、2人はたまたま同じ職場で出会う。そしてある日、真鍋は少年の出所を知り、復讐を決意する。その頃、祐子の周辺には夫の執拗な追跡の手が迫っていた。少年犯罪と復讐権、さらに家族のあり方などを問う傑作長編。手に汗握る展開で飽きさせない。 「夜にその名を呼べば」 ★5つ ※1986年10月、ベルリン。欧亜交易の現地駐在員、神崎は何者かに襲撃された。現場には、会うはずだった相手の射殺体が…。日本では親会社による共産圏への不正輸出が発覚、会社の上層部は神埼に殺人の濡れ衣を着せ、抹殺しようと図ったのだ。神崎はベルリンの壁を越えて東ドイツ側へと亡命、そのまま消息を絶った。それから5年、事件の関係者に謎の手紙が届けられ、神崎を追う公安警察もその情報をつかんだ。そして、全員が雨の小樽港へと招き寄せられ、復讐劇が始まった。意表を突く最後の結末が見事。してやられたと唸った(2008年発表の作品)。 「夜を急ぐ者よ」 ★3つ ※1986年発表の初期の作品。非合法組織に追われる原口泰三は、嵐が接近する沖縄・那覇港に降り立ち、追手から逃れるために市内のホテルに投宿する。偶然にも、そのホテルの経営責任者・東恩納順子は、かつて泰三と愛し合う仲だった。別れた後交わることのなかった二人の人生が、緊迫した事態のなかで再び交錯する。 ハードボイルド・サスペンスの名手・佐々木譲の出世作とも言われるが、点数が低いのはエンディングの安易さが理由。佐々木譲もまだ若かったということか(途中までは良かったのになぁ…)。 「仮借なき明日」 ★3つ半 ※大手農機メーカーに勤務する原田亮平は、フィリピンへの出張を命じられる。同国サンビセンテの現地工場で不良品発生が多発、実情を確かめよと命じられた。原田を待っていたのは、総責任者に支配された工場と、現地のやくざとの癒着し、汚職警官の専横を許すような壊滅的な状況だった。原田は、悪人たちを追いつめるために策を練る。ハードボイルド・サスペンス長編の佳作。 「ベルリン飛行指令」 ★5つ ※第二次世界大戦秘話シリーズ3部作の第1作。1940年秋、同盟国ドイツが入手した日本の最新鋭戦闘機の性能データは、まさに驚愕に価した。ほどなく日本軍の優秀なパイロット2人に極秘指令が下る。「ゼロ戦を操縦し、ドイツまで届けよ」。日米関係が風雲急を告げる中、ゼロ戦の飛行阻止を狙う英国の情報網をかいくぐって、2機は果たして目的地のベルリンまでたどり着けるのか。文句なしの傑作歴史ミステリー(1988年発表の作品)。 「エトロフ発緊急電」 ★5つ ※第二次大戦秘話シリーズ第2弾。1941年の晩秋。北海道北方にある小島、択捉(エトロフ)島の湾内に、日本海軍の艦隊が数多く極秘裡に集結していた。湾を見通せる島の丘からは、日系人のケニー・サイトウが双眼鏡で艦隊を凝視していた。スペイン戦争で義勇兵として戦った後、「殺し屋」となった経歴も持つサイトウは、今は米国のスパイとして働き、日本艦隊の動静を米国へ暗号で知らせていた。 やがてサイトウの動きは日本の官憲の知るところとなり、身に危険が迫る。真珠湾攻撃前夜の北海の小島で繰り広げられる激烈な諜報戦。果たして、ルーズベルト米大統領は、日本海軍機動部隊による奇襲計画の情報を事前に入手できていたのか!? 手に汗握る歴史冒険ミステリーの傑作(日本推理作家協会賞と山本周五郎賞の受賞作)。 「ストックホルムの密使」 ★4つ半 ※第二次大戦秘話シリーズの第3作(完結作)。大戦末期。イタリアは降伏し、独ベルリンも陥落。孤立無援となった日本では、米軍による本土空襲が激化し、戦局は絶望の一途をたどる。 日本政府がソ連仲介の終戦工作を模索するなか、スウェーデンに駐在する海軍武官・大和田市郎は、瀕死の日本にとどめを刺す連合国側の極秘情報(原子爆弾の開発成功)を入手した。大和田は「原爆が実戦で使用される前に終戦に導かなければならない」と、その情報を早急に日本政府や軍上層部に伝えようと、ストックホルムから日本へ向けて2人の密使を送る--。 前作の2作は佐々木氏の創作部分も多いが、この秘話はほぼ史実に沿っている。それ故、迫真性たっぷりの歴史ミステリーに仕上がっている。これを読めば、一般国民の犠牲など頭にない愚かな国の指導者のせいで2発の原爆が落とされ、泥沼の敗戦を迎えざるを得なかったことがよくわかる。 「くろふね」 ★2つ半 ※1853年(嘉永6年)6月、ペリー提督率いる4隻の艦隊が浦賀に来航、幕府に開国を迫った。浦賀奉行の代役としてペリーらとの交渉にあたったのは与力の中島三郎助。日本人として初めて黒船に乗り込んだ三郎助は、西洋人とその新しい技術に触れ、日本を外国に負けない近代国家に導こうと決心するが--。 歴史大作だが、全体に盛り上がりに欠け、若干ありきたりな結末も残念。ただし、当時の開国交渉の実態や裏側が、当時の資料に基づいて詳しく描かれており、小説ではなく、歴史書として読めばそれなりに面白いと思う。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2010/10/18
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最近よく読んでいる作家は主に次の3人、池井戸潤(いけいど・じゅん)、佐々木譲(ささき・じょう)、今野敏(こんの・びん)。この3人のミステリー小説を入れ替わり順番に読んでいる。 3人はいずれも今やミステリーの大家だが、池井戸潤は、主に銀行に舞台にした経済・金融小説を、佐々木譲は警察小説と歴史ミステリーを、今野敏は警察小説のほかアウトローを主人公にしたハードボイルドタッチのミステリーも得意にしている。 ということで、最近読んだ3人の作品について、ひとことコメントとともに、独断での評価を★の数(★5つで満点)で紹介いたします(必ずしも最近の作品じゃないのも含まれていますが、ご容赦を…)。まず第1回は、先般NHKで「鉄の骨」がドラマ化されて話題となった池井戸潤から(※本の表紙画像は基本的にAmazon上のものを引用しています。Amazon.Japanに感謝します)。 「空飛ぶタイヤ」 ★5つ ※2005年の作品。吉川英治文学賞新人賞を受けたほか、直木賞の候補作にもなった。実際に起きた大型トラックのタイヤ脱落事故(母子が死傷)をテーマにしている。大手自動車メーカーに「原因は車の整備不良」として責任をなすりつけられる運送会社の経営者が、倒産の危機を抱えながら大企業とたたかい、本当の事故原因を突き止めるまでの日々を感動的に描く。長編だが、最後までテンポがよくて飽きさせない。2009年にはWOWOWでテレビドラマ化されたが、残念ながらうらんかんろはこの時池井戸潤をあまり知らず、見逃してしまった(涙) 「果つる底なき」 ★4つ ※謎の死を遂げた同僚のために、その死の真相を探ろうと、ただ一人銀行の闇に立ち向かう銀行員。第44回江戸川乱歩賞を受賞した感動作。 「仇敵」 ★4つ ※不正を暴こうとしていたところ、言われなき罪を背負わされて銀行を追われた男。不正工作の真相を知った元同僚が突然死んだことを知らされ、仇敵への復讐を誓う。 「銀行総務特命」 ★4つ ※短編集。銀行で「不祥事担当」の特命を受けている主人公。部下の女性社員とともに、巨大銀行の内部の腐敗や醜聞の“処理”にあたっていく。 「銀行狐」 ★3つ半 ※「狐」と署名された脅迫状が大手銀行取締役へ届く。さらにその銀行の情報漏えい事件も起きる。その意図は? 犯人の正体は? スリリングな展開をみせる短編集。 「不祥事」 ★4つ半 ※驚異の事務能力と行動力を持つトラブル担当の女性社員・花咲舞が、巨大銀行の組織と不条理にとたたかう痛快ミステリー。とにかく面白い。この作品、テレビドラマ化したら、きっとヒットすると思うんだけれど…。 「銀行仕置人」 ★4つ ※自分を罠にはめた銀行の身内の不正を暴くために、ひとり立ち向かう男の復讐劇。池井戸作品にはこのパターンがしばしば見られるが、同じテーマでも読み手を飽きさせないのはさすが。 「株価暴落」 ★3つ半 ※巨大スーパーを襲った連続爆破事件。株価は暴落し、スーパーへの支援を巡って大手銀行内の意見は二分される。犯人と名指しされた男の父は、このスーパーの強引な出店で自殺に追い込まれていた。果たして、本当の犯人は? 「オレたちバブル入行組」 ★5つ ※バブルまっさかりの時期に大手銀行に入行した5人の同期生。その5人のその後の銀行員人生を綴りながら、今や中間管理職となった主人公・半沢の銀行内での不条理とのたたかいを描く。銀行という組織がどういうものかは、どんな本よりも池井戸作品を読んだ方がいい。あまりに面白いので僕は2回も読んでしまったほど。 (※なお本作中、調査に入った国税局の調査官が銀行が出前でとった鰻丼を食べるシーンがあるが、先般わが社に来た調査官は「お茶一杯も要らない」と言って受け付けなかった。昔は国税局の役人も“たかり体質”だったということか…)。 「シャイロックの子どもたち」 ★4つ半 ※ある銀行の支店で起こった現金紛失事件。女子行員の一人でに疑いがかかるが…。銀行という組織とそこで働くさまざまな人間の哀歓・葛藤を描いた傑作ミステリー。 「金融探偵」 ★3つ ※失業中の元銀行員が、再就職活動をしている際に、金融がらみの相談を受け、銀行時代の経験を生かして次々に解決していく。全体としての盛り上がりがいまいちなのが減点理由。 「オレたち花のバブル組」 ★5つ ※上記「バブル入行組」の続編に当たる作品だが、パワーアップして前作以上の面白さ。ホテルと電機メーカーの再建問題を軸にしながら、バブル入行組同期生5人の、その後の銀行マンとしての絶対負けられない闘いを描く(うち1人は9.11テロのニューヨークで死んだという設定なので実質4人だが…)。 主人公の東京中央銀行営業第二部次長・半沢は、巨額損失を出した老舗のホテルの再建を押し付けられる。おまけに、陰湿な手法で有名な金融庁担当官による検査が入る。一方、同期の近藤は倒産の危機に瀕した出向先の社長らから執拗ないびりに遭い、苦しむ毎日。「貧乏くじ」を引いた半沢らの行く末はいかに? テンポが良くて、仕掛けも面白くて、登場人物=とくに悪役の上司や検査官=の描写が上手くて、とにかく飽きさせない。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2010/09/04
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前回、推理小説の話を書いたので、ついでにもう1回、最近(ここ数ヶ月間)うらんかんろが読んだ推理小説について、ひとことコメントとともに、独断での評価を★の数(★5つで満点)で紹介いたします(必ずしも最近の作品じゃないのも含まれていますが、ご容赦を…)。※本の表紙画像は基本的にAmazon上のものを引用しています。Amazon.Japanに感謝します。 ・東野圭吾「宿命」 ★4つ半 ※1993年の作品。結末は、最後の方になるとなんとなく予想がつくけれど、テンポがよくて飽きさせません。 ・東野圭吾「名探偵の掟」 ★3つ ※短編集。この作品、実験的なつもりで書いたのでしょうね。でも、ちょっと無理があるものが多い。 ・東野圭吾「使命と魂のリミット」 ★4つ半 ※比較的最近の作品。最後まで息をもつかせぬ展開。推理ものとしてはちょっと物足らないけれど、家族がテーマとなった人情ものとしてはなかなか読ませる。 ・松本清張「ゼロの焦点」 ★4つ ※広末涼子主演で再映画化されたのを機会に約30年ぶりに再読。やはり清張の代表作だけはある読みごたえ。映画と見・読み比べるのも面白いよ。 ・松本清張「球形の荒野」 ★4つ半 ※これも再読。亡くなったはずの外交官の父は生きていた! 時代背景が少し理解しにくいかもしれないが、戦争を知らない世代にもぜひ読んでほしい国際的スケールで書かれた一作。 ・松本清張「山峡の章」 ★4つ ※結婚したばかりの夫が知らない場所で自分の妹と情死していた! 「ゼロの焦点」と若干コンセプトが似ている佳作。結末のつくりはやや粗いかな。 ・松本清張「霧の旗」 ★5つ ※弁護料をすぐに支払うカネがないというだけで依頼人を断れば弁護士はどういうしっぺ返しを食うかという、執念の復讐劇。主人公のたくましい女性に惹かれて、ぐいぐい引き込まれる。 ・松本清張「眼の壁」 ★3つ半 ※手形詐欺事件にはめられて自殺した上司のために、部下が繰り広げる復讐劇。昭和30年代の設定なので、個人情報の管理にうるさい今じゃあり得ないシーンもあって、笑ってしまうけど…。 ・宮部みゆき「名もなき毒」 ★4つ ※自分の会社にこんなクレーマーがいたら…。あり得そうだからなお怖い。こういう展開のものを書かせたら、宮部みゆきはうまいなぁ…。 ・佐々木譲「笑う警官」 ★4つ半 ※佐々木氏得意の警察小説。テンポがよくてぐいぐい引き込まれる。だがいかんせん、警察内部で、内輪で勝手に捜査チームをつくるなんてことは現実的にはあり得ない。そこが減点ポイント。 ・今野敏「隠蔽捜査」&「果断―隠蔽捜査2」どちらも★4つ半 ※友人に勧められて読んだけれど、寝不足になるくらい面白い。プライドの固まりのような、嫌味な主人公は好きになれないが、読み始めたら止まらない。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2010/03/23
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少しご無沙汰しておりました。久々の日記更新です(BAR巡りや酒の話ではありませんが…)。1月31日の日記で、東野圭吾の推理小説のうち、「加賀恭一郎シリーズ」にハマッているという話を書きました。 刑事・加賀恭一郎が登場する(初出の「卒業」だけは学生時代の加賀恭一郎ですが)作品は、全部で8つあります。前回の日記では、そのうち5作品を読んだところでしたが、その後残りの3作品(「どちらかが彼女を殺した」「眠りの森」「卒業」)を読み終え、無事、全作品を読破しました。 で、せっかくなので、8作品についてあくまで独断での評価ですが、面白かった順にランキングにしてみたいと思います(※本の表紙画像は基本的にAmazon上のものを引用しています。Amazon.Japanに感謝します)。 1位はダントツで、最新作の「新参者」です。完成度の高さ、面白さのどちらをとっても文句なしでしょう。2位は、読者によっては、評価は分かれるところですが、僕は「赤い指」(2009年)を選びました。最後の意外な結末がやはり素晴らしいと思いました。 3位は、「嘘をもうひとつだけ」(2003年)。短編集ですが、それぞれの出来は水準以上でそれぞれに味わいもあります。そして4位は「眠りの森」でしょうか。恋に落ちる恭一郎もいいし、最後まで犯人が読めないところもいいです。 さて、では残るは「私が彼を殺した」(2002年)「悪意」(2001年)「どちらかが彼を殺した」(1999年)「卒業」(1989年)の4つですが、この4作品ははっきり言って、とても(5位~8位の)順位がつけづらいのです。 「私が…」と「どちらかが…」は似たコンセプトの作品ですが、普通に読み終えても犯人が分からないという、少し凝りすぎた実験的作品です。 「悪意」は物語のかなり早い段階で明示されるのですが、犯行の動機などを描く結末までの部分がはっきり言って、長たらしくてくどい。「卒業」はお茶会の場での殺人のマニアック過ぎる種明かしに力を入れすぎて、物語本来の面白さを殺してしまっているという印象です。 まぁ、あえて順位をつければ(異論はあるかもしれませんが)5位「どちらかが彼女を殺した」、6位「悪意」、7位「卒業」、8位「私が彼女を殺した」でしょうか。まぁ、「お時間があればどうぞ」という感じの作品群です。 「新参者」はおそらく東野さんの全作品の中でもベスト3に入ると思います。早く文庫になればいいと思いますし、続編が早く出ればいいなぁと願っているところです。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2010/03/22
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このところ、推理作家・東野圭吾の作品で、加賀恭一郎(かが・きょういちろう)という刑事が出てくる一連のシリーズ(計8作品あるそうです)を、むさぼるように読んでいます。 昨年発表され、ベストセラーになった最新作「新参者」から、発表年をさかのぼって読んでいるので、まだ全作品制覇に至っていませんが(現時点では5作品=「新参者」「赤い指」「嘘をもうひとつだけ」「私が彼を殺した」「悪意」です)、どの作品も睡眠不足になるほど、ハマッてしまいます。 加賀恭一郎が初めて登場したのは1986年、東野のデビュー第2作「卒業」です(これは未読です)、加賀は国立T大学に通う大学生で、在学中に巻き込まれた連続殺人事件の探偵役として登場します。その3年後の1989年の「眠りの森」(これも未読)では、警視庁捜査一課の刑事として再登場します。 さらに、1990年代中盤から後半にかけては主に警視庁捜査一課や練馬警察署に勤めているという設定で、「悪意」や「どちらかが彼女を殺した」「私が彼を殺した」「嘘をもうひとつだけ」という作品で登場しています。 2002年発表の「私が彼を殺した」は、(ネタばらしになるので詳しくは書けませんが)容疑者たちの中から、加賀刑事(すなわち作者)が犯人を明確に提示しないで終わるという“掟破り”の書き方で読者に論争を巻き起こしました(袋とじの「推理のヒント」が付いているという凝りよう)。 2006年に刊行された「赤い指」では住宅街の公園で起きた少女の死体遺棄事件から、どこの家族にでもあるかもしれない「闇」の部分に迫りました。そして2009年、あの書評家としても有名な俳優・児玉清氏をして「今年出版された本の中で文句なしに最も面白い!」と言わしめた話題の「新参者」へと続きます。 「新参者」では、加賀刑事は前作の練馬警察署から日本橋警察署へ転勤したという設定ですが、日本橋界隈という下町を舞台にした9つの短編がそれぞれ、「完結した人情推理もの」になっていながら、すべてが結末編へつながってゆくという構成が、実に見事というしかありません。 加賀刑事は独身で、30代半ばから30代後半という設定。初登場時は大学生でしたが、東野作品のプロフィール設定では卒業後に教師になったものの、ある出来事から「教師としては失格」と思って教師を辞め、父親と同じ警察官になりました。母親は蒸発しており、その原因が父親の多忙さにあると思っていて、父親とは仲はあまり良くありません。 警視庁では本庁捜査一課と練馬署(捜査一係)を往復した後、最新作の日本橋署へ異動します。国立大の社会学部の出身ですが、在学中は剣道部の部長(段位は六段)を務め全日本選手権で優勝したこともあるので、どちらかと言えば体育会系でしょうか。 警察官になってからは、どちらかと言えば協調性の少ない人間として描かれています。先輩や同僚と協力しながら事件を解決するというよりも、単独行動して事件解決の糸口をつかむのが加賀のやり方です。しかし、冷静沈着で、事件全体を見通せる能力はピカ一です。まぁ推理小説の主人公の刑事としてはよくあるパターンでしょう。 加賀は口数は少ないけれど、人情に厚い刑事です。犯罪者に対しても、優しさや思いやりを失いません。「新参者」では、ある事件の裁判で弁護側の情状証人として出廷したことが記され、そのせいで所轄の日本橋署に異動(左遷か?)となったとのことです。ちなみに加賀の趣味は、「新参者」の中では茶道とクラシックバレエ鑑賞となっていますが、小説の中では趣味に打ち込んでいる場面は出てきません(笑)。 残る「加賀シリーズ」は3作(「卒業」「眠りの森「どちらかが彼女を殺した」)ですが、全部すぐ読み終えてしまったらつまらないので、あわてずに挑もうと思います。現実の警察の世界では、加賀のようなキャラの刑事はなかなかいないでしょうが、そこはまぁ小説の世界だから許しましょう。東野さん、加賀刑事が日本橋界隈で活躍する「下町人情もの」の続編をぜひ書いてくださいなー。 ※本の表紙画像は基本的にAmazon上のものを引用しています。Amazon.Japanに感謝します。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2010/01/31
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漫画家の赤塚不二夫さんが亡くなったというニュースを昨夜テレビで知った。72歳。6年前、脳内出血で倒れた後、ずっと入院生活だったという。 赤塚さんは言わずと知れた、天才ギャグ漫画家。「おそ松くん」「天才バカボン」「ひみつのアッコちゃん」「もーれつア太郎」など、数々の素晴らしい作品を生みだした(写真左=愛猫「菊千代」とたわむれる赤塚不二夫さん=1981年頃。 ( C )朝日新聞社 ) 小学校の低学年だった頃、将来の夢は漫画家になることだった。それも、「手塚治虫か赤塚不二夫みたいな漫画家に近づくこと」だった。 ちょうどその頃、大阪・なんばの高島屋で、赤塚さんのサイン会が開かれた。「おそ松くん」を週刊誌で連載し始めた頃で、まさに人気が急上昇していた時期だった。 僕は朝早く、開店から並んだ。学校を休んだ記憶はないので、たぶん日曜だったのだろう。サインを貰うために、当時としては高価な500円ハンカチを買わされ、そのハンカチにサインをもらった。 僕は赤塚さんへのプレゼントを大事そうに抱えていた。陶器製の高さ15cmくらいのペン立て。選んだ理由は今では忘れてしまったけれど、「インディアンの酋長(顔)」をモチーフにしたペン立てだった。 サインの順番が回ってきた際、「これ、プレゼントです」と手渡した。赤塚さんは「僕にくれるの? いいの? ほんとに有難う!」と言って喜んで、握手してくれた(写真右=「天才バカボンのキャラクターたち。( C )フジオ・プロ ) 僕は嬉しくて、感激してもう何も返す言葉が浮かばなかった。サイン入りのハンカチを握りしめ、小躍りして家まで帰った。「ハンカチ」は今も大事に持ち続けている。僕の宝物であり、あの遠い日の…思い出。 漫画家にはなれなかったが、その後も赤塚さんの漫画は欠かさず読み続けた。それほど好きだった、赤塚さんが亡くなった。今はもう悲しくて、悲しくて…、言葉が出ない。
2008/08/03
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近く(2月9日~)全国公開される話題の映画「チーム・バチスタの栄光」の原作(宝島社文庫・上下2巻各476円)を読みました。 原作は、第4回「このミステリーがすごい!」の大賞受賞作で、現在170万部を超すベストセラーになっています。大学病院が舞台。手術室で起こった原因不明の術死をめぐって、さまざまな医療関係者が絡み合うミステリーです。主なあらすじは以下のようなものです。 東城大学医学部付属病院は、米国の心臓専門病院から心臓移植の権威、桐生恭一を臓器制御外科助教授として招聘した。そして、彼の外科チームは、心臓移植の代替手術である「バチスタ手術」(【注】を参照)の専門の、通称「チーム・バチスタ」として、成功率100%を誇り、その勇名を轟かせていた。ところが最近、3例続けて術中死が発生した。 原因不明の術中死と、メディアの注目を集める手術が重なる事態に危機感を抱いた病院長の高階。しかも次のバチスタ手術の患者は、海外からの移送されたゲリラの少年兵士であり、マスコミの注目も集めていた。 そこで内部調査の役目を押し付けられたのが、神経内科教室の万年講師で、不定愁訴外来責任者・田口と、厚生労働省の変人役人・白鳥だった……。 壊滅寸前の大学病院の現状。医療現場の危機的状況。そして「チーム・バチスタ」のメンバー間の相克と因縁。医療過誤か、殺人か。遺体は何を語るのか…。栄光のチーム・バチスタの裏側に隠されたもう一つの顔とは…。 原作者の海堂尊(かいどう・たける)氏が元外科医で、現役の病理医であるだけに、ディテールがとてもきっちり描かれ、医療現場の現実を臨場感たっぷりに読ませてくれます(映画配給会社のうたい文句は「現役医師が描くメディカル・エンターテイメント」ですが、原作を読む限り当たっています)。 何よりもこの小説の魅力は、主人公の田口と白鳥をはじめ登場人物がとても個性的なキャラクターで描かれていることです。とくに中央官僚とは思えないような、「はみだし公務員」の白鳥は最高です。真面目な切れ者ようで、毒舌とおふざけたっぷりの強烈なキャラです(現実にはこんな官僚はいないでしょうが)。 主な舞台が病院(とくに手術室内)というだけあって、やはり全編かなりの専門用語が飛び交います。原作者はできるだけ、初心者にもわかりやすいような説明も付けていますが、それでも難しすぎて、読むのが疲れるようなページもあります(その辺りは斜め読みしても、粗筋にはあまり影響はありません)。 基本的な筋立てとしては「犯人探し」です。一応、最後まで誰が犯人かは分からないように展開にはなっていますが、後半でなんとなく犯人が読めてしまう「オチ」はややインパクト不足かもしれません。しかし全体としては、とても秀逸なミステリーに仕上がっているうえ、何より「医療現場での推理もの」という日本には従来あまりなかった分野でもあり、個人的には大いに満足しました。 なお原作では、調査を任された田口は中年男性に描かれていますが、映画では女医という設定で、竹内結子が演じています。竹内結子がどのような田口を演じるのか、阿部寛演じる白鳥調査官役ともども、僕も今から公開が楽しみです。【注】バチスタ手術 学術的な正式名称は「左心室縮小形成術」。一般的には、正式名称より創始者R・バチスタ博士の名を冠した俗称の方が通りがよい。拡張型心筋症に対する手術術式で、肥大した心臓を切り取り小さく作り直すという、単純な発想による大胆な手術(原作中の説明より)。 ※本の表紙画像はAmazon上のものを引用しました。Amazon.Japanに感謝します。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2008/01/26
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日本の洋画家と言えば、皆さんは誰をまず思い浮かべるだろうか。岸田劉生、青木繁、梅原龍三郎、小磯良平、東郷青児、林武、藤田嗣治…。 皆さんは、おそらくは小中学校時代の美術の教科書で見た巨匠の名を挙げるかもしれないが、僕はと言えば、他の誰を差し置いても、この人の名を口にするだろう。 佐伯祐三(さえき・ゆうぞう、1898~1928)。わずか30年という短い生涯のなかで、パリの裏町の表情を独特の荒々しいタッチで描き、300点以上の素晴らしい作品を残した稀有な天才。 そんな僕の大好きな佐伯の作品を中心にした展覧会「佐伯祐三とパリの夢--大阪コレクションズ」が大阪市内(大阪市立近代美術館準備室・心斎橋展示室)で開かれているというので、早速、訪れてみた。 佐伯は1898年(明治31年)、大阪市・中津(なかつ)の光徳寺という寺に、男4人女3人のきょうだいの次男として生まれた。 1918年(大正7年)、旧制北野中学(現・大阪府立北野高校)を卒業した後、東京美術学校(現・東京芸大)西洋画科に入学した。 23年(大正12年)に同校を卒業した翌年、念願だったパリ渡航が実現。一度の帰国を挟んで佐伯はパリの街頭風景など旺盛に描き続けた。しかし、持病だった結核が悪化し、28年(昭和3年)8月16日、入院中のパリ郊外の病院で死去した。 今回の展覧会には佐伯がパリ滞在中、何気ない街角の風景を描いた作品を中心に20点近く展示されている(同美術館が所蔵する佐伯コレクションが主だが、有名な「郵便配達夫」などの人物画は、今回のテーマとは違うということで残念ながら出品されていない)。 改めてじっくり佐伯の画を間近で見た僕の印象は、「やはり佐伯は天才だったんだなぁ…」という感嘆に近い思いだった。なかには、重ね塗りされた絵の具が描き上げた直後のように感じる絵もある。佐伯ほど、パリの街の建物の数々を、これほどヴィヴィッドに描いた画家を僕は知らない。 同じようにパリの街角を描いた有名な画家で、ユトリロという人がいるけれど、ユトリロの上品で、落ち着いた画風に比べて、佐伯の色使い、対象の配置、壁の質感、壁に貼られたポスターの踊るような文字、どれをとっても現在でも通じるセンスに溢れていると、僕は思う。 ゴッホが生前はほとんど評価されずに、貧困に苦しんだのは有名な話だが、佐伯の絵も生前は、パリの画壇でほとんど評価されなかった。死して、これほど評価されるとは、天上の佐伯は苦笑いをしていることだろう。 30年という人生、それも20歳を過ぎてからの、たった10年余の間にこのような素晴らしい作品を数多く生みだした佐伯に、僕はジャンルは違うけれど、あの夭折したモーツァルトの生きざまと重ねてしまう。 画家という人たちは、比較的長命な人が多い。佐伯がもし70歳、80歳まで生きていたらどんな絵を描いていただろうか。返す返すも、このような100年に1人の天才が夭折したことを恨む。 「佐伯祐三とパリの夢」展は3月25日まで。大阪市立近代美術館・心斎橋展示室(大阪市中央区南船場3-4-26 出光ナガホリビル13階、06-6208-9096)で。午前11時から午後7時。水曜休館(3月21日は開館)。地下鉄御堂筋線・心斎橋駅から徒歩5分。 【追記】出張のために、次回の日記更新は21日(水)の予定です。よろしくお願いいたしまーす。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2007/02/16
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久々に面白いミステリー小説に出合えました。高野和明という人の「13階段」(写真左下)。01年度の江戸川乱歩賞の受賞作。しかも審査員の全員一致で選ばれた作品というのであれば、出来がいいのは当たり前かもしれません。 場面転換や人物描写にも優れ、巧みなストーリー展開。審査員の宮部みゆき氏をして「手強い商売仇を送り出してしまったものです」と絶賛させただけのことはあります。一気に読んでしまいました。あらすじは次のようなものです。 けんか相手を誤って死なせてしまい、3年の刑に服していた三上純一は、刑期満了の4カ月前に仮釈放される。 実家に戻った純一が見たのは、被害者への慰謝料のため生活が困窮する家族の姿だった。 そんな時、純一の服役していた刑務所の刑務官・南郷正二が彼を訪れる。南郷は純一に対し、「樹原亮という死刑確定囚の冤(えん)罪を晴らす調査の仕事を手伝ってほしい」と頼んだ。 樹原亮には、仮出所中に自分の保護司夫妻を金目当てで殺害した容疑をかけられていた。現場に残された様々な証拠は、樹原が犯人であることを裏付けていた。 しかし、樹原は事件直後の交通事故のため、犯行時刻の記憶を一切無くしていた。そのため、犯行を否認することも出来なければ、改悛(かいしゅん)の情を示す事も出来なかった。 最高裁への上告は棄却され、不服申し立ても認められず、事件から3年後、樹原の死刑は確定した。刑執行の可能性を考えると、残された時間は3カ月しかない。唯一の手がかりは、樹原がふと思い出した、犯行当時の断片的な記憶。樹原は「(当時)階段を昇っていた」と言った。 純一は迷いながらも、この仕事を引き受ける。調査報酬の一千万円がこれまで苦労をかけた家族のためになればと考えたのだ。 早速、2人は調査にとりかかり事件現場に赴くが、偶然にもそこはかつて純一が殺してしまった相手が住んでいた町だった。 2人は、真犯人の行動範囲を絞り込み、現場近くの山の中に、樹原の記憶に残る「階段」を探し続ける。そこに、未だ発見されていない被害者の預金通帳や印鑑がきっとあるのではと睨(にら)んでいた。2人を待ち受ける驚くべき真実とは? 著者の高野和明氏は1964年生まれ。映画の撮影、編集などを学んだ後、映画やテレビの脚本家になった。ストーリー展開の巧さは、映画の脚本で鍛え上げた所以か。 死刑制度という重いテーマを織り込みながら、読者をぐいぐいと引っ張っていく力量はさすがです。ネタばらしになるので結末は書けませんが、とにかく最後の最後まで目が離せません。お時間のある方にはおすすめの一冊です。 なお、この「13階段」は03年に反町隆史(純一役)、山崎努(南郷役)の配役で映画化されました(写真右上=映画「13階段」の一場面。 (C ) 公式HPから)。残念ながら、映画の方は僕まだ見ていません。出来はどうだったのかな? 映画はともかく、原作の出来は間違いありません。 ※本の表紙画像はAmazon上のものを引用しました。Amazon.Japanに感謝いたします。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2007/02/12
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前回に続き、酒やBAR巡りや音楽とは違う話題だけれど、お許しあれ。お盆の休日、京都国立博物館(京都・東山七条、以下、「京博」と略す)に行ってきた。 「美のかけはし-名品が語る京博の歴史 開館110年記念特別展」(7月15日~)。 なぜ暑いこの時期、京都まで出かけたかと言えば、子どもの頃からずっと見たかったけれど、その機会が一度もなかった素晴らしい絵画の本物が出展されるから。 中学や高校の歴史(日本史)教科書には必ずと言っていいほど登場していて、おそらく日本人なら一度は目にしたことがあるその絵画とは国宝「源頼朝像」(京都・神護寺蔵、伝・藤原隆信筆)=写真左下。 日本絵画史上の肖像画の中でも、「最も完成度の高い傑作」と誰もが認める逸品。この国宝は神護寺から寄託された京博が収蔵しているが、貴重な絵画なので普段は一般公開されていない。 今回の特別展は、明治30年(1897)に開館した京博の110周年を記念し、所蔵する(または寄託された)貴重な名品を集めたもの。 展示されてるのは、国宝26点、重要文化財37点を含む約120点。国宝の中には有名だけれど普段は見られないものも多い。 僕のお目当ての「源頼朝像」は13世紀の作で、最近の学術研究で実は源頼朝ではなく、足利尊氏の弟、直義であるという説も有力になっている。 だから、最近の教科書などでは「伝・源頼朝像」という表記をしているものも多いが、京博は、鎌倉時代の絵画技法などから、あくまでこの絵画は「頼朝」だという立場のようで、特別展でも「伝」の文字はなかった。 ただ、僕自身は、この肖像の主が頼朝であろうとなかろうと、この絵画の価値を下げるものは一切ないと思っている。 実物の「頼朝像」は保存状態も良く、顔や髪の部分の筆遣いまでもはっきりと分かる。写真で見ると黒一色にしか見えない衣装も、実物では生地の文様も細かく、丁寧に描かれている。 冷徹・沈着な「頼朝」の表情。その鋭い眼光は心の内までも映すようで、見る者に迫る(大きさは縦約1.5m、横約1.2mと、想像してたよりでかい)。 作者の藤原隆信という絵師はどういう人かはよく知らないが、海外で言えば、レンブラントやルーベンスにも負けない、我が国が誇る肖像画家と言っていいだろう。 会場では、同じ隆信作という国宝「平重盛像」(これも神護寺所蔵。なぜかこちらは左向き)と共に一対で展示されているが、完成度は「頼朝像」が圧倒的に上。 重盛像には、頼朝像にはある「足」が描かれていない。手抜きなのか意図的に描かなかったのかは知る由もないが、隆信がいかに頼朝像に力を入れたかが分かる。 この特別展には、他にもこれまた教科書によく出てきた如拙の「瓢鮎図(ひょうねんず)」=写真右=など素晴らしい国宝の数々が出展されている。 個人的には、豊臣秀吉関係の書状や遺品の数々、鴨長明直筆という「方丈記」、空海直筆の書が記された菩薩図に、感銘を受けた(詳しくは京博のHPをご覧あれ)。 残念ながら会期は今月27日(日)まで。京博はJR京都駅からバスで7分ほど(徒歩でも20分ほど)。近くには三十三間堂、智積院、方広寺、豊国廟などの名所旧跡も多い。天気が良ければ京都駅から散歩がてら行くのも楽しい。ご興味のある方はぜひ足をお運び下さい。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2006/08/19
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芸術と文化の香りにたまには浸るのも必要かなと思い、大阪・天保山のサントリー・ミュージアム(写真左=あの安藤忠雄氏の設計です)で開催中の「愛の旅人 シャガール展」(サントリー・ミュージアムと朝日新聞社の共催)に行ってきた。 旧・白ロシア(現ベラルーシ)のユダヤ人一家に生まれ、パリで活躍したマルク・シャガール(1887~1985)は「エコール・ド・パリ」を代表する画家。「色彩の魔術師」の異名もある。 花や女性、それにサーカスのピエロ、空飛ぶ馬、天使などのモチーフが多いが、どの絵も色鮮やかで、華やかで、ファンタジックな雰囲気が溢れている。 個人的には、これまでさほど興味のあった画家ではなかった。好みで言えば、ゴッホ、モネ、ダ・ヴィンチ、ピカソらが僕のお気に入りだった。しかし、今回初めてシャガール単独の個展を訪れて、その魅力を再発見した僕。 97歳まで生きた長寿のシャガールは実に多作だった。最初の妻ベラが亡くなった直後以外は、生涯、絵を描き続けた。そして、二度の世界大戦に翻弄されながら、絵のテーマやタッチは微妙に変化していく(ただし生涯一番好きだった色は青だったようだ)。 今回の展覧会は「生と死」「聖なる世界」「サーカス」「愛の歓び」「自画像」という5つのテーマに分けて、生涯に描いた絵や版画から、シャガールの思いを感じとろうという趣向だ。 恋人たちを描いた絵は、シャガールと愛妻ベラがモデルになっていることが多いが、視線が実に温かい(写真右=「エッフェル塔と新婚の二人」=1928年。モデルはやはり画家自身と愛妻ベラ。 (C )ベネッセ・コーポレーション)。 版画は宗教的、哲学的なものが多いが、それはそれで、うとい我々には勉強になる。油絵も数多く展示されていたが、どれも色彩が鮮やかで、圧倒される。 それにしても、今回出展された約130点の絵や版画のほとんどが、国内所蔵の作品(それもなぜか「高知県立美術館蔵」というのが多い)というのに驚かされる。日本にいながら、これだけ上質のシャガールの絵が楽しめる幸せを改めて感じる。 この「シャガール展」は6月25日まで。関西在住の皆さま、お時間がありましたら、ぜひ一度足を運んでみてください(サントリー・ミュージアムの隣には、大阪の人気スポット、水族館の「海遊館」や「天保山マーケット・スクエア」もあります)。【メモ】サントリー・ミュージアム「天保山」へは地下鉄中央線・大阪港駅から徒歩約5分。開館時間は午前10時半~午後7時半、月曜休館。こちらもぜひ見てねー!→【人気ブログランキング】
2006/05/30
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久々にミステリーの話題。と言っても、もうお読みになった方も多いと思うので申し訳ないけれど、先に直木賞を受賞した東野圭吾氏の「容疑者Xの献身」(写真)。 直木賞を取る前に、「このミステリーがすごい!2005年版」の国内部門で第1位にも選ばれた。この時から、久々に凄い作品が誕生したと注目してきた。直木賞でさらに注目が集まり、書店での売れ行きもとてもいいらしい(あるサイトの文芸書売れ筋ランキングでは、今週第1位)。 物語は、一見さえない高校の数学教師にして、天才数学者の石神を中心に展開する。ある日、マンションの隣に住む花岡靖子とその娘が、訪ねてきた前夫を殺してしまう。靖子に密かに思いを寄せてきた石神は、完全犯罪を目論んで、靖子らを警察の追及から守ろうとする。 靖子に対する思いはとても純粋。そして、天才的な才能を駆使して、完全犯罪のプログラムを組み立てていく。そんな石神の前に立ちはだかるのが、東野氏の探偵ガリレオ・シリーズでおなじみの物理学者・湯川、そして警視庁の刑事・草薙。 この4人による駆け引き、心理戦も面白いが、次々と予想を裏切る展開に、寝不足になること間違いなし。東野氏は「僕がこれまで考え出した最高のトリック」と言うが、決して奇をてらったトリックではなく、「言われてみればそうか」という理詰めのトリック。 ネタばらしになるので詳しくは書けないが、物語途中の一見、事件と関係ないような描写(場面)も手を抜かずきちんと読めば、最後に明かされる真相も納得できるだろう。読み終わった後は、ただ「やられたー!」のひと言。はっきり言って、最近読んだミステリーの中でもナンバー1かな。 そして、最高の推理小説なんだけど、ミステリーに名を借りた石神と靖子の恋愛小説としても、素晴らしい作品に仕上がっているのがにくい。「こんなピュアな純愛なんていまどきあるかな…」と思うほど。だから結末には、ほんとに泣かされます。 東野氏は大阪府生まれで、今年48歳。大阪府立大で電気工学を学んだ後、エンジニアとして勤務しながら推理小説を書き始め、1985年に「秘密」で江戸川乱歩賞を受賞。その後も「探偵ガリレオ」「白夜行」などの話題作を次々と発表している。だからキャリアはもう20年とベテランの域。直木賞は候補に挙がること6回目での念願の受賞だった(同じ関西人としても嬉しいなー)。 さて、この「容疑者Xの献身」。おそらくは映画化(またはドラマ化)されるだろうが、主役の石神は誰が演じるのがいいか。僕と連れ合いの意見は奇しくも一致して、オダギリ・ジョー。そして、靖子役は鈴木京香。湯川役は藤木直人。皆さんなら誰を推す? ※本の表紙画像はAmazon上のものを引用しました。Amazon.Japanに感謝いたします。人気ブログランキングへGO!→【人気ブログランキング】
2006/02/04
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「灯ともしころ、街の片隅にある1軒のバーの扉の前に立つ。この扉の向こうには一体どんな世界があるのだろう――バーの魅力にとりつかれ、いつの頃からか切り絵でその世界を描くようになった…」。本の裏表紙にはそう記されている。 出来たてホヤホヤの新しい文庫本は、実は、僕が長年の間、復刊を待ちこがれてきた「To The Bar 日本のBAR74選」(朝日新聞出版刊:朝日文庫。定価540円=写真左 (C)朝日新聞出版 )。 切り絵作家の成田一徹氏が、全国津々浦々のBARを巡り歩いて、彼の愛するBARを、切り絵と洒脱な文で描いた素敵な「大人の絵本」であり、最良のBARガイドブックでもある。 モノクロームでBARの情景を見事に切り取った成田氏の画が、僕は大好き。バーテンダーにも彼の切り絵のファンは多く、自分の店が描かれた切り絵を店内に飾っているBARも、全国あちこちに結構ある。知らない街のBARでたまたま彼の切り絵に出合うと、「おっ、このマスターもファンなんだね」と僕までが嬉しくなる。 彼が著したこれまでの本は、僕はほとんど欠かさず、手元に置いている。個展で気に入って購入した作品も何点かあるし、ブログでBARに触れた日記でも、ご存じのように時々、彼の切り絵を「クレジット付き」で紹介させてもらっている(お気づきかもしれないが、「ピアニストの手」を描いた僕のプロフィール欄の切り絵も、彼の作品である)。 本格的にBAR巡りを始めて、もう四半世紀にもなるが、きっかけとなったのが、成田氏がまだ神戸のサラリーマン時代の1983年、同僚と一緒に自費出版した「酒場の絵本」(写真右)という本だった。 この本には神戸の素敵なオーセンテックBARや今はなき、いわゆる「外人BAR」など16軒のお店が紹介されていた。当時、神戸が仕事場だった僕はその本をガイドブック代わりに、1軒1軒、BARを訪ね歩いた。そしてその不思議な魅力にはまっていった。 その後、成田氏は「切り絵を生業(なりわい)として」生きるべく脱サラして、上京。しばらくして1993年に東京、横浜、京阪神に取材のフィールドを広げたガイドブック「一徹の酒場だより」(写真左)を著した。しかし、バブル景気崩壊のあおりで出版社が倒産。この「酒場だより」は幻の1冊となった(僕は今もたまに古本屋で見つけたら、必ず買ってしまう)。 そして98年に成田氏が再び著したのが、今回出版された「To The Bar」の旧版である。旧版は単行本のスタイルで出版された。しかし、運の悪いことに出版不況のせいなのかどうか知らないが、その出版社も倒産。旧「To The Bar」も絶版となってしまった。 僕は、味わい深い切り絵とBARの貴重な情報が詰まった素晴らしい「To The Bar」を、どこかの出版社が復刊してくれないかなぁと、ずっと、ずーっと心待ちにしてきた。 だから、今回の復刊の喜びは、言葉ではちょっと言い表せないくらいだ(嬉しいことに、紹介されてる店も旧版より10店多い!)(写真右=83年刊の「酒場の絵本」から「Bar ルル」。今はなき神戸の名BARだった。ちなみに復刊された「To The Bar」の表紙もこの「Bar ルル」)。 成田氏の切り絵の素晴らしさは、まるで、そのBARを自分が訪れたかのような錯覚に陥らせてくれるところ。シャープだけれど、どこか温かい彼の画を眺めていると、かたわらで飲むウイスキーもますます旨くなる。それくらい彼の切り絵は、見る人の心をつかみ、包み込んでくれる。 BAR好きのみなさんには、ぜひこの「To The Bar」を一冊携えて、BAR巡りに挑んでほしい。重そうなBARの扉も、この本があれば抵抗なく開けられるだろう。そして、この本がバーテンダーと打ち解けるきっかけになることは間違いない。人気ブログランキングへGO!→【人気ブログランキング】
2006/01/14
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大好きなイラストレーター、矢吹申彦さんから新刊の絵本が届いた(写真左)。そのタイトルは「猫づくし」。中身はその名の通り、矢吹さんが長年描き続けてきた猫の絵の集大成というようなもの。 この絵本の刊行に合わせて、9月28日から10月8日まで、銀座の画廊で「小さな猫の展覧会」という個展を催した矢吹さん。期間中、訪れることができないために、僕は初日のパーティーに間に合うように花を贈った。その返礼として、わざわざ絵本を送ってくださったのだ。 絵本には可愛い猫の絵があふれていて(59匹も登場する!=写真右下&左下)、僕のような猫好きにはたまらない絵本だ。前書きには「ぜんたい、猫の気持ちというものが判らん。お前さんは、可愛いのか、恐いのか、優しいのか、冷たいのか。そこのところ、答えてごらん」とある。 「猫に小判」「猫だまし」「猫かわいがり」など「猫」の付く言い回しをテーマにした各頁は、矢吹さんのほのぼのとした絵とともに、猫の独白を借りた洒脱な一文が付いている。 例えば、「猫に鰹節」という絵(写真)では、「そりゃ、僕にカツブシの番をさせるダナさんの方が悪いに決まっているネ。ダナさんだって、お酒の番が出来ますかい。きっと呑んでしまうに違いない。僕たちだけがガマンするのは、不公平と云うもんだ」。 う~ん、なるほど、いいねぇと頷いてしまう猫たちの言葉が実に粋で、面白い。それもそのはず、本の帯には「猫の本音を聞く絵本」とあった。「後掻き」で矢吹さんはこう記す。 「長い歳月、よほど猫の絵を描いてきた。(中略)猫には物語があるから描く。私は黙って、猫に語ってもらうことにした。長い歳月だから、家(うち)の猫も様々…」。 構想から、かれこれ3年の時を経て完成した絵本は、メルヘンの香りいっぱいの絵、非現実的なシュールな絵、猫を擬人化した絵等々、実に楽しくて、ほのぼのしている(写真右=絵本には「赤塚不二夫氏へのオマージュも)。 あーっ、個展に行きたかったなぁ…。猫好きの方は気に入ること間違いないこの絵本。絶対オススメです。【メモ】有限会社スーパーエディション刊。オールカラー86頁。2200円(税別)。
2005/10/13
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版画と言えば、昔は木版画か石版画くらいしかなかった。しかし19~20世紀以降、シルクスクリーン、リトグラフ、エッチング、ドライポイントなど様々な手法での版画が生み出され、それぞれを得意とする版画家が多様な作品をつくり出してきた。かのロートレックもリトグラフで素晴らしいポスター作品を数多く残した(リトグラフは石版画の一つとも言えるが…)。 版画は、手法によって枚数に違いはあるが、1点ものの油絵や日本画と違って、ある程度の枚数を生産(創作=商品化)できるのが利点だ。たくさん刷れることによって、1点もののような素晴らしい作品が、数多くの愛好家に手頃な値段で楽しめるようになった(写真左上=僕がタルマッジを知るきっかけとなった「ハリウッド・ピープル」というタイトルの版画)。 1点ものの油絵なら、何百万円、何十万円する作品が、シルクスクリーンやリトグラフなら、その十分の一、百分の一の値段で買える。レベルの高い作品が大衆の手に届くことは、大変いいことに違いない。 10年ほど前、僕は、大阪のある画廊で見たある米国の版画家の作品がとても気に入ってしまった。もともとその画廊へは、あのローリング・ストーンズのメンバー、ロン・ウッドの版画展(ロンは絵の腕もプロ級なんです)を見るために行ったのだが、ロンの絵より魅せられてしまったのだ(ロン、ごめんね!)。 その版画家の名前は、ジェームズ・タルマッジ(James Talmadge、日本では「タルマージ」と表記されることの方が多い)。オイル・パステルを巧みに使ったカラフルで、躍動感あふれる絵は、一瞬にして僕の心を捕らえてしまった。 手頃な値段なら買いたいと思ったが、僕の記憶では、80×60cmくらい大きさの作品に、なんと50~60万円の値段が付いていて、その場で手の届くものではなかった(それでも、業者は「ローンも組めますから、お一つぜひ」としつこく迫ったが…)。 そして、その数年後、シカゴに駐在していた大学時代の友人夫婦を訪ねる機会があった。そして、シカゴの画廊で、タルマッジの版画を見つけた。値段を聞くと、僕が一番ひかれた「Down By The Broadwalk」というタイトルの版画(写真右上)は、額付き、日本への送料込みでも、約17万円ほどだった。 その場では迷ったけれど、日本へ帰った後、「やっぱり、欲しい」という思いが募り、その友人を通じて、買って送ってもらった。そのタルマッジは今も僕の家のリビングの壁を飾っているが、実に楽しい気分になる素敵な絵だと、凄く気に入っている。 ジェームズ・タルマッジは、ヒロ・ヤマガタやクリスチャン・ラッセンのように、商業主義に乗った宣伝をしないから、日本ではほとんど知られていない。1947年、カリフォルニア州生まれ。14歳で個展を開いたというから、早くからその才能は認められていたのだろう。19歳で、LAのオーケストラでオーボエを演奏したという、多才な人でもあるらしい(写真左下=「Jazz」をテーマにした絵も多い)。 米国内でもブレークしたのは1980年代半ば以降らしいが、英文のサイトで調べると、世界各国の有名美術館でタルマッジの作品が買い取られているほか、俳優のチャーリー・シーンや、テニスのアンドレ・アガシ、それに化粧品会社のマックスファクターは、タルマッジの作品を数多くコレクションしているという(写真右下=「群像」も彼が得意とするモチーフ。色使いが素晴らしい。タルマッジの他の作品はこちらに)。 しかし、米国内での相場は若干下がり気味で、今では10万円前後でも買える作品もある。これに対して、日本の取り扱い業者は(昔よりは安くはなったが)相変わらずとんでもない値段を付けているが…(いまどき、なぜ米国内の3~4倍もの値段で売るのか理解に苦しむというか、あきれる)。 タルマッジはプライベートな部分がまったく謎の人だ。僕も、写真は雑誌で見たことはあるが、プロフィールはほとんど知らない。今年58歳。最近の消息はほとんど聞かない。新作も見ない。今はどこでどうしているんだろうか。気になる版画家の1人である。 ※絵の画像は、自ら購入した1枚(写真上から2枚目)以外は、タルマッジの公式HP( http://www.talmadgeart.com/ )、タルマッジを扱う画商「Gregory Edition」のHP( http://www.gregoryeditions.com/talmadge.htm )等から引用・転載しました。心より感謝いたします。
2005/09/03
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ミステリー・ファンの僕が、最初に出会った作家は松本清張(写真左上 (C )松本清張記念館HPから)だった。今は亡き父も推理小説ファンだった。とくに清張が好きだったらしく、本棚には新書版の清張の作品が何冊かあった。それを時々、小学生の頃から黙って読ませてもらっていた(もちろん、小学生には理解できない難しい部分もあったが、それはそれなりに面白かった)。 最初に読んだ作品は、おそらく清張ファンならベスト5に必ず推すであろう「点と線」(1958年発表=写真右上)である。列車の時刻表(ダイヤ)が小説(事件)の謎解きの鍵となるこの作品は、発表されるやいなや、たちまちベストセラーになり、社会派推理小説ブームが巻き起こった。 清張は明治42年(1909)、北九州・小倉の貧しい家に生まれた。尋常高等小学校を卒業後、15歳で、家計を助けるために就職することになる。そして昭和12年(1937)、28歳で朝日新聞九州支社に広告版下の仕事を得るまでは、小倉の小さな印刷所で働いた。 いつ頃から創作への情熱がわき起こってきたのかは、僕はよく知らない。知る限りでは、41歳のとき、「西郷札」という作品で、週刊誌の懸賞小説に応募し、三等に入選したのが名前が登場した最初。 その後、朝日新聞在社時代の昭和28年(1953)、「或る『小倉日記』伝」で芥川賞を受賞する。この「或る『小倉日記』伝」は、その後の作風を暗示させるかのようにミステリーっぽいタッチの作品で、「直木賞の方がふさわしかった」と言う文芸評論家が多かったという。 3年後、清張は朝日新聞を退社、本格的に作家の道を歩み始めるが、このとき47歳。作家としては遅咲きだった。しかしデビューの遅れを取り戻すかのように、清張は「眼の壁」「黄色い風土」「ゼロの焦点」(写真左下)「砂の器」などのベストセラーを次々と生み出していく。「ゼロの焦点」や「砂の器」など話題作は、何度か映画やテレビドラマにもなった。 清張の推理小説は、トリックに凝る最近流行の作品とは少し違う趣を持つ。トリックよりも、登場人物の生い立ち、性格、心の内に秘められた思いなどをしっかり書き込むことに、真骨頂がある。主人公や犯人は、社会的弱者であることも多かった。おそらくは清張自身の不幸な生い立ちを映しているに違いない。 清張のもう一つの凄さは、好奇心と探求心あふれるその幅広い作家活動である。推理小説以外にも、「日本の黒い霧」では政治に潜む闇を描き、「昭和史発掘」(写真右下)では2.26事件、下山事件など現代史に残る事件の謎に迫った。さらに、「古代史疑」では、独自の視点で邪馬台国など古代史の謎に取り組んだ。 いわゆる「学歴」というものには無縁だった清張。しかしデビュー後は、「学歴なんて、創作活動には関係ない」という反骨心で、有無を言わせぬ緻密な作品を創り上げていく。歴史研究では持ち前の探求心と努力で、専門家からも一目置かれる存在になった。その創作活動は、92年に82歳で亡くなるまで、終生ペースダウンすることはなかった。 休むことなく作品を生みだし続けた多作の作家が、生涯に発表した作品は千篇を超えるという。「国民的作家」と言えば、夏目漱石、井上靖、司馬遼太郎…と、思い浮かべる人はそれぞれだろうが、社会派推理から実録もの、歴史・考古ものまで幅広くこなした松本清張こそ、僕は国民的作家にふさわしいと思っている。 生まれ故郷の小倉には98年、松本清張記念館がオープンした。館内には、清張の東京の自宅書斎が移築され、再現されているという。清張ワールドに浸りたい方はぜひ一度お越しください(そう言う僕は、まだ訪れていません。すみません)。
2005/08/14
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腹痛でダウンした直後の再開第1回で、酒や食いもんの話題を書いたら、笑われそうなので、違うテーマからスタート。 ロックが好きだったこともあって、10代の頃から、「ニューミュージック・マガジン」という月刊誌を愛読していた。洋楽の、まとなレコード評(当時はCDはなかった)が載っている当時、唯一の雑誌だった(写真左=ポール・サイモンが表紙を飾った「ニューミュージック・マガジン」74年3月号とその表紙原画)。 僕は、本の中身ももちろんだが、有名な洋楽アーティストを描いた絵の表紙にも、すごく惹かれた。ほのぼのとして、味わいがあって、どこか懐かしい感じのする絵。作者の名は、矢吹申彦(やぶき・のぶひこ)とあった。 彼は、1969年からその後約7年に渡って、その表紙を描き続けるのだが、70年代に入ると、故・伊丹十三氏のエッセイ「女たちよ」の表紙や伊勢丹デパートのポスター、ユーミンのLP「流線型'80」のジャケット(写真左下)など、メジャーな仕事を次々と手がけるようになる。 実は、僕が小学生の時、将来なりたいと夢見ていた職業は、(笑われるかもしれないが)「漫画家」だった。ケント紙に、烏口(からすぐち)でコマ割りして、Gペンや丸ペンにプロ用の黒インク(パイロットの「製図用」)を使って、あれこれとストーリー漫画を描いていた。 当時の憧れは、もちろん手塚治虫であり、石森章太郎(当時は、まだ「石ノ森」ではなかった)や横山光輝も大好きだった(写真右=矢吹申彦の全貌を知るには一番の本「矢吹申彦風景図鑑」=美術出版社刊。残念ながら現在絶版中。再版してほしいなぁ…)。 しかし、いろんな同好の友の作品と比べて、自分のストーリー・テラーとしての才能のなさにある時気づき、僕はその夢を捨てた。絵が描けるだけでは漫画家にはなれない--そのことをつくづく感じた。でも、漫画家の夢は捨てても、絵を描くことはやめなかった。パステルや水彩、油絵などを、折りにふれて描き続けた。 矢吹さんの描く絵はどれも、油絵ぽかった。しかし、僕の常識では油絵は完全に絵が乾くまで、1週間以上もかかる。どのようにして沢山の仕事を次々とさばいているんだろうかと、不思議でならなかった。そんな疑問を一度、本人にぶつけてみたいとずっと思っていた(写真右=はっぴいえんどのベスト・アルバム「City」のジャケット・デザインも)。 大学2年の初春、僕は志賀高原にスキーへ行った帰り、友人と別れて1人で東京へ向かった。直前、ある雑誌で、矢吹さんの個展が、東京・飯倉片町近くの「青」というギャラリーで開かれるというニュースを見つけたから。最終日の前日だったが、ひょっとしたら、会場で本人に会えるかもしれないという淡い期待を込めて…。 ギャラリーでは、矢吹さんがニューミュージック・マガジンで描いた、表紙の原画が数多く展示されていた。CS&N(クロスビー、スティルス&ナッシュ)、ボブ・ディラン、レオン・ラッセル、ジェームス・テイラー等々、僕は絵の前で釘付けになり、絵に鼻が付くくらい近づいて、一枚一枚熱心に見つめた。キャンバスに描いてあるのもあり、板に直接描いたりしているのもあるが、絵の具は?だ。 突然、画廊の主人が僕に興味を持ったのか、話しかけてきた。僕は「大阪から来ました。矢吹さんの絵が大好きで…」と応えた。すると、主人は「本人が今いますよ。紹介しましょう」と言ってくれた。何という幸運!(写真左=童謡や詩をモチーフにした作品も得意。絵はそこから発展して「矢吹ワールド」を創り出す)。 初めて会った矢吹さんは、口数は少ないおとなしそうな印象だったが、とても気さくに僕を歓迎してくれた。歳は僕より10歳ほど上だったが、歳以上の落ち着きを感じさせる方だった。 早速、絵の具のことを尋ねる僕。「リキテックスっていうアクリル絵の具なんです。乾くまで2、3日あれば十分ですよ」と矢吹さん。疑問は、簡単に氷解した(リキテックスはいまでこそポピュラーな画材だが、当時はまだ珍しかった)。 絵は展示即売されていた。僕には欲しい絵がいくつかあった。大好きなCS&Nの絵には残念ながら、もう「売約済みの印」が。2番目に好きだった「ポール・サイモン」の絵(冒頭の写真)には、まだ「印」はなかった。「サイモン」の絵は、確か5万円前後の値だった(当時の5万円だから、大学生にはとても大金だった)。だが僕は、帰りの新幹線の切符以外には、1万円くらいしか持ち合わせがなかった。 画廊の主人に、「きょうは1万円で、残りは現金書留でお送りしてもいいですか?」と聞くと、主人が答える前に、矢吹さんが「いいよ、いいよ。残金は後で」と言ってくれた(写真右=モーツアルトをテーマした版画。僕の大好きな1枚で、我が家の玄関を飾っている)。 しかも、「できればこのまま絵も一緒に持って帰りたいんですが…」という僕のあつかましい申し出にも「いいよ、いいよ」とにこやかに応じてくれ、キャンバスの裏側にサインをしてくれた。見知らぬ、初対面の僕が「1万円だけ支払って絵を持ち逃げする詐欺師」だっていう可能性もあるのに、そんな大学生の若造を信頼してくれたことが、心底うれしかった。 以来、ウン十年。その「ポール・サイモン」の絵は、引っ越しをしても、常に我が家のリビングの「一等地」の壁に飾られ、僕ら家族を見守り続けている。矢吹さんとは、その後毎年、年賀状もやりとりするような仲になった。僕が結婚した年には、なんと世田谷の自宅にまで、僕ら夫婦を招いてくれて、奥様のテコさんともども歓待してくださった。 一番最近お会いしたのは、ちょうど4年前の2001年6月、銀座の個展のオープニング・パーティーで(写真左=久しぶりのツーショット)。奥さんのテコさんとも本当に久しぶりだったが、「あー、**さ~ん、わざわざ来てくれてありがとー」と歓迎してくださった。 このパーティーには、矢吹さんの交遊の広さを反映してか、和田誠・平野レミ夫妻、戸田菜穂さん、あがた森魚さん、鈴木慶一さんらの顔も見え、元ムーン・ライダースの鈴木さんは、会場で自らギターで弾き語りも披露してくれた。 遠い昔に出会った地方の一介の少年ファン(?)のことを、何十年経っても大事にしてくれる、そんな温かい人柄が大好きで、僕は矢吹申彦ファンで在り続けた。いや、これからも終生、矢吹ファンで在り続けるだろう。
2005/06/25
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久しぶりにミステリー小説の話題。またまた、「今さら何」と言われてしまうかも知れないが、雫井脩介(しずくい・しゅうすけ)という、いま結構人気ある作家の作品を、たて続けに2冊も読んでしまった。「火の粉」(写真左下)と、「虚貌」(写真右下)という2つ。 作品のあらすじを詳しく書くのはマナー違反だから、かいつまんで言うと、前者の「火の粉」は、殺人事件の被告に対して、確信を持って無罪判決を言い渡した元裁判官に、文字通り、予期せぬ「火の粉」が次々と降りかかってくるというストーリー。話の展開のテンポがいいので、一気に読んでしまった。家族間の人間関係の描写もなかなか秀逸だ。 ちょっとホラーっぽい怖さもあるけれど、最近では、イチ押しできるミステリー小説だ。と書いてみた後、いろいろネットで調べていたら、今年の2月にテレビドラマ化されたという話を知った。見たかったなぁ…。そんな話は知らなかったから、とても残念。再放送してくれないかなぁー。 後者の「虚貌」は、運送会社の経営者の一家が殺傷され、主犯格と見なされていた男が20年後に仮出所したところから、不可解な事件が次々と起こるというストーリー。文庫本では上下2巻の大作だが、次がどうなるのか、予想もつかない展開の内容。 ただ、トリックはそれなりに面白いけれど、本筋とあまり関係ないような話をあれこれと詰め込み過ぎて、後半はちょっとアラも目立ち、少しだれてしまうところが難点かな…(でも、そうは言ってもこの作品も、読み始めたらやめられないことは、まぁ間違いない)。 雫井脩介ってどんな人かと興味を持たれた方のために、少し経歴に触れておくと、1968年、愛知県生まれ。専修大文学部を卒業後、柔道・オリンピック代表チームのドーピング疑惑をモチーフにした作品「栄光一途」(2000年)でデビュー。この作品で、新潮ミステリー倶楽部賞を受ける。その後「火の粉」「虚貌」のほか、「犯人に告ぐ」「白銀を踏み荒らせ」など話題作を次々と発表している。 大学を卒業してから、デビューするまで10年ほどの歳月があるが、その間、どんな経歴だったのかは、僕はよく知らない。家にある本にも、この日記に書いた以上のデータは出ていなかったので、本人もあまり明かしていないのかもしれない。 僕の大好きな高村薫や横山秀夫もそうだけれど、デビュー前の経歴というか、人生経験は、作品にいやでも反映されることは言うまでもない。できれば、雫井氏のプロフィールももう少し詳しく知りたいなぁ、と思う(どなたかご存じの方いらしゃいますかー?)。 雫井作品をほとんど読んでいるという連れ合いは、「犯人に告ぐ」が一番面白かったと言う。僕はまだ読んでいないので、「これからの楽しみ」が残っている。できれば、映画化してくれれば、もっと嬉しいのだけれど…。 ※本の画像はAmazon HPから引用・転載しました。感謝いたします。
2005/06/17
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21日(木)の日記で、「サイバラ」こと、我が愛しの漫画家、西原理恵子について記した。 その際、彼女の公式HPをリンクするために久しぶりに訪れてみたら、な、なんと!23日(土)に、大阪・キタの大手J書店で、サイン会をするというニュースが出ているではないか!! 日記に書いたわずか2日後に、愛しの西原先生が大阪までわざわざ来てくださるとは! こんな偶然は、幸運はあるだろうか! これは、何としても、万難を排して「生サイバラ」に会いに行かねばならない。行かなければ、一生後悔するだろう!だが、前日の金曜、その書店に立ち寄ってみると、あいにく、サイン会自体の整理券はもう配布が終了していた。 しかし、サイン会の会場は、その書店のあるビル1階の広いロビーだ。「行けばなんとか本人に会うことはできるだろう」と信じて、土曜の午後、その会場へ出かけた。 サイン会は午前11時、午後1時、4時の3回もあり、僕は1時少し前に行ったのだが、サイバラは、11時の回のサイン会に並んだ最後の数人に、まだサインをしているところだった。そして、午後1時からの回は、約15分遅れで始まった。 サイバラはこの日、黒いジャケットに黒のブラウス、スカートというおしゃれなモノトーン・ファッション(でも、さすがに、ちょっと太ったかなぁ…)。でも、お顔や雰囲気は、40代に突入したと思えないくらい、若々しい。 この日集まったファンは、「毎日かあさん」という毎日新聞連載の単行本出版を記念したサイン会ということもあって、小さな子どもを連れた家族連れが多かった。ベビーカーに赤ちゃん乗せて来ている親子がいたりする。 整理券のない僕は、サイン会の開かれていた会場(ロープで仕切られている)の外側から、本の見返しのページに一生懸命サインをするサイバラを拝んだ。 ロビーを通り過ぎる人たちは人だかりを見て、いったい誰のサイン会かと興味深げに見ている。OLらしき2人連れは「にしはらりえこって、誰?」なんて、喋っている。「アホ! さいばらも知らんのか!」と僕は心のなかでつぶやくが、まぁ、そういう人もいるだろう。 サイン入りの絵葉書をすでに持っている僕は、「生サイバラ」を拝めただけで、もう、十分幸せな気分だった(もちろんデジカメ持参で、写真を撮ることは忘れなかったが…)。 サイバラは一人ひとりに笑顔で話かけながら、筆ペンを走らせている。この日、計3回のサイン会で約400人のファンの本にサインするという。 午前11時から、おそらくは夕方近くまで、ひたすらサインをして、終始笑顔を絶やさず、握手して、ファンのデジカメに一緒におさまるなどサービス精神も旺盛だった。 こんな気さくで飾らないところも、サイバラが好かれる理由だろうなぁ…。そんなサイバラを見つめながら、僕は、「もし高知で生まれ育って、サイバラと出会っていたら、きっと恋していたかもしれないなぁ…」なんて、馬鹿な独り言までつぶやいていた。 サイン会は盛況のうちに終わった。会場にいたけれどサインを貰えなかたファンには、「すか色紙」(写真上)なるものをサービスでくれる心遣いが嬉しいー!。「サイバラ頑張れ! これからもずっと応援しているから」。僕は心のなかでそう叫んで、会場を後にした。
2005/04/25
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「サイバラ」こと西原理恵子と言えば、今をときめく、売れっ子漫画家。シンプルで、大胆なキャラクター。過激なギャグからほのぼの路線まで、幅広い作風で、人気を集めている。自慢じゃないが、僕はサイバラがデビュー直後からの、熱烈なファンである。 僕とサイバラとの出会いは1990年、会社の同僚から借りた、「まぁじゃんほうろうき」(写真左)という1冊の漫画だった。自分をネタにした麻雀ギャグ漫画なのだが、これが抱腹絶倒の面白さ(ただし、麻雀というゲームを知らないと、面白さは半減するから、そのつもりで…)。大学生の頃、一時期麻雀にはまり、何度も徹マンしたくらい麻雀好きだった僕は、すっかりこの漫画のとりこになってしまう。 「まぁじゃんほうろうき」は当時、週刊「近代麻雀」という雑誌で連載中だった。僕自身は、80年代後半から、ほとんど麻雀をしなくなったのだが、それでも、このサイバラの連載が読みたくて、毎週、ちょっぴり恥ずかしさを感じながら、「近代麻雀」というマニアックな週刊誌を買っていた(「まぁじゃんほうろうき」は4巻まで出ています。何度読んでも笑えます。これ絶対オススメ。) その次に出合ったのは「サイバラ式」(92年刊)という本(写真右)。これは漫画というより、漫画付きの自伝的エッセイという感じのものだが、この本のなかには、サイバラの生き方というか、ポリシー(原点)がぎっしり詰まっている。バカとか身勝手とか言われようが、自分を信じて突っ走る生き方が…。 サイバラは高知県の浦戸という小さな漁業の町に生まれた。確か1964年生まれだったから、今年誕生日が来たら、41歳かな? 小さな町の、裕福ではない家庭に生まれ育って、高校を中退。大検を受けて上京し、予備校に通う。そして「むさび」(武蔵野美術大)に進み、貧乏暮らしの在学中から、小さなカットのような仕事からコツコツとこなして、ようやくデビューした(写真左は、西原先生のご近影=公式HP「鳥頭の城」から拝借、多謝!)。 サイバラの魅力はいろいろある。絵は決してうまいとは言えない(ヘタウマ的魅力?)。毒にあふれた過激なギャグ漫画では、作者自身が主人公であることが多いが、そのハチャメチャさが真骨頂。自分の恥ずかしいネタまでもさらけ出してくれる「サービス精神」が大好き。 そして、「ゆんぼくん」や「ぼくんち」など童話のようなほのぼの路線では、絵柄まで変わって、メルヘンチックな、心地よい余韻の残る物語を描いてしまう。同じ人とは思えない多才さ。神足裕司と組んでの「恨ミシュラン」は、サイバラの名を完全に「全国区」にしてしまった。(写真右=週刊誌の抽選で当たったサイバラ自作の版画と肉筆の絵です)。 現在、毎日新聞朝刊で連載中の「毎日かあさん」は、仕事と育児の両立にてんてこまいしてるサイバラ自身の日常を描いているが、ここでは03年に離婚したプライベートなこと(現在6歳の男の子と4歳の女の子が一緒)までギャグのネタにしている。 「離婚して落ち込んで」(本人の弁)も、それをしばらくしたら、生きるエネルギーに変えるたくましさに、僕は心打たれる(「なんてオーバーな反応!」とサイバラに言われそうだが…)。昨年出版し、ベストセラーになった「上京ものがたり」(写真左)という絵本のようなコミックは、あの「サイバラ式」以来の自伝的な内容。 高知から一人で上京して、貧乏暮らしに耐えながら、絵で食べていけるようになり、「大嫌いだった東京に『ありがとう』と素直に言えるようになるまで」(これも本人の弁)を、ギャグは抑えめに描いているが、これがまた心に染みるような味わいで、「とにかく凄くいいー!」としか言いようがない。 サイバラの漫画には、どんな教科書や哲学書を読んでも得られない、人生を生きるための何かが詰まっているような気がする。仕事がうまくいかなくて、人間関係がうまくいかなくて、落ち込んだとき、僕はサイバラを読んで元気をもらう(お酒は癒しにはなっても、元気はくれない)。 僕は、サイバラへの熱い共感と、同時代に生きている幸せを今、かみしめている。サイバラ、頑張れー!(僕も頑張るから…)。
2005/04/21
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最近、とても気に入っているミステリー作家に横山秀夫がいる。「何をいまさら」と、笑う人もいるかもしれないが、僕が出会うのが遅かっただけなので、お許しいただきたい。 横山秀夫は、ご存じのように、寺尾聰主演で映画化された「半落ち」の原作者。硬質の筆致で描くことから、「男・高村薫」とも評されるが、当たっていないことはない。 出世作の「半落ち」は200万部を超えるベストセラーとなり、発売当時は、直木賞候補にも挙げられ、一時は受賞が有力視されたが、「プロットの一部に難がある」という審査委員がいて(重箱の隅をつつくような問題だったが)、残念ながら受賞は逃してしまった。新聞社を辞め、40歳を過ぎて文壇デビューした横山氏の受賞を、僕は陰で願っていたのだが…。 僕は、直木賞に十分値する小説だったと思う。エンターテインメントという点でも申し分なかった。一部の審査委員は、横山氏が骨髄バンクのシステムを十分把握していなかったことを問題にした(あまり詳しく書くとこれから読む人に先入観を与えるので、この程度に留めるけれど…)。 しかし僕は、それは小説の骨格に影響を与えるほどの問題ではなかったと思う。今振り返れば、些細なことに難ぐせを付けた審査委員の作家たちを、ただ情けないと思うだけ。落選しても、批判的なことをあまり口にしなかった横山氏の方が、かえって大人に見えた。 横山秀夫は、「警察小説」というジャンルを確立した作家と言われる。新聞記者時代、警察(事件)担当だった経験を生かし、刑事(警察官)を主人公にしたり、警察組織の世界を舞台にした、心理ミステリーが多いからだ。僕はこれまで、「半落ち」の他にも、「陰の季節」「動機」などを読んだけれど、裏切られたことは、まだない(最近はちょっと乱作気味という声もあるが…)。 彼の描く登場人物は、主人公も含めてスーパーマンはいない。組織人であるが、普通の人間であることがほとんど。人間の持つ弱みとか悲哀とかが見事に描かれる。必ずしもハッピーエンドでは終わらないところは、高村薫・作品に似ている。現実の人生は、そんな甘くはないんだ、と言いたいかのように。それが横山作品の最大の魅力かも…。 映画化された「半落ち」は、原作とは少しストーリーを変えていたが、それでもとても、よく出来た作品だった(少なくとも「レディー・ジョーカー」よりは、分かりやすい映画だった)。何よりも寺尾聰の演技が素晴らしかった。ほとんど黙秘を貫く刑事の役なので、セリフは少ないが、目と表情だけであれだけの演じ切るのは立派だ。さすが宇野重吉のDNAは受け継がれている! 横山秀夫はまだ48歳。これからも、僕をわくわくさせてくれる小説を出してくれるに違いない。ミステリーがお好きで、横山作品未体験の方はぜひ、この上質の警察小説を手に取ってほしい。 ※本の画像は、Amazon HPから引用・転載しました。感謝いたします。
2005/03/06
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「ダ・ヴィンチ・コード」(ダン・ブラウン著)という翻訳ミステリー小説が、ベストセラーになっている。全米では800万部を超え、日本国内でも、すでに100万部以上が売れているという。 ルーブル美術館内で見つかった館長ソニエールの不可解な死体。その謎を、たまたまパリを訪れた米ハーバード大学の教授ラングドンが、警察の暗号解読官ソフィー(殺された館長の孫でもある)と協力しながら、解き明かしていくというストーリー。 ミステリー小説好きの僕としては、話題作の一つとして、やはり押さえておかねばと思い、先日、上下2巻の本を、一気に読んだ。感想はどうかと言えば、独断と偏見で点数を付けると、10点満点で8.3くらいか(書評では、ベタ誉めが多いがこれには異論もある)。 上巻は、息をつかせぬ展開で、読者をぐいぐい引っぱっていってくれた。だが、下巻の、とくに後半に出てくる「犯人に迫る種明かし部分」は(まだ読んでいない方のために、詳しくは書けないけれど)、無理矢理こじつけたという感が、なきにしもあらず。 読み終えてすぐの、僕の感想も、「ここまで引っ張っておいて、それはないよなー」だった。9点以上が付けられなかった最大の理由は、下巻の後半部分の構成(展開)の粗っぽさである。 ただ、エンターテイメントとしては、それなりに面白い。ダ・ヴィンチの、かの有名なモナリザや人体図を始めとして、聖杯伝説、謎のシオン修道院、暗号、フィボナッチ数列…等々、小道具をいろいろ用意し、読者をあきさせないような工夫も光る(もちろん、キリスト教や宗教史に、どの程度関心があるかでも、面白さは変わってくるが…)。 僕と同様に、この「ダ・ヴィンチ・コード」を読んだつれ合いと、「映画にしたら華やかで、面白いかも」「ルーブルが館内の撮影認めるかなぁ」「主人公の大学教授のイメージは、ハリソン・フォードだよねぇ」などと話していたら、先日、ある新聞に、映画化されることになったというニュースが出ていた(さらにルーブル美術館側が、撮影を許可したというニュースも)。 でも主役の教授役は、ハリソン・フォードではなく、トム・ハンクスでやるという。「イメージ違うー!」と僕。ソフィー役はフランス人女優から選ぶ予定とも書いてあった。願わくは、原作の粗さを逆手に取って、原作よりも面白い映画に仕立ててほしいなぁ…。 ※本の画像は、Amazon HPから引用・転載しました。感謝いたします。
2005/02/02
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推理小説ファンの僕だが、日本の作家ではとくに高村薫が好きだ。硬質で骨太の語り口、徹底的にディテールにこだわる描写、意表をつくストーリー展開…、どれをとっても魅力的な作家だ。 その高村薫原作の映画で、現在上映中の「レディー・ジョーカー」が、今週末で終わるというので、先日あわてて見に行ってきた。原作は上下巻合わせて約900頁の超長編。しかも登場人物の関係が複雑すぎて、「映画化は無理だろう」と言う声もあったという話題作だ。 以前映画化された同じ高村薫の「マークスの山」の時は、原作を読んでから観たが、時間がなくて、僕は原作を読まないまま足を運んだ。 「マークスの山」はほぼ評判通りの出来だった。だから今回も期待に胸を膨らませて行った。だが結論から言うと、監督(というより脚本家かな?)が膨大な長さの原作を、十分に消化しきれないまま、映画にしてしまったという印象だ。 映画を観た後も残った、もやもやした疑問は以下の通り、4つほどあった。(原作=写真左=を読んで映画も観たどなたか、ぜひ教えてくださーい)。 (1)障害児の女の子が扮する「レディー・ジョーカー」が、映画の筋書き(展開)の中で、どういう役割を果たしたのかはっきりしない。 (2)大杉連が演じていたレディー・ジョーカーの父親役は、なぜ最後に子どもを置いて、行方をくらましてしまったのかがよくわからない。 (3)総会屋から脅されていた歯医者と、渡哲也演じる薬局店主との関係が、いまいちよくわからない。 (4)日の出ビールから奪い取ったあの20億円は、結局どうなったのか?(映画では、曖昧なまま終わっている) 原作を読んでから観に行ったつれ合いは、「20億円は、映画でもそうだったように、結局、隠したアパートの部屋にそのまま放置されていたと思う」と言う。原作では、主人公たち(誘拐実行犯グループ)の動機は金ではなく、目的を達した後は、金にさほど執着しなかったように描かれていた、とも。 高村薫は、一筋縄ではいかない作家だ。必ずしも、読者の期待通りの筋書き(エンディング)にはしないことはわかっている。僕はこれから、原作の方をじっくり読んでみようと思っている。 それにしても、高村さんの小説なら、「黄金を抱いて跳べ」か「李歐」か「リビエラを撃て」を誰か映画化してくれないかなぁ…。とくに「リビエラ…」は、世界を舞台にした、壮大なサスペンス映画になるに違いないと思うのだけれど…。 ※本の画像は、Amazon HPから引用・転載しました。感謝いたします。
2005/01/13
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神戸で仕事をしていた80年代前半、ある男性に出会った。彼は「おもちゃのデザイナー」だと、僕に自己紹介した。いたずらっぽい、少年のような目をしていて、「木を素材にしたおもちゃを、いろいろ作っている」と話した。 僕が「12個の干支のパーツに分かれていて、組み上げると立方体になる、木のおもちゃを持っている。小黒三郎さんとかいう人の作品だ」と言うと、「彼(小黒氏)は、仕事のパートナーだ」と話した。そんな奇遇が、最初の出会いだった。 まもなく、彼は神戸市内で、自分の店舗兼ギャラリーを開いた。小黒氏とも別れて、自分の会社をつくり、独創的な木のおもちゃや、ユニークなからくり、針金を使ったユーモアあふれるオブジェ、公園の子どもの遊具など、さまざまな分野で、その才能を花開かせ始めた。 いろんな人と飲んで、ワイワイ騒ぐのが好きな彼は、毎月1回、そのギャラリーを開放し、営業時間が終わった後、「飲み会」を開いた。阪神間に住む多彩な友人が集まった。 しばらくして、彼の才能に目をつけた江崎グリコが80年代後半、あの有名なキャラメルの「おまけ」製作を依頼してきた。 彼は、動物や昆虫、乗り物などをモチーフにした、遊び心あふれるおまけを、次々と創り出していった。おまけづくりは、その後7年近くも続き、製品化されたおまけは約250点にも達した。最初はプラスチック製だったおまけは、後期には彼の好きだった木の素材に変わった。 その後、彼とはしばらく会う機会が減った。阪神大震災では、店舗は大丈夫だったが、芦屋にあったアトリエ(工房)は、大きな被害を受け、使えなくなった。それでも、神戸の有馬にアトリエを移して、「一から頑張る」と力強く語っていた(写真左=グリコのおまけの原型となった木型。個展で6種×6セット限定で販売したものの一つ)。 だがその頃、彼の家庭は崩壊し始めていたことを、後に知った。妻や二人の子どもとも別れ、彼は大阪市内で一人暮らしを始めた。まもなく、後にパートナーとなる女性と一緒になった。離婚は個人の問題で、僕がとやかく言う話ではない。僕はその後も彼とは交遊を続けた。 新たな伴侶と暮らすことになった大阪・十三(じゅうそう)のマンションは、淀川の大花火大会見物の絶好のロケーションだった。毎夏、たくさんの飲み友達が変わらず集まった。プロのクラシック・ピアニストだったパートナーの女性の伴奏で、オペラのアリアを熱唱し、客を楽しませる才能もあった。 その彼が、突然亡くなったという知らせを受けたのは01年5月5日だった。まだ50歳の若さ。悪性の胃がんだったという。進行が早く、見つかってから1年も経たなかった。新しいつれ合いの女性は「子どもの日に亡くなるなんて、あの人らしいでしょ」と僕に話した。通夜に駆けつけた僕は、棺の中の、生き急いだ彼を見ながら、声を上げて泣いた。 1年後、有馬温泉の寺で開かれた1周忌の会は、飲んでワイワイ騒ぐのが大好きだった彼のために、酒と音楽がいっぱいの楽しい宴になった。彼の名は、加藤裕三(ゆうぞう)=写真右。グリコの数あるシリーズ・オマケでも、彼の作品は、最も人気があり、高い評価を受けた。作品の数々は、文房具などの形でその後、商品化されたものも多い。彼が亡くなっても、その「遊び心」は確実に受け継がれている。 彼のつくり出した数々の創作おまけは、「グリコのおもちゃ箱」(アムズ・アーツ・プレス刊、1900円)という本で、紹介されている。また、有馬温泉の旅館「花小宿」では、彼の生み出したおもちゃが常設展示され、彼のアトリエも移築・公開されている。加藤裕三の世界に浸りたい方は、ぜひ一度ご覧になってほしい。
2004/12/10
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