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まだいろいろ書きたいが、そんな期間でもないので自粛。いよいよ締切が…論文がどうなっているかというと、とりあえず研究は終了!それなりの興味深い結果も出ました。しかし、スポーツ界で統計学(統計ではない)的な研究って日本では思った以上に少ないせいか、自分の研究の先行研究が実はかなり有名だ(著名な方ということを差し引いても)ということを最近まで認識していませんでした。先日もあれの続きか~と言われて、というわけで発表会を前にしてかなりヒヨリ始めました(まぁその人は会には来ませんが)。これをどう評価するか、どう扱うかは先方次第です。頑張ります。さぁ、あとはこれをひたすら約1~2週間で執筆しなければ。本当にこんな短時間でまとめられるのか???そうそう、あともう一つ、今実は模索していることがあり、それは4月以降大学院以外にどんな活動をするか、ということ。これについては、世間に直結する活動、そうでなくても生産的なものなどいくつか候補がありますが、先日自分の将来に直結しそうなとてもいいモノを見つけました。公開は3月以降☆
2005.01.29
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先日の「まとまっていない日記」からもう少しだけ勉強した。いろんなblogを見て新たな納得できる観点も見つけられたし、それなりに収穫があった。というわけで前回の続き。今回の要約は、「叩かれるのはルールである。しかしこれは弱者に不利な不平等条約であり、それを変えるための長い努力が必要だ。」ということだ。まず、田邊氏の日記にコメント書いている中の一部の方々にもういい加減にしろといいたい。擁護している人、批判している人、荒らしている人、いろいろいるが、特に「書けば何でも答えてくれる」的な姿勢は意味不明だ。しかも書き込みしている人の中には正体がわからない人が大半だ。この楽天ユーザーなど、blog、HPを持っている人は自分のことを多少なりとも明かしている(故に書き込むことに責任感が生まれる)が、そうでないと単に名前を変えるだけで別人になれるのだからそれも弁えた発言をしなければならないと思う。要は必要以上に無責任な感情論はやめてほしい、と。田邊氏本人はあくまで「可能な範囲でお答えします」と言っているだけで、あったこと全部を話すことはできない。それは本人だけの問題でないのだから。もっと言うと、今いろいろと発言することで割を食うのは中田浩二になる。代理人がいろいろ言ったといっても中田浩二は成人である以上自分で最後は決めるしかないからだ。だから彼自身の責任で事は決まっているべきで、マルセイユ移籍を希望して実現した、そういう展開になったのだ。で、田邊氏は今はむしろ言わないことで自分がいくら叩かれても中田浩二を守っているように感じる。それが代理人の仕事だと言われればそうだろうと思う。さて、どうも今回の問題を代理人の問題にしている流れが協会レベルにまであがっているが、それは絶対に違うと私は思う。あくまで本質はその2で書いた通り「ルール(国際的ルールと日本ルールの違いから来る問題)」ではないのか。ルールがしっかりあれば代理人だってそれに乗っ取って移籍を進める。ところがそこがしっかりしていないから、田邊氏本人も言っているように「国際移籍の場合はJリーグの様に移籍金の算出基準などが無い」ことになり自由交渉が行われる。そうすれば代理人は何を優先するのか?『Jリーグの鈴木昌チェアマンは25日、「3者の妥協点を調整するのがエージェントだが、今回は若干の問題がある。どちらかが大損するようではいけない」と苦言を呈した。』でも、代理人は選手と“のみ”契約しているわけで、チームともファンとも契約しているわけではない。故に最優先するのは選手であるべきであるのは当然ではないのか。弁護士と同じだと思うのだが。被告人の言い分を最大限尊重するのが弁護人であり、それは妥協点を見出す存在ではない。今回、批判対象にはマルセイユも含まれているが、そもそも代理人にとって最大限尊重すべき相手の中田浩二本人が「マルセイユに行きたい」と言っていてマルセイユも「獲得したい」と言っていた。だから「移籍を実現させるために」最大限の努力をしているのが代理人。契約期間が切れるのを待つことには現在のルール上に何の問題もないわけだし、彼らが彼らにとっての最善策を取ることを単純には批判はできない。で、鹿島。「大切な選手が流出してしまうことはクラブにとって大打撃」だというのはもちろんだ。でも、ルール上のことをどう説明するのか。Jリーグも鹿島も「現状の国際ルールには中小クラブに不公平な面があることでこのような不利益を得た。だから改善していくべきだ。」と発言するべきで、今の状態は「現状の制度を変えることが困難だから、マルセイユや代理人の配慮が足りないことを批判している。」という、より弱者をいじめているように私には見える。だから、川淵氏の発言は的を得ているが上の鈴木チェアマンの発言はよくわからないものだと感じるのだ。ここまで書くと「お前は鹿島に泣き寝入りしろというのか!Jリーグが潰れてもいいのか!!!!」という批判を食らうだろう。いや、私もJリーグがこうして大切な人材を失っていくのは悲しい話だし、ウチの石川とか茂庭とか梶山とかがそうなってしまうと間違いなく怒るだろう。だから今ファンが移籍に納得がいかないのもわかる。でも、私は今のルール上の問題は要は「不平等条約なんだな」と思う。昔の日本と同じで、後から世界に入ってきたから割を食う。こういう世界の下位、中位クラブも権利を平等にするためには…昔の日本と同じでそれを平等にするためにいろいろな努力をしなければならない。何も富国強兵にしろとかじゃないのだから。サッカーだけでなく運営などいろいろな面で日本や他国の下位・中位クラブの実力を認めさせて、変えていくしかない。残念な話だがそれまでは複数年契約にするなり、涙を呑むなりそれも致し方ないと思う。それが「サッカー後進国」の宿命なのかな、と。代理人の姿勢が悪い。クラブの誠意がない。それを批判することはその場の解決でしかなく、次またそういう存在が出たら、ということに何も答えられない。今大勢を占めている意見で移籍問題が真に解決するとは到底思えないのだが。
2005.01.27
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4・中田浩二の移籍騒動こういう騒動は今に始まった話ではなく、昨年も稲本について契約金が安いとかいろいろ揉めていた。さて、ここで悪いのは誰なのか?何なのか? A・ボスマンルール B・日本の移籍規定 C・マルセイユ D・鹿島 E・代理人田邊氏私はAしかないと思う。その理由の前に…------------------------------------------------------そもそもボスマンルールというのはこんな経緯でできた。ベルギーでボスマンという選手がクラブに不当に保有されていて(当時、選手の移籍交渉権は選手自身が持つことができず、クラブが交渉権を所有していた)、ルクセンブルクのEU司法裁判所に、「欧州規約48,85,86条に照らし合わせて、サッカー選手も労働契約を尊重されるべきである。契約の終了した選手は、クラブに拘束されることなく、自由に働く場を選択できる労働者としての基本的権利を尊重されるべきだ。」という訴えを起こし、これにより、問題がベルギー国内からヨーロッパ全体に移行することになった。判決はボスマンが勝利した。その結果、EU圏内では「あらゆるサッカークラブは、契約が終了した選手から金銭の要求をすることは出来ない。」という規則ができた。これは選手の移籍が自由になるメリットがあったが、クラブは移籍金を取れないと大損害になるので、複数年契約が一般的になること、移籍金の高騰を生んだ。つまり、労働権の考え方で言えば今の制度は正当だが、結果的にサッカー界それ自体が潰れる危機にまで発展したのだ。-----------------------------------------------------さて、日本人選手が海外移籍する際にはボスマンルールが適用されることから日本にもボスマンルールが関係してくる。しかし日本では上記の複数年契約は一般的ではない。これは選手が場合によっては契約を拒否して自分が移籍しやすくするためであるが、では欧州との違いは何なのか?それは欧州は複数年契約プラス賃金の引き上げを選手に与えてきたことがある。しかしそれが同時に経営を圧迫することにつながり、選手にタダで出て行かれるくらいかそれ以上の損害を被ったので、全く誉められる策ではない。つまり、日本では(というより、ボスマンルールの中では)複数年契約を結ぶためには今以上に他で金を稼ぐか、クラブにそれだけの魅力を出させる以外にはなくなる。そんな簡単にできるものではない。ここまで考えると、そもそも複数年契約それ自体に無理があることが見えてくる(機能を果たしていない)。日本のルールがボスマンと違うのはボスマンより前に作られたこと、クラブを守るために契約満了後30ヶ月は移籍金が発生するようにしたことがある。たとえ世界ルールだとはいえ、元凶はボスマンルールだと思う。あくまでこのような制度に従えば、マルセイユ、鹿島、田邊氏それぞれの行動は別に当然のものではないか。特に田邊氏をたたくのはここでも筋違いかと。また推測だが、代理人からすれば一番の目的は選手の以降反映、つまり希望の移籍実現。次に両クラブの意向反映。これは山瀬のときも確かに同様だ。その順番で彼はここまで動いてきている。あ、でも移籍元と移籍先、どちらを優先しているかといえばどちらも移籍先だな、とも思う。それは当然なのかそうでないのか…(まぁ、やはり自分は正確にはこういう話を知らない。ちょうど私には運よくプロ野球界の代理人に知り合いがいるので、次にあったときに今回のことも関連して、代理人というものをもっと深く聞いてみたい。現在は仕事で忙しいようなのですぐではないが、いずれその人の考えが聞けたらここにも書こうと思う。)そして中田本人はむしろ被害者。千載一遇のチャンスなのだからここで我慢させるのもかわいそうだ。いろいろ書いてみたが、ここまでだけでは何の解決にもならない。そこで短期的、長期的にどうするべきか、自分なりに意見を考えてみた…のだが、やはりというか本当に浮かばない。ただ、とりあえず今回に関しては鹿島ファンには失礼な話だが、中田浩二の移籍は認めるしかないと思う。代わりにこれから入る肖像権収入をある額まで鹿島に払うとか、今後日本で親善試合をやるとかして何かしら鹿島に利益をつけるようにすることを条件に入れるとか(ただそんなことができるのか知らない)。ちなみに鈴木チェアマンの発言はちょっと無責任。気持ちはわかるが「じゃあどうすればいいんだよ」的な突っ込み入れたくなる発言をするのはこういう立場の人間としてはどうか。長期的には、日本を始め、アジア単位とかEU以外とUEFAの間で、橋渡し的ルールをもっとしっかり作るように、協会とかAFCとか、何か組織的に動くときが来ているとは思う。もちろん、現状では負けてボスマンルールを日本に押し付けられるという可能性が高いのかもしれない。でも、今後何十年にも渡り纏わりつくかもしれないルール、今から努力し続けていることは必要ではないか。(↑追記・どうもFIFAから日本のローカルルールは認められない、という判断がもう出ているようだ…)UEFAも、ボスマンルールの改正の検討をしているとかどこかで聞いた。彼らもまずいと思い始めているわけで、この機に何かしら動いてほしいと思う。(↑また追記・後から気づいたけどもう一部でもうそういう動きはあるみたいで)最後に、山瀬の話も中田の話も、自分が他サポだからこういう意見になるかもしれない。もし渦中の選手が東京の選手だったら自分が批判した。感情の接し方をするのかも…P.S kitaharaさん、せっかくリクエストしていただいたのにこのような鹿島にとって厳しい意見になってしまってすいません。あと、田邊さん、影ながら応援しています。がんばってください。
2005.01.26
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山瀬の横浜移籍が決定した。しかし、今回の移籍騒動は様々な騒ぎが溢れ出してしまった。事の発端は昨年12月30日に山瀬本人が「今のチームに不満はないが、他クラブの話も聞いてみたい」と発言したことから始まった。横浜が興味を示していることも合わせて、もはや出来レースとしての移籍に向かっているとの憶測、キングと慕って度重なる怪我にも支え続けていたのを裏切られたことなどから、浦和サポーターの怒りの矛先が3方向へ向くこととなった。・横浜Fマリノスフロントフロントよりも先に山瀬本人と交渉したのではないかという推測・山瀬本人言うまでもない・山瀬の代理人、田邊伸明氏主に山瀬をそそのかしたのではないかという推測、過去の中澤などの騒動なども含めてさらに同時に中田浩二のマルセイユへの移籍騒動も上がっている。契約期間は1月31日までなので、それを過ぎてフリーで移籍しようとしていることで、やはり代理人の田邊氏が批判を浴びている。こちらは「日本のサッカー界を潰す気か」というものが多い。これだけでは問題の背景を語らなさすぎだが、時間がないのでご勘弁を。とりあえずまだまとまっていないがいくつか思ったことを。これは田邊さんのblogにトラックバックしようか迷ったが、予想以上にすごいことになっているので控えさせていただく。正直これ、叩かれそうだし(苦笑)1・騒動それ自体今回の山瀬騒動がここまで大きくなった理由は、浦和が関係していたこと、そのファンが非常にやきもきする展開だったことだろう。そしてその最中に中田浩二の移籍騒動が起こってしまった。ただ、山瀬に関してはきっちりと説明して欲しいという人もいれば、電撃的に発表してすっきりして欲しかったという人もいる。何がファンのためか、これは人それぞれで考え方が違う。全ての人が納得できる結論は難しい。2・山瀬の移籍理由そもそも、山瀬がなぜ移籍を志願したかを考えた時に、人間はそんな単純なものではないだろうということがある。ある人は『今不慣れなチームで新たに地位を築くよりは、明確に抱えている「自分の場所」を一層レベルアップする事の方が重要だと思う』と書いていたが、それはあくまでサッカーにおける話。やはりプロだろうが人生サッカーばかりではない。移籍理由なんていくらでも可能性が存在して、例えば人間関係のこじれから浦和に居づらいと思ったのかもしれないし、横浜のようなところに住みたいと思ったのかもしれないし、もっとプライベートな理由があったのかもしれない。万が一それが真相だと仮定した場合、それを公表できるわけがない。そんなときどうするかを考えると、結局は適当な理由を並べるしかない(もしそうだったとしたら、今回の公表の仕方がまずかった気はするが)。やはり我々の身近にだってバイトや仕事を辞める理由に誰もが誰も必ず真実を言うとは限らない。バイトだろうがプロだろうが誰だって知られたくない事情があるかもしれない。「真相を教えてくれ」という発言が時には無理のある話だということも、ファンはどこかで理解すべきではないかと思う。昨日にどこかの新聞が山瀬のインタビュー内容を掲載していたが、とりあえず公式であるそれを信じる以外に方法はないのかと。3・代理人と選手とクラブとファン例の場所で代理人田邊氏を叩く人がかなりいる。私が思ったのはまず、代理人に関して我々は余りにも知らなさすぎるのを念頭に置くべきだということ。それは誰のせいというわけでもなく、単純に日本スポーツ界が代理人というものを避けてここまで来てしまったからだろう。野球を代表としてどのスポーツでも、経営を圧迫するetcの理由で長い間この「与えられるべき権利」が与えられなかった。日本で代理人という言葉を聞くようになるのはここ数年のプロ野球界においてだった。だから我々ファンの側はこういう立場の人との接し方が全くわからないし、彼らがどこからどこまで仕事をするのか、するべきなのかを知らない。というわけでここからはそれを考慮に入れて。とりあえずわかるのは、代理人は選手と契約を交わしているということ。だから「契約に関し」選手の希望を最大限尊重する立場であること(もちろん世界中を見ると例外なんて数多くいる)。フロントも選手とは契約を交わす関係だということ。だから選手を最大限尊重する立場であること。ではファンはどうか?私は現時点ではこう考える。ファンは確かに大切なお客様で、他のどのファクターからも尊重されるべきではあるが、決して他のどのファクターとも契約を交わすわけでもない。何が言いたいのかというと、ファンの想いによる力はすばらしいものだが、それにも限界はあって、時には思い通りにならないことだって数多くあるということ。ファンはその限界をある程度のところでわきまえる必要があるのではないか。いくら綺麗事を並べてもクラブが破産するときは破産する。大好きな選手が移籍するときだってある。普通は経営状況、選手状況はファンよりフロントの方が理解している。もちろん例外もあるし、ファンの力の偉大さは私も語るところだが、極論を言うとクラブが株式上場し、その株でも持っていない限りは、真にクラブを動かすことはできないのではないか(あるいは昔のナポリのマフィアのように10億フロントに出して「これでマラドーナ買って来い」と言うとか…)。話が広がってしまった。おそらく代理人の、ファンへの説明責任は私はないと思う。だとすると、田邊氏に釈明を求めることはおかしいということになる。だったらblogなんか出すな、という声が出そうだが、田邊氏は前述の、代理人を知らない人が多い現状を打開しよう、それが日本スポーツのためだと考えて立ち上げたのだと思う。だからあれだけ丁寧に質問に答えようとしているのではないか。ただ、そうして表に出てきてしまったことがこのような騒動を起こしてしまったことはあるだろう。代理人は前述の役割で言えば本来裏で生きる職業なので。翌日へつづく
2005.01.25
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最近メディア界ではNHKの番組への政治介入問題について半分戦争のようなことが起こっている。NHK対朝日という構図だ。一連の報道をすべて見ると、どれが正しいのかは一見するとよくわからない。しかし、問題をよく注視していると、ある部分に矛盾点が出てくる。結局、一方向からしか情報を得ない人はやはり考え方が偏りやすくなる。テレビを見る時間がなく、朝日新聞を購読している人からすれば悪いのはNHKだと思いやすいし、海外でNHKしか日本のテレビが見られないという人はその逆を考えやすい。今回、分が悪い、というかずれているのは明らかに朝日新聞であると思うのだが(多くの人がネット上で書いていることなのでわざわざ書くのはやめておく)、ネットで見る人というのはいろんな人の意見を吸収できるのが強みなのかもしれない(もちろん匿名性がある以上これが必ずというわけでもない)。今回の話に限らず、例えば日韓W杯のときにもメディアはこぞって韓国を応援し、ネット上では韓国の判定疑惑に非難轟々という状況があった。日本のメディアは韓国を非難することはできなかった、というより話題に出せなかった(W杯報道について言えば、日本はスルーで韓国は疑惑=圧力としてほとんど扱わなかったが、世界中のメディアがこの疑惑に沸いていたことを考えなくてはならない。でもそれは日本のメディアからだけでは伝わらない。)。理由はわからないが。ちなみにこのことについては、日韓両国民の感情の真実は何なのかに迫った本が存在するので(大学の研究室にあったのだが題名は忘れた。後日アップする)それを読むとどの媒体が真実に近いのかもわかってくると思う。話があちこち行ってしまったので、報道の話に戻そう。我々が覚えておくべきなのは、特にTVなどのメディアが真実を100%伝えられる構造でないことである。1つに、当たり前だがTVには金が必要で、その出所を悪く扱うことはできない。これは気がつくと(かわいい例では日テレと巨人、また悪い例に朝日を出すと朝日と北朝鮮のように)どこまでも広がっている。もう1つは、ここ1~2年TV局と関わっていてわかったことだが、TVは厳密な締め切りが存在することだ。TVが急遽空いてしまった放送枠を埋めることはほとんど今は不可能である。時間に追われるプロデューサーは、例えばドキュメンタリーで取材先に行ったときに予定していた取材相手に会えなかったとしたら…?残念ながら、締め切りを考えれば代行者を立てるしかなくなる。ここにヤラセだって存在する。TVや新聞の上層部は、報道は面白かったり視聴者に指すものでなければ意味がない(と彼らは考えている)のであって、視聴者に真実を伝えなければ意味がないわけではない。ジャーナリズムというのは本音のこともあっても体裁なことだってある。ここに考え方の違いが存在すると思う。我々はそう考えているわけではなくても無意識的にTVは真実だと思ってしまう。重要なのは、何かを通して見るときはそこにあるものを必ず信じるわけでなく疑う心を持つこと。さらに、極論を言うと本当の真実は自分で見に行ってこの目で見ることだけなのではないか。(別にだからイラクへ行けと言っているわけではない。笑)最後にスポーツに落としても、このことで首をかしげることがよくある。ひとつだけ例を挙げると、ある大学で講師の人が「○○というチームのサポーターはみんなゴミを自主的に拾う」と学生に言ったことがある。みんなそこのサポーターは模擬的だと考えたに違いない。でも、そのスポーツを生で見に行く私はそれがごく一部の話に過ぎないこということを見て知っている。情報とは本当に怖いものだ。こうして書いていても自分も踊らされていることが間違いなくあるのだから。だからこそ我々がそれが本当か見極めなければ。メディア規制というのは私は賛成派だ。実現不可能だろうが。
2005.01.20
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<ここから愚痴>ゴールが見えたと思いきやまた遠ざかり,この繰り返しをここ1ヶ月で何回繰り返したかわからない…でも,確実に選択肢が狭まってはいるので,前に進んではいるはず。今度こそゴールにつながる方法だと信じたい。てか,ホントに苦しくなってきた。論文締め切り,あと20日<以上,愚痴>
2005.01.19
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数日間隔が空いてしまった。論文が切羽詰っているということなのだが、書き終わる(はずの)2月にはガンガン書けるようにしたいものだ。今日はコラムではなく、観戦記ということで。FC東京-東京ヴェルディ1969戦。1月16日日曜日、東京ダービーが行われた。とはいってもバレーボールでのお話。しかし、この日記の「主旨」に沿うし是が非にでも見に行きたいと思い、論文そっちのけで3人で観戦に行った。府中の体育館で行われたのだが、聖蹟桜ヶ丘駅からFC東京サポ用にバスが出ているありがたさ(乗るには東京グッズが必要)。しかも、入場料もSOCIOは500円というすんばらしい優待。どのくらい観戦に来るのか楽しみにしながら駅へ行くと…すごい行列。バスが来るまでに50~60人になってしまい、おいおい乗り切れないじゃんと思っていたらチャーターバスは2台到着。う~ん、熱い。休日の雨の中案内をしてくれる東京スタッフに感謝の意を表しつつ、バスに乗り込んで会場の体育館へ。会場に着くともう結構な人数がいて、スタンドはもう座れない状態(TOPの写真がそれ。てか小さくて申し訳ない。携帯だから…)後ろから立ち見で観戦することに。すると…「TOKYO! TOKYO! TOKYO!」キタ━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━ !!!! こんな会場だろうが、いつもにも増した男臭い応援が始まる。しかも応援歌もバリエーションたっぷり。LA EDOGAWAもあり、東京ラプソティもあり、本家ではやらない応援歌もあり、選手ごとの応援歌もある。そしてもちろんダービーの「あの」応援歌も。でも、ヴェルディだけには~負け~られない~ではなく、「東京鳥(なの?)に~は~」に歌詞変更していた。試合直前にはもちろん「You'll never walk alone」も。何か数年前の東京みたいで懐かしくもあり、新鮮でもあり、試合前からドキドキする内容。試合が始まる。まずは選手の名前を覚えるのに必死になる。バレーボールだと一体どこのポジが目立つのか見ていると、まずはリベロ。この中谷という選手がまずは奮闘。そして徐々にサイドアタッカーの福田や野中にも注目が集まる。序盤は東京ペース。序盤で安定してリードを奪い、楽なペースに持ち込んでいく。サーブ権が数年前からなくなってしまったが、やはり相手からのサーブでいかに確実に点が取れるかが重要だ。するとアタッカーがキーとなり、そこが注目される。この時点では確実に取るところを取る。第1セット先取。もちろん東京ブギウギ(笑)第2セットも同じような展開になる。しかしここでは相手の(3番の)ミスで助けられた面もあるが、そこで波に乗れたのが大きい。段々ブロックも当たるようになってきた。いいぞ。てか楽勝じゃん!え~、ここからも書かなきゃだめっすかね?(笑)しゃあないか。しぶしぶ…第3セット。ここで初めて緑蟲が先行しだす。今考えると最初のうちは先取にもサポにもまだ余裕が感じられたのだが、ここを抑えなかったのが後々命取りになっていく。気が付くとズルズルと5点差で向こうのマッチポイントに。流れがここで変わりだし、3点を返すのだが、やはりサーブ権のない5点差は大きく、1セット獲られる。第4セット。ここで流れが向こうに行ってしまったことを痛感する。いや、点差はそんなに開かないのだが、ここ一番のポイントが取れない。流れが悪いときは不思議とブロックもできないし、レシーブもできなくなる。このスポーツもやはり流れがモノを言うのだなぁと感じながら、でも何とかここで決めてくれ~!と心の中で念じはじめる。自分の心に「これ取られたら終わりかも…」的空気を感じる。両チーム20点くらいから、お互いに1点の重みを感じる試合になってくる。そんなときに重要なのが先の「相手のサーブを確実に取る」ことなのだが、ここでまずかったのが、アタッカー福田にボールが集まりすぎたこと。2本くらいはよかったが、何本も同じようなパターンになり、ブロックが集中し、ミスを連発してしまった。24点目を先に取ったにもかかわらず、ジュースの末逆転負け。ま、まずい…いやいや、(サッカーだけど)ナビスコ準決勝は3点差追いつかれたけどそこでルーカスがやってくれたじゃん…でも今日ルーカスいないじゃん…とか意味不明なことを考えながら最終セット。惨敗でした。萎えました。凹みました。電車で新宿行くまで、ど凹みでした。マジでサッカーで負けたくらい凹みました。悔しくて仕方ありません。2004年なかったダービーの負けを味わってしまいました。というわけで、リベンジしよう。2005年2月27日、日曜日東京ヴェルディ1969 VS FC東京 13:30~ 稲城市総合体育館敵地稲城キタ━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━ !!!! 行ける人、行っちゃいましょう!最終戦だし、燃えること間違いなし!くわしい情報はこちら。ちなみに、私はかなりバレーボールに見初められたので、再来週も行こうと思う。1月29日、30日。30日はトヨタ自動車戦(グラサポ来たりするのかな?)、これも面白そうだが、こっちも熱い。29日、警視庁戦。何と!国にブーイングが許されるのか!?これは行くっきゃないかも!!論文締切前なのに行って大丈夫なのか?だからまた明日から研究頑張ろうと心に誓ったのでした。でゅわ。
2005.01.16
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フォーラムレポートを1ヶ月前に書いたのだが,実はこのフォーラムには続きがあって,しかし時間の関係で書ききれなかったものがあった。このイベントでは,これまで書いた通りイングランドのサッカー研究所の所長の話があったが,それが前半であり,後半は著名人4名によるパネルディスカッションであった。そして,このディスカッションこそが残念ながら日本の問題を露呈していた(ように私には強く感じた)。実名を挙げると,パネリストは元NHKプロデューサーの杉山茂氏,電通の海老塚修氏,著書「プロ野球は崩壊する!」のある大坪正則氏,bjリーグコミッショナー河内敏光氏だった。杉山氏が司会としてバランスを取って他3名に考えを話してもらう形式だったのだが,ところが3名の考えは殆どが米国の「いいところ」の話ばかり。サラリーキャップ制の話しかり,ファンサービスの話しかり,ハード面の話しかり。彼らの論調は「日本は~~がダメだから米国の××を取り入れなければいけない」というものだった。そして臭いものには蓋をする姿勢…。FAやトレードの盛んな米国ではファンが納得しているのか,という質問を杉山氏が大坪氏に聞いていたのだが,彼はこれから逃げてファンサービスの話に終始してしまっていた。彼の非常に残念だと思った面は,彼の著書「プロ野球は崩壊する!」でもそうであったが,コピー的思想が強いことだ。問題点の指摘や,「選手年俸はもっと引き上げるべきだ」という他と逆を行った考えには新たな視点に感銘を受けたのだが,具体案では上の話のような論調が見受けられると感じた。そういったこともあり,質疑の時間に真っ先に手を上げて,上のファンの感情について指摘させていただいたのだが,結局「確かにその通りだ」という答えと,「やはりそこは難しいところですね」というコメントが出てきた(ちなみに私は大坪氏だけ突っ込んだが,後から私のメモを見てもなんかいろいろ突っ込み所があった。もっともまだこの方々も,私達と同じで考えがまとまっていないということかもしれない)本当はここでもっと突っ込んだコメントを私がするべきであったのだが(時間を気にして終わりにしてしまったが,かなり後悔),このコメントはこの日のディスカッションで語られたことを否定するものではないかと思った。私が言いたいのは,1つに,結局は米国式だって完璧なわけがないこと。彼らには彼らの抱える問題点があって,それは何かを凝視しなければならないこと(ここでは論じられなかったが,実際米国のスポーツ市場は縮小に向き始めているのだから)。もう1つは,日本はあくまで日本のやり方を模索するべきだということ。スポーツを見てもらうために,してもらうために,楽しんでもらうために行っている政策とその成果,問題点を他国から学び,それに対して日本ではどうして行くべきか,この日の4名ならその議論ができたはずだと思うが。当たり前だが日本は文化が違う。スポーツ文化についてはこれから作らなければならないものも山ほどあるが,既にある良いものもたくさんある。例えばプロ野球の独特の鳴り物応援は,私は世界に誇れるものだと勝手に考えている。米国を見習って鳴り物は止めようという意見も聞くが,でも実際球場へ足を運んで生の応援を聴いたり自分で歌っていると,これを無くすなんてそんなこと口が裂けても言えなくなる(昨年,長年の巨人ファンであるはずの自分は中日の応援に何度も感動してしまった)。あれを聞いてて,何でこういういい面を伸ばそうという話が出てこないのか,と首を傾げてしまった。話を戻すと,野球ならサラリーキャップ制だろうがウエーバー制だろうが,日本でそのままフィットするとは思えない。それをアレンジして,という具体的な議論が出てきてもいいはずだ(てか,最近ではプロ野球を議論すること自体がもう下火になってしまっているようで。プロ野球問題は12球団が存続した時点で終わりなのだろうか?楽天が頑張れば満足なんだろうか?)。日本は産業的にも加工国として名を馳せて来た。いい所をいろんな国から学び取り,日本流にアレンジして日本として世界に誇れるシステムを作る。最も重要なのは,「よそはよそ,うちはうち」ではないか?
2005.01.11
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先日、小泉首相が63歳の誕生日を迎えた。首相になってから4回目の誕生日になるという。候補が他にいないからとか、首相下ろしの勢力を排除したからだとかいっても、戦後5番目の流さの任期なのだから、これは大きく評価してもいいと思う。首相の仕事というのは問題に対して一対一で解決すればいいというものではない。外交も経済も社会問題も、全てを上手く回さないといけない。イラク問題であれ北朝鮮問題であれ、小泉首相が慎重になってしまうのもそれがあるのだろう。例えば、日本経済に関しては流れは大きく変わった。ここ最近、「不良債権」という言葉を聞かなくなったことだけでも最悪の状態を脱していることが伺える。輸出が好調を維持できているのも、突き詰めればアメリカを怒らせる態度を取っていないことが背景だろう(その気になればスーパー301条とか平気で吹っかけてくる国なのだから)イラク問題でも、そういうことを背景に入れない一対一の話なら強硬姿勢に出ることも可能であろうが、このことをマスメディアはほとんど視野に入れないで批判しているように見える。(話はずれるが,彼らの批判できるところはひたすら批判し,大きなものに蓋をという姿勢には私は飽き飽きしている。私は小学校の卒業式で,子供心に松井やイチローにインタビューできる新聞記者になりたい,と言っていたらしいが,このことに気づき以来,自分の中でマスコミを最もなりたくない職業にランクするようになった)古いのだが、「加治隆介の議」という漫画がある。政治家の視点から日本の政界を見つめているもので、彼等の策略から苦悩までいろんなものが見えてくる。90年代なのにというかだからというか,北朝鮮問題にも架空の事件を使って深く突っ込んでいる。筆者の考え方がどうかという問題は別として,政治家は私達に見える面だけが政治家でないということを教えてくれる「良書」だ。こういうものを読んで,私達が普段からいかに同じ方向から偏った視点の考え方を浴びているのかを痛感する。政治でもスポーツでも同じだと思う。別に批判してはいけないのではなく,いろんな視点でモノを見る事を頭に入れていなければならないということだと思う。そしてそれを考慮に入れれば今の小泉首相は私は評価できると思うし,今は支持する。小泉さん,誕生日おめでとうございます。そしてまた一年頑張ってください。
2005.01.10
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【ニューヨーク6日】米4大プロスポーツの1つ、NHL(北米アイスホッケーリーグ)が労使交渉の影響で全日程が中止される可能性が高まった。最悪の事態を迎えれば、北米プロスポーツ史上初となる。 新労使協定交渉が難航し、ロックアウト(施設封鎖)が続いている同リーグはこの日、来週予定していた30チームの代表者による会合を、選手会との交渉に進展がないことから招集しないことを決めた。今後、選手会との交渉を継続しない意思表示とみられ、今季の全試合が中止に追い込まれる方向が示された。 オーナー側は高騰する人件費を抑制する選手年俸総枠制限(サラリーキャップ)の強化を求め、選手会側が反発。昨年9月、12月と交渉を重ね、双方が解決案を提示したが合意に至らず、オーナー側のロックアウト(施設封鎖)でシーズンを開幕できずに年を越した。 NHLでは94年の前回交渉でも103日間のロックアウトが実施され、486試合が中止となったが、今回は労使いずれも譲る気配がみせず、当初からシーズンの消滅が危惧される異常事態となっていた。多くの選手たちは、欧州リーグや地元のショー的要素の強いリーグなどと契約を結んでプレーしている。 (サンケイスポーツより)----------------------------------------------------------感じたことは2つある。1つは、この労使交渉は米国の他の4大スポーツも経てきているものであるが、MLBもストライキに追い込まれたり、それぞれ苦しみを味わっている。選手も経営側も、自分の利益を守るために必死になっているのだが、それぞれの経緯をもっと勉強したいと思った。それが、日本の未来のヒントになる気がする。もう1つは、日本プロ野球も結局は近い将来このような交渉が行われるのではないかという危惧である。昨年彼らは「自分達の給料が削られても構わない」という態度で12球団存続を訴え、ファンの賛同を経てその願いは実現した。しかし、オフの選手を見ていると、やはり自分の利益は自分の利益。それを守る以外の契約交渉はほとんど見られない。一方で巨人がサラリーキャップ制を導入しているが、そんなことお構いなしに交渉する選手達。確かに、これで選手と経営陣それぞれの利益を主張する意味で健全な(米国で起こっている状況を「健全」と言うのもどうかと思うが)カタチに近づいているのかもしれない。しかし、もしそのような交渉になったら選手はファンに嘘をついたことになるのではないか。いずれ詳しく考えてみたい。人気blogランキングへ
2005.01.08
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前日の続きのような話だが,チームカラーを持たせることは私はとても重要だと思う。昨年の暮れにプロバスケのbjリーグ立ち上げに貢献したゼミナールの友人と飲んだ。今でも立ち上げに向けてインターン生として連日事務所に通う,尊敬できる人間なのでこういう機会がなかなかなかったのですごく楽しい時を過ごした。で,彼がこれからbjリーグについてどうマネジメントするかをコミッショナーに提案したいということで,私に意見を求めてきた。私は何も持っていない人間なので,偉そうなことはそう言えないけど,と前置きしてこのカラー付けの必要性について話した。昨日の日記にも書いているが,例えば東京をホームにしているといってもそれだけで地元意識が生まれることはほとんどない。だからこそ,もっとはっきりしたイメージをつけるべきだという趣旨だ。bjリーグでも東京をホームにするチームを作ったが,私ならホームは東京にしない。例えば下町○○○とか,多摩○○○とか…この方がピンと来る。しかもこれだけでイメージまで分かってくる(下町ならやんちゃなイメージ)。東京は下町,山の手,田園地帯,多摩,武蔵野など,その中でも地域によっていろんなイメージがあるのだから。私の持論に過ぎないが,この方が確実に人々にわかりやすいと思う。そもそも,東京をホームにしているFC東京と東京ヴェルディは戦略が東京中には行き渡っていないのだから(FC多摩とか言われてしまうときもある)。もう一つ,アイデンティティの存在がカラーには重要であるを思う。イングランドが近年立てている各クラブのアイデンティティを見てみると…Anti-racism ・・・・・・ Leicester CityFamily Clubs ・・・・・・Ipswich TownGlobal Brands ・・・・・・Man UnitedRegeneration ・・・・・・Charlton AthleticFemales & Football ・・・・・・FulhamLocal Community Clubs ・・・・・・Millwallこの中でロンドンのクラブはFulhamとCharltonだが,彼らもWest HamやArsenal,Chelseaなどに水を上げられないようにこのアイデンティティの名称をつけてエリア分けの努力をしている。これとは種類が若干違うが,世界には複数のクラブのある都市がいくつかあるが,それらもエリア分けは出来ているところが多い。例えばReal Madridは全国的+市民層に人気があり,Atoletico Madridは地元+スラム人気がすごい。同じ構図は今思いつくだけでもトリノ,ミュンヘン,マンチェスターといくつも存在する。ミラノやグラスゴーは別格だ。しかし,日本では東京や大阪など,Jリーグのチームが複数あるのにそれが出来ていないためにすぐにクラブ同士の不毛な喧嘩が起こる。エリア分けをはっきりさせなかった結果だと私は思うのだが。(ちなみに,野球は別格かも。巨人=東京と言ってもスポーツの大きさがあるから戦略次第でいくらでも付いてくるのがプロ野球がまだ持ってるモノでもあると思う。)というわけで,新規に出てきたbjリーグにこれをぜひやって欲しい,と彼に伝えた。頑張ってね,Kくん(て私も偉そうに…)。人気blogランキングへ
2005.01.07
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2004年にスポーツ界で異様に言われた言葉は「地域密着」だろう。スポーツ界改革の最大のキーワードになってきているのかもしれない。しかし流行というのは恐ろしいもので、エグく言うと意味もわからないで、あるいは考えないで使いまくる人というのは必ず存在する。テレビタレントを見ているとすごく感じてしまう。このことが真の改革を薄めてしまわないか、と危惧している。私は論文研究の資料を探したり分析している中で、ここ数ヶ月であることに気付き始めた。それは「地域のエリア分けの必要性」である。スポーツチームの地域密着にはは地域名を使うことで地元意識を植え付けていくことが戦略の一つにある。Jリーグはそうして始まったし、プロ野球でも千葉ロッテや横浜ベイスターズなど、そういう動きがある。しかし、この地域名を付けるのに、ある傾向が見える。例えば、東京~というチームがあったとして、どれだけの人が「おらが町のチーム」という意識を持つのか。私はFC東京に対して確かに持ったが少数派だろう。なにしろ人口1200万人、日本人でもいろんな地から人は来るし、外国人もたくさんいる。このような世界有数都市東京で「東京~」というのはあまり効果的ではない(人口600万人のロンドンでも「ロンドン」をチーム名にしているチームは皆無である)。で、私が見つけた傾向というのが、Jリーグではだいたい40~50万人くらいのエリアがちょうどいい、ということだ。現在観客動員が高く「安定」しているチームは浦和、大分、新潟だ。そして浦和市、大分市、新潟市は全て人口40万人台である(浦和は現在さいたま市だが、設立当初の区切りにした)。大分、新潟は確かに県名であり、こちらを視野に入れた可能性は高いが、実際の戦略は中心地でやることを考えると,あながち外れた見方でもないと思う。面白いことに,J2までJリーグ全チームのホーム地域(チーム名で取りました)の人口を全て調べた結果,この3チーム以外は驚くほどこの40~50万人から外れている。つまり,マーケティング的にある話だが,不特定多数をターゲットにするよりもある程度のセグメントを決めて,そこに集中的にマーケをぶつける戦略の方が当たっている。多すぎても少なすぎてもいけないのだ。ちなみに,日本中の都市で人口が40~50万人の所を全て調べてみた。細かくは10個ちょい見つけたのだが,例えば東京だと板橋区と足立区はそこだけでこの数字に達してしまう。FC板橋とか,どうだろう?そうそう,徳島市も入っている。ヴォルティスは期待できるかも…
2005.01.06
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紅白の視聴率がついに40%を割った。この結果はNHKの不祥事や大物歌手の相次ぐ辞退、好みの多様化などが原因と言われている。音楽イベントは娯楽であり、興行だ。しかし、同じ分野であるスポーツなどは、音楽と違う方向に向かっている。それは「集中化」である。スポーツではここ数年、「ある特定のソフトにたくさんのお金や人が過剰に集まる」傾向が強くなっている。サッカーのW杯しかり、五輪しかり。これらの視聴率は異常に高くなるのだが、その垣根であるJリーグやプロ野球、他の日本スポーツは厳しい状態ばかりが聞こえてくる。潤うのは日本代表だけで、その下のカテゴリーにはなかなかお金が回って来ていない(このお金というのは何も放映権料だけではなく,入場料やスポンサー料も込みであり,他を視てみるとインターネット広告業界のようにYAHOO!集中化の傾向が顕著に出ていて,ITビジネスに支障をきたしている分野もある)。一方音楽界はというと、特定のソフトにお金が集まることは以前よりなくなってきている。逆にみんなが好きな音楽だけを聴く傾向が強まった。それだけが原因ではないものの、テレビの視聴率やCDの売り上げがそれを証明している。こうしてみると、音楽とスポーツという大きな娯楽が逆の方向に向かっていることがわかる。面白いのは、国民はともかくそれぞれの経営陣は、現状を問題視していて今とは逆の方向へ向かいたいと考えていることだ。しかし、それぞれの問題を考えたときに見えることは、どちらもIT時代の到来で情報が溢れてしまったことが根本にあるのではないかということだ。その結果スポーツの好みはみんなが同じベクトルを向け、音楽の好みはみんなが違うベクトルを向けることとなった。どちらも根本は同じだった。しかし情報が溢れる変化に未だに対応できていない。もっとも、この変化に対応することは難しい。海外に目を向けても集中化の流れになっているところはなっているし、多様化の流れも同様だ。これを打ち破る武器とは一体何であろうか。私はこの答えはもはや「文化」しかないと思う。例えば、サッカーでいうとイングランドのプレミアリーグは文化が変わってきていることでまさしく集中化している。しかしセリエAは、放映権料というお金の流れこそ上位数チームに集まっているが、人の流れはそうなっていない。イタリアというのはユベントスの試合に二万人しか集まらない日に、カテゴリーが二つ下のセリエC1のナポリダービーに七万人が集まるような国なのである。まさしく、強さとはまた異質のチームの魅力があり、それこそが地域に根差した文化だと言えるのではないか。日本において、「文化」はここ数年消えてきてしまっている。演歌と相撲とプロ野球を挙げればこれは充分であろう。しかし、新たな文化を作る流れはできているのかというと、ここが今、最も怪しい。一部の、例えばサッカーの中にはサポーターを中心に少しずつ文化を作る動きが出て来ている(浦和に至ってははもはや出来上がってしまってる)。プロ野球も一連の騒動の結果、独立リーグなど、文化として根付かせる試みを始めた人がいる。しかし他を見ても、スポーツ界全体がこの流れになっているわけではない。そして、ここまで考えたときに音楽については関係者はどう考えているのか。私から見てその動きはほとんど見えない。それが演歌であれロックであれポップスであれパンクであれ、私達ファンも含めてそれぞれがそれぞれの好みを掲揚するだけだ。それで仕方ない、よかれと思う人も多いが、しかし現状では音楽界はこれ以上の拡大再生産は無理だと思う。それは決して根付くものではないのだから。音楽はカタチのないものとして、大きな価値を持っている。人々の心に残る音楽というのはカタチあるものとは違って決して震災や津波などで消えるものではない。最近「これからはカタチのないものにお金をかけていくべきだ」とある方に言われたが、まさしくその通りで、スポーツ界で流行している「地域密着」という言葉はだから生まれた考え方ではないか。音楽の価値を大きなものにしていくことは重要だと思う。私には今は全くその答えは見えないのだが、だからこそ今から、新しい領域に入っている音楽について「文化の可能性」を必死で模索していくべきではないか。作り手も聴き手も、そんな大きな心を片隅に音楽に接して欲しいと思うのは無理な話なのだろうか。「文化」として考えれば,これはスポーツとあながち関係なくはない話だ。人気blogランキング
2005.01.04
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新年あけましておめでとうございます。本年もこのサイトをよろしくお願いいたします。昨年はまだ荒々しい、練られていないコラムが多かったですが、今年はそこを少しでも改善して行きたいと思います。本年はまだ1日しか経ってませんが、早くも本日は貴重なお話を(身内ですが)いただきました。ありがとうございます。・いいお話を聞いた・おみくじ、大吉・ドンペリを貰うこれだけでも今年はいい年になりそうな予感。自分でできるだけ考えて頑張ればきっといい年になる、と信じます。(厄年なんて怖くない?)で、本当は半分くらい書いてupさせようとしているコラムはあるのですが、1月1日なんでもっと節目のこれまで書かなかったことを書こうと。そうすると自己分析がいいのかな、て思ってこちらへ転換。-------------------------------------------------------------------自分についてもうすぐ23になるが、ここは変わらないな、と思う部分と変わったなと思う部分が半々であるのが私だと思う。それらを挙げていくと、まず1つ、学ぶ心。多分昔は言われるがままに、また考えずに勉強も遊びもしていた感が強いし、そこに面白さなんて感じなかったから結構混乱して生きていた気がする。その中で好きな勉強も出てくれば好きな遊びも限定されていった。でも、お金と世界が大きくなればなるほどようやく考えるようになっていった。特に浪人時代はその後の自分においてこれ以上ない変化を遂げられた時期だ。自分が何をしたいのか、何がやりたいのか、それはいつも変わっていくことだけど、そのこと自体を理解して今の自分を見つめられてそうして初めて周りに目が行くようになったし、だからこそ、いろんな人の相談に乗ったり、もちろん相談もしたり、サークルも率いていき、いろんな世界に飛びこんで行けたのだと思う。この心は自分でも最も大きな財産かもしれない。2つ、自分は時にそれが暴走するとカラ回ってえらいことになることもすごく感じた。多分時期にして19になるまで。自分が周りのこと抜きに何かの要素で暴走する時期がこのころだったと思う。思えばそうして友人も失ったこともあるし、それはかなり後悔している歴史だ。でも今となってはその彼には失礼な表現だがその経験が財産となっている。そして20ころから急激に前述の自分が消えて、その分だけは自分を好きになれた(ナルシストという意味ではない)。3つ、自己主張が強いことは未だに自分では困りものであったりする。もちろん例えば研究に関してはこれがプラスに働くと言われたこともあるし、この2年間スポーツについてこれだけのことを吸収できたのはそのおかげだと思う。でも、これから迎える世界というのはそう甘い世界ではない。組織のプロジェクトでも、このことを強く実感した。4つ、自己表現の方法。大学に入りこの能力については最も痛感したことだ。自分が一体何を言いたいのか、それを言うことで、やることで何が起こるのか、それを説明するというのは簡単ではない。しかし社会では必ず必要になる。元々この日記を書く目的にも、表現力を鍛えることがあった。就職まで残り2年、自分なりに成果を出しておかなければならない。------------------------------------------------------------------2005年も頑張ります。本年もよろしくお願いいたします。
2005.01.01
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