老師の言葉 0
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心配とは不安は、イメージが作り出す。たとえば、がんと診断されたら死ぬかもしれない。南海トラフ地震が来たら、がれきに埋まってしまうかもしれない。津波に飲み込まれてしまうかもしれない。がんと診断されても、昨日と同じように元気でいるわけだし、死ぬと決まったわけではない。実際には南海トラフ地震もくるかどうかわからない。だけど、ネガティブなことは簡単にイメージしてしまう。ポジティブなことは、イメージするのがけっこう難しい。ぼくたちは、ネガティブなことをイメージすることを学習してきている。子どものときから、最悪を考えて行動するよう教えられている部分がある。ポジティブだと、能天気と馬鹿にされたり、甘いと責められたㇼ、現実的ではないと非難されたりしてきた。たとえば、ぼくのような田舎者が東京に出るときには、「都会は生き馬の目を抜くようなところだ」と忠告される。人を信じるなと教えられるのだ。18歳の世間知らずの田舎者は、都会生活の期待もあるけれども、それ以上にびくびくしながら新幹線や飛行機に乗るわけだ。特に親に言われたことは、強烈に脳にインプットされる。都会は怖いところという恐怖心は、いつまでもとれない。いいこと、楽しいことがいっぱいあっても、一度、だまされたり裏切られたりすると、「やっぱり」ということになる。人間関係がうまくいかなかったりする。そんなふうに、ぼくたちの脳は、ネガティブなことをイメージするように作り変えられ、現実には起こってもないことに恐怖や不安を感じてしまう。ぼくは、人一倍臆病者だから、世の中、怖い物だらけ。「どうしてだろう?」と考えるうち、イメージによるものという答えが出てきた。まだ67歳で元気にやっているのに、80歳になって体が不自由になったらと考える必要などない。どうにか生活できるだけの経済力はあるのだから、お金がなくなったらと考える必要もない。転ばぬ先の杖を用意するよりも、転んだら立ち上がってやるという気概が必要だ。そうじゃないと、人生はつまらなくなる。
2023年09月11日
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もうすぐラグビーのワールドカップが始まる。我らがジャパン、強化試合であまりいいところがなかったので、気持ちが盛り上がらない。それで、2015年の大会をJスポーツで見直している。何と言っても、南アフリカ戦。あの番狂わせには熱狂した。「50点くらいの差なら仕方ないな」そんなネガティブな気持ちで見たら、とんでもなかった。だいたい、ぼくの世代のラグビーファンは、世界に大敗するジャパンをずっと見てきた。期待しては裏切られ。いつの間にか、負けるのは当たり前になってしまっていた。前回の日本大会では、アイルランド戦を三鷹の陸上競技場のパブリックビューイングで応援したが、「前半で試合が決まるようだったら早めに帰ってお酒でも飲もう」そう思って見始めたのだ。大敗覚悟の応援だった。しかし、結果はまたまたの番狂わせだった。そして、ベスト8進出。ジャパンは強くなっている。でも、今回は強化試合1勝5敗。「やっぱりダメだな」選手たちが「優勝する」と気合を入れているのに、こちらは弱気も弱気。2015年も、ヘッドコーチのエディさんや選手たちは、「南アに勝つ」と言っていた。だれも信じなかった。2019年だって、ロシアとサモアには勝てるかもしれないが、どんなにがんばっても2勝2敗というのが、多くの人の見方だっただろうと思う。それを覆してくれるのがジャパン。だから、魅力があるのだが、今回はどうだろう?「ジャパンは世界に通用しない」というぼくの中の常識を壊してほしいものだ。長い間に植え付けられた印象は、なかなか変えられないことを、ジャパンはぼくに教えてくれた。そういう面で、若い選手たちは、世界に通用するジャパンを知っているわけだから、そのイメージをベースにこれから伸びていくはず。大谷じゃないが、「あこがれはやめましょう!」だ。オールブラックスと対等に戦い、そして勝てるジャパンになるため、今大会も、下馬評を覆しておくれ。
2023年09月08日
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山梨に移住してから3年近くになった。今のような生活を考えていたわけではない。いつものことながら、ぼくは流されてきた。この3年で、ずいぶんといろいろなことをやった。まずはヤギ。1頭のつもりが、赤ちゃんまで生ませて、6頭になった。今は我が家の庭にいなくてはならない大事な存在になっている。桃の栽培もした。無農薬に挑戦した1年目はおいしいのができた大感動した。しかし、ちょっとした人間関係のトラブルがあって、借りていた農園を返し、別の場所で活動することになった。スモモを栽培した。半分はうまくいった。今年は桃の木を4本借りた。無農薬にチャレンジしたが、なかなかうまくいかない。ぼくたちよりも少し早めに山梨に来ていた次女が、キッチンカーで和菓子の販売を始めた。まわりの人が応援してくれた。長女も山梨へ越してきた。一緒になってヤギの世話をしてくれている。東京からやって来た仲間が、体調を崩して帰って行ったのは、大きな戦力ダウンだった。昨年は母が亡くなり、今年は義父が亡くなった。次女が結婚して、鈴鹿で生活を始めた。鈴鹿でも面白い動きが起こっている。こうやって出来事を並べるだけでも、てんこ盛りだったことがわかる。これでいいのかどうかわからない。これからどうなるのかもわからない。だけど、自分の計算通りに動けばいいというものではない。それはごう慢というもの。逆らえない流れというのは、間違いなくある。楽しいかもしれないし、苦しいかもしれない。でも、流れに上手に乗って、今できることを一所懸命にやること。その繰り返しの中から、よりレベルの高い、喜びや楽しみや幸せが生まれてくる。今日も一日、やれることをやって、夕方にはおいしいビールを飲もう!
2023年09月06日
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来週の「VIVANT」が待ちきれない、とか、いよいよ来週からラグビーワールドカップが始まる。とか。だいたい、楽しみというのは未来にあるもの。しかし、同時に、未来に行けば、確実に老いは進み、病の可能性も広がり、死は近づく。今日は雨模様。朝からゆっくりしている。ぼんやりと、生きるとか死ぬとか、そんなことを考えながら午前中を過ごしている。生に幸不幸があるのと同じように、老いにも、病にも、死にも、幸せと不幸せがあるのではないか。実際、幸せに老いている人はいる。病気をしても、そこに幸せを感じ取れる人もいる。満ち足りた気分で死を受け容れる人もいる。「君たちはどう生きるのか」という映画が話題だが(観てないけれども)、自分がどう生きるのかを問うのは大切だと思う。同時に、どう老いるのか、どう病むのか、どう死ぬのかも、しっかりと自分に問うてみる必要がある。特に死は大きな節目だ。何十年も付き合ってきた肉体とおさらばするのだから。肉体がなくなれば、それで無になるのか。何十年かの経験や思考、感情、志、夢、人間関係は、どうなってしまうのか。瞬時に消え去ってしまうのか。ぼくは、何らかの形で残ると思っている。死ですべてがリセットされるというのは、短絡的で都合のいい考え方だ。死んですべてが終わるなら、供養なんて必要ないし、幽霊を怖がる理由もない。だれもが、死んだらどうなるか、深い部分では知っているのだと思う。だから、だれかが亡くなれば静かに手を合わせるし、命日になればお墓参りをしようと思うのだ。死を本当の節目にしたいなら、あの世と言われている世界へ、きちんと行かないといけない。この世とは周波数の違うところだと思う。周波数の切り替えが必要になる。この世にチャンネルを合わせたままだと、いつまでも天国と言われるような上の世界には行けない。この世にとどまってしまう。つまり、みんなに怖がられる幽霊になってしまうわけだ。チャンネルを切り替えるには、どんなにつらくても、生をまっとうすることが必須の条件だ。年齢は関係ない。まさに、「どう生きるのか」という、自分のテーマをどこまで成し遂げたかだ。80年を生き抜こうとだけ決めて生まれてきた人なら、どんなに人に迷惑をかけようが、失敗だらけであろうが、みじめだろうが、80年を生きればいい。母親のお腹で十月十日を過ごし、産道を通ることをテーマとしている人は、死産で生まれることもあるそうだ。途中で生を放棄する人が増えている。ぼくには、そういう選択をした身内や友だちもいる。よほど追い込まれてしまっているからこそ、自ら死を選ぶわけだが、それでも、冷静になって考えてもらいたい。自分のテーマは何だったのだろう? と。答えはこれまで生きてきた中から見つけられるはずだ。今は不幸のどん底にいるかもしれないが、幸せを感じた瞬間はあるはずだ。まわりの人に喜ばれたとき、すごく幸せを感じたとか。仕事であることを達成したときのうれしさとか。人との出会いに心が躍ったとか。途中でリタイアするのではなく、しばらく休むことで回復することもあるはずだ。人の助けを借りてもいい。つらいけれども、大変だけれども、自分で決めたゴールにたどり着かないと、あの世へのとびらはあかない。肉体を失ってから、今まで以上の苦労やつらさを背負うこともある。ぼくは、死とか死後の世界については、そんなふうに思っている。そして、死というのは、ぼくたちにとって、本当は、来週のテレビ番組ではないが、楽しみにできるものなのだと思う。それが最高に幸せな死ではないか。簡単なことではないが、そこに向かって、ぼくたちは生きていかないといけないのだ。残念ながら、死は、逃げ場所にはなってくれない。
2023年09月04日
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人はだれもが矛盾を抱えている。よく、ボディ(体)、マインド(心)、スピリット(魂)と言うけれども、もちろん連動はしているけれども、感じていることは違っている。ボディで理解できるのは、ボディのことだけ。つまり、数学の問題を解くとか、その場の人間関係をうまくやりこなすとか、走るとか、力仕事をするとか、そういうことはボディが担当する。頭脳で理解するということか。本を読んだり、セミナーに出てわかった気になるというのも、ボディの役割。でも、ボディでわかっても、マインドは違う動きをすることもある。子どもは怒るのではなくほめて育てましょうと、育児講座で教えてもらって、その通りだと思っても、帰宅して子どもがうるさく騒ぎまわっていると、「いい加減にしなさい!」と怒ってしまう。マインドが理解していないからだ。感謝するのは大事なことだよと教えられて、マインドでもそれを理解していても、スピリットにまで、感謝を落とし込めるかというと、簡単なことではない。人には、どうしてもゆるせないことが、ひとつやふたつはあるものだ。それが、前世だったり、ご先祖様の影響だったりするが、スピリットに刻まれた憎しみがあったりする。感謝は大事だと心の底から思えている人でも、スピリットが記憶する憎しみに触れられると、マインド部分での感謝の気持ちが吹っ飛んでしまうことがある。頭ではわかっている。心でもわかっている。でも、魂の部分でどうしてもゆるせない。その矛盾はどうしようもない。認めるしかない。頭で、あるいは心で、ごまかすこともできるけれども、必ず、あとで魂の傷はとても嫌な形で姿を現すものだ。矛盾を悪としない。だれの中にもある。それを受け容れた上で、少しでも矛盾を少なくするような生き方をする。100パーセント感謝だけで生きられる人はいない。ボディやマインドレベルで、「この野郎!」と思うこともあるだろう。その感情を打ち消すのではなく、大事にしてあげる。根底には、傷ついた魂がいるからだ。でも、一息入れて、これも何かいいことにつながるんじゃないだろうかと思えばいい。そして、「ありがとう」と言ってみる。魂の傷も少しは癒されるはずだ。その積み重ね。本を何冊か読んだり、偉い人のセミナーに出たくらいでは、魂は本当には癒されない。でも、日々の暮らしの中で、魂のことを思って過ごせば、いつの間にか、深い傷にもかさぶたができて、治癒に向かっていくものではないか。そんな気がする。
2023年09月01日
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不登校のことを考えていて、いろいろ思うことがある。ぼくも経験者だから。親はけっこう身勝手なもの。よく子どもに、「人に迷惑をかけちゃいけない」「夢をもって生きろ」と言う親がいるが、果たして自分はどうなのだろうか。 子どもは、大人をきちんと見ている。 ぼくは、物分かりが良くてやさしい父親としてはいい線をいっているが、頼りないし、すぐにめげるし、とても、「俺の姿を見て学べ」なんて言えるような親ではない。だから、子どもに説教などしたことない。その代わり、「すてきだな」と思える人に、子どもたちを会わせるようにしてきた。 たとえば三女。彼女は小学校のころから障がい者福祉に興味をもっていた。ぼくが会わせたのは、今は本を書き、映画を作り、全国を講演で回っている山元加津子さん(かっこちゃん)。当時は、養護学校の先生をしていた。 彼女のことはあるイベントで知り、とてもすてきな人だと感じて取材をさせてもらった。実際に話を聞くと、何だかウキウキしてくる。妻や仲間にも会わせたかった。だから、ぼくが「スピリチュアル・バース」という本を出したとき、出版記念会で講演をしてもらった。三女が生まれてすぐのときで、もちろん三女は覚えていないけれども、抱っこしてもらったというのが三女との最初の出会いだった。神奈川でかっこちゃんの講演会があったので、小学校高学年になった三女を連れて行った。かっこちゃんのことは、ぼくが話をしてあげたり、本も読んでいたので、すでにあこがれの人として意識にインプットされていた。 講演会が終わったあとのサイン会で、三女はかっこちゃんと会った。二度目だけど「はじめまして」。彼女の緊張と感動が伝わってきた。 あれから、彼女の視線はぶれない。かっこちゃんみたいに、障がいのある人たちと友だちになりたい。教育者とか指導者ではなく、友だちであることが、三女にとっては一番大切にしたいこと。かっこちゃんから感じ取ったのだろう。自閉症の子たちと一緒に学ぶ高校に入った。でも、先生方の障がい者とのかかわり方は、かっこちゃんとは違っていた。彼女は、そこの教育のいい面、悪い面を冷静に判断して、3年ですごく成長した。 障がい者の施設でアルバイトをし、資格がとりたいと専門学校へ通い、今はある障がい者施設で働いている。農福連携の最先端をいっているところだ。 そこでも、かっこちゃんという基準があるので、これでよしとはしない。自分なりの価値観を大切にしているから、だらだらと流されることはない。日々の仕事をこなしながらも、どうしたらかっこちゃんに少しでも近づけるかと、模索しているのだ。 中学校のときは不登校だったし、勉強も運動もできない子だったけれども、ひたすら自分が信じた道を歩んでいく姿に、ぼくは我が子ながら感心している。 かっこちゃんという一人のすてきな女性に会わせたことで、彼女の心にスイッチが入った。 ぼくは、何も言うことはない。勝手に進んでいくのだから。 親がとやかく言ってもうっとおしがられるだけ。それよりも、心のスイッチが入るような人に会わせること。 そのためには、親も周囲にアンテナを張って、この人に会わせたら喜ぶだろうなという人を探さないといけない。 三女のように、たった一人との出会いが人生を決めることもある。 子どもが学校へ行かないと言うなら、いろんな人に会いに行けばいい。学校へ行かせようという打算は捨てて、「お父さん、この人、すてきだと思うんだ。お前にも会ってもらいたい」という純粋な気持ちで、一緒に会いに行けばいい。親は、自分たちで何とかしようと思わず、外に目を向けることだ。 学校へ行くよりも、ずっと大きな宝物を得られると思うよ。
2023年08月31日
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学校へ行かなければいけない。ぼくたちは、なぜそんなふうに思い込まされてきたのだろうか。 学校ができたのは明治時代。 目的は富国強兵のため。子どものときから、国に忠誠を誓う、国のために働く人材を育成しようとしたものだった。 今でも、「気をつけ! 前へならえ」とかやっているのかどうかはわからないが、あれは軍事訓練の名残り。ぼくたちは何の疑問もなく、学校でやらされていた。 ランドセルだって、もともとは「背のう」と呼ばれ、軍隊で使用されていたものだ。 つまり、学校は、戦争や工業生産のための人材の養成所だったわけだ。 学校は、国にとって都合のいい国民を作るために必要だったという見方もできる。 学校はいいところで、学校へ行かないことは悪いことだよという思わせることは国にはプラスだった。 戦前は軍国少年、少女が育成された。ぼくの父親の世代は、国のために死ぬのは当たり前だった。 学校教育の成果でもあった。 今でも、学習指導要領に沿って、子どもをたちを教育しないといけないわけで、国が求める人間を作るという目的はあるだろうと思う。 義務教育の間に、偏向した価値観をもたされてしまうこともあるだろう。 戦後は、いい学校へ行って、いい会社へ就職することが第一とされた。 たくさんの給料がもらって、いい家に住んで、おいしいものを食べて、電化製品に囲まれ、海外旅行に行くのが幸せだと思わされてきた。「Car」「Cooler」「ColorTV」の3Cがあこがれだった。ホワイトカラーとかブルーカラーといった言い方もあった。 物質的な豊かさというエサを目の前にぶら下げられてがんばった。 24時間働けますか?ぼくたちの世代だ。 そんな価値観も、知らず知らずのうちに植え付けられたものだ。 今でも、就職しないのは落ちこぼれだと思い込んで、大学に入ったら、すぐに就活が始まるわけだ。就職が決まらないと、自分はダメな人間だと落ち込む若者も多いようだ。 不登校というのは、十把ひとからげの社会への反発ではないか。自分は違うという叫びが、不登校という形になっているのではないか。 その叫びを抑えつけて、まわりと同じように学校生活を送らせるのではなく、叫びを尊重してあげないといけないのではないか。 自分はこうだ! と主張できる環境を作ることが大切なのではないか。 中学校を出たら、大工さんの弟子になる道もあるし、農業は国民の食を支える立派な仕事だと、無限の選択肢を提示してあげるのが、ぼくが理想とする親の姿だ。 学校へ行っていれば安心、行かないのは悪いこと。親も子どもも、そういう一面的な見方から解放されないと。
2023年08月30日
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自分自身のことを振り返ってみて、子どもが不登校になったとき、親としてやるべきことは、自分の価値観を見直すことだろうと思う。 ぼくたちは多かれ少なかれ、こうじゃないといけないという思いに縛られている。 大人になれば、余計に縛りが多くなるものだ。 学校へ行かないといけないというのは、強烈な縛りだ。 できるだけいい高校、大学へ行って、大きな会社へ入ることが幸せなんだと、思い込んできた人は多いはず。 親もそうだし、先生だって同じ価値観をもっていたりする。 今は、小学校、中学校から受験する子が多く、小さいときから塾通いも当たり前。子どもが望んでいることではない。親が、「よかれ」と思って子どもにやらせていることだ。 これって価値観の押し付けであり、子どもは親の付属物、一人の人格として見られてないと思うのだが。 自分で決めてもない、好きでもないレールの上を、強制的に歩かされる。あるいは走らされる。 苦痛に感じる子がいても不思議ではない。 不登校の原因には、そんなこともあるのではないか。 親が自分の価値観を大切にするのはいいが、子どもには子どもの考え方があるはず。 我が家は、長女と三女は、学校という集団生活になじめなかった。それで学校へ行きたくなくなった。次女は、学校に反発しなじまないことが、自分の生き方だった。学校はエネルギーの発散場所だった。 ぼくは幸い、大学を卒業してから、人と違う道を歩くことにしたから、娘の不登校には混乱したけれども、それでも共感できる部分はあった。次女の気持ちもよくわかった。 娘たちには、塾に行けとも、勉強しろとも、ほとんど言っていない。 そういう面では、不登校のダメージは少なかったかもしれない。冷静に次を判断することができたのかもしれない。 不登校は、子どもを何とかしようと思ってしまいがちだが、その前に、親が自分を見直す機会にしてみてはどうだろうか。 ぼくも家内も、娘の不登校で、どうしていいかわからないような時期もあったけれども、話し合い、行動をする中で、徐々に変化していった。 娘たちの居心地も良くなったと思う。↓猫には猫の生き方がある
2023年08月29日
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8月も残すところ数日。この時期、話題になるのは、不登校の子どもたちの憂うつ。自ら命を断つほど深刻な問題も起こっている。学校へ行かないというのは、社会から置き去りにされてしまう感覚がある。将来へ続く道がぷっつりと閉ざされてしまう。うちの長女は中学1年生の3学期から不登校だった。三女も中3のときは学校へ行かなかった。長女のときは衝撃だった。埼玉県川越市の中学校に通っていたころだ。けっこう荒れた学校だった。長女は入学以来、嫌がらせを受けていた。ずっとがまんしてきたらしい。あるとき、泣きながらつらかった出来事を話してくれた。学校へ行かなくなってから、校長先生に相談しても、「よくあることですよ」と涼しい顔で言われた。長女が学校へ行かなくなったとき、ぼくは思った。「こいつの将来はどうなるのだろう」不安だった。おろおろするだけの情けない親だったが、いい高校が見つかり、大学まで行くことができた。不登校は行き止まりではなく、通過点だと思う。嵐が過ぎたからこそ言えることだが、少しは参考にしてもらえればと思う。進むべき道はひとつではない。たくさんある道のどれかを選べばいい。それが人とは違う道だとしても、親が願う道とは違っても、勇気をもって、選んだ道を進めばいいと思う。ぼくは、学校へ行かないという選択もありだと思っている。行きたくないから行かないだけのこと。行きたくない気持ちを行動で示すことができた。人とは違う道を選んだ勇者だと思う。
2023年08月28日
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「毎日が単調だと時間が速く過ぎるんだって」妻が言う。新聞かテレビで得た知識だろう。彼女自身、時間がたつのが速いと感じているのだろう。自分の日々が単調なのか振り返っているようだ。たとえば、ぼくたちが山梨へ来て3年近くになる。3年とは思えないほどたくさんのことをしてきた気がする。東京で暮らしていたのがはるか遠くのことのように思える。決して単調ではなかった。東京から引っ越して、さらに甲州市内でも引っ越した。ヤギは2頭のつもりが6頭になった。2頭のヤギの出産に立ち合っている。人の出入りもたくさんあった。桃を育てたり、スモモの栽培をしたり。とても3年でとは思えないぎゅっと詰まった日々だった。日々が過ぎていくスピードは速い。しかし、3年を振り返るとゆっくりと動いている。小笠原へ行ったときには、一日がゆっくりと流れて、2週間があっという間に過ぎてしまう。今、ぼくはどんな状態にいるのだろうか。不思議な感覚だ。
2023年08月27日
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福島原発の処理水が海に放水される。薄めるからいいという話、ホントかよと思う。薄めると言っても、放出する量は変わらないわけで、さらには、これからも汚染された水はどんどん出るわけだ。いくら海に浄化作用があると言っても、限界があると思う。政府は責任をとると言うが、どう責任をとるのか。風評被害というのは、科学的根拠に基づかないデマのこと。処理水を垂れ流して海が汚染されるというのがデマだろうか。海の生物に影響がないというのは科学的根拠があることなのだろうか。たとえ風評被害だとしても漁業者は大変だ。正直、ぼくは積極的に福島近海でとれた魚を食べようとは思わない。特に、子どもたちに食べさせるかというと、申し訳ないが避ける。そういう人は多いと思う。お金で解決すればいいのかということだ。魚に問題がなくて、政府が責任をとるというのなら、政府や東電関係の人は、家族みんなが、毎日のように海洋放水された場所でとれた魚を食べてほしい。国民の目の届くような形で食べ続けて、大丈夫と証明するくらいの覚悟をもってほしい。結局、処理水は保存が限界で、汚染水を処理水と言い換えてごまかして、海に放出せざるを得ないということだろう。原発の行く末を見せてくれているじゃないか。陸も海も汚染する。人間が住む場所を失い、食べるものもなくなる。何年か後には、政府の顔ぶれは変わり、電力会社の経営陣も新しくなるだろう。ずっと責任を取るなんてできないことだ。原発を国策にした政治家や電力会社など経済界の幹部、マスコミの責任者は、もうこの世の人ではなくなっている。今の「責任」など、詭弁にしか過ぎないのは目に見えているではないか。なんでそこまでして原発を推進しないといけないのか。本当のところを知りたいと思う。千葉の館山の港にイルカが10頭ほど現れたそうだ。彼らは、人間たちに「バカなことはやめよう」と訴えているのではないかと、ぼくには思える。科学的根拠のない話だが。
2023年08月23日
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お金に関する本がけっこう売れているようだ。20万部とか30万部とか。物価が高くなり、給料は上がらず、多くの人がお金に対して不安をもっているといいうことだろう。ぼくも、仕事をしていた月刊誌が隔月刊になってしまった。収入が半分になる。厳しい現実が突きつけられているのは、ぼくだけではないと思う。お金には興味があるけれども、よくわからない。ぼくにとっては、お金は女性に似ている。ずっと興味があったし、今でもすてきな女性を見るとワクワクするけれども、それ以上、接近はできない。だから、平和に生きられているのかもしれないが。「もっとお金があったらなあ」「もっともてたらなあ」と思っているくらいがちょうどいいのだろう。芸能界やスポーツ界では、お金や女性で人生を棒に振ってしまっている人がたくさんいる。お金はエネルギー。中国医学では、病気の原因は氣(=エネルギー)の不足と滞りとされている。健康的な生活を送るには、お金も不足してはいけないが、循環しなくなるのもまずい。呼吸は、吐くことに意識を向けろという教えもある。エネルギーは何に使うかが重要で、それに見合ったエネルギーが入ってくるものだと言う人もいる。お金も、何に使うかが大切だ。こういうことに使うと覚悟をもって決めたら、それに必要なお金が入ってくるという仕組みではないか。お金が入ったらこんなことをやりたい。そう思っているうちはお金は入ってこない。これをやると決めて、できることから動き出すと、お金も動き始める。もっとレベルが高くなると、これをやると決めたことが、ギブアンドテイクの「ギブ」の精神であると、もっとお金がいい動きをしてくれるそうだ。そういうことを、言葉として言う人はいっぱいいるが、実践している人は数少ないだろうな。けっこう難しい。だけど、そこを目指すことだ。ぼくはお金のことはよくわからないが、ぼくがこれからやろうとしていることを実現するには、お金も必要だから、これまでやってきた氣の世界と、お金をリンクさせて考えてみようと思う。ぼくの師匠は、氣を出すことを教えてくれた。「氣は出せば入ってくる」のが原則だそうだ。しかし、闇雲に出すと自分が疲弊する。あくまでも、自分はパイプになることだ。宇宙には無限の氣がある。宇宙のリズムと共鳴すれば、宇宙とこの世界を結ぶパイプになれる。宇宙のリズムとは利他の心だ。つまり、氣を出すというのは、ギブの精神、人のために何かをするということだ。その結果として、氣は循環し、まわりの人を喜ばせることができるし、自分も幸せになれる。お金もその法則のもとで動いているはずだ。収入が半分になったことなど意に介さなくてもいい。これも、エネルギーの流れとして必要なことなのだから。それよりも、自分のやりたいことに意識をフォーカスしないと。
2023年08月22日
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父親は8人兄弟だった。しかし、長男の昌平は戦争で通信兵として南方へ行き、帰国する船の中でマラリアが発症して亡くなった。台湾沖だったそうだ。もうひと息で故郷へ帰れたのに。さぞかし無念だったことだろう。二番目の長女は、とても頭のいい人だったと言う。嫁に行って、女の子を一人授かった。そのすぐあとに、結核になった。実家へ戻って養生していたが、若くして亡くなった。幼子を残して、彼女も思いを残して旅立った。三番目は次男・文彦。生れて間もなく亡くなった。四番目は次女の八重子。彼女は長生きした。うちの娘たちもかわいがってもらった。五番目が三男の眞平。小さいころ、京都の親戚に養子としてもらわれていった。年に一度くらいは帰ってきたと思う。都会の雰囲気を田舎に運んでくれた人だった。六番目が四男の愼一郎。ぼくの父親だ。7番目が三女のあき子。彼女だけが存命。91歳になる。数ヶ月前、転んで足を骨折。しばらく入院していた。やっと退院できて、先日、次女夫婦を連れて会いに行ってきた。思ったより元気そうで、ほっとした。8番目が五男の昌夫。やんちゃな子で、ある夏の日、隣村の盆踊りを見ようと、田んぼに建っていた高圧線に登って、感電して亡くなった。8歳だった。十分に長生きしたのは、存命のおばさんを含めて4人だ。ある年代になったとき、ぼくは、ふと思った。祖父母は、どんな思いで息子や娘を見送ったのだろうと。昌夫が感電したとき、家へ運ばれてきて、お医者さんに往診してもらって、その後、ずっとぼくの祖父に抱かれて、「痛い、痛い」と苦しみ、ときどき、「俺は死ぬんか」と小さな声で、祖父に聞いたそうだ。一晩、痛がって、翌朝には息を引き取ったと聞いている。兄や姉も、その様子を見ていたはずだ。ぼくは、小さなころ、昔の人は、死に対して鈍感だと思っていた。祖父母のかなしみには意識が向かなった。しかし、昔であろうと今であろうと、子どもを亡くしてかなしくな人などいないだろう。ぼくの母親も、80歳を過ぎてから、夫が亡くなり、その翌年には、3人の子どものうち2人を亡くしている。「お前だけは死なんでくれ」と、ぼくの顔を見ると手を合わせて哀願した姿を思い出す。遠い昔から、人の物語はかなしみに彩られている。かなしみが積み上がって、今ができている。だから、ぼくたちはかなしくて仕方のない存在なのだ。人の背負うかなしみをきちんと見つめて生きることが、ご先祖様供養であり、自分を知ることでもある。そして、かなしみを見つめることで、人は深みや味わいを増すことができる。成長することができるのだ。
2023年08月21日
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うちの父親は8人兄弟の6番目で四男。ところが、長男が戦死、次男は幼いころに亡くなり、三男は養子として親戚にもらわれていった。結局、農家の跡取りとなったのが父親だった。四男なのに愼一郎という名前は、どういう意図があったのかわからないが、結果的には長男の役割を果たすことになった。しかし、父親の農業をやりたくなかった。上の学校へ行きたかった。成績のいいお姉ちゃんに勉強を教えてもらったりして、がんばっていたようだが、親に「進学したい」と話すと、ぼくの祖父は、「百姓はあほでもできる。勉強なんかせんでもええ」と一刀両断のもとに、父の夢を砕いてしまったのだ。父は悔しかったと思う。だから、自分の長男であるぼくには、農作業を手伝えとは一切、言わなかった。勉強して大学を出て、公務員になれば、一生、食いっぱぐれはない。ある意味、自分の夢を息子に託したわけだ。ぼくにとっては幸いだった。父親は器用で、農作業はだれにも負けないくらい要領良くこなすことができたが、ぼくは父とは真反対。うちの娘が、ぼくの母に、「どうしてお父さん(ぼくのこと)に農業をやらせなかったの?」と聞いたことがあった。母親はこう答えた。「泰久はどん臭いから、百姓なんかできよかさ」ぼくは横で聞いていた。母親の言う通りだと思う。だけど、母親に面と向かって「どん臭い」と言われると、胸に突き刺さるものがあった。父親は、「百姓はアホでもできる」という親に言われた言葉が、ずっと胸に残っていただろうと思う。ぼくの弟が実家に帰って農業を手伝っていたときも、弟に向かって、「百姓はアホでもできるんや」と、言っていたこともある。弟は黙って聞いていたが、これから農業をやっていこうと思っていた身としては、つらかったし、悔しかったと思う。農家の人たちは、多かれ少なかれ、うちの父や祖父と似た考え方だろうと思う。息子には農業はやらせない。そうやって、農家の跡継ぎはどんどん減っていく。実際、農業というのは大変な重労働だ。それに見合う収入があればいい。しかし、どんなにがんばって作っても、採算は合わない。赤字ばかり。上手にお金儲けをする人が「賢い」とすると、やっぱり農家は「あほ」に違いない。だけど、これからの時代、「あほ」が必要になってくる。それも、有機農法や自然栽培をやる「ドあほ」が世の中を救うことになる。ちょっとだけ勉強すれば、経済的にも成り立たせる道も見えてくる。畑を耕すことも上手にできない、「どん臭い」ぼくまで、百姓の真似事を始めている。大したことはできないが、作物ができた喜びは感じている。汗をかいて飲むビールはうまい。ぼくの姿を、両親はあの世で見てどう思っているだろうか。ただならぬ時代に突入してる。たくさんの人が感じ取って、行動を始めている。ぼくは、さいわいにも、鈴鹿にご先祖様が残してくれた田畑がたくさんある。次女夫婦だけでなく、三女も野菜や米を作ると言ってくれている。どん臭いぼくが動き始めたことで、農業とはもっとも距離のあった妻も汗だくで働いている。そんな姿が誘い水にもなっているのだろうと思う。少なくとも、自分と家族の食べる食料をどうするのか、真剣に考えた方がいいと思う。
2023年08月20日
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高3の冬休みに、受験勉強が進まず、福岡の予備校の合宿に参加した。なんで福岡?受験雑誌を見ていて、気になる予備校があった。それだけの理由だった。名古屋から夜行列車に乗って福岡まで行った。まだ新幹線は新大阪よりも西に伸びてなかった。父親が名古屋駅まで送ってくれたが、初めての長旅、列車が出発するころはけっこう心細かった。 途中で雪が降って、列車が止まったことを覚えている。「やめとけば良かった」後悔しながら一晩を過ごした。 福岡での2週間は、あまり覚えていない。籠の中の鳥がはじめて外へ出たという感じで、お金も出してもらって、十分に親の保護下にあったものの、それでも、両親の手の届かないところへ来たことで、少しは大人になった気がしたのかもしれない。両親には過保護な面があった。そして、自分の価値観をぐいぐいと押し付けてきた。それなりにいい大学を出て、県庁や市役所へ勤めるという道が、親の考えるベストの道だった。ぼくは気が弱くて、社交性もなくて、ただまじめなだけが取り柄だったが、当たり前ではない道を行きたいという欲望があった。福岡の予備校へ行ったのも、少し深く考えれば、ほかの人が考えるような行動はしたくなかったからだ。ぼくは三重県の鈴鹿に住んでいた。名古屋の予備校なら通えたし、新幹線だって走っていたから、思い切って東京へ行く手もあった。でも、みんなが東へ行くなら、ぼくは西へ行く。そんな気持ちもあったと思う。きちんと大企業へ就職したが、2年で辞めてしまったのも、根底には「自分なりの生き方」を求めたいという欲求があっただろうし、東京へ出て、やったこともないライターの世界に飛び込んだのも、同じだった。60代半ばになって、まわりは着陸態勢に入っているのに、新しい世界に離陸したのもそうだ。人生を整理していく年齢なのに、散らかしまくっているのも、ぼくらしいと言えば言える。どう生きればいいかとか、自分らしさとか、ぼくは真剣に考えたことがない。ただ、そのときそのときに感じたことを、行動にしてきた。それが正しかったのかどうか、答はまだわからないけれども、自分では満足しているからいいのではないか。ぼくは、高校時代のことは、あまり記憶にない。それだけ単調な毎日だったのだと思うが、そう言えばと、福岡のことを思い出した。単調な日々ではあったが、それでも、いろいろ考え、もがいていたのだ。
2023年08月19日
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だれもが何らかのストレス、悩みを抱えて生きている。間違いないと思う。お釈迦様は、苦しみの一番に「生きること」をもってきた。老いる苦しみも病む苦しみも死ぬ苦しみも、すべて生きる苦しみに含まれるのだから当然のことだ。ぼくたちはついつい思ってしまう。「あの人のように生きられたらいいな」だけど、それは一面を見て出る言葉であって、一皮むけば、うらやましいと思える人も、擦り傷、切り傷だらけだったりする。さまざまな傷を負ったからこそ、今、すてきな人になっていることもある。他人の生き方は、あくまでも参考として、自分をデコレーションしていくもの。トッピングだ。自分という基盤をしっかりと作ろうとせずに、猿真似でごまかそうとしても、世の中はそんなに甘くできていない。メッキはすぐにはがれてしまう。基盤をしっかりと作れば、メッキがしっかりと固定される。本で読んだこと、セミナーで聞いたことが、味わいのある自分ならではの、デコレーションになり、トッピングになるのだ。そのためにも、すてきな人の表面的な部分だけでなく、奥にある「生きるかなしみ」にも意識を向けて、自分の悩みや苦しみを、成長の糧としていく道を模索することが大切ではないか。
2023年08月17日
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我が家族は、ぼくたち夫婦と長女が山梨にいて、次女、三女は東海地方にいる。山梨は雨も大したことないし、風もほとんどない。台風7号の影響を感じることなく、ゆっくりと過ごしている。東海地方はけっこうな雨風らしい。停電しているところもあると言う。6号、7号と大変な被害をもたらせている。改めて、自然災害というのは怖いと思う。自然災害は、人間に置き換えれば、発熱するとかおう吐するといった、体調不良なのかもしれない。バランスが崩れているからこそ体調が悪くなるのだし、そのときのさまざまな症状は、バランスを取り戻すために起こっている。自然災害が多いのは、地球が健康になろうとしている現象だろう。不健康になってしまった地球。がんばって体調を良くしようとしている。不健康になったのは、人間の責任は大きい。病原体が人体に悪影響を及ぼすような物質を出すように、人間も地球が下痢したりおう吐するような行為をしてしまっている。自然災害だから、人間には問題がないという考え方では、これからも、ますます災害は増えるだろう。地球を人間と考えて、ぼくたちは、細胞の一つひとつかもしれないし、微生物かもしれないし、とにかく、地球に影響を与えている存在であって、地球が快適だと思えるような状況を作ってこそ、ぼくたちも幸せになれるのだ。地球は、苦しみながらも、人間のように、薬で原因と思われる病原体や異常細胞を排除しようはしない。最後の最後まで、人間と共存する道を選んでくれる。しかし、がまんにがまんを重ねた上での、台風であり地震なのだ。地球は偉大な存在だけど、それだからこそ、地球のことも考えながら、ぼくたちを大切にしてくれる思いに感謝しながら、どう生きたらいいかを考えないといけない。大きな被害がないことを祈っている。
2023年08月15日
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三女の住んでいるところへ行ってきた。ネコを飼いたいということで、ペット可のアパートに移ったので、前のアパートを引き渡すに際して、最後の片付けを、家内が引き受けた。ぼくも付き添いで行った(けっこうこき使われたが)。三女は、自分がやりたい道を、一歩一歩進んでいくタイプ。小学生のころから福祉の仕事をすると決めて、自閉症の子たちと学ぶ高校へ通い、2年ほど、障がい者施設でアルバイトをして、資格を取りたいということで専門学校へ通い、1年半前に農福連携に積極的に取り組んでいる施設に就職した。だれが何と言おうと、頑固に進んでいく姿はたくましい。しかし、苦手なこともいっぱいある。ひとつが、自分の意思を言葉で上手に伝えられないこと。その分、言葉を発することができない重度の障がい者の話したいことを読み取ることができる。妻の父親が寝たきりになったときも、三女がおじいちゃんの手を取って、おじいちゃんが言いたいことを伝えてくれた。ただ、その技術を使う機会があまりないので、どうしても、無口で何を考えているかわからない子と見られ、本人も、しゃべれないことへのコンプレックスが消えないようだ。もうひとつが、部屋が片付けられない。仕事では利用者さんの部屋をきちんと片付けているようだが、自分の部屋となると、ゴミが散乱してしまう。ぼくも同じように片付けが苦手なタイプなので、偉そうなことは言えないが、これからネコを飼うわけだから、それなりにきれいにしておく必要があるだろう。でも、ぼくは思う。苦手なことにエネルギーを費やすのはもったいない。得意をどんどん伸ばせばいい。得意なことに集中していると、エネルギーは高まっていく。エネルギーが高くなれば、苦手なことにも体が動くようになるものだ。だから、お父さんとお母さんが動ける間はお手伝いするから、と部屋の掃除という分野に関しては甘やかせているわけだ。苦手を克服するには、たくさんのエネルギーがいる。今、ややこしい病気になる人が多いけれども、エネルギー不足が原因で、いろいろなところに不具合が出ているのではないだろうか。中には、苦手を克服しながらエネルギーを蓄えていくようなたくましい人もいるが、大抵の人は、エネルギーを消耗してしまう。十分にエネルギーがあると思っている人は、どんどん苦手にチャレンジすればいい。でも、まだエネルギーが足りないと思えるなら、得意なことでエネルギーを充電してほしい。三女は、部屋の片付けについては、ネコが不自由しない程度にするくらいで目をつむって、仕事でエネルギーを充電してもらいたいと思っている。たまに、三女に会って、彼女がぽつりぽつりと話すことに耳を傾けながら、「こいつもがんばっているな」と嬉しい気持ちになるのも、ぼくにとっては、ありがたいエネルギー補給になる。19日にも、浜松であるイベントで会える。楽しみだ。
2023年08月14日
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映画「最強のふたり」を観た(アマゾンプライム)。事故で首から下が動かなくなった大富豪と、スラム街で生まれ育った破天荒な黒人男。ひょんなことから、黒人男は大富豪の生活介護をすることになる。異質なふたりの組み合わさってドラマが盛り上がる。人は異質なものは嫌がる。だから、同じようなタイプの人間同士が群れたがる。しかし、同質の人間が集まっても、みんな同じことを考えているわけだから、思ってもみなかった展開は起こりにくい。世の中は、金太郎あめのように同じ人間を作りたがっている。学校が典型的で、そのために面白くもなんともない場所になってしまっている。グローバリズムというのも、耳障りはいいが、結局は世界標準で生きろということで、だれかが決めた価値観を押し付けられることになる。これからは違う。個性と個性が化学反応を起こして新しいものを生み出すだいご味こそ、必要とされるのだ。金持ちが上で、貧乏人が下ということもなく、健康が善で病気は悪でもなく、障がい者は何もできない人という見方でもなく、罪を犯したら一生、日の当たる場所に出られないのでもなく、すべてを貴重な経験として受け止め、さまざまな人とコラボレーションする。人を活かし、自分が活きる。笑顔が増える。楽しくなる。幸せになれる。楽しく生きようと思うなら、異質な人と組むといい。
2023年08月03日
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昨年、母が亡くなり、ついこの間、義父が他界した。そんなこともあって、長女の氣子が、「お父さんとお母さん、死んだときどう見送ってほしいの。お墓とかどうするの」と聞いてきた。うちはけっこうややこしい。と言うのは、ぼくは別にどんな葬儀であってもいいし、「好きにやってくれ」というタイプ。お墓に関しては、実家のある鈴鹿にせっかくいい墓を建てたのだから、そこへ入れてもらえばいいと思っている。それに対して妻は、けっこうこだわっている。ひとつは札幌に戻りたい。どこで死のうが、葬儀は札幌でやるということ。お墓も、両親が入っている札幌のお寺に用意している。そこで永代供養をしてもらうと決めている。死後別居になるけれども、生前、十分に仲良くしたから、それもいいだろう。死んだらどうなるのか?突然、世界が変わるわけではないと思う。生きているときの続きにいるはずだ。だけど、何かが違っている。「これは夢なんだろうか?」そう思いつつ、さまよっている。夢を見ているような状態で、自分の葬儀を見ているわけだ。でも、あるときに気づく。「ああ、死んだんだ」だいたい、現世の感覚で言うと、そこまで49日くらいかかるのではないか。そこからが大事。死んだことを受け容れて、さっさと行くべきところへ行かないと。それが難しい。わかっているようでわかっていない人がほとんど。執着がとれない。心配が消えない。肉体がないから、この世でできることなどないのに。あの世へ行けないまま、この世でうろうろする。それではいけないので、法要がある。死んだことをわからせ、意識をあの世に向かわせる儀式だ。引導を渡すというが、僧侶には、現世への未練を断ち切らせる力が必要。今はそんな力のある僧侶はあまりいないだろうな。死後の世界を信じてない僧侶もいっぱいいるわけだから。だらだらとこの世とあの世の間をうろうろしてしまう魂は多いと思う。そうならないようにしないと。ちょっと変だと思ったら、死んだのではないかと思うこと。そして、死んだとわかったら、すぐにあの世へ行く。あの世へ行けば、墓がどこにあろうが関係ない。輪廻転生もあるだろうけれども、前世のことをとやかく言っても仕方ない。生きている「今」をしっかりと生き、死んだあとの「今」もしっかりと生きていく。まあ、残った者には、適当にやってもらえばいい。「よろしくね」で終わりだ。そんな気がするね。だけど、生きているうちから死後のことを話し合っておくのはいいことだと思う。長女と妻と、いい話ができた。
2023年08月02日
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ビッグモーターの不祥事が連日報道されているけれども、テレビでCMをやっているところだから大丈夫と、安心して車を預けた人も多いだろうと思う。テレビの影響は大きい。新聞もそうだ。若い人はテレビや新聞を見ないそうだが、ぼくたちの世代の情報源はテレビや新聞で、その情報は正しいと信じてきた。CMでやっている商品はほしくなったものだ。テレビ局も新聞社も、営利企業。お金になることは「やる」のが基本だ。多くの人が信じるわけだから、貴重な付加価値として、利益のもととなっている。さらに、お金や権力がある組織や人は、テレビや雑誌の信頼性を利用しようとする。自分にとって有利な情報をテレビや新聞を使って流すことで、利益を得ることができる、都合の悪いことをシャットアウトできる。ネットでいろいろな情報が流れるようになって、マスコミ報道のカラクリが少しずつ明らかになっている。ぼくは、素直な大衆の一人として、ステレオタイプの価値観に踊らされてきたけれども、ちょっとは賢くならないといけないと思っている。テレビや新聞の情報には偏りがある。それを踏まえた上でテレビを見たり新聞を読みたい。情報は大事だけれども、自分の感性で取捨選択しないとな。
2023年08月01日
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あの人、嫌い。とか、こんなことしたくない。とか、仕事行きたくないな。そう思っても、頭では、「人を嫌ってはいけない」「したくないことでもがんばらなきゃ」「仕事は行かないと」と、嫌だという気持ちを打ち消そうとする。これが積み重なると病気になる。プラス思考がいっとき流行ったが、頭だけでプラスに考えようとするのはいかがなものか。嫌なものは嫌。そこを認めてあげないと、心の扉が閉まっていく。体と心の分離が起こる。しかし、現実生活の中では嫌なこともやらないといけない。そんなときは、まずは感情をしっかりと認める。こんなことやるの嫌だよね。でもね、今日だけは我慢してくれない。これが終わったら、思いっきりやりたいことやるから。心にそう言い聞かせて、本当に終わったら好きなことをやる。頭で考えていることが本心だと思ってしまうと、心が置き去りにされる。子どもに自分の価値観を押し付ける親のようなものだ。子どもは、ぐれてしまったり、引きこもる。「もう少しお金があったらなあ」心ではそう思っているのに、「いやいや、お金では幸せは買えないんだ。お金にこだわるのはみっともない」頭が否定する。そんな人も多いと思う。ぼくもそうだった。あるドクターがこう言った。「目の前に1億円積まれたら治る病気はいっぱいありますよ」心に正直になれば楽になれる。人を恨んだり憎んだり、悪口や愚痴を言いたくなったり、我欲に走ったり。そんな自分は認めたくないが、でも、だれでもネガティブと言われる要素はもっているもの。それを認めて、出来の悪い自分からスタートする。しかし、そこで止まっていてはいけなくて、一歩一歩成長していけるよう努力することだ。成長は徐々に。一足飛びに聖人になろうとするからおかしくなる。ぼくはたくさんの人に会ってきたけれども、だれもが、いい面もあれば悪い面ももっている。当たり前のことなのに、「この人は完璧だ」と崇拝してしまうからだまされる。そんなわけで、自分の感覚を大切にすることだ。自分に正直になる。今の自分と、なりたい自分は違うから。今を見ること。それから、先に目を向ける。
2023年07月31日
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高浜原発1号機が再稼働した。2号機も9月には動き出すそうだ。その後も、次々と再稼働していく見通しらしい。福島で大事故があって、ずっと止まっていた。それを動かすというのは、「絶対に大丈夫だよ」という保証があってのことでなければいけない。大地震が起ころうが、津波がこようが、ミサイルを撃ち込まれようが、びくともしないような施設を作って、「再稼働です」というならまだしも、築40年を超えた老朽施設を、60年も70年も動かそうというのだから、原発賛成とか反対とか、そんな話じゃなくても、「ちょっとまずいんじゃない」と思うのが普通の感覚じゃないだろうか。原発というのは、どんなことがあっても破損しないように作られていると思っていた。しかし、原発の敷地内には大きな地震はこないという前提のもとに設計され建設されているのだそうだ。とんでもない話。福島原発も、大地震も大津波もこないという前提の施設だから、あんな悲惨なことになってしまった。ほかの原発も同じこと。原発を推進したいなら、前提を見直して、改めてスタートしないと。放射性廃棄物の処理もできない。汚染水だって、海に流すしか方法がないのだから。大量の汚染水を流して、海の環境に影響がないと考える方がおかしい。原発にまつわるさまざまな動きは、現代社会の歪みの象徴だと思う。世の中の動きというのは、何かカラクリがあって、ある一部の層が利益を得るようになっているんだろうな。大衆は、上手に言いくるめられて、手をこまねいている。あるいは、「ちょっとまずいんじゃない」と思わせないように、違うところに目を向けさせられている。さからっても蹴散らされるだけのことと思うけれども、しかし、ずっと一回戦でコールド負けしてきた高校が、全国レベルのチームに勝つことも、高校野球だとあったりする。「同じ高校生ですから」と勝者は胸を張るが、巨大な権力に立ち向かう弱小の民衆だって、「同じ人間ですから」ということで、胸を張れるときがくるさ。ぼくは、正義を信じる。ひたむきに愚直に世のため、人のために生きれば、必ずむくいられる。残念ながら、ぼくは真っ白な正義の男ではないけれども、正義の人をたくさん知っているから、そういう人を応援して、少しずつ宇宙の正義に近づいていきたいと思う。
2023年07月30日
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地球沸騰化だそうだ。札幌で義父のお通夜、告別式があったが、山梨と変わらない暑さにはびっくりした。山梨の我が家は、標高600メートル近いところにある。昼間はほかと同じで猛烈に暑いが、日が沈むと、急激に気温が下がって、窓から涼しい空気が吹き込んでくる。寝苦しかったことはない。扇風機をつけて寝たのも二度かな。(ちなみにエアコンなし)札幌よりもはるかに過ごしやすい夏だ。テレビをつけると、「暑い、暑い」が連呼されている。いくら嘆いても、愚痴っても、涼しくなるわけではないのに、ついつい口から出てしまう。ぼくも、だれかと会うと、「暑いですね」があいさつになっている。この暑さ、どうすればいいの?どうしようもない。地球に異変が起きているのは間違いないだろう。地球の生命力に歪みが生じ、それを修正しようとする力が働いているのかもしれない。そして、歪みのかなりの部分で、人間の行動や意識が影響していると思う。長い年月の積み重ね。今さら、何をやっても焼け石に水の感もある。ハチドリの一滴という話があるが、ハチドリがいくらがんばっても、わずかな水で山火事を消すことはできない。残念ながら大きな流れには逆らえない。でも、小さな知恵を出して、いかに流れが急流であろうと、幸せに暮らしたいものだ。焼け石に水とわかっていても、それでも、一滴の水を運ぶハチドリであることを、誇りに思えるような人間でいたい。地球がどんどん暑くなって、40度が当たり前になったとして、そこにストップはかけられないが、大変な状況の中で生きていく知恵は出せるはずだ。そのやり方に、人間の品格が出てくるのではないか。もっと強烈なエアコンを開発するのか、避暑地を探して動き回るのか、断熱された家に住むのか、地球を飛び出して太陽から離れるのか、ワクチンを打って暑さを感じる遺伝子を動かなくするのか、だれかが解決策を見つけてくれるのをじっと待つのか、神様に祈るのか。ひたすら耐えるのか。・・・・どんな選択をするのか、人間性がはっきりとしてくるはずだ。暑さだけではない。さまざまな危機が到来するだろう。どんなときも、かっこよくいれたら最高だな。
2023年07月29日
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義父は約2ヶ月、塩山市民病院に入院した。発作を起こして病院へ運ばれたとき、血圧は低下し、心拍数も落ちていた。もうあのときに亡くなっていても不思議ではなかった。しかし、院長先生をはじめとするスタッフが、ていねいに治療をしてくださって、ピンチを切り抜けた。ぼくは、あのときに旅立っても良かったと思っていた。しかし、今考えると、この2ヶ月というのは、義父にとっても、家族にとってもとても大切な時間だった。義父は、最後の締めくくりのため、がんばって生きていてくれた。そのことは、ベッドに横たわっている姿から伝わってきた。院長先生は、微妙な薬の調整をしながら、義父の思いを遂げさせてくれた。実際、一週間前には、札幌の義妹夫婦もお見舞いに来ることができた。妻と長女は、毎週、お見舞いに行って、一方的ではあったが、いろいろとお話をしてきた。義父の様子は、LINEや電話で、札幌や仙台の親戚や鈴鹿、豊田にいる孫にも伝えることができた。十分に心の準備をさせてくれて、「これでオーケー」となって、静かに旅立っていった。それも、病院から電話があって、弘美が駆けつけ、病室へ入って間もなくのことだ。見事なタイミングだった。過度な延命は不要だと思うが、旅立とうとしている本人が、もう行くよと言っているのか、もう少しがんばるかと思っているのか、家族は感じ取ってあげないといけないと思う。感じ取ろうという気持ちがあれば、何となくだろうが、伝わってくるはずだ。意識がなくても意思はある。それを大切にする看取りが必要だと、義父のラストシーンを見ていて思った次第だ。
2023年07月26日
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母親の一周忌で鈴鹿へ帰っている。4月からは次女夫婦が鈴鹿で暮らしている。4匹のワンちゃんと2匹のネコちゃん。大歓迎してくれる。パソコンを打っていると、だれかがひざに乗ってくる。何とも言えないホカホカ気分だ。母が倒れたとき、実家は空き家になると覚悟した。たまに帰って、窓を開けたり、庭の草をとるくらいのことはやらないとというくらいのかかわりになりそうだった。ところが、次女が結婚して、実家に住むと言い出して、局面は一気に変わった。若夫婦は、2人とも実践的で、土建の仕事ができる。事業をするセンスもある。だから、「仕事をどうしよう」という心配はほとんどなく、「これから立ち上げていく」と、やる気がみなぎっている。近所の人たちからもかわいがられているみたいだ。3ヵ月たって、実家はにぎやかになった。豊田にいる三女も、車で一時間半ほどの距離だから、たびたび行っている。次女夫婦が留守にするときは、山梨の長女がワンちゃんたちの世話にかけつける。一周忌でも、3人の娘がそろった。ご先祖様も喜んでいることだろうと思う。本当にいい流れになってうれしい限りだ。
2023年07月23日
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九州、山陰、北陸、東北と雨の被害が続いている。ほかの地域では猛烈は暑さ。我が家は幸いにも雨もあまり降らないし、昼間は暑いが、日が沈むと涼しくなる。古い農家を借りているのだが、エアコンがない。扇風機で過ごせる暑さだから、東京での暮らしに比べれば快適だ。どこに住むかというのも、自分で選んでいるようで、住まわされている部分もあるのではないか。ぼくの知り合いは、神戸、新潟、福島と、大きな地震をすべて体験している。たまたま引っ越した先で大地震に見舞われるのだ。どうして、自分ばっかりと愚痴りたくなると思う。でも、彼は災害からいろいろなことを学び、人生を有意義に転換させていく。大した能力だと思う。悪いことばかりが起こると嘆いている人がいる。確かにつらい出来事が次々と襲ってくるのだが、泣いてもわめいてもどうしようもない。受け止めるしかない。受け止め方で、次が違ってくる。「悪いことばかり」と言うけれども、冷静に見れば、いいこともあるはず。悪いことばかりに目が向いて、いいことが見えなくなってしまっている。ちょっとだけあるいいことを見るようにすると、ちょっとがときどきになり、ときどきがちょくちょくになる。いいことに目が向くようになると、いいことがきちんと起こってくるものだ。テレビで見ていると、あの水害は大変だ。嘆きたくなるのはよくわかるが、必ずいいことがあると信じて、立ち直っていただきたいと願っている。それにしても、どうしてこんなにも大きな災害が多くなってのだろう。災害を前提にしないといけないのかもしれない。
2023年07月16日
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昨日は妹の命日だった。2019年。突然のことだった。59歳。この年は、10月には弟も亡くなった。49歳。2018年には父が亡くなった。父は88歳まで生きたから、静かに見送れたが、妹と弟のときにはまさに茫然自失だった。老いた母がいたので、ぼくは踏ん張らないといけない立場ではあったが、自分のことで精いっぱいだった。18歳のときに家を出て、名古屋、富山、東京などでずっと過ごしてきた。実家は弟に任せるつもりだった。頼りになる妹もいたので、ぼくは東京で気ままに暮らすことができた。突然降りかかってきた重圧。あのとき、家族がいなかったら、ぼくは確実に潰れていた。4年がたって、状況は大きく変わった。母も亡くなり、ぼくが子どものころに過ごした家族はいなくなった。空き家になった実家や、先祖代々の田畑、山林はどうしようかと頭を痛めていた。すると、次女が結婚した。夫とも相談して、鈴鹿の実家に住むと決めてくれた。2人とも自分たちで道を切り拓いていく力強さがある。あいつらなら何かやってくれるという期待がもてた。ありがたいことだ。4月の終わりに住み始めて、食とエネルギーの自給自足を目指そうと、2人でがんばっている。ぼくも、一緒になってやることがとても楽しくて、月に一度は帰っている。人生山あり谷あり。谷底にいても、心を閉ざさず、前を向いて、一歩でも半歩でも1センチでも前へ進めれば、必ず山に向かう風が吹く。ぼくはそう信じている。
2023年07月15日
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若い芸能人が自ら命を断った。コメンテーターとして、ワイドショーで発言しているのを見たことがある。誹謗中傷なのか、差別なのか、行き詰まり感なのか、理由はわからないが、切ない話だ。急性的なものか、慢性的なものか、どちらにしろ、よほどの絶望感ががないと命は絶たない。「命を大切に」という掛け声だけで解決できるものではない。何とかしないといけない。どうしたらいいのか。日本人の精神性の根底には「武士道」があって、腹を切って死ぬのは責任を取る手段であり、潔い死とされてきた。自分の名誉を守るための逃げ場所でもあった。死によって、リセットされる文化がある。太平洋戦争でも、捕虜になるよりも死を選んだ人たちがたくさんいた。そんなことも影響しているのかもしれない。何のために生きるのか?命を大切にするとはどういうことなのか?死とは何か?いくら考えても正解は見つからない。人によって違う答えが導き出されるものだと思う。それでも、自分なりに「生きる意味」「命とは何か」「死とは」を考える必要があるのではないか。ご冥福をお祈りしたい。
2023年07月13日
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ライター業も40年になった。ライターになったころ、1冊でいいから自分の名前で本が出すのが夢だった。夢はおつりがくるほど叶って、20数冊の著書を出すことができた。うち2冊は10万部を超えるベストセラーになった。講演に呼ばれたり、インタビューを受けたり、「先生」と呼ばれたり、収入もあったし、有頂天の30代だった。40代になって、ぼくのバブル期は終わり、子どもも生まれ、低空飛行の中で、細々と文章を書きながら暮らしてきた。冷静に考えると、先細りしていく50代60代が見えていたはずだ。サラリーマンじゃないから、何の保証もない。妻から「あなたは能天気でいいわね」とよく言われるが、普通の感覚だったら、ライターのまま50代60代にはなれなかっただろう。60代半ばで東京を離れ山梨へ移住した。何のビジョンもなく動いたのだが、重大な転機だった。思わぬ展開が次々と起こる。昔、師匠から言われた。「実践のできるライターになれ」と。意味がわからなかったが、今になって「こういうことか」と合点がいくことが出てきた。取材して書いているだけではわからないことがいっぱいある。奇跡のりんごの木村さんの話にしても、頭ではわかっていても、どんなに大変だったかはわかりようがない。しかし、自分で桃やすももの自然栽培をしてみると、ほんの断片でしかないが、あの苦労はこういう意味だったのか、と腹に落ちることがある。「実践するライター」いいキャッチフレーズではないか。浮き沈みはあったけれども、いい人生を歩んでいる。ライターとしても、いい本を書きたいという欲を捨てず、コツコツと原稿を書きたいと思う。
2023年07月08日
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いい話をいっぱい聞いた。ある女性のがん患者さん。胃がんが見つかり、主治医からは「あと5ヶ月」と冷たく言われた。20年以上前の話。インフォームドコンセントとかセカンドオピニオンもない。横柄な医者も多かったと思う。治療の話もなく、いきなりの余命告知。腹も立ったことだろう。しかし、言われた通りの治療を受けるしかない。「取り合えず手術をしましょう」だいたい、「取り合えず」の治療は効かない。気休めの手術だった。手術日。手術室のベッドに横になる彼女。そこへ執刀医である主治医がやってくる。彼女は主治医の姿を見るや、ベッドに正座をした。そして、深々と頭を下げた。「お願いします」主治医はどう思っただろうか。5ヶ月の命だと宣告した。彼女から治る希望を奪い、それで医者としての責任を果たした気になっている。「これだけやったのだからいいだろう」と、自分にも患者にも納得させるためのアリバイ手術。そんな茶番が始まる直前の患者さんの正座だ。小さな金の針が胸に届いたかどうか。手術が終わった。彼女は、自らもぎりぎりの状況の中、がん患者さんの集まりを企画した。20年後、彼女は後輩に主宰者の立場を譲って、会のリーダーをリタイアしたそうだ。どんな治療をしたのかわからないが、あの崖っぷちに立たされたとき、自分の5ヶ月の命を、少しでも人の役に立つように使いたいと思ったのだろう。ぼくは、なぜ末期のがんが治るのか。とても興味がある。何とか療法で治るわけではない。もっと深いところに答えがあるはずだ。彼女の正座と治癒と関係があるのか?東日本大震災がきっかけで、もう余命いくばくしかない状態からよみがえった女性がいる。その方の話を聞きに気仙沼へ行く。仕事で動いているわけではない。命の深淵さが、こうした人たちの体験の中にあるのではと思えて仕方ないからだ。ぼくたちは、何か大事なところにカギをかえて生きているのではないか。あかずの扉があって、その中には無限の可能性がある。潜在意識とかアカシックレコードとか、スピリチュアルな世界でよく言われている言葉にしてしまうと、そういうことなのだろうけれども、ぼくには近づきにくいものがある。人間として生きていく上で、ちょっとした何かで、人は大きく解き放たれる。その欠片でも知りたいと思う。これまでたくさんのがんを患った人や医師から話を聞いてきたけれども、この2人の女性はちょっと違うぞと、ぼくの直観がささやく。まずは、気仙沼だ。何を感じるか。楽しみだ。
2023年07月07日
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堤未果さんの「ルポ 食が壊れる」を読んでいる。知らないところでとんでもないことが起こっている。怖いよね。ぼくは、このままだと農業が崩壊して、食糧危機がくると思っていた。しかし、農業がダメになっても、食べ物は潤沢に作られ、今まで通りにおいしく感じるものをたらふく食べられる時代が続く。遺伝子工学というテクノロジーが、農業をしなくても、食を供給できるようになりつつあるのだ。大資本家は、そのための準備を着々と進めている。彼らは農業がなくても食を提供できる術を手に入れ、いよいよ、そこに投資したお金を回収する段階になっている。彼らとしては、農業がダメになった方がいい。従来の食の供給パターンを壊して、新しいルートを示せば、人はそこに群がってくるのは目に見えている。ぼくは世間知らずだから、世の中にこんなカラクリがあるとは思ってもみなかった。農業に従事する人がいなくなっても、魚を獲る人がいなくなっても、牛がいなくなっても、ニワトリが消えても、何も困らない。米も小麦も野菜も果物も、工場で生産すればいいのだから。牛肉も細胞を培養すればいくらでも作れる。魚だって鶏卵だって同じだ。彼らはちょちょいのちょいでやってのける。この流れは止まらないぞ。だって、膨大なお金が動くから。でも、無茶苦茶歪んだ流れだと思う。もし神様がいたとしたら、自分の領分まで土足で踏み込まれているようなものだから、「ちょっと待てよ」と思うんじゃないか。せっかく、命をいただくことの尊さを教えようとしているのに台無しじゃないか。この流れを止めるのは神様の役割だな。ただ、一人でも多くが、「変だぞ」と思わないと。神様を動かすには、ぼくたちの思いが大事。そして知ったからには行動すること。ぼくは、自分たちが食べるものは自分で作るよ。堤さんが言っているように、微生物の力を借りて。氣の力も借りている。それがぼくの行動。神様へのアピール。すべて自給とはいかないから、同じ思いの人たちとつながって、足りないものは分けてもらう。昔ながらの食べ物で暮らしたいよ。
2023年07月03日
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実家には先祖代々の土地がたくさんある。築30年くらいの平屋の家。宅地は400坪ほど。ほかは、田んぼ、畑、山林。田舎だから、お金にすれば大したことはないが、何かの縁があって、ご先祖様の衣食住を支えてきた土地たち。ぼくは長男としてこの家に生まれ、父親から「ご先祖様を大切にしろ」と口酸っぱく言われ、家と土地を守らなければならないというプレッシャーを感じてきた。土地は所有するだけでなく、有効に活用すべきだと思ってきた。それも、土地が喜ぶような使い方をしてあげたい。そんな理想はいつも頭の中にあったが、具体的な方法がまるで浮かばず、時間ばかりが過ぎていった。実家は空き家となり、田畑も荒れ放題。もう完全にお手上げだった。そんなときに次女が結婚して、「お父さんの実家に住むよ」と言い出した。結婚相手も賛同してくれているらしい。2人とも愛すべき冒険家だ。ぼくは、こいつらなら大丈夫だと思った。次女も次女のパートナーも、生命力が旺盛、自立心も強くて、自分たちで事業をやっていきたいという意欲がある。意欲だけではない。まだ若いけれども、次女はキッチンカーで、相手は土建の世界で、自分の力で稼いできた実績がある。自らの才能を生かせる、ぼくの大好きなタイプなのだ。彼らに託したのが土地の有効活用。ソーラーシェアリングを提案したら、2人とも大賛成してくれた。3メートルほどの支柱を立てて、その上にソーラーパネルを置き、上では発電、下では農業をする。実家のすぐ横に、200坪ほどの更地がある。そこにソーラーシェアリングを建て、宅地なので、下は駐車場にして、発電した電気は自宅で使う予定。ヤギも飼えそうだ。6月29日には業者の人に来てもらって、打ち合わせができた。小田原かなごてファームの小山田さんも、わざわざ来てくださった。食とエネルギーの自給生活の第一歩。少し離れたところには、第二号機を作りたい。そこでは、キッチンカーで青空カフェとドッグラン。新しいライフスタイルのモデルを作り、食のこと、エネルギーのことなど、発信していく。同じような自給生活をしたい人には、アドバイスもするし、ソーラーシェアリングの施工も引き受けることができる。ご先祖様が残してくれた土地の有効活用の道が見えてきた。ぼくがやりたかったこと、ぼくがやらなければならないことは、これだったんだとわかった。ぼく一人ではできないこと。手助けしてくれる人も集まってきた。まだスタートラインだが、10月には一号機ができるので、そこからさまざまな展開が起こってくる予感がする。
2023年07月01日
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ヤギーずが下痢をして、一番重症だったのがあかりという女の子だった。発症は一日遅かったのだが、ほかのヤギは一日で回復したのに、あかりは三日くらいかかった。食事もせずにじっと横になっているので心配だった。ときどき、口元に草をもっていってあげる。少しは口にするが、食欲がない。元気のないあかりを見ながら思ったことがある。「病気のときって優しくされるな」ということ。ヤギ同志では、同情なんてない。あかりの口元へ草をもっていくと、一番体の大きな元氣がやってきて、さっと横取りしていく。あかりの娘のさわりだって容赦ない。弱っているあかりに頭突きをくらわし、食べ物を奪っていく。ヤギにとっては、自分の欲望を満たすのが一番。病気の人をいたわるというのは人間のいいところ。それも、子どもが熱を出していたら寝食を忘れて看病する。しかし、その弊害もあるのではないか。「病気になれば優しくしてもらえる」ことを学習してしまう。学習というのは、潜在意識に行動を植え付けること。言い方はきつくなるが、自分に都合の悪いことを、体調が良くないことで正当化するようになってしまう。娘が不登校だったとき、朝、必ずお腹が痛いと言い出した。学校を休んで昼ごろに起きてきて、パソコンの前に座ってゲームに興じていた。お腹が痛いなど、どこかへ吹っ飛んでいるのだ。最初は仮病だと思った。しかし、そうじゃないようだ。痛いのは間違いない。起きられないほど痛むのだ。では、その痛みはどこからきているのか。学校へ行きたくないという思いが潜在意識に働き、それならお腹を痛くしてあげよう、優しくしてもらえるよという、幼いころからの学習が機能したのではないか。病気はつらく苦しいもの。これは間違いない。できれば病気になりたくないと思うのも当然。しかし、それだけではない部分も病気にはあるということ。そこにも意識を向けないと、病気は解決しないと思う。「熱が出たので、原稿、もう一日待ってください」よく使った言い訳だ。「大変ですね。お大事にしてくださいね」優しい言葉をかけてもらって、ほっとする気持ち9割、罪悪感1割。でも、病気を言い訳に使っていると、いつしか、困ったことがあると病気に逃げるという癖がついて、取り返しのつかないことになってしまうような気がする。あかりは、元気になっても、自分からエサを食べに行こうとせずに、何だか甘えた顔をしてエサをねだる。そんなことをしていると生存競争に勝てないぞ。でも、ついつい、口元までエサをもっていってあげてしまう。だって人間だもの。病気とは上手に付き合いたいものだ。
2023年06月23日
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子どものころから人と同じことをやりたくない部分があった。みんなが塾へ通い出しても、ぼくは行かなかった。みんなが使っている人気の参考書は使わなかった。それでも、主流派から道を外したくない。ところが、大学へ入って、まるで授業がわからず、生まれて初めての劣等生を体験した。ぼくがバカだったというだけの問題ではなく、まったく自分に向いていない進路を選んでしまったことが、大きな障害になった。ずっと優等生とかエリートにあこがれていたけれども、そこから、社会を斜めに見始めるようになった。大きな会社へ就職した。大学での劣等生の汚名を挽回し、バリバリ仕事をして出世するつもりだった。ところが、仕事はまったく面白くない。2年ほど働いて退職した。アルバイト生活のあと再就職した。小さな会社だった。ここで企業社会の絶対的ピラミッド構造を痛感する。弱小の会社は大企業にとっては虫けらのようなもの。理不尽なことがまかり通っていた。会社の大きさ、立場が人の価値を作る。人間性など関係ない。注文をもらいに行く毎日が苦痛だった。あのままあの会社にいたら、ぼくは間違いなく病気になっていた。40年たった今でも、T社の購買部の担当者の苦虫をかみつぶしたような顔は忘れない。ぼくの中の「アンチ」精神は、あのときの3年間で養われた。縁があって東京へ出て、フリーライターになる。ぼくにはフリーという立場が合っていた。東京も刺激的だった。人の縁にも恵まれた。氣の世界を知り、進むべき道が決まっていく。癒し、代替療法、自然栽培、自然エネルギーと、科学の力で自然を支配しようとする社会に抵抗する分野に興味をもち、今のぼくの活動の基礎となっている。それでも、迎合や忖度の連続だった。さまざまな葛藤を抱えながら、やっと自分のやりたいことが見えてきた。その方向に動けるようになってきた。ある人から聞かれた。「死ぬのって怖いですか?」怖いし不安もある。それ以上に、まだこの肉体をもってやりたいことがあるので死にたくない。やっとちょっとへそ曲がりな自分が、自分として機能し始めたのだから。↓人との縁にも恵まれた(帯津先生と)
2023年06月22日
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ムカデにかまれる前だったか後だったか、長女だったか次女だったか、こんな話をした。「蚊がいなくなったらどうなるんだろうね」我が家の隣は竹藪。この時期、蚊がやってくる。けっこう強烈な蚊で、かゆみが2~3日残る。あいつらがいなければ、と刺されるたびに思う。だけど、すべての生き物には役割があるとも言う。刺されるとかゆいし、病気を媒介することもあるし、デメリットばかりしか浮かばない蚊だが、ぼくたちにとって何かメリットはあるのだろうか。ひらめいた。あいつらは天然のワクチンだ。少量の毒を打ち込んでくれる。たまにはウイルスも運んでくれるだろう。ぼくたちの免疫力が反応して、蚊に刺されるたびに外敵を記憶する。病気になりにくい体を作ってくれているのだ。蚊にも刺されないような環境で暮らしている人は、免疫力が鍛えられない。面白い考え方だ。ダニだってそうだ。ワクチン。ただ、ワクチンだって打ちすぎると体に害がある。蚊にもダニにも適度に刺されることが大切だ。スズメバチなんかは、強烈すぎてダメージが大きい。ムカデは、かまれたばかりの体験から言うと、一生に一度くらいならいいのかも。蚊に刺されて、「ちくしょう! かゆい、かゆい」と言っているくらいがちょうどいい。たまには蚊に刺された方が健康でいられるかもよ。
2023年06月20日
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昨日は盛り上がった話を書いたが、今日はテンションが下がった話。まずヤギーずの体調不良。昨日の朝、小屋に入ったら、べちょっとした柔らかい便があちこちに落ちていた。ヤギの糞はコロコロした粒状が正常。ヤギの体調の悪さは、最初に便にくる。固まった糞、柔らかめの糞はあったが、ここまで柔らかいのは初めてだ。体もだるそうだ。獣医さんに電話をして往診してもらった。注射と薬でとりあえず様子を見るということに。便を検査してもらったところ、コクシジウムという寄生虫がいたらしい。水便や血便が出ると、脱水症状を起こして、重篤化する危険性があるが、うちの子たちはまだ大丈夫とのこと。もうひとつのテンションダウンは、すももと桃。すももは去年もそうだったが、灰星病が広がっている。どれくらい耐えてくれるか。去年は半分は落ちた。桃はアブラムシと、よくわからないが、病気にかかっているのか、葉っぱのどころどころが茶色くなっている。果実は順調に育っているけれども、ほかの畑のと比べると、木全体が明らかに元気がない。すももも桃も、うまく実るのか心配だ。無農薬に近い低農薬でやっている。すぐにうまくいくはずがないとわかっていても、気持ちは沈む。耐えておくれ。そんなわけで、いいことばかりの毎日ではない。いろいろあって、それが彩りとなる。と、言い聞かせながら、すももと桃の木に「ありがとう」と声をかけてきた。ヤギーずは、おかげさまで昨日と比べると元気になっている。
2023年06月17日
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14日15日は、大い盛り上がった。イケイケの気分になった。奇跡的な流れだと思う。ぼくには夢がある。新しいライフスタイルを実現すること。食とエネルギー、医療、教育、福祉を自給できるような場を作る。食は、自然栽培をもっと学ばないといけない。米と野菜があればいい。農薬や化学肥料を使う農業では、農薬・肥料が手に入らなくなればお手上げだ。種もしっかりととらないと。土地と人力さえあればできる農業が大事だ。教えてくれる人はたくさんいるので、本気になって取り組もうと思う。基本は家族が食べられるだけ。余裕があれば、仲間たちにシェアする。エネルギーもないと困る。電気を作ろうと思う。ソーラーシェアリングというシステムに惚れている。その話が一気に進んだ。小田原にかなごてファームという、ぼくのやりたかったことを10年も前からやっている場所がある。そこの代表の小山田さんとあるパーディで出会って、この間、施設の見学をさせてもらって、14日はたまたま鈴鹿へ来る用があるというので、一緒に飲んで、翌日は、うちの土地も見てもらった。ぼく一人では話にならないので、娘夫婦にも協力してもらっている。娘婿は、土木現場を知り尽くしている男なので、話が早い。具体的な話がどんどん進んでいく。電気の自給は十分に可能だ。志をもってソーラーシェアリングをすすめている人たちにお会いして、いろいろ教えてもらって、婿には自然エネルギーもプロフェショナルになってもらおうと思う。水も必要だ。実家には深い井戸があるが、長く使ってないので枯れてしまっていた。ところがところが。昨日、婿がコンクリートのふたをとってのぞいてみたら、水があるではないか。雨がたくさん降ったのでたまったのか、復活したのか。そこは定かではないが、もし復活していて、水質検査で問題がなければ、水もクリアできる。医療以下はおいおい考えるとして(食とエネルギーをやっていれば、自然に広がっていく)、食とエネルギーと水があれば、災害で村が孤立しても、村人は何とか生き延びられる。そういう拠点を作るのが、ぼくの夢の出発点。これからどう展開していくか、ワクワクしている。こんなワクワク、久しぶり、いやいや初めてかもしれない。
2023年06月16日
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矢吹正道、力石政法という兄弟ボクサーがいる。三重県鈴鹿市出身だ。漫画「明日のジョー」から矢吹、力石というリングネームにした。兄・矢吹は2021年に無敗の寺地拳四郎に勝って世界チャンピオンになった。リベンジマッチで敗れたが、再度、世界の頂点に向けて突っ走っている(アキレス腱断裂という大けがをしたそうだ)。弟・力石は、アジアのチャンピオンで、昨日の世界前哨戦を完勝した。来年は世界を狙う。鈴鹿市生まれのぼくとしては、地元の若者ががんばっているのはうれしい限りだ。彼らの生い立ちを見ると、家庭に恵まれず、少年時代は暴力や暴走に明け暮れたようだ。何度も警察のやっかいになっている。ボクシングという道を選び、そこで努力精進したことで、彼らはヒーローになった。パワーがないとやんちゃはできない。エネルギーが有り余っている。そのエネルギーをどう使うかが問題で、使い道が見つからないと、腕力を使ってお金や権力を得ようとしがちだ。何をするか、方向性が定まったら、彼らは大きな仕事を成し遂げる可能性を秘めている。人を痛めつけるのと同じパワーで、人の役に立つこともできるのだ。生半可な優等生よりも、はるかにいい仕事をしてくれることがある。どういう人と出会って、どういう影響を受けるかで、人生が白になったり黒になったりする。世の中、エリートやお金持ちだけの理屈で進んでいくと、どんどん世知辛くなる。落ちこぼれと呼ばれるような人たちに、もっと光が当たっていかないと。光ばかり、白ばかりでは世知辛い。影や黒がいい具合に混ざり合ってこそ、ほっとできる。罪を犯した人間に、「ダメな奴」という烙印を押さずに、彼らのエネルギーを上手に使えるような仕組みがあるといい。上手に生かせば、矢吹、力石兄弟みたいに輝ける。引きこもっている人も、病弱な人も、精神的に病んでいる人も、障がいのある人も、お年寄りも、その人なりに、自分を活かす道があるはずだ。砂漠のような畑ではなく、適度に雑草の生えた畑を目指した方がいいのではないか。
2023年06月11日
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妻と長女と、何がきっかけだったか、原発事故について話す機会があった。ぼくが、「2011年の福島第一原発事故の何年も前に、原発事故の映画を見たことがある」と話したら、2人とも見てみたいと言う。ネットで調べて、『みえない雲』というタイトルで、2006年から7年にかけて上映された映画だとわかった。DVDが販売されていたので注文した。昨日の夜、3人で見た。ドイツの小さな村。近くにある原発が事故を起こす。近隣の人たちはパニックになって逃げまどう。主人公の女子高生も、家族を亡くし、自らも被ばくする。あの映画を見た4年後に福島で原発事故があった。ぼくの頭に、映画のことがよみがえった。東京にも放射能の雲がやってきて、人々の頭上から黒い雨が降り注ぐ。被ばくしてたくさんの人が病気になったり、亡くなったりする。パニックになって逃げまどう人々。長女が主人公の女の子に近い年齢。次女が中学生で、三女が小学生。ぼくの実家のある三重県か、妻の実家のある札幌に避難するか。そんなことも考えたけれども、世間は、被災地の人たちや一部の問題意識の高い人を除いて、それほど深刻にはとらえておらず、そのうち何とかなるさという雰囲気が広がっていたような気がする。結局、東京にとどまった。やがては恐怖も忘れて、何もなかったかのように日常を取り戻した。ぼくたちは、ぎりぎりのところで救われていることを知らないといけない。世界を震撼させた原発事故。スリーマイル島、チェルノブイリ、福島と、事故の規模が大きくなってきている。今度は・・・。となると、「何とかなるさ」ではすまないかもしれない。原発ばかりではない。核戦争もあれば大災害もある。感染症の恐怖は世界中が体験したばかりだ。ぼくたちは崖っぷちに立たされている。一人ひとりがどう生きるかが問われているのだ。
2023年06月10日
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基本的にぼくは、すべてのことは何とかなると思っている。しかし、何とかなるで終わってしまってはいけないのではないか、という気持ちが日に日に大きくなってきた。何とかなるという思いの根底に、何とかしたい、何とかしよう、という気持ちと行動がないと、結果的に何とかなっても、何も学ぶことができない。親鸞は、「南無阿弥陀仏」と唱えさえすればだれでも救われると説いた。ぼくとしては、そこにプラスアルファがほしい。祈りにはエネルギーがあるけれども、一心不乱にお経を唱えるくらいのことをしないと変化が起こるだけのエネルギーにはならない。江戸時代の名僧である白隠禅師は、「延命十句観音経」という短いお経を広めた。これを1000回唱えると、たいていの願いは叶ってしまうそうだ。1回唱えるのに約15秒。1000回で15000秒。4時間と少しかかる。でも、1000回というのは数え切れないほどたくさんという意味で、願いが叶うまで唱え続けなさいということだと思う。念仏にしても延命十句観音経にしても、救われるには、倒れるまで唱え続ける覚悟が必要なのだ。ただ唱え続けるだけでなく、そこにプラスアルファがあると、倒れるまで唱えなくても願いが叶う。お経を唱えていると、ふっとひらめくことがある。唱えてる最中とは限らない。食事中、仕事中、寝ているとき、お風呂の中、遊んでいるとき。何と言うか、居ても立ってもいられない感覚と言えばいいか。単なる思い付きとは違う、意味ありげなひらめき。これをキャッチするのが重要で、キャッチしたら、すぐに動いてみる。何かが起こってくる。祈りと行動のコラボだな。祈りだけでもダメだし、闇雲に動いても良くない。祈りが何か大きな力に通じて、大事なメッセージが届く。ひょっとしたら、居ても立ってもいられないというのは、ぼくだけの感覚で、人によって違うのかもしれない。とにかく、自分ならではの「これだ」を見つけ出すことだ。お経でも瞑想でもいいから、まずは祈ること。できたら、何から救われたいのか、どうなりたいのかを、イメージできるといい。高尚なことを祈る必要はない。お金がなくて困っているので宝くじが当たるといいというので十分。とにかく、天に思いを投げかける。投げかけないと答えは返ってこない。宝くじが当たるという願いは叶わなくても、正直な気持ちを伝えることで、そのときのその人にとって、もっともいい加減の答えが返ってくるわけだ。そして、答えが返ってきたら、「そんなことやってどうなるの」「うまく行くはずないじゃん」と思わず、とにかく動いてみる。何が起こるか楽しみにしていればいい。何も起こらなければ、何も起こらないのが良かったのだと思い、また祈り、行動を淡々と続ける。いつしか、困りごとは何とかなり、動いたことで自分の学びになり、少しだけ成長できる。そんな繰り返しかな。今、ぼくが思っていること。
2023年06月06日
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土日はNetflixでドラマ「The Days」を見ていた。2011年の福島第一原発事故の話だ。改めて思った。あのとき、日本は終わっていたのだと。大地震、大津波、原発の大事故あり得ないことの三連発だった。ぼくは東京にいた。テレビにかじりついていた。映画かドラマの世界だった。でも、まぎれもなく現実の出来事であって、その渦中で、命を失い、家族や家を失い、途方に暮れていた人がたくさんいたのだ。12年前の話だ。原発事故。1号機、3号機、4号機が相次いで爆発した。放射能がまき散らされた。あのとき、原発内部は戦場のように、命をかけて戦っていた人たちがいた。彼らの働きもあったが、さまざまな偶然(奇跡)が重なって、暴走が止まった。もし、あのまま暴走が続いたら、間違いなく、関東・東北は人の住めない場所になっていた。日本は崩壊していた。原発で事故があればどうなるかが明らかになった。だれにでもわかる形で、危険性が示されたのだ。にもかかわらず、ぼくは信じられないでいるが、原発再稼働とが既定路線になり、この間は、原発稼働年数を延長する法律が可決された。あんな体験をしながら、日本人は再び大惨事を引き起こすリスクを選択したわけだ。ぼくたちは、国家という大きな船に乗せられている。行先も教えられていない。日々のパーティやショーに踊らされて、これが幸せなんだと勘違いさせられている。奈落の底へ連れて行かれるかもしれないのに。どうすればいいのか。とりあえず、船の行先を変えるような大きなことを望まず、できる範囲で動こうと思う。今考えているのは、家族と一緒に、食とエネルギーを少しでも自給できるシステムを、我が家という小さなレベルで実現すること。食のこと、エネルギーのこと、真剣に考えないとな。ささやかな抵抗。アリの一穴、はちどりのひとしずくにもならない、自己満足で終わるかもしれないが、それでもいいや。
2023年06月05日
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宇宙は階層の螺旋構造になっているという話(こちら)。人間という階層にできるがんという病気は、臓器というひとつ下の階層を対象とする西洋医学では対処し切れない。肉体だけを何とかしようという発想では限界がある。帯津良一先生の理論だ。人間という階層にできた病気には、少なくとも人間という階層を対象とする治療法が必要で、それが、心も命も含めた人間まるごとを見るホリスティック医学ということになる。その理屈から言えば、もっと高い階層に意識をもっていけば、病気の治癒はさらに可能性が高まる。人間よりも上の、地球という階層から病気を見るとどうなるか。宇宙という階層からだとどう見えるのか。一時、がんの食事療法として「玄米菜食(マクロビオティック)」が一大ブームとなった。たくさんの奇跡的な治癒も起こった。これを世界に広げた桜沢如一氏は、「食」を単に栄養の摂取という人間レベルの階層ではなく、宇宙の法則として説いた。地球や宇宙という階層からの視点で、生き物の基本的な生命活動である食事を語ったのだ。食事は生命を維持する手段でも、病気を治すためのものでもない。食を通して命や宇宙のことを知ることだと考えたのだ。だからこそ、玄米菜食によってがんが治るという現象が起きたのではないか。食事療法で有名なのが甲田光雄先生。何度も取材にうかがったことがある。玄米の粉を食べたり青汁や柿の葉茶を飲むという極端な少食療法が話題になったが、あるとき、甲田先生がこんなことを話してくれたことがある。「私が少食をすすめるのは、病気を治すためだけではない。慈悲の心の大切さを知ってもらいたいからだ。つまり、食というのは、何かの命をいただくことだ。殺生するということ。だから、少食にして少しでも命を奪わないようにする。命に対する感謝の気持ちをもてるようにする。そんな意味だと思う。これも、地球や宇宙という階層の視点からの食だろう。だから、劇的な治癒が起こった。佐藤初女先生もそうだった。彼女の結んだおむすびを食べることで難病から回復した人がたくさんいた。彼女は言った。「食は命の移し替え」食は、ほかの生命体の命をいただくこと。だから、調理を大切にした。じゃがいもの皮をむくのも、ほうれん草をゆでるのも、お米を炊くのも、野菜たちの命に思いを寄せた。〇〇を食べるとがんが治るということではなく、がんの意味を、地球や宇宙という階層から見るセンスが重要なのだ。病気だけではない。あらゆる悩みや苦しみは、人間レベルで見ていたら解決ができないことかもしれない。しかし、少しだけつま先立ちして、高い階層から見てみる。今の自分の状況、地球から見たらどうだろう?そう考えてみるといいのではないか。
2023年06月04日
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表面上、ぼくたち日本人はとても平和に暮らしている。おいしいものを食べるのが喜びで、休みには家族で旅行に出かけたり、テレビをつければ、笑わせればいいという番組ばかりで、スポーツに一喜一憂して、不都合なことがあると世の中のせいにして、自分たちはぬるま湯の中から出ようとしない。今の日本の表面的な平和が未来永劫続くなら、最高のことだろう。理想の世の中を実現したようなものだ。しかし、少し掘り下げると、汚物があふれ出てくるのが、今の日本の社会だ。金ぴかのメッキ社会。メッキはいつかはがれる。すでにはがれ始めている。気づかない人がいる。うすうす気づいているのに気づかないふりをしている人がいる。気づいていて、社会を批難している人がいる。すでに気づいて行動している人がいる。「おかしいぞ」と思い始めている人は増えているはずだ。しかし、多くの人が、何をしていいかわからない。ぼくも右往左往している一人かもしれないが、とりあえず動いているだけましかと思う。何をすればいいのか?『地球交響曲』という映画がある。1番から8番まで、龍村仁という映画監督が人生のエネルギーを注ぎ込んだ映画だ。「地球の声を聴こう」という壮大なテーマを掲げて、地球の声を代弁するような人たちを紹介したドキュメンタリー映画だ。これが自主上映で広がり始めたころ、一般の人が主催するわけだが、映画の上映会などやったことのないおじさん、おばさんが、「私が伝えたいことが、この映画には詰まっています。自分の言葉では上手に伝えられないので、この映画をたくさんの人に見てもらいたいと思って上映会をしました」と言っていたのを思い出す。ぼくも何度か自主上映をした。つまり、自分ではうまく伝えられない人は、だれかを、あるいは何かを上手に使えばいい。映画を広げるのもいいし、本もいいし、講演会を開くのもいい。SNSで広げることもできる。共鳴できる人を応援するのも立派な行動だ。家族や友だちに、こんないい話があるよと伝えるだけでもいい。金ぴかのメッキ社会じゃないかと思ったら、本質をついた何かを見つけて、それを少しずつ発信していく。発信し続けることで、縁が広がり、行動もできるようになる。行動すれば自分が変わる。自分が変わればまわりも変わる。メッキではなく、本当に平和で安全で豊かな社会を作るには、一人ひとりの行動しかない。すごいリーダーが出てきて、世の中をがらりと変えてくれるなんてことを思っていると、多少はメッキは立派になるかもしれないが、中身の汚物はずっと残り、見えないところで腐敗が進んで、後戻りできなくなる。今でもギリギリだと思う。気づいた人から、やれることをやっていく。それでだめになってしまえば仕方がない。ただ、自分がやったことは、きちんと宇宙の記憶に残って、必ず自分に返ってくる。
2023年05月30日
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テレビのニュースで物価が上がっているという特集をやっていた。食費もそうだし、電気代やガス代、ガソリン代、いろんなものが値上がりしている。生活に必要なものだから、家計には大きなダメージだ。給料は上がらない。インタビューを受けた人も、不安を訴えていた。「お金とは何か?」根本から考え直さないといけない時期にきていると思う。不安の原因はお金だから。お金は手段だ。何の手段。生活のため。生活の基本は何か?いい家に住みたい。おいしいものを食べたい。おしゃれをしたい。旅行に行きたい。それもいいけれども、一番大事なのは、食べられる環境を作っておくことだ。つまりは、第一次産業。家族5人分のお米と野菜が保証されたらどうだろうか?たまに魚やお肉が手に入るともっとうれしい。余裕をもって生活設計ができると思う。少ないお金でどう暮らすか。優先順位を決めて、生活を変えていくことだ。家庭菜園をするとか、田舎の人と仲良くなって、お米や野菜を手に入れるルートを作っておくとか。自分たちが作った野菜がほしいと言ってくれたら、田舎の人は喜んでくれると思うよ。電気代が月に4万円かかったとぼやいていた主婦がいた。ぼやいていても電気代は変わらない。家族で節電することはもちろん、もっと積極的に、自家発電はできないだろうかと考えてみる。田舎では、太陽光パネルで自宅の電気をまかなっている人もいる。マンションのベランダでも、やろうと思ったらできるはず。情報を集めて、工夫して、対策を講じないと。こんなに物価が高いと子どもが産めないと言ってる若い女の子がいた。結婚して子どもがいて、どんな生活を望んでいるのか、見直してみるといい。習い事をやらせて、塾に行かせて、いい学校へ入らせて、いろいろなものを買い与えて、家族旅行をして。それもいいけれども、本当に、それでいいの?時代が変わろうとしているのに、そのことに気づかず、嘆いていると、取り残されるよ、と言いたい。国も政府も行政も、おかしいと思うけれども、そう簡単には変われるものではない。それなら、自分の生活を変えるしかない。そんなことを思いながら、テレビを見ていたわけだ。
2023年05月29日
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鈴鹿に来ている。長女はぼくと一緒に山梨からきて、三女は休みがとれたので豊田からやってきた。三人の娘がそろった。鈴鹿に住み始めた勝さんと氣恵に、ぼくが父親から引き継いだ土地(畑や山林、田んぼ)のだいたいの場所を伝えた。彼らがこれから何をしていくのか。今は放棄地になっている土地を上手に使ってくれるといい。ひとつがキッチンカー。6月には山梨に置いてあるキッチンカーを鈴鹿に運び、こちらで営業許可をもらってからのスタートになる。イベントなどに出店するのもいいが、青空カフェということで、小さな村の畑の一画で営業するのも面白いと考えているようだ。そこにはソーラーシェアリングの発電施設があって、下にはドッグラン。彼らは犬を4匹と猫を1匹飼っている。ヤギも飼いたいと言う。動物たちとふれ合う楽しい場になりそう。いいアイデアじゃないか。動物好きがお茶を飲みながらお話をする。子どもたちも集まってくる。ソーラーシェアリングを見て、少しでもエネルギーのことに興味をもってくれるといい。地域の電力は地域でまかなう。食糧も何とかしたい。医療も高齢者対策も、地域レベルで考えていく。そんな意識の発信地であり、実験場でもある。若い夫婦と協力し合って、年内には形を作りたい。
2023年05月28日
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真氣光の中川会長対談で、縄文土器と話ができる女性とお会いした。妙な話ではあるが、モノを通して、見えない世界からメッセージが届くことはある。特に、縄文土器が、単なる土の塊ではなく、縄文人が見えない世界を感じながら作ったものだとすれば、そのときの思いやエネルギーが伝わってきても不思議ではない。一枚の絵に感動したり、音楽で人生が変わったりする人がいるが、縄文土器をアートと考えれば、心とか魂といった部分でつながる場合もあるだろう。「日本人よ、目覚めておくれ」というメッセージが、さまざまな角度から発せられている。神話を見直そうとか、日本人のルーツを探ろうとか、日本人が日本人である誇りを呼び覚まそうという流れだと思う。縄文人は、自然とともに、精霊とともに暮らしていたはず。自分ができることを、みんなのためにやって、助け合いながら、日々を満足して生きていた。だから、世の中の秩序も守られていた。そこへ渡来人がやってきた。弥生時代の始まりだ。縄文人が弥生人に滅ぼされたようなイメージがあるが、ぼくは、混在していたのだと思う。縄文人は渡来人の影響を受けただろうけれども、逆に、渡来人の中にも縄文人の生き方に感銘を受けた人はいっぱいいたはずだ。渡来人は文明を持ち込み、縄文人の文化と融合して、そこに日本らしさが生まれてきたのではないか。縄文の話を聞いていて、ぼくの頭に浮かんだのは、トルストイの「イワンの馬鹿」だった。平和な村に、軍隊が攻めてきた。村人は、自分たちを征服しに来た連中を、「よく来た」と歓迎するわけだ。最初は、武力で村人を支配しようとするのだが、みんなが村人の純粋な気持ちに影響されていく。アメリカ大陸に白人が上陸したときも、先住民は、武器をもって乗り込んできた侵入者を大歓迎したそうだ。世の中には、平和を愛する民と、争いを好む輩がいる。一人の人間のなかにも、両者が住んでいる。この2~3000年、争いのエネルギーが平和を凌駕してきた。しかし、そろそろ転換期を迎えている。一度、争いのエネルギーがピークに達して、悲惨な状況になるのかもしれない。破壊があっての新世界だから。そうではなくて、もっと穏便に移行していくのがいいに決まっている。平和の民よ。目を覚ませ。そんな意味で、縄文を見直すことは大切かもしれない。
2023年05月25日
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投資というと、お金を増やすことをイメージしてしまうが、大事なのは自分への投資かな。知識や経験を高めていく。それもバランス良く。本を読んだり、セミナーを受けたりして、頭でっかちになっても困る。得た知識は、本当にそうなのか、実際にやってみることだ。イルカと泳ぐと元気になれますよという話を聞いたら、小笠原とか御蔵島に行ってみて、自分の体と心で体験してみる。自然栽培のことを勉強したら、家庭菜園でいいので試してみる。「お金なんか悪だ」と思っているなら、お金のいらない生活にチャレンジすればいい。「お金は大切だ」と信じているなら、がんばってお金儲けをしてお金持ちになればいい。体験しないとわからないことはいくらでもある。体験して、それをフィードバックして、自分の知識として蓄積していく。そして、また新たな体験にチャレンジする。この繰り返しがすごい投資となって、どんどんスケールアップできる。命のエネルギーがレベルアップしていくのだ。物質的な豊かさだけでは得られない満足感、幸福感に満たされるはずだ。ぼくはそう思っている。
2023年05月20日
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昨日は父親の命日だった。2019年に88歳で亡くなった。ブロックの塀を積んだり、トイレを作ったり、家の基礎工事をやる職人だった。とにかく器用な人で、人の仕事を見ては、その人以上のことをやった。いい仕事をすると口コミが広がり、あちこちから声がかかった。ただ、職人らしく、根はやさしいのだが、がんこで口の悪い人だった。ぼくにとっては、職人としての父は目標だったけれども、家庭人としての父は反面教師だった。父は、勉強で身を立てたかったようだ。しかし、四男なのに、兄弟が亡くなったり、養子に行ったりして、結局、農家の跡継ぎをせざるを得なかった。なまじできたものだから、親からも頼られ、「俺はずっと百姓か」と悔しい思いで日々を送ったようだ。自分がやりたかったことを息子に託した。「百姓なんかダメだ」ぼくには一切、手伝いをさせなかった。勉強していい大学を出て、父がぼくに一番期待したのは県庁に入って出世すること。ぼくは、高校生になったころから、父親の路線に疑問を感じた。別に反抗したわけではない。父親の姿を見ていて、組織に依存するのではなく、自分の技術で生きていく生き方にひかれていたのだ。大学卒業後、サラリーマンもやったけれども続かなかった。会社を辞めて文章という技術で40年以上生きてきた。20冊ほど本も出せたし、これから死ぬまでやり続けられる仕事だ。よくやっていると思う。農業なんて関係ないと思っていたぼくだが、今は、果樹栽培をやったりヤギの世話をしている。けっこう、手早く作業ができたりするのは、父を見てきたからだと思う。次女は、父が大好きだった村で暮らし始めた。昨日もお墓参りに行ってくれた。三女も、あの村で野菜を作ろうかなと言っている。父も喜んでいることだろうと思う。
2023年05月19日
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昨日は、2人の元気な80代とお会いした。一人は、有名な作詞家で音楽評論家の湯川れい子さん。真氣光の中川会長との対談だった。かくしゃくとしておられる。きれいだし、おしゃれだし。男と女の感性の違いから始まって、去年出された「時代のカナリア」という本のこと、大好きだったエルビス・プレスリーとのこと、奇跡の話など、1時間半にわたって、背筋をピンと伸ばし、目をしっかりと見開き、はっきりとした言葉で話してくださった。もう一人が、ある小さな出版社のベテラン社長。頑固で口が悪い編集者だが、いい感覚をもって仕事をしている。ときどき仕事を依頼される。原稿が真っ赤になって返ってくる。打ち合わせではぼろくそに言われ、何度、「もうやめます」と放り投げたくなったか。でも、ぼくが駆け出しのころには、ああいうタイプの編集者はけっこういたかもしれない。彼の指摘をぐっと飲み込んで、また書き直す。不思議なことに、原稿が良くなることは多々あった。ライターとしてベテランと言われる年になって、彼からずいぶんと学ぶことがあった。彼に会ってなかったら、表面上、いい感じでまとめられるだけのライターで終わっていた。それで良しとしていたから。付き合いが長くなるが、気の合うところがあって、彼もぼくのことを気に入ってくれて、山梨移住生活を本にしてくれると言う。80代で元気でがんばっている人を見ると、こちらも元気になる。帯津先生も87歳。3ヵ月に1度の帯津先生を囲む会には、先生の高校時代の同級生が2人、参加してくださっている。ぼくよりも20年も上の人たち。ぼくはそこまで生きているのか。生きていたとしたら、どんな87歳になっているのか。50歳くらいのころ、帯津先生に、「先生が90歳でぼくが70歳で、一緒にお酒を飲むのを楽しみいしています。どんな話をしているでしょうね」と言った覚えがある。それもあと3年で実現する。これから先、70代があって80代が待っている。心も魂も磨いて、すてきな高齢者になりたいと思う。
2023年05月18日
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