老師の言葉 0
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回転寿司のお店など、客の迷惑行為が大問題になっている。ひどい話だ。日本は伝統的に性善説をベースに成り立つ社会だ。「お天道様が見ているよ」ぼくは親からよく言われた覚えがある。だれも見てないからと悪いことをするのは、そうやって戒められてきた。目に見えない力に、畏敬の念をもって生きるのが、日本の文化だったのだと思う。迷惑行為をしている人たちには、お天道様と言っても通じないのだろう。目に見える世界がすべて。見つからなければ何をしてもいいという時代になって、さらには、迷惑行為を自分からひけらかすようになっているわけで、ばれるのがわかっていてもやるという、どうしようもないことになっている。説教したり、ネットで批判にさらされたり、法的に裁かれたりといったことも抑止力にはなると思うが、根本的な解決にはならない気がする。もっと、根っ子から人間教育がなされないといけない。カギになるのは、日本の伝統的なしきたりを見直すことではないか。ぼくたち60代は、「敷居を踏むな」とか「畳の縁を踏むな」と厳しく言われた。でも、ぼくたちの世代が次につなげなかった。生活が洋風になったこと、忙しくてしきたりなど教えている暇がないという事情もあった。核家族になったのも原因の一つだろう。家族がそろって食卓につき、「いただきます」と言って食べ始め、「ごちそうさま」と食事を終わるということもなくなったのではないか。テレビを見ながら、スマホをいじりながら食事をすることも多い。お天道様の存在を感じるには、日ごろの生活が大事だ。日本のしきたり。ぼくも忘れてしまっているが、見直す時期なのではないか。過度な管理をすることなく、人を信じられる社会こそ、豊かなのではないか。
2023年02月09日
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東京へ行ったら渋谷で、松本へ向かう途中では、下諏訪で人身事故。ぼくのまわりでも、この数年、何人もの縁ある人が亡くなった。病気もあるし、自ら命を断った人もいる。死はだれにでも訪れるものだ。にもかかわらず、死とはどういうものか、死後の世界はあるのか。考えたことのない人がほとんどだろう。いくら本を読んだり、偉い人に話を聞いたり、考えてみても、答えは出ないことだ。でも、自分なりに死を意識して生きるのは大切だと思う。ぼくたちは、生という視点から死を見る。死に向かって進んでいく自分の後ろ姿ばかりを見ている。たまには、死から生を見てみるといいかもしれない。そうすると、こちらに進んでくる自分の姿をしっかりと見ることができる。ニコニコしているのか、暗く淀んだ表情なのか。自分はどうやって死んでいくんだろう?どんな死に方をしたいんだろう?死ぬまでにやり残していることはないか?あの世ってどういうところだろう?死んだら楽になれるのだろうか?あるかないかわからないが、あったらこんなところだといいな。あの人に会えるかな。忙しい世の中だけど、たまには立ち止まって、死や死後の世界に意識を向けてみる。ぼくは、死後の世界はあって、死ですべてが終わるのではなく、生の続きを、死後の世界でも生きないといけないと思っている。今生の生き方が、死後の世界のスタートラインだ。日本での暮らしが苦しい、つらいと言って、アメリカへ逃げ出したとする。果たして、苦しみやつらさは消えるだろうか。あるいは、今の会社が嫌だからと、転職すれば問題は解決するだろうか。また形を変えて、同じような辛苦が近づいてくる。そんな気がするなあ。
2023年02月04日
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1月も終わった。もう「速い、速い」も言い飽きた。ぼくだけが速く感じているのではない。妻も娘も知り合いも、「速い、速い」とぼやく。だれもが、時の流れは速まっていると感じているのだ。川が急流になったようなもの、2倍速の世界にいるわけだから、これに逆らっても仕方ない。物質的なものはコントロール不能。しかし、気持ちは自分で制御できるはず。時間のスピードに振り回されるのではなく、どんな急流にあっても、自分のペースを守ることだ。ほとんどの人が、体ばかりではなく心までせかせかしてしまっている。そんな中で、自分だけがマイペースで動くのは難しいことだが、ここは人生を豊かにできるかどうかの正念場だ。環境を変えるのもいいと思う。やりたいことに没頭するのもいいだろう。付き合う人を絞ってみたり、あえて何もしない一日を作ってぼんやりしたり。やれることはいっぱいあると思う。まずは、ぼくたちの時間が、急流という状態にあるということを知ること。このままだと、流れに翻弄されて、自分が自分でなくなっていくという危機感をもつこと。まわりを見回せば、「あれもしなきゃ。これもしなきゃ」「ああ、時間がない」「急がなくっちゃ」時間の奴隷になっている人がいっぱいいる。そう言えば、ミヒャエル・エンデの『もも』という小説が、そんな話だった。時間泥棒に、どんどん時間を奪われてしまう。まさにそんな時代だ。本来、ぼくたちにとってもっとも心地いい時間の流れというものがあるはずだ。取り戻せるかどうかわからないが、「速い、速い」と言っているばかりではなく、ちょっとは、ゆっくりと生きる工夫をする必要がある。東京から大阪まで一晩かけて行った時代と、1時間半で行ける現代と、どっちが気持ちいいだろうか。江戸時代、時間をかけて歩いて移動していた時期に、とんでもなく大きな仕事をやってのけた人もいる。今よりもすごい時代だったかもしれない。だから、「もっと速く」は決して世の中の発展と比例するものではない。もちろん、人の幸せとも。
2023年02月01日
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人には愛されたいという欲求がある。心の中で、もっと愛してと叫び続けている。ちょっと知恵がつくと、愛されるためにはどうしたらいいかと考える。私が相手を愛せば、私も愛される。そう思う。愛そうとする。しかし、ピントがずれていたりする。子どもを愛そうと、「勉強しなさい」と言う。だって、成績が良くなっていい学校へ行けば、この子は幸せになれるから。愛しているからこそのアドバイス。まったくのお門違いなのに、気がつなない。そういう自分本位の愛もどき。愛ではなく、憎しみが募っていくだけのこと。愛されたいという欲求は、本能的なものでなくすことはできない。愛されるためにはどうしたらいいか。それぞれの人が考えないといけない、大事なテーマだと思う。
2023年01月29日
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田舎暮らしに失敗したという動画が話題になっているそうだ。東京から四国の限界集落に移住。古民家を再生したりして、地域を活性化させようと、地域おこし協力隊になったけれども、まわりから嫌がらせをされて嫌になって村を出たという話だ。地域おこし協力隊は、総務省の事業で、各自治体から委嘱を受けて、地域を活性化させるために活動する人たちを言う。 ぼくが移住した甲州市にもあって、移住した年に応募してみた。 見事に不合格だったけれども、今思うと、地域のための活動は、簡単なことではないということだ。 村の事情もわからない人が、いきなり村おこしができるはずがない。 村の歴史を知り、住んでいる人と仲良くなって、何が必要なのかわかった上で動かないと話は進まない。 闇雲に動いても、ぼくたち移住者が思う地域のためと、古くから住んでいる人たちの考えている地域のためとは、けっこうギャップがあって、トラブルのもとになるだけだ。 移住者が増えればいいというのが、移住者からの目線からの活性化の第一歩。しかし、住民の人たちからすれば、移住者を受け入れることでいろいろ嫌な思いもしてきた。 ぼくが言われたのは、移住してきて農業がしたいと畑を借りた人がいて、最初のうちは張り切って畑仕事をしていたが、結局は、途中で放り投げて出て行ってしまったという話。 どっちみち放置してあった畑だが、使いたいと言われればうれしいわけで、まわりを片付けたり、ゴミを捨てたりしたのに、たった一年でいなくなってしまえば、期待を裏切られたと思うだろう。 それに「地域おこし協力隊」という名称も、本人にはその気はなくても、ちょっと上から目線に感じてしまう。何も知らない、何もできない田舎者に、都会の人間が教えてあげるみたいなニュアンスがあって、ぼくのいる村に、地域おこし協力隊員がきたら、あまり近づかないと思うな。田舎生活がうまくいかないのは、田舎が閉鎖的であるというのはあるけれども、移住してくる人も、村に溶け込もうとする努力が必要だと思う。村人と移住者が理解し合わないことには、村は活性化しない。あとから来た人が、まずは村のことを知り、自分のことも知ってもらって、村をどうしたらいいか、本音で語り合える関係を作らないといけないよな。インテリ層が、都会という上着を着たまま移住しても、うまくいかないと思うな。ぼくは、今のところに住んで1年くらい。親しくしてくれる人は増えてきたが、なじんでいるかというと、まだその域には達してない。村の人から見ればよそ者だし、ぼくたちも、村人とよそ者の中間にいる感じだ。若い人たちが住もうと思える環境作りはとても大切だと思う。だけど、やり方をもっと考えないといけないんじゃないかな。自分を変えたいと思っている人がいたら、地域おこしなんて難しいこと考えずに、肩ひじ張らずに、気楽な気持ちで田舎で暮らしてみるといいと思う。間違いなく変われるから。
2023年01月27日
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夢というのは、ぼくたち肉体をもって生きている人間が、時空を超える体験ができるチャンスだ。夢日記をつけている人が、すごいインスピレーションをもらったり、未来を予知する正夢を見るという話を聞くけれども、時間や空間に縛られないのだから、十分に可能性のあることだ。肉体をもっていてはできない体験がいっぱいできる。昨日の「地縛霊体験」も、とても大切だったと思う。死んだら天国へ行く人ばかりではない。生と死の狭間で苦しい思いをしている人はいっぱいいる。きっと、ぼくも何回も生まれ変わる中で、そういう体験をしたきたはずだ。もう二度とごめんだから、追体験をしておくことが大切だったのかもしれない。あるいは、まわりに死んだらどうなるのかを、きちんと伝えるためのことだったのか。今朝方の夢では、「動脈血飼育」「静脈血飼育」という言葉が出てきた。飼育ではなく栽培だったかもしれない。意味がわからないが、ひょっとしたら、「循環」の大切さを伝えてくれたのではないか。血液の循環を見習って、動物育てたり、作物を育てることを言っているのかなとも思う。意識しながらスモモや桃、ヤギを育てることにしよう。ぼくは夢日記は書かないけれども、夢は肉体の記憶装置に書き込まれているはず。行動をコントロールする準備ができているということだ。いざというときには、必ず表に出てくる。
2023年01月25日
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アマゾンプライムで「天気の子」を観た。いろいろなメッセージが込められているんだろうな。雨ばかり降る東京。みんな晴れてほしいと願う。晴れ女の主人公の少女。祈りで束の間の晴れをプレゼントする。遠足だから晴れてほしい。運動会だから。遊びに出かけるから。事情はあるだろうが、自分都合だな。少女は一生懸命に願いをかなえてあげるのだが、どんどん自分が消耗してしまう。たぶん、彼女が与えれた能力は、「晴れてほしい」「雨は嫌だ」という、自分勝手な願いをかなえるためにあるのではないんだろうな。人間って、もっとスケールの大きな存在のはず。何があっても生き残れる生命力をもっている。そうじゃなければ、こんなに繁殖しないはず。雨が降り続いて、東京の大半が浸水してしまったとき、みんな普通に生活している。そういう底力が人間にはある。おばあちゃんが云う。「昔の東京は海だったんだから。元に戻っただけ」こういうしたたかさが必要なんじゃないか。ぼくがはっと思ったのは、もう一人の主人公。神津島から家出してきた少年。少女が、「東京へ来てどうだった?」と聞くと、はっとしたように、「そうだ。息苦しさがなくなった」と答えた。ぼくもそうだった。27歳のとき、東京で暮らして働いて感じたこと。息苦しくなくなった。肩の荷がすーっと降りた。東京は好きだった。でも、息苦しさを感じて、今は山梨にいる。「息苦しい」という感覚。大切にしないと。「動け!」というサインかも。
2023年01月18日
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ここ何年か、まともに年賀状を書いてない。メールですませたりしているが、やっぱり味気ない。年賀状文化はすたれていくと思う。まして、手書きで書く人は天然記念物扱いだろう。ぼくの理想としては、一枚一枚、相手の顔を思い浮かべながら、ていねいに書くこと。印刷機が勝手に作ってくれる年賀状には、氣がこもらない。一枚一枚手書きは無理でも、何か一言添えるのは大事だなと思う。ぼくが不義理をしていても、年賀状をくださる方がいる。ありがたいことだ。いただいた人にだけ返事を出すという、横着なことをしている。今年は年賀状をきちんと書こうと思う。縁のあった人を、もう一度、しっかりと思い出そう。大切にしよう。
2023年01月05日
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新年、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。人生の幸せは後半にあり!貝原益軒がそう言っていると、帯津良一先生はいつも話してくれる。ぼくは今年で67歳になる。人生後半の幸せ真っただ中だ。「何をやるんですか?」少しお話ししようと思う。ぼくは1956年に三重県鈴鹿市に生まれた。20軒ほどの小さな集落。田舎の中でも田舎だった。昨年母が亡くなり、実家は空き家になっている。周辺にも空き家が増えて、村人たちも70代80代がほとんど。あと10年すれば、住む人もいなくなるかもしれない。竹藪が迫り、いずれは消え去っていく村だ。ぼくは今年、この村をよみがえらせる布石を打とうと思っている。まずは、実家を改装して、人が集まってくれる場所にする。お伊勢参りにツアーなんかもできる。山梨は「ヤギーずビレッジ」だが、鈴鹿は「ヤギーずカレッジ」。文化を発信する場所とする。カフェも併設。春はタケノコ、地元の野菜もおいしいし、夏には山梨から桃やすもも、ぶどうを直送。ヤギも飼う。ヤギ乳をとろう。ソーラーシェアリングのシステムを作り、電気を自分でまかなえるようにする。視察の人もくると思う。その下で、無農薬の露地イチゴを作る。春にはいちご狩り。願いをかなえてくれるすごい力をもったお地蔵様が、村の隅で眠っておられる。一体はお寺の入り口に鎮座しているが、二体そろうことで、大きなことが起こってくるはずだ。亡父がぼくに教えていった。そろそろ表に出ていただこうと思っている。お寺の檀家は10数軒しかない。住職もいない。お寺は村の中心でないといけない。資金はどうする?まずはソーラーシェアリングによる売電で得たお金を積み立てていく。お地蔵様が話題になれば、お賽銭を使わせていただこう。お金が集まったら、きちんとあの世のことを理解している住職さんを呼ぼう。人が集まってくるといろいろなことが起こってくる。今年は、その基礎ができる年だと思っている。みんなで良い年にしましょう!!
2023年01月01日
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年末だ。お世話になった近所の人たちへのご挨拶をすませた。今年は、LINEやメールで年末の挨拶をする。母が亡くなったのに、喪中のハガキも出してない。年賀状は書かなかった。来年は、年賀状を復活させようと思っている。手書きで、どれくらい書けるかわからないが、出すつもりだ。それと「ありがとうカード」。あんなに熱心にやったのに、山梨へ越してからまったく配っていない。お守りのように大切に持ち続けてくれる人もいる。これも復活させよう。コイン磨きもしよう。どんなことでも、愚直に続けるといいことが起こってくる。水も、熱というエネルギーを与え続けてこそ、沸騰する。物事が動いたり変化するには続けることが肝心。「成功の秘けつは、成功するまで続けること」その通りだ。来年は、やってきたことの復活と継続。肩ひじ張らず、楽しく生きていこうと思う。
2022年12月29日
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相手によって自分を変えることはだれでもあると思う。 多かれ少なかれ、だれもがそうだ。だれと会おうが態度が変わらないような人はいない。 だけど、相手によって自分が変わる度合いがあまりにも大きいというのは問題だ。 当の本人は相当疲れていると思う。 相手に合わせて、いろいろな自分でいないといけない。多少の誤差程度の違いならいいけれども、まったく違う自分を演じるのは大変だ。 「これが自分だ!」というピンポイントはないんじゃないか。「自分」には振れ幅がある。正規分布のようになっているのでは。 標準的な自分があって、いろいろな自分がばらついている。 標準から離れると、そこに疲れが生じる。なだらかな山の人は、それが自分かわからなくなって混乱する。急峻すぎる山だと融通がきかない。孤立しがち。八ヶ岳みたいに頂上がいっぱいある人は、いっぱい問題を抱えている人だと思う。 いいバランスの、富士山みたいな山がいいわけだ。 自分が変わるというのは、山が右とか左に移動すること。いくつも頂上を作ることではない。 昨夜は、お酒を飲みながらそんなことを考えていた。
2022年12月27日
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妄想は大切。思ったり考えたり感じたりするのは自由だから。だれかに責められることもないし、罪に問われることもない。そんな自由な世界であるにもかかわらず、躊躇したり、遠慮したりする。子どものときは違ったと思うな。大富豪になって、モナコの豪邸に住むというのでもいいわけだ。宇宙旅行をして宇宙人と会うことだってできる。できるとかできないとか、したいとしたくないということではなく、思いっきり妄想する。できるとかしたいというレベルは、だいたい、自分の能力のわずかな部分しか見ていないもの。もっと可能性はあるから、妄想によって、どんどん扉を開けていく。自分を枠の中に押し込めておくことは、安全であり安心だと思ってしまうが、魂の部分では、ものすごく窮屈だと思う。自由に飛び回るのが幸せな魂を、鳥かごに入れておくようなものだから。ぼくは、このごろ寝つきが悪くなったので(早くに布団に入るせいもあるが)、眠りにつくまで妄想を楽しんでいる。魂を自由に飛び回らせている。だから、面白いことが次々と起こってくるのだと思う。これからも、妄想タイムを楽しみたい。
2022年12月26日
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ヤギたちを見ていると、彼らはきちんとまわりを見ていて、力関係を把握しながら、自分の立ち位置を決めている。強い子は、真っ先にエサを奪い取る。我が家には6頭いるから、弱い子にはなかなか回ってこない。遠くで物欲しそうにじっと見ている。しかし、強い子たちが目を離したすきに、エサ場に忍び寄って、ぱっと取って逃げていく。ヤギたちは、けっこう食べ方も乱雑で、フードロスも多い。つまり、エサ争いでは負けるから、じっと待って、残りものをゆっくりと食べる。集団で生きる動物たちの知恵だと思う。人間も群れる動物だから、ここは見習わないと。何でも一番を目指すのではなく、まわりをきちんと見て、強弱を判断して、自分の順位を知って行動する。よく、人と比べるなと言われるけれども、そんなことはない。きちんと見定めて動かないと、トラブルメーカーになって、集団からはみ出してしまう。そうなると、生きていけなくなる。ただ、比べると言っても、事実を把握することであって、妬みや嫉みをもつことではない。冷静に、自分の位置づけを知ることで、自分らしく生きることができる。その点、ヤギたちはとても賢く暮らしている。
2022年12月25日
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ぼくは政治のことはよくわからないので、あまり口を出さないようにしているけれども、何か、おかしいと思うな。旧統一教会との関係で、言い訳たらたらの大臣には、不信感しかもてない。そしたら増税の話。防衛費に使うためだとか。つまり武器を買うってこと。ロシアのウクライナ侵攻で防衛は大事だということになったのはわかるが、それだったら、原発を何とかしないとまずいよ。いくら最新兵器をそろえても、原発が狙われたら一巻の終わり。放射性廃棄物処理場なんか、戦争をしようと思ったら格好の狙いどころだ。にもかかわらず、原発推進に舵を切るというのはどういうわけだ。本当に国を守ろうとすれば、危険なものは排除しないと。きちんとしたビジョンがないと、ただ武器を買い集めるというだけでは、納得ができない。増税にしても、原発にしても、大した議論もなされず、いつの間にか決まっているという感じもあるし。国や国民を守るにはどうしたらいいのか。枝葉をいじるだけでなく、木全体、森まるごとを見て決めていかないと。「頼むよ。しっかりしてよ」そう言いたいのはぼくだけじゃないと思う。ぼくはどうするか?自分の信じた道を進むしかない。家族で食べるものくらいは自分で作ろうと思う。エネルギーも自分の家の分をまかなえるくらいの工夫をしよう。この間の大雪もそうだけど、災害があると電気が止まってしまう。病院や薬に頼らなくていいように、日々の生活の中で健康を維持していこう。なるべくお金のかからない生活を心がけよう。お金がなくても大変だけど、お金に依存していると必ず行き詰まってしまう。とにかく、自分の生活を楽しんでいく。一緒にやれる人がいれば大歓迎だ。ぼくには国は変えられないけれども、自分と家族と少数の仲間たちなら、力を合わせれば、楽しい生活が実現できるはずだ。そうやってちまちまやっているうちに、すごいファーストペンギンが現れて、世の中が大きく変わっていくこともあるだろうし。なかなか楽観的になれないけれども、人類は必ず平和で安全な世界を実現する。そのために、地球上に人類は生まれてきたはずだから。
2022年12月24日
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妻はテレビドラマが大好きで、夜はテレビの前にいるのが日課になっている。ぼくは、テレビのドラマはバカにしていて、ほとんど見ることがなかった。ところが、この間、洋上風力発電の取材のとき、たまたま会った人から、「洋上風力発電は漁協との関係がとても大切だと思います。ぜひ、『ファーストペンギン』というテレビドラマを見てください」とすすめられた。ファーストペンギンとは、群れの中で真っ先に海に飛び込むペンギンのことを言うのだそうだ。彼らは海でエサをとるのだが、海の中には彼らをエサにしようと待ち受けている生き物がいる。飛び込まないとエサにありつけないけれども、飛び込むと食べられてしまうかもしれない。そんな危険の中、勇気ある1羽が飛び込む。大丈夫なのを確認して、ほかのペンギンも飛び込む。ドラマは、ある漁村にやってきた若いシングルマザーが、村を活性化させるために、古い体制と戦って、新しいシステムを作っていくという話。実話をもとにして作られた話だそうだ。面白くて、毎日お風呂の中で見ている(huluで)。いよいよ最終話だ。だれもファーストペンギンにはなりたくない。だれかが飛び込むのを見て、安全を確かめてからGo!だ。でも、ファーストペンギンがいなければ、みんな飢え死にしてしまう。「長い物に巻かれろ」は無難かもしれないが、未来はない。「これだ!」と思ったら、ファーストペンギンになる勇気がほしいな。
2022年12月22日
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何がしたいのか?ぼくのように、大した才能があるわけではなく、気が弱くて、まわりのことが気になって、強い意志や志をもっているわけでもない、いわゆる標準的な人間が、「みんながやっているから」という流れに逆らって、「もっと違う生き方があるんじゃないの」というメッセージを行動で示して、100人くらいの人が、「それいいね」って思ってくれる。そんなことかな。目標は、食糧、エネルギー、医療の自給自足。自給自足とまではいかなくていい。足るを知る生活。できることを精一杯やって、それで得られたものを大切に使う。農業をして食糧を手に入れ、ソーラーシェアリング(太陽光発電)で自分の家の電気をまかない、病院や薬に頼らなくても健康的に暮らせる工夫をする。そういう生活ができれば、お金もそんなに使わなくてもすむ。と言うことは、お金を稼ぐための仕事はあまりしなくていい。特別な才能はいらない。普通の人で十分やれることだ。要はやるかやらないか。やろうという人が少ないから、ぼくがやってみようということ。実家の土地に、ソーラーシェアリングの設備を作ろうと思っている。3メートルくらいの支柱の上に太陽光パネルを並べ、下は畑にして、野菜を作る。田んぼもあるから、そこでもできるし。来年は、山梨と三重とを行き来することが多くなると思う。
2022年12月21日
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ビッグバンによって宇宙ができたように、「私」という個人も、あるエネルギーの塊が、巨大な衝撃によってばらばらになり、無数にある宇宙に散らばったのではないか。そして、エネルギー(魂)の破片が、それぞれの宇宙で、完全な形を取り戻すために体験を重ねている。虚空は仏教用語だが、無数の宇宙を抱えている偉大な空間を言うそうだ。そして、無数の宇宙に、無数の自分がいる。完全なる魂の一部として。神様は自分の中にいると言うが、その通りで、神の性質の一部、あるいは全部をもった存在が自分ということになる。ホストコンピュータとつながった端末機のようなものか。ホストコンピュータとは意識でつながる。接続が悪くなることもあればクリアになることもある。別の宇宙で暮らす自分とも、コミュニケーションはとれる。直観とかひらめき。別の自分が何かを伝えようとしている。夢もそうかもしれない。江戸時代の名僧・白隠禅師は弟子たちに、「生きながらにして虚空と一体になれ!」と檄を飛ばした。つまりは、無数の宇宙に散らばった魂の破片のことを知れということだろう。無数の破片が集まって、本当の自分になる。偉大なる存在の自分。それを目指すのが修行だということだ。この間読んだ「道」(白石一文著)という小説は、いろいろなイメージが湧き上がってくる刺激になっている。空をながめていると、別の宇宙でがんばっている自分が愛しくなってくる。
2022年12月16日
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井上尚弥がすごい勝ち方をした。4団体統一だそうだ。ぼくは昔からボクシングをよく見た。好きだった。具志堅さんよりももっと前から。世界チャンピオン不在の時期もあった。井上のようなスーパーヒーローが出てくるなんて、漫画の世界だけだったんじゃないか。記事を読んでいると、彼も30歳になって、体のあちこちが痛み出しているみたいだ。肩が痛くて寝返りも打てないことがあったらしい。生身の人間だから仕方がない。35歳まで現役を続けると言っている。無敗のままリングを降りるのか、それともいつか負けるのか。いずれにしても、こういう男が出てきたことは、確かに日本全体に勇気を与える。ぼくは、若いころのようにスポーツに熱狂することはなくなったが、井上の絶対的な強さや、サッカーやラグビーでの日本代表の躍進、大リーグでは大谷が二刀流という考えられない活躍をしているのを見るとうれしくなる。日本人はダメだという自虐教育を受けているから、欧米に対するコンプレックスはなかなか消えない。自分で欧米に打ち克たなくても、スポーツ選手が代役を果たしてくれるから、コンプレックスも徐々に薄れていく。若い人たちは、自分たちはやれるんだと自信をもつ。ヒーローたちの出現は大歓迎だ。
2022年12月14日
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白石一文さんの「道」という小説を読んだ。19歳の娘を交通事故で亡くし、妻がうつ病になった男。彼は、高校受験のときに不思議な体験をしている。あるお屋敷の壁に飾ってある「道」という絵をじっと見つめていると、その絵に吸い込まれるようにして、過去に戻れるのだ。彼は、娘が交通事故にあう直前まで戻ることにした。娘が事故にあわなければ妻もうつ病にならず、すべてがうまくいくと考えたからだ。といった話。時空を超えるとか、パラレルワールドといったSF的な世界を描いている。分厚い本だったけれども、数日で読み終わった。面白かった。どうして「道」という絵に、不思議な力があるのか、その秘密は解き明かされていなかったが、ぼくは、意識が大きなカギになっていると感じた。絵ばかりではなく、音楽でも景色でも、ぼくたちが感覚でとらえたものが、多かれ少なかれ、意識に影響を与えている。時間や空間をコントロールしている意識があるはず。そこにアクセスする秘密を、「道」を描いた画家は知ってか知らずか、この絵を世に送り出した。現実にも、数は少ないだろうが、そういうものが存在していると思う。パラレルワールドについては、虚空という仏教用語があるが、まさに虚空の話だ。虚空は、何千という宇宙を包含した偉大なる空間ということらしいが、無数の宇宙があることを、お釈迦様は知っていた。無限の宇宙が、無限にある世界が虚空。どんな形で存在しているのか、この世的な考え方では想像もつかないが、でも、考えてみれば、ぼくたちが住んでいる世界も、無限が無限にある。たとえば時間。12時と12時1分の間に、12時1秒もあるし2秒もあるし、12時1.1秒もあるし、12.11秒もあるし・・・。無限の時間の集まりが作り上げている世界だ。ぼくたちは、脳によるものなのか、無限を無限と感じないようになっていて、時間や空間に縛られていて、だからこそ日常生活が成り立っているのではないか。無限にある宇宙の一つひとつに、ぼくもいて、さまざまな暮らしをしている。たぶん、意識のレベルでは行き来しているのだと思う。階層があって、ぼくたちと同じような意識で生きている宇宙もあれば、まったく理解不能な世界もある。死ぬというのは、違う宇宙で生きることなのかもしれない。いろいろなことを考えさせてくれる本だった。本というのは、知識を仕入れたり、物語を楽しんだりする以上に、眠っている感性を喚起させてくれるものじゃないか。意識に作用する。と言うことは、時空を超える体験のできる本もあるのかもしれない。
2022年12月13日
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面白い人に出会った。72歳。現役のプログラマー。IT技術者の走りであり、すごい勢いで先頭を突っ走ってきた。今でも彼の開発したアプリは世界中で使われている。「70代が本番」彼は言った。「50代60代でリタイアして余生を過ごしている人は、それはそれでいいんじゃないですか。でも、ぼくはそういう人と付き合う気はないですね。これまでの経験値を活かして、70代で社会にアピールしていこうとしている人と組んで、世の中を少しでも良くしていきたい。次の世代にバトンタッチしたい」すばらしい意気込みだと思う。そういう70代は少なくないと思う。70代なら、まだまだ体力があって、無理もきく。10年はやれる。10年というのは、何かをやり遂げるには十分な時間だ。夏目漱石は、1905年に「吾輩は猫である」を発表し、1916年に「明暗」を連載中に亡くなっている。作家として活動したのは約10年。10年であれだけの仕事をしていった。歴史に残る人たちは、長くダラダラと活躍していない。短い期間にエネルギーを集中している。70代が本気になって10年を生きれば、世の中は変わる。もともと、貧しい時代から高度経済成長、バブル崩壊という激動の中、競争社会を生き抜いてきたエネルギーの高い人たちだ。今こそ70代の出番。これは正鵠を射た見方かもしれない。終活などとさみしいことを言わずに、彼のように、もうひと勝負してほしい。ぼくたち60代もあとに続くから。
2022年12月12日
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ぼくは淡白な性格で、うまくいかないとすぐにあきらめるし、物事をとことん突き詰めようとする気迫も根気もなく、寝食を忘れて何かに取り組んだこともない。「まあ、いいや」で終わらせることがほとんど。決断も人任せだったり、自分の意志よりもまわりへの忖度を優先したりもしてきた。世の成功法則から言えば、完全に落第だ。これまで立派な仕事を成し遂げた人を取材してきたが、みなさんすごい。どんな困難があっても、自分の信じた道を突き進み、ついにはすばらしい結果を出している。こうじゃないと成功できないよなと納得できる。ぼくとは正反対。それでも、「一冊でも本を出したい」という夢は叶って、20冊ほどの本が出せた。ベストセラーになって本屋さんに山積みにされる光景も望んだが、これも叶った。ぼくとしては大成功の人生だ。ぼくの面白いところは、まわりがどんどん動いてくれて、ぼくが漠然と思っていたことを実現してくれることだ。何が何でもこうしたいなんて思っているわけではない。強い願望ではないのに、自分の力ではとても実現できないこと、それもぼくがやりたかったことが、向こうからやってくる。そして、ぼんやりとしている間に、まわりががんばって動いてくれて、ぼくが評価される結果になるのだ。本も、ぼくが企画したものは一冊もない。ぼくとの雑談の中で、編集者がネタを見つけ出してくれた。「がんばったね」ぼくが褒められるのだが、ぼくは何もがんばっていない。おぜん立てされたところに、ひょっと顔を出すだけ。得な役回りだ。ぼくはこのペースなんだと思う。とにかく、目の前のことを一つひとつ着実にこなしていく。そうすれば、チャンスが向こうからやってくる。
2022年12月11日
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2022年も残すところあと1ヶ月を切った。猛スピードで過ぎ去った一年だった。ずいぶんと前から、スピード感は半端ではない。時間の流れ方が早くなっていると思う。ぼくたちは、もっと速くを望んで、リニア新幹線で東京・大阪間を1時間で移動しようとしている。移動時間を節約しようとしているのだけれども、節約した時間など、あっと言う間に消えてしまうような時間速度の中にいるわけで、上手に時間を使おうと思ったら、違う方法を考えた方がいいのではないか。時間というのは、人の意識とリンクしていて、ぼくたち人間という観察者が、「もっと速く」を求めれば、それに応じて時間もスピードアップするような気がする。人が一分一秒をもっと大切にするようになれば、時間はゆっくりと流れてくれるのではないか。時間という目に見えない世界は、唯物的な感覚ではとらえれないのではないか。時間の貧富の差は、速く移動するとか、作業の効率を上げるといった、量的なものでは決まらないのではないか。時間には、本当の意味でぼくたちが豊かに生きられる秘密が隠されているような気がする。
2022年12月05日
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サッカー以外の大きなニュースは、俳優の渡辺徹さんが亡くなったこと。61歳とはまだまだ若いが、長年、病気を抱えていたそうだ。同年代や年下の人の訃報を聞くと、切なくなるし、自分だって、いつこの世とおさらばしないといけなくなるかわからない現実を、目の前に突きつけられた気がする。長生きするだけがいいわけではないが、ぼくは今、66歳で、いつ死んでもいいとは言えない。自分の過去を振り返ってみると、いろいろなことに興味をもって、取材をしたり、本にしたり、イベントを企画したりしてきた。興味があっちこっちへ行くので、ただとっ散らかしている、食い散らかしているだけだと、自己嫌悪に陥ったこともあった。実際、昨日やっていたことと、今日やりたいことのつながりが見えずに、どれもが一からスタートという非効率なことをやってきた。でも、食い散らかすことでもいいから、やり続けることだ。今になって、散乱しているものが、秩序立って形になり始めている。この先、形になるまでどれくらいかかるのかわからないが、どんなふうに展開して、何が出来上がるのか、見てみたい。そのためには、まだ死ねないのだ。来年、面白いことを計画している。それが、ぼくの集大成の原型になるはず。忙しくなるが、ワクワクしている。
2022年12月03日
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朝起きて、ネットニュースを見て、ワールドカップで日本がスペインに逆転勝ちして、決勝トーナメントに進出したことを知った。 2大会連続でグループリーグ突破だそうだ。 今の若い日本の選手たちは、欧米に対するコンプレックスがなくなっているんだろうな。 スポーツ選手だけじゃないかもしれない。欧米人と同じ感覚になっているとも言える。ぼくの若いころとは全然違う。 戦後、「日本はダメで、アメリカは優れている」と思わされ、意識も生活様式もアメリカ化されてきた。 「日本はアメリカに10年遅れている」とか「ウサギ小屋」とか、「アメリカではこうなのに日本ではまだこんなことをやっている」といった形で優米劣日感を植え付けられてきたのだから、アメリカへのコンプレックスはどんどん大きくなる。 ぼくが中学生だから、昭和40年代。英語の教科書では、グリーンフィールド一家が幸せを絵に描いたような、文化的な生活を送っていた。日本ではありえないような光景ばかりだった。子どもたちはそれぞれ自分の部屋があって、広いリビングで、ソファに座ってテレビを見る家族。ハンサムなパパに、きれいなママ。大きな冷蔵庫。きれいなテーブルの上には、たくさんの料理が並び、ナイフとフォークの食事。芝の庭があり、パパが芝刈り機できれいにしている。休みの日には、家族みんなで立派な車でドライブに。 みんながアメリカ的生活にあこがれた。日本の生活がださく見えてくる。 ぼくたちよりも少し上の団塊の世代は、日本がアメリカ化することに抵抗した人もいた。しかし、ぼくたちの世代になると、完全に飲み込まれてしまって、アメリカ万歳と両手を上げての降参状態。 スポーツも、「日本はダメだ」と思い込まされ、なかなかいい成績が残せない。 しかし、今の若い世代は違う。欧米の人たちに臆することがない。 ある意味、アメリカ化政策は成功したのだと思う。「日本人だから」「アメリカ人だから」という壁がなくなってきた。 これはいいことだと思う。でも、そのままアメリカに右に倣えではなく、ワールドカップでの掃除のように、日本人としての矜持をもち始めている。無条件降伏からは脱しつつある。古代から、日本は東西の文化が融合して、独自の文化を作ってきた。明治維新以降、西高東低だったけれども、ようやく、上手にバランスをとる動きが出ているのではないか。西洋列強に物おじしない、日本の若いヒーローたちの活躍から、そんなことを思った。せっかくのチャンスだから優勝しちゃえ!
2022年12月02日
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サッカーのワールドカップ。日本代表はドイツに勝って盛り上がり、コスタリカに負けて盛り下がった。いよいよ「運命の」(スポーツでは決まりきった表現が多い)スペイン戦。スポーツの好きな人がいれば、興味のない人もいる。スポーツ好きでも、競技による好みもある。ぼくは、かつては野球が大好きだった。プレーがしたかったが、運動神経がないのでテレビで観戦したり、新聞、雑誌で記事を読んだりして楽しんでいた。そう言えば、家のブロック塀を相手にキャッチボールをしていた。そう言えば、大学を卒業するとき、スポーツ新聞社に入りたくて何社か電話をしたことがある。「募集していません」のひと言で終わった就活だったけど。中3でラグビーに出あって、へたくそながらも、10年近くプレーした。早明戦や日本選手権になると国立競技場がいっぱいになった。東京へ出てから、何度も日本選手権を見に行った。大声で叫んで、試合が終わったら声も枯れていて。それでも、一緒に行った仲間と酒を飲みながら、ああでもないこうでもないと、試合を振り返って何時間も過ごした。今でも、ラグビーはよく見る。日本代表が強くなったのはうれしくてたまらない。来年のワールドカップも楽しみだ。サッカーではワクワクしない。野球も見なくなった。競馬に熱中したこともあったが、今は大きなレースをテレビで見る程度だ。ラグビーだけは別格だと思っていたけれども、何となく熱が冷めつつあるのを感じている。日曜日の早明戦はテレビで観戦するけれども、かつてのように、手に汗握りような時間ではないだろうな。興味の対象が、一気に血圧が上がるようなものではなくなってきた。畑に種を撒いたら、数ヵ月後に収穫できるといったことに、喜びを感じて生きるようになった気がする。スローライフとよく言うけれども、単にゆっくり生きるということではなくて、長いスパンで物事が見られるようになるという意味ではないかと思ったりする。勝ったら喜ぶ、負けたら落ち込むといった、その場そのときの一喜一憂ではなく、試合でのヒーローやミスをした選手が、これからどんな人生を歩むんだろうなということに思いを向けられる。瞬間ではなく、何十年も先を見据える視線。大きな流れの中にいる自分を、俯瞰して見る。その上で、今は何をすればいいか、自分で決める。だから、スポーツも、目の前の勝ち負けだけにこだわらずに見れば、違った魅力を見つけ出すことができるのかもしれない。サッカー日本代表が、ワールドカップで一試合でもたくさんの試合ができるよう願っている。
2022年12月01日
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帯津良一先生がよくおっしゃるのが、「生と死の統合」の大切さだ。統合というのはどういう意味か。AとBを足すだけでは統合にならない。統合するには、AとBをそれぞれ細かく分解する。量子のレベルまでにするんだろうな。そして、分解したものを混ぜ合わせる。混ぜ合わせてひとつの形にする。Aという要素もBという要素も含まれているが、AでもなければBでもないものが作り出される。それが統合ということだと、ぼくは理解している。ぼくたちが考えている生も死を細かく分解して、それを混ぜ合わせて、生でも死でもないものを作り出さないと、生も死も本質が見えてこない。実は、本来、生や死はそういうものなんだけれども、どうしても生と死の間に、区切りをつけてしまう。生と死は連続したもので、常に、生の中に死があり、死の中に生がある。そう感じられる域に達すべき、今日も明日も、一生懸命に生きていこう。
2022年11月30日
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「無難で平穏無事が一番」ずっとそう教えられてきた。両親ともそういう生き方をしていた。波風が立たず、問題もなく一生を過ごすのは、ぼくは最高だと思うけれども、「でもね」疑問がある。果たして、そんな一生が過ごせるのだろうか。まったくトラブルに遭遇せず、楽しいことばかりなんてことがあり得るのだろうか。お釈迦様は、四苦八苦と言った。苦しみだけが人生さ。無難に平穏無事にと望む気持ちはわかるが、とうていできないことを求めている。これが不幸の始まりだと、ぼくは悟った。無難の反対は?危険とか冒険?もっと単純に考えればいい。無難は難が無いだから、反対は難が有る。つまり「有難」となる。こんな言葉はないらしいけれども、この漢字の並び、見たことがある。そう、「有難い」ということだ。師匠から何度も何度も言われた。「難が有って、有難いんだ。なにかつらいこと、しんどいうこと、苦しいことがあったら、有難いと思いなさい」あのころは、単に言葉遊びのように受け取っていたが、今は違う。困難、苦難をどうとらえるかで、有難い結果が生まれることはいっぱいある。逆に、難を避けようとしていると、結局、泥沼にはまってしまうこともある。「難が有って有難う」これは真理だ。敢えて難を求めなくても、必ず難はやってくるのだから、難だと感じたら、有難うと思うこと。次にどんな展開が起こるのか、楽しみにするといいということ。難が有って有難う。座右の銘のひとつだな。
2022年11月28日
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2022年もあと1ヶ月半。多難な年だった。こういうときだからこそ動こうという人と、じっとしていようという人に分かれるのではないか。人には動く時期とじっとしている時期があるので、必ずしも動けばいいというわけではないが、ぼくは、昨日と同じように今日を生き、明日も今日をダラダラと引きずる生き方はしたくない。動くか動くべき時期に備えて準備のできる人が好きだ。流れに身を任せるのは、何もしないでじっとしているのとは違う。注意深く周囲を観察しながら、自分の現在地をチェックし、いざというときにはすぐに動ける準備をしつつ、流されていくことが大切だ。そのときどき、やるべきことがあれば一生懸命に取り組む。できない理由を並べて、言い訳をして、自分にとって都合のいいことだけ、「身を任せています」ということではなく、都合の悪いことも受け入れる覚悟が必要だ。ぼくは、だれもがぎりぎりまで追い込まれていると思う。ここで選択すべきは、現実をしっかりと見つめて、大きな流れにはさからえなくても、少し右に、あるいは左に、進む方向を変えることができるはずだ。わずかでしかないが、動ける範囲で、どちらへ進むのか、自らの意志で決めること。そのちょっとした方向転換が、大きな滝からの落下を回避できる場合もある。そういう大事な局面にきていると思う。昨日と同じ今日だと思うな!今日と同じ明日がくると思うな!かつて師匠に言われたことがある。頼むから、引きこもらないで、思い切って動いておくれ。ちょっとでいいから。
2022年11月24日
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何年か前、娘のだれかが、ぼくの母親に聞いた。「どうしてお父さんに農業やらせなかったの?」ぼくは、農家の長男。なのに、ほとんど農業を手伝ったことがなかった。母が答えた。「お父さんはドン臭かったから無理やと思たんやわ」子どものころから、引っ込み思案で、人見知りで、運動神経もないし、不器用だし、とりあえず、勉強ができるだけが取り柄だった。ぼくが親でも、そんな子に農業を継がせようとは思わない。もし、「農業をやれ」ということになったら、ぼくは精神的に参ってしまっていただろうと思う。いい選択だったと思う。でも、「ドン臭かったから」はないだろうと、母の返答を顔をひきつらせながら聞いていた。学校からアンケートのようなものがあって、そこに、子どもの性格について書いてくださいという質問があった。父が書いたのが、「小心者」。意味がわからなくて調べてみた。ため息が出た。俺って小心者なんだ。そう思う自分がいた。ずっと続いている。ドン臭くて小心者。親はぼくの将来を心配したことだろう。出した結論は、勉強はできるからいい大学へ行かせて、公務員になるのが一番だ。だから、農業を手伝えとは一切言わなかった。公務員がドン臭くて小心者がなれる職業とは思えないが、当時は、学歴があれば、大して仕事ができなくても務まるのが役所勤めだと思われていた節がある。小学校のときだ。だから、将来の夢は? と聞かれると、公務員と答えていた。高校生あたりから、親のぼくへのドン臭い小心者という評価に反発するようになった。内向的で人見知りの性格を直そうと思った。精神力をつけようと、「精神強化療法」という本をこっそりと通販で買って、親に見つからないように読んでいたものだ。それで精神力がついたかどうかはわからないが、できないことにチャレンジしてみようという気持ちが出てきた。ラグビー部のキャプテンになった。新入生が入ってきたとき、部活紹介があって、緊張したけれども、舞台に上がって、何分か話をした。けっこう勇気がいった。卒業したら家を出て一人暮らしをしようと決めた。ドン臭くて小心者から早く脱出したかった。今でも、それを引きづっている気がする。だから、山梨へ来てからも、がんばって農作業ができるのかもしれない。「なんでこんなことやっているんだろう?」と思いながらも、泥だらけになりながら働いていることが、うれしくてたまらない。こんなこともできるんだという喜びがある。親に張り付けられたレッテルをはがすため、ぼくは生きているのかなと思ったりする。はがれつつある実感は、生きている実感でもある。11月になると、枯露柿(甲州名物の干し柿)を作ろう。去年は固くなり過ぎた。今年はいいのを作るぞ。桃やすもも栽培の仕事もそろそろやらないと。今年も無農薬に挑戦だ。ドン臭い小心者のぼくだって、こんなことができるんだぞ!
2022年11月01日
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ヤギは群れる動物ですから、一頭ではさみしがってかわいそうですよ。そう言われて、1頭が2頭になり、3、4、5、6頭とどんどん増えていった。ニワトリのアローカナとチャボも一羽ずつだが飼うことになり、ますますにぎやかになった。動物好きでもないのに何なんだこの流れは。いつからか、ぼくはあまり流れに逆らわないように生きている。だいたいが、これだけは譲れないということがあまりないタイプだ。流されてきた。それがいい方向に進んでいると、自分では思っているので、へたに逆らわないようにしている。流されながら生きているのは、どこにたどり着くかわからないので、けっこうスリルがある。特に目標もないし、何のために生きていると考えたこともない。ただ、そのときそのときの感覚は大事にしているつもりだ。面白いとか心地いいとか楽しい。そんな感覚ならいいが、ときには、何か違うんじゃないか、居心地が悪いなあといった気分になることがある。そんなときは、決断を先延ばしにする。そうすると、答えが向こうからやってくる。中止になったり、変更になったり、こっちの気分が変わったり、状況が変化する。そうなってから、「まあ、いいか」と流れに任せていく。そんな感じかな。何のためにヤギやニワトリを飼っているのか。「何となく」としか、ぼくには答えられない。これから20年30年、こういうペースでいくつもりだ。ヤギを飼って良かったと思っている。ニワトリもだんだんかわいくなってきた。この先、何が待っているのだろう。
2022年10月31日
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思い込みとか決めつけ。過去の「できない」というトラウマは、がんこな汚れのように、なかなか払拭できないものだ。昨日のラグビー、日本代表のオールブラックス戦を見てつくづく思い知らされた。ラグビーが好きになったのは、中学3年生のときだから、もう50年も前のこと。国際試合では、オールブラックスジュニアに勝ったり、イングランドと接戦をしたころだが、ぼくは覚えていない。その後、日本代表は低迷期に入る。前半はリードしていても、後半にトライを積み重ねられた。惨敗、惨敗の繰り返し。オールブラックス戦。1987年には国立競技場まで見に行った。超満員だった。4対106。がっかりと言うよりも、オールブラックスの強さに興奮しながら見ていた。1995年のワールドカップ。17対145。日本ラグビー史上、最大の汚点となった。「日本のラグビーは進歩した。しかし、世界の進歩はそれ以上だった」そんな言葉が繰り返された。ラグビーファンとして、悔しいやら絶望の日々を過ごしてきた。だから、日本代表=惨敗という思い込みが染み込んでしまっている。2015年のワールドカップでは南アフリカからの大金星を含めた3勝。2019年にはアイルランド、スコットランドに勝ってのベスト8進出。そういう躍進があり、その後も強豪を相手の接戦を演じているのにもかかわらず、いつもぼろ負けするのではという不安が付きまとう。昨日も、3対21とリードされた時点で、50点くらい差がつくのではとがっかりしていた。ところが、そこから盛り返し、結果的には31対38という僅差の試合。勝ってても不思議のない好ゲームだった。昔の日本代表を知っている身としては、信じられない思いでテレビの前にいたけれども、これで日本代表の強さを信じられるようになっただろうか。これから、ヨーロッパへ遠征して、イングランドやフランスと戦い、いよいよ来年はワールドカップ。まだ、惨敗続きの記憶が、頭から消えないのが、正直なところだ。子どものころに、自分はダメだ。できるはずがないと思い込んでしまうと、ずっとそこから逃れられない。どこかで、できないをできるに反転させないと。ラグビーは人がやることだけど、自分のことは自分でやらないと。できる自分を認めるために何をすべきか。死ぬまでにやっておきたい大事なことだ。
2022年10月30日
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80歳前後の人は、本当にパワーがある。昨日も、桃の葉を取っていたら(ヤギのエサになる)、親しくしてくれている方が声をかけてきた。70代の男性で、何度もがんになっては生還しているたくましい人。「子どもや若者が、ケガでスポーツをあきらめなくていいような予防医学を考えているんだ」そのために、気功は使えないだろうかという話だった。人生の最後の仕事として、子どもたちの夢を支える活動をしたいのだと言う。情熱と行動力のある人だから、着々と準備を進めているようだ。80歳の腰の曲がったおばあちゃんは、ぶどう畑の柵を撤去している。新しい柵を作るのだと言う。大変な作業だ。「何年くらいもつんですか?」「30年くらいかな」驚いた。自分は80歳。息子たちはサラリーマンで跡を継ぎそうにもない。孫たちも都会へ出ている。この畑も荒れ地になってしまう可能性が高いのに、自分ができるうちはきちんとやりたいということで、若い人でも途中で投げ出したくなるような作業を、おばあちゃんが黙々とやっている。畑へ行くとよく見かけるが、朝から晩まで働いている。頭が下がるね。知り合いの出版社の社長。80歳を過ぎている。この間、「ちょっとこっちへ来てみた」と訪ねてくれた。短い時間だったが、彼は言った。ある書名をあげて、「こんな本を作りたいんだ」と夢を語る。先輩たちがお手本を見せてくれている。彼らから見れば、ぼくはまだまだ66歳の若輩者。やることはいっぱいある。
2022年10月28日
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更迭された大臣。テレビで答弁を何度か見たけれども、「末は博士か大臣か」と言われた姿かと思うと情けなくなる。世の中の矛盾。「嘘をついてはいけない」嘘つきは泥棒の始まり。嘘をつくと地獄の閻魔様に舌を抜かれるとも言われた。子どもたちは、家庭でも学校でも「嘘=悪」と教えられる。だけど、大人の世界は噓ばかり。嘘を上手につくのが大人になること。子どもたちはどんどん歪んでいく。変な大人になってしまう。権力者たちは、われわれ庶民をバカにしている。バカでいさせようとする。バカの方がだましやすいから。ぼくもだまされるバカの一人だけれども、それでも、少しでも賢くなりたいと、動き始めた。ぼくができるのは、抗議や反対運動ではなく、自分自身と、自分に縁のある人たちが、少しでも楽しくて幸せになれるような場を作ること。政治や行政には期待しないことにしている。自分と仲間だけのちっちゃな世界で快適に暮らす努力をしたい。大河の流れの中の一滴にしか過ぎないけれども、自己満足で終わるかもしれないけれども、まあそれもいいじゃないか。大きな仕事は、大物に任せておいて、ぼくのような小心者の善人は、小仕事をこつこつやるしかない。でも、こつこつが集まると、壁に穴を開けて、世の中が変わるきっかけを作ることができることもあるはず。とりあえずは、目の前のことをひとつ一つ片づけていこう。
2022年10月25日
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無責任でいいとは言わないが、あまり「責任、責任」と頑なに自分を縛ると、体も心も消耗してしまう。適度な無責任が大切だ。そもそも「責任」とはどういう意味なのだろう?「責」はとがめること、責めること。「任」はやるべきことかな。しなきゃいけない!しないと責められる!そんなニュアンスがある。気持ちが縮こまってしまう。「自由と責任」という言い方があるけれども、責任は、自由の対極にあるわけだ。責任感が強いというのは、ほめ言葉として使われるけれども、自由がない人のことを言うのかもしれない。ある任務にがんじがらめになっている姿が思い浮かぶ。ただ、ある程度の縛りがないと人は動かないことがある。人というか、ぼくの場合と言った方がいいかもしれない。今、締め切りなしの仕事をもらっている。手はつけているのだが、なかなか進まず、終わりが見えない。自分で年内締め切りと決めた。これは責任をもってやり遂げよう!と言い聞かせている。
2022年10月13日
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昔、北海道へ移住した人たちは、原野を開拓して農地にした。そうしないと生きていけない。どんなに大変だったか。命がけどころか、命をなくした人もいっぱいいたと思う。農地というのは、農民の命と引き換えに生まれたと言ってもいい。北海道だけじゃなく、日本全国、命をかけた農民がいたわけだ。それが、今ではそこら中に耕作放棄地があるのが田舎の実情だ。戦後、農業は軽視され、農作物は海外から輸入して、工業に労働力を集めようという政策がとられた。そのため、農村から若者が流出することになる。農村は高齢化し荒廃し、今に至っている。いいはずがない。このつけは必ず現実化する。ぼくも、母が亡くなり、農地、山林を相続した。広さはあっても、お金にしたらわずかなもの。「負の遺産」だれもがそう言う。「売れるうちに売ってしまえ」そうも言われた。実際、太陽光発電の業者が買いたいと連絡してくる。もちろん、金額にすればわずかなもの。本当にそれが正しい選択だろうか?ぼくはすごく疑問だ。土地っていうのは、本来、大地のことを言う。たぶん、人間が勝手に大地を所有し始めて、経済価値をもつようになって、土地という言い方になったのではないか。土地というと、一坪いくらというさもしい見方しかできないが、大地と言えば、もっと高尚なニュアンスがある。二束三文の土地を、負の遺産と見るのではなく、大地と考えて判断する必要があるんじゃないか。大地というのは、命を育むという大きな使命がある。ぼくたちは大地から命をいただいている。生きる基本である衣食住は大地からの贈り物。そう見たとき、大地が使命をまっとうするのに、ぼくたちはどんな手助けができるだろうという、謙虚な気持ちになれるはずだ。北海道移民が、日本中の農民が、どんな思いで木を伐り、土を耕したか。そのおかげで、ぼくたちは今、生きている。そこに思いを馳せれば、大地の上に太陽光パネルが並ぶのを良しとするのか、人間の命を支える作物を作るのか、自ずと答えは見えてくるはずだ。太陽光発電も必要だけれども、実家に帰ると、まわりの畑がどんどん無機質なパネルに支配されている。これでいいのだろうか。あれが未来の日本を明るくするとは、ぼくにはとても思えない。ぼくの実家のある村のはずれに古いため池がある。そのほとりに、一人の老人が小さな小屋を建てた。ときどき小屋にやってきては、まわりの竹藪を整理しているらしい。彼のおかげで、竹藪はきれいな竹林になったそうだ。今度帰ったら、訪ねてみようと思う。そして、もし彼に会えたら、なぜそんなことをやっているのか、話を聞いてみようと思う。ぼくは、彼の竹林の方に、日本の未来を託したい。
2022年10月11日
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「迷惑をかけるな」の続き。親から「人に迷惑をかけるんじゃない!」と言われて、迷惑をかけることは悪いことだと思い込んでいる人がたくさんいる。でも、人間というのは迷惑をかけたりかけられたりしながら生きていく動物。なのに、迷惑をかけることを極端に恐れ、迷惑をかけないようにと、とびくびくしながら生きているストレスというのは、大変なものだと思う。どれだけの人が、「迷惑をかけるな」の呪縛で苦しんでいるか。心身に不調をきたす場合もあるし、人と上手に付き合えなくなることも多い。迷惑をかけることを、どこまで許容するか。ここは大事なことだと思う。迷惑をかけずに生きるのは無理だし、迷惑をかけすぎても生きづらくなる。迷惑の総量が決まっているなら、まんべんなく適度に迷惑をかけて生きるのが正解。適度というのは、「ごめんなさい」「ありがとう」ですませられる程度の迷惑かな。さて、「人に迷惑をかけるな!」と厳格に子どもを育て、自分もまわりに迷惑をかけないようにと努力してきた親はどうなっているか。想像だけど、認知症になって、徘徊をして、まわりにとんでもなく迷惑をかけているかもしれない。晩年になって、一生に使うべき迷惑量を一気に消費しているわけだ。迷惑をかけることと人間性とは関係ない。大事なのは、迷惑をかけたときの対処の仕方。素直に謝れる人でありたい。それと、迷惑をかけられたとき、笑って許せる大らかさ。迷惑をかけることも、迷惑をかけらることも、人間性を磨く大切なチャンスそれをなくす必要などない。
2022年10月10日
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小原田の法則。勝手に言っているだけだけど。その一。まわりに迷惑をかける総量はだれもが同じ。迷惑の定義は難しいけれども、人に世話をかけたり、困らせたり、傷つけたり、つらい思いをさせたり。そんなことかな。「迷惑をかけることはよくないこと」だと思い込み、迷惑を目の敵にするように努力している人が、晩年になってから、長患いをして、まわりの人たちのお世話になっていたりするのをよく見る。好き勝手をして生きていた人は、ぽっくりと死んだりする。迷惑をかけちゃいけないと思って生きている人は、生真面目な人が多いから、病気になりやすい。それもがんとか認知症とかうつ病とか。迷惑をかけないことを一番に生きてきたのに、最後の最後でさんざん迷惑をかける。つらいラストになってしまう。あとは、会社やお客さんに迷惑をかけないとがんばっている仕事人間。家族にがまんを強いていたりする。家族にかけている迷惑は気づきにくい。うちの妻も、「あなたに迷惑をかけられていることは数えきれないほどあるけれど、私はあなたに何も迷惑をかけていない」と豪語する。前半は正しいけれども、後半は、残念ながら大きな勘違いだね。人に迷惑をかけないようにふるまえるのは、家族の負担のおかげということはあるはず。できるだけ迷惑をかけないようにするのは大事だけれども、まったくかけないのは無理だし、自分は迷惑をかけていないと思えるのは、よほどの傲慢だということを知った方がいい。自分はまわりに迷惑をかけて生きているのだ、と謙虚になって、迷惑を大目に見てくれているまわりの人に感謝しないと。迷惑をかけてごめんなさい。ありがとう。その気持ちを忘れないようにしたい。
2022年10月09日
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草取りはちょっとした瞑想だと思う。ヤギーずのためにせっせと草を刈ってコンテナに入れる。いろいろな出来事が思い浮かんでくる。たくさんの人に迷惑をかけた。失礼な言動で、人を傷つけたこともあった。あのとき、もっとやれることがあったのではという後悔もある。「人は変えられるのは未来だけだと思い込んでいる。だけど、実際は未来は常に過去を変えているんです。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。過去はそれくらい繊細で、感じやすいものじゃないですか?」(『マチネの終わりに』平野啓一郎より)今どう生きるか、これからどう生きるか。過去はどんどん変わっていくのだと言う。つらかったことも、人を傷つけたことも、その事実は変わらなくても、意味は変化する。オセロのように、今日の一手で、黒がバタバタと裏返って白くなることだってある。くよくよせずに、今を懸命に生きて、光り輝く未来を創っていけばいい。薄暗い未来しか創れなくても、その先に進めば、薄暗かった日々が明るく輝くこともある。すべてのことは正解だった。これで良かった。死ぬ日が幸せならばいい。死ぬ日が不幸なら、死んでからを大切にすればいい。ぼくたちは、終わりなき命に支えられている。やっぱり草取りは瞑想だ。哲学的な思いが頭にも心にも広がる。
2022年10月05日
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若いころは英語が話せる人がかっこ良く見えた。だいたい、世界を飛び回るビジネスマンになりたいなんて思っていたのだから。英会話スクールにも通ったことがあるが、続かない。結局、英語は話せないし聞き取れないまま、今に至っている。30代に入って、ビジネスマンじゃなかったが、世界各国を回るチャンスがあった。気功の大先生の活動を取材していて、「海外でセミナーをするから着いてくるといい」というので、あちこち連れて行ってもらった。そのときに気づいたこと。ぼくは、基本的に人見知りがあって、知らない人とはうまく話せないタイプ。英語が話せれば、無理をしてでも、初対面の人とも会話をしないといけない。けっこうきついものがある。話せなければ話さなくてもいい。こっちの方が断然楽だ。取材には不便なのだが、日本にいても、セッティングされた中でのインタビューならともかく、突撃取材のようなものはできない。まして、海外で外国人にインタビューするなど、ご免こうむりたい。ぼくが英語が話せないことは、先生もご存じなわけで、スケールの大きな人だったから、そんなことでとやかく言われることもなかった。話を聞く必要があれば、先生のスタッフが通訳としてそばにいるので、「ちょっと頼むよ」とお願いすればすむことだった。日本語でもコミュニケーションは苦手なのだから、いくら英語が堪能になっても、うまく話せるはずもない。聞き取れるくらいにはなりたかったが、もう、海外へ行きたいとも思わないし、外国人とも話す気もないからどうでもいい。小さな世界で生きていくのに、日本語があれば十分だ。英語だけじゃない。ぼくは、できないことだらけ、知らないことだらけだけど、そんな自分が愛しく思えるようになってきた。泳げもしないのに、ドルフィンスイムツアーをやって、毎夏、小笠原に20人も連れて行くなんて、ぼくにしかできないこと。できないから、助けてくれる人が現れる。できないことを武器に生きているようなもの。いい人生じゃないか。
2022年10月04日
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ヤギの女の子、あんりが生まれて2週間が過ぎた。ヤギの成長は早くて、もうちょこまか走り回っている。人間のあとをついて歩く姿はかわいくてたまらない。子どもの特別なかわいさは、欲がないことじゃないかな。あんりは、母親のおっぱいを飲んでいる。まだ草を食べない。ぼくたちは、あいつらをコントロールするためエサを使う。「ぜったいに行かないぞ!」と、前足を突っ張って、いくらリードを引っ張っても動かないことがある。そんなときには、彼らの好物を見せれば、ころりと態度が変わる。エサでつれば、だいたいの場合、こちらの思いのままに動かせることができる。だけど、あんりの場合は、それがきかない。あいつの好物は母親のおっぱい。ヤギたちの好物を目の前にぶら下げてもびくともしない。興味がないんだから。あんりを見ていて思った。欲がなければ人に支配されなくてすむ。逆にかわいがられる。人間にとってのエサは?お金だろうな。お金のために、仕事という名目のもと、本当にやりたいことは二の次にして、労力と時間を売っている。お金がないと生きていけないという恐怖や不安を植え付けられているから、お金というエサをぶら下げられると、目を輝かせて、走り出す。動物たちなら、お腹いっぱいになればエサにつられることもない。でも、お金はいくらあっても満腹にはならない。もっともっとと欲が膨らむばかり。お金への欲や執着ががなく、貧しくなることへの恐怖や不安もなくなった人から見れば、こっけいだろうな。ぼくはまだまだ物欲を超越した境地になれない。エサを求めて右往左往する修行が必要なレベルだ。「お金は必要ない」と悟ったことを言う前に、お金のことを真剣に考えるのが大事な修行だ。ぼくは思っている。お金は上手にきれいに人の役に立つように使う人のもとへ行きたがっている。お金は感謝の気持ちを物質化したもの。そういう考え方には賛成だから、お金に振り回されるのではなく、お金に好かれる人、つまり人に感謝され喜ばれる人になろうと。
2022年10月02日
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「いいですね。田舎生活、うらやましいですよ」そんなことを言われることがある。ぼくは、顔では笑っているけれども、「バカじゃないの」と内心では思っている。だって、ぼくは難しいことをやっているわけではないから。だれだってやれる。うらやましかったらやればいいと思うからだ。田舎に引っ越すなんて簡単なこと。テレビで「移住生活・・・・」という番組があったりするけれども、紹介されるのは、それなりの大きな夢にチャレンジしたり、実現したりしている人だから、真似なんかしなくていい。サラリーマンとして定年まで働いた人は、ご褒美として、退職金や年金があるわけだから、上手に使えば、楽にできてしまう。ぼくは、自由業だから、退職金もないし、年金だってスズメの涙。貯金もない。それでも、1年半、特に不自由なく楽しく暮らしている。案ずるより産むが易し。何とかなるものだ。結局、言い訳だらけで生きていると、何もできなくなってしまう。ここだ! と思ったら動くこと。「持ち家だから」売ればいい。ありがたい資金になる。「子どもの学校があるから」田舎にだって学校はあるよ。近くの小学校は、全校児童が30人いない。うちの娘たちも通わせたかった。「虫が嫌いだから」だったら田舎生活がいいなんて言わない方がいい。田舎は虫との共存だから。「体が弱いから」田舎で暮らした方が元気になれると思うよ。「年だから」田舎はもっと高齢化社会。腰の曲がった70代80代の人が畑仕事、がんばってるよ。「仕事がない」その気になればいくらでも見つかる。田舎で都会のような生活をしようと思わないこと。うまくやれば大してお金はかからない生活ができる。いつまで生きるつもりでいるのか。ぐずぐずしているうちに「ご臨終です」となってしまう。今やらないで、いつやるんだ。都会の生活も刺激があって楽しいし、田舎は田舎で、ゆっくりとしたリズムで生きられる。どっちも好きな方を選べばいい。自分がどうしたいのか。しっかり考えて、答えが出たらすぐに動くことだな。ぼくは、山梨へ引っ越して、すごく良かった。まだまだ動くぞ!
2022年09月30日
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ぼくはライター歴が40年近くなる。いろいろな仕事をしてきた。20冊以上の単行本を出すことができた。けっこう売れた本もある。イルカの本は、書店で山積みになっていて、あのときは気分が良かった。雑誌の仕事もした。それと、一番多いのは、人の本を書く、つまりはゴーストライターだった。「この先生の本は小原田さんにやってもらいたい」という依頼もあるが、多くは便利屋ライターとしての仕事だった。ある程度のレベルの原稿を書けるということで重宝されてきた。こちらも、それで生活が成り立つという部分もあるので、頼まれるのはありがたかった。しかし、そろそろ人の本を書くのはやめようと思っている。山梨へ移住したのをきっかけにやめることにした。それでも、これまでの付き合いがあるので、ゼロというわけにはいかない。少なくとも、便利屋ライターはやめた。そもそもぼくは内向的な人間で、人と会うのは得意ではない。根ほり葉ほり話を聞くようなしつこさはない。ある程度インタビューをしたら、それをもとに自分で調べて書いてきた。ネットで調べられるというのはありがたいことだ。内向的な自分はコンプレックスだった。だから、外向的な自分を演じてきた。いろいろな人の取材に行ったり、人の前で講演をしたり、イベントを開催してたくさんの人を集めたり、よくやったと思う。イベントではいつも「なんでこんなことやろうとしたんだろう」と人が集まらない悪夢にうなされたが、だいたいうまくいって、終わったあとの満足感が忘れられずに、また次を企画するという繰り返しだった。もちろん、次も「はーっ」とため息をつきながら準備を進めることになる。ただの内向的な人間だったころに比べれば、自信と度胸はついた。ほかにも得るものはいっぱいあった。でも、そろそろ子どものころの、自分の世界にこもっていることが快適だった、かわいいぼくも取り戻そうと思う。これまでやってきたことも間違いなく生きてきて、魅力的な内向的人間になれるはずだ。と言うことで、60代後半からは自分のことを書くことに力を入れようと思っている。目が外にばかり向いてしまって、自分を見直すチャンスはなかなかなかった。しかし、よくよく考えれば、ぼくの生き方、考え方というのは、とても面白い。60歳を過ぎてから、やっと自分のペースがわかってきて、世間の流れに引きずられずに行動できるようになってきた。今は亡き師匠によく言われた。「人よりも1歩前へ行くのは行き過ぎ。半歩だけ進むといい」その師匠は10歩くらい先を突っ走っていたけれども。ちょうど、今のぼくは、師匠が教えてくれた「半歩先」を実現しているのではないか。これを表現しないでどうする!そんな声が内側から聞こえてくる。
2022年09月25日
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高校時代、できるだけいい大学へ入って、いい会社へ就職して、そこでできるだけ出世するという道に、何の疑問も感じなかった。大学へ入って、初めて劣等生を体験した。工学部へ入ったのが間違い。コンピュータのことも統計学もさっぱりわからない。4年生のときのゼミでは、ほとんど発言していない。だまって時間が過ぎるのを耐え忍んでいた。卒論も幼稚なもので、発表のときには、「墓標としてはいいでしょう」と教授に言われてむっとしたのを覚えている。卒業後、大企業へ就職したはいいけれども続かない。ああいう先輩になりたいという目標が見つからない。10年たったら俺もあんな感じか、と思うと泣けてきた。たった2年でやめた。アルバイトをした。イケイケの会社だった。ここには魅力的な上司がいた。社員になりたいと思った。しかし、会社の方針は、社員は社員、アルバイトはアルバイトという厳しい線引きがあって、よほどのビジネスセンスがないとその扉は開かない。ぼくには無理だった。小さな会社に就職し、下請けの悲哀を嫌というほど体験した。世の中のことなど何も知らないぼくが、現実の企業社会はこんなだよと、入門編から教えてもらったようなものだ。27歳のときに東京へ出て、フリーライターになった。会社にがんじがらめの世界から、少しだけ外に出られた気がした。間もなくフリーライター歴40年だ。よくやってきた。今の自分の生き方や考え方には、これまでの体験が反映されていると思う。優等生も劣等生も、大企業での数年も、アルバイト生活も、下請けのつらさも、東京へ出てきたときの不安も、目先のことばかりを考えて飲み歩いていた日々も、一人で海外旅行に行ったことも、気功のことも、イルカのことも、恋愛も失恋も、結婚も、子育ても、親兄弟との死別も、そして、山梨への移住も、これからのさまざまな展開も、すべて、ぼくの貴重なドラマだ。しっかりかみしめながら生きていきたいな。
2022年09月24日
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大臣ともあろう人が、何とも言い訳めいた情けない発言をしている。他人事に聞こえる。旧統一教会の問題だ。ぼくは日本が大好きだし、、日本こそ、これからの新しい時代をリードしていく存在だと思っている。でも、今の政治家では無理だと思ってしまう。どうしたらいいのか?政治がダメとか、行政が何もしてくれないとか、そんなこと言ってては何も進まない。自分で動くしかない。とりあえず、国も行政も置いといて、自分がどう生きるかを考えることから始めないと。今の政治家を見ていて、自分と家族の未来を委ねられるか。できない。それだったら、自分で考えて自分で行動することだ。世界の動き、国の動きに左右されるのは仕方ない。そんな中にも、小さな自由はある。その部分だけでいいから、一生懸命に自由を行使し謳歌すればいい。それとてせずに、生活のためにやりたくもない仕事をし、せっかくの自由を放棄してしまうのはどうか。いずれは大きな波にのみ込まれて木っ端みじんになるかもしれないが、それでも、今やれることをやろうとするのと、最初からあきらめたり、愚痴や不平不満を言っているだけの生き方とは、ぼくは違うと思う。年齢は関係ない。若くないというのもつまらない言い訳だから。11月20日は、甲州市で「帯津良一先生&多和田眞人先生 ジョイント講演会」です。
2022年09月22日
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野生の生き物と家畜との違い。野生動物は、自分でエサを取る。家畜は与えられる。エサをもらうことで、飼い主に従順になっていく動物たち。イルカでも、エサにつられて芸を覚える。人間はどうか?ほとんどの人は意識していないけれども、ぼくたちは家畜のように飼われていて、お金というエサを与えられ、いいように操られている。ぼくたちは一生懸命に働いて(働かされて)、お金を稼いで、給料が上がればうれしいし、だけども、稼いだお金もうまく吸い上げられてしまう。そのお金がエサになって、上手にコントロールされてしまう。そんな仕組みがあるのではないか。何者かからの支配を逃れるためには、お金から自由にならないといけない。自分でエサを取る、「野生」を取り戻さないと。この間も昨夜も、学生運動のことをテレビでやっていた。自由を勝ち取るために、若者が闘った時代があった。あのころはまだ野生があったのかもしれない。家畜化されないぞという気概があった。今は、大人しくてかわいい家畜ばかりになってしまった。完全に牙を抜かれてしまっている。去勢されてしまった。野生を取り戻すには、お金にこだわらない生き方をしないと。あればあったで上手に使い、なければなくていいような生活をする。「お金がなければ不幸だ!」「お金なんて悪だ!」という極端な考え方ではなく、あってもいいし、なくてもいい。お金にこだわらない柔軟な生き方ができれば、家畜という、安全に見えて、本当はいつ屠殺されるかわからない危険な立場から逃れる道が見えてくるのではないか。そんな過渡期に、ぼくたちはいるのではないだろうか。
2022年09月21日
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今の若者の7~8割は、出世することなど望まず、生活できるだけの給料があればいいと思っているそうだ。だから残業はせず、定時になったら仕事をやめて、あとは好きなことをして過ごす。ぼくたちの若いころは、仕事をばりばりやることが最優先で、残業も当たり前だった。「24時間働けますか」というCMが流行ったのは、昭和から平成に年号が変わるころだ。そのころのぼくは、企業社会からドロップアウトしていたが。ぼくは昭和53年に大学を卒業し、大手の企業に就職した。世界を飛び回るビジネスマンにあこがれていた。しかし、実際に入社すると、ものすごいぬるま湯で、こんなことしてちゃだめだと2年で退職。アルバイト生活をしばらくしたあと、知り合いに誘われて小さな会社に就職した。ここでは、下請けの悲哀を体験した。大企業の横暴さ。ぼくは、そこで3年間で、アンチ大企業になった。フリーになったのは27歳のとき。肩の荷が降りるというが、肩から背中がすーっと楽になった。何が楽かというと、やるべき仕事をこなせば、それに見合ったギャラがもらえる。何時から何時までは会社にいなくてはいけないという縛りがない。自分の仕事さえやっていればいいわけで、余計なところに気を回さなくていい。仕事が増えれば収入も増えるからやる気になる。組織の中でやっていけるタイプじゃなかったんだろうな。会社の中に居場所を見つけられないという若者の気持ちはわかる。ただそんな気持ちで会社に居続けるというのは、ぼくにはわからないかな。仕事は生活のための手段で、別にそこに生きがいを見つけるつもりはないということだろうか。ぼくは、仕事と生きがいは切り離せないな。と言っても、がむしゃらに働くということではない。ぼくが行き着いた先は、仕事というのは収入のためだけのものではなく、世の中へのアピールの手段ということ。こんな生き方もあるよと、表現したい欲求がある。認められればうれしいけれども、だれからも評価されなくても、まあそれはそれでいい。そんなわけで、今は山梨にいるのだが、新しい計画も進行中だ。出世なんかはどうでもいいけれども、若者には志をもってもらいたいなと思う。
2022年09月20日
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親と子の関係は、いくつになっても引きずるもの。幼いころ、親は絶対的な存在として君臨する。親に見捨てられたら生きていけない。その親の態度や言葉は、子どもの心の奥まで染み込んで、ずっと影響を与え続ける。たとえば、車を運転していて、前をゆっくりと走る車がいるとイライラする人がいるとする。親はどうだったか?同じように運転しながら腹を立てていたということが多い。つまりは、親の行動から、こういうときには怒ればいいと学習しているのだ。すぐに暴力をふるう親だと、子どもも、物事を解決するのは暴力だと学習しがちだ。愚痴ばかり言っている親だと、子どももそうなるし、何事にも感謝する親だと、子どもも「ありがとう」が口癖になる。親は絶対的だから、子どもはいいとか悪いは関係なく、その真似をするのだ。今の自分は、親のコピー。何事にも自信をもてないのも、がんばらないといけないと思い込んでいるのも、すぐに弱気になって逃げてしまうのも、親の影響がものすごく大きいのだ。逆に、父親が男尊女卑だと、女の子は、父親に反発して、女性を蔑視する発言や態度に過剰な反応をする場合もある。お金で苦労している親を見ていると、自分はお金持ちになろうと思う。コピーにしても反発にしても、親という枠から外へ出られずにいるわけだ。悩みとか苦しみ、人生がうまくいかない原因は、親の影響を受けて、自分らしく生きられないことへのいら立ちからくる場合が多い。もっとも、深い部分での反抗だから、自分ではそんなこと意識していないし、だからこそ、やっかいな問題なのだ。しかし、親を責めても何の解決もしない。自分の力で、親からの縛りから脱出しないと。まずは、親の影響があって、自分の価値観が作られていることを知る。その上で、どう脱するかを考える。17日の内観の講演会では、いいヒントがもらえるはずだ。親に対しての視点を変える。自分は親の影響を受けている。でも、親もその親の影響を受けている。先祖代々、親の影響から逃れられずに、苦しんできた人はたくさんいるはずだ。影響を受けないのは不可能なこと。だけど、親との関係を冷静に見ることができれば、気持ちは変わる。親に対する見方を変えると、自分の人生が変わる。自分らしく生きられるようになる。ぼくはそんなふうに思って、石井先生に内観の講演会をお願いした。
2022年09月15日
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我が家の3人娘は、それぞれ得意分野が違う。共通するのは、3人とも実践タイプだということ。最初のきっかけはもらうけれども、学校やセミナーで学ぶことはせずに、自分なりの方法で上達していく。典型的なのが次女・氣恵の和菓子作り。絶妙のタイミングで80代の和菓子職人と出会い、和菓子作りの手ほどきを受けた。1ヶ月ほどで、自分で作ったどら焼き、おはぎ、団子をキッチンカーで販売し始めた。和菓子職人も、こんなに早くマスターするとは、とびっくりだ。「文明堂のどら焼きよりおいしい」と絶賛してくれるお客さんもいる。長女の氣子は、自分流で編みぐるみを作り、ぼくの知り合いから習った着物のリメイクを、自分なりに工夫して、仕事にすべく動き出す。三女の氣歩は、小学校のときからの希望通りに障がい者施設で働いている。農福連携をやりたくて、愛知県の事業所に就職した。実践の中で、いろいろなことを感じながら働いているようだ。それぞれ、親にはわからない悩みを抱えつつがんばっているのだろうが、頼もしく育ってくれたものだと、ぼくは感心しながら見ている。世の中、いろいろなことを学びながら、実践の中では生かせない人が多い。現実生活こそ最高の学びの場所。ぼくも、何も知らないまま、ヤギを飼い、果樹の栽培をしている。わからないことは人に聞いたり、試行錯誤しながら答えを探す。妻の弘美も、都会で生まれて育って、畑仕事などしたことないのに、今は首にタオルをまいて長靴をはいて草を刈るのが似合う人になった。そんなことが好きな一家なのだろうと思う。これからどうなるかわからないが、我が家は、この路線で進んでいく。
2022年09月13日
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母の四十九日で、驚く展開が。親戚が20人ほど集まってくれた。3年前に亡くなった妹の2人の娘も来てくれていた。長女には4年生、2年生の女の子、次女には2年生、幼稚園の女の子がいて、彼女たちのおかげで、明るい雰囲気の法要となった。ちょうど、お経をあげているときのことだ。弘美のそばへ、4年生のナナと妹のクミが近づいて行ったらしい。ナナが弘美に聞いた。「このお家、壊すの? 売るの?」母は一人暮らしだった。これで、この家に住む人はいなくなった。「どうしようかな」「私ね、壊さないでほしいの」ナナはとっても利発な子だ。口も達者で、速射砲のように言葉が飛び出す。「私、この家、大好きなんだ。ここに住みたいの」クミもナナに続く。「私ね、この家はこんなふうにしたいの」ナナの速射砲が火を吹く。「ナナは本が好きでしょ。だからね、図書館にしたいの。たくさんの本を集めて、読みたい人が訪ねてくるの。本屋さんって、本を買わないといけないでしょ。でも、読んじゃった本とか、もっていても邪魔になるから、いらなくなった本をもらって並べるの。それだったら、ただで本が読めるじゃない。買わなくても、読みたい本が読める場所にしたいの。ナナね。心配しているの。だって、今、本がスマホで読めるようになって、紙の本がどんどん少なくなっているでしょ。もしも、総理大臣が『もう紙の本をなくします』って言ったらどうしようと思うと、ナナ、すごくかなしくなるの。だから、ここを紙の本がいっぱいある家にしたいの。ゆっくりとさあ、コーヒーとか飲みながら、本を読むって、ナナはすてきだと思うの。ねえ、そんなお家にしようよ。お願い」ナナは、本当に本が好き。本を読んでいる時間が一番好き。わからない言葉があるとすぐに調べられるように、いつも国語辞典をもち歩いているような子だ。そんな彼女が言うと、すごく説得力のある構想だ。実は、ぼくもそんな計画を立てていた。我が家には、たくさんの本がある。段ボールで眠っているだけの本も数知れず。何か縁があってぼくのもとに来てくれた本だ。このまま捨ててしまうのももったいない。「小さな小屋でもいいので作って、そこに本を並べよう。お茶でも飲めるスペースにしたらいいかも」そう思って、母が倒れてから、帰るたびに、段ボールを3箱4箱と持ち帰っている。ナナの話を聞いて、弘美がやる気になった。我が家は、彼女の意志が一番に優先される。もちろん、力関係もあるけれども、彼女がゴーサインを出すと、一気にエネルギーが集まってくる。キッチンカーしかり、山梨移住、ヤギ飼い生活もしかりだ。彼女がその気になると、ダイナミックな展開が起こってくる。法要のあと、姪っ子たちも含めて、ナナの話をもう一度聞いた。そのとき、姪っ子が言った。ナナの母親の妹で、車で30分ほどのところに住んでいる。「私、週末カフェやってもええよ」彼女は管理栄養士で、料理がすごく上手。「春はタケノコでしょ。夏は、山梨から桃やすももをもってきて、お菓子を作ってもらってもいいし、自然栽培の野菜でランチを出してもいいし、面白いんじゃない」弘美のイメージも広がっているようだ。わずか20軒ばかりの小さな集落。年寄りばかり。そんな辺鄙なところにオープンした「図書館カフェ」。小さな道の駅みたいに、自然栽培の野菜や山梨直送の桃、すももが並んでいる。本好きは本を読む。ときどき有名な人の講演会もある。図書館というのは、文化の発信地。ここから、新しい時代の新しい文化を広げていく。ぼくは、ぜったいに実現させようと決めた。4年生のナナと66歳のぼくの夢をかなえるプロジェクト。子どもは、毎日のように、自分の夢を発信している。でも、大人たちは、「ふんふん」と聞いているようで聞いてなくて、実現などしない。それが、子どもの大人不信につながっていく。子どもが言い出したことを本気になって大人も取り組む。一緒に実現していく。その過程で、子どもも大人もいろいろなことを学ぶ。ぼくはワクワクしている。「きっと、ご先祖様がナナの口を借りて、メッセージを届けてくれたのだ」ぼくはそう思う。ぼくだけでは頼りないので、ナナに言わせたに違いない。
2022年09月09日
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なぜこんなことやっているのだろう?毎日のように思っている。果樹栽培もヤギーずの世話も、やりたくてやっているわけではない。かと言って、いやいややっているわけでもない。農家の長男に生まれて、昭和30年代、高度経済成長が始まり、農業に未来はなかった。いい大学を出て、大きな会社へ入って、たくさん給料をもらって、老後は退職金や年金でのんびり暮らす。農家を継いで大変な思いをした父は、息子を時代の波に乗せてあげたかったのだろう。農業を手伝えとは一切、言わなかった。ぼくも、不器用な子で、農作業は苦手だし、両親を手伝おうと思ったこともなかった。ある程度、勉強はできたので、「おとなしくて、賢い子」として、大事に育てられ、地元ではまあまあ「すごいね」と言われる大学を出て、大きな会社に就職した。そこから「違う!」と思い出した。会社を辞め、アルバイト生活をし、小さな会社に再就職して、そこでも、「違う!」と思い、東京へ出た。ライターになって、本を書くという夢も実現したけれども、やっぱり「違う!」という思いは拭えず、山梨へ来たわけだけど、ぴたっときているわけではない。ぼくは、ライターとして、たくさんの魅力的な人たちと会ってきた。そういう人たちに対するあこがれがある。たとえば、奇跡のりんごの木村秋則さんの本も書いたけれども、彼の生き様には衝撃を受けた。自然栽培にも魅力を感じた。桃を無農薬で育ててみようと思った根底には、木村さんの影響がある。ぼくは、ライターでもないし、農家でもない。でも、文章も書けるし、果樹栽培もできる。そういうぼくが、これから何をするのか。そこに、「これだ!」というものがあるんだろうな。10年20年という今生の間に見つかるかどうかはわからないが、次のステージが、それほど遠くないところで待っている気がしてならない。
2022年08月28日
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