老師の言葉 0
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ネットの漫画で、「サラリーマン金太郎」を読んでいる。ああいうエネルギーが湧き上がってくるような漫画を読まないといけないな。こんなセリフがあった。金太郎ではなく、上司が語ったもの。「日本は病気にかかっている気がしませんか」 「病気とは?」 「サラリーマン病ですよ。サラリーマンとは集団の・・・組織の中にいるその組織の中に個人を埋没させ・・・集団という隠れ蓑の中に隠れ・・・個人の責任をなるべく取らないでいいように弱気に・・・周囲との協調ばかりをはかってきた・・・無難に 無難に社会の常識からはずれぬよう・・・マイナスポイントを持たぬよう・・・みんなが見るテレビは愚にもつかぬお笑いか・・・みんなでいじめられる材料を見つけて社会から はみ出た者を娯楽として集団で いじめる・・・役人も政治家もマスコミも個人として責任を取りたがらないサラリーマン病ですよ」サラリーマンであろうと、経営者であろうと、どんな職業であっても、志のない人間はつまらない。元気をもらった。
2024年02月24日
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だれしも、のんべんだらりと生きているわけではない。なにがしかの苦労をしつつ、懸命に前へ進んでいる。生きるというのはそういうこと。苦労を望んだり好む人はいないと思うが、多かれ少なかれ、つらいこと悩むこと苦しむことを体験させられるようにできている。ただ、苦労を実にするか毒にするかは自分次第。腐敗するか発酵するかの違いかな。ウジ虫がわくような生ごみになるか、味噌や納豆のようになるかは、考え方によって決まってくる。ぼく自身が戒めていること。「どうして自分だけが」と考えるのは腐敗への道。みんな苦労しているし悩んでいる。自分が苦労の王様なんてことはない。とげが刺さっても骨折しても痛いものは痛い。骨折の痛みを知っている人は、とげの痛みもわかるはず。「そんなの大したことないよ」と言えるのは、より大きな痛みを知っている人だけだ。苦労を乗り越えた人は、同じような苦労をしている人を助けることができる。末期のがんから生還した人は、その体験を語ることで、がんで悩む人の救いになる。言い訳も腐敗につながる。できないことは素直に認めて、「ごめんなさい」と謝って次につなげればいい。できない理由は探さなくていい。本当にそれがやりたいなら、できるようになるにはどうしたらいいか、そちらに目が向くはずだ。できない理由を探して、言い訳をしているなら、それは本当にしたいことではないわけで、ほかの道を探した方がいい。でも、どこかで言い訳をやめないと、いつまでも探し続けて終わってしまう。腐敗を発酵に代えるには、とにかくやってみることだ。成功、失敗なんていうのは、やってみないとわからない。成功すれば万々歳、失敗すればやり直せばいいだけのことだから。昔、今言ったような話を両親にしたものだ。いつも言われた。「お前の言うてることはきれいごとや。現実はそんな甘いもんと違う」気功の話も、無農薬のことも、脱原発も、両親の心には響かなかった。「あいつは何も知らんから」「経験がないから」で終わりだった。あれはかなしかったな。悔しかったな。だけど、それが今のぼくの行動の原動力にもなっている。志をもって生きようとすると、必ず足を引っ張る人が出てくる。しかし、それは大事な存在だと思っている。鉄下駄をはいてランニングするようなものだ。足腰が鍛えられる。ぼくは思った。「口だけじゃだめだ。実際にやってみよう」今の山梨での果樹栽培につながった。あのとき、両親が「お前はええこと言うな。偉いな」とほめてくれたら、そこで満足して、農業をやろうなんて思わなかった。口だけで満足してしまっていただろう。腐敗で終わっていた。今は発酵に向かっていると思う。行動していると味方、仲間、応援団も増えてくる。人が集まれば、きれいごとが現実になってくる。ぼくは、これからも「きれいごと」や「夢物語」を大切にしていきたいと思っている。
2024年02月23日
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来月には68歳になる。60代もあと数年。振り返ってみると、転機、転機、転機だった。還暦を迎えたのが2016年。父親の前立腺がんが見つかったのが2005年。少しずつ進行して、そのまま自然に任せておけば良かったのに、2016年くらいだっただろうか、検査数値が悪いことを気にして、きつい薬を処方してもらい、そこからガクッと体調は悪くなった。足もとがふらつき、玄関で転倒して背骨の圧迫骨折。一気に全身状態が悪くなった。2017年には入院し、2018年5月に88歳で他界した。もともとわがままな父親だ。入院をすすめてもウンと言わない。母や妹、弟は看病で大変だった。父が亡くなったあと、家中が嵐の中に放り込まれたような激動だった。この嵐に一人で立ち向かおうとしていた妹が、心身ともに限界だったのだろう、突然倒れて亡くなった。数ヵ月後、弟もあの世へと旅立った。2019年、ぼくは63歳。2度も腰が抜けるとはこういうことなのだという体験をしたのだ。表面上は平気な顔をしていたが、心は重くて、血圧も急上昇。いまでも、あのときのダメージは引きずっている。一人暮らしの母のことは気になったが、どうしても実家に帰る気にはなれなかった。共倒れになってしまう予感があった。ただ、あの状況の中で東京で暮らしてたら、ぼくが壊れてしまうというのが、妻の予感だった。変化が必要だった。そんなときに、次女の氣恵がキッチンカーを始め、よしこれからというときにコロナ禍。出店場所がことごとく閉鎖してしまったのだ。仕事を求めて、氣恵は山梨に移った。ぼくたちも何度か行くうち、山梨が気に入った。弘美の主導で、山梨への引っ越しが決まった。ヤギも飼うことになった。それが、ぼくが65歳のときだった。大きな変化であり、ぼくにとっては、これまで取材してきたことを、ここで実践するというチャレンジだった。ヤギのお世話をしながら、無農薬での果樹栽培をする、まったく新しい生活が始まった。この変化によって、ぼくは救われた気がする。そして、2022年には母が亡くなり、結婚した次女夫婦が、空き家になった実家に住んでくれることになった。実家の横の更地に、ソーラーシェアリングという太陽光発電施設を作った。このあと、キッチンカーに加えて、農業をやったり、竹炭を作るなど、次女夫婦が中心となって、事業化していく流れが始まっている。ぼくの中では、60代前半の、あのかなしみからは這い上がることができた。65歳からのダイナミックな変化が、心の空洞を埋めてくれたし、次のステップに背中を押してくれている。妻だったり、次女夫婦だったり、家族が助けてくれた。70歳を前に、もっと大きな波がくる予感がする。70代~80代には、なりたかった自分になっているのではないか。ぼくはお山の大将でいるのが心地いい。まわりの人たちが動いてくれて、勝手に物事が進んで行く。食もエネルギーも自給自足できるようになりたいと思えば、それが実現していく。障がい者雇用をしないといけないとつぶやけば、まわりの力で現実化する。それでいて、だれもが、小原田さんがいるからこうやって動いているんだと、ぼくの存在を認めてくれる。ぼくがいることで、まわりが幸せになっていけばいい。いわゆる長老というか、酋長みたいな存在。70代80代のぼくの理想だな。その前にやることはたくさんあるから、まだまだ動くけど。こうやって振り返ると、激動の60代だったし、それはすべて、70代80代に向けての大事な準備だったような気もする。両親にも、妹、弟にも、心から感謝しないといけない。
2024年02月22日
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ぼく自身、今はリズムが悪い。数日前、いい刺激があって、エネルギーがぐっと上がった。そこから沈み始めた。気力が霧散していく感じがする。こういうときは新しいことに手を出さない。やり残していることを片付けてしまう。せん定した枝を燃やさないといけない。ただ、雨だから、これはもっと後だな。原稿を進めないと。天気も悪いし、外へも出ないし、ちょうど仕事をするにはちょうどいい。あまり進まないかもしれないが、書いているうちに、徐々に本来のリズムに戻っていくことがある。読みたい本があるので、読書の時間に使うものいいだろう。この何ヵ月か、ずいぶんと本を買った。じっくりと本と過ごすのもありだな。リズムが悪いときには無理は禁物。いい結果が出るはずがない。がまんするときはがまんする。時間がたてば愉快な時間は戻るし、次はもっと軽快なリズムがくることも多い。天気も下り坂だし、ゆっくりしよう。
2024年02月21日
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節目のときには、一見してマイナスだと思える出来事が起こってくるものだ。体調が悪くなったり、経済的に苦しくなったり、人間関係が壊れたり、仕事で行き詰まったり。しかし、それが過ぎると、思わぬことから、ぱっと視界が開けてくることが多い。しかし、マイナスの出来事が起こったときに、そのエネルギーに引っ張られて、イライラしたり落ち込んだりすると、前へ進めなくなってしまう。何か自分に不都合なことが起こったら、節目だなと思えばいい。そして、しばらくは愉快ではない状況が続くかもしれないが、イライラせず、落ち込まずに、晴れ間が出るのを待つことだ。少しずつ明るくなって、雲が切れて、日が差し始める。これまでとは違う、いちだんと明るい日差しに照らされ、「よしやるぞ」と気持ちが高ぶってくる。よく言われるけれども、ジャンプするときには、一度膝を曲げて、体を沈める。体を沈めないと高く跳べない。志をもって生きている人間にはさまざまな試練がある。動き出した列車からは下りられない。仕方がない。あきらめて、そして改めて覚悟を決めて、自分の乗った列車の中で全力を出しきることだ。覚悟をもったあきらめ。それが肝心。
2024年02月20日
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ソーラーシェアリングフェスティバルに参加したことで、自分の足もとを見直すことができた。まだまだできるぞと、発破をかけられた気がした。まだ余生は早すぎる。自分に言い聞かせながら帰ってきた。ソーラーシェアリングの産みの親、長島先生は80歳だけれども、もっといいのを作ろうとがんばっている。ソーラーシェアリングに取り組んでいる若い人たちは、世の中に漂う違和感を何とかしようと、懸命にもがいている。「世界を変える」これが合言葉だ。世界を変える!一人でできることではない。でも、できないとあきらめるのではなく、自分なら何で世界を変えられるか考えないといけない。ちっちゃなことの重なりが大きな変化につながる。ぼくの場合、ひとつは文章を書くこと。この間、古い付き合いの編集者と会って、「もうひと花咲かせよう」という話で盛り上がった。30年も前のこと、ぼくも、イルカの本で、ひと花咲かせることができた。そのときの担当の編集者が彼だった。彼も管理職兼務になって、あと5年で退職。今年と来年。2人でいい本を作ろう!このままじゃいけないということを伝えよう。こんな道があるじゃないかと訴えよう。そんな話をしていたら、エネルギーが沸き立ってきた。その後、ソーラーシェアリングフェスティバルの仲間たちのパワーに触発されたわけだ。ぼくは、「家族」をテーマにしたい。世界を変えるには、家族の大切さに多くの人が気づかないといけない。家族で何ができるか。今のような、父親がサラリーマンで、母親がパートで、子どもたちもそれぞれ勤めているというばらばらの状態ではなく、昔の、家族が一緒になって米や野菜を作るような、そういう関係。家族がひとつの方向を向いて動く。血のつながった家族があり、そこに外からの血が加わり、さらに、その周辺に志を同じくする仲間が集まってくる。人が集まってくれば、確実に物事が動き出す。小さな動きが、徐々に大きな波紋となって、世の中に広がっていく。その核となるのが、ぼくの場合、妻、3人の娘、娘のパートナー。核さえしっかりしていれば、どんどん吸引力が高まってくる。まだまだ隠居爺にはならない。この数日で、気合が入ってきた自分を感じている。
2024年02月19日
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ずっと健康で生きてこられた。強い体に産んでもらったのはありがたいことだ。しかし、60代後半になると、あちこち劣化してくる。目は前から悪い。耳が少し遠くなっている。歯は子どものころから弱かったが、ここ1年、ずっと歯医者さんに通っている。ただ、差し歯はあっても入れ歯はない。血圧は高目。小便も勢いよく出なくなった。坐骨神経がときどき痛む。ひざも少し痛い。寝付きが悪く、睡眠の質もあまり良くない。といったところかな。それでも、薬をまったく飲んでないのは大したものだ。健康のためにやっていることは。サプリメント一種類。簡単な気功。ゆっくり水素風呂に入る。最近、粉寒天をお湯に溶いて飲んでいる。いい便が出て気持ちいい。くらいかな。食べ物は適当だし、日々の農作業が運動だ。お酒は毎晩飲んでいる。ビールとウイスキーか焼酎。自家製の梅酒、スモモ酒をときどき飲む。健康にもいいと思う。自分で果実酒や酵素を作るのは好きみたいだ。あとは気持ちの問題。何かしていないと不安になってくるのは、長い間に洗脳されたものだと思う。のどかな村で、ぼんやりと一日を過ごすのは、悪いことではないが、何十年も動き回ってきた癖があって、罪悪感があったりする。余計な付き合いを削ったことで、ゆっくり生きられている。いいに決まっている。なのに、たくさんの人と会って、大したことでもないのに、あれこれ話していると安心するというのは、貧乏性からくるものなのか。いろいろ物事が順調に進んでいって、生活もきちんとできるし、あちこち動いているときよりも、もっといい働きができているのにもかかわらず、そこに目が向いていかない。ストレスの少ない生活がストレスの原因という、皮肉なことになっている。この部分の意識の転換が、ぼくにとって一番必要なことだ。自分ができることはやって、あとは人に任せるくらい鷹揚に構えてないと。
2024年02月16日
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池袋で帯津良一先生の米寿をお祝いした。帯津先生とも長いお付き合いだ。初めてお会いしたのは、1988年の上海。気功の学術大会だった。ぼくは、上海を旅行しているとき、何人かの気功師に会い、体が動くなどの体験をして、もっと気功のことが知りたくて、学術大会に出ることにしたのだ。ここに日本から発表者として参加していたのが帯津先生。がん治療に気功を取り入れているという帯津先生の話に、驚きと可能性を感じて、もっとこの先生に近づきたいと、名刺の交換をした。以来、たびたび川越にある帯津三敬病院を訪ね、病院の食堂で先生とお酒を飲みながら、いろいろお話をお聞きした。中国で474「787」というヘビの毒から作った抗がん漢方薬を見つけ、週刊ポストで紹介したとき、先生に上海まで同行してもらったこともある。さらにその後、先生に教えを請いながら、『ガンを治す大事典』(帯津良一編著 二見書房)という、がんの代替療法を集めた本を作ったのは、ぼくの勲章でもある。以来、30代、40代、50代、60代と、常にぼくは先生を師として生きてきた。肩の力を抜いて生きること。先生から学んだことだ。「これは譲れないということはそんなにないですね」淡々と我が道を歩む帯津先生。自己主張をして、自分の都合のいい方向に人を引っ張ろうとする人が多い中、先生の生き様は、さわやかで潔くてすてきだ。今は、月に一度、池袋でお話を聞いている。お酒もおいしい。ずいぶんと前だが、「先生が90歳でぼくが70歳になったとき、先生とはどんなお話をしながら飲むか楽しみです」と話したことがある。もうあと2年もすれば実現する。帯津先生とお会いできて、長くお付き合いさせてもらっていること。これがぼくの人生の一番の宝物だ。出会いによって、人は変わる。
2024年02月15日
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あと一年の命だと思って今を生きるという話を、昨日書いた。前から思っていたわけではない。帯津先生からは、「今日が最後の日だと思って生きる」と聞かされていた。いつかそういう心境になりたいと思っていたが、ぼくには無理そうなので、一年の命ならどうだろうとひらめいて書いたところ、けっこうたくさんの反響をもらった。よく、願を叶える方法として、「一年後の自分をイメージする」というのがある。一年後、年収1億円の自分をイメージすれば、実現するよという話が流行ったことがある。イメージの大切さはわかるが、いかにも西洋的なご都合主義に感じられて、ぼくはあまり好きになれない。だけど、一年の命と考えて今を生きるというのは、日本的な武士道に通じるものがあって、ぼくは気に入っている。やっぱり「死」を意識して生きてこそ、「生」の深みが増す。今年の元旦には、能登でたくさんの人が亡くなった。お正月をお祝いしている最中のことだ。そんなことだれも予想しなかったはずだ。もうすぐ、3月11日は、あの東日本大震災から13年目の悲しい思い出の日。ぼくたち人間の歴史は、「かなしみの積み重ね」だ。これも帯津先生の言葉だが、「人間の本質はかなしみにある。私たちは、かなしみの大地に花を咲かせる存在だ。かなしみが本質だと知っていると、ちょっとやそっとでは揺らがない」明るく前向きに生きないといけないと思っている人は、ちょっとしたかなしみに、心がずたずたになってしまう。落ち込んでしまう。ごう慢にもなりやすい。だから、人はかなしみを体験して、それを受け入れながら、少しずつ少しずつ、強くなっていくのだろう。そして、やさしくなれるのだ。
2024年02月14日
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尊敬する帯津良一先生は、「今日が最後の日」と思って生きておられる。だからこそ、充実した日々が送れるのだろう。ぼくも見習いたいと思っているが、頭では理解できても、本気でそうは思えないものだ。いつも、「明日があるさ」と今日を無駄に生きてしまう。ただ、どんな人でもいつかこの世からお別れするわけで、今生の自分を終える時がくる。今日かもしれないし、明日かもしれないし、10年後かもしれないし、わからないからのほほんと生きていられる。そこで考えたのが、「自分の命があと一年だと考えて生きる」ということ。あと一年の命と考えたとき、今日をどう生きるか。締切りがないと、いつまでも原稿は仕上がらない。この一年、こういうことをやろう! と決めて動き出すと、さまざまな変化が起こってくる。決めたことが実現しなくても、ほかのことが形になっていたりする。決めたからやらなければいけないとストイックになる必要はない。自分が決めたことよりも、もっと大事なことはいくらでもあるのだから。決めるというのは、単にきっかけに過ぎない。いつまでも生きられると思っているから何もできないまま、一年が過ぎ、二年が過ぎていく。帯津先生のように、今日が最後の日という生き方ができればいいが、凡人には無理なことなので、せめて、人生に締切りがあることを意識するようにすることだ。今日からやろうと決めた日が、余命一年を宣告された日。来年の今日、最後の一年をどんなふうに振り返ることができるだろうか。そして、次の最後の一年、どう生きると決めるのだろうか。ぼくは3月6日が誕生日だから、この日を節目にしよう。こんなの楽しいと思うけれどもどうだろうか?
2024年02月13日
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「えーっ!」何日か前のこと。妻が素っ頓狂な声を上げた。ネットのニュースを見てのことだ。「どうしたの?」「イトーヨーカ堂が北海道から撤退しちゃうんだって」北海道、東北、信越の店舗を閉鎖するのだそうだ。妻は札幌の生まれ。29歳でぼくと一緒になるまで札幌で暮らしていた。「私は一生、札幌から出ない」と言うほど、北海道愛にあふれた人だった。交通事故でひどいむち打ち症になって、どこへ行っても良くならなかったのが、中川雅仁先生の真氣光という氣功によって、ほんの15分で完治したことがきっかけで、中川先生の会社で働くことを決めた。札幌から東京へ出ることを決めたのだ。そして、ぼくとも縁があって、以来、埼玉、東京、そして山梨で暮らしている。札幌は遠く離れたところだけれども、彼女にとっては大事な故郷。そこで起こったことには敏感に反応する。まして、大好きな買い物だし、若いころはイトーヨーカ堂にはずいぶんとお世話になり、東京時代も近くに店舗があって、子どもたちを連れてよく行っていた。大型スーパーがあちこちに出店し始めたころ、どんどん小さなお店が閉店へと追い込まれた。先の見える人はこう言っていた。「大型スーパーが閉店したら大変なことになるよ。買い物する場所がなくなってしまう。買い物難民があふれるよ」大型店への依存は怖い。イトーヨーカ堂の場合は、地場のスーパーなどが、撤退後に入るそうだから、何とか庶民の買い物の場所は確保できつつあるみたいだ。しかし、高齢化がもっと進めば、遠くまで行けない人も増え、小さなお店を大切にしておけばよかったという話になっているのではないか。便利さ、安さばかりを求めて、先を考えずに選択をした結果だと言ってもいいかもしれない。買い物難民の問題は、田舎ではけっこう深刻になっている。ぼくが住んでいる地域は、若い人たちがいなくなり、残ったのは70代、80代のお年寄りばかり。昨日、畑で会った方は、85歳だった。一人で桃の木のせん定をしていた。「若い人はこんなことやらないから」桃の木もずいぶんと切って減らしたそうだ。車がないと暮らしていけないので、80代でも、車に乗っている人は多い。「ちょっと調子が悪くて」と手が震えているような人でも、一人暮らしだと、車を手放せない。危険だけれども、生活のためには運転せざるを得ない。週に一度、大型のバスを改装した移動スーパーがやってくるのが救いだが、決まったコースしか走ってないので、みんなが恩恵を受けるというわけにはいかない。こういう村は、全国に数えきれないほどあるはずだ。今の社会システムだと、山村が生き残る道はないのだろうか。便利さや安さもいいけれども、もっと日本全体を考えて、どうしたら持続可能か、真剣に考えていかないといけないな。年寄りは、健康のために毎日畑を耕して、自分で作った作物で生き延びていくというのも、ぼくはありかなとは思っているけれども。そうやって、自分の身は自分で守るという世の中に向かっているのかも。
2024年02月12日
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昨日は、突然、若いカップルが訪ねてきた。グーグルマップを見て、「ヤギに会える」ということでやって来たようだ。ちょうど、夕方のご飯をあげる時間だったので、準備をしながらお話をした。大学4年生で、4月から社会人。春休みを使って、羽を伸ばしているとのことだ。「サラリーマンが嫌になったら、田舎でヤギと暮らすのもいいよ」そんな話をして笑っていたが、彼らとしては、きっと就活もがんばって、希望に燃えている時期だから、余計なことだったかもしれない。あの年代でのぼくの人生設計だと、大手の企業で出世して、たくさん給料をもらい、貯金と退職金と年金で、悠々自適の生活だった。自分の目論見とはまったく違う67歳を生きている。何もかもが中途半端で、何かを成し遂げたということもなく、成り行き任せでたどり着いた現在。いばれることは何もないけれども、間違いないのは、今を楽しく生きているということ。そして、これからの人生も、何ができるかはわからないけれども、何もできないかもしれないけれども、ぼくはとても楽しみにしている。期待感というか、希望があって、日々、ときめきをもって暮らしている。いろいろあったけれども、ぼくは幸せだと思う。昨日の若者たちも、これからいろいろあると思う。何か行き詰まったときに、ふと、山梨の山里でヤギを飼っていた老夫婦を思い出してくれて、「ああいう生き方もあるな」と思ってくれるとうれしい。「桃の花が咲くころおいで。きれいだよ」「また来ます」「すももがなるころくるといいよ」「ハイ」「おっきくて甘い桃を食べさせてあげるよ」「楽しみにしています」「やぎにはまってしまいました」そう言って帰っていった。そう言って帰って行った2人。彼らの先がどうなるのか、今まで以上に予測のつかない時代になるだろうと思う。大変だとは思うが、幸せになってほしいと願っている。
2024年02月11日
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年末に、右上の奥歯のかぶせ物が取れた。治してもらったが、ご飯やうどんならいいが、もう少し固い、ピーナッツやかりんとうをかむと、しみるような痛みがある。何度かかみ合わせを調整してもらって、半分くらいの痛みになったけれども、右でかむのは苦痛で、抜くしかないのかと思ったりもした。そしたら、今度は左奥歯のかぶせ物がとれた。右でも左でもかめない。これは不自由だ。昨日、とれたかぶせ物をもってはめ直してもらった。そしたら、かみ合わせが微妙に変わったのだと思う。右の奥歯への負担が少なくなったのか、あの不愉快な痛みが、ゼロとは言わないが、激減した。こういうのを怪我の功名と言うのだろう。だから面白い。だれも予測できないことが起こってくる。歯医者さんだって、左の奥歯の治療をして、右の奥歯の痛みがなくなるなんて、思ってもみなかっただろう。でも、なぜ右の奥歯が痛むのか、聞いてみた。「神経をとったらいいのですか?」「神経の関係ではないと思います」「じゃあ、どうすればいいのですか?」「歯周病の影響があるかもしれません。ひどく進んだ歯周病ではないけれども、痛みが出るのかもしれません」これを聞いて、ぼくは「よしっ」と思った。「歯周病なら自分で治せるじゃん」そうひらめいたのだ。方法は、大したものじゃないので公表しないけれども、これでいける気がする。うまくいって、痛みが消えたら、公表することにしよう。病気とか病気治療とか、医学が発展するにつれて、どんどん難しくなる。寝ていれば治るものまで、病名がついて、薬が出されて、気持ちから病気にされていく。知り合いがこんなことを言っていた。「大昔、縄文時代くらいかな、病気はなかったんですよ」「みんな健康だったの?」「いや、病気という概念がなかった。だから、体調が悪くなれば、病気だ大変さと思わずに、静かに横になって、元気になるまで待っていた。中には、元気になれずに死ぬ人もいたけれども、それも自然の摂理だと受け入れていた。だけど、薬草や呪術で治そうという行為が出てきたことで、病気という概念が出てきて、病気になることは悪いことだから、治さないといけないと思い始めた。西洋医学が入ってきて、その傾向はさらに顕著になってきた」なるほどと思った。漢方も西洋医学も、ぼくたちが健康に生きるために貢献してくれている。しかし、あまりにも行き過ぎた健康志向は、逆に病的に思えてくることもある。簡単なことで治るなら、そっちを優先すればいい。自分で何とかできることはいくらでもある。それを、ちょっとしたことで病院に足を運ぶことで、余計にややこしくしている。昔の人の知恵を生かさない手はない。そんなふうに思っている。
2024年02月10日
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生体には、バランスが崩れれば、それを元に戻そうとする力が働く。いわゆる自然治癒力という不思議で偉大な力だ。同時に、生命体には、治す知恵がある。野生の動物が、体調が悪いときには、こういうものを食べればいいとか、何も食べずにじっとしているのがいいとか、だれかに教えられたわけではないのに、生き延びる知恵が備わっている。すごいと思う。子どものころを思い出した。風邪をひいて熱があって布団に入っているとき、退屈でたまらない。ぼくは何をしていたか。妄想していた。布団の中が秘密基地。そこには、鉄腕アトムとか鉄人28号とか、当時のヒーローたちが終結している。ぼくは司令官。ぼくを苦しめているばい菌たちを、ヒーローたちを出動させてやっつけるという、ゲームを頭の中でやっていたのだ。病気治療のことを取材するようになって、これってイメージ療法じゃないかと感心したことがある。テレビでツボ治療の効果について紹介していた。ハーバード大学とかスタンフォード大学が、ツボ刺激によって、脳からある種の脳内麻薬が分泌され、痛みを抑えたり、体温を上げたりするということが、最近になってわかったという話だった。芸人さんがモデルになって、ハリ治療をしたときの体温の変化を測定し、ハリ治療は効果があると盛り上がっていたわけだ。しかし、中国4000年の歴史というけれども、はるか昔から、そんなことはわかっていた。つまり、今の医学というのは、4000年も前の人間の知恵を後追いしているだけのこと。そんな遅れた科学を、ぼくたちは信望している。もちろん、ぼくたちの体験を医学的に証明していくことは無駄ではないが、数千年、ひょっとしたら数万年の遅れがあるということは認識しておく必要がある。ぼくのイメージ療法など、だれにも教わってないし、60年も前には、話題にすらならなかった。非科学的な話だ。それでも、イメージの力は、医学でも研究されて、証明もされているわけで、ぼくは、最新の医学よりも、60年も先を進んでいたことになる。それも、まだ小学生。天才じゃないかと思う。科学的な立証が優先されるばかりに、ぼくたちが本来もっている生きる知恵が生かされなくなっているのではないか。ふっと思ったこと、何気なくやっていること、そんな中に知恵が隠されている。直観とか予感とか、感じることを大切にしたいね。
2024年02月09日
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どういう生き方がしたいのか?ぼくは、ひと言で言えば、「質素で豊かな生活」。質素で豊かとはどういうことなのか。具体的に言うと、自然に即した生き方かな。都会よりも田舎の方が、質素で豊かに暮らしやすいと思う。たとえば、近くにある畑でとれた旬の野菜を食べるということ。それも、無農薬、無肥料で育てたものの方がいい。農作業は適度な運動になる。朝日とともに起きて、暗くなったら寝る。遠くに出かけなくても、家のまわりを散歩しながら、ていねいに観察すれば、いろいろな発見があるはず。そんな生活ができれば、お金もそんなにいらないし、電気やガスといったエネルギーもあまり使わずにすむ。そして、たまに「豪華で貧しい」どんちゃん騒ぎもしてみる。盆と正月くらいは羽目を外すのもいいじゃないか。決して難しい話ではない。「やりたければやればいい」そんな声が心の中から聴こえてくる。質素なだけではストレスになるが、そこに豊かさが加われば、楽しくて仕方ないはずだ。ただ、ぼくたちは、豊かさというと物質的なものを求めてしまいがちで、豊かさの本質に目を向けないといけない。それに、家族の調和というのもある。ぼくがいくら質素な生活を求めても、家族が物質的な豊かさの信奉者だったら、そこでいさかいが生じる。争えば争うほど、豊かさから遠ざかって、何のための質素な生活かわからなくなる。山梨にも、自分は田舎生活にあこがれているが、奥さんは都会から離れられないので、一人で移住してきている人がいる。自分の理想を貫くという面ではすてきだけれども、ぼくにはできない。家族がひとつの方向に目を向けたときにゴーだろうな。そういう面では我が家はけっこううまく行っている。田舎で生活する上で、一番ネックになるだろうと思われていた、都会で生まれ育った妻が、とても積極的に田舎生活を満喫しているのは意外だった。娘たちも、都会の生活よりも、田舎で暮らすことの楽しみを見つけているみたいで、先行きは明るい。まだまだぼくの理想とする「質素で豊か」な生活には遠いけれども、この方向で、いい形が出来上がると思っている。ヤギを飼ったは大きかった。動物たちは、人間と自然をつなぐ大事な役割りをしてくれているように思う。
2024年02月08日
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山梨では、月曜日が大雪。山間部にある我が家では25センチほどの積雪があった。山梨へ来て3年目でこれほどの雪は初めて。東京でも、こんなに積もったのはなかったかもしれない。ふと思ったのは、大人と子どもの違い。子どもだったら、「わー、雪だ。雪だるまを作ろう! 雪合戦ができるぞ!」と大喜びするはず。雪は天からのプレゼントだった。かつては、ぼくもそうだった。ところが、大人になると、「うわっ、雪かき大変だ」「出勤できるだろうか」そんなふうに考える。子どもは、今だけを見て楽しみ、大人は、明日を思ってうんざりする。大人になると、今に集中できなくなってしまう。未来を予測して準備をするのは大事なことだけど、遊び心、楽しみを減らすことでもある。今回も、雪だるまを作ろうとも思わなかったし、雪玉を作って投げることもしなかった。降り続ける雪を見てため息をつき、テレビやネットの天気予報に耳を傾け、車を出せるようにと、スコップで雪をかいていた。自然と共に生きるというのは、田舎に住むことではない。自然が織りなす、さまざまな現象に、感動し、畏敬の念をもつこと。そんな気がする。そういう意味で、鈍感になってしまった。無邪気に生きると、人生は楽しいことだらけなのに。
2024年02月07日
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スモモのせん定がほぼ終わった。素人ながら、3年目となると、ぼんやりとせん定の意味もわかってきた。まずは栄養を樹木全体に巡るように枝を切る。ものすごい勢いで天に向かって伸びる枝がある。徒長枝と言う。たぶん、勢いがある分、栄養をたくさんとるだろうと思う。ここには実がならないから、全部切ってしまう。枝分かれしていて、片方に栄養を集中した方がいいと思えたら、もう一方の枝は切ってしまう。さらに、樹木全体の形を整える。あまりにも枝がいびつに伸びていたり、枝が混雑してるような木は、病気にもなりやすいし、おいしい実ができない。そんな気がする。といったことを考えながら(正解かどうかはわからない)、電動のせん定ばさみを使って作業した。妻の弘美が手伝ってくれた。主に、ぼくがせん定をして、妻が枝拾いをする。これでずいぶんと助かっている。一年目、二年目は一週間くらいかかった。今年は三日ですんだ。ぼくは、家族で一緒に働けるという形にあこがれをもっている。昔の農家はそうだった。ところが、高度成長になって、男は外で働き始めた。サラリーマンという人種が増えてきたのだ。家族のつながりが薄くなってきた。そのうちに、共稼ぎになった。子どもが家にポツンと残されてしまう。ますます家族のつながりが希薄になってしまった。夫婦が一緒に田んぼや畑へ行く。一日作業をして、今日はこうだったと話しながら夕飯を食べる。子どもたちもたまには手伝う。農業じゃなくてもいい、何か商売をするにも、家族でやってみたらどうだろう。新しい世界が見えてくるはずだ。↓これは桃かな。摘果作業だ。去年もがんばった
2024年01月31日
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能登の地震から一か月近くになる。いまだ不自由な生活をしている人がたくさんいる。雪も多いみたいで、寒さにも耐えて暮らしているそうだ。一度、大きな地震が起これば、ぼくたちは日常の生活が送れなくなってしまう。昨日は、東京も揺れたようだ。山梨でも少しだけ感じた。東京の震度は4。知り合いに聞いたら、「相当揺れたよ」とのことだった。揺れた瞬間、「ついにきたか!」と身構えたみたいだ。東京直下型地震。太平洋岸だったら「南海トラフだ!」と身がすくむはずだ。ぼくたちは、本当に危うい中で暮らしていると実感する。極地的な地震なら、まだ援助の手も届くが、広い範囲、あるいは同時多発的に起こったとしたら、もう手がつけられない。そんなこともあり得るわけだ。どうしたらいいのか?まずは最低限の準備はすること。食料や水、防災グッズは用意しておかないと。家族で連絡が取り合えるようにしておくことも大切だ。それ以上は何ができるか。できることはほとんどないのではないか。ここは、人事を尽くして天命を待つしかない。今を一所懸命に生きるしかない。ぼくなら、スモモのせん定の時期だから、できれば今月中には終わらせてしまう。今年は、桃の木の下に野菜を作ろうと思っているので、3月ごろに種がまけるように準備する。電子書籍の原稿を仕上げる。目先のことをやるしかない。それが、天命を待つということ。そして、大地震があったら、なるべく慌てず、対処していくということだろう。それに、能登の人たちに対して、どういう援助ができるか、今、困っている人たちに手を差し伸べることが大事だろうと思う。不安が広がるときだからこそ、「今」に意識を向けること。後悔が少なくてすむよう、今できることを、きちんとやろうと思う。
2024年01月29日
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昨日は本の愚痴を言ったけれども、30代40代のころは、本屋さんへ行くのが好きで、タイトルを見て、ペラペラとめくって、面白そうだと思ったらすぐに買った。しかし、買っただけで満足してしまって、読まないまま本棚や床に積まれて眠っている本がたくさんあった。もったいなと思ったし、本は保存も大変、引っ越しになると、本だけで何十箱にもなってしまう。50代になって、できるだけ買わないようにした。図書館で借りることも多くなった。60代後半になって考え方が変わった。本は、情報、知識、体験、ものの見方の塊で、そこから得られるひらめきはたくさんある。どの本からピピッとくるかわからない。だから、買った本すべてに、面白さとか、有益さといったことを求めない。10冊買って、1冊いいなと思える本があれば、それで正解としようという気持ちになり、気になった本は買うようになった。昨日の本は、ネットの記事がすばらしくて、期待が高かったので、その分、がっかりも大きかった。そんなことは始終あることだ。今、ぼくの仕事場の机の上、まわりには、30冊ほどの本が散らばってる。読んでいる本、読み終えた本、読みたいと思いつつ、まだ開いてない本。今年は電子書籍に力を入れていきたいと思っているが、紙の本は紙の本で、囲まれていると豊かな気持ちにさせてくれる。段ボールがまた増えるな。
2024年01月28日
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こうすれば願望が実現するという本は相変わらずたくさん出ている。古くはナポレオン・ヒルの『思考は実現する』がヒットした。そういう類のセミナーもたくさんある。ぼくは、あまり好きじゃないから、こういう類の本はあまり読まないし、セミナーにも出たいと思わない。たぶん、願望実現というのは、西洋から入ってきたノウハウだと思う。あくまでも自分が中心だから。自分のことは自分でコントロールできるという考え方が根底にある。自分というものがこの世に誕生したのは、個を超えた大きな意志が働いてのことだと、ぼくは思っている。大きな意志があった上での、自分の選択。願望というのは、「我」が入ってくる。かなりの割合を占めているのではないか。年収1億円ほしいとか、有名になりたいとか、100歳まで生きたいとか、子どもを有名大学に入れたいとか、そんなことのために生まれてきたのだろうか?その前に考えてほしいのは、願望が実現すると言われると、いいことばりをイメージしてしまうが、それが真実だったら、「がんになったらどうしよう」「大地震がきたら大変だ」といった不安も実現することになると思う。人は、だいたいポジよりもネガを強く思うもの。成功の前に、不安や恐怖が実現してしまうよと、ぼくは言いたい。たぶん、願望や思考が実現するのは間違ってないけれども、願ったり考えたりするエネルギーが、相当たまらないと、現実化はしないのではないか。そこまで自力でがんばるのもいいけれども、他力に頼った方がいいように、ぼくは思う。自分を超えた大きな力が求めているものは、我に振り回されなければ、きちんと実現するようになっているのだから。願望実現のメソッドで、この世的な成功を得たとしても、それが本当に自分のやるべきことだとは限らない。かえって真の願望に近づくのに遠回りになってしまうこともある。ネットで、ある人の記事を読んで、本を買った。1870円もした。「世界を変える本」と宣伝していた。結局、願望実現の本だった。潜在意識の話だ。つまらなかった。これがベストセラーになっているというのだから驚く。ぼくには、強い願望はないから、自分で「こうしたい」と願っていることは実現しないと思う。だけど、ぼくがやるべきことにはたどり着く。そこに向かう現象が、きちんと目の前に現れて、それを一つひとつこなしていけば、自分の願望をはるかに超えた、すてきな世界にたどりつけると信じている。
2024年01月27日
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人は、少しでも便利に生きようと、たくさんのものを発明してきた。しかし、便利さというのは、ときに不自由を産み出す。たとえばお金。便利な生活をするために人が作り出したもの。お金があればいろいろなものが買える。ところが、便利さと裏腹に、お金に縛られている生活が始まった。お金を稼ぐために嫌な仕事でもやらないといけない。人に頭を下げないといけない。命を失ってしまう人もいる。時間というのも、人間が作り出した概念で、どんどん自由を奪っていく。新幹線や飛行機も、長距離を短時間で移動できるすばらしい手段だが、窮屈になっていないだろうか。今、最大の便利で不自由はスマホ。ぼくも一度だけ、東京へ行くとき、駅でスマホを忘れたことに気がついた。すごく不安になる。なければないで何とかなるとわかっていても、落ち着かない。まだ時間に余裕があったので、電車をひとつ遅らせ、妻に駅までもってきてもらってほっとしたわけだが、スマホに縛られている自分を痛感した。どこへ行くにも、まずはスマホがあるかどうかを確認している。これって、すごく不自由かもしれない。昔、大海原で自由に泳いでいるイルカたちを、狭い水槽に閉じ込めて、芸をさせるなんてとんでもないことだと、本に書いたことがあった。しかし、ひょっとしたら、水族館のイルカたちは、窮屈な思いはしているけれども、天敵はいないし、エサもきちんともらえる水族館の生活に満足しているかもしれない。ぼくたち人間も、狭いオリの中、水槽の中で、飼育員に管理されながらも、とりあえずは、便利な生活を楽しんでいるのかも。
2024年01月22日
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白石一文さんの「神秘」という小説を読んでいる。末期のすい臓がんと診断された編集者が主人公。もう有効な治療法はないと言われ、余命も宣告される。彼は、かつてある一人の女性から電話をもらったことを思い出す。難病を治癒させるという特殊能力をもっている女性で、電話を受けたときに、彼の足の痛みを瞬時に取ってくれた。彼は、彼女を探し出すことにした。彼女なら末期のがんを治癒させることができるかもしれない。一縷の希望だった。そんな中で、人生の不思議さ、命の神秘に触れていく。上下巻の文庫。4分の3くらい読んだかな。病気には意味があって、がんという病気は、「生まれ変わる」ためのものだと言う。だから、実際に死んで生まれ変わってもいいし、生きながら生まれ変わることもできる。生まれ変われば、がんは必要ないから消えてしまう。つまり、人生をリセットしたがっている人ががんになるということ。ぼくは、人間は肉体だけの存在ではなく、心もあれば魂もあると信じている。魂は、小原田泰久という肉体を使ってこんな生き方をしたいと、シナリオをもっている。しかし、肉体や心はやっかいな存在で、さまざまな欲に引っ張られて、魂の思いとは違った方向に進むことがある。常に魂はそれを修正しようとする。しかし、あまりにもずれが大きくなると、修正ができなくなり、リセットするしかないかということになってしまう。それががんの原因だと言うわけだ。「自分自身に忠実に生きればよかった。あんなに一生懸命働かなくてもよかった。もっと自分の気持ちを表す勇気を持てばよかった。友人関係をもっと続けていればよかった。自分をもっと幸せにしてあげればよかった」という嘆きががんなのだ。これがすべてはないが、これくらいの深さまで考えないと、病気は克服できないのではないか。まじめだとか品行方正ということではなく、自分がこう生きようと決めた生き方をしているかどうかだ。がんになって、治すことばかりを考えていると、生まれ変わりに失敗することがある。なぜがんになったかをはっきりさせておかないと、輪廻転生で新しい人生が始まっても、また同じ失敗を繰り返してしまうことがある。尊敬する帯津良一先生は、「がんはからだだけの病気ではない。こころにもいのちにもかかわっている。だから、こころやいのちに対するアプローチが大切だ」とおっしゃっている。そのキーワードが、これまでの人生を振り返り、生まれ変わるきっかけとする、ではないか。がんに限らず、病気というのは、「こういう生き方でいいの?」という魂からの問いではないか。世の中には、不思議な治癒を体験している人がたくさんいる。意識的か無意識かはわからないが、生き直し、生まれ変わりができた人が、奇跡的治癒を体験できるのではないか。あとは、人生の幕引きとしてがんになることもある。だれもが必ず死ぬわけだから、「もうそろそろだね」というメッセージをがんが届けることもあるだろう。たぶん、この小説は前にも読んだことがある。白石さんの作品は大好きだし、「神秘」はぼくの関心のあるテーマだから、読んでないはずがない。しかし、本も映画も、しばらくすると、その中身を忘れてしまうという「特殊能力」がぼくにはある。だから、何度でも楽しめる。今、奇跡的治癒に興味をもっていいるので、いいタイミングで再読することができた。
2024年01月21日
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お釈迦様が説いた「四苦八苦」。人には、生老病死に加えて、あと4つの苦しみがあるという悟りだ。生老病死の四苦は、文字通り、生きる苦しみ、老いる苦しみ、病む苦しみ、死ぬ苦しみ、とぼくは理解してきた。この間、布団の中でうつらうつらしているときに、解釈が少し違うのではないかとひらめいた。命の循環のことを言っているのではないか。生は、「誕生」のことではないか。老は、老いるということよりも、年を取ること。それこそ生きることではないか。病は、肉体や精神が衰えていいくこと。死は、破壊のこと。次の生への始まりだ。その循環の中でぼくたちは生きていて、死んだらまた新しい生命の誕生に向かって、ぼくたちは進んでいって、また生老病死を繰り返す。そして、大事なことは、この循環を回すエネルギーは、ぼくたちがネガティブにとらえている、苦しみであったり、かなしみであったりする。だから、人生から苦しみ、かなしみを取り去ろうとするのは無駄な努力で、苦しみがあればこそ、かなしみがあればこそ、ぼくたちは前へ進める。もっと高いレベルで考えるなら、苦しみやかなしみさえも喜びに変えられる生き方、考え方をしてみたらどうだろう。あるいは、喜怒哀楽は、自分で作り出しているもの。実際には、苦しみもかなしみも喜びも存在しない。そこまでの境地にはいけないとしても、つらいこと、苦しいことがあれば、これが生きるエネルギーになっているんだなと思えばいい。今回の元旦の能登地震。家屋が倒壊し、たくさんの人が亡くなった。避難を余儀なくされて、家族が離れ離れになって、食べ物、飲み物にも困る。なんでそんなことが起こるのだと言いたくなる。被災していない人間が、外野から言うのも失礼かもしれないが、この最大とも言える困難から、どう立ち直っていくかで、生命のエネルギーの高まり方も違ってくるのではないだろうか。破壊は終わりではない、次の物語への序章だと考えて、今の状況を受け容れた上で、今できることを精いっぱいやっていくしかないと思う。ぼくたち外野にいる人間は、つらさ、苦しみの中にいる人たちの役に少しでも立ちたいと思う。さらには、傷だらけになりながら立ち上がろうとしている人たちの姿から、さまざまなことを学べる。自分たちの身に同じことが起こったとき、たくましく乗り越えていく術を身につけられる。昨日は阪神淡路大震災から29年目だった。今でも記憶に残っている。大変な被害だった。テレビでは、あのときのかなしみ、苦しみを涙を流しながら思い出し、語ってくれた人がいた。そして、神戸の人たちがどうやって立ち直ったのかをこの目で見て、これからの能登の参考にしたいと、能登の被災地から駆けつけた人もいた。そうやって、災害も人が生きるための糧となって受け継がれていく。日本人が成長していく。世界が成長する。災害も戦争もない世の中になってほしいと願う。しかし、それが実現するには、ぼくたちはまだまだたくさんのことを体験しないといけない。エネルギーを高めていく必要がある。四苦八苦がその原動力となる。だからこそ、天は、ぼくたちの四苦八苦を与えたのだろう。
2024年01月18日
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氣というものは、自分の内部だけでは完結しないまわりの人とか、環境と密接な関係をもっている。たとえば、家族の中で一人でも落ち込んでいるとしたら、ほかの家族も影響を受ける。集団の中に、一人だけ強烈に明るい人がいれば、全体が盛り上がることもある。どちらかと言うと、人はネガティブなエネルギーに引っ張られやすいもの。だから今、新年早々、大きな地震という出来事があって、被災地の人たちは、重いエネルギーの中で生きている。そのエネルギーの影響を受けて、日本中が重くなっているはずだ。義援金や援助物資、人的援助はできるだけのことをやり、その上で、氣の部分からも応援したいものだ。ぼく自身も、重さは感じていて、ついつい暗い気持ちになってしまう。それでも、重さに飲み込まれないでいられるのは、氣が影響を与え合うということを知っているからかもしれない。知っていれば、たとえば、気功をやるとか、エネルギーの高い人のそばにいるようにするとかして、影響を小さくすることができるが、知らない人は、「なんか変だな」と重い方向に引っ張られてしまうものだ。よく「祈り」の効果を言う人がいる。祈りのエネルギーは被災地にまで届くのだと思う。しかし、もともとエネルギーの低い人が祈っても、氣が逆流して、体調を崩したり、落ち込んだりすることもありうるので気をつけたい。集団で祈ったり、適切な指導者のもとでエネルギーを送るなど、効果的な方法を考えた方がいいだろう。大事なのは、自分の氣を高めること。氣のレベルが高くなれば、自分の身を守ることにもなるし、祈りの効果も高くなる。氣を高めるにはどうしたらいいのか?氣は意識と連動すると言われている。こういう悲惨な出来事が起こったときには、意識を変えるきっかけとすることだ。地震で、突然、家族を亡くした人がたくさんいる。自分にもあり得ること。それなら、今、平穏なときに、「ありがとう」と感謝の気持ちを伝えておく。喧嘩していたりウソをついていたりするなら、「ごめんなさい」と謝る。これだけでも、エネルギーは大きく高まるはずだ。自分さえ良ければいいと思っているなら、ちょっとだけ意識を広げて、隣近所の人のことも気にしてあげる。恨み事があるなら、恨みをもっているとエネルギーは重くなって、死んだあと、いろいろ困ることがあるそうだから、早く解消してしまうことだ。地震や事故があって、被害にあわれた方は本当に気の毒だったが、被害のなかったぼくたちも、自分事としてとらえて、意識を変え、成長するチャンスにさせてもらう。災害を機に、自分を変えていく。そうすれば、エネルギーも高まり、その影響は被災地にも及ぶのだ。一人の力では無理でも、多くの人が意識を変えて、思いを届ければ、被災地のエネルギーも高まり、被災者の方々が前向きになれる助けとなるはずだ。何もできないと嘆くのではなく、この災害によって、自分が何を学んだかを見つめてほしい。そして、学んだことを行動で示し、学べたことへの感謝の気持ちを、被災地に届けたい。
2024年01月13日
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一昨年は母が、昨年は義父が亡くなったこともあったが、年賀状、さぼっている。いただいた方には、寒中お見舞いを、今出しているところだ。子どものころは、年賀状書きは楽しみのひとつだった。小学校のときは、クラスの友だちだけ。中学校になると、範囲が少し広がり、高校になると、市外にも出すようになり、交友範囲が広がっていくのがうれしくてたまらなかった。大学生のときは年賀状はどうしていただろう。たぶん、書いていたと思うが、忘れてしまった。子どもが小さいころは、家族写真を印刷してせっせと出していた。しかし、手書きの年賀状が減っていって、それに、付き合いが広がって、出す人と出さない人とどこで線引きしていいのかわからなくなり、書いたりもらったりするのがつまらなくなってきた。facebookに「明けましておめでとうございます」と書いて終わりというのも味気ない。メールもそうだ。今年は、早めに年賀状を買って、ぼちぼちと書いてみるか。68年間、ご縁のあった人たちだ。古い年賀状を引っ張り出して、一枚一枚ながめてみると、「ああ、こんなことあったな」と思い出すこともあるだろう。過去はどんどん消えていく。たまには掘り起こさないと。
2024年01月12日
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28歳の長女と話していて思った。ぼくは、28歳のときの東京へ出た。1トン車に鉄の塊を乗せて、工場から工場へ運んでいたぼくが、いきなりフリーライターというカッコいいカタカナ職業となったのだ。今から40年前のこと。よく決断したと思う。あのころは、お金と出世、それに女にもてれば最高だった。ぼくだけではない。ほとんどの若者はそう思っていたはずだ。だから、仕事もがんばったし、冒険もできた。いくら稼いでいるとか、どういう地位にいるとか、そんなことで成功度が計れた。とても単純な社会だった。その分、生きやすかった。物欲にエネルギーを注ぎ込めばいいのだから。そこに、生きがいとか、社会への貢献とか、数字では計れない価値観が入り込んできた。生きる喜びが複雑化してきたのだ。物欲だけでは満たされない、精神的な充足感を求める人が増えてきた。いまだに物欲だけに走っている人は、単純な構造の中で、けっこういい目をしているかもしれない。精神性を求め始めた人は、今はまだ転換期ということもあって、迷いや悩みが尽きない。ただ、時代の流れは、後者に味方するはず。もう少しの辛抱だ。今の迷いや悩みも、必ず生きてくる。物質を神様とする道を歩み続ける人は、底なしの崖に落ちてしまう。本来、人間が歩むべき、心や魂を大切にした道に戻ろうとする人は、いっときの苦しみはあっても、必ず輝く未来に行ける。今はそんな時期だという預言もある。28歳の長女も、のん気に暮らしているようで、いろいろ考えている。20代後半というのは、人生の節目になりやすい時期なのかもしれない。
2024年01月11日
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「今日できることを今日やらない奴は、明日になってもできない」今、「メジャー」というマンガをネットで読んでいる。なかなか熱くていい。主人公のゴローの態度、言葉にはしびれるね。ぼくくらいの年齢になると、「もう年だから」と言う人が増えてくる。70歳近くなってくると、できることは限られてくる。それでも、できることはいっぱいある。若ければ、野球選手になるのも、会社を起業するのも、たくさんの女性と浮名を流すのも、可能性は大きいかもしれない。それでも、いくつものことを同時にやろうなんて無理な話だ。一つのことを一生懸命にやるので精いっぱい。そういう意味では、70歳になって、「死ぬまでにこういうことをやろう」と決めて、それに打ち込めば、年齢に関係なく、面白いことができるはず。「年だから」なんて、あきらめる必要などない。「養生訓」の貝原益軒は、70歳から著述を始めて、200冊の本を出した。それも、300年以上も残る本を出しているわけだ。すごいなと思うよ。年を取れば、確実に明日は少なくなる。だからこそ、19歳のゴローが言うように、「今日できることをやる」のが一番。老年よ大志を抱け!だと思う。世間でよく言われる「終活」なんかを本気にしてしまうと、しぼんでいくばかりで、つまらん老年になると思うけどね。人生100年時代と言うけれども、つまらん老年を、70代、80代、90代と30年も続けるのって、どうなのと思う。それでいいならいいけど、やりたいことやって、とっ散らかしてバイバイでいいんじゃないかと、ぼくは思うんだけど、それじゃダメかね。↓帯津先生の生き方がお手本です。今年、88歳になります。
2024年01月10日
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北陸は大雪だそうだ。ぼくは2年間、富山で暮らしたことがある。記憶では、あちらの雪は横に降る。北アルプスからの強風のせいだ。めったに雪の降らないところで生まれ育ったぼくは、最初こそ、雪に浮かれていたが、毎日毎日、カーテンを開けると横殴りの雪。これには気分が滅入った。妻が札幌の生まれなので、北海道の雪も知っている。猛吹雪の日、札幌の街中を歩いていて、ぼくは、地面から吹き上がる雪を初めて体験した。まわりに人もいるし、ビルもあるし、いつでも地下に逃げ込める。それでも恐怖を感じた。大地震のあとの雪。被災地の人は、どんな思いで見ているのだろうか。寒いだろう。お腹も空いているかもしれない。それよりも、これからどうなるのかという不安と恐怖。家族が亡くなったり、行方不明の人もいるだろうし。ある小説の中に、「神様はどうしてこんなつらいことを課すのだろう」というつぶやきがあった。「すべてのことには意味がある」ぼくは、そんなメッセージをあちこちで発してきた。その通りだと思っている。しかし、頭ではわかっても、現実につらい中にいる人の心には染みていかないかもしれない。ぼくも、そんな状況の中に放置されたら、「どうして・・・」と神様への恨み言を言うだろう。かなしみの大地にぼくたちは立っていて、かつての北海道の開拓民のように、凍てついた土地を耕して、畑を作り、種をまき、作物を収穫する。ああ、今年も芽が出なかった。花が咲かなかった。そんな繰り返しの中で、いろいろなことを学んでいく。いつか、たくさんの作物がとれて、お腹いっぱい食べられる。家族にも食べさせてあげられる。そんな希望をもって、今日も、厳寒、猛暑の中、鍬を打つ。かなしみの中であっても、ちっちゃな灯であっても、明日へのエネルギーはある。手を取り合って、励まし合って、助け合って、希望の種をまき続けていこう。
2024年01月08日
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物事は、ある程度のエネルギーがたまらないと動き出さない。自転車でもこぎ始めは力がいる。最初からすいすいといくことはまずないと考えた方がいいだろう。エネルギーがたまるまではやり続けないといけない。やり続けていれば、ある時期になると、急にさまざまなことが展開を始める。今、電子出版に向けて、この3年間の体験をまとめている。本当なら12月半ばに仕上げるつもりだった。それが、なかなか進まない。進まないというよりも、書き直しばかりしている。書いても書いても気に入らない。気持ちが入れば入るほどまとまらなくなってくる。あれもこれもと欲張っているのが良くないのかもしれない。もっとしぼってみるか。月に一冊出そうという目標を立てたが、最初からつまづいてしまった。まだエネルギーが足りないのだろう。もう少し試行錯誤しようと思う。これまでの経験から言えば、うまくいかないと頭を抱えていると、あるとき、突然、ぱっとひらめきが降りてくることがある。がまん、がまんだ。早く出したい気持ちはすごくある。これを仕上げれば、次からはどんどん出せる予感もある。しかし、あせってはいいものができない。がまん、がまん。
2024年01月07日
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次女にすすめられて「シグナル」というドラマを見た。若い刑事がいて、ある日、彼は無線機を拾う。そこからはある男の声が聞こえてくる。彼も刑事だと言う。話しているうちに、その無線機が過去とつながっていることがわかる。「過去は変えられる」無線機からの声が言う。果たして過去は変わるのか。過去が変わると現在は?そして未来は?時間というのは、人間が作った概念でしかなくて、時間は過去、現在、未来と一方通行で流れるというのも、思い込みかもしれない。ぼくたちは、人間が過去とか現在とか未来と言っている、瞬間、瞬間が混在している中で生きていて、それぞれの瞬間は影響をし合っているという考え方もできる。意識とも連動していて、今の意識が、過去や未来に影響を与えて、常に変化し続けている中で、ぼくたちは生きているのかもしれない。脳が、わかりやすい形にしているだけのことで、ぼくたちは洗濯機の中で撹拌されながら生きているのではないか。原因があって結果があるというのも、脳の機能によるものじゃないか。パソコンで文章が綴れるのも。もとをたどれば、0と1の2種類の信号に過ぎないわけで、さらに言えば、文字も言葉も、人間が作ったルールでしかない。だから、ドラマのようなことはあると思う。ひょっとしたら、常にぼくたちは、過去や未来と連絡を取り合っていて、過去も未来も変えながら、今を生きているのかもしれない。過去とか現在とか未来など、存在しないのかもしれない。よくわからないけれども、何が起こっても不思議ではない時代を生き抜くには、固定観念をはずすこと。頭を柔軟にしないと。荒唐無稽だと思われていることに、真実があることだっていっぱいある。
2024年01月06日
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元旦の地震は、ぼくの生活には直接の影響はなかったが、心に重くのしかかっている。新しい世界が始まるときには破壊的な出来事が起こる。新しい世界は楽しみだけれども、その前が大変なんだろうな。節目のときというのは、各地で地震がもっと頻繁に災害や事故が起こるのか、それとも、一気に日本沈没のようなことがあるのか。よく、何が起こるかは人間の考え方次第だと言われる。つまり、地球の健康状態にとって、人間の存在はとても大きな意味をもっている。これまでのように、環境を汚すようなことをやっていては、地球はどんどん弱っていくから、それを防ぐには、大きな災害が起こる。しかし、人間が行動を改め、地球とともに健全に生きていこうとするなら、大難は小難になり、小難は無難になる。人間がいなくなればいいという人もいるが、ぼくは違うと思う。細菌やウイルスがいなくなれば病気がなくなるという考えと一緒で、そういう姿勢が、今の危機的状況を産み出したのではないか。地球は決して人間を滅亡させたいとは思っいてない。ぼくは信じる。地球にとって、人間を滅ぼすなんて簡単なことなのに、それをしようとしないのだから。局地的な地震ですませてくれているのだから。今のうちに、なぜ人間が地球にいるのか。その意味を考えないといけない。地球が幸せになるために、人間も役に立つことができるはずだ。ぼくはこう思っている。自然は循環の中で出来上がっている。人間が手を加えることで、森の木は常に若々しくいられて、森全体が生き生きして、そこに暮らす生き物の命を養うことができる。人間も木を使って家を建てたり、生活の基盤を作ることができる。森から食物を得ることができる。生産的な頭脳と器用な手先が与えられているのは、道具を上手に作って、それを使うことで、循環をどんどん促進するためではないか。だけれども、地球が予測していたよりも、人間の技術は進み過ぎた。人間が、我欲を膨らませて、生産性や経済性、便利さばかりを追いかけ過ぎた。人間は地球を支配しようとした。地球にとっては誤算だったかもしれない。AIが暴走して、産みの親である人間を支配するようなものだ。これまで自分たちのためだけに使っていた知識や技術を、地球のために使わないと。自分に知識や技術がない人は、ある人を応援すればいい。それも大切な仕事だ。元旦に大きな地震が起こるなんて、尋常なことではない。大事なことを、地球はぼくたちに伝えようとしている。だれの心にも響いているはずだ。その響きに耳を傾けたい。
2024年01月05日
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妻と二人だけの会社「株式会社Office Oharada」と設立したのは2011年10月。東日本大震災のあとだった。なけなしの100万円を資本金にして、ぼくの原稿料と講演料、弘美のヒーリングセッションが商品だった。だいたい、新設された会社のほとんどは3年で倒産してしまうそうだ。うちのように大した売り上げもない会社がまる12年ももっているのは、奇跡のようなもの。2人だけで細々とやってきたのが正解だったのだと思う。身の丈を知っていたのが良かった。キッチンカー事業は身の丈を超えた決断だった。会社があったからこそ、融資も受けられた。収益がほとんどない会社によく貸してくれたものだと思う。あのときの借金を綱渡りで返却しつつだけれども、キッチンカーは大事な役割を果たしてくれている。これからのことだが、利益第一では面白くないし、うちのようなちっぽけな会社は行き詰まってしまう。わが社ならではの特徴を出さないと。特徴、得意なこと。何だろう?ぼくは、いいエネルギーの場を作ることが大切だと思っている。いい場を作れば、人は集まってくる。人が集まれば、そこに事業が生まれる。いい場というのは、ここに来ると気持ちいい、元気になるとか、この人と話していると楽しいとか、面白い人と出会えてうれしいとか、考え方が変わるとか、そういった場のこと。ここでキッチンカーが生きてきている。娘たちは、村はずれの畑を整地して出店している。村のお年寄りが楽しみにしていて、出店の日には、何人かが2時間ほど過ごしていく。娘たちが移り住む前は、そんな場所などなかった。みんなが喜んでやってきて、楽しく過ごしている。小さいけれども、間違いなくいい場ができつつある。さらに発展させるにはどうしたらいいか。もっとたくさんの人に喜んでもららうには。経済をどう回せばいいか。気持ちいい場がどんどん広がっていくにはどうするか。仲間、応援団をどう作っていくか。小さな村で起こっていることを世に知らしめるには。テーマはいくらでもある。ちっちゃくていいから、核がないと広がらない。その核がキッチンカーを上手に動かせて、いい場を作っていくことだと思っている。とりあえず、会社にかかわるのは小原田家の5人だけ。ぼくたちが食べていけるだけ稼げればいい。重要なのは、どれだけ稼ぐかではなく、どれだけいい場ができるか。そして、今回のような大きな地震があったとき、村の人たちの支えになれるような場になれるといい。そのことを、自分にしっかり言い聞かせて動かないと、ついつい儲かる方に走って、お金の奴隷になってしまう危険性がある。ソーラーシェアリングがあり、ワンコやネコやヤギたち動物がいる。これもわが社の持ち味だ。今年は、干支もひと回りして13年目に入る。どこにもないような変わった会社にしてみたいものだ。
2024年01月04日
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1日に北陸で大きな地震。被災地の人は大変なお正月を送っている。こういうときこそ支え合わないといけない。ぼくは何をすればいいのか。情報を集めたいと思う。羽田での事故にも驚いた。乗客に死者が出なかったのは、不幸中の幸い。乗員の方たちの適切な判断や誘導があったのだろう。地震では数十人が、羽田の事故では海保の方が5人亡くなった。心より哀悼の意を表したい。ご家族の方の心の痛みを思うと、切ない気持ちでいっぱいになる。妻や長女と、「どうしてお正月早々、こんなことが起こるんだろう?」そんな話をした。いつ、災害や事故に巻き込まれるかわからないのはだれでも同じ。病気になることもある。「今日も一日、無事に生かさせてもらったことに感謝しないと」妻が言う。ついつい不平不満や愚痴が出てしまうが、今朝も何事もなく目が覚めた。ありがたいことではないか。地震や事故があったから思うことだけれども、持続させたい。今、こうやって生きていて、平穏に今日を迎えられて、やることがあって、明日があると信じられる。そういうことに感謝できる自分でありたい。襟を正し、身が引き締まる思いの2024年の1日2日。忘れないようにしないと。
2024年01月03日
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元旦からの大地震。まだ被害の状況はわからないが、石川県をはじめ、被災された方、心よりお見舞い申し上げます。大学を卒業して、最初に就職した先が富山県黒部市だった。海も山も近くていいところだったが、若いぼくにとっては、のんびりした田舎ではなく、都会へのあこがれが大きかった。会社の寮に2年間住んだ。会社は2年で辞めた。あのころ、地震があったらどうしようなんて、考えてもみなかった。車で5分も走れば海だったけれども、津波があるかもしれないなど、思ったこともなかった。あのときお世話になった先輩や上司、一緒に遊んだ仲間たち、大好きだった彼女は、大丈夫だろうかと、一瞬のうちに40年前にタイムスリップした思いだった。「どうして元旦に」と言いたくもなるが、元旦だからこそ、メッセージ性は大きい。今回は北陸だったが、いつ自分が住んでいる場所が揺れるかわからない。自分事としてとらえて、どうしたらいいか、考えることだろうな。避難場所を確認したり、防災グッズをそろえるのも大事だ。同時に、「生き方」に興味を向けることも必要だろうと思う。よく言われている、「今だけ、金だけ、自分だけ」になってないか。ぼくは、地震も異常気象も洪水も戦争も、地球の自然治癒力の発動だと思っている。ホピ族に伝わる預言によると、ぼくたち人類は、あるときから物質を神様とする道を歩き始めた。そのひずみが、さまざまな災害や戦争につながったとされている。ぼくたちの行動や考え方が、地球にダメージを与えてきた。地球も生命体なので、健康体に戻そうとする力が働く。それが地球の自然治癒力。ぼくたちも、小さなけがならば傷口が自然にふさがるのを体験している。自然治癒力があるからだ。自然治癒力が働くときには、出血があったり、痛みがあったり、膿が出たり、かさぶたができたりする。たぶん、地球のダメ―ジは、たまりたまって、小さな傷くらいではないだろうと思う。だからこそ、ぼくたちからすれば「災い」と思えるようなことが、次々と起こってくる。しかし、地球から見れば、さまざまな災いは浄化現象で、地球が健康になるためのステップなのだ。ぼくたちが、地球の自然治癒力を助けるような行動をすれば、災いは小さくてすむ。地球を痛めつけようとすればするほど、自然治癒力の力は強くなって、大きな災いが起こる。地球が健康になるお手伝いをするにはどうしたらいいか。それが、今のぼくたちのテーマだと思う。ホピ族の言い伝えによると、今、たくさんの人がそのこと(生き方、考え方を変える大切さ)に気づき、物質を神様とする道から、本来、人類が歩むべき道に移り始めている。自らを浄化する行動をとり始めている。この数を増やし、質を高めないといけない。そのためにも、まずは自分の意識を高めていく。祈りとは、自分の思いを天に伝え、行動すること。安全な場所にいて、手を合わせていればいいということではない。↓彼らも一緒にがんばってくれるって。
2024年01月02日
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明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。去年の元旦のブログを読んでみた。故郷の村をよみがえらせよう!そのために、実家を改装して文化の発信地にする。ソーラーシェアリングを建設する。ヤギを飼う。といったことが書かれていた。あの時点では、氣恵たちが実家に住むことは決まってなかったと思う。実現しつつあるからびっくりだ。特に、ソーラーシェアリングを建てたのは、大きな転機だった。行動することで変化が起こる。計算を超えた展開になってくる。今から35年も前、1988年に、ぼくは、大した目的もなく中国を旅した。上海から東北地方、北京、内モンゴル、敦煌、ウイグルまで足を伸ばし、北京、上海へ戻るという4ヵ月ほどの旅だった。旅の途中、ぼくは気功を知った。ヘビの毒から作った抗がん漢方薬を見つけた。上海で、気功の国際学術大会に出て、中川先生、帯津先生という生涯の師と知り合った。人生が激変した。中国の旅がなかったら、とうの昔に、野垂れ死にしていたかもしれない。とにかく「これだ!」と思ったら動くこと。そこから物語は始まる。今年は、去年の続き。次女夫婦のおかげで、村が動き始めている。この勢いで一気に活性化させる。その手段。1.協生農法を習って野菜、果物作り2.米作り(婿がやる気になってくれている)3.佐伯さんの農学校も考えてみよう4.村の人たちと一緒に野菜や米の直売所(ヤギーずマルシェ)を作る5.大音寺ヤギーずカレッジの開校6.ソーラーシェアリング2号機の建設ぼくは、電子出版を覚えて、本を出す。移住の話、原発の話、不登校の話、ヤギの話、イルカの話、自然栽培の話、気功の話、占星術の話などなど。こうやって並べると、やることはいっぱいあって、幸せだな。来年の元旦、これを読み直して、どんなことを思うだろうか。
2024年01月01日
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親が子どもに与える影響は大きい。たとえば、話題の大谷翔平選手も父親が野球選手だったことで、野球を始めたのだと思う。 だれしも、親の影響によって生きる方向性が決まるものだ。 幼くして親がいなくなった人も、親がいないということが、人生に大きな影響を与えているはずだ。 ぼくは、池川明先生が唱えている、子どもが親を選んで生まれてきているという説が好きだ。命というのは、受精から始まって、死で終わると考えれば、そんなことあるはずがない、で終わってしまうが、輪廻転生を信じられるなら、自分で今の両親を選んだと考える方が、人生はうまくいくと思っている。 大谷選手は、自分の野球に打ち込むと一生、それも世界に通用する大選手になるというシナリオを作って生まれてきた。 ひょっとして、前世でかなわなかった夢をかなえようとしていたのかもしれない。 どういう親がいいかといろいろ模索するうちに、父親が野球選手、母親がバトミントンの選手という、運動神経のすぐれた夫婦を見つけた。 彼らの遺伝子から肉体的、性格的な条件が得られる。そして、いい指導者と出会い、いい球団に入るという、後天的な環境が整い、大谷翔平というスーパースターが出来上がった。 つまり、親のせいでこうなったということはなくて、どんな毒親であっても、自分で選んだ親であり、すべて自分のプログラムに基づいて、自分の人生は作り上げられている。 だからと言って、「あんな親を選んだからだ」と自分を責める必要はない。厳しい環境の中で生きてきたとしても、そこから何を自分が得たか、そこに目を向けることで、人生が大きく動き出すのだ。 くだらない人生を生きるために生まれてきた人などいない。しかし、成功しないというシナリオのもとに生まれてくる魂もいる。成功しない体験によって自分が成長できることを知っているからだ。 ある遺伝子の研究者の計算によれば、人が生まれてくる確率というのは、宝くじの一等が100万回連続して当たるのと同じだと言う。 生まれてくること、今、命をもってここにいること自体が奇跡なのだ。 奇跡の存在が、つまらない人間であるはずがない。 自己肯定という安っぽい言葉では説明できないほど、尊い命を、ぼくたちはもたされている。 それに気づくためのきっかけが、親との関係を見直すことだ。 親がいなければ自分はいなかった。これは事実だから。 そこに目を向けること。 ただし、だからと言って、親の言いなりなる必要はない。 感謝した瞬間に、親とのしがらみは切れる。「ありがとう」のひと言で自由になれる。いつまでも親の影響を受けている必要はない。 親に感謝できないと、いつまでも親を引きずることになる。自由になれない。本来の自分のプログラムが動き出さない。 自分らしい生き方はそこから始まる。
2023年12月29日
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ぼくは趣味がない。テレビやJスポーツでラグビーを観るのは好きだけど、観られなくなっても別にかまわない。これをやっていると楽しくてたまらないということはまるっきりない。「こういうことがしたい」という夢や目標があるわけではない。豪邸に住みたいとか、高級車がほしいとか、海外旅行に行きたいとか、そんな気持ちもない。同居している妻と長女は、テレビでおいしい店が紹介されると、「食べたい」「行ってみたい」と大いに盛り上がって、実際に出かけて行って喜んでいる。たまにぼくもついていく。あれもこれもと注文して、本当にうれしそうにはしゃぎながら食べているけれども、ぼくにはその気持ちがわからない。「家で食べている方がいいな」と白けた気持ちで箸を運んでいる。特別に楽しいことはないのだけれども、だからと言って、人生がつまらないというわけではない。毎日、大したことはやっていなくても、ほとんど村から出なくても、とても楽しく暮らしている。たとえば、ドラム缶で竹や木を燃やす。ヤギたちがおいしそうに草を食べている。チャボが卵を産んだ。今年は干し柿が上手にできた。納豆水でトイレのにおいが消えた。便通がいい。コーヒーがおいしくいれられた。ネットで見て作った柿酢や焼柿プリンが思った以上においしかった。3分間気功が続いている。時間と空間の謎が少しわかった。面白い企画を思いついた。9時か10時にはふとんに入って、いろいろ妄想しながら眠りにつく。生産性のあまりない、たわいもないことを楽しみにして、ワクワクしていながら生きている。ひょっとしたら、日々の生活の中に、いくらでもワクワクするものがあるのだから、ぼくは幸せなのかもしれない。だから、大したことはやってないけれども、生きるのが嫌にならないのだ。これこそ、「イルカみたいに生きてみよう」かもしれないな。
2023年12月28日
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すべての生命は、誕生⇒成長⇒活動(維持)⇒破壊⇒誕生⇒成長・・・を繰り返しながら、らせん状に情報へ向かっていくらしい。新しいものが生み出されるときには、一度壊れないといけない。壊れることで新しいステージが始まる。過去にいつまでもしがみついていると、なかなか前へ進めない。どんなに成功していようと、賞賛を浴びようと、それはそれで喜べばいいが、固執していると、せっかくの成功が足かせになってしまう。昔は大学の教授だったとか、大企業の重役だったとか、そんなことをいつまでも言っている人は、だいたい嫌われる。日本には、「水に流す」といういい言葉がある。成功だ、失敗だといつまでもこだわらず、さっと水に流してしまって、次のステージにエネルギーを注ぐということだ。自分の身のまわりでも、「今、壊れようとしている」ということを感じる場合がある。病気もそうだと思う。そのときは、壊れる恐怖に飲み込まれるのではなくて、新しいシステムや規律が生まれる段階にきていると見ればいい。これが壊れれば何が生まれてくるのだろう。この大きな節目の中で、自分には何ができるのだろう。人生がどう変わっていくのだろう。誕生、成長、活動、破壊という流れを知っていて、自分が今、どの段階にいるかがわかれば、何をすればいいのか、見えてくる。破壊は終わりではない。始まりが近づきつつあることを教えてくれるサインでもある。誕生への道しるべ。悪あがきなどせずに、上手に壊されていくことだ。壊され方によって、誕生の質も変わってくる。とても大事な段階だと思う。
2023年12月27日
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昨日はクリスマスイブで、今日はクリスマス。イエス様の誕生をお祝いするキリスト教のおまつり。おまつりにどんちゃん騒ぎをするのは悪いことではない。しかし、その根底に何があるかを忘れてのどんちゃん騒ぎでは困る。どんなおまつりにも、伝統行事にも、「鎮魂」という重大な意味がある。魂を鎮める。つまりは、ぼくたちがこうやって生きているのは、神様であったり仏様であったり、そしてご先祖様、家族、まわりの人たちのおかげだということに、きちんと感謝する儀式ということ。家族でケーキを食べながら、親にも子どもにも兄弟にも「ありがとう」という思いを送り、ご先祖様にも「おかげさまで」と感謝の気持ちを伝える。たとえ一人ぼっちだろうと、お月様にでもお星様にでも手を合わせて、「ありがとうございます」と言ってみる。余裕があれば、世の中には苦しんでいる人たちがたくさんいることにも思いを向ける。そういう日だと思っている。ぼくの場合、戦争には憤っているけれども、世界平和を背負うほどの器量はない。だけど、家族や故郷については、平和をもたらせるための行動をしたい。そのベースになるのがご先祖様。ぼくが今、平和に生きていられるのは、ご先祖様のおかげだ。この年になって、ご先祖様に心から感謝できるようになった。今年は特に、ご先祖様がぼくに託しているものがあって、大いに期待されているのが感じ取れる。来年は、いろいろ忙しくなりそうだ。それも、自分の欲得ばかりではなく、動かされて動く1年になるかもしれない。
2023年12月25日
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先日の鈴鹿の娘夫婦の家で開いた忘年会。映画『原発をとめた裁判長 そして原発をとめる農家たち』という映画の、主人公である樋口英明さんと小原監督が出席してくださった。樋口さんは、2014年に関西電力大飯原発の運転停止命令を下した福井地裁裁判長(当時)。非常にわかりやすい理論で原発の危険性を語っている。原発の危険性は、2011年3月の事故でだれもが認識している。東日本が壊滅したかもしれないほどの大事故だった。日本のどこかで再び同じことが起こったら、日本が終わるという悲劇を迎える。原発を推進するなら、希望的観測ではなく、原発を絶対的に安全なものにしないといけない。まずは、地震対策。果たして大丈夫なのか。まったく大丈夫ではない。南海トラフ地震で予測される揺れや津波にはとても耐えられない。もっと小さな地震でも危険なくらいだ。だったら、原発はやめるべきだ。単純に言うとそういう話だ。ほかにもテロの危険性もあるし、本当にとんでもなく多大なリスクを背負ってまで推進するべきなのか。冷静に考えてほしい。そこがこの映画の前半部分。しかし、電気がなくては困る。経済も立ち行かなくなる。どうしたらいいのか。その問題を解決するヒントを、後半では示してくれている。福島の近藤恵さんという40代の農家。彼は、有機栽培をやっていたが、原発事故で挫折することになる。無気力状態になったが、底力のある方で、再び立ち上がって、農業を復活させつつ、電力の自給にも取り組むことになった。それが大規模なソーラーシェアリングだった。つまり、この映画では、原発の危険性を訴えつつ、じゃあどうすればいいのというところまで突っ込んで描いている。この映画を見て、ソーラーシェアリングをやりたいと思った。原発反対運動は荷が重い。だけど、後半部分の真似事ならできそうだ。そんなときに、次女夫婦が鈴鹿の実家に住むと言い出してくれた。土地はたくさんあるのだから、あとは「やる」という決断だけだった。ぼくは、これまでたくさん本を書いてきたが、あくまでも、見たこと聞いたことを伝えるだけで、実践が伴っていなかった。伝えることは大事だけれども、実践のないことはコンプレックスだった。それで、山梨では自然栽培にチャレンジしてみた。遊び半分の取り組みだから威張れないけれども、それでもやることでたくさんの発見があった。今回のソーラーシェアリングは、ぼくにとってはかなりの資金も必要だったし、まわりの理解も得られるかどうか心配だったし、遊び半分というわけにはいかなかった。でも、やって良かった。小規模なソーラーシェアリングで、はちどりのひとしずくに過ぎないのだが、一歩踏み出せたことは、大きな自信になった。今、鈴鹿の実家の電気代は基本料金だけになっているはずだ。ソーラーシェアリングの下では、娘たちが小さな畑を作って、野菜を栽培している。ぼくは、この困難の時代を乗り越えるには、一人でも多くの人が、意識を変え、生活を変えていくしか方法はないと思っている。知識だけ、言うだけだったぼくのような人間にも、「よし」と決心すればできることはいっぱいある。はちどりのひとしずくで山火事が消えるかどうかわからないが、目の前で山が燃えているなら、行動するしかない。ぼくは、これからも、ひとしずくを運び続けようと思っている。ぜひ、うちのソーラーシェアリングを見に来ていただきたい。
2023年12月24日
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いつもニコニコしているけれどもむかつくことはないんですか?いい質問だ。いろいろ考えさせてもらった。ぼくの場合、むかつくことがないわけではないが、怒りは人より少ないのではないか。だまされたり裏切られても、あまり腹が立たない。どうしてだろう?もともとの性分もあるが、人の感情というのは、まわりの人を見ながら覚えていく部分が大きい。父親が怒りん坊だと、子どもはその姿を見て、いつどんなことで怒るかを学ぶ。自分をよく観察してみるといい。親と同じ場面で怒っていたりするのに気づくはずだ。同じ口調で起こっていたりする。ぼくの場合、怒りっぽかった父の姿が嫌でたまらなかった。父からは、怒りというのは人を不快にさせることを学んだ。そして、怒りで何かが解決することなどない。とても無駄なエネルギーだ。親の嫌な部分を真似する必要はない。腹が立ったときには、「親から学んだことだ」と思えばいい。親のようになりたければ、そのままを続ければいいし、なりたくなければ、方向転換を考えればいい。ニコニコ人生かムカムカ人生か。自分で選べることだ。20代後半に、真氣光の中川雅仁先生とホリスティック医学の帯津良一先生にお会いした。2人ともいつもニコニコしていた。怒ったところを見たことがない。中川先生は、同業者からのねたみから、薬事法違反で逮捕されたことがあった。まったくの濡れ衣だった。腹を立てても仕方のない状況だったが、釈放されて帰ってきたときの顔が忘れられない。旅行から帰ってきたような満面の笑みだったのだ。その後、裁判になったが、日本で初めての氣を巡る裁判を楽しんでいる風もあった。「そのうち、氣のことが当たり前になって、こんな裁判があったことが笑い話になりますよ」被告席での中川先生のひと言。忘れられない。帯津先生も、従来の医学の枠組みを壊すような活動の中心人物。医学界の革命家と言ってもいい。本来なら大変なストレスを受ける立場だったのに、威張ることもなく、いつもニコニコしていた。人を批難したり、攻撃するようなこともない。「私には『これは譲れない』ということはあまりありません。どっちでもいいことが多いので、決まったことに従うだけです」それでいて、新しい世界がどんどん広がっていく。大きな志をもち、なおかつニコニコしている人のまわりには人が集まってくる。そして、自分で何かをしなくても、自分を取り巻く世界がどんどん変わっていく。敵も作らない。「怒り」ではとてもできないことだ。この2人の側にいることで、ぼくは、ニコニコしていることのすばらしさを学んだ。無理して意識してニコニコするレベルを超えて、自然にいつもニコニコしているところまで達すれば、運気はどんどん高まっていく。あの先生方にはとても及ばないが、少しでも近づきたいと思っている。
2023年12月23日
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この間、池袋へ行ったら、西武西口に行列ができていた。年末ジャンボ宝くじを買い求める人たちの列だ。今年は10億円だそうだ。大谷クンの1000億円の話を聞いたあとだったので、10億円も小さく思える。ぼくは宝くじを買わないが、妻はよく買う。たぶん、年末ジャンボも買っていると思う。彼女には成功体験がある。地元のパン屋さんのクジで、特等が当たったのだ。商品はハワイ旅行。ところが1名しか行けないので、主催者と交渉して、行先をグァム島に変えて2名ということにしてもらった。さらに、娘3人の旅費をプラスして家族旅行をした。今から20年以上も前、結婚10年目のことだった。妻には当たる予兆はあった。クジを引いた日か、前の日か。パン屋さんの駐車場へ車を止めたとき、塀に車をこつんと当てたみたいなのだ。大したことはなかったが、このときに「当たるかも」と思ったと言う。経済的に厳しい時期で、結婚10年を記念しての海外旅行など、夢のまた夢だったから、「きっと神様からのプレゼントだ」とおおはしゃぎしたものだ。10億円が当たればうれしいけれども、常にたくさんのお金をもっていなくても、「必要なお金はなぜか工面できるんだよね」でいいわけで、20数年前のありがたみを忘れてはいけないな。政治家みたいに、お金ばかりを追いかけるのは間違っているし、かと言って、「お金なんか」と鼻で笑うような態度もおかしいし、お金たちが喜ぶようなお付き合いをすることが大事だと思うね。来年は、お金たちはもっと意思をはっきりと表現するようになって、心地いいところへ動いていくはずだ。
2023年12月19日
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日大騒動で、林真理子さんも大変だと思う。林さんは山梨の出身ということもあるし、彼女の出た日川高校は、ラグビーのスターがたくさん出ているので、高校時代から名前を知っていて、親近感がある。週刊誌やネット記事には、悪者のように書かれていることもあるが、巨大な組織は、利権も絡むし、いろいろなタイプの人もいるし、一人の人間の手に負えるものではない。林さんも、作家としては超一流ではあっても、だからと言って、リーダーシップがあるかどうかはわからないし、人間的に優れているかどうかも、文章を書く資質とは別問題だ。ただ、売れている作家は視点が常人とは違う。まわりがもっと協力して、彼女の独自の視点を生かすことができれば、ユニークな大学が作れたかもしれない。林さんのエッセイはとっても暖かくて、ぼくは大好きだ。週刊文春の「夜ふけのなわとび」はほぼ毎週読んでいる。今週は、川淵三郎氏(キャプテン)のことが書いてあった。文化勲章をお祝いするセレモニーがあったのだそうだ。そこでこんな感動的なシーンがあったと言う。《夫人と一緒に入場するキャプテン。最後に、「皆様の前で、妻にお礼を言いたいのでお許しいただけないでしょうか」大拍手。キャプテンは泣きながら夫人をハグした。そしてこうおっしゃった。「私の願いです。どうか私より一日でも二日でも長生きしてください」》川淵氏は1936年生まれ。ぼくよりも20歳上。87歳だ。サッカー、野球、ラグビー、バスケット。スポーツ界に多大な貢献をした。実業の世界でも大活躍だ。そんな忙しい人と結婚して、奥さんは大変だったと思う。夫が外で活躍して、妻がそれを支えるというのは、今は、差別的だと非難されてしまうけれども、ぼくは、役割分担は大事だと思う。別に逆でもいいしね。大事なのは、お互いが相手を敬うこと。外で活躍できる人が偉いわけではない。「オレが金を稼いでいるんだ。お前は黙っていろ」というのは横暴な発言で、支えてくれる人がいたからこそ、威張れるほどお金が稼げたことを忘れてはいけない。子どもたちが小学生のころ。ぼくは仕事柄家にいることが多く、妻は外へ働きに出ていた。だから、あのころ家事はずいぶんとやった。今日の晩ごはんは何にしようかと、娘たちと相談して、カレーだったり炊き込みご飯だったり、手巻き寿司だったり、レトルトのハンバーグだったり。簡単なものが中心だった。それでも、毎日、ご飯を作るというのは大変なことだ。楽しいこともあった。たまには、YouTubeで調べて、オムライスを作ったら、形はいびつだったが、非常に好評だった。それで気を良くして、娘たちの友だちが遊びに来たときにも、「癒しのオムライスだ」と言って作ってあげたこともあった。けっこう喜ばれた。外のストレスも楽しさも、家の中の大変さも喜びも、両方わかると自負している。ぼくは、川淵さんのような立場に立つようなことがあったら、妻に同じようなことを言える自信がある。一日でも二日でも長生きしてほしいという気持ちもよくわかる。「先に行っているな」そう言って、旅立っていきたい。逆は嫌だ。男の身勝手かもしれないし、「女に看取れって言うの!」なんて怒る人もいるかもしれないが、何とも暖かな関係じゃないか。まあ、夫婦そろって元気でいられるありがたい身だから、そんなことも言えるのだろうが。我妻は、きちんと自分が看取る心の準備をしてくれていると思う。
2023年12月18日
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アマプラで映画『ラーゲリより愛を込めて』を観た。第二次世界大戦でシベリアに抑留された人たちの話。ラストは、かなしくて切なくて、涙が止まらなかった。最後の引き揚げ者は1956年だった。ぼくの生まれた年だ。戦争を知らずに育ってきたが、家族が戦地で、あるいは空襲で亡くなり、その傷が癒えないでいる人もたくさんいただろう。ぼくのおじさん(父の兄)は、戦争が終わって、ボルネオから船で帰る途中、台湾沖でマラリアを発症し、船の上で亡くなった。もう数日で日本だったのに。祖父母も長男の帰りを待ちわびていたに違いない。そんな人がたくさんいた。戦後の復興に浮かれながらも、かなしみに覆われている時代だった。映画を通して、戦争という悲劇の中で生きた人たちを思うと、もっとていねいに生きないといけないと、自らの日々を反省する。明日、生きている保証がないのは、80年前も今も同じはず。あのころは、明日の命が風前の灯だった。今日が最後の日だとしたら、家族とどう接するだろうか。憎まれ口を言って、口論をして、それが今生のお別れだとしたら、あまりにも寂しいではないか。少なくとも、朝起きたら、「おはよう。今日一日よろしく」。寝るときには、「おやすみ。今日一日ありがとう」。これは忘れないようにしよう。
2023年12月17日
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朝、村内放送が流れた。近くの村の老人が昨日からいないのだと言う。年に何度か、行方不明の放送がある。どういう理由でいなくなったかわからないが、だいたいの場合、認知症によるもののようだ。田舎でも認知症は多い。67歳の男性と聞いてびっくり。ぼくと同い年だからだ。若年性というのもあるし、いつ認知症になっても不思議ではないのだが、同年代の人が、どういう事情かわからないがものの、家に帰れなくなっているという放送は、自分が高齢者という枠組みに入っているのだろうなということを、改めて思わされる放送だった。これが、若い女性と駆け落ちしたというのなら、「あっぱれ」と、拍手したくなるが、そんな艶っぽい話ではなさそうだ。60代、70代になれば、重病になるリスクは高まるのだから、それだけの覚悟はしておかないと。人によって違いはあるだろうが、ある年齢になると、残された人生をどう生きるか、考えるようになる。ぼくは、動けなくなるまで働こうと思っている。死ぬまでというのが理想かな。悠々自適とか花鳥風月を愛でるとか晴耕雨読とか、あんまりピンとこない。俗欲からは脱することができないし。若いころと働き方は違ってくると思うが、いくつになっても、世間に対して、何らかのアピールをしていきたい。少しでも世の中の役に立っていたいと思う。今年は、枯露柿という高級干し柿を、最初は25個だったが、あとから近所の人に生の柿を25個もらったので、合計50個作った。3年前まで干し柿など作ったことないし、作ろうと思ったこともなかった。1年目、2年目とうまくいかなかった。近所の人に聞いて、今年はうまくいった。三女がやって来たので食べさせてあげた。「今まで食べた干し柿で一番おいしい」と喜んでくれた。妻も、札幌の知り合いに送ってあげたいと言う。北海道は柿がないから、干し柿は珍しいようだ。大したことではなくても、人を喜ばせることができるし、自分の喜びにもなる。こんな働き方もありだ。
2023年12月16日
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最近、80代の知り合いが何人か亡くなった。十分に生きた方たちだったが、いろいろお世話になったので、寂しさはぬぐえない。100歳まで生きると、「おめでたい」と言われるけれども、100歳まで生きた自分を想像するといいと思う。来年、ぼくは68歳になるけれども、今の体力のまま100歳になるのは無理だろう。足腰も弱るし、病気にもなる。車も運転できないし、気力、知力も落ちるだろう。それに、長い付き合いのあった友だちは、先にあの世へ旅立ってしまう。これは悲観的な話ではない。自然の法則だ。長生きしたい人は、よぼよぼになってしまって、孤独な中で暮らす自分を、受け入れ、耐えるメンタルの強さを、60代、70代から培っていかないといけない。たぶん、健康で長生きすることだけを目標にしていると、いい晩年は送れないと思う。いくつになっても、生きがいであったり、ときめきや夢や志がないと、「もう死にたいよ」と愚痴の出る長寿者になりかねない。先のことをあれこれ考えるよりも、今、何をするか。ここに集中して、お迎えがくれば、ありがたく肉体を脱ぎ、魂の世界へ行けばいい。そういう潔さを、育てていきたいと思っている。今、やりたいことがあるから、そこに力を注ぐ。その結果は、ぼくにはどうすることもできない、未知の領域だから、うまくいけば万々歳、うまくかなければ仕方がない。そんな感じでやっていきたいな。
2023年12月15日
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だれもほめてくれないから、自分でほめるけれども、ぼくには独特の感性があると思う。流れをぱっとつかめる感覚。でも、感覚だからうまく説明ができない。結局、まわりの人には、ぼくの言っていることがわからないのだと思う。常識の枠内で話されると、ぼくは、「そうだな」と思ってしまう。正当な意見だから、自分の直観を押し通せない。自分の感じ取った流れを離れて、人の意見に流されてしまってきた。それが安全装置になっていた部分もあった。自分の直観のままに動いていたら、今のぼくはいなかったかもしれない。そろそろブレーキをはずして、直観に従った生き方をしてもいいかなと思っている。徐々に準備は整ってきている気がする。ずいぶん、世間とのしがらみもとれてきたもの。来年は一気に手綱が緩みそうだ。楽しみだ。
2023年12月13日
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人間の特長は、思いを形に変えることができること。そのために頭脳と、器用な手先が与えられている。コンピュータやAIロボット、宇宙ロケットといった物だけでなく、いろいろなシステムを開発したのも人間ならではの才能だ。さまざまな発明の中でも、お金は、人間が作り上げた最大のものではないか。すべてのベースにお金の存在があって、人間社会を支配してしまった。地球の運命にも大きな影響を与えている。お金は、どんな思いを現実化させたのだろうか?ぼくが好きなのは、「ありがとうの思いを形にしたもの」という考え方。ただし、最初にお金がくるのか、ありがとうが先なのか。ここが大切。便宜を図ってもらってありがとうと出す裏金。確かに、ありがとうの思いを形にしたわけだけれども、私利私欲のために使われてしまっては、お金がかわいそうだ。お金は太っ腹だだから、どんなふうに使われようが文句を言わないが。お金の直接のやり取りは、どうしてもきな臭くなる。ありがとうとまわりから思われる行動をしていれば、まわりまわって、お金がやってくるというのが、本来のお金の動き方ではないか。お金を最優先する生き方、自分さえ良ければいいでは、こうした動きは生み出せない。お金を悪者にするのではなく、お金にさえ感謝されるような生き方。政治とお金のニュースを見ていると、ぼくたちは、せっかく生み出した、お金という大発明を、しょうもないことに使っているなと思えてならない。
2023年12月12日
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このごろ、ヤギたちに竹をあげている。大好物とは言えないが、けっこう食いつきはいい。竹を切っていて思うのは、構造的によくできているなということ。節があることで、とても丈夫だ。強風が吹いても、しなやかに曲がって、簡単には折れない。ぼくたちも、生きている上で、面白いくらい成長する時期があるかと思えば、停滞するときもある。停滞期というのは、節を作っている時期。そう考えていいのではないか。じれったいけれども、この期間があるからこそ、豪雨や強風にも耐えられる竹が出来上がる。それに、「節目」というくらいだから、停滞期は変化の時期でもある。ステージアップする準備が行われている。あせらないこと。しばらく停滞したあとは、新しい世界が始まる。うまく進まないことは、うまく進んでいる証拠。自然は、そんなリズムで動いているものだ。
2023年12月11日
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田舎に住んで思うのは、人工の音が少ないこと。家にいるときには、車の音もほとんどないし、たまに村内放送が流れるくらいのことで、あとは、ヒーリングミュージックやテレビの音、洗濯機、掃除機、換気扇といったくらい。風の音だったり、ヤギやニワトリの鳴き声だったり、近くの小学校で子どもたちが遊ぶ声だったり、家族のしゃべり声が、耳に入る音の大半だ。朝と夕方はドラム缶や、去年作ったロケットストーブでたき火をする。このごろ、ヤギたちの朝ごはんは、裏やぶで切ってきた竹。あいつらは竹の葉を喜んで食べる。葉を食べ終わったら、枝を払って、茎も一緒にドラム缶で燃やすのだが、竹がはぜて爆発音がする。突然の大きな音でびっくりするので、このごろはのこぎりで切り込みを入れてドラム缶に投入している。あれも田舎ならでは音だ。竹がはぜる音で鬼を追い出すというお祭りがある地方もあるそうだ。竹を燃やして、パンパンと爆発させれば、たぶん、クマだって近づかないと思う。一つひとつの音に情緒がある。それが田舎の良さかな。今思い出せば、東京は音の洪水だった。今でも月に一、二度は行くけれども、新宿駅のホームに降りると、異様な世界に感じる。気持ちがどんどん急かされる。ほっとする間を与えてくれない。若いときには、騒音も満員電車もエネルギーのもとになっていた気がするけれども、今はああいう音環境はしんどくてたまらない。今日は天気も良くて、ポカポカ陽気で気持ちいい。ぼんやりとヤギたちを見てるうちに、午前が終わってしまった。おかげさまでいい生活をしている。
2023年12月10日
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