老師の言葉 0
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人間の性格傾向は大きく3つのタイプに分けられるそうだ。タイプAは、「負けず嫌いで競争心が強い」「成功や出世への欲求が強い」「何事にも一生懸命、熱心に取り組む」「せっかち、短気」「いつも時間に追われている」。タイプBは。、Aとは逆で、「穏やかであまり怒らない」「マイペース」「ゆったりしている」「無理をしない」「リラックスしている」。タイプCは、「周囲を気づかう」「ネガティブな感情を抑え込む」「我慢強い」「控え目」「まじめで几帳面」。タイプAの傾向があると、心臓病になりやすいそうだ。そりゃそうだ。こういう生き方だと、交感神経がいつも緊張してカッカしているわけだから、心臓にも負担がかかる。タイプCの傾向があると、がんとかうつ病になりやすい。これもよくわかる。タイプBが一番いい人生を送れるような気がするな。ぼくは基本的にはCタイプだと思う。特に、子どものころ、若いころはそうだった。だから、サラリーマンのように組織の中で働くことは、すごくしんどかった。まわりのことばかりを気にして働いていた。28歳でフリーになったとき、心からほっとした。気を使わなければならない「まわり」を一気に減らしたから。自分一人の職場だ。与えられた仕事をこなせば、ずっと家にいたっていい。やっただけの収入がある。やらなければ生活できないわけだが、おかげさまで適度な仕事があったので、自分のペースで毎日を過ごしていた。本当はBタイプの生き方をしたかったのだと思う。だけど、基本がCだから余計な気を使って疲れてしまっていたのだ。フリーになって、文章を書いて食べていけるだけで、ぼくにとっては成功だったし、ベストセラー作家になるとか、大それた欲もなかったし、何となく楽しくやっていければいいやというくらいの気持ちで働いていたから、Bへと移行できた気がする。Cという要素をベースに、B的に生きたことが、人間関係もスムーズにいったし、良かったのだろうと思う。今はA的なものはほとんどなくなった。何事もほどほどでいい。Cからの少しずつ解放されつつある。まず、一緒にいて気持ちいい人としか会わない。山梨へ引っ越しての一番の収穫だった。自分から声をかけないと、人と会うことはないもの。東京にいたころは、会いたくなくても、声がかかったらついつい出かけて行ってしまっていた。今は、ありがたいことに声がかからない。年齢的なものもあるしな。でも、会いたいと思った人とはきちんと会える。タイプCのしんどい部分はどんどん排除されている。そんなわけで、たまたまネットに3つ性格傾向という話があってので、自分を分析してみた。いい感じで年を取ってきた。
2023年12月08日
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我が家の妻と長女は、テレビが好きで、家にいるときには、たいていテレビがついている。だいたい、流れている番組は、食べ物ネタ。どこのチャンネルにしても、食べ物は外せないものになっているようだ。たぶん、食べ物を扱えば外れが少ないのだろう。「おいしそう。今度食べに行こう」そんな会話が我が家の女性2人の間では飛び交っているが、ぼくにはあまり興味がない。「食レポがへたくそ」だの「そのうち食糧難になるのに」とぶつぶつ言っていると、「あっちへ行って」と追い出されてしまう。ぼくは、食べ物については、粗食が一番だと思っている。ご飯、味噌汁、漬物、それにおかずが一品あればいい。ご飯に味噌汁をかけて食べるのも大好きだ。そんなことを主張すると、「勝手にすれば」と家から追い出されてしまうだろう。妻や長女に付き合って外食に行くことがあるが、彼女たちのテンションは、ぼくにはついていけない。たぶん、現代日本では、ぼくの方が異常なのだと思う。飽食に慣れた日本人のほとんどは、テーブルにたくさんの食べ物を並べて、腹いっぱい食べるのが当たり前なのだろう。おいしい、まずいはとても大切なことで、おいしいもののために遠くまで出かけていくこともいとわない。ぼくが子どものころは、田舎だったし、貧乏だったので、ほとんど自給自足だったと思う。近くにお店はないし、買い物と言えば、週に一度くらいやってくる行商のおばさんを思い出すくらいだ。たまに町へ連れて行ってもらったとき、決まって食べたのは中華そばだった。あれは最高のごちそうだった。デパートの最上階にあった食堂でお子様ランチを食べさせてもらうのは、特別なことだった。家のご飯よりも、外で食べた方がおいしいと思ったけれども、それは年に一回とか二回だからだ。今は、家の畑でとれたほうれん草のおひたしとか、かぼちゃの煮つけとか、なすびやきゅうりの漬物とか、飼っているニワトリが産んだ卵とか、そんなのを食べて暮らせたら最高だなと思っている。小中学校のころ。土曜日は半ドンだった。お昼に家へ帰って、なすびの漬物でお茶づけを食べる。何杯でも食べられた。あのときの「おいしい」という感覚は、今でも覚えている。よく「味オンチ」だと笑われるが、決して味がわからないわけではない。今の食べ物には反応しない味覚をもっているのだと思う。ここ何十年、一流の料理店に連れて行ってもらったこともあるが、「おいしい」と感じたことはあまりないもの。家で、もらった野菜を工夫して、妻が作ってくれた料理の方がはるかにおいしい。来年からはもっと本格的に畑をやるつもりだ。田んぼもあるのだから、米だって作れる。自分で作ったものを食べる方向に向かっていきたいな。味覚も記憶だから、あの「おいしい」と感じたときを思い出せる、そんな食べ物を求めていきたい。
2023年12月07日
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今、山梨に移り住んで経緯を文章にまとめている。東京を出て3年が過ぎた。もう、ぼくにも妻にも東京へ帰るという選択はまったくない。とにかく、中身の濃い3年だった。想像もしていなかった日々を過ごしてきた。ひとつの区切りとして、文章にしておこうと思う。たぶん、まだまだぼくたちの老後は安定しないと思う。挑戦したいことがいっぱいある。これまでのぼく、これからのぼくを、客観的に見ていくつもりだ。自分で言うのも変だけど、面白い生き方しているもの。おろおろびくびくしながらも、これでいいのかと迷いながらも、きちんと歩を進めている。書いた文章は電子書籍にする。ぼくの運の良さというのは、「こうしたいな」と思うと、きちんと手助けしてくれる人が現れること。電子書籍も、とても感じのいい女性がアドバイスしてくれることになった。励みになる。書くことはいっぱいある。何の取柄もなかった男が、文章を書くという仕事に出あって、少しは世の中に認められるようになった。死ぬまで、この仕事をやっていくしかない。やっと気がついたよ。原稿は年内に仕上げ、これを題材に電子書籍の作り方を覚え、来年は、月に一冊のペースで出すつもりだ(電子書籍の場合は短い文章でも1冊になるそうだ)。楽しい70代への準備ができそうだ(来年3月で68歳です)。
2023年12月05日
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人は、断言されるとついつい信じてしまう。「ここへお参りすれば願いが叶う」と言われる神社があれば、行ってみようかという気になるし、この療法で病気が治るという話を聞けば、病気で困っている人はすがりたくなる。本もそうだ。「〇〇すればお金持ちになれる」「これで運気が高まる」「〇〇で難病が治る」といった本はよく売れる。間違いなくお金持ちになる方法も、すべての難病が治る治療法もあるはずがない。本当のことを言えば、「かもしれない」であり「そういう人もいる」「そういうこともある」なのだが、それでは人の気持ちを引き寄せることができないから、断言して人の気を引こうとするのだ。正直者はあまり断言をしない。もごもごと、小さな声で自信なさげに語る。頼りないし、じれったい。それは、世の中は何が起こるかわからないと知っているからだ。彼が語ることではなく、やっていることを見てもらいたい。サウイウモノニワタシハナリタヒ。
2023年12月04日
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朝から津波注意報。東日本大震災の強烈な映像を見ているから、津波と聞くとドキッとする。だれの中にも不安があると思う。災害に対する不安、将来に対する不安、仕事に対する不安、経済的な不安、病気の不安、人間関係の不安。不安がなくなれば、どんなにか気楽に暮らせるか。その通りだけれども、いくら健康でお金持ちで、仕事も順調で家族の仲も良かったとしても、不安がないかというと、必ずもっている。不安を感じるというのは、危機管理のための脳の働きなのだそうだ。生命が生き延びるために、リスクとなる要因を検出し、排除しようとする脳の働きが、感情として現れたものが不安なのだと言う。脳は、常にリスクを探し出し、人に不安を与える。満たされた生活をしている人であっても、脳はリスクを検出しようとする。つまり、不安を生み出すように働く。普通なら不安とは感じないことを、脳は不安要素として検出し、排除しようとするのだ。ちょっとお腹の調子が悪いと、普段なら放っておくのに、満たされた中で生きていると、「ひょっとしてがんじゃないか」と思うのだそうだ。とにかく、ぼくたちは不安とか迷いとか恐怖から逃れようとする。昔の剣豪のように、何があっても平然としているのがいいとあこがれる。しかし、どんな局面でも平然としていられる人なんていない。コントロールの上手下手はあっても、多かれ少なかれ、心は乱れるもの。目の前にクマが現れたら、どんな強者だって、ニコニコしていられないはずだ。肉体をもっている限り、不安は生じるもの。そう考えた方が、逆に冷静に生きられる。不安はなくさないといけない、修行不足だから不安になるんだ。そんなことを本気で考えていると、本来できないことなんだから、大きなストレスとなって、心や体をむしばむことになってしまう。不安や恐怖は、軽減することはできてもなくなりはしない。不安や恐怖は、恥ずかしいことではない。自分を守るための大切な機能なのだ。ぼくは怖がりだし、いつも不安をもって生きている。だから、いろいろなことがうまく進むのかもしれない。
2023年12月03日
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びっくりするくらいのスピードで12月に突入。それでも、速いからと言って、何もない一年ではなかった。今年も激動だった。2月には次女が入籍。3月には札幌で結婚式を挙げた。入院中の義父も車いすで参列してくれた。そして、新婚夫婦は夏からぼくの実家に住むことになった。5月22日には義父が札幌から山梨の施設へ移った。一週間ほど楽しく過ごしたが、脳梗塞を起こして塩山市民病院へ入院。7月24日に亡くなった。暑い暑い夏だった。鈴鹿の実家にソーラーシェアリングの施設を作ったのも大きなニュースだった。(おかげさまで昨日開通した)「あっと言う間の一年だった」のは確かだが、それでも、そこには貴重な歴史が塗り込まれている。速いから軽いのではない。重くて深い一年も、あと1ヶ月。感謝して過ごす12月にしたいと思う。
2023年12月02日
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人にはいろいろな面がある。本当の自分は?だいたい、本当の自分なんてないんじゃないか。そもそも自分って何だ?もともと、ご先祖様からもらったDNAだ。仮に、脳は自分としよう。心臓も胃も自分とする。でも、腸内細菌はどうなんだ。自分か?体の中にはウイルスもいるし、細胞の中のミトコンドリアは自分ではないそうじゃないか。心理的なことで言えば、親の価値観に支配されていたり、子どものころにいじめられた体験がトラウマになって、行動が規制されていることもある。どんな環境で育ったかも、性格を作るもとなっていることもある。感情って、だれかから学習したことではないのか。霊的なところまで踏み込めば、憑依霊にコントロールされていたりするだろうし、あちらの世界へ行ったご先祖様も、いろいろな形で子孫の生き方や考え方に影響を与えている。星々の波動の影響だって受けている。ごった煮だ。鍋からごぼうだけを取り出して、「これが自分だ」なんてのもおかしな話。大根でもなければ、ニンジンでも鶏肉でもない。好きなものもあれば嫌いなものもあるだろうが、全部、自分だから仕方がない。仕方がないとあきらないといけないのか。そんなことはない。「性分だから」どうしようもない、ことはない。自分はいろいろな要素によって作られたものであって、ちょっと調味料を変えたり、材料を加えたり、煮方を変化させたりすれば、いくらでも変えることができる。人との出会いとか、さまざまな経験、環境や意識の変化によって、違う味にすることができるのだ。たまに、せこい自分が姿を現して、頭を抱えたくなることがある。だけど、ぼくを作り出す味のひとつ。排除すると、どんな味になるのか。隠し味かもしれないよ。本当の自分なんて、複雑怪奇で、だれにもわからない。
2023年12月01日
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物事は長い目で見ないといけない。アクションを起こして、すぐに結果を求めるのは、自分にもまわりにもストレスにもなるし、方向を間違ってしまったりもする。あせって答えを出さないといけないことは、そんなにあるものではない。いいことがあろうが、悪いことがあろうが、明日は明日の風が吹くわけで、一喜一憂しないことだ。人もうらやむような生活をしていた人が、いつの間にか、どん底に落ちてしまっていることだってある。もちろん、逆もある。人間万事塞翁が馬。北海道のある町で、大学が移転することになって、賃貸物件のオーナーがあわてふためているというニュースが流れてきた。大学があることで、黙っていても家賃収入が入ってくるわけだ。アパートを建てた人は勝ち組だった。ところが、いきなり大学が移転することになって、学生の入居が見込めない。お先真っ暗。このピンチをどうするか。ぼくは必ず、知恵を働かせる人が出てくると思う。有頂天にならず、絶望もせず、置かれた状況の中で何ができるかを考え、行動できる人。えっと思うような空き家の利用法が、この町から生まれたら面白い。順風満帆のときは、だれでも幸せでいれる。そうじゃないとき、ピンチに立たされたときに、人は器量が試される。ピンチをも楽しめる人間。ぼくはすごいと思う。ぼくは、何か困ったことがあったときには、こんなふうに対処しようと心がけている。「もし、神様とか天意というものがあるなら、このピンチをどう乗り越えさせてくれるだろう」自分から少し距離を置いて、映画を見るように、小説を読むように、ながめてみる。すると、暗闇に一条の光が差し込んでくるような気がする。天は、どんな人にも慈悲を注いでくれる。そのことをどこまで信じられるか。ピンチのときは、そのことが試されているのではないか。ピンチを超えたとき、新しい世界が自分の前に広がってくる。
2023年11月30日
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ぼくは、宮沢賢治のことは、通り一遍のことしか知らないし、彼の作品を読んで衝撃を受けたということもない。ただ、彼の有名な「雨ニモマケズ」は、何年も前から、仏壇に向かって、手を合わせ、目をつむって、一回だけ声に出して唱える。心が落ち着く。「サウイフモノニワタシハナリタイ」この詩は、宮沢賢治の願望あり、夢であり、祈りでもあった。「ミンナニデクノボートヨバレホメラレモセズクニモサレズ」そんな人になりたいと普通は思わない。認められほめられ、「あの人はすごい」と憧憬の目で見られる。お金持ちになれればもっといい。玄米と味噌と少しの野菜では嫌だ。少しでも大きな家に住みたい。そう思うだろう。宮沢賢治が生きた時代でも同じだったはず。しかし、宮沢賢治はそうなりたいと言う。人が目指すべきところはここにあるのではないか。「ワタシハナリタイ」というのが謙虚でいい。ボクモナリタイ。でも、まだまだ欲まみれ。欲にまみれながら、溺れそうになりながら、少しでもデクノボウになるために前進していく。それが、修行なのだろう。菩薩行というものだ。今日もまた、大声で唱えよう。「アメニモマケズ カゼニモマケズ・・・・」
2023年11月28日
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宮沢賢治「銀河鉄道の夜」に、さそりの話が出てくる。銀河鉄道の汽車で一緒になった女の子が話したこと。さそりは小さな虫たちを殺して食べて生きていた。あるとき、そのさそりがいたちに追いかけられる。逃げ回って井戸に落ちる。溺れ始めて、こんなことを思った。自分は、たくさんの虫たちの命を奪ってきた。でも、自分の命が奪われるときにはこんなにも一生懸命に逃げている。逃げずに自分の体をいたちにあげればよかった。そうすれば、いたちは喜ぶし、一日生き延びることができたろうに。そして、神様に、次に生まれてくるときには、この体をみんなの幸せのためにお使いください。そう祈った。因果応報というのがある。今、クマをはじめ、獣害が大変なことになっている。その原因を作ったのは誰なんだと考えれば、人間の行動ではないか。里山をきちんと整備していれば、動物たちも人里へは下りてこないそうだ。まだ食べられるものがゴミとして捨ててしまっているから、それを狙って山を下りてくる動物もいるだろう。一時的に駆除することも必要だろうけれども、鉄砲やワナだけでは、動物との関係が良くなるとは思えない。そして、すべての原点として、ぼくたちは他の動物たちや植物たちの命をもらって生きている、ということに還らないと。「いただきます」「ごちそうさま」の本当の意味に立ち返る。おいしいものを食べる喜び、幸せは、よくわかる。しかし、その奥には、食べられる側のかなしみがあるということも忘れてはいけない。相手のかなしみを知ってはじめて、ぼくたちの中に、感謝という尊い感情が芽生えるのではないか。
2023年11月27日
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気功を始めた。もともとぼくが気功とかかわったのは1988年だから、まだ世の中にあまり知られていなかったころだ。超能力、オカルトの領域だった。ぼくは中国への旅で気功を知り、上海の気功の大会で知り合った、中川雅仁先生という真氣光の創始者の取材を始めた。気功をがん治療に取り入れていた帯津良一先生とも、同じ会で出会っている。上海をきっかけに、ぼくは中川先生の真氣光を始めた。気功には外気功と内気功があって、気功師と呼ばれる能力者が手から気を出して、人を癒すというもの。中川先生は、特別な能力がなくても、だれでも気が出せると、1週間の講座を始めた。「そんなバカな」と思っていたが、ぼく自身が、中川先生の取材をしているうちに、手から気が出るようになった。ぼくが気を送ると、床に座っていた弟がゴロゴロと転げ回ったり、さっと背中をなでると、おばあちゃん(祖母の姉)の腰痛が瞬時に治ってしまったりしたのだ。妻も中川先生の講座に参加して気功師になった。あれから30年以上もたつ。今回、ぼくが始めたのは内気功。外から気を取り入れて、自分の中の気を増やしたり練ったりするというもの。こちらは帯津先生がご専門だ。ぼくは、太極拳を習ったことがあるが、あの動きは覚えられない。難しいことはダメだ。簡単にできることはないか。今までは、だれかがやっているのを真似しようとしたが、考えてみれば、自分で作ればいい。「調身」(姿勢を正す)「調息」(呼吸を整え)「調心」(心を落ち着かせる)があれば気功だというのが、帯津先生の教え。この3つを踏まえて、だれでもできるものを作ればいい。まずは天から気を取り入れる。次に地から。そしてまわりの環境から。そこに準備運動や、気を体の中で練る動きを入れて、ゆっくりやっても5分くらい。もう少しリズミカルにできればいいのだが。それでも、これなら続くだろう。やりながら修正していこうと思う。
2023年11月26日
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小さな行動の積み重ねが、面白い結果を生み出す。そんなことやっても意味ないよ。何バカなことやっているんだ。そういうことにエネルギーを使うと、次の次あたりに、「わお」とうれしくなる出来事が出てくるものだ。1足す1は2ではないのがエネルギーの特徴。1足す1がゼロ。よくある話だ。マイナスになることだってある。やらなければ良かった、これはダメだと思ってやめてしまったら、ゼロ、あるいはマイナスのまま終わってしまう。しかし、ゼロであろうが、マイナスであろうが、遠くで見ている人がいたりする。「なかなか面白いことやる」興味を持ってくれる。ゼロに1を足そうと動く。またダメだ。マイナスになった。それでもくじけない。興味をもってくれる人が増えてくる。近くに寄ってきてくれる人もいる。ここは感覚でつかめるはず。ダメが続いたが、手ごたえがあったりする。水面下にエネルギがたまっている証拠だ。マイナスが重なっても動く。ああ、ダメだ。心が折れそうになる。ところが、そこに救いの手が差し伸べられる。エネルギーというのは、ある程度たまらないと現象にならない。見えないところで小さな爆発が起こっていて、それが積み重なって、あるとき大きな爆発を起こすものだ。大きな爆発が起これば、1+1は、2どころか、100にも1000にもなる。せっかちな人は、いきなり1000を狙おうとするが、そうはいかない。1を重ねていくことが重要なこと。昔、師に言われた。「とにかく、たくさん本を書け。売れても売れなくてもいい。書くことで、お前は磨かれていって、まわりを幸せにできる」1を重ねろということだった。「もっと書き続けろ。お前が書きたいことを書けばいい」亡き師の声が聞こえてくる気がする。昔の人は言った。「チリも積もれば山になる」「千里の道も一歩から」チリや一歩をバカにしちゃいけないな。
2023年11月25日
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一昨日11月22日は、「いい夫婦」の日だった。 我が夫婦は、結婚して30数年。いい夫婦の部類に入ると思う。 「いい夫婦でいられる秘けつは?」テレビで質問していた。 ぼくが質問されたら、「そりゃ、お互いに敬い合い、感謝し合うことですよ」なんてかっこいいことを言いたいけれども、ぼくも妻も、そんなできた人間ではない。 未熟な2人がこれまで仲良くやってこれたのは? まずは適度な距離感。結婚した当初、2人ともけっこう忙しくて、すれ違いが多かった。月のうち半分くらいは別居状態だった。どっぷりと新婚生活に浸ろうとしなかったのは良かったのではないか。それに、相手に期待し過ぎない、求め過ぎない関係も、最初からあったように思う。夫婦であると同時に、同居人であり、仲間であり、ときには他人でもある。 夫だから、妻だからと決めつけず、そのときの状況に応じて自分の動きを決める。これもうまくいった。我が家はよそと違って、ぼくが家の中にいて、妻が外に出ることが多かった。学校行事はすべてぼくが出かけて行った。子どもたちと一緒にご飯も作った。何の不満もなかったし、主夫を楽しむことができた。 もっとも大きかったのが価値観を共有できたこと。ぼくたちは、氣功がきっかけで結婚した。だから、見えない世界を生活の基礎に置くことに何の抵抗もなかった。妻は、氣功を始めてから、非常に感覚が鋭くなった。第六感というやつだ。ぼくは、それを認めることができた。何かをしようとするとき、彼女の感覚に従うことが多かった。長女が不登校になったときの動きは見事だった。次女のピースボートの旅、キッチンカーも彼女のひらめきから始まったことだ。山梨移住もヤギも妻が主になって動いた。 ただし、何もかも彼女に従うわけではない。ぼくには、何となく、彼女が自分の我で言っているのか、見えない力とつながって言っているのかがわかる。 ぼくたちは、結果的に、自分の能力を発揮し、お互いの能力を活かし合っている関係になれたのかもしれない。 結婚式のときを思い出す。ぼくの母が、妻の母に言った。「これからも末永くよろしくお願いします」 妻の母はこう返した。「いつまでもちますことやら」 結婚式の日にそんなことを言わなくていいのにと思ったが、傍から見れば、何とも危うい新婚夫婦だったのだろう。 実際、義母が危惧したように、ぼくと妻はまるで性格が違うし、共通の趣味があるわけではない。ちょっとした仕掛けがあれば、簡単に決裂するもろさを抱えながら暮らしてきた。 今でもそうだ。 結婚して30余年。たぶん、半分以上が過ぎたと思う。 残りの結婚生活、大切にしていこうと思う。 感謝できるようにもならないと。↓ 30年後、こんなことやっているとは想像もしなかった。
2023年11月24日
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日本の食糧自給率は38パーセントだそうだが、東京大学大学院の鈴木宣弘先生によると、種や農薬、化学肥料、飼料などの輸入を考えて計算すると、10パーセント前後ではないかと言う。都会での生活は、ほとんどの家庭が食材をスーパーで買ったり、外食したりと、依存度は100パーセントだと思う。だから、食べ物を外に依存することに何の疑問も感じない。東日本大震災のとき、ぼくは東京にいたが、スーパーの棚が空っぽになった。ちょっと怖かったが、それでも一週間もすれば日常が帰ってきた。小笠原へ行ったときも、台風の影響で小笠原丸が欠航すると、たちまちスーパーの商品はなくなってしまう。しかし、それも一週間の辛抱。備蓄もしてあるから大して不自由はしない。では、日本の食糧自給率、このままでいいのか。確かに、今は不自由していない。テレビをつければ、グルメだ、大食いタレント、ダイエットなど、平和な番組が流れている。テレビを見る限り、日本には有り余るほどの食糧があると、思ってしまう。食糧難など遠い国の出来事で、ぼくたちには関係のないことさ。でも、これって異常なことなんだって、早く気づかないと。これからは、世界中で異常気象による食糧不足が始まる。そうなれば、日本に食べ物を分けてくれるところなんてなくなる。10パーセントでは生きていけない。テレビの能天気な番組に洗脳されるのではなく、この時期に、将来を見越して警告を発してくれている人の言葉に耳を傾けるべきだ。大食い番組もエンタメとしては面白いけれども、食べ物をおもちゃにして楽しんでいるみたいで、これでいいのだろうかと考えてしまうこともある。太平洋戦争が終わったのが1945年。78年前か。そんな大昔ではない。あのあと、日本人は食べ物がなくてひもじい思いをしている。いくらお金があっても腹の足しにならない。食べ物を自給できない都会の人は、どれだけつらい思いをしたか。ぼくが子どものころは、ご飯を残すと、「食べもんを粗末にすると目がつぶれるぞ」と叱られたものだ。今のぼくに、その精神が残っているかと言われると自信はない。しかし、田舎へ越して、まわりには荒れた畑が広がり、ところどころ、きれいになった畑があるものの、そこで働いているのは腰の曲がったお年寄りばかりなのを見ると、このままではいけないと、つくづく思う。自給率を少しでも高めるために、自分ができることをやろうと思っている。家庭菜園、すばらしい。田舎の耕作放棄地で野菜を作る。いいと思う。自分で農業ができないなら、農家を経済的に支援すればいい。安い野菜ばかりを探し求めるのではなくて、真剣に農業に携わっている人から、少しくらい値が張っても買うようにした方がいい。農家は助かると思うよ。ぼくには世の中を変える力はないけれども、まずは、食糧難になっても、我が家だけでは空腹に苦しまなくてもいいようにしたいし、エネルギー不足になっても、我が家だけは電気が使えるような状況を作っておきたいと思う。それを見習ってくれる人が増えれば、勝手に世の中は変わっていくのだから。
2023年11月22日
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アイスランドで火山の噴火が警戒されている。パプアニューギニアで大規模な噴火があった。ぼくは毎日、富士山を見て暮らしている。玄関を開けると、富士山の上半身を拝むことができるのだ。今は真っ白だ。夕方、ヤギたちにご飯をあげると、富士山に手を合わせて「ありがとうございました」と感謝を伝えて、一日の仕事を終える。富士山が何かをしてくれているわけではないが、あの山は、そこにあるだけで手を合わせたくなる。神の山が噴火したら。1707年に宝永大地震があり、そのあと富士山も噴火したそうだ。新幹線から見ると、東京方面の斜面に膨らみがある。あの部分が噴火口だった。地球のあちこちで火山が噴火している状況からすると、富士山大噴火だってあり得ないことではない。富士山噴火は、1707年と同じで大地震と連動する。津波も襲ってくるだろう。通信も交通も遮断される。電気もストップする。あちこちの原発が事故を起こす。日本壊滅どころか、世界が終わる。富士山は、地球のリセットボタンだ。「続・猿の惑星」の最後のシーンはそんなだったな。富士山を爆発させるようなことをしてはいけないのだ。そのためにはどうすればいいのか。お金第一じゃだめだろうな。戦争で儲けようなんてもってのほか。便利さ一番でもだめだろう。人間は万物の霊長などと威張っていてもだめだ。そんなことはみんなわかっている。だけど、悪魔のささやきに引き寄せられてしまう。大きなことは考えず、自分ができることから始めないと、掛け声だけで終わってしまう。悪魔の思う壺だ。少しでも自分が変わることだ。まずは、自分を大切にすること。自分だけ良ければいいというのではなく、自分に与えられた才能を十分に生かすこと。小さなことでいい。だれにでも自分ならではの才能がある。次に、自分以外のだれかを大切にすること。一人でいい。だれかの天賦の才を生かしてあげることだ。自分を生かし、人を生かす。終末期だからこそ、ぼくはぼくの最高のパフォーマンスを発揮できる。そして、そのパフォーマンスによって、まわりが鼓舞される。今年は野球のWBCが盛り上がった。準決勝の日本対メキシコ。日本が1点負けている9回裏。大谷の2ベースヒットで火が付いた。2塁上での大谷の姿を見て燃えない人はいない。最後に不振だった村上が逆転サヨナラヒット。考えられないようなドラマが起こった。あのときの大谷の役割を一人ひとりが果たす。あそこまで劇的じゃなくてもいいので、自分にとっての一番を見せる。代走で出てサヨナラのホームに滑り込んだ周東も、自分ならではの走りを見せた。どんどんエネルギーが広がっていく。世界を救うにはそれしかない。ぼくたちが変われば、富士山というリセットボタンが押されることはなくなる。できない理由は探さない。できることからやる。そんなぎりぎりのところで、ぼくたちは今、生きていると思う。
2023年11月21日
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かつて、テレビは家族団らんの象徴だった。祖父母、両親、兄弟が居間に集まって、今の季節ならコタツに入りながら、ドラマや歌番組、野球中継を見たものだ。それが各部屋にテレビが置かれるようになり、今は、テレビよりもスマホの時代。家族団らんなんて言葉、聞かなくなってしまった。どんどん家族のつながりがなくなっていく。我が家では、ぼくがあまりテレビを見ないのだが、TBSドラマ「日曜劇場 下剋上球児」は故郷の三重県が舞台ということもあって、楽しみにしている。ドラマ好きの妻も長女も一緒に見る。「VIVAN」も一緒に見た。共通の話題にもなる。とりあえず、ぎりぎりのところで家族団らんが維持されているわけだ。次女夫婦が鈴鹿で暮らしていて、ぼくの生まれ育った小さな村にうまくなじんでくれている。彼らも「株式会社OfficeOharada」の一員として、まずは小原田家で「家族団らん」を実現させるべく、動いてくれている。ぼくは、OfficeOharadaを企業としても発展させていきたいと思う。家族意識で一緒に仕事ができる仲間集めも、いずれはしていきたいと思う。今は、現実の家族だけでも、いい才能がそろっているので、それを生かすこと。昔の農村は、家族全員で協力して農作物を栽培したり、炭など、エネルギーも作っていた。地域全体がいい距離感で付き合っていた。ただ、農業以外のことになかなか目が向かなかった。だから、若い人たちはもっと刺激的な世界を求めて、村を出て行った。しかし、同じことをやる必要はない。農業が好きなら農業をやる。もの作りが得意ならそれを生業にする。自分が幸せであって、家族を幸せにできることは何か。だれにでもあるはず。人体でも、10本の指は、それぞれ違う動きをしていても、手としてきちんと機能するようになっている。親指には親指の働き方があり、小指には小指の役割がある。それが可能になれば、本当の意味での家族団らんになると思う。無理やり、家族を居間に集めて、一緒にテレビを見たところで、反発が起こるだけだ。みんなが喜んで居間に集まってくる雰囲気。そんなのが作れたら最高だ。
2023年11月20日
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テレビで、「パンダは笹ばかり食べているのにどうして太るのか?」というクイズがあった。太るのは脂肪の影響だ。脂肪細胞が余分な脂肪を取り込み、貯蔵することで太るそうだ。しかし、笹には脂肪は含まれていない。なのにあんなに丸々と太っている。答えは「腸内細菌」。腸内細菌の働きによって、脂肪が蓄積され、体重が増加するのだそうだ。牛だって象だって、草食なのにあんなにも筋肉隆々なのは、腸内細菌によるものだと思う。ヤギもそうだ。彼らも草しか食べないのに、たくましい体をしている。力も強い。ヤギを見ていて思うのは、食べるというのは、体内微生物のためではないかということ。彼らは4つの胃があって、巨大な第一の胃には微生物がたくさんいて、食べたものを分解しているそうだ。分解し、必要な栄養素を作り出して、第二の胃、第三の胃、第四の胃、腸という具合に流れていき、吸収される。そこから学べることは、ビタミンが足りないからビタミン剤を飲めばいいのかというと、クエスチョンマークだ。腸内細菌のバランスがきちんとしていれば、必要であれば、腸の中でビタミンを作ってくれる。いくらいい栄養素をとっても、腸内細菌の調子が悪ければ、分解もされないし、吸収もされないので、効果はない。病気の人は腸内細菌も弱っていると思う。だから、「がんには〇〇がいい」と言われて、一生懸命食べても、なかなか身にならない。いかに腸内細菌を元気にするか。ぼくたちを健康に生かしてくれている大本だ。大事にしないと。
2023年11月19日
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ヤギを観察していると、いろいろ気づくことがある。たとえば、食べ物の好き嫌い。ヤギにも種として好んで食べる草とそうじゃない草がある。桑の葉は喜ぶが椿の葉には興味を持たない。キャベツは食いつきがいいが、白菜はあまり好まない。個体差もある。かっくんは芋のツルは大好きだが、ほかの子たちが好きな大根葉はそうでもない感じだ。彼らはまずは好きなものから食べる。それがなくなったら次に好きなもの。それを見ていて思ったのは、好き嫌いがあるというのは、平等を保つために重要な要素だということ。基本的には、力のある方が食べる場合も優先権がある。みんなが同じような好みだったら、力の弱いヤギは、なかなか鉱物にありつけない。しかし、好き嫌いがあるから、力のあるヤギが食べ残した中に、弱い奴の好物があったりする。みんなが同じ好みだったら、弱い奴はおいしいものにありつけなくなってしまう。食べ物があふれているときにはいいが、限られた食べ物で生きていかなくなったときには、好き嫌いが平等を生み出す。もっとも、深刻な食糧難になれば、好き嫌いなど言っていられないだろうが。
2023年11月18日
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年を取ると体内時計の機能が低下して、遅れ気味になり、自分の感覚では1週間しかたっていないのに、世の中は1ヶ月進んでいるという話、面白いと思う。浦島太郎も、竜宮城では数日しかたっていないと感じていたのに、現実に戻ると、数十年が経過していたわけで、現代人は浦島太郎状態にあるのではないか。ぼくは5年連用日記をつけている。2日くらい書き忘れたなと思って、日記帳を開くと、4日も5日も白紙になっていることがある。体内時計と現実のギャップは、だんだんと大きくなっていく。浦島太郎は、連日、竜宮城で飲めや歌えの大騒ぎをしていた。まるで、今の日本人みたいだ。浮かれているうちにいつの間にか、じいさん、ばあさんになってしまう。それでいいのか悪いのか。人それぞれだろうが、ぼくは、葛藤の中にいる。だから、時間の流れが気になって仕方ないのかもしれない。
2023年11月17日
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どうしてこんなにも時が過ぎるのが速いのだろう?ずっと考え続けているのだが、昨日、福岡伸一さんの『動的平衡』という本を読んでいて、「なるほど」というヒントが見つかった。カギは体内時計。時間のリズムをコントロールする体内のシステムとのこと。朝、目が覚めて、日が沈むと眠たくなるというリズムは、体内時計が管理しているとのことだ。この体内時計が、年を重ねるにつれて機能低下して、遅れ気味になる。自分が感じる時間の流れよりも、外界の時間が速く流れていくのだ。自分では一週間しかたっていないと感じているのに、実際には1ヶ月が過ぎているということになる。高齢になればなるほど体内時計はゆっくりになって、外の時間の流れとのギャップは大きくなってしまう。体内時計は、きっと自律神経とも関係があると思う。現代人は不規則な生活をしたり、大きなストレスを抱えることが多いので、自律神経のバランスが崩れる。それも体内時計の狂いにつながっているのだろう。だから、子どもまで「一年って早いね」と言い出す始末なのだ。まだまだよくわからないけれども、ちょっとすっきりした。時間って何だろうな。面白いな。
2023年11月16日
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ミスター・ラグビー、平尾誠二さんのドラマ、涙をふきふき見た。ぼくはへたくそながらラガーだったし、ラグビー観戦が大好きで、平尾さんといえば特別な人だった。高校時代からスターで、引退しても指導者として活躍し、日本代表の監督も務め、ワールドカップ日本大会の成功に尽力した。その彼が、2019年のワールドカップで、ベスト8の歓喜の輪に入れなかった無念を思うと、胸が痛む。最後の一瞬まで頭の中にはラグビーがあった。彼は彼らしい闘病生活を送ったと思う。ラグビーボールはバウンドしてどう転ぶかわからない。ワールドカップを見ていると、選手たちは、転がり方を予測して蹴ったりボールを追いかけている。しかし、それでも思わぬ向きにはねて、チャンスになったりピンチになったりすることもよくあった。平尾さんの人生、あの名手をもってしても予期できない方向にボールがはねたのだと思う。人間の命は、ラグビーボール以上に不規則にバウンドする。だれの身にも何が起こるかわからない。平尾さんは胆道がんで余命を宣告されたが、健康な人でも、いつ病気になったり、事故にあって死ぬかわからない。さっきまで元気に働いていたのに、脳や心臓の血管が詰まって突然死することは珍しくない。だれもが限られた命の中で生きている。健康なときは有限の命を自覚することはない。しかし、いつか必ず死ぬ。平尾さんのドラマを見ながら、自分の死を考えた。ぼくは自己主張をあまりせずに生きてきた。だけど、ありがたいことに、あらゆることがいい方向に流れていく。今はこうやって死にたいという希望はないが、このままいけば、最後もうまくいくような気がする。いいタイミングで、いいドラマを見せてもらった。平尾さんは何をやってもかっこいい。
2023年11月14日
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いい話を読んだ。週刊新潮の「アスリート列伝 覚醒の時」(小林信也)である。1968年のメキシコ五輪。東京の次の大会だ。陸上の男子200メートル。アメリカのスミスが優勝し、2位がオーストラリアのノーマン、3位がアメリカのカーロス。表彰式で事件は起こった。スミスもカーロスも黒人。アメリカ国歌が流れ、星条旗が掲揚される中、スミスは右手に、カーロスは左手に黒手袋をはめて、手袋をはめた手を握り締めて、高くつき上げたのだ。黒人差別に対する抗議行動だった。彼らは即座にアメリカ・ナショナル・チームから除名された。すごいのは、この2人だけではなかった。2位のノーマン。オーストラリアの白人だ。小林さんの記事によると、表彰式の前日、たまたま3人は話をする機会があったそうだ。スミスはノーマンに「人権を信じるか」ときいた。ノーマンは「信じている」と答えた。「神を信じるか」と尋ねた。「強く信じている」と彼は答えた。それで、スミスとカーロスは、表彰式でするつもりのことをノーマンに伝えた。ノーマンは、「ぼくも君たちと一緒に立つ」と言ったそうだ。「その言葉を我々は決して忘れない」とスミスは証言しているのだと言う。ノーマンは、スミスとカーロスが胸につけていた人種差別に抗議する団体「人権を求めるオリンピックプロジェクト(OPHR)のバッチを自分もつけて表彰台に上がることにしたのだ。当時、オーストラリアも白豪主義と言って、黒人差別がひどかったようだ。ノーマンの行為は大問題になった。彼は白人社会からうとまれ、非難されて、悲惨なオリンピック後の人生を歩むことになったのだ。2005年にスミスとカーロスの母校であるサンノゼ州立大学に、2人が表彰台で拳を突き上げるモニュメントを建てた。ノーマンの姿はそこにはない。ノーマンの希望だった。そのとき、ノーマンはこう言ったそうだ。「訪れた人が二人とともにそこに立てば、あの日、ぼくがどんな気持ちだったか感じることもできるだろう」人種差別はいまだにある。戦争の根底にも、差別的意識があるのだと思う。いじめも虐待も。彼らは栄光をつかみ、恵まれた人生を歩むチャンスをもらった。しかし、自分さえ良ければいいとはならなかった。自分たちが世界から祝福される場所で、そういう場所だからこそ、世の中の矛盾に声を上げた。いい話を読ませてもらった。
2023年11月13日
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ぼくは子どものころから臆病者で、いつもびくびくしながら生きていた。よく遊びに行く川に、石で作った一本橋がかかっていた。川幅は2メートルくらい。水量も、子どものひざくらいしかない小さな川だ。ザリガニやフナ、メダカ、ドジョウなんかが取れた。ぼくは、その橋を歩いて渡ることができなかった。怖かったので、橋をまたいで、お尻をズルようにして向こう岸まで渡ったものだ。学校でもいつもその他大勢で、大人しくて、目立たない子だった。しかし、そういう自分に反発していたこともあったと思う。人と違うことをやりたくて仕方なかった。大学に入って、初めて劣等生を体験した。授業がさっぱりわからない。自分は理系には向いていないとわからず工学部へ入ったのだから、そこが大きな間違いだった。よく4年間で卒業できたものだ。劣等生体験は、社会への反発心を芽生えさせた。大きな企業に就職したけれども、会社という狭い社会の中で、大きな流れに乗せられて年を取っていくのには、すごく抵抗があった。「このままでは嫌だ」という気持ちによって、生来臆病な青年は徐々に行動的になっていく。まずは会社を辞めた。終身雇用が当たり前の時代。会社を辞めることは奈落の底へ落ちてしまうことと思い込んでいた。決断するには、かなりの勇気が必要だった。1年ほどアルバイト生活をして、小さな会社に再就職して、そこでは、企業ピラミッドの底辺で働く悲哀を、嫌というほど味わった。20代半ばで、世の中の構造に無知だったとしか言えないが、完全に現代社会との不調和を起こしていた。あのままだったら、とっくにこの世からおさらばいていたかもしれない。その会社は3年で辞めた。東京へ出てフリーライターになった。文章などほとんど書いたことがないに等しい。奇跡的な展開だった。その後、けっこうアグレッシブに動いた。臆病者であることには変わりないのだけれども、びくびくしながらも、一歩を踏み出すことができるようになったのだ。フリーランスという立場になり、意識の上で組織に縛られなくなってきたことが大きかったのではないか。気持ちはとても楽になった。ヨーロッパや中国の一人旅というのは、今までも自分では考えられないことだ。特に中国旅は、ぼくの人生を大きく変える節目になった。今も臆病者で、びくびくしながら生きているのだが、臆病だということは、いい意味でのブレーキになっている。やり過ぎず、でも立ち止まらない。きちんとゴールまでたどり着けるペースで走っている。まわりからはがんばっているように見えるらしく、困ったなということがあると、だれかが助けてくれる。臆病者はコンプレックスだったが、適度に動いているし、今まで通りにおどおどびくびくしながら、やれることをやっていけばいいのかも。
2023年11月10日
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「散歩のついでに富士山に登った人はいない」よく聞く言葉だ。しっかりとした目標をもって、それに向かって努力をしなさいといいう、教訓だと思う。富士山に登りたい人(すごいことをやって大成功したいと思う人)には大事なことかもしれない。しかし、ぼくにはピンとこない。人にはそれぞれタイプがあって、こうなりたいと決めて突き進む人もいれば、行き当たりばったりを良しとする人もいる。ぼくは後者の生き方が好きで、ぶらぶらと散歩をしていて、いつもと違う道を歩きたくなって、そっちの方向へ歩いて行ったら、すごい絶景の丘に出たりするという、考えてもみなかったものに出あったときに、無上の喜びを感じる。もちろん、ただ違う道を散歩いて帰ってきただけのことの方が多いけれども。カーナビに目的地を入れれば、一番早く到着できるように案内してもらえる。指示に従って運転していればいいのだから楽だけど、ぼくは、知らない道に入り込んで、「間違ったかな」と不安になりながらも進んで行って、知っている場所にたどり着いたりしたら、「えっ、こんなところに出るんだ」という驚きと、新たな道を発見したうれしさで興奮してしまう。迷ったらそこでカーナビに頼ればいい。ぼくが東京から山梨へ来たのも、山梨でヤギを飼い始めたのも、桃やスモモを育てているのも、実家にソーラーシェアリングを建てたのも、みんな行き当たりばったり。目標でもなんでもない。すべて散歩のついで。それでもずいぶんとエキサイティングな冒険物語だ。散歩のついでのいいところ。成功も失敗もないということ。途中で引き返してもいいし(山梨では暮らせないと思ったら別の場所に引っ越せばいい。東京に戻ってもいい)、人に道を聞きながら進んでもいい(困ったときには助けてくれる人が現れるものだ)。確かに散歩のついでに富士山に登った人はいないだろうけれども(今はサンダルで登る人もいるようだが)、そもそも、ぼくは富士山に登りたいと思ったことはない。遠くから見ているだけで十分だ。大成功している人を見て、すごいなとは思うし、その人の伝記を読んだり、テレビドラマを見て、すてきな人だと感動したり、この部分は参考にしたいなというところはあっても、それ以上のものではない。今の状況をありがたく受け容れて、次は何が起こるのだろうとワクワクしながら、ぶらぶらと歩いていく。ぼくにはとっても快適な生き方だ。
2023年11月09日
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「昔は・・・」なんて話をし始めると、若い人は嫌な顔をする。ぼくも若いころはそうだった。父親の昔話が始まると、「ふん、ふん」といい加減にうなづいていたものだ。だけど、今になって、故郷の村のことに興味が出てきて、いろいろ調べていくと、父親が物知りで、村のことは一番よく知っていたことがわかってきた。確かに、わずかだけれども、父が村の歴史について書き残したものがあるが、それを読むと、「このこともっと聞いておけば良かった」と思える記述がいくつもあるのだ。学歴もなく、一生を百姓と職人で過ごした父だったが、知識欲は強かった。子どものころ、「上の学校へ行かせてくれ」と親に泣いて頼んだそうだ。しかし、「百姓はあほでもできる」と言われて、断念したという悔しさがあった。だから、息子であるぼくには、勉強をさせて、大学へ行かせて、知的な仕事につかそうとしたのだ。父がとっくに知っていた村の歴史を、ぼくは今になって掘り起こそうとしている。父から素直に話を聞いておけば、もっとスムーズにいろいろなことがわかったはずだ。でも、そのころは、ぼくはまったく村のことに興味がなかった。実は、ぼくの生まれた村は、20数軒の小さなところで、高齢者がほとんどの、いわゆる限界集落だ。調べていくと面白いことがわかった。大デパートの松坂屋。その創始者が、我が村から出ているのだ。「『松坂屋百年史』(松坂屋 2010年)p.15に、上野広小路の松坂屋は、宝永年間に伊勢白子出身の太田利兵衛が創業したもので、明和5年(1768年)に伊藤家が買収した時には、3代目であったとの記述がある。『伊藤家伝』(岡戸武平著 中部経済新聞社 1957年)p.54に、利兵衛は伊勢白子在山越知(やまおち)の人で、姓を太田といい宝永四年に江戸へ出て、下谷広小路で呉服店を開いた、との記述がある。『国史大辞典13巻』(吉川弘文館 1992年)P.116の「松坂屋」の項に、宝永四年(1707)、伊勢国白子(三重県鈴鹿市)在の太田利兵衛が江戸上野に開業した呉服店に始まる、との記述がある。」ネットにあったこの記事をもとに、『伊藤家伝』を見つけて取り寄せたところ、確かにp54に伊勢白子在山越知とあった。山越知というのが、ぼくの故郷の村だ。松坂屋の広報に出向いて、太田利兵衛の生まれた家までは突き止めた。そこまではやった。たぶん、父は知っていたと思う。そんな話をちらっと聞いた覚えもある。父と一緒に、その先を調べてみたら楽しかったかもしれない。今さら言っても仕方のないことなので、たぶん、利兵衛さんは松阪市の商人のもとに丁稚奉公に行き、そこで才能を発揮して江戸へ出たのだろうと推測される。三越も松阪の出だ。店を出すに当たって、手助けをしてもらったかもしれない。父が大好きだった村だ。今は、娘夫婦が住んでくれている。空き家になってしまうところを、若い2人が救ってくれた。間違いなくいい流れにきている。我が家のご先祖様だけでなく、この村で暮らした人たち魂も、喜んでくれてるはずだ。そう信じて、少しでも村の役に立てることを、娘夫婦と一緒にやっていこうと思う。
2023年11月05日
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「シャボン玉飛んだ・・・」という歌がある。屋根まで飛んで壊れて消えた。それが人の死を連想させるという話もある。確かに、まんまるできれいなシャボンの玉が、あるところまで上がっていくと、ぱちんと消えてしまう様は、人間の生き死にのはかなさをイメージさせる。しかし、よく考えれば、シャボン玉は消えたように見えて消えていない。まさに命の循環がそこにはある。ぱちんとはじけると、水滴が飛び散る。地面に落ちて、それが地面に染み込んだり、蒸発したり。雲になって、雨になって、また地上に帰ってくる。今度はシャボン玉にはならないかもしれないが、違う形で、新たな地上生活を送るのだ。人間だって同じ。シャボン玉が肉体なら、飛び散った水分が命のもととなっているエネルギーと考えればいい。肉体は消える。しかし、エネルギーは別の場所へ行き、また形をもって地上に帰ってきて、新たな役割を演じる。そんな循環の中で今を生きている。体があるうちは肉体も精神も劣化する。つまり、時間に縛られてしまう。しかし、エネルギーだけになってあの世へ行ければ、リセットされて、劣化することもない。時間から解放される。ただ、死ぬときの気持ちがとても大切で、執着や我欲、怨み、憎しみ、絶望といったネガティブな感情があまりにも大きいと、あの世へ行けずにさまよってしまうこともある。循環の輪に入れない。それを覚えておかないと。そんな仕組みじゃないかな。
2023年11月04日
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あんなに暑かったのにと、朝夕は首をすくめる。もう10月そろそろコタツやストーブの準備もしないといけない。何て言っているうち、2024年になってしまう。時間がたつのはなんて速いんだというのもいいあきた。そもそも時間って何だろうか?自然の中に時間があるわけではない。あくまでも人間が作った概念ではないのか。つまり、自然のリズムの何かをとらえて、それを時間と言い表したわけだ。自然の何をもって時間としたのか。ぼくは、変化だと思う。暑い夏から寒い冬になる。自然というのはらせん状に変化していくという話も聞く。去年の秋と今年の秋は、同じように涼しくなって、山が紅葉しているわけだ。でも、同じではない。地球は一日で自転し、一年かけて太陽のまわりを回っている。ずっとそれを繰り返しているわけだが、一日、一年たつことで、地球上のものは劣化する。この劣化の度合いを時間と呼んでいるのではないか。人が年を取る。これも劣化だ。地球だって年を取る。みんなが時間がたつのが速いと感じている。それは、言い換えれば、劣化のスピードが速まっているということではないか。何の劣化か。ぼくたちが住んでいる地球がすごい勢いで劣化している。その変化をぼくたちは感じ取って、時間がたつのが速いと考えているのではないか。劣化というのは、老化のことで、止めることはできない。しかし、スピードを落とすことはできるはずだ。ぼくたち人間は、地球の劣化をスローダウンさせるように生きないといけない。地球が劣化=老化すれば、さまざまな天変地異も起こってくるだろう。「もう一年が終わる」などと嘆いていないで、どうすれば昔のようにゆっくりと時間が流れるようにできるのか、たぶん、ぎりぎりのところにきていると思う。
2023年10月26日
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ヤギたちは本当によく食べる。そして、好き嫌いも多い。地面に落ちたもの、だれかが口をつけたものは食べようとしない。たくさんあげて、たくさん廃棄する。食物ロスは半端ではない。畑に捨てれば肥料になるからいいのだが。これから冬場になるとエサが少なくなる。でも、こいつら何の心配もしていない。もらえるものだと信じ切っている。信じる気持ちは大事だが、だけど、食物自給率、ほぼゼロパーセントで、その日にもらったものはすべて食べるか捨てるかして、明日のことを気にかけない。何か、こんな生き物いるじゃないか。そう、日本人という生物。食物自給率がまさにゼロに近いにもかかわらず、あれが食べたい、これが食べたい。おいしいものはどこになる。食への欲望は限りない。ヤギは飼い主がエサをくれるものだと信じている。だけど、日本人はだれを信じて、明日を考えずに生きているのだろうか。ヤギでもイルカでも犬でもネコでも、食べ物で調教する。エサをくれる人にはすり寄っていく。日本人も、食べ物が少なくなったら、簡単に調教できてしまうだろうな。米と野菜と水くらいは、自給できるようになっておかないと、ひどい飼い主に当たると、どうしようもなくなってしまう。ヤギを見ていて思うことはいっぱいあるな。
2023年10月25日
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谷村新司、もんたよしのり。テレビでよく見ていた人が亡くなるというのは、別に親交があったわけではないのに、切ないものだ。年齢で言えば、ぼくよりも5~7歳上。今の時代だと、まだ活躍できる世代だ。日本人は長生きになった。ぼくの祖父母は72歳くらいで亡くなっている。人の寿命は70歳くらいだと、子どものぼくは思っていた。両親は88歳まで生きた。今だったら、格別の長生きでもない。だけどどうなのだろう?80歳90歳が当たり前の時代はそろそろ終わるのではないか。谷村さんやもんたさんは、決して早死にではないかもしれない。100歳時代などと言われているけれども、ぼくはそうならないような気がするし、長生きすることが幸せでもないとも思う。ぼくたちの世代が100歳まで生きたら、子どもを見送ることになるかもしれない。せっかく長生きしたのに、長生きしたばっかりに悲しい思いをすることもある。ある99歳のおばあちゃん。「楽しいことは何もない。知っている人はみんな死んじゃったし、若い人と一緒でも面白くないし。早く死にたいよ」ぼくは本音だと思う。100歳まで生きてやりたいことがある人はいいけれども、60歳70歳の状態のまま100歳にはなれないことも覚えておかないといけないだろう。体力も思考も衰えるのが当たり前。今想像している100歳とは違う自分になっていると思う。99歳のおばあちゃんみたいな寂しさを感じるのではないだろうか。長生きすることばかりではなく、ぼくくらいの年代になったら、あと5年生きるとして、10年生きるとして、何をするのか、考える必要がある。江戸時代の人たちは、若いころは家業に励むしかなかった。好き嫌い関係なく、生れた家によって仕事が決まってしまう。好きなことができるのは退職後。余生をどう過ごすか、大事なことだった。お金はいっぱいあるからと悠々自適に生きた人もいるし、最後に何かもうひと勝負しようとする人もいた。今は70歳を過ぎたら余生かもしれない。天からいただいた「好きなことをする時間」。まあ、若いときに好きなことをやって満足だという人は、早めにあちらの世界に行って、別の楽しみを探すのもいいだろう。谷村さんやもんたさんは、十分に生きて、「先にいくわ」と旅立っていったのかもしれない。ぼくのような凡人は、これからひと仕事して、満ち足りた気持ちで、この世とさよならできるよう、老後を生きないといけないな。
2023年10月24日
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この1ヶ月でむっとすることが2回あった。平穏だったところに、小石を投げられた感じかな。あとから考えるとスルーしておけばよかったようなことつまらないことだけど、カチンと引っかかってしまった。ぼくがカチンとくるのは、何を言われたかということではなく、その人の態度かな。上から目線で言われると、むっとくるね。メールでも、上から目線メールっていうのがある。これも嫌いだな。相手の言っていることが正しくても、上からこられると素直に聞けないところがある。最近発見したのは、上から目線の人は、そのことに気づいていないということ。ていねいに対応しているつもり。だから、こちらが怒り出しても、どうして怒っているのかわからない。「あの人、急に切れたんですよ」と平気で言う。自分の態度が問題だということに気づかないと、学習のしようがない。だから、あちこちでトラブルを引き起こす。でも、いつまでたっても理由はわからずじまい。しんどい人生だと思う。だけど、それも自分で選んだことだ。仕方がない。ぼくは、もうちょっと太っ腹になって、宮沢賢治じゃないけど、「決していからず」の域に一歩でも近づきたいものだ。
2023年10月21日
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若いころ、師から言われたことがある。「人の半歩だけ先を行け」一歩だと前過ぎて理解されにくい。だから、半歩という微妙な先取りが大事なのだと言っていた。本人は、二歩も三歩も先を行っていた人だったが、先行し過ぎる苦しみも知っていて、だからこそ「半歩」という言葉が出てきたのだと思う。ぼくは先行タイプ。気功もブームになる前にキャッチしているし、イルカもそう。ただぼくの場合は、ブームになると白けてしまうという欠点があって、もし、気功をずっと追及して続けていたら、今ごろは大先生になっていたかもしれない。イルカだってそうだ。まわりがイルカに注目し始めると、「もう俺はいいや」となってしまう。気功もイルカも、一歩くらい先だったかもしれない。マラソンでいうなら、現時点では、先行したものの大集団にのみ込まれて、つかず離れずの距離でマイペースで走っている感じか。今は、田舎の生活、自然エネルギー、自然栽培、ヤギとの暮らしにアンテナが立っている。これに関しては、ぼくよりも先行している人はたくさんいる。ちょうどこれが世間よりも「半歩先」なのかもしれない。トップになる気なんてさらさらない。気功もイルカも含めて、今の興味と併せて自分の世界を作っていこうと思っている。60代後半になって、いい境地になってきたなと、自己満足に浸っている。
2023年10月19日
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「なりたかった自分になっとんの?」そんな声がした気がした。朝方、よく夢を見る。大抵は、目を開けると消えてしまうけれども、この声は残っていた。女性の声だ。母ではないような気がする。もっと前のご先祖様か。ぼくは何になりたかったのだろう?大学を出て、大きな会社へ入って、それなりに出世して、お金にも不自由しない生活をして、家族仲よくして、平穏無事な一生を送る。20代前半までは、そんな道を歩んでいくと信じていた。なりたい自分だった。大きな会社へ入るところまでは計画通りだったかもしれない。しかし、会社へ入って、これはなりたかった自分ではないことに気づく。2年で会社を辞めて迷走の中に入り込んでしまった。それでも、サラリーマンという枠からは外れられない。小さな会社へ再就職したが、ここで、ぼくが知らなかった社会の実態を知ることになる。親会社と下請けという関係。とにかく驚いた。忖度という言葉が広がっているけれども、忖度どころか、絶対的な支配構造が存在していた。「これが企業社会の実態か?!」ぼくにとっては衝撃だった。そこから世の中を見る角度が変わっていった。ぼくの思ってきた「なりたい自分」の薄っぺらさ気づいた。でも、だからと言って、どうなりたいのかなんて、さっぱりわからない。わからないことには頓着しない。もう万歳してあきらめてしまう。すると、そこから新たな展開が起こってくる。これはあくまでぼくの生き方だけど、あのころから、流れに身を任せることを覚えていったと思う。23歳くらい。大企業に入って、こんなことをやりたいのではないと悩みつつ、友だちの部屋で見つけた一冊の漫画本。それが「浮浪雲」だった。風に流されていく雲のように生きるという主人公。「これだ!」そう思った。浮浪雲に出あって5年後、ぼくはサラリーマンとして生きるのをあきらめ、東京へ出た。やったこともないフリーライターを名乗り、自由の身になった。自由と言っても、今の世の中でフリーランスで生きるのは不自由で不安定なものだ。それでも、組織に縛られている窮屈さからは解放された。万歳すると、面白いことに、次々と変化が起こってくる。フリーライターになったからには、自分の名前で本を出したい。夢だった。十分過ぎるくらい夢は叶った。流れに乗って生きるといいことがいっぱい起こってくる。今も夢はあるけれども、違う方向に流されたら、また違う夢を見る。そんなふうに思って生きていられる自分は、「なりたい自分」かもしれない。ご先祖様。ぼくは、なりたい自分になっています。これからも、もっともっとなりたい自分を表現していきます。うれしいことではないか。ご先祖様のおかげです。
2023年10月16日
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ラグビーのワールドカップ、決勝トーナメントが始まった。ここにジャパンがいたらと思うが、2勝したのだから合格点だ。ラグビーに限らず、スポーツを見ていると、「ここまでよくやる」と感心する。肉体的にも精神的にも、並外れたものがないとやれるものではない。ぼくのようなへぼラグビーのレベルでも、試合前には怪我なく無事に終わるだろうかと恐怖があったし、それでも、試合中は恐怖を忘れて夢中になってボールを追いかけていた。右の手首と右ひざと、2回骨折した。年を取って痛みが出てきたりしている。世界レベルで戦っている選手は、満身創痍だろうと思う。これからの人生、痛みとの戦いになるかもしれない。今に全力を出し切っている彼らのことを、ぼくは尊敬する。ぼくたちは、子どものころから、「将来のために」と言われて、やりたくもない勉強をしたりしてきた。いい大学に入り、大きな会社に就職しようとしてきた。だけど、大事なのは今であって、目の前のことに一生懸命になれる人は、充実した明日を得られるのではないか。年を取っても同じこと。あと数年の命だとわかっても、投げやりにならずに、今できることに集中する。「今日を最後の日だと思って生きる」よく言われるけれども、その境地になって生きられれば幸せを感じられるのではないか。明日はおまけ。どんな明日であっても感謝することができる。67歳のぼくは、「あと20年くらいあるから」とのん気に構えているが、20年なんかすぐだから。「最後に一冊だけ本を書かせてあげる」と神様に言われたら、ぼくは自分の人生を書くだろうと思う。それが、今やりたいこと。だったらやればいい。簡単なことさ。やるかやらないか。自分で選べばいいのだ。きれいにタックルを決めたときは最高に気分が良くて、この一瞬のために生きていたと思えるくらいの高揚感がもてる。そんな日々を、10年か20年かわからないが、過ごしていきたいと思う。
2023年10月15日
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人間関係でストレスを抱えてしまう人はけっこう多い。明らかに人とうまくいかない人もいるし、逆に、まわりと仲良くしようと気を使い過ぎてくたくたになる人もいる。はたから見ていて、とても人当たりのいい人が、意外にストレスを抱えていたりもする。自分らしく生きても、人に合わせても、必ず人との間に摩擦が起きる。これは仕方がない。自分と人とは、価値観も行動も違うから。要するに、人間関係を良くしようとすること自体がストレスになるのだ。わざわざトラブルを起こす必要はないが、トラブルのない人生なんてないわけだ。そこを踏まえないと、いつまでも「人間関係が・・・」とぼやいていないといけなくなる。ぼくは、人と人との関係を円滑に進めるには、「距離感」が大切だと思っている。親子であろうと兄弟であろうと夫婦であろうと、距離感を間違えると、うまくいかなくなってしまう。ましてや他人との関係は、近づきすぎても遠すぎても、居心地がとても悪くなってしまう。距離感の取り方は、けっこう難しくて、センスのある人とない人がいる。センスがなければトラブルは避けられないが、それでも、距離感を意識するかしないで違いは大きい。トラブルがあったときに、相手を責めるのではなく、距離感はどうだったか振り返ってみる。余計なことを言ってしまったなというのは距離が近すぎたということ。距離が遠すぎると、「あの人は冷たい」と言われてしまう。何かあったときに、近すぎたのか、遠すぎたのか、ちょうどよい距離はどれくらいか、考えてみることで、徐々に学習ができるものだ。距離を縮めたい人、遠めの距離を保っていたい人、人によって好みとか癖があるから、一概に、この距離がいいとは言えない。自分にとって、もっとも心地いい距離を探すこと。「言ってあげるのが親切だ」とか「困った人には手を貸すべきだ」といった、世間一般の価値観ではなく、自分はどうだろうと考える方がいい。電車でお年寄りに席を譲るのはいいことだが、すんなりとできる人もいれば、なかなか行動できない人もいる。「どうしよう」と冷や汗をかきながら迷っているのはつらいものだ。たくさんの人が乗っているのだから、必ず「できる人」がいる。そういう人に任せてしまえばいい。どうしても苦しかったら、次の駅で降りてしまえばいい。できる人が善で、できない人が悪だと思ってしまうから苦しくなる。電車の中で立っていることで足腰を鍛えようと思っている老人だっているわけだから。「どうぞお座りください」と、すぐに席を譲れる人は、ほかの場面では距離が近すぎてトラブルを起こしている場合もある。自分の距離で、人の役に立てることが必ずあるから、いろいろなところで、自分の気持ちのいい距離を知ることが大切かなと思う。
2023年10月13日
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3ヵ月に一度、帯津良一先生を囲んで飲む会を開催している。参加するのは、帯津先生の高校時代の同級生、古い仲間を中心に、プラス1人だったり2人だったり、6人から9人の小さな会だ。気心の知れたメンバーなので、お酒もおいしいし、話もはずむ。参加者のうち、2人は帯津先生と同じ87歳。とてもそんな高齢に見えないはつらつとした人だ。ところが、そのうちの一人が、今朝、亡くなった。脳梗塞だったらしい。さみしいけれども、87歳まで現役で仕事をし、健啖家で、年に一度は奥さんと旅行をしていた。いつもニコニコしていて、おいしそうにお酒を飲みながら、子どもみたいに、おいしい料理や楽しかった旅行、高校時代の思い出を話してくれた。そんな老年の過ごし方、ぼくはうらやましかった。「年を取りたくない」と嘆くでもなく、「死にたくない」と生に執着するでもなく、淡々と状況を受け容れながら、帯津先生という親友の病院で息を引き取った。それも、3ヵ月に一度の飲み会が終わるのを待って、旅立っていったのだ。昨日の飲み会に彼はいなかったが、彼がいるかのように、みんなが語り合っていたような気がする。いい老い方、死に方を教えてくれた、貴重な先輩だ。道中御無事で!
2023年10月12日
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OfficeOharadaという会社を立ち上げて12年になる。会社と言っても、ぼくと妻の弘美の2人が、ぼくは本を書き、妻はヒーリングをするという超弱小で、ずっと水面ぎりぎりのところで維持してきた。山梨へ来て、収益もがたっと落ちて、風前の灯。という中で、次女が結婚して、夫婦してぼくの実家で住むようになって風向きが変わってきた。収益面では相変わらず水面をすれすれ飛んでいる状態だが、企業として存在する意味が見えてきた。実家の隣の空き地に17キロワットのソーラーシェアリングをたてた。自家消費と売電。事業としては成り立つほどのものではないが、地域に大きなインパクトを与えている。注目してくれる人も出てきた。災害があったときに役に立つ。地域の人の安心にもつながっていく。次への可能性が広がっているのだ。さらに、キッチンカーがその下で営業するのも売りだ。お店ではなく、キッチンカーというのがポイント。文字通り、壁がない。オープンな場が村の中にできることで、人と人との距離が近くなる。ぼくたちがやろうとしていることを伝えやすくなる。ソーラーシェアリングをたてたいという人が現れれば、娘婿のマサルさんがアドバイスできる。施工だってできる。事業となっていくのだ。もうひとつが、「これからの時代をどう生きるか」ということで、啓蒙活動もしていかないと。それが、ぼくが立ち上げようとしている「山越知大音寺塾」。山越知というのは集落の名前で、大音寺というのは、その真ん中にある400年ほどの歴史をもったお寺だ。ぼくの人との縁を使って、いろいろな魅力的な人をお呼びし、村の人、村外の人に話をしていただく。7日に第一回目を開催することができた。ぼくは、長い間思ってきた。企業というのは、「経済性」だけでなく、「社会性」「精神性」をもたないといけないということ。きちんとお金を儲け、人を雇い、障がい者雇用も大事なテーマだ。さまざまな側面から社会に貢献し、精神的な豊かさを提供する。その方向に動き始めている。たくさんのハードルはあるけれども、もうここまできたらやるしかない。だめなら、そこまでの人生だということだ。OfficeOharadaのキャッチフレーズを決めた。「夢物語に本気で取り組む」できるかできないかわからないが、普通に考えれば、無謀だったり実現不可能だと思われることであっても、やりたいと思ったことには、果敢にチャレンジしていく。結果は仕方がない。実現したらうれしいけれども、まずはやってみること。そこに意義があると、ぼくは思っている。そんなことを掲げて、家族が中心になってやっていきたいと思う。OfficeOharadaの物語も、やっと第二章が始まった。
2023年10月10日
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好き嫌いはどうしてもある。食べ物でも仕事でも人でも。食べ物はあまり好き嫌いはない。豪華なものを食べたいと思わない。粗食で十分に満足するタイプだ。野菜でも肉でもおいしくいただける。仕事については、ぼくはライターしかできないので、縁のあった仕事をこなすようにしてきた。山梨へ来てからは考え方を変えて、便利屋のような仕事はしないことにした。書きたいと思うものを書く。偉そうだけど、40年近くこの仕事をやっているので、ライター稼業は天職だろうと思う。総仕上げの年齢になっているわけで、人に合わせた仕事ではなく、自分の意思を大切にしたいと思っている。今はヤギを飼ったり果樹を栽培することがメインになっていて、果たしてこれが仕事と言えるかどうは微妙だが、自分の中の、まだ掘り起こされていなかった鉱脈に行き当たった気もする。あくまでも、ライター業総仕上げの手段としての”仕事”かな。人に関しては、東京のときと比べて、出入りが静かになった。家族以外には、郵便屋さんと宅急便の配達員しか会わない日が半分以上ある。正直、あまり人とのコミュニケーションは得意ではない。一人で家にいるときの方がほっとする。だれかと組んで何かをするのは心地よくない。ぼくたちの業界は、自己主張の強い人が多い。あまり得意なタイプではないので、あまり近づかない。今のリズムはちょうどいいかなと思っている。ということで、ぼくにも好き嫌いはけっこうあるけれども、上手に自分の世界に入り込んで、快適に生きているかなと思う。それでいいのかどうかわからないけれども、まあ、好き嫌いという感情を大切にしながら、こんな感じで残りの人生、静かに生きて行こうと思っている。
2023年10月05日
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一気に涼しくなった。つい一週間ほど前は、「暑い、暑い」と言っていたのに。のど元過ぎれば熱さを忘れる。どんな苦しいことも時間がたてば忘れる。そして、次は、「寒い、寒い」と言うようになるわけだ。忘れるというのはとてもいいことだ。つらさを忘れられるから、人は生きていける。忘れられないつらさというもある。時間がたっても、つらさの質は変わったとしても、重さは変わらない。事故や災害で家族を亡くした人。10年たとうが20年たとうが、かなしみから逃れることはできないだろう。しかし、いくらかなしんでも、苦しんでも、だれかを憎んでも、亡くなった人は帰ってこない。これが現実だ。だからどうすればいい。生き残った自分は何をすればいいのか。自分の行動が、大切な人の、生きた意味、亡くなった意味を作り出すことになる。かなしみやつらさに埋没するのではなく、それをステップにして、少しでも成長した姿を見せること。簡単なことではないが、目指すべきことではいないだろうか。「よくがんばっているね」と褒められたいではないか。喜びもかなしみも、すべてを刻み込んで、いのちは生き続ける。どんなことも、いのちの成長の糧になるはずだ。猛暑の夏でも、暑さを受け容れて、乗り越えて、しばらくすれば、涼しい秋がやってくるわけだ。どんな苦しみであっても、いつか癒されるときがくる。でも、そのためには、自分の意思がとても大切になる。かなしみ、苦しみの中で、かすかなものでいいから、これを活かしてやろうという、ふてぶてしさを、人はもっている。それが生きる力、生命力ではないか。
2023年10月04日
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日本人には独特の感性があるようだ。もののあわれ、わび、さび。本来の日本人は、いわゆる「成功するにはこうしたらいい」「これが究極の健康法」という西洋的なものではなく、失敗の中にも、病気をしたり年を取ったりすることにも、死までも、美意識の対象になる。滅びゆくものへの眼差しが何ともやさしいし、思いやりがあるし、そこに真実を、古来の日本人は見てきたのではないか。ひょっとしたら災害が多いというのもひとつの理由かもしれない。大地震があれば、人がけがをしたり死んだりする。建物が壊れたり燃えたり、土砂崩れがあったり、財産がなくなったりする。どん底に突き落とされるわけだが、そこから人々は立ち上がり、前よりもすばらしい世界を作り上げていく。花が咲いては散り、また芽吹いて、つぼみになって花を咲かせる。そういった自然の摂理にも通じるものがある。勝ちか負けかという世界ではない。白でも黒でもなく、この世はグレーでできているというのが、日本人の世界観だろうと思う。これから、ますます世の中は揺れ動くだろう。天災もあるだろうし、経済も激変する。日本的な感性をよみがえらせることで、ぼくたちは、少ないストレスの中で、次のステージへの準備をすることができるはずだ。人より上を行くことが強さでない。大木ではなく、竹のようにしなやかに生きること。そんな姿が、日本人らしいと思う。
2023年10月03日
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ぼんやりした不安が消えない。何だろうなと考えてみて、生産性のあることをやっていないのが原因かなと思ったりしている。毎日、けっこう忙しく動いているが、お金になることはほとんどしていない。昨日も、「ヤギを飼って乳をしぼったり、チーズを作っているの」と聞かれた。「いえ、ペットみたいなものですよ」本当のことだ。彼らがお金を生み出してくれることはない。スモモや桃を栽培しているが、これも趣味のようなもので、売ったことはない。ぼくの毎日の生活は、お金につながっていかないのだ。定期的な仕事があるので、何とか食べていける状況にあるので、それでいいはずなのに、長年の性だな。生活するためにがんばって原稿を書いてきたのだから。働くということは、収入があってこそ評価できるという価値観にまだまだ縛られている。お金は強烈な呪縛だ。呪縛だと思っていない人がほとんどだろうな。ぼくのように脱したくても脱することができない人も多い。脱しているふりをしている人もいて、本当に脱している人もいる。ぼくの場合、次のステージにいくための産みの苦しみだと考えることにする。楽しく暮らしているのだからいいじゃないかと、頭は言っているのだが、心が、「それでもね」と不安を生み出す。まあ、こんな葛藤をへながら、人は少しずつ成長していくのだろう。
2023年10月02日
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YouTubeで時間のこと話していた。なるほど と思ったのは、時間はエントロピー増大の現象のことだという話。エントロピーは、無秩序化のこと。きれいに片付けた部屋も、だんだん乱雑になってくる。これをエントロピー増大と言う。人間の体も、生れた瞬間にエントロピーが増大する。ひょっとしたら、受精したときから始まっているかもしれない。どんどん劣化していく。すべての物質がそうだ。劣化をぼくたちの脳が時間として認識する。そんなことかな。子どものときは、1日、1年が長かった。大人になるとあっという間に1年が過ぎてしまう。年を重ねると、肉体や精神の劣化のスピードが速まるからだ。今は、子どもも時間の速度が速いと言っている。小さなうちからエントロピーがどんどん増大してしまっているからかもしれない。小笠原へ行ったときは、本当に時間がゆっくり流れた。エントロピーが減少したのだろう。でも、つまらない話を聞いていると時間はなかなか過ぎていかない。エントロピーが増えてはずなのだが。時間のこと、考えて見ると、生きる意味にも近づけるかもしれない。
2023年10月01日
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同じ状況であっても、人によって見方は違う。我が家のヤギ小屋の入り口付近にクモが巣を作った。数匹のクモが、けっこう広げている。「いいなあ。蚊をとってくれそうだ」小屋の裏には竹藪があって、ヤギのエサをやるときに蚊に悩まされている。ヤギたちも蚊に刺されているはずだ。蚊がクモの巣に引っかかれば、多少は被害も少なくなるだろうと、ぼくは思った。数日間、家を空けることがあった。帰ってきて、ヤギ小屋を見に行くと、クモの巣がなくなっているではないか。「さては」妻が取り払ったに違いない。「ねえ、クモの巣、どうした?」「ヤギ小屋のこと?」「そうだよ」「みっともないからとっちゃった」あっけらかんと言う。「蚊の対策になっていたのに」「えっ・・・」彼女の頭には、クモの巣は取り払うものとしか浮かばない。蚊を少なくする対策などとは思いも寄らなかったのだろう。きょとんとしている。同じクモの巣を見ても、まるで違う考え方、行動をする。人って、こんなものだと納得した。だけど、ぼくと妻の見方の違い。どっちが幸せを引き寄せやすいだろうか?
2023年09月30日
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自由というのは耳障りがいいが、自由度の高い世の中というのは生きにくいかもしれない。昭和一桁のころというのは、長男は家業を継ぎ、次男、三男は養子に行ったり丁稚奉公をすると決まっていた。女性は結婚して子どもを産むことが一番。ほかに選択肢がなかったわけだ。その後も、終身雇用が当たり前で、一度入社すれば定年までひとつの会社で働く人がほとんどだった。マイホームをもつことが最高の幸せだと思っていた時代もある。決められた道を進んでいけば良かった。道が決まっているから悩みや迷いは少ない。今はそんなことを言うのは完全に時代遅れ。だいたい親がサラリーマンだったら家業なんてないわけで、長男も高校を出たら都会の大学へ行って、そのまま都会で就職し、家へ帰らない人も多い。終身雇用も死語になった。女性だって、結婚して子どもを産むのが一番なんて言ったら、それこそ袋叩きにあってしまう。未婚であっても、子どもがいなくても、シングルであっても、本人の自由ではないか。同性婚もそうだ。間違いなく、ぼくたちは自由を手に入れた。すごくいい世の中になった。でも、自由に乗れない人も多い。決められたレールの上を走っていく方がいいという人もたくさんいる。そういう人は、自由が許される世界では不適応を起こしてしまう。これまでは自由に生きたいと願ってきた人が、たくさんのストレスを抱えて、病気になったりしていた。しかし、今では、不自由を快適とする人にもストレスが襲い掛かっている。自由に生きたいという人が少ない時代だったからこそ、枠にはめる世の中が成り立っていた。自由を求める声が増えてきて、枠組みを壊そうという動きが出てきた。枠組みがあったからこそ安定ががあった。枠組みが壊れて、不安定さが増してきた。さて君はどう生きるか?結局、自分はどちらを求めるのだということを知らないといけない。不安定でいいから自由に生きたいなら、その道を行けばいいし、不自由が安心できるなら、適した場所があるはずだ。不安定な自由と安定した不自由。どちらを選びますか?選べないでだらだら流されていると、きっとつらい思いをすることになる。
2023年09月27日
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恐怖はイメージから生れてくる。昨日、札幌から帰ったが、飛行機に乗り込んでシートベルトを締めたとき、機内アナウンスが流れた。「機材に不具合がありましたので、ただいま、整備士が修理をしております。出発が遅れご迷惑をおかけしますが、しばらくお待ちください」不具合ときくとドキッとする。ここで「飛行機事故」というイメージが発生する。テレビの「九死に一生スペシャル」なんかで放映される、飛行機のトラブルのときの映像だ。まだ地上にいて、動いてもいないのに、イメージだけが先走りするのだ。不安や恐怖が芽吹く。修理が終わって離陸となる。たまたま気流が悪くてガタガタ揺れる。いつもなら気にしないのに、機材不具合のことがあると、次の瞬間にとんでもない大揺れが始まるのではないかという不安が生まれる。飛行機に乗っていればよくある揺れなのに、大事故になるのではとイメージが膨らむ。恐怖につながっていく。何も起こってないのに、トラブルが発生するのではないかという勝手な想像が、恐怖や不安という感情を生み出すのだ。危機管理の本能なのかもしれないが、これが高じることで、精神的にも肉体的にもダメージを受けるだろうと思う。日常生活の中でも、起こってもないことを怖がって、体や心が硬直してしまうことがある。実際には感じなくていい恐怖や不安まで、ぼくたちは引き寄せてしまっている。それだけ、恐怖・不安の種を植え付けられているのだろう。「転ばぬ先の杖」ということわざがある。確かに、転ばないようにいろいろ準備しておくことは大切だが、「過ぎたるは及ばざるがごとし」で、適度な準備にとどめておくことだ。そして、転んだら起きればいいんだと開き直る。飛行機に乗って、空中でトラブルが起こったら、もうどうしようもない。「まな板の上の鯉」と割り切るくらいのふてぶてしさが必要だと思う。恐怖や不安は、人から正常な思考を奪ってしまう。恐怖や不安を感じたら、今、何が起こっているかを冷静に考え、できることをやる、何もできないなら、天に任せるしかない。これから天災も増えるだろう。戦争に巻き込まれるかもしれない。経済的な破綻も考えられる。大病を患うことも十分にありうる。大切な人との別れもある。そんなとき、あまりイメージばかりを先行させて、恐怖や不安に振り回されたくなものだ。平静ではいられないかもしれないが、判断力を失わない程度の混乱にとどめたいものだ。
2023年09月26日
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義父が一人で住んでいた家。だれも住まなくなるので、取り壊して売却する予定だ。妻が片付けをしている。必要なものだけ引き取って、ほとんどの物は業者に頼んで廃棄する。いくつか重い物を運ばないといけないのでということで、2泊3日で札幌へ来た。 人が生活することで、たくさんのゴミが出る。古くなって使えなくなったり、新品のまましまったままにしておいたり、もらった物を捨てられないでいたり、どんどん物がたまっていく。 義父は一人で質素に暮らしだった。それでも、トラック何台分もの不用品が出る。我が家はどうだ。頭がくらくらしてきた。 あれもあった方が便利だ。これも買っておこう。いつまでも生きるつもりで物をためてしまっている。 その結果、使わない物に押しつぶされそうになりながら暮らしている。捨てるのはもったいないという貧乏根性が重なって、自宅が物置化してしまうのだ。 そろそろ整理していかないと。 山梨へ帰ったら、思い切って物を捨てることにしよう。いつか使うだろうと取っておくほど時間はないだろうから。 10年20年など、すぐにたってしまう。 ただ、義父の部屋を片付けていると、彼はこんなことをして生きていたんだという痕跡が見える。間違いなく、この場所で何十年かの生活があった。いろいろなことがあっただろう。義父の生活が想像できるのだ。 たくさんのアルバムがあった。孫たちの写真がたくさん保存されている。弘美が送ったものだ。 義父は、弘美が送った孫たちの写真を、アルバムを買ってきて、一枚一枚、大切に貼っていたのだろう。 夕方になるとお酒を飲み始める。残された瓶を見ると、日本酒と焼酎が多かっただろう。6時ごろに電話をすると、いつも酔っ払っていた。一番好きだったのは、酒を飲みながら大相撲の中継を見ること。今年の7月場所。豊昇龍が優勝した千秋楽の次の日、義父は旅立った。 相撲のないときには、お酒を飲みながら、アルバムを整理したり、昔の写真を見てにやにやしてたのではないか。 そんな想像を巡らしていた。 何もないがらんとした部屋だったら、無味乾燥だっただろう。 物も歴史だ。多すぎるもの困るが、ないのも不自然だ。 適度に生きた痕跡を残しながら、旅立っていければいい。 子どもたちには面倒をかけるが、それもあの世とこの世のコミュニケーションかも。
2023年09月25日
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目に見えない世界、いわゆるスピリチュアルなことは、言ったもの勝ちの部分がある。たとえば死後の世界。そんなのだれもわからないけれども、わかったようなことを言う人も多い。死後の世界は?と問われて、「わからない」と答えるのが、もっとも嘘のない誠実な態度なのに、自信ありげに断言する人がいると、あるいは、科学的なニュアンスをもって語ると、多くの人が信じたりする。せめて、「私はこう思う」と断ってから語るべきではないか。ぼくが師と仰ぐ人は、「断言する人は疑った方がいいよ」と教えてくれた。断言する人は頼りがいがあるように思えてしまう。でも、断言できるだけの根拠があるわけではない場合がほとんど。言ったもの勝ちの世界だ。「ぼくは気功で末期がんの患者を治した」と威張ってる人がいる。がんで余命を宣告されたら、「治る」と言ってくれる人を頼りたくなる。もちろん、「治る場合がある」という話だったら、体験として語るのに問題はない。しかし、「末期がんは私の気功で治せる」と断言し始めると危険だ。この人は治っても、あの人はわからない。サプリメントもそう、星の数ほどある〇〇療法もそう。成功法則だってそうだ。断言してすごいことをやってしまう人はいないことはない。だけど、傾向として、スケールの大きな人ほど断言を避けるものだと、ぼくは思っている。これから社会が不安定になると、危ない人が増えてくる。自分をしっかりもって、言ったもの勝ちの人たちの強烈なプレッシャーには負けないようにしないと。
2023年09月15日
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「金運」という、だれもがほしがる運がある。いろいろな金運がある。次から次へとお金が入ってくる運。やることなすことみんなうまくいって、大変なお金持ちになる人。普通、金運があるというと、そういう人をイメージする。しかし、それだけではないと思う。たとえば、お金に対する欲や執着のない人。収入も大したことないし、貯金もないけれども、お金のことを考えずに生きていける人がいる。これも金運と呼べるのではないか。こんなことやりたいとか、これがほしいと思うと、思わぬところからお金が入ってきたりするのも金運。お金をたくさんもつことだけが金運ではないということ。もっともっとと欲張る人は、いくらお金をもっていても、金運があると言えるかどうか。本当はすごく金運があるのに、それを上手に生かせないのかもしれない。金運に限らず、運のいい人、悪い人はいる。でも、それは何かがあるから運がいいということではなくて、今の自分を肯定できるかどうか、感謝の気持ちをどれくらいもてるか、ということがカギになってくるのではないか。人間としてこの世に生まれてくるのは、偉い遺伝子の学者が計算したところ、宝くじの一等賞に100万回連続して当たるのと、同じ確率だったという話がある。これが本当なら、生れてくるだけで、大変な強運の持ち主なわけで、運が悪いと嘆いているのは、あまりにもごう慢な話だ。金運がないとか、運が悪いと思っている人は、これまでの自分を見直すといい。生れてくるだけでも強運なのだから、いいことはいっぱい起こっているはずだ。
2023年09月14日
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ネガティブなイメージが先行してしまうのは、ぼくたちが恐怖で支配されてしまっているからだろう。テレビでは、事件とか事故とか災害ばかりが報道される。それもときには大袈裟に。台風でも地震でも、もっともひどい被害の場所だけが切り取られて紹介される。新型コロナのときも、感染者がバタバタ死んでいくようなイメージが植え付けられた。病院へ行けば、医者は最悪のことを考えて、診断を下す。がんで余命半年と言われたら、もうダメだと思う。だけど、どうして半年後のことがわかるのか、それを知りたい。末期のがんから生還した人はいっぱいいるのに。マスコミの報道も、今回のジャニーズの件でもわかるように、ほとんどが、企業の利益を優先してニュースを選ぶ。ジャニー喜多川が元気で権力のあるときには、彼の悪事を知っていても何も言わず、力が落ちてきたときは、まるで正義の味方のように叩くわけだ。世の中に流れている情報は、ほとんどが自分都合の一面的なものだと思った方がいい。鵜呑みにせずに、テレビドラマを見るように、フィクションとして考えればいいのではないか。そして、自分の感覚と頭で、自分はどうするのかを決めるくらいの主体性が必要だ。それが生きる力だ。ずっと昔から、人は恐怖と不安をあおって人を支配しようとする。いつの間にやら、ぼくたちの心の中には、恐怖と不安という爆弾が埋め込まれている。権力をもった人は、そこにちょっとアクセスすれば、ほとんどの人をコントロールできる。生かさず殺さず。ぼくは臆病者だから、恐怖や不安で体や心が委縮することがしょっちゅうある。怖くて動けなくなってしまったときには、冷静になって、なぜこんなに怖いのだろうと考えるようにして、固まった思考を、少しでもほぐすように努力している。
2023年09月12日
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心配とは不安は、イメージが作り出す。たとえば、がんと診断されたら死ぬかもしれない。南海トラフ地震が来たら、がれきに埋まってしまうかもしれない。津波に飲み込まれてしまうかもしれない。がんと診断されても、昨日と同じように元気でいるわけだし、死ぬと決まったわけではない。実際には南海トラフ地震もくるかどうかわからない。だけど、ネガティブなことは簡単にイメージしてしまう。ポジティブなことは、イメージするのがけっこう難しい。ぼくたちは、ネガティブなことをイメージすることを学習してきている。子どものときから、最悪を考えて行動するよう教えられている部分がある。ポジティブだと、能天気と馬鹿にされたり、甘いと責められたㇼ、現実的ではないと非難されたりしてきた。たとえば、ぼくのような田舎者が東京に出るときには、「都会は生き馬の目を抜くようなところだ」と忠告される。人を信じるなと教えられるのだ。18歳の世間知らずの田舎者は、都会生活の期待もあるけれども、それ以上にびくびくしながら新幹線や飛行機に乗るわけだ。特に親に言われたことは、強烈に脳にインプットされる。都会は怖いところという恐怖心は、いつまでもとれない。いいこと、楽しいことがいっぱいあっても、一度、だまされたり裏切られたりすると、「やっぱり」ということになる。人間関係がうまくいかなかったりする。そんなふうに、ぼくたちの脳は、ネガティブなことをイメージするように作り変えられ、現実には起こってもないことに恐怖や不安を感じてしまう。ぼくは、人一倍臆病者だから、世の中、怖い物だらけ。「どうしてだろう?」と考えるうち、イメージによるものという答えが出てきた。まだ67歳で元気にやっているのに、80歳になって体が不自由になったらと考える必要などない。どうにか生活できるだけの経済力はあるのだから、お金がなくなったらと考える必要もない。転ばぬ先の杖を用意するよりも、転んだら立ち上がってやるという気概が必要だ。そうじゃないと、人生はつまらなくなる。
2023年09月11日
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もうすぐラグビーのワールドカップが始まる。我らがジャパン、強化試合であまりいいところがなかったので、気持ちが盛り上がらない。それで、2015年の大会をJスポーツで見直している。何と言っても、南アフリカ戦。あの番狂わせには熱狂した。「50点くらいの差なら仕方ないな」そんなネガティブな気持ちで見たら、とんでもなかった。だいたい、ぼくの世代のラグビーファンは、世界に大敗するジャパンをずっと見てきた。期待しては裏切られ。いつの間にか、負けるのは当たり前になってしまっていた。前回の日本大会では、アイルランド戦を三鷹の陸上競技場のパブリックビューイングで応援したが、「前半で試合が決まるようだったら早めに帰ってお酒でも飲もう」そう思って見始めたのだ。大敗覚悟の応援だった。しかし、結果はまたまたの番狂わせだった。そして、ベスト8進出。ジャパンは強くなっている。でも、今回は強化試合1勝5敗。「やっぱりダメだな」選手たちが「優勝する」と気合を入れているのに、こちらは弱気も弱気。2015年も、ヘッドコーチのエディさんや選手たちは、「南アに勝つ」と言っていた。だれも信じなかった。2019年だって、ロシアとサモアには勝てるかもしれないが、どんなにがんばっても2勝2敗というのが、多くの人の見方だっただろうと思う。それを覆してくれるのがジャパン。だから、魅力があるのだが、今回はどうだろう?「ジャパンは世界に通用しない」というぼくの中の常識を壊してほしいものだ。長い間に植え付けられた印象は、なかなか変えられないことを、ジャパンはぼくに教えてくれた。そういう面で、若い選手たちは、世界に通用するジャパンを知っているわけだから、そのイメージをベースにこれから伸びていくはず。大谷じゃないが、「あこがれはやめましょう!」だ。オールブラックスと対等に戦い、そして勝てるジャパンになるため、今大会も、下馬評を覆しておくれ。
2023年09月08日
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