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夏休みの午後。5年がかりで片づけてきた職場の図書館の書庫。
カビだらけの汚い本は捨てる!
と腹を決めた仕事が終わりに差し掛かっていました。汗まみれになって段ボール箱に廃棄する本を詰めながら、目の前の棚にあった薄汚くよごれた小冊子のシリーズが、ふと目に入りました。ビニールカバーをカッターナイフで切り裂き、茶ばんだ表紙カバーもひきはがしてみると、なかなかしゃれた詩集が出てきました。
「日本の詩(全10巻)」 (小峰書店)
、1970年代の終わりころ 小峰書店
という出版社から出された現代詩のアンソロジーです。
一冊に二十篇ほどの詩が紹介されていて、 全10巻
。 遠藤豊吉
という小学校の先生だった人の個人編集です。
「へー」と思いながら、中の一冊の詩集 「たび」
を読み始めて、やめられなくなりました。
出さない絵葉書 新川和江 詩の解説のようにして、編者 遠藤豊吉 のことばが添えられています。
遠く
来てしまいました
春は
たけなわですけれど・・・・・・・
このさびしさには
もう
散りしく 花びらがない
つかまる 手摺りがない
通す 袖がない
まぶす 粉砂糖がない
梳く 櫛がない
まわす ノッブが
つき刺す フォークが
いれる袋が ない
遠く
来てしまいました
もう、帰らないでしょう
帰れないでしょう
〔編者の言葉〕 その日の午後、ぼくは、一編一編の詩と、その詩の後ろに書きつけられている 遠藤豊吉 の 「編者の言葉」 を蒸し風呂のような書庫で、汗だくになって読みながら過ごしました。
特別攻撃隊員になって一か月ほどたったある日、二泊三日の帰郷が許された。
梅雨でぬれた故郷の町はなつかしかったが、特別攻撃隊員として〈死〉の世界にあゆみはじめている心には、もはや無縁、という思いのほうが強かった。
二夜とも、父と継母とわたしと三人で、一つの部屋に寝た。町は無縁の風景と見えても、両親はやはり無縁ではなかった。父はほとんど何もしゃべらなかったが、継母は夜半すぎても、私にむかってしゃべることをやめなかった。
わたしは、自分が特別攻撃隊員になったことを告げずに故郷を去るのだが、ふたりともわたしの身の上に重大な変化がおこったことを感じとったにちがいない。
故郷を去る日、継母は駅まで送ってくれた。目にいっぱい涙をため、彼女は車窓に手をつきだし、せいいっぱいわたしの手を握ってくれたが、その手は雨にしとどにぬれて、つめたかった。
生徒が本を借りる図書館にしたい。 と意地になって、放課後、勤務時間もとうに過ぎた図書館の、薄暗がりでうろついていると、運動部のマネージャーの仕事をおえた彼女がやってきて雑巾がけ手伝ってくれた日々を、徘徊しながら思い浮かべることがあります。人は何に励まされ、何を励ましているかなんて、その時にはわからないものですね。
「あなたなら大丈夫ですよ、心配しなさんな。」 追記 2019・08・02
「これはおかしい。」 って。そういう仕事ぶりが、かえってルーティーンに枠づけられた、狭い思考しか育てないってことに。そんな、教員に育てられる子供たちはやはり不幸です。
追記
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