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2019.06.25
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​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​黒川創「鶴見俊輔伝」(新潮社) ​​

 ​ 今回の案内は 黒川創 による 「鶴見俊輔伝」(新潮社) という伝記です。この本は五百ページを超える分厚い本なのですが、三百ページを超えたあたりにこんな文章が引用されています。​​​

今でも昨日のことのように思い出しますが、真っ白に雪の降り積もった二月の朝、陣地の後ろの雑木林に四十人の捕虜が長く一列に並ばされました。その前に三メートルほどの距離をおいて私達初年兵が四十名、剣付き銃を身構えて小隊長の『突け』の号令が下るのを待っていたのです。
 昨晩私は寝床の中で一晩考えました。どう考えても殺人はかないません。小隊長の命令でもこれだけはできないと思いました。しかし命令に従わなかったらどんなひどい目に会うかは誰でも知っています。自分ばかりでなく同じ班の連中までひどい目にあわすことが日本軍隊の制裁法です。け病を使って殺人の現場にでないことを考えてみました。気の弱い兵隊がちょいちょいやる逃亡という言葉も頭をかすめました。しかし最後に私の達した結論は「殺人現場に出る、しかし殺さない」ということでした。
『突け』の号令がとうとう下された。しかし流石に飛び出していく兵隊はありません。小隊長が顔を真っ赤にしてもう一度『突け』と怒鳴りました。五、六人が飛び出してゆきました。捕虜の悲鳴と絶叫と鮮血が一瞬のうちに雪の野原をせいさんな修羅場に変えました。
 尻込みしていた連中も血に狂った猛牛のように獲物に向かって突進してゆきました。
 私はじっと立っていました。小隊長近づいてきました。「続木!!行かんか」と雪をけちらして怒鳴りました。私はそれでもじっと立っていました。小隊長は真っ赤な顔を一層赤くして「いくじなし」というが早いか私の腰を力任せに蹴り上げました。そして私の手から銃剣をもぎ取ると、銃床で私を突き飛ばしました。
 小隊長の号令に従わなかった男は私以外にもう一人だけいました。丹波の篠山から来た大雲義幸という禅坊主の兵隊で、二人はその晩軍靴を口にくわえ、くんくん鼻をならしながらよつばいになって、雪の中を這いまわることを命ぜられました。これは「お前たちは犬にも劣る」ということだそうです。
​ しかし大雲も私も「犬にも劣るのはお前たちのほうだ」と心の中で思っていましたから、予想外に軽い処罰を喜んだくらいでした。これを機会に二匹の犬は無二の親友になりました。 ​​
​​  個人の戦争体験の記録として、今読んでも、実に印象的なこの文章は、京都の 駸々堂 というパン屋の社内報に、経営者の一族で専務であった 続木満那(まな) という男性が 「私の二等兵物語」 という物語として連載していたらしいのですが、その 1961年新年号 の記事です。​​
​​  本書 はここまで、 鶴見俊輔 出生 からの 家族関係 、少年時代の アメリカ体験 、軍属としての 従軍 、戦後の 「思想の科学」 という雑誌の発行、1960年の安保闘争との関わり、というふうに、時間を追って丁寧に記述されています。​​
​ 特に、晩年の 鶴見俊輔 が、繰り返し語った、少年時代の母との関係や、アメリカ暮らしにおける 「一番病」 といった、人格形成におけるトラウマのような部分について、実に客観的で公平な視点で書き進めている点で、ぼくのような鶴見フリークの偏った理解をただしていく、冷静な好著として読み進めてきました。​
 ただ、著者が 「何故この伝記を書こうとしたのか」 という、執筆のモチベーションに対して、かすかながら疑問は感じていました。ひょっとして、よくいえば冷静だが、悪くすると平板なまま終わるのではないか。そういう感じです。
​ そこに、この引用でした。この伝記を通読すれば理解していただけると思いますが、この文章が、この伝記のちょうど峠を越したあたりで引用されているのには、結果的に 二つの大きな意味 があると、ぼくには思えました。​​
  ​​一つは 鶴見 自身を苦しめてきたアイデンティティ  ― 自分とは何者か ―  の問題を解くカギになる、生い立ちとは別のポイントを著者 黒川創 は示しそうとしているのではないかということです。​​​
​  鶴見俊輔 には戦地で体験した 「人が人を殺すことを強いる国家」 に対して、もしも、あの時、命令が自分に下っていれば、自分は引用文の 続木二等兵 のような抵抗の勇気を持つことができなかったのではないかという形で現れる自己否定的な疑いが終生あったと思います。​
​​​ この疑いが、 日米安保条約 という軍事同盟・再軍備に抵抗する中で 「死んでもいい」 と考えるような極端な思い込み。例の 樺美智子 の死に対して、国立大学教員を辞職して抗議するという果敢な行動。少年時代の自己や家族に対してくりかえされる自嘲的発言。ひいては、再三苦しんできたうつ病の引き金を引いてきたという、 鶴見俊輔 自意識 の実像を、 黒川創 が、ここで再確認しようとしているという印象を強く持つ引用なのです。​​​
​ 若き日の 鶴見 が学んだ論理実証主義の哲学によれば、 「もしも」の仮想 に捉われて悩むのは妄想というべきことにすぎません。しかし、この 「どうしようもない」妄想 の中にこそ人間の真実が潜んでいると考える中から、 「もう一度生き直す」 という積極的な契機をつかむことを見出していく哲学者のターニングポイントとしてこの挿話があるというのが、本書に対するぼくなりの実感です。​
​​  続木二等兵の回想 は、妄想に苦しんでいる哲学者にとって 「救いの光」 だったのではないでしょうか。その光は、 マッカシーの赤狩り に抵抗した、 リリアン・ヘルマン について 鶴見俊輔 自身が、別の著書の中で、こんなふうに語っています。​​
リリアン・ヘルマン は、マッカーシー上院議員の攻撃にさらされた結果、米国知識人であると否とを問わず、何人もの人たちと彼女が分かちもっている彼女自身の まともさの感覚 に寄りかかるようになりました。彼女は、いま私がここで述べたと同じような直観を持っていたのかもしれません。
 生き方のスタイルを通してお互いに伝えられる まともさの感覚 は、知識人によって使いこなされるイデオロギーの道具よりも大切な精神上の意味を持っています。
​​​ 「ふりかえって」1979年12月6日の講義 ​​
​​ ​​​ ​​​​ 「まともさの感覚(the sense of denncecy)」 という、70年代に学生生活を送ったぼくにとって、 吉本隆明 「大衆の原像」 とともに心に刻み込んだ 鶴見俊輔 のキーワードが、この時点で実体を獲得し、 「ベ平連」 以後の彼の行動を支えていくという、この伝記の展開には、瞠目というような似合わない言葉を、思わず使いたくなるものがあります。​​​​​​​​
 ここから、いわば、 「後期鶴見俊輔」 の始まりが予告されているのではないでしょうか。
​​​ さて、この引用の二つ目の重要なポイントは、この挿話の載っている冊子を 鶴見俊輔 の許にもたらした 北沢恒彦 という人物の登場です。​​​
​ ​​​​ 北沢恒彦 は大学を出て駸々堂に勤めはじめたばかりで結婚し、 1961年6月15日 樺美智子の一周忌 の当日に、長男、 北沢恒 が生まれます。​​​​​
​ ​​​​​​その後、 同志社大学 で教え始めた 鶴見俊輔 とともに京都で活動し、やがて 「思想の科学」 に寄稿する評論活動へ進み、 鶴見 の晩年の著作を出版することになる 「編集グループSURE」 を始めた人らしいのですが、 1999年 に亡くなっています。 「なぜ、この人物についてだけこんなに詳しく書くのだろう」 と不思議に思って読み進めていると、なぞは解けます。​​​​​​​
​​​​​​ 実は、61年に生まれた 北沢恒 こそが、のちに 「鶴見俊輔伝」 の著者となる 黒川創 、その人なのです。伝記にはここから、著者である 黒川創 自身と 鶴見俊輔 とのかかわりという、ここまでとは、すこし色合いの違う一本の横糸が張られます。​​ ​​​​
 ここから、読者であるぼくは、この評伝の最後も読みどころとして、この少年が老哲学者の伝記を書くに至る動機に目を凝らすことになるのです。
 やがて、最終章、残すは十数ページという所まで読み進んだところに、こんなエピソードが記されています。
 心臓などに持病のある 横山貞子 は、自身も加齢する中、 鶴見俊輔 への介護を続けながらの暮らしに、体力の限界、そして不安を感じるようになっていた。そこで、夫婦揃って老人施設に入所しないかと 鶴見 に提案し、彼も同意する。だが、翌日、鶴見は同意を撤回、やはり自宅で暮らしたいと話した。
「私はどうなってもいいの?」と、横山は夫に尋ねた。
​「すまないが」​と、鶴見は答えたという。​​

​​​​ ​​​ これを書き付けた 黒川創 の真意を知ることは、もちろん、できません。しかし、ここに、筆者のモチーフが凝縮して表れているのではないかというのが、ここまで読み進めてきた、ぼくの感じたことでした。​
 このシーンは、生涯で初めて、 ​鶴見俊輔​ が他者に心をひらき、 「もうろく」 に身を任せ、甘えを口にしたシーンだったのではなかったでしょうか。
「まともである」 ことの緊張し続けてきた自意識から解放され、意識的に自分を律しつづけることから、初めて自らを許した瞬間だということもできるかもしれません。

​ ぼく自身は、このシーンを読みなおしながら涙が止まらなくなりました。 鶴見俊輔 の書はぼくにとっては 「青春の書」 であり、その生き方は指標でした。その人物の 「老い」 を目の当たりにしたような感動でした。こういう読書体験はそうあることではありません。​
​​​​ おそらく、書き手 黒川創 は、書き手自身が備えている 「まともな」 目によって、 「すまないが」 という言葉の、 鶴見俊輔 にとっての重さを正確にとらえていて、この場面を書き残すことこそが、ここまで書き継いできた 鶴見俊輔 の生涯に、一人の 「ただの人間」 としての眸(ひとみ)を書き加えることだと考えたのではないでしょうか。​​​​
 少年時代から見上げ続けてきた哲学者を 「ただの人間」 として描くことによって、90年間にわたる 「一番病」 の苦しみから彼を救うことができるのではないか。 この 「救い」 こそが、書くべきこととしてある。黒川はそう考えたに違いないというのが、ぼくに浮かんだ思いでした。​
​​  黒川創 が、 鶴見俊輔 という哲学者の苦闘の人生を冷静に描くことを目指しながら、 「ただの人間として生きたかった男」 を見事に描いた傑作評伝でした。(S)​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​

​​​​追記2020・02・09​
​​​  「まともさ」 などかけらもない人間が、大手を振って歩きまわる社会が始まっています。 吉本隆明 鶴見俊輔 を読み直す、あるいは、若い人が読み始めればいいればいいのになあとつくづく思います。名著だと思ます。
 時々集まる、本を読む会の、次回の課題になってうれしいのですが、でも、 鶴見俊輔 「ことば」 に出会うのがつらくて読みなおし始めることができていません。まあ、ぼくは、そういうやつだということですね。​

追記2024・01・07
​ 
​​ 鶴見俊輔 を読み直そうかと。まず、手始めは ​​ 「身ぶりとしての抵抗」(河出文庫) ​です。​​
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最終更新日  2024.01.07 12:59:43
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