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「お父さん、私、またダメになった」 この会話は映画の中で、見ている人みんなの記憶に残るシーンだと思うのですが、小説ではこうなっています。
「そう、くりまるなよ」
「でも、くりまるよ!」
「そうかあ?」
「くりまっちゃうよ。震災のあとで、みんな、家族のきずなが大事とか、つながりたいとか、そういうふうになってるんだもん。」
電話機を取るなり、昇平はやや興奮気味に話す。 きりがないからやめるが、電話の向こうの認知症の父と、何度目かの失恋で心が折れている娘の、上記のような、なんというか、壮絶な会話があって、映画のシーンの「くりまる」が出てきます。
「おほらのゆうこうが、そっちであれして、こう、うわーっと、二階にさ、こっとるというか、なんよというか、その、そもろるようなことが、あるだろう?」
芙美はあまりのわけのわからなさに、どうしていいかわからなかった。しかし、論理的に対応する必要も感じなかったし、そもそも気力がなかったので、しばらく絶句したのちに、
「あるね」
と答えた。
ふーん、と、どこか満足げな鼻息が聞こえてきた。
「すふぁっと、すふぁっと、といったかなあ、あれはゆみかいのときだね、うーっとあびてらのかんじが、そういう、あれだ、いくまっと。いくまっとじゃない、なんだっけ、なんと言った、あれは?」(「つながらないものたち」)
「来ないよ。連絡なんて」 つながらないはずの「ことば」が父と娘をつないでゆくのです。ただ、大事なことは、ここにあるのは世界と「つながれない」父と娘の「孤独」を「ユーモア」というべき言葉のやり取りで重ね合わせた、実に小説的な表現だということです。
「ああ?」
「来るわけない。だって、向こうはもともと」
「そりゃなあ、ゆーっとするんだな」
崇 は反芻するように続けた。 この会話は、それから7年後、アメリカで中学3年生になった 崇 が、所謂、不登校の生徒として校長室で校長先生と面談しているシーンへとつながって、こう書き継がれていきます。
「言ってることが、言いたいことと違っちゃってるけど、考えてることはあるんだよね。ねえ、おじいちゃん・考えてることはあるんだよね?」
「うん?」
昇平 は体育座りする小三をちらりと見ると、また、庭に目を戻して言った。
「このごろね、いろんなことが遠いんだよ」
「遠いって?」
「いろんなことがね。あんたたちやなんかもさ」(「おうちへ帰ろう」)
「祖父が死にました」 七年前に、自分がどこにいるのかわからなくなった、「元中学校長」の祖父が、幼い孫に対して 「いろんなことが遠い」 と語ったセリフは、「校長先生」によって、「いろんなことが遠く」、人生の行方を見失いそうになっている「中学生」に語り掛けられる「ことば」として、いわば、謎解きされます。
男の子は突然そう言った。グラント校長は話すのをやめて、静かにタカシを見つめた。
「いつ」
「おとといの朝でした」
「そうか。おいくつだったね」
「八十とか、そのくらい」
「そうか。ぼくの父といくらも違わない。どうか、心からのお悔やみを受け入れてほしい。ご病気だったの?苦しんだんだろうか」
「ずっと病気でした。ええと、いろんなことを忘れる病気で」
「認知症か」
「なに?」
「認知症っていうんだ。ぼくの祖母もそうだった。」
「十年前に、友達の集まりに行こうとして場所がわからなくなったのが最初だって、おばあちゃんはよく言ってます」
「十年か。長いね。長いお別れだね」
「何?」
「長いお別れって呼ぶんだよ。その病気をね。少しずつ記憶をなくして、ゆっくりゆっくり遠ざかっていくから」 (「QOL」)
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