PR
カレンダー
カテゴリ
コメント新着
キーワードサーチ
ところで 宮沢賢治
の 『雨ニモマケズ』
の題で有名な詩は、元々は手帳の走り書きであったことはご存知でしょうか。
子ども達に読ませる最高の詩として取り扱われていることもある。それは下に書いたふうに手帳に記してあったのが、彼の死後見つかったものらしいのですが、実物はこんな感じです。
昔の、 筑摩書房
の 「宮沢賢治全集」
の写真を撮って貼ってみますね。
うーん、全然見えませんが、ちょっと雰囲気を味わっていただけたら、ということなんです。 全集版
の 「行わけ・レイアウト」
を真似て写すとこういう雰囲気になります。
五一頁・五ニ頁(鉛筆・青鉛筆) 雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニ
モ マケヌ
丈夫ナカラダヲ
モチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテ
ヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ
野菜ヲタベ
五三頁・五四頁(鉛筆)
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ
入レズニ
ヨク
ソシテ ミキキシ
ワスレズ ワカリ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萱ブキノ
小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモ
アレバ
行ッテ看病シテ
ヤリ
五五頁・五六 頁 (鉛筆・赤鉛筆)
西ニツカレタ
母アレバ
行ッテソノ
稲ノ束ヲ
負ヒ
南ニ
死ニサウナ人
アレバ
行ッテ
コワガラナクテモ
イヽ
トイヒ
五七頁・五八頁(鉛筆)
北ニケンクヮヤ
ソショウガ
ツマラナイカラ アレバ
ヤメロトイヒ
ヒドリノトキハ
ナミダヲナガシ
サムサノナツハ
オロオロアルキ
ミンナニ
デクノボート
ヨバレ
〈マタ〉
五九頁・六〇頁(鉛筆)
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフ
モノニ
ワタシハ
ナリタイ
南無無辺行菩薩
南無無上行菩薩
南無多宝如来
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼仏
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩
太字が頁数ですが、彼が残した 「黒い皮の手帳」
のものです。最初の 「現代詩読本」
の表紙写真にある手帳です。 「ヒドリ」
とあるのは 「日照り」
のことですね。こうしてみると読みにくいですね。
注目してほしいのは 六十頁
の お念仏
なのです。彼は 「サウイフモノニ、ワタシハナリタイ」
と自らの願いを記した後、仏様たちにお祈りしていた、言うならばこの詩全体が 「お念仏」
としてとなえられていた言葉のメモの可能性があるのです。
冷害の夏、穂が青いまま秋を迎える田んぼのあぜ道に俯いて立っている青年。彼は病んだからだを治療することも拒否し、日がな一日、ここに立って、ぶつぶつと 「雨ニモマケズ」
を唱えている。そんなイメージ。結構、暗いですね。これを暗いと感じるか、純粋ととるか。
このイメージをぼくに示唆してくれたのは、 思潮社
が 1979年
に出した 「現代詩読本 宮沢賢治」
で、今は亡き、詩人の 菅谷規久雄
が 「雨ニモマケズ再読」
と題して書いているエッセイでした。詩人は一行一行綿密に読み返し、最後にこう結論しています。
もはやかれが、現世において、また現世にたいしてなしうることはなにもな。 かれの、自死にもひとしくえらばれた意図的な病死は、おのが身を仏への供養とすることにほかなるまい。―あの法華経にいう焼身供養にもひとしく、である。 ともあれ、50年前に、僕が通っていた中学校の校門には 「雨ニモ負ケズ 風ニモ負ケズ」 と彫ったプレートがはめ込んでありました。それが、この詩との出会いです。当時、やたら頑張れといっているように感じて、少々めんどくさかったのですが、こうして今読んでみると、むしろ 「頑張れない」 と泣いていることばようにも感じますね。頑張って偉くなる事をおそれているような気もします。無力であることを耐えつづけている人、いや、覚悟を決めてしまった人かもしれません。
週刊 読書案内 草野心平「宮沢賢治覚書… 2023.06.01
成島出「銀河鉄道の父」キノ・シネマ神戸… 2023.05.25
週刊 読書案内 佐藤通雅「うたをよむ … 2021.05.12