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高橋ヨシキ さんが NHK のラジオ番組でしゃべっていらっしゃる内容の書籍化らしいのですが、映画のちょっとした蘊蓄とか、「この映画なにがいいの?」って感じやすい人にはうってつけじゃないでしょうか。
かくいうぼくは、 80
年代の中ごろから映画というものを全く見ていない生活で、昨年の四月から、ようやく映画館に戻ってきたような次第で、この本でしゃべっていらっしゃる映画のほとんどは見たことがありません。ふつうは、それが難点になるのですが、読みはじめると、「とりあえずこの章は・・・」と思わせるのが高橋さんの芸というべきなんでしょうね。たぶん、「語り口の平明さ」について、かなり注意を払っていらっしゃると思います。
もう一つは、内容の広がりですね。
たとえば、14
本目のストリップは「エイリアン」です。この映画はぼくでも知っています。
内田樹
さんが 「映画の構造分析」(文春文庫)
だったかで、アメリカ映画のフェミニズムについて分析されていて、面白がっていたら、 風丸良彦
という人が 「村上春樹短編再読」(みすず書房)
という本の中で、ほとんどパクリのような引用をしていたので覚えているのですが、興味をひかれた人はそちらをお読みいただくとして、ストリップの本文はこんな感じです。
ホラー映画の世界では、 「女の人が最後まで生き残って怪物と対決する」 というパターンがあよくありますが、最近はそういう定型を 「ファイナル・ガール」 と言ったりもしますが、 「エイリアン」は「ファイナルガール」ものの決定版 でもあります。興味深いのは、 1979 年の映画にもかかわらず「 「ベクデル・テスト」 を完全にクリアしているところです。「ベグデル・テスト」は映画において女性がちゃんと(添え物、あるいは性的な対象としてだけでなく)描かれているかを判別する簡単なテストで、 「最低でも二人の女性が登場するかどうか」「その女性同士の間に会話があるかどうか」「その会話の中に、男性について以外の話題が出て来るかどうか」 が問われます。シンプルなやり方で作品のジェンダーバイアス(性的偏見)を計ることのできるテストですが、「エイリアン」は三項目すべてをパスしています。脚本時点で男性を想定していた主人公を女性にしたことで、そのような結果が生まれたのかもしれませんが、映画製作の人たちも「エイリアン」に倣って、主人公の性別を反対にしてみる…というの試みをもっとやってみる価値はありそうです。 ね、ベンキョウになるでしょ。まあ、映画ファン相手にラジオのようなマスメディアでしゃべるためには、いろんな意味で、「広さと深さ「」、同時に「まとまり」がないとだめでしょうから、市バスとかで読んでいると、「運転手さん、もうちょっとゆっくり走ってていいよ。」ということになるのです。
今回はディストピア編でしたが、 「エイリアン」 が 何故ディストピア映画なのか 、首をひねる人もいらっしゃるかもしれませんね。高橋君の結論はこうでした。
人間をある種の「駒」と考え、個人の思惑や生死をないがしろにするるのはディストピア社会の大きな特徴の一つですから、その意味で「エイリアン」は全く伝統的なディストピア映画なのです。
理解していただけましたか?宇宙船ストロモ号の乗組員は全員、まあ、アンドロイドのは別にして 、 エイリアン捕獲のための撒き餌 、すなわち、 会社の「駒」 でしかなかったって、最後にわかりますね、覚えてますか?
この手のはなしのお好きは人はどうぞ。どの解説も、飽きさせないし、おもしろく読みましたよ、ぼくは。ベンキョーになりましたが、すぐ忘れちゃうんですよね。 ( S )
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