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テンギズ・アブラゼ「祈り」三部作
を見ながら。予告編に出てきた映画がこれでした。水鉢の中の白銀色の鯉を触る、美しい女性の映像に惹かれて、元町映画館にやってきました。
「水の女」の映画でした。映画を見終わって歩きながら、ぼくの頭の中には、まず、海の向こうではオフィーリア、この国では中上健次の同名の小説のヒロインが浮かんできましたが、とりわけ、 折口信夫
の「水の女」の解説が、ボンヤリとした記憶として浮かび上がってきました。
映画の中では、山の中の貧しい村にあって、「火」をあやつり、「水」の霊力をつかさどる「父」と、その「父」を捨てた三人の兄に対して、「父」のもとに残った末の妹として、「水の女」として生きる女性 ツィナメ
、通称 ナメ
が登場します。予告編で見た、あの美しい女性です。
兄たちは、それぞれ、一人はキリスト教の神父の、一人はイスラム教の聖職者の、そしてもう一人は無神論の科学者の道を歩んでいますが、彼らのもとに水を届け続けるのが末の 妹ナメ
の仕事の一つです。
三人の兄弟と父の設定には、「家族」の歴史の、それは宗教の歴史と言い換えてもいいかもしれませんが、古代から現代へと至る、映画的な企みが潜んでいて興味深いのですが、 やがて、その貧しい村の上流にはダムが建設され、騒音が響き続け、父の「水」が枯れてしまうという結末を迎えます。
ダムの建設と父の霊力の喪失という物語は、現代文明と土俗という対比で、映画をわかりやすくしていますが、ぼくが惹かれたのは、「水の女」ナメの姿でした。
水が枯れ始める中、水鉢の鯉とナメの交歓のシーンから、やがて山の湖へ鯉を放し、その鯉とともに消えてゆくナメの姿は、 折口信夫
がとなえた、まさに、神話的な「水の女」そのものの現前とでもいう、静かな興奮をぼくのなかに残してゆきました。
いくつもの、歴史の層を重ね合わせることが企まれた映画であることは間違いありません。しかし、ぼくにとっては、静かな山の村の闇に燃え上がる松明の炎と、降りしきる雪の中をみずうみに消えてゆく、銀色の鯉に化身した美しい女性のイメージが、くっきりと刻み込まれた映画でした。
きっと、記憶に残る映画になるでしょう。
監督・脚本 ザザ・ハルヴァシ
撮影 ギオルギ・シュヴァリゼ
美術 アカキ・ジャシ
音楽 ヨーナス・マクヴィーティス
キャスト
マリスカ・ディアサミゼ
アレコ・アバシゼ
エドナル・ボルクヴァゼ
ロマン・ボルクヴァゼ
ロイン・スルマニゼ
原題「 NAMME
」 2017
年 ジョージア・リトアニア 91
分 2019
・ 11
・ 24・元町映画館no24
追記2019・11・27
折口の
「水の女」は、こちらから
お読みになれます。
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