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「誰もぼくの絵を描けないだろう」 友部正人誰もぼくの絵を描けないだろう
あの娘はついにやっては来ないだろう
ぼくの失敗は ぼくのひき出しの中にしかない
この砂のような夜を君に見せてあげたいんだ
だからもう5時間もこの丸テーブルの前に座り込んでる
心臓をかすめて通るはビルディングの直線
直線の嵐の中で人は気が狂うだろう
女のスカートに男が丸呑みされるのを見たんだ
女は最後まで男を愛せないだろう
ぼくは死ぬまで道路になれないだろう
ぼくは北国からやって来た
南国育ちの君のからだに歯形を付けるために
長い長い旅暮らし
夜には寝袋に潜り込み
ボーッボーッて寂しい息をする
うんとうんと 重たい靴をはくんだ
歩いているのが ぼくにもよくわかるように
一度始まれば もう終わりはない
地球の胸板に 顔を埋め
ゆうべ ロバになった夢を見た…
扉を開けばそこは北国
ぼくの吹雪の中を彷徨うのは誰だ
またいつか君のところへ
帰って行く日が来たらぼくが渡った川や
もぎとった取った季節の名前を
地図のように広げて 君に見せてあげるよ
大きな飛行機に乗っている夢でも見てるのかな
記憶と酒を取り替えたまま
地下街でまたひとり労務者が死んだ
法律よりも死の方が慈悲深いこの国で
死んで殺人者たちと愉快な船旅に出る
西灘の岸地通りにあった六畳一間のアパートに住んでいたことがあります。鍵なんてかけたこともない暮らしでしたが、部屋に帰ると、灯もつけない部屋で、勝手に上がり込んで、いつもこのLPを聞いていたK君という友達がいました。今でも彼の姿が浮かぶと聞くのがこの曲です。
作家の 諏訪哲史
の 「紋章と時間」(国書刊行会)
という評論集を読んでいて、懐かしいこの歌を「詩」として評価するこんな文章を見つけました。
この作家の言葉は、K君のように、この曲を繰り返し聴いた人の言葉だと思いました。そして、ぼくより十幾つか若いはずの作家が、そんなふうに、この曲を聞いていたということに、何だかドキドキするものを感じました。 世に「歌詞」と呼ばれているもの、それは音楽の付属物ではなく、音楽そのものだと僕は思います。詞、そしてすべての言語芸術は、一面、文字という空間的要素を持つものの、その本質は、折口の言語情調論を引くまでもなく、節や拍子の連なりから成る「持続」、つまり時間芸術であって、言葉を用いたあらゆる芸術は、極端な話、ドローイングや書道をも含め、まずは音楽に等しいものだと僕は考えます。
すべての言葉が音楽であるからには、そうした音楽らしい音楽を破壊する音楽もまた音楽で、とすれば、言葉もを毀す言葉もまた言葉であり、僕はこうした自壊と内破の力を孕んだ「言葉の正統から避けられた鬼子としての言葉」の中に、言葉の「美」もまたあるように思います。今回取り上げた言葉、本来リリカルな旋律を伴った詞であるこの作品は、ぼくにとってその意味で、まさに美しい日本語です。
うんとうんと重たい靴をはくんだ
歩いているのが ぼくにもよくわかるように
K君が神戸を去って 40 年たちます。ぼくは相変わらず神戸の街を歩いています。
友部正人
の「詩」は単独の詩集もありますが、 現代詩文庫(思潮社)
に 「友部正人詩集」
としてまとめられています。
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