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江戸 やはり近代短歌といえばこの人を外すわけにはいきません。ただ一人の「江戸」生まれでした。年齢は歌人が亡くなった時の御年です。下段のカッコは所収歌集、「クマ」は選んだ人です。
正岡子規 ( 1867 年―1902年 34 歳)
瓶にさす 藤の花ぶさ みじかければ たたみの上に とどかざりけり 「竹乃里歌」 クマ
明治 斎藤茂吉 が 石川啄木 よりも年上だったことに驚きました。 白秋 と 啄木 のこの歌は満票(二人の、ですが)でした。
斎藤茂吉 ( 1882 年― 1953 年 70 歳)
のど赤き 玄鳥ふたつ 屋梁にゐて 足乳根の母は 死にたまふなり
「赤光」 クマ
土岐善麿 ( 1885 年― 1980 年 94 歳)
あなたは勝つものとおもってゐましたかと老いたる妻のさびしげにいふ 「夏草」 チ
北原白秋 ( 1885 年― 1942 年 57 歳)
君かえす 朝の舗石 さくさくと 雪よ林檎の 香のごとくふれ
「桐の花」 チ・クマ
石川啄木( 1886 年 26 歳)
やはらかに柳あをめる
北上の岸辺目に見ゆ
泣けとごとくに
「一握の砂」 チ・ クマ
土屋文明 ( 1890 年― 1990 年 100 歳)
にんじんは 明日蒔けばよし 帰らむよ 東一華の花も 閉ざしぬ 「山下水」 チ
釈迢空(折口信夫) ( 1887 年― 1953 年 66 歳)
葛の花 踏みしだかれて、色あたらし。この山道 を行きし人あり
「海やまのあひだ」 クマ
大正 山崎方代 という人は 「ほうだい」 と読むそうですが、男性歌人です。「口語」というのでしょうか、ことばが「やわらかい」のが印象的です。
山崎方代 ( 1914 年― 1985 年 71 歳)
こんなにも 湯呑茶碗は あたたかく しどろもどろに 吾はおるなり 「右左口」 チ・クマ
清水房雄 ( 1915 年― 2017 年 101 歳)
三人の子三人それぞれにかなしくて飯終るまで吾は見てゐる
「一去集」 チ
森岡貞香 ( 1916 年― 2009 年 93 歳)
けれども、と言ひさしてわがいくばくか空間のごときを得たりき
「百乳文」 チ
塚本邦雄 ( 1920 年― 2005 年 84 歳)
日本脱出したし 皇帝ペンギンもペンギン飼育係も
「日本人霊歌」 チ・クマ
中条ふみ子 ( 1922 年― 1954 年 31 歳)
出奔せし夫が住むといふ四国目とづれば不思議に美しき島よ
「乳房喪失」 チ
前登志夫 ( 1926 年― 2008 年 82 歳)
この父が 鬼にかへらむ 峠まで 落暉の坂を 背負はれてゆけ
「霊異記」 チ
昭和(戦前) 寺山修司 の「レトリック」と、 岸上大作 の「清冽」が、二十歳の頃の「短歌」との出会いの記憶です。特に 岸上 の 「意思表示」 は単行本を買ったように思います。それにしても、21歳の「青年」だったのですね。
尾崎左永子 ( 1927 年 93 歳 存命)
とどろきて 風過ぎしかば 一呼吸 おきてさくらの ゆるやかに散る
「星座空間」 チ
寺山修司 ( 1935 年― 1983 年 47 歳)
海を知らぬ 少女の前に 麦藁帽の われは両手を ひろげていたり
「空には本」 チ・クマ
岸上大作 ( 1939 年― 1960 年 21 歳)
装甲車 踏みつけて超す 足裏の 清しき論理に 息をつめている
「意思表示」 クマ
昭和(戦後) 同時代の歌人ですね。人気の 俵万智さん や 加藤治郎さん が入っていませんが、 「新・百人一首」 には入っています。 チッチキ夫人 が 花山多佳子さん や 島田修二 の歌を選んでいるのに、何となく納得しました。
花山多佳子 ( 1948 年 72 歳 存命)
プリクラの シールになって 落ちてゐる むすめを見たり 風吹く畳に
「空合」 チ
島田修三 ( 1950 年 69 歳 存命)
ボケ岡と 呼ばるる少年 壁に向き ボールを投げをり ほとんど捕れず
「晴朗悲歌集」 チ
永井陽子 ( 1951 年― 2000 年 49 歳)
ひまはりの アンダルシアは とほけれど とほけれどアンダルシアのひまはり
「モーツァルトの電話帳」 クマ
水原紫苑( 1959 年 61 歳 存命)
われらかつて 魚なりし頃 かたらひし 藻の蔭に似る ゆうぐれ来たる
「びあんか」 クマ
穂村弘 ( 1962 年 58 歳 存命)
サバンナの 象のうんこよ 聞いてくれ だるいせつない こわいさみしい
「シンジケート」 チ・クマ
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