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あだなりと名にこそたてれ桜花年にまれなる人も待ちけり 謡曲の 「井筒」 で 紀有常女 が謡う(これでいいのかな?)和歌はこんな短歌でしたね。 「古今和歌集」 巻1、春の部に 「さくらの花のさかりに、ひさしくとはざりける人のきたりける時によみける」 と詞書があって 「読み人知らず」 として載っていて、これに対する返歌が下の和歌です。
けふ来ずはあすは雪とぞ降りなまし消えずはありとも花と見ましや 面白いことに、こっちには 在原業平 という読み手の名前が出てきます。 「伊勢物語」 の十七段に、二つの和歌の 「詞書」 も、まんま出ていますから、そっちが先でしょうか。
「どうしようかな?」 だったのです。
「あだなり」 の和歌が、コロナ騒ぎのステイホームで読んでいた一冊にジャストミートしていたのです。 「井筒」 と聞いて、そこだけ、なんか知ってるぞと思いだしたのがこの本です。
うすべにの けだものなりし いにしへの さくらおもへば なみだしながる なんていう現代短歌の歌人で、 三島由紀夫 に見出されたということが妙に有名な 春日井健 という歌人の お弟子さん です。
しき嶋のやまとこころを人とはは、朝日ににほふ山さくら花 彼女に言わせればこうなります。
「ここには『枕の山』のような無邪気さが無い。これ見よがしな、いやなうたである。」 と、まあ、きっぱりと切って捨て、こう言い加えます。
「まして、宣長のあずかり知らぬこととはいえ、太平洋戦争末期の1944年10月、最初の特攻隊が、この歌から「敷島隊」、「朝日隊」、「山桜隊」と命名されことを思うと、やり場のない憤怒を一体どうしたらいいのだろう。」 ぼくは、彼女の歌には当然漂っているわけですが、このナイーブな言い切りの、気っぷのよさのようなものが好きなのですが、現代口語短歌に対する評価も、シャープだと思います。
さくらさくらさくら咲き始め咲き終わりなにもなかったような公園 俵万智 例えば 俵万智 のこの歌についても、こんなふうにいっています。
「文体こそ口語だが、内容は王朝和歌そのままで、桜の加齢と空虚を簡潔に言い当てている。」
「 俵万智 については、只者ではない実力はわかったが、基本的に健康な世界観が、死や破滅が大好きだった私とはあわなかった。」
「キバ」「キバ」とふたり八重歯をむき出せば花降りかかる髪に背中に 穂村弘 人気の現代歌人、 穂村弘 のこの歌に対してはこうです。
「もうすぐ私たちは死んでしまうのに、こんな子供みたいなことを言ってどうするのだろう、と思った。」 ね、この視点です、ぼくが好きなのは。もっとも、この疑問に 穂村弘 はこう答えたそうです。
「僕たちは死なないかもしれないじゃないか。」 まあ、この返事をする 穂村弘 も好きなのですよね。 というわけで、今回も 「ネタ本」系 なのですが、最近の読書報告ということでバトンを引き継ぎます。 YMAMOTOさん よろしくね。 (Simakuma・2020・08・17)
追記2024・02・02
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