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この作品はストーリーらしいストーリーもなく、そしてかなり長いのに、なぜか最後まで読者を引っ張っていく力を持っている。
今回、漫画にしながら確かめてみると、、 太宰 が 落語の「振り」と「落ち」の手法 を使っているように思えた。
大きなところでは「富士山」と振って「月見草」と落とす。「見合い話」には「あくびの花嫁」。小さなところでは、「娘さんが太宰と二人きりを怖がる」に対し、「娘さん一人のときの客には太宰が用心棒」。「聖のような僧」には「犬に吠えられて逃げる」等々、実に丹念に工夫している。
まあ、その通りなのですが、実はこの解釈は 「飽きずに読める」
理由の一つに過ぎないともいえるわけで、高校生はこういう手法に気づいたからと言って飽きないわけではありませんし、とどのつまりに 「富士には月見草がよく似合う」
とかいわれても、納得するわけではありません。そのあたりが高校教員の悩みなわけで、教室では 「往生しまっせ」
という記憶しかありません。
『「語る」とか「書く」とかいう行為の主体、まあ、「書き手」の「意識のうねり」のようなものが、文章化されていて、その大小の波に乗ってみることが「読む」ということかもしれないね。』
なんていうことを口走って、その場をしのごうとして、しのぎ切れなかったのですが、今思えば、 太宰
のこの作品は、小説そのものなのかもしれませんね。
太宰治
という作家には、ちょっと信じられないくらいのファンがいらっしゃって、 斜陽館
とかに、何度も行ったことがあるというような同僚もいましたが、そういう、熱のこもった話には、ちょっと引き気味だったぼくには、このマンガぐらいが、丁度、ぴったりという感じで、面白かったですよ。
特に、若い方で、高校とかで教えようとかという人にはいいかもしれません。まあ、読んでみてください。
追記2022・01・30
最近 太宰
のお孫さんが小説家としてデビューなさって書かれた作品を、ほとんど興味本位に読みました。お母さんと娘の葛藤というか、亡くなった母親とのつながりの再確認というか、そんな話でした。 石原燃
という方の 「赤い砂を蹴る」
という作品でしたが、 太宰
の孫で、 津島佑子さん
のお嬢さんなわけで、下世話な感想で申し訳ないのですが、なんだか大変ですね。
書かないではいられない 「血」
のようなものがあるのでしょうか?まあ、そんなものがあるわけはないのですが、 太宰
のファンには小説を書きたがる人が、まあ、 山本おさむさん
の場合はマンガですが、多いような気はしますね。「才能があるというのは、その才能に向かって生きてしまうことだ」とか何とかいうような言葉を学生のころ聞いたことがあるような気がしますが、それなら、まあ、いろんなことがしようがないような気がしたのを一緒に覚えています。書かないではいられないというのは、まあ、才能の端緒のようなものなのでしょうね。
投稿を修繕していて、何だかわけのわからないことを書いてしまいました(笑)。
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