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ぼくは 一九八二年八月 から 一九八四年三月 までの一年半、家族(妻と当時四歳の娘)とともに、 タンザニア の セレンゲティ国立公園 に滞在した。そこは、日本人が抱くサバンナのイメージの、原風景のようなところだろうか。 「セレンゲティ」 とは マサイ族の言葉 で 「果てしなく続く平原」 。(P7) で、ページを繰るとこの風景でした。
サバンナでは、 」読み終えて、この写真のページを広げて、キャプションを読み直しながら、本書を通じて、若き日の 岩合光昭 というカメラマンが 「見ること」 、 「写すこと」 によって育ててきた 「視力」とは何か 、 「見る」とは何か という問いを、繰り返し問いかけ続けていたのだとようやく気付きました。
あなたの視力が試される。
娘が小学校三年の時、オーストラリア・カンガルー島の牧場で九か月ほど住んだ。そのとき、ヒツジが日がな一日草を食んでいるので、ぼくは彼女に 「ヒツジさんて、なに考えてるんだろうね」 と尋ねた。すると娘は 「草だよ。草しか見てないよ。」 確かに動物は食べることしか考えていないに違いない。ぼくは思わず「深いな」と感心してしまった。(P120) で、続けて浮かんだのが、こちらです。
やはり娘が四歳のときのこと、チータがトムソンガゼルの幼獣を襲うのを目撃した。チータは三〇分とかからず、瞬く間にそれを食べて、後には骨と皮だけが、まるで抜け殻のように残った。ぼくは車を降りて、娘に 「ほら、皮だけだよ。コムソンガゼルのお母さん、まだあそこで見てるよ。かわいそうだね。」 彼女は 「かわいそうだね。でもまた産みゃいいさ。」本書の最後の見開き写真です。草原の トムソンガゼルの母子 でしょうか?
ぼくは目が点になった。
そうか、また産みゃいいのか・・・・ (P88)
セレンゲティは滅びず。
幼いお嬢さん
の言葉に驚く、見ることのプロ!カメラマンの 岩合光昭
の様子が、とても印象的で、納得でした。アフリカの野生動物やオーストラリアのヒツジを見ているお嬢さんとお父さんの 「見方」の違い
が、わかった気になって世界を見ている自分に気づかせてくれます。
生まれたばかりの赤ん坊に見えていた世界を、どんどん失いながら 「賢くなっていっている」
と思い込んで、結局、 「見たいもの」
や 「わかること」
しか見ることができない、ジコ満足の 「愚か者」
に自分がなっていることに、 「そういえば・・・」
、という思い当たる節があれこれあります。
写真家岩合光昭
の 「猫の写真」
の面白さの理由の一つは、どうもこの辺りにあるようですね。
ナルホド!ナルホド!
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