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目次 村上春樹 と 柴田元幸 の翻訳談義は、この 「翻訳夜話1・2」(文春新書) のあと、 柴田元幸 がやっていた、たしか「モンキー」という文芸誌で繰り返し対談していて、それを本にした 「本当の翻訳の話をしよう」(新潮文庫) とか、最近では 「村上春樹翻訳ほとんど全仕事」(中央公論新社) とか、たくさんあります。
ライ麦畑の翻訳者たち―まえがきにかえて(村上春樹)
対話1 ホールデンはサリンジャーなのか?
対話2 『キャッチャー』は謎に満ちている
『キャッチャー・イン・ザ・ライ』訳者解説(村上春樹)
Call Me Holden(柴田元幸)
あとがき 柴田元幸
だから君も他人にやたら打ち明け話なんかしない方がいいぜ、なんて最後の最後に言ったけど、ほんとそのとおりで、あんな話書いちまったものだから、あれからもう五十年以上、要するに君はあの本で何が言いたかったんだいとか、あの話に全体について君はいまどう感じているんだいとか、ろくでもない質問を僕はさんざん浴びせられてきた。そんなこと、答えられるわけないよ。何が言いたいかわかっていたら、何もあんな長い話なんかせずに、はじめっからそれを言ってしまえばいいわけだし、あの話についてどう感じるかって訊かれたって、語ってしまったからにはあれはもう僕だけの話じゃなくて君の話でもあるわけで、君はどう感じているんだいってこっちが訊きたいくらいなのに、そういう質問する人に限って、だってこれは君自身の物語だろう、君自身のことは君がいちばんよくわかってるはずじゃないか、なんて言ったりする。それって物語について、というか人間について何か勘違いしてるんじゃないかな。語ることで、君は君自身から隔たってしまうんだよ、よくも悪くもね。嘘だと思ったら、君もやってみるといい。だけどそうは言っても、そうやって語って、自分自身から離れてみることでしか、自分に近づく道はない気もする。よくわからないんだけどさ。(P226) まあ、こんな感じです。ここから、 ハックルベリー を経由して、 ラルフ・エリスン、フィリップ・ロス へと展開していくところが、まあ、東大なのですが、おもしろいのは 「君」の使用法 と 「語り」 に関する言及ですね。「キャッチャー」でホールデンが語りかける「君」とはだれかというのは、小説の話法としてかなり重要な問題ですが、誰なのでしょうね?アメリカ現代文学を引っ張り出してきて、 柴田 が語ろうとしていることのポイントの一つがそこにあるんじゃないでしょうか。まあ、それ以上は、お読みいただくほかありませんが、引用部だけでもかなり面白いことをいっていると、ボクは思うのですね(笑)。
小説について、ああでもないこうでもないと話し合うことは、今日ではだんだん少なくなってきているかもしれない。この本がそういう流れを少しでも逆転させることができたら、こんな嬉しいことはない。(P246 ) とおっしゃっているのを読んで、チョット、感無量でしたね。こんなふうに思っていたこともあったなあ。でも、疲れちゃうこともあるんですよね(笑)。
追記
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