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「骨肉の争いと武田の奇襲戦」(51章) 美濃の国主は斉藤道三であるが、彼は蝮と異名される稀代の策士であった。 北条早雲らと並ぶ下克上大名の典型で、僧侶から油商人を経て、ついに戦国大名にまで成り上がった人物である。 道三は美濃の国主として天文二十三年(一五五四年)まで君臨した後、倅の義竜に家督を譲り稲葉山城から鷺山城に移り隠居した。 しかし道三は義竜よりも、その弟である竜元や竜之らを偏愛し、ついに義竜の廃嫡を考え始めたのだ。 道三と義竜の不和は顕在化し、弘治元年(一五五五年)に義竜は弟達を殺害し、父の道三に対して挙兵した。 弘治二年四月二十日、斉藤道三と倅の義竜が長良川河畔で対陣した。 鷺山城から出兵した道三の総勢は三千名と少なく、対する義竜は一万八千の大軍を擁し、兵力に大きな隔たりがあり、道三は最後を悟っての出陣であった。 合戦の原因は色々と憶測されるが、道三が義竜を廃嫡しょうとした事も原因の一つであるが、義竜の実の父が前国主、土岐頼芸と知っての反逆説もある。 頼芸が己の愛妾であった深芳野(みよしの)を道三に下げ渡した時には、すでに深芳野は頼芸の胤を宿しており、生まれた男子が義竜であったと云われているが、その根拠はない。土岐頼芸は大兵の武将で知られており、義竜も成人するにつれ、体躯が大きくなり、道三は自分の倅でないと疑惑を抱くようになった。 そうした事で父と嫡男に決定的な亀裂が生じ、今回の合戦騒ぎとなった。 朝靄でかすむ早朝に両軍は戦端をひらいた、道三配下の鷺山勢は全員が道三に心服しており、海千山千の道三の果敢な指揮で鷺山勢は、圧倒的な大軍に対し、屍を晒し猛烈な抵抗をした。彼等は冥土に行かんとする死兵の群れであった。 その中には道三に随行して美濃に来た、股肱の臣下も数名雑じっていた。 斉藤道三は、元家臣の小真木源太を見つけ、大声で叫んだ。「源太、わしじゃ。道三じゃよ」 小真木源太は突然に名前を呼ばれ、ぎよっとして振り向き身を凍らせた。 隠居した前国主の道三が鎧姿で頭巾を被り、床几に腰を据えていたのだ。「朝からの合戦で疲れ果てた。そちに我が首をやろう」 道三が寂びた声を挙げた。「滅相も御座いませぬ」 今は敵味方に別れてはいるが、なんせ旧主である。 小真木源太は尻込みした。「早うせねば、わしの首は雑兵に盗られてしまうぞ」 ニヤリと破顔した斎藤道三が槍を構えた。 こうして小真木源太に首を授け、波乱の生涯を閉じた。 山本勘助の予見が満々と真実と成った瞬間である。 この合戦で美濃、尾張同盟は破れ、信長の美濃攻略に弾みがつくのである。 道三は織田信長の武将としての器量を見抜いた人物であり、それ故に娘の濃姫を嫁がせ、美濃の豪族は信長の馬前に、轡を並べると予言していたのだ。 この合戦で明智勢も道三の味方となり、明智城は落城し光秀の流浪が始まるのであった。何か運命的なものを感ずるのは筆者一人であろうか。 こうした激動期のなかで武田家の宿敵である、越後の国主長尾影虎は苦悩の日々を過ごしていた。 武田家との熾烈な戦いの決着がつかないおりに、領内の豪族達は些細な領土争いを繰り返し、影虎の仲裁で治まったかと思えば、直ぐに調停に不服な者が現れ争いを始める有様で、影虎は国主の座を明け渡し、真剣に高野山に隠遁しよぅと考え、一方的に引退を宣言をした。 これは姉の夫である長尾政景(まさかげ)の説得で思い止まったものの、彼は毘沙門堂に籠もり、祈祷の日々を過ごす事が多くなった。 そんな時期に山本勘助の調略が功をそうしたのだ。越後の有力な武将で財務官僚として名高い大熊朝秀が、一門を引き連れ武田方に寝返ったのだ。 これも領土紛争から端を発した事であった。影虎の隠退を引きとめようと政景が春日山城に諸将の連署と人質を要求した。 これは家臣の団結と影虎への忠節を謀ろうしたものであったが、大熊朝秀にとっては不服であった。 彼は一族と共に越中まで逃走したが、長尾勢の追撃にあって西頚城郡(にしくびきぐん)の駒帰(こまがえり)の地で合戦となり敗れて船で逃走した。 これは影虎にとり打撃であった。大熊朝秀は越後勢の陣法を知り尽した武将である、これが武田家に筒抜けと成れば大事件である。 急遽、新しい陣法に改める必要に迫られた。 大熊朝秀は甲斐に逃げのび、武田の武将として仕える事となった。 この頃、尾張でも骨肉の争いが始まっていた。信長の弟である信行擁立を謀った柴田勝家、林秀貞の軍勢二千と信長勢が、稲生付近にある小田井川で激戦となり、信長方が勝利した。信行(のぶゆき)は居城の末森城に籠城し、抵抗を続けたが、母の土田御前の取りなしで兄弟は和睦した。 こうして尾張も国主の座をめぐって嫡男と次男の争いが始まり、故信秀の股肱の重臣を巻き込んだ戦いとなっていたのだ。 織田家の内戦は翌年を持って終るが、武田晴信と長尾影虎との合戦はまだ、これから本格的に続くのであった。 弘治三年(一五五七年)となった。古府中の躑躅ケ崎館では盛大な新年の祝い が催されていた。新たに武田家の武将となった大熊朝秀も招かれていた。 「勘助、今年の戦初めはいつ頃と考えておる?」 晴信が上機嫌に訊ねた。「越後はまれにみる豪雪と聞いておりますれば、初戦は二月と考えております」 勘助が隻眼で一座を眺め廻した。「早いのう、二月か・・・・・何処に向かう」 晴信が杯を手にし勘助を見つめた。 一座の武将達も勘助に視線を移した。 「皆さまの視線がきつうござるな」 勘助が杯を干し、策を披露した。「葛山衆の葛山城を占拠いたしまする」「何と・・・」 一座の武将から声が洩れた。「善光寺北方の山岳地帯にござるな」 飯富兵部が訝(いぶか)しげに訊ねた。その一帯は第二次川中島合戦の折り、今川家の調停で、越後勢に譲り渡した一帯で今は越後の勢力圏にある。「二年前に失いました、犀川以北の回復策とお考え下され」「今川殿の調停で越後勢に加担いたした北信濃の豪族共に与えた一帯ですな」 真田幸隆が感心の面持ちで、勘助の異相な顔をみつめた。「葛山城の落合備中守を倒せば、上水内郡は全て武田家の勢力圏となります」「また、越後勢が出て参るかの」 老将の原虎胤である。「雪を掻き分け善光寺に現われる頃には、全て終える積りにございます」 勘助が平然とした口調で述べた。「では、越後勢とは戦わぬと仰せか?」 馬場信春である。「御屋形と拙者の考えは一致いたしております。越後の若造、常に有無の一戦で臨んで参ります、下手をうてば我等は大怪我を被ります。勝てると踏むまでは石橋を叩いて臨む覚悟」「悪戯に越後勢とかかずっておっては、我が武田家の威信に傷がつく」 珍しく武田典厩信繁が声を高めた。 改訂・武田源氏の野望(1)へ
Aug 31, 2014
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「妄執の中で生きる」(50章) 河野晋作の様子に気づき、信虎が顔の前で手を振った。「そう大層な事ではないし、その方には関係がない」 信虎が黙然と思案していたが、弥五郎の若々しい顔を見つめ、「弥五郎、そちにも来年から任務について貰うことにいたそう」「大殿、本当にございますか、待ちくたびれましたぞ」 弥五郎の顔が輝き喜びの色に染まった。「わしは、そちを岡崎城詰めに推挙しょうと思う。そこでもどき殿の上洛の道筋を探りだすのじゃ、小勢で大軍を襲うに適した地形をな」 信虎が弥五郎を見つめ、低い声で任務の内容を諭すように述べた。「前から大殿のお考えをお聞きいたし、それなりに考えましたが、矢張り自分の眼で確かめねば納得が参りませぬ」 「三河から尾張に入る国境に近い好地を探るのじゃ」「赴任の暁には心いたし探索いたします」 弥五郎が厳しい顔に変貌し、信虎に違約しないことを約している。 二人の会話を耳にした河野晋作が、驚愕した顔つきで訊ねた。「大殿は義元に上洛を勧め、道筋を信長に知らせる積りにございますか?」 「そうじゃ、わしは甲斐のためなら何でも遣る」 信虎がぐびっと大杯を飲み干した。 「深慮遠謀な策にごさいますな」「何事も早く小事から始めねば成功などせぬ」 信虎がたるんだ頬を崩し嘯いた。 「その事は御屋形さまもご承知にございますか?」 「晴信は知らぬが山本勘助は承知いたしておる」 武田忍びの頭領、河野晋作が魔物をみるような顔をした。 「大殿、これからのわたしの努めは如何なります?」 お弓が眼を輝かして訊ねた。「暫く休んめ、わしの傍に居るのじゃ」 「伽(とぎ)だけせよと申されますか」 お弓が顕かに不満顔をした。「馬鹿め、わしには女子は不要となったのじゃ」 信虎の顔に複雑な色が刷かれた。「大殿は男を捨てられ、坊さまでも成られますか?」 お弓が信虎を揶揄った。「そのような問題ではない、もう女子を抱くことが出来ぬのじゃ」 心なしか、信虎の顔色が優れなくなっている。「今宵は、わたしが慰めてやりましょう」 お弓の眸子が輝き、媚薬に似た色が濃く浮かんだ。「もう、わしに構うな」 信虎が顔を火照らせ怒声を挙げた。 信虎は妄執のなかに住んでいた。突然、一物が起たなくなったのだ。 その時の衝撃は、女子なんぞに分かるものか。 硬く青筋を起てた一物から硬度が失せ、萎びた男根に成った時の驚き、最早、雄ではなくなったのだ。 温かく柔らかな女の裸体を二度と抱けぬのじゃ。豊かな乳房、尻、妖しい女体の曲線、嬌声と甘美な吐息。女陰の潤いと狭間の感触もだ。 何度も煩悶し、侘しさを堪えたことであろうか。 今のわしの願いは武田家の御旗を京に立てる事じゃ、己が六十一才の老人となった実感を改めて感じていた。 二人の会話を無表情に聞いていた、河野晋作が信虎に声をかけた。 「大殿、美濃が騒々しくなったと報告がございます」「美濃、・・・斉藤道三がどうかいたしたか?」 信虎が眼を光らせ、河野晋作がそれに応じた。「確たる答えは出来かねますが、なんとのうきな臭うございますな」 「美濃の蝮も耄碌いたしたか」「そのような風聞が聞こえて参ります」 「倅の義竜では美濃を治めるのは無理じゃ」 信虎はお弓から聞いた勘助の伝言を思い出していた。「美濃は織田信長にござるか、我等は総力をあげ信長の動きを探ります」 「そういたせ。河野、失敗は許さぬぞ・・・・お弓、酌じゃ」 信虎が大杯を差し出し、お弓が信虎の躯にすり寄り酌をした。 しっとりした女体の感触が衣装ごしに感じられるが、信虎の躯はなんの変化も起こる兆しも見せなかった。 「お弓、そちをわしの傍に置くのには訳がある。もどき殿の様子が知りたい、そちなれば忍び込むのに造作もあるまい」 「殺しますのか?」 お弓が平然とした態度で驚くことを訊ねた。「それは成らぬ。奴は信長の手で冥途に行ってもらう」 信虎の顔が魁偉に歪んだ。 「誰に殺されようと同じではありませぬか」「事がばれたら今川家が武田家の強敵となろう、それは避けねばならぬ」「判りませぬ」 お弓か解せぬ顔つきをしている。 「熟柿が落ちるように駿河の地は、武田家が受け継ぐのじゃ。そうせねば武田家は上洛できぬ」 信虎の言葉にお弓が怪訝な顔をした。「女子には判らぬ。親類縁者として武田は今川家の上洛を助けるのじゃ」 川田弥五郎と河野晋作が、信虎の言葉に興味を示している。 小林兵左衛門が居眠りをはじめた、かってはこの様な男ではなかった。 剣の遣い手で知られた男であったが、駿府に来て武者働きもさせず過ごさせた為じゃ。(兵左衛門、済まぬな) 信虎は胸の裡で小林兵左衛門に詫びていた。「誰ぞ、兵左衛門を寝室に連れてゆけ」 川田弥五郎と河野晋作が、小林兵左衛門を伴い引き下がって行った。 「大殿、今夜はわたしが添い寝をいたしますぞ」「お弓よ、先刻も申したが添い寝は無用じゃ」 思わず信虎が苦笑を洩らした。「わたしは大殿が好きじゃ。だからご一緒に眠りたいのです」「困った女子じゃ、そちは勘助が好きであろうが」 「勘殿からは女の喜びを教えられましたが、心から好きなお方は大殿じゃ」 お弓が隠す様子もなく平然と勘助との関係を告げた。 判らぬ女子の心と肉体は、これが信虎の本心であった。 「もう少しわしは飲みたいのじゃ、そちは好きなようにいたせ」 信虎は武田の木曽平定を祝い、一人で喜びに浸りたかったのだ。 この弘治の年代は三年で終るが、この時代は勘助の思惑どおり尾張と美濃で大きな時代のうねりが生じ始めていた。 改訂・武田源氏の野望(1)へ
Aug 27, 2014
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「木曽、福島城を陥す」(49章) 武田勢は直ぐに先鋒部隊が出撃した。総大将、真田幸隆。 副将、山県三郎兵衛が率いる、三千名の精鋭である。 目的地は犀川を渡河し、越後の勢力圏に位置する旭山城であった。 七月十九日、甲斐、越後の両軍が犀川をはさんで対陣した。 対岸の越後勢は毘の旗指物を風に靡かせ、堂々たる陣形をみせている。 盛んに母衣武者が騎馬を駆って陣営を巡っている。 「矢張り見事な陣構えじゃ」 勘助が犀川の岸辺に馬を寄せ越後勢の全容を眺めている。 本陣と思われる場所に大将旗の「毘」と「龍」の大旗が翻っている。 勘助の作戦どおり越後勢は、背後の旭山城の存在が邪魔で動けず、河畔での小競り合いに終始した。 影虎は矛先を変えて旭山城に攻撃をしかけたが、武田勢には鉄砲、弓隊が充分に籠もっており、越後勢の攻撃は難戦を極めた。 さらに守将の真田幸隆の巧みな采配で越後勢は近寄る事も出来ず、影虎は切歯扼腕していた。 この度の景虎の出兵は天文二十四年(弘治元年)に、信濃の善光寺国衆の栗田寛明が武田方に寝返り、善光寺平の南半分が武田家の勢力下に置かれ、善光寺以北の長尾方諸豪族への圧迫が高まっていたのだ。 その解決を図る為の出兵であった。この合戦を第二次川中島合戦と言う。 別名、犀川の合戦とも言われている。 対陣すること二ヶ月、武田本陣に馬場信春、内藤昌豊、原昌胤等が続々と参集していた。本陣には緋の陣羽織を纏った晴信が床几に腰を据え、傍らに勘助が控えていた。「いよいよ木曽攻めに懸かりますぞ」 勘助が晴信に伝えた。「勘助、そちの思うがままにいたせ」 晴信が表情も動かさずに短く言葉を発した。「遅くなり、申し訳ございませぬ」 遅参した小山田信茂と望月甚八郎の両将が姿を現した。 「今より軍議を行います」 勘助が立ち上がった。「馬場殿、ご貴殿は先鋒となり軍勢五千名を率い、福島城を包囲願いたい。決して合戦に及んではなりませぬ、御屋形が本隊を率い参陣するまで蟻一匹とて逃さぬよう心がけて下され」 「畏まりました。されどこの策が木曽勢に洩れることはござらぬか?」「洩れて待ち伏せに遭ったならば、合戦に及んで頂きます」 勘助が有無を言わせぬ口調で断言した。 馬場信春が不敵な面魂をみせ拝跪した。こうして越後勢に悟られる事もなく、武田勢の先鋒隊が福島城に向って出撃した。 武田勢の標的の福島城とは、長野県木曽郡木曽町にあった山城である。 その地域を冠して木曽福島城とも呼ばれていた。 併し、武田勢の侵攻は木曽勢に察知されていた。 木曽勢は完全に裏をかかれた。 まさか川中島で越後勢と対陣している武田勢が押し寄せて来ようとは、考えてもいなかったが、物見が偶然に発見したのだ。 塩尻峠から木曽方面に侵攻した武田勢は、福島城の支城である贄川城からの攻撃を受け激戦を制し、敵将の千村俊政を投降させた。 報せを受けた木曽義康は、鳥居峠に陣を構えていたが、贄川城の降伏を知り、一戦も交える事なく福島城に逃げ戻り籠城した。 明けて八月二十一日、晴信率いる武田の本隊が鳥居峠を越えて福島城に現われた。 諏訪法性と孫子の御旗が風に靡き、百足衆が縦横に駆けている。「御屋形、木曽親子を如何なされます?」「余が欲しいのは領地じゃ、親子の命は奪わぬ。余の臣下と致す積りじゃ」「良き、ご思案かと存じまする」 木曽義康はこの大軍をみて抗戦を諦め開城、投降したのだ。こうして木曽は武田家に臣従することになる。木曽義康は娘を人質として古府中に送り、倅の義昌は晴信の娘を娶る事になった。 ここに木曽義仲の血筋を引く名門は没落し、木曽源氏は甲斐源氏の一門衆と成り、勝頼の代までその関係が続くことになる。 晴信と勘助の策は見事に成功し、武田勢は軍勢を返し越後勢と対峙した。 当然、影虎にも木曽攻略の知らせはもたらされているが、戦局打開のないまま睨みあいが続いた。勘助の許から平蔵が駿河に向かった。 両家の睨みあいは二百日にも及び、補給線の長い武田勢も影響が出ていた。 越後勢も越中の一向門徒衆の雲行きが怪しくなり、国元の豪族にも不穏な動きが見られ、和睦を模索していた。 平蔵は今川義元に調停を依頼するために、信虎の許に向かったのである。 既に信虎から聞いていた義元は、直ちに長尾影虎に周旋の使者を遣わした。 影虎の要求は、北信濃の豪族、高梨政頼と井上清政の旧領回復と旭山城の破却の二条件であったが、晴信はそれを飲み和睦が成立した。 武田勢は旭山城を打ち壊し古府中に軍勢を返し、影虎も越後に帰国して行った。 これが第二次川中島の合戦であるが、影虎はまんまと武田家に木曽を制圧さ れたのだ。こうしてみると武田の戦略の巧さがきわだって見える。 駿河の隠居所である。信虎を上座として小林兵左衛門、川田弥五郎にお弓と武田忍びの頭領の、河野晋作が加わって酒宴がしめやかに開かれていた。 信虎は常の如く大杯を呷っている。彼の魁偉の容貌が今夜は和んで見える。 武田の信濃制圧を河野晋作から知らされた日に、今川家の至宝とも言うべき太原崇孚が死去したのだ。とうとう我が策がなったか、それを思うと嬉しさが倍増する。これも、お弓の大手柄であった。 閏十月十日に太原崇孚は、六十才で長慶寺で没した。その五日後の十五日に武田家は、長尾家と和睦を結んだ。「今年は良き年が越せそうじゃ」 「大殿、わたしの手柄ですぞ」 お弓が美味しそうに酒を啜り念を押している。「判っておる。そちが勘助に言われた事じゃが、織田信長と斉藤義竜の二人には注意を注がねばならぬな」「あい、ですが小十郎が見張っておりますぞ、何かあったら知らせが参ります」「そうじゃな、ところで河野」 信虎の声に河野晋作が無表情な顔をあげた。「越後の豪族たちの調略は進んでおるのか?」「はい、越後とは面白き国にございます。未だに豪族共は領土紛争に明け暮れ ております、来年には必ず一人くらいは武田家に寝返らせる積りにございます」「わしも気張らずばな、雪斎亡き今が絶好期じゃ。もどき殿をけしかけ上洛を勧めてやる、今の今川家の勢力は以前に増して大きくなった。今は尾張の国境まで勢力を拡大いたしておる」 「そうでございますな、鳴海城、大高城も勢力圏にございますな」 河野晋作が老醜の滲みでた信虎の顔を盗み見ている。 改訂・武田源氏の野望(1)へ
Aug 25, 2014
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「景虎と対陣中に木曽を討つ」(48章) (乱世の序曲) 年号が改まり弘治元年(一五五五年)となった。 いよいよ戦国乱世の中が沸騰しはじめたのだ。領土争いが激化し、肉親、相食む様相を呈し始めた。 勘助の思惑どおり尾張領内は、織田一族の内乱状態となっていた。 前年の七月に尾張守護の斯波義統(しばよしむね)の居城である清須城を、守護代の織田信友が襲い、斯波義統は自刃して果てた。 彼の嫡男の義銀(よしかね)は那古野城(なごやじょう)の信長に助けを求めた。信長にとって悪い話ではない、彼は叔父にあたる守山城主の織田信光と共謀し、清須城に籠る織田信友を攻め滅ぼし、信光を守護代にし、尾張下四郡を任せるという約束であったが、信長は約束を反故とし、尾張の中心地である、清須城を居城として本格的に尾張統一をめざし始めた。 時に信長二十二才の時で、未だ頭角を現す前の出来事であった。 尾張一国は守護職を巡って、骨肉同士の争いの場に成り下がっていた。 四月、突然、武田家の武将達は躑躅ケ崎館に参集を命じられた。 主殿に呼び出された武将達が左右に居並んでいる。 晴信が魁偉な風貌ながら、涼やかな眼差しをみせ座所に姿を現した。 彼は三十五才となり、徐々に体躯に肉がつき貫禄が一段と増していた。「さて此度(こたび)の参集には特別の意味がある」 声にも自信が満ち溢れ、武将達は沈黙し晴信の次ぎの言葉を待った。「越後の長尾影虎、三月二十三日に秘かに春日山城を出陣したとの事じゃ」 その言葉に座所がざわついた。「またもや越後勢、懲りもせずに我等に牙を剥きますか?」 原虎胤が禿げ頭を光らせ凄味のある声を発した。「今回の我が家の戦略は勘助から述べさせるが、皆も意見があれば申せ」 晴信が勘助に視線を移し策を述べるように促した。「各々方に申しあげます。今年一年は合戦の絶える時はありませぬ、ただいま御屋形の申された通り、越後の精兵八千名が善光寺に向かい富倉峠の飯山口から南進いたしております」 勘助が隻眼を光らせ一座を眺め廻した。「軍師殿、矢張り決戦は川中島にござるか?」 宿老筆頭の飯富兵部がおもむろに訊ねた。「我等は決戦を避けます」 「なんと合戦をせぬと申されるか?」 飯富兵部が驚きの声を洩らした。「善光寺西北の越後の最先端にある、旭山城が我等に内通いたしました。その旭山城に精兵三千名を籠城させ、越後勢の犀川渡河を阻止いたす」 勘助が平然と乾いた声で告げた。「旭山城が我等に降ったとは真の事か?」 典厩(てんきゅう)信繁が静かな口調で訊ねた。「真の事にございます。善光寺の別当、栗田寛明を調略いたしました」「これは驚きじゃ」 一座の武将達が驚きざわめいた。「我等は古府中の本軍と信濃各地の軍勢と上田にて合流いたし、犀川河畔に陣を構えます。総勢一万二千名と見積もっておりまする」「軍師殿、越後勢の兵力も同じかとみますが決戦は避けられますか?」 歴戦の武将の馬場信春が疑問を呈した。 馬場信春の危惧は今迄、越後勢と本格的な合戦をしたことがなかった。 小競り合いか睨みあいで終わっていたのだ。「それ故に旭山城に三千名の兵を籠めます」「犀川を渡河しょうとすれば、腹背から我等の攻撃を受ける事になりますな」 越後勢が犀川を渡河する場合は、対岸に布陣する武田の本軍と共同し、飛び道具で越後勢に対抗する戦術を勘助は考えていた。 馬場信春が勘助の作戦の巧緻さに合点し頬を崩した。「御屋形の狙いは他にございます。戦線は膠着いたし睨みあいと成りましょう、我等はその隙を狙い、軍勢を割いて秘かに本隊を木曽に向けます」「なんと木曽に軍勢を向けますのか?」 甘利昌忠が驚きの声をあげた。 一座の武将達も驚いた。対戦相手はあの越後の龍、長尾影虎である。「左様、我等は各地の軍勢をかき集め木曽義康、義昌父子の守る福島城を攻略いたす」 そう述べた勘助の脳裡に葛尾城で遭った、お弓の端正な顔が過った。「驚いた戦略じゃ」 さしもの真田幸隆も驚嘆の面持である。「余は今回の合戦で木曽を攻略し、信濃平定を終りとする覚悟じゃ」 勘助に代わり晴信が自身の覚悟を顕かとしたのだ。「越後勢とは小競り合いの戦いとなりましょうが、影虎はしぶとい。長引けば駿河の今川義元さまに調停を願う積りにございます」 晴信に代わって勘助が、一座の武将達に今後の対策案述べた。「今川家は受けますか?」 板垣信憲がすかさず疑問を呈した。「駿府の大殿にお願いしたら快諾を頂いた。それに三国同盟もござる、ご安心下され」 勘助が隻眼を光らせ断言した。 勘助の言う三国同盟とは、甲相駿(こうそうすん)同盟の事で天文二十三年(一五五四年)に結ばれた日本の戦国時代における、和平協定のひとつである。 甲相駿はそれぞれ甲斐、相模、駿河を指している。 この仲介者が駿河、今川家の軍師、太原雪斎であり、三国同盟のことを別名、善徳寺の会盟とも言う。「軍師殿は、駿府の大殿までも味方につけられましたのか?」「大殿は元国主であられた。みすみす甲斐が敗れる事を見逃される訳がない」 一同は声なく勘助の異相な顔を見つめた。晴信が口を開いた。 「先刻、申したように信濃攻略は終わりとする。従って勘助の策にのってみる。我等が木曽攻め中は、越後勢に対する大将を信繁に申し渡す。景虎がいかように、挑発しても決戦は避けよ」「はっ、心得申した」 武田典厩信繁が興奮で端正な顔を紅潮させている。。「出陣は今月の二十日といたす、者共、抜かるな」 晴信の声が凛と響いた。 上田に武田勢が結集したのは桜咲く四月末であった。 既に先鋒として三千名の将兵が、総大将の真田幸隆、副将、山県三郎兵衛と共に旭山城に向かっていた。 この籠城兵には鉄砲隊三百名、弓隊八百名が含まれていた。これは飽く迄も籠城戦を想定しての備えであった。 さらに大将は知略に長け、且つ、勇猛果敢な武将でなければ勤まらぬ為に、総大将に真田幸隆を配し、副将に猛将で鳴る山県三郎兵衛を指名したのだ。 改訂・武田源氏の野望(1)へ
Aug 22, 2014
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「女忍びとの睦言」(47章)「どこでも構いませぬぞ、勘助殿が可愛がってくれるなら」 女忍びのお弓の声が色っぽく勘助の耳元へ流れてきた。「お弓殿、そなたを焦がれる思いで待っておったぞ」 その言葉は勘助の本音であった。「本当ですか?もうわたしも歳じゃ。女盛りの時に抱いて欲しいのじゃ。・・・今なら自信もありますぞ」「もう拙者も歳じゃ、何時まで女子が抱けるかの」 勘助が自嘲気味に天を仰いだ。「大殿は元気で愛妾まで作られましたぞ、勘助殿なればこれからじゃ」「お弓殿、その前に伝えておかねば成らぬ御屋形からの伝言がござる」 「そのようなお話は後にして下され。もう躰が熱うて身がもちませぬぞ」 お弓がするすると衣装を脱ぎ捨て、勘助の前に見事な裸身を晒した。「綺麗じゃ」 勘助にとりお弓は天女であった。鍛えた肉体には贅肉ひとつなく華奢に見えるが、豊満な乳房と腰のくびれ、その下の秘毛の翳が女盛りを思わせる。 お弓が勘助の組んだ膝の上に躯をあずけ、二人の唇が合わされ舌が絡まり、 武骨で厳つい手で乳房を揉まれた。「温かくて柔らかい乳房じゃ」 勘助がお弓の胸の谷間に顔を埋めた。「勘殿、濡れてどうしょうもありません。早う抱いて下され」 お弓が勘助の指を股間に導いた。 「きつくて届かぬのよ」 熱く火照っている女体の秘所に指が届かないのだ。 切なそうに喘ぎ、お弓が身を揉んで股間をゆるめた。 ぬらりとした潤いを感じた時に、指先がお弓の女陰の奥に侵入した。「あっ・・・いいー」 お弓が躰を弓なりにしならせ、甘い吐息を洩らした。 こんなにも濡れるものか。そう感じた瞬間、勘助も一匹の獣となった。 何時の間にか袴をはぎ取られ、下半身が剥きだされ。舌と舌が絡まり、お弓が勘助の躰に馬乗りとなり、男のいきり立った物を狭間に導き、大きく腰をおとした。 一物がするりとお弓の秘所の奥に吸い込まれ、温かい締め付けに襲われた。 「勘殿。いいーっ」「そなたのここも心地が良いぞ」 お弓も一匹の雌と化して快感を追い求め腰を蠢かしている。 二人は互いの躰を強く抱きしめ、獣のように営みが烈しさを増した。 勘助に限界がおとずれ、大きく腰を突き上げた。二人の荒々しい呼吸が平静にもどった。 熱く燃えた女体の温もりを愛しく感じ、お弓の耳元に勘助が囁いた。「お弓殿、お麻はもう六才となった。古府中の屋敷に顔を見せなされ」「・・・-」 「逢って行かれい」 お弓が繋がった勘助の躯から、未練を残すような仕草をみせ離れた。 その瞬間、仄暗い灯に照らされた豊かな尻の割れ目が隻眼を射抜いた。「あの子は勘殿の子じゃ。いずれ逢う時もありましょう」 「そうか」 それ以上は勧めなかった、お弓の気持ちが何となく判る気がしたのだ。 二人は烈しい情事の余韻に浸り、乾いた咽喉を冷えた酒で潤した。 お弓は組んだ勘助の太腿に全裸の躰をあずけている。 真冬というに囲炉裏の温もりと、肉体の奥からの熱で全裸で語りあった。「今後の武田家の方針をお伝いいたす。全力をあげ越後勢と戦い、更に木曽を攻め取る」 勘助の異相な顔つきが厳しく変貌する様を、お弓には見届けた。「木曽の福島城ですね、木曽義康(よしやす)殿は、強かと聞いておりますぞ」「お弓殿、人の言葉は真剣に聞くものじゃ」 お弓が彼の未だ硬さの残った一物を嬲りながら、勘助の言葉を聴いている。「それは玩具ではござらん」「今夜は、わたしの物じゃ。こんなに柔らかくなりましたな」「お弓殿、確りと聞いて下され」「あい、聞いておりますぞ」「木曽なぞは脅威ではござらん。木曽攻略が成功すれば信濃平定は終りじゃ。あとは越後の長尾影虎との合戦のみ」「これも、勘助殿のお蔭ですね」 「駿府の太原雪斎はいかが成される?」 勘助が声を低めた。 「彼のご仁は病じゃ。年内いっぱいは保たないでしょう」「左様か、今川家の将来も危うくなりますな」 勘助がお弓の眸子の奥を覗きこんだ。 雪斎の毒殺など考えてはおりませぬな、そう訊ねたかった。 「もどき殿はなかなかの御大将じゃ、余り侮ると痛い目に遭いますぞ」 「心に留めおきましょう」 お弓が切れ長の眼を輝かせ、勘助の言葉に肯いた。 「これは拙者の老婆心に御座る。尾張のたわけ殿は恐い存在となろう。 今は領内統一に追われているが、眼を離さぬように成され」「信長殿が尾張国主となると申されますか?」 「左様」「勘助殿も恐いお人じゃ、肝に命じておきますぞ」 お弓の眸子が濡れぬれと輝いている。 「酔われたのか?」 「いいえ、勘殿に酔ったのじゃ」 お弓の言葉に勘助が苦笑いで応じ、囲炉裏の粗朶(そだ)がはじけた。「まだまだ話す事がござる。美濃じゃが数年で道三の時代は終りましょう。 倅の義竜(よしたつ)と内乱に成りましょう」 「何故、そのような事を申されます」「義竜は道三の実子ではないとの噂が飛びかっております。前国主の土岐頼芸(よりなり)の倅とな、尾張のたわけ殿が、漁夫の利を占めるかもしれませぬ。大殿には拙者が、それを恐れておったとお伝え下され」「あい、判りましたぞ、じゃが勘助殿、何故、道三が義竜に負けます」「義竜は図体ばかりの男、併し、美濃の豪族は道三を恨んでおりまする」 二人は暫く黙して杯を口に運んでいる。「おう、少し寒くなりましたぞ、勘殿、風邪を引かれては成りませぬぞ」 お弓が全裸の躰を寒そうに縮め、散らかった衣装を身に着けだした。「もう、拙者は用なしにござるか?」「勘殿、貴方のそこは亀のように縮まっておりますぞ」 お弓が笑い声を挙げた。勘助の一物は縮みこんでいた。「これで信濃まで来たかいがありましたぞ、また何処ぞでお逢いしましょう。 勘殿、 躯を愛うて下され」 お弓が身繕いを済ませにっと壮絶で妖艶な微笑みを見せた。「行かれるか?」 「あい」 声が途切れ、長い黒髪を靡かせた、お弓は屋根裏に音もなく消え去った。 改訂・武田源氏の野望(1)へ
Aug 19, 2014
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「越後への調略」(46章) ここ信濃も甲斐に劣らず冬は厳しい、今も深々と雪が降り積もっている。 その信濃の葛尾城に籠ったまま、勘助は冬を過ごしていた。 彼の念頭にあるのものは越後勢の異様な陣構えであった。 行軍体勢から素早く攻撃に移れる陣形は、勘助の長い経験でも初めて見る陣刑であり、若輩者の影虎の手によるものか疑問に感じていた。 併し現実に越後勢は、勘助に素晴らしい陣構えを見せ付けた。 影虎は黒鹿毛の駿馬で常に陣頭で指揮を執っていた。 あの男の采配で越後勢は、彼の手足の如く進退してみせた。 勘助の脳裡に越後勢の陣形が蘇った。 熊皮の羽織を纏った勘助が、茶碗に手を伸ばし冷えた茶を喫し時に、一人の武将の名が、唐突に閃いた。「越後には異能の軍師が居ると聞いた。宇佐美定満、奴じゃな」 ようやく合点がいった。 宇佐美定満(うさみ さだみつ)は、枇杷島城主(現在の新潟県柏崎市) 越後上杉氏の家臣。上杉謙信の軍師「宇佐美定行」の名でも知られる。 上杉二十五将、上杉四天王の一人である。 景虎が兄、晴景に反抗し決起した時から、景虎の傍に宇佐美は居た。 彼のお蔭で今の景虎があるのだ。 勘助の頭脳は対抗手段とし、武田の陣形に思いを巡らせた。外は吹雪いているようだ、渺々(びょうびょう)と風雪の音が聞こえてくる。 武田はやはり孫子の御旗どおり、動かざること山の如くで臨む。 鶴翼の陣こそが武田家の陣構え、武田の武将が最も得意とする戦法である。 最後の勝負は後詰の陣に任せる、『疾きこと風の如く、侵略すること火の如く』 これが我等、武田家の戦術じゃ。漸く勘助の考えがまとまった。 ことりと畳に何かが落ちる音が聞こえ、勘助が隻眼を光らせ暗がりに視線を移した時。背後に人の気配を感じ、大刀を掴み敏捷に躯を反転させた。 部屋の隅に人影がうずくまっている、勘助が大刀を抜き打たんと身構えた。「勘助殿、わたしをお忘れか」 懐かしい声が勘助の耳朶に響いた。 「お弓殿か?」「あい」 勘助が言葉を失い、ただ動悸が激しさを増した。「勘助殿に逢いとうて駿河から出て参りましたぞ」 音もたてず人影が明りの前に進みでて覆面姿のお弓が素顔を見せた。 さらさらと長い黒髪が勘助の隻眼を射抜き、にっと笑みを浮かべたお弓が、勘助の胸に飛び込んできた。 しっとりとした女体の感触が勘助を惑わした。 「勘殿、口吸いましょか」 声と同時に勘助の舌にお弓の舌がねっとりと絡みついた。我を忘れ恍惚となった勘助の躯からするりと身をかわし、懐かしそう勘助を見つめ忍び装束を脱いだ、お弓が勘助の傍に身を寄せた。 「まことに、お弓殿か?」 勘助が不覚にも声を枯らしている。「あい、勘助殿は少し老けましたな」「もう、六年になるが、そなたは変わらぬな」 「忍びは歳を知りませぬ」「寒うはないか火鉢に寄り、温もり成されえ」 「矢張り昔と変わらず優しいお人じゃな」 お弓が火鉢に手をかざした。 勘助は宿直(とのい)の士を呼び出した。 「何か御用にございますか?」「簡単な酒肴を用意いたせ」 「この真夜中に酒肴にございますか」 襖ごしの宿直の士が驚いた声を洩らした。「ご苦労じゃが頼む」 宿直の士が酒肴を持参し仰天した。 部屋に勘助と美貌な女人が居るではないか。 「これは何事にございますか?」「駿府の大殿のお使いじゃ、心配はいらぬ」 「して宿直は?」「内密な話がある。宿直は無用にいたせ」 お弓は火鉢の前で微笑んで二人のやり取りを聞いている。「寒いなかご苦労にござった、ささ一献参れよ」 勘助の酌をうけ、お弓が美味しそうに飲干した。 「もう良い、さがって休め」 勘助が手をふった。 呆然と眺めていた宿直の士が、慌てて引き下がって行った。 暫く二人は無言で酒を飲み交わした、六年前の出来事が走馬灯のように、二人の脳裡を駆け巡っている。「さて、大殿の伝言をお聞きいたす」 勘助が燭台を引き寄せ訊ねた。「まずは越中の本願寺の一向門徒衆と手を握ること。これは難しいが、越後の豪族達は、未だに領土争いをしていると聞きます。本当なれば彼等の調略を急いで行いとの仰せにございました」 語り終わり、お弓が形のよい唇に杯を運んでいる。「お弓殿、一向門徒衆の件は遅うござった」 「何故にございます。越中で変事でもありましたか?」 お弓が勘助の隻眼を物憂げに見据えて訊ねた。 「影虎は川中島の合戦を終え、その後に上洛を果たし申した。その際、後奈良天皇さまより綸旨(りんじ)を受けたそうにござる、それで本願寺と手を結んだとの、知らせがもたらされております」 「それは本当ですか?」「我等が攻略いたした高梨城の隣接地に笠原と申す地がござる。そこに本誓寺という一向門徒の寺がござるが、そこの住職の超賢(ちょうけん)と影虎が手を結んだとの事にござる」 「遅かったと申されますか?」「左様、あの越後の若造なかなか遣る。じゃが、一向門徒衆の件は引き続き手を打ちます。第二の件でござるが、既に越後各地に手を入れてござる」 勘助が、ぐびっと咽喉を鳴らし杯を干した。 「詳しく聞かせて下され」 灯に照らされ、陰影が出来たお弓の顔が一際美しく感じられる。「三人ほど調略いたした。一人は佐橋ノ荘の北条におる北条丹後守高広、さらに大熊備前守朝秀、それに城織部(じょうおりべ)正資(まさすけ)の三名」 併し、北条高広はこの年の十二月に善根(よしね)で兵をあげたが、 影虎の手で鎮圧される事になるが、今の勘助とお弓には知る由もない。「北条高広と大熊朝秀の二人は大殿も名指しで申されました」 お弓の眸子が輝きを増している。 「どうじゃ、御屋形も大きう成られたであろう」「ほんになあ、駿府の大殿も満足為されましょうな」 お弓がうっとりとした顔で勘助を見つめた。「大殿やわたしが案ずることはありませぬな」 お弓が嬉しそうに笑顔をみせ、勘助が居ずまいをただした。「まだまだ続きが御座る」「勘助殿、もう今夜は無粋なお話は止めにいたしましょう」「如何成された?」「勘殿、わたしを抱いて下され」 お弓が一匹の雌に変身したのだ。「・・・・」 頬を紅色に染め、男を誘惑する色香を秘めた眸子で勘助の隻眼をじっと見つめているお弓の誘惑に、勘助の雄の本能が目覚めた。「ここで、そなたを抱くが良いか」 声が擦れた。 改訂・武田源氏の野望(1)へ
Aug 15, 2014
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「三国同盟と信虎の謀略」(45章) 信虎は年賀を終え、上機嫌で隠居所へと戻った。 年初めに義元はじめ雪斎、宿老を懐柔させた事に満足を覚えていた。 その夜は隠居所で信虎の為に、甲斐から付き従って来た三人の計らいで、信虎の還暦祝の酒宴を催してくれた。 直臣の小林兵左衛門、小姓の川田弥五郎、腰元のお弓の三人である。 屋敷の外は薄暮と成っていたが、甲斐と比べると温暖な夜を迎えていた。「還暦祝なんぞは嬉しくもないが、皆とこうして飲むのも悪くはなかろう。 兵左衛門は、今年で何才となった?」 信虎が顔をしかめ、嬉しくもないという顔付で小林兵左衛門に声をかけた。「早いもので、四十九才となりました」 信虎は小林兵左衛門が五十歳と成ろうとしていることに気付いた。「そうか、来年は五十歳か苦労をかけさせたの」 「恐れ多いお言葉、恐縮の極みにございます」 彼は年を経るに従ってますます実直となっている。 「大殿、弥五郎も二十七才となりましたぞ」 小姓の川田弥五郎が太い声を発した。「まだ前髪姿の少年であった、そちが逞しくなりおったは」 信虎が魁偉な顔を和ませ、往事を偲ぶ眼差しで弥五郎を見つめた。「大殿、一献」 お弓の酌を大杯で受けた、信虎がまじまじとお弓を見つめ、「お弓、そちだけは変わらぬな何才となった」 信虎から見ても益々女らしく美貌に輝きが増している。 「女子に年を問うのはお止めなされ」 お弓が媚びを秘めた眸子で信虎を見つめ、妖艶な笑みを浮かべた。「そちは魔性の女子じゃ。見つめられると気持が変になるは」「それは大殿が悪いのじゃ。のう、兵左衛門殿」「そのような事を拙者に振られては困りますな」 律儀な小林兵左衛門が顔を赤らめた。 四人は久しぶりに昔話に花を咲かせ憂さを晴らした。宴もたけなわと成った刻限に、信虎が野太い声で弥五郎に言葉を懸けた。 「弥五郎、そなたに訊ねたき儀がある」「何事にございます」 弥五郎が信虎の口調の強さを感じ身を硬くした。 「その前に訊ねる、そなたは妻子を捨てる覚悟はあるか?」「拙者も武士。日頃から覚悟はいたしております」 毅然とした口調で答え、信虎を仰ぎ見た。「そなた子は何人じゃ?」「男と女の子の二人にございます」 惜しい家臣じゃが捨て殺しにするやも知れぬな、内心でそう思った。「拙者に特別な任務をお命じですか?」 川田弥五郎が顔を輝かせた。「皆、わしの傍に集まれ。極秘の話を伝える」 隠居所の外は静かな気配が漂っている。「お弓、誰も近くに居るまいの」 「あい、誰も居りませぬ」 お弓が屋敷の内外の気配を窺い、即答した。「本日、もどき殿と雪斎、それに宿老の朝比奈と三浦をけしかけてきた」 信虎が声を低め、駿府城内での出来事を語った。「もしその三国同盟が成功いたせば、一番の利は今川家にございますな」 流石は女忍びのお弓である、ずばりと核心をついた。「そうじゃ。武田家もお蔭で越後勢が国境に攻め寄せて参っても心配はない。 北条が援軍をだしてくれるので、安心して信濃の経営に没頭できる」「武田家が安泰となれば、損な役回りは関東の北条家と成りまするな」「お弓、その通りじゃ。北条家は上洛を一時、諦めねばなるまえて」 信虎がニンマリと魁偉な顔を崩した。「大殿の事じゃ、義元さまに上洛をけし掛けて参られましたな」「お弓、その通りじゃ。もどき殿と宿老の二人は大いに乗り気に成っておる」 会話は信虎とお弓の二人で交わされ、兵左衛門と弥五郎は聞き役である。「雪斎は三国同盟に乗り気じゃ。己で三国の国主の会盟を成す積りじゃ」「三国同盟が実現したら、大殿は何を画策なされます」 信虎はお弓の問いに答えず、声を更に低めた。「義元殿の首級を信長に渡す日も近かろう」 その言葉に隠居所の中は瞬間、戦慄が奔り抜けた。 弥五郎の精悍な顔に血がのぼり、一座の者は信虎の考えを理解した。「もどき殿が上洛を決意したら、そちはわしの推挙で三河の地に赴いてもらう。 そこで今川家の上洛の道筋を探りだすのじゃ。わしは桶狭間と睨んでおる」 「承(うけたまわ)ります」 川田弥五郎の顔が輝いている。三河に赴く理由が鮮明に理解できたのだ。 「お弓、三国同盟が成功したら、太原雪斎を毒殺いたせ。奴が上洛軍に居ってはわしの思案の妨(さまた)げとなる。 太原雪斎、病魔に犯されているとみた」 「あい、何時でも命じなされ」 お弓が平然と受けた。この使命は思った以上に危険である、相手は今川の軍師であり、この駿府城に住んでいるのだ。「雪斎が居らねば、宿老の朝比奈や三浦なんぞは物の数ではないは」 信虎が珍しく声を挙げずに吠えた。「大殿、拙者は何をすれば宜しゅうござる」 信虎の容貌に笑みが浮いた。「兵左衛門、その方には無理な努めじゃ、伽衆として傍を離れるな」 「拙者は何もご用が勤まりませぬか」 「わしも歳じゃ、皆が去ると淋しい」 「判り申しました」 小林兵左衛門は信虎の心情を理解したのだ。「武田は益々強くなる。晴信の器量は並ではない、わしの命に代えても武田に天下を取らせる積りじゃ」 三人は信虎の執念を感じとった。「お弓、そちは明朝、甲斐に行け。山本勘助にわしの言葉を伝えよ」 お弓が信虎を見つめた、切れ長な眼に媚が滲んでいる。「越中の本願寺と武田は手を握るのじゃ。長尾家は先代の為景の時代から門徒衆に嫌われておる、北陸の一向門徒衆を味方につけるのじゃ。もう一件ある。 影虎の財務官僚に大熊朝秀(ともひで)と申す豪族がおる、領土紛争で影虎の仕置きに嫌気がさしておる男じゃ。奴が武田に寝返るように工夫いたせと申せ、それに北条(きたじょう)高広と申す豪族もじゃ」 「判りましたぞ」「良いか影虎という小童は潔癖すぎる、奴を内心嫌悪しておる豪族を探れと申せ。越後を内部崩壊させる事も軍師の努めじゃと勘助に伝えよ」 三人が唖然とするような謀略を、信虎は胸裡に秘めていたのだ。 翌朝、お弓は雪深い甲斐に向かった。 昨夜は常の如く信虎に抱かれ、陶酔の一夜を過ごした。(まだまだ大殿は元気者じゃ) 信虎は六十歳とは思いない体力で、お弓を翻弄してみせたのだ。 改訂・武田源氏の野望(1)へ
Aug 12, 2014
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「三国同盟締結」(44章)「申しあげます」 書院の外から家臣の声がした。 「何事じゃ」 三浦成常がしわがれ声で訊ねた。「ご舅さまが年賀の祝辞を述べにお出でになられました」 「老狸が参ったか、通っていただけ」 義元が口汚く呟き下知を与えた。 暫くして廊下に足音が響き、魁偉な風貌の信虎が顔を現した。「これは悪い所に参上つかまったようじゃ」 信虎が書院の中を見回し躊躇している。「遠慮は無用にござる。ささ、お座り下され」 義元が如才なく声を懸け、促され信虎が末席に腰を据えた。 「信虎さま、まずは祝の一献」 朝比奈泰能が瓶子をもち、信虎の大杯に祝い酒を注いだ。「遠慮のう頂戴いたす」 信虎が豪快に飲干した。「相変わらず見事な飲みっぷりには感服いたす」 義元が世辞を言った。「なんの今年で六十歳となりました。年には勝てませぬな」 信虎が魁偉な容貌を曇らせて愚痴った。「駿府に参られ、もう十二年にもなりますか」「義元殿、今川家の繁栄を寿ぎまする」 信虎が祝辞を述べ、義元に平伏した。「そのような儀礼のお言葉などお止め成され」 公卿姿の義元が手を振って制した。「信虎さま。晴信殿は先年、存分なお働きにございましたな」 太原雪斎が柔和に信虎に話しかけた。「何とか北信濃を平定いしましたが、遣る事が手ぬるい」 信虎が背中をしゃきっと伸ばし、罵声の言葉を吐いた。「舅殿にお訊ねいたす」 義元がちらりと鉄漿を見せ、信虎の眼を真っ直ぐに見つめた。「ほう、この老人にお訊ねとは何事にございますな」「我が今川家と武田家、相模の北条をどのように見ておられますかな?」 義元の問いに暫く瞑目した信虎が、かっと眼(まなこ)を見開いた。「越後の小童のために関東の動きが烈しく成りましょうな」 「烈しくとは、どのような意味にござる」 義元と三名が顔を見つめ合った。その事を語り合っていたのだ。「晴信と越後の小童との間に、信濃を巡る争いが益々烈しさを増しましょう。 それにより北条の関東制覇に拍車がかかりましょう。駿河の地にも眼を つけましょうな」「矢張り、我等と同じお考えか」 三浦成常が大きく肯いた。「越後の小童、己がこの世の中心に居る事に気付いておりませぬ」 信虎が魁偉な相貌を引き締め口を開いた。 景虎率いる越後勢は雪解けを待って毎年、三国峠を越え大軍で関東に乱入していた。これは関東管領、上杉憲政の要請を受けての軍事行動であった。 越後勢の強さは眼を見張るもので、関東の諸大名や豪族は争って越後勢の傘下に入り、北条勢と合戦を繰り返していた。冬季を迎え越後勢が本国に帰還すると、北条勢が勢いを盛り返し、越後勢の得た領土を取り戻すという、構図が何年も続いていた。 併し、ここにきて越後勢の動きに変化が起こった。 武田勢と川中島での合戦が始まり、景虎は関東に手が回らなくなった。 その好機を見逃さずに北条氏康は、関東全土の制圧に乗り出したのだ。 その北条の動きが今川家に影響を与えはじめたのだ。 信虎が野太い声で越後の長尾家と関東の北条家の係りを述べた。「今年の北条勢は我が駿河の東、伊豆をも支配しましょうな」 猛将で聞こえた朝比奈泰能が、憂い顔で呟いた。「舅殿、北条に対する対策はございませんか」 雪斎が信虎を凝視し訊ねた。「今川家の軍師殿が、何を仰せにござるか」 「舅殿、策がござれば余にもお聞かせ願いますぞ」 義元が興味を示し、肥満した体躯を乗り出した。「このままでは三国とも動きがとれなくなりましょう。御当家は西に向い 尾張を我が物にしたい。武田は信濃の経営が当面の目標。一方の北条家は 関東の制圧。御当家が後顧の憂いなく西に向うには、北条との同盟が必要と成りましょうな。いずれにしても越後の小童を牽制せずば成りませぬ」 信虎が三国のもっている領土的野心と欠点を述べ終えた。「それを打開する為には、どういたせば良いと思われますな」 三浦成常が気負って訊ねた。「三国が同盟いたす。信濃国境に越後勢が攻め寄せれば、北条家が軍勢を北関東に進め、武田を助けます。越後勢が関東に進撃を開始すれば、武田が越後国境に攻め寄せます。隙を突いて他国が甲斐の領土に侵攻するようなら、今川家が軍勢を繰り出し、武田を助けます。ここうして三国が互いに連携を保ち助け合います」 信虎が語り終えて義元の様子を覗った。「成程、三国が協同でお互いの利益を守るか、面白いな雪斎はいかが見る」「恐ろしいお方にございますな、信虎さまは。拙僧が根回しをいたします」 雪斎が信虎の魁偉な顔を見つめた、それは警戒の眼差しであった。「さすれば我が今川家は上洛の道が開けまするな」 そんな事は露知らず、朝比奈泰能と三浦成常が興奮で顔を赤らめている。 こうして太原雪斎が奔走し、婚姻関係による三国同盟が駿河の古刹、善得寺で成立を見るのである。 この時代に有名な武田晴信、今川義元、北条氏康が初めて会見したのだ。 この会合か善得寺の会盟と云われ、今川家の太原崇孚の功績であると言われた一事である。 この会盟により北条氏康の娘が、義元の倅の今川氏真のもとに嫁ぎ、晴信の娘の黄梅院が、北条氏政のもとに嫁したのだ。 武田家と今川家は二年前に、晴信の嫡男の義信に義元の娘が嫁していた。 ここに甲駿相(こうすんそう)三国同盟が成立したのだ。それぞれが思惑を秘し、後顧の憂いを絶つ事が出来る条件が揃ったのだ。 こうして北条家は武田家と長尾景虎という共通の敵を持つことで甲相同盟により、背後の憂いをなくし、景虎を名目上の主と仰ぐ、佐竹、宇都宮、里見などの諸大名に対し、積極的な軍事行動が可能となった。 一方、今川家は三河の経営と領内の支配体制が強固となり、戦略的には争う相手を織田家のみに絞ることが可能となった。 かたや武田家は全精力を傾け、信濃の経営と川中島での越後勢との合戦に備え、万全な態勢を固める事が出来たのだ。「父上も、よう遣り為さる」 晴信はそう思い、善徳寺で逢った北条氏康の武将らしい顔を思い出していた。「武田殿、貴方とは二度と戦いたくないものじゃ」 氏康は晴信にそう言葉を残したのだ。 改訂・武田源氏の野望(1)へ
Aug 7, 2014
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「景虎の上洛と北条勢の動静」(43章) こうして第一回川中島合戦は睨み合いで終りをつげた。ここにも信虎の謀略がものをいったのだ。 越後勢と初の対峙をして、その勢の鋭さをまじかに見た勘助は深志城を拠点とし、信濃の経営に奔走していたが、漸く年の暮れが近づいた頃、久しぶりに平蔵を伴い古府中の我が屋敷に戻った。 真っ先にお麻が出迎えた。「父上、お帰りなさいませ」「おう、お麻。元気にしておったか」「お勝手でお梅の手伝いをしておりました」 既にお麻は四歳に成っていた。顔付がだんだんと母親に似てくる。 勘助はお麻の幼い顔を不思議な感慨で見つめた。「そうか、料理を習っておったか?」 勘助は数刻、お麻の相手をした。 真っ赤な頬に黒々とした眸子のお麻が、本当の己の娘に思われた。 「父は館に参らねばならぬ。戻ったら夕餉を一緒に食べよう」 彼は衣裳を改め躑躅ケ先館を訪れ、晴信と久しぶりに会った。 晴信はまた少し太り貫禄が増し、鼻髯と顎髭を蓄えていた。「御屋形、髭が良く似合いますな」 外は深々と雪が降り積り館が雪化粧に変わっている。 二人は火鉢を囲んで熱心に越後勢の事を話し合った。「御屋形、越後勢の陣立てをいかに見ました」 眼帯を替えた勘助が隻眼を瞬かせ訊ねた。勘助も老境に入り、めっきりとしわ深い顔となっていた。「行軍態勢から一気に攻勢に移れる陣形とみたが、そちはどうじゃ?」「拙者も同感にござる。陣形を整える手間が省けますな」「我等も真似るか?」 「あれは天才のみが成しうる陣形にござる」 その言葉に晴信が嫌な顔をした。「御屋形も天才、猿真似では勝てませぬ」 勘助が遠慮容赦もなく答えた、勘助は景虎を天賦の才を持つ武将と見た。 御屋形も国主、武将としての器量は天才であるが、、武田家は陣法を定め、有能な武将を育成し、合戦に臨む事で勝利してきたのだ。 しかしながら越後勢の将兵は景虎を信じ、彼の手足のように動くと思われる。 「勘助、我等は我等の陣法で戦(いくさ)をせよと申すか?」 「左様、武田の軍法は鶴翼の陣、後詰にて勝負を決する陣形にござる」 「・・・-、それにしても厄介な男を敵にしたものじゃ」 「損得ぬきで戦を好む武将であったとは、拙者も考えが及びませんでした」 勘助の隻眼が曇り、晴信が暫し火鉢に手をかざした。 「この度は父上のお力沿いで助かった。忍びの体制は出来ておるか?」 「はい、河野晋作を頭領として越後、相模、駿河に潜り込んでおります」 「勘助、まず越後の豪族たちの寝返りを策すのじゃ。さらに越中の本願寺 一向門徒衆と手を握る、長尾影虎と言う男は何度でも信濃に出て参るとみた」 「勘助の考えも同じにござる、出てくれば何度でも背後を脅かす。これが奴の弱点とみもうした」「影虎は若造じゃ、いくら強くても領内治世に弱点もあろう。探るのじゃ」 勘助は晴信の指示する言葉を心地よく聞いた。 御屋形は一段と大きうなられた、それが何よりも嬉しい事であった。「じゃがひとつ気に喰わぬ、あの若造が上洛するとはな」 晴信の顔が怒りで赤くなった。 併し、言っている晴信も勘助も上洛の真の意味を知らないでいたのだ。 京に上り天皇に拝謁し、天下取りを願いでることが上洛の意義であるが、織田信長以外に天下取りを宣言し、実行した者は誰一人とて居なかった。 晴信の怒りは越後の田舎大名が、京に上り天皇に拝謁する事に怒りを覚えたに過ぎないのだ。景虎は天皇に謁見する事で、こちらが言わば官軍であり、この後、行われる武田との合戦は不正な侵略を働く晴信に、正義の鉄槌を下すための合戦である事を、内外に知らしめるための上洛であった。。 川中島合戦時を選んで上洛した景虎の思慮が、晴信と勘助よりも先を見通していたのだ。 (三国同盟) 年が明け駿府城は年賀の喜びにひたっている。大広間には義元と太原雪斎、 宿老の朝比奈泰能、三浦成常等が集っていた。 今年は珍しく三河、遠江の守将連も参賀に招かれていた。これは織田の進攻が途絶えた為で、当面の敵は関東の覇者、相模の北条勢のみとなっていた。 三河の最前線、吉田城主の伊東定実が祝辞を述べている。 義元は相変わらず烏帽子直垂姿で、大様に肯き祝辞をうけ口を開いた。「伊東、三河は暫く静かになろう。じゃが織田のたわけ者は食わせ者と見る、先年に美濃の蝮の娘を娶った事が、何よりもの証拠じゃ。構えて抜かるでない」 一座の者は祝いの酒肴に心地よく酔っている。 「竹千代、そちは今年で十二才となったの、そろそろ元服じゃ。そうなれば今川一門の娘を嫁につかわす」 末座の松平竹千代が顔を赤らめている。 宴たけなわとなった時、義元は書院に向かった。従うは雪斎と宿老の二人と相模の備え、葛山城主の葛山氏元の四人であった。 「葛山、北条勢の動きはどうじゃ」 義元が肥満した躯を脇息に保たせ訊ねた。「はっ、北条氏康なかなかの働き者にございます。伊豆も完全に勢力圏に入れ申した。今年あたりは本格的な動きを示すと思われます」「伊豆を奪われては叶わぬな。我等、駿府の背後じゃ」 義元の眼光が鋭くなった。「幸いにも我が家の海賊衆の三人が控えておりますれば、迂闊には進攻は叶わぬと見ております」 「雪斎、そちの考えはどうじゃ」 「先年、越後の長尾影虎、信濃に進攻いたし武田と事を起こしましたな、それにより越後勢の関東進出が困難となりました。それだけに北条勢は動き易い情勢となったと思いますな」 太原雪斎が常の如く柔和に関東の情勢を分析してみせた。「幸いにも武田家とは強固な同盟関係を維持いたしておる。武田は越後に討って出るか?」 再び雪斎が義元の問に答えた。「念願の信濃をほぼ平定いたした武田家は、信濃の経営に本腰を入れましょう」「武田家は越後勢と事を構えぬと申すか?」「御意」 雪斎が答え、咳き込んだ。「雪斎、そちは最近顔色が優れぬが体調でも悪くいたしたか?」 義元が心配そうに雪斉の顔色の悪さを気にした。「御屋形さま、拙僧も今年で五十九才となりました歳には勝てませぬ」「今川家にとって重要な局面を迎えておる、躯を愛うてくれよ」「勿体無いお言葉、身に沁みまする」 太原雪斎が軽く低頭した。「武田殿が温和しゅういたせば、北条勢ますます勢いが増しますな」 朝比奈泰能が厳しい武者面で義元を見つめた。「それぞれに利がある、それにとやかくは申せまい」 義元が太った躯を脇息から起こした。 改訂・武田源氏の野望(1)へ
Aug 5, 2014
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「第一次川中島合戦」(42章)「お弓、越後に忍びを入れねばならぬな」 信虎も不思議な胸騒ぎを覚えたようだ。「小十郎に命じなされ、武田忍びの頭領は風の五兵衛と申します。今は名を変えて河野晋作と名乗っています。その男を頼りと成され」 お弓は相変わらず独酌し、よどみなく答え微笑んだ。「そちはそのような事まで探ってきたのか?」 「あい」 お弓の顔色が酒のせいか艶っぽく変わり、妖艶な色香を秘めた切れ長の 眼差しに見つめられ、信虎の股間が不覚にも強張った。 (三十、させ頃。四十、し頃。とはよう言うたものじゃ) 信虎が世俗の卑猥な言葉を内心で呟いた。「何をお考えじゃ。今宵はご褒美をいただきますぞ、乳も大きうなりました」 お弓が襟元を緩め乳房を顕にした。かっての乳房よりも豊かさを増し、乳首の近くから静脈が透け、肌も女盛りを思わせしっとりと脂が乗りきっている。 思わず信虎が唾を飲み込んだ、百戦錬磨の信虎が欲情を催したのだ。 その様子をお弓が悪戯っぽい眼差しで眺めていた。 最近、勘助は諏訪の上原城に籠もりきっている。河野晋作から越後の情勢が もたらされ、眼の離せない情況となっていた。 そんな時期に、真田幸隆からの早馬が駆け付けてきた。 長尾影虎の率いる越後勢五千名が兵を集めながら、新井宿からと富倉峠を越え善光寺に向かっているとの知らせであった。 とうとう越後勢動きだしたか、いずれは衝突する運命であるが余りにも早い。 矢張り義戦の武将か、勘助は生まれて初めて胴震いを覚えた。 彼を以ってしても欲得を離れた、影虎と云う武将の心境が見抜けないのだ。 ただ合戦予定地は海野平か川中島となろう、そんな予感がした。 勘助の使いが古府中の晴信の許に、越後勢迫るの報せをもたらしたのは天文二十二年八月の初めであった。これより十二年間、両雄は五回にわたり この川中島の地で智嚢(ちのう)を絞った、合戦を繰り返すことになる。 晴信の出陣も素早かった、館から大太鼓が轟き法螺貝が炯々と響き出陣を促している。前線からは刻々と越後勢の動きが、狼煙で伝わってくる。 既に善光寺の手前まで進軍してきている。 長尾影虎は凡庸の武将ではない、武田家は恐ろしい男を敵とした訳である。 常のごとく諏訪法性の御旗と孫子の御旗を靡かせ、古府中から八千余の本隊が出陣した。小淵沢から武田の誇る棒道を辿り、武田本隊は急行した。 晴信は越後勢との予定戦場を川中島と想定しており、諸将には参集の地を千曲川手前と定めていた。 川中島は千曲川と犀川に挟まれた一帯で、幅約二里半、長さ約八里ほどの平野であった。 武田勢一万五千、越後勢一万が初めて対陣したのだ。はじめから越後勢は不利な情況にある、兵数からしても不利であり、武田の勢力圏に踏み込んでの戦いのために補給線が伸びきっていた。 併し長尾影虎は己を毘沙門天の生まれ変わりと信じている天才的な武将で、 配下将兵もそれを信じ、彼の手足のような働きを成す軍勢であった。 一方の武田勢は己の領土内での戦いのために、補給の難もなく長期戦に耐えら れ、また歴戦の将を数多く持っていた。こうして第一次川中島の戦いは膠着情況となり、局地的な小競り合いで終始し日時が経過していた。 夜間に勘助が本陣を訪れてきた。大篝火が焚かれ火の粉が夜空を舞っている。「御屋形、吉報にござるぞ」 「なんじゃ、勘助」「駿府の大殿からの密書が届きました」 「父上の密書とな」 晴信が不審そうな顔をした。「長尾影虎には、上洛計画が進んでおるそうにございます」 「なんと上洛とな」「左様、十月中に上洛を果たさんとの計画との事、さすれば我等は長期戦で臨み、越後勢を足止めいたせば、長尾影虎、さぞや焦りましょうな」「あの若造が上洛となー」 顕かに晴信の顔に憤りの色が浮かんでいる。 上洛は戦国大名の夢である。あの若造が上洛するとは許せぬ、これが晴信の怒りであった。「更に、大殿は越中の本願寺門徒衆をたき付け、一揆を起こさせ影虎の背後を脅かす策を行っておる最中との事にござる」 篝火を背とした勘助が、影法師のように見える。 「影虎は本願寺とも争っておるのか?」「はっ、先代の為景(ためかげ)から絶えず一向宗と争っておる、越後の弱点との事にございます」 「父上も相変わらずじゃな」「こたびは越後勢の動きを見ました、矢張り恐るべき力を秘めております。 大殿の申されますよう主力戦を避け、影虎の様子を見ることにしましょう」 こうして両軍は千曲川を挟んで睨みあいとなった。「汚し、武田晴信」 影虎が怒りにかられ、挑発するが武田勢は山のように動かずにいる。 そうした最中に越中の一向門徒衆の一揆が、北陸一帯に広がりをみせ始めた。 この情勢となったら万事休すである、さしもの越後勢も九月半ばに軍を返した。 この景虎が後年の上杉謙信であるが、彼はよく名前を変えている。 関東管領の上杉憲政から、上杉家の家督を譲られると政の一字を与えられ、上杉政虎と改名し、それまで上杉氏が世襲していた関東管領職をも引き継いだ。 後に室町幕府の将軍、足利義輝より輝の一字を受け、上杉輝虎と名乗った。 謙信はさらに後に称した法号である。 この小説は謙信を名乗るまでは、景虎と云う名前で物語を進めることにする。 改訂・武田源氏の野望(1)へ
Aug 2, 2014
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