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改定・武田源氏の野望 (15P) (山本勘助仕官・・・2) 武田勢の攻める上原城は、諏訪盆地の東にあり、車山から伸びる山塊が盆地に突き出した金比羅山の頂上に築かれていた。 更に守りを固める為に、近くの要害の地に桑原城を支城とし配置していた。 その上原城の搦め手の大扉が、八の字に大きく開く様子が勘助に見えた。「敵勢、退きます」 山本勘助がすかさず晴信に伝えた。 どっと一団となって騎馬武者が城から吐き出された。真っ先に騎乗した諏訪頼重の姿が見える。諏訪勢は頼重を守るように一団となって退いてゆく。 その諏訪勢に百騎あまりの騎馬武者が、猛烈な攻撃を仕掛けるさまが見えた。 勘助の進言通り、若い山県勢の攻撃である。 先頭には武田の若き猛将山県三郎兵衛が、大身槍で敵兵を突き伏せている。 芋を洗う混戦の中、諏訪勢の騎馬武者が次々と突きふせられ馬上から落馬し ている。諏訪頼重が数十騎の武者に守られ、樹木の翳に見えなくなった。「退(の)き鉦(がね)じゃ」 勘助の冷静な命令で戦場に鉦の音が響き勝鬨があがった。 敵の戦死者五百余名、負傷者数知れず、ここに上原城は落城した。生き残り の諏訪勢は北方の桑原城に逃げ込んだ。ここに信濃の名門、諏訪家の終焉が訪れようとしていた。 桑原城の大手門に、大角の前立て兜をかむった騎馬武者が白旗を掲げ近づいて来た。隻眼を光らせた、異相な顔つきをした山本勘助自身である。「開門。武田家の家臣山本勘助にござる、我が主人の名代として罷りこした」 野太い声を挙げ、扉の前で騎馬を止めている。「暫時(ざんじ)待たれよ」 勘助は兜の眉庇から油断なく隻眼を光らせ、輪乗りをつづけている。城門が きしみ音をあげ開かれた、数人の武者がどっと勘助の周りを取り囲んだ。 城内は篝火が夜空を焦がし真昼のようである。 「ご使者のご用向きを伺いたい」 偉丈夫(いじょうぶ)な体躯の武者が、姿を現し厳しい声をあげた。「我が主人の名代として参ったからには、諏訪さま以外の方に申し上げる訳には参らぬ。あれをご覧あれ」 勘助が四方を指した、桑原城の周囲はおびただしい松明で覆われている。「我等は総力をあげこの城を包囲しております。重ねてお取次ぎをお願い申す」 「驕(おご)るな。我等はこの城を枕に討死と覚悟しておる」 応対の武者の声に殺気が漲った。「我等の申し出も聞かず、名門、諏訪家はここで滅ぶ覚悟にござるか?」 「待て待て。余が諏訪頼重じゃ、ご使者のおもむき奥で聞こう」 一座の中から一人の武将が現れ声を挙げた。「貴方さまが諏訪頼重さまにございますか?」 諏訪頼重が無言で肯き手招きをした。 山本勘助は太刀にすがり、肩を左右にゆすり奥に導かれた。主殿の板敷きの一段上に頼重が腰を据え、勘助の異相な面構えを眺め口をきった。「晴信殿の口上を述べられよ」「はっ」 勘助が威儀を正した。左右には諏訪家の重臣が無言で居並んでいる。「申し上げます。我が主人の申すには既に諏訪さまの命運極まった。このうえの殺戮は好まぬ、よって諏訪さまは甲斐の東光寺にて謹慎。ご家来衆には何のお咎めもなしとのお言葉にございます」「何をもって証明なされる?」 先刻の武者が声を強めた、勘助の隻眼が凄味をました。 「諏訪の名門の血脈を絶っても武門の意地を通されるか、ならぱ拙者の命を奪い、この首級を城門に飾られませ」 勘助が凄まじい覚悟を示した。「山本殿と申されたな、余が小笠原に騙されたのじゃ。義弟とし浅はかであった、余は晴信殿の申し出に従う。家来たちの命はよしなにと晴信殿に申し上げてくれ」 「殿ー」 「勝敗は時の運じゃ、武門に生きる者として嘆くまいぞ」 頼重が家臣等をなだめ、勘助を正面から見つめた。「和議が成った祝いに、諏訪湖の鯉なぞで一献差し上げたい」「これは嬉しきお言葉にございます」 二人は鯉を肴に酒を酌み交わした。酒肴の饗応に腰元が現れ、勘助の隻眼が鋭く瞬いた。腰元に交ざり見たこともない美貌な若い女人を見つけたのだ。「あの女人(にょにん)は何方さまにございまするか?」「我が娘の衣湖姫(きぬこひめ)に御座る」 この女性が晴信の側室に成り、諏訪御料人に呼ばれ勝頼の母になる人である。 かくして諏訪頼重を伴って武田勢は一斉に軍勢を返し古府中に戻った。 諏訪頼重は東光寺にあずけられ謹慎生活に入った事は当然である。 躑躅ケ崎館で晴信と勘助が密談を交わしている、晴信は勘助の並々ならぬ力量を知らされ、改めて加増し武田の正式の軍師とした。 この合戦で諏訪郡は宮川を境とし西を高遠頼継が、東が武田家が支配する事となった。「勘助、諏訪頼重殿をどういたす?」 「お斬りになされませ」 勘助が驚くべきことを、何気ない口調で言い放った。「殺すのか?後味が悪いの、・・・して名門諏訪の血はいかがいたす?」「頼重殿に嫁いだねねさまには、虎王丸さまが居られます。諏訪の血を継いでおられます」 「うむー」 晴信が太い腕を組んで考えこんだ。ねねさまとは晴信の実の異母妹である。「恩赦いたせば、また御屋形さまに逆らいましょう」 晴信にも判っており、義弟の命を絶つことに躊躇(ためら)いがあったのだ。「お屋形さま、今の件は拙者に思うところがございます。お任せ下され」 勘助の脳裡に美しい衣湖姫の顔が過っていた。「今の件はそちに任せるが、話は違うが高遠頼継をいかがいたす?」「信濃攻略が武田家の悲願、既に策はうってございます」「策はあると申すか?」 晴信の若々しい顔が桜色に染まった。「高遠頼継、強欲で聞こえております。日ならず諏訪全土を手中にせんと合戦を仕掛けて参りましょう」 「後ろ盾は信濃守護の小笠原長時じゃな」「御意、両家も攻め滅ぼします」 勘助が当然といった顔つきで答えた。改訂・武田源氏の野望(1)へ
Apr 29, 2014
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改定・武田源氏の野望 (14P) (山本勘助仕官・・・1)「勘助、その先をどのよう見ておる」 信虎が炯々とした眼光で、勘介の異相な顔を凝視した。「信濃を平定し東に向えば海がございます。そこに待っておるのは越後上杉家との合戦にございましょう。下手をうてば甲斐は終りにござる。国主の影虎殿、稀有の器量をもつ武将にございます」 山本勘助の言葉を信虎は無言で聞いている。「武田家は上洛の望みありと推測いたしました。それには海が必要となります。それ故に大殿は偽って晴信さまに放逐された事を口実に、駿河の人質と成られましたな。今後は今川家の軍師、太原雪斎殿、大いに邪魔者となりましょう」 勘助が言葉を切り、信虎の魁偉な顔を見つめ低く囁いた。「山本勘助、それ以上もの申すな」 「はっ」 信虎は初めて背筋に悪寒が奔った、恐ろしきかな山本勘助。目前の異相の牢人に気おくれがした。 併し、歴戦の信虎は瞬時に、この男は使えると判断をした。「勘助、そちは晴信が上杉影虎に負けると申したの?」「そうは申してはおりませぬ。下手をうてばと申し上げました」 信虎が無言のまま太い腕を組んで考え込んだ。「拙者は越後なんぞに気を使わず、駿河に専念することをお勧めいたします」「その訳を聞こう」「大殿はこの駿府城に人質と成っておられます、既に矢が放たれたのです」 信虎は初めてこのような男が、天下に居ることを知らされた。「推薦状、書こう」 声が擦すれた。 「有り難き幸せに存じます」 勘助が平伏し礼を述べた。「浮かれるな、そちはわしの配下として晴信に仕えるのじゃ。それを忘れるな」「心得ておりまする」 暫く雑談をかわし山本勘助は辞去した、どっと疲れを感じ信虎は脇息に身をもたせた。晴信は山本勘助を使うか、案外と気に入るかもなしれぬ、晴信の心中に思いを馳せる信虎であった。 甲斐は今まで国主の器量で生き延びてきた。武将にはことかかぬが、帷幄(いあく)の内で策略をめぐらす軍師に恵まれなかった。 あの男ならその役目をし遂げるじゃろう、信虎はそう信じた。 先刻の会談の内容の壮大な構想と緻密さ、わしも信濃の東までは気づかなんだ。 その越後の上杉家の存在を歯牙にも掛けなんだ、そう思うと改めて山本勘助の器量に恐れを抱いた。それにお弓の奴は何処で山本勘助と知りおうた。 そのことも不可思議に思えた。「御屋形さま、明りも点けずにいかがなされました」 小姓の川田弥五郎の声で我を取り戻した。 「弥五郎、酒の用意を頼む」「はっ」 「ところで腰元の麻衣は気に入ったか?」「はい」 弥五郎が顔を赤らめてすっ飛んで行った。 「「初心な若者じゃ」 信虎が顔をゆるめ、にやりとほくそ笑んだ。これから面白い見せ物が見られる、三河一帯に騒乱が起こり、再び騒々しくなるのだ。 信虎は大杯を手に思案している。晴信は諏訪攻めを始めような、山本勘助め奴は晴信をどう御する。久しぶりに信虎は血の滾りを感じていた。 勘助の仕官がなった知らせが信虎にもたらされたのは、翌年の天文十一年であった。禄は百貫と聞かされた。 (諏訪平定) この年の六月、晴信は高遠頼継と同盟をむすび二万の大軍で諏訪に進攻した。 諏訪頼重は寡兵(かへい)のため、上原城に入城し籠城戦の構えをとった。 武田の本陣には諏訪法性と孫子の、二流の御旗が風に靡いている。 「勘助、力攻めにいたすか?」 晴信が新参の軍師を揶揄うように訊ねた。「御屋形さま、小勢とは申せ敵は決死の覚悟で城に籠っております。ここは一服の絵を愛でるように、これからの合戦をご覧下され」 勘助は黒糸威しの甲冑を纏い、水牛の大角の前立ての兜を被り、本陣に詰めていた。武田家譜代の武将達は彼の力量を判断すべく、勘助を注目していた。 晴信が諏訪法相の兜姿で床几に腰を据えていたが、破顔し勘助に声を懸けた。「洒落た戯言(たわごと)を申すは」 勘助は思案していた、もう一ヶ月も包囲したまま日が経っている。このままでは兵達の士気が緩む。「御屋形さま、諏訪口の高遠勢の軍勢をお引き願います」 勘助の具申に晴信が不審そうな顔をした。「敵勢は焦りから絶望感へと変化いたしております。退(の)き口を与えますれば、死兵達が生を思いだし、死を恐れましょう」 合戦で最も怖い敵は死を覚悟した兵士である。勘助はそのような兵との合戦を回避したかったのだ。 「判ったぞ勘助、わざと逃すか?」「左様、退きぎわを騎馬で叩きまする、若い将にお命じなされませ」「そちは時々、判らぬ事を申すな」「合戦の経験が将と兵等を強くいたします。その機会を与える事が武田家が強くなる秘訣にございます」「さらば、山県三郎兵衛に命じよう」 晴信が素早く反応した。「百足衆(むかでしゅう)、急ぎ山県三郎兵衛に余の下知を伝えよ」「承りました」 百足衆とは武勇に優れた七名の使番を言う、全員が百足の旗印を背負っているところから、この名前の由来があった。 百足衆、二騎が猛然と砂煙をあけ高遠勢の本陣へと駆けてゆく。「高遠勢に動きがあったら力攻めにかかる。狼煙(のろし)をあげ合図をいたせ、」 晴信が采配を握って冷静に下知を下している。 城内の様子がなんとなく慌しくなって見える、策に喰らいついたな。 勘助の隻眼が鋭く瞬いた。 「板垣信方さまに、仕掛けよと申しあげよ」 先陣の板垣勢が鬨の声をあげ猛然と進撃を開始した。青貝摺りの愛用の大身槍を横脇に抱え、板垣信方が板垣勢の先頭で馬腹を蹴っている。「甘利勢も仕掛けよ」 「甘利虎泰、仕掛けます」 二陣の甘利勢も猛烈な勢いで押し出した。 「わあー」と喚声があがり武田家自慢の騎馬武者が突撃して行く、炯烈な法螺貝が城方より吹き鳴らされ、矢が雨のように降り注いでいる。 矢を浴びた馬が前脚を折り地面に転がり、騎馬武者が矢の餌食とされている。 暗澹たる殺戮の光景が、前方の戦場で起こっているのが望見できる。「城内に矢を放て」 晴信の下知で太鼓の乱れ打ちが始まり、武田の弓隊が弦を引き絞り放った。 ざざっと不気味な飛翔音を響かせ、城内に矢が雨のように射ち込まれた。 板垣勢が城門に取り付いたようだ、勘助が仁王立ちとなり敵城を睨んでいる。改訂・武田源氏の野望(1)へ
Apr 27, 2014
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改定・武田源氏の野望 (13P) (女忍と山本勘介・・・4) 信虎が言う高遠頼継とは、どのような人物なのか? 信濃の豪族で、伊那郡高遠城(長野県伊那市高遠町)の城主である。 今は武田家に属し信濃先方衆を務めているが。諏訪の領主、諏訪家庶流の高遠家の当主でもあり、諏訪姓も称している。 甲斐守護武田家と信濃諏訪郡の諏訪家は同盟関係を結んでいたが、天文10年(一五四二年)六月に武田家は晴信が当主になると、信濃侵攻を本格化させる至った。晴信は諏訪家との同盟を破棄し、諏訪郡への侵攻を企てるようになった。 高遠頼継は、その機に乗じ本家の諏訪家の乗っ取りを策していたのだ。 信虎はそうした頼継を曲者と表現したのだ。 「さすれば甲斐は諏訪に進攻いたしますか?」 猛将で聞こえる朝比奈泰能がすかさず聴いた。「念願でござった諏訪攻めでござる、晴信は我が子ながらしぶとい」「成程」 朝比奈泰能が得心の面持ちで信虎の、魁偉な顔を鋭く見つめた。「今日の富士のお山は見事にござるな。駿河からは一段と趣がござるな」 信虎が話の腰を折るように、真っ青な空に聳えたつ富士山を誉めあげた。 甲斐の地と異なり、大広間からは駿河の肥沃の土地が広がり、眼を転ずると青々とした駿河湾が一望できる。 今に甲斐がこの駿河を支配する、信虎は無言で胸中で呟いた。 信虎の言葉が現実となった。晴信は韮崎で小笠原、諏訪の連合軍を破り信濃に駆逐したのだ。その知らせが駿府にもたらされたのは、二日後の事であった。「舅殿、義弟の晴信殿、遣りましたなあ」 晴信より一歳上の義元が鉄漿をみせ、祝ってくれた。 こうして天文十年は暮れようとしていた。 一方の今川家も慌しい一年であった。 当面の敵は三河をめぐる織田信秀(のぶひで)との戦いである。八月には義元率いる今川勢が、小豆坂(あずきざか)で完膚なく叩かれ敗れたのだ。 その後は小康状態を保っているが、いつ織田勢が三河に現われるか判らぬ情況であった。そんな時に今川家にとり、憂いるべき変事が届いたのだ。 尾張知多の豪族、水野忠政(ただまさ)の病が著しくないとの知らせであった。 水野忠政は初め織田家に属し、岡崎城の支城安祥城(あんじょうじょう)を落城させた織田勢の先鋒をを務めていたが、今川家と和睦をし三河の守将とし刈谷城で織田勢に睨みをきかせてきた。 併し、嫡男の水野信元は大の織田贔屓で知られ、忠政の身に不幸が起これば、再び三河の地は、織田勢の脅威に晒されることになる。 その頃、信虎は隠居所でお弓と密談を交わしていた。「三河の地が面白くなって参った。そちは刈谷城に赴き、忠政に毒を盛って参れ」 「刈谷と申せば水野殿ですか?」 「うむ。・・・出来るか?」 にっとお弓が笑みをみせ肯いた、目元に妖艶な色香が浮かんでいる。「さらば甲斐に里帰りと申して早速にも発て」「したが御屋形さま、わたしの留守中に余り腰元を可愛がっては成りませんぞ」「馬鹿なー」 信虎がお弓の勘の良さに、覚えず苦笑した。 信虎はこのようなお弓が好きであった、馬鹿な女を抱くほど味気ないものはないが、利口なお弓は男を喜ばす術を知っていた。 早速、信虎の謀略が始まった。 三河が織田勢に荒らされるほど今川家は忙しくなり、晴信は今川家の事に意を注ぐことなく、信濃攻略に専念できるのだ。「行く前にお屋形さまに、お願いがありますぞ」 「何じゃ」 信虎が不審顔をしてお弓を見つめた。「山本勘助と申すお人に会って下され」 「何者じゃ、その男は?」「参州牛窪の浪人、城取り築城に長けたお人で隻眼でびっこのお方じゃ」「この隠居になにゆえ、推挙いたす?」 お弓の切れ長な眸子に真剣な色が刷かれている。「甲斐の軍師としてお仕えしたいとの事。その仲介をお願いしますぞえ」「そちは何ゆえ、その男を知っておる?」 「わたしの命の恩人じゃ」 「・・・・」「お弓は刈谷に参ります。今宵、勘助殿が忍んで参ります、会って人物を確かめて下され。気に入りましたならば、晴信さまにご推挙願いますぞ」 そう言い残してお弓が足音を消し部屋から去った。 信虎は黙然と庭先に視線を這わせた、遥か先に遠州灘が見通せる。 冬というのに青空が広がっている、まさに肥沃の土地じゃ。 晴信、早う信濃を平定いたせ。次なる獲物はこの駿河じゃ。信虎は無言のままに胸裡の晴信に語りかけていた。「御屋形さま、山本勘助なる浪人がお目通りを願っております」 小林兵左衛門が敷居ぎわより声をかけた。 「通せ」 どのような男じゃ、信虎はお弓の言葉からおよその想像を描いていた。 小林兵左衛門の案内で肩を左右に、傾けながら歩んでくる異相の男が見えた。 「まずは座れ」 「はっ、山本勘助にございます」 言葉のはっきりとした人物で、臆することもなく示された座に腰を据えた。 信虎の想像をこえた人物が目前にいる、隻眼の奥に凄味が感じられ人の心を見透かすような光を宿している。まさに異相な人物である。「甲斐の倅に推挙せよと申すか?」 「はっ」 その男が平伏した。「軍学に長じておると聞いたが、誰に仕えて参った」「何方にもお仕えしてはおりませぬ」 「かたり者か?」 信虎の眼が細まり声に苛立ちがこもった。「拙者の眼がねにかのうお方が居られませんでした」「何故に晴信に眼をつけた」 勘助の頬が崩れ隻眼に愛嬌が湧いた。 信虎は瞬間に人代わりした、他の男が目前にいるかのような錯覚を覚えた。「大殿と晴信さまの生き方に感じ入りました」 山本勘助が語りつつ周囲に眼を配った。 「三河は荒れましょうな、織田信秀殿なかなかの仕事人。刈谷城をめぐる駆け引きが面白く感じられますな」 「なにっー」 信虎は声が出ない、わしの策略を見破っておるのか。 勘助は信虎の思惑もかまわず言葉を続けた。「甲斐は一刻も早く信濃を平定せねばなりませぬ。その為には諏訪、高遠郡、さらに進んで、北信濃を治めねばなりませぬ」改訂・武田源氏の野望(1)へ
Apr 25, 2014
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改定・武田源氏の野望 (12P) (女忍と山本勘介・・・3) 下帯ひとつにされ、肌触りのよい白練の寝衣装が肩先にかけられた。 寝所は仄暗く女の体臭がさらに強まった。 慣れた手つきで下帯が解かれ、女体が信虎の逞しい躯にまとわりついた。「お弓か?」「あい」 それは女忍者のお弓であった。 彼女とは何度も褥を一緒にした間柄である。 暖かい手が信虎の股間に伸び、ふぐりを優しく握られ、男の命の魂(たま)ともども柔らかく愛撫された。「お弓、わしが三人の腰元を抱いても悋気(りんき)をおこすなよ」 信虎がお弓の愛撫に身を任せ、快感で擦れた声でお弓の耳朶に低く呟いた。 途端に信虎の躯が大きくはね飛ばされ、寝具の上に放り投げられた。 流石は忍びだけある、お弓は素晴らしい忍者の業を見せつけた。 大の字となった信虎の躯に馬乗りとなり、衣装を脱ぎ捨てたお弓が裸体となり、濡れそぼった秘所に、信虎の猛々しい命を自ら銜え込んだ。 信虎の背筋にえもいわれぬ快感が奔りぬけ、思わず太い呻き声を洩らした。 お弓の長い黒髪が逞しく剛毛の養いた、信虎の胸の上をさらさらと這い、それが事態が快感となって信虎に襲いかかった。 信虎が豊かで柔らかい、お弓の腰に手を添い上下にゆすりあげた。 彼女の騎乗位の姿勢が弓なりに反り、秘所が微妙に蠢いた。喘ぎ声が悲鳴に変わり、太腿が自然に震え、信虎の逞しい躯にお弓がしがみついた。 信虎が放つ快感の熱い迸りを胎内で感じお弓が果てた。 寝所に男女の荒々しい呼吸が響いていたが、それも鎮まった。「御屋形さま、時々こうして可愛がって下され。忘れたら許しませんよ」 お弓が房事の後の気だるい声で信虎を脅し、信虎がお弓の乳房を愛しそうに揉んで、かすれ声で答えた。 「忘れはせぬ」「ならば、あの女子どもを抱く事は許してさしあげます」 お弓は容貌魁偉で人々に恐れられる信虎を、心の底から好いていた。 こうした行為の最中にみせる信虎の態度に女子として感ずるものがあった。 淋しいお方なのだ、これがお弓の信虎に対する感想であった。「そちのここが一番じゃ」「あっー」 お弓が悲鳴をあげた。信虎の分身がお弓の胎内でぴくっと蠢いたのだ。 こうして信虎の人質としての、初の駿府城の夜が更けていった。 駿府城に甲斐から忍び者が駆けつけて来た。大広間の上座に義元が厳しい顔で脇息に身を支え、傍らには太原雪斎が腰を据えている。 左右に今川四天王の葛山氏元、岡部元信、庵原将監、鵜殿長持の四将と重臣の朝比奈泰能(やすよし)が忍び者の報告を聞いている。「晴信さまが家督宣言を成された五日後に、はや信濃守護小笠原長時さまと諏訪頼重さまが、手を握られ韮崎(にらざき)に押し寄せております」「して武田勢はいかがいたしておる?」 朝比奈泰能が訊ねた。「晴信さま八千の大軍を擁し、古府中を出陣され韮崎に急行中にございます」「判った、下がれ」 雪斎が常の如く柔和な声で命じた。「雪斎、そちがほどこした策じゃな」「御意」「どのような手じゃ」「簡単な策にございます。武田晴信、父の信虎を追放いたし国主となったが、 未だ国人衆は晴信に心を寄せてはおらぬ。今のうちに甲斐を攻めねば、信濃は甲斐の属国となろう。このような噂を流し申した」 太原雪斎が桜色の肌をみせ、平然とした態度で報告した。「成程な、まんまと信濃守護の小笠原長時が乗ったか。しかし諏訪勢が加担いたすとは合点が参らぬ」 義元が思慮している。彼には小笠原長時の動きは不思議ではないが、諏訪勢の裏切りが理解できないのだ。 小笠原長時は信濃守護で、小笠原家の当主で信濃の林城主である。 彼は北信の村上義清に押され気味で、その一環で佐久に色気をもっていた。 それ故に甲斐の信虎排斥の動きを察知し、韮崎に軍勢を押し出してきたのだ。 義元の疑問に雪斎が柔和な口調で推測を述べた。「諏訪頼重殿は信虎殿を恐れ、小県郡に兵を出しましたが、晴信殿は若輩。まだ甲斐全土を、掌握されてないと思っての反抗かと推測いたします」「甲斐は勝てるか?」 義元が興味深く雪斎を見つめた。「我が家に救援の要請がないのは、勝てると踏んでの事でありましょう」「一度、舅殿の考えを聞いてみたものじゃ、お呼びいたせ」 義元の命で近従の者が小腰をかがめ大広間を去った。 暫くし廊下に足音を響かせ、愛刀の兼光を携えた信虎が姿を見せた。「信虎、罷りこしました」 大広間に巨体を現し、一座の武将達に深々と辞儀をした。「舅殿、こちらへ、甲斐が荒れておりますぞ」 義元の言葉に信虎が眼を細めた。雪斎が現状を説明し、義元と重臣達が興味深く信虎の態度を眺めている。「それは何時の事にございましょうや?」 「五日前と報告を受けております」「ほう。・・・・ならば決着はついておりまするな」 信虎が魁偉な容貌をみせ断言した。「甲斐は無事にござるか?」 朝比奈泰能が鋭い眼差しを見せ、信虎に訊ねた。「信濃の豪族が甲斐に進攻いたせば、甲斐の国人衆、晴信に命をあずけましょう。それもわしの悪逆非道がもと、これで甲斐は晴信の下に固まり申した。悪運の強い奴じゃ」 信虎の顔が紅潮している。「その後の見通しはいかがかな?」 雪斎が柔和な声で問うた。「諏訪家の縁戚に高遠城の高遠頼継(たかとうよりつぐ)と申す曲者が居ります。 わしが諏訪の舅となってからは温和しゅうしておりましたが、奴が動きだ しましょうな。諏訪本家を狙って晴信に接近いたすと読みます。双方とも利害が一致いたしますでな」 信虎が澱みなく、甲斐の現状を隠すこともなく今川家の主従に伝えた。改訂・武田源氏の野望(1)へ
Apr 23, 2014
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改定・武田源氏の野望 (11P) (女忍と山本勘介・・・2) 信虎一行は山岳地帯をぬけ、凪いだ駿河湾を遠望し駿府城に到着した。 この駿府城は駿河国安倍郡、現在の静岡県静岡市葵区にあった城である。 別名は府中城や静岡城などと言われていた。 信虎のために義元以下、今川家の重臣連が大手門まで出迎えた。 これは異例の出来事であった。義元は信虎を家臣達に、義父としての立場を見せつけたのだ。「これは恐れ多いことに存ずる。落ちぶれ果てた老人に、このような晴れがましいお出迎えとは、汗顔のいたりにござる」 さしもの信虎も義元の度量の大きさには驚嘆を覚えた。「我が舅殿がこの城に参られましたのじゃ。感に堪えない喜びに存ずる」 異様な容姿をした義元が、信虎の手をとり客殿まで案内(あない)した。 この若造なかなかの食わせ者じゃ、信虎は胸裡で呟き客殿の定めの席に腰をおろした。 「舅殿に、我家の軍師を紹介いたす」「これはご丁寧に、痛み入ります」 「信虎さま、拙僧が太原崇孚にございます」 中肉中背の僧が豪華な衣装を身につけ、桜色の肌に柔和な眼差しをみせ信虎に、簡潔に挨拶を述べた。「おう、ご貴殿がかの有名な雪斎殿か、今後お世話になり申す」 信虎の魁偉な容貌と崇孚の柔和な風貌が、対照的に義元の眼に映った。 早速、宴会が始まった。信虎等四人の膳部に海の幸がこぼれんばかりに盛られてある。 「ささ遠慮のう食されませ、家来たちもじゃ」 義元が満面の笑顔で気さくに勧めた。 信虎が真っ先に鰹の刺身を口にし、覚えず舌鼓をうった。「これは美味いー」 「今の季節が旬でござる」 雪斎がそれに応じた。「駿河は豊かに御座るな、それに引きかえ甲斐は貧しい」 この言葉は信虎の本心であった。甲斐は山国で海の幸の刺身なぞは口には出来ない。せいぜい塩漬けの魚を食すだけである。 四人が酒を忘れ海の幸を味わっている。「これは何でござる?」 「鮑(あわび)の蒸し煮にござる」 義元が屈託ない態度で信虎を眺めているが、信虎、間違いなく古狸じゃ。 太原崇孚が鋭く信虎の挙措動作を眺めやっている。「遅れて申し訳ござらんが、我が家人(けにん)を紹介つかまつる」 信虎が三人を紹介した。「余が義元じゃ、舅殿の恩義に報いよく駿河まで参ったの。礼を申すぞ」「勿体ないお言葉身に染みまする」 小林兵左衛門が代表し礼を述べた。「義元殿にご相談がござる」「はて、何事にござるかな」「この女子は腰元のお弓と申す、女子の身ゆえ甲斐に未練がござる。時々、里帰りなんぞさせてやりたいと存ずるが、宜しゆうござるか?」「そのような些事。余に相談せずとも舅殿の気ままに成され」「かたじけのうござる」 信虎が義元に低頭し、礼を述べた。「お疲れにござろう。隠居所を用意いたしてござる、お引取り頂きご家来衆と気儘に過ごされよ」 今川家の家臣に案内され信虎一行が下がって行った。足音が途絶え、待って いたかのように雪斎が口をひらいた。「御屋形、あのお弓と申す腰元は忍びにござるぞ」 「余も気づいておった」「あのような事を気儘に受けられては困りますな」 「四人で余の首を狙うか?」 義元が破顔をし、黒く染めた鉄漿(おはぐろ)が見えた。「いや、我が家の秘密が甲斐に洩れる事が恐いと申しておるのです」「雪斎、その逆もあるぞ」 義元が笑い、又もや鉄漿が黒くちらりと覗いた。「これは恐れいりました。詭計で事を制しますか、御屋形も隅におけませぬな」 二人が声を殺し含み笑いをあげた。 信虎は案内された隠居所をみて驚いた。新緑に包まれた日当たりの良い場所に木の香の匂う新築の隠居所があった。ツツジの花が咲き乱れる庭の池には、鯉が泳ぎ時折、水飛沫を挙げている。「これは豪気な、甲斐を追われた、わしにこのような立派な館を下されたか。戻られたら義元殿に、この舅が喜びに咽んでおったとお知らせ申して下され」「畏まりました、ご用を致す者たちをお目どうりいたさせます」 家臣が手を叩くと信虎の前に、腰元五人が豪華な衣装姿で平伏した。いずれも若く目の覚めるような美女達である。小者も十名ほど手配りされていた。「いずれも、ご舅さまの勝手にとの仰せにございます」 家臣の言葉に信虎は、一瞬、国を追われた我が身の境遇を忘れた。「兵左衛門、酒の用意をいたさせよ。今宵は気のむくまで飲もう」 信虎と小林兵左衛門は腰元達に囲まれ、今までの憂さを晴らした。「そちの名はなんと申す」 信虎が傍らの腰元に名を訊ねた。「はい、麻衣と申します」「良き名前じゃ、年はいくつじゃ」「十六才となります」 切れ長の目をした美女であった。 「そちはわしの小姓の川田弥五郎の世話をいたせ」 麻衣は肯いて去った。「次ぎは兵左衛門じゃな」 「何事にございます?」 信虎の魁偉な顔が崩れた。 「駿府に骨を埋める事になろう。女子なしでは淋しい、好きな者を連れて行け」 小林兵左衛門が酒の酔いで赤らめた顔を更に赤らめ、狼狽している。 「遠慮は無用じゃ、あとはわしが気儘にいたす」 「あの者が気に入りましてございます」 小林兵左衛門が顔を赤らめ、遠慮ぎみに低く呟いた。 見ると腰元の方も満更でない素振りをしている。「兵左衛門、わしは床に就く、女子を伴って消えよ」 信虎はゆらりと酔った躯を起こし、奥の寝所に向かった。豪華な寝具が敷かれている。彼は兼光の大刀を枕元の刀掛に立てかけ、水差しを手にし直に飲干し、「ふっー」 と大きく酒臭い息を吐き出した。 微かに襖のひらく音がした。「着替える」 野太い声で命じた。背後から微かな化粧の匂いが漂い、柔らかな手の感触が腰のあたりに感じられ、袴と着物を脱がされた。改訂・武田源氏の野望(1)へ
Apr 21, 2014
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改定・武田源氏の野望 (10) (女忍と山本勘介) 心が通いあった時が父子の別れであった。 「おうー。あれは」 信虎が野太い声を発した。 新緑に覆われた白鳥山の稜線に、騎馬武者の軍勢が現われた。 まるで一行を見送るように、二筋の流れとなって疾走している。武者の武田菱の指物が風を受け弓なりにしなり、甲冑、兜の前立てが太陽を浴び、きらきらと煌めき、壮観、精強な騎馬軍団の光景である。「おう、板垣信方か、原虎胤も居るの。左手は甘利虎泰じゃな見事じゃ」 信虎が馬脚をゆるめ、眼を細め一人、一人の名を呟き眺め入っている。 「晴信、甲斐は騎馬武者を主力にいたせ」「畏まりました」 父子は無言で進んだ。騎馬武者の先頭に三騎が進みで片手を天に突き上げた。 三人の重臣達の信虎への訣別の合図であろう。「馬鹿者め、感傷に浸っておるようでは将来に禍根を残すことになるぞ」 口汚く罵(ののし)る信虎の顔に、一抹の憂愁の色が浮かんだ。「晴信、今生の別れじゃ。二度と会えぬじゃろうが健吾に過ごせ」「父上も」 甲駿(こうすん)国境から軍勢が現れ、一騎の騎馬武者が駆け寄ってきた。 「そこにおわすは武田晴信さまのご一行とお見うけいたす、拙者は今川家の家臣、大井美濃守にござる。お出迎えに罷りこしましてござる」「余が武田晴信じゃ。出迎えご苦労、父信虎さまをお引渡しいたす」「晴信、さらばじゃ」 信虎が馬腹を蹴った。数名の家臣がその跡を慕って追いすがっている。「甲斐は父上に代わり、晴信が治めまする」 晴信が声を張り上げた。「これが己の父に対する仕打ちか、親不孝者め。わしは一生そなたを憎み許さぬ」 信虎の野太い声が切れぎれに聞こえてくる。父上は最後まで今川を欺(あざむ)かれるのか、晴信は父信虎が国境の山並みに消え去るまで見送った。 馬首を返すと板垣信方、甘利虎泰、原虎胤の三将が草叢に平伏していた。 ここに甲斐源氏武田家十七代国主が誕生したのだ。 武田大膳太夫晴信二十一才の時であった。 信虎は己を慕ってきた家臣を甲斐にもどした。最早、扶持(ふち)する力も失せ彼等の将来を案じての事であった。だが三名の者だけは信虎の傍らを離れる事はなかった、近従の小林兵左衛門、小姓の川田弥五郎に信虎の腰元お弓であ った。このお弓は信虎が信頼する女忍び、いわゆるくノ一であったが、時には信虎の閨の相手もした。 くノ一の活躍は晴信が信玄と改名した後から、本格的に動きだすことになる。 史実に登場するくノ一で有名なのは、武田信玄に仕えた歩き巫女の集団である。 その頭領は望月千代女と名乗っていた。戦国時代には孤児や捨て子、迷子が大量に発生した。その中から心身ともに優れた少女を集めて歩き巫女に仕立て、隠密として各地に放ったのがくノ一である。信玄がくノ一の養成を命じたのは信州佐久郡の豪族望月氏当主、望月盛時の若き未亡人望月千代女であった。 実は千代女は甲賀流忍法の流れを汲む名家、望月家の血族であり、望月氏には信玄の甥が入り婿になっていたため、信玄は望月千代女を巫女頭領に任じ、信州小県郡祢津村の古御館に修練道場を開いた。 反面、信玄は家臣の謀反を恐れ、屋敷に僧、巫女等を泊める事を禁じた。 甲駿国境は新緑の臭いに包まれ、蒼天には雲一つ浮かんでいない。 信虎一行は駿河の山岳地帯をぬけ一路、駿河湾を見下ろす駿府城を目差した。 (女忍びと山本勘助) 駿府城では義元と太原崇孚が膝を交え語りあっていた。崇孚は雪斎と号し、今は義元の軍師を務めているが。彼は河東第一の伽藍とうたわれた禅宗寺の善得寺で修行をし、のちに京に上り建仁寺で禅の修業を行い剃髪した。 二十七才の時に乞われて今川氏親の四男義元の養育係りとなり、義元が家督を継ぐと軍師として仕えるようになった。太原なしでは今川家は成り立たないと言われた逸材である。彼はこの年四十五才となり義元は二十二才となっていた。「雪斎、明日には甲斐の古狸がこの城に到着するであろうな」 烏帽子、直垂姿の義元は歯をおはぐろに染め、胴長、短足が特徴であった。「御屋形、なんと申しても舅にござるぞ言葉を慎みなされ。併し、晴信殿を頼むと言われた時は驚きましたな」「そうじゃの、晴信殿は若い。古狸が甲斐に居座っては当家にとって何事も油断がならぬ、そういう意味では僥倖(ぎょうこう)であったかの?」「左様、なれど信虎殿は歴戦の猛者、この駿府で何を画策されるか判りませぬ、ご用心のほど」 雪斎の柔和な顔が桜色に輝いているが、眼だけは笑いを忘れ底光りしている。「余は東海一の弓取りじゃ。古狸の使い方は考えておる」 「いかが成されます」 雪斎の顔に興味の色が浮かんだ。「すでに城内に隠居所をしつらえてある。酒と女子を与え様子をみる。いざと なれば、一手の将として今川勢の先鋒として遣こうてやる積りじゃ」「それも良きかな、剛勇で鳴らしたお方で御座いますからな」「それにしても武田晴信、なかなかの男じゃの。古狸の子飼いの武将連を全て手のうちに入れたと聞く」 「中心で動いた武将は板垣信方、飯富兵部等と聞き及びます。これも信虎殿の悪逆非道のなせる所為、今後は諏訪殿の動きが微妙になると思うております」「諏訪頼重、先年に古狸の三女を嫁にもろうたと聞いておる。果たして動くかの」 義元が雪斎に問いかけ、雪斎が微妙な顔つきを見せた。「すでに手は打ってございます。近々には武田家に叛(そ)きましょうな」「流石は余の軍師殿じゃ、晴信殿の器量が計れるな」「だが余り甲斐を混乱に巻き込みますと、我が今川家の三河攻略に差し障りがございます。その時には援軍を差し向けます」「うむ、甲駿同盟を強固にせずば成らぬからの」「北条勢が動けば、三河攻略も元も子もなくなります」 二人は心底から信虎を信じてはいなかったのだ。二人の密談はまだ続いている。改訂・武田源氏の野望(1)へ
Apr 18, 2014
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改定・武田源氏の野望 (9) 信虎追放 座敷に集った者達が唾を飲み込み、晴信の様子をうかがった。 晴信が皆に見せたこともない、鋭い眼光を光らせていたのだ。 甘利虎泰が口をひらいた、彼の顔にも苦渋の色が浮かんでいる。「近々、晴信さまへの駿河追放のご沙汰がございましょう。その際、我等は手勢を率い、御屋形さまを駿河に追放いたすお手伝いをいたします。なにとぞ甲斐国主の座をお引き受け頂きたく伏してお願い仕ります」「信方、父上の御心の裡は聞いたが、父上から甲斐放逐のご沙汰を待って事にあたれと申すか?」 晴信が顔を引き締め信方の厳つい顔を見つめた。「左様、この策は御屋形さまが練にねられた結果から、導きだした計略にござる。そうせねば今川家を騙すことが叶いませぬ」 板垣信方が汗を滴らせ、晴信の顔を見上げ必死の思いで懇願した。「倅のわたしが父上を放逐せねばならぬのか?・・この晴信に生涯、父を追放した汚名をきろと申すか」「何事も甲斐の為に御座います。悪名を背負って下され」 原虎胤が畳みにひたいを摺りつけ涙声をあげた。「信繁、申し上げます。父上は兄上に甲斐を放逐され駿河に行かれるお覚悟、 事は進んでおります。父上の調略の成否は兄上が握っておられます」 それまで黙していた信繁が必死の思いで晴信に声を懸けた。「わたしに甲斐が治められるか?」「出来まする。甲斐は信濃攻略中にございます、何としても信濃を手に入れ甲斐源氏の御旗を京に立てて下されませ」 板垣信方が懇願した。「皆、わたしが甲斐国主の座を引き受けても信濃の攻略には何年もかかるぞ」 晴信の言う通り信濃の領域は佐久、伊那、高井、埴科、小県、水内、筑摩、更級、諏訪、安曇の十郡を以って成立し、現在の長野県のうち木曽地方を除き大部分を領域にしていた。そこに諸豪族が覇を競っていたのだ。「晴信さまなれば可能に御座る。若く将来が拓けておりまする」 甘利虎泰が断言した。今年で晴信は二十一歳と成っていた。 虎泰の言葉に晴信の眼が強まったが、一座の者は誰も気づかずにいる。 父上の夢は上洛にあったか、晴信はこの場で悟った。ならば父上の策に乗るまでじゃ。「皆の存念しかと見た。甲斐はわたしが治める」「ははっー」 一同が平伏した。「ところで信方」 「はっ」 板垣信方が嬉しそうに晴信を仰ぎ見た。「今川家には希代の軍師がおると聞いておる。名は太原崇孚と申される」 「左様に、雪斎(せっさい)と号しております」 「わたしが甲斐の国主となり、父上をお預かり頂くからには応分の気配り が必要じゃ。義元殿と雪斎殿に書状を書こう、これを秘かに駿河に届けよ」 板垣信方は内心狼狽した、まさか晴信さまが今川の内情をご存じとは。 家来に硯の用意を命じ、若き晴信の横顔を盗み見た。容貌魁偉ながらも目元が涼やかである。 御屋形さまも流石じゃ、晴信さまを国主とするために身を犠牲とされたのじゃ。 信方は信虎の国を思う心をしみじみと感じとった。 晴信は丁寧に書状を記している、時折、視線を宙にさ迷わせ書き終えた。 「これを直ちに駿河に届けよ。太原雪斎殿とは臨済寺の住職とお聞きいたすが、 本当かの」 「詳しくは存じあげてはおりませぬ」 板垣信方は晴信の鋭い質問を浴びたじたじとなっている。そんな己がかえって嬉しく感じられた。これで甲斐は益々強大となる、そんな予感がした。 天文十年六月十四日、晴信追放の日が訪れた。躑躅ケ崎館の門扉が大きく開かれ、烏帽子、直垂(ひたたれ)に身形を改めた信虎、晴信父子が騎馬で館をあとにした。目指すは甲駿国境の万沢口である。この地はは甲駿国境で緊張感に包まれた地だった。 平時は宿場であったが双方の最前線の地である。そこには白鳥山という山がある、城取り山が転じたという説があった。 警護の家臣は兜をかむらず甲冑を纏い二人の跡に付き従っている。 父子は轡を並べ先頭を進んでいる。「晴信、父を恨むな」 「父上、今後は御尊顔を拝する事が出来ませぬ。お体を愛うと下さい」 無言で肯いた信虎の顔に、何時になく憂愁の色が浮かんでいる。 晴信は無言で山並みを見つめ、ゆったりと騎馬を歩ませた。 今頃、国境付近では板垣勢、甘利勢、原勢が集結を終えている筈である。 躑躅ケ崎館には不測の事態に備え、信繁、飯富兵部、馬場信春等が兵の配置を済ましている筈である。二人の行く手に甲駿国境の山並みが見えてきた。 風のない蒸し暑い日であった。 「晴信、見事な兵の手配りじゃ」 信虎は城内の様子で、晴信の計画を察知したようだ。「わしに代わり甲斐を治めよ」「父上・・・」 「何も申すな」 矢張り父上はわたしに、甲斐の国主の座を与えるお考えであった。 そう思った晴信のひたいに汗が滴った。「わしは享禄元年に大いなる過ちを犯した」 「・・・・-」「甲斐一国を平定いたし、わしは急いでいた。その年は大旱魃(だいかんばつ)で領民は塗炭の苦しみにあがいておったが、わしは国をあげ諏訪攻略の合戦を始めたのじゃ。合戦には勝ったが、非情な国主と批判されるようになった。そちは甲斐国主としてわしの過ちを繰り返してはならぬ」 「・・・・」「わしが駿河の地に入ったら国境の柵を閉じよ。わしは倅に放逐された憐れな男として駿河に行く、間者となって甲斐武田家を支えてやる積りじゃ」「父上っー」 晴信の瞼が潤んだ。 「晴れの門出じゃ、涙は無用」「父上、甲斐は確かにお預かりいたします」 二人の身体を柔らかな緑の風が吹き抜けていった。「信濃を早う平定いたせ、次ぎは駿河じゃ。塩の道と京の道が開ける」「はっー」 今になって父の深い思いが判った。「そちには辛く当たってきたが、わしの眼違いじやった。許せよ」改訂・武田源氏の野望(1)へ
Apr 16, 2014
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改定・武田源氏の野望 (8) 「信方、よく聞くのじゃ。わしの夢を果たすには、晴信に頼るほかないのじゃ。そちは重臣等を説得し、晴信を国主の座に担ぎだすのじゃ。そしてわしを駿河に追放するよぅ、晴信をそそのかすのじゃ」 余りにも途方もない話で板垣信方は言葉を失った。 「わしは倅に騙(だま)された憐れな男として駿河に赴く。今川には恐ろしい軍師がおる、知っておろうが太原雪斎じゃ。こうでもせぬば今川家には入り込めぬ」 「御屋形さまは、今川家に間者として赴かれる積りに御座るか?」 「そうじゃ、これなくば武田の旗を京に翻すことは叶わぬ」 信虎の言う今川家の太原雪斎とは、太原崇孚(すうふ)と名乗る僧であった。 今は義元の軍師を務めているが。彼は禅宗寺の善得寺で修行をし、義元が家督を継ぐと彼に仕え、稀代の軍師として諸国に名を知られる存在となった。 信方は凄まじい信虎の執念に、なにも返す言葉もなく信虎が注いでくれた酒を咽喉に流し込んだ。「信方、甲斐は山国じゃ。何としても駿河を得て海を盗らねばならぬ」「・・・・」 信方は何も反論できずに無言のまま板の間に平伏した。 ただ信虎の甲斐を思う気持ちと武将としての野望を見た思いがした。 翌日、躑躅ケ崎館の主殿で盛大な戦勝の宴がひらかれた。 信虎は上機嫌で座所で脇息に身をあずけ、大杯をあおっている。「兄上、お手柄で御座いましたな」 信繁が嬉しそうに晴信の杯を満たし語りかけた。晴信は先刻から板垣信方の日頃に似つかわしくない態度が気になっていた。 「信方、いかがいたした、元気がないの」「はっ、妙に腹の具合がかんばしく御座いませぬ」 酒豪で知られる彼が珍しく杯を舐めるように口に運んでいる。 一座の武将達は酔いが廻るにつれ、荒武者らしく怒号と笑いが起こり、座が騒がしくなってきた。「皆の者、静かにいたせ」 信虎が戦場焼けした野太い声をあげた。 武将連が口を閉ざし上座を見つめた。信虎が魁偉な容貌を朱色に染め、愛刀の兼光を握り立ち上がった。眼光が炯々と輝いている。「皆に申し聞かせる。わしはこの目出度い吉日を機に隠居いたすと決した」「なんとー」 突然の信虎の隠居宣言に、一座の武将達から驚きの声が漏れた。「これから述べる事は甲斐国主としてのわしの最後の言葉と成ろう。心して聞くのじゃ。家督は信繁に与える事にいたす」 一瞬、異様な空気が座所に漂い、すかさず信繁の声が響いた。「父上、信繁は父上の意見に反対にございます」 「甲斐の国主となることが不服と申すか?」 信虎の愛刀兼光の鐺(こじり)が床板に当たり鈍い音がした。「兄上が国主を継がれるべきにございます」 晴信は顔を伏せ黙しているが、顔色が少し青ざめて見える。 嫌われている事は分かっていたが、この場でこの話を聞くとは思わなかった。「この件は、わしが熟慮した結果じゃ。晴信は駿河の今川家に預けることにする」「御屋形さまこの話、兵部には納得が参りませぬ」 飯富兵部が顔を赤らめ反論した。 「そうじゃ」 数名の重臣等も反対の声を挙げた。「黙らぬか、わしもいささか年を得た。信繁は性格温厚、治世にも心を配るであろう。晴信に訪ねる、そちは父の考えに反対かの」 そこ意地の悪い質問であるが、晴信は平静な声で答えた。「父上の子として何の不服が申せましょう、喜んで駿河に赴きまする」「うむ、良くぞ申した」「板垣殿、ご貴殿は御屋形さまのお言葉に同意にござるのか?」 原虎胤が塩辛声をあげ、鋭い眼を光らせ訊ねた。「拙者は御屋形さまがお決めになられた事に逆らう気はござらん」 板垣信方の言葉で一同から無言の吐息が漏れた。「甘利虎泰申しあげます。ご嫡男の晴信さまこそ武田の棟梁に相応しきお方と心得ます、なにとぞご再考のほど願い奉ります」「虎泰、晴信が了解してくれたのじゃ。甲斐の国主は信繁といたす」 信虎が断言し、一座に重苦しい沈黙が流れた。「さて甲斐の新しき国主も決まった。今日は目出度い戦勝祝いじゃ大いに飲め」 信虎がどかっと腰を据え大杯を突き出した、すかさず小姓が満たした。「わたしが居っては座の盛り上がりも悪かろう、わたしはこれで失礼いたす」 晴信が信虎に無言で挨拶し、静かに主殿から姿を消し去った。「兄上、お待ち下さい」 信繁が跡を追っていった。 信虎は咎めることなくその様子を眺めていた。彼には信繁の考えが痛いほど分かっていたのだ。 古府中に夜の帳が落ち、梅雨のはしりか細かい雨が降り出した。 信繁が人目を忍ぶように板垣信方の屋敷に消え、しばらくすると小者たちが足音を忍ばせ各所に散っていった。 板垣家の奥座敷である。上座に晴信が座し傍らに信繁が緊張した顔で控えて いる。その前に、板垣信方、甘利虎泰、飯富兵部、原虎胤、馬場信春等の五名の武田家の重臣が集まっている。 座敷の前には若い山県三郎兵衛が、大刀を引き寄せ警護の役をかっていた。「晴信さま、我等は今日の御屋形さまの申しよう納得が参りませぬ」 飯富兵部が厳つい顔を引きしめ、晴信の若々しい顔を凝視した。「わたしに父上に逆らえと申すか?」 晴信が気負いもなく訊ねた。「兄上、信繁からもお願いいたします。なにとぞ甲斐を治めて下され」「板垣、そちは信繁の意見には反対であろうな」 珍しく晴信が厳つい顔付の信方を鋭く眺め言葉を発した。「御屋形さまのお言葉に反対もせず、申し訳御座いませぬ。昨夜、御屋形さまより、この件をお聞きいたしておりました」 意を決し、板垣信方が晴信の顔を正面に見て口を開いた。「なにっ、わたしの追放を知っておったと申すのか?」「はい、御屋形さまのお胸の裡も、その真意も心に刻んでおりまする」 板垣信方が信虎の真意を全て晴信に述べ終えた。「・・・・」 聞き終り、晴信が無言で宙を睨んだ。改訂・武田源氏の野望(1)へ
Apr 14, 2014
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改定・武田源氏の野望 (7) 一方、村上義清は焦っていた。折角、味方となって佐久郡で兵をあげた滋野一族の尾上城と海野幸綱(ゆきつな)の籠る矢沢城に、救援部隊を差し向ける事が出来ないのだ。 武田勢と諏訪の連合軍は一万五千名の大軍である。 すでに尾上城の滋野一族の大半は討死し城は落城した。矢沢城も厳重な包囲下にある。この城もやがて降伏するだろう、ここに滋野一族は四分五裂に分断され各所で大損害を被り、ついに禰津氏、望月氏は武田家に降伏。海野一族の海野棟綱(むねつな)は、倅の幸隆をともなって上州吾妻郡羽尾へ逃れた。 この海野幸隆が後に真田幸隆と名乗り、その彼の弟が矢沢綱頼である。 彼は後年、兄の幸隆が板垣信方の推挙で武田家に仕官すると、また彼も矢沢城を与る身分となるのである。 敗報の報せを受けた村上義清は、臍を噛む思いで聞いている。彼の猛将ぶりは近隣に鳴り響き、金剛夜叉明王の化身として恐れられていた。 信濃埴科郡(にしなぐん)葛尾(かつらお)城主で、武田晴信の侵攻を二度撃退するなどの武勇で知られ、佐久郡、埴科郡、小県郡、水内郡、高井郡など信濃の東部から北部を支配下に治め、北信濃六郡と越後一郡を領有する戦国大名の、己が独自で戦いを挑む力のない事を思い知らされたのだ。日ならずして矢沢城も武田勢の前に落城した。海野城は辛うじて持ち堪えていたが、城主の海野幸綱は孤立無援を恐れ、関東管領の上杉憲政(のりまさ)を頼って城を捨てた。 ここに約一ヶ月に及ぶ佐久郡、小県郡の合戦に終止符がうたれた。 戦後処理を全て終え諏訪頼重の軍勢を見送り、武田勢は六月上旬に躑躅ケ崎館に帰還したのだ。 信虎は館に寛ぎ尾上城攻略の晴信の戦術を聞き、唸る思いで聞き入った。 その時の晴信の将兵の偽装工作の妙に心が騒いだ。 三方の山々に徒歩の兵を部署し、武田の旗指物を木々に縛りつけ大軍に見立てた手並みは、信虎の力量をもってしても思いつかない戦術であった。 小県郡での晴信の働きは、武田家の将兵の心を掴むに充分であった。(わしも老いたか) これが偽りのない信虎の本心であった。 容貌、体躯と余りにも己に似ているために疎んじてきたが、それが間違いと気づきはじめた。十四才から戦塵に明け暮れ、甲斐を統一し国主の座を得たが、己が四十五才であることを悟った。「晴信は二十一才じゃな」 信繁を跡目にと考えていたが、その思いが間違いである事に気付いた。 あ奴は実直で律儀な戦をするが、晴信のような閃きが足りぬ。それに股肱の重臣達の心も掴んではおらぬ。信虎は事態を冷静に読みきった、甲斐はまだ伸びねばならないのだ。信虎は秘かに板垣信方を呼び寄せた。「御屋形さま、このような刻限に何事でござる」 信方が相変わらず不敵な顔をみせた。「飲みながらわしの話を聞け」 信虎が愛用の大杯を一気にあけ信方に質問を発した。「晴信をいかが見る」 唐突な問いに、信方が戸惑い無言のまま信虎の魁偉な顔を見つめた。「初陣より奴を見て参ったが、悔しいが奴の将器は遥かにわしを凌いでおる。余りにわしに似ておるために、事ごとに辛く当たって参った」 「・・・・」 信方はこのような信虎を見たことがなく呆然としている。「晴信を廃嫡いたし、信繁を甲斐の国主と思うたが、信繁ではわしの望みは果たせぬ」 まだ板垣信方は信虎が何を言いたいのか判らない。「信方、わしは明日の戦勝祝いの席で晴信を廃嫡いたし、駿河の今川殿のもと に追放いたすと公表する積りじゃ」 信虎が驚くべき事を口走った。「何を仰せにござる。お屋形は何を申されておるのか解って御座るか?」 板垣信方が驚いて腰を浮かし叫んだ。 信虎はそんな信方に、珍しく柔和な眼差しで眺めている。 「それはなりませんぞ、御屋形さまの跡目は晴信さまでなくばなりません」 「信方、わしの考えも同じだ」 「はあー」 板垣信方が怪訝な顔をした。「信繁でも甲斐の国主は十分に務まる、じゃが、わしはそれでは満足できぬ」「拙者は、とんと御屋形さまのお言葉が見えませぬ」 武骨者の信方の顔に不安の色が広がった。「わしの望みは京に武田の旗を立てる事であったが、甲斐統一に時を要し過ぎ た。この望みを晴信に託す積もりじゃ」 板垣信方が言葉を失っている。「信方、明日は一切の口だしはならぬ。重臣共は反対いたすであろうが、わしは強行いたす」 板垣信方が納得しがたい顔つきをしている。「もそっと機敏に考えよ、晴信はわしの命なら不承ぶしょう承知いたすであろう」「拙者には何がなんやら判りかねます」 「信方、まずは一献飲め」 信虎の魁偉な顔が晴れやかに見え、板垣信方は無言で大杯を飲干した。 「そちは武田の重鎮じゃが先の読めぬ男じゃ、一座の前では口をつむんでおれ」 「反対は成らぬと仰せにござるか?」 「そうじゃ、そちが何も言わねば他の重臣もわしの命に従う筈じゃ」 これは板垣信方でも判る。 「その先をそちに頼むのじゃ」「はて?」 信方が首を傾けた。 「晴信をそちがそそのかすのじゃ」「・・・-」「わしを国主の座から引きずりおろし、かわって甲斐の国主に成るようにとな」 板垣信方の顔色が赤く染まった。 「何を馬鹿な事を仰せにござるか」「そちだから頼んでおる」「そのようなお話は納得出来ませぬ」「馬鹿者ー」 信虎の怒声が主殿に響き渡った。改訂・武田源氏の野望(1)へ
Apr 12, 2014
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改定・武田源氏の野望 (6) 三方を山に囲まれた尾上城は大手門のみが拓けた要害の地にあった。 ここには昔から城址があり、土地の人々は尾上城址と呼んでいた。 ここに眼を付けた滋野一族が山城を建てた。これが今の尾上城である。 城は初夏の暗闇の中に静まり返っている。 見張りの足軽が何気なく視線をめぐらし仰天した、周囲の山々に無数の松明が点滅しているではないか。眼を凝らし城門を見つめたが異変は感じとれない、突然に馬の嘶きがした。「敵じゃー。敵が押し寄せよったぞ」 足軽が悲鳴に近い声を張りあげた。「おおうー」 それを合図に四方から鬨の声が山々を揺るがした。 籠城の滋野勢、一千五百名が飛び起き戦慄した、城外から数百騎の馬蹄の音が響き、三方の山々から無数の火矢が帯のように、城内に降りそそいできた。 それは異様な光景であった。矢羽根が唸るような飛翔音を響かせ、火矢が赤い帯のように赤く輝き、城内の各所に襲いかかり火の手を挙げている。 射抜かれた兵の悲鳴と下知する将の怒号で眼もあてられない惨状となった。 城内の各所から火の手が揚がりはじめた。「落ち着け。落ち着くのじゃ、先ずは火災を消すのじゃ」 「ここは我等の城ぞ、夜襲なんぞに驚くでない」 城内の将が懸命に兵をなだめ部署割りを決め下知している。「弓を放て」 城内もいくらか落ち着きをみせ反撃をはじめたが、闇夜に鉄砲である。 悪戯に空気を裂くだけである。 滋野一族の守将の滋野一左衛門が兵を落ち着かせ下知を下した。「ここは我等の城じゃ。地形は熟知しており我等に有利じゃ、討ってでるぞ」 滋野一左衛門の塩辛声に、大手門が軋み音を挙げ八文字に開かれた。 彼が大身槍を抱え一気に躍り出た。続々と将兵が続いている、流石は己の城である、闇の中を巧妙に駆け廻る。四方から火矢が襲いかかり悲鳴と怒号がぶっかりあった。 刀槍の打ち当たる音が響き、暗夜の中での激闘が始まった。 軽快な太鼓の音が四方の山々から響いている、背負い太鼓の音である。 突出した滋野勢は悪戯に闇の中を狂奔(きょうほん)してるだけである。「怯(ひる)むでない」 滋野一左衛門が懸命に兵を督励している。 そんな彼に向って暗闇から一人の騎馬武者が、手槍を抱え近づいてきた。「一手の大将とお見かけいたす。それがし武田晴信が家臣山県三郎兵衛なり、 推参つかまつる」 若々しい声で名乗りをあげた。今年、十五歳となった源四郎である。「小僧、合わぬ」 滋野一左衛門が歯を剥きだし喚き声を挙げたが、構わず馬を寄せ槍の柄で強かに叩き伏せた。 兜越しに強烈な打撃をうけ滋野一左衛門が堪らず、もんどりうって落馬した。 すかさず躯をあずけ馬乗りとなった、一左衛門は落馬のさい脇腹を打ち声が出ない、そのまま三郎兵衛が一気に首を掻き切った。「山県三郎兵衛、敵の大将を討ち取ったり」 どっと歓声が沸き起こった。山県三郎兵衛初陣の初手柄であった。 大将を討たれ戦意を喪失した滋野勢は城内に退却し城門を閉じた。 夜が明け再び城内の兵は驚くことになる、城門から矢頃の届かぬ距離をおき、 武田の騎馬武者約五百騎が、山のように静かに佇んでいる。 その前に赤鎧を纏った武将が床几に腰を据え、鋭い眼光を光らせている。 三方の山々には武田菱の旗印が、数かぎりなくはためき兵の姿が潅木の間に垣間見られる。これは晴信の策で彼は徒歩の兵の旗印を全て樹木に縛りつけ、その間を埋めるように兵を配置していたのだ。古来から城攻めには二倍の兵力が必要と云われていたが、晴信には滋野勢よりも過小な軍勢しかもっていない。 決戦兵力は海ノ口城の騎馬武者を含めた五百騎のみである。 床几に腰を据えた晴信が采配を振った。 「城内の方々にもの申す、見られよ。城は完全に包囲いたした。滋野一族は お腹を召していただく。 あとの方々は武器を捨て降伏されよ、命は保証いたす。 今に海ノ口城より援兵が到着いたす、悪戯に命を粗末にされるな」 地味な鉄丸兜の武将が単騎、城門に近づき降伏を勧めた。彼は海ノ口城の守将の一人萩原昌勝であった。 こうして尾上城は開城し滋野一族の主だった武将は最後を遂げた。降伏した兵士や加担した豪族は晴信に恭順した。 晴信はさらに兵を進め矢沢城を包囲し、父の信虎を待つことにした。 信虎は五月十日に海野城に着き、七千余の軍勢で城を包囲していた。 そこで諏訪頼重と合流し、厳重な包囲網を敷き海野勢の出方を見守った。 すでに晴信の使者から尾上城を陥とし矢沢城を包囲していると聞かされ、晴信の器量を改めて思い知らされた。 彼は二千の兵を割き晴信への増援部隊とし万全を期した。後日、萩原昌勝より尾上城攻略の晴信の戦術を聞かされ驚く事になるのだ。 既に晴信の器量が己を越えたと確信したが、何故か以前のような嫉妬も湧かず爽やかな心情であった。こうした心の変化を信虎は知らずにいる。 男同士の父子の心情とは、お互いに相手の器量を知ることにより変化するものかもしれない。改訂・武田源氏の野望(1)へ
Apr 10, 2014
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改定・武田源氏の野望 (5) 「見過ごせと申すか?」 信虎が不機嫌に声を荒げた。かわって信方が進言した。 「信濃平定は武田家の悲願と承知いたしております。されど国を富ませる事も兵事にござる、海ノ口城に敵が攻め寄せてからでも遅くございません。ここはひとつ高見の見物もよろしいかと存じあげます」 板垣信方が平然として顔つきで信虎の態度を眺めている。 「その方ども、わしの命に反対と申すか?」 信虎が眼を細め声が低まった。 「御屋形さま、先年は大風で釜無川が氾濫し米の収穫は無に等しゅうござる。 ここは板垣殿の申されるよう、我慢が大事かと勘考仕ります」 原虎胤も反対した、彼のひたいから頬にかけての傷痕が凄味を見せている。 彼は国人衆の板垣信方よりも信虎の信任の厚い武将で、生涯38度の合戦に臨み、受けた傷は53ヶ所と言われた。合戦の最中に倒した敵将を肩に担ぎ敵陣まで送り届けたという、情けある武将として知られ、甲斐の鬼美濃と称された。 後年は信玄が剃髪すると、それに倣い清岩と号した。 信虎の顔つきが変貌し、容貌魁偉な顔がさらに醜くなった。「臆したか」 怒声が主殿に響いた。「臆しはいたしませぬ、ここは慎重にとお願いいたしております」 板垣信方が戦場往来の不敵な顔をみせ平伏した。「・・・もうよい下がれ」 信虎が座所からハイを掃うように手を振り、三人の重臣をねめ廻した。 彼の額に太い血管が浮きでている。無人となった主殿に一人、信虎は脇息に身をもたせている。(わしの代は終ったのか) 物寂しさが巨体を駆け巡った。 股肱の者共までがわしに逆らうのか、彼も甲斐の窮乏は判っている。併し兵事となると全てを忘れ血潮が滾るのだ、これが信虎の欠点であった。 五月、新緑に覆われた躑躅ケ崎館から大太鼓の音が鳴り響いた。「すわ陣触れじゃ」 甲斐の領民は飢えに慄(おのの)き、兵たちは出陣の準備に追われ、続々と武将達が主殿に現われ定めの席に腰を据えた。 すでに信虎は愛用の緋縅の大鎧をまとい座所から一同を睥睨している。右に晴信が左に信繁が座し武将連が居並んだ。「昨日、佐久の小県(ちいさがた)郡に滋野一族と海野勢が兵をあげたと海ノ口城より伝令が参った。察するに背後には村上義清が居ると思われる」「それは真の事にござるか」 三人の重臣以外が驚きの声をあげた。「滋野の尾上城と矢沢城、さらに海野の海野城も同時に挙兵との事じゃ。わしは すでに諏訪殿に軍勢を発するよう伝令を送った。我等は即刻出陣いたす」 「父上、海ノ口城からは救援の要請が御座いましたか?」 珍しく晴信が一番に信虎に問いかけた。 「援軍の要請は未だじゃ」「左様に御座いましょうな。海ノ口城には三千の兵が籠もっております、まずは様子を見てはいかがでしょう」 日頃、無口な晴信が珍しく父、信虎に慎重論を述べている。「晴信、わしは諏訪頼重殿に出陣の使者を差し向けた。わが武田家が軍を発せなんだら物笑いじゃ」「御屋形さま、諏訪勢とは何処で合流いたしまする?」「板垣、海野城を囲むよう要請した。従ってわが武田勢は尾上城を囲み、一軍を割いて海野城に差し向ける」「父上に申し上げます。この晴信に三百の騎馬をお与え下され」 「いかがいたす」 信虎が魁偉な容貌を晴信にあてた。「この評定が済みしだい海ノ口城に駆けつけ、七百の兵を引き抜き尾上城に攻め寄せます」 「そち一人で攻め寄せると申すか」 信虎が暫し思案していたが、直ぐに即答した。「晴信、こたびはそちに任せてみよう」 「有り難き幸せに存じます」 信虎が草摺(くさずり)の音を響かせ主殿から身を移した、その場の武将連が前に向き直った。 「御旗、楯無しご照覧を」 信虎の野太い声が朗々と響いた。 晴信の視線に紺地の孫子の御旗が映った。疾きこと風の如く。「父上、さらば出陣いたします」「行けー」 信虎が一言、声を懸けた。晴信が主殿をあとにして行った。 「若殿、ご健闘をお祈りしておりますぞ」 信方が声をかけた。「そちも急げ、急がねばわたしが尾上城を陥としてしまうぞ」 晴信が不敵な笑顔をみせ足早に去って行った。 晴信が戦おうする滋野一族とは、信濃の小県郡や佐久郡を支配していた一族であった。この一族は海野氏、禰津氏、望月氏ら三家の連合で領土を長年、守り続けてきたが、信濃守護の小笠原勢の衰亡と、北信濃の村上勢に浸食され、彼等の庇護をうけるようになっていた。 その前には関東管領の上杉家に助けを求めたが、思うような結果に成らず今の地位に甘んじていた。ある意味では不幸な一族であった。「見事な御大将になられたの」 傍らから飯富兵部の声がした。「左様、飯富殿急がれよ」 板垣信方は心が晴ればれしていた。武田家は晴信さまで磐石じゃ、信虎と晴信の話し合いを聞いて一層その思いがつのっていた。 晴信率いる千名の軍勢が土煙をあげ平沢峠の難路を駆けてゆく。彼の愛馬は鹿毛の駿馬である。鞍上では初陣で着用した赤地の具束と異名される甲冑を纏い、鹿角の脇立てに半月の前立の兜が輝き、眉庇(まびさし)より背後をふり向いた。武田菱の旗指物を靡かせ、一列縦隊で騎馬が峠の難路を後続している。 尾上城はわしがもろうた、晴信の顔に満足感があふれていた。改訂・武田源氏の野望(1)へ
Apr 8, 2014
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改定・武田源氏の野望 (4) 「源四郎、御旗の脇に孫子の御旗を立てならべよ」 「はっ」 信虎の顔が厳しく引き締まってみえる。 源四郎がさがり、足軽が孫子の御旗を諏訪法性の御旗の横に立てかけた。 紺色の布地に「疾如風徐如林侵掠如火不動如山」武田家の軍法どおりの孫子の文言が金粉で描かれた、一丈二尺余の大旌旗(せいき)、有名な風林火山の旗である。二流の御旗は常に武田勢の戦陣の先頭に翻っていたのだ。 一座の武将連に血の滾(たぎ)りが沸き起こった、この気持ちは武田家の将兵にしか判らない。行事が済み一座に酒肴が振舞われた、一同は日頃の鬱積した気持ちを和らげ痛飲している。 晴信と信繁は言葉少なく杯を干している。 信虎は大杯を傾けすでに酔いが廻っているようだが、上機嫌である。 「源四郎、そちは何才となった?」 信虎の声に一座の者が注目した。「御屋形さま、源四郎は今年で十四才となりました」 大人げな声に変わった源四郎が素早く答えた。「もう、小姓の勤めは終りじゃな」 大杯をもった信虎が小姓の源四郎に視線を這わせている。「源四郎も戦(いくさ)に出たく存じます」 源四郎が眼を輝かせ主人を仰ぎ見ている。「そうか合戦に出たいか?・・・・飯富兵部」「はっ」 飯富兵部の逞しい体躯が、晴信の傍らに控えている。「源四郎を元服させよ、わしが烏帽子(えぼし)親となろう」 「これは嬉しきお言葉に御座いますが、我家には倅が居ります」 飯富兵部が困惑顔をしている。「山県家には男子が居らぬ、娘は十一才の筈じゃ。見目麗しいと聞き及ぶ、その娘を嫁にいたし山県家の跡目を継ぐのじゃ」「これは」 飯富兵部が驚嘆の声をあげた、兵部が驚くのも無理はない。山県家は武田家重鎮の家柄である。 この飯富兵部は少輔虎昌と名乗り、甲斐源氏の末裔であった。一時期は信虎に反抗したが、降参して臣従したのだ。 武田軍団のなかに旗指物、旌旗、鐙など馬具も朱色に統一し、武者の甲冑、具足、刀の鞘、鑓、弓矢、袋物まで朱一色に塗りつぶした一団があった。 これを甲軍の赤備えと称され勇名を馳せた。この赤備えを編成した武将が、飯富兵部少輔虎昌であり、彼の豪勇を称え甲軍の猛虎と敵に言わしめたのだ。「源四郎、そちは今より山県三郎兵衛と名乗れ、先方にはわしから申しおく」「御屋形さま、我等からも御礼申し上げます」 板垣信方の厳つい顔を綻ばし礼を述べた。 ここに一人の猛将が誕生したのだ。「山県三郎兵衛、・・・源四郎、そちじゃ」 「はっ。・・・はい」「今より晴信がもとに仕えよ。晴信も良いの」 晴信が無言で低頭した。この山県三郎兵衛は後に信玄股肱の猛将として天下に名を轟かす武将となるのであった。 田植えの終った五月、信虎、晴信は八千名の精兵を率い佐久郡へと進攻した。 一日に三十六の支城を瞬く間に陥とし同郡一帯を占拠し、懸案の海ノ口城をも陥とした。これは武田家の長年の悲願であった。 これを機に信虎は、娘のねねを諏訪頼重に嫁がせるべく諏訪に使者を遣わした。 諏訪家は快諾しここに武田家の縁戚となり、今後の武田家の標的は北信濃全土となった。 信虎は晴信に命じ、海ノ口郡の問屋に朱印状をもって伝馬定書を与え、伝馬制度の施行をさせた。これは物資補給路確保のための制度であり、伝馬手形を与えられた者だけが、宿場常設と人馬の使用を許される制度であった。 信虎にはこうした国内治世の才能にも優れた手腕をみせたのだ。 晴信は海ノ口郡の問屋の津金屋にこれを許した。これにより武田家の軍需物資の搬送は津金屋が一手に行う事となった。 この佐久郡占拠で武田家は国境を越え、信濃にくさびを打ち込んだことになる。 こうした処置を終え、信虎は千曲川沿いに軍を返し、甲信国境の難所平沢峠を越え古府中の躑躅ケ崎館にもどった。 翌年の四月の末に信虎は板垣信方はじめ甘利虎泰、原虎胤の三名の重臣を主殿に呼び寄せた。 「御屋形さま、何事にございます」 板垣信方が、いぶかしげに魁偉な容貌の信虎を見あげた。「五月の吉日に信濃に軍を入れる」「差し迫った事態でも起こりましたか」「信方、重臣筆頭のそちも知らぬとは怠慢じゃ」 信虎の眼が細まった。「一向に拙者には判りかねます」 「村上義清(よしきよ)が蠢きだした」「なんとー」 三人の重臣が顔を引き締めた。「義清の命で滋野一族が兵を集めておるとの知らせが参ったのじゃ」「滋野一族が動きだしたと申されますか?」「背後には信濃守護の小笠原長時(ながとき)が糸を引いておるよぅじゃ」「御屋形さま、前年に兵を出し、今年も戦するは無謀にございます。海ノ口城に は横田高松、萩原昌勝の両将と三千名の兵が籠っておりまする」 甘利虎泰が反対を唱えた、これ以上の出兵は領民の疲弊を招く。改訂・武田源氏の野望(1)へ
Apr 5, 2014
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改定・武田源氏の野望 (3)「御屋形さま。拙者は甘利虎泰(あまりとらやす)や原虎胤(はらとらたね)達と 御屋形さまの許で甲斐統一の戦(いくさ)をして参りました。 それ故に今の武田家がございます。ここで家督相続などが起こり、家中に火種などの基を作るなんぞは、もっての沙汰に御座います。何卒、ご嫡男の晴信さまに家督相続をお許し下され」 「今一度聞く、信繁は晴信に劣ると申すか?」 信虎の巨眼が変質に輝いている 「滅相な事を申されますな、力量の甲乙を申してはおりませぬ。長幼の序でもっ て家督相続をお考え下され」 流石、信方は武田家の重鎮だけはある、臆する風もなくずばりと諫言した。 信虎は不機嫌な様子で沈黙した。板垣信方の言葉は痛いほどに分かる。 彼の父は信縄と言った。信虎はその嫡男として生まれ、戦いを義務づけられていた。最初は武田宗家を巡る戦えから、国人豪族達との抗争に明け暮れる毎日であった。彼は板垣信方や甘利虎泰、原虎胤等と共に戦い、小山田家、今井家、大井家などを従わせた。そうした合戦の間にも諏訪氏や駿河の今川氏、相模の北条氏の侵攻を受け、東奔西走する日々を過ごしてきたのだ。 こうした経緯があって信虎は武田家を盤石にしたのだ。 「わしは十四才で父上の死で家督を継いだ、翌年には叔父の油川信恵 親子を討ち取り大勝した。その方がわしと共に戦った時期は、一族の大井信達親子との戦いからであったの」 信虎が往時を偲ぶ眼差しで語りかけた。「御意に、永正十二年頃にございましたな。今川勢と大井勢に攻められ小山田大和守さま、板垣伯耆守さまを失いながらも我等は勝利いたしました。長く辛い戦いの連続でしたが、御屋形さまのお蔭で甲斐を統一し、今は信濃を得る戦い が始まっております」「信方、折角治めた甲斐を乱してはならぬの。今の話は無かった事にいたせ」「有り難き仰せにござる。御屋形さまのお蔭で武田一族は一枚岩となりました。 早い時期に佐久の穀倉地を手に入れましょうぞ」 共に戦った主従は黙々と大杯をあおった。 信虎は戦国大名として合戦と隣国との交渉力には、一目おく存在であった。 天文六年(一五三七年)敵対関係にあった駿河の今川家は前年に、国主の氏輝(うじてる)が急死し、家督争いのすえ義元が国主の座を占めた。 その機を逃さず、信虎は娘の定恵院を義元に嫁がせ、今川家と甲駿同盟を成立させた。一方、それまでの同盟関係であった北条家と断交したのだ。 甲斐はこれにより心置きなく信濃攻略が出来る情況となり、今川家は北条家の侵攻を恐れることもなく、三河平定へと本腰を入れられる情況となった。 こうして晴信の姉である定恵院は、義元の嫡男の氏真(うじざね)と二女を儲けた。後顧の憂いを断った信虎は、小刻みな合戦を繰り返したが二年余り大軍をを発する事もなく戦力を温存していた。 併し、いったん下火となっていた信虎の晴信への不満がまたも再燃した。 ことある度に信繁を溺愛し、晴信を疎んじはじめたのだ。 更に狂気も烈しくなり、鷹狩りに出ては田畑で働く百姓が邪魔だと云って銃で撃ち殺したり、胎児が見たいと孕んだ妊婦の腹を割くという凶暴な振る舞いが多くなり、信虎を怨嗟(えんさ)する声が日毎に強まってきた。 武田の重臣の板垣信方や飯富兵部等は、秘かに晴信の身を案じながら何くれ と心を砕いていたが、家臣たちの心も信虎から離反し始めていた。 こうしたなか武田家の家臣団が晴信派と信繁派に分かれることは当然の結果であったが、信繁は兄晴信を慕い、晴信の嫡男の義信(よしのぶ)を我が子同然に接し、可愛がっていた。 こうして天文九年の年が明けた。躑躅ケ崎館の主殿に重臣等が集まったのは、正月の三日であった。座所にどっかりと信虎が腰を据え、一段さがった板の間に円座を敷き、右側に晴信が左側に信繁が座り武田家の重臣等が居並んだ。 それぞれの前に正月の祝の膳部が置かれている。 「皆の者、今年は佐久郡を攻略いたす。よってまず海ノ口城を陥とす」 信虎の野太い言葉に、「待ちかねましたぞ」 板垣信方が真っ先に喜びの声を発した。「父上、出陣は五月と見て間違いございませぬな」 晴信が恭しい態度で訊ねた。 「そうじゃ、田植えが終ったら出陣いたす。総勢八千名じゃ」「佐久郡全土が武田の領土になりますか、これは目出度い」 宿老の一人甘利虎泰が戦場焼けした、塩辛声を張り上げた。 「わしの望みは信濃全土じゃ」 信虎の戦場焼けした声が、広間に響いた。「信濃全土と申されますが、諏訪家はいかがなされます?」 原虎胤が無数の傷跡の残る凄味のある顔付をみせ質問した。 「諏訪頼重(よりしげ)殿とは親類縁者となる積もりじゃ」 「なんとー」「領土を血で購うばかりが合戦ではないぞ」 信虎の魁偉な顔が緩んでいる。「何か策がおありにございますか?」 板垣信方が不審顔でいる。「わしの三女のねねを頼重殿に嫁がすのじゃ」 信虎の一言で一座から声にならない吐息が漏れた。「さすれば御屋形さまは諏訪頼重殿の舅(しゅうと)になられますか?」「舅と義理の息子が轡を並べ、北信濃(北信)の村上義清(よしきよ)を滅ぼす」「おおー」 信虎の言葉に主殿に武者声が響き渡った。 信虎が厳かな挙措で座所から降り、中央の板の間に腰を据えた。 居並んだ重臣等も姿かたちを改め、正面の楯無しと御旗を仰ぎみた。「御旗、楯無しご照覧を」 信虎の野太い声が響き、重臣等もこれに唱和した。 一座に粛然とした空気が漂った。この儀式は武田家が連綿として伝え続けてきた戦い開始の行事であった。改訂・武田源氏の野望(1)へ
Apr 4, 2014
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改定・武田源氏の野望 (2) 武田勢は十二月末まで包囲したが、平賀源心は頑として守りとおした。 この武将は大井氏の先鋒として甲斐国守の武田信虎と争ってきた。信虎は天文四年(1535年)に諏訪家と和睦し、翌年天文5年には駿河の今川義元と甲駿同盟を結び佐久郡侵攻を本格化させた。源心は海ノ口城で武田勢に包囲されるものの一ヶ月あまり防戦し、武田勢を一兵も城に入れさせなかった。 そうこうするうちに武田勢も兵糧が尽きかけ、折からの冬将軍に襲われた。信虎は進退を迫られていた、城攻めの武田勢は野外に仮小屋を建て籠っている。 容赦もない寒気と横殴りの雪で将兵は寒さで震っていた。 遂に明朝、 撤退と軍議が決した時、晴信が殿軍(しんがり)を願いでた。「馬鹿者、この大雪を見ろ、殿軍の必要なんぞはない」 信虎が怒声をあげた。 「古来より戦の引きぎわが最も危ないと聞いております、是非この晴信に仰せ つけ下され」 「晴信、いらざる口出しは無用にいたせ。直ちに全軍撤退いたす」 問答無用の一声であった。「御屋形さま、晴信さまの申しよう誠に天晴れと存じます。拙者も殿軍に加わり ます、是非とも晴信さまの進言をお許し下されませ」 重臣板垣信方である、こうなっては信虎もむげには反論できない。晴信の申し出をうけ、本隊は尺余の積雪を掻き分け撤退が始まった。 武田勢は海ノ口から野辺山へと出て国境の小荒間(こあらま)へと向かった。 猛烈な降雪の中を本隊が遠のいてゆく。 「板垣、わたしの為に済まぬ」 「なんの殿軍は戦の定法にござる」 板垣信方は武田家随一の猛将で聞こえた武将である。吹雪のなか二人は本隊の引き上げ を見つめている。「さて頃合にござる、我等も引き上げましょう」 板垣信方の騎乗した駿馬が雪空に嘶(いなな)きを響かせた。「待て、板垣。あれを見ろ」 晴信が雪で霞む先を指差した。見ると獣衣を纏った猟師のような男が雪を掻き分け、こちらに近づいてくる。「平蔵、敵の様子はどうじゃ」 晴信が男に駆け寄り、何事か語り合っている。「晴信さまの見立て通り、兵等は城から撤退し残りの兵は酒盛りの最中にございます」 「板垣、我等はこれより海ノ口城にとって返す」 「なんとー」「平蔵の知らせでは敵兵の大半が正月の為に家路に向かったと言う。城内には二百名も残ってはいまい、それも安心しきった兵共じゃ」 板垣信方が唸った。敵の様子を掌を刺すように見切った晴信の戦術眼を目の覚める思いで聞いた。武田勢が物音を消し城に近づいた、城内から酔った兵の声が聞こえる。大手門も搦め手門も開け放ち籠城の憂さ晴らしをしている最中であった、喚声を挙げ晴信を先頭に武田勢が一丸となり海ノ口城に突入した。 油断と酔いのために、あっという間に城将の平賀源心が討ち取られた。 晴信の奇襲が功を奏したのだ。武田勢は源心の首と共に一気に古府中の躑躅ケ崎館へと帰り着いた。 「なんと、晴信が平賀源心の首を持ち帰ったと申すか?」 信虎が信じられない様子で板垣信方を見つめた。 「お見事な采配には恐れいりました」 信方が嬉しそうに報告している。 「馬鹿者が、何故に奪った城を放棄いたして舞い戻った」 「御屋形さま、それは無理と申すもの、城に籠もれば来年の雪解けまで籠城せねばなりませぬ。救援も望めず兵糧もなく持ち堪える事は叶い申さず」 板垣信方が負けずと言い返した。信虎も板垣の言い分は判る。併し十六才の晴信がこんな奇策を秘めていた事が面白くなかったし、事前の相談もせずに敵将を討ち取った晴信の力量が気味悪く思われたのだ。 御屋形さまはまるで子供のようじゃ。晴信さまに嫉妬なされておられる。 板垣信方はそれが可笑しくもあり、武田家の家督相続に思いを馳せると前途に一抹の不安を禁じえなかった。夕刻、板垣信方に信虎の使いが訪れた。 「直ぐに参られようにと仰せにございます」 板垣信方は綿入れの羽織姿で屋敷を出た、寒気が厳しく身震いして館の大門から主人の待つ主殿へと向かった。 「夜分に無理を申したの」 座所には信虎が一人で待ち受けていた。何時もの如く大杯を手にしている。「御屋形さま、急なお話でもございますか?」 「まず、一献参れ」 信虎が自ら酌をしてくれた。 なんとも気味の悪いことじゃ。板垣信方が心中で呟き大杯を口にした。「信方、嫡男の晴信の器量をいかが見る」 すかさず口を切り、じっと板垣信方を巨眼を光らせ凝視している。「こたびの合戦は晴信さまの初陣にござった。その戦功は随一、これで武田家は磐石となりましたな」 信虎の巨眼が細まった、これは彼の気にいらぬ時の癖である。「御屋形さまは気に喰わぬと申されますか」 信方が戦場焼けした野太い声を低めた。「わしは家督を次男の信繁に譲ろうと考えておる」 信虎がそこ意地の悪い眼差しで板垣信方の厳つい顔を見つめている。 「それは同意できませぬな、晴信さまは御屋形さまの器量を受け継いでおられます。拙者はご嫡男の晴信さまが次ぎの国主と思うております」「信繁はわしに似ておらぬと申すか」 「左様、併し信繁さまは性温厚で晴信さまを慕っておられます」 珍しく怒りもせず信虎が考えこんだ。改訂・武田源氏の野望(1)へ
Apr 1, 2014
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