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「濃霧の八幡原合戦」(71章) (第四回川中島合戦) 霧の中を泳ぐように勘助は隻眼を光らし夢中で駆けた。 その頃、信玄は八幡原の本陣で黒糸縅の鎧に緋の法衣を纏い、諏訪法性の兜を被り、床几に深々と腰を据え一点を見据えていた。 濃霧と風で諏訪法性に飾られた、純白の唐牛の毛がふありと動いた。「それにしても遅い」 妻女山に向った別働隊の動きに疑惑をもった、既に信玄はここで一刻を超える時を過していたのだ。 夜明けの冷気が信玄の体躯を冷やし、覚えず法衣を首から胸元へと蔽った。 遠くで鶏の啼き声が聞こえた、一番鶏の啼き声である。(勘助の策は政虎に悟られたか?・・・いや、その様な事はない) 信玄は胸裡に疑惑を反復させている。「この刻限に妻女山には何の異変も起こらない。夜襲が失敗したのじゃ」 信玄が立ち上がろうとした時、濃霧を割って騎馬が一騎駆け寄ってくる。「あれは勘助じゃな」 本陣まで駆け戻った勘助が、馬から降り信玄の許に不自由な足で駆け寄って来た。その様子で信玄は一目で置かれた情況を悟った。 相変わらず辺りは霧にすっぽりと覆われている。「勘助、政虎に裏をかかれたな」 「面目次第もございません」「運否天賦じゃ。妻女山の主力が戻るまて持ち堪えよ」 信玄は勘助を責めることもなく床几に腰を据え、前方に視線を向けた。「申しわけございませぬ」 勘助は無念であった。今回こそ越後勢を叩き伏せる好機と思ったのに、こんな結果となるとは思いもしなかった。この情況では作戦は用を成さない。 一人一殺の死闘で妻女山より、戻り来る別働隊を待たねばならない。「勘助、あれが越後勢か?」 信玄の眼にも濃霧の合間に、粛々と我が陣営に迫り来る大軍が見えた。「はい、両翼へは母衣武者が敵勢の迫った事を報告いたしております」 濃霧の中の武田勢は鶴翼の陣形を保ち、声を殺して沈黙している。 信玄と勘助の耳朶に敵勢の人馬の動きが鈍くなったと感じられた。 どのような精強な将兵も、沈黙を守る敵勢に近づくにつれ足が緩むものだ。 越後の龍、上杉政虎の率いる越後勢も次第に足が前に進まなくなったのだ。 一発の銃声が天地を揺るがし、前方の霧のなかから鬨の声が挙がった。 政虎が焦れて督励の銃を放ったのだ。 越後勢が総攻撃に移ったが、武田勢は声を殺し静かに折り伏している。 霧が急速に流れ去り、周囲が明るく晴れ渡ってきた。「流石じゃ」 本陣の松の大木の翳から、勘助が越後勢の戦闘隊形を眺め呻いた。 怒涛のように騎馬武者が突撃を開始した。それは見事の一言である。 味方の左翼から鯨波が起こった、武田典厩信繁の勢からの鬨の声であった。 それと同時に中央の山県勢、右翼の諸角勢も一斉に鯨波をあげた。 流石の越後勢も足並みが緩まった。霧は完全に晴れ渡り芒の穂が両軍の間を埋め尽している。 時をおかず後方から一発の銃声が八幡原に響き渡った。 政虎が放った督励の銃声である。 越後勢の先鋒は上杉家が誇る猛将、柿崎和泉守景家ある。 彼の軍勢は黒備えで勇名をはせていた。 景家は自慢の青貝の大身槍を手にし、猛然と山県勢に突撃した。 兵馬が狂奔し両軍が槍の穂先をあわせ、直ぐに乱戦となった。 武田勢の本陣から大太鼓の乱れ打ちが広大な八幡原に響き渡り、鳴りをひそめていた武田勢が一斉に鬨の声をあげ、猛烈果敢な攻勢に転じた。「怯むな、今に妻女山に向った別働隊が現れる。そうなれば我等が勝ちじゃ」 武将達が声を張りあげ、越後勢に反撃の戦いを開始した。 赤備えの山県勢一千名は武田菱の指物を翻し、押し寄せる越後勢を押し返している。 上杉勢も負けずと新発田勢、本庄勢が猛烈に山県勢を圧迫している。 右翼の諸角勢にほころびが見られる。「今じゃ、後詰の内藤勢を繰り出すのじゃ」 勘助の下知で百足衆が、背の指物を翻し駆け出した。 内藤修理亮昌豊の新手の一千名が右翼に進出し、見事な体形で陣を固めた。 完全に太陽が昇り戦場が一望できる、喚声が飛び交え軍馬のいななきが響い ている。 信玄は床几に腰を据え、軍配団扇を右手とし微動もせずに戦場を眺めている。「勘助、我が軍勢の崩れは見えぬか?」「保っております」 勘助が愛用の脇立て兜をかむり隻眼を光らせて答えた。 両軍は一進一退を繰り返しているが、兵力の差と作戦の齟齬で受身となった、武田勢が徐々に後退する事は予測できる。 まだ別動隊は戻らぬか、勘助は祈る心地で何度となく妻女山方面を眺めたが何の変化もない。 本陣では信玄と勘助の二人だけとなっている。「勘助、そちの死ぬと言う意味が今になって判った」「この合戦の最中に何を仰せにござる」「父上は、そちを後釜にと考えておられるな、じゃが余は許さぬ」「はっー」 勘助が両手をついた。 この合戦の中で自分を庇う、信玄に何も言うべき言葉がなかった。 前面は阿鼻叫喚の血待塗れの戦場と化している。「諸角昌清さま、お討ち死にー」 母衣武者が駆けつけ叫んだ、彼も血塗れである。 「右翼が危ない、義信に押し出せと申せ」 信玄、自ら初めて下知を下し、百足衆が猛然と敵勢の中を駆け去った。「申し訳ございませぬ、若殿までも」 「ここは合戦場じゃ」 武田義信の隊が一斉に右翼に移動を始めた。その横腹に越後勢が衝きかかり、一瞬にして乱戦と化した。騎馬の義信が陣太刀を振るい兜武者を斬り伏せた。 見事な若武者ぶりを発揮している。 それを見た押さえの望月勢も繰り出した。これで本陣の予備隊がなくなった。 中陣の山県勢も散々な有様であるが、一歩も退かずに善戦している。 信繁が大きく采配を振り合図を送るや、穴山勢が本陣の前に折り伏した。 「信繁、やるは」 信玄が頬を崩した。 信繁は信玄の弟で家中の信頼も厚く武田家の副将である。 乱戦の彼方から、炯々と法螺貝の音が響き、再び柿崎和泉守景家が戦場に姿を現し、悠々と迂回し左翼の信繁勢に凄まじい勢いで襲いかかった。 喚声が一段と高まり、信繁が武田菱の兜の前立を輝かせ、獅子奮迅の働きを見せている。まさに名将と勇将の戦いは一服の戦国絵巻を見るようである。 血潮と叫喚、眉をつり上げ眼を剥く兵士が喚き声を挙げている。 旗指物が交差し、騎馬武者が転がり落ち、軍馬が倒れ脚が宙を掻いている。「まだ、高坂は見えぬか?」 信玄の青々とした濃い髭跡のあごに、白いしのび緒が食い込んでいる。 勘助が平原の彼方を何度となく見つめた。(高坂殿、飯富殿、馬場殿、何をしておるのじゃ) 空は雲ひとつない青空が広がりを見せ、その先に妻女山が何事もない様子で聳えたっている。 勘助は本陣で床几に腰を据え、眼前に広がる両軍の激闘を見つめている。 武田勢は未だしぶとく粘りを見せている。 勘助は今になって政虎の戦略が理解出来た。奴は濃霧の件を承知していた。 三度の合戦では越後勢は犀川付近に陣を構え、南には出ては来なかった。 それが今回は千曲川を渡河し、武田家の範疇と言える妻女山に陣を構えた。 その狙いは我等の妻女山襲撃を予期していたのだ。 それ故に妻女山に陣を構え、頭上から海津城の様子を監視していたのだ。 動くならば我等は、川中島の八幡原に本陣を移す、そう予測していたのだ。 濃霧に隠れ我が本陣に近づき、一気に勝負を決する。 これが政虎の策であった。勘助は歯噛みをし、戦場を眺めている。
Oct 30, 2014
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「策、破れたり」(70章) (第四回川中島合戦) 主、信玄が姿を消すのを待っていた、高坂弾正が端正な顔を引き締め、勘助に近寄ってきた。「軍師殿、お聞かせ願いたい」 「おう、高坂殿か、何か心配事でもござるか」「ただ今の御屋形のお言葉が、いささか気になります」 高坂弾正の顔色に優れない色が浮かんでいると勘助には見えた。「流石は逃げの弾正殿、一万二千の将として危惧がないことが不思議にござる」「御屋形が申された言葉が些か気になりまする」「心配はござらん。妻女山の山頂が空なれば、我等の策が見破られた証拠。直ちに八幡原にとって返して下され、遅れますと御屋形の命が危うい」「軍師殿は、そのような危惧を抱いたおられましたか?」「最悪の事態を想定するのも拙者の役目。じゃが心配あるまいが万一の場合は千曲川河畔付近に、敵勢が伏せっておると考えずなりますまい」「・・・-」 高坂弾正の顔が厳しくなった。「敵は小勢、騎馬武者で一気に叩き、主力は八幡原を目差して下され。越後勢との戦いはこれで最後としたい、ご奮発を願いますぞ」 勘助が隻眼を光らせ高坂弾正に念を押した。「軍師殿、妻女山が空ならば、お下知のように八幡原へと馳せ戻ります。 たが敵の伏兵は東福寺付近と思いますが、如何、お考えにございます」「政虎が我等の策を見破ったなら、妻女山を下山し雨宮の渡しを渡河し、北国街道を北上し、途中から進路を変え八幡原に向うと考えます。 ならば御貴殿が八幡原へと目指す道筋は、広瀬の渡しから千曲川を渡河し、東福寺付近を通過いたすが一番、政虎もそう考えましょう。伏兵は東福寺付近に間違い御座らん」 勘助がしわがれ声で断じた。 この二人の会話に出る広瀬の渡しとは、妻女山を下山した千曲川にある地名で、川幅は広いが浅瀬となっいる一帯であった。また東福寺は広瀬の渡しの東に位置し、海津城からは千曲川を挟み目前にある寺である。 政虎は勘助の読み通り、そこに甘粕景時の一隊を伏兵として置いていた。 こうして軍議は終りをつげたが、未だに妻女山は赤々と篝火が輝いている。 九月九日の深更、海津城の大手門から足音を忍ばせた大軍が続々と闇の中に消えて行った。 いずれの将兵も鎧の草擦りの音を忍ばせ、馬に枚(ばい)を含ませていた。 なんせ一万二千の大軍である、最後尾の部隊が大手門を通過するまでに長い時間がかかった。 妻女山は赤々と何時ものごとく変わらずに篝火の明りが見える。 勘助は望楼に登り妻女山を見つめた。いよいよ最後の決着をつける。 勘助の五体に闘志が湧きあがっていた。 信玄は別働隊の出陣を見送り、残りの八千の部署を終え海津城を出た。 寅ノ刻(午前四時)信玄率いる本隊が八幡原に本陣を構え、諸隊が鶴翼の陣形で配置についた。 この日が九月十日の早朝であった。 「霧が深いのう」 信玄が傍らの勘助に低く囁いた。 この霧は勘助にとり誤算であった。妻女山への奇襲部隊はさぞかし難儀しておろうな。打ち合わせの通りに卯ノ刻(午前六時)に政虎の本営を衝けるか、それが心にわだかまりとなっていた。勘助は霧を透かし見た。 まだ夜が明けず諸隊は乳白色の霧のなかに埋まっている。 本陣の前衛には猛将でなる山県三郎兵衛が、右翼には諸角昌清、武田義信、望月甚八郎が、左翼には武田典厩(てんきゅう)信繁、左翼後詰武田信廉、穴山信良が陣を布き、各隊の旌旗が風に翻っている。 本陣には予備隊として内藤修理亮、陣場奉行の原隼人の二将が控えていた。 これは勘助苦心の陣構えであった。 本陣は前面を空けて幔幕が後ろから横に張り巡らされ、黒糸縅の鎧に緋の法衣を纏い、諏訪法性の兜をかむった信玄が床几にどっかりと座っていた。 その背後には武田家の二流の御旗が立てられている。 勘助は甲冑の上に白の法衣を纏い、信玄の左三間ほど前の床几に腰掛け、 隻眼を閉じている。 その前に勘助の手勢、二百名が左右に居並んで守りを固めていた。 霧がますます濃くなり、陣営全体が見通せない、湿った風が八幡原を吹きぬ け、穂が未熟な芒がざわざわと揺れ動いている。「勘助、そろそろ刻限じゃな」 信玄の落ち着いた口調に勘助は無言で肯いた。 この八幡原から妻女山までは直線で一里弱の距離である。別動態の攻撃が成功すれば、銃声や鬨の声が聞こえてくる筈であるが、卯ノ刻を過ぎても前方からは、一発の銃声も喚声も聞こえてこない。「何か齟齬(そご)でもあったか?」 勘助の胸裡に不安が渦巻いた。 その頃、越後勢は妻女山の西方から、千曲川を渡河し川中島の入口に付近に、足を踏みれていたのだ。 政虎は甘糟近江守に、海津城の西方の千曲川を越えた場所に兵を伏せるよう、命じていた。それは妻女山から八幡原に急行する武田勢を押さえこむ策であった。 甘糟勢一千名が霧の中を南に向かっていた。 ゆるゆると時が経過し、霧が吹き流れ一瞬、前方に展開する陣形が現われては、消えて行く。こうしている裡にも、急速に空は明るさを増し暁の風が吹き抜けた。 「遅いー」 勘助が胸中で苛立っている。「御屋形、妻女山はものけの空かも知れませんぬ。拙者が物見に出ます」「行け」 信玄が低いが力強い声で命じた。 勘助が二人の百足衆を率い、愛馬で濃霧に融け込んで行った。 まるで何も見えない、三騎は霧の中を泳ぐように数十町先行した。 大地が微かに揺れるような感覚を覚え、騎馬を止め前方を透かし見た。「あっー」 勘助が声を飲み込んだ、密集した騎馬武者が粛々と近づくさまが見えた。 まぎれもない「毘」の旗印である。風が吹きぬけ濃霧が晴れ間を見せた。『鞭声粛々、夜、河を渡る 暁に見る千兵の大牙を擁するを』 頼山陽の詩吟の風景である。 我が策、敗れたり。瞬時に悟った。あれほど苦心惨憺した策が一挙に破れ去ったのだ。全身に虚しい血潮が湧きあがってきたが、「百足衆、前衛に伝えよ、敵勢すでに我が陣に迫りつつある。本陣の下知があるまで、物音を忍ばせ、そま場に待機いたせとな」 勘助が猛然と本陣に向い駆け、百足衆が二方に散り前衛に駆け去った。
Oct 28, 2014
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「合戦前夜」(69章) (第四回川中島合戦)「内密な話にございますか?」 奥の部屋に入り信玄を凝視し訊ねた。 このような事は主従の仲でもなかったのだ。「父上からどのようなお指図があったか知らぬが、勝手な振る舞いは許さぬ」 何時になく信玄の口調が厳しく聞こえた。「この合戦で討死せよとの、大殿のお言葉の事にございますか?」 信玄は黙し、信虎に似た眼差しで鋭く勘助の表情を窺がっている。「御屋形と共に上洛する事が勘助の夢にございます」「真にそう思っておるか?」 「はっー」 勘助が片膝を付き拝跪した。「ならば父上のお指図は無視いたせ、これは余の命令じゃ。良いの」 勘助は信玄の温情を感じ、無言で首肯した。 「ならばこの話は二度とせぬ」「御屋形、ただしこの合戦に後れを取るような事があれば、拙者の一存で討死つかまつる」 信玄の顔に満々たる覇気が漲った。 「ならば無用じゃ」 こうして信玄と勘助の二人の極秘会談は終わった。 九月八日の夕刻、軍議開催の知らせが各将にもたらされた。「いよいよ始まるか」 各々(おのおの)が興奮を顕にして大広間に参集した。「これは如何いたした」 集まった武将達が驚きの声を洩らした。 それぞれの席に大徳利と杯が置かれいる、軍議の席で酒など飲んだためしがなかったが、各将は定めの席に腰を据えた。 信玄が巨体をみせ正面の床几にどっしりと座り、黙して一座を眺めている。「御屋形、今宵は良きお言葉がお聞き出来ますか?」 武田の副将の信繁が一同を代表し訊ねた。「長い間、堪えてくれた礼を申す。明晩に軍を発する。今宵は酒を楽しみ、勘助の策を聞くことにいたす。皆に意見があれば遠慮のう述べよ」 勘助が隻眼を光らせ立ち上がった。 手に絵図と覚しき物をもって丁寧に壁に張りつけた。 一同から声にならないどよめきが起こった、川中島の大絵図である。 勘助が足を引きずり、一尺ほどの竹を手に絵図の横に佇んだ。「これより、啄木鳥の戦法をご説明申しあげます」「なにっー、啄木鳥の戦法とな」 一座の武将から思わず声が洩れた。「お歴々もご存じとは思いますが、啄木鳥が餌を捕る様子は変わってござる。 樹の中の虫を取るに啄木鳥は反対側を嘴で突き、音に驚いた虫が穴から出たところを捕食いたす。今回の戦法はそこから名付け申した」「越後勢が虫で我等は啄木鳥にござるか?」 穴山信良(のぶよし)が笑いを含んだ声を挙げた。「左様、これより説明申しあげまする。御屋形、宜しゅうござるか?」 勘助が信玄を振り向き声をかけた。「そちの考えた啄木鳥の戦法、存分に皆に話して遣わせ」「では申しあげまする、まず軍勢を二分いたす。一隊は本隊とし御屋形が引き連れます。その勢八千、いま一隊は別動隊といたし一万二千といたす」「信繁、お訊ねいたす。別働隊に比し本隊の兵力が少ない訳を説明願いたい」「慌てて出てまいった虫を捕食いたす事が、御屋形のお役目にござる」「勘助、余はそのような虫を食するのみか?」 信玄が揶揄するような口調で勘助に声をかけた。 「左様、越後勢の息の根を止めることが御屋形の努め」 勘助が隻眼を光らせ答えた。「別動隊一万二千は明日の深更に、城から出て妻女山の裏手に廻り一気に奇襲を仕掛けて頂きたい。越後勢は押されて下山いたす筈、それが御屋形の捕食いたす虫にござる。御屋形は別動隊の出兵を見届け、川中島の八幡原に本陣を置かれ、越後勢の現われまでお待ち願います」「皆に意見はないか?」 信玄が凛とした声をあげ一座を見廻した。「妙案と存じます」 一座の武将連が声を揃えた。「別動隊の総大将と部署割を教えて下され」 馬場信春が渋い声をあげた。 勘助が信玄の様子を窺がった。 「勘助、そちの存念を申せ」「さらば拙者の案を申します。別動隊の総大将はこの北信濃の地形に詳しい、高坂弾正昌信殿、副将は馬場美濃守信春殿、参陣の各将殿は飯富兵部虎昌殿、小山田信茂殿、甘利昌忠殿、真田幸隆殿にお願いいたす」 勘助が別働隊の編成を述べ言葉を止めた。 「強者ぞろいじやな」「さて本隊にござるが、武田典厩信繁さま、武田義信さま、武田刑部少輔信廉さま、穴山信良さま、山県三郎兵衛昌景殿、内藤修理亮殿、 諸角昌清、初鹿野忠次、原隼人、望月甚八郎、それに拙者にござる」 勘助が語り終わり、異相な顔を一座に向けた。「勘助の案に異論はないか?」 信玄が杯を干し、各武将に訊ねた。 「ございませぬ」「さすれば詳細は明日、ご説明申しあげます」 勘助が自分の席に腰を据え、窓から夜空を見上げた。 漆黒の夜空に淡い月が顔を出し、妻女山は篝火の明かりに燃えていた。「いよいよ決戦じゃな、待ちくたびれた。今宵は飲もう」 各将達が明日の戦を語り合い独酌を始めた、勘助は黙して杯を干している。 「勘助、この策が洩れることはないか?」 信玄が青々とした髭跡を見せ訊ねた。「この策は、今宵はじめて説明いたしました。明日の炊飯の煙には用心が必要となりましょう」 「炊煙で政虎が気づく恐れがあるか?」「上杉政虎、恐ろしい相手にございます」「二万もの兵等の握り飯を作らねばならぬの」 「左様にございます」 信玄と勘助の会話を武将達が神妙な顔つきで聞いている。「別動隊が妻女山に突入いたす刻限は、卯ノ刻(午前六時)頃となりましょう。その音は八幡原まで聞こえる筈にございます。恐らく越後勢が八幡原に姿を見せるのは一刻(二時間)ほど後と思います、併し妻女山から何も聞こえぬ時は、この策、失敗したと思わずばなりますまい」 一座に異様な空気が流れた。「軍師殿、妻女山はものけの空と言われますか?」 高坂弾正昌信が険しい顔で訊ねた。「左様、政虎に気取られたものと思われます。その時は全軍、八幡原に駆けつけて下されよ」「はっ」「その時は余も、勘助、そちも死ぬる時か?」 信玄が厳しい顔をみせた。「いや、我等八千は鶴翼の陣で臨む積りにございます。別動隊が引き返すまでは、持ち堪える事は出来ましょう」 勘助が断言し、高坂弾正の顔色が変わって見える。 責任の重さがひしひしと五体に重石となっているようだ。「難戦となるの?」「その為に明日、陣構えを御屋形と相談致したく思います」「我等八千が全滅しても、別動隊一万二千は残る勘定じゃな」 信玄が巨眼を光らせ、勘助の顔を見つめた。「何を仰せにございます、御屋形なく何の武田でありましょう。そのような弱気なお考えは為さらぬよう。生きて生きて生き延びるのです」「判った」 「軍師殿、それがし報告せぬ事がございました」 高坂弾正が真剣な顔で発言した。「報告せぬ事とは何でござる」「この季節には突然に朝霧が湧き出しまする。濃霧で一寸先も見えませぬ」 「なんとー」 これは重要な案件であった、もし万一、明朝に濃霧が湧いたら軍勢は迅速な行動が出来なくなる。「申し上げます」 声の主は真田幸隆であった。「真田殿、良き案でもござるか」「配下に妻女山に詳しい者達が数名居ります。彼等に道案内をさせましょう」「それは良い、八幡原に行く本隊は如何成される」「軍師殿、この城と八幡原は目の前にございます。まずは心配はありませぬ」 真田幸隆が満々たる自信を示している。「弾正、明日の妻女山奇襲は、真田勢を道案内とし政虎を追い落とせ」「はっ」 高坂弾正昌信が顔色を染め、信玄を拝跪した。 信玄はそれ以上なにも言わずに、奥に引きとって行った。
Oct 24, 2014
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「川中島合戦序盤(2)」(68章) (第四回川中島合戦) 夜の帳がおり、妻女山は篝火の明りで輝いている。 海津城では四人が酒を酌み交わし語らっていた。 海津城は厳重な警戒が敷かれ、大篝火が焚かれ火の粉が舞っている。 夜襲を警戒しての事である。「軍師殿、越後勢の山篭りをなんと見ました」 馬場春信が顎鬚を撫でながら訊ねた。「此度は拙者にも考えが及びませぬ」 勘助が苦そうに酒を含んでいる。「何か意図がある筈じゃ」 戦巧者の高坂弾正も盛んに首をひねっている。「もし拙者が政虎ならば、我等を焦らす作戦とみます。ただ妻女山に本陣を構えるのには、何か思案があっての事じゃ」 勘助が区切るような口調で考えを述べた。「されど武田には当面の敵は越後勢のみ、それに引きかえて奴等には関東の北条勢、さらに越中にも敵が居る。我等に焦れる謂れはござらん」 飯富兵部の意見は的を得たものである。「それがしの考えも飯富殿と同様にござる」 高坂弾正がぽつりと呟いた。「御屋形と政虎の性格からみても、焦れるのは政虎、そこが分からぬ」 馬場信春が盛んに自慢の顎鬚をひねっている。「このような馬鹿な戦するまでもない、我等はこのまま城に籠もり、御屋形にはご帰還を勧めてはいかがじゃ。軍師殿はどう思われる」「流石は飯富殿じゃ、拙者も同感なれど御屋形が了解為されまいな」 勘助が大杯を干し断言した。「無理にござるか?」 「一応、お話いたしますが期待せぬほうが宜しいな」 勘助が暗い顔つきで応じた。「なんぞ軍師殿には心配事でもござるか?」 高坂弾正が端正な顔に不審な色を浮かべ訊ねた。 彼は少年時代に信玄の小姓として仕え、寵童で知られていた。「いや、何となく前途が案じられますのじゃ」「兵力、城と我等が越後勢に劣るところは何もござらん。それでも軍師殿は不安と申されますか?」 馬場信春が異相な勘助の顔を見つめ糾した。「そこが不安でござる。上杉政虎と申す武将は未だに合戦では負を知らず、その武将が何故に、死地に等しい場所に陣を構えたのか?」 勘助が夜景を隻眼で眺めた、妻女山は篝火で燃えているかに見える。「上杉政虎はいくさ気狂いの男じゃ。と御屋形がよく申されておられた」 勘助が隻眼を細め、ぽっと言葉を発した。「左様なことを申されましたか」 馬場信春が妻女山を見つめながら、勘助の言葉に応じている。「己を毘沙門天の化身と信じ、女子を近づけず、領土欲もない無欲の武将。ただ合戦に勝つことのみを生き甲斐とする男、何をもって将兵が奴を慕っておる」 勘助が憤りの声を発した。 自分は女子が好きでたまらない男である。大殿の愛妾にも手をだした。 そう思うと政虎と言う、武将に嫉妬に似た感情が湧いてくるのだ。 こうして長い一夜が明けた。妻女山から炊煙が盛んに天にのぼっている。 八月二十四日、妻女山の北西、川中島を挟む位置にある茶臼山に、信玄が本隊、一万二千名が着陣した。 北国街道を見おろし、東に川中島の平野が一望できる山頂から信玄は敵将の本陣のある妻女山を眺めている。 ここからやや離れた東南の地に海津城が見える。 越後のいくさ気狂いなにを狙う、信玄は飽きもせず見入っている。 動きといえば越後勢の小荷駄隊が犀川を渡河し、丹波島に進出した事だけである。指揮する将は直江実続(さねつぐ)であった。 信玄は翌日、茶臼山を下山し妻女山の前方に陣を移し越後勢を挑発したが、越後勢は鳴りをひそめ、寄せてくる気配も見せない。 二十九日に武田勢は突然に陣を払い、全軍が海津城に入城した。 ここに武田勢は大きく兵力を膨らませ、二万の大軍となっていた。 両軍は対峙したまま動かず、戦線は膠着したまま九月を迎えた。 九月と言っても、ここ川中島は徐々に寒気が忍びよってきた。 武田の忍びから、妻女山の越後勢の動きが知らされた。 いずれの者達も、政虎は悠然と構え小姓に謡をうたわせ、自ら小鼓を打って酒を楽しむ日々を送っているとの報告であった。「越後の小童、なにを策しおる」 信玄の眉間に時折、深いしわが刻まれる。「いかん、御屋形の方が焦れておられる」 地形も兵力も格段に勝りながら、相手の動きを気にし対峙する事に耐えきれなくなっておられる。 勘助には信玄の心の襞が手に取るように理解できた。 勘助が信玄の本陣を訪れた。 「おう、勘助か」 信玄は一段と血色もよく最近はいくぶん肥えてきた。「御屋形、我慢ですぞ」 勘助が逸る信玄に辛抱するように進言した。「判っておるが気が滅入る、いっそ鬨き合わせでも遣ろうと思う」「いけませぬな、我等の苛立ちが敵に通じます」 鬨き合わせとは、一斉に鬨の声を挙げることを言う。「勘助、何時まで待てばよい」 「あと四、五日ほどお待ち下され」「良き策を思いついたか?」 信玄の顔に紅色がさし眼光が鋭く輝いた。「極秘ながら一計を考えております。啄木鳥(きつつき)の戦法と申します」「啄木鳥の戦法?・・・面白そうじゃ、早う策を練るのじゃ」「判っておりまする、いま暫く時を下され」「勘助、ついて参れ」 信玄が床几から立ち上がり、奥の部屋に勘助を誘った。
Oct 22, 2014
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「川中島合戦序盤」(67章) (第四回川中島合戦) 永禄四年八月十三日、上杉勢は善光寺に五千の後詰めと大小の荷駄を残し、一万二千の大軍を擁し、北国街道に入り南進を始めた。 上杉勢が善光寺に後詰を残すことは常のことであるが、北国街道に踏み込むことは初の軍事行動であった。 上杉勢動くの知らせが高坂弾正昌信より伝えられ、受けて信玄は十八日に出陣した。本陣には何時もの如く、諏訪法性と孫子の二流の御旗が夏空に靡き、武田菱の旗印が将兵の背で、はたはたと鳴る様子は見事な偉容であった。 信玄は黒糸縅の鎧に緋の法衣を羽織り、諏訪法性の兜をかむり黒駒に跨り、躑躅ケ崎館を出陣した。従うは副将の武田典厩信繁、武田信廉(のぶかど)、嫡男の武田太郎義信、穴山信良(のぶよし)等のお身内衆と、猛将で聞こえる赤備えの山県三郎兵衛昌景、内藤修理亮昌豊、 諸角昌清、初鹿野(はじかの)忠次、陣場奉行の原隼人等の諸将に率いられた部隊が続々と後続してゆく。 総勢一万二千名の本隊である。 勘助は数名の軽兵を率い先駆けをしていた、一刻も早く海津城に入り、越後勢の動きを己の眼で確かめたかった。 それに秘かな企てのお膳立てもしたかった。 勘助の脇を槍持ちの平蔵が勘助の槍を肩に、平凡な顔を見せ懸命に駆けている。彼は佐久の小県郡にある歩き巫女の頭領、望月千代女より貰い受けた忍び者である。 勘助は十六日の早朝に海津城に到着した。「これは軍師殿、早いお着きじゃ」 守将の高坂弾正に飯富兵部、馬場信春が驚いた顔で出迎えた。「越後勢の動きは?」 「北国街道を利用して南方に向い行軍中にございます」 高坂弾正が打てば響くように答えた。「動きが素早いの」 「夕刻前には、この城を包囲するものと思われます」 高坂弾正が浅黄縅の甲冑姿で越後勢の動きを伝えた。この高坂弾正は長年にわたり、北信濃攻略の総大将として任務に就いていたが、今の身分は海津城代である。彼の勢は全員が黄色備えの具足をまとっている。 母衣武者が砂埃をあげ疾走したきた。 「申しあげます」 母衣武者が騎馬から飛び降り、片膝を着き野太い声を挙げた。「いかがした?」 「越後勢、千曲川の雨宮の渡しを渡河中にございます」「雨宮の渡しなら北国街道を東にそれ、我が方に向って来ますな」 高坂弾正が寂びた声を挙げた。「今日中に襲って参りますかな」 飯富兵部がしおから声で勘助に訊ねた。「上杉政虎ひとすじ縄の武将ではござらん。犀川の対岸に陣を構えることが、兵法の常道に御座る」 勘助が城の望楼に登り答えた。 上杉勢とは過去、三回、対陣をしたが、常に犀川の対岸に陣を敷いている。「越後勢、御屋形の着陣前に攻め寄せて来ますかな」 馬場信春が不敵な顔つきで訊ねた、彼も武田家の名将で鳴らした武将である。「もし、上杉勢がこのまま東に進んで来れば、狙いは海津城ではありませぬか?」 高坂弾正の顔に一抹の不安な色が浮かんでいる。 「我等は城に籠もり、防戦あるのみ」 勘助が、それ以外ないと簡潔に答えた。「我等は籠城兵が八千、越後勢は一万二千ならば、互角の戦が出来ますな」 馬場信春が芒や萱(かや)の生い茂った川中島の平原を見つ呟いている。 夏の日を浴びた平原は緑の大河のように見え、むっとする草の臭いがする。「この城はそのために築城いたした」 答えつつ勘助も千曲川の流れと対岸の景色を見つめている。「今回の越後勢、初めて深く進攻してきましたな。何を企んでおります?」 歴戦の高坂弾正も珍しく迷っているようだ。「上杉勢の狙いは関東にござる、今回は我等と有無の一戦を望んでおる」 勘助が隻眼を細め妻女山方面を眺めた、彼方から一騎の母衣武者が駆け寄ってくる様子が見えた。 陽炎が浮かび、それを割って城門にたどり着いた。「申しあげます。敵勢には城を包囲する動きが見えませぬ」 「なにっー」 四人が望楼から川中島の平原に視線を移した、緑の原を割ってまた一騎が馳せ戻ってきた。 「申しあげます。敵勢は一斉に妻女山に登っております」「なんとー」 思わず四名が声を挙げた。 考えられない動きである、越後勢は自ら糧道を断った事になる。「飯富殿に馬場殿、ご一緒願う。物見に参る」 勘助が足を引きずり望楼を降りてゆく。 三騎の騎馬が猛烈な勢いで城門から駆けだした、先頭は勘助である。「あれはー」 樹木の翳に騎馬を止め、三人が呆然として越後勢の動きを眺めた。 すでに妻女山の山頂付近には、本陣を示す旗印が並び風に煽られている。 続々と軍勢が山頂をめざして行軍する様子が望見できる。 まだ後尾は霞む遠方の犀川を渡河中である、警護の騎馬武者が群れて将兵を督励している。 小荷駄の一群が北国街道を逸れ、海津城方面に向い千曲川を渡河し、山頂に差しかかり馬があえいでいる。「全軍、妻女山に籠る積りじゃ」 勘助が隻眼を光らせ凝視している。 妻女山は標高五百四十メートルの山で、海津城までは直線で半里(二キロ)の距離である。「あの山頂からなれば、海津城内の全容が一望できる」 勘助が唸る思いで低く声を洩らした。「我が軍の動きを全て見下ろせますな」 馬場信春が渋い顔をした。「御屋形の本隊を合わせても、全山の包囲は無理じゃ」 飯富兵部までが呆れ顔をしている。「越後のいくさ気狂い何を画策いたす?」 勘助が信玄の言葉を真似て政虎の心中を推し量っている。 ここに居る三人の思いが一致したのだ。妻女山は海津城の背後、西南の位置に聳え立つ山である。 上杉勢の思いもせぬ行動で海津城は、千曲川に前方を塞がれ、やや背後の妻女山を敵勢に占拠され、その脅威に晒されることになった。 一方、上杉勢も海津城の背後に廻った為に、善光寺の後詰との連絡を自ら、遮断した事に成る。救援部隊と兵糧の道を絶ったのだ。 正に竜虎の戦いは思いもせぬ、展開を見せ始めたのだ。「何が目的で全軍が山に籠もる」 「長期戦となりますな」 飯富兵部と馬場信春が、越後勢の動きを見つめながら語り合っている。 ようやく後尾が渡河を終え、山裾に向かって行軍をはじめた。 太陽が何時の間にか、真上に輝いている。 三将は政虎の意図が判らぬままに帰城した。 早速、狼煙を上げ、本隊に伝令の騎馬武者が駆け散じて行った。
Oct 19, 2014
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「武田三将vs上杉政虎」(66章) 勘助が居ずまいを正した。氏真は信虎の娘孫であり、信玄には従弟となる。「御屋形、まことの事を申しても宜しゅうござるか?」 勘助が隻眼を光らせ、信玄の顔を見つめた。「許す」「亡くなられた義元さまに似ぬ腰抜け、忍びの知らせでは弔い合戦を行う気概もなく蹴鞠に現を抜かし、酒と女子に溺れておるそうにございます」「余にも聞こえておる。このままでは父上の身に危険が迫ろう」 信玄の言葉の裏は読みとれる。大殿が駿府に止まり、今迄通りに謀略を続け今川に洩れたら、大殿自身が危うくなると信玄は心配しているのだ。「御屋形の心配は的を得ております。いかが為されます?」 勘助が信玄の髭跡の濃い顔を仰ぎみた。「京に隠遁を勧めるつもりじゃ、そちに何か思案はあるか?」「我等と今川家の関係が悪化いたせば、大殿が真っ先に狙われます」「そうじゃ、京は父上の夢でもあった。公家とも親しいお方も居られる」 信玄が扇子で肩を叩いて応じた。「拙者が手をうちまする」 「遣ってくれるか?」「今のうちから手をうてば、大殿は安全に駿府城から退去できましょう」「策は?」 「武田の忍びも力をつけました、彼等を使いまする」「うむ、手段はそちに任せる」 信玄が満足そうに肯いた。「御屋形、お耳の痛い話にございますが、お聞き頂けますか?」「なんじゃ」 勘助の言葉に信玄が不審そうな眼差しをした。「板垣信憲(のぶのり)殿の事にございます」 「信憲がいかがいたした」「亡き信方さまには申し訳ありませぬが、信憲殿には将器が欠けております」「そちも心配しておったか?」 信玄が勘助の言葉に即答した。「御屋形もご存じにございましたか?」 「・・・-」 信玄は無言でいる。重臣であっても家臣の欠点を話してはならぬ。 信玄は、そう信じて来たのだ。「きたる大戦を控え赤備えの将としては心許なく感じておりました。山県殿に赤備えの将を命じ、信憲殿には上原城郡代にと思案いたしておりました」「将器なき者が将では将兵の不幸、余から信憲に申し伝える」「有り難き仰せにございます」 勘助は信玄の成長に感激した、すでに堂々たる武将である。これで心置きなく越後勢と戦える。 暫く二人は今後の相談をし、勘助は館を辞し屋敷に戻った。 屋敷にはお弓の姿が消えていた、勘助の登城を見送り旅発ったという。「さても、早きことじゃ」 勘助は昨夜のお弓の膚の感触を思いだしながら自室に籠もった。 今の勘助には思案する事がいくらでもある。 先刻、御屋形に語った越後勢との勝負は、五分でよいと勘助は見極めていた。 政虎の置かれた立場を冷静に分析すれば、彼等には勝敗を度外視した名分が必要であるが、我等は負けない戦いで充分である。この合戦を境に上杉家は本格的な関東攻めを始めるとよんでいた。 信憲殿の件もしかりである。彼は今まで赤備えを率い無難にこなしてきたが、この度の合戦では信憲の勢から味方が崩れる、そんな予感を感じていたのだ。 それは最近、赤備えの将兵から不満の声が洩れていたのだ。将兵の不満は信憲の消極的な戦法にあった。 武田勢の中で赤備え、黒備えの将兵は特に信念と誇りが一番に強くあった。 合戦になれば真っ先に先鋒とし敵勢に突撃する。それが将兵の誇りであった。 その赤備えの将兵が不満を漏らすと言う事は、見逃せぬ問題であった。 これでは来る越後勢との合戦では勝てぬ。信憲は武将ではなく官吏としての資質があり、領内治世なれば安心して任せられる。 そこに着目した進言であった。 あとは自分の問題である。御屋形がどう仰せになろうとも、来る合戦を機に世間から消えなくてはならない。 これは信虎と勘助両人の了解ごとであった。「討死いたせ」 この言葉の意味は、信虎の跡を継ぎ甲斐の捨石となれとの、伝言である。 武田家の御旗を京に翻すには、謀略につぐ謀略が必要である。 身を斬られるよりも淋しい事であるが、自分以外これを遣れる者は居ない。 信玄公と別れる辛さが身を苛んだ、それが数ヶ月後と知ると心が震えた。 勘助は秘かに影武者の用意も整え、来るべき合戦で討死を偽装する計画を練っていたのだ。もう、大殿は若くはないのだ。 「あと二ヶ月か三ヶ月後か」 勘助が隻眼を潤ませ低く呟いた。 関東管領の名跡を継いだ上杉政虎率いる、一万七千名が春日山城を出たとの知らせが、海津城代の高坂弾正昌信にもたらされたのは七月の末である。 直ちにその知らせは躑躅ケ崎館に狼煙でもって伝えられた。「出おったか、越後のいくさ気狂い」 信玄は馬場美濃守信春、飯富兵部小輔虎昌の二将を先鋒として差し向けた。 これは勘助と以前より話し合った結論である。海津城に武田家の誇る名将 三名が詰めた事になる。本隊が不測の事態で遅延しても、なんら心配のない態勢をとったのだ。 八月下旬に越後勢は新井宿からと富倉峠を越え、善光寺に着陣し、兵の部署 割りを行っている。この越後勢の動きは、逐一、武田の忍びの頭領河野晋作よ り、古府中の躑躅ケ崎館に知らされていた。「いつも同じ手口じゃな」 信玄の顔に皮肉な笑みが浮かんだ。 勘助は彼我の兵力に思いを馳せていた。多分、我等は総勢二万余であろう。 敵に対し数で上廻る兵力と海津城がある。既に馬場勢と飯富勢五千が入城を果たし、総勢八千名が満を持して籠城している。「御屋形、いっそ海津城のみで越後勢と戦いますか?」 勘助が自信たっぷりの冗談を言っている。「それも面白いの」 信玄にもその気持ちがあるようだ。 越後勢の一万七千の大軍に八千の籠城兵、一度戦ってみたい誘惑にかられた。「毘沙門天の化身と武田家の名将三名の合戦はいかがなりますかな」「余も一度、見たいものじゃ」 「さぞや猛烈な合戦となりましょうな」 勘助が異相な顔付で信玄の肉太い顔を見つめた。「じゃが駄目じゃ。此度の合戦は有無の一戦じゃ。余と政虎でなければならぬ」 信玄、この時四十一才であった。
Oct 17, 2014
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「お弓との一夜」(65章) 勘助がお弓の変化を素早く察し、言葉を添えた。「万が一、拙者が討死いたしたら、お麻を引き取って下されよ」「縁起でもない事を申されますな」 お弓が眉をひそめた。「この度の合戦は、武田家の総力をあげての合戦となりましょう。何か起これば軍師としての拙者の落ち度、それ故にお願いをいたしておる」 お弓が勘助の隻眼を見つめた、その顔色に男の覚悟を見た。「判りましたぞ、じゃが念願の上洛を果たすまでは死んではなりませぬ」「拙者とて武田家の二流の御旗が京に翻るさまを見たい」 勘助が遠くをみる眼差しで呟いた、そんな勘助にお弓が話題を変えた。「駿河の大殿が死ねと仰せられた訳はなんでございます?」「いずれ、分かる時が参りましょうな」 勘助の声が乾いて聞こえ、お弓は胸騒ぎを覚えた。「勘殿は死ぬ気ですか?」 「悪鬼となっても、御屋形の上洛がみたいと念願しております」 勘助の歯切れの悪い言葉に気づかず、お弓が微笑んだ。「そのお言葉で安堵いたしましたぞ」 そんなお弓に勘助が熱い酒を勧め、「お弓殿、今宵は屋敷に泊まり、お麻と心置きなく過されよ」「勘殿、昔のように可愛がってくれますか?」 勘助が言葉に窮している。そんな勘助を揶揄い、お弓が隻眼の奥を見つめ、「それなれば一晩、厄介になりますぞ」 お弓が挑発するように、勘助の細い方の太腿をさすった。 お弓の温かい手の感触が勘助の欲情を搔きたてた。 もう一度、この女を抱きたい。 脳裡に数年前のお弓との狂態が浮かんでは消えた。 その晩、皆が寝静まった頃、勘助はお弓の寝所に忍び込んでいた。 灯を細めた寝所で勘助は獣と化し、お弓の豊満な肉体に溺れ堪能した。 お弓も声を堪え、身を揉んで歓喜の呻きを洩らした。「女子とは良いものじゃな、身も心も和むは」 大きく息を弾ませ勘助が吐息を吐いた。「勘殿も昔と少しも変わっておりませぬぞ、矢張り膚が合うのです」 お弓が、勘助の胸に顔を埋め男の乳首をしゃぶった。「もう駄目じゃ、女子はそなたが最後のようじゃ」 勘助が名残り惜しそうに、お弓の乳房に手を這わせ、乳首を口に含んだ。 さらさらとお弓の長い黒髪が、勘助の躰の上を刷くように流れた。「まだまだ元気じゃ、もう一度、抱いて下され」 お弓が眸子を光らせて勘助の股間をさすった。「そうさのう、合戦が済んでからじゃな」 「今じゃ。討死なんぞ成されたら、もう二度とこのような事はできませぬ」 お弓の顔半分は黒髪に覆われ、切れ長の眼を雌豹のように輝かせている。「口吸いましょうか?」 勘助が苦笑を浮かべた瞬間、お弓の舌がねっとりと絡みつき、股間が熱く燃え滾った。「こうして勘殿を抱いておると女の幸せを感じます」 お弓が唇を離し、勘助の耳元に甘く囁いた。「お弓殿、間違ってはならぬ。そなたを抱いておるのは拙者じゃ」 勘助が女体の上からお弓を見下ろし、かすれ声を挙げた。「勘殿、それは間違いじゃ。わたしが勘殿を抱いておるのです」 お弓が、くっくっと身をよじって笑い声を洩らし、矢庭に勘助の首筋に両腕で絡ませ、すらりとした足を勘助の尻の上で交差させ、勘助の尻を引き寄せた。 その瞬間、一物がお弓の秘所の襞を押し分け、胎内の奥に導かれた。 温かく湿った女の襞に一物が締め付けられ、解放され、また翻弄された。「勘殿、これが男女の交合ですよ。・・・女が男を抱いているのです」 お弓が切れ切れに熱い声で述べ、奇妙にも勘助は納得した。 女子が両腕と太腿を開いて男を迎えねば、交合は不可能なのだ。 二人は何もかも忘れ、一体と成って快感を追い求めた。 何度、燃え尽きても、残り火が再び燃え盛り二人は絡み合って夜明けを迎えた。 この女子を今一度抱ける日がわしに来るのかな、勘助は胸中で思った。 翌朝、登城の刻限となり、勘助は供の者を従い屋敷の門前を出た。 お弓とお麻の二人が玄関から見送ってくれた。 離ればなれで過ごしたといっても、寄り添った二人は矢張り親子じゃ。 勘助は二人の笑顔を隻眼におさめ、肩を左右に揺すり足を引きずった。 躑躅ケ崎館で重臣たちと今後の話し合いを終え、勘助が信玄を見つめた。 「勘助、余に話があるようじゃな」 素早く察した信玄が庭に誘った。涼しい風が新緑の匂いを運び初夏の花々が咲き誇っている。信玄が庭石に腰を据え、勘助が傍らに片膝をついた。「何が起こった?」 信玄が青々とした髭跡をみせ簡潔に訊ねた。 勘助はお弓が屋敷に居ることを告げ、信虎の言付けを伝えた。「父上も海津城の築城を考えられておられたか」「はい、これを知られたら、さぞお喜びになられましょう」 勘助が頬を崩した。「勘助、城はいつ完成いたす?」 「すでに後、十日もあれば充分かと」「高坂弾正に伝えよ。近々に余が海津城の検分に参るとな」「さぞ喜ばれましょうな。高坂殿は北信濃の守りと普請奉行も兼ねられ、懸命なお働きでございました」 勘助が何事か言わんとして口ごもった。「勘助、申す事があれば遠慮のう申せ」 信玄が視線を庭の小鳥に移し、不審そうな声を浴びせた。「この度の合戦は武田家の命運をかけたものになりまする。失敗したら、拙者に死ぬとのお言葉がございました」「死ねと仰せられたか、そちは父上のお言葉の意味が判るのか?」 信玄が相貌を厳しくさせ、勘助の異相な隻眼を凝視した。 勘助は無言で信玄を仰ぎ見て、それとは違ったことを語りだした。「此度の越後勢との合戦は、双方とも今後の戦略転換を図る重要な戦いと なりましょう。我等は勝利し早い時期に駿河を平定したい、一方、越後勢は本格的な関東出兵が狙いとなりましょうな」 勘助が言わなくても信玄自身が充分に承知している事である。「勘助、この合戦是が非でも勝たねばならぬな。じゃが越後のいくさ気狂いは強い、我等が完勝する事は不可能じゃ」「左様、乾坤一擲の勝負を挑んで参りましょう」「・・・-」 勘助の言葉に信玄が無言で肯いた。「我等は八分の勝利が必要となります。さすれば北信濃の豪族共は我等に靡きましょう。後顧の憂いを絶って上洛するには、これなくば叶いませぬ」「八分の勝利ならば、父上はそちをいかが為される?」 信玄の眼光が鋭く勘助に向けられた。「矢張り、死ねと仰せにられましょう」 「何故じゃ?」「いずれにせよ、拙者は川中島で討死いたしまする」「馬鹿を申せ。・・・余が困る」 信玄が呆れ顔をした。 勘助はしばし無言で庭先に隻眼を這わせ、再び口をひらいた。「いずれ御屋形もご理解できましょう。まずは越後勢、奴等は五分の勝利でも関東制圧に全力を傾けましょう。我等に係っておる余裕はございませぬ」 勘助の言う通り、上杉政虎は武田家のみに係っている場合ではなくなった。 相模の北条氏康が越後勢の侵攻のない事を良いことに、関東を思うままに侵略していたのだ。政虎は関東管領とし、これを放置できない状況になっていた。これは武田家にとり有利この上もない事であった。「そちの申す事は分かるが、父上のお考えが分からぬ。あとで話し合おう」 信玄にも何か思うところがあるようだ。「話が違うが、今川氏真殿をそちはどのよう見る?」
Oct 13, 2014
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「唐突の出会い」(64章) 越後勢の不穏な動きが河野晋作より、信玄と勘助の許にもたらされた。 越後勢の進攻は多分、八月に成ると二人の意見は一致していた。 その為に海津城の築城を急がせていたのだ。 海津城は川中島にあり、川中島はその名の通り、千曲川と犀川に挟まれた一帯を言う。長さ約八里弱、幅は約二里半ほどで信濃一の穀倉地帯で北に善光寺があるために、善光寺平とも言われていた。 甲斐、越後、上野に通じる街道が交差する要衝の地であり、信濃を目差す政虎と、それを阻止したい信玄にとりまさに生命線であった。 海津城はその川中島に建てられていた。位置は西北から千曲川が流れ、その南の丘陵に海津城が位置していた。 城の北方には犀川と千曲川が合流し、川中島の平野が開けている。 やや西南には妻女山が聳え、犀川を越え妻女山と茶臼山の中間に、北国街道が走っている、景観このうえもない城であった。 勘助はこの城が好きであった。ここに武田の精鋭を籠もらせ、主力を八幡原に展開させる、絶対に勝てる確信があった。 城代は普請奉行の高坂弾正忠昌信(まさのぶ)の、三千と決めていた。 余談ながら武田家には弾正という名前を持つ武将が三人いた。 真田弾正忠幸隆、保科弾正忠正俊、それに高坂弾正忠昌信である。 幸隆は攻めの弾正、正俊は槍の弾正、昌信は逃げの弾正と言われた。 何故、高坂昌信だけが逃げの弾正という呼び方なのか、臆病者の印象に 聞こえる。確かに真田幸隆は信玄でも落とせなかった、村上義清の支城、砥石城をいとも簡単に陥落させ、保科正俊は槍の使い手として近隣に名をを轟かした武将であった。 ならばなぜ高坂昌信だけこういう呼び名だったのか、それは確実な情報をもとに行動をする慎重派という意味で、彼の兵法は武田家でも高く評価され、慎重かつ明晰な判断で無益な戦いは、一切しないという理念の持ち主であった。 低い身分から信玄に見出され、武田四名将の一人までのぼりつめたのだ。 この永禄四年(一五六一年)の六月、お弓が甲斐の躑躅ケ崎の城下町に姿を現したのだ。 「甲斐の城下も立派になったものじゃ」 この地に居館を移した信虎は、館の建設と平行して城下町建設や寺社創建、市場開設など府中整備を行った、城下町の北には家臣の屋敷地が整備され、南面には商人や職人町が整備されたのだ。 更に武田家の隆盛につれ、商人が集まり今のような立派な町になったのだ。 彼女は新緑が眩しく光る町並みを見廻し、迷うことなく勘助の屋敷に向かった。勘殿は居られるかな、そんな思いで門前に佇んだ。 屋敷から子犬が飛び出し、それを追って少女がお弓の目前に現われたのだ。 それは偶然で唐突の出会いであった。 少女は門前に佇む、お弓の姿を不思議そうに見上げている。 お麻じゃなと瞬時に悟った。 可愛く成長した我が娘との思いもせぬ再会に、お弓は言葉を失い惚れぼれと見つめた。胸の鼓動が音をたて高鳴っている。 「小母さまは父上のお知り合いですか?」 健やかな少女に育ったお麻が可憐な声で躊躇いもせずに訊ねた。 そのつぶらな眸子がお弓には眩しくて覚えず面を伏せた。「父上は珍しく居られます、お入り下さい」 お麻がませた口調で母親とも知らずに言葉を懸けた。「お手数をかけますな」 お弓がお麻の案内で勘助の部屋に導かれた。 「おう、これはお弓殿、珍しい」 勘助が隻眼をほころばし、肩を左右に傾けながら出迎えた。「勘助殿もお元気そうでなによりです」 「そなたもな」 「もう婆になりましたぞ」 「なんの、まだまだ若い。娘のお麻にござる」 勘助が紹介した。 「お麻殿は、おいくつになられました」「十才にございます」 「もう、そのような年に成られましたか」「小母さまは、わたくしを知っておられますのか?」 お麻の顔に好奇心が浮かんでいる。 「早いものですね、あの赤子が」 お弓が笑みを浮かべ肯いた。「お麻、酒肴の用意をいたせと奥の者に申して参れ」「はい、小母さま失礼いたします」 お麻の小さな足音が途絶えた。「勘殿、十年もお世話になって礼を申しますぞ」 お弓が足音が途絶えるのを待って、手を付いて礼を述べた。「礼を申すのは拙者の方じゃ。こんな化け物にも生き甲斐が出来申した」 二人が久闊を温めあっていると膳部が運ばれてきた。 「まず、一献参られえ」 勘助とお弓は暫く庭先の紫陽花を見つめ、黙然と杯を干した。 何年も二人は会う事がなかったが、なんのわだかまりもない。 矢張り交わった男女は、こうした者かも知れない。「お弓殿、大殿も念願を果たされましたな」 勘助がお弓に視線を移した。「勘殿、大殿のお言葉をお伝いいたしますぞ」 「・・・-」「義元殿が討死した今、一刻も早く駿河を平定いたせとの仰せにございますぞ」 勘助の異相に苦笑が湧いた。 「その前に遣らねばならぬ合戦がござる、それは上杉政虎との決着にござる」 勘助の隻眼が鋭く瞬いた。「大きゅうなられましたな、最早、叶いませぬ」 お弓が静かに勘助の杯を満たした。「こうして何度も飲みましたな、あの頃が懐かしく想いだされますぞ」「お弓殿、まだ大殿は何かを申された筈じゃ」 お弓が信虎の言葉を借り、北信濃に城を築くように進言した。 それを聞き、勘助の顔が和んだ。「拙者の狙いと一致いたした。我等は大殿の申された地に城を築いております。海津城と申すがの、もう完成まじかにござる。正面に千曲川、さらにその先には八幡原が拓けてござる。越後勢との合戦はその八幡原と睨んでござる」 お弓が勘助の隻眼を凝視した、昔とたがわず眸子が濡れぬれと輝いている。「大殿はいまひとつ拙者に申されたであろう」 勘助の視線を受け、お弓が言葉をつまらせている。 「隠されるな、全ては見通してござる」 「・・-」「ならば拙者から申そう。越後勢と決着が付かねば拙者に死ねと仰せられた筈」「・・・-なぜお判りじゃ」 お弓の声がかすれた。「それが判らずして武田家の軍師は務まらぬ」 「この合戦、勝てますか?」「上杉政虎なにを策すか、拙者にも判らぬ」 ふっと勘助の隻眼に憂愁の念が奔りぬけた。 「きっと勝って下され」「勝敗は時の運と申すが、必ず決着はつけます。その後は・・・・」 勘助が言葉を濁した。 「何か心配事でもございますのか?」 お弓の脳裡に不吉な思いが過ぎった。
Oct 10, 2014
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「虚々実々の駆引き」(63章) この合戦に勝利した織田信長は、昨年に漸く尾張を統一したが、領内には信長に不満を持つ輩が、翳で盛んに蠢動を続けていた。 だがこの勝利で織田領内は、信長の思惑通り強固な体制となった。 併し、国主の義元を失った今川家の運命は暗かった。 駿府を守る嫡男の氏真(うじざね)は、義元以上に京の公家文化を好み、 戦国の世を理解しない浮世離れした性格の武将であった。 そのため父が戦死したとあっても領内の守りを固める事なく、なんの行動も起さず、事態をただ傍観するに過ぎなかった。 桶狭間の合戦で運命が変わった人物がもう一人いた。三河松平家の跡継ぎ、松平元康である。 彼は兵糧貯蔵基地となる大高城に入城した所で義元討死の急報を受けた。 慎重に情報を分析し、壊滅した今川本隊のように闇雲な逃亡をする事なく、 五月十九日の深夜、織田方に悟られぬよう大高城を退去し東へと撤退した。 目差すは墳墓の地、三河であった。 元康は駿府には戻らぬ覚悟で、事態を好機到来と捉えたのだ。 松平家の本拠は三河、岡崎である。彼は軍勢を率い帰郷した。 統制の取れなくなった今川勢の状況を見て、五月二十三日、悲願であった岡崎城入城を果たした。 それでも元康は慎重に行動した、今川の新当主となる氏真に義元の仇討ちを勧め、表面上は今川家への忠節を装っていた。 義元、討死の知らせを持った母衣武者が駿府城に駆け戻ってきた。 「父上がお亡くなりになられた」 氏真が蒼白な顔となった、上洛時の軍勢の威容が思いだされる。 その後の知らせでは、今川勢は織田勢と弔い合戦もせず、寡兵の織田勢を恐れ、一斉に軍勢を引いたという。 「父上は四十二才であられた」 氏真は打つ手も思いつかず、ただ狼狽えるのみであった。 信虎にも義元討死の知らせが届いていた。 報せを持って来たのは小十郎であった。 「ご苦労じゃった、とうとうもどき殿は冥途に参ったか」 信虎のしわ深い顔に会心の笑みが浮かんだが、一瞬であった。 謀略に明け暮れた日々を送った老人は、全てを韜晦(とうかい)する術を身につけていた。「さて孫の氏真殿をお慰めに参上いたすか」 信虎は城の大広間を訪れ、義元のお悔みを述べた。「爺殿、余はいかがいたしたら良いのじゃ、教えて下され」「武将として為すことは弔い合戦のみにござる」 「織田信長を討てと申されますのか?」 氏真の顔が引き攣った。「父上がお亡くなりなったとは申せ、氏真殿は駿、遠、三の大守に ござるぞ。東海の弓取りとして弔い合戦は、至極当然の事に御座る」 「・・-・」「早うせねば、お味方の豪族どもが離反いたしますぞ」 現に義元の死を知った陣中の豪族たちは尾張に攻め込まず、領内に逃げ戻っている。氏真では弔い合戦は無理じゃ。信虎は先をよんでいるが、宿老の朝比奈泰能や、三浦成常等の思惑を考えての忠告であった。「氏真殿、今後は宿老たちの意見を聞いて身を処す事じゃ、爺の言いたい事はそれだけにござる」 信虎は弔い合戦を進言し隠居所に戻った。 さて岡崎に残った松平元康、いかがいたすかな。わしは自立すると見るが、奴め盛んに弔い合戦を主張しておると聞く、本心を確かめねばなるまい。 信虎が再び謀略の先を思案し始めたのだ。「大殿、一大事にござる」 小林兵左衛門が珍しく顔を染めて姿をみせた。 「なんじゃ」 「岡崎城代の山田新右衛門殿が、無断で帰国なされましたぞ」 「岡崎城を捨ててか?」「そのようにございます。岡崎城の駿河衆すべてが帰国成されました」「しゃあー・・・馬鹿な」 信虎の顔が怒りで真っ赤となった。 これで松平元康は岡崎城に止まろう。じゃが奴の動きを止める手立てはある。 駿府には奴の女房と倅の竹千代に亀姫が残っておる、これで奴を封ずる。 何故、これほどまでに信虎が元康を警戒するのか、それには訳があった。 義元亡き後は武田家が駿河、遠江、三河を支配する。これが信虎と信玄の考えであったが、越後の虎、景虎が関東で思うままに暴れまわり、北条氏康は手を焼き、信玄に援軍を求めてくる事が原因のひとつであった。 信玄も三国同盟堅持を重要視し、何度となく関東に軍勢を繰り出している。 この為に今川領は手付かずとなり、元康一人の獲物に化してしまう。 これを信虎は恐れたのだ。 更に織田信長と同盟関係でも結ばれようものなら、岡崎の力は倍増する。 そうなった暁には、武田家念願の上洛に支障がでる。 案の定、信虎の危惧が現実のものとなった。 松平元康が空城となった岡崎城に入城を果たしたのだ、ここは松平家の居城である。 ここで長年に渡る今川家の人質から解放された元康は、戦国大名の道を突き進む事になるのだ。 (海津城) 越後の長尾景虎は上杉憲政の要請で、憲政と関東で北条氏康と烈しい合戦を繰り広げていた。 景虎は上杉憲政の代人として、関東の諸豪族を率い北条家の居城である小田原城を包囲したが、北条勢の守りも堅く一時、鎌倉に兵を引いた。 そんな景虎は三月に関東管領の名跡を譲られ、上杉政虎と改名し、本格的に関東制圧に乗り出した。 だが政虎の心配は武田信玄の動きにあった、信玄が義元の死で弱体化した駿河を狙う事は自明の理であり、それを阻止するためには関東出兵が上杉家の最大の課題となっていた。 これにより武田勢を関東に引きずり込む、甲相同盟を逆手にとる策であった。 これが効をそうし武田信玄は、何度となく関東に出馬していた。 だが信玄も強かであった。越後勢が西関東に出兵すると、待っていたかのように北信濃から、越後の国境に進攻して来る。 まるで空き巣泥棒のような振る舞いである。 業を煮やした政虎は、信玄との直接対決を、秘かに練り始めた。 これが川中島合戦で最大の激戦となる、第四次の川中島合戦の伏線であった。
Oct 8, 2014
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「運否天賦 」(62章) この頃、義元の本陣は大騒ぎとなっていた。 突然、季節外れの暴風に襲われたのだ。 砂礫(されき)が舞いあがり、眼も開けれない状態となった。 弁当どころではない、 警護の武者も大木の翳に避難し、大雨と強風から身を守っている。 義元も塗輿に逃げ込んだ。 織田勢が足音を消すこともなく猛進した。周囲の大木がしなり暴風雨で深緑の葉が、ざわざわと沸騰しざわめいている。 信長は全軍を率い、敵城である鳴海城の南をすり抜け桶狭間に向った。 これには流石の柴田勝家、林通勝等の重臣が諫言した。「このまま進軍すれば敵勢に発見され、義元の本陣に辿り着けませぬ」「今川の武者どもは、鷲津、丸根砦の攻撃で疲労しきっておる。我等は新手の兵である。この場を抜けねば田楽狭間に着けぬぞかし」 こうした気象が信長の真骨頂である。 そう彼等を一喝し、なおも険しい道を猛進した織田勢三千名が、田楽狭間を見下ろす、北方にある太子ヶ嶺に辿りついた。 眼下には今川の本陣が見渡せる。全軍が散り散りとなって雨を凌いでいる。 流石に義元の乗った塗輿の周囲は、騎馬武者がびっしりと槍ぶすまで守りを固めている。 信長は雨が容赦なく全身を流れるにまかせ、兜の目庇から鋭く眼下を眺め、 「あの輿に義元が居るー」 鞭をあげて叫んだ。 三千の軍勢が暴風の中を泳ぐように散開を始めた、田楽狭間の地を包囲せんとする戦術である。 敵兵は一兵も逃さぬという、信長の覚悟を示した戦術である。「わしの合図を待て。義元を討ち取るには旗本同士の戦いとなろう」 信長の端正な顔に勝利を確信した色が浮かんでいる。 雨足がゆるくなり視界が利き始めた。 「全軍、仕掛けよー」 信長が鞭を挙げ騎馬をあおった。 「おうー」 待ちに待った織田勢の総兵力が一斉におめき声をあげ、丘を駆け下り今川勢の本陣に殺到した。「何事じゃ」 塗輿の中の義元が不審な声をあげた。「喧嘩かも知れませぬな」 関口一左衛門が輿の横から答えた、織田勢の攻撃とは夢にも思わなかった。 「見て参れ」「はっ」 関口一左衛門が槍を小脇に抱え、幔幕から一、二歩騎馬を歩ませ愕然とした。 雨が降りしきる窪地には兵が充満している、それも思いもせぬ織田勢である。 軍兵の被る菅笠に、織田家の家紋の木瓜(もっこう)が描かれてる。「敵じゃー」 「何っー」 周囲の旗本が身構えた。どっと織田勢の人馬が殺到し刀槍が襲いかかった。 油断した護衛の騎馬武者が次々、織田の雑兵の槍を受け落馬し泥土に血潮を吸わせている。 「御輿(みこし)を担ぎ出すのじゃ」 関口一左衛門が襲いくる騎馬武者を叩き伏せ叫んだ。運の悪い時は全てが狂うもので、輿を担ぐ雑兵達が付近に一人も居ない情況であった。「御屋形さま、馬にお乗り下され」 替え馬の手綱を持った瞬間、強かに脇腹に槍を受けた。 「下郎ー」 関口一左衛門が太刀を引き抜き、袈裟に斬り伏せたが、そこで力尽きた。 塗輿から肥満した義元が松倉郷の太刀を持って転がり出た。 今日の義元もいつもと同じ赤地錦の陣羽織を着用している、それが嫌でも目立った。「今川殿じゃ」 どっと織田勢が集まった。雨と汗で白粉が剥がれおちた義元が肥満した体躯を俊敏に動かし、雑兵が絶叫と共に血飛沫をあげ地面に転がった。「糞っー」 義元が眼を血走らせ周囲を見渡した。最早、絶望的な状況である。 東海の覇者の自分が、尾張の地を前にし雑兵に首を授けると思うと無念であった。常日頃から義元は武将として死を恐れたことはなかった。 武将なれば討死は当然の覚悟である。 併し、上洛の軍旅に出たばかりの、この辺鄙な土地での討死は恥である。「余は王城の地、京の都にのぼり今川家の旗を立てる」 何としても生き抜かねば、これほど死を恐れた事はなかった。 生に対する執念、そんな生易しい言葉で言い表せぬ執着である。「今川の御屋形、推参」 信長の近臣、服部小平太が真っ先に槍を就けた。「下郎、さがれ」 鉄漿の黒い歯をみせ、服部小平太の槍を斬り落とし膝をも切り裂いた。 服部小平太が泥土転がり、必死の眼差しで泳ぐように義元に近づいてくる。 義元の胸に憤りの炎が燃え盛っている、尾張の小童にして遣られるとは。「下郎、下がれ」 産まれて初めて義元は恐怖を感じた。「小平太っ、助太刀いたす」 声と同時に毛利新助が槍で突きかかり、義元か怒りの刃を浴びせた。 その義元の躰に服部小平太がしがみついた。振り解こうともがいた瞬間、地面に叩きふせられ、息が詰まった。 えたりと毛利新助が義元の躰に跨り首筋に脇差をあてがった。 かっと鉄漿の歯を剥いた義元が、毛利新助の人差指を噛み切った。 そこまでが義元の最後の抵抗であった。 こうして今川義元は、上洛の途中で雄図虚しく命を失った。 織田信長はこうして乾坤一擲の合戦に勝利し、美濃、伊勢と勢力を伸ばし天下統一の足掛かりとした。それにひきか今川家は衰亡の一途をたどる事になる。言うなれば旧勢力と新勢力の画期的な合戦であった。 更に言うなれば織田信長と今川義元と言う武将の運命の差であった。 今川家に属した諸豪族は思わぬ敗戦で、織田勢と戦火を交えることもなく争って領内に逃げ戻った。 総大将の今川義元や松井宗信、久野元宗、井伊直盛、由比正信、吉田氏好、これら多くの有力武将を失った今川軍は浮き足立ち、残った諸隊も駿河に向かって退却した。大高城を守っていた松平元康も合戦直後に大高を捨て、岡崎城近くの大樹寺(松平家菩提寺)に入った。 今川勢は総大将の義元を失ったために総退却となり、岡崎城を守っていた今川家の城代までもが、城を捨てて駿河に去ってしまった。 松平元康はこれを接収し岡崎城に入城した。 一方の織田信長は戦勝の翌日の二十日に、今川勢の首実検の儀式をした。 総勢二千七百五十三人にあがったと言われる。 その後、信長は論功行賞を行ったが、当時の基準からすると、一番鎗の服部小平太を第一とすべきだが、実際、田楽狭間と知らせた梁田四朗左衛門に、三千貫文以上の領地と沓掛城を与えている。 この事から信長が如何に、情報戦を重視していたかが分かる事である。 ここが織田信長と言う武将の非凡な資質であった。
Oct 5, 2014
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「狙うは義元の首一つ」(61章)「殿っ、雨が降って参りますな」 髭面の柴田勝家が、織田勢の向う天を指をさした。 三河方面に真っ黒な黒雲が湧き、急速な広がりを見せはじめている。 五月にしては珍しい空模様である。 雨ならば助かる、信長は胸の裡で降雨を念じた。 兵等の疲労も癒され、敵勢からも発見される恐れもない。 「吉兆ぞ、皆ども急げ」 信長が甲高い声をあげた。 一方の今川義元は、連戦連勝の報告で上機嫌であった。彼は二万余の大軍を四つに分け、織田信長の本拠地は避け、沓掛城から中島砦、鳴海城への西を目指した。今川義元は上機嫌で塗輿に乗っている。丸根砦と鷲津砦は先鋒隊の攻撃で陥落し、佐久間盛重、織田壱岐守、飯尾近江守の首級が届けられていた。 さらに鳴海方面の敵勢三百名の殲滅の知らせがもたらされていたのだ。 沿道には今川勢の勝利を祝って近くの禰宜(ねぎ)、僧侶が酒肴を運んで祝いの言葉を述べに集まっていた。 こうした光景は戦国乱世では、当然の出来事であった。 「関口っ」 「はっー」 旗本の関口一左衛門が、義元の塗輿に騎馬を寄せてた。「折角のご馳走じゃ、早いがお昼の弁当をつかう。本陣の場所を定めよ」 義元が行軍する味方の軍勢を眺めながら命じた。 桶狭間に近いこの街道は道が狭く味方の大軍は、通過する為に縦隊となって行軍し、後尾が見えないほどの有様である。 人馬のたてる砂埃が周囲の景色を覆い隠している。 「御屋形さま、丁度良き場所がございます」 「涼しいところが良いぞ」 「この先に田楽狭間の地が御座います、松林に囲まれた絶好の地」「敵勢への備えに不足はないか?」 流石は義元である、彼は首筋の汗を拭いつつ念を押している。「何も心配はございませぬ。前方には先鋒隊が進んでおりますし、本陣の後ろには本隊が居ります」 関口一左衛門が自信溢れる顔つきで答えた。「よし、輿をその地に入れよ。余も腰が疲れた」 刻限は巳ノ刻前、今川義元の本陣が運命の地、田楽狭間に足を踏み入れた。 運命の悪戯、運命に翻弄されるとは、こうした事を指すのであろう。 義元は緒戦に敗北した織田信長を、村人が裏切ったと錯覚したのだ。 松林に囲まれた涼しい場所に、急ごしらいの休憩場が幔幕で巡らされた。「なかなかと風流な場所じゃ」 義元が肥満した躯を輿より降ろし、満足そうに定めの場に足を運んだ。 警護の武者五百騎も入り、彼等は風通しの良い場所に腰を据えている。「かかった」 百姓姿に身をやつした小十郎が、松の大木の翳から見張っていた。 幔幕の内から義元の声が聞こえてくる、小十が古寺に向って駆けた。(桶狭間の地に盆地があるとはな、川田さまは良く調べられたものじゃ) 低い丘陵を伝い、確認しておいた古寺に足音を忍ばせ近づいた。「誰じゃ。わしは猿」 中から低い声がした。 「犬じゃ」 小十郎が素早く寺に身を入れた。 内に貧相な小男がうずくまっていた。 「梁田四郎兵衛元綱殿の乱波か?」「そうじゃ、勝蔵という」 二人は暫し相手の顔を見つめあった、双子の兄弟のように似ている。「義元は田楽狭間の盆地で休息し、昼弁当をつこうておる」 小十郎が義元の本陣の様子を勝蔵に告げた。「勢力は?」「護衛の旗本が五百名ほどじゃ」 「なんとそのような小勢でか?」「織田勢が攻め寄せるとは考えておらぬのよ」 ぴかっと稲光が奔り、雷鳴が響いた。「降ってきそうじゃ」 勝蔵が低く呟いた、何となく風が強まって感じられる。「それなれば勝てる」 何事か考えていた勝蔵が顔を挙げ、痩せた頬を崩した。「ところで、われの名前を聞こう?」 「小十郎じゃ」 「小十郎、礼を申す」「礼なんぞはいらぬ、直ぐに織田さまに知らせるのじゃ」「二度と会うこともなかろうが達者で暮らせ」 一声、残し勝蔵が木立の翳に姿を消し去った。「勝蔵、われの生まれは何処じゃ?」 小十郎が後ろ髪を引かれる思いで大声を張り上げた。「判らぬ、天涯孤独じゃ」 風の音に混じり切れ切れに勝蔵の声が聞こえてきた。 小十郎は不思議な感覚に陥ったが、素早く樹木のなかに姿を消した。 梁田四郎左衛門元綱が、二人の配下を連れて物見として先行していた。 ここは梁田の領地である。「殿、天候が荒れてきますな」 「うむー」 彼は騎馬で注意深く桶狭間の丘陵一帯の様子を探りながら進んでいた。「梁田の殿」 突然に馬前に小柄な男が転がり出た。「なんじゃ、勝蔵か。このような場所でなにをいたしておる」「今川義元、旗本衆五百騎と田楽狭間で弁当をつこうてござる」 「まことか?」「武田の忍びの知らせにございます」 梁田四郎左衛門元綱の眼光が鋭く瞬いた。「織田の殿も、この地に近づいておられる。勝蔵共をいたせ」 梁田が馬首を返し馬腹ほ蹴った。勝蔵も負けずと疾走した。 「流石は乱波じゃ」 勝蔵の小柄な躯が一気に、騎馬を抜き木立に消えて行った。「まるで化け物じゃ」 梁田四郎左衛門が眼を剥き馬脚を早めた。 織田勢が相原に着いた時、梁田元綱から今川義元の本隊が桶狭間で昼食をとっているいう、重要な情報がもたらされた。 信長は旗指物などは打ち捨てるよう下知し、猛然と前進を開始した。 途中、桶狭間ではなく田楽狭間であると、変更の報せをうけた。 「間違いないな」 信長が天を仰ぎ使いの者に確認している。゛「間違い御座いませぬ」 突然、雷鳴が駆け抜け稲光と共に強風が松の大木を揺るがした。 信長は軍勢を停止させ、各者頭を集め通達した。「者共、敵は田楽狭間じゃ、功名をあげよ。狙うは義元の首一つじゃ。他の首には構うな」 信長が馬腹を蹴って風の中を駆けてゆく、三千の織田勢がそれに続いた。 「雨じゃ」 一滴のしたたりが突然、横殴りの風雨と変わってきた。「天佑(てんゆう)じゃ」 信長が端正な顔で空を仰ぎ、甲高い声を発した。 彼の口に干天の慈雨のような雨粒が流れこんだ。先に書いた文章の校正をしておりますと、突然に文章が途中から消え失せてしまいました。その為に書き加えて完了させましたが、九名の方のコメントも消えてしまいますが、お許しの程。
Oct 2, 2014
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