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「変貌する戦国乱世(6)」(85章)にほんブログ村にほんブログ村 (石山本願寺と軍事同盟成立) 追加の酒を飲干し、勘助が真正面から河野晋作を見据えた。「あの合戦は酷かった。あの越後の小童にしてやられた」 勘助が異相を歪め、悔しそうな顔付をした。「・・・・」「わしも最後かと思ったが、良く逃れる事が出来たものじゃ」「あの首なし遺骸は影武者にございましたか?」 「そうじゃ」 勘助が河野の前の徳利に手を伸ばし肯いた。「何故に貴方さまの存命を御屋形さまは、ご存じにございます?」「わしが御屋形にお知らせいたした」 「・・・-」 武田忍びの頭領、河野晋作が眼を丸くしている。 なんという謀略を成さるお方じゃ、と内心で驚嘆した。「まず書状を貰おうか、わしが石山本願寺に参る。そちは京に行け」「京に?」 「大殿の居場所は判っておる。そちは大殿にお会いして甲斐に戻れ」 勘助は河野の意向を無視し、有無を言わさずに言い放った。「大殿はご無事に京に居られますのか?」「菊亭大納言さまのお屋敷に客分として暮らされておられる」「菊亭大納言さまと申さば、御屋形さまの正室三条の方さまのご実家ですな」「そうじゃ、本願寺の顕如さまの正室は、三条の方の妹にあたられる」 またもや河野晋作は勘助に驚かされた。「本当にございますか?」「嘘を申してなんとなる。まず大殿の近況が如何なるものか確りと見て、そのご様子を御屋形にお知らせして貰いたいのじゃ」 「判り申した。ほかに拙者に用はございませぬか?」 河野晋作がみすぼらしい恰好の勘助の姿を眺め訊ねた。「このような尾羽打ち枯らした浪人姿では何も出来ぬな」 勘助が我が身を眺め、自嘲しながら口を開いた。「一人では何かと不便じゃ。誰ぞ一人あずけては貰いまいかの」「小十郎はいかがにございます」 どうだと言わんばかりに河野晋作がにやりとした。「なにっ、小十郎が一緒か?」 勘助が身を乗り出した。「今頃は暇を持て余しておりましょぅな」「三月末には石山本願寺を去る。それまでに摂津に参るよう伝えてくれえ」「承知いたしました。ところで山本さま金子はお持ちにございますか?」「それが無くて困っておる」 勘助が無精髭をさすって隻眼を瞬かせ、河野晋作を見つめた。 河野晋作が懐中から巾着を引き出した。「半分だけ置いてゆきます。あとは御屋形と相談し、小十郎に預けましょう」「有り難い、明日の糧にも困っておった」 勘助が珍しく剽軽な態度で粗末な巾着に金子をしまった。「武田家の軍師殿が無一文にござるか」 河野晋作が揶揄した。「仕方があるまい、自分で蒔いた種じゃ」「山本さま、御屋形さまは何で本願寺と軍事同盟を結ばれます」 河野晋作は未だに全国規模の戦略が理解できないようだ。 勘助の隻眼が強い光を放ち、静かな口調で語りだした。「今の戦国大名で天下に号令する一番乗りは、織田信長ではないかと感じておる。勿論、御屋形の力量は抜きん出ておられるが、なんせ地の利が悪い。西に上杉輝虎、南に向かえば駿河、三河と尾張が控えておる」「そうですな、北には北条家がございますな」「北条は関東制圧が目的で直接、武田家の脅威ではない。むしろ上杉勢を押さえ込んでくるれる味方じゃ。しかし上杉勢が関東に進攻せねば積極的な味方とはなりえぬ」 そう語り終えて勘助が酒を飲み下した。「・・・・・」 河野晋作も、そう砕いて聞かされると勘助の恐れも理解できる。「このような状況で上洛する為には、本願寺との軍事同盟が必要不可欠じゃ」 「成程、流石は軍師殿じゃ」 河野晋作が感心の面持ちで異相な勘助を見つめた。確かに甲斐の四方は有力大名がひしめき、何時、敵に廻るやも判らぬ情勢下にある。「信長と申す男は恐ろしい。権威や黴臭い仕来りや神社仏閣なんぞ信じておらぬ。幕府や宗門も然りじゃ、そちにもおいおいと判って参ろうがな」「本願寺も漸く織田信長という武将の正体が分かってきましたな」「その為にも、武田家との同盟は歓迎する筈じゃ」「山本さま、吉報をお待ち申します」 河野晋作も勘助の説明で、本願寺の思惑と勘助が遣ろうとしている事が、朧気ながら解ってきたようだ。「わしは死人じゃ、大手を振って現われる訳にはいかぬ。小十郎が使者じゃ」「御屋形さまには、そのようにお伝え申しあげます」「頼むぞ」 勘助の言葉に合点した河野晋作が今後の行動を述べた。「京に上り大殿にお会いして甲斐に戻ります、必ず小十郎を差し向けます」 その言葉を聞き勘助が無言で立ち上がった。「ややっ、その足は可笑しい」 河野晋作が眼を剥いた。勘助の足の引きずりが小さい。 「これが本来のわしの足じゃ、武田の軍師の時は大げさに化けておった」 山本勘助が呵々と高笑いを残し姿を消し去った。「驚いたお方じゃ、正体が何処にあるのか判らぬお人じゃ」 河野晋作が驚き顔で勘助の消えた戸口を見つめた。 石山本願寺。それ自体が巨大な城郭であり、淀川と大和川に挟まれた要害の地にあった。門徒衆四万余が籠城できると言われる程の規模を誇っている。 一向宗とは浄土真宗のことで本願寺は真宗の本山である。本願寺第十一代の法主(ほっす)、顕如(けんにょ)の妻が、信玄の正室三条殿の妹であることは既に述べたが、それ以外でも武田家と本願寺の関係は深かったのだ。 越中で事々に越後の上杉家に、一向衆が反抗してきたのもその為でもあった。 顕如と山本勘助が本願寺で正式に会談を行っていた。 顕如は二十三才の青年で紺の法衣を纏い、勘助の異相を柔和に見つめている。 流石は本願寺の法主だけある。若く端正な面立ちの僧である。「武田家の軍師、山本勘助入道道鬼にございます」「貴方は、数年前の川中島合戦で亡くなられたと聞いております」 顕如が柔和な眸子を勘助にあてがい不審そうに訊ねた。「はい、天下静謐を願うために偽って討死をいたしました」「ほう、生き返ったと申されますか?」「宗門の敵を討ち果たし、武田家が上洛を果たすまでは死ぬる事が出来ませぬ」 勘助が柔和に隻眼を顕如の眸子にあてがった。 「宗門の敵とは?」「今は越後の上杉輝虎、これからは尾張の織田信長に成ろうかと推測致します」「織田殿の事は聴いておりますが、そんなに宗門を目の仇にしますか?」「間違い御座いませぬ。奴は昨年の永禄七年に北近江の浅井家と同盟を結び、今年は伊勢攻めを行っております。これは美濃を制する魂胆にございます」 勘助は今の情況を詳細に告げ、武田家と本願寺との軍事同盟を申し出た。「信玄公は拙僧の義兄上(あにうえ)、よしなにお伝え下され」 この顕如の一言で全てが決した、ここに強力な軍事同盟が成立したのだ。「これで武田家は権威の象徴たる、将軍家補佐に傾注できまする。これも、御仏のご加護と法主さまの温情のお蔭と、感謝申し上げます」「この度は本願寺と門徒衆に大層な寄進をなされ、この顕如が大いに喜んでおったと義兄上にお伝え下され」 時に永禄八年三月二十七日の事であった。 勘助は本願寺あげての歓待をうけ、翌日に城郭のような門前をあとにした。
Dec 27, 2014
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「変貌する戦国乱世(5)」(84章)にほんブログ村にほんブログ村 (義信幽閉と山本勘助)「いかが為されます?」 山県三郎兵衛が心配顔で質問を発し、信玄は暫し瞑目していたが、かっと眼(まなこ)を開き厳しい声で答えた。「北曲輪の一室にて謹慎を申しつける」「このご処置は厳し過ぎます。兄の死は犬死で御座いましたか?」 猛将で鳴る山県三郎兵衛が吠えた。「そうじゃ。余の命なく死する者は誰もが犬死ぞ、肝に命じよ」 山県三郎兵衛の逞しい肩が震え拳を硬く握り締めている。「余は父上を国主の座から引きおろし、甲斐から追放いたした」「それは、御屋形さまの責任ではございませぬ」「世間はそうは見ない。父親を追放した男が、またもや嫡男まで手にかけたと申すであろう。余は構わぬ。生涯、悪名を背負って生き延び、父上と余の念願の上洛を果たす」 仄暗い主殿で信玄の横顔が神秘的に見えた。「そこまでお考えにございましたか」 山県三郎兵衛が信玄を仰ぎみた。「余の心境は無念の想いで一杯じゃ、なぜ兵部は心のうちを打ち明けなんだ。 なぜ余を置いて先に逝ったのじゃ」 信玄の巨眼から涙が滴った。「御屋形さまのご心中も察せずに、勝手をいたし申し訳ございませぬ」 山県三郎兵衛が血を吐くような叫び声を発した。「三郎兵衛、余より先に死ぬことは許さぬ」 信玄の眸子に怒りと悲しみの色を見た、山県三郎兵衛が平伏した。 初めて信玄の心情に気付いたのだ。「馬場信春と相談し明朝に義信を捕らえ、北曲輪の一室に幽閉いたせ」 「それだけは、お赦し下され」「甘い、そちの兄、飯富兵部虎昌の冤罪を晴らすのじゃ」 翌日、飯富兵部の切腹が公表され、直ちに太郎義信と股肱の家臣八十名が捕縛され幽閉された。この処置により武田家の内紛は一瞬にして鎮まった。 その夜、信玄は孤独で苦い酒を飲んでいた。 太郎義信の背後に、自分の妻の三条殿が糸を引いておると看破していた。「己の妻子を御することが出来ずに、何が上洛じゃ」 信玄が小声で呟き自虐的な笑みを浮かべた。 問題は義信の仕置きである。今は幽閉の身としているが、その内に明確な処罰を命じなければならぬ。 なんせ父である余に謀反を起こし、家を簒奪せんとした嫡男である。 信玄は子沢山の武将であった。正室と側室の間に七男五女をもうけた。 併し、肝心の男子は三条との間に三人の男子をもうけたが、次男の信親は盲目で産まれ、三男の信之は十一歳で夭折した。 もし義信に厳しい処罰を科したら、馬場信春の恐れたように側室の子、四男の勝頼が武田家を継ぐことに成る。 信玄はぐぴっと酒を飲み下した。 親馬鹿と世間は云う。子の評価は親ほど甘くなるという意味である。 武将としての資質は嫡男の義信が勝っている。そう信玄には思える。 勝頼は勇猛ではあるが、言葉を代えれば猪武者に見えるのだ。 又、義信は情に厚くそれに流される風潮があるが、川中島合戦では余の為に、迫り来る越後勢の前面に手勢を率い見事に防いでみせた。「武田家の為に義信とは腹を割って話しあわねばならぬな」 そう決意し信玄は杯を伏せた。 永禄八年(一五六五年)一月、武田の忍びの頭領河野晋作は信玄の許に呼び出され、二人だけの密談が交されていた。 座敷の障子戸から外の雪明りが差し込み、部屋全体を明るくしている。「越後の動きはどうじゃ?」 信玄が火鉢を前にし綿入れの羽織り姿で訊ねた。「越中で一向門徒と争ったと思えば、関東に乱入いたしておりまする」 「そうか」 信玄が可笑しそうな笑い声を挙げた。「奴は何が目的で年中出兵いたす?」「判断がつきませぬ。合戦と酒が生甲斐かと勘考いたします」 河野晋作が困った顔付で答えた。「権勢欲も領土欲もない男じゃ、じゃが敵に回すと手強い男じゃ」「左様にございますな」 河野晋作が信玄の言葉に肯いた。「余は戦略転換を図る積りじゃ」 信玄の言葉に河野晋作の表情が引き締まった。「まずは摂津の石山本願寺と軍事同盟を結ぶ、他には織田信長という男をもっと詳しく知りたい」 「どういたせと仰せにございます?」 河野晋作が興味津々とした顔つきで訊ねた。 かって御屋形が織田信長の事に言及したことがなかったのだ。 今日の御屋形は明確な意図をもって信長の動静を探れと申された。「尾張と美濃に忍びを入れよ、信長の美濃攻めの詳細を知りたい」 信玄が簡潔に命じた。 「判りました、早速にも手配いたしまする」「そちにも役目を与える」 「請け賜ります」 信玄が手文庫から書状を取り出し、紫の袱紗に丁寧に包みながら命じた。「これを石山本願寺の顕如さまにお届けいたせ。我家から使者を派遣いたすと、お知らせしてある」 「畏まりました。これより出立いたします」「ご苦労じゃが頼む、じゃが河野」 「はっ、何か外にございますか?」「途中である男が現われる筈じゃ、そちも存念の者と推測いたす。その男が現れたら、使者の役目を譲るのじゃ」 「よく飲み込めませぬ」 信玄の含みのある言葉に河野晋作が不審そうな顔をしている。「多分、そちは仰天いたすであろう」 「御屋形さまはご存じにございますか?」「余は推測と申したぞ」 信玄が面白そうに、河野晋作の様子を眺めている。「ようするに、その人物に書状を託せば宜しいのですな?」「左様じゃ。だがこの事は余とそちだけの秘密じゃ」 なんとも合点のいかない心地で河野晋作は古府中を出立した。別に急ぐ旅ではないが、忍び者の習性で周りの旅人が驚く早さで歩んで行く。 彼は甲斐から美濃に抜け尾張領を通った、一目、尾張の様子が知りたかった。 その足で伊勢に着いて小汚い旅籠に泊まった。 その晩にその男が現われた。「河野晋作、入るぞ」 廊下より声がした。聞き覚えのある声と感じた時には、その人物が部屋に足を踏み入れていた。「貴方さまは、・・・・-」 河野晋作が呆然として絶句した。「久しいのう」 軽く足を引きずり、河野晋作の前に腰を据えた男は山本勘助であった。 以前と違い、浪々の浪人風情の姿で身形もみすぼらしい。「山本さま、・・・- 貴方さまは川中島で討死された筈」「わしが仕組んだ策じゃ」 勘助が徳利に手を伸ばし酒を咽喉に流した。「美味い」 手の甲であごの滴を拭い、「もう、一本頼んでくれまいか」 勘助が仰天している河野晋作を隻眼で眺め、酒の追加を頼んだ。
Dec 22, 2014
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「変貌する戦国乱世(4)」(83章)にほんブログ村にほんブログ村 (義信謀反と飯富兵部の死) 「御屋形さま、亡くなられた板垣信方さまが事ある度に申されましたが、国主の座は長幼の序でもって行う。これが領内安堵の道と、この度の一件まさにそのお言葉通りと心得ます」 透かさず信玄の考えを悟り諫止した。 信玄は絶句し素早く己の非を悟った。「余は間違いを犯すところであった。よくぞ諫言をいたしてくれた礼を申す」「恐れ多いお言葉に存じ奉ります」 流石は馬場美濃守信春、武田家四将と謳われた武将だけはある。『静かにいたせ。これからのわしの言葉は甲斐国主としての最後となろう、心して聞くのじゃ。家督は信繁に与える事とする』 一瞬、異様な雰囲気が流れ、信繁の鋭い声が響いた。『父上、信繁は反対にございます』 『甲斐の国主となることが不服と申すか』 十二年前の光景と父、信虎の声が昨日のことのように蘇ってくる。 あれは余が二十一歳の時であった。 余は信春が止めなんだら、父上と同じ過ちを犯すところであった。 信玄は寝所で悶々と寝付かれぬ夜を過ごしていた。 昼の会議の席で倅の義信の心情も考えず、一方的に座を下がらせ、甲斐、国主の座を側室の子の四朗勝頼に与えようとした。 その自分の浅はかさを恥じ、同時に父、信虎の事が心を乱していた。 信虎の謀略の詳細は、お弓から聞いて知っていた。その為に護衛の士と氏真に進物を届けたのだが、阻止できなかった自分の甘さに立腹していた。 その時、明りの届かない天井から、一枚の紙片が舞い落ちてきた。「うーん」 不審に思い手にした。鉄壁な警護を誇る館の屋根裏に忍び込むとは、よういならぬ曲者である。 信玄は曲者の手並みに感心し、紙片を手にして愕然とした。「大殿は、お弓殿を伴って京に向かっておられます。宿泊地が定まりましたら、お知らせ申しあげます。また、今の武田家を取り巻く最強の敵は織田信長以外なしと思われます。その対抗策は摂津、石山本願寺との同盟と織田信長との縁戚関係が望ましく思われます、この二件の熟慮こそ急務と存じあげます。鬼」 達筆な字体に見覚えがある。 「勘助かー」 覚えず低く呟いたが返事はなかった、信玄は燭台を引き寄せ読み下した書状を灰とした。 矢張り勘助は生きておった、信玄は義信の件を忘れ血潮が湧き立った。 義信の信玄への反発は日を追うごとに強まった。その背後に信玄の正室、三条殿の存在があった。 彼女は夫の信玄に愛されていないと誤解していた。それは信玄の女漁りの所為であった、この戦国期では側室を持ち子を為す事は、大名ならば当然の事であったが、公卿の娘に生まれた彼女はそれが理解出来なかった。 それは彼女の悋気によるもので信玄が閉口し、避けたことから始まった。 彼女は息子夫婦の睦まじい様子を目の当たりにし、夫の信玄の今川攻めを批判し、ことある度に義信をけしかけたのだ。「義信殿、武田家の嫡男として父君の今川攻めをお諌めいたすのじゃ」 更に彼女は義信の傅役の飯富兵部にも、宿老として今川攻めの中止を諫言するように迫った。 飯富兵部は剛直な武田家譜代の宿老であるが、信玄と義信の狭間にたって悩みに悩んでいたのだ。 そんな時期に信玄の正室、三条の方から信玄追放の陰謀を打ち明けられた。 事は隠密のうちに進行し、今川氏真までもが咬んでいたのだ。 それも正室、三条殿の嫉妬心から悲劇が起ころうとしていた。 何時の時代でも女の悋気は家の敵であった。 永禄七年六月、ツツジが満開と成った季節、飯富兵部は三条殿に呼び出された。「お方さま、拙者に御用とお聞き致し参上いたしました」「飯富殿、義信が世話に成っております。母として感謝いたしておりまする」 歳のわりに若々しい三条殿が華やいだ衣装で出迎え、世辞を述べている。「それが拙者の努めにございます。御用があると耳にいたしました」 そこで飯富兵部は腰の抜けるような話を聞かされたのだ。「飯富殿、義信が漸く決心を固めましたぞ」「若殿のご決心とは?」 三条殿が美しい横顔を見せ庭に視線を這わせている。「・・・・・」「御屋形が父、信虎さまを追放されたように、義信も御屋形に謀反を致すと覚悟いたしましたぞ」「げっー」 三条殿が謀反の段取りを語り、飯富兵部は痴呆のように聴いている。 義信を中心に側近の長坂源五郎、曽根周防守らが信玄追放の密談を交わしていると言う。その中には義信の直臣の若武者が八十名も加わっていると言う。「そこもとも義信の傅役として当然、お力を貸して頂けましょうな」 三条殿が嫣然と微笑んでいる。 飯富兵部は愕然とした、事がここまで進んでいようとは知らなかった。 もし、この計画を御屋形さまがお知りになったら、義信さまの命がない。 最早、詮なき。わしが全責任を負ってしわ腹をかっさばけば義信さまは救われる。老いの一徹であった。「御屋形さま、山県三郎兵衛さま火急の用で罷りこしておられます」 書見をしていた信玄に小姓が山県三郎兵衛の訪れを告げた。 瞬間、信玄の背筋に悪寒に似たものが走りぬけた。「主殿で待つように申せ、余もすぐに参る」 信玄の前に武骨な山県三郎兵衛が、仄暗い主殿に平伏していた。「この夜分にいかがいたした?」 信玄が努めて冷静に訊ねた。「兄が切腹つかまつりました」 「なにっー、飯富兵部が切腹とな」「御屋形さまの追放を目論んだ、謀反のお詫びと申されての切腹にございます」「馬鹿なー」 信玄は耳を疑った。 「山県っ、兵部の切腹に立ち会ったな」「突然に呼び出され、息絶えるまで見守り申した」 山県三郎兵衛が暗い顔つきで答えた。飯富兵部は義信の謀反の罪を一身に背負い、十文字に腹をかっさばき三郎兵衛の介錯を断り、苦悶の中で壮絶な最後を遂げたのだ。 「なにゆえ止めなんだ」「兄も拙者も武士、その兄の願いを無視する訳にはいきませぬ」「兵部は、余になにか遺言を申したか?」「はっ、義信さまの穏便なご処置と先に往くお詫びを申しあげるように言い残され、果てられました」 「馬鹿者が」 再び信玄が叫び声をあげた。「山県、兵部の介錯はそちが遣ったのか?」「いや、兄は介錯を断り苦悶の中で息絶え申した」「それが兄に対する態度か、腹をかっさばいた痛みは並大抵でないと聞く」「御屋形さま、兄は謀反者として見事に息を引き取りました」「義信は余に反逆いたす積りであったか」 「・・・-」「隠さずともよい、余は薄々と義信の謀反を知っておった」 山県三郎兵衛が武骨な顔をあげた。「御屋形さま、この企ては兄が行ったこと。謀反が洩れることを恐れ、兄は切腹いたしました。義信さまには何の罪もございませぬ、なにとぞ穏便なるご処置をお願い申しあげます」「山県、余は軟弱な倅のために飯富兵部を失った。これは全て余の責任じゃ」 信玄の魁偉な眸子に怒りの炎が燃えている。「義信さまには罪はございませぬ。我が武田家が何のために今川を攻めるのか、その意味がお判りにならなかった。ただ、それだけの事にございます」「山県、かばいだては無用じゃ。不肖の倅は父である余が始末をつける」「いかが為されます?」
Dec 13, 2014
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「変貌する戦国乱世(3)」(82章)にほんブログ村にほんブログ村 (武田家内紛の序章) 今年で四十三才となった信玄が、小太りの体躯を現し座所に腰を据えた。 眼がらんらんと輝き、眸子の奥に憤怒の色を隠している。「この暑い最中に大儀じゃ。先月は上杉勢と久しぶりに対陣いたしたが、何事も起こらず安堵いたした」 信玄が脇息を引き寄せ一座の武将達を見廻し、おもむろに口を開いた。「駿府におわす父上の事で悪い報せが届いておる」 一座の重臣達に緊張が奔った。かって大殿、信虎さまを話題とした事がない御屋形である。その御屋形が初めて大殿の件を口にされたのだ。「変事でもございましたのか?」 飯富兵部が真っ先に訊ねた。 この場の重臣達も代替わりをし、信虎を見知っておる者が少なくなっている。「父上が、今川氏真に命を狙われ、駿河城から姿を消されたそうじゃ」「氏真さまに?」 一座に集いし武将達がざわついた。「ここに集いし者のなかに父上のご尊顔を見知って居る者は少なくなった。 余が画策し、甲斐から追放したと信じておる者が大半じゃな」 信玄が主殿を見廻し、更に言葉を続けた。「それは誤りじゃ。飯富兵部や馬場信春、山県昌景ならば知っておろう」「はい、その経緯は存じておりまする」 飯富兵部虎昌の顔に不安な色が刷かれている。「父上は、ご自身で余に追放されたと偽って駿府城に行かれたのじゃ。この意味は駿河を武田家の領土にしょうとの存念があっての事じゃ」 事情を知らぬ重臣連が唾を飲み込み、太郎義信が蒼白な顔色となった。 初めて聞かされる真実であった。 信虎、追放劇のあった頃の武田家は、関東の北条、諏訪、信濃の諸大名に領地を侵食され、その対応に必死であった。 それ故に信虎は自分の長女の定恵院を今川義元の正室として嫁がせた。 いわば呈の良い人質であり、彼女は信玄、信繁、信廉らの姉であった。 こうした事は戦国乱世にあっては、ごく普通の出来事であった。 力なき者は力ある者に庇護を願い、秘かに力を蓄え取って変わろうとする。 それが戦国乱世の習いであった。 信虎には野望があった、上洛と塩の道の確保である。それは今川家を武田が支配する事を意味するものであった。 その為に自ら倅の信玄に武田家を追放され、義元に庇護を求めだのだ。 こうして哀れな老人として、駿府城で数々の謀略を成してきたのだ。「それが洩れたのじゃ。孫の氏真は実の爺さまである父上を殺めようとした。 これは断じて許せぬ」 信玄の声が主殿を震わせた。 「真にございますのか?」「飯富兵部、余がなんで偽りを申さねばならぬ。今年で七十歳を迎えられる老人に対する仕打ちか」 信玄の言葉が飯富兵部の肺腑をえぐった。「馬場信春、山県三郎兵衛」 「はっー」 「そちたちも同席しておったの」「はい、して大殿のご消息は?」 馬場信春が戦場焼けした声をあげた。「今のところは余も知らぬ、じゃがすぐに知らせが参ろう」 「・・・-」 馬場信春と山県三郎兵衛が不審そうな顔をした。「父上は何度も駿河を攻め取れと余に申しおくって参られたが、余はそのお言葉に従わなかった。併し、この一件で余の覚悟も定まった。武田家は駿河を平定しその領土を我がものとし、いずれは上洛いたす」「おおうー」 一座の武将達から喜びの声が挙がった。 今まで上洛を口にされた事のない御屋形さまが、初めて口にされたのだ。 戦国乱世に生きる武将としては、これ以上の喜びはない。「父上に申しあげます」 「義信か、何か申すことがあるか?」 信玄の強い視線に一瞬ひるんだ様子を見せたが、嫡男の義信が口を開いた。「氏真殿は父上の姉君のお子にございます。また義信にとり妻の兄、いわば義兄にあたります。今川家とことを構える事だけは、お止め下されませ」「若殿、お言葉が過ぎます」 飯富兵部がすかさず制止した。「・・・-義信、余の申すことが不服と申すか?」「・・・-」 何事か言いたそうにし義信が面を伏せた。 天文十九年(一五五〇年)義信が一三歳で元服した時、今川義元の娘を正室に迎えている。実名は不明で嶺松院殿と呼ばれた。 義信にとり彼女は従姉妹であった。義信は彼女を愛し今川家との軋轢は、好むことではなかった。 「重ねて申す、来年には西上野を盤石とし。その後に今川家を攻め滅ぼす。 今の世をみよ戦国乱世じゃ。武田が手をこまねいておれば三河の松平が今川を滅ぼそう、そうなれば父上と余の上洛の夢は泡沫となろう」「父上に申しあげます。肉親縁戚は無二のものと義信は考えます。なにとぞご再考をお願い仕ります」 必死の願いを面に表わし義信が嘆願した。「莫迦者、いずれは甲斐の国主となる身でありながら、何と愚かなことを申す。 国主の務めは領民の幸せにある、肉親縁戚ではない。飯富兵部、そちは義信の傅役として何を教えてまいった」 信玄の声が主殿を揺るがした。「飯富には関係ございませぬ」 義信が素早く兵部をかばった。 飯富兵部の実弟の山県三郎兵衛がそっと面を伏せた。「若殿、御屋形さまに謝りなされ」「飯富、もう良い。義信をこの場から退けよ」「はっ」 飯富兵部と近侍の者たちが躯を抱え込むようにして義信を連れ去った。「困った奴じゃ」 信玄が苦笑を浮かべた。併し胸裡ではほかごとを考えていたのだ、嫡男であってもあの器量では国主の座は務まらぬ。いっそ勝頼に国主の座を譲るか。 信玄ともあろう人物が父、信虎の轍を踏もうとしていた。 傍らの馬場美濃守信春が信玄の心境の変化に気付いた。
Dec 9, 2014
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「変貌する戦国乱世(2)」(81章)にほんブログ村にほんブログ村 (武田家内紛の序章) 隠居所で信虎が珍しく一人で大杯を呷っている。 「いまいましい」 孫の氏真に対する憤りが口をついてでる。 「大殿」 襖越しからお弓の緊張した声がした。「入れ」 声と同時に緊迫した顔つきのお弓が姿をみせた。 そうしたお弓の態度、顔付は信虎にとり、初めて見るものであった。 「如何致した?」 「このような書状が、わたくしの部屋に投げ込まれましたぞ」 お弓が小さく折りたたんだ紙片をそっと差し出した、一読した信虎の顔色が変わった。その変化をお弓は見逃さなかった。 「事が露見いたしたか?」 信虎が口中の酒を飲み下し、魁偉な相貌を歪め呟いた。「これは勘殿の書状ですね」 お弓がそんな信虎の様子を眺め、書状を置き去った者の名を糾した。 信虎も一目で分った、書状の片隅に道鬼と記されていたのだ。 信虎は無言で肯いた。「直ぐに小林兵左衛門殿と海野昌孝殿と警護の士が参ります、この城から逃れませぬとお命が無くなります」 お弓が普段の態度に戻り、冷静な口調でとるべき行動を信虎に述べた。「直ぐに旅の用意をいたせ。金子も忘れるな」「あい」 お弓が姿を消すと同時に、小林兵左衛門と海野昌孝が部屋に現われた。「大殿、いかが為されます?」 日頃、温厚な顔つきの小林兵左衛門の相貌が険しくなっている。 「騒ぐな直ぐにこの場から立ち去る、行く先は京じゃ」「京に上られますか?」 警護頭の海野昌孝が驚きの声を洩らした。「まずは駿府城下を逃れることが先決じゃ」 信虎が飲み残した酒をぐびっと咽喉に流し込み立ち上がった。「兵左衛門、わしの旅装の用意をいたせ」「はっー」 小林兵左衛門が素早く部屋から辞去した。「大殿、城下を抜けるまでは我等にお任せ下され。その後は甲斐に戻ります」 海野昌孝が、この先の動きを信虎に告げた。「わしの警護なんぞは無用じゃ。甲斐のために命を捨てよ」「御屋形さまにお叱りを被ります。城下を抜けるまではご一緒いたします」 海野昌孝は一言残し、忍び足で去った。 勘助め、何処からわしを見張っておる、信虎が闇を透か見た。 駿府城のあちこちに松明の明りが、慌ただしく動き廻る様子が見える。 「莫迦者め、わしを殺せるものか」 信虎がしわがれた声で嘯いた。 小林兵左衛門が旅装を持ってもどった。 「着替えを頼む」 信虎は愛用の兼光の大刀を手にし、旅装に替えさせている。「大殿、旅支度は整いました」 兵左衛門が乾いた声で告げた。「城下を抜けたら、お弓と三人で京に上る」「大殿、拙者はここに残りまする」 「兵左衛門、死ぬ積りか?」 信虎が平伏する小林兵左衛門を見下ろした。「大殿、良き機会が訪れました。どうか拙者をこの場にご放免下され」 「兵左衛門、いまなんと申した?」 「拙者も武士の端くれ、見事に死に花を咲かせたく思いまする」「そなた残って戦うと申すか?そうすれば万に一つも助からぬぞ」 「もとより覚悟のうえ、屋敷で今川の刺客と戦い時を稼ぎまする」「兵左衛門、無用じゃ」 信虎のしわ深い顔が奇妙に歪んだ。人の親切を素直に受けれないのだ。「長い間、大殿とご一緒で楽しゅうございました。ここでお別れいたします」 小林兵左衛門が信虎を見上げている。「兵左衛門、久しく見なかったが面(つら)が乾き良き武者顔じゃ」 信虎の言う面が乾くとは死を決し、見事に討死を覚悟した者の表情を言う。 お弓も初めて小林兵左衛門の武士としての覚悟をみた。 闇夜の彼方から追手の声が聞こえてきた、信虎が兵左衛門の肩に手を置いた。 「そなたも武士じゃの、武者働きもさせず許せよ。冥途で待っておれ」 「そのお言葉を頂き十分にございます。さらばにございます」 小林兵左衛門が軽く低頭した。 「武田武士として見事な働きを為せ」「はっ、お弓殿、大殿をお願いいたしますぞ」 お弓が切れ長の眼を見開き肯き、兵左衛門を見つめ直した。 見事に覚悟を定めた武士がお弓の前に居た。 「大殿、用意がととのいました、ご案内いたします」 海野昌孝と二人の護衛の士が旅姿で現われた。 「さらば、案内いたせ」「はっ、二人の配下は残り時を稼ぎまする。その間に城下を抜けます」「皆の者、命を粗末にいたすな」 一声のこし信虎が部屋から足早に去った、その背後に忍び装束のお弓が信虎を守るように続いていた。「小林さま、貴方さまもご一緒に行かれませ」 残った護衛の二人が兵左衛門に逃げるように勧めた。「いささか長生きをいたした。そなたらと武田武士の最後を今川の腑ぬけども に見せようぞ」 小林兵左衛門が信虎の飲み残した酒を口に含み、大刀の柄に吹きつけた。「さらばご一緒に戦いまするか、明りを消し夫々一人となって戦いますぞ」「判った」 三人は闇の中で最後を飾るべく備えについた。 漆黒の闇の中を信虎は海野昌孝の先導で進んでいる、背後はお弓が警戒しながら続き、五名は一団となって城下の軒下を駆けた。 無数の松明が隠居所に向かっている。「さらばじゃ」 信虎が再び低く呟いた、小林兵左衛門の温顔が脳裡を過ぎったのだ。 遠くで怒号と雄叫びの声が聞こえてくる。 小林兵左衛門と二人の警護の士は、襲いくる今川の刺客と壮絶な闘いを繰り広げ、身を朱に染め討死を遂げたのだ。 小林兵左衛門は最後まで奮闘し、身に数創の手傷を負い力尽きた。 一行は駿府城下を無事にぬけ漆黒の闇をぬって駆けた。「大殿、大丈夫ですか?」 お弓が信虎の老体をいたわり心配している。「大事ない行け」 「この先に古寺がございます、そこで少し休息を取りましょう」 海野昌孝が励ました。すぐに鬱蒼とした杉林の中に小さな寺が現われた。 一行は息を整え水で咽喉を潤し彼方を眺めた。松明の明りが動いている。 こうして信虎一行は忽然と駿河城下から消えうせた。 この知らせが躑躅ケ崎館の信玄の許にもたらされた。激怒した信玄は重臣を召集した。盆地の甲斐の八月は暑い。 主殿に集った重臣達が扇子で風を送り信玄を待った。
Dec 6, 2014
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「変貌する戦国乱世」(80章)にほんブログ村にほんブログ村 (武田家内紛の序章) この永禄七年は波乱を予感させる年となった。一月には関東の北条氏康は下総(しもふさ)で里見義広(よしひろ)、太田康資(やすすけ)、大田資正の連合軍と国府台で戦い、有力武将と多くの兵士を失いながらも大勝した。 里見氏は上杉輝虎と連携し、北条勢の房総進攻を阻む最大の敵であった。 この勝利で北条家の領土は相模、伊豆、武蔵の旧領に加え、東上野、下総、 上総の北部まで拡大し、旧領に倍する領土を支配下においた。 これは北関東へ進攻する足がかりであった。 それに対し上杉輝虎はすかさず下野(しもつけ)に大軍を発し、佐野城を瞬く間に攻略し、色部勝長(しきべかつなが)を城代として守りを固めた。 流石は音に聞こえた上杉輝虎、率いる越後勢の強さと強かさであった。 一方、武田信玄と北条氏康の関係は良好であった。 信玄は関東の西上野の支配のみを望んでいたが、氏康の考えは関八州を支配しょうとの思惑があった。 これにより両家は連合し上杉輝虎に対抗していたのだ。 ようするに西上野は武田家が支配し、その他の関東は北条家が領有する。 そうした基本方針が明確となっていたのだ。 何故、信玄は西上野を重視したのか、それは信玄の深慮な考えであった。 関東の肥沃の土地も欲しいが、武田家の真の狙いは上洛にあり、それを阻止する武将が、越後の上杉輝虎であった。 武田家が上洛を開始すれば、直ぐに越後勢が信濃に攻め込むことは冷徹な事実である。それを防ぐ手立てが西上野を武田が領し安泰とする必要があった。 西上野は越後の要衝の三国峠に最も近い場所にあったのだ。 越後勢が武田家の領土に侵攻する動きを示したら、直ちに西上野から軍勢を発し、三国峠から越後本国に攻め込む。これが信玄の策であった。 こうして武田、上杉、北条が三すくみの状況に置かれていたのだ。 そうした中で岡崎の松平家康に目を転ずると、彼は一向一揆を鎮圧し、本格的に三河攻略をはじめた。 六月に三河と遠江の国境に位置する、今川家の吉田城攻略戦を開始した。 この地は南に渥美半島、東に浜名湖を臨む要衝の地で、流石の氏真も座視できず、一万余の大軍を擁し出陣した。 更に信虎にも出陣の要請を乞い、五千の軍勢を与え家康の押さえとしたが、信虎は二千名の松平勢の進撃に、攻撃をするでもなく見送ってしまったのだ。「馬鹿馬鹿しい、このような戦が出来るか」 これが信虎の本音である。 これに疑心暗鬼した今川氏真は、行軍の途中から駿府城に逃げ帰ったのだ。 まさに将器なき情けない男であった。「甲斐の古狸、今川家に弓を引くのか」 しかし氏真も重臣の一部も、信虎を見る目がこの一事で変わった。 このような空気が漂う駿府城を見透かすように、松平勢の侵攻は止まらず。 六月から激戦を繰り返していた今川家の吉田城(豊橋)が、松平の猛将、酒井 忠次(ただつぐ)前に降伏開城した。 守将の小原鎮実(しずざね)は、酒井忠次の娘を人質として城を明け渡した。 まことに奇妙な戦いである。勝った松平家が人質を出すなどは考えられない事であるが、家康は早い三河全土の安定を望んだのかも知れない。 今川家は遠江を守ることに重点をおいた、政治的な決着なのであろうか。 虚々実々の駆引きの時代、松平家康は着実に乗り切っていた。 こうして松平家康は三河支配を強化していたのだ。 一方、尾張の織田信長も急激な勃興期を迎えていた。尾張の当面の敵は美濃の斎藤家であり、信長は執拗に出兵を繰りえしていた。 信長の武名は朝廷まで聞こえ、朝廷の御所の修理を命ずる正親町(おうぎまち)天皇の勅使として内裏(だいり)、立入宗継(たていりむねつぐ)が十月に尾張を訪れた。これにより美濃攻略戦に弾みがついた。 こうした世情の中、駿府城に帰還した信虎は氏真や今川家の重臣達に異心を疑われ、針の筵に座った心地で過ごしていた。 だが彼の謀略はいっこうに衰えず、瀬名駿河守、関口兵部、葛山備中守等と密会をかさねていた。 「吉田城救援のさいの氏真殿の醜態をご覧なされたか?」 信虎の問いを静止し、瀬名駿河守が厳しい声を挙げた。 「信虎さま、なにゆえに松平勢を見逃しましたぞ」 「老人のわし一人で戦えと申されるか?」 信虎のしわ深い瞼が見開かれ、往年の気迫が湧き上がった。「五千の大軍を擁されていた筈じゃ」「ふん、戦う気概もない武将や兵等と三河衆に立ち向かい何ができ申す」 信虎が三人の重臣等に視線を這わせた。「いかにも至極、御大将の御屋形があの様では合戦には成りませぬな」 葛山備中守が信虎のかたをもった、その一言で二人は口を閉ざした。 彼等の思いも同じであった。こうして内乱の密計が秘かに進められていた。 この策謀が洩れたのだ、かねてから信虎の行動に疑心を抱いていた重臣の庵原安房守(いわらあわのもり)の家臣が、信虎が信玄に送ろうと書き留めておいた密書を手に入れたのだ。 幸いにも加担する三名の重臣の名は記されていなかったが、驚いた安房守は書状を氏真の許に差しだした。 一読した氏真は顔面蒼白となり、身を震わせ怒声を張りあげた。「余の爺殿じゃが許せぬ。ひっ捕らえて余の前に連れて参れ」 仰天した氏真が信虎捕縛の命令を発したのだ。
Dec 3, 2014
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