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横浜ブリッツで昨夜行なわれたジェイク・シマブクロのライブに行って来た。ほとんど予備知識もなく、デビューアルバムの「sunday morning」を1枚聴いただけでライブ本番に突入!私が聴いていたアルバムは、アコースティックな感じの演奏が中心だったので、いきなり爆音で始まったライブにブッたまげた~~~というのが第一印象。しかし、彼のスーパープレイに思わず引き込まれてしまい、あっという間の2時間が楽しく過ぎた。想像していた「ちょっぴりハワイアンムードのアコースティックな演奏」という期待が見事に裏切られたけれど、かなり満足度の高いライブだった。率直な感想は、ホントにこれウクレレ???>ウクレレファンの皆様、すみません(^_^;)私にとってウクレレの一番印象的なイメージは、何と言ってもあのウクレレ漫談の牧伸二だ>牧伸二知ってるという人は45歳以上だと思うけど(笑)私のこれまでのウクレレのイメージとはつまり、漫談の小道具もしくはハワイアンの伴奏で弾く楽器、、、というものだった。・・・・が、ジェイクの演奏は、今まで抱いていたウクレレのイメージを根底からくつがえすものだった。ライブ会場の入り口でもらった何かのチラシに「ウクレレ界のジミヘン」って書いてあったが、私は「ウクレレ界のジェフ・ベック」だと思った。ウクレレという楽器の可能性を追及し、これはいったい何の楽器を弾いているのだろう?と思わせるほどのものすごいパフォーマンス、それでいて、ウクレレの繊細な表情を見失っていないところがまた素晴らしい!ウクレレ=ハワイアンというイメージを良い意味で裏切って、ロック、ジャズ、ラテンを縦横無尽に取り入れて、存分に表現し尽くしている。4弦しかないあの小さな楽器のどこに、あれほどのパワーがあるのだろうか?と驚かされるような演奏だ。この日の演奏スタイルはバンド編成で、ドラム、ベースをメインに、キーボードとギターも加わった5人編成。後半はドラムとベースとウクレレのセッション。この3人のセッションがすごくエモーショナルで、聴いていてワクワクしてしまう演奏だった。特にベースとウクレレの掛け合いが素晴らしかった。同じ4弦しかない楽器のベースとウクレレ。自由自在に繰り出される高音のウクレレの音色を、低音のベースが抱擁するように、包み込むように奏でられ、時には挑発的するように、時にはランデブーするように、音の会話が繰り広げられた。その情熱的な音色とグルーブ感が、どこかサンタナを思わせるような演奏だった。そして彼は、とてもMCの多いアーティストだった(*^_^*)日系ハワイ人のジェイクは、顔は日本人ぽいので、彼がネイティブな英語で流暢に喋ると、すごく英語が上手だなって、つい思ってしまうが(笑)、純然たるハワイ人なので英語上手くて当たり前、、、というより日本語はちょっとしか喋れないのだった。それでも時折片言の日本語をまじえて話すMCは、何となく言ってる意味が少しだけ伝わってきて、会場にはなごやかなムードが漂っていた。ウクレレを抱えたジェイクは、ステージを右に左にと駆け回り、観客に笑いかけたりしながら、とても楽しそうに演奏していた。最後の演奏を終えたジェイクは、何度も何度もあいさつをして手を振りながら、ステージを降りていった。ライブが終わって、何だか今日一日の疲れが吹っ飛んだような爽快感を味わいながら、私は帰途に着いた。。。。。すごく良いライブだったので、もしまだジェイク・シマブクロを知らない人がいたら、ぜひ一度聴いてみて欲しいな・・・。 そしてライブは一見の価値あり! ↑ハワイアンのコンピアルバムに入ってる、ケアリイ・レイチェルもぜひ一度聴いてみて!このアルバムにもジェイクの曲、入ってるよ~!
2005.08.29
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今日は、公民館でシタールの演奏会があったので出かけてきた。昔からインド音楽に惹かれていたので、こういうコンサートがあると聞くと、ついつい出かけてしまう。今日は地元の公民館主催で、観客はほんの30~40人くらいのアットホームな感じのコンサートだった。私はちょうど二十歳の頃、インド・スリランカに約1ヶ月ほど旅行をしたことがあり、シタールの音色を聞くと、当時のインドの風景が浮かんでくる。もうずい分昔の話なので、今のインドはかなり変わったのだろうか?インドはアジアでも特にITが進んでいるというから、もう昔のような面影はないのかもしれない。でも、私の心の中のインドは、悠久の大地なのだ。演奏者は日本人の若い人だったが、その人の話によると、インドではいろいろな修行者がいて、変わった修行をしている人もいるそうだ。例えば、ずっと片手を挙げたままで生活している修行者とか。。。。。(゜o゜)彼の修行の目的は、イマイチ謎だな~、と思うけど、そういう風変わりな修行者たちは、人々に尊敬され、たくさんのお布施をもらって暮らしているそうだ。インドの面白さは、そういう一見無意味な事に価値を求めているところにあるのかもしれない。日本のようにすべてが合理的で無駄がなく、効率優先の社会のほうが、歪んでいるのかもしれないな、、、、と思ったりした。さて、演奏はシタールとタブラという打楽器の掛け合いで行なわれた。インド音楽については以前にも書いたと思うが、大きな特徴は不思議なゆらぎのある旋律だ。シタールの演奏には楽譜はなく、一定の法則が大まかにあるだけで、あとはほとんどが即興演奏だという。だから、演奏者のインスピレーションに大きく左右される。ちょっとジャズに通じるところもありそうだ。事実、ジャズとシタールのコラボレーションもよく行なわれている。音階も西洋音楽とはチョット趣が違う。インド音楽にとって一番大切なのは、音符と音符の間にある音なのだそうだ。つまり音階のすき間にあるゆらぎ、、、、こそが、インド音楽の真髄といえる。それをいかに絶妙な形で表現していくかが、音楽家の力量なのかもしれない。今日の演奏は、タブラの奏者の演奏がすごく良かったので、シタールの音色が一段と惹き立てられたと思う。あまりの気持ち良さに、私は思わずうとうとと眠ってしまった。眠ったといっても、演奏はしっかり聴こえており、何とも夢見心地な気分だった。演奏は20分くらい続いただろうか。演奏が終わると同時に、私はスッキリした気分で目覚め、何だか日頃の疲れが癒されたような気分だった。シタールの音色には、不思議な癒し効果があるのではないだろうか?写真はタブラ(手前)とシタール、演奏者。演奏中の写真は残念ながら撮れなかったので、演奏が終わってから撮影した。
2005.08.27
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夏といえば、やっぱり花火!昔から、祭りと花火は、江戸っ子の夏の風物詩。東京生まれではあるけれど、3代続いてないので江戸っ子ではない私だけれど、祭りと花火にはなぜか血が騒ぐのだ・・・!\(^o^)/祭り太鼓の音が聞こえてくれば、いても立ってもいられず、音の方向に向かって突っ走ってしまう(笑)どこかで打ち上げ花火の音がと聞こえてくると、なぜかワクワクしてくる。。。今年の夏は旅行にも行かず、しょぼくれた夏休みだったので、どうも不完全燃焼気味の今日この頃・・・。そんなわけで、今日はとある遊園地で毎週土日に開催される花火大会に出かけてきた。入場券は新聞屋からもらった招待券>乗り物1回券付き(笑)台風一過で今日も蒸し暑い日だった。夜になっても全然涼しくなかったけれど、こんな残暑の夏の夜には花火がピッタリだ。小1時間前に現地に着いて観覧場所をゲットして、かき氷やクレープを食べたりして、花火の始まるのを待った。 うぉぉ~!ついに始まったぞぉ~~~ パァ~~~ん、ポン!ポン!ポポポポポポポッパパパパパッパッダン!ダン!ダン!ダダダダダダダ~~~~~~ッボボボボボボボボボッ ボボ~~~~~ン!!!!ひとときの華麗な夜のショーに、観客は歓声をあげ、子どもたちが喜んで大騒ぎしている。花火と爆弾は紙一重。材料は似たようなもんだからね・・・(-_-;) でも、花火と爆弾は天と地ほどの差がある 花火は人を歓ばせる。でも、爆弾は人を苦しめる。同じ材料を使っても、まったく違うものをもたらすんだね。 願わくば、すべての爆弾を、花火に変えたいよねえ・・・・・・
2005.08.27
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子どもが大学に入ってからというもの、我が家の財政は、常に逼迫状態。。。息子の大学入学の年には200万ものお金が出て行き、翌年から娘が高校に入学した事もあり、教育費だけで年間150万ものお金がかかっている。家のローンはたっぷり残ってるけど(笑)、貯金はわずかしかなかった我が家の財政はすぐにピンチを迎えた・・・・(^_^;)大学の学費を払うたびに貯金を切り崩し、とうとう今年で貯金のすべてが消える予定だ。。。。そのあとどうする?!息子は大学3年、娘は高校2年。息子が卒業したら、すぐに娘が大学に進学の予定。娘の入学金の蓄えはないのだけどね・・・・(-_-;)頼みは実家の援助と妹からの借金か?>妹は独身貴族で貯金もたっぷりありそうなので・・・(笑)我が娘よ、爺婆や叔母ちゃんにせいぜいゴマをすっておくんだよ~。。。今月は自動車保険の支払いがあったので、生活費に使えるお金が○○円しかない。。。うそぉ~~、こんな金額でどうやってやっていけっての?しかも、昨今のニュースでは、サラリーマン増税とやらで、ますます生活は厳しくなりそうだ。消費税だって、そのうち上がるんだろうな。。。リタイヤ後にもらえる年金は減らされそうだしな。。。子どもにお金がかかって、とても自分の老後の資金なんて全然準備できていない。。。あと10年もしないうちに老後が来るというのに。。。ど、どうしよう~~~(>_
2005.08.25
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またまた昨日の出来事なんだけど、昨日、駅のホームにあるベンチに座って電車を待っていた時に、変な若者に出会った。。。。彼は、ベンチで私の隣に腰掛けており、年齢は20代くらいに見えた。ケータイで誰かと会話していたが、いやに型式ばったバカていねいすぎる話し方で、でも仕事の電話でもなさそうだし、おかしな話し方をするんだな~と思って聞いていた。電話での会話が終わると彼は立ち上がり、左隣に座っていた2人組みのおばさんに「疲れていませんか?足が痛くないですか?」と聞いている。知り合いなのかな?と思ってみていると、どうやら赤の他人の様子。オバサンはけげんそうな顔で首を横に振っていた。そして彼は今度は私のほうに向き直って、「足が痛くないですか?」と聞いてきた。私は困ったな~。。。と思いながらも、「大丈夫です」と言う。彼は向こうのほうに行きかけたが、また戻ってきて、今度は「靴下はいてて暑くないですか?脱いだほうがいいですよ」と言う。・・・・え?何?この人!?。。。。と思いながらも、確かにサンダル履きで靴下はさすがに暑かったので、素直に「そうですね」と言って、靴下を脱いだ。すると若者はいきなり私の足を触ってきて、「足が疲れていませんか?」と言って、足のマッサージを始めたのだ。。。。(・0・)うわ~~っ!どうしよう!かなりアセッたけど、気持ち良かったので、そのまま足を預けてしまった(^_^;彼は「どう?足痛いの治った?」と言う。私が「ありがとう、気持ち良かった」と言うと、彼はうれしそうな顔でお辞儀をして向こうに歩いて行った。。。。。何だか変な体験だった。
2005.08.24
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昨日、電車に乗ったら、こんな時間に珍しく電車が満員だった。しばらくしてからその理由が分かった。車内には、お揃いの黄色いTシャツを着た高校生の集団がいたからだ。しかし、最近の高校生のマナーはイマイチだよね。。。だって、こんなに混んでいるのに、1人で2人分の座席を占領して平然としてるんだもの。。。おしゃべりに夢中になってないで、老人とかに席を譲れよ!そこの女子、大股開いて席を占領してないで、もう1人座れるように、ちょっとは詰めたらいいんじゃないの?だいたいこういう団体で電車に乗るときは、一般の乗客に席を譲って、自分たちは立っているのがマナーじゃないのかしら。。。。ホント迷惑。いったいこいつらどこの高校かしら?先生は黙ってみてないで、電車の中でのマナーを徹底させなさい!、と思って見ていると、どうやらこの集団は日本人ではなさそうだった。話している言葉をよく聞いていると、中国人らしい。先生~、、、国内ではもとより、海外に出たら、それ以上にマナーは大事だよ。これでその国の品位が分かっちゃうんだよ。。。ま、日本の高校生も似たり寄ったりではあるけれどね。人の振り見て我が振り直せ、という諺もあるし、私達も外国に行った時には、マナーに気をつけなければね。。。「指導教師」という名札を付けた中年の先生は、達者な日本語でドア付近に立っていた日本人の若者に話しかけていた。話しかけられた若者は、どうみても困惑しており、会話に消極的な様子だった。中国の反日運動で、今は日本人の中国人を見る眼も悪化していると思う。電車全体に、彼らを胡散臭い眼で見る雰囲気があったようにも思う。でも、彼らは反日運動どこ吹く風で、とある駅で降りる際に、その若者に「バイバ~イ」と元気に声をかけて去っていった。集団が去った後の車内は、一気に空いて、窓から明るい光が入ってきた。座席もいっせいに空いて、今までドア付近で立っていたおじさん、おばさんたちもやっと腰かけることができた。私も彼らが乗っていた時は、何だかウザイな、と思っていたが、後で思うと、ちょっとは話しかけて、日中友好に貢献すれば良かったかもしれない、と複雑な気持ちになった。昨今の中国から感じる圧迫感を象徴するような出来事だった。
2005.08.24
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今日はレディースデイなので、前から見たかった映画「皇帝ペンギン」を見てきた。本当は先週、見に行こうとして映画館まで行ったら、夏休みのせいで切符売り場は長蛇の列・・・・うわあ~ぁぁぁ、これじゃあチケット買うのに30分はかかってしまう・・・・並ぶの大嫌い人間なので、すぐにあきらめて、その日はあっさり家に帰った・・・(-_-;)しかし、夏休みはどうしてこんなに街に親子連ればかりがあふれるんだろう?どこに行っても子ども、子ども、子ども・・・・・ああああああ。。。。。さっき通ってきた駅ビルの中も、でかい声を張りあげて走り回る子どもがいてうるさかったしなあ。。。。いつもは昼間などガラガラに空いていて、この映画館よく潰れないなあ、、、と心配になってしまうくらい人がいないのに、夏休みには親子連れであふれている。 これじゃあ、見たい映画も見れないや。。。。。。というのはまだ早い!今は便利なネット予約というワザがあるのだ(*^∀^*)というわけで、今週のレディースデイを狙って、さっそくネット予約して映画館へ・・・・。 長蛇の列に並んでいる人々を尻目に、ネット予約受付機でスイスイとチケットゲット~~~~わはははは!!!\(^o^)/というわけで、めでたく「皇帝ペンギン」を鑑賞して参ったですだ。さっき楽天ブログで「皇帝ペンギン」見た人の感想を読んできたが、どうもイマイチな感じの人が多いようだった。中には寝てしまったという人まで。。。。(^_^;)そういえば、映画館には子ども連れもいたけれど、あんまり騒がしくなかったのは、子どもが退屈して寝てたから・・・???(笑)まあ、他人の感想はともかく、私は面白いと思って見たけどね。生き物というのは、厳しい自然環境を生き抜くために、様々な方法を考え出すんだなぁ・・・。メスが産んだ卵を、オスがお腹に抱いて卵が孵化するまで守り続ける。その間にメスは出産で消耗した体力を取り戻すために、海に獲物を捕りに行く。そしてやがて生れる雛のためのエサを体内に蓄えて帰ってくる。メスが帰ってくる頃には、オスに守られて雛が誕生している。オスはメスに雛を渡して、今度は自分がエサを食べに出かけていくのだ。雛がかえるまで、オスは何と4ヶ月もの間、何も食べずに卵を守り続けるのだ。。。。。。 うううっ感動!これぞ、父親の鏡ではないだろうか!!!偉いぞ!ペンギンのお父さん! 人間も見習えよ!
2005.08.23
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何とも、生徒たちには気の毒な事件だと思う。がんばって夏の甲子園2連覇を果たしたのは、生徒たちの頑張りがあったから。それなのに、指導教員の行動が、すべてに泥を塗ってしまった。彼らのがんばりに泥を塗ったのだ。一生に一度あるかないかの感動が消えてしまった。生徒たちには何の落ち度もない。それなのに、世間からは「あの事件があった高校」と言われるのだろうか?今度の事件で優勝取り消しするとしたら、それは子どもの人権無視の不当処分であり、断固抗議したいと思う。それにしても、野球部というところは結構体罰が多いところだ。息子にしても、中学の時の野球部顧問は、よく部員を殴っていたらしい。息子の同級生のS君などは、頬に往復ビンタを受けて、口の中が切れて食事も摂れなくなるくらいだったと、母親が言ってた。でも、教員や学校を訴えることはしなかった。それは、体罰を受けた本人が「自分が悪かったから」と言ったからだそうだ。体罰と一口に言っても、お互いの間に何か通じ合う気持ちがあれば、それは体罰ではなく、一つのコミュニケーションと言えるのかもしれない。体育会系のコミュニケーションは何かと血生臭くて、私のような非体育会系人間には理解できないが、息子はその手の体罰に違和感を持っていない様子だ。しかし、昨今は教師の体罰に敏感な時代なので、一昔前までなら「指導の一環」で済まされた事も、許されない問題となっている。私の小学校や中学校時代には、体罰は日常茶飯事だった。特に腕白な男子、勉強のできない子、生意気な屁理屈で教員をやり込める子どもなどが、体罰を受ける場面がよくあった。中学の時にクラスの男子が、先生に往復ビンタを食らった時は、見ていて怖くなり、その先生が嫌いになったことを覚えている。指導というよりは教師の感情に任せて殴ったような感じだった。その生徒が、日頃から眼に余る言動をとっていたということもあるが、教師は大人なんだから、暴力ではなく言葉で生徒の言動を抑えるべきだったのではないかと思う。簡単に理性を失う教師は、教師失格だ。そういう輩は、自ら職務不適正と認め、退職すれば良いのだ。教師の生活の安定のために生徒がいるのではない。
2005.08.23
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さっき「ミューズの楽譜」という番組で、歌手の上田正樹がブルースについて語っていた。ブルースやR&Bが好きで、そこに近付こうとすればするほど、自分には歌えないということが分かってきて、つらくなってきた。「悲しい色やねん」がヒットして、TVに出ている時期は特に葛藤があった。「自分はこんなことがやりたかったのだろうか?」という心の声が、いつも聞こえていた。レイ・チャールズ、ティナ・ターナー、クルセイダーズなど、偉大なアーティストのオープニングアクトをつとめる機会にも恵まれた。ブルースは学習して学ぶものではなく、血でやる音楽なのではないだろうか、と思った。だから、日本人にブルースは歌えないのではないかという思いが強くなり、もう音楽をやめようと思った。その時、ジャズプレイヤーの妻が「やめていいよ。私が食わしたる」と言ってくれて、気持が救われた。そんなある時、BBキングから共演のオファーがあり、一念発起し新しい曲を作って持っていった。そして意外にもBBキングがすごく良い評価をしてくれた。「アーバンだけど、どこかアジアンテイストを感じる」と言ってくれた。それで、「俺にも日本人としてのブルースが歌えるかもしれない」という気持ちがわいてきた。妻とともにアジアを旅して、各地のライブハウスをブッキングして歌うようになった。初めて歌ったのが韓国。そして今はインドネシアで音楽活動をしている。最近やっと、音楽の事がわかってきた。そして音楽をやってきて良かった、と思えるようになった。・・・・というような内容の話だった。上田正樹は今、バリ島に住み、インドネシアではかなりの人気だそうだ。彼はヒットを飛ばして人気が出たけれど、自分のやりたかった音楽との矛盾に悩み、日本の音楽界と言う狭い世界を出て世界を見た時に、自分が最も納得のいく音楽ができる環境に辿り着いたのだ。上田正樹と言えば、私たちの世代では、ソロデビュー以前のロックバンド、サウストゥーサウスのイメージが強いのではないだろうか?私も野音や大学のロックイベントで、バンド時代の彼のライブを何度も見たことがあった。だから、80年代にソロでヒットしてTVに出まくっていた頃は、「あれ?路線変更?」と思っていたのだが・・・。でも路線変更などではなく、彼は昔も今も悩めるブルースマンだった。ブルースと言う音楽の発祥はアメリカだけど、音楽に国境はない。アメリカ生まれの種が日本に根付いて、やがてアジアに広がっていく・・・。素敵なことだと思う。猿真似ではない、心で創り上げていくものこそ、本物として根付いていくのではないだろうか。日本に住み、日本の事だけしか知らないでいると、客観的に見た日本人の特性とか、長所も欠点もなかなか見えにくい。だから、独り善がりな考え方に陥ってしまう。音楽に限らず、「世界」という視点は大切だと思う。これからの時代は、どんどん世界に出て、世界から見た日本、という視点を持つ必要があるだろう。それがないと、偏狭なナショナリズムに陥って、何も見えなくなってしまう。
2005.08.21
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今朝TVをつけたら、WOWOWで吉永小百合主演の「愛と死をみつめて」をやっていたので、懐かしくて思わず最後まで見てしまった。この映画は1964年に封切られ、大ブレークした純愛モノ。当時まだ小学生だった私は、愛だの恋だのなんてよくわからなかったけれど、この映画が話題になって、主題歌を周囲の人たちが口ずさんでいたのを覚えている。言ってみれば40年前の「せかちゅう(世界の中心で愛を叫ぶ)」だ。映画はヒロインの日記朗読の形式で進む。実在の人物の話だそうだ。ヒロインは顔にできた軟骨肉腫というガンに侵され、顔の半分を手術でえぐりとられてしまう。浜田光夫扮する恋人の大学生はそんな姿になってもなお、「君がどんな姿になっても僕の愛は変わらない」と彼女を最後まで愛し続ける。その愛に支えられてヒロインは自殺を思いとどまり、最後の瞬間まで命を全うしてあの世に旅立っていった。家族や恋人の愛情に包まれながらも、病と闘うヒロインの心の葛藤がよく描かれており、私は涙を止めることができなかった。・・・というのも、吉永小百合扮するヒロイン小島美智子の姿が、ガンで20代の命を終わった友人Mさんの姿に重なってしまったから。。。。実は、昨日Mさんの実家にお線香をあげに行ってきたばかりだった。もう1人、彼女と親しかった友人Rさんと一緒に。。。。Mさんは2ヶ月前に、ガンの再発で若い命を閉じてしまった。彼女のお母さんが家で迎えてくれた。お母さんは私とほとんど同世代。それだけに、娘を亡くした母親の気持ちが痛いほど分かる。生前の、親の知らない娘の姿を少しでも伝えることができたら、そしてその心の苦しみを少しでも和らげられたら、という思いで、何時間もお母さんと語り合った。お母さんの口から出る言葉はやはり、「もっと娘に○○してあげていれば良かった」という後悔。。。その気持ち、私が夫の父親を亡くした時と同じものだった。余命いくばくもない病人を抱え、かけがえのない人の死を待つだけの日々。。。何の希望もなく、気持ちが重く、何もできない自分の無力さをただ悔しいと思う日々。。。そして亡くなった後の喪失感。。。毎日、仏壇の前で涙を流す日々だった。ほんの数時間の短い時間だったけれど、お母さんの悲しみを共有する時間が持ててほんとに良かった。一緒に訪問した友人Rさんは眼を真っ赤にしていた。ガンに侵され、自分の命がいつまで続くかも分からない日々を生きる映画のヒロインの心の葛藤を見て、私は果たしてMさんの苦しみをどこまで理解できていたのだろうかと思った。自分では彼女の気持ちを受け止めているつもりでいたけれど、本当には分かっていなかったのだと思う。病の苦しみ、そして死の恐怖、、、、どれだけ想像力を凝らしても、健康な身体を持つ私には所詮、理解できるはずはないのだろう。誰にも理解されない苦しみを1人で背負わなければならなかった彼女の心を想うと、何の力にもなれなかった自分が悔しい。そして彼女に申し訳ない。彼女の最後の時をお母さんは語る。病院での抗がん剤治療を断念し帰宅。家で1人でいる時に倒れ、電話まではいずって行き、自分で救急車を呼んで近くの病院に入院。そして2日後に、誰もいない病室で1人息をひきとったそうだ。最後に1人で息をひきとる時に、彼女は何を想って逝ったのだろう。。。と思うと、涙があふれてしまう。実家に飾られていたMさんの写真。最初に家に入ったとき見たら、とても暗くて悲しそうな顔だった。そしてお母さんと話をしている時に、チラッと写真を見ると、何だか怒って私たちを睨みつけているようだった。「誰も私を分かってくれない!」と言っているかのように・・・・。家をおいとまする時にもう一度写真の前に座ると、心なしか写真のMさんはちょっと微笑んでいるようだった。私は彼女に話しかけてみた。「あなたの事は一生忘れないからね」と約束した。Mさんは昨年2月、乳がんの手術をした時に、母親に「お母さんも健康診断に行ったら?」と言ったそうだ。その言葉でお母さんが健康診断を受けたら、何と初期の胃がんが見つかったと言う。発見が初期だったので完全に治ると言われ、お母さんは胃を3分の2を切除したが、今は元気に仕事をしている。まさに娘の病が母親を救ったのではないだろうか。それだけでも彼女の死は決して無駄ではなかったと思う。お母さんの中に、今でも彼女は生き続けている・・・・、そう信じたい。「お母さん、Mさんの分まで長生きしてくださいね」と私は言った。死んだ人は、生きている人の中で生き続ける。。。。生きている人がその人を忘れない限り。だから、私はMさんを忘れないようにしよう。そして、命について考えていこう。命の尊さ、命の不思議、命の重さ、、、、この世のすべての命が大切であることを、Mさんの命が教えてくれた。命あるが故の葛藤、、、これもMさんが残してくれたもの。人は生きていくことの苦しさから、愛する人を苦しめてしまうこともある。頭では分かっているのに、心が許さないこともある。心が許さないことを頭が分かろうとすると、身体が苦しくなる。。。。身体の苦しみから逃れようとして、人は心の救いを求めて彷徨うのかもしれない。。。。。心の救い・・・・・、それは人類が求めてやまない欲求。その救いがあるところに、人類がたどり着くのはいつのことなのだろう・・・・
2005.08.21
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このところ毎日、TVで甲子園を見てしまいます。我が神奈川県代表の桐光は惜しくも京都外大に破れベスト16止まり。その京都外大は翌日も見事な快進撃で樟南に圧勝。息子の出身中学の野球部後輩がいるというので応援していた日大三高も、宇部商に破れ、ベスト8で終わってしまいました。。。。うううっ残念!しかし、ベスト16クラスの試合は、どれも本当に見応えがあって面白いです。プロ野球にはあまり興味がないのに、どうして高校野球には惹かれてしまうのかというと、選手の心がそのままプレイに現れるから面白いのです。時には、ええ?こんなところで?というようなミスが生じることもあれば、とうてい無理と思っていたのに奇跡的に逆転したりと、試合の中に思わぬドラマが生じて、感情移入せずにはいられません。プロになった大人の選手は少々の事では動じないでしょうけど、まだまだ高校生ではほんのちょっとした事で、プレイが失敗したり上手くいったりするのです。その赤裸々な部分に、観る者が惹かれていくのかも知れません。日頃の地道な練習を積み重ね、さまざまなプレッシャーを乗り越える精神力と実力を身に付け、競い合うその美しさが高校野球の魅力です。もう昨日になってしまいましたが、大阪桐蔭の平田選手はすごかった!一試合で3本のホームランは、清原以来だという。こういう人がプロに行って活躍する人なんだろうな、と思わせる怪物ぶりでした。身体もガッチリして良い体型でした。いずれは大リーグ行きかな?東北も強かったけど、平田にやられたという感じ。悔しいけれど、もうこうれは仕方ないよね。相手は怪物だもん。明日の駒大苫小牧戦が楽しみ。でも、明日はお墓参りに行く事になったので、車のTVで観ることになりそう。どっちが勝つかな?駒大も鳴門にかなり苦戦していたので、もしかして・・・?
2005.08.18
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昨日は終戦記念日でした。例年はこの日は、ダンナの親のお墓参りに行っているので、家でゆっくりTVを見ることもありませんでした。従ってこの式典をTVで見るのは十数年ぶりくらいでした。今年は、諸事情のため(?)、お墓参りに行かずに家でTVを見てたら、終戦記念日の式典が始まりました。最初は甲子園の生中継を見ていたんですが番組が変わって式典になったのです。始めに君が代が流れ、12時になって黙祷。。。。天皇陛下のお言葉の後に、小泉首相の話がありました。天皇陛下は、「戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い」と話しました。そして小泉首相は、「侵略戦争によりアジアの人々に多大な苦痛と損害を与えました」というお詫びと反省の言葉の後に、「悲惨な戦争の教訓を風化させず、二度と戦火を交えることなく世界の平和と繁栄に貢献していく決意です」と決意表明をしました。さて、これが絵に描いたぼた餅に終わらないように、私たちはこの言葉をしっかりと受け止めて、首相が行ったとおりの政治を行なうかどうかを、国民がしっかり見つめていかなければなりません。首相が本当に、戦争を二度と繰り返さないと約束するなら、今度の選挙で自民党に入れても良いかも?と思います。でも、それがウソだったら、もう許さない。その次の選挙には共産党に入れてやる。(批判票です)天皇陛下や首相が「二度と戦争をしない」と言っているのに、なぜ憲法9条を廃止しなくてはならないのでしょうか? 終戦記念日にちなんで、というわけではないのですが、図書館で「新しい歴史教科書」を読んでみました。おもな感想としては、、、、、、冒頭で、日本の神話に触れている部分は、とっても面白かったです。でも、歴史として教えるよりも、国語なんかで取り上げたほうが良いように思いますけどね。だって、神話は歴史とはいえないしね。。。むしろ文学の分野でしょ?天皇の先祖が神様だなんて、そんなのあり得ないでしょ~~~????昭和天皇がとっくに人間宣言してるんだもんねえ(*^∀^*)あと、近代史の記述で気になったことは、沖縄戦に触れた部分での戦争犠牲者についての記述。「勇ましく散っていきました」というような書き方がしてあったのはどうなの???こういう主観的な表現は、歴史教科書にはふさわしくないのでは?もし、このような表現が許されるなら、例えば、「戦争犠牲者たちは惨たらしく死んでいきました」という書き方もありってことでしょう。「勇ましく死んだ」とするのも、「惨たらしく死んだ」とするのも、主観的すぎて、教科書にはふさわしくない書き方だと思います。教科書としては、犠牲者の数や戦争の状況を客観的に書けば良いのではないでしょうか?今日のところは時間の関係で、神話の部分と日清戦争から第二次世界大戦あたりまでをサーっと急いで読んだだけなのですが、明治維新後の日本が世界の国々の中で、いかにして独立を守ろうとしてきたかの戦いぶりがよく描かれていて分かりやすかったな、と思いました。開国後、頑張って世界の列強と肩を並べようとしてきた過程で、中国や朝鮮との関係がうまく築けなかったことが、日本の不幸の始まりなのかもしれません。韓国・朝鮮や中国における反日感情は、過去の歴史からつながっているのもであることを私たち日本人はよく理解して、どのように解決していけば良いのかを考えていく必要があると思いました。そのためには歴史教育は大切だし、中国や朝鮮半島の人々との歴史認識の違いをどのように埋めていくかがこれからの課題だと思います。中国や韓国・朝鮮の反日教育が正しいものだとは思いませんが、彼らが民族の独立を維持するために必要な事であったことは分かります。彼らは日本を脅威に感じるあまりにそのような思想を国民に吹き込む必要があったのでしょう。それを踏まえた上で、日本が世界の平和という視点を持ち、中国や韓国・朝鮮との付き合い方を考えていくことこそが、首相の終戦記念日に向ける言葉をウソではなく本当にしていく道だと思いました。
2005.08.16
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昨日の話の続きで、出会い系サイト関連のネタを一つ・・・(^_-)-☆私の知り合い(年齢40ン歳、女性、未亡人)は、数年前、出会い系サイトにはまりまくっていました。彼女は、顔も素性も匿名なのを良いことに、年齢24歳とサバ読んで(爆)ニックネームで、某出会い系に「メル友募集」を出しました。すると来るわ来るわ、何と100通ものメールが・・・!女性一人に男性100人って、まるで逆ハーレム状態だす(^_^;)ほとんどがもろ欲望丸出しのエッチなメールで、そういうのは捨てて、まともな内容のメールをよこした数人と、めでたくメル友となった彼女。東北地方に住む中年男性とは1年か2年もメールのやり取りが続いたそうです。なかなか良い人だったようで、いろんな悩み事を相談したりしていました。一度、会おうという話にもなったようですが、結局、双方の都合が付かず、会わないままで、彼女に本命ができて、そのおじさんとは自然消滅。。。。チョンチョン。本命君ができるまでは、彼女は出会い系を利用して、若い男性、中年男性など、いろんな人とメル友になって、楽しんでいました。中には実際に会った人もいるみたいです。最近は、出会い系やネットにからむ事件が多発して、警戒して近付かない人が増えていると思いますが、彼女のように上手に利用してエンジョイしている人を見ると、チョットうらやましく思います。モチロン、人妻には厳禁の世界ですけどねえ~~~(>_
2005.08.10
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ここ半年くらい、迷惑メールが多くなって閉口しています。いったいどこから私の個人アドレスの情報が流れたのか不思議。。。そして、どうして私を男性だと思うのかも不思議。。。「貴方のお好みの女性を紹介します」とか、「逆援希望、当方キャリアウーマン、年収1千万」とか、「もだえる人妻の私を抱いてください」とか、・・・・・あのう、私、女を抱く趣味、ないんです・・・・(゜o゜)金もらっても嫌ですう~~~、、、、気色悪ぅ~~(>_
2005.08.09
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ここ3年くらいのマイブームは、ブラジルのセルソ・フォンセカさんです。友人に聞いて、買ってみた「スローモーション・ボサノバ」というアルバムにヤラレました。とにかく気持ち良くて、毎日毎日聴いていました。人にはそれぞれ快適に感じる音楽というものがあると思います。どんな音楽に心地良さを感じるかは人それぞれ。。。。。そのメカニズムはきっと複雑怪奇なものなのかもしれません。で、私の快感中枢を刺激するのが、セルソ・フォンセカさんなのです。こんなに毎日聴いて、そのうち飽きるのかな?と思っていましたが、3年たっても飽きません。・・・で、彼のアルバムを1枚2枚と買い続け、先日、ついに4枚目を購入。5月頃に出た新譜、ブラジルのリオをテーマにした「リヴ・ゴーシュ・リオ」です。 ↓セルソ・フォンセカ/リヴ・ゴーシュ・リオボサノヴァというのは、どちらかというとカラッとして乾いた感じがしますが、セルソのボサノヴァはちょっと哀愁を含んだウェットな感じもあります。ブラジル人の感じるサウダージは、日本人の感じる哀愁と似ているようで少し違うのだそうです。ブラジルでは多くの人が貧困にあえぎ、街にはストリートチルドレンがあふれ、犯罪が多い国だと聞きます。それでもブラジル音楽を聴くと、悲しみの中にも希望を失わない民衆の明るさというか強さを感じます。それは、南国の強い太陽の力を受けて暮らしているからでしょうか?ブラジル音楽には、どこか沖縄の音楽にもつながるものを感じます。抑圧に負けず、強く生きる民族性が共通しているからでしょうか?ブラジル人はとにかく音楽が好きなようで、どんな時も楽器や歌声を絶やす事がないそうです。そういうブラジル人を見ていると、音楽は人を慰め、生きる力を与えるものなんだな、と思います。日本も今、大変な時期にあり、精神的または金銭的に破綻してしまう人々が増えています。こんな時代に、日本人を元気付ける音楽とはどういう音楽なのでしょうか?日本には、若者の音楽ばかりがあふれてしまい、40代以上が聴いて癒される音楽が極端に少ないような気がします。それがまた、中高年のうつや自殺を増やす原因なのかもしれないと思ったりします。音楽が一部のメディアにより、商業化されすぎている日本では、もはや本当に人々の心に染み込んで来る音楽は生まれないのかもしれません。そういう意味では、日本人はブラジル人より不幸かもしれません。
2005.08.06
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今日の夕刊でこの事件を知り、複雑な気持ちになりました。私は、自分の息子がかつては高校球児だったこともあり、事件とは無関係の選手たちに同情の気持ちを持ちました。不祥事を起こしたのは、100名以上いる中のほんの一部の生徒たちです。その一部の生徒たちのため、に甲子園目指して一生懸命がんばってきた選手たちの夢が、一瞬にして奪われてしまったのです。夏の炎天下の中での練習が、どれだけきついものであるか、息子との会話の中にもよくでてきます。大学が夏休みの息子は、毎日のように母校の後輩たちのためにコーチをしています。今日も深夜のコンビニのバイト明けで、仮眠を取ってから母校に出かけていきました。甲子園に出られても、出られなくても、野球部員たちは暑い中、汗を流して練習に励んでいます。苦しい練習の成果が甲子園に結び付いた選手たちの喜びは、本当にどれだけ大きいことでしょうか。そして、その喜びを奪われた選手たちの悔しさ、やりきれなさは想像するに余りあります。しかも、自分たちは何も悪い事はしていないのに同罪扱いされて、世間の厳しい眼に晒されるという二重の苦難を受けなければなりません。力いっぱい戦って破れたのなら、悔しくてもそれは新しい力になっていくはずです。しかし、今回のような形で試合そのものを放棄させられたとなると、今後いったい何を支えに頑張れば良いのでしょうか?しかも、頼りにするはずの監督も辞めてしまうのです。明徳の野球部員たちは、野球をするためにこの学校に入った子ばかりだと思います。思うような野球ができなくなったら、学校に通う意味も目的も見失ってしまうのではないでしょうか?これが原因で、精神的に落ちていって、例えば何らかの障害が表れる選手が出てもおかしくありません。学校側は、世間への対応よりもむしろ、選手たちの精神的なケアに力を入れるべきだと思います。場合によってはカウンセリングも必要になるかもしれません。そんなのは根性で乗り越えろ!という意見もあるかもしれませんが、根性だけでは乗り越えられない壁もあります。リンチや喫煙は、もちろんあってはならないことだと思います。でも、何の罪もない部員全体が責任を負わされると言うのは、何だか理不尽な気がするのは私だけでしょうか?一人の責任が全体の責任と言うのなら、NHKの視聴料着服事件の責任をとって、NHKの社員全部が退職して責任をとるべきでしょう。また、大阪市職員たちも全員辞めるべきです。どこぞの県の警察署も全体責任で、全員クビにすれば良い。大人の世界では中途半端なトカゲの尻尾きりのような処分しかしないくせに、なぜ子ども達には、夢を奪うような酷い処分ができるのだろうか?昨年だったか、帝京大学のラグビー部員の事件で、大会出場停止になったときも、息子は「他の部員は皆、一生懸命がんばっていたのに可哀相だね」と言ってました。同じスポーツをする人間として、他人事ではない同情の気持を持ったのでしょう。スポーツは清く美しくなければならない、だからほんのわずかな汚点も許されないのかもしれない。でも、戦争中じゃあるまいし、イマドキの世の中で、全体責任と言う考え方はちょっと古くないか???時代錯誤もはなはだしいと思う。問題を起こした生徒の処分だけではだめなの?それなら、国会議員が1人でも汚職したら、全体責任として全部の議員を辞めさせれば良いという論理になるのではないか?選手たちを何とか甲子園に出してやりたかったと言う監督の言葉は、世間的には厳しい評価があるかもしれないが、私はその気持ちはとても理解できる。ひたすら頑張ってきた大多数の選手たちの立場にたっての言葉だと思った。1年生や2年生にはまだ来年があるが、今年で引退する3年生にはもう次の夏はない・・・・。彼らの人生の中で、忘れようとしても忘れられない暗い嫌な思い出ができてしまったことだけは確かだろう。。。。。本当に気の毒・・・・・
2005.08.04
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このブログのトップページにも紹介していますが、今、ホワイトバンドがブームだそうです。多くの有名人の協力を得て展開しているキャンペーンが功を奏しているのかもしれません。ホワイトバンドは人気のあまり品切れ状態が続いて、ネットオークションで10倍もの値段で売れているとか・・・最近の日本人って、流行にあっという間に飛び付いて、あっという間に忘れ去るのが得意なので、いったいいつまでこのキャンペーンが持つのだろうか?という一抹の不安を感じてしまいます。・・・が、何はともあれ、多くの人が世界の貧困の問題に関心を持つということは悪くない事だと思います。「ほっとけない世界のまずしさキャンペーン」に関心のある方は、トップページに紹介している画像をクリックすると、キャンペーンサイトに飛びますので、詳しい情報はそこで仕入れてください。先日、ラジオを聴いていたら、このキャンペーンについて紹介していました。キャンペーンを運営している人がいろいろな話をしていました。その中で印象に残った話は、こんなふうな内容でした。「発展途上国の貧しさを救うのはお金ではなく、多くの人々の関心です。お金はいくらあっても足りません。例えば、世界有数の金持ちのビル・ゲイツが全財産を寄付したとしても、貧しい人々を4年間しか救えません。それだけ凄まじい貧しさなのです。ですから、お金ではなく一人でも多くの人が貧困について関心を持ち、その力で世界を変えていくことが大切なのです」それともう一つ印象深かったのがホワイトバンドの由来です。もともとは、貧しさのために多くの人々の命が奪われていることを訴えるために手に包帯を巻いて運動をしたことが発端で、包帯の白をモチーフとしたホワイトバンドが生まれたそうです。だから、ホワイトバンドというのはとても痛々しいものなんですね。その痛々しい包帯の白を腕に付けることで、自分も3秒に1人というスピードで失われていく小さな命をいたむ心を常に持ち続けるという意味があるのだと思います。そして、そういう生き方をカッコ良いことにしていこう。だから皆でホワイトバンド付けよう!という主旨なのだろうと、私は思います。命をいたむことは、とても重いことだけれど、それを避けるのではなく身に付けた方がカッコ良いことなんだよ、という考え方が、とても若々しい素敵な発想だと思います。こういう発想の転換が、世界を変えていく力になるのではないかと思います。同じように、「戦争より平和の方が素敵だよ」とか、「宗教や民族の違いで争うよりも、皆で分かり合おうと努力する事の方が楽しいよ」とか、世界の大多数の人がそう考えるようになれば世界は変わると思うんですけどね。貧困について考えて見ます。難しい論理は分かりませんが、貧困は構造としてあるもので、これを変えなければ改善はできないと思います。なぜ、貧困という構造がつくられてしまったのか・・・。貧困は、強いものが弱いものを支配するための道具だったと思うんです。智恵の回る北側の人々が、資源の豊かな土地を持つ南国の素朴な人々を支配して、資源を奪うためにさまざまな攻撃を仕掛け、策略を用いて、今の貧困の構造を築いてきたのだと思います。その最も分かりやすいのが、昔の植民地政策だったと思います。今でこそヒューマニズムを叫んでいる欧米諸国ですが、植民地政策による搾取でアジア・アフリカ諸国を苦しめてきたのは彼らです。貧困はその搾取の産物です。貧しい発展途上国は、先進国からの多額な借金のために貧困にあえぎ、人々は食べるものもなく、病気になっても満足な医療も受けられないままに命を奪われていくのです。先進国からの借金っていったい何のなの???という疑問がわきます。無意味な開発や、信じられないほど高い物を買わされたりとか、まるで悪質リフォーム会社やインチキ健康食品みたいなことを、先進国は貧しい国々に対してやってきたのではないだろうか?とさえ考えてしまいます。発展途上国の資源や労働力を不当に安く買い叩く先進国のやり方を変えていかなければ、貧困は改善されません。貧困撲滅のためには、そのような不当な取引を監視し抗議の声を上げたり、またフェアトレード貿易による商品を購入することで発展途上国を支援していくなど、身近なところからできることをやっていくことが大切だと思います。私も小さなことかもしれませんが、バナナはいつもフェアトレード貿易によるバランゴンバナナを買うようにしています。フェアトレードなので、値段は普通のバナナの2倍も3倍もします。しかし、この値段は高いでしょうか?それとも正当な価格でしょうか?それは、バナナの価格に隠された真実を見れば、どちらが正しいか分かります。多国籍企業によるバナナ農園では、現地住民は生活できるギリギリの低賃金で、長時間働かされています。まるで奴隷労働のようだそうです。でも、彼らにはそれしか仕事がないので、どんなに安くてもそこで働かなければ食べてはいけないのです。もし、バナナ農園がもう少しまともな賃金を労働者に払ったらどうでしょう。きっと私たちの食べるバナナの値段は2倍になってしまうかもしれません。でも、150円のバナナが300円になったとしても、何万人という人々が貧しさから救われるとしたら、その150円の価格差は受け入れがたいものではないと思います。私達にとっては150円はほんのわずかな金額です。でも、そのわずかな金額が貧困解消に役立てるとしたら、私たちは喜んで150円を出すでしょう。つまり、貧困に眼を向けるということはそういうことです。何千万円の寄付よりも、300円のホワイトバンドのほうが、貧困撲滅の力になるのだという論理の意味がそこにあるのだと思います。私たちの着ている洋服が安いのは、安い賃金で働く労働者がいるからです。輸入食品が国産品よりも安いのは、安い賃金しかもらえない労働者の貧困の上に成り立っている価格なのです。今、日本は不況の波にさらされて、多くの人々は少しでも安いものを買おうと、眼を血走らせています。もちろん私達も、給料カットされたり、リストラされたりして苦しいという事はあります。でも、何だかんだ言っても、日本は豊かです。日本人がいくら苦しいといっても餓死する人はほとんどいないし、病気の時に医者にもかかれないという人もほとんどいません。でも、貧しいアジア・アフリカの人々は、日本では病気のうちに入らないような軽い病気、例えば下痢で子どもが毎日大勢死んでいきます。そしてたくさんの人が餓死しています。発展途上国の生産物を正当な価格で取引する事で、その国がきちんとした収入を得られて、国民が貧しさから脱出できるような形を何とかつくれないかなと思います。そのためには、消費者である私たち一人ひとりの価値観が変わらなければならないと思います。うまくまとまりませんでしたが、私の貧困撲滅に対する考え方は、つまり、可哀相だから寄付しましょう、ではなく、対等に付き合っていきましょう、ということなんです。
2005.08.03
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