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昨日夕暮れにチビのグレムリンの形をした怪しい雲が並んでいました。もしかして雨で中止になってしまうのではないか・・そう心配していました。小学生たちの夏休みが終わります。今年は土日が1日2日で彼らはちょっと得した夏休みです。けれどもラジオ体操は本日31日で終了です。終了しました。お話会も今朝でおしまいでした。今日は七夕さまのお話をしました。龍神さまのお話です。そのせいかどうかお話が終わったころから空は真っ黒な雲に覆われて家に帰り着いてまもなく激しい雨が降り出しました。小学生たちとじゃあまたねと別れました。その「また」はいつになるのか・・・・それはわかりません。
2007年08月31日
同じ枝に鳴きつつをりしほととぎす声は変わらぬものと知らなむ帥宮の返歌です。実はこの時彼は家の前で小舎人童を待っていたのでした。すぐに返歌を書きましたが小舎人童に釘をさすのを忘れません。男性が女性の元にやってきてこんな歌を返したなんていかにも・・という好色な男だという感じだからこのことを他の誰にも言うんじゃないぞ・・・・と言いつけています。そしてさっと奥に入ってしまわれました。帥宮は漢学に造詣が深い人でした。同じ枝(枝)・・漢詩の常識では兄弟のことを意味します。私は亡き兄宮といつも一緒に行動してしていました。幼い頃より仲良く育ってきたのです。もちろん兄と私は個性も違うし好みも人間性も違います。けれども声は兄と私はそっくりです。どうか私のことも兄と同様と思ってください。私のことも兄宮同様思ってください。少しは私に愛をください。歌を受け取った和泉式部は「すてき」と感じたのですが。「いつもいつもそうは・・ねえ」と考えてしまいました。簡単な女だと思われてもねえ・・・・とも考えたのでしょうかすぐにこの場で返事を書こうとはしませんでした。返しの歌は書きませんでした。彼女は無節操な女性ではありません。彼女は愛情深い女性でした。親・兄弟・子・友人たちへの愛の歌はたくさん残されています。そして彼女の好みに合わない男性に対しては大変手厳しいものがあります。非常識な申し出でにはしっかりとはっきりと断りを口にしています。彼女は言い寄られて情にほだされるタイプではありません。イヤナものはイヤだったのです。嫌いなモノは嫌いだと口にする人でした。行動で示す人でした。もちろん私が見てきたわけではありませんが・・お友達だったわけでもありませんけれども・・・・好みの男性に対する行動は当時の常識からははずれていたように思います。本当に情熱的で一生懸命でした・・・彼女はそれを隠そうとはしませんでした。彼女は自分の想いを隠そうとはしなかったのです。帥宮そちのみや敦道親王は弾正宮の弟です。冷泉院の皇子です。太宰帥宮だったところから帥宮と呼ばれていました。このとき彼にはすでに数人の妻がいましたがすぐに和泉式部に夢中になってしまいます。
2007年08月29日
「これ持て参りて、いかが見給ふとてらせよ」とて橘を取り井でたれば、「昔の人の」と言はれて。「参りなむ」とて、・・・・・薫る香によそふるよりはほととぎす聞かばや同じ声やしたるとさしいでたり。花や草そして木の一枝をふっと女性に贈って女性の才気や教養・機知のある対応を楽しむのはこの頃の貴族の男性が好んだやりかたです。女性も男性も教養を身につけていなければなりませんがそれをひけらかすことは決して品のいいことではありません。古い歌を口にするにしても一首全部を言ってしまうことはしません。その一部をちょっと口にして余情を残すのがこの時代の教養ある人のたしなみです。和泉式部が口にした「昔の人の」は古歌の引用です。橘の花から古今集の歌をイメージしていたのです。彼も彼女も・・です。五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞするさつきまつ はなたちばなのかをかげば むかしのひとのそでのかぞするそしてそれを踏まえて和泉式部は歌います。薫る香によそふるよりはほととぎす聞かばや同じ声やしたると橘の香りは懐かしい愛おしいあの方の香りです。それをよくご存じのあなた・・それは当然のことですよね。ご兄弟でいらっしゃるのですから。私にお兄様の香りを思い出させてくださったあなた・・私は橘をくださったあなたのことをちょっと思います。橘に飛んでくるホトトギスがみな同じ声で鳴くようにあなたの声もお兄様と同じやさしい声でいらっしゃるのでしょうか。お兄様とそっくりかどうか一度お声をお聞きしたいものです。この弟宮こそ和泉式部の生涯を通しての最大の恋人だった敦道親王です。帥宮そちのみや・・です。
2007年08月28日
夢よりもはかなき世の中を歎きわびつつ明かし暮らすほどにはかなくて四月十余日になりぬれば木の下くらがりもてゆく。・・・・・あはれにながむるほどに近き透垣のもとに人けはひのすれば「誰にか」と思ふほどにさしいでたるを見れば故宮に候ひし小舎人童(ことねりわらは)なりけり。もの思いに沈んでいる和泉式部の庭にカサカサカサカサと誰かが入っていました。人を通しもしないでいったい誰だろうと思っていると姿を現したのは懐かしい小舎人童です。亡き宮さまに仕えていた少年です。あなた・・どうしてこんなに長いこと姿をみせてくれなかったの?亡き宮さまのことを考えながらあなたはどうしてるんだろうと思っていたのよ・・・この頃の女性は童といえども男性と直接口をきくことはありません。間に侍女をたてての会話です。この少年亡き弾正宮に仕えていた童です。そして今は弾正宮の弟宮のトコロに上がっていたのです。それはとってもいいことね。でも弟宮さまはとっても品のいい近づきがたい方だそうね。お仕えするのも亡くなられた宮さまのようにはいかないでしょう。小舎人童は弟宮の使いで彼女を訪れていたのです。これ持て参りて、いかが見給ふとて奉らせよとて橘を取り出でたれば・・・・・この橘の花を持って伺って「どうご覧になりますか」と伝えて来い・・彼の最初の挨拶です。弟宮は橘の花を挨拶によこしました。男女が簡単に言葉を交わせた時代ではありません。いつでも間に人が入ってとりつぎます。女性はたいてい御簾の中にすわっています。姿をさらすことはありません。和泉式部日記は橘の花からはじまります。和泉式部が御簾の中から侍女に渡したお返しの歌です。橘の花へのお返しです。薫る香によそふるよりはほととぎす聞かばや同じ声やしたると
2007年08月27日
弾正宮は架空の人物ではありません。そこが光源氏と異なるところです。実在した冷泉天皇の皇子為尊親王です。彼は幼少の頃よりかがやくほどに美しかった・・・そんな記事が歴史書「大鏡」にあります。プレイボーイ弾正宮とは蛍狩りの帰り道で立ち寄って笹の枝に蛍をつけて女性に贈る・・・そんなことを平然とやってのけた人物です。悲しみの和泉式部はしだいに心動かされ彼の好みの蘇芳の小袿をつけます。彼の好みの真名磐を焚くようになりました。ふたりのつきあいが噂になり広がっていったことは弾正宮の奥さんを悲しませました。そして彼女は出家してしまったのでした。プレイボーイの皇子を夫に持った彼女が少々の女遊びに動揺などするはずもありません。彼女が出家するほど思いつめたのは彼の心が式部に燃え上がっていたためなのです。そして和泉式部日記が書かれるためにはその弾正宮が死ななくてはならなかったのです。流行病でのあっけない最後でした。わずか26歳でした。
2007年08月26日
夢よりもはかなき世の中を歎きわびつつ明かし暮らすほどにはかなくて四月十余日になりぬれば木の下くらがりもてゆく。あの方が亡くなられてからというものなんともはかないあの方との間柄を嘆き悲しみ物思いに沈みながら毎日をただ過ごしているうちにあっというまに月日は流れて四月も十日を過ぎてしまいました。庭の木々の下もだんだんに暗さを増していくようです。和泉式部日記の冒頭です。式部の夫道貞は順調に出世街道を進んでいきます。しかし彼の役職上彼自身は遠国へ出向くことが多くなってきました。夫婦の間はだんだん疎遠になりいつのまにか別居同然の日々が訪れました。そしてその頃式部が仕えていた昌子内親王が亡くなりました。彼女の心が乱れ悲しみの中に沈んでいるころに新しい男性が彼女に近づいてきました。美形のプレイボーイ為尊親王です。この男性が弾正宮です。和泉式部日記の物語はこの恋人弾正宮が亡くなり失意に沈む和泉式部のその悲しみの中にはじまります。
2007年08月24日
大江山いく野の道の遠ければまだ文も見ず天のはし立和泉式部日記は読み物です。歌物語です。けれどもこの歌物語は実話に基づいて書かれたものです。彼女自身の物語です。ひとつの恋の始まりから終わりまでを日記風に書き上げたものです。和泉式部日記が和泉式部の人生においてどんなものだったのかを理解しようとすると彼女の物語を追いかけてみたくなります。少女時代の彼女は父親とともに宮中にあり冷泉皇后の昌子(しょうし)内親王の女房をつとめていました。彼女はそのころ橘道貞と知り合いました。そして結婚しました。彼がのちに和泉守になったために彼女は和泉式部と呼ばれるようになりました。二人の間にはまもなく娘が生まれます。小式部内侍・・です。大江山・・は彼女小式部内侍の歌です。
2007年08月23日
世間は彼女の美しさや和歌の才能を否定してはいません。けれども和泉式部の悪口はあっちこっちに載っています。あの冷静な紫式部でさえ彼女の才能をかっていながら彼女の人間性に関しては首をかしげているのです。世間は彼女を「ふしだら」だと責めます。世間は勝手なことを語ります。噂が一人歩きしていきます。彼女の父親は大江雅致です。冷泉天皇の皇后の内親王に仕えた人物で彼女もまた父親にくっついて宮仕えをしたキャリアウーマンです。彼女は昌子内親王の女房として宮中入りをしたのでした。言い寄る男性も多かったということです。きっと大変な美人だったのです。桜田門外の変の後始末も終えてはいないのですけれども私の大好きな方がちょこっと興味を示してくださったものですから和泉式部を語ろうとしています。語るほどの知識も資格もないのですが・・・・どうせ節操のないひとりごとです。お許しください。
2007年08月21日
大江山 いく野の道の遠ければ まだ文も見ず天のはし立ずいぶん遠い昔舞鶴へ向かう車が大江山の近くを通りました。大きな鬼の看板があったような気がします。あれは夏休みの一日でセミの声があたりに満ちていたように思います。小式部内侍は和泉式部の娘です。和泉式部は魅力的な人物です。和泉式部日記は過激な物語です。
2007年08月20日
秋ですよ。秋ですよ。・・・と声を出して歩いてもまるでオオカミ少年のようです。でもちゃんと秋はやってきているのです。遠慮がちにではありますが。風の中に確かに秋は来ています。美術館の前庭の西郷さんちょっと人気者になっていました。
2007年08月18日
木曽路はすべて山の中であるこの書き出しに惚れてしまいました。夜明け前が一番好きです。藤村の作品の中で一番好きです。大きく流れる歴史の中に青山半蔵の叫びが消えてしまいそうになります。けれどもそのかき消された叫び声は私たちの耳に届きます。司馬遼太郎も海音寺潮五郎も嫌いではありませんが彼の物語は英雄たちの物語です。島崎藤村の夜明け前は彼の父親の物語です。藤村の歴史解釈の方に私は惹かれてしまいます。暑さに溶けるセミの声のようだからです。
2007年08月17日
15日にはご先祖様を送って行きます。父を送って行きました。祖母を送って行きました。日が落ちて送り火を焚きます。今夜は星が見えていました。煙に乗って空に帰って行くのです。鹿児島の風習なのかは分かりません。奄美大島の正式な風習なのかも分かりません。我が家は私は母が望む形にしてあげたいと思っています。寂しがり屋の父でした。ですから早めに迎えに行かなければなりません。ワガママな父でした。ですからできるだけ遅くになって送って行きます。お盆の間は今時めずらしい精進料理です。肉や魚は食べません。私は母が望む形にしてあげたいと思っています。母がいなくては何にもできない父でしたから。
2007年08月15日
今夜もまた激しい雨が屋根を叩いています。よこなぐりに窓を叩きます。一昨日からの激しい雨はお盆の初日も断続的に続きました。夏の終わりを告げるような激しい雨です。我が家は静かなお盆です。穏やかなお盆です。
2007年08月13日
ふったりやんだりやんだりふったりです。今日はネコたちの姿も見かけませんでした。長靴をはいた猫・・・どう考えても変なネコです。彼は最初から長靴を履いていました。澁澤龍彦・・・彼はきっと童話作家になりたかったのだと思います。
2007年08月12日
風がびゅんびゅん吹いています。気温が少し下がっているように思います。空には月が見えません。アンデルセンは靴屋さんの息子でした。アンデルセンは学校なんかろくに行かない落ちこぼれでした。アンデルセンは挫折しない王様でした。日本ならたとえば石川啄木ならとっくの昔に挫折です。だからアンデルセンの物語は世の中の忘れ去られたものたちが主人公です。弱い者たちが主役です。けれども私は思っています。アンデルセンは弱者の顔をしたうつむきがちな強者です。
2007年08月11日
高校野球は好きです。彼らの一生懸命さが好きです。勝っても負けても必死です。応援団の女の子たちの一生懸命さに感動します。詳しいことは分かりませんが大阪にものすごい選手がいてその高校を負かして代表になった高校があるそう聞かされていました。鹿児島の神村学園は初戦でその大阪と対戦なのだと心の中ではですから・・・みんな心配していたはずなのです。ですから鹿児島ではもう優勝するのではないかと大騒ぎです。たいしたものだと・・・みんなが大騒ぎです。岡田アナウンサーもうれしそうでした。
2007年08月10日
ほんの少し夜風が涼しい夜です。部屋の窓から遠い花火が見えました。遠い遠い花火です。あんまり遠いモノですから小さな小さな花火です。あんまり遠いモノですからど~んの音も聞こえません。
2007年08月09日
甲突川ぞいの道に橋の日の幟が残っていました。8月4日・・・橋の日だったことを知りませんでした。向こうに見えるのは西田橋です。新しい西田橋です。あの橋を歩いて渡ったことはありません。昔の石の橋はなんども歩いて渡りました。とっても好きな橋でした。西田橋は西郷さんも大久保利通も小松帯刀も坂本龍馬もみんなが渡った橋なんです。野間口君も山田君も鮫島さんも歩きました。
2007年08月08日
ある暑い夏の午後のできごとです。ネバーエンディングストーリーのファルコンと大きなお化けキツネが桜島に向かって飛んで来ました。夏休み七夕の日・・火曜日のできごとです。
2007年08月07日

この道はこのネコたちの縄張りです。 この道は通学路で普段なら高校生たちがあふれています。でも今朝はこのネコたちの独壇場です。車を留めてお願いしてやっと道を譲ってもらいました。
2007年08月06日
ゴロゴロゴロンのカミナリの一日でした。青い空と灰色の雲のせめぎ合い立派な入道雲が立ち上がっていました。凄腕のカメラマンが気の利くアシスタントの協力で100歳を越えるオウムのポリネシアの助言をもらったとしてもこんなに都合よく入道雲は起き上がってくれません。トンボは立ち止まってはくれません。ただの偶然のたまものです。ちょっとすごいと思ってしまいました。
2007年08月05日
部屋の窓から入道雲が見えました。まだ少し元気のない入道雲です。もっとからっと晴れなくてはもっとガンガン照りつけなくては本物の夏とは言えません。本物の夏はもっと根性入ってます。セミも・・・なんだかなあ・・・と鳴いています。根性根性ド根性です。
2007年08月04日
ドリトル先生のシリーズは12冊あります。日本では全部読むことができます。井伏鱒二の名訳です。ドリトル先生の12冊はイギリスでも全巻出版されています。ロフティングはアイルランド系のイギリス人であることは関係ないと思います。ロフティングはアメリカに渡って結婚しています。そしてそのこととは関係なくドリトル先生シリーズの12冊のうちアメリカで読めるのは2冊だけです。難しいことはわかりません。政治のこともわかりません。ロフティングが愛する自分の子どものために書かれたこのシリーズは微妙な差別問題を含んでいるという理由でアメリカでは出版されることはなかったのです。もちろん私に難しいことはわかりません。けれども私はチビ○○サ○○の絵本も大好きだったのです。政治とは難しいものです。自由とは難しいものです。言論の自由とは微妙なものです。吉本隆明は言いました。この国に言論の自由があったことなどない・・・と。もちろん私にその本当の意味はわかっていません。
2007年08月03日
チューインガム ももいろのぼうつきキャンディー 2ダースわゴム 1ハコくろいゴム長ぐつじしゃく歯ブラシととチューブ入りはみがきこむしめがね 6つブラシ先のとがったよく切れるジャックナイフくしとヘアブラシちがう色のリボン 7本エルマーが持ってでかけたものです。リュックにつめて持っていったものです。少年がねこの話を聞いて冒険に出かけたときのたいせつな持ち物でした。エルマーのぼうけん・・・小さい頃から大好きでした。夏は冒険に限ります。
2007年08月02日
桜田門外の変はすぐに江戸中に伝わりました。有村兄弟の言上書から雄助の上京がわかりました。薩摩藩江戸藩邸は緊急会議を開いて雄助が幕吏に捕らわれるとまずい・・そう結論しました。雄助を薩摩藩の手で捕らえて国元に送り届けるために坂口周右衛門が派遣されました。足軽六人をつけて追跡です。坂口周右衛門は西郷と月照が大崎ガ鼻で心中をはかったときに舟板をはいで海中に投げ込んだ人物です。帆綱を切って速度を落とした人物です。老練な下士です。下士にこのような人物がいた薩摩藩の人材の層の厚さを証明するような人です。そう思います。日記を詳細につけています。歴史の教科書には載らない様々なできごとがあります。もちろん本当に事実なのかは分かりません。日記にも・・日記だからこそ私情がいっぱいです。小松も大久保もそしてこの坂口も日記をつけています。私情だからこそ信用していい部分もあるのではないかと思っています。日記は公開するものではなかったからです。
2007年08月01日
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