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いと明かし。古めかしう奥まりたる身なれば、かかる所などには居ならはぬを。いとはしたなきここちするに、そのおはする所に据ゑ給へ。よもさきざき見給ふらむ人のやうにはあらじ。と宣へば、あやし。今宵のみこそきこえさすと思ひ侍れ。さきざきはいつかは。と、はかなきこときこゆるほどに、夜もやうやうふけぬ。変ですわね。私は今夜はじめて、あなたとお話させていただいていると思っておりましたのに。いったい以前っていつお話しましたっけぇ?などととりとめもない話を交わしているうちに、夜もだんだんとふけてきてしまいました。さきざきは・・・にはふたつの意味があります。ア)今までイ)これから先・・のふたつです。ここではもちろん「以前の、今までの」の意味で使われています。帥宮は和泉式部の以前の恋人(兄宮や他の男性)や今いるかも知れない恋人のことを私は知ってるんだよ・・と言っているのです。ほのめかしているのです。彼女の思いが自分に向いていないことを恨んでますよとからんでいるわけです。私はそんな他の男性とは違うんです。どうか御簾の中へ入れてくださいなとも言っています。現在ではこんな場面で他の男性のことをほのめかすのはタブーですが。タブーなのかも知れませんが。ぶしつけで不穏当な発言に聞こえますが。この時代には自分の想いをこんな形で言うことがよくあります。和泉式部はその真意をちゃんとわかっていながらはぐらかします。彼の言葉をわざと「帥宮と和泉式部が以前に会っていて・・その時とはちがうねえ」そのように彼が言ったのだと解釈します。だから変ですね。あなたとお話したのは今日がはじめてなのに・・・・なのです。そんな会話をしているうちに夜もふけてきてしまいました。
2007年10月30日
いと明かし。古めかしう奥まりたる身なれば、かかる所などには居ならはぬを。いとはしたなきここちするに、そのおはする所に据ゑ給へ。よもさきざき見給ふらむ人のやうにはあらじ。と宣へば、あやし。今宵のみこそきこえさすと思ひ侍れ。さきざきはいつかは。と、はかなきこときこゆるほどに、夜もやうやうふけぬ。話は前日に戻ります。あの普通よりはずいぶん早い時間に、しかもわざわざ粗末な車に乗って人目につかないように和泉式部のもとを訪ねた帥宮です。つま戸の所に円座を用意してもらって御簾を間にはさんで二人が対面している場面でした。そうです。空にはもう月がのぼっていました。ずいぶん明るいですね。私はずいぶん古風に育てられましたから。私は引っ込み思案なものですから。こんな場所にこんな風に座るのに慣れてはいないんですよ。どうもさっきから落ち着きません。きまりが悪いような気分なんです。そのあなたがいらっしゃるところに座らせてくださいよ。いえいえいえ・・まさかこれまであなたが、もしかしたら今現在もあなたが逢っておられる人たちのようなことはありませんせんからどうか安心して中へ入れてくださいな。何にもしやしませんからやっとつま戸のところに座らせてもらったとはいえ帥宮はもう和泉式部の顔が見たくてしかたありません。彼女の所へ入れて欲しくてしかたないのです。ルールはちゃんと存在します。押し入ってしまうわけには行きません。男性はいつでも必死です。たとえ帝の皇子であろうとルール違反は許されません。それが恋のかけひきです。二人の会話もかけひきです。あぶないあぶない・・・♪男はオオカミなのよ~和泉式部は答えました。
2007年10月29日

中村晋也さんに文化勲章・・・そんなニュースが新聞に載ったのは昨日のことです。JR伊集院駅前の島津義弘の像も中村晋也の作品です。お会いしたことがある訳ではありませんがなんだかちょっとうれしいです。
2007年10月28日
足がパンパンです。そこまでひどくはないのでパン・・くらいのものですが。振り返ったら桜島が見えていました。
2007年10月27日
やっとほのかに香りをたてはじめました。ほんの少しいつもよりも遅いような気がします。金木犀の香りは好きです。
2007年10月26日
和泉式部日記・・・実は10行ほどパスしました。宮と式部の初めての逢瀬のシーンをとばしました。大変控えめな表現の部分なのですが少しもいやらしくはないのですがただ宮は御簾を上げてそっと奥にすべるように入ってきてしまわれた。やおらすべり入り給ひぬ。それだけなのですが・・・・それ以上は何も書いてはありませんが・・・・先日からの歌の部分とこのカットした部分のこと合わせて改めて後日お話させていただきます。明後日の妙円寺詣りに備えて早寝早起きをしなければなりません。なのにもうすぐ午前二時半・・・草木も眠る時刻です。ちっとも早くありません。あと10分ほどで私は自動的に眠りにつきます・・・・・
2007年10月25日
恋と言へば世の常のとや思ふらむ今朝の心はたぐひだになし御返り、世の常のことともさらに思ほえずはじめてものを思う身なればときこえても、「なほあやしかりける身かな。こはいかなりける事ぞ」とあはれに、「故宮のさばかり宣ひしものを」と悲しう思ひ乱るるほどに、例の童、来たり。帥宮の後朝の文の中の歌です。和泉式部への思いです。ただ「恋」と一言です。そのように表現するとまるでそのあたりにたくさんある世間一般の恋情とお思いになるかもしれません。あなたもそう思っておられるのかも知れません。けれども今朝の私のこの思いは比べようもないものなのです。ただただ「恋」というひとことでしか言い表せません。けれどもこの思いとても熱くて深いあなたへの思いだと分かってください。その歌へのお返しの歌です。とてもとても世間一般の普通の思いだなんて思いません。思えません。私は今はじめて自分の人生で恋ゆえのもの思いを味わっているのです。恋を思っているのです。私はとても複雑なのです。恋しい。それだけではないのです。あなたを思うゆえにさらに複雑な思いにとらわれてしまっているのです。女心は複雑です。亡くなった兄宮との恋を彼も彼女も承知しています。純粋に「恋しい」と燃える思いを否定しているわけではありません。弟宮ゆえの複雑さがここに読み込まれてきています。礼儀作法が大変複雑であった当時礼儀や作法しかなかったと言ってもよかったくらいの時代に身分を越えてしかも兄弟ふたり・・・話は少々複雑です。でも恋愛は始まってしまったのです。それは帥宮に押し切られてしまった形ではじまりました。
2007年10月24日
ジメサアのお色直しが終わっていました。急ぐなよ まだ急ぐなよ 我が心定まる風の吹かぬ限りは島津義弘が関ヶ原の戦いの時に詠んだ歌です。たいして上手いとも思えませんが彼が闘いたくなかった迷っていた気持ちはよく表れています。西につくか東につくか島津はその直前まで迷いに迷っていたのです。手勢は1000人しかなかったのです。負け戦・・・家康の真ん前を通過しての適中突破の帰り道彼は大坂に寄ってジメサアをちゃんと連れて帰ってきたのです。今週末が今年の妙円寺詣りです。
2007年10月23日
ケルトの物語では妖精がやってきて眠りの粉をまいていきます。中国の物語では空想の生物獏がやってきて悪い夢を食べてくれます。夢を見ることがほとんどありません。きっと獏が食べてくれているのです。眠りの妖精をみかけたことはありませんがもう目がくっつきそうそうです。
2007年10月22日
いとわりなきここちすれど、いふかひなき。ことどもを言ひちぎりて、明けぬれば、帰り給ひぬ。すなはち、「今のほどはいかが。あやしくこそ」とて恋と言へば世の常のとや思ふらむ今朝の心はたぐひだになしなんだかもう何がなんだか分からなくなってしまって途方にくれて・・でもどうすることもできない。あの方は激しい愛の言葉をいくつもいくつも口になさって約束もなさって夜があけてしまったのでお帰りになってしまった。と。すぐにお手紙が届けられました。さきほどお別れしてからまだほんのわずかな時間しかたってはいませんけれども。今何をなさっているんでしょう。何を考えておられるのでしょう。私は自分で自分の気持ちを不思議に感じてしまうほどあなたのことが恋しくて恋しくてたまりません。すぐに歌を送ります。和泉式部日記です。とうとう帥宮と一夜を過ごしてしまいました。この時代の恋のかたらいは難しいものです。世間に忍ぶ仲であるとき、特に身分違いの男女の仲では。男性は人目につかないように夜更けてから訪問します。それだけではなく帰るときも夜明け前には席をたちます。女性のもとから帰った男性はすぐに手紙を送らなければなりません。いわゆる後朝の文(あとぎぬのふみ)です。ことにこの場面のような新枕(にいまくら)の後朝の文は女性にとって重要です。今後の自分の運命・・男性との恋の生活のすべてを暗示するものになるからです。ちょっと力んで後朝の文のことを書いてしまいました。力まなくてもいいものを・・・歌の応酬と解釈まで行き着かぬうちにおねむの時間になりました。上弦の月が沈もうとしています。
2007年10月21日
隆信は情報通でもあります。彼女と資盛のことだってちゃんと知っているのです。彼女が彼のことを想っていることを知っていてきっとだからこそこんな歌を送ってきます。浦やまし いかなる風の なさけにてたく藻のけぶり うち靡きけむうらやましいなああなたほどの美しい人が、いったいどこのどんな人の情けにひかれてこころなびかせておられるのでしょうこれまた古歌を引用しているのです。浜の海女の藻を焼く煙の人を愛した女性のそんな切なさを歌い込んだ歌をもってきて彼はおしゃれにけれどもしつこく攻めてきます。浦は海辺の浦なのですけれども、これはもう直接うらやましいなあと歌っているのです。私も貴女に愛して欲しいなあ・・・と歌っているのです。自分が他の女性のことを言われたものですから資盛のことを持ち出してきて当てこすりをしているのです。彼女としてはピシャリと返しておかなければなりません。消えぬべき けぶりの末は 浦風に靡きもせずて ただよふものを藻を焼いて空にのぼっていく煙は空にのぼっていくにつれてだんだんと自然に消えてしまっていくのです。煙は浦風になびくこともなく消え入りそうにただ空を漂っているのです。私の心はまるでそんな消え入るような煙のようです。誰にもなびくこともなくただただ心細い思いでいるのです。ためらっているのです。ちょこっとウソもありますがこんなのはかわいいウソです。方便です。私の心には誰もいませんよ。あなたになびくこともありませんけれどもね。女性はいつも本当のことを言う必要なんてありません。私には好きな人がいますから・・・なんて下品なことは口にできません。ただただ・・・さあどうでしょうかねえ・・・そう答えているだけなのです。この頃資盛はつり上げた魚にエサをやらない・・・そんな調子で彼女のもとに手紙のひとつも届けてはきません。ちょっと冷たい態度です。平家全盛期・・・彼もまた平家の人間でちょっと調子に乗っていたのです。それに比べるとさすがは名の売れた遊び人・・・隆信はとってもマメな男性です。彼のことを褒めているわけではありませんけれども・・・。
2007年10月20日
優しい雨が降っていました。冷たい雨が降っていました。春には満開の花を見せてくれた図書館の桜の木もわずかな葉っぱを残すのみです。冷たい雨があがったら一気に寒気がやってきて明日の朝には一番の冷え込みになるのだとか・・・
2007年10月19日
事件の第一報をもたらしたのは馬丁の芳松でした。全速力で宮内省に走り込んで門衛に事件のことを告げその足で近くの警視第三方面二分署にころげこみました。居あわせた警部巡査はおっとり刀で現場に急行しました。西郷従道(じゅうどう西郷隆盛の弟)はすでに参朝して宮内省にいました。彼は顔色を変えて馬車に飛び乗りました。大久保利通が暗殺されたときの話です。今日西郷さんの銅像のところでヘンなヤツに会いました。大きすぎてちょっと怖いくらいでした。
2007年10月18日
もしほくむ あまの袖にぞ 沖つ波心をよせて くだくとはみし海藻から塩をとるために汲み取っている海女さんたちの袖に沖の方からよせて来てくだける波のようにあなたの思いは例のsの尼さんにむけられていること私はちゃんと知っているんですよ。そんな思い煩いなんて・・私にではありませんよね。わかってるんですから・・・・隆信が最初に詠んだ「浦」とか「藻」そして「靡く」という言葉とそこに織り込まれた古歌のニュアンスをひっぱりながら二人の歌の応酬がはじまりました。この頃・・隆信がひとりの尼さんにいれあげていることは噂になっていました。建礼門院右京大夫はそのこともちゃんと知っていました。そしてかなり年上のこの男性が遊び人であることも知れ渡っていた事実です。そんな男性が「君のことが気になって」「もう君のことしか頭にない」なんて歌ってきても用心しなければなりません。彼女はしっかり書き留めています。よのつねのありさまは、すべてあらじ・・・とりとめもない歌の応酬をしているうちにあの隆信様がまことしやかに言い寄ってこられますけれども世間にありがちな恋愛関係には決してならないでおかなかくては強く心に念じてこれは歌を詠むだけで決して心を許さないようにしなくては・・・と。それでも彼は歌を返します。君にのみ わきて心の よる波はあまの磯屋に 立ちもとまらず何をおっしゃるうさぎさん。私の心の中にはもう君だけしかいないんです。世の中の人たちがどんな噂をしているのかは大体分かりますけれども私の心はあなたにだけ向けられているんですよ。あの尼さんの家は通り過ぎるだけ立ち止まることもありませんよ。うそばっかりホントニ彼はよく言います。藤原隆信・・・・彼は本当の遊び人です。そして絵もとってもうまいのです。赤ずきんちゃん気をつけて・・・・こんなタイトルの古い本がありました。
2007年10月17日
彼の父親は為経・・・出家して寂超と名乗っていました。後葉和歌集の撰者でした。彼の母親は夫為経が出家してから再婚しました。藤原俊成の妻になったのです。そしてたくさんの子どもを生みました。彼女が定家の母親なのです。建礼門院右京大夫にちょっかいを出した男性藤原隆信彼のお話です。彼の両親のお話です。つまり隆信は定家の異父同母の兄弟です。俊成の義理の息子です。歌の才能もありました。藤原隆信朝臣集は彼の歌集です。そして彼の才能はそれだけではありませんでした。この男・・ちょっとした天才です。にくったらしいほどの才能があったのです。とんでもないヤツ・・・・もしかしたら魅力的な男性・・・同義なのかも知れません。少なくとも彼に関しては天から二物も三物も授かったようなのです。
2007年10月16日
思いもかけないところからそれも突然に歌が贈られてきました。色好みのうわさの高い藤原隆信からの文と歌です。思ひわく かたもなぎさに よる波のいとかく袖を ぬらすべしやは干潟をなくして渚に打ち寄せる波が袖をぬらしてしまうように私も分別をなくしてしまいました。あまりに強いあなたへのこの思いをどうしたらいいのでしょう。あなたへの思いで袖をぬらしてしまうべきなのでしょうか。何をおっしゃる・・・ある日突然!!!!すぐに返しの歌を送ります。思ひわかで なにとなぎさの 波ならばぬるらむ袖の ゆゑもあらじを波なんてどこの渚なのか区別なく寄せてきているのです。まるでそんな波のように誰かれの区別なく誰にでも思いをよせるあなたですものその濡れた袖は私への思いなんかじゃありませんよね。建礼門院右京大夫のもう一人の恋の相手の登場です。14.5歳は年上の正真正銘のプレイボーイです。しかも知識人で芸術家。二人の関係はこんな歌のやりとりからはじまりました。右京大夫には愛する人がいます。ですから最初はちっともその気はありません。彼女の知性が歌を返さずにはおかなかっただけなのでした。この男とんでもない男なのです。
2007年10月15日
夜明け前の漆黒の闇・・・そして絶対的な静寂その闇を切り裂き闇と闘う曙の女神・・・彼女の名前はEOS彼女の戦車を運ぶ二頭の空飛ぶ馬はランボスとバエトン・・・・光そして輝かしきものという名前を持つ雄々しき馬彼女のあとに太陽神ヘリオスがやってくるのです。天空の門戸を開け放ち空を翔けるEOSあまりに気高くあまりに凛々しくあまりに強い・・・孤高の女神鹿児島長島美術館の前庭に彼女は立っています。すみれさんの目についたのはおそらくランボスの鼻だと思います。
2007年10月14日
馭者の太郎がひとムチあてて赤坂御門へ曲がろうとしたとたんの出来事です。前方にいきなり四人の男がバラバラと走り出てきたのです。いずれも上着を肩ぬぎにして両方のそでを腹にくくりつけ手に手に長ドスを抜き放っていました。太郎が手綱を引き絞るヒマもありませんでした。四人は左右二人ずつ馬車に駆け寄って同時に馬の足をなで斬りました。飛び降りようとするところを肩先から斬り裂かれてそこで太郎は即死・・間髪を入れず二人が馬車にかけあがります。道ばたで話し込んでいたあの男たちでした。彫刻家中村晋也は大久保利通の像を造るにあたってその裏側の足下のさらに下に小さな像を置きました。人目にはつかない小さな像です。甲突川べりの像ではなかなかはっきり見ることができませんがコレがその馬と馭者の太郎です。中村晋也の作品への思い入れがここにあります。彼の作品への愛がここにあります。私はこの小さな像に気付いたときに彼の魅力のひとつを知ったような気がしました。
2007年10月13日
明治11年1878年5月14日一台の馬車が紀尾井町一番地に差しかかりました。閑静な屋敷町で人通りも少ないところです。この日は朝早くから花曇りの日で往来に人影はありませんでした。右手には北白川の宮の邸宅。左は華族の壬生基修の屋敷です。高い土手には雑草が生い茂り・・土手が切れると一面の桑畑です。道路脇に書生風の男が手に花を持って立っています。肩をたたきながらニコニコ話し合っている様子です。大久保利通の物語です。今日の像はいつもの像とは違います。中村晋也美術館の保管庫に眠っているもうひとつの大久保利通です。たくさんの仲間も一緒です。
2007年10月12日
実はずっと探していたんです。私は名前を知りません。忘れてしまったのです。すみれさんのキツネの木です。たくさんたくさんコギツネが増えますように・・・
2007年10月11日
とどけ僕の想い・・・私はこの像・・かなり好きです。元気のないときでもぐんぐん元気が出てきます。曇り空でも空に向かって手を広げています。やっぱりかなり・・・私は好きです。中村晋也はすごい作家だと思います。
2007年10月09日
そのをり、とありし、かかりし、我がいひしことのあひしらひ、なにかと見ゆるが、かき返すやうにおぼゆれば、ひとつも残さず、みなさようにしたたむるに、「見るも甲斐なし」とかや、源氏の物語にあること思ひ出でらるるも「なにの心ありて」と、つれなくおぼゆ。かなしさの いとどもよほす 水茎の 跡はなかなか 消えねとぞ思ふあの人の古いお手紙を読み返して、その筆跡を見てしまうと、いろんな事が思い出されます。筆跡を見るだけで涙がこぼれてきてしまいます。ああ・・あのときはこんな事があったなあ。こんなこともあったなあ・・私の歌に私の手紙に私の言ったことにあの人はこんな返事をくださったのだなあ・・そんなこと思っているともう胸が締めつけられてしまって、かきむしられてしまって・・いっそ全部ひとつも残さず処分してしまおうかしらと考えてしまいます。そういえば紫式部も書いていたなあ光源氏は紫の上の亡くなったあと・・そう一周忌をすませたあとでいよいよ出家なさろうと決心なさるのだけれども。紫の上の手紙を悲しくて悲しくて涙でよく見ることができなくてもう焼いてしまおうと処分したときに源氏はこんな歌を書きつけたんだったなあ・・かきつめて 見るもかひなし もしほ草 おなじ雲ゐの 煙とをなれそんな歌だった・・・・なんてことを私は考えてしまっているんでしょう。こんなときに源氏物語のことを考えているなんて。まったく自己嫌悪だわ。私ったらうわついてしまっているわ。悲しみのさなかだというのに。本当になさけないことだわ・・・見るたびに悲しさをさそってしまうあの方の筆の跡。いっそもう消えてしまえ・・なんて思ってしまいます。煙にしてしまおうと思ってしまいます。建礼門院右京大夫は自分で自分につっこんでいます。悲しみの中にいてふと頭をよぎった源氏物語のエピソード・・そんなことを考えてしまった自分に自己嫌悪です。自分で自分につっこんで・・・・悲しいのです。彼女の悲しみは本物に違いありません。人は悲しみの中でもいろんなことを考えてしまうものです。だからこそ彼女の歌は悲しみは作り物にはない現実味に満ちています。
2007年10月08日
太陽をにらみつけていると目に光が焼き付いてしまいます。単純な頭には自分の書いた文章の暗さが焼き付いてしまうことがあります。私にはあります。ちっとも落ち込んではいないのに落ち込んでいる雰囲気を文章がひっぱってしまいます。そんなときがあります。涼しい顔してさらさら生活しているくせに変にべたっと粘着質の文章がバトンされて気持ちの悪さが許容量いっぱいになるとがらっと役を変えたくなってしまいます。放り投げてしまいたくなります。台風が大きく右に曲がってコチラに向かって走ってきます。雲が走ってやってきて夕方の太陽を飲み込んでしまいそうです。ゆずの栄光の架橋・・いい曲だなあと昨日から何回も聞いています。
2007年10月07日
簾を上げたれば袖にもふところにも横雪にて入りて袖の上ははらへどもやがてむらむらこほるがおもしろきにも見せばやと思ふ人のなき・・・・あはれなり。なにごとを 祈りかすべき我が袖の 氷はとけむ かたもあらじを外はいっぱいの雪です。山も草原も雪に埋まってしまっています。風に乗って雪は真横からも吹きつけてくるのです。着物の袖にはすぐに雪がはりつきます。首筋にも冷たい雪が吹きつけてふところまで冷たくなってしまいます。袖に積もった雪はさっさ~と払ってしまえるのですがすぐにまたあちこちに雪のつぶが張りついてきて凍りついてしまうのがなんともおもしろいのですけれでも・・・けれどもけれどもあの人に見せてあげたいなあって思うのですけれども涙がこぼれてきてしまいます。あの人はもう亡くなってしまってどこにもいないのです。だってだって今さら神様にいったい何をお願いすればいいというのでしょう。私の袖に雪のように積もって凍りついてしまった悲しみは決して溶けることはない。そう思ってしまいます。私の古典の読み方はきっと間違っていると思います。教室で指名されてしまったらきっと優等生の解釈をします。けれども本当は自分勝手に妄想して自分勝手に解釈してたとえば建礼門院右京大夫を自分の友人のように読み込んでしまいます。建礼門院右京大夫集は詞書きが長いのです。いくらでも妄想をかきたててくれます。今日はとっても気分爽快元気です。とってもいいことがありました。
2007年10月06日
なべて世の はかなきことを かなしとはかかる夢みぬ 人やいひけむ彼女は恋をしました。宮仕えの間に恋をしました。身を焦がす心を焦がす生涯の恋です。熱い恋です。恋人の名は平資盛たいらのすけもりです。源平の合戦が彼女の運命を変えます。資盛が壇ノ浦で死んでしまったのです。この世の中の人々が人が亡くなってしまったことを簡単に「悲しい」と表現できるのはこんな辛さ・・もうこれはきっと夢なのだ・・目が覚めたら全て夢だったのだと全てのことがまた以前のようにうまくいくに違いないあの人が死んでしまうなんてあるはずがない・・夢なんだ夢だとしか思えない・・こんな辛さを味わったことのないそんな人々に違いありません。「悲しい」なんてそんな言葉で済ませてしまうことはとてもできそうにありません。建礼門院右京大夫は恋に生きた女性です。
2007年10月05日
やうやう近づくままに、山道の気色よりまづ涙は先立ちていふかたなきに、御いほりのさま、御すまひ、ことがら、すべて目もあてられず。筧の水のおとづれ、鹿の声、虫の音、いづくものことなれど、ためしなきかなしさなり。今や夢 昔は夢と まよはれて いかに思へど うつつとぞなき建礼門院右京大夫集の美しさは、その歌にだけあるのではありません。通常よりずっと長めの詞書きの文章もまた絶品です。死ぬこともできずに西海から戻った中宮徳子は、もはや中宮ではありません。建礼門院という女院の身です。いてもたってもいられない右京大夫は大原の建礼門院を訪ねました。今このときが夢の中なのでしょうか。それとも昔のあの日々が夢だったのでしょうか。頭の中が混乱して・・どうしようもなく混乱してしてしまってどう考えてもとてもこれが現実のできごとであるとは思えないのです。夢と現実・・あの頃のこと私たちはいったいどこに住んでいるのでしょう。夢と現実はどこで入れ替わってしまっても本当は分からないのかも知れません。夢の中で生きているのか。現実だと思っているこの・・この瞬間はもしかしたら私の夢の中のできごとなのかも知れません。
2007年10月03日
歩車分離式信号車と歩行者の信号が別々に点灯です。同時に青にはなりません。自分の進む方向の信号だけを見上げます。右も左も前にも後ろにも車も人もいないのですけれども・・・じっと信号を待っていました。
2007年10月02日
スピリチュアル・ブーム。超常現象。ヒーリング・・・癒し。自分探し・・・・決まり文句、はやり言葉・・・・ときどき私はイライラします。ヒーラーとかカウンセラーとかいう人たちが疲れた人たちに「癒し」を売っているわかった風なむちゃくちゃなアドバイスとってもとってもイライラします。自分勝手な人生論・自慢話ばかりの成功談・・・ばかみたいに聞こえるのです。具体的な近所のおじいちゃんやがんばっている友人そっちの方がずっとずっと感動的です。私は彼らの生き方そのものが・・きっとずっと大好きです。ヘ理屈を語る人をみかけると悲しくなるか意地悪言ってみたくなるかそれとも「すごいですねえ」・・と言ってみるか私は結構ひねくれものです。私の根っこはひねくれものです。かなりです。こんなこと書いちゃいけないことなのに・・・です。
2007年10月01日
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