2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全27件 (27件中 1-27件目)
1
秋・・中学・・運動会閉会式の終わった後の校庭には秋の風が走っていました。
2007年09月30日
あやしき車にて、「かくなむ」と言はせたれば、女いとびなきここちすれど「「なし」ときこゆべきにあらず。昼も御返りきこえさせつれば、ありながらはさながら帰したてまつらむも情なし。ものばかりきこえさせつれば」と思ひて、西のつま戸に円座さし出でて入れたてまつる。世の人の言へばにやあらむ、まことになべての御さまにはあらずいとなまめかし。これも心づかひせられて、ものなどきこゆるほどに、月さし出でぬ。簾がふたりの間を隔てています。向き合って座っていても帥宮からは彼女の姿は見えません。もちろんその気配や雰囲気は伝わります。声を聞くこともできます。けれども彼はちょっと早く来すぎてしまったのです。太陽の光で簾の中は見えません。和泉式部の方からは彼の姿が見えるのです。亡き兄宮とそっくりの容姿。心乱れて当然です。けれども彼は別の人物でしかも愛した人の弟君です。世の人の言えばにやあらむ噂で話を聞いていたせいなのかしら本当にまあお美しい・・・美しいというよりも何ともはやなまめかしい。なまめかしは洗練された優雅な美しさです。華やかな美しさです。紫式部は明石上や宇治大君それに薫君の美を表現するときに使いました。日記に表現しようとして素直に書くに書けなくて世の中の人から聞いているせいで余計にそうおもえるのでしょうけれど・・と言い表している女心はかわいらしいものです。彼があまりに美しいものだから私でなくても誰でもきっと自然に心配りしてしまうのよね。誰でもみんななんて・・誰でも自然になんて・・ちょっと言い訳しているだけです。彼女はもうドキンドキンしているのです。お話をしているうちに時間はあっと言う間に過ぎてしまって空にはもう月が出てきてしまいました。お月様を使って時間の流れを表現してみました。強引な訳をしてみました。和泉式部日記はまだ始まったところです。ココまで見開き2ページ読んでみました。まだ50行か60行です。うだうだクダクダお許しください。
2007年09月29日
あやしき車にて、「かくなむ」と言はせたれば、女いとびなきここちすれど「「なし」ときこゆべきにあらず。昼も御返りきこえさせつれば、ありながらはさながら帰したてまつらむも情なし。ものばかりきこえさせつれば」と思ひて、西のつま戸に円座さし出でて入れたてまつる。情なし・・・現代語の情とは少し趣が異なると思います。風情とか情趣あるいは風情・情趣を解する繊細であたたかい心・・含みの多い言葉です。宮は情熱の命じるままに女性のところを訪問するには早すぎる時刻にやってきました。その反面で世の中に気がねして車までわざわざ粗末なものに替えて忍んでやってきたのです。心の準備も出来ていない彼女・・・・・情なさけを求める思い。情を守る思いは当時の人々の共通した心情です。それは恋愛感情に限ってのものではありません。男同士の友情に、女同士のおもいやりに、親と子の思いに一人の男性を巡って争う女性と女性の間にさえも要求されていた心情です。もちろん最も強くそして繊細に求められていたのは男女の仲での話です。情なからじと求められ自分も願っていた女心が本当にたくさんの哀歓を紡ぎ出していきました。情という言葉・・・・大変重要なキイワードです。だと思います。心の準備も整っていない和泉式部の心に浮かんだものは便なしという思いでした。この便なしという言葉に熱い男性の若々しい情熱を正面から受け止めた彼女のはじらいととまどいと困惑とかすかな抵抗が読み取れます。そして彼女の心に生まれたものは他でもない歓喜だったのだろうと思います。そして情なしという言葉を持ち出して自分の喜びを正当化しようとします。宮を迎え入れる決心をしました。情なからじという言葉の呪縛に自ら捕らわれることによって帥宮に惹かれる自分の心を世の中に向かって正当化します。恋愛の世界で女性が一歩譲ってしまうときに男性は自信を持ってもう一歩強く踏み込んできます。女性にとっては小さなわずか一歩ですがこの一歩が全ての譲歩に繋がっていきます。その一歩を和泉式部は譲ったのです。帥宮は人目につかないようにとわざわざ少し粗末な車に乗ってやってきました。お供の者がやってきて「またやって来てしまいました・・・・」なんて言うものですからまだまだそんなおつきあいでもないし、心の準備もできていないしどうにもこのままご案内するのも具合悪いような思いはするのですがついさっきお昼にもお返事差し上げたところではあるしこのままお帰ししてしまうのも情緒を解さないふるまいではあるしほんのちょっとだけお話し申し上げようと思って西のつま戸のところに円座を用意させて入っていただきました。
2007年09月28日
あやしき車にて、「かくなむ」と言はせたれば、女いとびなきここちすれど「「なし」ときこゆべきにあらず。昼も御返りきこえさせつれば、ありながらはさながら帰したてまつらむも情なし。ものばかりきこえさせつれば」と思ひて、西のつま戸に円座さし出でて入れたてまつる。女いとびなきここちすれど・・・びなきここちは和泉式部の心の動きをよく表していると思います。びなし・・は「便なし。びんなし」の「ん」が無表記になった言い方で「都合が悪い」ぐらいの意味です。(1)都合が悪い。ぐあい悪い。(2)不都合だ。よろしくない。(3)ぐあいが悪くて困る。 ・・・・辞書にはこんな感じではないでしょうか。古文には時々登場する言葉です。夫のある女性のもとに、あるいは他の恋人の滞在中に男性が訪れる場面で使われるのです。心情的に物理的に・・ちょっとまずい状態です。和泉式部は思っています。帥宮さまは足繁く通ってくださってはいるけれどもそんな直接お話をなさりたい意志を伝えられても困ってしまうワ。まだそんなお話をするような段階のおつきあいでもないのですもの。ぐあい悪くて・・・どうしましょう。この場面では昼間にも一度訪問している帥宮を断っています。それにまだ時刻もそうとう早いのです。心の準備もまだ出来ていないワ「便なし」だワ。と思ったわけです。びなきここち・・その一言でこんなに長くなってしまいました。平安期・・・男女の恋愛には結構時間がかかったのです。
2007年09月27日
あやしき車にて、「かくなむ」と言はせたれば、女いとびなきここちすれど「「なし」ときこゆべきにあらず。昼も御返りきこえさせつれば、ありながらはさながら帰したてまつらむも情なし。ものばかりきこえさせつれば」と思ひて、西のつま戸に円座さし出でて入れたてまつる。帥宮は今度は、わざわざ目立たないように、地味な車に乗って登場です。どうしてもひと目和泉式部に会いたいのです。ついさっき昼間にもお便りを返したばかりです。居留守を使うわけにもいきません。この時代。身分ある男女の会いかたはずいぶん奥ゆかしいものです。遠慮のある場合には男性は庭に立ったり、階段に腰掛けたり、簀子に座ったりします。そして女性と語り合います。女性がかなりの身分の人である場合。あるいは初対面のときには女性は奥に座ったままでおつきの女房が男女の間を往復して話を伝えていたわけです。なんともまどろっこしい会話です。男性があまりに身分のある人の場合はこんな扱いは失礼なので廂の間に御座(おまし)を用意して座ってもらいます。ただし女性はどんなときも母屋にいます。簾に冗帳を添えて外からは姿を見られないようにして話をします。根気よく何度も通ってきた帥宮は今始めて和泉式部の近くまで近付くことができたのです。彼女はまだ御簾の中・・・顔を見ることもできてはいません。
2007年09月26日
夕まぐれそこはかとなき空にただあはれを秋の見せけるものを別にどういうこともない普段と変わらぬ夕暮れ別に特別な意味が込められているとも思えない空けれどもただただ秋はその中にあって私に何かを・・つまりは秋を感じさせてくれているもちろん私の歌ではありません。式子内親王・・・です。何だか感動してしまいそうになるくらいに・・・・秋です。もう秋です。
2007年09月26日
♪ 十五夜おつきさん雲のか~げふたつの歌がごちゃまぜです。十五夜おつきさんゴキゲンさんばあやは、おいとまとりましたと雨降りおつきさん雲の陰お嫁に行くときゃあ誰とゆ~くの合作です。どちらの歌もなんだかちょっと淋しい歌です。明日は十五夜・・・晴れそうです。お団子と里芋とススキと・・・・お供えします。
2007年09月25日
秋分の日眠い眠い日曜日朝から花火があがっていました。おフトンを干しました。お墓参りに行きました。近所の小学校で近所の保育園の運動会をやっていました。昼間太陽をいっぱい吸収したおフトンはその上にころがると太陽の香りがいっぱいです。でももうちょっと早く取り込んだ方がよかったみたいです。
2007年09月24日
明治10年9月24日西郷隆盛は鹿児島城山で亡くなりました。本当に多くの血が流れました。日本国内最後のそして最大の内戦が終結したのはちょうど130年前の出来事です。ボブ・ディランは歌っています。 風に吹かれてです。 The answer, my friend, is blowin' in the wind,The answer is blowin' in the wind.いったいどれくらい歩けばいいのだろう人が人と呼ばれるためにはいったいいくつの海を渡ればいいのだろう白いハトが砂浜で安心して翼を休めるためには人はいったい何発の銃弾を愚かな戦いに使うのだろう人はどれだけの人々を犠牲にすればその争いを永遠に止めることができるのだろうどれだけの人が亡くなったらもう十分だとわかるのだろういったいいつまで見て見ぬふりを続けるのだろう友よ!答えはただ通り過ぎる風の中にある答えは吹き抜ける風の中にある
2007年09月23日
建礼門院右京大夫の母さんは夕霧尼という名前です。箏ことの名手だったといいます。彼女の歌に何とも言えないリズムがあるのはきっと母親の血をひいているためだと思います。生まれついての絶対的な音感右京大夫もまた恋に生きた女性です。歌に生きた女性です。彼女もまた美しい人だった・・・・そうに違いありません。
2007年09月22日
こんな風に海をまるごと抱えて斜めに傾けたら大変です。海の水がどど~んとこぼれて大変です。カメラを斜めにして写真を撮ったら眺めていたらちょっと気持ちが斜めです。なんだかとっても落ち着きません。ちょっとオバカな実験です。要するに暇なのかも知れません。要するに暇なのです。
2007年09月21日
調所広郷はやっぱり酒井敏也に似ています。平日の昼間天保山公園を歩いている人は誰もいませんでした。ほんの少し秋の香りがしていました。海の香りもしていました。おみやげにマツボックリを拾いました。みっつです。
2007年09月20日
信じられないことですが27.3℃でした。鹿児島の昨日の最低気温が・・・です。ほとんど冗談みたいです。まもなくお彼岸だというのにです。桜島はやっぱり男性です。
2007年09月19日
そして雨はあがりました。アゲハが二頭帰りを急いでいました。
2007年09月18日
桜田門外の変の報が奄美大島の西郷吉之助のもとにもとらされたのは4月のことでした。西郷はその手紙を読み終わるやいなや刀を抜いて庭におどりでました。チェストー。チェストー。そう繰り返しながら松の木に切りつけたといいます。島妻の愛加那は夫がどうかしてしまった・・・そう思いました。誰が見ていたのかは分かりませんが・・・・大久保らのはからいで大島の西郷を召還する命がくだったのは文久元年1961年の暮れのことです。西郷が精忠組に帰ってきます。薩摩に帰ってきます。やっと歴史の舞台に呼び出されます。ただまたすぐに舞台のそでに引き上げてしまいますけれども
2007年09月17日
弾正宮との別れ・・それに続く帥宮との死別和泉式部は別れに見舞われる宿命があるようです。手元にあるのは和泉式部日記は文庫本だけです。それでもさらっと読み返すのにずいぶん時間がかかってしまいました。彼女はこの世のはかなさを描いたわけではありません。彼女は自分の恋を記録したのです。帥宮の死後一年間彼女は喪に服します。おそらくその一年の喪を過ごしたあとに思い出を日記として書き記していきます。その出会いからです。彼の死は和泉式部日記の中には登場しません。
2007年09月16日
不眠症になったことがありません。フトンについて眠れなかったことがありません。おこたで勉強しながらつい眠ってしまった・・・そんな経験もありません。ぎりぎりまでイスにすわっているのです。フトンを敷いて明かりを消してメガネをはずします。そしてマクラに頭をあてたとたんにスイッチが切れてしまいます。気がつくと・・・・朝です。眠い眠い毎日です。お昼寝だって得意です。秋は眠たい季節です。秋も眠たい季節です。曇り空に飛行機雲が見えました。
2007年09月15日

世の中にはすごい技術を持った方々がいます。たとえば彼女が切り取る風景はたった一本のカッターナイフでどこにでもある絵筆でインターネットの海には素敵な出会いがたくさんあります。切り絵作家のあさこさんは近く個展を開かれます。
2007年09月12日
有村雄助はこの時26歳です。兄の有村武次(前名・利斉)に後のことを託しました。はるかに東方を拝します。東には京都・・朝廷があったからです。そして作法通り切腹しました。3月24日早朝のことです。介錯は竹馬の友奈良原幸五郎(繁・のちの沖縄県知事)が当たりました。有村兄弟の母親れんは蓮寿尼という別名を持っていました。歌道にもひいでた人でした。一度に愛児をふたりも失った悲しみを歌に託しています。雄々しくも君につかふるますらおの母とふものはかなしかりけり母とは悲しい・・・・そう思い知らされます。けれどもこの時代には悲しいことを悲しいと口に出すことはできたのです。
2007年09月11日
鹿児島に帰り着いた有村雄助は藩の命令によってその夜に切腹して責任をとることになりました。藩の本音としては褒めてやるべき挙兵でした。けれども生かしておいては後々幕府ともめるに決まっています。本人も最初から死を覚悟していたに違いありません。不本意・不憫ではあるけれども・・・・・価値観が倫理観が現在とは違います。武士道とは道理がありそうでなさそうで・・・いずれにしても現在の価値観で推し量ることはできません。同志からはそれこそ命がけの助命嘆願が相次いでいました。それを諄々と戒めたのも有村雄助本人でした。雄助26歳のことです。
2007年09月09日
有村雄助は大坂から船に乗りました。船に乗ってからやっと縄を解かれたのです。3月20日の夜には瀬高駅に着きました。現在の福岡県です。ここでちょうど参勤交代のために江戸に上りつつあった薩摩藩の行列に出会いました。藩主島津茂久(忠義)の行列です。久光の息子です。(国父島津久光は藩主にはなっていません)有村雄助から直接桜田門外の異変の話を聞いた茂久はここからすぐに引き返してしまいます。理由は藩主急病ということにしました。
2007年09月08日
三人にも疲れが出ていました。特に年長の金子孫二郎は疲れ果てている様子です。二人は同情して宿泊することにしました。翌朝早立ちすることにしたのです。坂口周右衛門の足軽隊に踏み込まれたのはその夜のことでした。逮捕されて金子と佐藤鉄三郎は京都の伏見で幕吏に引き渡されました。翌年には死罪になっています。有村雄助は護送されて帰国することになりました。京の朝廷に変のあらましを伝え有志にも速報し薩摩藩の出兵を京都に迎えて幕政を改革する使者の役割は果たされることがありませんでした。できるだけ血を流さない幕府を倒すことなく改革を行うという道はここに完全に途絶えてしまうことになりました。万延元年にはいろいろな事件が起きています。この桜田門外の変の後始末が行われている最中にも歴史の歯車はもう止まることをしません。留めることはできなくなってしまっていたのです。点々と日本の各地で起きていた事件も実は細い糸でつながっています。あるいは必然的に強い糸でからまっています。多くの人々の改革への思いははじめからひとつにまとまっていたわけではありません。それぞれに考えそれぞれに行動しそして誰もが大きな歯車に飲み込まれて行きます。もしかしたら歴史はどこかで違う方向に進んでいたのかも知れません。ほんのちょっとした小さな出来事で・・・考えて遊ぶのは楽しいことです。
2007年09月07日
万延元年1860年箱根の関です。使命を帯びた三人が箱根の関を越えようとしていました。金子孫二郎と佐藤鉄三郎そして薩摩の有村雄助の三人です。雄助が主人。金子は若党。そして佐藤は仲間の槍持ちという役柄で箱根の関を抜けました。昼夜兼行で伊勢の四日市に到着したのは三月九日夜のことでした。京都は目と鼻のさきそして薩摩藩の追っ手は真後ろにせまっていました。
2007年09月06日
AA-(a+d)A+(ad-bc)E=0美しい式です。ケーリー・ハミルトンの定理です。アーサー・ケーリーが法律家から転身ケンブリッジ大学の純粋数学の教授となったのは40歳を越えてからのことです。1863年のことです。1863年薩摩がイギリスと薩英戦争を繰り広げていた年です。天保山公園には砲台跡があります。
2007年09月05日
もくもくもくもくもくもくもくもく・・・です。ときどきザーっと雨が走ります。お昼の鹿児島はこれでもまだ30℃を越えています。もうちょっともうちょっと・・・です。
2007年09月04日
夏の終わりは眠たい季節です。いくら眠っても眠くて眠くて・・海の上に薄い灰色の雲がかかってぶゆ~んと面積を増やしていけば間もなく雨が落ち始めます。風が吹いて雨が落ちて気温が一気に下がります。夏の終わりは眠たい季節です。夏の終わりも眠たい季節です。
2007年09月03日
おそらくほんのちょっとした挨拶のつもりだったと思います。帥宮は和泉式部のもとへ単に弔問に訪れたはずばったのです。橘の枝をてみやげに・・・・です。けれどもその日から彼はもう彼女の魅力にとりつかれてしまいました。頻繁にほとんど毎日彼は文を届けさせます。彼女は時々は返歌を返します。うち出でもありにしものをなかなかに苦しきまでも歎く今日かなこれまでは言葉には出さずにいたのです。けれども、それならそれでよかったものを。貴女への思いをついつい口にしてしまったものですから、貴女へついつい打ち明けてしまったものですから、もう苦しくて苦しくて今日も一日想い嘆いてしまっています。ほんとによく言います。これはまだ橘の日の翌日のことです。翌日の手紙に書かれた歌なのです。まだ顔も見ていないというのに・・・です。まだ声も聞いたわけではありません。どちらかと言えば彼女だってしっとりと落ち着いた性格ではありません。どうしようもなく辛い日々の中で、これといって何をするわけではありませんでした。彼のこんなちょっとした歌が目にとまって返しの歌を書きました。今日のまの心にかへて思ひやれながめつつのみすぐす月日をあなたは今日一日思い悩んでいるのだと仰います。でも私がこの長い月日をどんなに暗く落ち込んですごしていたのかそのたった一日の今日という日の嘆きのお心に私の心を置き換えて想像してごらんになってください。私の心に思いを巡らしてみてください。彼はほとんど毎日手紙や歌を届けます。彼女は時々は返します。彼の心は燃え上がってしまいます。和泉式部日記のほんの最初の1ページをこんなにも長く訳してしまってなんという妄想なんという意訳・・・・私の歩調で歩いていくと実際に顔を合わせるまでどれだけかかるか分かりません。
2007年09月02日
全27件 (27件中 1-27件目)
1

![]()
