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落ちてきたら今度はもっと高くもっともっと高く何度でも打ち上げよう黒田三郎の詩『紙風船』から。 フォークグループ「赤い鳥」が歌ってヒットしたことと、教科書にも掲載されたことで、黒田三郎の詩の中でも一番有名な詩です。この詩のファンも多く、ほかの詩は知らなくても『紙風船』は知っているという人も多いかと思います。 難解な語もなく、シンプルなだけにまっすぐ心に届きます。 前向きに希望をもって努力する姿は、小学校の教材にもぴったりだったでしょう。 このあと詩は2行で終わります。美しい願い事のようにただの願い事ではなく「美しい」願い事というところにどきっとします。「お金が欲しい」「楽がしたい」というたぐいの願い事は高く打ち上げられません。 どんな願い事だったら「もっと高く」打ち上げる価値があるのだろう、詩を読む人はそこを問われているのではないかと思いました。 黒田氏自身はこの詩をそんなに評価していません。三十代後半から四十代前半、後半にかけて、詩集は「もっと高く」「ある日ある時」にまとめた程度で、精彩を欠くようである。という記述もあります。「精彩を欠く」と言われた「もっと高く」の中の一編が『紙風船』です。 この詩は、黒田三郎が50歳でNHKを退職して、生活するために私立大学の講師や、職人仕事(絵や写真に添える詩を書く。校歌の作詞)を引き受けていたときの詩です。 妻である黒田光子さんの『人間・黒田三郎』に「紙風船」の詩などもこのたぐいで、バスに揺られながら5分位で作ってしまったという作品とはっきり書かれています。 雑誌『婦人生活』の巻頭口絵の写真に添えられた詩全4ページのうちの1作品で、子供たちが紙風船で遊ぶ写真に合わせて添えられた詩でした。キャッチコピーのような感覚でしょうか。 ですが、文学は受け手側がどう受け取るかで作品の価値が決まります。職人仕事からできた作品でも、5分でできた作品でも、多くの人の心をつかんだ『紙風船』は価値のある作品であることに間違いはありません。 吉野弘氏は、『現代詩入門』で『紙風船』を取り上げて現実には落下という必然を超えて高まることはないが、ありえないにもかかわらず、あえて必然に逆らい、超えようとする矛盾の実現、そこにこの詩の美しさがある。と書いています。 「もっともっと高く」とありますが、打ち上げるのは紙風船です。どんなにがんばっても限度があります。力を入れすぎれば破れてしまいます。現実にはあっけなく落ちてきてしまう紙風船だとわかっていても、子供たちは「今度こそ」「次は」という思いで打ち上げます。 同じように、かなえられなくても「もっともっと高く」「何度でも」打ち上げるものがあること、打ち上げる意志があること、の大切さをこの詩は教えてくれます。 引用および参照元:黒田光子『人間・黒田三郎』思潮社 吉野弘『現代詩入門』青土社
April 29, 2023
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4月27日はベートーヴェンが『エリーゼのために』を作曲した日です。 このバガテル(ピアノのための軽やかな小曲)は、約3分の短い曲ながら、クラシックに格別親しみのない人にも知名度の高い曲です。 ベートーヴェンの円熟期、交響曲『運命』『田園』、ピアノ協奏曲『皇帝』ピアノソナタ『告別』に次いで作曲されました。 「エリーゼ」は本来「テレーゼ」であったという説もあります。ベートーヴェンの字が下手だったため読み間違えられたとか…。 テレーゼ・マルファッティはかつてベートーヴェンが愛した女性でした。ベートーヴェンの死後、彼女の書類の中からこの曲の楽譜がみつかりました。 また、別の説ではエリーゼはソプラノ歌手エリーザベト・レッケンで、彼女のためにこの曲が書かれたといいます。エリーザベトは、ベートーヴェンの友人の妹です。
April 27, 2023
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『砂の女』では、男が溜水装置を研究する場面が出てきます。きっかけは、鴉を捕ろうと仕掛けた罠に鴉はかからず、水がたまったこと。 砂地の底で水を手に入れるのは死活問題ですから、男は溜水装置にのめりこんでいきます。 男が作った鴉の罠に水がたまった原理は「毛細管現象」だと述べられています。 容器に入った水に細い管を立てると、水面が管の中のほうが管の外より高くなります。管が細ければ細いほど、水面の差は大きくなります。 詳細は文系おばばには??ですが、表面張力によって周りから水が押し上げられるらしいです。 植物が根から土中の水分を吸い上げる秘密も「毛細管現象」にあります。 管の形に見えなくても、タオルの繊維の隙間からも水は吸い上げられます。何気なく洗面器の縁にかけておいたタオルから水がぽたぽたたれていたという経験があります。『砂の女』の男が仕掛けた装置も、毛細管現象によって、砂の中から水が吸い上げられて、桶の木片の隙間を通って桶の中に水がたまったものでした。 ちなみに水銀は水と反対に、管の中の水面は周囲より低くなります。 男は気候に左右される溜水装置の観察、研究をしながら、誰かにこの話を伝えたい、そうだ村人に…と考えます。 もともとは「ニワハンミョウ」の新種を発見したいという、日常から離れた夢を追って砂地に来た男でした。 男はこの後、不自由な中に自由を見いだせる生活になじんでいったのだろう、村の生活をよくする発明、発見をほかにも考えていったのだろう、と想像しています。
April 26, 2023
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ある男が行方不明になります。 彼は砂地に住む昆虫を採集しにでかけたのですが、部落を守るため男手を必要としていた村民たちに捕らえられ、ひとりの女が住む砂底の家に閉じ込められてしまったのでした。砂はつぎつぎと土壌の中から生み出され、まるで生き物のように、ところきらわず這ってまわるのだ。砂は決して休まない。静かに、しかし確実に、地表を犯し滅していく…。 女は、家に流れ込む砂を夜の内に掻きだし、もっこで地上に上げてもらい、昼は休むという生活を続けていました。 砂に埋もれかけ、柱は傾き、畳は腐り、〝半分死にかけたような〟家を、女は守ります。外に出て行く必要など思いもせず。 一方男は、自由を求めて脱出を試みては失敗し、繰り返し脱出しようとします。一度は穴の外に出て村の外れを目指しましたが、砂に阻まれて再び穴の中に戻ってしまいました。 鴉を捕らえる罠を思いついた男は、その装置を〈希望〉と名付けます。鴉がかかる代わりに、水がたまったのを発見した男は、溜水装置を研究することに熱中します。いま、彼の手の中の往復切符には、行先も、戻る場所も、本人の自由に書きこめる余白になって空いている。 男の今の答は、「あわてて逃げる必要などないのだ」。都会で会社に通う生活は、果たして自由だったのだろうか?男はその生活から離れたいと望むことはなかったのだろうか?昆虫採集の道具を持って。 男はまだ結論を下してはいません。 海岸に近づくにつれ、砂浜が盛り上がって、家が穴の底に建っているという設定はまず非現実的です。地形的におかしい。砂が壁のようになっていて崩れてこないのか?砂はどこから降り注いでくるのか?あり得ない設定です。 が、ニワハンミョウの生態や砂の性質が科学的に正確に説明されることや、村や家の様子が写実的に細かく描写されることで、そのあり得ない光景が、現実として眼前に現れる小説です。 多用される比喩も巧みなので、情景も心情もありありと浮かびます。胃の中から笑いに似た激しいけいれんが、しぶきをあげて噴き上がってくる。時が馬のように駈け出したりすることはないかもしれない。しかし、手押し車より遅いということもなさそうだ。胃が、ゴム手袋のように、冷たくひえていた。 サスペンス映画のような脱出劇は、はらはらします。 地上に出たときの場面は黄金色の砂を舞台に輝いて見えます。男はどこまでも行けると思った道を走り出すのですが、村の外に出られずに終わってしましました。 再び穴に戻った男は、〝風景の仲間入りさえ拒まれ、ただむやみと暗い〟ばかりで、女はその暗闇よりもっと暗いのでした。 初めは、生活に順応したふりをしていた男は、だんだん単調な生活の中からささやかな充足を感じるようになります。砂から身を守るちょっとした発明が生きがいになりました。これまで彼が見ていたものは、砂ではなくて、単なる砂の粒子だったのかもしれない。 男は、人間関係をいったんゼロに戻そうと考えます。 男がかつて都会で送っていた会社員、家族の一員としての生活と、砂の底の生活、どちらも他者との関わりなしには成り立ちません。社会に生きる以上、集団からの拘束は避けられません。 反対に、他者と関わりたい、集団の中で自分を認識してほしいという欲求も個人には起こります。 男は、過去には、新種の昆虫をみつけたことを世間に報告したいという夢を持っており、今は、溜水装置を発見したことを村の誰かに伝えたいという欲求をもっています。 多くは単調な繰り返しの毎日で、流動するものがあり、流動する気持ちの持ち方があります。最終的に男が往復切符に書き込んだ行き先はどこだったのでしょう…。砂のがわに立てば、形あるものはすべて虚しい。確実なのは、ただ一切の形を否定する砂の流動だけである。 引用及び参照元:安部公房『砂の女』新潮文庫
April 25, 2023
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マスク着用は個人の判断に委ねられましたが、わたしの生活圏では、ほとんどの人がマスクをつけています。もっとも、今年の花粉の飛散が近年になく多かったことも理由の1つですね。 わたしもマスクなしでは外を歩けません。花粉はそろそろ落ちついてきましたが、仕事の時は着用になるかな。 私の場合は、短時間しかつけないので、性能とコスパ優先の不織布マスクに落ちついています。Ωプリーツと16.5cmというサイズで購入しています。 最近同じメーカーの製品を購入したのに、フィット感が違ってびっくりしました。サイドが浮いてしまうのです。下は別のメーカーの同じ形のマスク。サイドの浮きはありません。どちらもネット購入です。2点を比べてみるとプリーツの取り方が違うことが判りました。 薄桃色マスクさんも前に購入したときはサイドの浮きがありませんでした。プリーツの形が変わったと、不満のレビューがありましたが、こういうことかと思いました。表からはどちらも同じに見えますが、裏から見ると、プリーツの幅が違うのが判ります。薄桃色マスクさんは、中央のプリーツ幅が広い→広がりにくいのかと思います。重なり分が少ない方が原料の節約になるから?かどうかはわかりませんが。こちらの白マスクは、アイリスオーヤマ製で、さらに重なり分が多くなっています。 一番フィットするのは、アイリスオーヤマ製ですが、薄桃色マスクさんと柿色マスクさんは、耳にかけるゴムが6mmと幅広で耳に優しいのがうれしいポイントです。 薄桃色マスクさんは、全国日本マスク工業会の会員マーク入りですから、性能には問題ないと思います。マスクもいろいろですね。
April 24, 2023
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俺は再婚相手の娘、弥生さんの父になりました。弥生さんは小5らしくない落ち着いた子供。 日曜日をまったりすごしていると、インターフォンが鳴って、弥生さんの同級生と父親が「弥生さんに殴られた」と言ってきました。 俺は弥生さんの頭をたたき、「どうぞ仕返しして」と言います。 びっくりする「俺」の行動ですが、真意は弥生さんに伝わっていました。 淡々と「何もつけずにグーで殴ってはいけません。肘を使いなさい。」と伝授するのには笑ってしまいます。いや後半…となると、もっと笑うしかありません。 「俺」は、弥生さんから怒った理由を聞くと「お父さんはチョーエキに行ってきます」と言って仕返しにいこうとして止められる家族思いの人でもあります。 その次にまたしても、弥生さんと同年代くらいの男の子が訪ねてきます。思わず「うちの弥生に何かされた?」と聞いてしまう「俺」。 波乱に富んだ日曜日なのでした。 「俺」と弥生さんの距離感がちょうどよく、さりげない家族愛がいいなと思う短編です。 参照元:新潮社ストーリーセラー編集部・編『Story Seller2』新潮文庫 から 本多孝好『日曜日のヤドカリ』
April 23, 2023
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醸…ジョウ、かも(す) 壌…ジョウ 「醸造」「吟醸」などの「醸」は、「酉」が意味を表し、酒を醸すこと。アルコール醸造は古い歴史を持ちます。新石器時代には既にワインが作られていたといいます。そのアルコールに、天然の酢酸が作用して偶然酢ができたと考えられています。 「土壌」の「壌」には、土地と、さらに大きい大地の意味があります。 天壌無窮…天地に終わりがないように、物事がいつまでも続いていくこと。 「無窮」は極まりない→永遠、永久。「天地長久」「天長地久」 鼓腹撃壌…善政が行われ、人民が不満ない生活を楽しむこと。また、世の中が 平和なたとえ。 中国の尭帝が町の様子を見に行ったところ、一人の老人が満腹になった腹を 打ち鳴らし、地面を踏んで拍子を取りながら、世の平和を喜ぶ歌を歌っていた ので、安心したという故事から。 共通の音符は、「襄」ショウ→ジョウです。音を表す部分ですが、共通の意味をもつ字もあります。
April 21, 2023
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関テレで放送中のドラマ『合理的にあり得ない~探偵・上水流(かみづる)涼子の解明』、原作は柚月裕子氏の連作短編集です。 原作も大分現実離れしていますが、TVではさらにぶっ飛んでいますね。 「合理的にあり得ない」が謳い文句なので?これはこれでいいかと。原作のミステリーにしてもドラマにしても、リアルさを求めるなら、ノンフィクションか、それに近いものを見たり読んだりしたほうがよさそうです。 思いっきり「あり得ない」楽しさを満喫したいドラマです。 原作の涼子は、ドラマよりは少し落ちついた印象です。ストーリーも、小説とドラマとでは異なります。媒介の差もありますが、ドラマのほうがよりエンターテインメント性を追っているので、大胆無敵といった風ですね。 訳あって弁護士資格を剥奪された涼子は「六法全書に囚われず、自由に動ける」探偵エージェンシーになりました。機知と美貌と度胸を併せ持つ涼子ですが、助手の貴山は涼子以上の頭脳と知識の持ち主。 ふたりで、法律では解決できない問題に挑戦します。 第二話「合理的にあり得ない」に登場するのが、ドラマ一話の内容です。 神崎は成功者としての人生を揚々と生きていますが、3ヶ月ほど前から妻の朱美の様子がおかしくなったことに気づきます。ひきこもりの息子、克哉を置いてでかけることなどなかったのに、朱美は夫がいても平気で外出するようになります。しかも金銭を相当使っているようなのです。 「人を不幸にする嘘は詐欺、幸せにする嘘は救い」朱美の言葉です。神崎には決してわからないであろう朱美にとっての救いとは…。「マリアージュ」の紅茶「マルコ・ポーロ」は、貴山が訪ねてきた涼子にいれたお茶です。貴山も涼子の過去に深く関わっていて… ほかにも、賭け将棋で相手の不正を疑うヤクザ、野球賭博にのめり込んだ末自殺した父の最期の一言が気になる娘、未来が見通せるという怪しい男のからくりを暴きたい依頼者、ろくでもない恋人のところに娘が家出してしまう父などが登場してきます。(この父親が涼子の因縁の相手です。ドラマ二話) 「世の中にあるのは大きな声で助けを求められる問題だけじゃない。」確かにその通りだと思います。だからこそ、水戸のご老公ばりの活躍で問題が解明されると胸がすっとします。あり得ない解決法だとわかっていても。 参照元:柚月裕子『合理的にあり得ないー上水流涼子の解明』講談社文庫
April 20, 2023
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精神を病み、海辺の病院に入院していた母が危篤になり、信太郎は父と共に病院にきました。 母が亡くなるまでの九日間と、戦後の窮乏生活から現在へ至るまでの思い出が織り交ざって語られるのが『海辺の光景』。 「心にとけきれない困惑をかかえた」信太郎は、病院で落ち着かない思いで過ごします。ずっと信太郎に寄りかかって、父を嫌っていたかに思えた母が一言だけ口にした語は「おとうさん」でした。信太郎は失望と安堵をおぼえます。 対して、回想される父母の過去の生活は、経済的に大変な内容ですが、生き生きとユーモアまで感じる書かれ方です。借家から追い立てを食らわないため、苦労して鶏を何十羽も運んでくる二人の姿には笑ってしまいます。信太郎だけが心に空洞のような物を抱え、覚めた目で生きている感があります。 母のことがなければ申し分ない自然の中にある病棟。 1年前母を連れてきたときは「青空を映した海と、緑の斜面にかこまれた白い角砂糖のような建物」に思えた景色が、死を待つ今「暗い海面は、重そうな水で膨れあがりながら、生温かな空気であたりをジットリと浸して」いる風景になります。 母の死の実感がなく、涙も出なかった信太郎ですが、海面にいく百本ともしれぬ杙が屹立しているのを見た刹那、すべての風物が動きを止めたように感じます。 墓標のような杙の列。 死の風景。 風景の死。 母の死が実感として彼に迫ってきたのでした。 時代背景が古いため、病院の状況や患者の待遇などは現代と異なりますが、精神を病む本人と家族の困難は伝わります。 薬物療法が進歩しているので、今なら主人公の母親は症状が改善して退院可能だったかもしれません。が、周囲の偏見から入院の継続を余儀なくされるのは今も変わらないかもしれません。 ある患者が、死ぬまでこの病院にいるしかない、という内容を話しているのが刺さります。 『海辺(かいへん)の光景』は、「第三の新人」の一人、安岡章太郎の長編です。 参照元:安岡章太郎『海辺(かいへん)の光景』新潮文庫
April 20, 2023
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「ぼくはラビとして、職業がら宗教的な人間だ。決まった時間に特定の方法で祈りを上げる。幾分は歯を磨くのと同じように習慣であり、幾分は意識的に守ってきた。というのは、われわれの宗教やユダヤ人の存在を持続するために重要だと思ったからだ。…しかし、ここではその点を主張する必要がないから、しきたりを厳しく守る必要もない。 エルサレムを訪れたラビ・スモールはこう妻に言います。 ラビが住むアメリカは多民族・多宗教の国です。自分が無宗教なのか、そうでなければどの宗教に属しているのかを常に主張しなくてはならない国です。 国民の過半数はキリスト教徒(プロテスタント42%+カトリック21%くらい、2020年)であり、ユダヤ教信者は1%程度。 その中で、ユダヤ人(ユダヤ教を信じる者)であることを示すには、決まった場所と時間での祈りを守り、トーラーを学び、食物清浄規定や安息日を守る姿を見せる必要があります。ユダヤ人であるとは、ユダヤ教を守る人であるということです。 日本で生まれ、無条件に日本人であるわたしたちにはわかりにくいのですが。 ユダヤ人にとってアメリカは住んでいても寄留の地、流浪の地であるのに対して、イスラエルは大多数がユダヤ教の国。「必ずアブラハムの子孫を住まわす」と神が約束された地です。 ユダヤ教が当たり前の国なので、ことさら表だって信仰を示す必要はありません。ラビは、生まれながらにこの地(エルサレム)にいたような気がすると言っています。 ラビは、ユダヤ教の信仰の代表者ですが、キリスト教の神父・牧師と異なり、信仰の指導者ではなく、研究・教育者という立場のようです。 とは言っても、ラビ・スモールがシナゴーグで礼拝を行う様子は、プロテスタントの牧師による礼拝と変わらないように思えます。神学校を卒業してラビの資格を得ることも。 教会組織も、委員会が組織されるのはプロテスタントと似ています。 ですが、牧師が上部組織から派遣される指導者という立場を持つのに対して、ラビ・スモールはあくまでも各教会(シナゴーグ)と個別に契約する、雇われラビ(言葉がよくないですが)のようです。 理想を持つ若いラビ・スモールは、世俗のことに偏った委員会から疎まれ、契約の内容でもめることになってしまいます。ラビ・スモールはラビのあり方に悩みます。 ラビがエルサレムに旅立つ前、委員会の人を含め、多くのユダヤ教徒たちが訪れ「○○へ行くとよい」「○○へよろしく伝えてくれ」など話していきますが、「空港までの車を出そうか」と行ってくれたのは、キリスト教徒のラニガン署長だけでした。 痛烈な皮肉を感じました。新約聖書の「よきサマリア人」の例えを思います。「本当の隣人とは誰か?」という問いです。 ラニガン署長は異教徒でありながら、「キリスト教の習慣で言うとこういうこと?」という視点から、ラビに問い、ユダヤ教を理解しようとします。立場の違いを超えて理解する姿勢を誰よりも見せてくれます。 日本人にはなかなか理解しがたいユダヤ教ですが、ラニガン署長のような、聞く耳をもてたらいいと思います。 引用及び参照元:ハリイ・ケメルマン 青木久恵・訳『月曜日ラビは旅立った』
April 18, 2023
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ある牧師先生が「私はラビ・シリーズを愛読しているんですよ。ユダヤ教のことを具体的に知るのにいいんです。」とおっしゃっていました。 『金曜日ラビは寝坊した』から始まるハリイ・ケメルマンのラビ・シリーズは、日本では比較的なじみのないユダヤ教の慣習、教義について知ることができます。 『月曜日ラビは旅立った』はシリーズ4作目。 バーナード・クロシング(架空の町)でラビの職について7年目になるラビ・スモールは、協会理事会との間に起こった確執から、聖地エルサレムでの滞在を決意しました。 3ヶ月の休暇を申請して、ラビは妻ミリアムと共に旅立ちました。 妻の叔母ギッテルの世話でアパートを借り、ラビは生まれながらのイスラエル人のような気持ちですごします。エルサレムに腰を落ち着けようかとも考えるラビでした。 エルサレムは複雑な政治問題を抱えていました。聖地は理想郷ではなく、貧困も病気も、テロも起こる場所です。 中古車商のメマヴェットが爆弾テロの犠牲になり、ラビの友人のダンの息子、ロイが容疑者になってしまいました。ラビは、怜悧な推理で、意外な犯人と動機を明らかにしていきます。エルサレム 前半は、いつ事件が起こるのか?これは本当にミステリーなのか?という進行状態です。後から振り返るとその中に伏線がしっかり張られているわけですが。 後半、事件が起こってロイが容疑者になってからも、イスラエル国家の抱える問題、「本当のイスラエル人」とは、また宗教を超えた友人について、などラビとほかの登場人物たちの間に起こる議論が挟まれます。 ミステリー以外の要素が多い作品ですが、犯人や手口の意外性がミステリーとしての期待にもしっかり答えてくれます。 純粋にラビであろうとして、現実からそれてしまうラビ・スモールに寄り添いながら、軌道修正の役割を果たすしっかり者の妻ミリアムの存在にほっとします。引退したラビ・ドイッチの理解ある妻ベティーにも。 ふたりとも、夫の欠点も認めながら、よりよい方向へ行けるように援助できるすばらしいパートナー。 ラビの力量も奥様次第かもしれません。 参照元:ハリイ・ケメルマン 青木久恵・訳『月曜日ラビは旅立った』 ハヤカワ・ミステリー文庫
April 17, 2023
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五島美代子は幼少時から古典に親しみ『こころの花』に入会した歌人。母が校長を務める晩香女学校の教諭になり、後に校長職を継ぎました。 二人の娘の母となりましたが、長女ひとみは東大在学中に自死、急逝しました。長女を歌った歌も多く残しています。生きむとする吾子の思ひにひた向ひかしこみ朝の胎動をきく命を宿した母親としての思いが伝わります。命を育むことの尊さに、身の引き締まる思いがします。ほのぼのと明くる光に目をあはせ今は親ぞとわれをおもふ初めて我が子に会い、顔を見る瞬間は最高の感激。本当に痛みは全て忘れます。せい一杯両手を伸して抱かれようとする子は月に向かふ草花のやうに幼児期の全面的に親を信頼する子に、親も全霊で答えようとします。親よりもたしかなるもの何か持ちて何もたのまずと子は言い切るかまもらるる安さ憎みておもひきりゆがみたることも子は言い放つ成長した娘は、母と異なる自分自身を強く持っていきます。戸惑いながら、反目し、悲しみ、やがて受容しようとする母。しかし、心の内を告げることなく長女は急逝してしまいます。この向きにて 初(うゐ)におかれしみどり児の日もかくのごと子は物言わざりし亡くなって安置された娘。この世に生まれてきたときも、同じように寝かされ物言わぬ娘でしたが、その時との落差が悲しみを誘います。花に埋もるる子が死顔の冷さを一生(ひとよ)たもちて生きなむ吾か娘の苦しみを救ってあげられなかったのかという気持は一生母親としての自分の中に残ります。癒えることのない傷を、この後も五島美代子は歌にし続けました。亡き子来て袖ひるがへしこぐと思ふ 月白き夜の庭のブランコ 初めて目にした五島美代子の歌がこの歌でした。まだ子どもだった娘を亡くして、何年も経っていないときに詠まれた歌だと思っていました。実際は大学生になったお嬢さんだったのですね。 どこまでも愛情深く一途な母であった歌人です。4月15日が命日に当たります。 引用及び参照元:五島美代子『現代短歌大系3 新輯・母の歌集(完本)』三一書房
April 15, 2023
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4月14日は「フレンドリー・デイ」です。 世界中みんなが仲よくする日。人も動物も樹木も。画・のび太 今も続く戦争や紛争、貧困格差の問題、経済・教育・雇用・医療…問題は尽きないのが現実です。 でも、だからこそ、シンプルに「みんな仲良く」と言う気持ちを持って、自分のできることをしていこうという記念日です。 参照元:「フレンドリー・デイ・インターナショナルWeb」
April 14, 2023
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克…コク 社会の教科書に出てくる「下克上」(下剋上)は、目下の者が上の立場の者に打ち勝って権力を手にすること。斎藤道三の美濃の国盗りはその典型です。 克伐怨欲…「克」は必要以上に人に勝とうとすること。「伐」は自分の功績を 誇る。「怨」は些細な恨みを根に持つこと。「欲」は満たされることない貪欲を 言います。合わせて四つの不道徳。自分にはないと否定できないかも(汗)。 克己復礼…顔淵が師の孔子に「仁」について問うと、孔子が「己に克ちて礼に 復す」と答えた故事から。 「克己」は自分の欲望や邪念に打ち勝つこと、「復礼」は礼の本質に立ち返る ことです。「剋己復礼」 人に勝とうとするより、自分の欲や怠け心に勝つほうが大事ということですね。
April 12, 2023
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4月10日はよいトマトの日です。4(よ)い月10(とお)まと日の語呂合わせ。 トマトには、皮が薄く酸味が少ない「桃太郎」などで知られるピンク系と、加熱することでうまみが増す赤系があります。 赤系トマトはケチャップやトマト缶の材料にもなります。リコピンが多いトマト 赤色は「リコピン」という色素成分で、がんや老化を予防する抗酸化作用があります。オリーブオイルなどと共にペーストにして摂ると、リコピンの吸収率が上がるそうです。パスタのトマトソースは理にかなっているわけですね。ビタミンCが多いトマト トマトにはビタミンCとカリウムも豊かに含まれていて、疲労回復効果もあります。 スーパーで見かける「フルーツトマト」は、トマトの品種ではなく、栽培方法により、高糖度に育てたトマトだそうです。
April 10, 2023
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今日は、神奈川県知事、県会議員、市議会議員選挙でした。選挙の度に、障がいのある人たちの投票は難しいなと思います。 のび太君は、ライトノベル~赤川次郎氏の小説は読める程度の読解力ですが、選挙の公報は「難しくてよくわからない」のです。 ふりがながついたり、活字が大きくなったり、以前よりわかりやすくはなりましたが、漢字が読めないわけではないので「そこじゃない」んです。 視覚・聴覚・身体障がいの方については、選択のための情報がきちんと伝わること、投票の手段が保証されることが当然必要です。が、判断力がどこまであるかわからない知的障がいの人に、どう周りがサポートして投票してもらうかは、難しいなと感じています。 なるべく、自分の考えで投票してもらいたいので、どんな人なら投票したいかキーワードを聞くことにしています。たとえば「消費税減」。 前回は難しいと言って、投票はパスしました。 今回は、卒園した保育園の関係者推薦という候補者の写真付き葉書が送られてきて、「投票に行く。」になりました。 障がい関係なく、0歳から周りと同じように育ててもらった保育園なので、本人なりの思い入れがあるのでしょう。卒園後も学童保育でお世話になり、先輩のこどもたちからもかわいがってもらいました。 今回のキーワードは「信用できる人」でした。 公報で投票する人を決めてから投票場へ向かいました。○をつけるのも、手本があれば名前を正確に書くのも(うーん、麻痺のため、筆跡は幼稚園レベルですが)できるので、投票は何とかなります。 本人なりの意思があっての投票なので、清き一票、受け取ってください!
April 9, 2023
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「沸く」と「湧く」 世界の美=欧州の美であった今日まで、日本の美は世界の一隅に湧き続けてきた。と、高村光太郎は言います。その一つ、「埴輪の美」をあげてみます。埴輪の美は、明るく簡素質朴である。自然からくみ取った美への満足があり、清らかである。日本美の健康性がここにある。と表現されています。埴輪(レプリカ)土偶(イメージ) 埴輪は、古墳時代の日本で祭祀や魔除けのために、古墳の周囲に並べられた素焼きの器物です。聖域と俗域の区切りを示していたとされます。人物形であったり、鳥獣、建物の形をしています。 高村光太郎は、縄文時代の土偶や土面は形式的な陰鬱な表現であり、埴輪は自然な美の純朴な明るい表現であるとします。埴輪に日本民族の根源的な美の性質の一つを見ています。 土偶の形はほぼ定まっていますが、埴輪は人物であっても「巫女」「武人」など一体一体が明確な役割を持っています。装飾的な土偶に比べると、シンプルで現実的、健全な感じです。 引用および参照元:『昭和文学全集 第4巻』小学館から 高村光太郎『美の日本的源泉』
April 8, 2023
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新宿御苑は桜の名所ですが、ソメイヨシノの時期を外しても、早咲きの桜から八重桜まで長い期間楽しめます。むしろ、八重桜やちょっと変わった桜を見るのがお勧めです。緑の桜「御衣光(ぎょいこう)」咲き始めは緑一色で、段々葉花びらにピンクの色が入ってきます。やや、ピンクが入ってきたところでした。こちらがまだ緑が濃い御衣光。花の中央だけが紅く見えます。(中原区 4月3日撮影)クリーム色の花は「鬱金」「市原虎の尾」満開はこれから。花全体が虎の尾のようなきれいな形状なので「虎の尾」と言われるそうです。 虎の尻尾には見えないので、植物の「虎の尾」ですね?「朱雀」可憐な色。「十二月ザクラ」ジュウガツザクラは地元でも見ますが、「十二月桜」もあるんですね。「松月」豪華な八重桜です。サトザクラに分類される園芸種で、花は外側がピンク、内側が白です。紅色がきれいな八重は「関山」でしょうか。「一葉」花の中に葉化しためしべが一本見られることから「一葉」の名に。花の中に葉のようなめしべが見えます。(2018年新宿御苑で撮影) 今週土・日は予約制です。平日午前は思ったよりすいていました。レストラン「つぶら乃」のだし巻き卵サンド(本格的なだし巻きでした!マヨネーズ味の卵サンドフィリングが薄くぬってあり、パンとの相性を高めています。)と、焙じ茶のロールケーキ。一度に食べたらかなりお腹いっぱいになりました。 *写真は4月5日撮影です。
April 6, 2023
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春の季語になっている「山笑う」は、新緑や花で山全体が華やかな春の山の様子をいいます。出典は山水画家の郭熙(かくき)の画論『臥遊録』。春山淡冶而如笑 →山笑う夏山蒼翠而如滴 →山滴る秋山明浄而如粧 →山粧う冬山惨淡而如眠 →山眠る四季それぞれの季語になっています。 郭熙は、中国北宋時代の山水画家で、、深く自然に通じた人です。四季による景観の変化を巧みに表現しました。画・のび太 参照元:岩男忠幸『日本のことわざを心に刻む』東邦出版
April 6, 2023
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六枚の絵画に因んだ六つの物語、原田マハの『常設展示室』の一編『道』 イタリアの大学で教鞭を取った後、帰国して日本美術大学教授になった翠は「新表現芸術大賞」の審査員として目にした一枚の絵に衝撃を受けます。 百号ほどの大きさの厚紙に描かれた水彩画の『道』は、よく見ると何枚もの画用紙をつなげてできていました。 この絵に思い当たることがあったのです。 翠が、幼い頃目にした新しい舗装道路、そこで翠は大きな別れを経験しました。 二十歳の時、一時帰国した翠が出会った緑や青のグラデーションでできた絵画。その作者と見た東山魁夷の『道』が、応募の絵につながっていきます。 再び訪れる大きな別れ。それはまた一つの出会いにもつながりました。 翠が歩いて行こうと決めた道は…。 美術や文学はお腹を満たす糧にはなりませんが、心の栄養素にはなり得ます。芸術を創り出す力も、評論する力も持ち合わせていませんが、見たり、聴いたり、読んだりは続けていこうと思います。 参照元:原田マハ『常設展示室』新潮文庫 から『道』
April 4, 2023
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「僕の心のなかでは道というものがひとつのシンボルとなっているらしく」と、黒田三郎は『生いたち』の中で語ります。第1詩集『失われた墓碑銘』でも、次いで『時代の囚人』でも巻頭詩は『道』です。 どこかに通じているはずの「道」は、逃れられない現実に帰ってくるだけです。それなのに いつも道は僕の部屋から僕の部屋に通じているだけなのである (『道』)俺は明日もこの道を行っては帰ってくるのか (『一枚の木の葉のように』) 黒田三郎は人間的に生きることを妨げるものを訴えながら、人生の始まりから終わりまで一本の道を歩き続きました。英雄になるでもなく、反旗を翻すでもなく、事実を事実ととらえ表現する人生でした。 彼は、戦争の足音の中で育ち、組織・集団・権力といったものには批判的でした。それぞれがそれぞれの中に違った心をもってそれぞれの行先に消えてゆくなかに僕は一個の荷物のように置き忘れられて僕は僕に与えられた自由を思い出す (『道』) 一人の人間の命の重さは地球より重いと言われますが、黒田氏の詩も、どんなひとりも、全世界と釣り合うほどの価値を持つという思いで、ひとりの失われた命が無名の「1」として報道されることに怒ります。 人間が人間として生きること、より人間的に生きることを愛した詩人でした。右に行くのも左に行くのも僕の自由であるすべてのものの失われたなかにいたずらに昔ながらに残っている道に立ち今さら僕は思う (『道』) 引用および参照元:『黒田三郎 詩集』思潮社現代詩文庫
April 2, 2023
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