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住民参加について 私の住む地域では、昨日、今日と雨交じりのぐずついた天気が続きます。 梅雨の走りですかね。草や森や農作物には慈雨となることでしょう。 社保庁の年金加入記録漏不祥事、政府の信任問題まで発展しそうです。 問題の基は、行政を監視する役割をもつはずの国会が何も機能してなかった、 ということです。金属も経年疲労で最後には壊れてしまうように、組織も放って おけば腐り、堕落していきます。点検を怠らないで悪いところがあれば見張り 役の議会が部品交換をするべきなのに、結果として何もしてこなかった、とい うのが私の見方です。 「オマエらが一番ワルイ」と言いたい気分ですね。 さて、きょうも財政改革の話です。住民参加というポイントです。きのう書 いた「素案」にこの言葉が多用されています。「住民本位の分権型社会へ」、 「行政のあり方を国民・住民が自らの責任で」、「住民参加の促進」、「地域 に住む人たちのニーズを一番に考えることのできる地方」・・・です。 今は識者の方々は、格差の問題を取り上げ、豊かな地方から厳しい地方へ 税をどう配分するか、という議論をしています。税金を再分配して国民の不公平 を無くす、というのは基本的なことなので、あるところに落ち着くでしょう。問題は 地方自治へ住民がどう参加していくか、ということです。ここにもっと焦点を当て るべきです。 船橋市では、「行政パートナー制度」というものがあります。私も広報で知 っていたのですがウロ覚えだったので早速、市役所へ問い合わせをしました。 早速(2日後)返事がきました。 以下引用 「後藤全克 様 船橋市 企画部 市民協働課長 ○○ 日頃より市政にご理解を賜り、厚くお礼申し上げます。さて、この たび後藤様よりご質問いただきました「行政パートナー制度」につき ましては、昨年4月に市民協働課を設置するにあたり、協働の推進を を図るためには、行政側の視点のみではなく市民からの視点も必要 であること、また、市民協働課の業務自体を市民との協働によって進 めていくことが、協働のしくみづくりを考えていく中で必要な過程である と判断したことから、平成18年6月1日より導入した制度です。昨年度 の行政パートナーの皆さんは、およそ10か月の長期にわたる活動の 中で、事業の企画・立案などにおいて、将来の施策に大いに参考とな ると考えられる10を超える研究を進められ、現在、その実現について 庁内における協議・調整を行っているところです。 平成19年度にお きましても、引き続き本制度を継続し、このたび昨年度から継続する 2名に、今年度新たに公募により選ばれた6名を加え、合計8名の行 政パートナーに活動していただくこととなりました。今後の展開といたし ましては、本制度の継続に加え、行政パートナーを経験したOBの皆様 に、可能な限り行政との関わりを継続していただき、ゆくゆくは地域の リーダーとして、地域と行政の双方の立場を理解した調整役として活躍 していただければと考えているところであります。後藤様におじかれまし ても、今後とも本制度の推進にさらなるご理解をいただき、ご協力を賜 りますようお願い申し上げます。」 私の住む船橋市には「市民協働課」という部署があるのです。インターネットで 調べると住民参加には、参加度の弱い順から強い方に向かって、住民参加型、 協働型、住民主導型という類型に分けられるそうです。理想は住民主導型ではあ るもののその発展途上にこの住民と地方政府による協働型がある、という位置づ けになります。 船橋市も過疎地に比べればまだ恵まれているにしても、多くの問題を抱えて います。人口減は税収難の原因となるうえ、行政人材の不足も引き起こします。 一方で90年代のバラマキ行政(この国の大借金の原因ですが)で膨れ上がった 行政をスリム化する必要があります。住民にとって必要度によって事業の改廃を 進めなければいけません。 私はこの船橋市の施策に大いに賛同します。早速、以下のような返事を出し ました。誠意には誠意で尽くす、ですね。 「大変よくわかりました。今後はもっとこういう企画を拡充される よう希望します。今後は団塊退職世代が地域に多く戻ってきます。 このような方々が市政に関心をもち、まちづくりに参加できる ようにしたいですね。早速のご返事ありがとうございました。」 但し、注文もあります。船橋市は人口58万人、24万世帯という大きな自治 体です。今、中核市や指定都市への昇格を目指しています。その割には5人や 10人の行政パートナーはあまりにも少ないのではないか、と思います。部の数 が30もあるのだからこの5倍や10倍はあっても不思議ではない、と感じます。 以上、今日は新聞などでなぜかあまり取り上げられない住民参加について私 の住む船橋市を例に考えてみました。今日は引用を全文載せたので長くなりまし た。 きょうも元気で朗らかにすごしましょう。
2007.05.31
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改革の時間ですよ! 5月24日、「地方分権改革推進に当たっての基本的な考え方(素案)が発表 されました。これから2年間の論点というか決意表明ですね。まあ重要な項目 は盛られていると思います。 今回の地方分権改革推進委員会の議論には期待しています。昨年の12月の 地方分権改革促進法が推進エンジンの役割をもつからです。これまでの改革では、 役所の抵抗のため不徹底に終始してきました。小泉さん時代の三位一体改革でも 補助金削減の多くが官僚の抵抗で国の負担率引き下げに止まり、地方の政策自 由度はさほど高まらなかった経緯があります。 この国の実態は深刻です。18年度の国の台所は税収50兆円に対し借金元本 返済と金利払いだけで19兆円を支出しました。何と借金返済だけで収入の4割を 占めるという状況です。ほかに15兆円の交付税を支出し、このままだと16兆円し か政策経費に使えないため新たに30兆円の借金をしています。個人であれば破 産状態です。 地方が抱える借金は800兆円。インフレになって金利が上がればますます利払 い費が増え、国民の生活向上のために使えるお金はも今以上に減少し福祉は低下し ます。人口が減少することもあり国内経済は停滞するでしょう。今の夕張市が日本 の明日ということになります。その結果、国力を示す為替は円安化し国際的な地位 も地に落ちることは明らかです。 したがって一日も早い歳出削減による財政の建て直しが不可欠なのです。増税 も避けられないでしょう。先送りはできないのです。 最終的にはカネの問題であり、分権推進委の議論も国に入る税収を国と地方で どう分け合うか、ということが焦点となるでしょう。しかし、そのために仕事をどうやっ て分け合うかを議論することが大切です。つまり目的は、地域活性化のために地方 の裁量を増やし、手段として補助金を減らし、地方への税源移譲を進めるということ です。 しかし議論が白熱化すると目的と手段が逆転する可能性があります。現に話題 の“ふるさと納税制度”にしても地方と地方の税金の取り合い競争の色彩を強めて いるではありませんか。コッチが得すればアッチは損する、イコールはゼロです。 分権推進委には、目的である国と地方の仕事をどう分けるか、という本質的な 議論を期待したいと思います。ムダな仕事のリストラも欠かせません。 この他、税収を増やすための地方活性化の問題、住民参加で自治体(本来、 地方政府というべき)の問題など、言いたいことは沢山ありますが、長くなるので 別の機会に書きたいと思います。 きょうの花:ライラック 北国の春を彩ります。札幌市の花ですね。リラというフランス語 の響きの方が好いですね。日本では紫丁香花(むらさきはしどい)といいます。 これも美しい。ふつう花びらは4枚。5枚の花を見つけた人には幸せ が訪れるといわれます。花言葉は、謙遜、無邪気さ、初恋など。 まだあげそめし前髪の リンゴのもとに見えしとき 前にさしたる花櫛の 花ある君と思ひけり やさしく白き手をのべて リンゴをわれにあたへしは 薄紅の秋の実に 人こひ初めしはじめなり 我が心なきためいきの その髪の毛にかかるとき 楽しき恋の盃を 君が情けに酌みしかな リンゴ畑の樹の下に おのづからなる細道は 誰が踏みそめしかたみぞと 問ひたまうこそこひしかれ (島崎藤村「はつ恋」) こんな少年時代もあったのかな?
2007.05.30
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松岡農林水産大臣の自殺には驚きました。利かん気のような表情、言動 から、まさか自らの命を絶つ、とは思っていませんでした。正直、ショック です。亡くなられた今となっては背景はもはや闇の中ですが痛ましいですね。 海外が日本をどう観るかも気がかりです。閣僚の自殺という異常な事態です。 自殺といえば、日本人は世界のなかで最も自殺率が高いそうですね。政 府で対策を立てているようですが、周りの人が何といっても自殺をしようと する人の衝動を抑えることはできないかもしれません。 日本人に自殺が多い理由は何かわかりません。男性、40代以上、東北や 信越に多いという統計があるようです。“うつ”のような精神的な背景もあ るかもしれません。病気や所得格差などの問題もあるのでしょう。 私は、自由や孤独という問題も影響していると思います。家族や共同体 という“つっかい棒”が昔ほど機能していない現代は、「自殺論」ではあり ませんが、孤独感からの「利己的自殺」、規制がない自由のなかでの「アノ ミー的自殺」が増えてもおかしくないのかな、と思います。 とくにインターネットの普及は、目的をもって情報を検索するときには 便利ですが、明確な目的なしにウェブのなかをさまようときには、情報洪水 のなかで、むしろにアノミー的な孤独感を感じることは、自分自身あります。 そこで思い出すのは、全日空のシステムトラブルや社保庁の5千万件の年 金記録漏れの問題です。コンピューター万能神話に警鐘を鳴らす出来事です。 やや飛躍するかもしれませんが、巷に出回る、Web2.0に代表されるようなネ ットによる薔薇色の未来は幻想かもしれないな、と思います。用心が必要です。 私も2ヶ月前に、PCが突然壊れてしまい、中の情報をすべて失ってしまった経験 があります。文明は便利なものですが、一定の警戒が必要だと実感した次第です。 さて、今朝は気分爽やかとはいきませんが、一日がんばっていきましょう。
2007.05.29
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このままでは世界中から見捨てられる きょうの船橋は朝から雲一つない快晴です。昨日からの強い風が雲と一緒に 湿気も追い払ったようで、空気もひんやりとしているようです。この時季、晴れ ても湿度のためか薄空色になることが多いのですが、今朝は真っ青な空です。 さて今日は為替から日本を見る、という話です。円は対ドル、対ユーロに対 して安くなっています。機軸通貨のドルも対ユーロで安くなっているので、円だ けが安いということになります。アジアの通貨も対ドルで高く推移しているので、 円は世界最弱の通貨ということになります。 円安の直接的の背景には金利差があるのでしょう。10年もの国債金利を比較 すると、米ドルやユーロが4%以上なのに対して円は1.6%台の水準です。これだ けの金利差があれば外国人だけでなく日本人も円を売って債券に投資したくなる 心理は当然です。 ただ、私は中長期で日本売りが背景としてあるのではないか、と感じていま す。日本売りの要因は、1.財政規律のなさ、2.経済成長への不安、と考えられ ます。 まず膨大な借金です。財政赤字はOECD加盟30カ国中で最悪の水準です。なお かつ高齢化で社会保障は年に1兆円ずつ増えていきます。歳出をいかに減らすか危 機感をもつべきですが、どうも政治も行政も非常事態にある、という認識が伝わ ってきません。 歳出を削減しなくても経済が成長すれば財政赤字は減ります。経済成長は、労 働力、資本ストック、技術進歩の3つの要因で決まりますが、日本経済は、資本ス トックの寄与度が高いのです(加藤久和氏、「経済セミナー」06.5)。その資本ス トックを支える貯蓄率は高齢化のためか低下傾向にあります。97年に11.5%であっ たものが04年には2.8%にまで低下しています。 どうも以上の財政及び経済成長への不安という点から日本売りが起きているの ではないか、と私は見ています。不安があるから企業はキャッシュフロー以上の投 資をしようとしないし、個人も外債投資に走ろうとするわけです。その結果、株式 市場もボックス圏から抜け出せず、ぱっとしません。 その意味から、6月にまとめられる「骨太の方針2007」には大いに注目していま す。期待外れの内容であれば世界から(日本人からも)この国は見捨てられますよ。 支持率もまた下がってきたようですよ、安倍さん。 きょうの花:ミント メンテは冥府の王ハデスに見初められます。 ハデスの浮気に嫉妬し怒った妻のペルセポネに よって「お前などくだらない草になってしまえ」と 踏みにじられ、メンテは香りの強い草に変えられてしま います。メンテからミントと呼ばれるようになっても無念の 気持ちはかわりません。このことから恋人にプレゼントを贈る際にミ ントを添えると「余所見をしないで私だけを見て」を意味するようになりました。 私だけを見て ミントの色香 誘ってる
2007.05.28
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経営者にも資格試験を!? 今日も船橋は朝方は涼しいものの日中は30度近くになるとラジオが言って いました。「今日の花」というのをインターネットで検索していたら、世界の 国花というHPに行き着いて眺めていたら「バラ」を国花にする国がサウジ、イ ギリス、ブルガリア、ポルトガル、ルーマニア、ルクセンブルグ、モロッコと、 とても多いことに気づきました。外交儀式とか問題が出ないのかネ? さらに調べると、国花というのは(とくに日本の場合)、法律などで決め られたものではなく、慣習として存在するのだと書いてありました。ただ、日 本の場合、桜(山桜)と菊だそうですが、何となく納得できますね。国花とい うものは国民性を表すのでしょう。日本人は「花の下にて春死なん」ですね。 さて今日の日経の社説は「新興株式市場再建への再編の機は熟した」との 見出しを掲げています。「再」という漢字を2回も使っているのはセンスがあり ませんね。プロらしくない表現ですね。それはともかくこの記事では、新興株 の低迷の背景として以下の4つを挙げています。第1が業績向上の期待がもてな いこと、第2に企業のコンプライアンス問題、第3に新興市場の乱立の弊害(国 内6証券取引所がすべて新興市場をもっている。カニバリですね)、第4に、デ イトレや分トレを繰り返す短期指向の投資家。以上の4点が新興市場の問題だと いっているわけです。結論として乱立する新興市場の統合をするべきだというわ けです。やはり新興市場はバブルなのですね。 この主張には賛成しますが、もう1点、重要な点が抜けている、という気が します。それは経営者の事業能力に問題がある、という点です(私も一応は投資 家の端の端にいるから言う資格はあるでしょう)。上場する新興会社は、アイデ アだけ、というか、事業コンセプトだけで伸びてきているだけに、経営戦略とい うか、マーケティングという面に弱点があります。とくに私が株をもっている会 社はその傾向が大です(なにしろ、リスクマネーを賭けているわけですから、当 方も逐一勉強しています)。事業にはタイミングが必要なのです。 先のコンプライアンス問題も然りですが、新興企業の経営者にも経営者とし ての資格試験のようなものがあってもよい、感じます。これは単なるアイデアで す。今のところ詰めた考えではありません。取引市場が制度をつくるのも一法。 今日の花:ひなぎく(雛菊) デイジーとも呼ばれます。イタリアの国花だそうです。 何となく華やかでデザインの国、イタリアに似つかわしいですね。 個人的には、豊満なイメージで昼下がりの気だるさを感じます。その点か ら赤よりは白の方が清清しい感じがします。 ひなぎくで ソフィアローレン 思い出す
2007.05.27
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まずマイバッグから始めるか-再生可能エネルギーについて 今日は素晴らしい天気ですね。船橋は昨日一日雨、早朝からの快晴は気分 まで青空にしてくれます。 再生可能エネルギーを考えたいと思います。日本では自然エネルギーとい うのがお役所用語です。再生可能エネルギー<自然エネルギーということらし いです。自然エネルギーには未利用や未発見の化石資源なども含めて考えてい るようです。アタマいいネ、官僚は。最初から”逃げ”をうっている。 総理の安倍さんが東京で開かれた国際会議で25日に、「世界全体の温暖化 ガスを2050年までに半減させる」と発言しました。世界全体で、というところ が可笑しいですね。自分の国の削減目標達成が怪しくなっていることを気遣っ たのでしょうか。積極的なユーロへの対抗意識もあるかな?。 まあ、ひねくれた解釈は別として、中国やアメリカを温暖化防止スキーム に引き込もう、という意図はgoodですね。IPCCの報告にもあるように地球環境 は放蕩息子の人類に“もう我慢の限界だ、許さないぞ!!”と怒っているわけ ですから。 日本のエネルギー戦略の中心は原子力であることに変化はありません。07 年度の原子力予算は1770億円(06年度は1677億円)。そのうち7割は原発があ る自治体への支援費用です。これを役所語だと「原子力発電施設等地域との共 生実現」費用、となります(迷訳ですネ、役人は意味不明文章の達人です)。 原発はなにしろカネがかかります。建設段階でまず何千億円という資金が 必要なうえに、今後、切実になる核のゴミ捨て場にも兆という単位の費用が発 生します。コれらにかかる費用は、いずれ税金や電気代として私たちが負担す ることになります。 原子力が私たちの生活に欠かせない、ということはわかるのですが、入れ 込み過ぎだと感じます。やはり電力会社との共同作戦なのかな?(癒着という ような過激な言葉は使いません)、電力自由化も進まないしネ。 さて、そこで再生可能エネルギーの出番です、と言いたいところですが、 これがこの国では今一、盛り上がりません。国では「新エネルギー産業ビジ ョン」のなかでその重要性を位置づけています。自民党や民主党のHPでも同 様です。しかし2010年までの目標として全電力供給量に占める割合はごく低 いのが現状です。 ちなみに自民党が昨年に出した「総合エネルギー戦略(中間報告)では、 わが国の再生エネルギーのシェアはドイツ並みだと胸を張っていますが、こ れは水力を含めた話です。世界で注目されている風力やバイオマスなどは低 い水準です。民主党の政策提言も抽象的で具体性がありません。 民間レベルでは少し活発になってきましたね。各地で「市民風車」などが 稼動しています。市民が出資してファンドをつくって発電を行う形です。配当 も出るようになってきているそうです。私が住む千葉県にも市民風車があるよ うです。銀行がカネを貸さないから仕方なく市民ファンド形式にした、という のがホンネのようですが。 いずれにしても国や自治体がもっと資金的にバックアップできないのかな、 と感じます。政治や行政は、在来型の大産業には手厚く支援する割には、NPOや 地域産業にはちょっと冷たいのではないか、と感じます。機会があれば私も発電 市民ファンドに投資しようかな、と思いました。 いやその前に身近にできる温暖化ガス削減が先決かな。わが家も早速、マイ バッグ持参の買い物とテレビの元電源を切ることから始めるか。 きょうの花:オリーブ 花言葉は“平和”。オリンピックの優勝者の栄誉の冠に使われます。 初夏に白い花を咲かせます。自家受粉できないので実を付けるためには2本以上、 木が隣接していなければなりません。 オリーブ花 一人ぼっちは 寂しいか
2007.05.26
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くつわ 「THE COMPLETE WORKS OF RAYMOND CARVER 3」 レイモンド・カーヴァー著、村上春樹訳(1990、中央公論社) すみません、またカーヴァーの短編の書評です。私はかれの描く、落ちこぼ れが何とも好きなんです。コラこら、そこでうんざりしているアナタ、とりあえ ず、今のところ手持ちはこれだけですので、お付き合いください。 暗いなぁ、典型的な失敗者の話です。周りを取り囲むのは、享楽に現を抜か し、無気力に日々を過ごす愚かな人間たちです。この短編小説に救いがあるのは、 あきれながらも暖かく見つめる女主人の目線でしょうか。彼女はモーテルの管理 人夫婦の妻です。全編、彼女の独白で終始しています。 ある日、他州ナンバーを付けた中古のステーションワゴンがやってきます。 中年夫婦と少年2人の子どもが乗っています。トランクには家財用品も積んであ ります。かれらは2ベッドルームと台所だけの狭い部屋を借りることになりまし た。 このさすらいのファミリー、夫は元農場主です。堅気に暮らしていたのです が馬主になる夢に夢中になったものの失敗、無一文になりました。夫はすっかり 落ち込んでしまいます。妻は少女時代には世界が自分を中心に回っている、と考 えていました。年寄りがバカに見えました。でも現在では「夢というのはそこか ら覚めるためのものだ」と言うようになってしまいました。今では夫婦は2人の 子どもを連れてスーションワゴンで各地を点々とする生活に成り果てています。 あぁ、切ないですね。 このモーテルには、他にも男をつくっては放り出すことを繰り返す若い女と、 女のヒモのような若い男によるカップル、共に離婚経験のある夜間にコックのパ ートをする中年男と昼と夜に大衆食堂でウェイトレスのパートをしている夫婦が 住んでいます。アメリカン・ドリームなどどこの世界の話し?、というような人 々ばかりです。 ある夜、酔っ払った勢いで元農場主はモーテルに備え付けのプールにある更 衣室の屋上に登ります。他の同宿人はプールに飛び込め、ダイブしろ、と面白が ってはやし立てます。調子に乗った元農場主は飛び込もうとしますが失敗。地面 に激突します。額を切り、病院に運ばれる事態となります。 幸い怪我は軽傷でしたが、それを機会に男は一層、無気力の度を増すことと なります。挨拶もせずにベランダにぼっと突っ立ったままで外を眺めるだけの毎 日です。人との会話もなくなりました。妻もそれまで働いていた食堂の仕事を辞 めてしまいます。 そして、主人公の管理人の妻は、ある日、かれらが車にまた少ない家財道具 を積み込んでいるのを発見します。聞いてみると引っ越すということです。車が 出て行った後、かれらが借りていた部屋を片付けにいくとなぜか大事にしていた “くつわ”(轡:それは元農場主の夢の証であったはずです)だけが残されてい る、というストーリーです。 余韻の残るラストシーンですね。大事にしていた“くつわ”を置いて行った ということが象徴的です。一縷の希望まで失って出て行った中年夫婦の心情を思 うと切ない気持ちになります。このように重苦しい内容の小説ですが、救いは女 主人の暖かい目線です。小説全体が優しい筆致で仕上がっています。このほんわ か、とした優しさがこの作品の重苦しさを払いこの小説の魅力となっています。 私がこの楽天ブログに参加してほぼ1ヶ月。まぁ、あまり人気は ないようですが・・・そんなことはどうでも良い。いろいろ自己表 現を、皆さん、していきましょう。ただ、くれぐれも自己陶酔症候 群には陥らないようにネ。羅病するとみっともないよ。
2007.05.25
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高島屋では先月から、客に対して「販売員の声かけを控える」という 新しいサービスを始めたそうです。サービスを希望する客はインフォメー ションカウンターで「S.E.E.(シー)カード」と呼ばれるカードを 受け取り、首にかけるということです。日経MJメルマガに載っていました。 それでは販売員は売るロボットか、と直感的に感じました。確かに店 に入って、品物を見ているときに「何をお探しですか」と店員さんに声を かけられ、うっとおしい気分になるときもあります。一方で、わからない ことがあって、こちらから質問するのも気が引けるので店員さんが気付い てくれないかな、という経験があることも事実です。 要は販売員が、客の表情や行動を注意深く観察して、臨機応変に対応 するべきなのではないでしょうか。それを一律に規制するやり方は、付加 価値を売る百貨店としてはどういうものか、と正直感じます。何も考えず に機械的に、客の指示にしたがうロボットのような販売員を量産する弊害 はないか、と思った次第です。 そこで読み終わった「京都『菊乃井』大女将の人育て、商い育て」 (朝日新聞社、2003)を思い出しました。高級料亭「菊乃井」大女将、村 田英子さんのホスピタリティ・マネージメント論ですが、客もてなしの本 質は、お客のニーズや気分を察知することだということです。 「(あいさつのために)お座敷に座って五分も話をしたら、その集まリ の目的が何で、その席の主役がどなたはんかを悟ることができます。逆に 言うと、短時間でそういうことが察知できんと、女将はつとまりまへん。 ・・・そういう空気を短時間で読むためには、場数を踏むしかないでっし ゃろな。生まれつき勘の鈍い人はいるかもしれへんけど、訓練を積むこと である程度、感覚が磨かれていくのと違いまっしゃろか」 この言葉は、料亭の経営者である女将の心構えとして、述べられたも のですが、客と接するすべての人々に言えるのではないかと感じました。 緑?、青? 春から初夏に向かうこの時季、あらゆる草木が色濃くなって きます。「青葉」「青田」「青野」と「青」という言葉が使われます。でも 万緑というように、緑を使うこともあります。緑は目に見えるそのままです が、どうして青という表現をつかうのでしょうか。ふと疑問に思いました。 街の朝 万緑の青 染みわたる それでは今日も良い一日を (追伸)これをアップロードした後に、「ウィキペディア」を見たら 病気でない普通の人でも色の感じ方は個人差があるようです ね。私には正真正銘の緑に見えても、人によっては青っぽく 見えるそうです。すみません。くだらないことで。
2007.05.25
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大聖堂 THE COMPLETE WORKS OF RAYMOND CARVER 3 レイモンド・カーヴァー著、村上春樹訳(1990、中央公論社) 主人公は、酒も大麻もやるが、カーヴァーのよく描く失敗者ではありません。 ただ職がないのかぁ、家のなかでテレビばかり見ている感じがします。人との付 き合いもうまくできないようです。妻からは、「友達もいないくせに」と言われ ます。まあ、やはり、ダメ男の部類かな。でもダメ男でもよいではないですか。 親近感を感じます。この作者の魅力は、こういうエリートではない、大衆以下の 人間を描くのが上手なことです。 この物語は人付き合いの悪い男が、他人との共感を取り戻す再生の物語です。 ある日妻の元雇い主が訪ねて来ます。この人は目が見えません。しかし妙に人を 引き付ける能力があるようで妻とは仕事を辞めた後、現在に至るまで録音テープ による文通を行っています。ついですが、かれの亡くなった奥さんもかれの秘書 をしていました。 その日、夕食を終えた後、疲れから妻が寝てしまうと夫とその人物の二人だ けになってしまいます。人付き合いの苦手な夫は早速話題に困ってしまいます。 つけていたテレビに大聖堂が写っていて、そのことを男が言うと、その人物は風 景を描写してくれと男に頼みます。「うまく伝えることができない」と男が言う と、紙とペンを持って来て欲しい、とその人物が言います。持ってくるとその人 物は男のペンをもつ手に自らの手を添えながら、テレビに映っている大聖堂の絵 を描いてくれ、と頼む。つまり男の描く絵を手で体感しようというわけです。 男は盲人と手を触れ合わせながら絵を描いていきながら、次第に暖かい気持 ちになっていきます。男は言います。「たしかにこれはすごいや」。この最後の 言葉がこの短編のすべてを語っていますね。珠玉の作品だと思います。 カーヴァーの小説は、やるせないテーマが多いのに、不思議とジメジメした 感じがないですね。私が思うに、やはり村上春樹さんの訳が好いからだと思いま す。かれの小説でもそうですが、語り口が軽いうえに湿度が少ないと感じます。 そのうえリズムとテンポがあります。一口にいうとセンスが良いですね。これに は村上さんのお好きなジャズとの関わりが大きいのでしょうか。もしそうだとす れば、村上さんはMJQが好きなのかな、とくにジョン・ルイスのクールなピアノ がマッチしますね。同じピアノでもマッコイ・タイナーではありませんね。
2007.05.24
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毎日新聞の本日付け「憂楽帳」に、よい文章がある。引用すると 「耳を澄まして-秋田県にかほ市の小野田セツ子さん(56)は24年前、幼い 3人の子供を抱え、悲嘆に暮れていた。結婚7年、三つ年上の夫が他界し、生き ていく意味を見失った。 書店で手にした一冊の本に心動いた。植物の魅力を伝える、その本から店舗な どの空間を観葉植物や、鉢植えで演出する『グリーンコーディネーター』という 仕事があるのを知った。資格を得るため半年間、夜行列車に揺られながら、東京 の学校へ週1回、通った。 ひたむきに、たくましく生きる草木に人生を重ね合わせた。つらい日、悲しい 時、折々に草花の声を聴いた。その度に自らを励まし、前へと歩み続けてきた。 植物とかかわって20年、集大成としてエッセー・詩集『耳を澄ましてごらん~ Listen Carefully~』を出した。『種をまきましょう。種をま かずして収穫を期待していませんか?』と題した一章に、こう書いた。 『100粒蒔(ま)いても1粒しか発芽しないかもしれない。でも、蒔かなけ れば発芽もしない』『希望』という名の種は、誰もが持っている。」 (引用終わり) 早速、興味をもってgoogleで検索すると一番上にAmazonが表示されたので、 早速開いた。値段はいくらです、とか、発送はすぐです、とか商売に関するこ とばかりで、本の内容にふれる部分はほとんどない。こっちが知りたいのは、 買うに値するものなのか、ということだ。 ちくま書房がやっているように、「立ち読み」がもっとできないのか。興味 のある本が出る度に本屋へ行ってはいられない。なかには近くに本屋がない人だ っているだろう。 個人の消費は大部分が“心理”によって決まる。買うか、買わないかを決め るのは消費者の一瞬のタイミングである。その「運命の瞬間」をもっと大切にし ろと企業に言いたい。ああ、Amazonは1,575円の売上を逃したよ!? きょうの花:ヘリオトロープ 紫色の小さな花を群生させます。甘い香りがし、別名は「香水草」。 花言葉は「愛よ永遠なれ」。きょうの駄句はありません。写真をみて 何にも浮かんでこない。
2007.05.24
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熱 「THE COMPLETE WORKS OF RAYMOND CARVER 3」 レイモンド・カーヴァー著、村上春樹訳(1990、中央公論社) この小説の魅力はウェブスターさんというベビーシッターの存在です。 主人公は高校で美術の教師をしていますが、何とよく知っている同僚が自分 の妻と駆け落ちをしてしまいます。こういう情けない男を描けるところがカ ーヴァーの魅力です。 男は出て行った理不尽な妻にまだ未練を残しています。妻へ何度も電話 もしています。不可解なのは勝手に出て行った妻も時折、しゃあしゃあと電 話をよこして「愛している」などと言ってくることです。何とも理解できま せん。私たち日本人とは精神構造が違うのかもしれません。しかし女々しい 男、うまく描きますねぇ。 男がまず困ったことは幼い二人の子どもの世話です。二人ほどベビーシ ッターを試してみますが、うまくいきません。仕事と子どもの世話の両立は 難しく、その上、子どもがときどき「ママはいつ帰ってくるの」と聞かれる のがまいります。次第に男は精神的にも不安定となり、ノイローゼになって いきます。自分を捨てた女房に泣き言を電話で言います。 そんななか、鮮やかに登場するのがウェブスターさんです。彼女はすぐ さま子どもの心を捉えます。子どもたちは彼女になつき、一緒にあそんだり、 料理を教わったりする毎日です。あの「ママはいつ帰ってくるの」の質問も 出なくなりました。女は強い、やはり太陽なのです。 男も精神状態が安定し元気になりました。仕事もうまく行き、現在のガ ールフレンドとも結婚を意識するようにまでなりました。 しかしそんななか、ウェブスターさんは遠方の子どもの家に同居するの で、これ以上ベビーシッターの仕事はできない、言ってきました。男はがっ かりするが、もう以前のように落ち込むことはありません。ウェブスターさ んがすべてを変えたのでした。 この小説では珍しくカーヴァーは失敗者を描いていません。主人公は妻 に逃げられたとはいえ、定職にもついていてガールフレンドもいます。病ん でいるのは精神状態でしたが、それもウェブスターさんに癒されました。な にやらホッとする小説です。一人の女性が現れて、逆境を一から覆してしま う、女性の強さを象徴する話です。ああ、それにしても男族の弱さよ!。
2007.05.23
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きのうの新聞に「フューチャリスト宣言」(ちくま新書)の宣伝が 載っていた。まずはタイトルのインパクトに魅かれた。「立ち読み」が できる、ということなので早速、ちくま書房のHPへ行った。 内容は、梅田望夫さんと茂木健一郎さんとの対談であり、心に突き 刺さるようなキーワードのオンパレードだった。「(今は)再び未来に 明るい何物かを見始めているように感じられる」、「未来は創りだすも の」、「(現在は)時代の大きな変わり目」・・・。 新時代を切り開く起爆剤はインターネットであるそうだ。「明るい 未来像を生み出すもととなっているのはインターネットである」、 「(インターネット)はセレンディピィティ:偶然の出会いを高速化して ている」、「(キーワードは)アフィリエイト(連携)」。 確かに今ほどひとりひとりの個人がインターネット上で、自分らしさ を表現できる時代はかつてなかったように、私もブログを始めてみて実感 する。玉石混交ではあるにしてもだ。ちなみに私は路傍の石っころです。 自分自身は、このままインターネットが新時代を作り出す原動力とな るのかまだ懐疑的ではある(年のせいもあるかな)が、時代は変わりつつ あることは肌感覚でわかる。自己表現がどんどん進んでいくだろう。 私は経済が好きなのでよくその関係の雑誌などを目にする。きのうもエ コノミストの武者さんと水野さんの対談を読んでいたのだが、お二人とも長 期(20年とか30年)的にはこの国の経済を悲観的に観ることで共通していた。 未来は明るいのか、暗いのか、はもちろんわからないが、どちらかという と悲観派の私はバランスをとる意味でも、この本を読んでみようと思った次第 である。 それにしてもこの誤字・脱字の多さは何だ、自分を叱る。自動的に直し てくれるソフトはないものか・・・とグチをこぼすgotoである。今日も晴天 好い一日でありますように! 読んでいただいている方、楽天以外でご覧の方も、メールを下さい。 プロフィールに私のメールアドレスを書いておきました。「フューチャ リスト宣言」にもあるように、偶然性の出会いを深め、連携しましょう! きょうの花:草の芽 「生きる」という漢字の古い形は上に山、下に土、書くそうです。 草の芽が、土を破り地上に姿を見せる様子は、まさに生命力の神秘。 草の芽の 皆に与えよ 生きる力を
2007.05.23
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個人の振興株離れが止まらない、今日の新聞で出ていました。一方、ある 株式評論家はご自分の講演会のなかで聞いてみると売った人はいなかった、 と言っておられました。そうすると誰が売っているのか、五里霧中となります ね。日本の新興株を売ったマネーが中国市場に流れているのでしょうか? しかし新興市場の落ち込みはひどい。私の場合は、3年とか5年先を見て いるので日々の株価にはあまり右往左往しないつもりですが、それでもある 銘柄は買ったときの10分の1程度にまで値下がりしています。 私はこの新興企業のていたらくの一因は、会社のコミュニケーション能力 の不足にあるのではないかという気がします。私は投資した会社のビジネス モデルに関心があるので、よくEメールで質問をします。しかしまともな回答が あった試しはありません。まあIR担当者の問題もあるかもしれないですが。 会社とすればインサイダーの問題があるのである個人だけに情報を開示す るわけにはいかない、という論理でしょう。しかしただでさえ情報量の少ない 新興企業はもっと自社のことを積極的に発信するべきです。それもIR担当者に 任せきりにするのではなく、経営者自らによってです。そうしなければ新興 企業への投資家の不信感は解消されないように思うのですが。経営者は考えて 欲しいですね。 コミュニケーション能力は私たち個人にも必要ですね。インターネット での会話には大いに大人力を発揮しましょう。 きょうの花:釣浮き草 我も見習え 頭を垂るる 釣浮き草 画像は下記よりいただきました。「季節の花300」http://www.hana300.com
2007.05.22
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書評「天ぷら『みかわ』名人の仕事」(早乙女哲也著、プレジデント社、2003) 名人の処世法 本というものは、読む側の立場でいろいろな読み方ができるものだ。本書 もそうだ。グルメの人から見ると、この店の天ぷらは本物なんだ、と感じさせ てくれるはずだ。もっとも「みかわ」は既に超有名店である。但し、行かれる 方、覚悟してください。カウンターの向こうからあなたはすべてを見られてい ますよ。 料理人や飲食関係の人にとっては、料理哲学や料理技術を学ぶ指導書とし ての役割をもつのではないだろうか。例えば、早乙女さんの「材料から始まっ て、道具やら自分のテクニックも含んだところまで考えると、チェックポイン トなんて百や二百は軽くあるの」や、包丁を「指先よりもっと鋭敏なものとし て扱わなくてはいけないんだ」というようなコメントを丹念に読んでいけば格 好の指導書になるのではないか。 ビジネス書として読むこともできる。例えば「100%の力を出させられちゃ うお客さんなのか、出さなくてもいいお客さんなのかっていう判断はいつもし てるんです」という発言はマーケティング論だ。コストと効果を見合わせて、 丁度見合ったところでサービスを展開するということだ。 日本文化論としても読める。早乙女さんの「無心になれば何一つ余分な所作 はない。見る側もその雰囲気のなかでは一つも異様に見えないものなんだよ。歌 舞伎の見得だって本来そういうものでしょ?」。これは、技術を道にまで抽象化 する日本独特の発想である。 本書には他に、早乙女さんのやきもの論や職人・芸術論まで多彩に語られて いる。ときに読み直したい一冊である。それにしてもインターネットの評価ブロ グに載せる目的でデジカメ持参で来店する客もあるそうだ。ありがたさ半分、迷 惑半分というところだ。 私はこの本を、“生き方論”として読んだ。人いかに生きるべきか、などと いうと大げさになるが、名人・達人のもつ価値観や発想の方法などを知ることが できる。それらは私たちがいきるうえで礎となるはずだ。本書のなかでも寿司 「すきやばし次郎」店主である小野二郎さんとの対談は、名人と達人同士の真剣 勝負の迫力である。以下に、私が感銘を受けたコメントに表題をつけて書き出し た。 このように表題をつけてしまうと、陳腐な人生訓のようなものとなってしま うような気がする。実際に本書を手にとって文間を読んでいただきたい。読む人、 ひとりひとりで得るものは異なってくるはずだ。語り言葉のもつ説得力を味わっ て欲しい。 仕事とは 「リズムがかみ合った充実感というのが、いまオヤジさん(小野さん)の 言った『ありがたい』ということなんですよ。自分のした仕事と、それを食 べてくれたお客さんの気持ちががっちりとかみ合うと気分がいい」 (早乙 女さん)。 こだわり 「(仕入れたネタの)そのちょっとした差で自分が気に入らないだけなん だけど、でもやっぱりこの人にはこれ(最高のネタで)食べさせたかっただ けどなあ、というのがあるんですよ。でイヤイヤ仕事していることがありま すよ。ノッて仕事していないんだもの」 (小野さん)。 自分らしさ 「ゆうべお客さんがもっと『もっとつまみ欲しい』って言うから、『うちは 居酒屋じゃないから、つまみはもない』って言ったんですよ。最初から考えが 違うお客さんがいるわけですよね」 (小野さん)。 トータルバランス 「(小野さんの店は)絵が季節ごとに替わっていたり、やきものが飾って あったり、店の雰囲気から清潔感から、そういうものがトータルでオヤジさ ん(小野さん)の感性ですから。そこまで味わわないとつまんない」 (早乙 女さん)。 「そのトータルが寿司なんですよ」 (小野さん)。 目利き力 「私なんか人のやつでも『あ、これは天庄の旦那のかき揚げだねえ』って すぐわかるよ。うん20何年見てなくたってすぐわかる。人間が全部出てる」 (早乙女さん)。 タイミングを逃さない 「要するにみんな同じなんですよ。モノを作るときっていうのはね。絶対に ココでモノをつかむんだっていう瞬間があって、それがオヤジさんの寿司に もちゃんと現れているんですよ」 (早乙女さん)。 引退観 「40代、50代というのは、一般的にはピークだと言われているけども、その 頃っていうのは、いま、みかわさんが言ったように、流す仕事っていうのが あったんですよ。この頃はそれができなくなってどんどん慎重になってきて います。だから私は年とともに仕事のレベルが落ちているなんて思っていな いんです」 (小野さん)。 「いま自分は77になってもやっているけど、自分としてはまだまだそれ以上 の仕事をしたいっていうのもあるから、ますますおろそかに仕事できなくなっ てくる。年とともにどんどん見えてくるものがあるから、だから余計慎重にな ります」 (小野さん)。 「これね、第一条件として、仕事好きな人じゃないとダメだと思うんですよ。 年とって第一線でやっている人たちって、一日寝なくたって平気で仕事する人 でしょう?だから単純に仕事が本当に好きじゃないと、40、50になって挫折し てくるんだと思いますね」 (小野さん)。 以上
2007.05.21
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船橋は今日も朝から雲ひとつない真っ青な空です。ご気分はいかがですか。 きょうは変額年金の話をします。今、銀行や証券会社は団塊退職者を中心に変 額年金の売上が好調なようです。 銀行は3大メガバンクだけで昨年5兆円以上を売りました。また遅ればせ ながらと証券会社も強化して、大手3社(野村、大和、日興コーディアル)だ けで、今年3月までに2兆円を売り上げました(日経5/20)。 だが、ちょっと待ってください、とgotoは言いたいのです。変額年金は、保 障というオマケのついた株式投信と考えるべきだからです。多くが一時払いで数 百万の保険料を支払う形ですが、年金額が確定するのは10年とか20年経った後の 話で、そのときの相場次第でぐんと少なくなる可能性もあります(もちろん増え る場合もあります)。 皆さん、20年後の経済なんて誰がわかるでしょうか。戦争が起きるかもしれ ない、大きな地震も起きる可能性だってあります。中国やインドがこのまま成長 する保証はありません。資源や地球環境はどうなるでしょうか。この国の経済 だって人口減少で衰退している可能性もあります。当然、株価なんて予測できる はずはありません。 変額年金商品のなかには、株式相場が下がっても、掛けた保険料を保証する ものもあるようですが、将来、インフレになるかもしれません。今のようなデフ レ状態がいつまでも続くとは考えられません。 大体、私論ですが、森羅万象、わかり難い物事には、ろくなものがないので す。機能不全を起こしているサッカーくじが好い例です。落ち目の原因は、予想 の面倒くささ、でした。ところがBIGという商品を売り出したら、今度は人気爆発、 システムがパンクしたそうです。 人気の原因は、コンピュータが勝手に選んでくれるため宝くじを買うのと同 じ感覚で買うことができる仕組みです。もはやtotoの面影は全くありませんが、 それでも人々の好評の理由は、“分かりやすさ”なのです。 この“分かりやすさ”の点で変額年金は大いに問題があります。投資という ことはとても重要ですが、あくまで他人に任せるのではなく、自分の知識、信念、 嗅覚といったものでするべきだ、というのがgotoの考えです。困ったときは FPに相談してください。それも証券会社のFPの仮面を被ったセールス(ウー) マンではない独立系FPにね。むしろご自身でFP資格を取られたらどうですか。 2~3ヶ月準備すればそんなに難しいものではありませんから。 このブログを読んでいただいている方がどのような年代の方か、わかりませ んが、ご両親や知人の方にぜひアドバイスをさしあげて下さい。 今日の花:スイレン 漢字では睡蓮と書きます。日本の漢字は美しいですね。 茎が水中に長く伸びています。水面に浮かぶのは可憐な花と葉ばかりです。 おみ足を 拝見したや 睡蓮花 それでは今日も好い一日でありますように
2007.05.21
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今日は気持ちの良い日曜だったのでベランダに座って小説を読みました。 柄にもなく文学系の感想文を聞いていただきたいと思います。 「THE COMPLETE WORKS OF RAYMOND CARVER 3」 (レイモンド・カーヴァー著、村上春樹訳、中央公論社、1990) 孤独な男の孤独な物語です。8年前に離婚し、一人息子も別れた妻について 家を出てから接触は絶たれました。それ以来、男は会社と家を往復するだけの 生活で、人付き合いも滅多にありません。楽しみはクラシック音楽を聴くこと と、水鳥のデコイの本を読むことだけです。 これからも静かな一人だけの生活を送るはずでした。 そんななか8年ぶりに息子から手紙を受け取ります。近況を伝えるだけの短 い手紙でしたが末尾に「ラブ(お元気で)」と書いてあるのを見て、男の心 は揺れます。 8年前のことが蘇りました。そのとき男は妻と激しい言い争いをしていま した。それを見て息子は男に掴みかかってきました。反射的に男は息子を壁 に叩きつけ、「殺してやる」と怒鳴ってしまいました。 男はわが子に投げつけた言葉でずっと自分を責め続けてきました。男は息 子に会い に行く決心をします。やりなおせるかもしれない、と思ったので した。 男は息子に会うために夜汽車のなかにいます。トイレに立った後、コンパ ートメントの自席に戻ると置いていたコートの位置が違っていることに気づ きます。コートのポケットを探るとやはりありませんでした。男が息子のプ レゼント用に買っておいた高級腕時計が失くなっているのです。誰かに置き 引きされたのです。 男はコンパートメントの向かいに座っている乗客に事情を話しますが、外 国人らしく伝わりません。身振り手振りでも理解されません。男はどこに怒 りをぶつけたらよいかわからないままに他の車両をさまよい歩きます。 あきらめて自分の席に戻ってくると今度は棚に置いていたスーツケースも なくなっています。男が車両間をさまよっている間に、男の乗っていた車両 が切り離され、別の車両が連結されていたのです。空いている席に力なく腰 を下ろします。男は思います、「俺は何処だか知らないところに運ばれてい くんだ」。 人生を降りかけていた主人公が、息子からの手紙をきっかけに、再びやり 直そうとする最中、悲運に遭遇し、当て所のない旅に出ざるを得ない、とい う内容です。乾いた冬の夕暮れのような重苦しい読後感が残ります。 人間の心象を描くひとつの試みとして頷ける小説ですが、できれば未来の 明るさ、といったものも提示して欲しかったと思います。カーヴァーの小説 は暗いテーマを扱っても、どこかに救いのシーンがあるからです。 しかし構成はしっかりとしていて、スピード感もあります。優れた短編の 醍醐味を味わせてくれる優れた小説です。また村上春樹の訳も素晴らし い。抑制が効いています。マイルス・デイヴィスのミュート・トランペットによ るバラードが似合います。
2007.05.20
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きょうは朝から快晴です。やはり空が青いと気持ちもさわやかです。 さてgotoも一応、FPなので、今日は年金の問題についてふれてみました。 わたしたちが払っている保険料から、マッサージ椅子は買うわ、廃墟 となっている保養施設を全国に作りまくる、など呆れるばかりの蛮行を 繰り返す社保庁、いや人間というものは図に乗ると何をしでかすか、わ からないですね。怖い怖い。 こんなことを書いていると怒りで、また長口舌になりそうなので、ここ ら辺にして、きょうお話ししたいのは、「あなたの年金記録を確かめてく ださい」ということです。 社保庁は基礎年金制度を導入しました。これによって国民の全員が基礎 年金番号をもつこととなりました。しかし人によっては加入期間の記録に 漏れがあることがわかりました。加入期間はもらえる年金の額に影響して くるので切実な問題です。 以下に該当する方は一度、社保庁へ確認した方が安心です。第1は転職 した経験をもつ方です。ミスで年金手帳が統合されていない可能性がありま す。第2は主婦の方で結婚前に勤めた経験をもっている方。旧姓時代の加入 期間が統合されていないかもしれません。第3に同姓同名の人が人為的なミ スで統合されない可能性があります。 以上の理由から、ぜひ確かめてください。近くの社会保険事務所へ行って ください。年金相談窓口があるので年金手帳を持参して係員が月ベースの保 険料納付期間が記載された紙をくれます。年金手帳をもっていない方は、免 許証など個人が特定できるものでもOK。 天文学的な借金を抱えている日本、支払う年金だけでも国全体でみると毎 年1兆円ずつ増え続けています。しかし額は減る可能性があるとしても制度 は存続できると思います。安心を得るためにもぜひ確認をお勧めします。 きょうの花 「かたばみ」 早寝早起き 見習いたきや かたばみの花
2007.05.20
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今週で重要なニュースは、政府の地方分権改革推進委員会が議論を 始めたことです。焦点は国と地方の役割分担をどう見直すか、という こと。これから2年かけて検討します。国の命運がかかります。 私たちの国は、世界有数の借金国であり、今の財政赤字の下で、仮に ユーロへの加盟申請をしたら門前払いで拒否されてしまうほどです。 これから人口が本格的に減っていくのに、政治家はじめ皆、危機感が 薄いように思われます。相変わらず公共投資の拡大を主張するバカな政 治家がいるのがこの国です。 これまで国の補助金を少なくし、その分、地方が自由に使えるお金を 増やそうという”三位一体改革”が中心でしたが、右のポケットから左 に移し替えるようなもので、これでは財政赤字の改善策にはなりません。 中央の役人の出しゃばりを排除し、地方の甘えを絶つような、本質的 な議論を分権推進委には、して欲しいものです。私も昔、経験がありま すが、委員会などは事務局がリードして進められます。委員のみなさん、 行政事務局に引きずられないように用心してください。 なお、分権推進委のメンバーは次の通りです。しっかりと発言をチェ ックしていきたいと思います。丹羽宇一郎氏(委員長、伊藤忠商事会長)、 増田寛也氏(前岩手県知事)、井伊雅子氏(一橋大学)、猪瀬直樹氏 (作家)、小早川光郎氏(東京大学)、露木順一氏(神奈川県開成町長)、 横尾俊彦氏(佐賀県多久市長)。 今日の花 はくさんちどり(白山千鳥) 桃源郷 白山千鳥の はなばたけ
2007.05.19
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いつも私の日記を見ていただいてありがとうございます。 文章は下手で長いし、写真や画像もないので、さぞや読者の方にご苦痛 を与えているのでは、と日々、反省をしています。 実際、などの画面で文字を読むのって不思議な雰囲気がします。 「目を落とす」って言いますね。本などを座って読む場合、目線は下向き です。PCで読む場合、目線と平行かやや下というケースが一般的なのでは ないでしょうか。 目線の向きで理解の仕方が微妙に違ってきます。画面の場合は、まだ 情報をそしゃくしていないのに、どんどん流れていってしまうように感じ られるのは私だけでしょうか。書き込みも入れることができませんしね。 前置きが長くなりました(だからお前は嫌われる)と言われそうです。 インターネットの上で日記を書くことで、だんだんと自分の問題意識や 物事の捉え方がわかってきたようなのでそれをお聞き願いたいと思います。 結果的に、これからの執筆方針にもつながると考えています。 コンセプトを一言で言うと“敏感化”ということです。とくに私自身、 そうなのですが刻々と押し寄せる膨大な情報に呑み込まれ、あっという間に 起きたことを忘れてしまう毎日です。国民がうたた寝をしている間に、一部 の人が勝手なことをしまくります。気がついてみると、どうしたら返せるの だろう、というような借金の山が残り、誰も責任を取ろうとはしません。汚 職、談合、不祥事・・・の数々。人々が“情報過多による思考停止病”に感 染している間にこの国の土台はどんどん腐っていきます。 対策は事件や事故への情報感度を高めること。他の言い方をすると“背景 を読む”、“疑う”ということでしょうか。こんな感じかな。成熟した社会では、 Win-Winゲームはありません。誰かが利益を得れば、残りの人たちが損をする のです。株式市場と同じようにね。だから用心しなければいけません。 また長くなりました。最後に一言。かといって私は不平不満屋ではありま せん。世のなかには優れた人や業績などが沢山います。大げさに言えば、こ の国は潜在力というかエネルギーというものももっています。そんなものに も敏感でいたいな、と思います。今後ともよろしくお願いします。
2007.05.18
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筆者は経済や社会の動きに興味があるので、どうしても硬い話になりがちです。 また文章も長くなります。毛色の変わった日記ですが、たまにはお寄りください。書評 「鈴木敏文の『統計心理学』」(2002、プレジデント社) 会社の実態を探る類のビジネス書は、経営者自身によって書かれたものが良い。 プロのライターが書いたものは全般につまらない。著者自身の価値観が入っている ことがまず第1、第2にはしばしば提灯を下げたような解説が鼻につく。本書は フリージャーナリストの勝見明さんが書かれたものだが、鈴木さんの生の発言を ふんだんに活かしている。 読後の第一印象は、やはり実践の裏づけがあるだけに説得力が抜群だということ。 “あのセブンーイレブンはこうやって、いろいろな革命をしてきたんだなぁ”と素直 に納得できる良書だ。 また鈴木敏文さんは、ベンチャーの資質を備えた人だと、改めて尊敬した。最近、 日本経済新聞の「私の履歴書」に寄稿されていたが、残念なところが1点あった。 会社としてのサクセス・ストーリーだけでなく、もっと鈴木さんの発想法や思考の 経路などを開陳して欲しかった、と思う。 さて本書では、鈴木さんが率いるセブンーイレブンの事業発想法がよく分かる。 発想の原則は以下の3点だと筆者には感じとれた。 1.常識を疑ってかかる、 2.心理学で考える、3. 未来指向で発想する 1. 常識を疑ってかかる 消費者は多様化などしていない 「私が商売を通じて見る日本人の姿は、明らかに“画一化の時代”です」 世の中の多様化・個性化論調を批判しての発言だ。ある流行が起きると殺到し、 あっという間に離散する。単に流行のテンポが速くなっているだけだ、画一化は むしろ高まっている気がする、というのが趣旨である。 売れない原因はタンス在庫ではない 「今のお客は商品やサービスの“質”に価値を認めなければ買わなくなった」 鈴木さんはタンス在庫がいっぱいだから消費者はモノを買わなくなった、という 風潮に反対する。それは言い訳に過ぎないと考えている。魅力的な商品を提案でき ないでいる売る側にこそ問題がある、ということだ。 世間から非常識といわれる事に可能性がある 「既存の常識から見れば非常識でも、それをやらなければ新しいことはできない、 と考えたのです」。 当時、セブン-イレブンを展開しようとしたとき、小さい店より大型店の時代だ と、周囲は大反対だった。鈴木さんの考えは生産性をもっと高め、きめ細かく柔軟 にお客のニーズに応えていけば必ず成功する、というものだった。 売れないことを景気の悪さのせいにしない 「これだけ一生懸命やっているのに売れないのは、どこかがおかしいと考えれば、 自分たちがお客のニーズに応えていないことに気づくことができます」 一生懸命やっているのだから売れないのは環境のせいだ、というニュアンスは方々 で耳にする。小売企業の決算発表など冒頭から天候の影響に触れることが典型である。 鈴木さんはこれを批判して、売れない理由は消費者が喜んで買ってくれるものを供給 していないからだと看破する。 つじつまの合う話は胡散臭い 「つじつまが合いすぎるのは、逆におかしいわけです。」 人間でも組織でも格好良く見せたいがために、つじつまを合わせることをよく する、と鈴木さんは言う。世の中はそんなに合理的なものではなく、つじつまが 合っていれば、「これはおかしいな」と思わなければいけない、というのが鈴木 さんの発想である。2.心理学で考える. 完売は消費者に不満足を与えているサイン 「要はお客のわがままに対して、われわれはどこまで歩調を合わせることができる かどうかです」。 小売店は売り切れて棚に商品が無くなると大成功と考えるが、それは間違いだと 言う。売り切れた後に来た消費者は、自分の店を駄目な店だと決めつけ、2度と来て くれないだろう、というのが鈴木さんの意見だ。消費者の心理を理解して、どこまで 歩調を合わせることができるかどうかで小売業の勝負は決まる、と言う。 消費は経済合理性だけでは動かない 「消費というものが顧客の心理によって大きく左右され、しかも、その傾向がます ます顕著になっています」。 経済学の教科書などでは、人間は合理的に行動し、需要と供給がバランスした ところで価格が決まる、と教える。しかし鈴木さんの考えは、豊かな日本では消費者 の心理を無視した商売は成り立たない、ということだ。確かに現在では、行動経済学 といった分野も注目されている。経済活動に心理分析は欠かせないものとなっている。 心理分析からは銀行やeコマースは当然の新規事業 「銀行業も人間の心理を考えたときに自然に出てきたものです」。「eコマースと いえどもお客は安心感を求めます。そのとき商品の受け渡しのプラットフォームと しての店舗の存在がその安心感を与えます」。 サンダル履きで銀行に行くのは普通の人は気が引けるだろう、またネットで発注を しても商品の受け渡しはリアルでしたいというのが人間の心理だ。つまり銀行や eコマースといった新規事業は、実は、安心・便利をコンセプトとするコンビニの 事業発想の延長から自然に出てきたものだという。3. 未来指向で発想する 明日は今日の延長ではない 「今、求められているのは“明日のお客”が満足するものを提供すること」 商売において昨日、今日、明日は不連続という視点が必要だという。昨日、 売れた商品が今日も明日も売れ続けるという保証は全くない。だから社員たちにも、 過去を捨てろ、過去を捨てろ、といい続けているという。 小売業が環境対応業ということの意味 「いつでも変化対応できる体質をつくっておくことが必要です」 コンビニは新しい商品や新しい事業など、常に新しいことに挑戦している。 鈴木さんに言わせると、それは先手を打とうとしているわけではなくて、顧客の 変化に遅れないように、変化と歩調を合わせている、のだと言う。 仮説づくりが最重要 「明日という日は今日と違って何が売れるのかは、自分なりに問題意識を持ち、 仮説を立てていかないと分かりません」 POSは“明日のお客”のデータを出してくれない、店舗ごとに現場で仮説を立て、 それをもとに仕入れをする。仮説どおりの結果が出たかどうかはPOSデータですぐ わかる。POSはそういう使い方をするものだ、と言う。 以上が本書のエッセンスである。さて普通ならここで書評を終わります、 というところであるが、一言、セブン-イレブンと鈴木さんに物申したい ことがある(生意気ですみません)。それは、最近の同社の革新が迫力に 欠けることだ(筆者にはそう思われる)。 私は以前に民間のシンクタンクにいたので、セブン-イレブン本部で行く 機会があった。 そのときの印象としては本部の社員が、上記の鈴木さんと発想がうり二つで あったということだ。こちらが何かの質問をすると、「その質問は何のためか」、 「どのような根拠があってそう言うのか」などと逆質問してくるのである。 上記の「1. 常識を疑ってかかる」での鈴木さんの発想と酷似しているのである。 それは総じて好ましいものであった。現状打破を重視するセブン-イレブン らしいと、かえって爽やかな印象をもったものであった。 さて一方、現在である。私は今ではファイナンシャル・プランナーの仕事を しているのでセブン-イレブンとの接触は全くないが、最近の同社を見ている と、オヤッと思うことがままある。既存店売上が伸び悩んでいる、といった ようなことではない。例えば、前期の出店数は経営者の応募が少なかったため 目標をクリアーできなかった、と報道された。 出店余地はまだ十分にあるので、応募者が少ない、ということはコンビニや セブン-イレブンへの発展期待が萎えつつあるのではないかと心配する。いや、 もっと踏み込んで言えば(すみません)、鈴木敏文というカリスマの神通力が 失われつつあるのではないか。 もっとも会社というのはゴーイング・コンサーンが前提であるので、いつまで もカリスマ・リーダーの存在に頼る、というのは異常な状況である。だとすれば 同社には次代を担うリーダーが育っていないのか、という疑問にまで発展する。 よく言われる「企業の何十年寿命説」の類型に当てはまっているのでなければ 良いのだが、と思う次第である。 以上
2007.05.17
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自由化の潮流 今、国同士で貿易や経済を自由化しようという動きが世界的に高まっている。 折からの世界経済の好調さが直接の背景となっている。一見、われわれの日々の 暮らしとは無縁の政治の世界だと思われがちである。実は私たちの将来に直結する 話だ。日本は率先して開国していかなければならない。貿易自由化、経済連携強化が進展している。 国家同士でFTA、EPAなどの交渉が進んでいる。経済成長著しい中国や日本と同じ ように輸出に頼る韓国などが積極的だ。関税を無くすことで輸出増への期待がある。 この動きに刺激されるかのように日本も交渉のテンポを速めようとしている。 ここにきて日本が経済自由化の交渉を積極化させるのには日本なりの固有の事情が ある。世界、とくにアジアとの結びつきを深めなければ、日本の将来はないからだ。既に民間主導で東アジアが市場統合している 民間レベルでの企業活動が密接となっている。1980年以降、現地進出した日系 企業が東アジアで分業体制を進展させた。85年~04年までに東アジアの域内貿易 は10倍となった。また域内輸出比率も04年には50%となった。このように既に経済 実態面で統合が進んでいる。「アメリカがくしゃみをすれば日本が風邪を引く」と いった、かつてとは構造が異なっている。そのため政府間でもルールを共通化する 必要があるとの判断がこのような協定ラッシュの背景にある。自由化は日本の国益になる FTA・EPAを進めることはメリットが多い。まずいえることは日本の経済発展に つながることだ。労働の量は日本では長い目で減っていき、日本のGDPも2010年を 境として減少するという見方もある。日本経済が沈滞すれば私たちの生活も苦しく なるのは道理である。日本のためにも海外、とくに東アジア諸国のヒト・モノ・ カネ資源を活用することが避けられない。FTA・EPA 締結に積極的に取り組むことが 必要となる。 必要性の2番目は産業の体力をつけ産業高度化(生産性向上)を助ける効果だ。 現状は工業製品に比較優位を持つが、農産物は国際競争力が弱い。そのために 自由化に反対する人がいるが、FTA・EPA 時代になってから、果物を中心に農産物 を輸出するという攻めの姿勢が生じていることも事実である。産業は逆境の中で 強くなる。繊維産業を見るがよい。繊維自由化のなかで苦労しながらも今や世界に 冠たる材料技術で蘇ったではないか。守るだけでは産業は弱体化するばかりである。 経済自由化の3番目のメリットは内需拡大への寄与である。政府は対日投資や 外国人観光客を大幅に増やそうと努力しているが、そのためにはEPAがぜひとも 必要である。日本が魅力的な国にならなければ投資も観光客も呼び込めない。 EPAをよい意味での外圧として、日本社会を変革する起爆剤にもなる。国際的に 低いといわれるサービス業の生産性も高まり内需拡大につながることが期待できる はずである。 最後は、EPAが日本の不足する労働力を補う効果である。フィリピンからは 看護士・介護士、タイからはタイ料理の調理人などの受け入れが決まっている。 これも人口が減少し労働力の絶対量が不足する日本ではメリットがある。 水芭蕉 ネットで遊んでいたら、水芭蕉の花を発見しました。 清水に清楚な姿がとても似合うこの時期だけの風景ですね。筆者も 前に福島の温泉地で鑑賞したことを思い出しました。 水芭蕉といえば「夏の思い出」ですね。「夏になれば思い出す、 遥かな尾瀬」の詩で有名な江間章子(えま・しょうこ)さんです。江間さん は「花の街」でも作詞をされました。「美しい海を見たよ あふれていた 花の街よ 輪になって 輪になって 踊っていたよ 春よ春よと 踊っていたよ」 水芭蕉、夏の思い出、花の街という連想に誘われて、 北国に 春よ春よと 水ばしょう 失礼いたしました。
2007.05.16
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ベンチャーの活性化が必要だ 日本の未来を担うのはベンチャーだ。米国では1990年代から経済が復興した背景 には大企業の業績回復とIT中心のベンチャー勃興の両輪があった。一方、日本は 深刻だ。01~04年の開業率4.2%、廃業率6.4%とむしろ事業所の数が純減している のだ。日本人の起業意欲が減退していることに危機感をもつ。 経済は回復しつつも主役は重厚長大の従来型大企業だ。ベンチャーは不活発、 新興市場の時価総額も目を覆うばかりの低落ぶりだ。ベンチャーキャピタルの年間 投資額を見ても米国2.58兆円、欧州6.72兆円に対して日本は0.2兆円(05年)とケタ 違いの低さ。このままいくと日本は沈没する。ベンチャーが盛り上がらないと日本 産業の未来はない。日本でベンチャーが盛り上がらない背景 日本でベンチャーが育たない背景には、日本固有の特殊な事情がある。起業に 挑戦しない安定・大企業志向、再挑戦を阻害する文化的土壌、投資・経済分野の 知識不足、リスクマネーを嫌う安全志向・・・というような文化的・心情的なもの である。 有権者の関心が薄いため、政治家も本気になってやろうとしない。ベンチャーに 関する制度や政策が一応はあるものの機能していない。寄らば大樹の陰といった 文化特性が背景にあるのだとすれば一朝一夕に解決できる問題ではない。教育から やり直さないと駄目である。時間がかかる。 しかしグローバルの流れは待っていてはくれない。日本人の膨大な金融資産を 日本人抜きで外国人が勝手放題に運用しまくる現状を傍観するだけでよいのか。 わが国の年金資金や保険会社などがもつマネー、ないしは大学などがもつ資金も 国を栄えさせるために活用できるはずだ。それに、本当は起業を考える人々は もっと沢山いるのではないか。そのニーズをすくい上げられないことに問題がある のではないか。 ではどうしたらよいのだろうか?ベンチャー対象の企業参謀を育成する必要がある 解決策のひとつはハンズオンができる人材を育成することだ。欧米のベンチャー キャピタルはベンチャーにリスクキャピタルを提供するだけでなく、各種の経営 支援活動を行い企業を成長させるように働きかける。これをハンズオンと呼ぶ。 投資するベンチャーに企業参謀を派遣するのである。 投資先ベンチャーに取締役や実務責任者などを送り込み、経営の指導、資本政策 の立案マーケティングや財務などの人材の紹介、販売先・提携先の紹介など積極的 に経営のサポートを行うことを任務とする。カネも出すが口も出す、というやり方 だ。 一方、わが国のベンチャーキャピタル、はこれまでは資金を出してもあまり経営 に関与をしないハンズオフ型が中心であった。ハンズオンができる人材が育って いなかったためである。この点が企業再生型の投資ファンドと異なる点である。 とくに長い歴史をもつ欧米系の投資ファンドでは、企業経営に実績をもつ経営者を 資本導入と同時に送り込むことが多い。 日本にも適任者がいないわけではない。たとえば商社マンは、様々な商品、取引 先をコーディネートする能力が要求され、経営センスが養われるため、キャピタリ ストとしての能力も高いのではないか。 あるいは、昨今の企業再生などに携わる投資銀行やプライベート・エクイティ・ ファンドの中には、自ら企業経営を行い、企業価値を高める人材がおり、彼らも キャピタリストとしての能力を兼ね備えていると思われる。 このようなハンズオンに長けた人材を積極的に育成するビジネススクールなどを つくったらよい。現状は各ベンチャーキャピタルが個々、独自にOJTの形で行われて いることが多く確立体系化したものはない。大学などでもぼちぼちカリキュラムを 組んで学生を募集するところが出つつあるが、もっと盛んにして和製のベンチャー キャピタリストを養成するべきだ。
2007.05.15
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素朴な漫画、老境の味わい (日経・文化欄) 副題に「64歳から7年間で5作を出版、地域の文化を題材に」とある。 執筆者は鹿児島の鹿屋市で理容店を経営する大吉千明(おおよしちあき) さん。 母子家庭で家計は苦しく、楽しみは子どもたちで回し読みした漫画本で 「冒険ダン吉」を読むこと。皆の手で取れボロボロになった漫画本が宝物 だった。自然と自分でも漫画をかくようになった。友への約束は将来、漫画 家になる、というもの。しかし現実はそれを許さず地元で理容店を開業して 現在に至っている。 この間、漫画を描き続けた。夢は「自費出版でもいいから本を出したい」と いうもの。そんなとき大吉さんの漫画を見た出版会社の社長さんから持ちかけ られて64歳で初めての単行本「まんが・昔の子供」を出版した。 還暦を過ぎてからの処女出版が、子ども時代からの夢に火をつけた。蓄積された 思いやアイデアが爆発して7年間で5冊の本を出版するにまで至った。一億二千万人総アーティスト時代 以上が記事の概要だが、今は、自費出版なども手軽にできる時代となった。 プロの出版社もアマチュアから原稿を公募する時代となっている。また、これ を書いているブログなどインターネットなどのお陰で誰もが自分の考え方や思い を世の中に発することができるようになった。今や「一億二千万人総アーティスト 時代」に入った、という感がする。 あえて歴史に類例を求めるならば、浮世絵、黄表紙などの大衆文化が花開いた 18世紀中ごろだろう(筆者自身の直感ではあるが)。今後、通信システムの発展 はこれから本格化する。もっと多くの人々がアート(表現)に参加して欲しい。 実に面白い時代になってきた.
2007.05.14
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宗達再発見(上) (日経) 一昨年の秋に、これまでわからなかった俵屋宗達の代表作 「源氏物語関屋澪標屏風図」(国宝)の制作年代が初めてわかった。 美術には全く無縁の筆者でも宗達が日本を代表する画家であること ぐらいは知っている。その大画家の代表作、がいつ描かれたのか、 これまでわからなかったのだという。しかも国宝である。人間の知識 など知れたものだという印象をもったと同時に歴史を知ることは面白い ものだな、と感じ入った。ちなみに澪標は、みおつくし、と読む。 澪(小舟の航路)の串の意。航路を示す標識だそうである。 夢のなかの魚屋の地図 (日経) 文化欄に作家の井上荒野さんが印象的な文章を寄せている。76歳になる母 が「東京の魚屋には死んだ魚しか売っていない」ことに落胆し元気を失った。 しかしトラックで売りにくる魚屋と出会ってから、みるみる元気を回復した、 という。持病の肝臓も調子が良くなってきた。まさに食べ物のもつ威力である。 今のように流通網が発達していない昔には、「引き売り」という訪問販売が 一般的であった。顔の見える商売が再評価されつつある。大量販売は限界を 見せている。
2007.05.13
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久しぶりの再読 久しぶりの再読である。本書は1975年3月に千部の限定本として刊行されたが、 好評で売れ行きも上々だったという。筆者がもっているのは92年に出された中公 文庫版だ。 北大路魯山人(本名、房次郎)は1883年に京都上賀茂に生まれた。亡くなった のは1961年である。本書の著者紹介によれば、独学にて書・篆刻・・絵画を志す。 大正期「美食倶楽部」、「星岡茶寮」を創業、使用する一切の食器(陶器・漆器) を創案制作。以後ひたすら陶芸に没頭した、とある。 本書はすべて魯山人自身が書いたり、語ったりしたものをそのまま載せており、 他人の評価が加わっていない分、かれのものの見方、発想の仕方がよくわかる。魯山人の魅力はぶれない価値観 以前から魯山人に魅かれてきた。かれの「魯山人味道」も読んだ。ちなみに筆者 は料理や陶芸については全くの無知である。しかし魯山人の語る言葉からは、一貫 してブレない価値観を感じる。少し大上段に振りかぶって言えば、万物に共通な 法則のようなものだ。 感じ取った法則は、いろいろな分野に応用できる。新聞や雑誌を読む場合でも、 仕事をする場合でも、投資をする場合・・・である。つまり価値判断の応用性が 利くのである。 「魯山人味道」でもかれの考え方を知ることはできるが、本書ではより魯山人 の考えに近づくことができるだろう。食品の場合は保存ができないのに比べ、 陶器は先人達のコレクションが長く残されているためだろう。 それではその価値判断の法則性と何だろうか。それは自分なりのものの見方を もつということだろう。通説や権威といったもの捉われず、それらを一度、脇に 置いて、自分の頭で考え且つ実行する。そのうえで自身の考え方をつくったうえで、 もう一度 すべてを見直してみる、ということだと思う。権威を疑う 「長次郎と言いますと、茶人なんかの立場では、とにかく非常にありがたいもの になってしまっている。・・・長次郎が出ても光悦が出ても、なんでも『結構だ、 結構だ』、『何とも言えぬ』で通っているのであります。」(「私の作陶体験は先人 をかく観る」から)自分の考えをもつ 「私の作っています陶器は、唯一人独特の行き方をしており、作柄も類例のない ような変り方でありますので、・・・私の申し上げる意味がうまく通じますか、 それを案じております。・・・と言うのは、私のつくります陶器は殆ど機械を無視 して、心の芸として、心の美だけを頼りにし、常に美術眼から見た自然美を親とし、 師と仰ぎ、それによって学び、美術価値を至上主義としての陶器を作り出さんと しているからであります。」(「陶芸家を志す者のために」)。妥協しない 「おいしい食物はそれにふさわしい美しさのある食器を欲求し、それに盛らなくて は不足を訴えるようになる。ここに於て自分は陶磁器及び漆器、即ち食物の器を自然 と注意深く吟味するようになった。・・・何としても現代作られているものでは意を 満せなかった。・・・そこで手元に窯を築き、轆轤場を置く必要を生じ、昭和三年春、 大船在山崎に窯を開くに至ったのである。」(「なぜ作陶を志したか」)権威に対する攻撃も辞さない 作陶へ妥協を許さない魯山人は他の作家が作る作品に対して容赦ない。それが名人 といわれる人物に対してもである。例えば以下のような発言もある。 「今年も高島屋であなたの陶器展を見せてもらいました。・・・また例の病を 出して頭ごなしに言うわけではありませんが、あなたの作陶は土の仕事がまずい ですね。高台などと来るとまるで成っていませんよ。」(「河井寛次郎氏の個展を 観る」)むしろ海外から評価される。 魯山人の妥協を許さない態度は自分にも他人にも同じように向けられた。その結果、 当時の文化人とよばれる人々と少なからずの対立を招いたようである。 しかし海外からは好意的な評価をされていたようである。本書に序文を寄せている シドニー・B・カードーゾは以下のように書いている。 「西洋的な眼から観ると、魯山人が現代日本人陶芸家の中での最高峰であることは、 殆ど疑う余地がありません。アメリカ、そしておそらくヨーロッパにおいても、美術 館であると個人であるかを問わず、魯山人は熱心に求められている唯一の現代陶芸家 です。」 魯山人陶説を読み返して(完)
2007.05.12
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6月のハイリンゲン・サミット、最重要テーマは温暖化対策 (日経) メルケル首相が強い意欲を見せる地球温暖化対策、2012年で期限切れとなる 京都議定書に代わる新しい国際的な枠組みで主導権を取る構えである。 日本も 温暖化ガスの世界目標を2050年までに半減させようと提案する。その日本、2012年 期限の削減目標達成も怪しくなっているのが現状。最後は排出権の購入で帳尻り を合わせようと声も高まりかねない。 起業やなんていらんこと言わんといて-起業家再興)(日経) 起業を薦める堀場雅夫氏(堀場製作所)にこんな手紙が舞い込んだという。社会 から挑戦意欲がなくなった、と危惧する。確かに、ライブドア事件の後、社会の ベンチャーを見る目が冷たくなってきた。事件後、日経平均株価は順調に上がって きているが、新興市場は見向きもされない。明日の日本を担うのは明日ののソニー やホンダであるはずなのだが・・・。 企業による製品不具合の自主公表急増、4-12月45%増(日経) 「公表しないリスク」を懸念、まず公表して対応をする企業が増えていると分析 している。そうであってくれれば良い。というのも改正消費生活用製品安全法が 今月14日から施行されるためではないか、という邪推も働く。過去、頻繁した不祥事 は企業の命取りにならないまでも、信頼回復までに長い時間を要することは雪印乳業 の例で明らかだ。 栴檀はひそかに芳し(NIKKEIプラス1) せんだん、と読む。書けといわれたらまず書けない。漢字の形がよい。5月から 6月にかけて西日本で淡い紫色に咲く。生物学、博物学、民俗学に巨大な業績を残 した南方熊楠の愛した花だという。ところで「栴檀は双葉より芳し」は白檀(びゃく だん)のことだという。栴檀は、においたつという言葉が似合うほのかな香りである、 という。
2007.05.12
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セブン銀、グループ以外にATMを拡大、手始めに野村証券店内に設置(日経) セブンイレブンにATMをもつセブン銀行は民間で最大のATMネットワークを 保有する。グループ以外にもATMを拡大することでますますその存在感をもつ ことになる。コンビニのビジネスモデルで市場を制覇したセブン&アイは今後、 何を狙うのか。小売業もやっている金融・サービス業という形であろうか。 利上げ怠るとリスク、日銀総裁発言(日経) 金利変更をサボるとリスクが起こる可能性が少なくないと発言。低い金利が 続くと行き過ぎた投資や無駄な投資が増える可能性がある。今、物価は落ち着 いているが、都心部で地価が高騰している。一方で地方景気は低迷している。 きわめて読みにくい現状である。 「自然はデザインの究極の先生」(鎌田豊成・長岡造形大学学長、日経) 5月10日に同じ日経で伊藤若沖の短い伝記を載せていた。40歳の若さで家業を 弟に譲り、自身は好きだった絵の世界に専念。自然をひたすら写生することに こだわった。その後忘れ去られたが再び、今、注目されている。画風はポップな 雰囲気で今風である。現在、関西で展覧会中だ。お近くの方、必見ですよ。 「自殺対策大綱」策定へ 原因つかみ具体策を」(毎日インタラクティブ) 自殺する人が高止まりしている。官民で実態と原因研究が行われている、と いう。経済が回復しても減らないためだ。考えられる要因はいくつも挙げられて いるがわからない。日本人の精神に何かがおきているのだろうか。 木槿(むくげ)の花 白く可憐な花だ。朝方3時頃に開花した花は夕方にはしぼんでしまう。 「道のべの 木槿は馬に 食はれけり」(松尾芭蕉) 「それがしも その日暮らしぞ 花木槿」(小林一茶 ) 「曙に開き 夕べには凋む むくげかな」
2007.05.11
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唖然とするお粗末ぶり 毎日新聞の5月9日のウェブ版では、「コースター事故:エキスポランド、部長判断で検査せず」との見出しの下に以下のように事件を伝えている。エキスポランドの弁明-記事の引用 大阪府吹田市の遊園地「エキスポランド」で、ジェットコースター「風神雷神2」の車軸が折れて脱線し、乗客の女性(19)が死亡した事故で、株式会社「エキスポランド」が今年1月、日本工業規格(JIS)に反して車軸の亀裂を調べる「探傷検査」を行わなかったのは、技術部門トップの建部淳・施設営業部長の判断だったことが分かった。 建部部長は同社の安全検査の最終責任者で、国家資格の昇降機検査資格者。8日会見した建部部長は「探傷検査がJISで定められていることは、事故後に初めて確認した。社内の24人の資格者はみな熟知していなかった」と、ずさんな検査体制を認めた。 同社は毎年1~2月ごろ、ジェットコースターを解体し、金属の微細な亀裂を調べる探傷検査をしてきた。しかし、今年の解体検査は延期され、今月中旬の予定だった。延期の理由について建部部長は当初、「新アトラクションの開設で、解体検査をする車庫がふさがっていた」と説明。しかし3月に検査用スペースができていたことを指摘されると「これまで一度も探傷検査で傷が確認されなかったので、3カ月遅らせても大丈夫と考えた」と答えていた。 この日の会見で建部部長は「探傷検査は屋外でもできる。延期せず、安全を優先すべきだった。検査のやり方は先輩から引き継いだが、間違った意識で取り組んでいた。私のミスだ」と謝罪した。 建部部長によると、山田三郎社長はJISで年1回の探傷検査が義務付けられていることを知っていたが、検査延期は社長決裁が必要でなく、事故前に問題が表面化することはなかった。他の検査資格者からもJISの規定に反しているとの指摘はなかったという。 ジェットコースターの定期検査は、建築基準法で規定。具体的な検査項目はJISなどで定められており、「車輪軸は年1回以上の探傷試験を行うこと」とされている。検査は、検査資格者が責任を持つことになっているという。 *記事文中の下線は筆者によるもの。リスク管理の不備を自ら語るものである。リスク管理について 以上が新聞からの引用だが、この後にも出るわ、出るわの呆れた実態の数々。反社会企業に殺された被害者が気の毒でならない。“情状の酌量なし、被告人を極刑に処する”と言いたいところであるが、相手は法人であり、そうもいかない。 また、この悲惨な事故は「エキスポランド」のリスク管理の問題点(不備)を改めて考えさせるケース・スタディとなった。以下で考えてみた。 リスクコントロールの問題は従来から議論されている。例えば経済産業省(旧通産省)の「リスク管理・内部統制に関する研究会報告」(2003)では以下のように指摘されている。不祥事の共通点・リスクに気づかない 企業価値に影響を与えるリスクがわからない。あるいはリスクを分かっていても対応するための仕組みが社内にない。・行動マニュアルがない 異常が発生した場合の行動マニュアルがない、あるいは、マニュアルがあったとしても、経営者自らによるリーダーシップが不足している。・職務の権限範囲が不明確 職務権限に関し、範囲が明確でない、あるいは、適正な牽制が機能していない。このため、特定の社員などが広範な権限や裁量を有している。・下の意見が上に伝わらない。 非常時において、下位の担当者が企業活動に関し問題意識を持っている場合でも、管理者との関わり等が障害となり、問題意識を経営者まで伝えることができない。・事故発生後の対応がまずい 事故が発生した場合の対応のあり方が、事前に明確になっていない。また、事故等が発生した場合の社内及び社外への情報伝達ルートが確立していない。 以上のすべてが、今回の「エキスポランド」の事故(いや事件というべきだ)に当てはまる。従来から企業の不祥事は何回も起きてきている。その度に、「他山の石」ではないが、企業はそこから学んでくれている、と思い込んできたが事実はそうではなかったようだ。リスク管理に鈍感な企業は早晩、社会からの退場を余儀なくされる。経営者はもっと緊張感を持て、言いたい。
2007.05.10
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農産物直売所が盛り上がっている 農産物直売所が人気である。復活のきっかけとなったのが「道の駅」の登場だ。主要道路沿いにあり休憩施設を伴う大型の地域特産品の販売施設である。その後、もっと小規模な直売所が全国に広がった。 消費者にとっては安全性を実感できる農産物を割安に購入できるメリットがあり、生産者側にも手じかに手取り収入の拡大を図ることができる利点がある。それよりも互いに交流できる歓び、という実感が大きな要因ではないか。今では全国に1万ヶ所以上あるといわれる。直売所を検索できるホームページもいくつもある。規模拡大を指向する日本の農業 この農産物直売所をもっと農業活性化に活用できないか、と考えた。今、農業分野では戦後最大ともいわれる改革が進みつつある。一言で言うと零細な農家を保護する「守りの農業」から「攻めの農業」へと戦略転換を図ろうとするものだ。 一向に上がらない自給率、それでも自由化の流れのなかでいつまでも農業だけ保護し鎖国状態に置いておくわけにはいかない。むしろやる気と能力のある農家にカネを重点的に投下して経営規模も大きく生産性の高い農業を育てていこう、とするものだ。いわば小規模農家切捨てにもとれる施策だが、農水省や経済財政諮問会議でもこの方向で行くことが大勢になっている。規模拡大だけが処方箋か? ただ国の議論は少しバランスに欠けると思う。「食料・農業・農村基本計画」は日本農業の10年後を見据えて「攻めの農業」を提案しているが、どちらかというと耕作規模の拡大が中心テーマとなっている。 なかでは「新規参入を促進し、幅広い人材を確保。さらに、女性の農業経営、高齢者が生きがいを持って活動するための取組を促進する」との主張もあるものの全体の基調は経営規模の拡大の視点が強い。農業参加者の底辺を拡大へ 私はこう思う。今後、退職する人々や子育ての終わった女性、フリーターとして過ごす若者などの農業への参入を積極的に呼びかけ、自治体や農協が耕作の指導を行う。耕作放棄地などは無料ないしは低料金で提供したらよい。できた作物は冒頭で述べたような農産物直売所で販売すればよい。 減少を続ける農家人口の増加、耕作放棄地の減少、地産地消の拡大などの期待効果がある。地方の人口減に歯止めがかかるかもしれない。地域産業の衰退抑止につながる可能性がある。参加する人々にとっては、生きがいづくりにもなる。 経営規模の拡大による農業の競争力向上は必要なことだが、規模拡大や株式会社の参入だけが道ではない。草の根的な底辺の拡大という方向性も探るべきだろう。
2007.05.09
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第6回 斗満開拓の時代なぜ斗満開拓か 寛斎はいつごろ、どんな思いから北海道・斗満開拓を考えたのだろう。1887年に4男の又一が16歳で札幌農学校に入学を果たしている。父親の寛斎の意思が働いたことは想像に難くない。 寛斎に斗満行きを考えさせるきっかけをつくったのは浜口梧陵かもしれない。梧陵は1885年に旅行中のニューヨークで死去している。寛斎55歳のときである。葬式には寛斎が出向き梧陵に寄り添いいつまでも傍を離れることはなかったという。寛斎はとくにこの梧陵にはひとしおの思いがあったようだ。貧しかった若い頃に長崎までの留学費用を出してくれ今の自分をつくってくれた恩人だと寛斎は思ったに違いない。梧陵の期待に応えられなかった自責 かれはこうも考え悔やんだことだろう。“自分は恩のある梧陵先生を裏切り続けてきた。長崎留学時代、費用が続かなかったとき先生が援助を申し出てくれたのに、自分は家族の扶養という小事にとらわれ先生の期待する大事を省みることはなかった。徳島藩医になることを決めた自分に先生は支援するから長崎へ行くなり、海外へ行くなりして最新の医学を学ぶことを奨めてくれた。 その結果、どうだ。中途半端な医学しか習得できないで今は田舎で細々と町医者をしているに過ぎない。先生は自分の医学をもって人を助けることを望んだはずだ。それなのに、自分は・・・・。先生に申し訳ない。”男子一生の事業 寛斎は亡き梧陵の霊から余生をかけて男子一生の事業をやるように督促されたのに違いない。謎はどうして北海道で、なぜ開拓をと思ったかということである。 1889年に北海道空知に設立された華族組合というものがある。その後を受け継いだのが蜂須賀農場開拓事業であった。元領主の蜂須賀茂詔自身が現地へ出向き開拓民たちを激励している。地元でもあり寛斎もこの動きを把握していたはずだ。ルーツとしての農民 二宮尊徳の存在も大きかっただろう。尊徳は農業の生産拡大こそが社会を豊かにする道だという理想があった。その具体的な手段として年貢のかからない未開地の開拓にあるとしたのである。百姓出身の寛斎にも納得できる理念であったに違いない。挑戦へのロマン いやもっと素朴に考えれば冒険に対するロマンであったかもしれない。寛斎の人生を振り返るとリセット人生という言い方が当てはまるだろう。適切な表現ではないかもしれないが、そう感ずるのである。かれはキャリアを積み重ね成功の階段をのぼりつつも、あるとき惜しげもなくその地位を捨ててまた新たなスタートをきるというようなことを繰り返している。 典型が、奥州戦争を軍医として出征し世の常識から言えば「凱旋」して戻るや否や、辞表を出して徳島へ戻ってしまったことである。誰もが後の栄達は間違いないとみていたにもかかわらず、である。常識的に考えれば、いくら気に添わない仕事であっても、将来の保身を考えるのではないか。これはもう寛斎自身の生き方のクセとでもいうべきかもしれない。制御できない生き方に寛斎自身がいちばんとまどっていたかもしれない。それを感じさせる最晩年の寛斎の句が残っている。 人並みの道は通らぬ梅見かなそして、旅立ちのとき ともかく寛斎夫婦は1902年に徳島を去り北海道への入植を果たす。上京し、冒頭の徳富蘆花を訪ねたのは1908年のこと、入植後6年目のことであった。 (二人分生きた関寛斎物語 完)
2007.05.08
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第5回 市井の町医者時代市井に生きる 寛斎は徳島に帰った後、1873年に開業し1902年に北海道に渡るまで30年間を町医者として過ごすことになる。考えれば徳島藩医として招聘されてから開業するまでの官医としての10年余りは寛斎個人にとっては不本意な時間だったのではないかと思える。その例が一度だけ政府の命令で赴任した海軍病院時代の出来事である。かれは検梅を提案するがあっさりと否決されてしまう。己のやりたいことが官僚主義のなかで活かされないことに自由人の気概をもつ寛斎には息苦しくて堪らなかったのに違いない。医は仁術 寛斎の町医者生活は文字通り「医は仁術」を地で行くものであった。家族は7人、そのうえ6~7人の内弟子を抱えていた。ひとつの逸話が伝えられている。ある金持ちが往診を依頼すると「駕籠をもってこないと行かんぞ。治療代は高いぞ」と言い放ったという。逆に貧しい人には気軽に診察に応じ、治療代代も受け取らないこともあったということだ。無料患者がいつも有料患者の6倍もいたという。書生からお手伝いまでみな家族 だから家計はいつも苦しかった。家の障子は客間も含めて、すべて不要となった帳面を解体した反古を使ってあったという。後年、寛斎はこう回顧している。「慈善的の事業をしようしたが成功せず。却って逆境に陥ることがあって、ただ空しく一家の生活を営むことで年月を経た。」 しかし食生活は概して豊かだった。主食は麦飯でおかずも一汁一菜だが、味噌や醤油は和歌山の浜口家から樽で送られてくる。治療費を現金で払うことができない患者からは魚、肉、野菜などが届けられてくる。食事の光景も寛斎らしい。寛斎以下、家族はもちろん書生やお手伝いさんまでもがうち揃い、同じ部屋で食事をするのだ。 食事も同じなら着るものも皆同じである。あい夫人が手織った木綿の着物を着ている。お手伝いさんも良縁のあるまで5年、10年と、それも姉妹で勤めるということだったらしい。関家で勤めることは名誉であり、幸せなことであったのだ。嫁入りも寛斎の家から出た。
2007.05.07
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第4回 官医時代地元の英雄 寛斎が銚子へ戻ったのは1862年の2月であった。寛斎32歳である。かれを待っていたのは長崎帰りの名医から診てもらいたい多くの患者だけではなかった。一目だけでも洋学先生を見ようという人々の波であった。 当時の感覚からいえば長崎で先進の西洋医学を学んだということは、現代でいえばノーベル賞の授賞式から凱旋帰国した人を郷里へ迎え入れる人々の気分のようなものだろう。再開した寛斎の医院には門前市をなすが如く連日医療を求める患者が訪れた。梧陵からの借財もほどなく完済し、寛斎自身もこの銚子の地に骨を埋めようと思っていたかもしれない。悩んだ末、徳島藩の典医へ しかし奔流のように渦巻く歴史は寛斎を放ってはおかなかった。順天堂時代の同僚であった須田泰嶺が自らも身をおいている阿波徳島・蜂須賀藩の御典医への転身を強力に奨めてきたのである。寛斎は迷った。既にかれには2男1女があり、妻あいは後に3男となる子どもを身ごもっていた。また年老いた養父母も健在であった。 かれ自身、もうひとつの大きな悩みもあった。御典医というのは領主1人のための医師であり、身分上の拘束もあり自由な医師としての活動や医学者としての研究も大幅に制限される。32歳の寛斎としてはまだ我が身を拘束されたくないと考えたのだ。懊悩しながらも、最終的にかれは勧めを受諾して蜂須賀家へ仕官することを決めた。同じ1862年の暮れのことである。結果的にこの徳島家への仕官がかれの運命を翻弄することとなる。官軍の軍医へ 当初は単身赴任、腹を固め家族を呼び寄せたのは1864年5月のことだった。この後、北海道開拓の夢をもって1902年にこの地を離れるまで38年をここ徳島で過ごすこととなる。 1868年1月に戊辰戦争の火蓋が切られると阿波徳島藩は官軍に味方し出兵をする。寛斎も軍医として従軍する。江戸に着いた阿波軍を待っていたのは上野山に立てこもる旧幕府方の影義隊への攻撃参加という命令であった。寛斎は発生が予想される戦傷病者の治療のための野戦病院の責任者に充てられた。大車輪で軍医活動 上野への総攻撃が始まると、官軍方各藩の負傷兵が次々と運ばれ、寛斎は不眠の治療を続けた。また三田の薩摩藩邸にも出張して怪我人の手当を行い、西郷隆盛からも感謝された。同年6月には奥羽越列藩同盟軍討伐戦に向けて、寛斎は奥羽出張病院長を命ぜられ従軍することとなる。このときも寛斎が大車輪で働いたことは言うまでもない。立身栄達の道を捨てる 1868年9月には会津が落城し庄内藩も降伏して奥羽戦争も終結した。寛斎も東京に帰った。その功績を讃えられ総督府から表彰も受けた。このままでいけば栄達の道は約束されるはずであったが、なぜか、かれは直ちに辞表を提出して徳島へさっさと帰ってしまうのだ。その心の内を忖度するに、自由人として生きたいという信念の発露ではなかったろうか。 この戊辰の役のなかで日本の医学を巡る状況は一変しつつあった。寛斎らが学んだオランダ医学は古くさいものとされ、イギリス、フランス、ドイツなどの医学が互いに主導権を争っていた。加えてこの医学の問題が、薩摩と長州の覇権を巡る政争の具と化してしまっていたことである。義父である俊輔や学問の師であった佐藤泰然の影響を多分に受けている寛斎としてはそういう世事にあきあきしたのではないか。
2007.05.06
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第3回 洋医学者を目指す修行時代蕪かじり 関寛斎は百姓の吉井作兵衛の長男として生まれた。吉井家は名主とまではいかないにしても集落内ではそれなりの格式をもった家ではあったらしい。しかし寛斎の生地一帯は水はけの悪い低湿地であったため米作に最適な環境とはいえず、年貢も、年々の収穫を実測して取り立てる検見取(けみど)り制となっていた。 毎年一定の年貢を納める定免(じょうめん)制であれば豊作のときに農家の余剰収入が発生する可能性もないではないが、検見取り制では収奪されっ放しであっただろう。当時は新しい開墾地については年貢を免ぜられる制度があったため集落の40戸の農家はこぞって新田を開く作業にいそしんだという。しかし新田開発といっても沼地に近いような湿地帯である。生活は相当に苦しかったに違いない。「蕪かじり」といわれ他の農民からも見下されていたらしい。 米はもちろんのこと雑穀さえ満足に口にすることができない貧乏人という意味である。おそらく生涯を貫く寛斎の反骨心はこのような逆境のなかで培われたに違いない。蕪かじり魂と言ってもよいだろう。また老年を迎えて寛斎は北海道の耕地を開拓して自作農を産み出す運動をライフワークとすることになるが、自らの幼少年時代のみじめな百姓生活がそのバネとなっていたのではないだろうか。隣村に伊能忠敬 ところで50歳を過ぎて隠居をしてから天文学・測量学の道を志し、72歳に至るまで北海道を皮切りに全国をひたすら歩き日本地図をつくった伊能忠敬は寛斎が生まれる100年前に隣村の小関村で生まれている。老人パワーの源がこの一帯であったということは単なる偶然であったにしても興味深い事実である。母の面影 寛斎は4歳で生母を亡くしている。実家にはその後、後妻が入り4人の腹違いの弟妹が誕生したためか、かれは主に祖父母の世話を受け、7歳ごろからは隣村の前之内の儒者、関俊輔に嫁いでいた亡母の姉に引き取られて養育された。そして13歳のときに正式に養子縁組をし、関家を継いだ。寛斎は亡き母の面影が忘れられず生涯思慕の念を持ち続けた。最晩年の寛斎の日記は次のように綴られている。 「寛、四歳にして実母に死別す。実母の苦労身に滲みて覚ゆ。寛を背負い霜白き晨、雪積む夕べ、竈の火を吹く慈愛の姿今尚眼底に刻まれて忘れず。」亡き母を思い出して 、“嬰児の泣く声毎に思ふかな負はれし時の母の面影 ”と詠んだ。寛斎の生母についてはこんなエピソードもある。あるとき年老いた乞食が行き倒れていた。寛斎の母は自宅の納屋に連れていき、粥などを与え介抱したという。 寛斎自身にもこのような逸話がある。徳島藩御典医時代のことだが、かれは帰城の途中、病気で倒れている人を見つけた。その場で診察すると日射病のようであった。かれは病人を担いで連れ帰り一室を空けて寝かせてやり10日あまりただで治療をしたという。養父 養父の関俊輔についてはよく分かっていない。農業に従事しながら寺子屋を営み儒学を講じた。かれの死後、門人27名が師への謝恩のために、かれが眠る墓地の一角に碑を建てたほどだからそれなりの影響力をもった人物だったのだろう。独学であったらしい。もっとも前之内からも近い茂原に荻生徂徠が100年ほど前に一時住んでいたというから何らかの関係があるかもしれない。志のまま生きる 俊輔は孔子や孟子の古説を重視し専ら孝、忠、信の道を講じた。かれの処世則は「富貴にして人に屈するよりは、貧賤にして志をほしいままにするに如かず」だったと伝えられている。すなわち自分を殺して立身出世するよりは、身は貧乏であっても理想をもって生きていくことの方が大切だということである。この自由・独立の気構えは少年時代の寛斎にも十分に伝えられ自身の生き方の礎となった。佐倉順天堂 当時、佐倉には私立による西洋医学校兼病院があった。緒方洪庵が主宰する大坂適塾と並び称される佐倉順天堂であり、開いたのは佐藤泰然である。泰然はオランダ語と蘭方医学を長崎で修めて江戸の薬研堀で開業した。その後、1843年に佐倉藩主であった堀田正睦に請われて佐倉順天堂を開設したのである。余談ではあるがこの佐藤泰然という人も偉大ではあるが一風変わったところがあった。 泰然は20歳で江戸の旗本御用人の職を継いだが、医者として生きる志を立てて旗本株を他に譲ってしまう。上記の薬研堀の医院も順天堂を開設するために譲渡してしまう。また後には、成功させた佐倉順天堂をも弟子であった舜海(尚中)を養子に取り譲ってしまい、自らは横浜に移り住む。泰然には3人の息子がいたが3人とも養子に出してしまい、凡そ血筋を大切にするといった世のなか一般の人々とは感覚が大いに異なっていたようである。入塾 さて寛斎は1848年に18歳でこの佐倉順天堂に入塾することとなる。なぜ寛斎は医師を志したのかということであるが、これは義父の俊輔の影響が大きいと考える。義父の発想に「時の権力者に右顧左眄せず自由人たれ」というものがあったことは既に書いたが、江戸時代には、医師と僧侶は身分制の外に置かれ比較的自由な行動がとれた。そのうえ寛斎の郷里である前之内でも庶民が治療を受けられず命を落とすこともままあったのではないかと思われる。 貧しい人々に学問を教える義父の背中をみながら医者になりたいと少年の寛斎は思ったに違いない。また蘭学を学ぶためにはオランダ語を日本語に翻訳するために漢文の知識は不可欠であり、それはまた中国の古典を題材とする儒学とも密接な関係があり、その関係で順天堂と義父俊輔との関わり合いは大きかったのかもしれない。当然、人の行き来も頻繁にあったと考えられる。また前之内と順天堂のある佐倉はせいぜい20キロと、当時にすれば徒歩圏であり、ひょっとしたら寛斎少年自身が順天堂へ見学に行ったことも一度や二度ではなかったかもしれない。開業 佐倉順天堂時代の寛斎はかなり優秀な学生であったらしい。後に佐藤泰然の養子となり順天堂の主となった山口舜海と並び称される順天堂はじまって以来の秀才と評価されたという記録がある。佐倉順天堂は当時、外科手術の日本における最高峰といわれ、腫瘍の開腹摘出手術なども行ったらしい。そんななか日本で初めて泰然が膀胱穿刺手術をしたとき助手を務めたという記録があり泰然の信頼は厚かったと考えられる。 しかし4年間の修行を積んだ後、1852年、寛斎が22歳の年にかれは順天堂を去り、郷里の前之内に戻って開業することとなった。留学資金が尽きたためである。泰然が順天堂で行っていた当時最先端の医学を習得するためには4年では足りなさすぎる。そう感じた寛斎はその後も佐倉へ通い泰然の指導を仰いだ。1856年、26歳のとき寛斎は銚子で本格的に開業する。濱口梧陵 なぜ開業の地が銚子であったのか、その理由は濱口梧陵に奨められたのではないかと思う。梧陵は代々、銚子でヤマサのブランドで醤油醸造業を営む豪商である。また家業の傍ら佐久間象山の門をたたくなど自ら学問好きであった他、優秀な苦い人を物心両面から援助するような篤志活動を盛んに行っていた。有名なところでは無名時代の勝海舟も梧陵の世話になった。梧陵は人的ネットワーク(おそらく佐倉順天堂の関係者であっただろう)のなかで寛斎を知ったのだろう。 順天堂の俊才振りを見てとったかれは銚子で開業することを奨めたと思われる。梧陵は1857年にオランダの医師ポンペが日本海軍の教導のために長崎へ着いたのを知るや、最先端の西洋医学を学ぶために寛斎に長崎への留学を薦めた。金のない寛斎のために、留学費用はもちろんのこと、留学中の家族の生活も自分が保証すると言ったのである。当初、寛斎はこの提案を断った。人の世話になりたくないという自尊心があったからだ。 しかし最先端の知識や技術を学びたいという願望を押さえつけることができなくなり、かれはこの申し出をありがたく受けることになる。寛斎は生涯この恩を忘れることがなかった。老境になっても梧陵の命日である4月21日にはかれが客死したニューヨークの方へ手を合わせ感謝したという逸話が残っている。長崎遊学 1860年の暮れ、寛斎は長崎にいた。ポンペが主催する医学伝習所と、次いで設立された病院での研修に参加するためであった。ちなみにここで学んだ者は延べ130名に及んだ。ほとんどが各藩からの派遣留学生であり寛斎のような私費留学生は珍しかった。ところでポンペの講義はすべてオランダ語で行われ各留学生とも苦労したようだ。 ここに留学してきている学生の多くは蘭法医学者でありそれなりのオランダ語への理解はあったものの、話し言葉で接するのは初めてだったのである。学生のなかに島倉伊之助という人がいてこれが語学の天才であった。かれはポンペの講義するオランダ語を聞き取りその場で漢文に訳し筆記し、その講義録を基に留学生たちに再講義されるという形をとったほどだ。 この男、語学に関して特殊な才能があったようで長崎にいたわずかの期間でオランダ語はもちろんのこと、英語、ドイツ語、フランス語、中国語をマスターしたという。伊之助は明治の世となってからその語学の才能を活かし愛知県医学校で教授職を勤める傍ら日本で初めての独話辞典をつくるなどした。司馬遼太郎の小説「胡蝶の夢」ではこの伊之助に準主人公の役割を与えている。帰郷 さて寛斎の長崎留学は1年程度しか続かなかった。1862年に銚子へ戻ることとなった。梧陵に借りた留学費用が心細くなったこともあるが、郷里に残してきた年老いた養父母や妻と子どもの生活を考えるとおちおち留学生活を続けてはいられないという事情もあったのだ。梧陵は寛斎の能力を惜しみ金のことは心配しないでもっと勉学を続けるようにと説得したらしいが、潔癖なところのある寛斎の決心を翻させることはできなかった。病める人みな平等 医学研修は短期間であったものの寛斎はここで得難い経験をした。医学伝習所は付属機関として病院をもっており多くの病人の治療を行ったが、ポンペの主張から治療費は患者の富裕状況によって異なっていた。つまり金持ちからは多く請求し、貧しい人々は無料で治療したこともあったらしい。ポンペの信念は、医師にとって患者の階級・貧富によって一切の区別はない、病人という立場ではすべての人は平等である-というものであった。 当時の身分制社会のもとでは画期的なものであったと言ってよい。当時の医療の世界は、奧医師、藩医、町医者などの区別が厳然とあって、奧医師は将軍だけを診る、藩医は領主だけを診るというようなシステムになっていた。医者のなかでも奧医師は藩医を見下し、藩医は町医者を一段下の人種と見るような雰囲気ができあがっていた。いわば社会の常識といったものであるから、寛斎自身もそれを無意識に受け入れていただろう。したがって師として敬愛するポンペから万民平等主義を教えられた寛斎は、まさに目から鱗が落ちたような気がしただろう。
2007.05.05
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第2回 関寛斎の人と仕事 服毒死 関寛斎は江戸時代末期の天保1年2月18日(1830.3.12)に上総国の中村(千葉県東金市)に農家の長男として生まれた。亡くなったのは大正2(1913)年。北海道・十勝の斗満の地、享年82歳であった。当時とすれば非常な高齢であった。しかし天寿を全うしたとは必ずしも言えないようで、死因は自ら毒を飲んだのである。いくつもの人生 寛斎の生涯は、洋医学者を目指す修行時代、官医を勤めた時代、市井の町医者時代、斗満開拓の時代という4つに分けることができる。かれは医師としての道を志し30歳のときに長崎に私費留学して、来日していた蘭医ポンペに就いて西洋医学を治める。これが第1の西洋医学者としての時代である。32歳で修行を終え帰郷して町医者をしていたが、請われて徳島藩医として領主の専属医師となった。徳島藩は官軍となり藩命により寛斎は戊辰戦争に出征する。ここでかれの学んだ西洋医学の技術が活かされることとなり、寛斎は官軍の奥羽出張病院頭取に任命された。つまりは戦陣病院長である。官軍の勝利で明治政権が確立すると、徳島に戻り医学校教授、治療所長などの要職に任ぜられた。このままいけば医師として栄耀栄華が約束されるはずであったが、40歳を過ぎて突然、すべての官職を投げうち徳島で医院を開業する道を選んだ。一町医者として病気に苦しむ名もない市井の年寄りや子どもの治療に当たったのである。貧窮に苦しむ患者からは治療費を受け取ることがなかった。この町医者時代は約30年の長きにわたった。そして金婚式を終え73歳となった寛斎は、妻とともに老齢の身体に鞭打ち、未開の北海道・斗満の地に赴き、拓殖事業に余生を捧げることになる。そしてこの地が寛斎の人生終焉の場所となったのである。
2007.05.04
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ゴールデンウィークということもあるので、今日から6回にわたって関寛斎という人の破天荒な生き方を追いかけることとする。第1回 関寛斎という人物関寛斎とは何者か 幕末から明治にかけての時代は、武士階級から農民層まで日本歴史始まって以来、多くの異能・多能な人材が輩出した時代だった。関寛斎もその一人である。貧農から身を起こし、西洋医学の道を志し、一身の立身成功を確実なものとしながら、70の齢(よわい)を越えるや、一念発起、前人未踏の北海道開拓の新分野に挑戦を果たした。人生に一事業を完成することさえ至難であるのに、当時、いや今でも老後といえるような段階から新たなことに挑戦したそのエネルギーには圧倒されるばかりだ。とてつもない男である。徳富蘆花の見た寛斎 徳富蘆花が寛斎との出会いを「みみずのたはごと」のなかで雄弁に語っている。寛斎について余すところなくその魅力を引き出している。みみずのたはごと 「明治四十一年四月二日の昼過ぎ、妙な爺さんが訪ねて来た。北海道の山中に牛馬を飼って居る関と云う爺(じじい)と名のる。鼠の眼の様に小さな可愛い眼をして、十四五の少年の様に紅味ばしった顔をして居る。長い灰色の髪を後に撫でつけ、顋(あご)に些(ちと)の疎髯(そぜん)をヒラヒラさせ、木綿ずくめの着物に、足駄ばき。年を問えば七十九。強健な老人振りに、主人は先ず我(が)を折った。兎も角も上に請(しょう)じ、問わるゝまゝにトルストイの消息など話す。爺さんは五十年来実行して居る冷水浴の話、元来医者で今もアイヌや移住民に施療して居る話、数年前物故した婆さんの話なぞして、自分は婆の手織物ほか着たことはない、此も婆の手織だと云って、ごりごりした無地の木綿羽織の袖を引張って見せた。面白い爺さんだと思うた。」(中略) 「其後『命の洗濯』『旅行日記』『目ざまし草』など追々爺さんから自著の冊子を送って来た。面白い爺さんの一癖も二癖もある正体が読めて来た。経歴の一端も分かった。爺さん姓は関名は寛、天保元年上総国に生れた。貧苦の中から志を立て、佐倉佐藤泰然の門に入って医学を修め、最初銚子に開業し、更に長崎に遊学し、後阿波蜂須賀侯に招かれて徳島藩の医となった。維新の際は、上野の戦争から奥羽戦争まで、官軍の軍医、病院長として、熱心に働いた。順に行けば、軍医総監男爵は造作(ぞうさ)もないことであったろうが、持って生れた骨が兎角邪魔をなして、上官と反(そ)りが合わず、官に頼って事を為すは駄目と見限りをつけて、阿波徳島に帰り、家禄を奉還して、開業医の生活を始めたのが、明治五年であった。爾来こゝに、孜々(しし)として仁術を続け、貧民の施療、小児の種痘なぞ、其数も夥しいものになった。家も相応に富んだ。五男二女、孫も出来、明治三十四年には翁媼(おうおん)共(とも)に健やかに目出度金婚式を祝うた。剛気の爺さんは、此まゝ楽隠居で朽果つるを嫌(きら)った。札幌農学校に居た四男を主として、北海道の山奥開墾牧場経営を企て、老夫婦は養老費の全部及び老(お)いの生命二つを其牧場に投ず可く決心した。婆さんもエラ者である。老夫婦は住み馴れた徳島をあとにして、明治三十五年北海道に移住し、老夫婦自ら鍬をとり鎌をとって働いた。二年を出でずして婆さんは亡くなる。牧場主任の四男は日露戦役に出征する。爺さん一人淋しく牛馬と留守の任に当って居たが、其後四男も帰って来たので、寒中は北海道から東京に出て来て、旧知を尋ね、新識を求め、朝に野に若手の者と談話を交換し意見を闘わすを楽の一として居る。読書、旅行と共に、若い者相手の他流試合は、爺さんの道楽である。旅行をするには、風呂敷包一つ。人を訪うには、初対面の者にも紹介状なぞ持っては往かぬ。先日の来訪も、型(かた)の如く突然たるものであった。」(中略) 「爺さんは年々雁の如く秋は東京に来て春は北に帰った。上京毎にわざわざ来訪して、追々懇意の間柄となった。手ずから採った干薇(ほしわらび)、萩のステッキ、鶉豆(うずらまめ)なぞ、来る毎に持て来てくれた。或時彼は湘南(しょうなん)の老父に此爺さんの噂(うわさ)をしたら父は少し考えて、待てよ、其は昔関寛斎と云った男じゃないかしらん、長崎で脚疾の治療をしてもらったことがある、中々きかぬ気の男で、松本良順など手古摺(てこず)って居た、と云った。爺さんに聞いたら、果して其は事実であった。其後爺さんは湘南漫遊の砌(みぎり)老父が許(もと)に立寄って、八十八の旧患者は八十一の旧医師と互に白鬚を撫して五十年前崎陽の昔を語ると云う一幕があった。所謂縁は異なものである。」
2007.05.03
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目覚めの時を迎えようとしている今 バブルが崩壊してから日本の経済は長期間の低迷を続けてきた。今、日本経済は長い眠りから目覚めようとしているようだ。一方、政治や外交の分野では戦後ずっと心地よい昼寝を楽しんできたという印象がある。とくにソ連が崩壊してからは、アメリカだけが超大国として世界に君臨してきた。 しかしここにきて世界の政治情勢は微妙に変化しつつと感ずるのは筆者だけであろうか。アメリカによる一極体制がここにきて揺らぎつつあるようにも見える。この微妙な変化がアメリカの国力の衰えによるものなのか、負担を他の国にも求め自らをもっと身軽にしようとする同国の戦略であるかは正直よくわからない。しかしこの地殻変動を察知してか日本の外交も大きく変わろうとしているように筆者には映る。 以下はそのスケッチだ。筆者は政治や外交問題についての専門知識はない。しかし素人が故にもつ直感というか、不安とでもいうような感想と思っていただきたい。この一年間に起きた外交面のできごと まずこれまでの外交に関する事象を時系列にしてみた。06年9月、安倍首相が誕生。06年11月、麻生外相が新たな外交構想を提示。いわゆる「自由と繁栄の弧」路線である。自由や民主主義、法の支配、市場経済といった普遍的価値を重視し、東南アジア、中央アジア、東欧にかけて新興国を帯状につなぎ、民主主義体制への移行や経済発展を重点的に支援するという内容。07年1月、防衛庁から防衛省への昇格。07年1月、新年早々、麻生外相は「自由と繁栄の弧」の西端にあたるルーマニア、ブルガリア、ハンガリー、スロバキアの東欧4カ国を歴訪。会談時間の半分以上を「自由と繁栄の弧」構想の説明に割き、「価値を共有する対等なパートナーだ」と呼び掛けた。07年2月、「日米同盟」、「国際協調」、「近隣アジア諸国の重視」という3本柱に4本目の柱として上述の自由と繁栄の弧を推進していくことを麻生外相が国会で表明。07年3月、オーストラリアとの間で「安全保障協力に関する日豪共同宣言」を発表。日本が安全保障で協力関係を結ぶのは米国以外では初めて。07年4月、中国の温首相来日。昨年10月の安倍総理訪中以来の日中関係の発展を確かなものとし、日中の「戦略的互恵関係」の構築に向け努力することを確認。07年4月~5月 、安倍首相がサウジアラビア、アラブ首長国連邦、クウェート、カタール、エジプトの中東諸国を歴訪(180人の財界人が同行)。財界人を同道のうえ政治・経済両面で協力することを確認。中国包囲網を造ろうとしているのか この半年間だけを見ても以上のことが出てきた。日本が向かう政治・外交にひとつの方向性が見えないだろうか。アメリカ依存からの脱却、大国意識、経済一辺倒から文武両面での存在感の拡大意欲、存在感を強める中国への牽制・競争意識・・・が筆者には感じ取れるのだ。とくにオーストラリアと安全保障面での協力を取り付けたことは大きな意味をもつと思える。太平洋側からアメリカ、オーストラリアと連携して中国を包囲する形となるからだ。また「自由と繁栄の弧」構想も中国に向けた包囲網と見えてくるのだ。日本は今、新しい時代に入りつつあるのかもしれない。 安倍首相は実質的な意味で初めての戦後型の宰相である。その政権スローガンは「美しい日本をつくる」ということだそうだ。これまでの日本を現行憲法下の戦後体制として位置づけ、それらが今や時代の変化についていけなくなったとし、それらを大胆に見直すとしているのである。2007年夏の参院選では憲法改正を最大の公約に掲げているそうだ。日本は今、新しい時代に入りつつあるのかもしれない。
2007.05.02
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物価は経済の体温計 物価は経済の体温を表す。人は体温が低すぎると思うように動くことができない。逆に熱を出して体温が上がるとこの場合も快適な生活を送ることができない。経済も人間と同じである。物価ということを考えた時、真っ先に思いつくのは総務省が毎月、発表している「消費者物価指数」である。584品目を選んで実際の店頭価格を比較している。5年ごとに指数に採用する品目を見直している。つまり急速に普及しはじめた品目を入れ替えるなどして極力、消費の実態を表そうと努力しているわけだ。例えば最近の見直し(平成17年)では薄型テレビやDVDレコーダーなどを品目に追加したように、である。しかし庶民感覚ではこのような品目は既にかなり普及しており、品目改定が後手に回っている、という印象は拭えない。また実際の調査では1つの品目について1ブランドだけを調べている。これもおかしな話で現実の消費現場では消費者が価格、性能、デザインなどを総合的に比較しながら買う商品を決定しているわけで実態にそぐわないこととなる。このように消費者物価指数は消費実態を示すうえで問題点は多いわけであるが、調査は継続的に行われているのでそれなりの検討資料としての価値をもつことはできるだろう。低迷を続ける物価 その消費者物価指数の推移を見た。04年度(03年4月~04年3月)は前年度比で▲0.2%、05年度は+0.1%、06年度も+0.1%という水準である。07年度に入っても前月比で06年5月+0.2%、6月0.0%、7月▲0.1%、8月+0.2%、9月+0.1%、10月0.0%、11月▲0.2%、12月▲0.1%、07▲0.4%、07年1月▲0.4%、2月▲0.3%、3月+0.2%というように0%を挟んで一進一退を繰り返している。少し長い目で見ると1990年代半ば以降、一貫して0%近辺で張り付いているのだ。このことは何を意味していうのかという疑問をもった。価格が騰がりにくい構造的な背景 確かに最近の世界経済は物価が騰がりにくい情況になっている。中国などの新興国などに世界中の企業が工場進出を行ってどんどん輸出をしている。賃金が安いので輸出先でも安く売ることができる。工業製品だけではない。コンピューターソフトなどでもインドなど新興国で生産する志向が強まっている。日本国内を見ると規制緩和で値段が下がる傾向が自由化が進んだ業界では価格下落が続いている。携帯電話などは典型であるし、最近では自由化された電気料金などが目立っている。画期的技術の端境期 加えて現在は魅力的な商品がない、という事情がある。次代を担う新技術の芽は出てきてはいるが、それらが具体的な商品として実るまでもう少し時間がかかる。2つの分野を挙げてみよう。まずヘルスケア分野。全遺伝子の解明が完了してはいるが、どの遺伝子がどう働きタンパク質を作り上げているか、ということは未だ研究段階である。この研究が進んだ暁には遺伝病などの病気の治療が画期的な進展が進むだろう。また燃料電池車が完成すれば地球の環境問題や石油資源への解決に大きく貢献することとなるが、現段階はコスト面でのバリアーが高い。それにしても何故、物価は低迷したままなのか 但しこのように考えてきても日本の情況は異質である。同様の環境変化のなかでも米国ではインフレ懸念が台頭している。他の国でもそれなりに経済実態に見合って物価は上昇している。日本の場合、国内総生産などの経済指標は成長しつつも消費者物価のみが低迷している。冒頭にも書いたように物価は経済の体温を示す。日本経済は体温が低いために思う通りに動けない状態が長期間続いているのである。
2007.05.01
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