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いろいろお世話になりました。 けじめをつけなければならないのですが・・・・ ありがとうございました。 ----- Original Message ----- From: > To: ??????@maia.eonet.ne.jp> Sent: Sunday, December 31, 2006 10:09 AM Subject: 31日の日記
2006.12.31
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=相談コーナー=先生の「言葉」に我慢できない【相談】 私は中学2年生でバスケ部に所属しています。私は今、とても嫌いな先生がいます。理由は、先生の言葉です。その先生は、真面目な人には優しくて、少しやんちゃな人には厳しいです。私は少しやんちゃな方で、言われてとても嫌だったことを具体的に挙げると、私が少し体育着のズボンを下げていて「ズボン上げろ」って言われたので上げたら、「それ以上あがんないの?まぁ、足短いのは分かってるけどさあ」と言われました。あと、部活対抗駅伝で私の部が優勝した後、掃除の時少し友達と話していたら「またさぼって、それでも駅伝優勝した部かよ。あっ、でもお前ら2人は貢献してないもんなあ」と言われ、この時は本当に腹が立ちました。前は、ただからかわれているだけだと思い、気にしていなかったのですが、最近は差別にしか思えなくてもう我慢できません。他の先生に相談しても軽く流されそうで、どうすればいいか分かりません。 ---山形県、女性【回答】NPO法人フリースクール札幌自由が丘学園代表 亀貝 一義 どの学校にもこういう先生がいるようです。想像できます。言われている(ちゃかされている、からかわれている)生徒にとってはたまりませんね。はっきりした教師のいじめ、またはいやがらせになると思います。「いじめ」というのは、「優位に立つ者が、特定の者に対して、精神的肉体的な苦痛を与えること」です。しばしばこの行為は繰り返しになったり集団的になったりします。 生徒の対応する方法は、このように非常識な(つまり生徒の心を傷つける言動をとる)教師に対して正々堂々と反撃することが第一です。それは「いじめ」であるととらえて両親の力も借りて行うことです。校長に対しても「子どもの心を傷つけるような言動をやめさせてください」と親から言うことが必要です。その時には、具体的な発言の内容を指摘することになると思います。 第二に、あなた自身の反撃です。話のできる友人はいますか。「やんちゃ系の生徒」に対する言葉がことさらにトゲを含んでいるというのであれば、やんちゃ系のあなたも友だちといっしょにその先生に対して言葉の反撃をすることを考えませんか。例えば、「足短いのは分かっているけど......」と言われたら、「先生ほどでもないです」とか「生徒が気にしていることを言う人は教師として最低です」とか、「親にも言われていないことをいう人が先生になっている学校にいる私たちはかわいそうな存在です」とか。駅伝優勝に貢献していない、ことを言われたら「私たちがカゲになって頑張ったから優勝した。そんなことも分からない先生なんて理解できない」ぐらいのことをいうとか。 最近、政府の「教育再生会議」などというところで「不適格の教師排除」が問題になっています。子どもの気持ちや心を傷つけるような教師は不適格だと思います。そういうことも念頭において、先生に対して、あなたが親や友人といっしょに注文をつけたり、批判をしたり、いやな発言に対して反撃したりすることは、その先生を成長させることになるということも知ってください。回答者 かめがい・かずよし 私立高教諭(社会科)を退職後、1990年から札幌自由が丘教育センター専従役員。不登校の児童、生徒のための居場所、学びの場所として93年11月にフリースクール「札幌自由が丘学園」を開設、運営にあたる。専門は不登校、中退、進路指導など。 ◇ ◇ 学校、家庭での悩みや教育に関する相談を、電子メール( e-soudan@yomiuri.com )で24時間受け付けています。相談は無料。このコーナーに掲載する際は匿名にしますが、相談にはお住まいの都道府県名、氏名、年齢、職業(学年)、昼間連絡できる電話番号を明記してください。詳しくはヨミウリ・オンライン「よみうり教育相談案内」( http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/qanda/consul/explain.htm )をご覧ください。 手紙の場合は、郵便番号100-8055 読売新聞編集局地方部内信課、教育相談担当まで。
2006.12.30
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06年も終わりに近づきました。いろいろなことがありました。教育界では・・・・・ひきこもりという言葉から・・・・07年は若者を始め、住みやすい年であることを・・雪が降りました。さむいですね。出来ることから、始めようと・・・勇気をもって、進んでみよう・・・元気が一番・・・・・
2006.12.29
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************* ご か い の 部 屋 \(ё)/ : ~ 不 登 校 ・ 引 き こ も り か ら 社 会 へ ~ § : http://homepage3.nifty.com/Husta/ Byヒューマン・スタジオ 人--□------------------------------------------------------------■- 元 当 事 者 の 教 育 相 談 員 が 語 る □ 体 験 的 不 登 校 ・ ひ き こ も り 論 と 解 説 :---- □◆ メニュー ◆□ ------------------------------------------- ■ リニューアルのごあいさつ □ コラム「"新しい自分"出産記〔上〕」 ■ ごあんない>====・● リニューアルのごあいさつ ●・===========================< 丸山はがんばります!>-----------------------------------------------------------------< 皆様いかがお過ごしでしょうか。 新年度を迎え、当メルマガは私の個人誌へとリニューアルしました。 不登校・ひきこもり体験を持つ私が、当事者と援助者の両方の立場から、子どもの不登校やおとなのひきこもりへの理解と対応について、毎号コラムに書いていきます。 これまでの読者の方は引き続き、新しい読者の方はこれから末永く、ご愛読くださいますようお願い致します。 ヒューマン・スタジオ 代表 丸山 康彦 "新 し い 自 分 " 出 産 記 〔上〕 リニューアル第一弾として"名刺代わり"に、私の不登校体験を2回にわたり"たとえ話"でお伝えします。こんな体験を持っている者がこのコラムを書いているんだな、とご理解または再確認いただければ幸いです。 ● 私は、高校に入学した頃、心の中に"新しい自分"を身ごもりました。 そのため、心身ともに疲れやすくなり、時には「赤ちゃん返り」(夜母に添い寝をせがむ)という症状が出るようになったのです。 そして、高校入学半年後の頃から、時々学校を休むようになり、ついに、2学期最後の2週間と3学期のすべてを、休んでしまったのです。 3学期になって、両親は県の相談機関に相談したり、父の友人から借りた、子どもの問題について書かれた本を読んだりしていました。その本は私も読み、自分の状態が「登校拒否」(当時「不登校」という言葉はありませんでした)と呼ばれる問題であることを知りました。 しかし「登校拒否」は、当時「心の病気」と考えられていましたので「心の中に"新しい自分"を身ごもったため、人並みに生活できなくなった状態」だということを、私は知る由もありませんでした。 結局、私は出席日数不足で留年になり、以来、罪悪感・プレッシャー・負い目・自己否定感・葛藤・その他さまざまなマイナス感情による心の調子の悪さにより「数日間登校しては数週間休む」というパターンを繰り返す2年間を過ごすことになりました。 ・・・今から考えると、このようなマイナス感情は"新しい自分"を身ごもっているために起こる"心のつわり"だったのです。 この2年間、私には、うれしいこと、つらいことがたくさんありました。 うれしかったことは-- 「理由もなく学校を休んでいる自分なんか、登校しても無視されるか陰口をたたかれるくらいだろう」と思っていたのに、たまに登校したときに、クラスメートが優しく受け入れて、親切にしてくれたこと。 父が「立ち直らせるために」と考え、犬をもらったこと。 父の知り合いの勧めで「夏休み子ども合宿」のボランティアスタッフをやったこと。 つらかったことは-- 両親や学校の先生や父の友人に責められたり説教されたりしたとき。 担任の先生やクラスメートが、心配してくれる気持ちが伝わったとき。 留年するたびに迎える、クラスメートとの別れ。 一緒に入学した同期生の卒業。 この2年間、こうしたすべての出来事を栄養にして、私のなかの"新しい自分"が少しずつ育ってきました。 その証拠に、私は友情の素晴らしさや人間関係の大切さを知りました。 「自己変革」(友だちをたくさんつくり、学校生活を楽しめる自分に変わる)という目標もできました。 3回目の留年となった次の1年、私はそのような教訓を活かして、積極的にクラスメートのなかにとけ込んだだけでなく、スポーツや歌や作文など、得意なことを発揮する機会に恵まれて、楽しい学校生活を送ることができるようになりました。 しかし、それでも私は、必ずしも心が安定していたわけではなく、出席日数も、楽に進級できるほど増えてはいませんでした。 同時に、私のなかで大きく育ってきた"新しい自分"の"出産"が迫っていました。 (つづく):筆者:丸山 康彦(まるさん) スクールソーシャルワーカー(訪問子ども援助職)。高校時代、 不登校と留年の末、入学7年後に卒業。高校講師・ひきこもりを経て、 1999年4月に個人事務所「教育対策研究所」を開設。2001年10月に 当ヒューマン・スタジオを設立し代表に。
2006.12.28
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うつ病からの脱出 第114号 新派遣先面接など ━━━━━━━━━━━━━━━━━2006年12月26日(火)━━━━ 2006年11月15日(水)、シンパシーのNさんに 9月末にメールで紹介された派遣会社のフォーマットの職務経歴書を提出しました。 それと、紹介された派遣会社(仮にAB社と呼びます)のWebページに めぼしい求人が1件あったので 問い合わせのフォームから問い合わせをしておきました。 夜、派遣会社MC社から連絡があり、 11月10日に問い合わせた案件の会社に一次面接しにいくことが決まりました。 次週21日(火)16:00~です。 MC社の営業さんと派遣先会社の最寄り駅で待ち合わせしていくことになりました。 さて、11月21日(火)、まずは札幌医大病院の診察の日です。 「前回、一ヶ月の休職の診断書出しましたけど、調子はどうですか?」と聞かれました。 「自分で判断もできないくらいの状態のようだったから、休職を勧めましたが・・」 ということで。 「ほぼ通常状態に戻りました。」と答えました。 ただ、早朝は食欲がないことがある、とも言っておきました。 例えば今日は病院に行くためにいつもより1時間早い6時に起きました。 いつもより食欲なかったのです。 「その他のうつ症状はありますか?」と聞かれましたが、「特にない」と答えました。 「一ヶ月の休養で気持ち的に安定している」と診断されました。 今飲んでいる薬は、トレドミン2錠とメイラックス1錠を朝晩です。 この量は、治療のレベルとしては中の下くらいらしいです。 「薬が2種類ってのは、少ないんですよ。」と、 医者としては、「いいこと」として伝えたようだったのですが、 私は逆に「中の下?中なのか。」と、ちょっと残念に感じました。 つまり、ほとんど治っているというレベルではないということです。 治っていると思っていちゃあいけないんですね。 完治していないんですから。 無理しちゃいけないってことですね。やっぱり。 今日仕事の面接を受けるという話をしたところ、 「意欲はあるんですね~。」と感心されました。 さて、夕方からその面接です。この派遣先企業を仮にATL社と呼ぶことにします。 相手の面接官は一人でした。 手応えはまあまあってなところ。 一応、人柄は良いと判断してもらえたみたいです。 年齢的には会社自体があまり若くない(といっても30代中心っぽい感じ) ので、問題ないようです。 あとは経験値だけの問題です。 40代の技術系の社員は、ファームウェア系もやったことがあるような 幅広い知識を持った人が多いらしいとのことでした。 シンパシーの開発演習で作ったJavaのWebアプリをPHPで作り直して CDに焼いて持っていって参考として渡しました。(Windows用) PowerBookG4上でも動くようにして、持っていって動かしてみせました。 一応簡単なデモにはなったとは思いますが、 セキュリティとか考慮していない作りなので コード見られたらマイナス評価に働いたりして・・・・ 一応、次の段階は社長面接らしく、社長面接してほしいような口ぶりでした。 技術面接はやらなくていいと思うと言ってくれました。 MC社作成のスタッフスキルシートでプログラミング実務経験3ヶ月なので 技術の人に話が伝わると「3ヶ月じゃちょっとな~」とか言われそうだからだそうです。 もし技術面接が必要になる場合は、別途連絡が来るらしいです。 そのときは行かねばなりません。 とりあえず社長面接の話がうまく進んでほしいと願うのみです。 11月27日(月)になりました。 21日に面接したATL社の結果がMC社からさっぱり伝わって来ません。 スタッフサービスの年末調整関係の書類を申し込むに際して、 今年他社で働いたことがある場合はその会社の源泉徴収票が必要とのことなので 6月7月に派遣でお世話になった派遣会社スタッフアイに電話をしました。 スゴい偶然で担当の営業さんが出ました。 「その後どうか?」という話題になって、「今無職で探している最中だ」と言ったら 「言ってくれればよかったのに~」、と言われました。 Java, JSPの案件が一つあるらしいのです。 ただ、詳しいことはわかりません。コーディングがあるかどうかはっきりしません。 時給とかも良くわからないらしいです。 でもとりあえず連絡をとってみてもらうことにしました。 ただし、今一つ派遣で面接を受けて結果待ちの案件が一つあるということを伝えました。 そのことも含めて、先方に伝えてみる、ということになりました。 つづく 次回は2006年の総括です。 --------------------------------------------------------------------------- うつ病からの脱出 発行人:あっし~ ご意見、ご感想は下記ページ右下「メール」と書かれた部分をクリックして お送りください。 「MIDIでメタル!!(http://homepage1.nifty.com/ASHY/)」 ----- Original Message ----- From: > To: ??????@maia.eonet.ne.jp> Sent: Wednesday, December 27, 2006 10:15 AM Subject: 27日の日記
2006.12.27
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教育対策研究所の主張〔下〕 この連載の最後に、不登校からちょっと離れて、子育てについて述べた文章を掲載します。「教育に忠実だった不登校児は多い」と前回掲載した文章のなかにありましたが、今回も、教育に忠実だった子がある反応を示した例についての、私なりの考えです。〔下〕TVっ子 丸山の テレビで教育対策●『決死の大告白! 許してください・・・私の罪3』より A君は、小さいときから塾やお稽古事にほぼ毎日通わされ、やめた いと訴えても殴られたりするのでやめられないため「良い子」で通し ていた。しかし中学生になると一変。"不良仲間"と共に夜遊びの毎 日。怒る両親に「おれはあんたたちのオモチャじゃねえ!」と叫んで 暴れるまでに。16才のときついに家出。悪行三昧で鑑別所暮らしも経 験したが、17才になると改心し、一人暮らしをしながら働くようにな って両親への感謝の気持ちが芽生え、両親に謝ってまた一緒に暮らし たいと番組に協力を依頼してきた。父は出張中だったが、母は怒りを 表わしながらも、平謝りの息子の帰宅を認め、父に口添えすることを 約束した。 --1999年7月9日(TBS) この番組は、いわゆる「特番」です。内容は、整形手術で顔を変えていたことを隠していた女性が彼氏に打ち明けたり、家を飛び出して芸能人になった若者が実家に帰って両親に自分の夢を認めてもらったりなど、相手に謝って許してもらおうとしている人に協力する"ドキュメント・バラエティ"です。 そのなかでこのケースは、現代によくある、教育熱心な親とその子とのすれ違いの話でした。特に、A君が親への反抗心から非行に走ったと思われるため、身につまされた視聴者が少なくなかったかもしれません。 A君は、なぜグレてしまったのでしょうか。 視聴者の多くは、わが子のためを思って教育を与えてきた両親の愛情がわからない、彼の極悪さに原因を求めたと思いますが、それは酷な見方です。 彼が両親に向かって叫んだ「おれはあんたたちのオモチャじゃねえ!」という言葉に注目してください。おそらく彼は「自分は意志のない人形のように扱われている」と感じていたのでしょう。このような彼の気持ちを、無視すべきではありません。 A君の非行は、教育への反応だったのです。学校以外の教育を無理やり受けさせられていることへの不満が、思春期になって爆発したわけです。 しかしだからといって、原因はご両親の教育方針の謝りであると言いきれるほど、ことは単純ではありません。 現に「小さい頃お稽古事に通うのが大好きで、3つの教室に週6回通っていた」などと述懐する人がときどきいます。また、漫画の『巨人の星』を地でいくような、掛布雅之さんや橋本聖子さんのような親子もいます。この事実を前にしては、A君のご両親に原因を求める議論は説得力を失います。 結局、親の教育方針が"ハマる"かどうかは、親の教育の仕方や与え方の良し悪しではなく、親子の組み合わせ--子どもの個性と親の育て方が合っているかどうか--にかかっているとしか言いようがない、ということになります。 たとえば、わが子に塾通いを勧める親と勉強好きな子どもの組み合わせなら、子育てはうまくいくでしょうが、子どもが勉強ぎらいだった場合は、その子が思春期になって何らかの反応(非行とは限りません)を呈する可能性が高くなる、と考えられるわけです(もちろんこれは、親子関係に限って言えばの話です。ほかの要因もたくさんあります)。 このように青少年問題は、たいてい子どもの性格や教育の良し悪しではなく、おとなと子どもの組み合わせや、子どもと教育との関係から生まれると言っても過言ではありません。したがって、わが子に教育を与える際には、良い教育であるかどうかより、わが子との関係(相性)が良いかどうかを第一に考えることをお勧めします。「良い教育より、良い関係」です! (ニューズレター『きょうたいけん』3号1999年8月1日より) ● 私は、子どもの幸せを決定する要因は、教育それじたいの善し悪しよりも、子どもと教育との関係の善し悪しのほうが大きいと考えています。 つまり、親御さんは「よい指導をしよう・よい教育を与えよう」と、善かれと思ってわが子を育てるわけですが、子どもは子どもで「自分の感覚に合ったプロセスと方法で育ちたい」という欲求(ニーズ)を、自分に善かれと思って持っています。 この両者の感じ方がかみ合わないと、親の指導や教育に、子どもが反抗することになります。ただ、これは思春期を迎えた子どものいる、多くの家庭が通る道でもありますね。 ここで確認しておきます。子どもが反抗するのは、彼らが親の愛情がわからないわがまま者だからではありません。子どもが「自分の感覚に合ったプロセスと方法で育ちたい」という欲求(ニーズ)を、自分に善かれと思ってつらぬこうとするために表れる反応なのです。 したがって「よい指導をしたりよい教育を与えること」よりも「子どもが、親の指導や教育に反抗したとき、どう対応するか」ということのほうが、子育てには大切だ、ということになるわけです。 この点は、いずれ詳しくお話したいと思います。 以上で、教育対策研究所に関する連載を終わります。 ◆ お詫びと訂正 ◆ 前回のコラムで、掲載した文章の出典を記載しませんでした。出典は下記のとおりです。お詫びして訂正します。 (ニューズレター『きょうたいけん』7号2000年8月1日 より) さて、今年度のコラム欄はこれで終わりです。 一昨年10月の当メルマガ創刊以来、コラム欄では、半年ずつ、 * 私自身の体験をつづった"体験記4部作" * 1回1テーマで意見を述べる"1話完結形式" * 私自身の体験とその後の市民活動を通じての意見 という形式で書いてきました。 つたない文章でしたが、多くの皆様にご愛読いただき、感謝にたえません。ほんとうにありがとうございました。 ◆ お 知 ら せ ◆ 新年度(4月)からの当メルマガは、私の個人誌と、当スタジオのオフィシャルマガジンのふたつに分かれることになりました。 このコラム欄は、私の個人誌のほうに引き継がれ、これまでどおり、子どもの不登校とおとなのひきこもりへの理解と対応について、当事者と相談員の両方の立場から、意見・提案を書いていくことになります。 どうか引き続きご愛読くださいますよう、よろしくお願いいたします。 また、当スタジオのオフィシャルマガジンは、新刊として4月より発行予定です。どうぞお楽しみに。:筆者:丸山 康彦(まるさん) スクールソーシャルワーカー(訪問子ども援助職)。高校時代、 不登校と留年の末、入学7年後に卒業。高校講師・ひきこもりを経て、 1999年4月に個人事務所「教育対策研究所」を開設。2001年10月に 当ヒューマン・スタジオを設立し代表に。
2006.12.26
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教育対策研究所の主張〔中〕 今回掲載するのは、不登校を「教育対策」にもとづいて述べた文章です。そのため「不登校と教育との関係」という、独自の視点からの論述になっています。 本誌ではめずらしい理論的な(堅い)文章ですが「研究所のニューズレターに掲載された文章」ですのでご勘弁ください。 「こういう考え方もあるんだな」という感じでお読みいただければ幸いです。〔中〕教育対策からみた不登校●無意識が教育の中断を指令する 今さら説明するまでもないとは思うが、不登校とは「登校の意思を持ちながら登校できない状態」を基本とした概念である。 「休みたいときに休む」という「怠学(怠休)」とは違い「登校したい─登校したくない」という両価的葛藤に苦しみながら「51対49で登校したくない気持ちの勝ち!」とでも言いたくなるような"わずかな差"で欠席を続ける選択がなされる。そのなかで本人は、登校しない自分に対する罪悪感、自責の念、他人への負い目などで心理的安定が得られず、頭痛、神経症、暴力などの二次症状が発生することも少なくない。 これに対し教育的立場からは、一般に再登校させる(直す)ことを目標に、その障害となる「登校したくない気持ち」を抑えようとする。登校したくないというのは、現実逃避であり、心の弱さであり、怠け心である......と。 しかし教育対策では、登校しないことを問題にするのではなく、登校しないことによって生じる苦痛や二次症状を問題にする。つまり「登校できないだけのことで、なぜそんなに苦しまなければならないのか?」という視点である。 「登校したい」という気持ちは「人並みの生活を続けたい」「勉強が遅れたら大変だ」「将来がなくなる」等々、いくつもの理由で形成されるが、そのなかでも大きなウエイトを占めているのは「登校しなければならない」という義務感=規範意識である。ところで、これらの理由のもとになっているそれぞれの価値観(人並みであるべきだ/成績は良いほうがいい/学校に行かないと将来はない/通学は規範の第一だ)は、いずれも教育上当然とされるものばかりである。つまり不登校児は、教育の影響をじゅうぶんに受けているのである。 実際、教育に忠実だった不登校児は多い。親や教師の言うことをよく聞く子、勉強熱心な優等生、高学歴志向の子、責任感の強いリーダータイプ......。彼らは「まじめ」「従順」「努力」「規則」「優秀」などを至上の価値とする、現代日本の「教育的価値観」をひたすら自らの心にとり込み続けてきた。このような子どもを、教育対策では「教育との関係が強い子ども」と呼ぶ。 つまり"現実逃避""心の弱さ"どころか、真剣に生きてきたのである。 それでは、そんな彼らが、同時に「登校したくない」という気持ちを持ったのはなぜか。意識としては登校したいということは、登校したくないという気持ちは無意識のなかから出てきたものである、ということになる。 人の心は「意識」と「無意識」から成り立っており、意識と無意識が対立すると、必ず無意識が勝つ。これは人間の心の法則と呼ぶべきものである。 不登校の場合も、登校したいという意識と登校したくないという無意識が対立し、常に無意識が勝っているから登校できないのである。 ところで、前述のとおり不登校児の意識は教育的である。しかし、無意識の世界では、教育とは無関係な「生」そのものに直結した感性が働いている。そこで「教育を通じて規範や学問を与えられているが "自分が大切だと思って内在化した価値"はまだ持っていない。これでは自分の生き方が構築できない」という将来の危険を感知したら、無意識はどうするか。 「今の生き方を続けていると人生が行き詰まるぞ。だからいったん現在のフィールド(学校)から撤退せよ」という指令を、身体に発するのである。そして本人の「登校しよう」という意識に反して、身体が登校を拒むようになる。 ところが、本人の教育的な意識はそれを許さない。そこで意識と無意識とが闘い始める。先に記した「両価的葛藤」である。つまり不登校の苦しみとは、前述の"無意識からの指令"に気づかずに、教育的な意識に従って登校しようと努力する(あるいは登校すべきであると思い続ける)ところに、その根源があるものなのだ。 その証拠に、無意識に逆って登校努力を続けている限り、両価的葛藤はいつまでも続くが、登校努力をやめると、それは解消されていくのである。 ● ここで私が言いたかったのは「不登校とは、教育への反応の一形態である」ということです。 すなわち、教育という"他律の(教育者がしいたレールの上を歩かせる)営み"によって押さえつけられていた"自律の(自分でしいたレールの上を歩く)欲求"が、自分の奥底から自然にわき上がった、という反応です。 簡単に言うと「このまま学校に通い続けていると自分が無くなってしまう」という予感がした(この「予感」も無意識のものなので、本人は気づいてないことがほとんど)、ということです。 たとえば「学校へは行けないが塾へは行ける」とか「授業には出られないが学校行事には出られる」というふうに、同じ教育の場でも、他律(教育色)の強い場には行けないが、弱い場には行ける、という不登校児が少なくないのも、そのことを裏づけています。 そのため私は「本人の教育の受け方が変わる」ことを、不登校への援助目標のひとつにしています。 つまり、 *おとなではなく自分がレールをしくこと 「当たり前」「義務」として学校に通うのではなく「自分の主体 的な選択」「自分に必要な場所」として学校に通う、というふうに 変わること。 *教育の場を自分で選ぶこと 学校以外で、自分の気質や感性に合った居場所を探して、そこに 移ること(そこで過ごしたあと学校復帰したり進学したりする場合 もよくあります) などをめざすことです。 いずれの場合も「自分に合ったプロセスで」「自分が活かされるかたちで」成長する、という生き方を可能にすることにほかなりません。:筆者:丸山 康彦(まるさん) スクールソーシャルワーカー(訪問子ども援助職)。高校時代、 不登校と留年の末、入学7年後に卒業。高校講師・ひきこもりを経て、 1999年4月に個人事務所「教育対策研究所」を開設。2001年10月に 当ヒューマン・スタジオを設立し代表に。
2006.12.25
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よみうり教育メール 発行日:2006.12.22(vol.1570) 発行者:読売新聞社 http://www.yomiuri.co.jp/=相談コーナー=小学校のいじめ対応に納得できない【相談】 私の小学5年生の息子が、教諭から集団行動時に態度が悪いと背中を強く押されて足を蹴られ、「調子こくなよ」と罵声(ばせい)を浴びせられました。その後、他の児童からナメクジをなげつけられ、下級生からランドセルをぶつけられて、息子が怒ったところ相手の複数児童から靴を頭の上に乗せられました。また、「死ね」「生きている資格がない」など、言葉によるいじめを受けました。私たちは学校に状況を説明し、改善を求めたところ児童らに聞き取りをしてくれましたが、結論はすべて「偶然」とのことでした。学校では、教頭先生がSP風に露出する息子の「見守り」をしてくれましたが、他の児童からは「君は何かしたからマークされているのか」と誤解され、他の教諭はトイレの前でも張り込む始末で、息子は精神的に落ち込んでしまいました。それらのことがあり、息子は遺書を書き、学校に伝わると指導主事、不登校の専門員、学校長から児童相談所に行くことを承諾させられ、現在通所しています。児童相談所の対応は否定しませんが、納得できないものが残ります。児童相談所に行くべきは、からかい、いじめを行っている児童の方だと思います。息子が通所することで、心の状態や取り巻く環境は改善するのでしょうか。わが家では、法務局へ行くべきではないかと話し合いました。家族はどう対応していけばよいでしょうか。 ---山形県、男性【回答】教育評論家、法政大学教授 尾木 直樹 驚きです。明らかに、児童相談所に行くべきは、からかい、いじめを行っている児童の方です。全てボタンのかけ違えのように的外れで、ずれていると思います。学校から教育委員会、不登校の専門家、それに児相までかかわりながら、これは一体どうしたのでしょう。憤りさえ覚えます。 第一の問題点は、教師の「指導」が児童の人権を侵害していることです。指導に物理的な力(「有形力」)を用いたのみならず、「調子こくなよ」と罵声まで浴びせるのは、子どもの目線や心理に全く立とうとしない、「子ども理解」の姿勢の無さからきていると考えられます。小学5年生の男の子なら、調子に乗ること位あって当然ではないでしょうか。注意を受けた際に多少子どもの態度が悪くても、友達の手前、照れ隠しからわざとおどけて見せることもあるのです。そんな折こそ、教師は心優しくどのような行動をとることが小学5年生らしいのか、大人なのか、ゆっくり諭せばいいのです。別の理由であったとしても、罵声を浴びせるなどということは、論外で教師失格です。 第二には、学校側の形式主義です。教頭や他の教員がSPまがいの「見守り」をしたり、指導主事や不登校専門員を入れたり、挙げ句の果てには、児童相談所に通所させる。ここには、息子さんの立場や気持ちに寄り添ってサポートする姿勢など全く見えてきません。恐らく、対外的に弁解できるように、ここまで機敏に手を打っているということをアピールし、責任を逃れたいのでしょう。一番必要なことは、いじめの加害者たちの行為を厳しくとがめ、その心理的背景を読み解き、彼らをいじめをしない子どもに成長させることです。人権侵害の被害者側に児相が対応するとは、一体どうなっているのでしょうか。法務局の方が判断が的確にできるかも知れませんね。とにかく家族として、いま一番大切なことは、本人には何の非もないこと。家族全員が君の味方であることをしっかりと心に通じさせることです。そうすれば、本人の心に元気が回復し始めます。そこから、次の策が出てくるように思います。回答者 おぎ・なおき 東京都内の中高教諭、東京大教育学部講師などを経て、1994年4月から臨床教育研究所「虹」所長。教育臨床学が専門。「子どもの危機をどう見るか」(岩波新書)、「子どもの目線」(弘文堂)など著書多数。 ◇ ◇ 学校、家庭での悩みや教育に関する相談を、電子メール( e-soudan@yomiuri.com )で24時間受け付けています。相談は無料。このコーナーに掲載する際は匿名にしますが、相談にはお住まいの都道府県名、氏名、年齢、職業(学年)、昼間連絡できる電話番号を明記してください。詳しくはヨミウリ・オンライン「よみうり教育相談案内」( http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/qanda/consul/explain.htm )をご覧ください。 手紙の場合は、郵便番号100-8055 読売新聞編集局地方部内信課、教育相談担当まで。 広告 読売新聞購読申し込みのご案内 教育問題を、鋭い視点で、分かりやすく解説する読売新聞。 インターネットでもご購読申し込みを受け付けています。詳しくはこちらへ http://ad1.yomiuri.co.jp/cgi_bin/ads/count/count.cgi?28dd53
2006.12.24
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人生は旅をしているような・・・・・・・・・・・生きていくことに、絶望し、・・・・・・・・・・生きなければと考える自分自身と・・・・・・でも、・・・・・・・・・・・・いろんな出会いがある。過去を振り返っても、・・・・未来に向かって生き抜こうと考える出会いが在る。ありがとう
2006.12.23
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06年も少なくなりましたねそれぞれの、思い出時は進みます。此処に生きていることが、すばらしいことだと・・・・・・情報提供をいたします。いろいろな考え、生き方があるんだと・・・・ひとそれぞれ、ふ ふさわしいことがき きっとあるの のんびり、のばそう、のびようと とっぷて゜なくていいう うれしいことが自分自身にあり、自分自身が好きになれることを信じて・・・だいじょうぶ 、あんしんして・・・・(G-g)*****コ ラ ム ●・ 教育対策研究所の主張〔上〕 体験記(21・23・24号)にも書いたように、子どもと教育や援助(カウンセリングなど)の関係について、私は独自の見解(といっても、考え方の近い人はかなりいます)を持つにいたりました。そして、それらを「教育対策」という理念としてまとめ、その理念にもとづく活動を行うために、今から約5年前に、自宅の一室に開設したのが「教育対策研究所」(当スタジオの設立母体)です。 今回からの3回は、その研究所がこれまでに発信した私の文章を、不登校関係を中心に選んで掲載します。参考にしてください。〔上〕卒業論文が役に立ったこと●「教育対策研究所」について 掲載を始めるにあたって「教育対策」という言葉の意味と「教育対策研究所」について、簡単に説明しておきます。 「教育対策」という言葉は私の造語です。「非行対策」「不登校対策」「ひきこもり対策」などといった「おとなによる子どもへの対策」に対する「子どもによるおとなへの対策」という思いを込めています。 つまり「子どもの人生は子どものもの」という、ごく当たり前の前提に立ち、教育や援助(カウンセリングやソーシャルワークなど)を「する側」のおとなではなく「受ける側」の子どもの立場から考えます。 「教育対策」とは、子どもの立場から教育や援助を見直すうえで用いるべき思考法、子どもが教育や援助を主体的に選んで受けるための知恵、といったものをまとめた理念です。私は、自分の仕事や市民活動のほとんどを、この理念にもとづいて選択し実施しています。 さて「教育対策研究所」は、この「教育対策」にもとづく研究活動・言論活動・ネットワーク活動を実施するボランティア事務所です。 言論活動のなかには、ニューズレター『きょうたいけん』の発行や、機関誌『お・そ・い・な(おしえる・そだてる・いきる・なやむ)』の自費出版などが含まれています。これからの3回でご紹介する文章は、すべてニューズレターに掲載したものです。なお「教育対策」の理念を色濃く反映したものではなく、不登校や教育についての基本的な考え方を述べたものを選びました。 今回は、家庭訪問に関するお話です。●「今日の体験」 とあるカウンセリング研修での、ある日の授業中、内容に関連して私が、自分の不登校時代の体験をもとに、大学の卒業論文に「教師が家庭訪問したとき、生徒が面談に応じたらその誠意を評価し、喜びを表現する」と書いた、と発言したら、当時不登校中の甥(小学生)がいた研修仲間のSさんが、さっそく私の説を実証してくれました。 Sさんによると、こういうことでした。 ──丸山さんの発言を聞いた同じ日、甥の家に担任の先生とクラス メート数人が家庭訪問にやってきたが、甥は自室から出てこなかった。 しばらく待って、あきらめて帰ろうと門の外に出た先生と級友たちに 向かって、甥がやっとの思いで部屋の窓から顔を出して「来てくれて ありがとう」とお礼を言ったら「今ごろ何だ!」と先生に怒鳴られ、 パニック状態になって自室に閉じこもってしまった。たまたまその翌 日に甥の家を訪れてその一件を知った私は、丸山さんの話を思い出し、 甥の会って、先生たちにお礼を言ったことをほめたところ、甥がにわ かに明るくなり、数日後には登校を再開し、それ以来毎日のようにそ の日の出来事を報告してくれるようになった‥‥。 担任の先生が不登校の生徒の家庭訪問をするとき、あるいはクラスの生徒を差し向けるとき、彼らは「わざわざ来てやったのだから会って当然」と思いがちです。しかし、訪問された不登校児にしてみれば、会うのはとても勇気がいることなのです。 それにしても、まさか9年も前の卒業論文が役に立つとは思いませんでしたが、ひとりの子どもに元気を与えるお手伝いができたようで、よかったです。 (ニューズレター『きょうたいけん』4号 1999年7月16日より) ● 私個人の体験談をしゃべる気軽なコラムとして設置された「今日の体験」欄の、最初の文章です。 Sさんの甥ごさんは、元気になった結果学校に戻ったようですが「元気になる=学校復帰」とは限りません。私が「よかった」と書いたのは、あくまで「元気になった」ことに対して感じたことであり、学校復帰じたいを喜んでいるわけではありません。 ところで、39号と41号の本欄で「家庭訪問」を取り上げた際にも書きましたが、訪問を受け入れられない状態にある不登校児には、訪問した先生やクラスメートは、登校できない自分への批判者であり、登校できない自分の状態ないし意思を曲げようとする強権発動者(警察みたいなもの)と映ります。 それにもかかわらず、勇気を出して感謝の気持ちを伝えた甥ごさんは、やっぱり「エライ!」のです。:筆者:丸山 康彦(まるさん) スクールソーシャルワーカー(訪問子ども援助職)。高校時代、 不登校と留年の末、入学7年後に卒業。高校講師・ひきこもりを経て、 1999年4月に個人事務所「教育対策研究所」を開設。2001年10月に 当ヒューマン・スタジオを設立し代表に。
2006.12.22
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コ ラ ム ●・━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 閉じこもって迎える年越しの味 節目の時期に、本人はどんな気持ちを味わうのか、ということを考えてみたいと思います。 世の中は暮れも押し迫り、あわただしくなっています。そんななか、不登校やひきこもりの青少年にとっては、自分が世の中の動きに取り残されているという実感が、いつにもまして強まる時期でしょう。 青少年たちは、どんな思いで年を越し、正月を迎えるのでしょうか。 私の不登校時代をお話しします(創刊当時のコラム参照)。 高校時代、不登校状態で年越しを迎えたのは4回ありました。その4回のなかでも、年により気分の違いがありました。 最初の年越しは、2学期の最後に2週間続けて欠席し、終業式の日は登校して迎えた、本格的な不登校の始まりの頃でした。 終業式の日、担任の先生に留年の心配はないことを確認したので、冬休みは落ち着いて過ごしていたものの、すでに心が不安定になっていたためか、年が明けて3学期は、1日も登校できなかったのでした。 初めて留年生として過ごして、2回目の年越しのときは「来年こそがんばりたい」と決心し、クラスメート全員に年賀状を出して、その気持ちを伝えました。 迎えた新年も、冬休み中に担任の先生にそれまでのいきさつを説明するなど「心機一転、3学期こそ」との決意を表現しました。 ところが、思いどおりに登校することはできず、3学期が終わってみれば、1年間で3分の1くらいの出席日数に終わり、再留年。 同じような欠席日数を繰り返して迎えた次の年越しには「3学期は退学させられるまでの猶予期間だ」「自分の人生は3月までしかイメージできない」などといった悲観的な考えで頭がいっぱいになっており「来年1年がんばりたい」という熱意はわき上がってきませんでした。 そのため、クラスメートには年賀状を1通も出さず、迎えた正月も、どよ~んとした暗い気分で過ごしたのでした。 「今年をいい年にしよう!」という気持ちの張りが生まれなかったのです。 退学を免れて3回目の留年となった学年では、楽しく充実した学校生活を送り、2学期終了時には進級可能な出席日数に達していました。 それだけに、明るく希望に満ちた気分で年を越し、迎えた正月は「今年をいい年にしよう!」という気持ちの張りがあったのでした。 いのしし年だったので「猪突猛進で3学期を駆け抜けるぞ!」なあ~んて思っていたわけです(来年もいのしし年ですね)。 ところが、体験をお話ししたところで示したように、3学期は完全な息切れ状態となり、またも留年。そして、最後の1年生として迎えたその年の暮れ、次の年やその次の年が、あんなに充実した年になろうとは、まったく想像もつきませんでした。 このように、不登校の場合は学校との関係がありますので、本人の気分は年ごとに違うと思われます。特に辛いのは、進路を考えなければならない中学3年生のときに迎える年越しでしょう(これについては、ちょうど2年前に4回にわたって書いたところをご参照ください)。 一方、ひきこもりの場合はどうでしょう。閉じこもっているけれど一見安定している、という時期には、それほど違いはないかもしれません。 むしろ、次の機会にお話しする「誕生日」のほうが、さまざまな感情を起こさせるのではないかと思います。 ただ、私がそうだったように、就職に向けて動き出すなど、何か変化が起きると「今年はうまくいくだろうか?」という不安がわき起こったりすると思います。 いずれにしても、不登校児もひきこもり青年も、年越しにあたって、1年間の締めくくりとして大掃除をしようとか、正月の準備をしようとかいう気には、なかなかなれないと思います。 また、年が明けても、新年を祝う気になれない、正月気分に浸れない、そんな人もたくさんいることでしょう。 しかし前述のように「来年もこのままなのか」と不安いっぱいで新年を迎えても、その年が終わってみれば「転機の年だった」と感無量で振り返る--いずれはそんな年がやってくることでしょう。 ところで「正月」はもともと、家族で1年間の目標や計画を決めるための日だった、と聞いたことがあります。 昔は「数え年」と言って、誕生日ではなく正月に年齢をひとつ加えることになっていましたから、正月の持つ意味が重かったのでしょう。 しかし、正月に「今年のこと」について家族で話し合うことは、きわめて自然なことだと考えられます。逆に言えば、1年間のことを家族で話し合う機会が、正月をおいてほかにあるだろうか、と思います。 そこで、ふだん人生について、生活について、じっくり話し合う機会のない家族の方々には、毎年の正月をそのための日と決めて、それを家族が続くかぎり毎年行うようにしてはいかがでしょうか。 これは、不登校やひきこもりに効果があるかどうかという話ではありません。すべての家族に言えることです。お子さんが不登校やひきこもりになったから、その対応として正月に話し合うことにするのではなく、あくまで1年に1回の家族の絆を深めるイベントとして位置づけるのです。 さて、今年1年ご愛読くださいまして、ありがとうございました。 来年は「角をためて牛を殺すな」というテーマの連載からスタートします。2007年も、皆様のお役に立てるようがんばります。 皆様がよいお年を迎えられますよう、お祈りしております。:筆者:丸山 康彦(まるさん) スクールソーシャルワーカー(訪問子ども援助職)。高校時代、 不登校と留年の末、入学7年後に卒業。高校講師・ひきこもりを経て、 1999年4月に個人事務所「教育対策研究所」を開設。2001年10月に 当ヒューマン・スタジオを設立し代表に。
2006.12.21
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□「グローバル」と「ローカル」を合わせた新造語。さて、インターネットの調べものですが、やはりgoogleで検索が良いと思います。http://www.google.co.jp/で、好きな(調べる)文字を入れてください。
2006.12.20
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07年は猪の年・・・・・・ ごか い の 部 屋 ~ 不 登 校 ・ 引 き こ も り か ら 社 会 へ ~ \§/ : http://homepage3.nifty.com/Husta/ Byヒューマン・スタジオ 人--□------------------------------------------------------------■- 不登校・ひきこもり経験のある相談員が、 : 当事者と援助者の両方の立場から語ります。 : □ >> 自 分 の 人 生 の 主 人 公 に な る た め に... << :---- ◆□◆ 本 日 の メ ニ ュー ◆□◆ ---------------------------- ■ コラム:『再び私の経験から──不登校とひきこもり〔下〕』 □ 教育相談のご案内 ■「関連情報版」掲載記事の募集について====・● コ ラ ム ●・ 再び私の経験から──不登校とひきこもり------------------------------------------------------------------- 〔下〕 援助しなければならないか● 体験記からの抜粋・要約※ 不登校になる前の私は、消極的で自ら友人を求めることもないほど、 人間関係を軽視する尊大な子どもだった。ところが、不登校になって から、たまに登校したとき、クラスメートや担任の先生が、じつに温 かく気づかってくれたことにショックを受け、私は生まれて初めて、 友情や人間関係の素晴らしさや大切さに気づいたのだった。※ 私にとって高校での不登校時代は、同級生の友情や先生方の愛情と、 自分が経験したことや考えたことが相まって、人生を積極的に生きる ためのエネルギーになり、それが心の中で徐々に育まれていた時間だ った。※ ひきこもり時代、私は自宅に1日じゅう閉じこもっていても、両親は 何の対応もせず、また私が両親の言動を追及しても、まともに取り合 わず、しかも誰にも相談することもなかった。※ 私自身も、不登校時代にカウンセラーにかかり、大学時代に人に相談 した(援助を求めた)結果が、いずれも悪かったことで「人に相談し てもロクなことはない」と確信していたため、誰にも相談することな く、7年という歳月がたってしまった。※ 当時の私は、スクールソーシャルワーク研究会に毎月通っていたが、 苦しみが強くなってから顔を出せなくなった。そんな私を、仲間たち は気にはしていたと思うが、だからといって、私に連絡をとってきた り、私を援助しようとしたりしたことはなかった。でもひきこもりを 終えた私が、約2年ぶりに彼らの中に入っていったとき、彼らは何事 もなかったかのように、以前と変わらない態度で接してくれた。※ 不登校のときは、前述のように多くの人に援助されたうえ、母が私に 愛想をつかしたことが直接のきっかけとなって終止符を打ったわけだ が、ひきこもりのときは、誰にも援助されないまま、自分ひとりで終 止符を打ったわけである。 ● 私は不登校時代、たまに登校したときにもらった、クラスメートや先生方の気遣いや励ましが、何よりの援助でした。一方、カウンセラーの指導は、私にとって有効な援助ではありませんでした。また大学時代も、人に相談しても良いことがありませんでした。 その経験から、私は「日常場面でのふれあいは良い援助になるが、相談では良い援助は得られない」ということを、肝に銘じて生きるようになったのでした。 そのため、私はひきこもり時代には、誰にも相談せず、したがって誰にも援助されないまま、ひとりでひきこもりを終えたわけです。 しかし、今になって考えると、私が援助を受けなくても何とかなったのは、当時入会していた、スクールソーシャルワーク(以下「SSW」と略)研究会の仲間たちの存在が心の支えになっていたからです。 この会は、当時の私にとって唯一の居場所といえる場でした。そこには、私が共鳴している援助法があり、それを共に研さんしている、最も心を許せる仲間たちがいました。 しかし私は、自分がひきこもりだということを、彼らに打ち明けることができずにいました。 なぜなら、私のひきこもりは、親との関係によって生成し、持続しているものだったからです。つまり私は、自分がひきこもりであることを打ち明ければ、相手に「おとなにもなって」「親不孝だ」「家を出ればいいじゃないか」などと(大学時代に人に相談したときのように)、あきれられたり非難されたりするだろうと、予想していたのです。 そこには「彼らだけには嫌われたくない」という恐れがありました。会の仲間との関係が壊れることは、当時の私にとって、唯一の居場所と心の支えを、同時に失うことを意味していました。 そのうち、苦しみが強くなっていった私は、約2年の間、会から遠ざかりました。このように苦しみのどん底にいるときに、会の誰かが「どうしたの?」などと連絡をくれても、やはり私は、本当のことを言えなかったに違いありません。 結局、私は仲間たちから援助を受けることはありませんでしたが、それでも彼らの存在があるだけで、私はギリギリのところで踏ん張れた、というか、彼らから直接援助されなかったのが、かえって良かった、と今は思えるのです。 直接援助を受けなくても、遠くの人の存在が自分の支えになる、いや、もしかすると、自分の支えになる人からは、直接援助を受けないほうがいいのかも・・・そんなことを、私は自分の経験から感じています。 さまざまな援助に支えられて生き抜くことができた不登校時代。援助ではなく、人の存在に支えられて生き抜くことができたひきこもり時代。どちらも、私にとっては「それで良かった」時代なのです。 このように考えれば、不登校児やひきこもり者に対して「援助しなければ大変だ」とは、言い切れないことになります。 要するに、直接援助することも重要ですが、それ以上に、本人の周囲に、どれだけ良い人や社会資源がある(=良い環境)か、のほうが重要なのです。本人がそれらの存在を感じてさえいれば、それだけでもじゅうぶん、心の支えになっているはずです。:筆者:丸山 康彦(まるさん) スクールソーシャルワーカー(訪問子ども援助職)。高校時代、 不登校と留年の末、入学7年後に卒業。高校講師・ひきこもりを経て、 1999年4月に個人事務所「教育対策研究所」を開設。2001年10月に 当ヒューマン・スタジオを設立し代表に。
2006.12.19
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神戸三宮界隈・・・・・・・・・・・・・・・・・22:00ごろ *********::=相談コーナー=子供の日記全文を名前入りで学級通信に掲載する担任に違和感【相談】 小4の長男のクラスでは「書く力を見るために」ということで日記指導が始まり、「継続力」と「丁寧力」に焦点をあてて指導して頂いています。書くことが得意ではない長男には大変ありがたいことなのですが、子供たちの日記の全文をそのまま名前入りで学級通信に載せてしまうことに、違和感を覚えます。前年の担任も同様でしたので、長男はだんだん思ったことをそのまま書けなくなりましたので、「日記ではなく作文だから」と言って書かせました。今年度の担任は勤続15年のベテランなので、何の疑問もなく自信を持ってやっているようです。子供たちの写真の掲載などには気配りをいただけるのに、日記は最初からパブリックなものというスタンスです。学校全体のことらしいので言ってみても無駄かと思いながら、いつも気になります。このまま日記を書かせ続けてもよいのでしょうか。アドバイスをお願いします。 ---東京都、女性【回答】山田中学生問題研究所代表 山田 暁生 私も学級担任をしていた時は生徒に作文をよく書かせていました。1年間に50回ほど書かせた年もありました。「山田先生のクラスに入って、とてもイヤなことがあります。それは、何かあるとすぐ作文とか感想文を書かされることです」と書かれたことがあるくらいです。それを書いた女生徒が今は幼稚園のベテラン先生になっていますが、「今はあの時の"練習"のお陰で、どんな文章でも抵抗なく書け、保護者や子どもたちへのコミュニケーションにも大変役立ち、もし、あの時先生がいやなら止めとこうと書かせることを止められたら、今の私はなかったと思います」と、後に手紙をくれたことがありました。 こうした体験がある私は、お子さんが苦手なるがゆえに、今こそ学校の指導の流れの中で日常的に書く習慣を身につけることは将来役に立つ力になるのではないかという思いがあるのです。学校としても、「日記を書くことによって、継続力、表現力、物事を深く丁寧に見る力などを身につけさせ、生きる力にさせたい」という教育的配慮を実践しているのではないかと思います。 しかし、お母さんはそれを否定しているわけではありません。むしろ感謝をしていらっしゃるようですね。問題にしておられるのは、書いたものは何でもそのまま衆目にさらされることの良し悪しです。「日記はパブリックなもの」という考えは私も反対です。「プライベートなもの」です。そのことを配慮して、時にはある部分をカットしたり、氏名を匿名にするなどの配慮をする必要があります。氏名も含めて全文を掲載したい場合は書いた子どもに一言「このまま載せていい?」と承諾を取り、そうする意図を理解させることも著作権意識を育てる上で大切なことだと思います。それをしなければ、自分の本心を隠して「作文」するしかないでしょう。「ウソの日記を書かせる」という受け止め方をせず、もっと気楽に気持ちを書こうねという考え方でお子さんにも継続させてはいかがでしょうか。回答者 やまだ・あきお 東京都内の公立中教師、NHKラジオの電話相談番組のアドバイザーなどを経験。父母と教師の相互理解、中学生の理解と指導などが専門。著書に「誰でも成功する子どもの長所の見つけ方伸ばし方」(学陽書房)ほか64冊。
2006.12.18
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ふるさとひょうご創生塾10周年記念交流会http://www.hyogo-intercampus.ne.jp/gakusyu/jigyou/sousei.htm061217 県民会館 303号 18:00~20.00 ************ 木下大サ-カス 来姫http://www.kinoshita-circus.co.jp/****061216 ニュ-ポ-ト国際大学西日本校研修会・忘年会http://www6.ocn.ne.jp/~newport/同じ字を 雨 ・ 雨 ・ 雨と 雨で読み ( ) ( ) ( ) ( )書いてみてくださいね。***「未来」未来が予測できるのなら、株をやればよい。そうして、その将来の予測は何を参考にするかというと、チャートやPER計算や起こった事件の新聞記事や報道などの過去の歴史を参考にしたりする。これって少し錯覚なのかもしれない。明日の株価を予測するのなら、株価が本当に会社の今日の業績を反映しているのなら、過去の値動きや発表後の前期の数字をいくら見たところで、それは「今日と明日の現在の現実」とはかけ離れている。今日と明日の株価と、会社の今日の現実は乖離がある。理論で行けば現実の数字や情報はインサイダー取引になり、摩訶不思議な事に、株価は「希望的観測」の大きく含まれる数字である。現在もダンナの卒業したビジネススクールの配信する講義をネット配信で聞くけれど、結局こういう理論に抜けているのは、「人間のエゴ」のような部分。組織を引っ張る役目の暇な時間の無いはずの人間が、ビジネス云々以前に、このおっさんとこのおっさんが仲が悪くて、とか、このおっさんが欲ボケで酒と女と株に手を出して、とかこのおっさんが成功に胡坐をかいたボス猿で、という親切な判り易い説明は学者の発表する講義やケーススタディの中に、一切無い。世間でのニュースもそういった言葉からのアプローチは無い。職場は「仕事の場」であるけれど、人間は結構つまらないものに焦点を奪われておかしな方向にも向かう。そうしてそれが「仕事の一部」だったり「仕事の全て」になったりする。偉い人の常識には「仕事には関係のない事」かもしれないが、偉くない下々の流されやすい人間には、非常識であったり不愉快であったりやる気も喪失したりと、波及効果は偉い人の想像以上である。ダンナからは「お前に何がわかるか」とよく言われるけれど、本当にその通りなのだ。人間社会はわかり合おう、ではなくて、解かり合っていない、決め付けあいながら錯覚で成り立っている。以前に「歌舞伎の世界に経済学は関係ないが」という文章を目にした時、ええー!であった。「風が吹けば桶屋が儲かる」という高度な経済概念が普及していた日本で、関係のない問題がないのは江戸時代の庶民でも御存知だったのだ。「エライ子供」や「エライ大人」が年寄り臭さを馬鹿にするから短期脳発想の血気盛んな思想が常識となって若い社会に蔓延するのだろうか。歌舞伎の舞台の批評をするのは梨園の人間ではない。経済学者は商売人ではない。自分の考える自分と他人の決め付ける自分が違うように違う世界の外から冷静に見た景色と、内側から見えている景色は違う。そうして、同じ一つの舞台を見ているけれど、観客の数だけ「違う舞台」がある。見る側の人がどう見るかで一つの舞台は違うものになる。そうして、批評家の言葉にも人は惑わされる。文章や言葉や情報に多く触れる、信じる、ということは惑わされる、流される、そういう事とも同じ。定年までの安泰を指折り数える先輩の姿は、若さと体力がある間に、自分の事として考える。自分も体力が衰え同じ時代が来る事を教えてくれる貴重な先輩の姿である。団魂のうんざりするほど子供時代から競争させられた人達が、最期まで残った幸運な一握りの方々も、最期には食い逃げ呼ばわりは、すごく判る気もするけれど少し切ない。自分に置き換えて考えるクセの無い旬の若いエライ人には自分の辿る道が見えているのだろうか。日本にあった「死ぬまで修行」という常識と欧米風のプロ意識で自分が出来上がったように錯覚するのと、定年までの過ごし方に差は出る。トップダウンでトップがスピードと供に引っ張っていくのも、確かに一つの成功への形だけれど、アメリカの政治、イラクの現状を見ても、必ず勝利には結びつかない。トップがナポレオンのように天才であっても勝者側に属して盲信している人は良いけれど周りはエエ加減にして欲しくも島にでも篭って欲しくもなる。仕事をする仕事の場で心が病むのが先ずは可笑しい話なのだが、人間はそうなってしまう。だからこそ学者の理論を注目した方が良い。矛盾するけれど、メンタル部分や義理人情に焦点を奪われると肝心のビジネスから遠くなって自分が義理人情に病んでいく。私の様な人間には、病まない方が不思議な、病んでしまうのが普通だよ、と思える現実社会である。「偉い人」の影響は、偉い人が考える以上に社会や組織には大きい。類は友を呼ぶか、類が類を創る。マナー、ルール、それは見習いたい人のを見習い見習いたくない部分は反面教師というあり難い教えなので感謝だけをする。日本は政治もビジネスもアメリカばかりを見ているけれど、アメリカを前向き一途なアメリカ人が自画自賛するようにカッコ良く思い込みすぎで、アメリカは決して悪くは無いけれどアメリカは「絶対の正解」でもない。日本の組織にうんざりしている人、アメリカに飛び出したい人、日本の良さを冷静に探して確認してから、欧米の社会を冷静に比較や検討をして欲しい。「玉砕」勢力との終戦工作を政府の中枢が必死になって「国内で政争している」先の大戦の終戦直前、終戦のの数日前から平和株の銘柄が早くも動き出している。庶民の勘か、人間の必然の欲望か、株価は結局、人間の希望的欲望も含まれており、不思議と未来を先導する指標でもある。神頼みか人間頼み、博打はばくち打ちに任せるに限る。人間の創る未来は人間と同じように不思議なものだ。華乃智家hananochika@hotmail.com
2006.12.17
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061125061202***************** うつ病からの脱出 第111号 初めての開発実務途中離脱2006年10月24日(火)に「一ヶ月の休養を要する」という診断書を出され、結局今の派遣の仕事は10月いっぱいは休んで、11月1日2日出て終了ということになり、次の仕事のことを考えなければならなくなりました。10月28日(土)、正直なところ、一ヶ月も休まずとも体調はすでに回復してきています。ネット上でwebプログラミングの仕事(派遣)というのを見つけたのでエントリーしてみました。PHP, MySQLをLinux上で動かすという、今まさに体験したばかりのことが書かれていたのでひょっとしたらできるかも?と思ったのです。社内開発物なので納期がないというのも魅力でした。ただ、基本的には1名での作業らしいです。わからないことにブチ当たった時に教えてくれるような人がいないってことなのでしょうか?まあ、落ちてもいいです。応募しないで後悔するより応募して後悔した方がいいと思いました。この仕事はMC社(仮名)という派遣会社です。10月30日(月)、MC社からエントリーした仕事の件に就いて電話連絡が来ました。11月6日(月)10:00~面接/登録になりました。ちょと聞いた話では、派遣先にはプログラマーがいないらしいです。ホントに一人の作業になるようです。これは仕事内容を良く聞かないと、やれるかどうか判断できません。わからないところが出て来た時に聞く人がいないというのはあまり良くない環境です。でも納期も無く残業がほとんどなさそうなところは魅力的なんですけどね。全国の高校で必修科目の履修漏れが問題になっている中、履修漏れが発覚した茨城県の高校の校長が山林で首つり自殺したとのニュースがありました。履修漏れが発覚した高校は全国で数百にものぼるわけだからあんたのところだけじゃないんだから、他にもいっぱい仲間がいるんだし他の学校の校長は自殺なんてしてないし・・・。生徒に不安を与えたり迷惑をかけたとは言っても、何も自殺までしなくても・・・と思うのですが。責任感の強い人だったのでしょうか・・・?責任感が強過ぎるってのもある意味短所になるんですね。「責任感が強い人がうつになりやすいんですよ。」と医者に言われた私ももっとちゃらんぽらんに生きた方がいいかもな、と思いました。今は無職だからかなりちゃらんぽらんに生きていますけれど。11月1日(水)、職場復帰しました。とは言うものの、この日と次の日の2日間だけで終了ですけれど。朝、社長に呼ばれて、体調が心配なので、無理しなくていいように実務的な仕事はしなくていいと言われました。プロジェクトの方は、なんとかなるさ~って感じなので、気にしなくていいと言われました。今日と明日は自分で好きなことをやっていいとのことでした。で、定時の7時で上がっていいということ。嬉しいような申し訳ないような感じです。で、今日は持って行っていたPHPの本で勉強しました。その後、納期に間に合ったのかどうか、一緒のチームのMさんに聞いてみたら、やっぱり間に合わなかったみたいでした。11月10日を元請けへの新たな納期として頑張っているみたいです。で、それ以降は今度はホントにシステムを使うお客さんがテストする段階に入るらしいです。そのお客さんのところでちゃんと動くようにする納期が11月24日ということらしいです。当初11月にスケジューリングされていた二次開発は、それ以降にずれ込むようです。まあ、Mさんが言うには、最初からスケジュールに無理があったと思う、とのことでした。そうだったのかもしれませんねえ。Mさんもうつを抱えている人で、無理の出来ない人です。肩書きはSEなので、仕事量と必要な時間などのスケジューリングには敏感なのだと思います。過去2年ほど休職して、今の会社に入社したのは今年の4月とのことです。いろいろと話しました。11月2日(木)、終わりました。仕事。プロジェクト自体は終わっていないですけど。私はは体調不良問題で途中離脱です。情けないけど、これがまた裏返しにいい方向に転がってくれれば救われるのですが・・・。短かったです。正味一ヶ月です。たった一ヶ月のプログラマー実務経験でしたが、得た物はたくさんあります。と思います。少なくとも全くの未経験に毛が生えた程度はあります。この経験を生かせるでしょうか?「一ヶ月」じゃ、面接でもあまり説得力ないでしょうけれど・・・。この日、Mさんは体調不良で18時前に帰りました。でも、「また会いましょう」メールをくれて帰っていきました。ホントに具合悪そうでした。プロジェクトの今後の行く末がちょっと心配だなあと、後ろ髪引かれるような思いもありましたが、とりあえず皆さんに「ご迷惑をおかけしました、お世話になりました。」と挨拶をして今回の派遣の仕事を終了しました。つづく次回はまたまた仕事探しのお話です。---------------------------------------------------------------------------うつ病からの脱出発行人:あっし~ご意見、ご感想は下記ページ右下「メール」と書かれた部分をクリックしてお送りください。「MIDIでメタル!!(http://homepage1.nifty.com/ASHY/)」
2006.12.16
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2007年1月下旬、雲母書房より刊行!!大好評予約受付中!! つV)に社会をあげての「引きこもり狩り」が始まった!疑問を持たない「引き出し」型支援を「引きこもり狩り」と命名。「支援する」ということの本質を考える。 引きこもり狩り(細,アイ・メンタルスクール寮生死亡事件/長田塾裁判芹沢俊介(評論家)高岡健(精神科医)多田元(弁護士)川北稔(愛知教育大) 山田孝明(情報センターISIS)梅林秀行(情報センター】SIS)四六判上製/250頁 定価1600円(予価) ※送料は全国一律350円ご負担いただきます。5冊以上まとめてご注文いただいた場合に限り無料とさせていただきます。「善意の道は地獄に通じる」(芹沢俊介) 日次 序静(芹沢俊介) 第一部 引きこもり狩り1アイ・メンタルスクール事件報道の概要(川北稔) 2 予期された事件(山田孝明) 3 長田塾裁判の問題点(多田元) 4 引きこもり狩り姉妹の精神分析(高岡健) 5 誰の支援か(梅林秀行) 6 家族と倍仰(芹沢俊介) 第二部 付録 シンポジウム「アイ・メンタルスクール事件を考える集い」 あとがき(芹沢俊介)予約注文先:株式会社雲母(きらら)書房TELO3-533ト3343 mXO3-3360-0203URL http//WWW.kirara-S.COjpアイ・メンタルスクール事件と長田塾裁判合宿型引きこもり支援施設・塾教育学院(長田塾)を経営する長田百合子氏による、突然引きこもりの子どもの部屋へ怒鳴り込み、殴る、蹴る、脅す、諭すなどして無理矢理に棄へ連行するという「熱血体当たり更生指導」がテレビや雑誌で美談として持ち上げられてtヽた光景は記憶に新しtl。アイ・メンタルスクール事件とは、その長田百合子氏の実妹である杉浦昌子が経常する合宿型引きこもり支援施設「アイ・メンタルスクール」で、真夜中に突然世田谷区から名古屋市内の施設へと「拉致」されてきた青年が、外傷性ショックにより死亡したとt)うものである。杉浦昌子以下6人を被告として、現在裁判が進行中。また長田百合子氏も元寮生からその「支援」方法をめぐって損害臍併裁判を起こされている。現在の引きこもり支援においては、暴力性において姉妹ほどではないにしても、「引き出す」という発想・手法はいまだに一般的である。しかしこの間魔のきらに深部にある本質は、あの「戸塚ヨットスクール事件」などとも完全に根を同じくしており、問題が普遍的であることを物番っている。引きこもり狩りアイ・メンタルスクール寮生死亡事件/長田塾裁判お名前(ご請求先が異なる場合は両方お書きください)T E LFAX(送り先ご住所(ご請求先が本の送付先と異なる場合は両方お書きください)
2006.12.15
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うつ病からの脱出 第110号 「うつ」はヒューズ?2006年10月25日(水)、昨日、病院から1ヶ月の休養を要するという診断書を出されました。派遣元と派遣先の話し合いの結果、私は10月いっぱいは休んで、11月1日と2日の2日間だけ出社して終了ということになりました。また無職になることになりました。長時間労働で体調を崩すとはホントに思ってもいませんでした。せっかく見つけた紹介予定派遣(正社員に登用される道がある派遣)の仕事だったのに激務に耐えられなかった自分が情けないです。「うつ」という病気は大変な病気なんだなあと改めて実感しました。とりあえずはしばらく休養して、それからまた就職活動を再開しようと思います。今後は、今回の失敗を踏まえなければなりません。うつのことを理解してくれて、長時間労働を制限してくれるような会社という制限がついてしまいます。そんなところあるのかよ?と思います。そのため、これまでよりもさらに就職先を見つけるのが困難になることが予想されます。ホント、大変な病気にかかってしまったものです。結局のところ、今の派遣先の会社には縁がなかった、ということなのでしょう。もし、プログラミング業界の会社のほとんどが長時間労働をあたりまえとしているのなら、プログラマーとしての仕事はあきらめないといけないかもしれません。人生、いろんな方向に転がるモノです。悪いことがあればその代わりにいいこともある。全体的にはまだ悪い流れの中にいますが、いい流れが必ず来る物だと信じて休養しようと思いました。10月27日(金)、9月の道新(北海道新聞)適職フェアで面談した、当てにならないと思っていた会社からの着信が携帯電話にありました。夕方6時過ぎ着信になっていました。ちょうど風呂に入っていた時間です。気づいたのは7時過ぎです。この会社、電話をくれたのはこれで3回目ですが、毎回出られません。ホントにタイミング悪い会社だなと思いました。月曜日になってから、その会社にこちらから電話をしてみました。向こうは一度会って話をしてみたいという考えのようでしたが、うつについて話して、残業が多い仕事だと体調を悪くする可能性があることを話しました。すると、年末だし、こちらの仕事も残業はあるので、同じこと繰り返すかもしれませんね、という話になり、とりあえず今回は面接をすることはなくなりました。また機会があればよろしくお願いします、と向こうから言われました。ただの挨拶だと思いますけれど・・・。今週の始めは、今週は仕事が納期前の地獄の一週間だと思っていました。それが、体調不良のために仕事から途中離脱するという、ある意味逃げに近い形ではありますが地獄を経験せずに終わりました。結果的に会社には迷惑をかけたし、自分の当面の仕事も無くしました。でも、あのまま続けていたら体調はさらに悪化していた可能性もあります。最悪、今はあまり流行らないけど過労死?そういった最悪の事態に至らずに済んだと思えば、良かったのだと思うことも出来ます。私の「うつ」は自分を守るヒューズみたいなものなのでしょうか・・・?今回は短めですがここまで。つづく次回は体調不良で派遣終了の話です。うつ病からの脱出発行人:あっし~ご意見、ご感想は下記ページ右下「メール」と書かれた部分をクリックしてお送りください。「MIDIでメタル!!(http://homepage1.nifty.com/ASHY/)」
2006.12.14
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うつ病からの脱出 第109号 やっちまった━━━━━━━━━━━━━━━━━2006年12月 8日(金)━━━━2006年10月23日(月)、昨日おとといの休日出勤で無理をし、体調が悪くなってしまいました。うつが完治していない状態で長時間労働はどうも体にキツかったようです。自分ではほとんど治っていると思っていただけに、正直に体調に症状が現れてしまったのはショックでした。この日は一応つかの間の一日だけの代休です。朝の体重は64.2kgまで落ちました。昨日おとといで一気に落ちました。食べてないから(というか食べられないから)そりゃ、落ちます。昔の健康時の体重まで戻った形ですが、落ちていく通過点のような気がするのが不安です。でも、この日の朝は昨日の朝よりも体調は良かったです。10月24日(火)、やっちまった。というのが正直な感想です。21日(土)、22日(日)と休日出勤した無理がたたったのか、今朝は食パン一口食べただけであとは食べ物を体が受け付けませんでした。昨日一日休んだのに、まだダメのようです。またうつ症状の再発でしょうか?納期の迫った仕事を抱えているプレッシャーが原因でしょうか?この日はちょうど札幌医大病院の日でした。診察で、調子が悪いことを話しました。原因は仕事で無理をしたからだと思うと言っておきました。今後どうしたらいいか相談しました。正直、今のままの長時間労働ペースで11月末までの契約期間を乗り切る自身はありません。残業禁止の診断書出しますか?と言われましたが、仕事を続けて行ける自身もありません。じゃあ休職の診断書を出しますか?と言われました。納期のこともあるしなあ、といろいろと悩みました。今休んでしまうと派遣元と派遣先の会社の両方に迷惑をかけてしまう結果になってしまうし本当にどうしようか、悩みました。「自分の体調よりも納期のことや会社への迷惑を考えてしまうような、責任感の強い人がなりやすい病気ですからね。」と言われました。「納期に間に合わせるために頑張って今よりもさらに体調を悪くすることの方が社会人としてやっちゃいけないことだと思いますよ。」と言われました。悩んでいると、医者の方から「患者さん詰まってるのであまり一人に長い時間かけられないんですよ。」とちょっと冷たい言葉が返って来ました。「今の状況見ていると、医者の立場からするとお仕事休んだ方がいいと思いますよ。」と言われました。ダメ押しですね。そこで、休職の診断書を出してもらうことにしました。休職の診断書が出たので、まずは派遣元スタッフサービスに電話しました。担当の営業さんに相談。「ん~、どうしたらいいでしょうねえ~、」とはっきりしない返事です。どうやらこの営業さんもこういうケースは始めてのようです。その場は一旦電話を切って、社内で検討してもらって後ほど電話をもらうことになりました。派遣先の社長にも体調が悪いまま戻らない、病院に行ったら一ヶ月の休職を要するとの診断書をもらった、と話をしました。反応は意外と優しい感じで、私の体調を気遣ってくれたのか、とりあえず今日は帰って休んだ方がいいよと言われました。スタッフサービスの方とも連絡をとって話をするとのことです。というわけで午前中に早退し、昼頃家に着きました。昼飯はおにぎり一個、全部食べられました。調子は悪くないです。だけど、まさに納期前の激務で体調が悪くなるという現象にブチ当たったわけです。SプログラミングスクールのY先生が連絡を取ってくれたB社で過去にあった例(第96号参照)と同じことを自ら体験してしまったわけで、懸念されていたとおりのことになってしまったわけです。まさか自分はそうならないだろうと思っていたのですが・・・。うつになった原因が「激務」じゃなくて「仕事がつまらない」だったものですから。でも激務で体調が悪くなりました。今後はこのことも頭に入れておかなければなりません。一ヶ月もちませんでした。・・・・。今後の処遇は、派遣元と派遣先で話し合って決めるようです。とりあえずこの日は結論が出なかったようですが、私は明日も休んでいいとの連絡を派遣元の営業さんから連絡をもらいました。夕方、同じチームの人(体調面が不安なMさん)から電話をもらいました。派遣先の会社の一人が応援でチームに入ることになったので、仕事のことは心配しないでゆっくり休んでくださいということでした。この人も、過去に2年間休職したことがある人で、今も薬を飲んでいるとのこと。だからこの人も無理は出来ないんだろうけれど、私を気遣ってくれました。ありがたいことです。で、晩飯は普通に食べられました。・・・・。まだ傷は浅いと思えます。今休むのは体にとっては正解なんだろうと思います。仕事内容は好きで面白いのですが、激務に対する拒絶反応が出たのかなあ??とりあえず体を休められることは嬉しいのですが、今後の仕事のことを考えるとどうしていったらいいのか正直わからなくなってきました。「うつ」のことを懸念して不採用にしたFT社(第97号参照)の判断も今となっては正しかったと言わざるを得ません。不採用にされた時は腹が立ちましたが、今となっては何も文句が言えません。つづく次回は今回の失敗の感想などです。---------------------------------------------------------------------------うつ病からの脱出発行人:あっし~ご意見、ご感想は下記ページ右下「メール」と書かれた部分をクリックしてお送りください。「MIDIでメタル!!(http://homepage1.nifty.com/ASHY/)」
2006.12.13
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トドがいます。 061209 二見が浦
2006.12.12
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自分自身は 自分自身の人生の主役自分の人生 台無しにする生きかただけは・・・・・・・自分自身の存在感を自分で認め、役に立っているんだ、役に立つんだ、自分のために、愛する人のために、家族に、地域に、社会に、そうだ、自分自身は、必要な人間なんだと・・・・・生きていることが、生きていくことが、あなたが、此処にいてくれることが、此処におってくれることが、ここに居るだけで・・・あなたと、朝、起きて「おはよう」「元気か・・・・」・・・・といえる関係をいつまで続けたいから生きよう、生き抜こう、不器用だけど、下手糞だけど、尋ね、尋ねて、一人前(存在していること、生きていること、社会参加を、社会貢献をしょうとこころがけていること・・・)になるための努力をしょう!!お互いに、知らないことが多いことを自覚し、頭を下げて、人から、教わることを覚えよう、学ぼう自分自身の人生、無駄なことはない 、意義ある生き方はしたい。人生の主役だから・・・・明日から、自分で決めた、時刻に起きて、「おはよう」と言える自分になろう。できるよな、自分自身が一番好きだから・・・・・(G-g)
2006.12.12
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よみうり教育メール 発行日:2006.12.11(vol.1561) 発行者:読売新聞社 http://www.yomiuri.co.jp/------------------------------------お問い合わせは、kyoiku-m@yomiuri.com 宛までメールをお送り願います。教育メール 登録変更・解除 http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news2/bosyu.htm COPYRIGHT THE YOMIURI SHIMBUN---------◇---------◇---------=相談コーナー=通信制高校の勉強に追いつけない【相談】 私は中学生の時に心の病気になり、ドクターストップで学校を休みました。その間、塾やフリースクールなどに行きましたが、勉強は少しかじる程度でした。通信制の高校に入りましたが、勉強に追いつけない日々です。テストも赤点です。レポートは英語以外、親に教えてもらってやっています。中学生の時に行っていた塾で中学の英語を教えてもらっていますが、全然出来なくて塾の先生はため息ばかりです。「勉強とか無理をしなくていいよ」という病院の先生の意見もありますが、私自身、勉強ができません。なまけているのかどうかも分かりません。塾に行くのはつらいのですが、行かなきゃもっと勉強がわからなくなりそうで不安です。 自分ひとりでの勉強が難しくて、とは言え人が大勢いると、自分の事を話しているんじゃないかと思って緊張してしまい、病気が治るまで定時制にも通えません。どうしたらいいでしょうか。 ---静岡県、女性 16歳【回答】NPO法人教育ネットワーク・ニコラ理事長 馬場 章 通信制の高校の勉強をひとりでやるのは、成人した人でも大変なことです。途中で挫折する人も少なくありません。ましてあなたの場合は中学時代に学校を休んでいたとのこと。難しく感じるのは止むを得ないことです。そういう様子を見た病院の先生が「勉強は無理をしなくていいよ」というのはもっともなことです。お話しからは「心の病気」がまだ癒えていないご様子。だとすると、ひとまず学業は置いておいて、当分はゆっくりと病気の治療に専念するという選択肢もあります。学ぶ気持ちさえあれば勉強はいつからでも始められるのですから。 また、無理に周りに合わせようとせず、自分の理解できるペースで勉強を進めるという選択肢もあります。通信制や定時制高校での勉強はそういうことも配慮してレベルや進度を設定してあるはずです。その際には独力で7割程度が解ける教材や問題集を選ぶのが丁度よいでしょう。あまり難しければ自信をなくしますし、あまり優しすぎれば力の向上にはつながりません。もし、それでも今の勉強が難しい時には通信制高校の勉強等をサポートしてくれる機関を利用するという方法もあります。そこにはあなたと同じような事情の方もいて、無理なく高卒資格を取得できるシステムになっています。 今は生涯学習の時代です。高校を3年間か4年間で卒業するというのはあくまで暫定的な基準に過ぎません。学校が終わればもう勉強は終わりというのではなく、自分の成長のために絶えず学習することが必要な時代になりました。そこでなおさら「自分は何のために勉強するのか」が問われています。ご自分の思いを今一度確認してみてはどうでしょうか。ご自分の人生です。あなたのペースで歩んでいってください。人にはそれぞれ自分に合った花の咲かせ方があるはずです。回答者 ばば・あきら 学習塾勤務を経て月刊教育誌「ニコラ」を発行。フリースクール「ぱいでぃあ」も主宰。不登校、中退、引きこもり、子供の育ちや学び、進路などの相談活動。著書に「行ってみないかこんな『学校』」(ハート出版)など。 ◇ ◇ 学校、家庭での悩みや教育に関する相談を、電子メール( e-soudan@yomiuri.com )で24時間受け付けています。相談は無料。このコーナーに掲載する際は匿名にしますが、相談にはお住まいの都道府県名、氏名、年齢、職業(学年)、昼間連絡できる電話番号を明記してください。詳しくはヨミウリ・オンライン「よみうり教育相談案内」( http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/qanda/consul/explain.htm )をご覧ください。 手紙の場合は、郵便番号100-8055 読売新聞編集局地方部内信課、教育相談担当まで。
2006.12.11
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http://www.daiwaresort.co.jp/ise/ http://www.akafuku.co.jp/ http://www.akafuku.co.jp/061208~09 ミステリ-・・・・・・・・・??? http://www.biwako.ne.jp/~shiga-to/index.htm 2003.12.17 [No.60:コラム版] : ご か い の 部 屋 (ё) : ~ 不 登 校 ・ 引 き こ も り か ら 社 会 へ ~ \§/ : http://homepage3.nifty.com/Husta/ Byヒューマン・スタジオ 人--□-----------------------------------------------------------■-- 不登校・ひきこもり経験のある相談員が、 : 当事者と援助者の両方の立場から語ります。: □ >> 自 分 の 人 生 の 主 人 公 に な る た め に... << :自分自身は 自分自身の人生の主役自分の人生 台無しにする生きかただけは・・・・・・・自分自身の存在感を自分で認め、役に立っているんだ、役に立つんだ、自分のために、愛する人のために、家族に、地域に、社会に、そうだ、自分自身は、必要な人間なんだと・・・・・生きていることが、生きていくことが、あなたが、此処にいてくれることが、此処におってくれることが、ここに居るだけで・・・あなたと、朝、起きて「おはよう」「元気か・・・・」・・・・といえる関係をいつまで続けたいから生きよう、生き抜こう、不器用だけど、下手糞だけど、尋ね、尋ねて、一人前(存在していること、生きていること、社会参加を、社会貢献をしょうとこころがけていること・・・)になるための努力をしょう!!お互いに、知らないことが多いことを自覚し、頭を下げて、人から、教わることを覚えよう自分自身の人生、無駄なことはない 、意義ある生き方はしたい。人生の主役だから・・・・(G-g) ************* ---- ◆□◆ 本 日 の メ ニ ュー ◆□◆ ---------------------------- ■ 連載コラム[5]:『再び私の経験から──ひきこもり〔下〕』 □ 教育相談のご案内 ■「関連情報版」掲載記事の募集について =● コ ラ ム ●・ 再び私の経験から──ひきこもり 〔下〕 「 わ か ら な さ 」 を 生 き る● 体験記からの抜粋・要約※ 私は、ひきこもりになったことで発生した母との話し合いのなかで、 初めて知らされた事実がきっかけとなって始めた思索と勉強によって、 教育や援助(カウンセリングなど)の功罪や、青少年問題への対応で 基盤とすべきことに気づくことができた。※ その後さらに就職活動をする年月を過ごすことによって、視野が広が り、上記の問題意識を自分の理念にまとめ、それに基づいて仕事や市 民活動を始めることができた。※ つまり、私はひきこもりになったからこそ、そして、ひきこもりが7 年も続いたからこそ、自分の理念と言える信念をつかむことができ、 今それをベースにした仕事や市民活動ができている。※ 確かに、大人になってからの7年という歳月は長く、失ったものも大 きいと思う。しかし、だからといってひきこもり時代が人生の損失だ ったとは、とても思えない。※ 要するに、私にとってひきこもりとは「自分が最も腑に落ちる人生観 ・教育観・援助観・社会観」を求める行動だった。そしてそれをつか むことができたということは、自分の"生きる意味""人生を捧げる 目標"を見つけることができた、ということ。※ ひきこもり者は皆、自分が最も腑に落ちるものを求めているのではな いか。そして、自分の"生きる意味"を見つけたとき、彼らはそれを 「生きる力」にして、自分の足で歩き出すことだろう。 ● 今年の3月、本欄で私は、自分のひきこもりに対して、またそれに関連してほかの人のひきこもりに対して、上述のようにまとめて、体験記をしめくくりました。 しかし、今年の3月といえば、私がひきこもりを卒業してから、まだ4年しかたっていません。そのため、終わってから20年たっている不登校の意味を「プラス体験」と断言したのと同じような感覚で、上述のようにひきこもりを「人生の損失ではなかった」と断言するのには、やや躊躇(ちゅうちょ)があった、というのが正直なところだったのです。 体験記の前半で書いたように、私は不登校になったことで生まれ変わることができたばかりか、順調に進級していたら経験できなかった素晴らしい出会いと出来事があったことで「不登校になって良かった」「4回留年して良かった」と実感できるようになっています。 それは「不登校になって失ったものより、得たもののほうが圧倒的に多かった」という認識から来ている実感です。 しかし「ひきこもりになって失ったものより、得たもののほうが圧倒的に多かった」とはまだ認識できていません。むしろ「抜粋・要約」にも挙げた、体験記のなかの「大人になってからの7年という歳月は長く、失ったものも大きいと思う」と、ひと言ふれただけの部分こそ、じつはけっこう痛感しているところだったりします。 「青春と呼べる時代はなかった」──思春期以降の不登校や若い時代のひきこもりの経験者から、ときどき聞く言葉です。私も、大学時代とひきこもり時代を振り返るとき、同じ感慨がよぎります。 それは、自分がイメージしていた「遊びに、デートに、スポーツに、体を目一杯動かして飛び回る」という若者時代を失い、7年間の空白によって就職のチャンスも失った、といった思いです。 ただし、これらの損失は、ひきこもりを自己肯定できていれば、防げたものです。働かないままでも、遊び回ったりスポーツクラブに通ったりすることは可能ですから。 つまり、上に挙げた「失ったもの」とは、私個人の話であって「ひきこもりになると必ず失うもの」という意味ではありません。私は、自分のひきこもり状態を自己肯定できないばかりに、あり余る時間を若者らしく使うエネルギーがわいてこなかったのです。 そのような喪失感と「抜粋・要約」に挙げたような収穫観とが入り交じっていることから、自分のひきこもりを「良かったかどうかわからない体験」だと、今の私はとらえています。 したがって私は現在、その「わからない」という思いを持ちながら仕事や市民活動を続けているわけです。そして、そういう生活を送るなかで、あとからわかることも少なくないと思いますし、一生わからずじまいで終わることもたくさんあるに違いありません。 このような「わからないまま生きる」「わからなさを生きる」という生き方しか、今の私にはできないでしょうし、また、それでいいのだとも思えるのです。 「自分にとって"ひきこもり"とは何だったのだろうか」という問いは、経験した誰もが感じる「わからないこと」かもしれません。でも、「わからないこと」をそのままにして、とりあえず生き続けること。一方、現在ひきこもり者を抱えている周囲の人々は、ひきこもりの理由も意味もわからないまま、とりあえず接し続けること。そう思います。 「わからないから何もできない」ということはないはずです。わかることより大切なことは、日々の生活を積み重ねていくことなのです。 さて、今年1年コラム欄をご愛読いただき、ありがとうございました。来年も引き続き、私の体験を踏まえながらのお話をしていきます。ご意見ご感想をお待ちしています。:筆者:丸山 康彦(まるさん) スクールソーシャルワーカー(訪問子ども援助職)。高校時代、 不登校と留年の末、入学7年後に卒業。高校講師・ひきこもりを経て、 1999年4月に個人事務所「教育対策研究所」を開設。2001年10月に 当ヒューマン・スタジオを設立し代表に。
2006.12.10
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今日はこれまで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・これから・・・・・・ありがとう・・・・・・
2006.12.09
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2003.12.3 [No.58:コラム版]==■===========================================================vv== : ご か い の 部 屋 (ё) : ~ 不 登 校 ・ 引 き こ も り か ら 社 会 へ ~ \§/ : http://homepage3.nifty.com/Husta/ Byヒューマン・スタジオ 人--□-----------------------------------------------------------■-- 不登校・ひきこもり経験のある相談員が、 : 当事者と援助者の両方の立場から語ります。: □ >> 自 分 の 人 生 の 主 人 公 に な る た め に... << :===============================================================□==---- ◆□◆ 本 日 の メ ニ ュー ◆□◆ ---------------------------- ■ 連載コラム[5]:『再び私の経験から──ひきこもり〔中〕』 □ 教育相談のご案内 ■「関連情報版」掲載記事の募集について====・● コ ラ ム ●・============================================= 再び私の経験から──ひきこもり------------------------------------------------------------------- 〔中〕 ひ き こ も り の 原 因 と 心 理● 体験記からの抜粋・要約※ 私は、母に「自分たちが教えた誓約書の作成過程は嘘だった」と証言 されたことをきっかけに、自分が受けてきた「教育」や「援助(カウ ンセリング)」を振り返るようになり、それらの営みに対する信頼が 自分のなかで大きく崩れた。※ それ以後の勉強によって、繰り返されてきた両親とのトラブルの真因 に気づき、また「親や教師やカウンセラーが行う教育や援助は、子ど もの考え方や感じ方を無視して行うものであり、それらが盛んな現代 では、教育や援助に圧迫されたり傷ついたりしている青少年が多いだ ろう」という問題意識を持つようになった。※ 私の関心は「どんな教育をやるべきか(教育の方法論)」から「どん な教育をやめるべきか(教育のやりすぎ)」へと移り、必然的に教師 になる夢もさめた。※ 子ども主体の教育を行う塾、または不登校向けのフリースペースを設 立したいと思うようになると同時に「子ども自身が教育をされすぎな いように考え合う自助グループ」の結成を志したが、前者は自信が持 てず、後者は参加者が集まらず、ともに失敗した。※ その後、高校時代の同期生が、児童養護施設の保育士に転職したこと を知って、興味がわいて児童福祉業界のことを調べたら、自分に児童 福祉施設の受験資格があることがわかった。それがきっかけになり、 児童福祉施設やサポート校など、子ども関係の職場に就職したいとい う思いがわき上がり、就職活動を始めた。※ 苦しみながら足かけ3年続けた就職活動も失敗に終わり、絶望の淵に 立ってから、自分のなかで前述の問題意識がどんどん整理され、つい には「この考え方で生きていこう」という決意に至り、翌年『教育対 策』と名づけたその考え方に基づく仕事と市民活動をスタートした。 ● 整理しますと、私が現在の仕事や市民活動をスタートするまでに、ひきこもり始めてからちょうど7年、教師でない仕事を志してから約4年半、児童福祉施設や民間教育機関への就職活動を始めてから約3年、という歳月を要しています。 つまり私には、現在の仕事や市民活動をスタートする前に、2回就職する(仕事を始める)チャンスがあったことになります。そして、幸運にもどちらかのチャンスをものにできていたとしたら、私のひきこもり期間は、それだけ短くすんでいた、苦しみもそれだけ軽くすんでいた、ということは間違いありません。 しかし、今考えれば、最初のチャンスをつかめたとしても、2度目のチャンスをつかめたとしても、いずれの場合も、視野の広さも信念の強さも、現在の自分にははるかに及ばないレベルで仕事を始めたことになります。そんな状態で仕事が長続きしたかどうか、大いに疑問です。 なぜなら、自分が何かを始められる状態ではないのに、自分の意識だけで始めようとしても、長続きすることは少ないからです。 「抜粋・要約」からおわかりいただけるように、私は、最初の2回のチャンスでは、そのときどきの思い付きに近い意識によって、仕事選びを考えています。教師でない仕事を志したときは「教育のブレーキ役になりたい」という以上の具体的な実践基盤があったわけではありませんし、何より、仕事を始める自信を回復してはいませんでした。また、児童福祉施設や民間教育機関への就職をめざしたときも、それらに住み、または通う子どもたちへの共感はありましたが、その感情も、即席に生まれた"生煮え"状態のものであったことは否めません。 結局私は、ひきこもっている間じゅう、仕事をしたいと焦っていたのです。ひきこもっている自分が許せなくて、仕事をすることで人間として認められたい、恥ずかしくない自分になりたい、というわけです。 当時の私には、人生に絶望して、仕事をしたいという焦りも何もかも捨てて、いちど自分が裸になることが必要だったのです。そうしないと、私は仕事ができる状態にはなれなかったのです。 さて、ひきこもるおとなの増加にともない「就労支援」という言葉をよく聞くようになりました。いちどひきこもる時期を生きてしまうと、履歴書の空白などによって就職は困難になります。そういう社会ですから、確かに就労支援は必要でしょう。たとえば、横浜に「ヤングジョブスポットよこはま」という就労支援施設(フリーターも対象)が開設されたことで、人生に希望を持てたひきこもり者は多いと思います。 ただ、そういう若者が、そこを利用することで実際に就労できるかどうか。それは、本人の状態しだいだと思います。現に、ほかのある団体による就労支援プログラムが、失敗したという実例もあるのです。 前述のとおり、本人は焦っていますから、就労できる状態ではなくても「自分は就労できる」という意識は持っているわけです。しかし、その意識を持ってから実際に就労できるまでの道のりは、本人が予想する以上に長くかかるということは、ザラにあることです。 要するに、自分のなかにある「意識」と「状態」とのギャップを、本人が自覚できていない限り、就労支援の試みは「かえって本人にとって新たなプレッシャー要因になり、本人はますます追い込まれていく」という可能性を、支援者は常に認識しておくことが重要です。 「意識」と「状態」とのギャップを埋める支援こそが先決なのです。:筆者:丸山 康彦(まるさん) スクールソーシャルワーカー(訪問子ども援助職)。高校時代、 不登校と留年の末、入学7年後に卒業。高校講師・ひきこもりを経て、 1999年4月に個人事務所「教育対策研究所」を開設。2001年10月に 当ヒューマン・スタジオを設立し代表に。
2006.12.08
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浅間山万座温泉**************** 2003.11.19 [No.56:コラム版] : ご か い の 部 屋 (ё) : ~ 不 登 校 ・ 引 き こ も り か ら 社 会 へ ~ \§/ : http://homepage3.nifty.com/Husta/ Byヒューマン・スタジオ 人--□-----------------------------------------------------------■-- 不登校・ひきこもり経験のある相談員が、 : 当事者と援助者の両方の立場から語ります。: □ >> 自 分 の 人 生 の 主 人 公 に な る た め に... << :---- ◆□◆ 本 日 の メ ニ ュー ◆□◆ ---------------------------- ■ 連載コラム[5]:『再び私の経験から──ひきこもり〔上〕』 □ 教育相談のご案内 ■「関連情報版」掲載記事の募集について コ ラ ム ●・ 再び私の経験から──ひきこもり------------------------------------------------------------------- 私の不登校とひきこもりについて書いた“体験記4部作”のスタートから1年がたった10月から、体験記のなかで、さらに詳しくお話できかつ一般論に応用できる部分を抜粋・要約しながら、不登校とひきこもりについて解説するこの連載がスタートしました。今回からひきこもりについて3回。 〔上〕 ひ き こ も り の 原 因 と 心 理● 体験記からの抜粋・要約※ 私の大学時代は、策略的対応によって私をコントロールしようとした 両親とのトラブル(誓約書問題)から、情緒不安定になり、相談した 相手から非難されたショックで抜け殻状態になるなど、苦しいものだ った。※ その原因は「不登校時代から成長していた大学生の私と、私を不登校 時代と変わっていないと見ていた両親との、ギャップによる衝突」だ と私は考えた。しかも、両親をはじめあらゆる人に、再三「親は一生 変わらない」と教えられてきた私は、自分が両親との接し方を変えな い限り、大学時代のような衝突が永遠に続くと予想した。※ 「親は一生変わらないし、大人はみんなそう思っている」というのは 私が苦しみの末に、ようやく受け入れた現実であり、ようやく到達し た人間観・社会観であったため、非常に強く確信していた。※ そのため私は、大学時代の苦しみを繰り返さないよう、両親の見方に 自分を合わせる(両親の見方どおりの人間=不登校時代と変わらない 人間になる)ことで、両親との衝突を避ける生き方に変わった。※ ところが、両親は私が大学を卒業したことを機に私への見方を変えて いたため、大学卒業1年後、私にとって起こるはずのない“衝突”が 起こった。※ 私は、確信を持っていた人間観・社会観が崩壊し、両親が変わった事 実を現実として受け入れることができず、人間や社会が理解できなく なった。それはまさに、果てしない喪失感・空虚感であり、夢を見て いるような現実遊離感だった。※ 私は、社会を別世界のように(逆に言うと自分が社会の外側の人間で あるように)感じ、自宅に閉じこもりながら母とひんぱんに話し合う ようになった。※ 「親は変わらない」と口をすっぱくして言っていた両親が変わったこ と、話し合いのなかで、母が「自分たちが教えた誓約書の作成過程は 嘘だった」と証言したことで「だまされていた」と感じたこと、など から、私は怒りの塊になり、母への追及を果てしなく続けた。※ ただしその「怒り」は、両親だけでなく、誓約書問題の原因をつくっ たカウンセラー、大学時代に私を非難した相談相手、そして、彼ら大 人たちが問題にされずにいられる社会への怒りと、引きこもり状態に ある自分自身への、強烈な自己嫌悪と自己否定が高じての、ぶつけど ころのないやり切れなさによるものだった。※ 就職活動をはじめたとたん、私は仕事をしている人々への負い目や嫉 妬心が極限までふくらんだ。仕事をしていない自分の無価値ぶりを痛 感し、強烈な不安と焦りと劣等感と後悔の念に、押しつぶされそうに なっていった。※ その苦痛から「死」というものがとても身近に感じられるようになっ た(実際には試みることはなかった)。 ● 上述のとおり、私のひきこもりの原因はあまりに変わっているので参考になりませんが、よく聞く話と共通している唯一の点は「社会への違和感」「社会に出ることじたいへの恐怖感」などというところです。 親が働いている場面を見て育つ、親が仕事している間兄弟で家事を分担する。近所づきあいが盛ん、・・・。このような、家庭が社会につながっている環境が少ない現代社会。代わって「大人と子どものパートナーシップ」という概念が確立されれば、子どもなりの社会参加システムができるのですが、学校も、社会とは隔絶されて存在しています。 この現状では、子どもは社会を外側から見るという感覚になり、社会への違和感や恐怖感が生まれやすいのではないでしょうか。 ただし、社会に違和感や恐怖感を持つことが、本人の誤りとして片づけられることかどうかについては、私には疑問符が付きます。 現代社会は、若者に展望を感じさせるものでしょうか。私は最近、職業倫理が不在の、ある業界の実態を知りました。われわれ社会人がまずすべきことは、ひきこもりを直すことではなく、外から見ても違和感や恐怖感を若者に持たせない社会をつくることではないでしょうか。 一方、私の心理のほうは、多くの場合と共通点が多いと思います。特に、怒りの激しさや落ち込みの深さは、社会に出られないことがいかにつらいかを示しています。 「行こうと思っても行けない」という点は、不登校(学校)の場合もひきこもり(社会組織)の場合も同じです。しかしひきこもりは、より自己否定的感が強く、本人は「人間失格」くらいに感じています。そのうえ、どこにも所属していないわけですから、外からの刺激も少なく、感情は自分のなかで同じ所をぐるぐる回っていて、自分の外側に向かう回路が閉ざされています。ひと言でいえば、深い落とし穴に落ちているような感覚でしょうか。そんな彼らを援助するすべはあるのか、あと2回でお話します。:筆者:丸山 康彦(まるさん) スクールソーシャルワーカー(訪問子ども援助職)。高校時代、 不登校と留年の末、入学7年後に卒業。高校講師・ひきこもりを経て、 1999年4月に個人事務所「教育対策研究所」を開設。2001年10月に 当ヒューマン・スタジオを設立し代表に。
2006.12.07
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うつ病からの脱出 第108号 うつを再認識━━━━━━━━━━━━━━━━━2006年12月 5日(火)━━━━2006年10月21日(土)、地獄が始まりました。初の休日出勤です。仕事終わりません。残り2画面のうち、0.5画面くらいしかできませんでした。難しいのです。知識不足、経験不足を感じました。この日は23:30まで働きました。ちょっと具合悪くなりました。家に着いたら0時半近く。ゆっくり休めないけれど、とりあえず眠って明日も出社しなきゃいけません。10月22日(日)、この日は朝からあまり体調が良くありません。まだ昨日の疲れが抜け切っていない感じです。食欲はないし。ちょっと具合悪いし。それでも出社しました。今日で地獄が終わるものと思って。しかし、今日で地獄は終わりませんでした。今朝出社したら、サーバーの調子が悪くなっていて、作ったWeb画面を呼び出そうとしてもなかなかつながってくれないという現象が出ました。どうもApache(Webサーバーソフト)が調子悪くなっているようだ、ということで、Apacheを再インストールしました。するとPHPを認識してくれなくなっちゃったので、PHPと関係するのかな?と思うようなモジュールを入れて行ったらMySQLが古いバージョンのものに入れ替えられちゃって、サーバーがもうダメという状態になってしまいました。今日はもう一人一緒のチームの人(体調面に不安があるMさん)も来ていて、今日で担当分の仕事を一次リリースできるところまで片付ける予定だったのですが、サーバーがダメになったのでその仕事もできません。土日に出て来ているのは画面を仕上げるためだったはずなのに、これじゃあ全然意味がない、今日中に仕上げるのは無理だ、ということになりました。そこで打ち合わせをしました。一次リリースの月曜には元請けの会社に提出することはするけれど、出来上がっていない部分は「制限事項」ということで連絡しておくということになりました。制限事項をつぶしてのリリースに何日かかるか、今後の予定を立てました。社長が言うには、その元請け会社からの仕事の納期に今までは遅れたことはなかったとのことです。だから、遅れるなら遅れるで何日遅れるかを連絡することにするが、その納期はキッチリ守らなくてはいけないとのことでした。2回3回と延び延びにするのは許されないということです。厳しいけれどもっともです。会社の信用問題にも関わるし。今後仕事をもらえなくなったら大変ですし。いろいろと検討して、27日(金)までということになりました。そこで、別のサーバーマシンを急遽代理で使うことになりました。そのマシンにはApacheとPHPは入っていますが、MySQLが入っていません。MySQLのインストールは上司がやってくれました。しかし、今度はそのサーバーのPHPがMySQLとやりとりする関数を認識してくれません。PHPのパッケージを再インストールしたりしてみたのですが現象は改善されません。php-mysqlというパッケージを入れようとしたのですが、今入れてあるMySQLがそのphp-mysqlとバージョンの整合性が合わなくてインストールできません。MySQLのバージョンを落とせばインストールできるのですが、元請けの仕様で指定されているMySQLのバージョンなので落とせません。社長はPHPやMySQLの設定の問題なんじゃないの?というのでPHPの方の設定でなんとかならないか、ググって情報を探したけれどもイマイチぴったりと当てはまる情報が見当たりません。PHPをソースからインストールするときにMySQLを使えるようにするオプションを指定するというような情報しかありません。やはりソースからインストールし直さなきゃならないのか?と思いました。体調悪くて昼飯のおにぎりも2~3口くらいしか食えないくらいの体調でしたので早く帰りたかったのですがいろいろ情報収集したり考えているうちにどんどん時間は過ぎ、21時頃疲れがピークに達しました。モニタ画面を見ていると具合が悪くなって来ました。断続的に吐気もします。もうダメです。このサーバー設定を終わらせないと今日は帰れないと思って頑張ってやっていたのですが、体調の限界が来ました。具合悪くて思考能力も無くなって来ました。これ以上続けるのは無理と思いました。上司に願い出て、帰ることの許しをもらいました。明日の月曜日も休ませてもらうことにしました。どうやら昨日、今日は地獄の序章でしかなかったようです。地獄の本編は明後日の火曜日から始まります。体が持つかどうか・・・?まずはPHPからMySQLを使えるようにすることからです。それができないと、仕事になりません。明日一日はつかの間の休息日。その一日で体調が回復するかどうか?この仕事を続けて行けるかどうか自身が無くなって来ました。ちなみに夜も食欲無くて具合悪いので晩ご飯は食べませんでした。この日はほとんど何も食べていないに等しい状態です。さらにちなみに、社長も上司も昨日から今日にかけて徹夜で仕事していて、私が今日帰る時にもまだいたんだからスゴい。というか、私がまだ健康体じゃない、うつが治っていないということなんだな、と再認識しました。つづく次回は体調不良で今後どうしよう?という状況のお話です。---------------------------------------------------------------------------うつ病からの脱出発行人:あっし~ご意見、ご感想は下記ページ右下「メール」と書かれた部分をクリックしてお送りください。「MIDIでメタル!!(http://homepage1.nifty.com/ASHY/)」
2006.12.06
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今週の良い言葉今年も残すところ1ヶ月をきりました!今週も良い言葉でポジティブに行きましょう!最初は、先日の9ステップにもご参加頂いた神奈川県の福浦 泰子さんから頂いた言葉です。『今日だけは怒るな、心配すな、 感謝して業に励め 人に親切に 朝夕合掌して心に念じ口に唱えよ』 -臼井霊気療法始祖 臼井 甕男-百人百様いろんなことが、聴けて、書けて、述べ合う、この時間が一番好きだと思う。手を合わせれば、宗教だ、だめだ・・・・・・しかし、自然なこともあるはず、遠い昔、先祖の人たちが、一日の初めは日が昇ったとき、沈んだときが一日の終わり・・・日は繰り返されると感じ、行動しだした。人の身体の中に、体内時計が出来てきた-自然に、そして、循環サイクルとなった太陽が出たときに、神々しいと思い、手を合わせる仕草が、自然に出てくるのは、生まれ育った環境のせいなのか?「朝 起きよぅ!!」体内時計を復活させて見ませんか?起きる時刻を決める。このことからはじめてみては思います。「7時だよと」といわれて、起きられないのは、自分との葛藤が続いているからだと、出来たら、自分自身に、自分自身が勝つことからはじめなければ・・・薬物に頼るより、自分自身を信じ、行動を起こそう!!きっと出来る。自分を信じて・・・・昨日の朝があって、今日の朝があり、明日の朝があることを信じ、生きていこう自分自身にふさわしいことがきっとあるのんびり、のばそう、のびようトップでなくていいうれしいことがあることを、たのしいことがあることを信じて朝は一日の始まり朝は人のはじまり 十月十日と書くはじめを思い、此処に在ることを、生かされていることを、自然に、気取ることなく、感謝して、行ってきます。行ってらっしゃい。(G-g)********つづいては、週末に買ったSeven Powersという本で見つけた言葉『可能性の限界を知る唯一の手段は、 不可能の中にわずかでも足を踏み入れることだ』 - アーサー・C・クラーク -※あなたの好きな言葉、エピソード、質問などをおまちしてます。 出典、作者などを明記して麻生( aso@jamesskinner.com )まで お送り下さい!
2006.12.05
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061202************************* 再び私の経験から──不登校 〔下〕 不 登 校 そ の 後● 体験記からの抜粋・要約※ 私は、充実のうちに高校(前半は不登校で4回留年)を卒業したあと も、過去の不登校に対して「人生の汚点」「同期より人生が4年も遅 れてしまった」などという後悔や罪悪感を抱き続けた。※ そのため、私の心の底には、いつも「人生これ以上遅れたら大変だ」 というおびえや「普通の人生への憧れ」の気持ちが潜んでいた。※ 大学入学後、両親との間で起きたトラブルがきっかけとなって、私は 両親とトラブル続きだった不登校時代の感覚がよみがえった。そして その感覚が、当時の心と体の状態(登校しようとしてもできない状態) まで復活させてしまった。※ そのため私は、心の底にあった気持ちが表面化し「また遅れる」「ま だ普通の人生に戻れない」という恐怖と焦りにかられて、ますます不 安定な心理状態になり、欠席が増えて留年。そのショックから翌年一 時的に不登校が再発してしまった。※ 親とのトラブルから不登校の再発に至るまでの経緯を踏まえ、これか らの生き方をある人に相談したら、非難されてしまった。それにより 私はその後2年間、大学に通学する以外何もできず、人目を恐れなが ら生活する、抜け殻のような毎日が続いてしまった。※ 4年生になって、不登校をテーマにした卒業論文での研究で、本人の 私以上に不登校を肯定する人の本に何冊も出会っていくうちに、私は 「(最高に充実していた)高校最後の3年間に起こった出来事は、そ の前に不登校での4回の留年がなかったら、起こらなかったことばか りだった」という事実に初めて気づいた。※ 私は、自分の不登校を肯定することができるようになり、抜け殻状態 から脱出して、高校最後の3年間の頃のような快活さと積極性を取り 戻した。 ● 親御さんは、わが子が不登校になったとき「この先どうなるのだろうか?」「将来ちゃんとしたおとなになれるのだろうか?」といった不安にかられることと思います。 しかし、これまでにもお話ししたように、不登校じたいは本人の生きざまのひとつです。大多数の不登校児は、結局は問題なく就職や結婚などをしているのです。 反面、不登校が終わったあと、しばらくしてから再び不登校になったり、不登校ではない別の問題を起こしたりする青少年がいることも事実です。上述のとおり、私もそのひとりでした。 多くの場合、原因は「不登校児=ダメ人間」という社会常識にあります。その結果、不登校を肯定できていない元当事者は、自分自身を常に「ダメ人間」と思っていることになります。 生きていくうえで、このような自己像は、大きなハンディキャップになります。だからそういう人は、人生のなかで非常につまずきやすいです。 つまり、何かで失敗したりトラブルに直面したりすると「自分は不登校になるような人間だからやっぱりダメなんだ」という自己嫌悪に襲われてしまい、落ち込み方がひどくなりやすいわけです。 反対に、社会の常識を超えて、不登校を肯定できた元当事者は、堂々とそしてイキイキと生きています。「不登校になったことで、こういういいことがあった」という認識を持っているので、不登校をプラス体験だと考えています。 このような人は、何かで失敗したりトラブルに直面したりしても、前述のような自己嫌悪に襲われることはないわけですから、落ち込み方も普通です。だから人生のなかで非常につまずきにくいです。 私の体験からも、過去の不登校を後悔している限り、トラブルが起こると、いとも簡単につまずき苦しんでしまうこと、逆に不登校を肯定できれば、元気に明るく生きていけることが、おわかりいただけると思います。 このように、不登校のその後がうまくいくかどうかは「本人が不登校体験を肯定できるかどうか」にかかっているのです。 では、不登校体験を肯定するためにはどうすればよいのでしょうか。 それは、本人が「不登校児=ダメ人間」という社会常識を超えることができるように、常識にとらわれない考え方や人や場に出会うことです。 私のように、本を通じて不登校肯定論と出会う。不登校肯定論者に出会う。過去を意に介さず、生身の自分とつきあってくれる、度量の広い人と出会う。どれもとてもいいことです。 一方、場のことでいうと、私のように学校復帰した人より、フリースクールなど別の場に移った人のほうが、不登校体験を肯定しやすいように思います。 なぜなら、学校復帰したら、不登校体験のないクラスメートに囲まれるため、私がそうだったように“普通”でありたくなりがちですが、フリースクールなどに移ると、そこには多くの不登校経験者がいますので“元当事者”として生きることへの抵抗がなくなるからです。 いずれにしても、本人の不登校体験を、周囲の人々が肯定できれば、不登校のその後が格段にうまくいくことは、言うまでもありません。 :筆者:丸山 康彦(まるさん) スクールソーシャルワーカー(訪問子ども援助職)。高校時代、 不登校と留年の末、入学7年後に卒業。高校講師・ひきこもりを経て、 1999年4月に個人事務所「教育対策研究所」を開設。2001年10月に 当ヒューマン・スタジオを設立し代表に。
2006.12.04
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********************************************************************** 再び私の経験から──不登校------------------------------------------------------------------- 〔中〕不 登 校 へ の 対 応 へ の あ り 方● 体験記からの抜粋・要約※ 不登校の初期、両親は「病院に行ってはどうか」「薬を飲んではどう か」などと勧めるだけだったが、県の教育相談機関に相談したときに 「原因は友人がいないからで、登校すれば友人ができて休まなくなる から、無理にでも投稿させるべきだ」と助言されたこともあり「いつ 登校するのか」「学校に行く気がなければ別の道を」などと、三日に あげず私を訪問するようになった。※ その後も両親は、私の不登校の原因を「思いどおりにならない親への 腹いせに学校を休んでいる」と誤解していたため、私が母を話し合い につきあわせて発言したことの真意を理解することはなかった。※ 3年目の担任のB先生は、夏休み明けに1対1の「交換ノート」をし ようと誘った。そのなかで先生は「進級できるかどうかよりも、君自 身がどう生きるかのほうがはるかに大切」という趣旨の内容を繰り返 し書いた。※ 不登校が始まった1年目の担任だったA先生は、翌2年目と4年目に も私の担任を引き受け、特に4年目の終わりには強力に私を弁護し、 異例ともいえる4年目の留年を実現させた。※ その年度に私がかかった神経科クリニックは、私に脳波検査を実施し たうえ、軽い睡眠薬を処方。またカウンセラーによる週1回のカウン セリングの内容は「今週何日出席したか」「睡眠薬は飲んでいたか」 「睡眠薬で生活を正して毎日登校を」という話しかなかった。 ● 不登校への対応について、体験記には上記の点くらいしか書いていませんでしたので、今回は体験記に書かなかったことを追加しながら、不登校への対応のあり方について提案します。 上記を含めて、私が不登校時代に受けた対応には、次のようなものがありました(カッコ内数字は「入学○年目」という年数)。☆ 親から ※ 登校催促・無理解な言動 ※ 犬をもらって来る(2)☆ 担任から ※ 登校催促・無理解な言動 ※ 交換ノート(3)☆ クラスメートから ※ 連絡・励まし ※ 連絡・励まし☆ 専門家から ※ 登校催促の指示(1) ※ 脳波検査とカウンセリング(4)☆ 親の知り合いから ※私を呼び出して説論(3) ※ 夏休み子どもキャンプの スタッフとしての参加を勧誘(2) 以上、それぞれの立場の人からの対応を列挙しましたが、対応を左側と右側に分けて挙げたのには理由があります。おわかりでしょうか。 じつは、左側に挙げたのは私にとって不適切だった対応、右側に挙げたのはやってくれて良かったと私が思っている対応なのです。 どちらも、私を登校させるための対応だったにもかかわらず、私にとって不適切だったものと良かったものとに分かれたのは、なぜでしょうか。どんな違いがあったのでしょうか。 それは、左側に挙げた対応は「登校させるため」という本来の目的以外には、特に意味のないものばかりだったのに対し、右側に挙げた対応は「登校させるため」という本来の目的以外にも、それぞれ意味のあるものばかりだった、ということです。 たとえば「情操が豊かになれば登校できるようになるかもしれない」と考えた父が、子犬をもらったり、知り合いに頼んで夏休み子どもキャンプのスタッフとして参加を勧誘させたりした対応について言えば、犬はその後15年間生き、私たち家族に、動物とふれあう楽しさや優しい気持ちなどに気づかせてくれ、忘れがたい素場らしい思い出を残してくれましたし、子どもキャンプでの、自然のなかでの小学生やスタッフとの共同生活も、私に大きな感動を与えてくれました。 また、体験記にも書いた、担任の先生との交換ノートでも、自分の生き方を変えるきっかけを私に与えてくれました。 そもそも、犬を飼うことや子どもキャンプでボランティア活動をすることは、不登校児でなくても、多くの子どももおとなも経験して、とてもためになっているでしょうし、担任の先生と濃密な対話を行うことだって、不登校児でなくても誰がやっても、いい経験になることです。 私の場合も、これらの経験は、不登校が終わったあとの高校生活のなかで、またその後の人生のなかで、大きな財産になっているわけです。 要するに「登校させるため」という本来の目的を実現させるにはいたらなくても、本人にとって人生の財産になったものなら、それはそれで素晴らしい対応だと私は思うのです。 したがって「本来の目的以外にも意味のある、誰が体験してもためになることをやらせる」という発想に立って、不登校への対応を考えてみてはいかがでしょうか。子どもの人生は長いのですから。 :筆者:丸山 康彦(まるさん) スクールソーシャルワーカー(訪問子ども援助職)。高校時代、 不登校と留年の末、入学7年後に卒業。高校講師・ひきこもりを経て、 1999年4月に個人事務所「教育対策研究所」を開設。2001年10月に 当ヒューマン・スタジオを設立し代表に。
2006.12.03
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うつ病からの脱出 第107号 地獄の前━━━━━━━━━━━━━━━━━2006年12月 1日(金)━━━━2006年10月14日(土)、平日に取り溜めたビデオを見るので午前中はつぶれました。会社での仕事に少しでも役立つ知識を休みの日を利用して身につけたいと思い、Linuxに任意のバージョンのアプリケーションをインストールすることを試してみました。Yellow Dog Linux3.0にMySQL4.1をソースからコンパイルしてインストールしようとしましたが、インストールまではなんとか行くのですがうまく起動してくれません。つまり、インストールに何か失敗しているか、起動のための手順で何か失敗しているか、ということが考えられます。難しいものです。ちなみにPHP-4.4.4はソースからインストールして動かすことはできました。MySQLの敷居が高いのでしょうか・・・?10月16日(月)、今の仕事、納期までに終わるのか心配です。どうやって実現したらいいのかまだ良くわかっていないことがたくさんあります。とりあえず今はわかるところから片付けていっていますけれど。10月17日(火)、朝、食欲がありません。この日は昼もありませんでした。先日の土日はほぼ普通に食べられたのですが・・・。最近、まともに食べられるのは夜くらいです。朝の体重は66kg付近で推移していてあまり変わりません。そのかわり、脂肪率が19%を切って、内蔵脂肪レベルに7という数字が表れました。内蔵脂肪はいくら減ってくれてもいいです。どんどん減っていってくれ、頭を使うと脂肪が減るのでしょうか?そんなことあるのかなあ??ホントに今週中に終わるのでしょうか、今の仕事・・・。この日はくだらないミスに気づくまで3時間ほども悩んでもったいない時間を過ごしました。思ったとおりに動かなかった原因は、変数の名前の書き間違い(スペルミス)でした。気づいた時には力が抜けたと言うか自分に腹が立ったと言うか・・・ああ~、ホントにくだらないことで時間をつぶしちゃったよ、って感じです。10月19日(木)、最近毎朝起きる時間が遅くなって来ています。あまりいい傾向とは言えません。この日は7時過ぎに妹が部屋を通り過ぎる時に発した「兄ちゃん7時過ぎてるよ。」という声で目が覚めました。疲れがたまってるのでしょうか。毎晩21時過ぎまで働いていますから・・・。でも、正社員の人達はそれ以上に長時間働いているんですよね。一日が速いです。充実しているということなのでしょうか?仕事は自分が割り当てられているところは一応だいたいは終わりました。でも、プロジェクト全体としては明日までに終わらなさそうです。一仕事ほぼ区切りがついて、21時までちょっと時間があったのでとりあえず出来上がっているんだけれど時間が余ったら手直ししようと思っていたところをいじったら、今まで動いていたアプリが動かなくなってしまいました。そのままこの日は時間切れ。歯切れの悪い一日の終わり方をしました。なんかモヤモヤ。10月20日(金)、この日の朝は6時に目が覚めました。昨日手直し途中で動かなくしちゃったアプリを今日復旧できるかという心配事があったからでしょうか?会社行って早速手直し前のコードに戻したらあっさり復旧しました。とりあえずホッとしました。今日で今週は終わり~と思って朝出社したのですが、明日の土曜日も出社することになりました。やはりプロジェクト自体の仕事がおわりません。今日納期だと勘違いしてましたが、月曜が納期らしいです。で、3人でやっているのですが、1人仕事が遅れている人がいるので私を含めた残りの2人が分担して手伝ってなんとか日曜までに形にするということになりました。遅れている人の仕事内容、重そうなんです。だから遅れているのでしょう。で、その分担方針が決定したのが午後4時頃。私は新たに4画面分割り当てられました。そのうち2画面は仕事量がそれほど多くなさそうなので、まずその2画面から手をつけました。それでも意外と手間取って、21時までかかりました。16時半頃から始めたので、軽めの2画面に4時間半ほども使ったことになります。残りの2画面は重そうです。ちょっと明日一日じゃあ終わらなさそうな予感がします。ってことは日曜も行かなきゃならないかも・・・。一応月曜日は休んでいいことになりました。それが救いです。日曜日にも出ることになったら、その分も代休が欲しいところですが・・・。徐々に地獄が始まり始めました。つづく次回は土日出勤で体調を崩し、うつを再認識する話をお届けします。---------------------------------------------------------------------------うつ病からの脱出発行人:あっし~ご意見、ご感想は下記ページ右下「メール」と書かれた部分をクリックしてお送りください。「MIDIでメタル!!(http://homepage1.nifty.com/ASHY/)」
2006.12.02
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「教育と言う洗脳」今の子供は夢が無い、というのは日本だけではなくて、同じセリフはどこでもよく聞かれる。夢を持つような夢想家は、我がままかバカの要素を要求されるので、大人が「わがまま言っちゃあいけません」「あんな馬鹿になっちゃあいけません」とエライ大人は繰り返し叩き込むのだから、羊のようにお利口であるのが夢である人間は当然増える。十分豊かな子供が何を「自分で」つかもうとするのだろう。「くれない族」の親と一緒になって与えられない不満をつぶやき同じ歴史を親子で仲良く繰り返すパターンも多い。私も「わがままを言うな」というのは毎日子供にガミガミ言う。それは、自分の要求、もしくはやっている事が「わがまま」なのかどうかを認識させるため。自由と好き勝手のわがままは大きく違う。私も子供の夢は潰す大人の一人である。「好きな事をして楽しく暮らす」という色々に解釈できる言葉はあるが私自身は自分の基準のレベルがあり、夢追い人のように「自分だけ楽しく」もなれないので、普通である事が夢である。私の様な人間ばかりではやはり世の中は面白くないと思う。夢とは何だろう?欲と夢は同じようで言葉が違うようにやはり違う。愛と欲はどうなのだろうか?エロサイトと呼ばせて頂く内容のようなのが私のブログにも多く貼り付けていただいていて、性欲と愛を混同、錯覚している人は多いけれど私は人間は利己的であるので愛と性欲は違うと思う。どの宗教でもその問題は語られているので昔から繰り返されている「問題」である。人間らしい、贅沢で豊かな発想の愛や夢も、人間の欲望とも結びついているので色んな夢や愛のカタチがあるのだろう。無気力で夢が無いのと、「金持ちになりたい」という、ありふれた、夢と呼べるのかわからない損得勘定の希望しかないのと、「夢が無い」の中身にも色々あり、少し前までは人は口にしなかった問題の一つの「セックス問題」のエロ分野も根本的な「問題」はいったい何なのか、人間の姿と結びついて非常に面白い部分である。焦点を子供の世界にもどし、子供への「性教育」について。教育は本来は人間と同じようにシンプルであっても良いのだが子供と教育者だけではなく人間同様フクザツ怪奇にお上や社会や親が関心をもって至れり尽くせりで、性の教育も、家庭が教育の場では無くなったからか、熱心に教えてくださる。以前にも書いたがアメリカや日本のタブー視と違って、テレビでお茶の間で気軽に「アダルトビデオ」が子供を持つ親にとってはうんざりする程見れる状態であるし、これだけネット上も奇妙なエロ情報が氾濫していて、ヨーロッパも聖書の言葉と現実はどこか大きくずれている。これでも小心者なので一応述べさせて頂くと、私は処女受胎の発想に至るほどエロを否定はしないが、私もダンナも子供の前でいちゃつくような「進歩的」な親でもなく自分にとってのプライバシーとパブリックの「好き嫌い」はある。妄想の世界は嫌いなのだ。私の娘が中学生レベルとして去年受けた性教育というのは、保健体育のいわゆる身体の構造や、赤ちゃんの出生の真実、セックスはどうやってするのか、という日本の教養溢れる医学部レベルの高度な中身ではなく、「やっちゃえばどうなっちゃうのか」という現実的な教育であった。欧米は日本以上にうるさい親も多いので、親の許可が、そういった特別授業には必要である。親が「いけません」と遮断しても親がほったらかしで無神経でも、本来なら私生活と社会生活といずれ両方に出て行くので家庭だけではなく社会からの教育というのも必要なのだろうし、先回りして教えてあげたくなるのが子供を愛する教育者の発想なのだろう。愛情と「やりたい欲望」の関係は横において置き、「やりたい時代」の無垢で前向きな子供達が知らなければならないのは、やれば「エイズ」や他の性病の感染の可能性があること。その為のコンドーム使用の重要性。やれば「できちゃう」こと。日本と違って宗教観からも中絶という選択は当たり前ではないので、「出来ちゃった」で済まされないその後に続く現実。当たり前の現実を教えるのは「やってもろくな事は無い」「子供なんか出来ると大変!」とも受け取れるメッセージの教育でもあるし、キラキラした夢を現実という泥で塗り固めて、どんな時も計算の出来る「賢い」子供にする、確かに有難い教育である。こういった現実に則した有意義な性教育の内容は、大人の反省の上に成り立った内容でもあり、大人が勉強するべき性教育でもあり、「少子化問題」とは逆の方向の教育でもあり、不思議と世の中の「正しい」事は矛盾する。夢はあっても無くても正しくなるのは大変だ!華乃智家hananochika@hotmail.com編集後記読んで頂いて有難うございました。皆様、お身体お大事に!
2006.12.01
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