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ここの処、朝夕の気温もメッキリ涼しくなり、過ごしやすくなって参りました。 長らく続いた猛暑のお蔭で、小生の頭も多少狂い始め、今年はこのまま熱波の夏が続き、秋が来ずに終わってしまうのではないか…?と、ついつい心配が高じて妄想の世界に入り込んでしまった。 しかし、あにはからんや、秋の気配が次第に色濃く漂いはじめ、1年3シーズン(春夏冬)の心配はどうやら取り越し苦労に終わったようである。 ということは単純にEndless Summerは小生の「希望的観測」に過ぎなかったということになる。 昔から、「暑さ寒さも彼岸まで」!とは良く言ったものだが、けだし名言である。…「全くもう!」である。(脱帽) さて話はころりと変わるが、小生かなり以前からナンバーズに凝っていて、「惜しいなあ~」という当たり番号や当たり寸前の番号が何度もあったのだ。 例えば、「ナンバーズ4」の場合である。 もう数年前になるが、夢に数字が出てきたのである。 その夢のストーリーを紹介すると、「お昼時になり、お腹が空いてきたので寿司でも食べようかと、近くの寿司店に入り、カウンターで一人美味しく食事をとっていたのである。 食べ終わりお勘定の段になって、会計を聞くと1650円ですとのこと。 財布を出そうと、いざポケットに手を突っ込んだが財布が無い。 どこを探しても見当たら無いのである。 さて困った。店の主人に事情を話し、家までお金を取りに行くというものであった。 そしていざ家に向かっている道半ばで、パッと夢から目醒めた」のである。 えも言われぬ後味の悪い夢であったので、サッサと忘れようとしたのだが、どうしても数字だけは頭の中にこびり付いて片時も離れようとしないのだ。 これは何かあるなと思いつつ、「あっそうだ!ナンバーズだ!」ということになったのである。 それから来る日もくる日も「1650」のストレート(2口)を買い続けること2週間が経過した。 しかし一向にくる気配がない。 大した金額でもないのだが、いい加減お金も惜しくなり止めてしまった。 それから更に数えること2週間後、この数字が新聞紙面「ナンバーズ4」ストレート欄に掲載されたのである。悔しかった。あと2週間継続していれば、…。 配当金は確か1口99万数千円だったように記憶している。 という訳で、それからというもの小生の心の中には穏やかならざるものがあり、「IF I'm Win」の世界が心の中に急速に展開していったのである。 もしも「ストレート」が当たったら、そのお金で初回は「この商品とあの製品」を買い、2回目以降は「貯蓄」に回そうなどと、あらぬ妄想の世界に耽け入るようになってしまったのである。 閃いた時にしか購入しない所為か、戦績もはかばかしくなく、今日まで「ナンバーズ3」のストレート、セットストレート合わせて3回しか当たりを引いていない。 良く言われることだが、勝負の世界に「私情」を持ち込んだり、「弱気」を持ち込んだりすることはタブーなのである。 柔道のヤワラちゃんではないが、心身を切磋琢磨し、積極果敢に前向きに「最高で金・最低でも金」の強気で攻めていかなくては栄冠は掴めないのである。
2010年09月21日
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暦がまた一枚捲れ9月に入ったというのに、だらだらと暑い日が続いており、一向に夏が終わる気配が感じられない今日この頃である。 秋は何処へ行ってしまったのだろうか。 季節のローテーションはどうなってしまったのだろうか。と、ついつい愚痴の一つや二つ出てこようというものである。 聞くところによれば、関東大震災[1923年(大正12年)9月1日]の年も今年と同じように猛暑が続き、暑い暑い夏であったという。 天変地異が起こらなければ良いが…。前置きはこれぐらいにし、今日は小話を一席披露しよう。モラルやマナーの欠如といった問題が時折紙面を大きく賑わしている昨今の日本であるが、親切心で行ったことが、相手から「余計なこと、大きなお世話」と思われることが間々あるものである。下記の事例は小生の体験ではないのだが、表題を良く突いていると思われるので載せておこう。【 先日、バスの一番前の席に座っていると、年配のおばさんが、走ってバスに乗 り 込 んできました。 私の席の横で、「ハァ~ハァ~」言っていたので、私はとっさに、立ち上がり「どうぞこちらに座って下さい」と丁寧に席を譲ろうとしました。 すると、おばさんは、「いえ。結構です。こっちに座りますから」と一言。 はっ!と思い後ろを見ると、なんと!いつのまにか空席だらけになっていました。 私は用もないのに次のバス停で降りました。 それ以来、一番前の席には絶対座らないようになりました。】 このケースは、周囲への「観察力・注意力」の不足が問題だったのである。 相手が望んでもいないのに自分の思い込みにより、「優しさを押し売ったり、押し付けたり」するのは、実は「迷惑」以外の何物でもないのである。 自分が味わう「満足感」とは対象的に、相手は「不快感」で満たされてしまうのである。 何も公共輸送機関(乗り物)ばかりとは限らない。 似たような事例は他の場面でも見られると思うのだが、人間社会においては避けて通れないシーンである。 失笑を買わない為にも、諸兄におかれては常日頃から心身を鍛錬し、相手の「心を読む術」を正確に身に着けておこうではないか。
2010年09月04日
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