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この処の悪天候で季節も進み、寒さも一段と肌身に堪えるようになってきた。 部屋の中にいても、一寸「暖房」が恋しく感じられるようになってきた。 その所為なのか、戸外で鳴く虫の声も今では全くと言って良いほど聞こえなくなってしまった。 例年のことではあるが、夜の帳が降りて心地よい虫の音色に酔いしれる時間が無くなったと思うと一抹の寂しさを感じるではないか。 季節もいよいよ冬だなあ~、と思っていたら、そこに急に季節外れの台風が疾風のようにやって来て、交通機関の混乱と風水害を置き土産に日本列島をかすめって行ってしまった。 今頃上陸とは何たることか?とんでもないことである。 日本バッシングのために、台風に確固たる「意志」でも働いているのではないか、と勘繰りたくもなるというものだ。 この調子でいくと、あと1つや2つは日本列島を襲撃しそうな気配すら感じられるのだが、…。そう思うのは小生だけであろうか? もし12月に台風上陸などとなったら前代未聞である。 一方、「猪や熊」の出没も気に掛かるところである。 本来臆病なこれらの動物たちが、里山から民家のある平地に降りてきて食べ物を漁る姿は不自然極まりない姿なのである。 主たる原因は異常気象にあるのであろう。 季節外れの日照りで山々の木々に夏枯れが生じ、主食となるドングリの木の実が枯れてしまったらしいのである。 熊の親子にしてもこれから冬眠に入ろうとしている矢先、食糧を自給できるかどうかは「生きるか死ぬか」の死活問題なのである。 世界的な異常気象がもたらした結果であり可哀想な限りなのであるが、可哀想なのは動物だけではない。 人間にとっても冗談ではないのだ。 一次産業といわれる「農林漁業」の生産量が世界的な異常気象(異常低高温・日照り・海流変化など)で軒並み減産に追い込まれているのだ。 江戸時代中期に発生した「天明の大飢饉」(1782~1788)では異常気象(火山噴火・日照不足による冷害)で農作物の収穫が激減し、東北地方を中心に全国で数十万人の餓死者が出たという記録がある。 食糧自給率40%といわれる日本で、このまま異常気象が続いていくと遠からず飢饉に見舞われ、いくらお金があっても食糧の調達が困難になってくる事態も予想されるのである。 異常気象・経済不況のダブルダメージにより、ボディブローのようにジワジワと日本の環境を蝕んできているのである。 もうどこにも逃げ場はない。一寸先を想像するだけで空恐ろしくなってくるのである。
2010年10月31日
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もう数年前のことになるが、以前勤めていた会社での話である。 ある日の夕方、職場の仕事も早々に片づけ、いつものように気の合う仲間数人で会社の近くにある居酒屋に飲みに出かけたのである。 その日もお決まりのコースを頼み、上司の悪口をつまみにしながら和気藹々で飲んでいたのであるが、暫くしてつまみも無くなりかけてきた頃、先輩のM氏が「茄子のお新香」を追加オーダーしたのである。 間もなくしてテーブルに「お新香」が運ばれてきたのだが、しっぽの部分に「へた」が付いていたのである。 小生、お新香には目がないのだが、その時はあれこれ話に夢中になっていて「茄子のお新香」の存在をすっかり忘れていたのである。 やがて話も途絶え、さてお新香を頂こうとテーブルに目を移してみると、「茄子のお新香」は頭の部分から中間の部分はすでに無くなり、へたの付いた部分のみしか残っていなかったのである。 仕方無しにお新香に手を伸ばし、へたを取り除いて食べようとした時、突然 M氏が「ちょっと待った! へたを取らずに食べるように」と語気を強め進言してきたのである。 小生、「茄子のお新香」は大好物なのだが、「へた付き茄子」に限り大嫌いなのである。 何故かと言えば、噛んだ瞬間に「茄子の皮とへたのミスマッチ的な感触」が口いっぱいに広がり、いや~な感覚が後々まで残ってしまうからである。 しかしこの場は、「先輩の意見に逆らうことは得策ではない」という思いが瞬間的に頭をよぎり、仕方なくへたのついた茄子を口の中へと運んだのである。 途中、吐き出しそうになったのだが、M氏に表情を読み取られては不味いと思い、ここはグッと堪え飲み込んでしまった。 後味の悪さがいつまでも口中で尾を引き、それ以後全く酒が進まなくなってしまったのである。 それとは対象的にM氏はその後も「生ビール」を何杯もお代わりし、「へた付き茄子」を美味しそうに食べているのを見るにつけ、腹がたったことは言うまでもない。 しかし反面、医学的見地から見てみると「茄子のへた」には有用な働きがあるということも知られている。 舌をかみそうな長い名前なのだが、「プロテアーゼインヒビター」という物質が「へた」に含まれていて、その物質は炎症を静める効果があり、へたを焼いたものを「口内炎や歯痛」の患部につけると炎症がおさまり、さらに焼いたへたに塩を混ぜて歯茎に塗れば「歯槽膿漏の予防」にもなるということである。 歯の弱いお方には朗報であろうと思う。 茄子のへたも要は使い方次第。 スーパーや青果店で買ってきた茄子の「へた」はへたに捨てないで、有効活用したいものである。
2010年10月17日
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「秋分の日」もとうに過ぎ、夜の帳が降りるのもメッキリ早くなってきた。 夕方も午後5時を回る頃には辺りの景色も一面薄暗くなり、西の空に目をやると真っ赤な太陽が今にも地平線に沈みゆこうとしている。 少しのあいだ目を離している隙に太陽は一気にストンと地平線に没し、アッと言う間に暗闇の世界が到来してしまうのである。「秋の夕日は釣瓶落とし!」とは、昔の人も良く言ったものだ。 という訳で、いよいよ季節も本格的な秋、「読書の秋、食欲の秋」でもあるのだが、食欲と言えば、日本列島は北から南まで「海の幸、山の幸」の宝庫なのである。 秋の味覚の代表格は「サンマ」「松茸」ということになるが、今年はどれも値が張って中々庶民の口には入りにくいものばかりだ。 そこで「食欲の秋」に我々の胃袋を手っ取り早く満喫させる打ってつけは、何と言っても安価で美味しい「ラーメン・ライス」ということになる。 主食が「ご飯」、「副食」がラーメンということになり、炭水化物のオンパレードとなるのだが、実はこの「ラーメン・ライス」なる定食はスープの味次第で美味しくも不味くもなる代物なのだ。 それでは食べ方をご紹介しよう。 自宅では「即席麺」プラス「ご飯」を準備するだけと至ってシンプルなのだが、小生好みでいくと、「即席麺」の定番は「チャルメラ(明星食品)」か「サッポロ一番(サンヨー食品)」ということになる。 街の食堂を利用する際は「素ラーメン(醤油味)」に「ライス」を注文する。 自分流の食べ方としては、まず最初にラーメンのつゆをひと口飲んでスープ味を確認する。 次に麺を口に運び、その後「ご飯」を思いっきり口に含んで咀嚼し、「スープ・麺・ご飯」の感触を口の中で楽しみながら、これを繰り返すのである。 この場合、具として乗っかっている1枚のチャーシューは貴重なので、前後半で半分づつ食べるようにするのが味噌である。(一気に食べるとなくなってしまう。) お店によっては、チャーシューの他に「海苔」「鳴戸」「野菜」などがのっかているので、例えば海苔などはご飯にくるんで食べるなど、一工夫して食べるのも美味しいやり方である。 その他のジャンルでは、小生は「味噌汁」が大好きなので、作りすぎて余った味噌汁などは翌日、残飯にぶっかけて食べる「ぶっ掛けご飯」(ねこまんま)なども時々自宅で体験しているのであるが、これもまた実に美味しいのだ。 傍らに「お新香」や「いかの塩辛」があれば、尚一層のご馳走となるのである。 人生何事も経験が大事! 読者諸兄よ! 騙されたと思い、一度や二度は自己流の腕で美味しい「ラーメン・ライス」の味をお試し下され~!!
2010年10月03日
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