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いつの世にもどんな場所にも変化を厭う人々がいらっしゃる。変わらずにあるべき物事は沢山あるけれど、必要な変化に適応したくない方々はそのまま愚痴やボヤキで憂さを晴らしてればいい。個人的な損得勘定や習慣熟練などのチンケなプライドは見苦しいだけだと気がつく日は来るのだろうか?ところで先週末は都内ホテルの屋外プールで「擬似似非リゾート気分嘘ばっか」を堪能した。今週末はフジロックに行けない憂さ晴らしに都内のホテルに2泊して怠惰をきめこむ予定だ。美白信仰が浸透した日本で日焼けを楽しむ30代化粧品関連会社勤務女性ってのも面白いのではないかと。はずみのダイエットも昨日から開始してしまい、飢餓感と苛々と頭痛で散々な思いをしている。ああワタクシの煩悩はこの歳にもなってなにゆえこうも健在なのか?食物もお酒も摂らない日を送ると身体が浄化されると言われますが、正直私ははっきり言って単なるフヌケの阿呆になりますね。中島らもさん・・・合唱。
2004.07.28
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匂いによって呼び覚まされる記憶というのはあまりに突然で直情的だ。胸の奥のほうが締め付けられるような、脊髄の中心が溶けていってしまうような身体感覚を伴うほどの押し寄せる感情の昂ぶり、それはたいていが郷愁感だったりする。子供の頃の楽しい思い出、至福に包まれた居心地の良さ、日向や雨や草や埃の匂い。始めて他人を異性を同性を意識した思春期の思い出、泣きたくなるような踊りだしたくなるような、教室や教科書や汗やシャンプーの残り香がする髪の匂い。それ以降も人生長くやってりゃ色々ありますわよね的過去の様々な場面における自分の心持ちが、匂いひとつで突然突撃フラッシュバック、ああこんなのってあり?なんだって私達は匂いに対してこんなにも無防備でフラジャイルなんだろう?改めて思うと私自身かなり嗅覚が敏感なのではないか。そして恐らく他人よりかなり匂いに対して意識しすぎているかもしれない。これを言うといつも嫌な顔されるので恐縮ですが、生理中の女性が側に来ればすぐ判るし、自分が生理中の時は1日何回シャワーを浴びても匂いが消えない強迫観念に囚われ若いころは真剣に悩んだ。オトナになってそれは結局性器や血の匂いなどではなく身体のホルモンが放出する体臭なんだと理解したが、それでもやっぱり今でも嫌なものである。食事の際など他人が平気な顔でパクついていてもかすかな腐敗臭に気がついてしまう。別に食中毒するほどの腐敗ではなくて、むしろ「腐りかけが旨い」という美食味わいレベルであってもああこれは確実に腐っていく過程なのだなとひとりごちたりする。身に纏う香水や、部屋で焚くお香も高校生くらいの物心ついた頃からずっと日々の生活からは欠かせない、要は大好きなのだ。ところで香水といえばエタニティ・プワゾン旋風で日本でも市民権を得た後、CK-One以降は若造や男性陣も香水に対する抵抗が消滅したように見受けられる。それでも亜熱帯という気候のせいでしょうか、どちらかというと爽やか系の香りが主流。そしてなにより「アンタつけ過ぎ!」な方が特に若い男性が多い。その人個人というよりも香水の商品名が歩いている感じ。うーん。個人的には爽やかアクア・ユニセックス系よりもオリエンタルでエッチな重い香りが好みなのでキョービの街行く人々の香りに対しては雑誌のグラビアを見ているような表面的な居心地の悪さを感じる。人工的すぎるというか、ま、そんな感じ。クリスタルな香りをベショベショと纏うよりは、本来の体臭と交じり合うほのかな香水ってシチュエーションの方がずっと魅力的ですけど、男性も女性も。野生よ蘇れ。そういえば私の好む香りは動物性香料が含まれるタイプだ。アンバーグリース(龍涎香:マッコウクジラの結石から分泌される液体)、シベット(霊猫香:エチオピア猫の生殖器分泌物)、ムスク(じゃ香:東アジア鹿の腸分泌物)などなど、最近では動物保護法やらで人工的に合成しているそうだが、基本は野生の性衝動や発情の根源というか、結局私はドーブツなのね、ってところか。なんか都会で人並みの生活をしていると知らないうちに先進化・洗練化といった漂白作用の犠牲となり、己の野生をおざなりにしてしまう。一億総潔癖症などというヒステリカルな強迫観念は日本を制覇したかもしれない。抗菌・消毒・漂白・消臭…私らはアンドロイドか?ワキガは性的魅力か?社会秩序を乱す迷惑な無言の暴力か?嗅覚という私たちに残された最後の野生は抹消される運命なのか?視覚・聴覚・感覚・味覚・嗅覚。5感の中で嗅覚は唯一大脳新皮質を経ずに直接に海馬や扁桃体に達するそうだ。海馬は記憶を、扁桃体は情動を司る。ああ、だから匂いによって私たちは理性を発揮する間もなく肉体・身体的に反応してしまうのか。進化の過程でフェロモンに対する感受性や発情の周期を失ったように、この嗅覚とやらもあまりに野蛮ゆえ消え行くのかもしれない。
2004.07.20
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よく言われるのが「あなたは冷淡である」という、だからどーした的発言。私的環境でも会社関係でも、いい意味でも悪い意味でも、要は普遍的な私の評価らしい。別にそれがどうというわけではないけど、本来の自分というコアな部分と、意識しているワタクシの間にはかなりな隔たりがあって、その外部を取り巻く周囲環境うんぬんは更にもっともっと遠くて仕方ないやね、というのが現状でしょうか。で、この9月には恒例の休暇を取るのだが、ダンナはひとりエルニドへ我々の将来の基盤を作りに旅立ち、私はどうしようかな?と思った時に、あーそーだ、と決めたのがインドでございます。恥ずかしながらワタクシ未だ一度もインドに足を踏み入れておりませんでしたので、ま、一人旅のよい機会なのでちょいと2週間ほど行ってみようかなと、1時間くらい前に決めました。そして何を血迷ったか、この期に及んで再度ダイエット宣言を酔ったイキオイでいたしまして、あのー、マイクロダイエットとハリウッド48Hミラクルダイエットをネット注文してしまいました。はっ。また?
2004.07.15
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そんなこんなで気が付くと日々の閉塞感に押し潰されている自分の肉体の節々が悲鳴を上げ始めていた。なるほど年をとるというのはこういうことか。定期的なエクササイズをさぼりだして数ヶ月、腰痛肩こり偏頭痛がボチボチ出現して、体重は変わらずとも脂肪が増えたような感覚。ツマンナイ毎日の暇つぶしとしてジム通いを復活させよう、と固く心に誓った本日。ああ、なんだってこんなに退屈なんだろう。
2004.07.14
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昨日・今日と早めの帰宅が続いた。陽が落ちる前に帰路につくのは大変気分の良いものだ。毎日こうなら性格が変わるかもしれない。それにしても先週末は生憎の悪天気で残念しきり。先週平日がピーカン真夏日の連続だったので、よし週末はプールだ!とワクワクしていたのに。でも仕方ないよなー梅雨だもんね、と自分を慰めてみたが、聞くところによると本日梅雨明け宣言がなされたようで。ふーん。これから本気の夏日が続くのかー、と思うと嬉しいやらウンザリやら複雑な心境。なんかイキオイでフジロックとか行きたいっすね、とダンナと少しだけ盛り上がったが「3日間通しチケット」しかないというのを知り一気に盛り下がった。いーもんね、くやしいからCureでも聴いちゃうもんね。45歳にもなってまだ「自分が見つからなーい」と開き直れるロバート・スミスさんにここのところかなり癒されております。このヒトの自己に対する確証のもてない居心地の悪さというのは、自分の中にもかなりの重みであるんだわ、と今更ながら首をブンブンと縦に振っております。確かに自分自身とやらが一番の他人みたいな感じは拭えないもんね、でもいいんだもんね。もんねもんね。確固たる自分を確立するのだー確確確、と青年の主張系自己邁進の信念を固くしたトコロで、そんなもん意識すればするほどホントウの部分から遠く離れてしまうものだし。いーのいーの、そんなのは Me,me,meでエンエンと自我が軍隊行進をしているような(@橋本治)西洋人に任せておけばよろしい。そうして今日も明日もあさっても冷麺すすって夏を堪能するのだ、ああ、なんという・・・。
2004.07.13
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また夢をみた。そこには私の眼前に、腐敗し溶け出した黒い林檎が最後の臭気を放ち、朽ち果てるその刹那の醜態をさらけ出し、そして私は持たぬはずの男根を勃起させ、脳裏には閃光のように泣き叫ぶ女性の表情が押し寄せ、狂おしいほどの衝動に追いたてられるように射精した。すげー、これじゃ安っぽいポルノじゃないか。
2004.07.11
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明けきらない梅雨のせいか中途半端にじっとりとした空気が重い7月上旬の今日このごろ。八つ当たりのゆきばもないこの不快感、ああっ、誰もがストイックに顔をゆがめて耐え忍ぶ姿は悲壮というよりむしろ滑稽であり、なにゆえワタクシ達サラリーマンはスーツなどというものを身に纏わねばならないのかっ?と額に大きなクエスチョンマークを刻んだ通勤途中の群集が礼儀正しくワサワサと行き交う。ミュール登場後サンダル関係が市民権を得て大層得をしたのは女性陣、なんたってストッキングはかなくてもお咎めなしの昨今。しかしそれでも夏場のエアコン設定温度は冬場のそれを下回る馬鹿馬鹿しさ。ビジネスマンの「こうあるべき服装」とやらは亜熱帯に位置するニッポンでは無謀だ、と誰もが判っちゃいるけど変えられない。いまさら民族衣装を正装として導入したり、Tシャツ短パンOKよ、とするほど私らお茶目じゃないもんね。省エネスーツという大掛かりなトライも過去にあったそうですが、懐かしの日本ニュースでみるキュートな首相の印象だけが現在にちょっとだけ残っているだけ。んなこたどうでもいいけどさー、と、みんな妙に醒めちゃっておりますが、でもこの計り知れない日々の小さな不快感の積み重ねは精神衛生上よろしくないことこの上ないんだけど、いいの?これで?
2004.07.06
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ふらふらとCD屋に立ち寄ったら最後、何かしら購入してしまう悪癖はもう中学生の時からのもので、今更何をか言わんや、てなもんですスミマセン、あ、同様なのは本屋もですが。学生の頃は欲しくとも「お金がない抑制」があってブレーキかかってましたが、大人になるとダメですね、CDほど安い買い物ないんじゃないか?という錯覚すら覚えてしまいよからぬ散財に終始してしまうことしきり。ちょっとした服バーゲンで買って5万円、CD5枚買っても1万円・・・。後者の方が価値高いよね、とひとりごちながら両手にショッピングバッグを抱え帰路についた本日7月2日でありました。今日買った服は来年にはゴミ箱行きだけど、CDは私の糧となり血や肉となり決して消滅したりしないんだろうな、と、そうであって欲しいな、と、ま殊更にも思った次第です。Marjorie Fair "Self Help Serenade"Calliope "Sounds Like Circles Fell"The One AM Radio "A Name Writ In Water"Keane "Hopes And Fears"Blackmail "Friend or Foe?"あ、そういやVelvet Teenの新譜も試聴はしたんですが、うーん、ハードル高いなぁ。聴き込む根性入れる前に挫折してます。
2004.07.02
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どうでもいいけど私は昔からそうとうのエエカッコシイだ。頑張ってる姿を見せるなんてとても恥ずかしいコトだし、さもしい心持を人様に悟られるなどもっての他。余裕綽々で要領よくサクサク人生やり過ごす「振り」をするのが粋ってもんよ、と、これは誰に教わったでもなく気がつけば私の基本信条となっている。否、正確には両親親戚ご近所さんといった周囲からの影響は多分にあるかもしれません。例えば身なりや立ち居振る舞い、表情や声のトーンそして使う語彙、そういった外から判るものに子供のころから心を砕いてきたし、そういったもので安易に他者を判断してきたようだ。生まれ持った顔の造作とか体形とは別の部分で、人の貴賎は外観で判るものだと。つまりその人の内実とやらは外観にあらわるモノであるはずなのに、外観は信条により加工可能ということか。それではその外観加工による自己プレゼンの目的とは?他人の評価?いんや違うんだなそれは。他人の評価を目的にしちゃったらそれは単なる卑屈なアキンド根性、それこそさもしい心持。本当の目的は自己満足、これしかありません。オノレの美意識を判断基準としたマスターベション以外の何ものでもないのだと、これは意識しておきたいところだ。他人の評価を踏まえての自意識なんて、確固たる美意識という芯が不在なだけに平気で度を越してしまうし、過剰な勘違いナルシシズムほど滑稽なものはないですからね。などというとりとめもないことを書き連ねたキッカケはCureの久々の新アルバムを聴いたからであるよ課長。ロバ夫(ロバート・スミス)というナルシシズムの権化は、もはやオジーオズボーン以下の嘲笑のマトに成り下がってしまったのね、と。ま、みっともないのはヤダねー、と、それだけのことだったりもする。
2004.07.01
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