ユーカリの木陰で里の行
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娘の小学校の卒業式だった。モンテッソーリ・スクールの卒業式はミュージカルじたての卒業コンサートである。会場は今年も、こじんまりとした学校のホールではなく、市のタウンホールで。コンサートに出演するのはサイクル2とサイクル3―小学部の子どもたち―である。息子は、去年まではサイクル1の幼稚部にいたので、私たちの隣にちょこんと座って観ていたものだったけど、今年からサイクル2になって、ステージ側に座ることになった。姉弟そろっての初めての共演(^^)である。といっても、これで娘の方は卒業してしまうので、初めてにして最後の共演ね。今年は、「GRADUATES ON BROADWAY」ブロードウェイ・ミュージカルの曲から構成されたステージを楽しめるらしい。オープニングは「A Comedy Tonight」卒業生全員(といっても14人だけど…)によるステージである。舞台背景に、次々と映し出されるブロードウェイの劇場やグラフィックアートの写真も効いて、照明も音響も雰囲気を盛り上げて、皆ちょっと気取って楽しそうに踊っている。一列に並んでのタップダンスも決まり!曲の後は卒業生たちのスピーチである。卒業生一人一人がそれぞれ数分の持ち時間をもち、ステージに立つ。自らのモンテッソーリ・スクールでの経験を「モンテッソーリ・ジャーニー」と題して語るのだ。初めてモンテッソーリの卒業コンサートを見たときの感動は今も鮮やかに覚えている。何百人もの観衆を前に堂々とスピーチをする6年生の子どもたちの姿が信じられなかった。べつだん卒業生代表として選ばれた生徒たちではなかった。なかにはシャイな子も、人前で話すのが苦手な子もいただろう。だけど皆、堂々とスポットライトを浴びていた(と私には見えた)から。あのときはまだサイクル1の幼い我が子を前に思ったものだった。内弁慶で、家ではこうるさいくらい元気にしゃべりまくり、ふざけまくっているのに、ひとたび外の環境に置かれるや、借りてきた猫みたいに縮こまってしまうこの子でも、この学校を卒業するときには、こんなふうに大衆を前に堂々とスピーチできるほど成長しているのだろうか?だとしたら、なんて素晴らしいんだろう、と。今年の卒業生5人がスピーチに立った後は、サイクル3の生徒たちによるミュージカルが始まった。卒業生はそれには入らず、全体の進行役を担っていた。4年生と5年生の子どもたちが『マチルダ』から2曲を熱演してくれた。だけど、娘がサイクル1の最終学年を迎え、オーストラリアの一般的学校ではプレッブと呼ばれる小学校が始まる年に、私は彼女を一般の小学校に入学させたのだった。モンテッソーリ教育に不満があったわけではなかった。ただ、こちらでは小学校から外国語の授業が取り入れられるので、どうせなら自分たちに縁のない(でもマリア・モンテッソーリの母国語である)イタリア語よりも、日本語と日本文化を教えてくれる学校の方がいいだろうと思ったのだった。それと当時はメルボルンにモンテッソーリのサイクル4(中等部)はなかったので(今も家から通える距離にはないけれど)、いずれは一般的な学校に通う必要があった。オーストラリアのセカンダリー・スクール―中高校は一般に大きいので、自由でアットホームな、こじんまりとした環境に慣れきってしまった後、突然、大きな世界に移るのはしんどいだろうな、と思ったのだ。ナーバスな思春期より柔軟な幼いときのほうが適応もしやすいだろう、と。だけど娘は新しい学校には馴染めなかった。お友だちもすぐできて、友達には恵まれていたにもかかわらず、学校に関してはいつまでたってもつまらない、行きたくないと暗~い顔で言っていたものだった。それがモンテッソーリを離れて2年目に、弟のモンテッソーリ入学の関係で1週間そこでの学校生活をまた試してみる機会に恵まれた。しぶしぶ登校した娘だったけどその日、学校が終わるや宣言したのだった。「ママ、わたしこの学校がいい! ここで勉強したい! もう二度と前の学校には戻りたくない!」と。そしてその日、自分が何の勉強をしたか、何を学んだか、それがどんなに面白かったかを興奮して話してくれた。自分が興味をもったことを自分のペースで学べたのが信じられないようだった。その日は自分のペースだったので、退屈な時間は全然なかったと言っていた。そう話す娘の瞳は輝いていて、ほんとうにここが気に入ったんだなぁ~と感じられた。5日間試して、移るにしてもその学期を終えてから転校させようと思っていたのに、娘の意志は固く、結局翌日からモンテッソーリ・スクールに通い始めた。まだ小学1年生だった娘が自らはっきりと選んだ決断だった。舞台では、サイクル3の生徒たちによる『マチルダ』の後、また卒業生のスピーチが始まった。今回はそのトップを切って娘がステージに立つ。メェは舞台の中央に立つと、すっと背筋を伸ばした。20世紀初頭のカチッとした紳士的なスーツ姿が大好きな彼女にとってはとっておきの一張羅、シックなパンツスーツに、今夜はショー用の派手なラメの蝶ネクタイをしていた。メェはぐるりと観衆を見まわしてから微笑むと、ゆっくりと、大きな声でスピーチを始めた。どうなることやら…と、こちらの方がドギマギしてしまった。ダディンも私もスピーチの内容を知らされていなかった。観衆である私たちは卒業式当日に聞いた方がいいからと娘は内容を秘密にしていたから。親の心配をよそに、メェは自己紹介をした後、サイクル1、サイクル2、サイクル3での思い出を語り始めた。3歳のとき初めてモンテッソーリに通い始めたが、自分にとって学校は異空間で、怖かったこと。そのころの自分がいかにシャイで、恐がりの泣き虫だったか、エピソード話を披露した。それでもモンテッソーリのワークは楽しく、とりわけ大好きだったファームアニマルを使う時間から、大きくなったら獣医になりたい、という夢をもつようになったのだ、と。時々会場から笑いが漏れていた。べつだんジョークではなく、メェが本気で言っていると思われる、ちょっとネガティヴな思い出話さえ、そのゆったりと明瞭で、自信たっぷりな口調で語られると、妙におかしいらしかった。娘は2年間、他の学校に移ったときの経験も話した。「It was terrible」と、一言。私には冗談でないことはわかっていたけれど、皆はシニカルなジョークだと思ったらしく、会場からは爆笑がわいていた。「その学校で学ぶことは、自分にとって、簡単すぎるか、難しすぎるかのどちらかだった」と娘は当時を思い出し語ったけど、たぶんそれは正直な感想なのだろうと今更ながらに思う。娘がモンテッソーリのキャンパスで出会った何人もの先生や友達、いくつもの出来事、学んだこと―そこでの7年間の日々を振り返り、簡潔なスピーチにして、堂々と語っていた。最後にモンテッソーリへの感謝を伝えたとき会場から大きな拍手が湧いた。私も心から拍手していた。あの初めてモンテッソーリの卒業式を見たときから8年―卒業コンサートのスピーチに立った娘はあのとき私が期待した以上に堂々としていたから。彼女のなかに輝くばかりの自信が見えて私には、眩しかった。もちろん、それは娘だけではない。どの子もどの子も、みんなしっかりとステージに立っていた。そしてそれぞれがスピーチで、歌で、踊りで、ドラマで、自分らしさをきちんと表現していた。それは、ほんとうに、どの保護者にとっても胸の熱くなる光景だったに違いない。それからサイクル2の子どもたちがステージに立った。『アニー』から「Hard Knock Life」と『ママ・ミーア』から「Dancing Queen」を披露してくれた。息子も「Hard Knock Life」ではぼろぼろの孤児の衣装を纏い、曲が終わるや、それをパッと脱ぎ捨てて、ディスコふうコスチュームで「Dancing Queen」を踊った。ちなみにこの衣装は、それぞれが用意しなくてはならなかったため、私たちも衣装づくりが大変だったのだ。息子と一緒にリサーチして、アイディアを出し合い、切って、縫って―楽しそうな子どもたちの様子に観衆の手拍子もますます高くなくなっていった。ミュージカルは続き、最後の卒業生のスピーチが終わると、フィナーレ。暗闇のなか、ペンライトを掲げた卒業生たちが客席から入場してきた。最後は小学部全員が声を合わせて、「Bring on Tomorrow」を。幕が下り、けれどいつまで拍手しても足りない気がした。モンテッソーリ・スクールへの感謝と、ここまで育ってくれた娘への感謝で胸がいっぱいだった。子どもたちをこの学校に預けてほんとうに良かったと思う。来年から娘はセカンダリー・スクールに進む。以前のようにまた馴染めなかったら…と多少不安も残る。けれど今、彼女にはモンテッソーリ教育で培うことのできた自信があるから大丈夫だろう、とも思う。これからもちゃんと大地に足をつけて、お日さまを仰いで大きくのびのびと成長してほしいと願う。写真は、モンテッソーリ・エキシビションに出展された娘の作品です。今年アートの授業ではモネをテーマに学んでいたので、彼が影響を受けた浮世絵も勉強し、その一環で作った作品なのだそうで。2014年に公立の美術館に出展された後、子どもたちがモンテッソーリで創った様々な作品に並んで賑やかに我が家の壁を飾ってくれることになりそうです。
2013.12.13
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