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一冊まるごと「水戸誠」という特定の人物を取り扱っており、 著者は、この人物とかなり親密な関係を持っていた様子。 そのため、本著の記述は、これまでのこのシリーズに比べ、 気を遣いながらの、かなりソフトタッチな印象を受ける。 実際の水戸氏は、本文中の記述にもしばしば見られるように、 多数の企業からVIP扱いされ、常にご機嫌を取ってもらえるほどの存在。 この事実こそが、著者が「伝説のクレーマー」として採り上げ、 彼に対するコメントが極めてマイルドになる所以であろう。しかし、ここまで来ると「どんなものかなぁ」という印象。水戸氏の話は常に筋が通っており、決して自分から利益を求めることはせず、そのクレームは、結果的に消費者全体の利益に繋がるとは言いながらも、結局、水戸氏は多数の企業・担当者に気を遣わせ、有形無形の様々なサービスを山のように得ているのである。これで本当にいいのか?川田さんは、水戸氏のプライベートな情報を熱心に収集する。そして、水戸氏の経営する自動車修理屋が扱うS社の車を購入し、それを水戸氏の修理屋で車検・定期点検をして、逆にお客の立場になっている。また、水戸氏の長男を食事に誘ったり、川田ファミリーで年始の挨拶に出向いたり、旅行の手配をお願いしたり等々、ビジネスの枠を遙かに超えた付き合いを展開する。これらの行動の積み重ねが、水戸氏が川田さんを信頼する源となっていくわけだが、この手法は大変参考になるものの、あまり大ぴらには出来ない裏技と言える。仕事に私情を持ち込み過ぎだと言われれば、確かに全くその通りなのである。しかし実際問題として、ここまでやれなければ、おそらく、川田さんほど見事に水戸番を務めることは出来なかったろう。オーソドックスな手法が全く通用しないケースにおける対処法として極めて興味深い。
2010.03.24
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漆黒の闇に覆われた、行き着くところのない底無し沼。 澱んだ景色の中には、一点の光明さえ見出すことが出来ない。 その中を、どこまでも止めどなく堕ち続けていく。 こんな私に誰がした…… このお話しに登場する人たちは、誰も皆グロテスク。 まず、語り手である「わたし」。 類い希なる美貌をもつ妹と、常にその容姿を比較され続けてきた「わたし」は、 妹に強烈な嫉妬心を抱くと共に、ある種の諦念を前面に打ち出して行動する。一方、妹のユリコは、母親からの愛情を感じることが出来ぬまま育ち、思春期を迎えた頃に、母親が自ら命を断つという現実に直面する。その後、男から必要とされることでしか自分の存在意義を感じられなくなり、娼婦としての人生を歩んでいく。 「わたし」のQ女子校での同級生、高等部からの入学組の和恵は、東大卒のエリートサラリーマンである父の愛情を一身に受けて育った。和恵は父の期待に応えようと勉学に励み、見事名門Q女子校に合格。入学後も努力すれば必ず報われると信じ、さらに努力を積み重ねる。しかし、Q女子高には厳然たる階層社会と差別が存在した。そこは、どの段階でQ女子に入学したかが問われるピラミッド社会。高等部から入学した生徒は、よほどの美貌や頭脳がない限り認めてはもらえない。そのことに気付けない和恵は周囲からいじめられ、嘲笑の的となる。その後、和恵はQ女子高から名門Q大学経済学部を経て、父親と同じG建設に入社。大学生のときに急死した父に代わって、母や妹を養っていこうと意気込むが、G建設ではいくら努力を重ねても、女性というだけで評価してもらえない。29歳で出向を命じられると、その後は娼婦の道を歩み始める。そして、「わたし」のQ女子校でのもう一人の同級生・ミツル。Q女子高では、何事もそつなくこなし、見事トップの成績で卒業するが、東大医学部に進学後、そこで初めての挫折を体験。さらに、その後入信した宗教団体でも、生え抜きでないことの悲哀を味わう。登場する誰もが、その身を置くことになった社会の中で、自身の力では如何ともし難い柵により、苦しみを味わうことになる。そそて、そこから脱却する術を見出せぬままに、転落の道を突き進んでいく。しかし、彼女らの苦悩や人生は、誰にとっても決して他人事とは言えない。
2010.03.22
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冒頭、世間で常識とされていることが必ずしも真実でないことを 様々な実例・データをもとに紹介している。 それはタバコでありアルコールであり、そして食生活であり…… そう、好きなものを心ゆくまで楽しんだ人の方が長生きしていると。 つまり「~ねばならないこと」が多いと、 逆にストレスがたまってしまい、良くない結果を招くことになる。 だから、やりたいことをやって今を楽しむ、 よく笑い、陽気でやんちゃな、気晴らしの上手い不良になろうと。その後、ガン、コレステロール、うつと話題は次々に展開し、無農薬野菜やサプリメント、粗食に対して疑問を投げかける。そして、激しすぎる運動もNK(ナチュラルキラー細胞)活性を低下させると述べて、免疫力アップこそが、長寿の秘訣だと高らかに宣言する。著者はちゃんとした医学博士であり、大学教授であり、さらには日本免疫学会の会長や順天堂大学医学部長まで務めた人物。だから、その論述の信頼度はかなり高いものに違いないはずだが、普段、私たちが入手できる情報とは、かなり隔たりのある部分が多々ある。まぁ、数字的なことについては、素人があれこれ判断できるものではないが、とにかく健康については、心の持ちようやありようが、何より大事なのだというとだけは、本著からしかっりと伝わってきた。しかし、不真面目にはなりきれないんだなぁ、これがどうにも……辛いところだ。
2010.03.21
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葬式は絶対に必要不可欠なものと信じ続け、 存命中に自分の墓まで用意していた老親が亡くなったとき、 葬式なんて不要とばかりに、喪主となったその子どもが、 葬式をしないで済ませることが、果たして出来るだろうか? それでも、本著を手に取り、読んでみようと思う人にとっては、 ここに記されている情報は、とても有益なものとなるだろう。 ただし、それを知ったからといって、存命中の老親に対し 老親自身の葬式や戒名について話をするのは、結構勇気の要ることだ。ましてや、本著に記されている情報をもとに、「葬式なんて必要ないもののようだから、しなくていいかな?」とか「戒名なんていい加減なものらしいので、どうでもいいよね?」なんて、正面切って聞けるかというと、そう簡単にはいかないだろう。さらには、老親の一方が亡くなり、もう一方はまだ存命中と言うことになれば、まだ存命している老親の意向を最大限に尊重しなくてはなるまい。そして、その存命中の老親が本著のタイトルを見ただけで違和感を覚えるような人なら、葬式や戒名について、その老親に口出しすること自体が大いに憚られるに違いない。要は、葬式というものは、どこまでも感情的なものであるために、理路整然とした理屈だけでは、どうにも扱いきれない代物である。ある人間が抱く死生観や信仰といった分野に、別の存在である人間が介入することは、親子と言えども、とても難しい。
2010.03.21
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タイトルから受ける印象は重たいが、 実際に書かれている内容も、やっぱりとても重たい。 私など、読んでいて途中、気分が悪くなったほどだ。 しかし、その話の奥行きは他書に見られないほど広くて深いもの。 最近、メディアの露出頻度が半端でない脳科学者の茂木さんと かつて恐山の院代を務めていた禅僧、福井県霊泉寺住職の南さん。 本著は、このお二人の対談と、それぞれの手による文章で構成されている。 仏教と脳科学のコラボは、想像を超えた世界観を紡ぎ出す。 どこから来てどこへ行くのかという、人類のこの問いに対しての答えは、 人間の頭ではわからない。 つまり、生まれてから考えても、 生まれる前のことがわかるわけがないだろうということを 言いたかったんじゃないでしょうか。 それが「無記」や「無常」なんじゃないかな。 そうしたタフでシビアな認識があったんだと思うんです。(p.39)仏教には伝統的に、言葉で神髄を説明できないという「無記」とか「不立文字」という概念があるらしい。本著を読み進めていくと、そういった仏教についての知識にも触れることができ、さらに、その問題点や課題についてまで二人が言及していて、たいへん興味深い。 仏教は一見、生きることの価値を否定するところから始まっているように見えて、 実はその後の再生に力点を置いているんですね。 そこに最も生命的な、特に精神生命が現れているという気がします。 それ以上、生命の躍動が現れる営みはないかもしれない。(p.58)この茂木さんの発言を受け、南さんがこう答える。 しかしそれはとても苦しい。 だからこそ、ブッダは生きていることは苦だと言った。 仏教は苦しみがなくなるとか、苦しみが全くない世界に行けるという話じゃなくて、 苦しくたって生きていけるようにする道を示すものです。また、別の場所では 中心では、インターネットに象徴されるような 情報システムの効率性に人間の方が合わせている。 そのコンピューターには親がいるわけではなく、 とても合理的な設計とシステムのもとに生まれてくる。 それに比べて、人間が生まれてくること自体、自分で選んだことではないし、 基本的に不条理なものですよね。(p.102)この茂木さんの言葉は、私も常々感じていたことで、その同一性に、ある意味驚いてしまった。そして、この言葉を受けた南さんの言葉がスゴイ。 だからこそ根本的に自己存在には根拠が欠けているということを 人は受け入れられないんですよ。 人間の存在の根本に、欠落がある。 何か確かなものが存在して、それに意識が付け加わるということではなくて、 人間の存在には何か根本的な欠落、あるいは喪失が原初にあるんだと思う。他の部分においても、南さんの言葉には私を圧倒するものが数多くあった。と言うことで、最後も南さんの言葉で締めくくることにする。 ブッダの生き方や道元の生き方を見ていて思うのは、 最後の土壇場になすべきことをなし終えたと思えるかどうかですな。 ここで自己肯定ができるかできないか。 腹の底から自分がなすべきだと信じたことをなし終えたんだと断言できるところまでいったら、 この世における解脱だと思うんですよ。(p.125)
2010.03.20
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「もう疲れた」と思ったときに読む本なので、 もちろん、軽くてサクサクのスッキリ系。 重くてジトジト、ズッシリ重たいワケがない。 書いてるのはモタさんこと斎藤茂太さん。 私は、モタさんの父上が斎藤茂吉さんだということは知っていたが、 弟が北杜夫さんだとは、本著を読むまで知らなかった。 それにしても、医師でありながら文才にも秀でた一族。 世の中にはこんな人たちもいるのだと、改めて気付かされた。さて、本著はと言うと、軽くてサクサクのスッキリ系と言いながらも、結構シャープで、シュッと心の中に入り込んでくる言葉があちこちに。その辺のバランス感覚は流石というほかない。 ときに即断即決を要求されるビジネスの世界では、 限られた時間内でどの程度いい仕事ができるかが問題で、 たとえ内容が優れていても、またどんなにできが良くても、 タイムオーバーであれば業績は無に等しい。(p.37)なかなか手厳しいが、全くの真実である。でも、疲れた人にこの言葉はどう響くのだろう? 会社での評価が、人生のすべてでないことを、 いつも頭の片隅に置いて仕事をすることが大切なのではないだろうか。(p.65)これも全くの真実だが、先の言葉に比べると、疲れた人にも優しい言葉に思える。かと思えば、一転してこんな言葉も。 いつまでも顕在化しない潜在能力はないのと同じである。(p.77)そしてまた一転、こんな言葉が登場。 組織で、地位と役割とその責任をまっとうすることが、体よりも大切だろうか。(p.90)最後に、私が本著で最も気に入った言葉。 留年した学生に先生が言った。 「キミ、よかったね、友達が二倍に増えるよ」(p.166)
2010.03.20
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“飛んで飛んで”の円広志さんの本。 副題は「パニック障害からの脱出」。 パニック障害とはどのようなものであるか、 自身の体験を通じ、世間に語りかけている。 円さんは体調に異常を感じ始めた頃、 医療機関にも行かず、誰にも相談せず、酒で辛さを誤魔化した。 それは、仕事を失いたくなかったから。 しかし、その飲みっぷりは尋常とは思えない。その後、8か月が経過。状態はさらに悪化し、すべての仕事をキャンセルすることになる。そして、やっと医療機関に足を運ぶことになるが、不調の原因がパニック障害であることに辿り着くまでには、かなりの時間を要している。この事実は、医師であっても、専門外の医師では、そのような診断を下すことが出来る者が、まだまだ少なかったことを示している。もちろん、原因がハッキリしないまま、不安に耐え続けることは、精神的に相当キツかったに違いない。しかし、つにに原因がハッキリとし、克服に向けての支援を医師から受けることが出来るようになると、事態は、確実に良い方へ向かって動き始める。仕事も順調にこなせるようになっていき、今では以前以上に大忙しだ。上沼さんや島田さんをはじめ、多くの人たちの温かい支援を受け、今や、円さんは完全復活を成し遂げたように見える。もちろん、そんな中、忘れてならないのは奥様の支えである。彼女の支え無しには、円さんに今日という日は訪れなかっただろう。さらには、彼の周囲のスタッフも、彼のワガママな言動や苦労によく耐え、頑張った。なのに、本著では、円さん自身の辛さやその克服に向けた努力が多く語られている反面、スタッフの方々に対しての、謝罪や反省、感謝の気持ちがあまり伝わってこない。もちろん、そのワガママや苦労が、パニック障害ゆえのことだと分かっていても「?」だ。そのことが、本著を読み終えたとき、心の片隅にモヤッと感を残すことになり、スッキリした読後感には至らなかった。恐らく、そんなことを、まだ完治しきっていない円さんに求めるのは、時期尚早ということなのだろう。
2010.03.20
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毎度お馴染み、田口先生と白鳥さんのコンビが登場するものの、 これまでのバチスタ・シリーズとは一味違った作品に仕上がっている。 それは、ミステリー作品としての謎解き部分がほとんどなく、 目指すべき結末に向かって、物語がよどみなく展開していくから。 そこで扱われているのは、まさに『死因不明社会』の世界。 海堂さんの熱い思いが、バチスタ・シリーズの中で見事に再現されている。 Ai導入に対する様々な機関や組織の姿勢がどのようなものなのか、 個性的なキャラクター達の言動によって、読む者にしっかりと伝わってくる。扱っている内容が、医療や法令に関わることは、かなり専門的で、さらには行政機関や医療機関等の内情にも触れることを避けて通れなかったため、一読しただけでは、ちょっと理解しづらい部分も本著には見られた。ただし、その辺はあまり完全理解に拘り過ぎず、文学作品として楽しめば良いと思う。本著については、昨年末に既に文庫版が発売されている。そちらの方では、本著で触れられていないエピソードも加筆されているようで、お話しとしてのグレードがアップしているらしい。機会があれば、文庫版もぜひ読んでみたいと思っている。
2010.03.20
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TVで『2010 第33回 日本アカデミー賞』の授賞式を見ていたら、作品賞は『沈まぬ太陽』、主演男優賞は渡辺謙さんという、本命中の本命が獲得していました。そんな中、最優秀主演女優賞に輝いたのは松たか子さん(パチパチ!!)。そこで、映画『ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ~』の原作を青空文庫で読んでみることに。私は、この作品については映画も見ていないし(『沈まぬ太陽』は公開後即劇場にて鑑賞)、他の太宰の作品についても、あまり馴染みがありません。ひょっとすると、教科書で『走れメロス』を読んだぐらいかも知れないというレベル。そう言えば高校生の頃、現国の先生が「太宰の文学は……」と口癖のように言ってたっけ。さて、お話しはと言うと、ろくでもない物書きの男が、飲み屋で、何時ものようにただ酒を飲んだ挙げ句に、何と店のお金まで奪って逃走。男は、妻と赤ん坊が待つ掘っ立て小屋に逃げ込むが、飲み屋の主人達はそれを追跡&発見。すると、追い詰められた男は懐からナイフを取り出して彼らを脅し、またまた逃走。その後、妻は飲み屋の主人達を家に招き入れて詳しく事情を聞き、「私が何とかする。」と言って、とりあえずその日は主人達に引き取ってもらう。しかし、実際妻には何のアテがあるわけでもなかったのだ……。それなのに、赤ん坊と一緒にちゃんとその飲み屋を訪れ、なぜか店の手伝いを始める。しかし、この夫、本当にとんでもない男で、何日も家を空け続けるのは当たり前、夫や父親としての役割など寸分も果たすことなく、方々の女に手を出して回る尻軽男。それでも、電車内に釣られた雑誌の広告に、その作品名と作者名が見られるのだから、そこそこ仕事は出来るのだろう(出版関係者ともよく飲みに行ってるらしい)。そして、結末はと言うと……何だか似たもの夫婦というか、小さなことは気にしない人たちというか、細かいことは分からない人たちというか……こんなのあり?という感じのエンディングでした。
2010.03.05
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ついに始まった壮絶な戦い。 エースを救うため、あの白ひげがやって来た! 新世界47隻の海賊艦隊は、既存キャラを数段上回るパワーを誇る。 そして、迎え撃つ海軍本部と王下七武海のメンツもスゴ過ぎ!! 今巻の目玉は、第558話後の「質問コーナー」。 海軍大将のモデルを堂々公開。 もちろん、青雉は松田優作さん、黄猿は田中邦衛さん、 そして、赤犬は菅原文太さんという、予想通りのお答え。それにしても、エースがデビューした頃の、赤髪やジンベエとのエピソードや、白ひげとの出会い、その後の葛藤の日々の描写は、短いながらもなかなか感動的。ルフィーと兄弟の杯を交わすシーンもヨカッタ。それ以外の戦闘シーンは、あまりに凄まじい過ぎて、もうグッチャグチャ。そんな中、さすがの存在感を見せつけたのは鷹の目。やはり圧倒的な剣の力!そして、ルフィーと相対した後の、彼のこの台詞こそが、ルフィーの、そして“ONE PIECE”の魅力を言い尽くしている。 能力や技じゃない -その場にいる者達を 次々に自分の味方につける この海においてあの男は 最も恐るべき力を持っている………!!そして、今巻のラストシーン。その展開は、全く予想していなかったもので、しばし絶句……この後、一体どうなってしまうのか!?
2010.03.04
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